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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2023年09月06日
昨日はしゃがんだ姿勢からの屈伸するような作業が続いたので、今朝は階段を上るのにも両脚が痛む。普段使っていない筋肉を使いすぎたのだろう、体が本当に大事な仕事だなあと思う。

普通の会社だと、慣れた仕事をやってもらうのが仕事みたいなところがあるのだろうけども、私自身は私自身が作業のコツの積み重ね的なところで成り立っているというあたりがある。今日は、本縫いミシンを初めて使う女の子に縫ってもらったのだけども、自分でも思うが、うるさいほどにここはこうしないと駄目、ここも駄目、ここも注意みたいな話になる。基本、一回勝負で答えを出さないといけない仕事なので、そういう緊張感での経験を積み重ねて、考えなくても、問題のないものを安定して同じように速く縫えるようになることが大事だと思う。

長くやっていれば速くうまく縫えるようになるのかというと、毎回毎回1枚を失敗しないできれいに速く縫えるようになるように心がけることが大事で、それは自分との戦い。市販のものというのはそれなりに隙のないものが多いのは、縫っている人たちというのはやはり当たり前にプロだなあと思う。織物の会社なのに、縫製とかに関しても量産のものというのは普通にパートの人が縫ったりしているのだから同じ設備があるなら、普通に働いている人のレベルは超えたいなあと思う。

自分が縫製のことも知っていると、織物を製品にするときに何が可能なのかがよく分かったりして、縫製工場の人とも始末の仕方とか話がしやすく、生地を作るときに、縫製工場で失敗が起こらないようにどこまで生地の縫製時の注意書きなどが必要なのかが分かったりする。よくありがちなのは裏表というだけでなく、柄がある場合には天地と上下左右の問題。

縫製工場でも、裏表くらいしか気にされない縫製工場もあって、ブランドによっては、チェック柄などでも柄合わせもしないモノづくりブランドもあれば、柄合わせして完成度を高めるのが当り前のブランドもある。基本、綾などは右上がりが一般的な綾目方向で、左上がりに出来上がっている服などをみると違和感を感じたりもす綾目

林与のほとんどの無地ライク生地は、両面同じ加工を施してあり、裏表の区別なく綺麗な方向を表として使える。でも、本来は織機の織前での表が表で、それが加工も通じて表として加工されて、林与の場合は紙管に内巻きが表の状態でということになる。基本、検反面が表で内巻きに巻かれる。織機で織っているときの表が表でないといけない理由には、布を巻き取るシリンダーには布が滑らないように鮫肌やペーパーが巻いてあるので、裏面というのはダメージを受けることになる。だから、織前での表を表とするのが正しい。

でも、麻織物の場合には、それほど糸のダメージは気にする必要がないので、ドビーの動きなども加味して、ドビーに負担が掛からないように、3/1の綾などは、1枚しか上がらないように裏側を織機上での表として織ることが多かったりすることも多かったりする。こういうのは、誰も教えてくれることのないことで、自分が経験をしながら問題にぶつかりながら問題を回避するために、方法を見出して行くもので、ストールを織るときにも、スチール製の鮫肌は糸にダメージが残りやすいので、サンドペーパーに変えたり、鮫肌の上にテープを巻いたりしてダメージをやわらげたりすることで、問題なく織れるようにしたりとか。いろいろやってみて正しい答えができる方法が正解ということも多い、でも、織機に掛かる負荷や織機の正しい使い方の意味なども検討しながら、例外的な織機の使い方は検討してゆくべきだと思う。織る織物によって、織り方の正解は変わって来る。

シルクの織物工場で、シルクを織るときに、テンプルを使っておられないのをみて、シルクの表面がダメージを受けるからテンプルなしで織っておられるんだなあと感じたり、それもシルク工場の工夫の一つである。地元の工場に置いてあった昔のシャトル織機にもテンプルがついていなかったのはやや謎で、その代わりに太い紐を織の最前線あたりに左右に渡して織前を下げているような工夫であるとか、ベルト式シャトル織機の時代には、真鍮製のテンプルは、まだ、なかったんだろうか。

2023年09月04日
ようやく、暑さが落ち着いて作業がしやすくなった。ありがたい。この夏は暑すぎて体調もあまりよくなかって夜に作業をしていることが多かったが復活か。麻がなかなか織りにくいのも地球温暖化の影響だと言われていたりして、今まで原料の栽培地だったところの気候が、昔とはがらりと変わってしまって、原料の栽培もむつかしくなってしまっているとか言われている。麻織の本場といわれてきた近江湖東産地だけども、子供のころはまだ雪が相当積もるほどに毎年振っていたし、夏場には毎日ほど夕立が降っていた、今は、雪もあまり振らないし、雨も少ない、水の循環が本当に限られてしまっていて、ダムができてからは、水路の水の量も少なくなり水路の幅も狭くなった。

体調があまりすぐれないのが続いているのは別として、昨日、久しぶりに指の皮が捲れるけがをした、毎度のことだが、水で傷口をよく洗って、ティシュで血を拭いて、出荷の養生テープで傷口を巻くとすぐに痛みはなくなり、仕事も続けられる。そして、半日あとには傷口もくっついて養生テープをはがして今度はマスキングテープで傷口をカバーし糸を触る作業に戻った。去年の冬から織れないものが多くなっていろいろとやらないといけないことだらけになってしまっていて、楽しみにしていた8日9日のおおさか手づくりフェアも準備をほとんどできずに、ホテルも予約していたけども毎日通いでの出展になりそう。

糸をまいてくれるおじいさんも、目の手術をされて、今回は本当に引退なのかなあ、シルクなどは掛けるとそのまま回り続けるけど、麻は綛の糸が切れると目が良くないとなかなか作業も難しいだろう、現場の人たちはみんな年を取り始めていて頼めたとしても昔の何分の1が普通になっている。麻織物の仕事も経験の長さよりも若い時の精神的、身体的な強さみたいなものが大事で、スポーツと同じに思える。
2023年08月27日
今日は隣組の集まりで、隣組の集まり自体を続けていくということを念頭に当番で当たる家の負担を軽くして行くという流れ、小さな組と呼ばれる組織の運営だけでも組長、会計、宿と呼ばれる当番の家がコロナ前はすきやきか幕の内を準備するなど、昔のにぎやかにするのが良かった時代のことが今の時代には負担として残ってしまって、それをどうしてゆくか。続けていくためには思い切ってそういう本質的ではない部分を削り取っていくみたいな形。

自治会なども続けていくためには、本質的な部分ではない行事などを思い切って割愛してゆくことが大事で、時代の流れに適応してゆくということをあるタイミングでしてゆかないといけないということだろう。どの家も一人か二人しか人がいないという状態が普通になって、都会以上に核家族化で高齢化で無理無理に昔のまま続けて来てたというようなあたりもある。

今年は思い切った舵取り的なことがいろいろと行われて、防災訓練的な避難訓練もマニュアルや形式にとらわれない実践的な防災訓練で、避難所に集まった後も全体の整列とか挨拶などもなしに、人数を報告して解散という流れ。もう実際に人も少なくなって本質的な部分により力を使うような形。にぎやかになんでもやっていくのが昭和のスタイルだったのが、今は自治会の存続自体を考えていかないといけないのが次の世代。

会社にしてもそうだし、いろんな他の会にしてもそうだし、昔と違って本質的なところに絞ってものごとを成り立たせてゆかないといけないことが多くなった。20年後には人もまた何分の1となっていくだろうことも考えて考えをもって行動してゆくというのは大事なことだろう。また次の世代に重荷を残さないということも大事なことだろうと思う。
2023年08月26日
新しいことをやろうとするときには、全部が揃わないとできないことが多い、今も織物のラチェットギアをつくろうとするのだけども、素材から吟味、スズだと鋳造がやりやすいが耐久性に問題がある。アルミだとどうだろうか、鋳造もしやすいがやはり硬度の問題が、そこで真鍮がやはりよいのかとおもうが、それなら鋳造よりも削り出しで作ったほうがよいだろうと。

素材が真鍮で、大きさがφ50、厚みが5mm、ギア数18程度のもの。近いものを探してもみつからないので、自分で作ることになって、まずは、真鍮のφ50の丸棒を5mmにカットしたものを手に入れようと探す。それがうまく手に入れることができ、それをどうやってギアに加工するのか。バンドソーが直線的にカットできるので一番理想的だけども、バンドソーの厚みが3.5mmとか5mm、それならグラインダーでカットするほうが裁断砥石の厚みは1mm以下なので良いのではないだろうかと。

そのギアをセットする丸棒の直径とさらにそこにさす紙管の内径と外径と、その紙管に付けるフリンジの内径など、ミリ単位で大丈夫なのかと心配しながらもそういうパーツを集めて、最終的に自分が作りたいものに仕上げる。手織り用の経糸のビームセット。仕事の合間に、こういうのは考えて、集めるだけ物を集めて、試しに1時間2時間使って作ってみるとうまくいったり行かなかったりで、また、仕事しながらより完成度の高いものにするためにどうすれば良いのか考える。

一からすべてつくっているとすごくお金が掛かるので、既存の物を使いながらそれをうまく組み合わせながら使えるように持って行く。同じ手織りをするにしても整経とか経糸の準備という部分が本当に一番くらいに大変な部分で、そこをどううまく解決できるのかというあたり。木工の本職でもなく、手織りの本職でもない林与が、今の手織りの問題を解決しようと考えている。

15年ほどまえに手織り機をつくろうと考えたときもあったけども、その時に悩みだったのが、ラチェットギア。通常手織り機には、前と後ろの巻き取り棒にそれぞれ1個づつラチェットホイールギアと爪がついていて、空回りを防いでいる。それが一般的には金属製で、それを一から作るとなると大げさすぎるから自作の織機は難しいだろうなあと。

そのあとに広幅絣プロジェクトをやったときにも、広幅の手織り機で織るほうがシャトル織機で織るよりも簡単だろうなあと思ってたが、同じく、ラチェットギアをどうするかというところであきらめてしまっていた。今、ラチェットギアの問題が自作することで解決できそうになり、自分自身で手織り織機を自作することが可能になりつつある。

