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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2024年12月03日
この仕事というのは、織物が綺麗に織れないときや、織物を織れるように準備するまではタダ働きみたいなものなので、機織という作業は内職みたいな作業そのものだと思う。何十時間働いても、まともなものが出来なければそれはよいり多くの問題を作っているだけのことなので、それが分かっている人だけしか、織物の現場で織物を織るということは難しいだろうと思う。

そういうのってすべての仕事に共通するようなことなので、働いたからと言って結果が悪ければ最初からやらなかった方がましという現実的な話にもつながる。林与もそれを毎日現実的に受け止めて作業はしていて、たとえば、織れたらそれでよいといわれるお客さんも多いけども、織れてキズが数か所あると困るんですよねという話になるのが普通で、さらなる問題を生んでしまう結果になる。そういうの本当によくわかっているから、喧嘩もしたくないし、自分が働けるだけ働いて解決したいなあと思ってはいる。

今の日本の繊維業界というのは普通にまともに普通の麻生地をつくってもそれが成り立つのが難しい問題があって、アパレルさんでも、すごい生地が欲しいと言われるほどだけど、それが普通の値段の世界になってしまっていて、なんか熊本のアサリビジネスに近い。オーガニックもサステイナブルも蓋を開けてみれば海外のあやふやなものを日本国内で化かして売るようなことになってしまっては駄目だろうと思う。

認証機関の人が現場を知らないという大きな問題があって、認証ビジネスそのものになってしまっているのが、エコやサステイナブルの世界で、現場を支えている人たちをどう食うかが、エコやサステイナブルのモデルになっているというのが世界的な現象で、自分自身が末端を支える気もない人たちが、ブラックだと叩いているのはなんなんだろう、それこそブラックそのものな自分が末端の人を支えることもない、給料を払うこともなく、そういう人たちも支えようとする人たちを追い込んでは、世界や日本の繊維業界が繰り返してきた階級社会そのもので、せめて、日本オーガニックコットン協会の森さんにしても、エシカルな話が面倒なんですよとかばかりでサラリーマン以下で。麻関係の吉田さんもスポンサーが抜けたらやめるだけですよとか。

ほんと日本の繊維協会というのは妄想が激しくてそれですごいことやってるとかはキツイ、ブラックすぎて、自分が覚悟もきめてない逃げるだけの方たちが、国際会議とかやめてほしい、ほんと。日本人の凄い人たちの感覚すらも自分が一人の人も支える気もなく地道に働く気もなく日本の繊維業界を食いものにしてては気楽すぎて、日本の繊維業界が衰退するのもその辺りの問題で、そういうの自分が覚悟して支えているような機屋レベルなら、サラリーマン以下の世界で、日本の繊維業界を食い物にしてしまっていて、エシカルやエコや、日本の織物を自己犠牲で支えてきた人たちやそれを支えようとしている消費者の思いすらも食い物にしてしまっている。

林与が接して感じたのはそういう感想で、そういうのに巻き込まれるのは実際にやってきたものからすると一番キツイ。熊本のあさり問題に近い問題があるのもそういう人たちが、林与のいうこともまったく意味がわからないといわれるようなことばかりいわれてて、なんで日本オーガニックコットン協会がエシカルやエコを謳いながら創立から10年以上も理事長をされたかたが、エシカルが面倒そのものなんですよ、化学的におなじやったら、オーガニックコットンも普通のコットンも同じ、それを会員が認めないんですよ。

森さん、オーガニックコットンを作ろうとするときの本質すらも会員にも伝えられない話では、駄目なんだえすよ。会員がラベルだけあればよいとか、さらに日本オーガニックコットン協会が講習でお金儲けて、本質がないようなブクブクになってしまうと、森さんにしても実際に林与が日本の織物業界を笹ていても、明日は休日だから、9時から5時で対応をお願いしますとかの、サラリーマン感覚な人たちが、人を支えるとか無理でしょ。くいもののそのものほんと日本の中に食い物そのものが日本のオーガニックとか世界のオーガニックな、なまった英語を聞くのが面倒なんですよとかいう森さん。

お前が一番駄目なんちゃうのとか、林与はいうのが、まともなエシカルな感覚で、ほんと日本初のなんちゃってオーガニックが広がりすぎて、9時から5時の人たちが、自分も9時から5地で、働いている人たちをささえようともしていない。日本の繊維業界のまつろそのもので、それは、大手の金儲けだけの繊維業界のビジネスモデルそのもので、合成繊維の普通のビジネスモデル世界そのもの。

日本の繊維業界の闇歴史として消えてもらいたいと思える。金儲けや権威主義で、やったら、日本の繊維業界が本当に支えてきたのをサラリーマン感覚や先生感覚の人たちが、自分が働く人たちを支えている人間をおたく誰ですかみたいな感覚すらもがプンプン。それは、ほんと、林与が働いていても全く認めない、森さんや吉田さんの働かない人の感覚そのものな権威主義で、それが怖すぎる。まさに、日本の繊維業界の今までにありえないほどの末路、大手にしてもそのくらいに陥ってしまっていて、とことん日本の繊維業界を食ってみたいなくらいに、に日本の世界規模な大手SPA的な感覚。

森さんと吉田さんは、林与とはまったく逆の人で、林与とは水と油なのは、話すると林与も馬鹿にされてて、地道に働いている人を支えようとする気持ちすらないのが伝わって来る。日本の繊維業界が終わってると思うのもそのあたり。日本が世界でも一番厳しいなあと思う、どこまで、林与のいってることまったくわからなすぎで、日本の繊維業界のものづくりの価値観を守るのは難しいと判断でしてしまう。

もうちょっと権威主義ばかりでなく、普通の会話もできんと、一方で、森さんは企業が勝手にやってるだけだから私は関係ないとか、責任を逃げてばかりで、自分がやって認証をされていることでも、一つの話も逃げてばかりで、そういうところから消費者の感覚の正しくよいものを手にしたいが大事じゃないですかと、日本のオーガニックコットンの看板だった森さんに、お前が一番駄目なこと覚悟決めずに広げてたらあかんし、覚悟もなく、日本オーガニックコットン協会では消費者騙しそのものな権威主義、ボランティアでやってるからまったく責任ないとかいうのやめてほしい。日本で林与も覚悟決めてやってきた繊維業界がここまで落ちたのかと思える。日本の消費者騙したらあかんし、まさに、熊本のアサリ以下の感覚やん。森さんもほんと自分が食べていくためのネタにしてほしくない。吉田さんもスポンサーが逃げたら辞めるだけやといわれるような日本の繊維業界を自分の金儲け感覚は聞きたくない。

そういう日本の高齢の人たちが自分が食べていくためだけど、一つも説明も出来ないようなそれは組織ではだめ、日本の政府も世界のSDGsにしtも同じような、地道に日本の繊維業界を支えていこうとしているものが全くお前がえらそうなこというなで、そういうのは日本の自己犠牲で成り立たせてきた繊維業界の末路そのもの。どこまで、食いたいのかと思う。

林与というのは、自分自身が金儲け考えてなく、自分が森さんとか吉田さんよりがいわれる、めんどうな話を解決してやってきた人間で、それって、企業の従業員として働くのも地道なことお㎡面倒とかいってて、日本の繊維業界を裏切る話になりませんかということ。ラベル協会にも文句もいってて、そんなラベルビジネスやめた方が、日本の繊維業界のためですよと。

