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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年10月
リネン日記:22
2018年10月31日
生成の色というのは色斑が存在する。レピアで織ると糸が連続しているのでその問題が少ないのであるが、ロットによっては、レピアでも突然に色が変わりまた戻るとかがありうる。色の濃さが一巻きの中でも異なるのである。ロットという名があっても、ロットとしては使い難いロット。ランダムに糸を散らして解決する方法などあるけども、なかなか、そういうロットは使い難いものである。加工すると余計に色の差がみえてくるとか。

糸商さんが企画するときも、生成は問題が多いので、結局晒して生成っぽい色に染めるとかで解決されるケースが多いようである。分かるんだが、生成は生成で使えないと残念なのである。これはあまり知られていないことなのであるが、生成といっても生成そのままはアパレル向けには使い難いので、一般的に生成と呼ばれるものは8分の1とか若干の晒が掛けてあるのが普通である。また、リネンの生成りは、水で洗って天日に干すと少しづつ晒されて行く。

リネンの生成の色というのは、繊維についた養分のようなものなのである。その斑点のように付いた養分が解けて落ちると透明な繊維になるのである。繊維そのものは白というよりも、半透明に近く、光を反射し輝くのである。これが織られた月光といわれる所以だろうと思う。昔の白のリネンは月光のように輝いていた。

イタリア銘柄チュニジア紡績の糸が色斑が激しく使い難く、高品位な中国紡績糸のほうが色が安定していて問題が少ない。ヨーロッパ銘柄よりも中国のトップクラスの紡績のほうが安定しているというのも、私が10年前に中国の紡績工場に行ったときに、中国の紡績はヨーロッパを抜くと思うと言ったら、その中国の紡績工場の社長に笑われたが現実に逆転が起こり始めている。昔からヨーロッパ紡績の糸を使ってきただけに、2000年頃以降のヨーロッパ銘柄の糸の問題は当たりもあるが外れる確立が大きくなりすぎて頭を悩ませることも多かったのである。

生成の糸に均一性がないことは、たとば晒すと問題は消えるだろうが、それを後染するとまた問題が見えてくるとか。昔よくいわれた中国キバタの後染めの問題と同じで、ヨーロッパ銘柄にも昔の中国糸と同じような問題が起こり始めている。糸を連続して使いながら途中で色が変わってしまう問題、糸商さんも把握されていない問題で実際に使ってみないと分からない問題である。オーガニックの糸の場合にはこれが極端に起こりうるのであるがそれはオーガニックの特性で証の一つだからと許容していたりする。
2018年10月24日
麻という言葉を辿ると、どうしても、日本だけに留まらず中語の麻の語源にたどり着く。私自身が興味深かったのは魔法という言葉。仏法という言葉の対語とされ、仏という言葉も仏陀を指し、人に非ずというところから来ているそうではあるが、魔という言葉も、麻の鬼で、鬼も人に非ずの部分をかかえている。鬼もまた仏を抱えているのである。これは当時の中国が、中国以外を蔑んで当て字したところにあるだろうと思う。ブッダを表す仏陀という漢字にしても、当時の中国が国外のものを蔑んだ感がある。これは本当にあまり言われていないことだと思うが、仏教という、人に非ずという当て字、これが人を超えたものを指す意味として、当時、漢字が当てられたとは思えないのである。それは鬼にも仏があったりして、仏教全体というか、印度を、当時の中国が蔑んでいたと思えるのである。

鬼に麻冠が付くのはなぜ、印度の宗教では麻が使われていたからなのであろう。これは大麻に由来するものと思われるのである。日本では大麻を肯定するときに、麻と痲は別という風にいわれるが、印度と中国の関係は密接であり、中国の麻が麻薬効果がなかったとしても、古代の中国は印度という国をよく勉強していて、印度の陶酔効果のある麻の使い方に関しても知っていたと安易に想像できるのである。紀元前221年頃の秦の始皇帝に使えた徐福が印度に留学していたことも、ちょうどそのときにインドはアショカ王の頃で、印度で仏教が芽生えた頃。徐福が、秦の国に印度のもろもろを伝えたものと思われる。人に非ずの仏の文字が当てられたのも、当時の中国の体制を考慮する必要があるだろう。

印度にしても、ヒンドゥから来ており中国が殷の時代に殷奴と名付けたらしい。地名や国名も人々の考えによって変化して行くべきものであろうと思う。当時の中国の指導者はインドをあまりよくない場所であるとイメージしていたと思える。当時の中国の指導者は中語句以外は属国として考えていたので当然ではあろうけど。
2018年10月23日
今日は防災訓練を挟んだ仕事の出荷が終わり秋からの怒濤の仕事の第一ラウンド終了のゴングが鳴った感じ。ヘトヘトに疲れきって栄養補給に天一の餃子定食、麺特大スープ多い目ご飯大を食べる。半年ぶりくらいかなあ、学生のころよく食べた天一で癒される。家に帰って、久しぶりにゆっくりと休憩。足首辺りから疲れがでて、横になると、祭りのあとのような心地よさ。ビックリは、夜トイレに行くと結石が出た。この3年くらい腰後ろの辺りにあったもので、石があるなあと疲れも出やすく食べると眠気も催した。

柿を剥いて、この二日ほど10個づつくらい食べたのが効いたみたいである。柿に含まれるカリウムが利尿作用をもたらしたか。爽快な気分が戻った。結石には柿をお勧めする。面白いもので、私はこの3年間、柿が甘そうに成っているのを見ると柿を食べたかったのだ。結石の症状が柿を本能的にほっしていたのだろうか。でも、林与の柿はここ数年出来なかったので、残念に思っていた。今年、柿が大量になって柔らかくなりかけたのを思いっきり食べた。どこかに解決方法は眠っている。

元気になって、このシーズンの第二ラウンドに突入。すでに、2019SS向けは、15ラウンドくらいある予定です。
2018年10月21日
昨日は朝8時から防災訓練、夜中2時過ぎまで織機を動かし寝たのが3時半、起きたの6時過ぎで寝る時間がほしい状態ではあるが、80近い母親が、なにか行事や台風があるとテンパる。私が参加しないといけない行事があると母親は常にテンパルのだが、私の仕事というのは、他の人には無理に近い仕事で、他の人が私の仕事を代わりにやりますなんていうのはないので、自分の時間がまったく足りず、寝る時間も相当減らしているのだが、母親は働かない普通の人なので、私が防災訓練に参加しないと自分の立場を気にする。

参加したのは、60歳とか70歳過ぎの人がほとんど。集落の同世代の人も4人くらい手伝っておられた、役が当たっておられるのだろう。集落の消防団が関係していないのは??? 8時過ぎから土嚢詰め、それを積む。感じとして、15kgほどの土嚢、もうみんな高齢化していて持てないくらいの感覚。糸の箱は30kgを越えているので、織物の仕事をしていたら土嚢積みは案外楽な仕事に思えるだろう。

次に、熱中症対策の病人を毛布で運ぶ作業。消防署の人が、けが人をしてくださる方と声を掛けるが、誰も反応しないので私が手を上げてけが人をする。仕事や物事していても目の前に必要な作業があってもなかなか自分で動く人はいないので、そういうのに普段から困っているのだが防災訓練でも積極的な人は少ない。近所の人ばかりなので、なかなかみんな周りが気になるのだろう。みんなが恥ずかしくてやらないときに、考え方が違うからそういうのをやるのが私の役目、目立とうとかではなく、今までの経験から。

場をつくっていく人の存在は必要。30歳くらいの署員の方だろうか、年配の人ばかりに囲まれて、提案してもものごとが前に進みにくい状況。自分が何かやろうとしてみんなが乗り気でないときにでも理解して助けてくれた人が今まであったりした。こういうときに場をつくれないと、自分がものごとをやろうとするときにも場を作ってゆくのは無理だろうと思う。また、人には協力しないで自分がやろうとするときにだけ協力者を求めるタイプというのもアンバランスなタイプ、理想的なスタイルとしてその人がいれば常に場がうまく成り立つような安心感みたいなものが人の力じゃないだろうかと思う。

