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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2023年10月16日
20代の後半に会社に入ったときに、とにかく目の前の仕事は自分の全力を出して精一杯やろうと考えていた。まだ、大手SPAのものづくりが旧来のアパレル業界からは笑われていたころの話で、働いている人たちというのも気楽な気分が漂っていた。仕事は普通にあるものというような雰囲気で、値段も通る世界がまだあったりもした。

その背景にはやはり土地バブルというものがあって、昭和の時代の年功序列型賃金制、終身雇用制度というようなものを支え、さらには、高級ブランド志向を支えていたところがあった。バブルの世代をしっているものは、今の10倍の値段の洋服を普通に買い物していて、その時の価値感が今も残っているようなところがあるから、洋服にもお金を使うのだけども2000年以降のデフレの時代というのは安いものがファッション化した時代で、若年層を中心に国内生産ではなく、海外生産の安価な洋服を買うことがファッションとして定着して、私はテレビを見ないのでよくわからないが、昔は高級ブランドのテレビCMばかりだったが、テレビCMもそういう大手SPAのCMが流れるようになったのではなかろうか。逆転するのは早いもので、それは、同時に日本が中国に追い抜かれてゆくのと似ていて、2000年ころの東京と上海では、上海のほうが未来化して2004年にはリニアが開通し実用化された。

中国の繊維関係工場というのも多くの人を抱えていたために競争してでも仕事を取りたいような状況で、働く人たちも仕事を転々としながら、能力が高ければ高い給料、能力が低ければ低い給料で、働くことでより高い給料を得ることを目指し、失敗した仕事は休み時間に直したり居残って直すような形で、できるものは休み時間や残業して工賃仕事をこなして経験と収入を上げていった。そういうものづくりが日本の大手SPAの裏側のものづくりで、日本がサラリーマン化して失ってしまった部分を補ったのである。中国の工場が独自のブランドを作らずに海外向けはOEMに徹したというのも下働きな地道な部分で、そういう下働き的な地道な部分を10年覚悟してこなせば、世界中のブランドから製造を依頼されるようにもなって、さらに経験も品質も上がった。一方日本国内では、高い労働者の能力とより多くの手間と時間を必要とするような小ロット多品種ジャストインタイム的な生き残りを目指せというようなことを経営理想とする半面、働くことは悪いことだ見たいな風潮をつくりあげ、多くの企業はつぶれて行き、上場企業ですらも行きついた日本の厳しい基準に縛られて偽装せずには成り立たない状況が蔓延をしてしまって、デフレ以降の日本では厳しい日本の品質基準を謳いながらも、手抜き工事や強度偽装品質偽装などが横行して、5年後には残らないような、太陽光、地デジ、LED、など政府の補助金ビジネスばかりが時のビジネスとしてタケノコのように生えて来ては消えて行った、同時に日本の家電メーカーも消えて行った。

日本の大手SPAのものづくりはものづくりだけに終わらなかったから、新興であったために国内では正社員でない若い非正規の従業員を大量に使うことができた。百貨店販売ではなく路面店形式をとった、製造も日本の硬直化した繊維製造システムではなく世界規模での製品の企画と製造、仕入れ。旧来の業界のもつ重荷から解放された自由なものづくり、そしてその裏の素材品質は日本の大手の繊維素材メーカーに支えられ、新興国が日本の繊維業界の大手の製造技術を引き継いだ形。色にこだわらない原色的な5レンジャーカラー、もう一つが、白黒ベージュのカラーテイスト、どちらも一番モノづくりを安くつくれる色、世界中で共通の色、色で悩むことはない。ジャストインタイムと言われたモノづくりではなく低価格を目指した大量生産型。すべて日本国内の旧来の高級ブランドの展示会受注型とは逆の思想で、社内に年配者たちも抱えない自由で新しい繊維業界の形のスタート。国内では重くなりすぎた製造じゃなく、企画と販売だけに特化した、新しいことに挑戦ができるスタイル。日本のSPAが世界規模で広がったのも、ほかの海外SPAとの違いは、日本の大手素材メーカーの存在が大きかったんじゃあないだろうか。日本の素材に近いものを海外で生産するだけでなく、製品企画にも精通はしている。新興国の普段着市場を持ったことも旧来の日本のアパレル業界とは異なるところで、原色カラーが売れるような海外テイスト。