一番駄目な働きたくない人たちが、日本の繊維業界を責任逃れしながら牛耳ろうとしてたら、日本の繊維業界はやばすぎる。日本の繊維業界で林与を知っておられる方なら同じ思いが普通じゃないから、四六時中働いて従業員を支えたり、そういう四六時中働いている人をまったく知らずに、9時から5時のサラリーマン感覚の方たちが先生業では日本の繊維業界の闇歴史でしかない。いわれることもほんと、だらしない人の覚悟もない話ばかりで、その感覚なら信じた消費者騙しになるからやめた方がよいよということ。日本の繊維業界の末路そのものな日本の繊維業界の現状。
2024年11月27日
林与の仕事も機械関係のものづくりの会社の方がみられたら単純な仕事に思えるだろうけども、扱う人という要素が重要なので、器用さみたいなものが必要であったりする。麻糸というのは切れやすかったりするので、そのあたりが非常にやっかいだし、シャトル織機も壊れるほどに調整の幅が大きいので、機械の調整や修理にも器用さが必要だったりする。その分、似たようなもので代用もできたりするのだけど。

今の時代は、電化製品が壊れても、基盤ごと取り替えたりすると思う。一つのコンデンサーとかを交換して修理のほうが珍しいことであったりする。まだ、そういう交換ができるのが組み立て的な機械の世界で、織物は出来上がった布という製品でも、一本の糸を入れ替えるということは非常に困難だったりする。

こういう仕事というのはスピード感、手先の器用さや根気みたいなものが重要で、スピード感、器用さ、根気をもってやってても、難度の高いものだと1時間1mとか2m織れるかどうかみたいな仕事だったりして、成り立たせてゆくのは難しいなあと思える作業。目の良さも非常に大事なので高齢になると仕事も難しくなるので、経験者でも50歳くらいまでが生産性ももって普通に作業ができる。50歳を超えると何十年の経験者でも仕事としては難しくなってくるのが普通。20代から30代前半が作業のできるピークだろう。

林与にしても最初から難しいとは思わなかったからやれているんだろうと思う。ただ最初に思ったのは時間を捨てるような仕事だなあという印象。ただ単に一つの仕事をしていたらそんな感じでたいした仕事もできなかっただろうけども、できることをいろいろやろうと時間のなかフルに動いて仕事をしたので、やらされている感もなく、ものごとも分かって仕事を最初のころからやってきた。

今は、1か月追っても200mほどしか織れない織物も多くなってきている。ときには、1か月で50mしか作れない織物もあったりで、140番手のアイリッシュリネンハンカチ生地は織るだけでも1か月に一人の人間が付きっ切りで50mくらいしか織れていない、それでも綺麗にキズなく段なく織れれば成果。難度の高い織物というのは成り立たせることは難しいなあと思えたりする。将来、時間ができたらまたチャレンジしようとは思うが、その前に、綛をチーズアップする作業もあるし、整経作業も糸の節をとりのぞきながらで半年ほど一台の整経機が専用になった。糸が特殊なだけでなく、それを生かすためには織の現場でも特別な作業が必要だったりする。
2024年11月25日
雅楽会が新しい世代に変わって若手の女性の方も笙を吹かれているのだが、子供のころにお祭りで雅楽会を見て、笙が吹けるようになりたいと思われ、大学でも本格的にやってられたらしい。なんかすごいしっかりとした方がメンバーに加わられたのだなあと驚き。たぶん、そうやって女性が加わって演奏をされているのを今の子供たちが見て、私も将来やりたいと思う人も出てくるだろう。

豊満神社のお祭りでは、中学生による巫女の舞なども行われるが、そのために、何度も何度もの練習を積まれてきたのだろうともう。小学生がそれをみて憧れて中学になったらやってみたいと思う子供が増え、自然に楽しみに思って参加してくれる人が増えるとよいのになあと思う。子供たちが楽しみ、良い思い出が大人になって次の世代に引き継いでもらえると一番良いことだろうと思う。

集落の消防車も展示されていたけども、子供たちが乗ったりして身近に感じてもらって、将来、自分もやってみたいなあと思ってもらえる子供が増えればよいなあと。小学生の子供に消防車にのるなら、自動車はオートマちごて、マニュアル免許取らんとあかんよと、車の免許とるときは注意やでと覚えてもらう。あっという間に10年くらい経ってしまって車の免許も取られる時期がくるだろう。

昨日は、子供たちとサッカーボール遊び30分以上して、一回思いっきり転んで朝から心臓のあたりの肋骨が痛む。シャトルの管を交換する時も結構体がつらい感じ。脚の筋力も衰え始めているので、もう走るとかも苦手になって来たのを感じる。まあ、動けるうちに動いておこうとは思う。今の体力だと、単独でスーツ2個もってみたいな海外の展示会はもう難しい。まだ動ける40歳くらいのころから、海外の展示会に出展しつづけてたこともすごく良い思い出で、行けるときに行っておいてよかったなあと実感する。円安ということもあって、また海外の物価も高くなって、今はもう海外も敷居が高い。

やりたいなあとおもったことは、無理してでもやっておいたことがやはり後で後悔しない、よい経験として残る。なるべく若いうちに経験はいろいろとつんで、それゆえに失敗もいろいろ経験しておけたのがよかったと思う。麻の仕事も若いころにはいろいろなものが忙しく、それなりに作ったので、それはそれでよい経験をしてある。今はもう仕事自体が普通の仕事がなくなって難度の高い仕事になりすぎて、初めての人には難しかったりするから、経験をできる機会も少なくなってしまっている。
2024年11月25日
今日は、文化祭で子供と一緒にサッカーボールで遊んだ。本気モードじゃなく、3回くらい転んでやっぱり子供たちは遊びでも本気で、楽しそうに遊んでいる。クレープ屋さんが来てくれていて、子供たちはクレープ食べたそうだった、でもお金がないみたいな感じで、軽トラ車にあった400円で2個かえるからみんなで分けて食べたらと渡したが、いいですと遠慮していて返してくれたのだけど。結局、残って大人が買って食べるよりも、食べたい子供たちが食べられた方が意味があるのにとおもえる。

子供らは動き回ってばかりの1日で、お腹も減るしクレープ食べたいだろうに。来年も役が当たるので来た子供には無料のクレープ券1枚を提案しようとは思う。子供たちが賑やかに遊んでくれていたのがやっぱり一番よいことでボール遊びもほんとなら駄目かもしれないけど、子供というのはそれなりにコントロールしながら無茶しないようにボールも蹴っているので、さすがだなあと思う。

子供たちでも珍しいのは大人と遊びたいというような感覚があることで、林与が遊んでもらっていたのだろうけどとおもえるほど、大人相手に手加減もしてくれて、下手糞な大人なのに褒めたりもして場も作ってくれてたり、子供というのはやっぱり何もないところから楽しみを見つけることができるようで、小学生8人くらいで皆が楽しそうにボール遊びや鬼ごっこなどいろんなことを仲良くやっていた。大人以上に10分が1時間くらいに長いだろうと思う。子供にとっては1時間が何時間もの体験なんだろうと、子供のころを思い起こすと、小さな子供がサッカーボールを器用に操っているのや、射撃などもすごく上手だし子供のレベルは大人以上だなあと思えた。