消火栓からの2線延長の操法訓練もあったが、実際は4人揃わない可能性が高い、機敏に動ける人の少ない今、操法も一人でもできるような形にしておかないと駄目だろうと思った。集落で火事があったときに、動けるのが一人だったら、消火栓のボックスからホース何本か取り出し延長して筒先を取り付けて消火栓をひねって筒先に戻れば1分もあればできないことはないだろう。そんなことも今日の防災訓練で考えた。集落の消防団にいたときも、町内で、火事があっても、昼間、地元にいたのは、私かもう一人くらいでいつも消防自動車で出動する役割だった。今はもっと状況が厳しくなっているだろうが、最近は火事も少なくなった。昔は、風呂を炊いていたので夜中に火事が起こることが多かったらしい。今はお風呂も蛇口をひねるだけでお湯が出る。

火も日常生活で使わなくなりつつある。それが良いことばかりでなく、人が火のような危険ものを扱う能力がなくなることにつながるだろう。手元の火で満足し、エネルギーをそれほど使っていなかったのが昔、今は、いつでも部屋が暖まるようにインフラが電気を供給できるようにスタンバイしていないとならない。地球温暖化も50億人がそういう快適を求めたときに歯止め掛けるの難しいだろう。
2018年10月20日
ビームの送りがぎこちない織機があるので、それを調整。通常だとギアが回るとビームの送りも安定して回る。何が原因なのか判らないまま、とりあえず、送りの機構周辺のカバーを外し掃除をしてみる。本来は、麻のワタ埃程度では影響はないはずなのだが、とりあえず、ゴミと思われるものを徹底的に取り除く。この織機は2年ほど前に移設してきたものだが、問題を解決しようとすると職人さんの限界や苦悩みたいなものが伝わってくる。きっと、問題には気がついておられただろうけども、原因が分からずのまま悩んでおられたのではないかと。

以前、別の工場からの織機も、その工場に入って20年、一度も動いたことがないといわれていたのも良く分かる。その織機も、林与に来て、動かそうとするがなかなか職人さんに見てもらうも原因が分からず動かないまま。納期が迫ってきたので、私が時間を見つけてみることに、これは職人さんでは問題を見つけるのが難しいだろうと思えるような、すべての機械の部品が付いていて動いてはいるけども、その部品の一つが機能すべき役割を果たしていないという問題。それも送り出しの問題だった。糸の送出の機構というのは職人さんでもなかなか理解がし難いと思う。

その織機は付いている部品の穴の直径が1mmから2mm大きいだけでそこで動きが遮断されてしまうとか。その1mmとか2mmで、ラチェットをうまく押し出さないとか。そこは本来調整箇所ではないのだ。別の工場で20年動かなかったその織機というのも、そのさらに前の工場で動かなくなって修理できずに放出され前の工場に中古で買われたのだろう。そして私の工場に巡ってきた。そんな織機が巡ってきて動かないとその工場は立ち行かなくなる。

私も時間があれば、自分が織機を動かして調整を掛けて行くので織機の調子をどんどんと上げて行くことができるが、普通は織機を動かしている人は調子が悪い織機でも悪いままに動かして、織機の問題が布の問題となって表れたり、必要以上に織機が消耗したり、シャトルを挟んで壊したり、織る人は織機が悪いと結論付けるけども織機に調整を掛けるのも自動で織機が織物を織るようになったのだから織る人の仕事だろうと思う。昔は織り子さんとよばれる織るだけの人が存在したが、もう織り子さんという存在だけでは、織りの現場には残ることは難しくなっていると思う。
2018年10月19日
カナダでは医療用大麻を認可したことで、娯楽用の闇大麻が出回り、それを統制するということで娯楽用の大麻解禁の流れであるとニュースを読んだ。カナダのような国をしても医療用大麻が医療用で留まることのない実例である。大麻関連の薬品会社が合法的に出来てしまえば、偽ブランドと同じで合法なもののように偽物が裏で出回る。しっかりと取り締まる力があれば別なのかもしれないけども、薬品となれば患者を偽装したものが自分が使わずに他に横流してカネにすることもありえるし、そんなカネを目的で裏のビジネスも成立し、怪しい組織の資金源になってしまう。

鳥取の町おこしにしても胡散臭いなあと思ったの私だけじゃないと思うが、行政が後押しで問題が発覚というのも情けない。報道では、吸引用の大麻は栽培されていないで終わっているけど、現実的には真実も隠匿されていてやばい大麻が隠れて栽培されてしまっていたという情報。日本での大麻栽培に警笛を発しているのに、行政レベルの対応では、違法な大麻を取り締まるのは難しく、大麻栽培は本当に限定的なものでよいと思う。よくわかるのが、神宮大麻の存在である。大麻繊維の活用を考えるのに、中国だとうまく大麻の管理が出来て、日本では難しい理由などよく考えないといけない。

大麻栽培に関しての推進派が、行政も含めて素人でやばすぎる現実。大麻栽培に何を求めるのか、神事なの医療、種なの油なの繊維なの、吸引なのという単純な話。神事が吸引目的の隠れ蓑になってしまうのが情けない。外国人が放置紺あの日本で大麻栽培して、闇栽培でビッグなビジネスチャンス。海外なんかは大麻で金儲けを考える大麻ビジネス。廃人を作ったときにその代償は大きすぎるが、金儲けできるとなるときれいごと並べて合法化に動く。鳥取の事件などをみると、GHQは正しかったのではないのか、また、麻織物業者も大麻栽培撲滅に協力した戦後。栃木で地道に栽培されているような範疇が市場的にも適切ではないのであろうか、全国に広めようという動きは目的が別にあろうかと思える。

大麻が解禁されているオランダにいっても、ヘンプ織物が特産品としてあるわけでもなく、大麻吸引ビジネスが主体でしかない。大麻は万物みたいに言われながら、繊維としてもすごいとかいわれても、実際に隠れ蓑につかわれるのが、麻織物をコツコツやっている人間からすれば腹立たしいくらい。大麻栽培や織物関係者がそういう輩と混じっては駄目。織物まで作らせてちゃんとつくるくらいなら自分で栽培すると許可を与えるとかでないと駄目。そうすると別の意味が見えてくるし、やっと食べていける話になるから、大麻を栽培しても合法な範囲だと日本ではビジネスにもならないから、ずっとやっている方々も困っている。海外でも先進国では、大麻栽培は吸引目的が主体でないとビジネスとしては成り立たない側面がある。

日本では農業が崩壊し始めていて、手でつくる農業は成り立ち難い。大麻栽培も手作業が多いから本業の農業が難しくなってきたときに副業としてやるには後継者問題も含め難しくなっているのは良く分かる。しかしながら、日本で次の後継者を求めても、栽培だけでは成り立たせるのも難しいのだから結局、吸引目的につながってしまう。神事に使うのだからそういう中でうまくお金が回るような形にしないと難しいだろうが、実際に神事で使われる量も全国の各村に神社があろうが、田んぼ3反田、一つ分の畑で生産できるような量で済んでしまいそうな気がする。多くの後継者が生まれて携わるような形の栽培が適しているのかというと後継者が沢山生まれても食べてもいけないのが想定されるから、そうは思えなかったりするのである。
2018年10月18日
スポーツでも将棋などでも、10代の活躍が目立つ。20代よりも10代のほうが、ものごとに集中できているという部分もあるのだろう。オセロでも11歳が世界チャンピョンということで、単なる偶然ではなく、頭脳では世界的にも子供たちのほうが冴えているみたいな状況。これはなんか分かる気がする。芸能なんかも子供たちが大人顔負けに対応をしていて、成人するあたりから俗化。大学生となるとなんか俗っぽいものに憧れてしまっていて、限界が浅いことが多い。社会人となると集中も難しく投げ出すとか、新しいことを吸収するも難しい確立が高い。