ソウコウ枠なんかもシャトル織機のものを使うことも可能だし、より軽量化のためには自作するのがよいのかもと思い始めたりもしていて、綜絖は糸綜絖か、シャトル織機のワイヤーヘルドを流用すればすべてのパーツが揃うことになる。自分の思うサイズの手織り機が自分でつくれるということは、自分のすきな幅の織物を織るというためには理想的なこと。

今、現場が手が足りていないので、手織り機を自作するほうは材料やパーツを集めるというのをやっておいて、時間が出来た時に作業して、シャトル織機の綜絖や綜絖枠などのパーツが流用できるような手織り機を作ってみようと思っている。一つの手織り機をつくるのも、一つの織物をつくるのと似たような作業に思えたりもする。
2023年08月12日
2007年ころに中国の展示会を見に行ったときには、後染めの生地ばかりが並んでいて、林与の作っているような先染め生地というのはほとんど見かけることがなかった。また、天然繊維に関しては、色合いにしてもなんとなくくすんでいるような浅い色のものがほとんどで、展示会の何千もの生地出展者の無数に思えるほどの生地を見て回っても麻に関しては日本との品質の違いというのは明らかに思えた。それから15年。中国が日本の繊維業界を吸収してしまったかのように思えるほどに、今、中国の展示会に行くと先染め生地はもちろんインクジェットで自由に生地をデザインするのが当り前で、日本企業がそういうことをやろうとしても中国のように簡単にものがつくれるような状態ではなくなった。中国にしても日本の5倍くらいのスピードで進化して中国の繊維業界もベトナムでの生産に移行するような流れ。

デフレの流れの中で、日本での生産がどんどんと海外に移る流れになって、日本企業も海外で生産をするようになり、日本の品質が中国にも移転され、一方で国内では量産の仕事が少なくなり、ニッチェ的な小ロット生産の流れ、製造業を知らない人というのはそれが日本のものづくりだというけども、日本のように終身雇用的な雇用形態で、高齢化した現場においては、なかなか普通のものをつくるも難しくなるのである。ましてや高度なものなどというのは、ほんの一部の人しか携わることが出来ず、あいまいな人が関わるだけですべてが失敗に終わる可能性が高くなり慣れた以外の仕事は頼めないことになる。

国内の繊維業界でも新興企業が海外生産で、国内販売には若い人たちを非正規雇用して伸びていく一方で、伝統産業系の繊維の現場では高齢化で生産性も低くなり、まさに明と暗みたいな対照的な世界が、日本の繊維業界の中にある。これは一企業の問題ではなくて、日本の終身雇用年功序列的な雇用ルールを守って長くやっているとどんどんと難しくなっていくという時が経つごとにどんどんと難しくなる構造的な問題で、社会構造的な破綻。

構造的に難しいような土壌を取り除かない限りは、人を多く抱えた企業というのは成り立たせるのは難しい問題がある。手間を売りにしているはずのものづくりが、働く時間もどんどんと短くなれば働いている人も経験も少なくなり器用でもなくなり手抜きになるばかり。そういうの極端になってくると、謳いは美しいが、産地偽装やビッグモーターのようなことをやれば、メガバンクなどもお墨付きの飛ぶ鳥を落とす勢いの優良企業として成長できるみたいな。偽装の大元はビッグモーターでも経営陣は自分たちは指図していないというがいうこときかなければ切り捨てるみたいなのと同じで偽装に手を染めさせる。結局はいろんな企業の偽装にしても、経営的に無理な数字を求め企業に強いる国レベルなのかもしれないなあと思えたりもする。

優良企業とされている大手ほど経営の数字は良いのだけどもいろんな構造的な偽装が問題になって、そういうところが優良企業とされて金融資本が流れてきたのだけども、数字しか見ていないとそんなふうな根本のところで構造的に問題を抱えた企業系になりがち。カネがらみで捕まる政治家たちが主導する国ながらも、もうちょっと行政レベルもモラルみたいなものを持たないと、法律すらもがボタンの掛け違えを生んでしまう。今も、大阪でカジノ構想とかあるけども、安直で他力本願的なところがあって、そういうの喜ぶのは利権がらみな政治家とかのレベルだろう。あんまり後のこと考えていないだろうが、利権ほしさに将来にマイナスが残るようなこととかはやめてほしい。日本の将来は、次の世代に白いままで残してあげたい。目先の利益を追い求め、問題を将来に先送りする出なく、今の世代が今の問題を解決してゆくべきだろう。

今の若い人たちの憧れがYOUTUBERだったりで、そのどこに憧れるかというと金満なところやお金儲けの部分。私自身が手織り体験とかして思うのが、自分で作ったり自分のつくったものを大事に思うような気持ちが子供たちには本能的にあるのだなあと感じる。子供たちが織っているときに上手とか下手はない、簡単な説明をして後は自分なりに織ってもらって、分からなくなったら少し手助けするだけ、自分自身が前に進めていくという部分一番大事だと思うし、とことんやってほしいし挫折してほしくないから、親御さんは、サポートしている私のことを気にしてもう迷惑だから終わろう見たいにいわれるけども、私自身はとことんやってほしいので、夕方まではやってるから織りたいだけ織ってという。単に手織り体験というだけでなく、織った布を記念に持ち帰ってもらうのもすごく喜んでもらえ、小さな宝物。自分で織った布ということがすごく大事な部分で、私の自分がつくった布への思い入れと似てるんじゃないだろうか。米原のイベントでは、織物体験用に広いスペースをいただいたけども、多くのお子さんたちに体験してもらえてフルに活用をさせていただけてほっとしてる部分もある。盛り上がって林与自身本当に楽しかった。次は9月8日9日のマイドーム大阪での大阪てづくりフェア2023で、「超かんたん無料手織り体験」やります。
2023年08月11日
阪急百貨店のテキスタイルマルシェでも、小さなお子さんが来てくださって楽しかったのでその次の日にも弟さんをつれて織に来てくださったと聞いて、すごくうれしかった。米原のイベントでも、初日に楽しかったので次の日にも体験しに来てくださったお子さんが6人くらいはいてくださった。子供たちにとって手織りというのは仕事や作業というよりも楽しめることなのである。

林与自身が手織りをほとんどしていない人なのだけども、レピア織機やシャトル織機とかになると何十年やっている現場の人たちでもなかなか難しい問題があったりして、仕事で織物をする人たちも手で織るという基本作業からやると、職業的なプロとして電気で自動に動く織機を使うという意味も理解できるのではないだろうかと思える。

林与が世界でも本当の本物だと思うのがイギリスのステラマッカートニーというブランドさん。林与との実際の取引はないのだけども、すごい思いのある方たちの集まりなんだと感じるばかりで、本物のエシカルな世界を探してられる。ステラマッカートニーというブランドは、本当に心優しい人たちの集大成だと思う。これは実際の取引説かなく損得関係なく私が思うところ。世界的にみてエシカルなコンセプトは本当の本物。私が肉をたくさん食べてしまう人間なのそのブランドのコンセプトにも林与はまったく見合わない。それが本当に残念だけも、林与が世界のトップレベルのエシカルには見合わないと思うのもそのあたり。

日本でもオーガニックの会社があって、その代表の方がお肉は食べないと言っておられたのが、本物なんだなあと感じたことがあった。私が一番嫌いな飛ぶ鳥を落とす勢いに感じてしまっていたのだけどその肉は食べないという一言で、本物だと感じた。私自身も繊維関係のエシカルとかエコとかには厳しい視点を持つけども、そこまでは個人レベルとして難しい。パタゴニアの地球環境保護も分かるけども、それ以上に林与の接点として世界のトップレベルの繊維業界のエシカルを自分の人生を照らし合わせて考えないといけないあたりもある。結論として消費者の人は自分の作ったもので裏切りたくない。肉もたくさん食べる林与が関わることでさらなる上の世界レベルのエシカルを濁したくない思いはある。林与もまったくの除外だけど、そういうコンセプトの世界って世界的にも格別にみられてもよいと思う。哲学、アート、人生観、それを謳いだけでなく実際に守れる人たちというのは本当の世界的にも特別。
2023年08月06日
米原伝統産業会館で、昨日と今日の2日間、ロビー展示で、林与は手織り織機を2台持ち込みして、超かんたん無料手織り体験を行った。今回も2日間、子供たちを中心に、ほとんど途切れることなく初めての手織り体験を行ってもらえた。手織り体験をしてもらうときに、最初に、1分から2分ほど簡単な説明をしてあとは自分で織ってもらうというスタイル。

初めてのお子供さんたちでも、手織りすることが簡単で楽しいという経験で、私自身は織りたいだけ好きなだけ織ってもらうと思っている。お子さんの場合、お母さんやお父さんが後ろにいてくださることが多いのだけども、子供たちが手織りに夢中になっているときに、お父さんやお母さんは周りにも気を配ってもう終わりにしとき、とまだ織りたいお子さんたちが夢中なのを止めようとされるけども、私としたらとことん好きなだけやってもらいたいなあと思っていて、子供たちはだいたいもう終わろうといわれてももっと織りたいという返事がほとんど。思う存分体験をしてもらおうと思って手織り織機を持って行ったので、お子さんたちのもっと織りたいというのは、林与としても本当にうれしい。手織りの織機に触れるなんていうのはなかなかない経験で、見た目に興味を惹かれて、体験してもらえて、自分で織るというのができて夢中になれる。それって、単に手織りを体験するだけでなく、織るのがたのしいとか、おもしろいとか、ワクワクするものまで感じてもらえる。

難しいなあと思っていた麻の縦の織機のほうでも、一人のお子さんが初めて織って幅16cm、長さ90cmほどのマフラーを織り切った。初めて織ったときにストールを織りあげるという目標を自分の中でもって、それを成し遂げるというレベルの高さ。経験の長さじゃなくて夢中になったことをとことん満足するまでやり遂げたい、やり遂げるということ。その弟さんも同じようにマフラーを織りあげられた。それには私がびっくりした、手織り体験で初めて織ってマフラーを作ろうなんて思いになるのは。特別な二人なのだなあと思ったら、今回はそういうマフラーまで織りあげられるお子さんが8人くらいいてくれて、だれもマフラーを織りなさいといわないのに自分で織っているうちにマフラーを織りたいと思って80cmとか90cm織られる。本能みたいなものが働くのだろうか。20cmくらいのコースターくらいで終られる方ももちろんおられた。