林与も普段、仕事と言えどもなんか気持ちだけでやっているようなところがあるので、子供たちがボール遊びのようなことに一生懸命になれる姿というのは、そういうのに近い感覚。今日は、10時から2時までが文化祭だったけども、ほんと貴重なほどの長い時間に思えた。子供たちは大人の3倍とか5倍動いているなあと思える。のびしろの塊みたいなところがあって大人とは違う。ボールが建物のガラスなどにぶつからずに大惨事にならんですんだ、そもそもボール遊びのリスクも考えてある程度コントロールしておかないと壁にぶつけたりガラスが壊れたりあるかもしれないとおもって、一緒にやって危なそうなときにはコントロールできるようにしておかないととおもって一緒に遊び始めたのだが、子供たちもボールを高く蹴り上げてしたりもしていたが力加減も上手できてた。
2024年11月24日
物事というのは気持ちみたいなことがすごく大事だなあとおもったりして、逆に続けてゆくためには特別な気持ちを持った人たちが続けてゆくしかないだろうというような形しかないのじゃないかと思う。ゼロから自分で種を蒔いて成り立たせていくようなとか、マイナスや持ち出しでも社会的な意義があるとおもってやっていくみたいな覚悟とかあると、それなりにも継続できるような地盤みたいな考えにつながるのではないだろうかと思う。

社会的にすごいことをやると言いながらも勢いで飛びついてそれが成り立たなくなると自分が損してまでやってられんわみたいなことを言う人が多いけど、それなら最初からやるなよと。近代麻布の方もスポンサーが抜けたらやめるだけというようなスポンサー探しの話。普通の方にはすごいことをみたいな話だけども、なぜか林与というのは商売の方たちと話すると本音が分かってしまう。まったく違う感覚で持ち出しの気持ちでやってるから、儲からんのに何でやるいみがあるんやみたいな人たちがゴロゴロで、そういう人たちはおいしいところだけを取ってるだけのことで本質がなくものごとを続けていくためには危うい。

本当の素顔を林与には見せてくださるのは騙されているよりもありがたかったりして、ほんと話ができてうれしいことである。見下した感覚で私は紡績会社の凄い方と知り合いだみたいなことをいわれ、林与がお会いしたときも、おたく誰ですかと、一人の社会人として大丈夫なのかなあというような言葉で、仕事レベルの感覚もなく上から目線で、自分と接する人がみんな下だとおもっているような方なんだなあと。一般の方に対してもそういう失礼な言葉というのは発してはアウトだろうと思う。麻織物業界じゃあだれも相手にすることもない、得体もしれない違法大麻所持で逮捕されたようなお若い方を持ち上げてしまってとかにつながる。捕まった人は違法に大麻栽培もやってたらしくそれにも文句をいってられたけども、もちあげて仲良くしてたのだから疑われても仕方あるまい。

大麻布が100年も経てばフィブリル化、藁も同じだけども、100年も経てばフィブリル化して、柔らかくなるのは当たり前のことで、苧麻というのは100年経っても、短繊維である大麻布よりもそうなりにくいという性質がある。だからこそ、苧麻というのは、一生もの以上に代々引き継がれても着ることが出来たりする。また、麻布というのは柔らかいことが大事じゃないという、日本の着物の世界における価値感こそももっておられないのが危うい。今時の感覚で昔の麻布を評価しては駄目だろうと思う。近代マフとして薄くて柔らかいものを最高みたいな麻の価値観をつくりあげられたけども、林与からするとまったくそんな価値観は日本の麻の着物の世界にはなかった。

麻の良いものを着てこられなかったのかと思うくらいに日本の麻布の、パリッとシャリっとした価値観が昭和の時代でも引き継がれていたのに。日本の古来からの麻の世界に置いて、やわらかくてふにゃふにゃのものが最高の麻布みたいなのは、林与としては論外そのもの。うすいものでも緻密におられて、しなやかでありながらハリ感やコシ感があるのが上等な麻の定義みたいなものだった。
2024年11月23日
昨日は午後から1時間半ほど集落の文化祭のパーティションを運び入れる作業、今日は朝から組み立て作業で午後から展示の作業。結構、パーティションの上のほうに展示をしようとすると、男手が必要だったりして、また、展示物の量に合わせて内容の割り付けを行うと、展示物のいくつかをもう一度配置換えしないといけないことも多く、展示品を持ち込まれる方がこられるごとに頭も使う作業内容。

せっかく、展示物を持ってきてもらったのだから、なるべく良い感じで見てもらえるように、考えての展示。子供の作品というのはそれなりに味わいがあって興味深い。子供が子供らしい絵を今も描くのだなあと思うと、林与は小学生のころから結構写実的に描いていたので、子供が漫画っぽいデフォルメした絵を描こうとするのは普通なんだなあと思える。書道の作品が多く展示されていたけども、消防署長されてた方の書は達筆な感じがした、表彰状などを書いておられたので長けてられる。

太った感じのおっちゃんでいつも町長推薦で消防署に入ったと言われてたものの、あいさつなども何も見ずに長い挨拶をされてたりするので、頭が良い方だなあと思っていたけども、話しているといつもニコニコしておられるので、そんな感じがしなかったので、でもやっぱり、いろんな知識的なことにも長けておられるのを感じる。

古い集落の写真があって、そのなかに縄編み機があった縄編み機は9月に福島に取りに行ったものなのだが、東円堂の集落の中でも、女性の方も子供のころにやったと言われていた。縄編み機は倉庫に林与が生きている間は残しておこうと思う。持って帰るときも、高速道をのSAで軽トラに積んであるのを売店のおじいさんがみられ、子供のころにやってたということを言われててなんかお年寄りの方にとっては大事なものなんだなあと思えたりする。引退された年配の方たちはグランドゴフルだけでなく、集落の中でいろんな会を作って結構いろんな作品づくりみたいなことをされているのだなあということを知った。パッチワークを作っておられる方もあってそれが一番大きな作品で、ベッドカバーだろうか。

林与は展示会場の準備だったが、別の会場では、射的やポップコーン、休憩場所のようなものが儲けられていた。他に野菜の格安の即売なども行われる、明日が片付けなどあるので雨が降らないと良いが・・・文化祭も文化祭担当の委員として2年続きで当たるので、来年は2年目として委員なので、それなりに参加して作業して全部の工程を知っておかないといけないなあと思ってはいる。あと12月頭の行事が終われば、今年度の行事は基本終了みたいな感じとなる。
2024年11月22日
EVというのは、太陽光発電したものを充電すると最大のコストパフォーマンスを提供することができて、メガソーラーとかの近くにEV充電の充電設備ができればよいんじゃないのかなあと思えたりする。

日産のサクラというEVがすごい人気で1年ほど前に売り出されたのだけども、すごく早い結果で、使えないんじゃないかというレポートが多く、特に500km走るとかなると初回の家での給電もいれて17000円充電したとかで、普通に軽自動車なら30km近く走るので、6000円くらいのガソリン代だろうと思う。驚いたのが、レポートでどこもEV給電所はだれも充電していないことで、それはそれでよいのだけども、それほどゲスト充電するようなことは稀ということで、設置してもすごく割高な充電料金になりそうだということである。

充電スポットでの急速充電が相当安くならないと普及は難しいのではなかろうかと思われる。街乗りで、1日10kmものらないお家の方が家で普通充電する分にはEVは良いのかもしれない。

サクラにしても車自体に問題があるのかというと150kmしか走れないEVでも、充電設備さえガソリンスタンドのようにあればよいはずで、それにすごくお金が掛かるという問題があるだろう。ガソリンスタンドのように人が常駐している必要がないから、コストは下げられるはずだろうけども、電力会社から電気を買っているような充電設備だと充電コストは高くなる。遠出をしないということを守れば普段のりには良いのかもしれない。

