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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2024年07月25日
驕りというのはダメになる前の状態で、林与というのはそれなりに、ベテランの方でも逃げるような作業を当たり前にこなして日本の本場の麻織物を背負うつもりで働いて来たから、とことんやってみてから、それが成り立つのかどうなのかを考えてみるべきじゃないのかと思って普通の仕事ではない感覚で、自分のできることをいろいろと実践できるだけ実践もしてきた。

結果が大事というのもすごく思っていて、結果を出せるようにそれなりに売れそうなものにまで仕上げて、その品質的なことも自分が保証もできないことは謳いたくもない。業者さん的だと美しい言葉に気持ちがゆるがされることが多いのかなあと思う。でも、そういうのって消費者騙しにつながるので、すごい謳いの物が一番安く手ごろに入るようなのは、単なる普通のモノづくりでしかないというのも、オーガニックを謳いながら、オーガニックじゃないものがとかが普通の日本の市場。熊本のあさりそのものが日本の繊維のオーガニックビジネスでは駄目じゃないのかと、これはアイリッシュリネンの問題とも絡む話で、北アイルランドで紡績もなくなりながら幻想だけが独り歩きして、消費者には北アイルランドで紡績されたアイリッシュリネンという謳いばかりという、アイリッシュリネンの糸も手に入れることもできなくなってから、どこの誰がおっているのかもわからないけど、大量のアイリッシュリネンが日本の麻業界で流れているようなありえない状況。麻業界のプロはもうアイリッシュリネンなんて手に入れることはできないというのを分かっているけども、そのアイリッシュリネンの防錆工場の方でもアイリッシュリネンなんてないよと、いわれるのに、なぜかその紡績工場の糸がアイリッシュリネンとして日本では大量に流れてしまっていて、麻織物のプロとしては本当に残念そのもので、現状や真実を伝えられる人がいてもよいのではないのかと、日本の消費者騙しで儲けるようなことでは駄目ではないだろうかと、裏側も全部わかっている林与だから当たり前にもうそういうのは百貨店レベルも安いものを高く謳いで化かす手売るのには舞い上がっていないでという思い。ラベル商売というか、ラベルビジネスそのもので、オーガニックとかエコというのがラベルビジネスそのもので普通のありきたりの敵対しているはずの遺伝子組み換えかもわからないものがOKな、オーガニックコットンビジネスにでも警笛を鳴らせるのは、そういう裏側ではもうどうしようもなくなってるのをしっている林与だから。普通のコットン100%以下に、オーガニックを謳いたいみたいなのになってしまったのが本当に残念で、金儲けのためのラベルビジネス。
2024年07月24日
整経の巻き取りの時にビームに取り付ける金具のボルトとナットはしっかりと占める必要があり、巻き取りビームが巻いていくうちに大きくなると、その金具というかボルトとナットには大きな負荷が掛かることになる。2年くらいに一度は取り換える必要があったと思うというか、強力ボルトと呼ばれるものなので、耐久性があり2年くらいは、何度開け閉めをしても使える。でも、そういうのよく分かっていない人がネジを扱うと、一度締めるだけでネジ山が壊れたり噛んだりしてしまいそういう強いボルトのネジ山でも1回で駄目になってしまう。

林与は今までネジ山を自分がネジを何万回以上開け閉めしていて、ネジの頭をぶち切ったことはないけども、そういう加減が分からないのが普通なのかもしえれない。微調整というのが難しいタイプの人にとっては、ネジにしてもどこまでしっかりと締めてよいか分からないだろう。

それを説明しろといっても、その説明を求められる方が難しかったりするのだけども、そういう説明をしてもらうのが当たり前に思う人は多い。自分の力で普通に回らないところまで締めてから、もう少し力を入れてキュッキュと締めこんであげるという説明くらいしかできない。機械のほとんどすべてのネジにも共通することで、いろんな場所にしっかりと締めておかないと緩んでしまって原因不明に思える問題も起こるし、またネジ山が笑ってしまうと原因不明に思える問題も起りやすい。

林与というのは機械を大事というか長く使えるような匙加減みたいなものがあって、それは教えたからと言って簡単に備わるようなものでもないけども、そういうのが出来る人が当たり前にものづくりも上手だったりする。この5年ほど交換して使ってきたネジもだましだまし使いながらも限界に達して、強力ボルトを探して手に入れようとしてかろうじて見つかって、あと30年分くらいはもつだろう30本以上を手に入れた。一本のボルトとナットとワッシャーの組み安房汗だけでも500g近いので、単純に鋼鉄としても十分に価値はあるものだ。整経の巻き取り時の毎回の作業はネジ山が元気な間は、またすごく楽になるだろう。林与が整経作業を引き継いだときのネジは、1本の耐久性は、私になってからも20年近くは使ってきて、40年以上くらいは使われていたものだったと思う。そのあと銀色のJISレベルの汎用ネジとかを代用に使い始めたが、巻き取りの負荷が掛かるとネジ山が駄目になりやすい。

普通のJIS規格程度だと、ボルトもナットも単なる消耗品でしかないだろう。自動車なんて10年以上乗る想定なのだから、本来はこういう鋼鉄のようなものが使われないといけないのだろうけども、今はこういう鋼鉄をつくる素材すらも自動車メーカーでも手に入れることは難しく、それが1980年代からいわゆる30年以上続いた鉄鋼業界大手の品質偽装問題。ネジ山がSかZかだけでもタイヤは外れやすくなるといわれるが、締め付けるときに弾力性があるかのように締めることができるのは、昔の鋼鉄の特徴。スイートスポットが広いというか軽く締め付けながらもしっかりと締まり、自然には外れにくいし、レンチを使って外すときには力をあまりかけなくても外しやすい。
2024年07月23日
なんやら、女性がもらってうれしくないプレゼントランキングの上位にタオルが入っているらしい。エッー。そんな印象は全然なかったが。林与のリネンのキッチンクロスは、タオルみたいなものだが、喜んでくださる人は多いと思う。今回も7月27日、28日の米原のイベントでは、来場者の方にリネンキッチンクロスおひとり様1枚プレゼントを行う予定。

滋賀県の麻織物は特産品で来場者の多くの方が滋賀県は麻織物が有名なことを知ってくださっているけども、日常で使っておられる方というのはそう多くなかったりすると思うし、地元滋賀県でPRする年に一度の機会なので、米原のイベント会場でおひとり1枚限りとはなるプレゼント企画を行う。あたらしい産業展とよばれるロビー展示イベント。滋賀県らしいものがロビーで展示される。

林与の母親とかも田舎の家らしく、台所では綿の布巾をつかっているが、まあそれはそれで綿の布巾も昔からたくさん残っているので使える限りはつかわないと、今のワンルーム生活や新居などにはリネンのキッチンクロスは合うだろうし、リネンのキッチンクロスだと洗うのも干すのも楽しみみたいな方は多い。

昨年は白いキッチンクロスだったけども、今年は、ギンガムのキッチンクロスをご用意させていただくので、昨年貰っていただいた方も、今年は別のタイプなのでまた喜んでもらえるだろう。お天気もよいとよいのになあと思う。

同時に、超簡単無料織物体験を行う予定で、こっちのほうがメインかもしれない。この5年ほどはずっとららせていただいているので、来場者の方も馴染んでくださったと思う。無料なので気軽に、好きなだけ織ってもらってよいので、特に子供さんたちがすごく楽しそうに織ってくれるのでうれしい。

9月6日(金)、7日(土)には、マイドーム大阪での、大阪てづりフェアでも、さをり織り機1台と東京手織織機1台で、超簡単無料手織り体験を昨年に引き続き行う予定です。林与の超簡単無料手織り体験は、大阪てづくりフェアに来られた方が、気軽に手織りを体験できますので、ぜひ体験してみてください。
2024年07月22日
林与が、ラミーの500番手600番手の糸にしても、林与ができませんかと頼むとお二人動いてくださった方がいて、それに応えるべく、ラミーの500番手とか、600番手を一か月とかの駄目なら1年2年とかで自分の力でどととん料理もとしてきたのが林与という会社。世界屈指の日本の麻業界の屈指のものをすみませんが、林与が実現することとを、麻糸の世界とか麻織物の世界で託してくださった方は多い。

