for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3564
«前のページ 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | ... 179 次のページ»
2023年10月12日
ある方が、昔の職場でその工場が閉鎖になるときと従業員に通告したときに不良率が無茶苦茶あがったといわれていて、工場の経営陣を批判されていたのだが、その工場自体、そもそも成り立っていないのに気が付いていないというのが働いている人は分かっていなかったという問題があるだろう。私も3交代の半導体工場の中で働いたことがあるけども、一番楽なすたいるの優良な工場でこの工場がつぶれないのはおかしいと思っていたことがある。その数年後、その工場は閉鎖され、他の会社に売り払われた。

日本で一番とか世界で一番とかでも、そのなかの経営というのが緩慢になってしまっていては難しい。たとえば、その半導体工場で働いていた時に、昼休憩と呼ばれる45分の休憩とショート休憩15分の二つがあって、休憩を重ねずに機械を動かすために休憩もシフトしながら取る。普通なら15分休憩のタイミングで、45分休憩を取ることになった私ともう一人の同僚が休憩室で休憩していると、すぐにそのあと、昔のその部署の係長クラスの方が他の方と休憩に入ってこられた。

35分ほど休憩しているとその方から、自分ら30分以上休憩しているだろうと指摘されたが、部署が関係なくてもそうやって会社全体のことを見ておられる方が大事で、その指摘は勘違いなのだけども、その方というのはそういうしっかりした方というのを私も同僚もしっていたので、目合わせして反論もせずに休憩をやめて元に戻った。その人が一人だったら昼休憩ですという答えを返しただろうけども、もう一人は管理職の方のように見えたので正しい指摘として終わるほうが勇気をもって指摘されたその方の立場が崩れない。

人の待遇をぎりぎりまで良くして、負荷を減らして労働気分じゃない状態にもっていって、優良企業というのは無理だろう。私は当時3交代のシフトの作業員だったけど、正社員の人たちというのは働く時間はもっと短いし休みも多い。それでいてノルマみたいなものは課せられていて生産性を上げるとかは常に目標となっていた。

日本じゃなく、海外に持って行けば、こんな簡単なだれでもできる作業、やすい労働力で十分だろうし、この工場の敷地にしても無駄に大きくて世界的な競争の中で残るのは難しいだろうなあと思うのは普通のこと。すごく恵まれた優雅な工場なのだけども、砂の上の城みたいな状態。働く人もそういうのに憧れるのだろうけども、長続きすることはなく、働いていても作業内容にしても、素人が集まったものづくりで、マニュアル化して検査ばかり。それも無駄といえば無駄であるが、そういう検査作業というのは算数のドリルを解くようなものだが、それで失敗や責任の所在が誰にあるのかを見極めるような話。基本一つのスクラップも出さないというような高い目標があって、一つのスクラップが出れば改善書を書いて出さないといけないので、普通に地力的な作業姿勢と能力は必要で、田舎の繊維の現場に多い、仕事なんてどうでもよいのよーみたいなおっちゃんおばちゃんでは無理な世界ではあるが、そういう人を解雇するためにはそういうマニュアルプロセスが必要なんだろうとは思える。

多品種の計画生産において、無駄に材料を投入することもなく生産を進めるということはなかなか難しいことで、半導体のせかいだからできるのだろうけども、天然繊維の世界では、不良率は昔以上に糸の問題が増えて検査基準も上がって高まっている。経糸に関しては、3割くらいのさまざまなロスをみて生産することも多い。糸の番手が同じでも糸が均一でないと平坦な布が織れず、それだけで5%とか消費量は変わって来る。シャトル織機で織るのかレピアで織るのかでも糸の消費量は変わって来る。特に横糸は捨て耳の分レピアでの消費量は1割以上多くなる。経糸はシャトルのほうが緩くも織れるしきつくも織れる。高密度に織ろうとすれば、織前が下がるのを避けるために、経糸のテンションを上げないといけないのだけども、高密度に織れば、アップアンドダウンが激しくなり、糸の消費量は普通の織物の2割余分になるとかもよくある話。

薄く織るのは目ズレやヒマが開かないように一般的な織の技術を高めることで回避できるのだけども、高密度の織物というのは、織機に限界にあたるときには、また糸の限界にあたるときには、織幅の縮みが大きすぎて耳そばが切れて切れて織れないとかが起こり始める。それをどう回避するのかが課題になる。

半導体工場での生産においては、高度で特別なものづくりというよりは標準化という手順が取られ、下手過ぎるのは駄目だけども、上手すぎるのも駄目だという品質を一定に保つようなことが行われる。そういう工程においては分業というのは適しており、誰がやっても同じ程度にしかできない簡単な作業に落とし込まれる。1枚が何千万円もするエンジニアリングサンプルの基盤などもそれほど高い工程で行われるのではなく、1枚をつくるがためにすべての量産の工程をへないといけないというゆえに高価であるという部分が大きい。

普通の生産プロセスでももっと小型化なども可能なのだけども、小型化すればするほど多層化した基盤の上下の位置関係がぴったりと収まりにくくなる。そこに穴をあけたりもするので、その穴がさらにズレることにもつながり、小型化も無理のない範囲での小型化におわるから、機械の性能をフルに発揮しているというわけでもない。

織物の仕事においては、作業員の仕事のレベルの差というものは1と10くらいの差がある。初心者の人や年配の職人というのは2から3あたりということが多く、年配の職人の人でも昔は3倍仕事ができたと言われているのもそのあたりで、昔だったら6とか普通レベルの仕事ができていたんだろうと思うが、歳をとると仕事が難しくなるのは普通で、よく言われる何十年の経験というのは最初に戻ってしまっていることが多い。

林与が働き始めた時に整経の糸を割る仕事を伝統工芸士の勘一じいさんがやってくれていた、勘一爺さんも70くらいだったのだけども、生真面目な性格で、初心者の私に対しても絶対に服従で、昔戦争に行かれた方だけに組織というものをよく分かっておられ、何カウントで何本割ってほしいと頼むとそのとおりに糸を準備しておいてくれた。たとえば、先代とかに頼んでもそういうのは無理な世界で、徹夜してもすることが多く間に合わないので、のんきにテレビみているだけの先代に、糸を割るのを頼んでもワシが働くのかというような答え。小学校3年とかのときでも忙しいというので私が手伝ってたこともやる気がない当時50代というのも本当に厳しい話で、でもやってもらっても2ロットがごちゃまぜとか説明したとおりの仕事もまったく無理で、私がその2ロットの微妙な色の差を目視で判別して2ロットに分け戻すとか、この昔ながらの業界は偉そうにしている人が仕事に携わりながら、仕事をするきもなくて、できなくて厳しい。田舎の人の生きてゆく力のなさみたいなのを林与の家の中に感じる。結局、先代も自分が大バカ者だったというのを悟ったのだけど、嘆いていないで働いたらええやんと20代の林与の冷めた感覚。
2023年10月12日
商売としてものづくりにこだわる人たちでも布とお金とを比べるとお金のほうが当たり前に大事で布というのは残らないほうが良いと思う人は多い。ある布のお店の方の奥さんが、布はどんどん増えて行ってしまうと言っておられた。それを聞くと布に思い入れがあるのだろうなあと思う。作っておられる方でもないのに個人として好きでやっておられるからそうなるのだろう。お金よりも布のほうが大事な感覚だと布は増えていきお金は減ってゆく。

日本のブランドにしても世界的なブランドにしても洋服の在庫を残しておられるところというのは少なくて、その年に全部売り切って処分で売れ残っても処分品というのが多いケース。それって1年で駄目になるようなものでもないだろうに、最初の瞬間最大風速だけのためにあって、そういう最初の瞬間最大風速をいろんな形で続けていくようなコレクションと呼ばれるものでよいのか。人々の注目を集めるコレクション、その目的が儲けになってしまうと、安くできるものにラベルをつけて。

ハリスツイードにしても日本では非常に有名だけどもヨーロッパでは評価がそれほどでもなくヨーロッパで言うところの伝統工芸品的の流れを汲む位置づけ、ハリスツイードの場合にはルールがあることで、布の世界の価値感すらもがハリスツイードの布としての本質すらをも変えつつあるような気がするし、オーガニックにしてもルールがあることでそのルールを守れば、また、バレなければどうかなあというものでも大丈夫という儲け意識に落ちてしまっていて、昔ながらのものづくりを語るのになぜかハイテクノロジー。

昔に戻って価値を詰め込むために労力を注ぐというよりも、良いイメージを活用して、ラベル化して儲けるビジネスに落ちてしまっているような気がする。世界的に環境保護を打ち出しているブランドの話でも、ポリエステルの素材に日本の有名な染色技術の会社の新しい染色技法を適用したプリントを施して、結局、それを記念イベントで身に着けた人たちが皮膚に炎症を起こすような問題があったらしい。

長く続いてきた技法というのはそれなりに人間の耐性とマッチしていたようなところがあって、それをさらにハイテクで代用しようとすると人間にとって有害になる可能性もありうる。ナノ化してゆくと、遺伝子や免疫構造にすらも影響を与えてしまう恐れは多い。