10代が強いというのは、日本の場合は、年功序列の近年封印が解けたことにもあるのではないかと思う。日本の場合は、学生は学生、先生は先生というのを守りたい部分があったと思える。年功序列から実力主義の社会になって、10代が全力できたときには、大人の力では及ばないなんてのも、本来は普通なのかもしれない。年配のものが仕切っている社会というのはどうしようもないのを感じることも多く、そういうへんな封印を解くのがまず第一に必要だと思えるのである。

今はグローバルなネットの時代になって、先生たちの持っている情報というのが若い人たちの情報よりも狭いことも多く、若い人たちが自由に動けたほうが既存の師弟関係の中で教えてもらっているよりも、成長が早いということもあるだろう。田舎の実社会で得られる情報やできることというのは縦型の社会だと限られてしまって難しいところがある。年功序列的な体系と結びつけば田舎でもいろいろなことはできるが、年功序列型の体系が後ろ向きな力になってしまうときには一つ一つが難しくなる。繊維の業界でも、若い者がグローバルに力強く動けるようなところがどんどんと伸びて、既存の流通体系や生産体系で動いているところは苦労はしても伸びることができないような気がする。

壁にぶつかったときにそこで立ち止まらないためにも、硬直した考えや現状を打破できる人がまとまり動いて、壁を越えて行くような姿勢が大事だろうと思える。そうでないと織物にたとえると1mの織物も織れないままに時間だけが過ぎてゆく、実際の仕事ができてないのにどうにもならないとか嘆いていてもしかたないのである。でもそれ以前に、難しいものがどうこうよりも、簡単な布をつくることもなかなか難しくなった今の産地の現状を考えると、恵まれて余裕があるからできなくなってしまうんだよなあと納得してしまうところがある。

林与自身も50歳手前で、私の次の世代の人というのは前の世代の人以上に強くないと前の世代についているくらいでは乗り越えて行けないだろうと思う。自分がなんてもやってゆけるんだという実力がないと生き残っては行けないと思う。他の人に協力してうまく行く部分はそのままでもよいけども、外に協力を求めてもなかなか難しい本業の専門の人でも難しいことは自分で解決して行く力を持たないと新しいものも生み出せない。どんどんと新しい布を生み出してゆくような力を維持できていないと、壁にぶつかって前に進めないようでは先行きは難しい。
2018年10月17日
昨日は、駐車場のある畑の柿が、もう枝が耐えられないくらいにぶら下がっていたのを食べた。何百もあるうちの、熟れたいくつかは鳥に食べられて、鳥も最初の食べ始め。順番に美味しそうな柔らかくなったのを啄ばむ。オーガニック栽培というけども、放っておいて出来上がるような柿のようなものもある。今年は当たり年で、何百個もの柿が一つの木に成る。駄目な年は虫に食われて1個2個もありえる。オーガニックのムラというもので、オーガニックが商売では成り立ち難いのもそのあたりだろう。

カルガモ有機栽培で子供会がもち米を育てようとしても、実際には土に栄養が足りないので、カルガモの糞だけでは、稲が育たず穂が実らない。世話している農家の人は正直なことをいう、やっているものは理想じゃなく正直なのだ。それだけじゃあ足りないから肥料を普通に使ってなんとかもち米を作る。世話している農家の人が嘘をつけばそれで終わりのオーガニックの世界である。林与の村の農家の人はとても正直で本当のことを話す。やっているものは理想を語るのではなく現実と実際の苦労を経験しているから。

取れる量も村の人みんなが分けて食べるのには少ないので、自分でつくったもち米を無料で混ぜてなんとかそういう村の事業を成り立たせている。実際にやっているひとは、看板なんて理想だということも分かって現実と向かい合っているのである。こんな特別すごいことをやっていると偉そうにもいえないので、あんまり偉そうには言わないのである。耐えて正直なところも伝えながらかるがも有機栽培を通じて農業の本質を伝えていらっしゃる。

琵琶湖の富栄養化の問題でも、家庭の潜在が問題になって粉石けん運動が起こったけども、農業で使われる肥料の問題はあまり取りだ足されない。稲を育てる肥料、リンや窒素の集約されたもので、琵琶湖に流れ出せばアオモや赤潮の原因になる。農業は行政を挙げての事業なので、消費者は県の業務とは関係ないので規制出来ても、農業は県の業務の一旦で規制する事は難しく、農薬や肥料は農協にとっても農業ビジネスの柱、規制されることはほとんどなく、それがもたらす富栄養化については口を閉ざされている。肥料をつくる工場が肥料を排水中に廃棄してしまえば大問題なのだが、農協が農家を介して琵琶湖に流れ込む分に関してはむ問題なのである。農家の人も農協から農薬や肥料を買わなければ、米を農協が買ってくれないとか脅されて、仕方なく買わされて買ったからには捨てるわけにもいかず、田んぼに巻いて捨てるかのごとく使っているケースもあるのである。

たとえば、農協が自然農法を推奨するのかというと逆で、肥料を販売して利益を上げる業者的な要素があるので、農薬や肥料会社のセールス窓口で、環境問題の観点からすると指導はしていながらも、環境問題と利益のどちらが大事鹿野かというと利益よりだろう。農協が会場となって催眠商法なんかもあったりして、高額なマッサージチェアを老人が買わされたりとか、協同組合が守らなければ成らない会員に対して何をやっているんだろうという話。存続自体が会員保護とか世の中のためではなく、組織の存続のためになってしまったりする。

農業というのは自然を思わせるが工業と同じ以上に、工業的にやれば自然破壊に結びつくことも多い。アメリカで流行の遺伝子組み換えなんてもの、遺伝子を組み替えたものが勝手に、他の畑の通常のものと交配してしまったら、通常の畑を遺伝子組み換えでやっていないものが、被害者でも、遺伝子組み換えの特許を持った企業から訴えられてしまうようなのが、今の最先端の農業である。農業という言葉=自然ではない。農業という言葉が商工業以上に環境破壊を見えないところで犯してしまうこともあり、行政が裏で力に負けたりとか、担当が将来の天下りを考えて認可というケースもあるので、気をつけるべきところである。国民を欺く国会での偽証罪が疑われても出世できる行政のメカニズム、保身や利権にまみれたものが、まともな精神をあざわらい駆逐することは、原発以外の行政でもいたるところでみられる問題。

環境庁が、原発が爆発後に基準値を20分の1に下げて、ほんとうなら法を犯すような犯罪なのに、行政が絡んでいると法律や基準値を換えて犯罪がなかったことにする。法の下の平等すらも行政主導だと問題なしになるのが、旧共産主義国にありがちだった闇と似ているのだが、先進国となった日本で、旧共産主義国の闇以上にアンタッチャブルで不透明なものがあるのもなあ。
2018年10月16日
今まで、林与が自分自身の中で生み出してきたものとして、超細番手リネンストール、やわらかなリネンストール、ハニカムキッチンクロス、リネンデニム、藍染リネンなど。他を真似るでなく、自分自身がこんなものがあればよいなあと自分の試行錯誤の中で作りたいなあと思うものを生み出してきた、出来上がったものに面白さを感じるような流れのものづくりこれは織機を動かす中で生地が生まれて、それが世の中に出て他に影響を及ぼし麻やリネンのトレンドとなる。最初につくるので乗り越えないといけない壁は大きいけども、自分の目標を達成し世の中にないものを生み出してゆく実感はあるので充実感がある。まあ、私は外を見て回らないのですでに世の中に存在する可能性はあるが、いろんな麻を見て麻を扱っておられるお客様に提案しても他でみたことがないという方が多いので、世の中への提案としても林与が自分で考え生み出した生地の新鮮度は高く、トレンドにもなりやすい。