そういうプロジェクトというのは持ち出しそのもので糸を買う時から50万円、織ることのできる織機と人すらも選ぶような話で、日本でというか世界でも誰も織れない話で包皮で、林与自身も原画に経糸を整経もして10年以上で、処分するようなゴミにみえるけど、それが世界最高峰の織物の量産につながるようなチャンスがあるのが、人の力次第の部分で、そういうのを当たり前に強いたくもなく、はっぱを掛けるだけ。

何十年の経験者の人でも経験がないから難しいとやり方も我流で全部成り立たないのも昭和の時代から当たり前に思って解決方法はないのかと、
2024年07月20日
これは本当に厳しい話だけでも、無欲な素人の自分ができれば仕事がもらえるとか作業もさせてもらえるとかいう覚悟が本当に大事で、林与もそういうなかでどこまでできるのかを思いを組んで模索して形にしたいなあと、仕事を始めた時から仕事ということに対しての覚悟がどこまであるのかというのも先代に対しても調整もしながら思っている。働き始めた時からそのような感覚で、先代は甘すぎてモノづくりとは別の金融問題も軽く考えてしまって、結局、すべて何億もの問題を地銀さんのレベルだとどうしようもないほどにいろんな制度を活用しての解決も難しく、逆に林与のような日本でも麻織物では特殊なことを残して世界ても評価されることをやっていても、地元の金融機関さんからは一番駄目な会社という判断がほとんど、まあそれは日本のものづくりが難しいのが当り前の典型で、利益率を上げろとか、アウトソーシングしろとか、どんどんと普通のありきたりもないような形に誘導するのが、日本の金融機関の儲け主義で、やめて海外でやったらええやんという話でしかないような、お粗末な日本の行政も絡むような指導。個人の話じゃないのだけども、組織の個人の組織の中で生きてゆくのが難しいような力の無さを感じて、そういうかたが林与を見る目という目というのが、日本で100年以上続いているものを潰してしまう原因そのもので、一生懸命を評価するとかじゃなく、ゼニゲバな日本の金融行政で、経営を支えると言いながらビッグモーター的な感覚そのものではないのかと、案サステイナブルな感覚を変えていかないと、日本で地道に責任も背負って働いている方たちほど追い込まれて日本で一番駄目な人間のような評価。

林よという会社は、一番駄目な評価を何十年も頂いてきて、日本の麻織物業界の特色を残してきたところがあるのだけども、企業を応援するという禁輸雪感すらもが、金融機関の困っているのを地場の経営者たちが支えてきたのに、干すだけ干してすべて食い尽くすでは駄目だろうと思う。そういう企業も本当に多く、田舎の地場産業の末路みたいなものに地元の機関が追い込むのも普通なのも仕事を始めてからずっと見てきた。金融機関の存在意義があるのかないのかという大きな問題そのもので、そういうところを田舎の地銀レベルも改善しないとビッグモーター的な、関われば顧客から吸い上げるだけで、ホワイトで日本でも優良SDGs企業では駄目だろうと思う。林与は一番駄目な経営が企業として、5点中、0点ですみたいな評価をいただいていた。それこそが、日本のまともで地道なものを潰していくような日本の金融行政の問題で、改善はあたりまえにSDGsを謳うなら、まともな感覚必要だろうと思う。

地道なことなんてやっているような時代じゃないからと言われる地銀さんだけどそういう地銀を支えてきたのも地道で気の毒に思った地元の人の財力で金融機関が困ったを支えてもきたのに本業に手白と言いながら外貨建て融資を勧めたり、返せるときに変えさせないで金利ゼロの通知預金を勝手に仕組んだりと日本の金融行政の経営改善を言いながらどこまでも利益主義で吸い上げたいような闇というのは正して行く必要もあるだろうと思う。日本のまともな金融制度が機能しないなら簡単に地場産業にとっては経営改善そのものが大きなマイナスをうけいれることになる。
2024年07月16日
先々週の週末と今週の頭に、仕事じゃないのに織物を経験したいというお二人が糸編の宮浦さんのご紹介で2回の1泊2日で林与の現場を体験しにきてくださった。最初の1泊2日は、織物の現場の作業がお二人にとって大丈夫なのかどうかということを判断するためで、その最初の一泊でもそれなりに織物工場の現場体験だったと思う。縦繋ぎは来る前にできるようになってきてから来てくださいということで一つのハードルをクリアする状態でお越しいただいたのだけど、織物の現場の人でもあまりなじみのない、糸番手に関する座学を2時間ほどやって、基本の麻織物の規格みたいなものをたとえに、1mの縦横の糸量の計算をできるようになってもらうのと、織物に使われている糸の番手の判別方法なども説明して、林与が普段やっていることをやってもらうような形。

1時間の座学のあと午前中から現場に入ってもらって、経糸を繋ぐ、縦繋ぎの練習を2時間くらい、そして次にはシャトル織機を動かしてもらおうと、いきなりシャトル織機の使い方を教える。シャトル織機人も台によって、いろんな癖もあって、癖の強い台も経験してもらいながら、扱いやすい台でシャトルを右から左、左から右へ飛ばして、ぴったりと止めるような練習を2時間くらいお二人が交代しながら経験してもらって、シャトル織機につきものの、シャトルの管を巻く作業や、使い終わった管を片付ける作業なども並行しながら、現場の検反機で織りあがったストール生地を耳糸を切りながら検反する作業を経験してもらう。

たぶん、ご本人たちはいきなりのいきなりの作業ばかりで戸惑われたことも多かっただろうけども、そういうのを最初から乗り越えられるのかどうかというご本人たちの地力みたいのを確認するために最初の1泊2日で、実質、林与が仕事としてやっていることを見よう見まねで簡単な説明だけで、最初からやってみませんかというような、織物工場で何十年の職人さんでもそこまではやらないことを、織物の現場経験もない初めての方に、林与が簡単な説明だけで見よう見まねでやってもらうような力があるかどうかを試す最初の1泊2日。でも実際の作業時間は半分くらいで、半分は林与と雑談的な時間で実際の作業時間は1泊2日で8時間とか10時間くらいだったと思う。次に来られる1泊2日で、どんなものを作りたいですかということを連絡してほしいとは伝えておいて、連絡もそれぞれ正しく頂いていたのだが林与の確認ミスながらもあって、とりあえず一つのつくりたいイメージのものを今回の1泊2日の作業で作り上げるという、林与のサンプルづくりと同じ感覚を共有してもらうような現実的な仕事レベルの作業。

林与も難しいとなればその部分を助けることはするけども、基本出来るだけのことはお二人にできる限り任せてやってもらう。初めてでも見よう見まねでやってもらう。こういう経験というのはなかなか経験をすることも難しく、林与自身がトータルに織物のすべてを自分自身がというのは、40歳のころで、それを志の高い方たちなら経験してもらいたいなあと思ったりする。仕事としてできそうなことがあってもそれを仕事として成り立たせるかどうかというのは覚悟次第なので、林与としては単なる技術的なことだけじゃなくてやろうとおもえば、ゼロからでもマイナスからでも今の衰退する日本の繊維業界の流れのなかでも、普通とは違う自分自身が支えていくような感覚があれば、それは世界でも珍しい感覚でそういうのも共有したいなあと思っていて、林与が評価する方々というのはそういう方がたが多く、林与自身もそういう思いのある方々とのつながりに救われて今も日本の麻織物の本場といわれた近江湖東産地の麻織物を残すことができたようなところがある。

今回は宮浦さんのご紹介でお越しくださった方でなぜ日本の織物の産地のことを学ばれたいのかと思うときに、また自分自身が織物の現場を経験したいという思いをもっておられるのかを林与が考えた時に、自分のつくりたい布を生み出すということを自分自身で経験してもらうことが一番良いのではないだろうかと思え、限られた時間の中でできるだけご自身たちで作業もしていただいて自分自身が作業することで糸が織物にできあがるまでを経験してもらうのが、織物のことを学びたいと思われる方にとっての究極の答えそのものじゃないのかと思えたりして、2回目の1泊2日で、整経作業やシャトル織機を自分で動かして一つの布をつくってもらった。限られた時間のなかで詰め込みながらなので新しいお二人にはもちろん自分たちの能力以上のことを要求ばかりされて大変だったろうけども、何十年の経験の職人の人たちでもここまでの作業の凝縮というのはなかなか経験することのできないことを経験もいただいた。織物の現場の仕事の現実というのがよく分かっていただけたろうと思う。幸運にも外は時折大雨だったので夏にも関わらず現場はそれほど高温にもならなかった。