織った分を持って帰りますかと尋ねると、ほんともらえるの?と喜んでくださった。単に織るだけだと、織物を体験したというだけで終わるのだけども、織ったものをお土産に持って帰れることで、思い出が手元に残る。自分が織ったものを見て楽しめる。縦を切って渡すたびに再び織れるようにもとに戻すのだけどもそういうのは林与はプロ中のプロなので1分2分もあれば、織れるように元に戻せるので大変でもない。2日間、お昼から夕方6時まで2台がフル稼働して多くの方に手織りの体験をしていただけ、喜んでいただけたと思う。

もう一つのテーブルでは、おひとり様1枚限定リネンキッチンクロス無料プレゼント企画。日ごろの量産の工程のなかで、キズなどで途中中断してできたハギレなどを取っておいてそれをキッチンクロスに縫い上げたもので、大きさはまちまちだけども正規の商品と変わらないよいもの。滋賀県では、リネンのキッチンクロスをまだ使われたことのないお客様というのは多いので、初めてのリネンキッチンクロス体験みたいな企画。

林与のリネンキッチンクロスをお使いいただくことで、リネンのキッチンクロスの違いみたいなものを体験いただいて、リネンに興味をもっていただくとか、また麻の水をよく吸う良さみたいなものを感じてもらえるだろうと思う。林与にとっても、織物に夢中になってがんばる子供たちにたくさん出あえて、本当に楽しい2日間でした。子供たちが織物に興味をもってやってくれることが本当にうれしく、織りたいならどこまでも織ってほしい。お母さんたちがもう終わりにといっても子供たちが、もっと織りたいと言ってくれると、そうそうとことんやらないとと思うのが私。
2023年08月03日
脱貧困みたいな経済成長モデルがあるけども、農村地に観光資源を作って観光などで活性化しようというもので、大きなお金を田舎に注いで新しい建造物を作ってそれまでの地道な営みを破壊してしまうようなところがある。一時的には、建築などでお金が動いて活性化するもののその事業が成功しなければ、今度はその何千億規模を使った事業ですらもどう維持するのか片付けてゆくのか、次の世代への赤字要因になる。

これが、新興国で起こりがちなことで、でもそれは、日本の万博なども同じような傾向があって、計画では問題なくてもいざ実施しようとしても何倍もの費用が掛かってしまって当初の予定の何倍もの負担になる。今までのことにお金をつぎ込んだ方がよいのだけども、お金を握った人たちというのはどうしても新しいことに費やしたいようなところがあって、地域の人の人生観すらも変えてしまうところがある。

脱貧困社会で問題になるのが、脱貧困のために教育を受けさせるのだけども、結局、高学歴をもってしても結局は誰かが末端の仕事をしないといけないわけで、今まではそれが普通の仕事という概念だったのになぜかそんなことはできませんみたいな人ばかりが増えて、新興国に置いてもさらなる新興国での生産に移行するような話になる。

私自身が、普通と違うなあと思うところは、一番底辺の仕事を当たり前に思っているあたりで、そういう誰もしたくない仕事の部分に価値があったりする。そういう誰もやりたくない部分を自分がこなすことで全体が回ることも多いし、そういう人がいないと企画一つも回らなかったりもする。今の海外生産というのは日本の昔の高度成長型モデルそのもので、海外のほうが低コストで生産性も高く、日本の5分1、10分の1でつくれるだろう。

昔、半年ほど世界最先端の半導体工場の現場で働いたことがあるけども、その仕事というのは織物の仕事よりも標準化されていて単純だったりする。でも、結論から言うと日本でやらなくても、言われたとおりに正しくさえ作業できれば途上国でもできる仕事だったりもする。途上国の人々の生きる力というのは先進国の何倍もあって、先進国の人以上に途上国の人のほうが器用だったりもする。

インドで経験したのが、量産型の縫製工場で、縫製工場の作業員というのはみんな一着の洋服を自分で作れる人たち。そういう人たちを現代の量産の現場で働かせようとすると単能工化する必要が出てきてしまう。それが苦労したところだと工場の方がいっておられ、技術とすれば、安く大量につくれるような素人に近い水準に落とし込んでゆくようなところ。それが世界の洋服の生産を支えたりするのだけども、そういうのが本当によいことなのだろうかと思えたりもする。

日本の昭和のころのものづくりをみるような感じだけどもそういうのが成り立たなくなったときに、今の日本の繊維業界と同じ様に新興国での繊維産業というのも生き残ることは難しいだろうなあと思える。繊維産業は、どんどんと実際に働く人を求めて途上国へ向かうという流れなのだけども、それが本当に良いことなのだろうかと思う部分。先進国は一方で働かないことを理想とする社会に傾いて来ていて、そういうのが、途上国に労働をもたらす一方で、先進国の働かないモデルというのは、結果として、さらなる階級構造そのものを目指しているのではないのかと思えたりする。
2023年07月25日
石川県の繊維工場で68歳の女性が整経の巻き取り作業中に巻き込まれる事故があってそれをインターネットのニュースで見かけた。巻かれるスピードがそれほど高速でもないので安心していると大変なことになる。特に、年配の女性の方だと大丈夫かもしれないが、髪の毛の長い若い女性などは整経作業一つにしても巻き取っているところに一部が巻き込まれ始めるとパニックになって危険である。

また、手首にアンクレットや、指輪なども糸が絡んだりしたりすることもあるので、作業する時というのはなるべく引っかかりにくいことが大事。もう一つ年配の方にありがちなのが、織物工場ではエプロンを付けたりするようなケース。エプロンは巻き込まれやすいので付けないほうが良い。整経を最初に教えてもらったときに、昔の座布団工場の整経の現場ではエプロンを付けた女性が巻き込まれる事故が起こりやすかった話を教えてもらっているので、私自身は巻き込まれたことはなくても、注意が必要であることは最初の時から気にしている。

整経の巻き取りも、電源の接続の仕方で逆回転にもできるけども、巻き込まれにくい回転方向に巻き取るようにすることが一つの安全策で、座布団工場の場合には、巻き取り巾の関係でか逆回りでとくにエプロンの裾が巻き込まれやすかったらしい。整経機の巻き取りの危険に関してもこういう話をするのだけども、普通の人はそれほど危険には思えないので適当に聞いておられることが多く、いくら教えても巻き取りの作業を一人で作業をしてもらえないのはそのあたり。本来はこういう危険性までも他の人に説明が出来るくらいでないとその人にその機械を使ってもらうことは良くない。

シャトル織機にしても、経糸が麻だったりすると、経糸が切れるとそこからシャトルが飛び出すことがあるので、織機が動いているときには注意をしていないといけない。今まで一度も飛び出したシャトルが当たってけがをしたというケースは自分を含めてないのだけども、軽く考えている人がいて、そういう人ほど注意されるとなにを大げさにとなっちゃうのだけども、そういう人は織物の現場にはいないほうがよい。その人が大丈夫でも他の新しい人が来たときにそういうことに対しての緊張感がないと、軽く考えているタイプの人だとケガもしやすいし、教えたことも教えたとおりにやろうとはしないので、新しい人がけがをすることもある。

織機で、一人で作業をしている時よりも二人で作業しているときのほうが危険で、必要なければ織機は一人で作業をした方がよい。遊び気分で二人で作業していると、一人の人が確認もせずに動かしたりしてしまうともう一人の人が作業中だと大きな事故につながりかねない。織機を扱う作業に置いては、基本、一人でする作業というのをもう一人が手伝おうとするのはあまりよいことではないのである。機械というものも基本一人で動かすようにできていることが多い。

また、冬場とかストールをしながら織機を扱う作業をするなんて言うのは本当に危険で、注意するまではその危険性というものも分からないだろうとは思うけども、注意されたときに素直に聞いてくれる人でないと、それ以上機械を扱うことをし内容が良い。他にも、くびに紐でハサミを胸元にぶら下げているようなスタイルは、本当に危険で絶対に駄目だというのだけども、素人の人はみんなそれをやってしまって、いうことを聞けない人も多かったりして、そこで、作業は辞めてもらうことになる。私の母親も最近作業を手伝ってもらっているときにそれをやったので、それは危険だから絶対に駄目だからというけども、こんなの大丈夫よとクビから紐で胸元にハサミをぶら下げたスタイルで作業するのを辞めない。糸を巻く高速で管などが回っていて、ハサミがそこに持っていかれると一瞬ですごく危険な状況が簡単に想像できるのだけども、その一つのことを辞めてもらうだけでも、大喧嘩になる。ほんと、織物の仕事を手伝ってもらう時も素直な人でないと本当に危険だったりする。

正しくモノをつくるとかいうのも、いわれたことを言われたとおりにしないと安定して正しいものは作りにくいのだが、ちがうやりかたでも同じでしょとおもって、教えられたやり方でやってくれないタイプの人もいる、また見ていないと違うやり方でやっていたりとか、そうすると出来上がってくる答えが違って着たりして正しく作業ができていないのがわかってしまうのだけども、ものづくりというのはなかなか正しく作業をするところまでいける人というのは少なく、いくつもやり方はあるけども一番良い方法でやろうとしていて、最初は慣れて無くてできなくても、そのやり方に慣れれば最終的に一番簡単に速くできるというのが苦も無く仕事をするのにもつながるのだけども、そこまで深く物事を考えて作業する人も少なく、できれば一緒でしょみたいに思っていると、いつまでも安定して正しい作業にはならず。また、他の人に正しいやり方を教えることも出来ない。

普通の現場の職人さんよりも私が難でも器用にこなせるのは、いろんなやり方があるとは思うけども一番正確に速くできるほうほうを常に考えていて、失敗も少なく、途中で確認作業を入れながら作業を進めるやり方を選んで行う。昔の職人さんのほとんどがいきあたりばったりで、最後までやってから途中でまちがっててやり直しみたいなのがほとんどで、そのやり方から抜けられないからいつまでも一回で正しいものができるということが少なかったり。本数が多くなったりすると余計に、正しいやり方が大事で毎回毎回くらいに確認も必要で、それも含めて一番確認もしやすい安定して早くできる手や体の動きを常に目指してるところがある。そういうのが結局、作業の高度化にもつながるし、より高度なものづくりにもつながるのだろうと思うし、安全な作業を考える時にも、確認を含む安定した作業手順みたいなものは必要で、厳しく危ないことをやめさせるも大事。私は経営者だからそのあたりうるさくいうけど、もめたくないとかなるともういえなくなって、普通の働いている人同士がそういうのにピリピリしていることはなかったりするのが普通。
2023年07月24日
昭和のものづくりというのは、無駄にみえる部品でもそれが機能していることが多いなあと思う。たとえば、木管にのこった残糸を片付ける綛くり機の機械でも、精密にギアでできているんじゃなくてプーリーで回すようにしてある。何か無理をしたときに、プーリーが空回りすることが大事で、鉄と鉄が無利子合わないことが大事。そういうものは何十時間回っても熱をもたず大丈夫なようにつくってある。モーターにしても何十年選手で小ぶり。