マスク一つ見ても、布マスクというのは空気感染も今まで防いできたし、それなりにコロナにも有効でよくできている。一方で不織布のN95マスクというのは医療関係者用に開発されたもので、1時間2時間しか使い続けることができないものでコロナウィルスを99%除去しようが日常での実用性はない。当たり前のことと言えば当たり前のことで、N95マスクだと自分の吐く水蒸気を含んだ息すらも外に出られずに重すぎて呼吸が難しくなる。布マスクというのは水蒸気に対しても寛容というよりか受け付けるようなところがあって、それで網目がより細かくなり水蒸気が異物をマスク表面で捉え効力を発揮する性質が備わっている。結局程度問題なのだけども、それを0と100の議論で武装して、マスク不要論とかは愚かすぎる話だろう。

マスクの有効性を認めたとしても、まだマスク不要論をやってた人たちというのは気に入らずに、N95マスクでないと意味がないとかいうけども、人の命という問題を最優先にすれば、そういう議論が多くのマスクで防げる人の命をマスク不要マスク有害ルールで奪ってしまってきた。村社会的すぎるが、医学にしても西洋医学というのは東洋医学を化学的に再現しただけで、本来は自然の中に人類が生き延びてゆくような知恵みたいなのが東洋医学で、薬にしてもその文字からみても、草で楽になるという漢方のスタイルそのもの。漢方の薬を真似て特許取って独占して化学合成してやるのが西洋医学の基本。
2023年10月12日
スポーツは偶然の要素が多かったりもする。勝負の世界でもゲームの理論という要素も多かったり、将棋というのは必然で偶然がない要素、個と個の思考の戦いという要素で決まる。また、限られた時間なので、経験的に学んだことをもとに自分が考えたことが生きてくる。

すべての局面をコンピュータつかって再現をしつくせば、人間ができるのもその範囲でそれを選んで勝敗が決まっているだけなのだけども、500手未満の勝負のために枝葉的な何億手を記憶したとしても人間としては限界がある。AI対AIにおいて、千日手で差し直しがあろうとも、500手までも行くことがないのは、逆に将棋の奥の深さだろう。江戸時代に将棋を考案した人物というのはたぶんすべて分かって将棋のルールを作ったのかもしれない。

将棋の世界というのは実力主義的で逆に無情にも思うところがある。現実的な社会ではお互いに支え合う気持ちというのはすごく大事なのだけども思うところがあるのだけども、年配の方と話をしていても自分と考えの違う相手は裏からつぶしてみたいなことを考えている人が多いし、それを平気でいうのが大きく経営しているような人たちに多く、消費税問題も輸出型大企業に有利で、国民の生活が必然的に不利になっているのもそのあたりで、いびつなルールで利益誘導が行われていて、頑張って働いて消費税を国民の納めてもそれが大企業にルールとして食われている結果になるだけのこと。

政党政治にしても同じことで、国民の選ぶ国会議員ですらもが直接的に選べないようにどんどんとなってしまっている。比例代表ありゃなんじゃ。そういうのでしか当選できないようなゾンビ議員が党を牛耳るような立場の人間なのだが、政治資金の不透明なこともそういうへんな力構造を怖れたテロ的なちからで、大企業でも求められれば払わざるおえないような村社会日本要素。それはロシアの政治構造にも共通して、日本の柔道界も世界柔道をプーチン氏だよりにするほど日本の柔道の世界にしても闇は深い。

マラソンなんかも厚底バネシューズ一つで決まるみたいな話になってしまって、ルールを抜け穴的に競技の本質を変えてしまうようなやり方で、そういう精神構造が勝てばよいというドーピング構造と似ている。選手だけだと難しいようなドーピング問題、それは国家規模の問題なのだけども、フローレンスジョイナーのアメリカの健康食品企業の広告塔で、健康的にみえた彼女が40歳未満でなくなってしまうという悲劇、見るからに他の選手とは異なるボディービルダーのような脚の筋肉。当時のアメリカという国もベンジョンソンの記録に期待し舞っていて彼の薬物使用を疑うこともタブー視されていた。

才能のある人たちが才能で他の人よりも勝っているときというのは、普通の者でも普通にやっていけているのと同じ状態で、そういうのが難しくなったときに、努力するのか偽装に走るのかの問題はあるだろうと思う。大企業というのはそれなりに優秀な人の集まりではあるけども普通程度の仕事量なので、その恵まれた大人数を食べさせてゆくためにはからくりが必要だったりすることが多い。

消費税率を上げて大企業を救うようなからくりがないともはや日本の大企業も成り立たない状況ではあって、消費税や年金制度は新しい階級制度構築のための手段としての基本的な要素とも思う。極論100%にしたときに何が起こるのか、輸出大企業は国内でものを買って他国につくった商社窓口やディラーとかに輸出するだけで、国民から集めた消費税をごちそうさま出来る。経団連なども社会のために消費税を上げろというなら輸出消費税還付制度をなくすべきだろう、それをいうのはタブーなのか?
2023年10月11日
仕事をはじめたころ、整経の作業をされていた方が、特別器用で仕事熱心な仕事の正しい姿勢を貫いておられた。整経作業だけでなく仕事の下準備と織りあがった生地の後片付けなど他の人がやらない分までやっておられた。1日の仕事にしても、分野は違えど他の人とは仕事の質、量ともに何倍もの差があって、時間から時間で帰ってゆくのが当り前の人たちとは仕事ぶりは雲泥の差。

毎日他の人の何倍もの仕事をされているから特別な器用さもそういう作業の中から生まれてくる。整経なんかも1日に3本くらいされていた。林与も最初整経の作業をしていたのだけども、その方と同じような作業を若いころから普通にこなしていて、より難しい麻関係の整経が仕事を始めた時からの私の担当で、仕事を始めた最初の2年その方と一緒に会社の中のいろんな仕事を経験していた。

一日働いて疲れ切っていてもそこからまだ一仕事二仕事が普通みたいな仕事の姿勢を一緒にしてたのだが、先代の緩慢経営では会社はまったくどうしようもない状態。その方が仕事ができるのもなぜかというと、先代が育てた人じゃないから、私が仕事ができるのも同じで先代が教えた仕事という概念はどうしようもないもので、たとえばあいつらを食わしてやってるとか、整経ばっかりやってたら頭が腐るとかあほばっかりで、そういう感覚が仕事できない人を増産してしまってる。

私も子供のころから先代はまったくどうしようもない親だと感じて来て、剣道の先生方に育てられたようなもの。剣道の世界にしても先代が役で関わるとろくなことなくそのどうしようもない毒を広げようとする。どうしようもないアル中が若いものに酒飲ませて大物気取りとか、ほんとやめとけ時代が違う。子供のころから見ていてどうしようもないあほな親で、まわりもそういうアホがお金ばら撒いているからそれを頼りに生きてては、本当の働く力もなくそういうアホにすがっているような状況で、歳をとっていても食べさせてくれるのを待っているヒナのような人が多い。そういうヒナみたいな人は先代がいなくなってからも私に食べさせてもらうのを期待している人もいるけども、そういう感覚が先代がつくった田舎や繊維の世界のどうしようもない縮図で間違い。

そういう何十年の経験者でも一緒に先代を頼って生きてきた問題を片付けられるのかというと、1日の仕事でも絶対に無理だし、一つの作業でも絶対に無理。そういうのも分かっているから先代の何億もの問題から逃がしてあげているのに、取るばっかりで先代に近づいていた人というのはそういうのも分からずにまだ取ろうとして近づいてくるけども、そういう人に普通の話をするとそういう先代が面倒を見た人が敵対してくる人も多い。先代の問題をすべて背負ってるの分かっている人というものいてくださって、そういう人が親戚の中でも外の世界で強く生きておられ先代というよりもヨジヨモン、与一爺さんのころの精神で強い絆。

先代みたいなものが仕切り始めたころからそういう昔の近江上布の感覚が消えて、先々代ころの厳しさというのは他の産地には残っていたりして、地場でもそういう昔の時代の話をするとそういうものづくりをしないと駄目みたいな話になる昔の地場産業のものづくりを知っておられる方も残っているけども、もう引退も間際でそういう昔のなにもない田舎の働いて出来てなんぼで近江上布の世界をつくりあげたような感覚がなくなっては、できないことだらけになってしまって、できることも、しらんわからんできひんが昭和の時代から当たり前になってしまっていた。

地場産の本物志向を貫いている林与に、悪い気持ちもまったくなく林与さんも看板があるのだから自分みたいに他のところで作った生地を化かして売らはったら簡単にもうかるみたいなことを地場の伝統工芸士の方でも薦めてくださるけども、それしか儲けて残る方法が残っていないというのも地場産業の課題なのかと思って、産地でのモノづくりを残して消費者を騙さずに産地産を成り立たせていく方法はないのかと、昭和のころからの熊本のアサリ問題と同じ様な状況というのも昭和の時代からの麻織物の本場の産地が抱えている課題。麻織物というのは手間が掛かるだけに、昭和の時代でも林与の中の何十年の経験者でも、その手間を当たり前に耐えられる人というのは少なくなってしまっていた。今の時代の人がそれ以上に強くないと産地産の麻織物を残して行くというのは難しいことだろうが、本場の産地で織られる麻布の本物というのは出来る人も少なくなり、それでいて、麻織物が本場の産地で織るのが難しくなっていて、産地でも産地で織られた麻布を見つけるのが難しいような現実というのはまったく知られてもいないし、消費者にも伝わってもいないであろう。
2023年10月07日
昨日の夜は、丸亀製麺のかけうどん大をネギだくだくだくで、麺よりもネギと出汁のほうが楽しみだったりもする。少し天かすで若干の甘みを引き出し、ネギの辛みというか苦みというか刺激のある薬味が、体の中の鈍くなまったような感覚を中和する感じ。中和されて脳みそが満足感に浸りぼーっとできる感じ。