林与もお二人ともすべての作業に対して前向きで途中でギブアップされることもなく最後にキッチンクロスが出来上がったことがうれしく、林与にとっても今回の1泊2日の思い出の詰まったキッチンクロス。林与の仕事の日常を味わっていただいたような感じで、初めてばかりの作業で、お二人には大変だったろうなあとは思う。林与がサポートする力もそれなりに必要だけども、それよりも一番大事なのは実際に初めて作業をしてもらうお二人のやる気と力、乗り越えないといけない自身の中の壁をいくつも乗り越えたからゴールにたどり着け一つの布が出来上がった。お金をもらう仕事でもないのにこういう作業を自分から経験したいと思われるような方というのはものごとを企画して成り立たせるのには適していると思う。林与自身成功をしているとも言えないけども、余力があれば自分自身でお金を労力をつかっていろいろと種を蒔いているようなことの連続で、日本の繊維業界でも自分じゃなくても頑張っておられる方が成功をしてもらいたいなあと思う気持ちは強い。

分野はちがったりしても、やっていることが参考になるところも多いカモしれないし、普通に考えると絶対に無理そうなことでも頑張ってやってみれば達成できたりすることもあって、そういうのが特別な世界で、そういうのは同じ物事でも、やる人によって結果は真逆だったりする。自分自身の能力を高めておけばできることは増えるだろうし、その能力を最大限に発揮すれば特別なものも作ることができるだろうし、特別なこともやれると思う。

今回も、1泊2日で、織物の現場経験のない初めての方が自分が作りたい布を整経からシャトル織機で織るまでの作業をこなしながら最後キッチンクロスに作り上げるという特別すぎるようなことで、工業的な生産工程を経たもので今後量産も可能な、品質的にも販売してもらえるようなクオリティを兼ね備えたもの。特別なものというだけでなく、特別なものを自分でつくるというチャンスそのものが特別すぎることで、布を扱う方がブランドの方が、機屋というものにあこがれを感じてくださっていたりするのも、機屋という布を生み出すことのできる神秘的な部分だろうと思うが、能力と覚悟と行動力があるなら自分自身がその部分を思い切りやってみられるほうがいいんじゃないかと林与は思っている。現場に来られた方でも思い切りできるかたとできない方がはっきりと分かれ、それは林与で現場経験をするまでのその方の仕事の経験や人生観みたいなものがうかがえ、逆の人生観をもっておられたら適応するなんて無理だろうし、経験としても苦痛でしかないだろう。林与の会社の中が布であふれているのも、織った布のほとんどを捨てることはないから、自分が織ってみると分かる話で、当たり前に無駄な部分ができあがってくるけど、それをどう活用するかというのも大事な話で、それを考えるのも林与自身の仕事の部分。今回、4枚プラス3分の2くらいの出来上がりで、その3分の2のものもキッチンクロスに縫い上げてくださって残る形で使ってもらえそうでありがたい。もしそうでないならその3分の2くらいのものでも、林与は捨てないで事務所にハギレとして残しておく話で、散らかった布がまた1枚増えるがそれはそれで林与の織物の歴史の断片で悪いことでもないし。今回、お越しくださってできあがったL25のキッチンクロスも林与の麻織物の歴史の1ページ。やった内容自体、日本の織物業界で布をつくるのが難しくなっている流れの中ではかなり濃い内容を試み、達成することができた。林与も今充実感でうれしく、また日々の作業や次の目標に向かって動くときの糧になる。
2024年07月12日
滋賀県で交通税なるものが検討されていて、滋賀県の人のほとんどというと日常の交通インフラは自前的で、自転車やバイクや自動車が必須。バスや電車というのは、利用者も少なく便数も1時間に1本あるか程度。公共インフラというと、JRが高いと言われることがあるけども、田舎の鉄道というのはその倍以上したりして、それでも利用客が少ないものを存続のために成り立たせようとするよりは、別の交通手段を検討してゆくべきではないだろうか。

なぜ、田舎でバスや電車のアクセスすらもそもそも悪いのに、さらに交通税が掛かるとかは、無理なことを無理してやりすぎで、ボタンの掛け違えが正せないという問題に通じる。田舎の山奥の学生でも、高校に通えるなどを考えると、電動自転車での通学を許可するなど、今の時代の流れに沿った改善も田舎だと必要だろうと思う。

時代の移り変わりに個レベルが対応できるように行政も個に対してもっと自由をみとめればよいのに、昔からの成り立たせるのも難しくなって何十年のことをこの先も何十年負担を掛けて続けてゆくのか?田舎だと車は必須で、車がないと買い物に行くなどにしても社会的な生活はほぼ難しい。電車があっても、電車に乗るまでに、別の交通手段が必要で、林与にしても、車で能登川まで行って駐車場に駐車して、そこからJRでとか、新幹線に乗るときにも米原まで車で行って注射してそこから新幹線とかで、別の選択肢としては、自分自身で車で東京や大阪にいくのと同じくらいのイメージ。

これは国内だけでなく国内移動のほうが海外出張よりんもお金が掛かるというのも普通のことで、中国に飛行機乗っていくにしても国内費用のほうが高いこともありがちで、国内というのは本当にボタンの掛け違えの連鎖そのものがづついていて、より苦しくなるような法律をつくるのに議論や審議で生活はどんどんと苦しくなってしまうだけのこと。交通税をとるなら逆にワンコイン化か無料にすれば良いやんと思うが、利用者にも都市部以上の負担を強いて、裏でそれを支えるために税金を取って、それが田舎の居合わせにつながるのかというと苦しむだけの田舎社会がさらに苦しくなるだけのこと。

田舎の人が我慢体質なのを行政も利用してはダメで、行政の人間がうすっぺらい国の都会的な基準だと、そのしわ寄せというのは田舎の不利な人たちが被ることになるだけで、この交通税なるものは、田舎をより苦しくするようなボタンの掛け違えの連鎖。インフラも十分じゃない滋賀県が成り立たないからインフラ税を強いているようなもので、それはまともな感覚なのかと思う。他力本願と、県民負担での搾取で成り立たないようなものを法制化して続けよう見たいなだらしない感覚では駄目だろうと思う。田舎行政が本当の覚悟魅せないと駄目なのだけど、田舎行政を謳いながら中の人たちは都会感覚では駄目で、田舎の人たちが欺かれるだけの話。
2024年07月08日
金曜日の夜も遅くまで仕事していて、朝も7時の集落の草刈の前に2時間織機を動かして、工場の外に出るといい感じの土曜日の朝、大阪から二人お客さんが来られるので、弱り気味だったこの2か月ほどの療養が完了ということで、工場から出たときに、昔みたいに屈伸を連続で50回出来るかなあとやっていた。40回くらいでもう限界に達していたけども、無心モードで50回までやってみて、脚はもうヘトヘトの状態。腕は全然疲れていないので、腕も鍛えておこうと、20回連続で腕立て伏せ。10年以上ぶりだろう、腕立て伏せなんてしたのは。10回くらいでもう無理だと思いながらも、あと10回は無心モードでクリア。

中学のころは、多分、屈伸は100回くらいはできただろうし、腕立て伏せも50回くらいは連続でできた、今55歳になって、半分くらいが限界で、やっぱり、10代とか20代のほうが人間というのは肉体的にも精神的にも強いし、回復力もある。世の中というのも、10代、20代の人を中心に回すようにしたくらいがちょうどよいのではなかろうか。日本もスポーツや将棋などは10代、20代が強く、金や欲などもなく何でも達成するというだけのことを達成しようと全力を出すことができる。