リネンの細番手プロジェクトも、糸が入手困難なときから、糸探しから初めてのトライアルで、量産のために糸を確保するところまでの思い切りなども乗り越えてきた。林与の場合、超細番手のカシミヤや綿、その他新素材にも手を出したりもするが、他の素材に挑戦するのが織れないといわれるときに、自分が織ってみたいと思って手を出してみるとか。それも織物を織ることへの挑戦なのである。麻の紡績工場にもっと細い番手を作って欲しいと頼むことが多いが、なかなかそれが叶うことはないのである。織れるか織れないかわからないようなレベルの糸を作ったところで沢山の人が買って使うことはないだろうから。

昨日はまた、細い糸が手に入った。良い糸への憧れは半端ではなく、何十万円というお金を原材料に費やし将来のいつの日にか形にするために在庫したりする。何十年に一回しか手に入らない糸というのもあるだろうから、でもそういう糸が常に織れる糸だとも限らないし、私は自分で糸を料理する自信を持っているから、よさそうな糸は自分の織物の腕を試せる絶好の材料なのである。この糸も相場が、1kg1万円ほどの糸なので、染めたりもして密度を高く織ると反物で普通のバルク生産でも1mが1万円くらいクラスの生地になるだろう。そういうものを追い求めてみたい。ただ、材料費が高いじゃけじゃなく、仕上がりがどんな風にみえるのか、大期待なのである。業者さんに扱ってもらうのは難しいけど、麻に憧れをもっておられる方とか麻を求めて世界中を巡っているような人に提案できればと思う。

本業で本質的な良いものを求めるのは、売って儲けるためでなく、見てもらうだけでもよいというアーティストの自己表現に近い感覚。通常の仕事でそれを求めるから、そういう部隊では、評価される人に出会える機会は少ないけども、アーティストの方に感銘してもらえることは多かったりする。自分が良いと思う麻布が、良い麻布でという自分の中にある麻布に対する価値観は、他の人が作った布に特別なものを感じたときには素直にそれを評価できるものでないと価値観として本物だと思えない。たとえば、自分がつくろうとしているものを他の人がつくったときにすごいなあと思えるとか。自分の求めている風合いをほかの人が実現したら良い風合いだなあと思えるとか。一方で、他の人がすごいといっていても、自分が普通だと思うものは普通だという判断でよいと思う。
2018年10月15日
子供の頃はじめて飼った犬が2歳ほどでフィラリアで死んだことがある。裏が竹やぶで小さな川があったので蚊が多かった。歴史をしらべると、滋賀県の湖東地域は蚊の多い地域で、戦後マラリアとの戦いがあったそうで、彦根城の外濠も蚊を撲滅するために埋められたそうだ。戦前に戦争に行ってマラリアを持ち帰ってきたのが蚊を媒介して広まったのを戦後にアメリカの指導の下、行政を挙げて撲滅したようだ。また、日本の歴史を調べてみると八丈小島では、人フィラリアの風土病があったそうだ。どちらもDDTという1971年に禁止された農薬で蚊を駆除した。

基本的に、人に害を及ぼすのでDDTを使うのもしかたないことだろう。沈黙の春の中で、DDTは生体蓄積し発がん性があることで、1971年使用禁止という流れになった。今は当時ほどは危険性があるとは考えておらず、発がん性の恐れがあるという認識で、アゾ染料に近い危険度のあるものとして、途上国でのマラリア退治には使われている。八丈小島のマレー回虫は学者からすると天然記念物にしていしたいほどで絶滅させるのは残念だと思う気持ちもあったいうが、私は人の命や健康のほうが大事だと考えるのでDDTを使用して絶滅させたのは良かったかと思う。彦根の件も同じで、DDTの使用で風土病とされたマラリアが絶滅になったのはよかったと思う。八丈小島の風土病が絶えて人々が精神的にも開放された面も無きにしもあらずだろう。なぜ水も少ない人が住むことも難しいその島だけに人フィラリアがという問題。学者たちは謎だというが、ゾウ足の症状が出たものに対しての隔離政策があったのではないのかと思う。カネミ油事件などでは、米油にPCBが混入し、カネミ油症を出したので、DDTの散布に関しても安易には考えてはならないと思える。危険性を認識したうえで使用するべきであろう。よくあるのがそういう危険性をないかのように安全だと言い切って使用して、結局、惨事に至るケース。

カネミ油事件でも工事ミス説が有力である。たったそれだけで起こりうるから本当に怖い話なのである。腐敗や工作ミスでPCBが漏れ出すような脱臭装置自体の構造に問題があったのではないかと思う。事件発覚後の企業対応に問題があったのも見逃せないが、裁判も大きな問題で、最高裁で国の落ち度が絡んでいるためにこんな事件でも被告が敗訴するような可能性が高くなり、被告が提訴を取り下げるようなことになった。なんの罪もない人間が米油を買って飲んだら毒油、行政がだらしないことして原因究明せず放置、国が被害者に勝とうとする行政的な流れが見えてしまう。こんな事件でも被害者が敗訴しそうになる日本の裁判システム。コメ油はコメ糠からでコメなんで、当時、国のビジネスの要素もあったんだろう、国の余剰米を預かる倉庫業者がなんで米油の製造を倉庫ではじめたのかとか。東電と似たような官製を感じる。

和解した原告以外は被害者ではないというような考えも不思議なのだが、厚生省の考える国の厚生レベルの低さそのもので、カネミ油の業者だけじゃなく、行政が責任を問われると被害者を見捨てる国の対応が被害を放置してしまって、被害者の救済を考えない国の姿勢が浮き彫りになった事件である。カネミ油のような大きな問題が起こっても、それを解決すべく国が正しく機能していなかった部分。

安全性が謳われていても実際に使われて危険性が見えてくるものも多い、大体、新しい薬剤など数年で問題が見えて消えてゆく。コストが安いからと新しい薬剤に変えることはリスクが高いことが多い。自動車にしても新しいリニューアルされたモデルの車と販売されて数年経つモデルでは、どちらが安全なのだろうか。たぶん、後者であろう。倉庫会社がつくった米油最初はいろいろとトラブルがあるのは当たり前と思う。慣れた技術者というけど、まあ、特殊な機械だと慣れた人間なんて作った人でも修理とかできるかできないか。
2018年10月14日

海外生産に関わるニュースで、日本の大手SPAがインドネシアの縫製していたのを辞めて、他国での生産に振り替えたので、インドネシアの工場が従業員たちの仕事が無くなりリストラされる話。従業員たちは、工場経営者を訴えるではなく、仕事を出していた日本の大手SPAに解雇に関する金銭的な補償を求めている。品質要求が高いと同じ仕事でも時間は2倍、3倍とか掛かることになる。人件費は品質の精度を求められば、2倍、3倍になることもある。 何百人が働いている縫製工場でも、日本の大手SPAの仕事を受けてキャパが一杯になりさらに従業員を増やして納期を合わせたりして、従来のお客さんの仕事をほとんどなくしてしまって、日本の大手SPAからの発注が無くなったときには、倒産する可能性や大規模なリストラが必要になるのはほぼ確実なのである。日本の生地メーカーや縫製工場でも、大手SPAの仕事を受けると倒産のリスクは高くなってしまうので断るところは多い。勝ち組とされるところの仕事を受けてうまく続けばよいけど続かなくなったときの反動は大きいだろう。 発注するだけで、従業員の解雇の補償まで要求されるというのも理不尽ではあるけども、この問題は大手SPAが発注先を変更するたびに起こりえる問題なのである。大手SPAが、途上国に生産するときに国際貢献となることを考えるが、逆に、発注をやめるときに働いていた人たちの解雇問題を考える経営者(大手では厳密には経営者も雇われ人だから、会社は株主のものという大企業的な考えからすると株主)はいないだろう。法的になんら問題はないというのが一般的な結論なのだが、多くの人の人生に問題は生じてしまっている。仕事をくれた先が自分たちの面倒をみるべきだみたいな考えになってしまっているのも考え方としては修正が必要だろう。大手SPAの仕事を受けた経営者の判断の問題というのが一番なのだろうけど、こなせて安定的な関係となればよい仕事、でも、一度受けると元には戻れなくなる可能性も高い。 大手アパレルが主軸にしていたライセンスブランドがライセンス解消となって、売り上げが激減し人員が余り、経営が難しくなるというのも同じことだろう。自分が決定できない一つの案件の比率が大きくそれに頼っていては、いざその案件が難しくなったときに急に立ち行かなくなることがあろう。安定しているように見える仕事ほどそこからの方向転換が難しいものであり、安定していないくらいのほうが長続きするのではないだろうか。