この前にちょっと私の大失敗があって、整経機にビームを取り付ける作業をしていたときに、整経機の一番大事な大きなギアの2つが噛むところにレンチの持つところをを挟んでしまって、床を探しても落としたレンチが見つからず、運転入れたらレンチがギアに巻き込まれそうになって慌てて止めたのだけど、ギアの間隔が5mm以上以前より開いてしまった。ギアの噛みが浅くなり回るたびにギアの頭付近がぶつかり合って開いていくような気がして、そのあと整経機をあまりつかっていなかったのだけども。それもなんとか、無駄についていたようなブラケットが移動して、今日、数年前にかっておいたレバーホイストを見つけ出して、それを使ってギアの間の距離を狭くして、固定するブラケットを閉めたら、ギアの隙間が良い感じになくなった感じ。

整経機自体が、ギアの部分と、クラッチの部分で変に当たって異音を立てていたが、それも多分、なくなるだろう。今は、レバーホイストを強く閉めたまま歪を元に戻すために矯正中。この1か月ほど心配していたことの一つがようやく頭から消えそうで、でもこういのって、一か八かでやってみないといけないし、一か八かも失敗するようなやり方だと余計にやったことが悪い結果になってしまうから、慎重にやることが大事。

昔も、業者さんが来て機械の移動などをしたときに、シャッターは壊れるは、織機も慎重に運んでいるのにそれを手本をみせようとして、運んでいる織機を落として織機の脚の鋳物が織れてしまったりとか、業者の人というのは壊れた時にも責任を持つ器などないから、案外、大事な鋳物の部分が壊れていることが普通で、もうちょっとちゃんと仕事するだけで、壊さずに運べるのにと思うけど、そういうのもそれが普通の業者さんだと難しい。

自分たちで織機を移動するときにはそういう大きな問題は発生しないけども、力づくでやってしまうと当たり前に壊れたりするし、作業している人が大けがをすることも考えられる。ゆっくりと慎重に一発勝負でしないといけないことは、その場の即断でやらないほうがよく、慎重にやるのを面倒がる人がいたりすると、ややこしくなる元。何通りもやり方は考えられるけども一番確実で安全な方法を取るべきで、そのためには適切な道具が必要だったりすることもある。今日の場合はレバーホイスト。それなしにいくら修理しようとしても難しかっただろう。

仕事をするときに、本業の織物の仕事以外に仕事の機械をメンテするために必要な道具というものが必要で、あと自分自身で作業する力も必要。他の人に頼るときには、頼った人の力の限界が自分の限界になってしまうから、自分自身の限界を高めておくことが織物の仕事でも続けていく上では大事な要素になって来る。織物を企画して作るだけでなく、織物をつくる機械や環境を維持してゆくとか、さらには、自分で作ったものを売っていくことも必要で、そのためには、イベントに参加したり売るために必要な什器なども用意する必要がある。

ものを作ったときにできるハギレなども、基本的には使える布がほとんどで、数メートル間隔のキズをうまく使えば何の問題もない布が多い。そういうのを活かせるかどうかも、最終的にプロパーに売る部分を成り立たせてゆくためにも大事な要素。高度なものづくりというのはロスが生じるのが普通で、キズなどを避けようと思えば安全に手に入るようなものしかできなくなる。

織機のことに関しても織物の現場の人よりも、大手メーカーで機械を開発しておられる人のほうが、自分で家に作業場をもっておられたりして、他の場所の織機を引退後にメンテされたりと、仕事経験の長さではなくて、作業に対する興味深さとかとことんさの違いみたいなものが本質的な違いなんだろうと思う。その方には到底及ばないけども私も少しはそういうところを持っているので、ひと昔前の人たちが解決できなかった部分にしても解決して乗り越えていけてるとこも多い。小さな織物工場の中の世界に縛られているよりも広い世界を見ておくほうが良いと思う。私も織機を最初から直そうと思ったのはアメリカでの自分で自分の自動車のトラブルをいろいろと部品を買ったりさがしたりして直そうとしたりしてたことがあって、自分で直せなかったら修理に出すみたいな経験が今も生きている。また、若いころに自分でPCをパーツを買って自作したりとかも同じく生きていると思う。今も、ノートパソコンのSDDや、液晶や、キーボードを交換したりとか、直せるものは自分で直したリが普通。形あるものはいつか壊れるけども、多少壊れても直すこともできたりもする。布のキズ一つ直すのも電子顕微鏡で液晶モニタに拡大しながら医者が手術をするように徹底的に直したいと思うのは、子供のころのガムの型抜きに嵌ったあたりが生きているのかもしれない。

さっき、整経機の大きなギア2つが1mmくらいのいい感じの隙間でかみ合ってるのを確認して、レバーホイストを外して、ネジをしっかり締めて、若干の調整をして試運転。異音もなく調子よく以前のように回り始め、これで安心して巻き取りが行える。整経機を修理もせずに下手に動かさなくてよかった話になった。この1か月ほど、頭の中では、巻き取り部分、中古を探して入れ替えしないと駄目だろうかということまでよぎってた。そんなにうまく、昭和の時代の同じタイプの調子のよい巻き取り部分の中古の出物がみつかることもない。新しいものを手に入れても修理が必要になることがあるけども、それが簡単かどうかが大事で、昔から長く使えているものというのは修理をほとんどすることもなく自分が調整する程度の範囲で一生ものみたいなところがある。また、新しいものよりも、今度も同じ機械がほしいなあと思うのはそのあたり。なるべく長く使えるものがいいなあと思う。私自身が手に入れる材料にしてもその感覚で手に入れまた作るものもそのつもりで作っている。使っていて愛着のわくようなものが良いと思う。ボロボロになっても、また、今度も買いたいなあみたいな。
2023年07月22日
今日は、9月の大阪てづくりフェアの件で、コマのなかの配置をどのようにするかを決定しておかないといけないようなタイミングになってきたので、細部を詰めた。特に、背面が他の出展企業さんと壁もなく接しているので、そのあたり、フリーマーケットみたいな状態にするのかどうか、仕切りみたいなものを自分で手配するのかというあたり。

なにか会場に来られた方が、楽しめることがあると良いという思いで、今回もだれでも超かんたん無料手織り体験を行う。手織り織機というのは見ているとなかなか難しそうに見えるのだけども、やってみたら、すごく簡単でだれにでもできて楽しいというのを知ってもらえれば良いなあと思う。編み物とか、縫製とか、あるんだし、織物の体験もあってもよいんだろうと思う。

参加しておられる出展者の方々にとっては、お祭りみたいなイベントだと思う。参加される方にとってもお祭りみたいなものだろうと思う。出展者がどういうことをするかとか、どういうものを用意して売るかとか、また、人と人のつながりや新しい出会いなどもあるだろう。出展者の方の多くも企業のサラリー0万の方も居られたりするかもしれないけども、そういう方でもこのイベントに関しては仕事のような感覚というよりも、大阪のてづくりや繊維業界を盛り上げようという気持ちが強いと思う。

いろいろな方と出会いのあるような場に、自分の作ったものを置いてみたりしてみていただいて、それが発表にもなるし、また気に入ってもらえればほしいと言って買ってもらうことが出来る。なんとなく今は失われた仕事の基本みたいなところがあって、仕事というのは時間から時間というのではなくて、こういうものをつくったらみんなが欲しがってもらえるだろうなあと思うようなものを実際に形にしてお客様にみてもらって成果を上げ、自分が作ったものに対してお客さんの率直な反応を感じることが出来る。

林与にしても会社として仕事をしているけども、仕事の基本はほんとうにその部分で、一般の作家さん以上にそういうのに長けていないと、織物の仕事も続けていけなかったりする。こういうイベントに関しても自分自身で準備して参加するような気持がないとものをつくって売る仕事には向いていないだろうとも思うし、そう、当たり前に行動できる人というのはやっぱり場を作って成り立たせて行けるんだろうと思う。イベントにお客さんとして参加する側よりも、イベントに出展者として参加するのも楽しいんじゃないのかとも思えたりする。他の多くの出展者の方とも親しくなれるし、また、いろんな情報も手に入れることが出来る。

林与にしてももう50過ぎているので、もっと若い機屋さんなんかがこういうイベントに参加されるといろんなきっかけになるんだろうなあと思えたりする。私もテキスタイルマルシェにグループに参加させてもらって、JFW、HARVEST展、TN展の展示会に参加させてもらって、いろんなつながりをいただいて、自分が業界にいるときに何ができるのかということがはっきりとわかって自分にしかできない提案の仕方などもあるんじゃないのかと思い始めた。

あんまり外に出ない林与だけども、全国の産地で活躍されている方とのつながりを通じて全国の繊維の産地の知識も身につき、原材料のことや麻織物以外のなんとか織りとかの繊維の知識も身に着いた。積極性や行動力というのは、経験を積むうえで一番大事なことだろうと思う。そして積んだ経験が毎回毎回のものづくりには生きてくるし、ものづくりでなくても、普通の人が難しいとか大変だとか思うことでも自然に思えたりするようにするようになる。

だれかお若い人でも林与がやっているような手織り体験をやってみられたら、そこから人とのつながりも増え知識も増し、皆にも楽しんでいただけると思うので、ぜひ、他の方で繊維業界を目指そうとされる方があったらやってみてください。繊維業界のエシカルなことを考える時にも、繊維業界のエシカルに潜むパラドックスみたいなところに気が付かないといけないなあと思ったり。貧しく可哀そうに思っている途上国の人のほうが、先進国の人よりも器用で生きる力ももっていて、ただそういう運命的な位置関係の違いなだけで、自分たちの働かなくても生きてゆけるような価値観を基準に、その中の序列に位置づけようとして、そういう人を教育するとか考えるのは勘違いそのものなんじゃないのかと。たとえば、教育で、今の世界の一番安く普及しているような繊維の品質にたどり着けるのかというとそれは全く無理な話。一番安く、日本や世界の優良な利益繊維モデルは、単能工としても高度レベルにいかない標準化レベルそのもので、それがいつのまに日本の繊維業界の理想的なモノづくりになってしまったのだろう。