東京の都知事選が終わって、小池さんが当選したが、日本の政治のどうしようもなさに引導が渡されかけたような側面があった。4年後には都知事の交代もありうるだろうと思うほど、若い人たちが日本の将来のことを考えて動き始めているのを感じ、若い人たちは考えがまともでしっかりしているので、これからの日本を任せてゆくべきだろうなあと思う。黒塗りばかりで説明もできないのが正しいルールみたいな政治や行政って、いわゆる癒着した腐敗状態そのもので、ルール自体をまともに変えていかないといけない。これからの若い人たちが石丸氏のような人の出現を非常に評価しているというのも日本社会にもマスコミ的なメディアも通じて今回の選挙で広まったと思う。旧来の政治家たちも今までの保身的な考え方を改め、次の日本の若者たちに清いものを残して行くべきだろうと思う。清いものを国民には強いて求め、求める本人たちはそれを利用しむさぼるだけの構造で、それの構造を守るような法律を作っても国民は幸せにはならない。そんな政治ならないほうがマシだろう。

蓮舫氏も小池氏と会社が違うだけのような印象があって、自分がリーダーでいたいための人でしかないように思える。石丸氏というのは、普通に末端の人とでも交わるのが当り前のような人に思えるのは勘違いだろうか、彼が5000人のボランティアを集めることができたのも、単に彼の人柄だろうと思う。ボランティアの人たちも日本の政治がまともになってほしいだけで個人的な見返りなどはまったく期待していないだろう。政治や行政の情報公開などに関しては、この20年ほどどんどんと後ろ向きになってしまった日本だが、当たり前の情報を公開するということもできなくなった日本を正すことのできるのは、そういうのを簡単にやってのける石丸氏のような人だろう。若い世代の人たちというのは今の日本の政治にあきれている人が多いけども、石丸氏のようなまともなことを言って簡単にやってのける人が出てきたことで、日本の政治に期待をもつことのできる人も増えたことと思う。もちろん、再選した小池氏を支持する人たちのほうが多いのは否定はしないし、とりわけ無茶苦茶な人でもないと思うが、旧来の腐敗体質を批判できないと駄目な部分の改革というのはなかなか難しいだろう。
2024年07月02日
週末に集落の草刈があり、役が当たっているので25kgほどの混合油の携行缶を何百メートルか草刈りの現場までもって歩いて、草刈り前にバテ気味。草を刈っていると小雨が続いて、汗なのか雨なのかでドボドボの重い上着で、早めの切り上げで混合油もほとんど使われず、また何百メートルも駐車場までもどると、脱水症状気味でヘトヘト。その後、雨の勢いがすごく増したので、早めの切り上げは正解だった。

草刈のあとも体力の回復のために、風邪薬を飲んで寝てできるかぎり回復に努める。残った飲み物やおつまみの分配などはあまり深く考えすぎないようにして、その程度のことには細か律儀になりすぎず簡単に済ませるような方向、混合油もあまりまくったので、公演の草刈のときに使うので保管しておくことに。

高齢化が進み、参加しておられる方も70過ぎの人が3分の2くらい。愛知川の堤防の上部の草は重機で農業関係の方が負担を減らすために刈ってくださっていて、斜面の部分を刈るだけでよいのだけども、やっかいといえばやっかいな部分で、斜面のどこまで刈るかなども明確ではなく、当日の天候も含む状況判断で参加者の体力の限界みたいなものを考慮しながら。

草を刈っているときにも、苧麻が生えているのを確認できて、刈ったらもったいないなあと思いながらも使わないなら雑草なので刈ってしまわないといけない。昔の人ならそれなりに自生している苧麻から繊維を取り出して、いわゆるカラムシの織物を織ったのだろう。田舎の人々の着物をつくる程度なら今でも十分すぎる量が自生している。
2024年06月30日
林与は東京都民ではないけども、今回の都知事選には期待をしている候補者がいて、それは石丸氏で、他の政党とか組織票とかに頼るような政治家ではなくて、政策や行動力を持った政治家が日本にも現れたなあと思う。固定概念に嵌ってしまってそこから抜け出せない日本の政治や行政が変わらなくてはいけないときに変われるとしたら、石丸氏のような感覚だと、一人で大変だろうけども、ボタンの掛け違えばかりが広がった、立て直すことが難しい問題を、抵抗勢力や利権構造を押しのけて、次の世代のために変えてくれるんじゃあないのかなあと期待する。

地位とか名誉とかがほしくてとか、芸能人やスポーツ選手の再就職先が政党で、政党のいうことを聞くだけのタレント議員の存在なんかも、まったく必要すらないと思えるし、制度や政策の話もできないそういうタレント議員にとっては国会議員であることが大事なんだろうと思えるが、自分可愛さに、不透明に政党の金を操っている古参の議員たちのいうことを聞くだけの仕事をやっていると、そういう議員が増えれば増えるほど、日本の政治や行政や法律がどんどんとおかしくなっていく。

子供たちが考えるような正論を実行してゆけるようなリーダーが必要で、石丸氏というのは、日本の政治家には珍しく、変な人間関係には縛られずに物事を判断できそうな人のように思える。今までインターネットの動画でみることができたがそういう点に関しては偉いなあと思う。地位とか名誉とかには興味はなく、自分の正しいと思う世の中にしたいというような思いを広島の安芸高田市の市長としてやってこられたのをみて、癒着的な構造のないような透明性のある政治で、議会をオープンにネット配信することをやってこられた。

若い世代の人が期待するのは、彼のようなリーダーシップではないのだろうか。東京が変われば日本も変わるということもあるだろう。当選は難しいかもしれないけども、そういう自分自身が正しいと思う世の中に変えていこうとする41歳の人が日本中に知られることになったことは意味のあることだと思う。日本の政治にとって明るいニュースではないだろうか。組織の支出面に関して甘すぎる問題を指摘するような政治家は少ないだろう。個人の1000万円とかの給料に関して尋ねられた時にもそれは自分の能力に関しては適切でやることはやっているみたいな答え、他にパーティーなどで政治資金を集めるなどもやっていないように思えるし、そういう石丸氏のためにボランティアで政治活動を応援したい人も多いようだ。

石丸氏は政治家には珍しく、法律なども理解に長けていて、政党に頼らなくても政策を作れたり、制度や政策の意味が理解できるほど優秀で、そのレベルの国会議員というのは10人に一人くらいだろうと思う。誰にも教えられなくても自分で一から法案なども理解し作り、正しい運用が期待できる。このことは大切で官僚任せの法律になるとどうしても公務員びいきの法律や制度が出来たりしがちで、国民や市民の不利益になるような制度や法律ができあがって独り歩きするのを防ぐことができるだろう。利権や癒着なしに、行政というものを考えていくためにも、思考能力と問題解決能力に長けたリーダーは必要だろうと思う。都知事になっても権力にすがるような感じでもないし、そういう人がトップでないと、行政の中や周辺にも権力にすがるような構造が生まれてしまう。当選は難しいとしても、都知事選に出て、日本のメディアにも取り上げられることで、石丸氏のような政治家がいることを存在をしる人が多くなり、若い人たちに希望の光を与えることになるだろう。
2024年06月21日
左足を痛めてから左足をかばうために右足に負担の掛かる歩き方になって、なんやら体全体の調子が崩れてしまってやっかいである。風邪を引いたので風邪薬を久しぶりに自分で買うというのをやってみて、どうせ買うのなら一番効きそうなのをと、ツルハドラッグで一番高いのにしたらムチャクちゃ効いて、風邪薬って効くんだなあと思った。左足の痛みも緩和されて、足のつま先までぽかぽかで、この数年の足の違和感まで直るのではないだろうか。血液の流れとリンパの流れも良くなったみたいで、硬かった足の裏もほんと柔らかくなった。足の指先まであったかいこれはうれしいこと。病気でも結局は人間の回復する能力が大事で、体が調子よくなることで回復しやすくなる。

今日も、草刈りの飲み物とつまみを買いに行く件で、母親がテンパっているけども、そんなのは30分もあれば済むことで、一人でも十分すぎる仕事なのに、そういうのをみんなでやるくせのついている母親にとっては、他の人と一緒にやらないと駄目みたいなことを、私に言うが、あなたが草刈りに行くわけでもないのだし、役が当たっているのは私なのだから、もうそろそろ仕切り癖はやめたらどうなのかという話。