丸亀のうどんの麺は、運動した後に食べたりすると運動誘発性小麦アナキフィラシーが起こるので、食べる前も食べた後もあまり動きすぎないように。マクドナルドのパンズも同じく小麦アナキフィラシーの原因になる、袋に入ったパンも。コンビニのサンドイッチは小麦アナキフィラシーの要因にはならないのが不思議ではある。同じ小麦でも何が異なるのか?国産か国産でないかか、遺伝子組み換えか遺伝子組み換えでないかか?海外の浦東空港の出口のコンビニのサンドイッチは食べた後に動いたらアナキフィラシーが起こったので、日本のコンビニのサンドイッチだけが例外だろう。普通に販売している食パンはアナキフィラシーの原因になる。いちど、この辺りは、時間のある時に食べ比べして究明してみたい。

林与のアナキフィラシーショックには大きく2タイプあって、一つは、急激な運動をしてしまって、かゆみなどが起こる前に貧血症状で血圧の低下で立っていられなくなるパターンと、もう一つは、じわじわと蕁麻疹のようなかゆみを全身に感じて、赤い発疹が出て来てくるパターン、だんどんとひどくなって、ひどい時には呼吸困難や血圧低下がくるが、基本、横になって寝てると2時間くらいで収まる。

海外に行くと食事の後とかに歩く距離が長いので、それが問題で、アナキフィラシーが起こってしまうことが多いので、海外旅行時は要注意ではある。慌てて飛行機に乗ってパンとか食べてアナキフィラシーで発疹とか出たら、飛行機の中でシートベルトしてじっと座っていられないケースになるだろう。横になれるなら治るだろうけども座ったままだと激化する可能性は高い。車で移動するような国内の行事だとまだ安全だが、スーツケースを抱えていくような展示会は今は参加しにくい要因の一つにはなっている。イベントなどでも、一緒に準備してもらったりすると負荷が減るので大丈夫だったりするが、今は一人で参加することも多く特にそういう時は注意が必要。イベントの時は、その場で食べるもらいものも多いし。会場であった人と久しぶりだから一緒にちょっと食べに行きましょうで、お店探して何キロもうろうろと歩いてピザ食べたりパスタ食べたりするとかはよくありがちなパターン、そういうのが危ない。たくさんうろうろしたあとの食事はあまり食べないで飲み物主体にしていることが多い。
2023年10月07日
農協というのは郵便並みに大きな組織で、単に農業の農作物をつくる部分だけでなく、金融、政治力的な力も持っている組織。その組織がオーガニックに全面的に移行するような流れ、農薬や化学肥料を販売して成り立ってきた組織がある意味180度の方向転換ともいえる。化学肥料や農薬が減れば、川や水田にジャンボタニシばかりじゃなく、ヤゴや日本タニシ、どんじょうなども戻って来る可能性もあるだろう。

昆虫を殺してしまう成分が含まれる殺虫剤を田んぼに大量に撒いてしまっていては、トンボや蝶々も川の中の水生生物も元来種から消えて、耐性のある強力な輩だけが田んぼや川に残る。そしてそれが稲を食い荒らす悪循環。羽虫やブヨ、ぼうふら、蚊なども殺虫剤によってほとんど田舎でもいないほどになったけども、つぎには人類の番が来ているような気もする。アニキサスの問題があるけども、昔だったら普通にマイナス40度冷凍の技術なんてなかったし、それでも魚を食べていて普通だった、寄生虫にも耐性がある程度あった人類。どんどんとピュアにはなって来ていて、一方で耐性は下がってきている。

コロナ対策で不思議だったのがスウェーデンの初期対応。社会主義最先端の高福祉国家なのに人が亡くなるコロナで自然免疫の獲得を目指して、途中で挫折したが。医療制度も充実した高福祉国家スウェーデンならコロナ対策も一番くらいに徹底したものがなされるのかと思いきや放置政策。それは分からないでもない、高福祉医療国家ゆえにその現場すらもが崩壊してしまっては、医療従事者に休めとかも言えないし放置するしかないのだろう。公務員的な比率が何割もある国というのは、自分自身の成り立ちや制度を否定することは難しい現実があって、一人の学者の自然免疫説に乗っかって正当化するしかなかったのだろう。国連にしても同じで当初からワクチンに金集めして、コロナはたんなる風邪というフレーズを世界中にばら撒いてマスクするなというのを広めた。マスクで救える命も多く失っただろう、人の命を救うためにあるWHOでもその逆の愚策をばらまいて人を無防備にコロナに晒し死に追いやる結果。

本質を見抜く目が大事で、なぜ不可思議なマスクするなというのかなど。WHOが権力を増すために、コロナが広まるのを期待していたのではないだろうか。人々から自衛能力すらを失わせてどうするつもりなんだろう。国連のコロナ対策は、CDCの存在が大きかっただろう。事実かどうかは分からないが、グランドプリンセス号の乗客がアメリカに戻るまでほとんどコロナPCR検査をアメリカでは行っていないという報道があった。世界中がコロナで大騒ぎしていたのにアメリカの世界的権威のCDCがPCR検査をアメリカ国内で実施していないとか、これが国連が従っていたCDCの実情。たぶん、コロナがすでにアメリカで蔓延していたという事実があったんじゃないだろうか。武漢の3か月ほど前からかつてない異常な死亡者のインフルがアメリカが襲っていた。早い時点でコロナは単なる風邪と判断をして放置したというのが、方向転換も出来なくなった権威主義の末路ではないのか。

コロナワクチンがアメリカで接種されはじめたのが2020年12月、CDCがマスクがコロナに有効性があることを認めたのが2021年2月、CDCの関係者もコロナワクチンの開発と承認に関わっていただろうから、ワクチンが販売されるまでは、マスクの有効性を認めるわけにはいかなかったのではないだろうか。なぜ、マスクの有効性実験の実施と発表がこんなに遅く、マスク不要論を垂れ流していたのだろう。結果、アメリカのワクチン会社がコロナ蔓延で大儲けしたことにつながったけども。CDCとWHOのマスク不要論でコロナは世界パンデミックになり多くの人が死んで犠牲になりすぎた。徹底したマスク不要論、一方でフェイスシールドとか、ほんと古き先人の知恵が生きていない。専門家たちがレッドゾーンまで儲けて、隔離コロナ病棟とかやってるのに一方でマスク無しにソーシャルディスタンスで大丈夫とか。無茶苦茶のロジックで都合の良すぎた専門家たち。

神戸でも武漢の半年前に採取された血液からコロナウィルスが発見されたという記事や、イタリアで武漢の1年前からコロナがという記事などもあり、あの中国の一人の若くして亡くなった医者がいなかったら、かつてないインフルということで処理されて、コロナウイルスは永遠に問題視されず、歴史に記録として残らなかったのかもしれない。悪い風邪が流行っていますから気を付けましょうねの単なる自然死で終っていた可能性もある。

ワクチン開発などは悪いことではないのだけども、マスクで防げるようなものをマスクで防ごうとさせないような、疫病の専門家たちの存在というのもあまりにも現実ながら悲しい話で、それも一つのプロの仕事として、世界レベルでマスクするなのコロナ対策、なんの目的だったんだろうと邪推するしかない。
2023年10月07日
普通に生地を生地として使う場合には問題がないのだけども、林与の生地を使って製品をつくられると問題が起こってくることがある。単純なケースでは、製品の表面に、合成繊維のものと麻の生地を一緒に使って縫い合わせたりする場合。合成繊維の糸は均一でしかも糸目が碁盤の目に通っている、一方で麻生地でゆったりと仕上げたものは、糸目もゆらいでいて、また糸のフシも目立つ、糸のつなぎ目なんかも目立つ。

機能的な問題では、製品に林与の生地を他の何種類もの生地と一緒に使われて林与の生地に問題が現れて、その会社の方が林与の生地に問題があるとメールなのだけども、林与の生地で今までそういう問題は一度も現れたことがないし、たぶん他の生地が原因なんだろうけども、その会社さんにしても使われているいろんな生地のことを理解されずに使われていて、でも解決能力はその会社にはないだろうから、林与が製品を送ってもらってどの生地に問題があるのかの原因を見つけ出す作業。原因の生地がどの生地なのも特定し、その生地を作られたメーカーに溶け出すような糊剤や樹脂を使われていないか確認されたらどうかという返答をさせていただいたけども、新しいモノづくりにはトラブルはつきもので、そういうトラブルを解決する能力を持っていないと、製品を買われた一般の消費者の方が一番困る話。

林与の染色工場さんや加工工場さんは限定的でそれには理由があって、ありえない問題が起こることを防ぐためでもある。あたらしい薬剤や技法などはいろんな問題を含みがちで、安心のできるものを提供するためには実績のある定番の染、定番の加工方法が一番である。何十年にも及ぶ何十万メートルの過去の実績で問題がなく安全であることが証明もされている。