日本を代表するような繊維業界の方でも金儲け主義の人ばかりじゃないのも分かってる。でも、私と接するときにその正体が見えることも多かったりして、私自身はある日本の著名な織物の先生は本当に気持ちを持っておられると思うのを感じた。それが機結びとか縦繋ぎ、織物をつくるときの基本作業を自分がするという覚悟があるのかないのか、それを面倒がっておられる先生たちというのだと、よほど他に献身的にサポートされているとかでなければ、日本の高度に発達しすぎて高度なことが当り前な繊維業界は、海外の安い大量生産に流されて持って行かないだろうと思う。

世界的にもモラル崩壊で、国連すらもがモラル崩壊そのものの私利私欲主義で、弱いものは叩くけど強いものは叩かないという、ポリシーすらもがというか、国連の本質があまりにも、虐げられた人たちを救うのが国連が募金集める意義じゃなかったのか。戦う勇気もないのが国連レベルでカネだけ集めるような、人々の期待を権威主義で欺いているようなだけなら国連をうごかすような立ち上がる人も必要になって来るというか、国連にあきれて、国連が駄目じゃないのかと思う人も増えるのは当たり前。
2023年07月20日
私自身が、常に仕事に追われているのを知っている方々からはアドバイスをいただくことが多いのだけども、地元の業界のある方からは、看板があるんだからその看板を使ってどこか安いところでつくってうらはったらよいだけやんとアドバイスされることも多い。でもなあ、結局、他につくってもらうとその作ってる人が本物になるわけで、お金を儲けるという目的ならそれでよいのだろうけども、それが目的じゃないところが大事で、産地で織られる麻織物というのが途切れそうなのを仕事に入った25年前から感じていて、当時から、林与の産地での特色というのが麻を織っていることだった。

それから25年ほどたっても、まだしぶとく織っているんだから、それなりにそこに一番の意味を感じてたりする。産地でも一番の問題は織物の作業できる人がいないこと。産地の特色的な麻織物の先染めの細番手が一番得意なのも林与の特色でそれが他の産地とは異なる近江湖東産地の特色とも被る。先染めの細番手織物だと、林与個人が、世界でも無二レベルで挑戦する人もほとんどない。手織りですらも少ないだろうけど、それを超えてシャトル織機やレピア織機で量産してみようとするから、そういうのに挑戦できるのが、自分個人の力だけでなく、産地の強みだったりするところ。

世界に誇れるような日本の麻織物の世界というのは、海外で安くつくる麻織物とはアプローチがまったく逆で、自分自身がどこまでやるかがポイント。他の人がやってもできないことを自分だったらやれると、自分なりのベストを尽くそうとする。それがもちろん空回りして深みにはまってしまうことも多い、特に、他の人との感覚の違いとか、安全に守られたいような感覚とは異なり、そのあたりが今の楽に働いてを美しいお金儲けを目指すみたいなSDGs思考とはぶつかるところ。外に見える謳いばかりで、業界ではありえないすごいことをやっているを謳うばかりで消費者を煽りながら、そのための地獄を見る覚悟や結果や本質がなければ駄目じゃないのかと思う。

世界最高レベルの世界というのは、墓穴を掘るような世界で、儲けるとか考えたら絶対無理、同じくエシカルな世界も、気軽なエシカルだと、逆に地道な人をつぶしていくだけのことで、今の国連レベルのSDGs。お金が儲からんと意味ないやんを国連レベルで推進は本当に残念そのものというか、日本の国連レベルのSDGsの受け止め方が、地道な日本企業に目もむけずに金儲け的な大手繊維企業にありがちなSDGs。SDGsにしても、国内で利害が対立しすぎているのが現状で、働くことを重視する地道な昔ながらの世界が一番駄目だと評価されるのが、今の日本のSDGsの世界で大丈夫なの?
2023年07月19日
自衛隊の隊員10名が亡くなった事故でエンジン出欲が低下したというのは、ローターが外れたとかで、エンジン制御が働いたからだろう。回収されたプロペラにはぶつかったような切断キズがあるし、ヘリがひっくり返って着水したような形跡もある。でもなぜ、煙を上げて着水したヘリを近辺を飛びながら捜索していたのに無視したのかが諦めたのだろうか、その部分は不思議な話。ひっくり返っているからヘリに見えなかったのか?海岸から爆発したのを目撃してたサーファーは、その上空を飛んでいたヘリなどはその後消えて行ったという。

エンジン出力の低下も、エンジン自体の不具合ではなく、ローターの取り付けの不具合の可能性は高い。エンジンの回転数が20%以上上がりすぎるとエンジン制御が働くメカニズムがあるだろうから。整備が行われたばかりというのもそれを疑うべき要因にはなるところ。ローターの取り付けが再度行われた可能性もあるし、取付ボルトの強度の問題もあるかもしれない。もう産業界でも、ボルトの鋼材ですらも強度偽装がこの何十年も普通に行われてきたのが日本の鋼材業界。整備の際に新しいボルトに付け替えられたりしたなら逆に余計に心配するところ。

三菱自動車のトレーラーのハブ破損も、取り付けが原因だと言われているがボルト自体に強度が無ければ・・・、そのあとに問題になったのが日本の鋼材業界の何十年に渡る鋼材の強度偽装問題。JISレベルは満たしているというような逃げるような表現すらも出てくるけども、汎用的なJISレベルの鋼材が、その何倍もの強度を求めて設計されるべき自動車やヘリに使われてしまっていたとなると、数千メートルも使えば負荷に耐えられず摩耗してブチ切れたりとか、外れたりも想定はしないといけない。

昔の強度を持つ鋼材が今作れるのかというと、それは本当に難しい話で、今のネジというのは数回使うと駄目になるし、最初の1回のインパクトドライバーの締め付けで駄目になることも多い。そういうところまで自動車の事故やヘリの事故のような時には想定をして原因究明しないと、不良整備とかユーザーの問題で片付けていては本質的な事故原因の究明には至らないだろう。このヘリにしても三菱製で、トレーラーのタイヤが外れる問題が多発した事故と同じ様な原因すらもが疑われる。

素材というのはすごく大事で、ネジ一つ昔の強度を保っていないような今のネジで代用をしてしまったら、負荷に耐えることは難しいだろう。日本の鋼材業界の強度偽装問題というのは致命的ながらも、今はボルト一つでも昔の強度のものを手に入れることは難しいような状況。昔の機械などは何十年も使えても今の機械は素材自体がちゃちいので耐久性がない、製品を使う人たちに責任を投げかけていてもしかたないところがあって、ベストなチョイスをしながらも、昔のような良い原材料すらもが手に入らないのが今の繊維業界でも実情であるのと被る。機械のネジすらも40年前、50年前のもののような強度のあるものは手に入らない。

他の原因やローターが外れたとしたらヘリ墜落事故にありがちな整備不良も疑われるが、正しく取り付けられていたとしても鋼材の強度偽装が背景にあったとしたらトラックのような負荷の掛かりやすい場合にはタイヤが外れるような事故にしても避けられない問題だろうとおもう。このような憶測が本当の事故原因だとすれば、メンテナンスにおいても新しく今つくったボルトなどを使用すること自体が問題になって来る。50年前の金属素材の強度を今再現するということすらもが難しいことで、中古部品を使いまわすしかないのだろう。50年前のボルトとなるとやはり経年劣化による金属疲労も伴ってきてしまう。そうなるとそういうことを結論としてしまうと50年選手のヘリの保守自体に問題が及ぶことになるのでそういうふうには結論付け出来ない様なことにもつながるだろう。(事故直後は、パイロットの空間感覚の喪失というパニック状態が憶測的に疑われたが、ボイスレコーダーでそれが原因ではなくエンジン出力の低下が原因だという結論に達している。エンジンは二つ搭載しているし、エンジンが止まったとしてもローターは突然止まることはなく、しばらくは飛行できるというような説がいわれていた。ローターが外れたとしたら確実にエンジンの出力制御が働いて出力が上がらなくなるだろう。)アメリカでのUH-60の事故に関しては、https://aviation-assets.info/flightfax/uh-60-test-flight/ が詳しい。今回の自衛隊の当該ヘリにおいてはボルトの回り止め防止はなされていただろうと想像はするが、ボルトの回り止め防止がなされていなければ同様の事故は必然的に起こりやすく、同様の原因の墜落事故だった可能性もある。ライセンス提供されて三菱によってつくられたヘリだけに、このような米軍内での緊急メンテ情報などが日本には届いておらず対策がなされていなかった可能性もある。
2023年07月17日
たとえば中国では昔は60番手くらいまでの糸しか引けない綿花がほとんどだたのが、今では新疆綿といえば超長綿の代名詞。その背景としては中国が何十年の歴史を持ち、今では世界トップレベルになった遺伝子組み換えの技術が生きていてる。普通の話なのである。インドも同じく、BTコットン栽培のメッカ的な存在であったし、もう今では遺伝子組み換えでない種を手に入れることは難しくなって、努力目標的なものになっている。

オーガニック規定というのは、世界基準みたいなものは実際には存在せず、各国のオーガニック規定に沿った形で認可が下される。日本では、遺伝子組み換え種子を使わないと言われて謳われていても、それぞれの国で使うことが許可されていればオーガニックコットンと認定される。各国でのオーガニック認定が大事でそれが下りることで、認定機関がオーガニックであると認定しているようなところがあり、実際には各国ごとにばらばらな認定基準なのである。

たとえばCPKという肥料の3大要素に関してはインドでは土壌的に自然配合を超えない範囲では制限されていない、すなわち、たとえば日本でいうところの農協の合成肥料がインドではルール上規制されていないのである。また、種に関しても先ほど書いた通り、もう遺伝子組み換えでない種子を準備することは難しくなっているのが実情。国レベルで、何十年も遺伝子組み換えをやってしまっているともはや混入どころか、種すらも入手が難しいという話になる。それが遺伝子組み換えの怖さなのである。