今の時代の世代というのは、普通に外で仕事して、買いもの程度のことを大げさに考える必要もない。先代夫婦が、もっと大変な現場の仕事をしないのも私が被ってやってきているのだし、飲み食いのことになると一生懸命だけども別にそれはどうでもよいことで、草刈でも大事なのは草を刈ることができる人がいるかどうかという問題で、力を使うところはそこで、休憩の飲み物やつまみに一生懸命になる必要はない。仕切りたい癖がでて私を仕切ってを考えているのだろうけども、小さなことに一所懸命になりすぎで、自分がやってきたことややらされたことに対して偏狭な精神に陥りすぎて、自分は何もできないといっているくせに、一つ一つ細かく指図しようとするけども、次の世代はそいうできないを背負って今の時代を自分自身を追い込んでまでして成り立たせていて、ひと世代前の目の前の物事から逃げるばかりの感覚はまったくない。もっと大きな先送りしているようなことを背負わされて前線で解決しているのが次の世代で、ものごとの全体を考えれば自分が責任を逃げながら他の人にやらせようとか、責任を背負わせようとする感覚こそが駄目。

他の家の人間にまで指図するなよと思うのは私で、林与の親にも思うのが、自分より若いものは自分のいうことを聞くのが当り前みたいな舅姑根性の田舎根性を辞めないかと思う。他の人に指図するならせめて自分を捨てる覚悟位したらよいのにと思うけども、常に守られて余裕があって生きてきた人たちというのはそういう覚悟すらもなく守ってもらうのが当り前。3日寝ないで立ち仕事して、朝7時にようやくおじさんが来て寝て10時に、おじさん来てるわよ、あなたいつまで寝てるのみたいな母。おじさんを支えているのも母を支えているのも、亡くなった先代の問題を解決しようとしているのも林与で、親の問題に関しては、2歳の時からややこしいなあと思っていたほどに、複雑そのものだが、田舎にありがちな典型で自分が責任を覚悟して背負うこともなく受けようとして自分の子供に背負わせるようなアホ親。もう死ぬ前にほんと辞めとけほんと、そういうのが田舎の自分の子供を英霊にして可哀そうな親の感覚にも通じる。次の世代が命を掛けて毎日動き回らされていて不幸なのは、親がそれを期待して楽したいばかりで欲してるから駄目なんだよ。本当に厳しい話で、あなたが一番駄目とか平気でいうなら死ぬ前に分かってほしいが難しい。だれがすべてを覚悟して支えているの?次の世代なのよ、前の世代の問題を支えさせられるのは、生まれてくる次の世代が、自分可愛さの十分に長生きもした人たちの後かたずけを生まれた時から自分が生きていくのに必要なお金の何十倍も背負わされて働いても無理な奴隷階級を、日本の行政が作り出していて、日本の少子化対策にしても、行政の人間が自分が連帯保証人にもならずに、これから生まれてくる日本国民が質草で、できなければ、犯罪者。やばすぎる日本。甘えすぎた公務員行政というのは、世界最低レベルの日本の政治や公務員の保身的な感覚。まだウクライナ戦争でロシアのトップが前線に立って死亡とかもないのが、日本のA級戦犯の問題そのもので、自分の命を覚悟もないものがおいしい目をしたいだけで、命すらも覚悟した昭和天皇に甘えていた、また今も甘え続けて今の政治を利用しての金儲けの構造で、日本の政治家が食べていけなくなったタレントやスポーツ選手が政党にひらってもらって政党のいうことを聞くだけみたいな国会議員、大臣レベルでも一番駄目だけど、そういう政党のいうことを聞く捨て石大臣レベルが普通になって人間としてまともなことも言えない。今の日本の政治では、人間としてまともなことも言えないのは首相でも同じと思う。食べさせていかないといけないのは巨大化しすぎた政党や宗教団体で、民主主義とはまったく相反する概念そのものなのが今の日本の政治の現状。



2024年06月19日
林与というのはそれなりに個人として強い人たちとのつながりを多くいただいていることもあって、林与の麻織物のスタイルを日本の麻織物の理想の形としてみてくださる方も多い。理想というけどもそれは最底辺くらいはあたりまえに背負うような覚悟で、何かやるときに持ち出すことが当り前で、持ち出してもそんなのそのぶん普通に働いた分で補えないかと思う。

テキスタイルマルシェの初日に宮浦さんが産地の学校の生徒さんといっても業として成り立っておられる方をご紹介くださったのだけども、林与が国産リネンを強いることもないし、リトアニアリネンの特性に関しても背景に関しても、林与がリトアニアリネンに思うあたりで、林与自身もリトアニアリネンも国産のリネンと同じ様な状況にあるのを感じて来て、それが日本の麻業界の普通のことだったりは、日本の麻業界って、リトアニアリネンにしても支えているのは日本の業社さんだったりするかも、世界の希少な世界を支えようとされているのが日本の業者さんであることは多く、そういう本物の努力をささえるなら林与も協力はしたいなあと思うのが、自分が働いて布を作るが当たり前で、それを超える布というのは存在しないと思う。

日本の業者さんというのはそういうのを残そうとされるけども、現場の人たちというのは化かそうとすることも多く、そういうのにたいして、警笛を鳴らすのも、織物のプロとして日本の消費者を騙さないようなことが必要だと思うあたりから、そういう本質を日々経験している人って世界でも数少なくて、契約社会的な時間から時間で結果は別問題という感覚が今の先進国の行政的な感覚。

騒音防止法の霞が関の相談窓口のトップの方に電話して、織機を除外してもらいたいというと、織機が音が出るって初めて聞きました、織機が音が出でるのじゃなく、他の機械が音がでるのでしょ、みたいなことをその方が口にしていて、もうほんと終わっている。騒音防止法の本質的な笑い話で、そういう方が、繊維業界の地場産業として地道に仕事している本質も分からずに、個人の無知そのもので日本の繊維業界を衰退させてしまっているような政治的な問題。無知な人が何千万円も貰いながら仕切ってたらその何千万円の個人の収入のために日本の無力に思われている機屋が悪者にされる。ほんと法をつかさどるなら当たり前のことを理解していないと、国が事実を放置して被害を広げた水俣病のように被害者を攻撃するだけの国の公務員が奴隷制度、日本も科挙制度辞めないと中国でもそんなの悪しき風習で、奴隷制度以下のような行政をもたらす日本の国家公務員制度の末路。ほんと行政の人が、地道なことをやっている人を最底辺に追いやって苦しめているというのが、どこが日本を上げてのSDGsなんやろなあと思う、SDGsが地道な人たちを潰してしまうことも多いのが今の日本の官製SDGsで、結局長く続いて来た物事を学者感覚で否定してさらに薄っぺらいものに移行するような流れ。
2024年06月06日
オレンジジュースも野菜ジュースも果糖が含まれているものが多く、果糖というのはブドウ糖ではないから血糖値は上がらないけども、砂糖と同じ様に体を糖化させてしまう傾向がある。オレンジや野菜を食べるのとは異なる。オレンジをそのままジュースに絞ればそれはまさに健康だけども、果糖は食品添加物じゃないから、表示しなくてよいとかいうルールもあるらしく、果糖と書いていなくても注意は必要。

100%ジュースと書いてあるものでも、砂糖と同じ様な甘さを感じたらそれは砂糖を取っているのと同じで、血糖値はあがらなくても、体に糖分が蓄積されて糖化現象が起こる。砂糖よりも果糖のほうが体にとって悪い可能性も指摘され始めていて、病院の食事などは砂糖じゃなく果糖類が使われていることが多かったがそういうのも今後は見直しされていくだろう。

飲み物としては、やはりお茶が一番健康のようである。すごく運動をしている人にとっては、エネルギー源として糖分も必要なので、スポーツドリンクなども運動した後の影響補給には必要ではあろうと思う。塩分にしてもスポーツ選手にとっては補給が必要なものなので、激しい運動をする子供たちは大人以上に塩分も必要なケースもあるだろうと思う。