2018年10月13日
分業って特化して生産性を高め品質も高められるというのが目的なのだが、分業にすると楽をできるだけに落ちていってしまうことも多い。自分の今やっている形がすべてみたいな問題があっても問題もみえないようになってしまうとか。日本の場合には、利点よりも問題点が増えてきているように思え、分業のそれぞれが偉そうにするばかりで問題が起こっても無責任で、まともなものをつくるボトルネックになってしまう。それぞれが責任をもって正しい結果を出せていればよいけども、正しい結果もでずに仕事したと、途上国の仕事よりも質が落ちてしまっては日本国内でものづくりしたものでも売り場にならべることも難しい。

昔、細番手の糸の問題で糸商の社長と口論をしたことがあって、織れるか織れないか分からない細い糸を林与自身が自分で手に入れようとしたときに、その糸商の社長が自分を通して買って欲しいといわれるが、まずは、糸商なら自分が手に入れてこんな糸がありますから試しに使ってみませんかが普通だと思うが、私の話に便乗するだけで後の糸の問題は自分は関係ないでは駄目なのである。一か八かの掛けに、外野は必要ないのであって、織れなければ私が何百万か損をする話。注文が入っても糸が手に入らなければ私が困る話なのであって、リスクもできない糸商さんが、リスクする人間に口出しをする話ではない。何十年の付き合いではあったが、その件は自分で海外から糸を仕入れ解決して、リネン100番手以上の細番手織物の量産の道を切り開いた。別に喧嘩するつもりもないけども、ハズレの糸をつかんでリスクを背負う覚悟がない状態で任せてくれと頼まれても困る話なのである。糸商さんでもどこでもハズレの糸を掴んで苦しむことはあるが、それはそれで使えない糸に正しいお金を払う気の毒な話だが、それが糸のプロとしての糸商さんの仕事の一つでもある。

私も、織れない糸が当たっても返品しないで使える工夫を最大限に考え織物のプロはプロで問題解決に真剣である。今まで林与が糸商さんに糸を返品したことは20年ですべての糸商さん含め3回だけの話。糸商自身がどうしても使えない糸の存在をしっていても、売ったときに機屋の問題に摩り替えてしまうことも多い。織れないだけでなく、物性的に問題のある糸などもつかまされて糸商が悩むこともあるけども、それを黙って売ってしまって問題が起こったらそれは糸商の問題で対応はちゃんとするべき問題なのである。そう保証があって糸の価値は高まるのであり、無保証な糸は危険極まりない。糸を使う機屋は、糸商さん以上に、糸を見る目がないと糸を扱うことが難しい。問題が起きたときに、それが糸の問題なのか、染の問題なのか、加工の問題なのか、みんなが逃げる話を解決していかないといけないことが多い。

今も生成の糸の色むらの問題の解決。リネンの生成の織物というのは定番の一つだが、何十年も昔のようには行かない。よく昔、海外生地を後染めするといろんな問題がでてくるとか言われたが、原材料の均一性の問題などが糸の中に爆弾として存在していて、銘柄による品質の違いや同じ銘柄の糸でもフラックスの作柄やロットによる良悪の差が、織物になったときに出てくる可能性がある。糸商さんでもそういう問題を解決する方法はなく、生成を諦めて、生成っぽい色に染めて使うとか。

生成というのはアクが出たりするもので、それが色が薄くなる原因の一つで、洗うまでは色むらが見えないことがあったりする。織っているときにはまったく見えないが、洗いを掛けると色の差が出てきたりと爆弾が仕込まれているのだ。うまくつかう別の方法は、ランダムに横糸で使う方法とか、問題が軽減されるが極端な色むらはやはり段となって表れる。リネンの生成りは、同ロットの中はもちろん、紡績の錘が同じでも糸の番手が揺らぐこともあるのが普通で、連続して使うよりも散らして使うほうが問題は少ない。

本来は織物で改善するよりも縫製で改善するほうが、均一でよい織物が出来上がる。こういう色むらの問題は、一本の横糸で織っていったときに突如として1cmの帯とか、5cmの帯とかの問題として表れるが、そこを使わないで、縫製するだけで良い製品となって仕上がる。全体の原料の品質を最高にした糸が逆に一番問題が起こりやすいのもそこである。綺麗な糸にときおり問題が起こり反物としては失格とか。反物の良いところを数メートル使うなら最高の生地である。結局は、全体の品質を落として安全な当たりに落ち着かせる手法が取られる。当たりハズレを無くすために、いろんな地域の原料を混ぜて安定させ使うのである。紡績の時期ごとの色の差なども軽減される。

日本の量産の縫製技術よりも海外の量産の縫製技術のほうが上だったりもする。海外では、プリント物などは、色の安定性が反ごとに揺らぐので、サンプル縫製と同じように、延反した反物を上から一度に裁断するが、同じレイヤーのパーツには番号シールを貼って、サンプル縫製と同じような品質で、色のばらつきの問題などを極力抑える方法が取られる。そんなに難しいことではないが日本でこれをやる縫製工場はあまり聞いたことがない。途上国の量産のほうが日本の縫製よりも最後の仕上がりの問題を気にしているのは、素材の品質が安定しないのを受け止めて対応しているからだろう。中国や韓国の縫製も、反物をすべて検反してからアパレルの自社基準にあうように小さな問題も避けて裁断をおこなうとか、人の力がすごいなあと思う。

織物工場でも、何百人の織物工がいて、莫大な量の生地が織られるが、もちろん問題もあるけども、それを検反、修理する人が何十人もいて、織りのキズなどが無くなる。正しく織れない人は織物工としては働けなくなる。日本の場合、織るものが正しい織物を織ることが想定されていて、正しく織れなかったときに、自分が生地を修理するなんて想定の織りの人はいないだろうキズを織ったら織ったでほったらかしで、麻織物の場合には、それでは普通はB反が当たり前。今の日本では自分で織ったキズを直せる人でないと織物を織ることも難しい。キズをつくるスピードに修理が追いつくのは難しいから、自分が常にキズをなく織れないと仕事を受けても回らない。
2018年10月12日
レジ袋の有料化問題でも、ゴミ袋としてレジ袋として使うことも許されないとか、行政からして環境に関する意識はどうなのかと思う。新品のもやすゴミの袋を買って捨てる袋としてだけに使うとか駄目じゃん。レジ袋でもゴミ袋としての用途は十分に果たすと思うが、そういう意識にならないのが日本の行政。ゴミ袋一つにしても新しいものを使うのはもったいないわなあ。

ペットボトルも一回しか使わないでリサイクルというのももったいない話だと思えて仕方ない。リサイクル自体がエネルギーを使うし、使えるものをリサイクルするという感覚がどうしても理解できず、ペットボトルそのものを洗うだけでそのまま再利用できる形に、マイタンブラーじゃないけど、マイペットボトルシステムを普及させるとかするとよいんじゃないだろうか。地元の平和堂でも水をペットボトルに詰めて持ち帰ることのできるサービスをやっている。昔のように350mlとか、500mlとかじゃなく、今は2Lがデフォになったのは有難いのではあるが、2Lのペットボトルでも1回でリサイクルはもったいないのである。