よって現状は、どこにでもあるガソリンスタンドで給油できるハイブリッドが良いという選択になってしまうのだろうか。林与の場合には遠出することがたまにあるので、EVは使いにくいだろうなあと思える。

普通のガソリン車でも年間5000キロも走らないならそして10年以内に買い替えるなら、車にもろもろ500万円つかったなら、5万kmで乗り切ったことになる。車両購入費維持費燃料費含めて、1km100円掛かっていることになる。タクシーよりも高いということになる。高齢者の運転免許返却の流れは、タクシーやライドシェアの活用という方法しかないのかなあと思えたりする。自動運転はたぶん、50年、100年、実用の結果、無理な感じも見えて来たりで、なかには自動運転だと思って自動で運転していると、自動運転じゃなく遠隔運転されているようなケースもあるという。自動運転が判断してセンターにここは無理だから助けてとセンターへ自動で連絡するんだろうか。5Gではそういう機能が使えるみたいなのがたしかトヨタにもあったような気がする。それをメーカーによっては自動でやってるみたいな、ゲームセンターのサーキットゲームのようなものにのってセンターの人が液晶画面を見ながら運転って怖くないかという問題と、無人自動車などでは、海外では事故も起こってしまっているようである。ゲーム感覚の金儲けビジネスにつながっていてそれが自動運転の限界なのかもしれないと思える。センターのオペレイターのために遠隔運転自動車免許みたいなものも必要な時代なのかもしれない。
2024年11月21日
シャトルの管を交換する時に、管を取り出して、糸を手で引きちぎるような作業があるのだけども、今回のリネン糸は同じ番手の同じ銘柄でも最高価格のあたりで購入したもので、すごく強くて丈夫。また色ムラも少ない。あたり、である。こういうあたりの糸に出会えるとリネンの値段も高くなっても良いのかなあと価格が上がるとともに最近は生成りも色ムラは少なくなってきている。高い時ほど糸がが良くないというのが一般的な話なので、まあ、よくよく考えると、最初は安い原材料から使い始めて、徐々に安い原材料がなくなって来て、原材料も値段の上昇とともに上がってきたかんじなのか。普通考えると良い材料から使い始めて、最後に悪い材料になるのが普通じゃないのかなあと思うけども、利益が優先される海外は違うのかもしれない。

リネン価格もピークを越えたといわれてはいて、来年の3月くらいからはあたらしい作柄の糸に変わるだろうけども、今の過去最高値のあたりよりは、価格は下がるだろうと言われている。高く売れるとなるとフラックスの栽培も増えるだろう。ウクライナという国の偉大さがわかったりするのが、ウクライナ戦争が起こって、日本の小麦粉の値段も倍になったということ。小麦が以前から安いなあと思っていたけども、それが2倍になったくらいは許容範囲にも思える。国内の価格と輸入小麦価格は並んでいるあたりだろう。
2024年11月08日
林与も昔は数学が得意だったけども、今は、織物の仕事でも四則演算くらいしか使わないので、小学校くらいの算数ができたら日常生活や織物の世界では大体のことはやって行けるのかなあと思ったりする。昔のそろばんが計算機へ、さらにコンピュータに変わっただけのことに思う。

でも、プログラミングが出来ると、複雑な計算なんかは自動化できるので便利で、自分で戻り値のある関数を定義したりとか、サブルーチンを作ったりとか、また、結果を数値で表したり以外にも、グラフに表したりとかできるので、便利に思える。

糸量の計算なんかも、エクセルとかで自動計算するようにしておけば簡単だし、WHATIFアナラシスと呼ばれるように、数値を一か所変更すると結果がどうなるかなども、いろいろ試せたりするので、既存のエクセルのようなアプリケーションを利用するのも一つの方法で、エクセルにしても一つのプログラミング言語みたいな活用が可能。

コンピュータが使えることで、織物の仕事にもすごく役立っていて、計算機だと画面も小さいので、四則演算にしても複雑な計算などは間違いも起こりやすいけども、コンピュータでやると、全体を見ながら作業ができるし、間違ったところだけを後で修正して、正しい計算結果を求めたりもできる。コンピュータを使えることが織物にすごく役立っている。

コンピュータも今はノートパソコンだけども、若いころには、自作PCみたいなことをやってたので、そういうのをやっておいたことも役立っていて、ノートパソコンでも、踏んづけたりして液晶が壊れたら液晶を交換したりとか、ハードディスクをSSDに交換したりとかも、修理にだすと一般的には、初期化されてしまうことが多いので、自分で修理できるということは自由度が広がる。

今も、10年以上前に発売されたノートパソコンがメインのパソコンで同じタイプの機種を壊れたら買い替えて、そこにWINDOWS11を入れて使っている。CPUの処理速度的には10倍くらい今の最新型と比べると遅いとは思うけども、実質的な体感速度的には、今のノートパソコンとそれほど変わらないくらいに思える。

大事なのは、キーボードのキータッチとか、キーボードにどれだけ慣れているとかで、話すスピードと同じくらいに日本語をタイピングしてもついてこられるようなノートパソコンなので不自由はない。安い中国のパソコンは最新のでも、キーボードの感触も悪いし、新しくてもスピードは遅かったりするので、慣れた10年前の日本製のパソコンのほうが快適である。

中古のノートパソコンも2万円くらいで、バッテリーの持ちも5時間くらい使えるような状態で、手に入るので良い時代になったものだと思う。ディスプレイもタッチパネルタイプだともっと便利なのだろうけども、タッチパッドでもそれほど困ることはないのでその辺りは欲張らない。

たぶん、10年くらい前のノートパソコンなので、周りの人が使っているノートパソコンのほうが、林与のよりも新しいタイプであることが普通だけども、できることというのはそれほど変わらないので、十分である。ノートパソコンでは、AIが進化しても、バッテリーの関係で、十分な速度のGPUは使えないだろうから、満足なレベルのAIはネット接続のない状態ではノートパソコンでは得られないだろうから、まだ、5年くらいはこのままの環境かもしれない。9月に、パソコンが起動しなくなって焦ったが、2週間ほど掛けて、新しく移植が完了して今は快適。

中古で手に入れたA3カラー複合機も、まあ4年くらい互換トナー使って、カラーコピーやスキャナで活用ができていて、ありがたやありがたや。この複合機が無かったら、請求書の添付なども一苦労していただろうと思う。スキャンした画像をPDFファイルとして保存できるのはありがたい。業務用の複合機なのでスキャン速度も速く、画質はクリアで非常に良い。

電気機械関係の会社もこれだけ中古で安く、無料みたいな値段で、使えるモノが手に入るようになると商売あがったりだと思う。自動車なんかも中古車でも問題ない新品みたいなものが多いが安く手に入る。日本の国で、モノづくりの商売は難しいなあと思える。中古の私の1.5kgのノートパソコン本体よりも、箱から出しただけの比較的安い太い番手のL25番手のリネン糸1.6kgの1個の糸や、焼肉とかの食べ放題一人分のほうが高いというのも怖すぎる。