エナジードリンクを子供たちが摂る危険性が指摘されているけども、子供たちにそこまで勉強を押し込まなくても良いだろうと思う。勉強をする目的がそもそも自分のためみたいなところ。知識をどう生かすかが大事で、頭の良いことが人を幸せにするでなく、たとえば、秦の始皇帝は偉大な国を築き上げたが、秦の時代の人々は奴隷そのもので不幸中の不幸だったと思う。偉大な国を目指そうとするとどうしても奴隷が必要になってしまうもので、自国の中に奴隷をつくらない良い国は、他国の中に奴隷を作って成り立っているようなところがある。一人一人が自分が働いて他の人を幸せにするようなものやサービスを生み出してこそ意味があって、階級社会的なルールをつくって人々を不幸にすることで、例外的な特別階級だけが得をするようなルールつくっていては、奴隷制度を目指すような思想。多くの人々を幸せにするようなルールでないと意味がない。

今、オーガニックやエシカルで、ルールばかりを作っている感じがして、それが本来のオーガニックの理想でないような金儲け主義の流れそのもので、20年前のオーガニックの概念からすると今のオーガニックの考え方は、否定されるべきような商業主義そのもので、ジュースでも果糖は表記しなくてもよいからどれだけ加えてもOKみたいな話で、抜け穴ばかりつかって、オーガニックを謳いたいみたいなルールメーカーになると、消費者が信じているようなものではなくなってしまう。

インドでは、ポリエステルやナイロンを5%未満までならオーガニックに使えるというような通達がなされ、もはやコットン100%でもないような、オーガニックコットンの世界が、国際レベルで現在進行形。
そこまで落ちるならコットン100%のほうがマシなのちやうの消費者にとっては、また社会にとっても、合成繊維を混ぜて紡績したものというのは産業廃棄物レベルが高くなって、工業レベルでは捨てるのも難しような、プラスチック繊維の概念にカテゴライズされる。そんなものをオーガニックと謳うくらいならやめておいた方がマシだろうと思う。
2024年06月01日
昔から日本でなじみのあるのがシルクと麻で、シルクは高級なイメージがあるのになぜ上布とは呼ばれないかというのは、布という言葉が麻織物を指すからで、シルクのことは織物にしても絹と呼んでいた。だから上布というと上等の麻織物を指す。

着物というのは反物をほとんど使い切るような形で作られる。反物の幅というのは、基本が一尺(37.5cm)程度X10mほどだけども、それは昔の日本人のサイズで、今の時代の日本人の体は昔の人よりも一回り大きいので、幅も広くまた1匹の長さも11mから12mくらいないと足りない感じ。

林与が昔の手織りの高機が倉庫に残っていても活用しないのは、本当にガタイが大きすぎて扱いが大変なのとまた、織幅の問題もあって、加工して巾37cmに仕上がると小柄の人しかその反物を着物として活用することができないという問題がある。着物は耳まで捨てないで使うので仕上がり幅というのはすごく大事。

動画で見たのだけども、昔は、ハリスツイードも着物の巾で手織りで織っていたようで、ジャケットにするのにあの幅で織ったものを使うというのは贅沢な話に思える。日本でも着物の反物から洋服に仕上げておられるブランドさんもあったりして、海外向けには非常に人気のようだ、贅沢な使い方。また、古着の着物を洋服に仕立て直すのも人気で、そういう良い素材をリサイクルして洋服に仕手実用的に使えるというのは、着物のままでしまっておくより、家宝のように大枚はたいて買われ大事に残してこられた着物を、世代を超えてそのお孫さんなどが洋服として着たり、バックとして使ったりができるのは処分してしまうより、よい方法だなあと思う。オーダーメイドで一回勝負で洋服にしあげないといけないからがら洋服を縫製してつくる人の力量が問われる。
2024年05月30日
日本の織物の歴史をたどっていくと、今の日本という国の概念を忘れる必要があって、江戸時代からは鎖国だけども、それ以前は、日本という国の概念はそれほど強いものではなく、全国がバラバラに国として存在していて、たとえば、韓国や中国の地域などもそれと似た感覚。宗教が一つの統率の概念であったりもして、インドとか中国とか韓国とかも含めて、今以上に人の移動もあって、つながっていたみたいなところがあったと思う。

日本語も標準語にまとまってしまったので、逆に、外国との言葉の壁というものがはっきりとしてしまったのかもしれない。聞いたままを真似すればそれが言葉で、本来、日本語も外国語も関係はなかったりする。まあ、二人の人がいれば両方の言葉のちゃんぽんで会話してもよいのだし、それが普通のこと。

日本の織物の歴史をたどるときに、結局は日本人の歴史をたどることになり、日本の歴史をたどることになる。技術というのは独自に開発されたものもあるかもしれないけども、基本世界のどこかで誰かが始めたことが広まっているだけのことも多い。特に昔は特許とかなかったから見よう見まねで真似てやるのが技術。日本の織物の技術にしても、どう考えても日本オリジナルというよりは人が持ち込んだものだろうと思う。
今の時代も、アイホーンが世界中に広まるし同じようなことが昔も普通にあったんだろうと思う。田舎でも誰かが料理が上手だと教えてとなってその作り方がすぐに広まるし。江戸時代の飛脚にしても荷物を持ちながら、東京から京都の500kmを3日ほどというスピード。一日の移動距離150kmほど、すごいスピードで、馬を使うよりも、人が運ぶ方が簡単だと考えてたのだろう。

織物にしても、今の時代に、だれが草を績んで糸をつくってそれを織って服を作ろうとするだろう、でも昔の人というのはそれが普通のことで、昔の人というのは甘い世界に生きていないので、昔の人の能力というのは今の人の何十倍もあっただろうと思う。
2024年05月30日
滋賀県には、野洲川という川があって、その周辺では昔は晒加工が行われていて、林与の近くの愛知川の近辺の加工工場さんの一つも晒加工をされていた方の元は野洲のほうに由来があるという話を聞いたことがあって、愛知川の周辺では織物の加工工場が何社もあらられる。

林与が仕事に入った平成の初めころにおいても野洲川周辺で織物の加工工場を聞いたことがなく、その野洲川に祖先が由来のある愛知川近くに工場を持っておられる晒工場さんも、野洲川では織物加工が難しくなり愛知川に移られたのかなあと、今度お会いできたら尋ねてみようかとも思う。昭和の時代には、芝生でオゾン発生させて晒すみたいなこともやっておられたりと、白絣と呼ばれるマンガン加工も昔はあった。

野洲麻と呼ばれる麻の産地が栃木県にあって、滋賀県の野洲とのつながりがあるのかと想像もしたこともあったけども、下野と呼ばれていたのが野州(やしゅう)麻の語源らしい。滋賀県の野洲(やす)の語源は、江戸時代の安の国(ヤスノクニ)に、近代になって野洲という文字が当てられたのだろうと思う。日本の国の地名の原則として、国名は1文字、その下の地名は2文字という原則があって、2文字に変わったときに、草もいっぱい生えている場所で川もあったからそのような漢字が当てられたのだろうと想像する。

小千谷縮でのアカソに関しての返答をいただいて、昔から苧麻の青苧を使うということで、ただし、苧が茶色いものを昔はアカソと呼んで使っていたという糸商さんがいっておられるという情報もいただいたので、昔の小千谷縮で赤苧というと苧麻の織物を指していたと考えて良いんだろうと林与の中では結論に至った。

植物の苧麻と赤苧は、両方ともイラクサ科なので、植物のアカソにはいろんなタイプがあってとにかく枝が赤いものは植物としてはアカソみたいなほどに、なんとかアカソと呼ばれる草や木は多い。苧麻は青苧が基本で、葉の裏が毛が生えていて白いのが白苧と呼ばれる。苧麻の中でも茎が赤ければ苧麻であってもアカソと呼ばれていても不思議ではない。、

宮古上布の方がいっておられた青ブーと赤ブーは両方苧麻でとか、高品質な苧麻を栽培もされている福島県の昭和村のカラムシ織の里の方が言っておられた青苧を基本使うが、地元の方で自生しているカラムシをつかうと赤い繊維がとれて味のあるものを織っておられる方があるというのと、また、近江の産地に伝わるカラムシというのは野生のものをいうという話や、アカソ織物というのは近江湖東産地の特色的な織物というような記載などを見かけるに、どれも不整合な点はなく、上布の世界でいうところの赤苧織物は、苧麻の赤い茎のタイプから取り出した赤い苧を指していて、それが日本の昔の麻織物の上布の世界の定番みたいなアカソだったのだろうと思う。