今は、遺伝子組み換えの種を使っても、有機栽培3年で有機栽培された種ということで、オーガニックな種となるみたいだが、本質の遺伝子組み換えの問題は3年育てたところでそのままどころか、それが普通になると本当に遺伝子組み換え汚染が広がる結果につながり、遺伝子組み換え不使用を謳いながらも、ミイラ取りがミイラになるような。遺伝子組み換え不使用を謳いながらも、遺伝子組み換えまではチェックしていないのが実情で、努力目標的なだけなのである。

消費者としては、オーガニック幻想にとらわれずに現実を知ることが大事で、謳い通りのものを手に入れることがどんどんと難しくなっている現実で、これは熊本のあさりの問題とおなじようなところがあって、熊本のあさりの業者に聞くと、有明で国産のあさりを取るなんてもう無理だよとかが当り前の話、また海外からの輸入アサリの畜養にしても1年もやったら全部死んじゃうとか、現場のものは現実的には無理なことを分かっていたりする。そういうものが国産あさりとして、日本で30年も8割のシェアを占めて来た。値段は海外アサリの2倍で売れるので他のまともにやっている国産あさり業者を余計に苦しくしてしまうような結果。利益に目がくらむと偽装につながりやすくなるのでオーガニックも気を付けないといけない話なのである。

今の国際的なSDGsの流れは、利益主義的すぎて下手すれば新しいものに買い替えろみたいなところまである。従来続いてきた地道な世界というのが大事なのにそれを悪いことのようにまた金儲け主義の人がその場しのぎに仕切ろうとすると、従来以上の地球環境破壊を及ぼす。ヨーロッパでも一番環境意識の高いドイツのフォルクスワーゲン社が、クリーンディーゼル偽装をやって、有りもしない技術を謳って、世界シェアを奪いつつけて排ガスを垂れ流し続けた20年余りとか。消費者は地球環境に良いということで買い替えて結局排ガスを垂れ流して法律違反レベルの地球環境破壊させられていたということで、そこが一番消費者からすると騙された思いだろう。くしくもヨーロッパで一番環境意識が高いだろうドイツの企業がやってしまったというのも、地球環境を謳うものが偽装してしまうような、今の環境ビジネスが行き過ぎてしまっているところだろう。

オーガニックにしても、現実問題として、たとえば私がオーガニックリネンの糸を使ったと謳ったとして、普通のリネン糸を使っていても、それは消費者の人にはわからない話で、どんな国際認証機関においても検証すらもが難しい話なのである。結局は、ラベルが貼ってあろうが携わっている人のモラル次第なところによるだけの話ということに終始してしまう。

今、ハイブリッドカーが登場してしばらくあとにはリッター40km走るというのが謳いだったけども、それがリッター25kmとかに落ちてきている。それとは別の話だけど国内でも燃費偽装問題も明るみになってきた。25年前に乗ってたホンダの中古の軽自動車で、高速道路を使わない実走行で、リッター25kmは走っていたことを考えるとあんまり進歩していないのかもと思える。
2023年07月11日
先月の百貨店イベントで、初日に一番最初に来てくださったお客さまがキッチンクロスをお買い上げいただき、その数日あとにもう一度お越しくださって、使ってみて、本当に良かったので友達にもプレゼントしたいといって追加で買ってくださった。今日も、百貨店イベントでお会いしたお客様が、キッチンクロスが良かったのでどこかで手に入らないのかというようなお話。

布というのはすごいなあと思う。人々を惹きつけるような要素を持っているのを感じる。コロナ前には海外の展示会に行っても、言葉が通じなくても布が言葉みたいなもので、多くの海外のデザイナーさんたちとの出会いが生まれる。パリの展示会に行ったときにも、最初のお客様というのが、ベルギーの天然繊維にこだわるデザイナーの方で、ベルギーのリネンのことも聞きたかったので1時間くらいは雑談させていただいたのだけども、ベルギーではアパレル用の良いリネンがみつけられないといっておられた。えっつ、って感じ。林与の生地をみて、良い布をみることができて今日は一日幸せだと何度も何度も言ってくださってた。

林与がちょうどアイリッシュリネンプロジェクトをやっていた時だったので、お出会いの記念に1枚、アイリッシュリネンハンカチをプレゼントさせていただいた。林与自身がすごく思い入れをもって織ってハンカチに仕上げたもので、1枚の小さな布をハンカチにしたものでしかないけども、その布というのは布に思いをもった人からするとずーっと探し求めていたような布との特別な出会いになるのかもしれないと。

リネンのストールプロジェクトなども、海外の展示会では発表をさせていただいて、細番手リネンの織り成す柔らかリネンストールを世界に提案した。また、リネンデニムプロジェクトも林与がこだわる世界の一つで、リネンでは不可能だと思われていた綿のようなデニムをリネン生地で織りあげ国内や海外の展示会で発表した。

一つの布を開発する時には3年くらいは時間を使うことが多く、一番最初に絶対に織るのが難しいような規格から入って、それをどこまで織れるように持っていくのかという試行錯誤、織ると並行しながら生地を加工して製品化までしてみて、面白いか面白くないか、一見してその製品にときめきがあるのかないのかを検証する。開発中の商品は事務所に転がっていることが多く、なんどもなんども見る、その時に良い感じなのかどうか。

リネンキッチンクロス、アイリッシュリネン、リネンデニム、リネンストール、それらの生地は、自分が、いつ見てもそれなりにいい感じで、それぞれがそれぞれに特徴もあって、布が私に語り掛けるようなところがある。林与の布ロゴ看板も展示会の荷物に紛れてどっかいっちゃったけども、あれも、ほんと語り掛ける創作物で、あれは初めての展示会の前日に、生地ハンガーはあるけども、ブースどうしようかというのを思って、半日掛かりでつくりあげた。そのブースに看板を飾ったのだけども、ほかのスタイリッシュなブーストは違って、手づくりっぽいインパクトが強すぎてなんか笑えて。あのロゴは与一爺さんがつくって近江上布の着物の箱に印刷してたもので、それを私がまた使い始めたこともストーリー的には面白いんではないだろうか。ある海外の大きな展示会でも林与のブースにこられた方が、展示会で一番いいものを見つけたといわれて他の人にも見にくるように電話されてたが、それが林与のロゴ看板だったりもあった。林与の名刺とか会社案内とかも15年ほど前に自作したものを今も使い続けていて、手づくり精神はそういうところにもある。

林与のものづくりが、その道のプロの人も感動を与えることがあって、ある展示会では藍染の工房さんが出展されていたのだけども、ちょうどその時に林与が麻の藍染プロジェクトをやっていたので、本藍で完璧なまでに濃紺に染められたリネンがその工房の方には刺激的すぎたみたいで、感動を受けたということでほんの少しで良いからサンプル生地を分けてほしいと真似ができるようなものでもないのでお分けしたことがあった。海外の展示会で藍染の展示をみられたオーストラリアのデザイナーの方が、仕事の話じゃなくて自分のものとして本当にほしいと思われて展示会で一番気に入ったものだったのだろう。林与が作った布を、布のプロたちが自分用の私物として買いたいと思っていただけるというのはありがたいことである。展示会に来た記念のお土産に林与のストールを買ってくださる世界各国の出展者や来場者の方も多い。
2023年07月11日
8月5日6日に米原の伝統産業会館で開催されます長栄座のイベントのロビー展示に関する準備の詳細とチラシが届きました。友人がビームを下すのを手伝いに来てくれたので、チラシを見てもらう。私自身、イベントの準備というのは前日位からが多く、今回もキッチンクロスの縫製と洗い掛けを前日に行って朝に出来上がったものを会場に持ち込む予定。あと手織りの織機の整経もしないといけない。

友人は、他の出展者の方の情報もいろいろと知っておられ、私以上に地元のことはよく知っているタイプ。今回は、滋賀県の地元の方向けのイベントなので、来場者の方にキッチンクロス1枚プレゼント企画を行うのと、超簡単無料手織り体験を行う。来場される方の多くが、滋賀県では麻織物が特産品であるということはご存じなのだけども、普段、滋賀県で織られた麻をお使いの方というのは少ないと思う。手織り織機の画像イメージはあっても、実際におられたことのあるかたも案外少ないと思う。

キッチンクロスは、生産の途中でいろいろと問題があったりしてハギレができたりするのだけども、そういうのを残しておいてよいところどりして、正規の商品ではないプレゼント企画用のキッチンクロスを作る。キッチンクロスに向いたナチュラルな加工で仕上げてある。サイズもバラバラだけども、好きな大きさのを選んでもらえばよいだろうし、大きいのが欲しい方もあれば小さいのが欲しい方もあられる。またハンカチに使えるような小さなタイプのものが欲しい方もおられる。

時間があれば、ストールやカバンなども販売を兼ねたディスプレイ用に展示などしたいのだけども、たぶん、キッチンクロスを2日で150枚くらい縫製して準備していると時間はすぐに足りなくなるだろう。他の方々というのは、会社や地場産業のイメージを展示されるのだけども、林与は、ブースをいろんな商品で飾ることはできないが、家に帰られてからキッチンクロスをお使いいただくことで日本の麻織物の本場の麻織物を身近に感じてもらいたい。

また、超簡単手織り体験も整経などの準備が間に合うかどうかだけどもできるところまで準備して、あとは会場で織機の立ち上げなどはできるので、なんとかなるだろうという感じ。2台持って行きたい。長栄座の公演というのは、出演者に子供さんがおられたり、また、親御さんについてきて子供さんが来られることも多い。手織り体験ももう5年目くらいにはなるだろう。子供さんにもキッチンクロスは1枚プレゼントさせていただくので、そういうのも、滋賀県に麻織物があってそれを使ってもらえるというのは、織物を身近に感じてもらえるひとつのきっかけになるだろう。

私自身が手織り体験の凄いなあと思うところは、子供たちが織ることに夢中になってくれるところで、自分の作業で目の前で織物が織れていく楽しみみたいなあたり。もちろん子供さんだけでなく、お若い方から年配の方まであらゆる方が経験頂くと、やってみると分かることもあるで、目からうろこみたいなところがあります。日曜日に米原の伝統産業会館に来て公演や他の出展でも楽しを見つけられるとは思うけども、手織りを体験していただいて織物を織ったことも1日の思い出になれば。手織り織機で織物を織ることは難しそうにみえてもすごく簡単で楽しいということを知っていただけたらうれしいです。
2023年07月07日
先代を持ち上げていた母親もようやく今まで自分がやってこなかったという状況が分かり始めたようで、80過ぎて気の毒だけども、実際に初めて位に仕事をしてみて仕事の普通の厳しさみたいのを知る話。仕事というのは外の世界とのつながりなのだけども、内輪のなかで偉そうにしていてもそれはまったく成り立たない世間知らずで本当に無意味な話。