今日は、エジプトのリネン糸70kgほどが届いた。今後の入荷も当面ないだろうという糸で、今後入荷されてもすごく値段が上がるだろうと思うので手に入れることができてうれしい。今は他の仕事が詰まっていて、使うとしても相当後のことになるだろうけども、あるときに手に入れておかないと手に入らなくなる可能性は高い糸。最後の在庫の残りということだが、手に入れることができて本当にうれしい。また、当面使わない糸を衝動買いではあるけど。ラミーの80番の糸も、機屋さんが廃業されるというので100kgほど買われた8割の値段で引き取ったりもしたが、今もその糸は使っていなかったりで、普段使っているラミー100番手よりも太いので、着尺系の若干しっかり目の布に使えるだろうと思って引き受けたのだけども、もう10年近く経っている。廃業された機屋さんも昔の糸だと言ってられたので、もう15数年くらい前の糸になるだろう、昔の麻糸は貴重。

現場では別の織物を織って見ているが、経糸切ればかりでキズがほんと多くており進むことができない。すごく強く太い糸なのに糸が切れてしまう問題で、織機の調整もずーっと続けているが、1mが綺麗に織れないのでは織り進むことは中断中。蒸気を使うのも一つの手だけども、あまり強くかけると別の問題が起るので、蒸気はなるべく使いたくない。整経も失敗をしていないし、糸のロットの問題だろうか、おもりの加減だろうか、幅の狭いタイプはそれなりに同じ織機で織れていたのになぜなんだろう。きっと原因はあるとおもうのだが。
2024年11月08日
ロシアに生まれた若者たちは、苦しいだろうと思う。戦いたくない戦争の戦地で、正当性もなく昔だったらソビエト連邦の同国のチェルノブイリのあるウクライナの人たちを殺すような立場。チェルノブイリの原発事故にしても、ウクライナの消防の人たちが命を投げ出してソビエト連邦の問題を解決した。それでもまったく評価もなくというのは、下民としての見下しの態度で下民はウクライナに命を投げ出せと多数派が苦しめていたような実情があるだろう。

ベラルーシにしても、独立国家でありながらも・・・。ロシアの言いなりでしかなく、ベラルーシの大統領ですらも国民が人質のような立場で気の毒としか言いようがない。このようなしょうもない問題すらも国連の常任理事国が話し合っても解決できずに、エコとかエシカルとかSDGsというのは、本当に馬鹿らしく、まともな人間を食い物にしてモラルを求めながら、権威主義そのものの一番駄目な国連レベルの現実。

人間としてまともな感覚もなく、人の命すらも守ることも二の次になって戦争を正当化して意味があるのか?戦争が起こっても、死ぬのは下民だという国家主義、それは一番駄目で自分が前線で戦うのが当たり前の覚悟がないと国家元首としてもダブルスタンダードで、愛国心すらもない卑怯者の極み。でも、そういうのが国連レベルで、世界中で人が多くなくなっていく。国連もまともな感覚にならないと世界中が集まってSDGsとかは、国連自体が一番駄目な組織でしかなくなる。

アメリカの大統領選なんてものは、平和すぎてどうしようもないほどに思えるが、その平和さが戦争を必要とする原因でもあったりするようにも思える。選挙にしても勝ったとか巻けたとか、そんな感覚でしかとらえられないのがどうしようもない気がする。負けた相手も勝ったものたちが幸せにするのが政治であるはずに思うが、敵と味方の区別でしかないのか。違う価値観の存在を尊重し分かり合うことはできないのか。それでも、アメリカは、共和党と民主党が政権を入れ替わることで、バランスが保たれているようなところがあるのを感じたりもする。

独裁政権みたいな状態こそが一番危なくて、多数派が政治を捻じ曲げないためには、裁判所の独立性が非常に大事だと思う。アメリカの場合には陪審員制度があることでそれが保たれているようにも思える。アメリカにおいては、権力が腐敗したり乱用されたりするということを当たり前に想定もしていて、法の下には誰もが平等の精神という概念がそこにある。ただし、アメリカ国民同士においての話で、国同士においては、アメリカはNO1でないといけないみたいなのが不思議に思うところ。中国に中華思想というものがあるが、それと同じような思想でアメリカも運営されていて、アメリカのNO1を脅かす国というのは悪とみなされる。一方で、アメリカという国は移民で成り立つ国で、さまざまな人種の人たちが集まっていて、そういう思想を形成しているので、多様性のなかでの全体としてのNO1意識なので、まだ安全なのかもしれない。個人の思想の自由を重んじ、全体主義を否定しているところが、一方の考えに傾き始めたとしても、ブレーキが効くことにもつながる。ベトナム戦争なども失敗だったという判断に至っているあたりなども理性的な部分を保ち続けているように思える。

ロシアにおいても、ゴルバチョフのような存在が否定され、プーチンが再びロシアを強く戻したということでロシア国内では人気は高いとはいえる。ゴルバチョフによるソ連の解体によって、どんどんと弱体化が進んで経済的には貧しい国になってしまって、明らかに中国のほうが力を持つようになった。親和派のゴルバチョフがロシアを弱らせたという結論に至っているのがロシアの年配の方たちの一般的な考え方とされる。

自国のことや、権力者を馬鹿にすると捕まるような国というのは、非常に危険で、その点ではアメリカというのは、自由の国アメリカらしいと思える。例えば、国民がトランプを馬鹿にしてもつかまって投獄されるようなことはないだろう。全体主義国家だとそういうことは許されない。今回のウクライナ侵攻においても、ロシアの若者たちが反対を表明するだけで、警察に犯罪者としてつかまるという問題が露呈した。自分自身の考えを表明することすらも許されない国というのは、民主主義的な社会では当たり前の人権という概念すらも保証がないことになる。
2024年11月06日
今日、夕方、地域の年配の方と話す機会があったので、農業関係のこととかいろいろと分からないことを尋ねてみた。聞いたこと全部詳しく教えてくださって、お墓のことなども分からないことがあったので聞いてみると、永代供養というのは墓地を使い始めるときに支払うものらしいということで認識はあっていた。一般的には永代供養という言葉は、それを払うとあとはずっと管理してもらえるみたいな意味なので、そのあたりをはっきりとしておきたかった。というのも、親が区長をやったときにも、前の区長さんが永代供養を払った家からは毎年の利用料をもらってなかって、もらえていなかったので貰いに回ったらしい話をして私に永代供養の意味を聞いたので最初に払う頭金やろうと思う、お墓のある家は毎年利用料を別に払っているから、という認識をしていたがそれで間違いはなかって良かった。

その話をすると、いろんな規定なども時代とともに墓地の区画整理などともともに変わってきた話なども教えてもらった。区画整理でそのままの家もあるけども、下は触らずに区画整理してお墓を均等に並べ直してあるので、昔のように墓石の真下に先祖が眠っているわけではないというような話や、まあ、今は土葬もしないので、お墓の下には地域の方々が眠っていると理解すればよいのではなかろうということになっているらしい。共同墓地みたいな概念も今はなくて、年額の利用料が一定の間払われていなければ無縁仏とよばれる墓地の隅のほうに墓の下は触らないまま墓は移動されるそう。そういう話を聞けるうちに知っておられる方から聞くことができておいてよかった。

過疎化の流れの中で、若い人たちも少なく成っていて、こういうことを同世代の方でも知っている人というのは少ないだろうし、どういう風に考えるのが正解なのかを知っていることは、自分じゃなくても誰かが困られたときにも、知らないとか分からとかとか答えるよりも、今はこのようにやっているらしいと一つの実績のある方法を答えることができる。