林与の家の裏にも茎の赤い苧麻が勝手に生えていたりして、茎の青い苧麻もいろんなところに自生はしているけども、苧麻で茎の赤いのも生えているからそれを昔の人が活用しないということはないだろうと言える。林与も子供のころから家で昔に織られた絣の織物が、ご飯の上に掛けてハエを防ぐ布だったんだけども、それのベースが白ではなくてうすい茶赤っぽい色で、そこに茶色の縦横絣で、#みたいな模様だったが、今も記憶に残っていて、そのベースの色が苧麻の赤苧織物の色なんだろうと思う。天然の染が入っているような味のある色。植物の赤苧は、青苧を染めるのに使われているケースもあるとも教えていただいた。
赤苧大絣で丸紅賞をヨジヨモン爺さんが頂いているが、その賞状での赤苧に関してもそれは苧麻織物でベースが赤味がかった絣織物だっとということだろう。戦前と戦後で戦後に再開したラミー織物が激変したとは思えない。

昔の琉球王国で宮殿の役職のドレスコードに上級なものがアカソを着るというような記録もみたこともあって、それはたぶん赤ブーなんだろうなあと、いままでいろいろと疑問に思っていた、日本の麻織物の歴史の中に出てくるアカソという言葉にある程度の結論付けが自分なりにできてうれしい。太布織物のアンギンには植物のアカソを使っていた可能性もあるのかもしれないとも聞いた。

晒とかを考えると青苧からスタートするのがベストだろうとは思うから、雪晒とか天日晒とか、川の水や海水で晒したり産地ごとに特色はあるけども、晒すということが大前提にあるなら、青苧を使うのがベストな選択だろうとはいえる。江戸時代の西回り航路で近江商人が良質の糸を仕入れていたような記録や能登からも苧麻の糸を仕入れて織っていたということなども、江戸時代の近江上布と呼ばれたものが、原料からしても日本で一級の物を使っていたということがうかがえる。近江の産地は田んぼも豊かな土地だったので、苧麻を栽培するというよりは、ある程度織るほうに徹したいた感じがする。林与のどこの家でも南側にあたる前栽の縁側の入り口側が機場という家のつくり。

糸を績む作業というのは織る以上に労力を必要とする作業で、それを稲作などが難しい地域に任せて、商人たちが仕入れた糸を近江で織って藍染にしたり、絣織物にしたりが江戸時代だったのだろう。彦根も昔は彦根城の城下町として小京都のような雰囲気だったろうと思う。ゲストハウス無我さんの場所は、江戸時代の生地商らしく、どんな生地なのかというと金襴織物みたいな織物の資料をみせていただいた。彦根の歴史資料博物館では、シルクの織物ばかりで麻織物は展示されていなかったような気がして、麻生地商の商家の帷子などが最高の麻織物だったんだろうと思う。

昔から京都の祇園祭などの麻布は近江の産地のものだと言われていて、京都大阪の麻布は滋賀県の織物が定番だったんだろうと思う。京都で織られていたのは金襴織物で、絹織物は京都でも北のほうの丹後や与謝野が定番のような感じ。大阪は綿織物だろうか。県ごとに織物の住み分けみたいな特色があってそれはそれで面白い。滋賀県で長浜には浜ちりめんをあり絹織物、高島には綿織物がある。織物というのは雪深い地域が適している、林与の場所も雪国のように子供のころでも70cmくらい積もるのは普通のことで、農家の冬場の作業として身の回りの着物を自分たちで織ってこしらえた。それは日本中の農家の多くがそうだったと思うが、彦根藩が麻織物を藩の特産品として奨励したことが、なんやかんや影響して今も林与が麻織物を織り続けているのにもつながっているのだろうとは思う。林与の母親でも嫁いできた人なのに、7代から8代くらい前、200年くらい前の親戚関係を遡って言い伝えられてできるが、林与は何十回聞いても無理。お昔の家の葬式の時とか6代くらい遡り連絡しないといけなかったからそれはすごく大事なことだったのだろう。
2024年05月28日
今、近江湖東産地の麻織物の歴史をたどっていく流れの中で、赤苧織物というのが引っかかっていて、赤苧というのは苧麻の茎の赤いタイプを指して、植物のアカソではないだろうという結論に達しかけている。近江上布もカラムシを使うと昭和の中頃までは言い伝えられてきた。栽培した苧麻ではなく、苧(カラムシ)とは自生している苧麻のことを指すと昭和の中頃まではいわれてきた。

沖縄の宮古上布も赤ブーと青ブーがあるということらしく、ブーは苧麻のことを意味する。茎が赤いのが赤ブーで、茎が緑なのが青ブー。それは今も自生していてそれらを使って宮古上布は織られていたりもするということを宮古上布の会館の方に教えてもらった。

昭和村の方にも確認をさせていただいて、栽培しているものは茎が緑の青苧が品質面が良いということ、そして、地元の人が今も自生しているカラムシを織っておられるのが赤味がかっていて味があるものをつくっておられるというお話をお聞きした。よく分かる話。それが基本の考え方でそういう苧麻がまさにカラムシの原点で、その品質を高めるためにより細い糸を取れるようにするために栽培が昔から行われていたのが福島県で、江戸時代には近江上布も東北地方の原料を使っているという記録が残っていると聞いたことがある。昭和村は古くから糸の産地だったのだろうと思う。近江上布は能登上布が始まる前は、能登からも苧麻の糸を仕入れていたというのが定説で、その後、能登の人たちが近江の職人に学び能登上布が生まれたというような能登上布の歴史。能登川という地名にしても能登川という川があったからという話もあるがその川の名前も能登とつながりがあるのだろうと思う。

小千谷の方や能登の組合の方にも確認はさせていただいている途中で、日本の麻織物における近江麻布における赤苧の関して林与なりの定義づけをすることが、日本の古来からの麻織物の歴史における赤苧織物の定義にもつながるだろうと思う。日本の上布と呼ばれる、赤苧に使われているのは苧麻なのか、それとも植物の三裂した葉先をもつ赤苧なのかという問題。植物の赤苧の繊維の抽出は行ったけども太布向きで、細い緒を績むために繊維を取りだすことは難しい。

断定は難しいのイだけども、高宮の宿での細美というのは、東北で細い糸が取れるように栽培され品質が高く、績まれた糸が彦根近辺で織られたものではなかろうか。今までは赤苧だと考えていたが、それは考えを変えるに至り始めている。赤苧織物は、植物の赤苧ではなく、苧麻の茎が赤いタイプからとった繊維で織りあげられた織物ということで、林与の家や産地に伝わるカラムシの話とも整合はする話。赤苧織物は自生のカラムシ織物で、細美よりはやや太かったかもしれないなあと考え方を改め始めている。

湖東地域で基本米を植えることが基本で農家が、自分の土地を持っていながら苧麻を植えることは難しかっただろうと思う。土地を持っていればそれに応じた年貢を納めないと駄目だし、コメが普通に取れる土地なので、農家が畑で米の代りに苧麻を栽培するような優雅な感覚はなかったと思う。近江湖東地域では戦前は、普通に大麻も苧麻も自生はしていたから。松竹梅やお茶や柿、渋柿と同じで、屋敷に生やしておけば一家の分くらいは時期になれば自生のカラムシなら好きだけとれたのがあたりまえ。品質は別にして。でも当時から栽培するのよりも緒を績むのが難しいからそれなりに評価は苧麻である赤苧が高品質な苧麻以上に高い。いわゆるオーガニック以上の自然農法を江戸時代の人も評価してたのかなあと思ってはいる。

糸を績むという作業は、江戸時代の記録によるとお寺が学校のようなもので苧績みをお寺で教えていたということらしい、それというのは、お寺に績んだ糸を納めるのだろうか。農家は現金収入というのはほとんどなかっただろうし、米や玉綛みたいなものは現金作物みたいなもの。