プリント工場で金色の箔を加工するのも案外みてて、剥離紙のゴミが沢山出るのでもったいない話だなあと思ったり、そういうゴミを出しながらも利益が上がっていくなら商売としては成り立つのだろうけど、そういう剥離紙でも別の用途で活用をできないものなのかと思う。

織物の工程で一番使う材料は糸なのだが、糸もほとんど捨てずに使いきる、でも、糸の入っているダンボール箱なんか丈夫なので、残しておいて、染めた糸の保管に使ったりするようにしている。使えるものを捨てて綺麗さっぱりは簡単なのだが、なるべく、最後まで使い切りたいものである。インターナショナルなブランドが在庫を廃棄処分しないことにしたそうだが、結局はみんなが高いお金出して買っているものでも作っているブランドからすれば残ればゴミと同じだったのである。繊維の世界でそういう感覚があるのが、本当に向き合ってつくっているものと、金儲けだけのためにつくっているものの違いで、法律や規則で偉そうにしていると大事なものを見失ってしまうものである。
2018年10月11日
フランスのマグ社がエリゼ宮に納品したリモージュ磁器が中国製の可能性が高いということで大問題になった。装飾をしたのもリモージュ地域じゃないという話で、リモージュで実際に作っているものたちが激怒。でも、一番の被害者は消費者だろう。産地のおみやげとして本物と思って買ったものが産地儀送品。繊維業界も似たようなところがあるアイリッシュリネンの話でも、1990年代には現地で失われたアイリッシュリネン紡績を語りつごうと語り部プロジェクトも始まっていたのに、2000年過ぎて業界ではアイリッシュリネンはもう手に入れることは不可能といわれ、それでも中国紡績の糸などがアイリッシュリネン糸に化けて日本では流れていた。百貨店でも2000年以降そういうものが普通に流れていたのである。

別に悪いものではないけども、そういう産地をミスリードするような謳いがなければヨーロッパ産でないものは売り難い。実際の生産が消えたヨーロッパではそういうのがありなのだが日本ではそれはご法度。だけど、日本の商社はそういうミスリードで利益を上げる。健康食品とかでよくあるこの商品だけが特別みたいな売り方。2000年ころ、アイリッシュリネンしか使わないという英国のブランドでも林与に来てアイリッシュリネンやってますかというお話。アイリッシュリネンの糸が今はもう手に入れることができないことを知らない、アイリッシュリネンしか使わない英国のブランドさん。原料の話は抜きにして、生地の意味合いで、北アイルランドで織られたものがアイリッシュリネンという定義もあるが、日本の機屋にアイリッシュリネンを求めて企画するというのは偽装につながる話。麻を織ってきて、糸の問題に苦しんで、現行で使えるアイリッシュリネンの糸を捜していて見つからない自分としては、ありませんと、答える話。そのあと2008年ころに林与の倉庫から1970年代に買った糸などが出てきて、北アイルランドで紡績されたアイリッシュリネンの糸を織るプロジェクトが始まった。

こんな考えをしていたのは、私だけではなく、ネットでアイリッシュリネンの情報を探したときに、2000年過ぎにアイリッシュリネンの糸が手に入らないかと現地に行かれて、もう手に入らない現実をしって諦められた方もいたりする。ありえるとしたら、どこかの機屋にひっそりと残っているくらいがアイリッシュリネン糸の実態なのである。たぶん、最後に普通にMADE IN ENGLANDとかの箱に入ったアイリッシュリネンの糸を手に入れることができたのは、アメリカから私が帰国した1995年頃だったと思う。その後、いろんな糸商さんの情報を駆使してもまったく手に入らなくなった。2000年頃はイタリア紡績の糸も先染で使うとトラブルが多かったので、生産を控えて難を逃れたが、地元の業者さんでも織った布の問題で何千万の損された話など、リネンには手を出し難かったときである。

そんなときに、なぜか、日本の大手SPAさんの格安なリネンが登場でオーストリアの紡績工場で引いた糸を使っているという謳い。いろいろ調べたけどもオーストリアの紡績工場にはたどり着けず、あれはなんだったんだろうか、今も本当に不思議である。その後は、大手SPAのリネンが中国の紡績の糸であるという情報がいろんな筋から入ってきてはいたけど、オーストリア紡績のリネン糸を聞いたのはそのときが初めてで最後だった。ベルギーなんかでもベルギーで一番有名で日本でもブランド展開されていたリネン好きのデザイナーさんとパリでお話したときも、ベルギーで良いリネン生地はないとスパッと言われて唖然とした。ヨーロッパのリネンがすごいというのも、幻想になりつつあるんだなあと思いつつも、英国とかには、リネンの細番手を双糸にした先染め織物などトラッドな世界のリネンにはなかなか日本ではできないものがあるなあと思ったり。日本の生地商経由だと幻想が入ったりすることも多いが、実際に作っている機屋と話すと正直ないろんな話が聞ける。
2018年10月10日
英国の手織りというのは人力織機を使った人力織物で生産性は高く日本の市場でも安く手に入り人気である。一方、日本の手織りというのは本当に手でシャトルを動かして手で横糸を打ち込むので織物としては手織りの熟練の技術が必要で、手間が掛かるので希少性は高く、安く手にいれることは難しい。このあたりが、日本の手織の織物が高級品となりなかなか流れ難い理由である。英国のように日本も人力織りを手織りと定義すれば、日本でも手織りの織物で溢れかえるだろう。日本からは本当の手でシャトルを動かして手で横糸を一本一本打ち込んで織る手織りは評価されなくなってしまうだろう。

言葉定義ひとつが織物の価値観を変えてしまうケース。織物にあてがわれる手織りという言葉も、英国の織物の場合は人力織物を指し、日本の場合はイメージどおりの本来の手織りを指す。言葉なんかよりも、やっていることの実際が何なのかが伝わることが大事だろう。たぶん、日本の着物の世界の手織りをみれば、価値があることが納得できると思える。言葉やラベルを鵜呑みにせずに本質的な目、そういう目がないと布の一般的な評価をすることは難しい。

林与のシャトル織機を自転車式に動力をしたら手織りなのかというと、織物をやっている私からすれば手織りではない。ヤバイ一線を越えてしまった後ろめたさがあってしかるべきではないか。手織りというのは手で織る織物だから。人力でも評価はできるのだから消費者に間違ったイメージで理解されないように人力機械織物と謳うほうがよいだろう。子供がおもちゃの織機で自分の手で織ったもののほうが本物の手織りなのである。

織物の世界で何十年の経験者がまともにものを作れるかというと先代もそうだったけども、経験者ほど驕りがあって一つの布を正しくつくることもできなくなることが多い。過去の実績なんてものよりも、今、正しい布がつくれるのかの問題で、経験の長い先代よりも若い素人のほうが正しい織物をつくるのには何倍も役に立った。それは年取って目が見えないからとかでなく、普段から仕事していないから正しい布もできないのである。母親にしても織物の簡単な作業一つが面倒なのである。偉そうにしていても実際の織物をちゃんとつくろうとする気持ちもないようでは駄目だろうと思う。それは私が私自身にこの仕事で食べていくときに思う部分。仕事に戴する正しい基本の意識がなくなってしまったら仕事からは去るべきタイミングとなると私自身覚悟している点。繊維の世界、化かして儲ける考えが多いだけに、自分たちがお金も時間も労力も使って働いてつくった安心できるものを使ってもらおうという思いがある。ものづくりはラベルで化かすじゃないのである。