除雪のことなども集落の一部の方が担当をして雪が降れば朝早くからやっててくださるが、そういう仕組みについても詳しく聞けてそういうのも集落の方の多くもあまり知っておられないだろうと思うのと、他にも草刈や河川の清掃などもどのような仕組みになっているのかを教えてもらえて、そういうのも知らずにやっているよりは知ってやっているほうがやっている意味も分かって良いだろうと思う。本当にものごとの意味を伝えるのが上手な方だなあと思う。

ものごとの背景や意味合いなどをはっきりと説明してくださる方にも出会えなかったので、今日は思い切っていろいろと尋ねてどういうものなのかというのが理解ができて良かった。やってくださってる方は分かっているのだろうけども、やってないものには分からないことが多いので、やっていなくてもそういうのも分かったほうが良いだろうと思うし、知ろうと思ったときに正しく説明ができることが大事だろうと思ったりする。

長年の多くの謎が解けたような気もする。今までは尋ねてもはっきりとした答えをもらえないことも多かったりしたけども、役を当たって協力を求める側の立場で、その意味合いをよく分からずに説明も出来ずに協力をお願いしているというのは、すこし、心もとない話なので、やっている理由がはっきりと分かったことは良いことである。
2024年11月05日
すごく当たり前だと思っていたことが話がかみ合わないというか、言っていることがまったく分からないと言われたことがあって、分からないはずがない本当に分からないのかと思ったりもしてたのだが、その謎が解けた。それがパソコンが使えるか使えないかみたいなあたりが、ものごとの考え方にも強い影響があるのだと気が付いた。

林与は自分で書類を作ったり、みんなの話した結果をまとめたりいろんなことを書類化するのが得意で、検討や指摘や変更や話し合いをするのがものごとをするときの当たり前のプロセスとなっている。けども、昔の会合などをみると書類というのは専門家や事務局が作成して、印刷したものを配って中のことが正しいとか正しくないとか議論をするようなステップというのは当たり前でなかったりする。

話し合いなどが前提でみたいな考え方の場合には、話し合いのための資料を準備したりとか、どうしても変更などがともなうので書類から作り直すようなことが必要で、自分で資料をつくることができたりしないとすなわちパソコンが使えないと、話し合いを前提としたものごとの決定というようなことは言ってることがまったく分からないということにつながるのだろうかなあと、言っていることがまったく分からないと言われてもそれは相手に悪意があるとかじゃなく、私のいっていることが本当に分からないのだというのが、解けた気がする。

パソコンが使えるか使えないかで、ものごとを決めるときに話し合いが必要なのか必要ないのかという考え方の違いみたいなものが生まれてしまうというのも、殺生な話だなあと思える。別にパソコンが使えないというのは悪いことでもない。でもその差が人と人が理解し合えないという別の問題を生んでしまう。私なんかは、印刷された文章を読んで、数字など整合性がないと思ったら普通に指摘して直したほうがよいのではみたいなことを当たり前にいったりしてしまうが、そういう指摘をする人というのは少数派だろうとは思う。そういうのを指摘されるのが当り前の日常だからだと思う。織物なんて言うものは、柄割した計算結果が生地になっているようなものだし、小さな傷でもやはり指摘されるような織物の仕事。やった仕事は基本全部記録に取っておかないと同じものをつくるときに再現性なども難しいし、適当にサンプルをつくるなどはありえず、縦本数、縦の柄、横の柄、打ち込みのギアなど記録を取っておくのは当たり前。百貨店アパレル向けは、さらにそこから検査という段階とかをパスしないといけないので、使った色糸の染料の番号だけでなく、どのロットの糸を使ったのかなども、検査が通らないときには、再度織りなおしたときに検査が通るようにどう染めるかとかにも影響してくる。

アパレルや問屋さんなどにはテキスタイルデザイナーがおられるけども色柄までの方が多く、それプラス、目には見えない品質物性的なテキスタイルデザインの部分をサポートしないと、ブランドさんや販路によっては、織って反物が出来上がっても洋服には使えないと判断される大きなリスクがある。百貨店ブランド向けは、材料と確かな技術の組み合わせにこだわるのも、一つでも甘いと全部駄目になってしまうと思うから。

ものづくりで、利益率を上げろとか、在庫を持つなとかみたいな発想があるけども、そんな浅いところでやってたら大きな失敗を拾ってしまうだけのこと。失敗したときに喧嘩になるようなこともしたくないので、失敗はなるべくしないように石橋をたたくような確認確認のものづくり。間に問屋さんが入るとて抜いて安くやろうとするので問題も起こりやすい。たとえば、糸なんかもサンプル分だけ染めて糊付けてとか、そういうのは失敗のもと。ジャストインタイムな話というのは、実際の生産現場では無駄ばかりというのも現実で、それを強いている側は大きな無駄を相手に強いてドヤ顔してることを気が付いていないだけのことで、必要な時に必要な量だけを生産するというジャストインタイムなものづくりがエコとか無駄がなくて地球にやさしいとかは、林与とは話がかみ合わない。
2024年11月04日
小学校6年のときだったか、剣道の全国大会で東京に向かう新幹線の通路を歩いているときに、林与の先代は、おまえなにしてる、先生の防具を持てとかいう。もちろん自分の荷物と防具を持っているので持てるはずもないのに、先代はほんとうにそういうところバカそのもので、剣道の先生は健全な精神を持っておられて子供たちを育てておられ、子供に自分の防具を持たせて自分は手ぶらでみたいなことを喜ぶような方は一人もいない。偉そうに良い顔したいだけの親が、絶対に無理なことを子供に命令してすごい親みたいな気分になってるアホ。

先代自身は、小さなカバン一つでほとんど手ぶらで、自分が先生の防具を持つという感覚は絶対にない。どうしようもない大人というものはその程度。剣道の先生方が作り上げている健全な秩序みたいなものを、調子に乗った商売人の泥臭さが出て、壊してしまう。もし、そんなことを子供頃の林与がやらせられてそういうのを当たり前だと思ったら、大人になった林与が逆に若いものに自分の荷物を持たないのがおかしいみたいなどうしようもない感覚すら感じてしまうだろう。意味もなくアホなことをさせようとするものがいたりすると、させられたものが将来アホなことをさせる側になる可能性も高い、アホの連鎖はどこかで食い止めないと。

スポーツなどでも、いじめがあったりするが、アホな先輩がいるとそれが正しいことのように代々いじめが続く。3年生が1年生をいじめるでなく、卑怯な3年生は、2年生に1年生をいじめさせる。2年生は1年生をいじめないと3年生から目をつけられるから、いやでも1年生をいじめないといけなかったりとか連鎖する。上下関係なんてないほうがマシで、そういうのにとらわれて大人になった人というのは気の毒だけど、日本社会では年配者に横柄な人が多かったりして、若い者が常に気を使っていないと腹が立つとか、若い人を見下していないと気が済まない人も多い。将棋界などは、今は完全に実力主義の世界で、若い世代の人たちが活躍していて、子供たちが棋士になろうと憧れる。年配者も、上下関係を利用して若い世代を潰そうと思えば潰せるだろうけども、そういう腐ったことはしないのが、今の将棋界の偉いところ。
2024年10月23日
高校生のころだったろうか、地元でお蕎麦屋さんがあって、そこの一人大将が先代の昔からの友人で先代もその方の商売が成功すればよいなあと応援をしていて、年末に年越しそばを頼んだ。年越しそばが12時を回っても届かないので、忙しいのだろうと思い、電話で事情をきくと、雪が降っていて道も凍っていてその中を自転車でそばを配達しようとして、自転車が倒れて、そばを作り直しているのだということ。