ムカデがいたら、それをムカデを捕まえても薬にしようとするのが、林与の子供のころで、マムシ酒とかもうほんと、子供のころに何十年も前に漬けられたマムシの入った一升瓶が蔵の中に普通にあるのが田舎の普通。鮒ずしにしても、昭和50年あたりの当時でも、大きな数匹で何万円も払ってつけてもらうのにつかいながら、それはほんと子供からすると吐かれたものを食べるそのもの。日本の寿司の原点がなれ寿司にあるというのも、いくらお金払っても絶対に食べたくないような耐えられない高尚な世界。

江戸前寿司が今の日本の寿司の新たな原点になったのはその場で調理して食べてもらう屋台スタイルから始まったらしい。ファーストフードみたいな感じなのか、塩や酢で締めて魚の生食が始まったのが江戸前寿司で、戦前までは江戸に行かないと江戸前寿司は食べることは難しかった。東京の特産品的な名物は寿司ということだろう。今も東京に行って寿司を食べたい人は多い。

また、麻の話に戻るけども、上布の産地が戦後も残ることができたのは、苧麻を扱っていたからだといえる。大麻織物だけを扱っていた織物産地は戦後原料からして手に入らなくなったことにより、保護されている皇族の儀式や神社の儀式のためにだけしか大麻の生産は許されない、一般の農家にしても戦後は大麻栽培が禁止され、大麻布を織ることが禁じられた。苧麻を戦前から織っていた上布の産地だけしか残れなかったんだと思える。

蚊帳織物や麻織物が盛んだった奈良の地域の織物に関しても、現在、麻を織る会社があまりないのは、戦前は大麻だけを主に織っていたからだろうと思う。奈良は今も麻織物だった蚊帳産業の流れを汲むものとして寒冷紗などの荒い合繊の織物が産業として残っている。元来、蚊帳というのは麻織物で荒い織物なので大麻なのかなんなのか、蚊取り線香のような濃い蚊帳の緑色も、蚊取り線香の成分、元来は、蚊の嫌う菊とかニワトリの糞とかの入ったものなのだろう。今はあの蚊帳の緑の染の技術はどこもやっていないということで禁止されてしまったのだろうか。

戦後の麻という概念は、品質表示法で麻と呼べるのが苧麻と亜麻だけになったことで、戦前の麻という概念からは大きく変わった。戦前は大麻も麻だし、黄麻(ジュート)も麻で、林与が聞いた話では27種類ほどのものが麻と呼ばれていたようで、戦前というのは、特に明治以降はアジア進出など国境がないような状態だったので、世界中からいろんな麻をもっと自由に手に日本が入れていたようなところがある。

元をたどればつる草なども今は河原に行けば生えまくっているけどもつる草からも繊維を取っていたのが戦前のものづくりで、稲の藁からも、いろんなものがつくられて、傘、蓑、草履など、今の人だと絶対にみにつけるのも痛くて難しいような感覚のものでも作業着的な身に着けるものとして使われていた。豊かになると雑草にしか見えないのだけども、麻布もそもそも雑草的なものから繊維を取り出し苧を作り、績むというような工程を経て糸になる。苧麻が苧麻といわれるゆえんは苧を取るための麻ということ。

日本の近代の初期までの製鉄を担ってきた、たたら製鉄という技法も、今は再現が難しく再現されることも限られている。今の鉄よりも不純物のない硬度の高い鉄がつくれるのが特徴で、そういう技法というのは、弥生時代に渡来人(林与が考えるのは徐福一行、のちの皇室)と一緒に秦の時代の最先端の鉄や製鉄技法が日本に持ち込まれ、日本国内でも製鉄が始まった時からの技法。その以前の日本の製鉄というものは隕鉄が原料としての鉄製造法。

鉄の精錬技法と、麻布の精錬技法とが別なのかというと、麻布も砧で叩いて不純物を飛ばして、純度を上げてゆくようなところがある。麻の繊維にはペクチンと呼ばれる膠成分みたいなものがあって、繊維と繊維を繋いでいる。それを石鹸や水分を与えて叩いて取り除くことで、昔の織物の加工となる。昔の技法って鉄の世界も麻の世界も似ているような気がする。
2024年05月26日
今朝は朝早くから、年に一度のゴミ拾いの日。早めに行ってまっていると、たまたま、集合場所の近くをウォーキングされておられる方が林与の80歳くらいの親戚の方で、私を見つけて話をさせてもらう機会があって、私も年配になられたのであまり迷惑になったら駄目だろうと思って、でも、林与のことを思ってくださる方で、まあ、今の時代というのは社会自体が自由な流れなんだから無理やり昔みたいにやろうとしても無理なのが普通というような話をしてくださったが、若い人が多い区ほどそういう柔軟な考え方だから、若い人が残るんだろうと思う。

ゴミ拾い自体は、軽トラで出動して、区の方にゴミ袋をお配りして、ほとんど大きなゴミなどは落ちてなく30分ほどで終了した。お地蔵さんの大きな桜の木を切られたときにその枝が桜の木に引っかかっていたのも片付けようとしたら、それはゴミ収集所でなく、区内で腐らせて自然に片付ける形。まあ、そのほうが小さくカットせずにそのまま似たような枯草や枯れ木のところに積んでおくだけなのでまあ土に変わるには10年くらいは掛かるだろうけども。


2024年05月24日
仕事をしていると思い通りにいかないことが多い、特に、シャトル織機は正直だから織機に問題があると問題のある織物が出来上がってしまう。織機は問題の箇所を直してあげると何事もなかったかのようにちゃんと織物が織りあがる。

織っている織物が問題なのかどうなのかという判断は、麻糸の場合には許容範囲みたいなものが異なると、問題のない織物でも、許容範囲の違いで大騒ぎになることもある。麻織物でも後染めのものを主体に扱っておられるブランドさんだと先染めの織物というのは糸1本のムラが見えるので大騒ぎされることがある。

糸の細い部分重なるとそこが薄く見えることがあったりする。太い部分が重なると濃く見えることがある。今手に入る一番高い糸を使うほどにそんなものである。安い綿麻の混紡糸を使えばそういう問題はなくなるが、生地から漂う高級感みたいなものが消えてしまう。

林与からすると、高級感を保ちながらキズの無いものをつくるためには、織物工場だけでなく、裁断や縫製がどこまでこだわれるかで1着の服としてスキのないものになるかどうかというあたりもあって、インドの縫製工場の裁断工程を見学したり、中国や韓国のアパレルメーカーに生地を納品したときとか、布を使うことに対して最大限の努力みたいんものを感じた。

インドの縫製工場では30枚ほど重ねて裁断された一つ一つのパーツに、レイヤーごとに1から30までの小さなシールを貼って、3mの生地の中で一つの洋服が出来上がるようにしていたり、韓国のブランドの縫製工場では、送った反物を裁断前に、徹底的に検反でマーキングしてどのように糸のフシなどを避けながら裁断をするかを検討してから裁断したり、中国のアパレルは航空便で麻荷物が到着すると午後には生地の物性検査などを終えられてとか、林与が気にしているような生地のことをご自身の中に持ってやられているようなところがある。問題をなるべく解決できるような手段を手間を惜しまずに自分たちが解決しようとする姿勢があって、日本の場合には完璧なものを求めるばかりで、解決能力もなくなり難しくなりすぎているような気がする。

林与自身も麻布を作る側だけども、分業とかじゃなくトータルなソリューションとも呼べるようなモノづくりが自分の中に必要に思う。製造工程でできるロス生地などにしても自分で裁断を工夫したりすれば小物づくりに活用は可能だし、一般的な時間でしばられた商業生産では解決が難しい問題を、解決してゆくという部分が布を作るのと同じくらい、織った布を無駄にしないためには大事で、そういうのできることが本質的に良い材料をつかったものを扱えることにつながるのではないかと思っている。

量産できないような特別な麻生地を提案するのは生地のままでは難しく、自分自身で最終製品にまで仕上げることも特別な布のものづくりを提案できることにつながるだろうと思う。生地の裁断も自分の目で見極めて一番良いところをうまくつかうみたいなモノづくり。また、海外の展示会に戻ることができるようになれば、そういうものを日本のものづくりとして多くのデザイナーさんたちにもみてもらいたい。シンプルながらも高級感や力や、揺らぎの調和でぬくもりなどいい感じに思えるような麻の商品開発。
2024年05月21日




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