母親には寝る時間やテレビを見る時間、自由に動き回れる時間をあげたけども、それが普通になってしまって自分が自分で食べていくというのが理解できずに、なんで私が働かないといけないのよ、若いころに働かされたわよ、というような、今の若い人の働く覚悟もない、自分のメンツが勝ってしまって、自分がすべきことをやらずに、自分が下と思っているものに当たり前にそれがあなたの仕事でしょうというような、いわば、日本の階級社会の末期状態。

自分が働く覚悟もない人というのは本当に厄介で他の人を仕切ろうとするからややこしくなる、それが林与の先代夫婦。6億もの借金を自分が信用あると自慢して、お前には無理だとか言っていても、でも、実際に返すのは次の世代。くしくも先代は先々代から借金してまで仕事するなと言われていたのがあって、私が3歳くらいで亡くなっているので記憶はあまりないが、おじいさんというのはしっかりとした人だったなあと思える。過疎化や少子化なんて当たり前で、年寄り連中が好き放題に。実は林与というのは、親に育ててもらったというよりは、本当に正しいことは旧の愛知川町の剣道の先生方に教え育ててもらって、先代なんかは、一番に小学生からやり直さないと駄目のも当たり前。日本の繊維業界の落ちるに落ちるを見る話で、それで成り立っているのが今なお令和の日本経済だったりもする。

何も残していらないから借金を片付けて綺麗にしておいてほしいというのに、驕りすぎてお前は将来ワシに感謝すると田舎の旦那さんというのが、私が高校生17歳の時の真面目な話の結論。そういう先代に頼ってしまっていては結局何倍もの問題を解決するのが私が働き始めた時からの仕事。でも、先代夫婦というのは今時の感覚で、こかしてなんぼの世界、そして先代と懇意にしていた金融機関もそれが理想だと思っているから、何億円もの問題が次の世代にのしかかってくる。

カネや数字に浮かれた人たちが、人々が守ろうとする物事の大切さや気持ちも見失って、綺麗ごとで利用して責任感もなく食い物にするのは解せないところ。先代はあまりにも人が良すぎて、田舎の世間知らずの旦那さんそのもの。その世間知らずの旦那が、人間関係に奢って、他の人に頼り始めた時に、それは相手の苦しみも理解せずにやったら駄目だと警告を鳴らすのが私で、人々が働くをあまりにいい加減に考えすぎているのが覚悟すらもないというか、覚悟すらもない人が集まりすぎて覚悟している人を食いつぶすようなのが当り前な今のながれ。誰が面倒を見るんですかという話で、自分が面倒も見ようともしない人たちが偉そうに面倒見ろとか、それは野麦脳外の世界に通じる話で、日本の階級社会の闇そのもの。生きてゆくのも難しい困った貧農を救うのが国からすると一番駄目なようなように持って行く、3年で家が建てられるとかのチャンスが日本苧行政的な階級社会では一番駄目なことになる。

江戸時代の身分制顔がそのままなのが今の日本の法の下の平等で、法律で江戸時代の身分制度や階級社会を守っているだけのことで、それが、本当に残念、そのもの。自分が支える覚悟のあるものが日本の繊維業界を支えてゆかないと思うだけで、その気持ちを増やして行かないと、日本の繊維業界もどんどんと楽にうすっぺらく、ラベル商売が横行して、逆に実際に作業する気持ちすらも食いつぶして行く、それがこの15年くらいの流れ。

専門家の人が林与にアウトソーシングしなさいとか、損得じゃない日本の産業としての問題で、それは、日本の大手企業すらもが海外のお客さんになるだけの話で、自分たちが働くことすらも面倒になって、そういう考えに陥ると成り立たないようになるだけのこと。大きな企業に憧れが無くて、一般的には特に大きな企業の中の人には魅力をあまり感じない。大きな会社の中でも、私と同じように仕事している人がいたりもして、そういう人はなんでも自分でやっていて解決方法も持っていたりする。実質的な仕事のところがあって本当の仕事力みたいなものを持っておられ、その会社では一番年配の開発者の方らしいのだけども大企業を支えられているなあと思えた。

補助金の審査会でも審査委員のいわれることがずごく浅すぎてそれが一番駄目だったりとかも多く、わたしは、現実も分かっておられずに「そうですか」というだけ。別の審査会では審査員の方が事業計画でなぜ販売をしないのですかという質問をされたりもして、補助金の事業期間中は販売してはならないルールがあることが私の返答だったりとか。自分が開発した商品などにしてもなぜか販売は他の人に任せなさい見たいなことを言われたりするけども、それももちろん今までの仕事で経験はもっているけども、繊維業界全般で販売が難しくなっているから、作っているもの自身が販売を手掛けていくという必要性が出てきているのである。

一流企業で働いてとか公務員になるも難しい人たちが田舎の繊維企業に集まったときに、そういう人たちの生活をどうやって支えてゆくのか。できなくても精一杯やってみるというところから始めないと。何億問題を当たり前に背負いながら、まだ、働いている人を先代のように大事にしなさいよみたいな感覚では、今の時代の普通に働くも難しい話で、そこまで要求されるのが駄目な田舎社会。持ち出してその人々の人生が支えられているのがわからないと年配者や経験者がどこまでも覚悟すらもなく支えている喪に要求では難しい。みんなが頼っていた先代や、ちゃんとしているという母親に、1日のアルバイトの覚悟もなく、次の世代に面倒見てもらうのを求めてしまっている日本社会と被って、残念に思うところ。

田舎の商売感覚ではどうしようもないところがあって、外の人たちというのはピュアな気持ちで応援もしてくださる方が多く、普通に一生懸命にやっていれば評価してもらえるというまともさがあって、そういうのは一般の最終消費者のお客さんが評価される気持ちみたいなところからきている部分もあるのだろう。一般の消費者というのはSDGs的なものごとやエシカル、エコを大事に思ってくださる方が多く温かいなあと思う。そういう気持ちに応えられるような感覚で仕事はしたいし、意味のあることを続けていることがやっぱり大事じゃないのかなあと思える。儲けるとか儲かるとかに支配されてしまうと、大事な物事を見失ってしまって、毎回毎回の判断が誤りの積み重ねになってしまうだろう。それだけは避けないと一生懸命にやっている意味すらもなくなってしまう。
2023年07月01日
遺伝子組み換えのBTコットンではないかとオーガニックコットンが疑われている事例への、国際的認証機関の返答が、綿花レベルで遺伝子組み換えか否かを見分ける技術は現在のところないので問題ないという返答。それって国際的な認証機関が、オーガニックで遺伝子組み換えを禁止していると消費者には謳いながら、実際には、インドなどでは遺伝子組み換えでないコットンの種子は入手が難しくなって努力目標でしかなくなっているのが実情。

何がいいたいのかというと国際的な認証機関自体が、消費者に謳っていること自体がもはや現実味すらなっているということ。今に始まった話ではなく、2008年のピークから次の年に半減したのは、認証機関が適正な検査をしていなかったということで、2009年2010年にはインドの綿花の栽培量が半減した。オーガニックコットンの意味を否定するわけではないけども、国際的な認証機関の認証もうのみにせずに、消費者目線で警笛をならさないといけないというのが実情なのである。

特に、日本で一番大きなオーガニックコットン系の組織で、数年前まで、理事長やってた人は本当に無茶苦茶なことを電話で言っててびっくりした。私がコットンじゃない合成繊維交じりのものにもオーガニックコットンのラベルがついていますよね(当時はオーガニックコットン100%でないと駄目なとき)、というと、その理事長は、それは企業が勝手にやってるだけだから私の責任ではないと。それが国際認証機関の日本の認定委員も兼ねているから、結局、その程度の認証なのである。ほかにも、エシカルなことが面倒だとか、国際会議でなまった英語を聞いていると眠くなってくるんですとか、私があなたが一番オーガニックのなかでやばいですよ、早く理事長を止めた方がよいですよ、というと、辞めたいけど他にやる人がいないからやっているだけだという答え。そういう方が日本のオーガニックを謳って、セミナーとかで講演をしていたというだけのこと。一番感じたのは権威主義的で階級思想的な考えをもっておられ、そんなボロボロなことを言いながら、オーガニックの代表では駄目だろうと思うが、それが一つの日本のオーガニックのお粗末すぎる実情。その当時の副理事長だったかたにこういう話をするとびっくりされていたが、副理事長の方ですらも、理事長がそんな人だとは思ってもおられず、一緒にオーガニックの啓蒙活動をされてたみたい。その方を取り巻いておられた他の方ともお話するとびっくりされているけど、取り巻いておられる方々にしても、そういう本質も見抜けずに一緒によくやっておられたなあと思う。

オーガニックコットンに憧れる業者の方というのは、それまで普通のコットンを扱ったことのない方が多かったりする。同じように普通のリネンを扱ったことのない方々が、オーガニックリネンを求められて商売にしようとされていたりも多い。そういうのって繊維の世界からするとアプローチが違って、繊維の基本知識もない方がイメージから入ってこられるみたいなあたりで、消費者に正しい知識が伝わるのかとかも心配だったりするところ。

国産と謳われると安心するというイメージがあって、それが海外でつくられたものであっても、国産しか謳わないからどこがどう国産なのかというあたり、百貨店レベルでも危ない橋を渡っておられる業者さんがあったりもして、販売店員の女の子と話しているとすべて国産ですと言われるが、その裏の話をしっているから、販売店員さんにその会社は海外本社の業界では有名な輸入生地業者さんだということを教えてあげる。熊本のアサリのようなことは繊維業界でも普通にあって安い生地にはやっぱり訳がある。別に安くて悪いわけじゃないけども、高く売りたいからすべて国産とか謳ってしまう。