生成の麻生地を化学染料で染めて色が落ちるみたいなのは安全性の面で気を付けないと、草木染とかならまだ色素も天然系で良いのかもしれないけども、本来はしっかりと結合していることが前提の染料が色落ちするとかは良くないモノづくりだと林与は考える。硫化染料など色落ちを想定した染料なら別だけども、生成りを染めて色が落ちやすいという現象は途上国などの化学染料染めではよくある話でよくないものづくりの典型で、洗濯時の移染程度ですむならデメリット表示で単品洗いとすればよいだろうけども、着用時に皮膚への付着や吸着すらも心配される。不純物の多い生成りを精錬もせずにそのまま染めると安く染められるが色落ちはしやすい。色落ちをさせようとすると手軽に安く染められる直接染料を使えばもっと色落ちしやすくなるがそういうのは安い世界のものづくりにありがちな作り方。

京都で反応染料で染めた時にも加工で3分の1の色に落ちたことがあって、京都の染料店の方の紹介の京都の家庭規模の染工場では工業生産品としては厳しいのが明らかだったりで、染める前にも色落ちは大丈夫ですかと3回くらいは尋ねたけども、反応染料だからフィックスもなしでも色落ちはしないといっておられたが、技術力の差というものは麻専門の染工場とは歴然とした差があり、おみやげ物屋さん向けのアイテムと百貨店アパレル向けのアイテムの差だろうと思う。林与も家で、藍で染めたりもするけどもそれは堅牢度はよくなかったりする。作家的な、一点ものならそういう染でもよいのだろうとは思う。民芸系には工業的な基準は適用されないとかもあったりで、一般的な工業系の検査基準だけがすべてではなく、コスチューム的な着物など色落ちしても妥協できるような価格のものもあるだろうし。(京都にも高品位な染をされているところはたくさんあるのは知っていて、麻の染を得意としている染業者さんでないと林与的には合わないのだろうと思う。)

林与の家は近江上布の織元だったので、染も家の中でボイラーももって昔は本格的にやっていて、与一爺さんが京都の染料会社とやりとりして、近江上布の絣の中でも一生ものとして使える一番くらいに堅牢な染を目指していた。林与の麻の濃色というのは濃いのが特徴。湿摩擦堅牢度は若干悪くなっても色味を大切にするのが林与の特徴で実績で使っていただいていたりもする。そのあたりが林与の総合的な妥協点。

分業でのものづくりというのは、製品に想定できない問題があることが多いので、最後の商品をテストなどして叩いておく必要はあるだろうと思うが、そういうテスト環境みたいなものを持っておられないところも多いので、商品企画される方にお勧めするのは、自分が企画して開発されるなら自分でその商品を使って洗ってみたりして評価することが大事だということ。使ってみると自分の企画の問題点なども見えてきたりすることも多いだろうし。企画される方への大きなヒントで、改良へのポイントにもなる。

ある生地屋さんに行ったときにも若い店員がたくさんおられて、林与と話するのを楽しみに話しかけてきてくださる。林与さんキッチンクロス縫製できるところ紹介してくれませんがみたいな話で、私がいうのは、自分たちで縫製してみるのも良いんじゃないですかみたいな話。いろんな生地を持っておられて、それがキッチンクロスに店頭でなるみたいな自由度ってよいだろうし、店員さんがお客さん相手だけじゃなく、縫製のこともできればお客さんとも会話は広がるだろうし、自分自身が染めたり、加工したり、ミシンも踏んだりすることがあるので、他を探したりよりも自分でやるほうが簡単なこともある。そういう話すると想定外に思われるのだけども、そういうのが普通の感覚だから林与の仕事感覚は変だとか思われる。だから、他とは違うものづくりやこだわりの部分があったりして興味しめしてくださる方も多い。
2023年10月02日
もう15年ほど前になるだろうか、そのころというのが自分がやろうと思えば一番くらいに会社の中でいろんなことが出来たりもした。いわゆるデフレ不況の中で、世界で一番クラスのものを作ろうとアイリッシュリネンプロジェクトを立ち上げたのもそのころで、多くの方たちが手軽な安い生地を探しておられるときで、一番くらいに思い切った日本の麻織物の本場的なものづくりが出来たりもしやすかった。それはイコール世界でも最高峰レベルの麻織物の世界で、ながく業界でも疑問視されていたアイリッシュリネンの不透明な部分に関しても結論を導き出したようなプロジェクト。

イギリスのアパレル業界や生地関係の方とも接点を持つことができ、商売のことよりもアイリッシュリネンの糸が英国にて今も紡績されているのかどうかというのを質問するのが林与で、イギリスでも有名な生地を販売されている会社の方でもアイリッシュリネンなんて気にするなみたいなことを言われて、もう英国でもアイリッシュリネンというものを追い求めるようなことすらも難しい状況で、なぜか日本人の林与が北アイルランドの失われた世界を取り戻してもらいたいと思いつつだけども、それすらももう遠い過去の話。

一方で、林与の近江上布のアーカイブは世界のブランドを魅了し、すごくそういうのを再現してほしいという要望が多く、その後に広幅絣プロジェクトとして近江上布の織元だった林与が、アパレル向けに林与の数千柄に及ぶ近江上布のデザインを活かしてプリントで再現してそれがすごく好評ながらも、本当の絣のものが欲しいとリクエストも多かったので、広幅絣プロジェクトを林与発で打ち出して、世界のこだわりのブランドさんからすれば、ありえないほどのディープインパクトだったと思う。

その広幅絣プロジェクトに関してもすごく多くの方が支えてくださって、全然関係のない日本を代表する食品関係の開発の方も繊維業界にはありえない開発を支援するような気持で、林与をとことんなくらいに応援下さって、その方って全く日本の大企業のサラリーマン感覚がない世界で、その人がやることすべてが世界のトップクラスの話で、そういう方が世界規模の日本の上場企業でも支えておられるのを知って分かったり。その方の食品業界におけるリネン生地に対する探究心というのは、世界一クラスだったと思うし、会社の中でも自由に開発を任されるような無二の方だったと思うし、やっておられることが織物に関してももう失われたような特殊なベルトをつくる織機の技術とかを求めておられたり。

そういう情報をもらうと林与も世界のウェブの織物に関する情報を調べて、そういう技術が今残っているのかどうかというのを調べ、残っているとすればどこに残っているのかとか、あるいは、今の技術で代替するような現実的な方法はなんなのかとかとかを考え自分の考えを述べることがそれなりに、妥協案としては有効ではないのかと思う。継ぎ目のない織物のベルトをみた時に手品をみたような感覚に陥ったが、そういうのを昔の人は機械を作って量産してたというのが、現代にはありえないほどの器用さで、そういう器用さを現代に追い求めたい人というのは多いのかもしれない。

人生でそういう方に会えるのは5年10年に一度くらいだろうけども、そういう方の才能だけでなく人格のすばらしさみたいなものが超えすぎていて、そういう方に甘えてしまっては駄目で、しっかりと普通の仕事の感覚を持って、いつでも駄目だったら林与を切ってもらえるようにが仕事として大事だろうなあと思う。
2023年10月01日
高校生のころに、山口みえという女優がいて、テレビCMで、仕事バリバリしたあとに、「しば漬け食べたい」というしば漬けのCMのセリフがしば漬けのイメージで、しば漬けなんかほとんど食べたことのない高校生のころに、京都大原三千院に行くと周辺は日本で一番くらいのしば漬けの産地で、しば漬けの実物を見た時に、これがしば漬けかと感心したものである。たぶん、一切れか二切れ、旅館とかの小皿に乗ってる漬物で、食べてたことはあるけども、あれが働いて疲れたときに食べたいと思えるような感覚は林与には無理。

キューリのQちゃんみたいな味のもので、あの味の濃さのお漬物というのは苦手で、食べても一切れ二切れが限度。スーパーのひと袋200円くらいのしば漬けはたぶん一袋でも林与にとっては1年くらい冷蔵庫にあるままだろう。食べる前は、山口みえのCMを思い出すが、一切れ食べると、十分になる。キューリのQちゃんも有名だけども、あんなに味の濃いものをぼりぼりと食べられる感覚がすごいように思えて、林与は白いご飯で味を薄めながら3切れもあれば、茶碗一杯分のご飯が食べられる。

納豆も経済的な食べ物で、100円あれば2パック3パックが当り前。1パックあれば、ご飯一杯は食べられるので、卵ご飯と並ぶくらいに経済的で健康的で、そういうのに満足できる人というのが一番くらいに人生を幸せに送れるタイプの人なんだろうと思うし、逆に、仕事もすごくできそうな気がする。しば漬けで喜べるようなキャリアウーマンのCMイメージと整合するところもあって、キャリアウーマンが海外の高級リゾートを満喫するような普通のイメージとは違うミスマッチ的な庶民感覚が、庶民的な人々の共感を得られる大事な要素なのだろうけども、しば漬けのあの味の濃さはもっと薄くはしてもらえないものなのか。

増田明美さんの監督で、増田明美さんには試合前にお肉をたらふくたべろとふるまって、監督さんが塩ご飯というのを、増田明美さんが意味も理解して、自分がすごいんじゃなくて監督がすごいんだと。それが日本の親イメージ的な価値観で、自分のことよりも自分を捨てて次の若い子たちの活躍を期待してという手本だと思う。
2023年09月30日
今日は、納品の途中で満腹ハンバーグダブルというのを食べた。この1週間ほども仕事に追われまくってたので、昨日の夜も、朝も食べてなくみたいな状態で、昼前に思いっきり食べたいなあと思って、思いっきり食べられそうなまんぷくハンバーグにした。