普通の家だと大みそかはテレビなんか見て一家団欒だろうに、商売をしていると商売のほうが優先で大晦日も仕事で、仕事をするとやはり問題なんかも起こったりも当たり前で、責任感を果そうと、またそば粉でそばを打ち直すところから数千円の注文の約束のために必死の作業。普通だと配達中に事故があったので今回はキャンセルですみませんということもあるだろうし、うちの家も、逆に気の毒なことでと思うけども。

昔から知っている間柄で、お蕎麦屋の開業にしても先代にも世話になっている部分もあったようで、律儀にそばを打ち直して届けるということを選ばれたことを今も覚えている。1時間、2時間かけてそばを打ち直すところからやっていたら、そもそも蕎麦屋の商売もそばを手打ちするような商売は、バブルのあとくらいで地道でなかなか成り立たないことなのに、田舎の年配の男の人たちというのはなかなか仕事が見つからない方も多かったし、仕事を転々と変えられておられる方も多かった。他の下請けで生活を成り立たせていくみたいなのが普通だった時代。

その方でもまだ外で雇われて働いておられた方だったから、外で働けるということで先代も林与の仕事とは関係を持つことはなかった。林与の親戚筋の方が林与の仕事に携わっていることは多かったけども、なかなか田舎の農家では、昭和の時代で食べていくのも難しく、集落の外で働く仕事が見つからなければ自営でもして家族をやしなっていかないとならない。

戦前、戦後あたりの話を聞いていても、集落の中で生活が難しいのが当り前だったりして、京都や大阪の親戚を頼って丁稚奉公にいったりして教育や仕事を教えてもらって田舎の母屋を支えたりとか、集落の親戚の中で困った家があったら親戚が預かって自分の子供と同じ様に成人まで面倒を見て嫁ぐまでまた家族を持てるまで願ってとかも普通で、林与のお爺さんのころも八重ばあさんとか勘一爺さんとかは、事情もあって与一爺さんと兄弟姉妹のように林与の家で育てられた方で、本家の与一爺さんとかは、ヨジヨモン爺さんから一番厳しく育てられ、他の親戚の面倒をしっかりとみられるように清水お婆さんとか西出お婆さんとかもすごく強い思いでいてくださって、今も世界の高級ブランドが憧れてくださるような近江上布絣の一つの流れが、林与の家を中心とした集落規模の親戚一同の仕事として戦後も存在していた。それは普通とはまったく逆の世界で、食べても行けない困った人たちをどうやって支えていくのかというところを当時から今でいうSDGs、サステイナブルを一貫してやってきたのが繊維業界で、そういうのは、インドの貧困を救うカーディー文化にも通じるところがある。

今のサラリーマン社会ではそれがブラックのように言われることがあるけども、貧困層の面倒をみようとしないで契約で縛って人間関係を切ってホワイトな金儲け主義、そういうのだと、貧困を助長するばかりで一人で何兆円の資産とかはもう繊維業界の貧富の差の典型で、そういう分かち合わないビジネスモデルが世界の貧困なんてものを救うことはできないし、ホワイト企業トップや国のトップが貧困層と同じくらいの質素な生活も享受し耐えられなければききょうレベルや国レベルでも貧困問題の解決も難しいだろうと思う。

NEWSWEEKの海外記者がインドか中国への悲惨な状況ということで、働く本人が農業くらいしかなくて食べていけなくてTシャツ工場で12時間働いて生活が改善して満足していると行っているのに、そういう会社が最悪の会社だ見たいな、自分自身がその人を助手としても雇って家族の面倒も見ない人が、嘆いていても始まらないだろう。NEWSWEEKの記者レベルでも、自分が一人の人とも分かち合うもない感覚で、分かち合おうとしている生きるか死ぬかの困った人を救おうと雇った会社を叩いていて、浅すぎて残念だけども、そもそもその労働者を自分が支える気持ちもまったくなく、すごいことをやっているという感覚は恐ろしいホワイト感覚で、それこそが奴隷は奴隷の面倒を見る人の責任みたいなのが当り前で、面倒を見ている人を奴隷のような悪者にしてしまう。ホワイト感覚の階級構造自体を否定するべきだろうけども、そういう根本的なところから逃げてしまうようなホワイトSDGs、エシカルでは駄目だろうと思う。
2024年10月14日
合成繊維というのは、より安定していて糸も均一なのだけども、天然繊維よりも安い。なぜでしょうか? 

それは、合成繊維は天然繊維を安く生産するために作られたものだからです。レーヨンはシルクの半合繊バージョン。アクリルはウールの合成繊維バージョン。ポリエステルは綿やリネンの合成繊維パージョン。より均一で完璧なものだけども安い、実用性の面では合成繊維が勝ることが多く、安価な服の素材というのは一般的に合成繊維。

用途によっては、合成繊維のほうが適している場合があって、自動車のシートなどは、20年太陽に当たっていても、大丈夫なくらいに丈夫でないといけないので、ポリエステルなどが向いているようである。高級な車なら本革シートというものもあるけども、キズが付きやすいことがマイナスだろうと思う。本革の代用は、ビニールシートだろうか。ビニールシートは軽トラとかのシートに使われているけど、案外、ボロボロということが多いので、ビニールというのはそれほど丈夫ではない。
2024年10月14日
カラムシの語源は、古代の韓国の王朝加羅からの由来でモシが転じてという説や、茎を蒸すからカラムシという説などが一般的だけども、はっきりとしたことは分からないとされている。私自身、カラムシの加羅というのは古代韓国王朝ではなく唐(中国)のことだろうなあと感じるのは、唐糸(カライト)という言葉、それは絹の糸を指す。それが麻糸なら、唐麻糸と表現されたのではないかなあと思ったりする。カラマシというのが転じて、苧(オ)のことを、中国から糸ではいってきた麻糸(マシ)の場合、カラマシ、それは糸のことで、材料が苧麻だったから、中国からの苧麻がカラマシと呼ばれたことで、それが苧麻だったから、カラムシって訓読みが増えたんじゃないだろうかと、唐揚げとか唐紙とか、とおなじような流れを推測する。

カラムシは唐麻糸から来ているというのは、林与が思いついただけのことだけど、本当か嘘かは別にして、説明としては、それなりにまともに聞こえませんか。
2024年10月14日
社員に優しい優良企業と言うのはどうしても裏のある事が多く、まともなビジネスではなく。そういう大手は商社的になりがちで他の会社にほとんどの責任を追わせて自分はマイク増益増収だよよかいってるけど、自分がマイナスでも支える気持ちなくで、しごともことわるしかないし残念な話でお客さんが何千マンのおかねもまわすのが苦しくてというか10万円でも自腹を切る覚悟もないとか、ひとつのぷろじぇくとを行うときにまともなものを支えていこうと思う人もいるけど。底辺覚悟で働く気持ちもなく何億の大きな話ばかりで。地道に働いてそれを馬鹿にしてメイドインジャパンのこだわりとか、古代マフの再現でもないものを百貨店まで巻き込んで大丈夫なのかと心配する。