産地の存続のためには、自分自身が良い布をつくるとか正しい布をつくるとか自分は仕事をまともにこなして行くような基本姿勢が大事で、やっているものにほかのものが偉そうにしても始まらない。先代と私の関係がそういうものだったので割り切って、何十年の経験なんてあってもだらしない仕事姿勢や勘違いした仕事姿勢をみせればそこで終わり、自分が率先して目の前の仕事するから仕事があるだけで、良い布が机の上で議論して生まれてくるようなものでもあるまい、それなら良い布をつくるための作業に時間を使ったほうが本質的には意味がある。実際にやっている人の仕事の中から試行錯誤で良い布は生まれてくるものだろうと思う。
2018年10月09日
綿の実を食べる動物をいないとされる。それは綿の実を食べていた動物が綿の実の毒性で自然淘汰されたからだろう。人間は、そんな綿の実を牛は消化できるからと牛に食べさせたりするが、それが回って人間の問題に回ってこないのか。乳牛に綿の実のかすを食べさせると牛乳が出る効果があるとされるが、それらのエネルギーが脂肪となって牛乳の生成に役立つのだろうけど、その牛乳を人間が飲むとなると本当に大丈夫なのかという問題。本来牛が食べないものを牛に食べさせ牛乳を生み出す感覚、牛の資料に綿の実なんか添加しないほうが綿の実なんてよいんじゃないかと思う。綿の実は、人間が食べると催奇形性や生殖機能低下という問題を持っている。少量だとただちに影響がでなくても、次の世代に影響が出るというような報告もある物質が含まれている。牛乳を介して間接的に取ってしまう可能性はないのか。

安価に牛乳を生産できる手段としての綿の実の活用だが、法的に問題がないとして実証実験して因果関係の結果を見るしかないだろう。http://www.book-stack.com/browsing/chikuken70_11t.pdf のp868あたりに詳しい。世界中の男性の生殖能力の低下と多きく関係してはいないだろうか。アスペストやPCBなんかも今は放射能のように取り扱われているけども、原発事故があってから放射能は漏れても直接的健康被害はないなどとほざく連中も出てきて、そういう連中が現場で放射能を浴びながら作業したらよいと思うが、それはほとんど無い話。

農薬の危険性を議論する番組で、グルホサートを2L飲んでも死なないと番組で言った科学者が、番組が用意してあるので飲んでくれませんかといわれると、「私は馬鹿じゃない」と飲むのを拒むのが、御用学者の安全理論。他のものが騙されて死のうが構わないが、自分は騙されないタイプ。日本の原発の安全性問題で、学者がプルトニウムは飲んでも大丈夫とか、自分が飲んで証明してよの話。学者のいう安全性とはそのレベルのもので、問題が起こっても想定外で予期できなかったで信じたところでなんの保証もない。小学校の理科の実験室のアスベストなんかも、今急に触るだけで癌になるといわれても触りまくってた人ばかり。学校での予防接種、小学校のときに一人だけ予防接種を受けない友達がいたが、お母さんが看護婦さん。医療関係の現場のものは注射針の使いまわしをしっていたので、本当に自分の子供の安全を考えると受けさせるべきではなかった。多くが、昭和の53年くらいまでに小学生だったものは、注射針使い回しの肝炎の被害者になっている。幼稚園で初めて受けた予防接種、興味すごくあって、何をやっているのか見ていた、注射器を交換することなく、液か針だけ交換して、注射器本体を使いまわしての注射が記憶にある。人間でそうだったのだから、ペットや家畜なんかも病気の蔓延は、行政や保健所の予防接種にあったりするだろう。看護婦のお母さん、注射を受けず異端児扱いされようが、本当の自分の子供の安全を考えて聡明な判断である。国がその問題を公表したのが何十年もあと。死んだものが死んで死人に口なしになってから。

福島での放射能漏れも、レーダーで感知しながらも、国も東京電力も隠匿で、6ヶ月後に公表。最初の数日のメルトダウンはない水蒸気爆発だったとかがまったくの隠匿で、国民の命や健康の軽いこと軽いこと。テレビ報道でも、放射能もれも報道されていないのに自衛隊員が放射能完全防備の振る装備ガスマスク状態で、まったく無防備の国民に接している。汚染された家畜に接しているようなもの。アメリカのロナルドレーガンのトモダチオペレーション、放射能漏れも隠匿して、被爆者続発で、東京電力が隠匿した罪で訴えられていてアメリカ人の人権は守られて、日本人の人権はないに等しい。3.11の放射能漏れを知ってて隠匿した連中は人とは思えない。水蒸気爆発だと流した保安院こそが、役目と反対のことをやってしまって責任逃れ。安全でないものは安全でない、放射能が漏れたら漏れたがいえない日本の隠匿行政。言うことを信じたら信じたものが馬鹿。
2018年10月08日
富士吉田の地域おこし隊の原田陽子さんが、ほとんど寝ない状態で準備。地域おこしの筆頭らしい動きである。林与もその前の日からほとんど寝ないで出発前の仕事の片付けと出発準備で、サービスエリアで2度休みながら、富士吉田に着いたときにはヘトヘトで最後の力で展示の準備。後はスタッフの女の子に任せた感じ。老兵は死なずただ去り行くのみかと外に出ると、いろんなイベントが開催されていて、それ以外に私の興味を惹いたのが寂れた昭和の哀愁漂う飲み屋街。富士吉田のガチャマン時代の名残だそうだ。昼間で私自身お酒はあんまり飲み歩かないのだが、昼間歩いてその雰囲気には魅了された。

角田医院という病院の建物。千と千尋の神隠しに出てきそうな入り口の建物を外から眺めたがすごい。富士山から流れる水の勢いが半端じゃなく、時速100km見ているだけでゾクッっとする。その脇の生活感の漂うツタの絡むアパートとか、田舎の生活というよりも、昭和のモダンな生活が古びたままに年季をもって存在している。商店街には空き店舗が目立つ、焦りが出て当然だろうけどもそれが潰されずに残っているのが、わたしからするとシャトル織機に対する思いと同じですごいなあと思う。

富士吉田のみなさんとの接点は今回が初めてではなく、ミラノウニカ初出展のときに、一人で参加したときに、最終日に富士吉田チームの打ち上げに誘っていただき参加させていただいたこともあり、前田源さん、宮下さん、槙田さんとは面識あって。他には、テキスタイルマルシェ関連で、奥田染工の社長とセコリ荘の宮浦さん、はらっぱの原山さんとも親しくしていただいていて、富士吉田でも今回もご活躍。NINOWのメンバーの方とも面識をもたせていただいていて。そして、与謝野のみなさんとも再開できて。新しい仲間みたいなお出会いもいただいて、こういうのって自分で仕事やってるからいただけるような特別なことで、自分がやっていることで出会いが増え、人生を豊かにできるメリットだろうなあと思える。私の中では仕事の関係があるとかなしに、年の上下関係なしに友達だったりする。

普段工場で作業に追われていることが多くあんまり外にはでないので、今回は沢山の皆さんにお会いでき、また、お話には聞いていたテンジンさんや麻福さん、前田源さんの社長の息子さんともお話などできて充実した2日間でした。ゲストハウスでゆっくりと寝ることもできたので、今日から仕事復帰で織機も動かし初めました。今回は荷物運びの脇役のつもりで初めて行った富士吉田でしたが、林与も一番楽しませてもらい大きな息抜きさせてもらった一人だったと思います。みなさん、林与は滋賀県に戻りました、ありがとうございました。
2018年10月07日
昨日は12時過ぎに富士山駅近くのゲストハウスに滞在。12時過ぎにチェックインで、一番最後のお客。階段を上がって行くと宮浦さんのところの新しいスタッフの女性もここのゲストハウスにお泊りで、覚えていてくださってこんばんわとなる。新しいゲストハウスで快適そのもの朝8時くらいまで滞在して朝食はどこもやっていないので車でロイヤルホスト。10時に会場に戻ると昨日だけの出展の方のスペースが今日は使われないので使うことができ、生地を横方向に拡張して見てもらいやすく配置する。