ミンチ肉だけでもたぶん普通のハンバーグ2個分X2くらいで、500g以上は使ってると思う。たれに刻みニンニクを入れて、無茶苦茶おいしかった。でも、なぜか1個食べたくらいで満腹になってしまって、えっとおもった。今までこんなことはないのが林与なのに、年取ったんだなあと。それでも、2個目も食べきって、出発。食べる前と比べるとすごく元気になった。食べた肉とニンニクのエネルギーが注入されたのだろう。

ニンニクも2か月ぶりくらいじゃないかなあ、思いっきり食べたの。疲れていたのを忘れることができたので、インターを降りてから手ごろなの食べようかどうか迷ったりもしていたが、ほんと食べて良かった。ごはんもおかわり自由とあったけども、結局、最初の大もりでお腹いっぱいになりそれを食べ切るだけでも、縫製用に調子だしして好調に動いていた15年使っていたミシンが壊れるなどドッタンバッタンでなんとか、JUKIのポータブル職業用ミシンを引っ張り出してきて縫ったんだけども、やっぱり、新品だと60万円以上する本縫いミシンの安定性というのは、15万円くらいのポータブル職業ミシンではまったく敵わないなあと感じ、そこそこは綺麗に縫えているのにミシン目の美しさを欲がでて、3時間以上も上糸と下糸の調整とか。新品に近いポータブル職業ミシンなので普通以上に綺麗に縫えているのに、そういうところが、本当の本縫いミシンの何時間も掛けて調子だし済みの縫い目の綺麗さに慣れてしまうと満足が出来ずに駄目だなあと思う。

林与に本縫いミシンが2台とオーバーロックミシンが入ったのは15年前、そこから小物なども自社内で作るようになって、いろんな広がりができてきた。子供のころに剣道を教えてくださった剣道の先生がミシン屋さんで修理もされていて、壊れても面倒見るから思いっきり使えみたいなことを言ってくださって、一度も修理に出す必要もなく15年、そういう本当のとことんの人間関係というのは、私が子供の時からの剣道の先生のボランティアで、なぜかそういうのが本当に世のどこを探してもなかなかありえない世界が、生まれ育った愛知川町にあったのをすごいことだなあと思う。
2023年09月25日
定番の生成を織るためには糸の色味が安定した生成糸が必要なわけですが、今の現状は糸の色味の安定したロットの糸を探しているような状況で、L25番手の生成在庫が残っている以外は、L40番手クラス、L66番手クラス生成の生産の目途が立っていない。今年手に入れた、安定した品質の銘柄ということで定評のあるL25番手の生成にしても5mから10m織るごとにかなりはっきりとしたオーガニック糸にときおりみられるような1cm程度の白い帯のようなものが見受けられ、昨年度取れた原料というものが生成に関してはかなり不安定であることを心配している。

今年度の作柄に期待して来年の紡績が始まり3月くらいの初物を待つのが良いのではなかろうかと思ったり、L40はハニカム生産用に数年前に確保した分が120kgほどあるので、その半分を定番用に回すこともできるけども、そのロットの糸もまだ色ムラなどの問題があるかどうかのテストが出来ていない状況。生成主体のアパレルさんなどは、どうやって今の状況を乗り越えられておられるのだろうか、糸商さん関係は、生成と謳わないで、生成りに近い色に染めて生成りっぽい生地で代用をされているところもあるようである。

糸値が高騰している中で、生産しても危険がともなうような状況で、一番くらいにベーシックなリネンの生成の生産が糸の問題で難しいというのも非常に困った話。ベーシックであるとは言いながらも、20年くらい前は普通だった生成の色の安定性というものは、今手に入る糸ではもう保証はされておらず、箱から出した糸をそのまま整経してしまうと縦の色ムラで全没になることも多く、同じ糸の生産ロットでも箱ごとに1ロットと考えて、整経も散らしながら使っていたりする。シャトル織機で使う横糸もシャトル織機では管ごとに色ムラになりやすいので、その問題を避けるために糸の管理を注意していたりする。

糸というのは紡績できればそれでよいというのではなくて織物にしたときに問題がないことが大事で、糸商さんにしてもこういう問題を糸が抱えてしまっているときにお客さんとの対応というのは大変なことだろうと思える。紡績工場においては同じ番手でもオフ白より生成のほうがやや値段が高いというのが普通だったりして、紡績工場においても普段から色味のコントロールに関しては苦戦もされているのだろう。

生成と呼ばれるものは匂いだと気に藁のようなにおいのする生成があるがそれが無漂白の生成。一般に生成と呼ばれるものはややマイルドな色味をしていて、その理由は8分の1晒と呼ばれる漂白が掛かっていることが普通。アパレル向けなどはそういう糸でないと藁っぽい匂いで使えない。たまにウォーターレッティングの糸なども匂うことがある。色がゴールド味で、藁のようなにおいがするなら、まったく晒を掛けていない生成りだろう。

そういえは廃番になったエジプトのウォーターレッティングの生成もたしか在庫がどこかに300kgほどあったはず、その糸も強度が普通よりも弱く、あと糸の色ムラが強烈なので、使う時には非常に注意が必要で、注意していても縦にややすじばった感じがみられるけど、もうそれはその糸の味としてとらえていただくしかない。糸自体が非常にナチュラルな作り方で品質を安定させきれていないんだろうけども、そういうコンセプトというのもよいことだろうとは思うがアパレル向けに使うとかは非常に厳しかった糸。でも、アパレル向けにシャトルで織ってその味を楽しんでもらいたいと思って糸の国内在庫の残りを買った。昔、ネスカフェゴールドブレンドのTVCMに山本寛斎さんだかがでてて、子供ながらにインスタントコーヒーのすごさを植え付けられて、今もインスタントコーヒーで十分で、しいての好みは、ブラックで飲むキリマンジャロの酸っぱい系のテイストが一番好きなので、結局林与のコーヒーのテイストにしても、今は本当に希少になったキリマンジャロが自分の口になじんでたとかは、一般の高級テイストと整合するように出来上がってはいる。

もう10年以上前になるだろうか、リネンバードさんの10周年記念のトーションのグリンのストライプの生成部分はその特別な生成を使い、ネイビーストライプの生成りはグレーの通常のデゥーレッティングの生成を使わせていただいた。グリンのほうが織るの何倍も大変だった。でもそういう特別なシチュエーションに使っていただくようなものは他ではやらないような発想の特に苦労するような布が良いと思って、糸ももう残っているだけで次の予定はないということを聞き、残りの糸はとりあえず買っておいた。
2023年09月24日
10月からインボイス制度が始まるのと、1月から電子帳簿。

インボイス制度というのはやはり、大きな負担になるだろうと思う。一つ一つの消耗品にしても、相手先の番号などを意識しないといけないので、事務負担的なものが無茶苦茶複雑になってしまうと思う。なぜこんなのだけすぐに決まって数年で実施されてしまうのだろうか、林与は株式会社なので、消費税は納めているけども、仕入れ先が年商1000万円以下の個人事業者の場合にはインボイス番号がないから、仕入れ消費税を控除できないことで、今は減免措置もあるけども将来的には仕入れに対する消費税分を余分に納める形になってしまう。仕入れ先との話し合いをしないといけない問題と、うやむやな答えしか用意されていない問題がある。制度自体こんなうやむやな形でよいんだろうかと思うスタート。

インボイス制度で、申告を断念した人たちが仕事をやめたりもあるだろうし、相手から仕事を切られてしまうケースもあるだろうし、処理が面倒すぎるので商品の購入自体をやめることもあるだろう。10月以降、経済や消費が落ち込むんじゃないだろうか。多く増えた宅配業者や食べ物のデリバリー業者なども、消費税の計算などの申告が個人レベルでは難しく辞められる所は増えてくるだろう。大手の企業が消費税を肩代わりすることもなく、関係を切ってしまうだけのことだろう。大手宅配業者でも3万人とのメール便などの委託契約が終わるなどインボイス制度に絡む、サービス提供の終焉は多く起こるだろう。個人では絶対に難しい日本の税務申告、日本の内職さんレベルが支えてきた大手のサービスの末端の世界を崩壊させてしまうだろう。

電子帳簿というのも、データをUSBに保存とからしいけど、SSDに保存しても、USBに保存しても飛んでしまうことは多い。電子保存したところで、それに何の意味があるのかというと、電子保存も可くらいにしておいた方がよいのではないかと思う。全部電子保存にしてしまうリスクというのは無茶苦茶危険で、消えた年金記録みたいなことを国でもやらかす。USBが認識不能になるって普通にあり得ることだし。SSDにしてもハードディスクよりはクラッシュしにくいけども寿命はあるから。今はレッツノートでシステムが起動できなくなることはほとんどないけども、DELL使ってた時にはシステムが立ち上がらなくなり再インストールとか頻繁に必要だった。デスクトップパソコンが安心かというと実は、デスクトップパソコンは電源の寿命が案外短くて、電源がいってしまったときに、同時にデータも行ってしまうというようなこともありがちで。ノートパソコンはノートパソコンで衝撃が加わりやすいし、レッツノートでも不安。