林与が商品をお客さんに語るときには、麻100%の世界最細番手のすとーるとかはただしいこちだというけど、古代マフの再現とか言うと。昔の太布というのはフニャフニャで嫌われたものを、現代のアパレル感覚で柔らかくて、最高のの古代麻布の再現と言っているだけで。昔の良い麻生地というには凄くハリもあってこうたくもあyてかただはあってしっかりとじていた。高級品というのは一張羅に見える必要があって。鎧用なハリと腰と光沢をともぬ神々しさが必要。それは日本だけでなくアジアの古代の王家の麻布に共通するような価値。シルクにしても古代のシルクは柔らかくふにゃふにゃでじゃなく。安里市が得るほどのセリシンも残った未精錬のもの。
2024年10月04日
麻糸は、苧績みしてつくられる。ひょんなことで昭和村を訪れる機会ができて、9月の半ばに昭和村の博物館で2時間ほど過ごした。なぜ昭和村で、麻の原料をつくることが大事に思われているのかというのが感じられた滞在で、これは、表現が悪いかもしれないけども、恵まれていない山村で、農村としても広い農地もなく、陸の孤島のような村の生活があったからだろうと思う。農家のできることが糸を績んだり、糸の原料を育てることで、長けた人がいたのだろう、より良質の原料を取れるためのカラムシを栽培する技術を村の生活の柱として培われてきた。

奈良の月ヶ瀬の大麻の苧績みも同じく、月ヶ瀬という場所が陸の孤島のような場所だったから、そういう技術が発達し、また残りやすかったということもあるだろう。沖縄の宮古上布にしても同じで、島という要素。工業化や機械化するという次のステップに行くこともなく、手仕事で生み出して行くのができることのすべて。

能登ももともと近江上布の原料の産地としていわれているのも、糸が能登で績まれていたのだろうと思う。糸を織る技術に長けていたのが近江で、その原料というのはもともと昭和村のような東北の地から、寄港地である能登に渡ってきて、そこで績まれた。能登という場所も、能登地震でこの一年は名前をよく聞くようになったけども、なかなか地震がなかったとしても、滋賀県からでも能登半島のてっぺんまで車で行くとしても覚悟が必要な話で、能登上布を育んだ背景みたいなものが分かれば、いろんな麻織物の謎の解決にもつながるだろうから一度は訪れて知っておきたいなあと思う。

昭和村にいったときも、昭和村に行く途中の田んぼの土手に立派な苧麻畑が自然にでいていて驚いた。1m近くの高さの苧麻が密集して自生していて、それは単なる雑草で使われないだろうけども、林与の周りではみることもできないようなつる草の世界が、苧麻で広がっているような光景。また、林与が興味があったのは、昭和村に行く途中の山道に自生している苧麻で、近江湖東地域とどう違うのかというあたりもとくに赤苧に関しての考察の検証的な面で、織物で言われる赤苧が、苧麻なのか苧麻でないのかというあたり。植物のアカソが山道に自生していて、真っ赤だったのも印象的。葉っぱも落ちて、真っ赤な茎だけになって、何百本も山の壁面に残っている。一方で、苧麻の茎が赤いものというのは、ないことはないけども、ほとんど、成長途中のものでは見かけない。

64種類の日本のいろんな苧麻や世界の苧麻を育てられている苧麻畑も参考にさせていただいて、日本の苧麻の歴史に関しての林与の持論的な考察とも整合する。近江上布に置いて、「きぬあさ」とよばれたものは何なのかというのも、自生しているカラムシなのかあるいは、福島産のような上質の物なのかという判断も、福島産のような白くて光沢のあるものが「きぬあさ」と呼ばれたものなのだろうなあと思う。

麻の着物の世界においても2ジャンルあったことはあまり言われないけども、そういう概念も大事で、味の世界と、品質の世界という2ジャンル、味の世界では、キビラのような粗にみえるものが評価をされて、品質の世界ではきぬあさとよばれるような世界が評価をされる。

奈良晒の最高峰みたいな織物も、林与が見る限りでは生平の世界のジャンルで、奈良晒なのになぜ生平なのとは思ったけども、晒す技術というのは今はもう残ってはいないというのが現実的なところなのだろうと思う。それを低く評価してはならないとおもうし、現実というものを受け止めて織物をつくるということを考えていく必要があって、晒す技術にしても今は禁止されているような技術ばかりだったりもして、昔だったら川や河原でできたことが、今の日本では許可が出たとしてもそんな許可を求めてやっているようでは成り立たないという問題もある。ほんと国が駄目だと規制ばかりで地道なものにしてⅯの自然破壊だとして、日本の伝統工芸にしても自然破壊で昭和の時代に規制され壊滅状態になりながら、今はそれを日本の宝として復活したいみたいな国レベルのご都合主義のだらしないどうしようもない感覚的な伝統感覚で、日本で産業がどんどんつぶれてゆくのもそのあたりのどうしようもなさ。関わらないでほしい、ほんと。
2024年09月21日
9月後半ながら、猛烈すぎる残暑、車の外温表示が37度を表示していたので、おかしいだろうと思ってネットで調べてみても彦根が36度であっている。暑さだけでなく蒸し暑さがすごくて、工場の中というのは日陰でも風が流れていないからもっと熱気があるように思える。とりあえず小さな扇風機でも回しているだけで助かる。

屋根からの熱を受ける2Fはもっと暑い。整経作業はそういうのを乗り越えてなしてゆかないとならない。子供の頃に剣道をやっていたので暑さくらいはたえられないとというかんがえをもっているので耐えられるんだと思うし。冬の寒さも同じように思え、武道の世界というのは、レベルが高いなあと思うし、子供は炎天下でも何キロも歩いて通学している。

2024年09月11日
9月6日、7日とマイドーム大阪で、手作りが趣味な人が3万人ほど集うイベントが行われ、林与も、2コマで出展させていただいた。一コマ分は物販で、もう一コマ分は手織り機を2台置いて無料手織り体験を行わせていただいた。今回は、無料手織り体験の表示もA4の用紙にマジックで書いた程度の表記で、準備不足感があったものの、会場の中というのは、来場者であふれているような感じで目の前の通路も、常に人が行き来されておられるような状態。林与が出展させていただいている場所も一番手織りもしやすいような場所を割り当てていただいて、会場全体の中でも手織り織機が2台あるのは目立つ存在だと思うので足を止めてくださる方も多い。体験できますかと尋ねてくださったり、やってみたいのだけど大丈夫ですかと聞いてくださったり、また、立ち止まって眺めておられる方にはお声をかけさせていただいて、簡単ですからやってみてくださいと、林与が1台に座って説明しながら織って、もう一台でマネしながら織ってもらうみたいな、1分程度の説明で、あとはご自身で続けてやってもらって、お困りのときだけ手助けとアドバイスするような形。

前回は体験していただいた8割くらいは中学生以下の子供さんたちだったけども、今回は、来場者的にも小中学生の方などは前回よりも少ない印象で、体験いただいた方の比率も、20代手前の学生の方や20代からの一般の方が8割くらいで、子供さんというのがメインターゲットなのかなあと思っていたのだけども、子供さんだけでなく多く一般の方がやってみたいとおもって、実際に手織り体験をしてもらえ、未就学の子供さん、小中学生、高校、大学生くらいの方から一般の方全般、年配の方まで多くの方に、手織りを体験いただけた。おおさか手作りフェスタのような大きなイベントで、手織り体験をさせていただけるのは本当に幸せで、一人でも、手織りに興味をもってやってみて、楽しいなあと思っていただければなあと思ってくださればという思いでやっているので、多くの方がやりたいと思ってくださりご経験いただくのは本当にうれしい。

去年もきてくださったお子さんがまた今年もやってみたいときてくださったりと、手織りするということを経験して楽しいと思ってまたやりたいと思ってもらえるのはありがたいことで、


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