お昼に櫻井にうどんを食べに行くも、定休日。おかみさんのうどんという臨時に本屋さんが吉田のおばちゃんを集めてイベント的にやっているうどん屋さんで食べた。こちらは出汁も甘みも効いていて、食べやすい、子供のお客さんも食べていた。一杯食べた後、まだいけそうなので、2杯目に突入。富士吉田に来て、富士吉田の家庭のうどんの味を楽しめたかと思う。美味しかった。私がうどんを食べて、宮下さんの展示会を見て会場にもどると、スタッフの女の子は、NINOWでお世話になっているテリハエルの児島さんと神社散策に行っていた様で屋台も出ていて雰囲気が良かったそうだ。その後もう一度、終わりがけにコーヒーを飲みに行くと女の子二人で神社に出かけていった。

お天気に恵まれた2日間ということもあって相当の盛り上がりで、既存の設備や空スペースを利用して、地元企業の展示会場にしたり、テキスタイル以外にも食と文化の発信という要素があって、富士吉田の魅力を満喫できた2日間。東京造形大学や多摩美の学生さんなどもたくさんお越しになられていて織物の産地を楽しんでおられたと思う。前田源さん、槙田商店さん、宮下織物さん、テンジンさんなどと時間を過ごせる機会もあって、与謝野からも開く織物の一行がお越しで出会うこともできた。女性スタッフのほうが主役で、私は今回荷物運び役なのでと思っていたけどいろんな方とお話もできて楽しいイベントでした。

富士吉田というのは東京から1時間。東京での織物の生産が難しくなる流れの中で、富士吉田に移られて作家活動を始められる方も多いのではと感じたのが、お出会いのあった滋賀県大津在住の炭酸デザインさん。東京造形大学で勉強されたのち富士吉田で修行をされて奥様の実家のあるなん滋賀県の大津で今は作家活動。滋賀県は、デザインと女性の活躍を目指しているので、滋賀県での作家活動も悪くはないのではないかと思えるが、いきなり滋賀県よりも富士吉田のような場所で販路に関してもいろんな新しいアプローチを身に着けて独立のほうが、販路を滋賀県で見つけることはなかなか難しいだけに思う。

ヤマナシハタオリフェスティバルが、楽しそうなデザインロゴに溢れているのは、東京造形大学の鈴木先生という方が、パンフやPRに使われている絵をデザインされている部分があるそうだ。林与自身、ユーモアとか好きなので、ユーモラスなデザインというのは素敵であるなあと思う。林与のリネンちゃん、ラミちゃん、ヘンプくんもいつか復帰するときが来るのだろうか。
2018年10月06日
今朝は3時半出発で富士吉田に向かう。もう途中眠くて、サービスエリアで2度仮眠。予定通り8時頃には会場について準備開始。お隣は和歌山の中矢パイルさんご夫妻。今日は台風も着て雨が降るかもの予報で、開場してお昼くらいまで、お客さんがまばらな状態だったので、いきなり、お昼前に吉田のうどんに挑戦しに行った。櫻井という一番有名なお店の吉田のうどんを食べた。初体験ながらなぜか覚えのある味で、醤油だけでうどんを作った感じの味付けに近く、そういう素朴な元祖な味を守り続けておられるのだろう。キャベツもアゲも入っていてボリュームも満天以上なのだが、スープ派の私にとっては汁が少なめに思えた。関西のダシの効いたうどんに慣れている私が、吉田のうどんに慣れるまでには3杯は食べる必要があるだろうと感じた。400円でおなか一杯になって、会場に帰ってものどが渇く。

飲み物を買いに行こうとして、百貨店風の建物に入ったら服しか売ってないお店で、そこで奥田染工の奥田社長と麻福の北村社長に遭遇。3Fで、ワークショップを行われているそうで上に上がって北村社長と大麻の糸とかのお話。木曜日に滋賀県に起こしになられるということで、ついでに林与にも来週寄ってもらう話に。お昼過ぎから会場も活気づいてきて人が溢れる。前田源商店がオーガニックコットンのテントと即売を行われていたのでご挨拶。その横では、セコリ荘の宮浦さんさんが、就職、恋愛、開運マッチングみたいなブースを開かれていて、富士吉田の産地の担い手の発掘を行われていた。宮浦さんの会社、糸偏にも、新しい女性スタッフが会社に入られたそうでご紹介いただく。

午後2時くらいになると、睡魔襲ってきて立っているだけでもしんどいので、お寺の駐車場に止めてある車の中で夕方のレセプションまで仮眠しようと15分掛けて車にたどり着き、眠りについた途端に電話があって、会場に、小野カヤさんと大木戸さんのところにマナちゃんが登場で、林与がサボっているということで呼び戻されるも、よいお知らせも聞いて、睡魔に負けずに戻った甲斐があった。その後、また車に戻って眠りにつく。レセプション前にモンブランというかわいい喫茶店で、パスタで夕食。

夕方6時からのレセプションで会場に着くと、宮下織物の宮下さんと遭遇。芝生が生えたような緑のワンピースで、宮下さんがつくられた織物のワンピースを着ておられる。オペラ座の衣装に採用が決まったそうで、見るからに楽しそうな織物である。お隣にはテンジンファクトリーの小林社長がおられて、ご紹介をいただく。レセプションが始まって、飲んだ富士山ビールが驚くほどに美味しかった。そのあと、ハタオリフェスティバルの一環として横浜のジャズバンドのコンサートをバーで聴きながら、テンジンさん、レピヤンさん、宮浦さん、槙田さん、コンバーターされている方など、私からすると富士吉田や他産地の皆さんとお話しする機会をいただく。

興味深い話もあって、織物産業の担い手をどうやって見つけて育てて行くのかという問題、それぞれ会社によって正しい答えも違うのだろうと思えた。繊維産業というのは人と一緒のことをやっていれば今の流れでは落ちてゆくのが普通で、やはり自分なりに自分の正しいと思うことをやってうまく行かなければ軌道修正して正しいと思うことが成り立つようにもっていってうまく立って行くことが大事。企業規模によっても違うだろうし、ひとつの企業においても同じスタイルが永遠に続くというのは難しい話。競争相手がないほどに生き残られた技術力があるのだろうと思える。シャトル織機の耳の話が出ていた。

富士吉田の飲み屋街の雰囲気が、私は好きだったりする。なぜかというと昭和30年とかの風情が残っていて、廃墟化している部分もあったりするけど、ほぼレストアされずにタイムスリップしたようにそのまま残っているのだ。当時だとモダンな建物と思われるちょっとおしゃれ、時代を思わせる今からみると遅れの建物。これが次の世代に残っていると一つの文化遺産になるだろう。富士山があるので建築の規制があって高い建物が建てられないので、新しく立て直す人が少ないというのもあるようだ。古い建物がそのまま残っているというのもどこにもありがちではなく悪くないのである。そういうのを評価できる目というのもあってもよいんじゃないかと思う。吉田の櫻井のうどんも味が昔ながらで普通と違うというあたりが存在の意味があるのだろう。
2018年10月05日
ここしばらくは自分が織ってこつこつと調子を上げてきたので、今はシャトル織機の調子がすこぶる良い。

今考えているのは、もうすぐ入ってくる予定の仕事で、ビーム一杯に巻くので、200kg近いビームを2階から1階にどうやって下ろすか、昔はエレベーターを使っていたが、15年ほど前に調子が悪くなったときに年配の方が使うなの注意書きを無視して動かしてコジてしまって、工場内での溶接は危険で修理ができず、それ以来エレベーターは使えなくなった。130kgくらいまでならなんとか肩で担げるが、200kgは最初から無理で、別の方法。

台車を使って、階段の段差を直角三角形の木材で績めて斜面にして、チェーンブロックを柱に取り付けでガラガラしながら、斜面を台車を転がす方法を考えている。プロパンガスを運ぶような台車にビーム乗せることを考えているが、200kg負荷に耐える台車を探し中。織物工場というのは平屋が一番という結論だろうか。整経機なんかを2階に入れるとかもそもそも大変な話ではある。この問題も2週間以内には解決しないと。物理的な問題なので最後は人力で2人で運ぶことも可能だとは思うけども、1回だけならまだしも今回だけでも6回も作業が必要となりそうで手ごわい話なのである。