紙媒体を使わないのでそれがエコにはつながる可能性はあるけども、一個一個ファイルを開いて中身を確認しないといけない手間というのは相当な苦労。紙媒体だとパラパラとめくって探しやすいのが利点。あと紙媒体は感熱紙でもなければ半永久的にデータは残る。
2023年09月24日
お客様のオリジナルの1枚のパネル柄のキッチンクロスがサンプル縫製まで完成した。途中、他の仕事と並行しながら長い道のりだった、まずは2色の色ビーカーから始まってそれが1か月ほど掛かって、糸は特別の良い糸を使ったが、その糸のサイズがばらばらで、一つ1kgに巻くのに何日も掛かってしまい、糸の染も染工場さんの予定を狂わせてしまい、8月終わりころに染まりあがって来て、糸をまくおじいさんも目の手術で糸は自分で巻いて、整経して織ったが、タイイングマシーンが不調で、油洗したりして、ハンドルの回転が軽くなって快調かとおもいきや、最後のほう300本くらいが結べてなかったりで、手で糸を拾って結ぶ作業を2日とか、織りあがって加工も投入予定が遅れてしまって、加工工場さんにも急いでもらうために迷惑かけて、昨日上がってきた反物、それを昨日縫製して、今日、先方に届いて、ごらんいただいて満足してもらえたので、若干の変更などはあるかもしれないけども、ひとまず安心。

一番心配していたのは、きっちりと大きさがデザインされたものなので、それの大きさと異ならずにつくれるか、うっかりの計算ミスとか、加工での縮率計算などがどこまで再現性があるのかなど、多分大丈夫だろうと思っていても最後の最後の確認で、違うところがあったりしたら大失敗ということになる。この仕事は、糸の染色と加工以外の、織物をつくる工程は、ほとんど私一人で作業しているので、途中で何度も何度も確認をする。ひと縦125m分の整経を2本織ったのだけども、115mくらいは織れるんじゃないかと思ったが、110mくらいしか織れなくて、大きな白のタイプが若干少なめになったくらいだろうか、失敗といえば失敗は。

一人で作業をしていたのでまだ途中での問題なども比較的に乗り越えやすかった。織ってくれる人がいたとしても、織ってくれるだけの部分なので、織物としての規格設計は私でパンチカードなども私がつくる、そして織る人が別だと織る人というのは与えられたまま用意されたままを織るだけなので、なにが正しいのかとか分からないままに作業が普通。そういうのって、ほんとうによくないのこと。普通の織物に見えても、縦にキッチンクロスをふたつ取りするようにデザインされた織物なので、内容的には非常に高度な織物の部類に入る。そういうのを一回勝負ですべての作業を自分でやって完成させることができる人というのは、手織りだとまだ織られても、工業的な生産で私以外では本当に珍しいだろうと思う。

ここまでできると大変は大変なのだけども、そういうのが全部できると織物の作業のことがすべてくらいに見えて、自分が間違いなく作業ができれば正しい織物が織りあがって来るという、すべての結果は自分次第という責任感というか覚悟も備わると思う。デザイナーさんの規格書をみて、それを織物に居りあげるまでの一連の作業を1度でも全部自分でやってみるというのはすごく大変だろうけどすごく良い経験だと思うのである。林与が麻織物の1から10まで知っているだけでなく、その作業全般ができ、その作業全般の機械の調整や修理などもできるというのは、今は業界でも本当に珍しいことだろうと思うが、昔は、一人親方的な織物工場だとそういう人はおられたりもしたと思う。

サンプルの縫製は生地のあがりが遅れたということで林与がサンプル分の縫製することに、色の合いそうなミシン糸を手配してタグも届いて、仕様書に従って縫い付けてみたものをデザイン事務所にお送りして、ファーストサンプルの確認が取れた。作業中に気が付いたこととして仕上がった反物の風合いがすごくソフトで良い感じ。今作った生地だけども、昔の生地にあるようなよい生地の風合いと光沢感をしている。
2023年09月23日
林与はコロナ禍においては、アパレル向けの生地生産をかなり減らした。コロナが明けてアパレル向けの生地生産ろうとしても、アパレル向けの生地生産に戻ることが難しい事情が、いろいろとあって、アパレル向けの生地生産は非常に限定的に留まっている。一つの要因として、林与の中での生産キャパ不足、リネン価格がかつてないほどの高騰で糸の入手すらもが不安定気味であることが一つ、また、染色工場さんが非常に仕事が詰まっておられ多色の急ぎの染色することが難しいこと、加工方法によっては加工の納期が見通しにくいこともあり、5年以上前まで海外対応もしていたようなアパレル向けの短納期対応が難しい状況で、展示会受注形式のアパレル生産への対応は、基本的に受けると協力工場さんにも負担が掛かるので半年以上の余裕がある場合や使用する色数が少なかったり納期の読める加工の場合を除いてはお受けできないような状況が続いている。

繊維関係の製造業の現場を抱えておられる工場さんというのは、かつてないような負担が強いられてしまっていて、例えばインボイス制度の導入なども、林与は、適格事業者の登録はすませているものの、個人レベルの方というのは免税業者扱いで消費税を取っておられても、工賃を支払う林与がその分の消費税に関しても負担しないといけない可能性がでてくるとか、国が自分で消費税の徴収をすることなく企業に消費税の徴収をさせていたような今までの状況だけでなく、インボイス制度の導入においてもさらに不透明な要因をつくっていい加減な形でのインボイス制度の導入。零細な事業者に事業者登録は強いませんよといいながら、登録しなければ登録していない事業者に支払った分の消費税は仕入れ控除できずにその分は仕入れた側の業者が消費税をもう一度払う形になる。それを避けるためには仕入れ先が登録していない場合には消費税を取るなとは言えないので、消費税分を値引きしてもらうようなへんな形しか解決方法がなかったりとか、あきらかに問題がややこしくなるような導入の方法。1回が、一つ1000円の作業工賃であってもその処理が付きまとうのでそれは事務処理的にも本当にややこしい話。国は企業に生産効率を上げろとかいろんなことをいうのだけども、このようにいい加減すぎる導入をやって、いままで以上に企業が対応を迫られるみたいなおかしな形。もっとシンプルな形の消費税でないと消費税処理一つが、自分じゃなく取引先が適格事業者がどうかで消費税の処理が変わってきてしまうとか、本当に複雑になりすぎ。

さらに消費税の一番の問題は、消費税というのは輸出消費税還付というのがあって、輸出大企業の場合には、みんなが払った消費税を輸出した企業が売り上げの輸出割合に応じて還付してもらえるような制度があって、そちらのほうが消費税が上がれば上がるほど、輸出企業が消費税を納めることなく、仕入れ消費税までも雑収入?として企業収益としてしまうような構造で、最終的に利益があがれば法人税は払うのだけども、そういうからくりで一般の人や企業が消費税負担が当り前なのに輸出大企業は消費税が上がれば仕入れ消費税分を自分のものにすることができる。経団連が消費税を一生懸命に上げようとしてるのもそういう意図で、自分たちの腹が痛くないどころか消費税還付で儲かるからで、そういうのって日本の財界人のどうしようもないところで、国民に負担しろで自分たちは消費税を国のように取ってしまう。せめて、黙っているか、一般の国民の方の負担分が増えたり、仕入れ企業の払った消費税分まで自分たちが還付を受けてもらえるから、消費税を上げたいんだと正直に言ってもらいたい。昔から日本は、経済1流、政治5流といわれることが多かったが、今は、経済人も国民のことや全体のことを考えることも無くなった気がする。
2023年09月21日
林与が麻生地をみるときに自分自身の価値観を持っている。良いなあと思える布は、作った人の感性の凄さが怖さみたいなもので伝わってきたりする。それが素敵にかわいく見える布だったとしても、単にかわいいだけじゃなく自分が届かない世界の人が作ったのではないかと思えるような、作られた方の仕事へのとことんな姿勢のみたいなものが感じられる。

自分自身の作った布だと林与の小さなダブルラインのミニハンカチみたいなものも、仕上がり36CM角ぐらいの他愛のない他にもありそうなハンカチだったりもするけども、あのハンカチというのはどこにもっていっても好評で、私も自分が作ったものながらもお気に入り。シャトル織機の特性を生かした着尺幅のリネン織物の上下を三巻で仕上げるビンテージテイストのハンカチ。それがほぼ正方形に収まるようにライン2本づつを上下と左右に配置する。

一般的には、ナチュラル仕上げで仕上げたものが素朴ながらもなんか懐かしいような昔の生地の世界を彷彿させる。お店ではあまり見かけないタイプのリネンハンカチ。1Mで3枚も作れてしまうから織物としてはそんなにも難しいものでもないけども、そんな織物が素敵なハンカチに仕上がるところが素敵で林与自身が良いなあと思うところ。このシリーズもたまにしかつくらないけども、今までに何千枚も作って多くの方に使ってもらったシリーズの一つ。ダブルラインの他にも、ヘアライン、ウィンドウペン、キッチンチェックを、赤、青、グリンの3色で展開。

作り始めた当時はそれ専用にリネン40番手の糸を何百キロか確保しておいた。良い年の作柄の糸で白度が高く、洗い上げた時に真っ白なハンカチに仕上がりやすい。シリーズなので、追加で作るときに、色柄ごとにベースの糸の白度のブレが以前のものとないように、ある程度の糸を確保していたというのが理由。ダブルラインのキッチンクロスなんかもそういうのを考慮してベースの生成りの色などがぶれないようなモノづくりでスタートする。