生地の産地にはいろいろな産地が絡んでいる、原料の産地、紡績の産地、染の産地、織の産地、加工の産地などなど、生地の産地要件としては、基本織の産地が、生地の産地となる原則があって、後染めやプリントの場合には、織の産地+プリントの産地とか、林与の場合は、織の産地主義に基づいているから、産地主義を貫いている。林与のように自分自身で仕事を受けて織っている会社からすると、今すでに麻を他の会社に頼まれて作っておられるなら、その織物工場とのお付き合いを大事にされるのがよいのではないかと思ったりする。

機屋というのは日本では絶滅危惧産業で、林与のようによいお客様やチャンスにも恵まれながら、いろいろとものを作って動き回っていても、実際の作業量が多すぎてなかなか成り立たせるは難しい。でも、普通に憧れて本質を見失なってしまえば私が織物をやっている意味も無くなるだろうと思う。ある方が、林与に尋ねられたことに林与さんの特徴はなんですか?と、自分で織物を織っていることかなあとお答え、尋ねられたかたはその当たり前に思われる答えにポカーンとされたのだけども。たぶん、どこどこの糸を使っていますとか、すべて何とかリネンですとかのようなところを求めておられたのかなあと。麻の知識に関する認識が違いすぎる時には、整合することはないだろうから言わないほうがよいのか迷うことも多い。言わないときには林与との仕事としての接点は生まれないほうがよく、接点が生まれると生地に対する情報がその方に正しく伝わるか、また、その方から消費者に正しく伝わるかどうかが重要なポイントとなる。
2023年06月28日
ルールを作っている人が現実しらずに理想もとめてたりだと大変なことになるのが、クリーンディーゼル偽装。地球環境を守ると言いながらも、不正プログラムで実走行では排ガスを垂れ流すディーゼル車に買い替えさせて世界シェアも伸ばしたが、実際には、10年20年排ガスを、偽装クリーンディーゼル車が環境によいということでシェアを伸ばしより大規模にディーゼルの排ガスを垂れ流すような結果になって地球環境を破壊。今、VW傘下のアウディ者の元トップが裁判に掛けられているが、そういう絶対に無理なルールを強いて偽装に陥らせてしまうような環境意識高い系の素人専門家や国の役人たちが深く考えもせず、まともにやっているものごとを破壊して、地球環境の悪化につながってしまった典型的な事例。環境に良いと信じた消費者が手にした車を買い戻しさせることも出来ない。

人々のモラルまで落ちてしまって、素人的な環境の専門家たちと一緒になって、ルールを守って地球環境破壊することが、まともなものを淘汰してしまって最悪の結果。地球環境の専門家たちがクリーンディーゼルというような実現性のないものが実現されたと持ち上げて地球環境を救う最先端みたいに、普通のまともなものを駄目なことのようにつぶして行く。偽装の発端が、地球環境保護を謳う人たちの意識と知識の無さにあるだろう。

同じく、熊本のあさりの産地偽装問題も、やっている人たちはルールを守ってやってたみたいな一夜漬け、その一夜漬けもしていない業者もいたりで、結局、そういうのが表面的な世間一般では超えたことをやって国産の優良企業として扱われて、正直に商売している人たちは成り立つのも厳しく、商売がヘタみたいに扱われて、何十年。まともに仕事していたら儲からないのは当たり前だけども、そういうまともな商売を評価しないと駄目なのに、なぜか、ルールやラベルがあることで、それを欺くところにビジネスチャンスがあるみたいな今のものづくり。

オーガニックなんかでも、いくら認証やラベルがあろうが、結局は一つの企業のモラルの問題というだけでしかなく、普通の糸を使ってオーガニックラベルを付けても判別は不可能という現実。ルールの独り歩きの典型が虫のいない様な場所でのより工業的な作物の生産手法の導入とか、自然農法とはどんどんとかけ離れてゆき、資本主義的になりがちな今のオーガニックで良いのかと思う。

続いている技術というのはそれなりに安全性があるのだけども、それを駄目なことのように貶めてより安全でエコだとかで買い替えさせ、ずっと使えるようなものを捨てさせて、新しいものに買い替えさせるような、ビジネス目的のエコでは、従来の業界のまともさすらもなくなってしまうだろう。変な環境家や学者など必要なく、健全性を守る覚悟の人たちが業界をつくりものを生み出していくのが一番良い。買い替えさせるのに必死なビジネスのどこがエコなのか、その買い替えたものがまた数年で買い替えないといけないようなものだったり、より地球環境を破壊するような結果になる。

アベノマスクにしても、マスク企業がやったんだけども、あれは一番駄目な日本の終わってるようなレベルの政治と癒着し商社化した繊維業界の典型。ああいう形で生まれたマスクでも、つくられたマスク自体には罪はないしゴミでもない。今はマスクが普通に出回ってマスクのありがたみすらもまた失われてしまったけども、ゴミのように考える考え方が蔓延ってしまうのが本当に残念で、どうしようもない人たちが掌っていると保管料だけで6億円とか、もうそこが根本的に垂れ流し。

国もエシカルサステイナブル言いながら長期保管もできないようなシステムそのものが、エシカルとかサステイナブルを指導しようとしていたりでは、日本のエシカルサステイナブルからもまともが消えてしまう。人としての温かさを失った人たちがエシカルやサステイナブルを牛耳り始め、実際にやってる人たちを駄目かのように苦しめはじめたらそれはもうエシカルでもサステイナブルでもない。
2023年06月25日
商売するのには、場所というのはすごく大事だったりする。何もしなくても人通りの多いところでは商品やサービスが人の目につくが、奥まったところだと人の目に着きにくく、売り上げをつくることは難しい。若いころ展示会に出て、人の流れの少ないところが当たったときに、場所が良くなくて、新しいお客さんとの出会いが少なかったことがあって、もっと良い場所に割り振ってほしいなあと思ったことがあった。その考え方が本当に愚かだと悟ったのは後のことで、主催に近い出展者は、大きなブースで費用負担も大きいけど敢えて奥まったような場所を意図的に自分たちに割り振ってられるようなことを知った。その理由が、奥までの動線を作るためのような全体を盛り上げるためにあえて自分たちに悪い場所を割り振るみたいな考えの方がおられるのを知って、ほんと自分自身は浅いなあと思ったことがあった。

ものを売るだけの商売なら、販売のチャンスにものが売れないと難しいことになるけども、林与の場合は、織物をつくるという大事な部分があって、展示会に出ながらも、そこに一番の力を注ぐべきだろうと思うようになった。売り方にしても商社的な会社の売り方を真似るではなくて、自分自身が作っている立場の人間として、これは良いものですよと伝えるような売り方がよいんじゃないだろうかと。たとえば、それが他社の生地でも私自身がみて感動したならそれは良いものとして、お客さんにどこどこの業者さんがすごい生地をもってられるみたいな話をするとか。手ごろな価格帯の生地を探しておられるお客さんには、他の業者さんの情報を紹介することもある。出来上がった生地がいくらというよりも、製造するのに掛かる手間やコスト、リスクが結局のところ私にとっては生地の値段。林与の問題というよりもお客さんの求める生地の作り方次第でコストは大きく違ってくる。

他の会社のカラーブックで、数メーターから買える生地に慣れておられる業者さんにとっては、生地というのはいつでも手に入ると思われるかもしれないが、ブランドの色とかもうちょっと薄い生地を敢えてそのお客さんだけにつくるとかなると、お客さんがしっかりとした生地を買い上げる企画をもっておられないと話からして難しい。自分が頭でほしい生地を、30cmだけ作って見せてみたいな話をされるお客さんが多いけども、それほんとそれを頼むことの意味を分かっておられないと、次は1着分だけほしいとか、10m20mのサンプル作っても30cmだけ送ってとか、自分がオリジナル生地の企画をするのに売れたら買いますみたいな話とか。林与が自分自身でオリジナル生地を作るときにでも普通に100mとか200mはつくって売る自信があるし、作った生地は在庫として持って販売する努力を売り切るまで努力しつづけるけども、そういう自信のない人の企画というのはアイデアだけの使い捨て企画が多い。

もう10年ほど前の話になるけども、年商何百億円の大手の生地商社が、生地をつくらせて小出しばかりさせて、3年経ってもまだ買取らないので、買取るつもりないんですかときくと、わからないという。買い取るつもりがないなら私が自分で売って片付けますよというと、どうぞといわれる。それで売ったんだけども、また半年ほどしてへっちゃらに出荷してほしいとか言ってくるけど、もう売ってないですよと返事。なんで売ったんですかとか、あわててるけども、その大手の問屋のどうしようもなさ。そういうことがあったので、もう作らないと決めていたけども、絶対にあんなことにはならないから、もう一度作ってほしいと言われて、担当も変わったけども、結局また2年経っても新たに注文して作らせた300mほどもまったく引き取らないから、それが日本の大手の生地商社の中の人の商売感覚。最後また別件でより上のほうの方から電話貰って、その方個人で引き取りはしてもらったが、今後の取引はお断りする話で、そこまでどうしようもなくなっているのが日本の大手生地商社レベルで、日本の繊維業界も元気に見える所が末期状態でリセットが必要ではないのかなあ。その生地を使っているのも、日本のものづくりにこだわる海外でも日本のものづくりを謳う知名度の高いブランドさんだったんだけどもう関わりたくなくなった。

金儲けやものづくりへのこだわりよりも、地道なことを支え合うような精神を大事にしたいなあと思う。今の世の中というのは法律自体がもうボタンの掛け違えで作られすぎて、今の若い世代の人たちはかわいそうに思える。若い人たちほど搾取される立場で、生まれてくる赤ちゃんたちに今の日本のだらしない行政の問題を背負わせてしまうような頽落状態の行政。自分たちの問題を背負わせたいがために次の世代が必要みたいな、どうしようもない感覚で少子化問題議論。生まれてくる子供たちが今の大人たちの問題解決を背負わせる奴隷では可哀そう。少子化問題も対策の機振りしている人たちが少子化問題の元凶だったりもするのが、日本の少子化問題の根の深さ。それは過疎化問題と同じで、自分を譲れない人たちがいつまでものさばってしまっているから、世代交代すらもできずに、ワシの目の黒いうちは牛耳ろうみたいな人ばかりではお話にもならない。牛耳ろうとするのではなく問題解決を自分がやる先頭に立て底辺を覚悟して実践すればよいだけ。偉そうなだけの政治家たちに価値はないどころか、社会問題の元凶そのもの。
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