生地なんていつでもつくれると思われるカモしれないけども、良い糸が手に入って問題なく織れるときになるべくたくさん作っておくのが林与的にはベストのものづくり。同じものをつくろうとしても糸から手に入らないこともあるし、糸が手に入っても同じような仕上がりにならないこともある、掛ける織機が異なれば微妙に完成度というものが劣ることも多く、調子のよい時に織ったものというのは無理なく織れているので美しい。

ミニハンカチは、レピアで広幅で横に3枚取り出来たりもするんだけども、まあ、そういう効率を求めないのもこだわりのものづくりで、昔ながらのシャトル織機でがっちゃんがっちゃんとものづくり、林与の自社製品としてはそういう作り方もありだろうと思う。お客様の仕事とは別途に、織機が空いて、手に余裕が出来た時に、こういうものなら多くの方が欲しいと思ってくださるから作って積んでおこうみたいな、たくさん作ると売れてなくなるのに7年8年掛かることもある。新しい人が織る練習をするのにも、お客さんの仕事だと失敗やロスが許されないので、こういう自社製品向けの生地を織っている織機で最初の練習してもらうことが多い。
2023年09月18日
弟が明日東京に戻るというので、今日のうちにと弟に正月前に購入したテーブルソーの組み立てを手伝ってもらう。買ったときにはすぐに使えるものと思っていたけども、かなり組み立てが必要で、体力も使うので、私が織機などを動かしながらも、弟は外で組み立て作業をやっててくれる。夕方近くになると蚊に襲われはじめ、まだまだ蚊は一杯いるんだなあと実感した。

工場の中に持ち込んで最終動作の確認で、小さな木を厚さ1cm幅5cm長さ60cm位の角棒を斜め30度くらいに尖った裁断してみると、相当の回転の力があるのか、木の断面はかなり綺麗に切れて、丸のこで今まで苦戦していたのとは大違いな感じ。晴れて、手織り機の木工の部分も安定して出来そうに思える。工場の中で作業すると木くずが収拾つかなくなるので、明日朝外で作業をしてみよう。プロが使う何百キロもあるテーブルソーとは精度なども違うけども基本的なことはいろいろと出来そうだから、木工の試作に関してはこれからははかどりそうな話になる。組み立てるタイミングをみつけることができず買ってから9か月10か月ぶりに弟の助けもかりてやっと組み立てることができた。
2023年09月16日
昨日、久しぶりに立派な入道雲が鈴鹿山脈から湧き上がっているのが見えた。ほんと9月なのに。9月といえば子供のころはそれには至るところに赤とんぼ、今は、一匹も飛んでいない。水中の虫なども全部死んじゃったんだろうなあと思える。昆虫系に良く効く農薬が多用されていてアウトなんだろうなあ。

蒸し暑くても、雨が降らないから、蒸し暑いまま。9月の半ばの夜なのに30度近いとか、今年も暖冬予想で、もしかすると今までで一番の暖冬ということになる可能性も高い。工場でもまだ夜でも暑いくらいで、細い切れやすい麻を織るためには雪に閉ざされたような環境がベストなのに、暖冬化は、湖東産地でも麻を織ることが難しくなってきた理由の一つだろう。

もう一つの問題は原料の問題で、リネンの原料のフラックスはヨーロッパの涼しい気候が必要と言われているのだけども、温暖化で原料の発育環境すらもが昔とは異なって来ていて、ナチュラル感はあっても、昔の糸に感じられるような均一性的な良質感を求めることは難しくなってきた。ラミーの世界がまだ、糸の均一性が保たれているが、昔はリネンもラミーに近いような糸の均一性があった。

地元の染工場さんが忙しくされていてコロナが明けて景気回復で忙しくされている部分もあるだろうが、他の産地の染工場が廃業されたそうで、その仕事が回って来て忙しいのだと言われてて、業界全体としてはコロナが明けて逆に廃業という流れもあるよう。また、別の工場さんがいっておられたことに、昔のようには、同じ量の仕事があっても昔のようには回せないというようなことをいってられた。一人で二人分三人分も仕事を回せるような人が少なくなったということだろう。

飲食関係だと、盛り付けなんかでもすべてがまったく同じ必要もなく、目玉焼きにしても、目玉の位置が完全に真ん中である必要もないし、コーヒーの量が多少多くても少なくても問題ないが、繊維業界というのはそれ以上に厳しい基準で指摘が入ったりする。高い品質というのは外に求めるのではなく自分の中で生み出していくような努力も必要だろうなあと思うし、そういう努力があると他では使えないような特別な素材が活用出来たりもする。

今、SDGsの流れでアパレルロスがいわれるけども、アパレルというのは、1反50mに5か所以上のキズでB反として使えないとかいうのが普通でやってきた。そういう業界が使える部分をうまく使ってのものづくりに変われるのかどうかが、SDGs的にみても使えるものをうまく使う力がないという問題。今、SDGsがブームになって、残反を使うとかが良いことのような風潮になり始めるとアパレルも動き始めたけども、アパレルの人自体が布に価値を感じていなかったりして、キズのある布でも使えると使ってくれるのは腕のあるアトリエを運営されているような方とか、自分で裁断してが当り前みたいな方だとそういうのそんなに大きな問題でもない。



林与のアイリッシュリネンハンカチにしても正真正銘の50年以上前の昔の糸を使っていて、前回の整経には、半年以上の時間を使った。その意味は、1台の整経機は半年間、アイリッシュリネンの整経以外には使わなかったということ。そうでもしないと、そんな特別な糸を中途半端にノーチェックで整経してしまったら、糸のフシなどを取り除けなくもったいない話になるから。私が時間のあるときに整経しながら出来る限り節を取り除いて整経した。

出来上がった生地にしても、良い部分はアパレル用に、ハンカチとして糸フシなど気にしながら使える部分はハンカチサイズに裁断。残った生地も大事に残しておいて、少し小さめのハンカチに再度検品しながら裁断して林与の友人の娘さんの結婚式の引き出物に使っていただいた。アイリッシュリネンの歴史的は有名だけどもその歴史の語り部のような糸が今も林与には1トンくらいは残っていたりする。2000年くらいにはもう幻といわれたアイリッシュリネンが、林与にはまだ使える糸の状態で残っていたりして、それを形にする力も残っている。

あと、昭和の中頃に時代にもう手に入らないと言われた苧麻の手績みの糸も、1トンくらいは使える状態で残っていたりして、戦前に績まれた糸で、対戦中に麻が禁止になったときに林与が糸商からまとめて引き受けて、それを昭和27年に糊付けしたものだろうと思っている。きぬあさと呼ばれる近江上布の世界を当時の与一爺さんが残そうとして買ったんだろう。当時でももう途絶えかけていた手績みの糸の世界、今はまた、組合さんなどで手績みの糸を績んで着尺をおることが復活してる。商業や工業的に残していくというのは手間の掛かりすぎる世界なので難しい話なのかもしれない。

戦後の近江上布の世界も林与は一番くらいにやってたのだが、琵琶湖をもつ滋賀県ということで、昭和40年代に粉せっけん運動が盛んになり、今の染色工場の染料の使用と比べても染料の使用は何千分の1とか本当に小規模だったのに捺染が規制されて、そこで捺染をやめたすなわち林与が近江上布の生産をやめたということがある。林与も豊国村の2代目の村長だった家なので、近江上布の生産が主産業だった豊国村という村として残っていたら話はべつだっただろう。寝装関係の麻産業が主体だった愛知川町に吸収合併する方向に同意したのもヨジヨモン爺さんだったけども、合併後は町の行政の指導で、国内でも超一級とされた林与の近江上布ですらも単なる工業生産品として扱われ規制され断念せざるおえなかったといういきさつがある。行政の家だったので行政に後ろめたいことはするなというヨジヨモン爺さんがそういう自分で自決するような覚悟が林与の家訓的な部分としてはあったりもして、行政をつかさどるなら物事を分かってやってもらわないと、いい加減に偉そうにするだけだと、やっているものごとの価値の深さもわからずに日本や世界に誇るべき大事なものを失うだけのこと。

琵琶湖の水を守るというが、それは京都や大阪の飲み水のため。一方で京都で染が盛んで今も染工業が普通に営めるのもあるいみ都会的な普通に気にせず処理もせずに垂れ流しが可能だからというだけの理由。都会の下水環境との兼ね合いで、京都だといくらでも可能なことが、京都を守るために滋賀県が配慮して規制され、地場産業も難しいというパラドックスがあったりもする。

今の原発問題と同じで、いくら薄めたとしても、環境というレベルになると全体的な染料や薬剤の使用量が結局はポイントで、それは薄くて基準をクリアしても着実に環境に影響を与えてゆく。薄めて処理すればだいじょうぶとういう感覚をなくさないと駄目なのだけども、薄めて基準クリアで何が悪いんだという世界が蔓延ってるから地球環境が当たり前に破壊されてしまう。トンボが消えるのもそのあたりだけどそういう積み重ねがトンボを消して行く。

大量生産大量消費に傾倒して、自然環境だけでなく、地球環境、階級社会的な奴隷制度の助長は、すごく日本の政治にみられるような特徴で、産業界がそれに従ってしまうと、今まで日本人が守ってきた人間の価値観が失われる。自己犠牲を強いながら、自分たちは自己犠牲を食い物にするような日本社会にありがちな階級的な考え方。本当の平等意識もなく、法の下の平等とかいう人たち、奴隷制度も法なら平等で江戸時代の武士気取りが多いのが日本の政治の特徴だとは思う。江戸時代的な正論の身分社会、階級社会が当り前の悪質な現代政治では駄目だろう。宗教と政治が一番くらいに金儲け主義的で人々の生きてゆく苦しみも分からずやぱいというのも日本の特徴。もちろん、本来の政治や宗教の気持ちを持っておられる方もいて話するとすぐに本物か偽物か分かるけども、偽者を排除することが本当に難しいのが法律。

なんちゃらコットン協会の理事長を10年やってられた方と電話で話したときにもうほんと、この人が諸悪の根源みたいな人で、地道に仕事している人間からしたらアウトそのもの。エシカルなことが面倒だとか、国際会議でなまった英語効いてると眠いんですよとか、理事長やめたくても他に人がいないからやってるだけなんですとか、それが日本で一番大きかったオーガニックを謳う世界の裏側。自分が責任もって成り立たせる覚悟もなく、無責任にやってだけの話には疲れる。そこまでいい加減なことばかり言ってるなら、いわないほうがましだし、いないほうがマシだよというのが林与。セミナーをありがたく聞いてるばかりじゃなく、本気なら他にそういうの感じて、当たり前のこという人いてほしいと思う。でも、この人はある意味正直だともおもう、聞いてびっくりするような、自分たちが謳ってることすべてが面倒みたいな話を正直に私に言われるから。そういひとが日本のエシカルのトップだったというのもすごく日本の繊維業界が問題だと思える話で、オーガニックの世界がブラックボックスで本当か嘘なのかも分からないのを作り上げる原因になってしまっている。ほんと普通の天然繊維業界のまともな感覚もない人が素人の業者さんたちを集めてみたいな広がり方。他にだれもやってくれる人がいないからやってるだけなんですよ、とかいわれて気持ち悪すぎた。それならやめといたら似非的な害も広がらないやん。
2023年09月13日
おおさか手作りフェアで、半年ぶりとか1年ぶりくらいにお会いできた出展者の方が多かった。クマムレースの谷本さんとは3年ぶりくらいにお会いできただろうか、林与の手織りプロジェクトが子供たちに好評でスタートできたきっかけが、林与にある麻の糸は太いと言ってもそれほど太くないので、かわいい太い糸を麻でなくてもよいので、手織り用に分けてほしいとテキスタイルマルシェで知り合いだった谷本さんに頼んだのがきっかけ。

分けてもらった糸はモールのようなピンクやブルー、イエローの色味の糸だったが、相当太くて5mmくらいはあったと思う、使うのがもったいないくらいの糸で、その糸を横糸に織るとすごくかわいい織物が織りあがる。たぶん、糸としてもすごく価値のある糸。今は、引き揃えた糸などをそれなりに太い感じにして織ったり、レリアン網の毛糸を織ったり。

本格的に手織りをやっておられる方とかからすると、あまりにも、初めての人向けの織物なのだけども。それで楽しいで織ってもらえばよいと思っている。そういう考えに至ったのも、谷本さんがそういう糸を林与に分けてくださったことがきっかけで、今はそのくらいの太い糸を手織り用に用意したりして、子供たちでも簡単に手織りが体験できるように心がけている。

4歳5歳くらいの足が届きにくい子供でも、少し足踏みを手づだって上げると、手は一生懸命に横糸を入れて、框を叩いて織って、夢中になって織ってくれるのが、本能的なものを感じる。親に無理やりやらせられているとかじゃなく、自分がやってみたいと思ってやってみて楽しいと感じてもっと織りたいとなり、一度体験してくれた子が、もう一度織りたいと後で来てくれたり、また次の日に楽しかったからまた織りたいと来てくれたり、子供たちにとっては、案外、手織り体験というのは、1日のなかで一番楽しかったイベントに思ってもらえることが多い。

林与は最初少し教えてあとは自分で好きなように織ってもらって、うまく織るのが難しそうなときだけ少し助ける程度。子供の場合には何十本も織り進んでくれることが多く、大人の人の場合には10本くらいで終られる方が多い。時間が許すだけ、好きなだけ織ってもらってかまわないが、子供の場合には、手織り織機の見た目の難しさにも関わらず、手織り織機をみて織りたいと思ってくれて、また、はじめてでも織出したら簡単で楽しくて、織物を織るのが本能的なことのように当たり前に織ってくれる。

無料体験イベントなので、気軽にやってもらえるし、織りたいと思ったお子さんがお父さんお母さんにもやってみたいと相談しやすく、親御さんも手織りを子供が体験するということを喜んでくださるのでありがたい。林与手織り体験用に小型の足踏み式の手織り織機を10台以上持っていて、こういう織物にふれる最初のきっかけをつくるような活動が広がればよいのになあと思っている。そういうきっかけが若い子供のうちにあると将来、織物の勉強をしたいとか、織物の仕事というのも少しくらいは、候補になるだろう。もし、織物を一度も織ったことがなかったら、織物を自分で織るなんてイメージは湧かないだろう。

手織りの織機もたくさん持っていても、やはり経糸の準備が大変なので、そのあたりは、林与が得意とするところなので、手織り織機にもさらに改良を加えて、50mとか100mの経糸を準備してたくさんの人に織ってもらえるように考えたりで、織機自体も、なかなか市販品の入手が難しい金属製のラチェットギアと爪を自分で自作できる目途が立ったので、綜絖などはシャトル織機のものを流用して、自由な織り巾の手織り機も作れたら、最初から経糸の供給メカニズムなど林与っぽい仕組みにできるので、よいだろうなあと思っている。

超かんたん手織り体験は、米原でのイベントでも好評だったし、今回のおおさかの手づくりフェアでも好評だったので、繊維関係のイベントに来られた方で、特にご家族で参加されて小さな子供たちが楽しめるようなことがあればいいのになあと林与は思うし、本能的に手織りなんかも馴染んでもらいやすい子供のころに経験してもらうというのも他にはあまりない機会だろうから、手織りをはじめる切っ掛けや織物を織ってみる切っ掛けを提供したいなあと思う。
2023年09月13日
若いころからだけども、林与は音が聞き取りにくい。特に店頭などまわりがザワザワしているときに、面と向かって話をしていても女性の話される高い目の音がほとんど聞き取れないことが多い。これは学生のころからなので改善は難しいことだろうとおもったりしている。周りが静かだと大丈夫なのだけども。

まあ、お年寄りと話をしていると、よく聞こえていないのだなあと感じることがあるだろうけども、林与と話をしたときに反応が鈍ければ、音が聞き取れていないということだと思ってほしい。先日のイベントでもなんどか尋ね直したけども、お客さんになんども聞き返すということはよくなかったりもするので、2度聞いて言葉が聞き取れないときには、それ以上は尋ねないことにしている。しっかりとした低音気味の声だと大丈夫なのだけども。高音の音はなにか脳みそに事情があってシャットアウトしているんだろうと思う。聞き取れない言葉というのは日本語なのに何度聞き返しても聞き取れないことが多いから不思議だ。

基本、ざわついたところは苦手で、静かなところが好きなのだけども。織物工場の中はほんとうるさいくらいに機械の音が聞こえてくるので、本来は織物工場の中にいるだけで苦痛であったりもする。
2023年09月13日
最近、無理やりながら、疲れている足をさらに酷使したらその違和感がなくなった感じのここ3日ほど。治る前には足がすごく疲れてそれでも無理やり動きまくったのですごく足が熱くなった感じで、それが血行やリンパの流れを復活させたのかもしれない。この状態が続くとよいなあと思う。立ってばかりいたので、足を指先まで伸ばすことをずーっとしていなかったので、数日前に、寝た状態で足首から下を足の指先までを思いっきり力を入れて伸ばしたり縮めたりした。数年ぶりのことだろう。それも足の復活には役立ったのかもしれない、そのあとすぐに足首から下が楽になった。

昔、若いころに肩が凝って仕方なかったときがあって、神社の祭りがあって、真鍮製の重いカネを竹で担ぎながら村の中を回ったことがあった、肩がすごく痛かったのだけども、次の日には肩がすごくほぐれてて、肩こりがなくなったことがある。林与の肩というのは道具の一部になっているので、100kgのビームとかを肩に担いでも痛くない。普通の人がそれをやると思いというよりも痛さに耐えられないだろうけど。

昔の人というのは肩で重いものを担いでいたけども、今のサラリーマン社会になってからは重いものは担ぐことがなくなり、年配の方たちでもそういう経験が少なくなっているので、私が重いものを当たり前に肩で担ぐのに驚かれたりする。ビームを肩で担ぐときに一番大変なのが、立ち上がるとき、足の筋力が必要で、立ち上がれないことも多くなってきた。私も若いころにそんなに重いものを自分で担ぐというのは無理に思えたけども、やってみると出来たりもするが、普通だとやろうとは思わない。100kgを超えるものを肩で担いでいても、一旦肩に担いでしまえば、バランスの問題だけで、階段を上り下りしたりはそれほど難しくなかったりする。

農業関係の方たちも重いものを運ぶのは得意で、年配の方でも重い物を扱われていることが多い。一俵といえば60kgあるから、それが肩に担いで運べないと昔の農家だと仕事にもならないということだろう。年配の出機さんが、ビームをトラックの荷台から下に落として下ろしているのとかをみると、高齢になるともう織物の仕事は難しいなあと思ったりもすることはあった。それを見て、ビームをとりに来てもらうよりも、なるべく自分が運んで、織機に設置までするようにした。

«前のページ 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | ... 179 次のページ»