国内の旧来の繊維業界においても仕事というのはやろうとおもえばいろいろとあるのだが、人がいてもそれをこなせる人がいないという問題がどこの現場でもあって、目の前にあるものごとを仕事と請けいれてそれを初めてでもやろうとしてできるかどうかだけなのだけども、長年の経験者ほど経験がなければ慣れた仕事以外はやろうとしないし、説明した新しい方法ではやろうとしないことも多く、初心者の人と同じ様な問題を抱えていることが多く、国内というのは高度な新しいものを生むこともできなくなって、どんどんと通用する市場はなくなり生産量も落ちていった。日本人は昔は器用だったというのが事実だが、今はもう海外の新興国の人のほうが実際に働く時間も長く大量の物を扱っていて器用だろうと思う。国内でほしいものをモノ作りするよりも世界中から欲しい製品を探してくる時代になったのは事実だろう。

時計、カメラ、計算機、コンピューター、システム手帳、財布なども今はスマフォの中にまとまり、アップルとサムソンという2強が世界シェアの多くを占めていて、日本市場ですらも、日本の家電メーカーの市場での割合は小さい。低価格スマホは中国メーカーのものが多い。2019年あたりまでは、アップルもサムソンも生産拠点は中国というのが基本で、中国のものづくり一強時代が、繊維だけでなく、スマホや家電でも続いてはきた。世界の生産拠点となった中国は不動産バブルで、日本の経済成長の3倍くらいのスピードで経済大国化した。今は中国に行くのも難しくコロナ以降行っていないが、もう物価は、日本よりも中国のほうが高いだろう。最後6年くらい前に行ったときにも簡単なお昼の弁当でも10元=200円するって言ってた。中国でも普通に自動車が普及するようになり、日本の最賃程度の時給が普通になってきた。中国の発展モデルというんは日本の経済発展モデルを濃くしたような感じに思える。自動車も車検制度があったりと他国が参入しても自国基準で自国のものづくりを守ることができるようなモデル。

繊維の世界にもそういうモデルがあって、ケアラベルなども日本式が当り前で、ケアラベル一つでも日本メーカーは厳しく締め付けられていたのに、海外メーカーの圧力には弱くて、ISO式に変更。なんだったのだろう今までの日本の国の国内メーカーに対する国の締め付けは、赤と黒の2色をつかったものでないと、塩素×も認められないとかやってたのに、今は、海外に合わせて1色がOKとか。国レベルで製造業者を苦しめてたのに、今は海外のコインランドリー洗濯方式ケアラベルに合わせろという指導。国内メーカーというのは国のだらしないのに振り回されすぎる。消費税の表示方法の変更などにしても迂闊すぎるし、今回のインボイス制度も迂闊すぎる。この普遍性の無さみたいなのが、小売店舗なら、レジなども含めてすべてを買い直さないといけない変更になるとか、ほんとどこがサステイナブルなんだろうと思う。自社形式の請求書のつづりとかも大量に作ったところは気の毒だし。仕入れ消費税を被る負担よりもそういう部分の負担も伴い、仕入れ先が適格業者化どうかによる会計処理の複雑化とか、馬鹿×3乗みたいな話。
2023年10月16日
仕事というのは当たり前に目の前のことをこなして行けばなんとかなることが多く、できないことはあったとしてもそれなりに全力でやってみるとかができる人だと何をやってもそれなりにこなせることは多い。何かやろうとするときに、たとえば一つの物をつくるときにも、自分がつくりたいものをつくるだけではなくて作ったときに売れないといけないという問題がある。

いろいろな方からのご紹介とかでこれからこんなことをしたいと考えておられる若い方々にお会いすることは多いのだけども、作る問題を抱えておられる方たちは多い。いっしょいっしょとおもう、林与でも作ろうとしたら糸を買って染めて整経して繋いで織って加工に出して上がってきた生地を売るまでのことをやっているから簡単じゃない。もし、それで製品をつくろうとしてもそれを作ってくれる縫製工場を探さないといけない。

試作品を作るのに生地が欲しいと探されても、その時に言われるのがいつでも好きなだけ買える生地が欲しいと言われるだけで、普通の小売りのお店にいかれたほうが、いろんな生地が大量に生産されていて安く手に入るからそういう生地を使われた方がリスクも少なくてよいのじゃないかと思ったりもする。試作品まではそういう生地でつくられてみたらどうかなあと思うけども、試作品までいかずに生地探しと構想がぐるぐる回ってられたりもする。卵が先かオムレツが先か、スーパーの卵ででもおいしいオムレツを作る力があって、おいしい卵を探したほうが良いと思う。

高いものを扱いたいと言われる方にも、高いものを売るのは難しいですよと正直に話をする。というのも、百貨店で何十店舗も展開されているブランドでも、数万円のシャツとか10万のジャケットとかなるとお客さんもそれなりに満足のいくものでないと買われない。百貨店の中でもロケーションみたいなものは大事で、良いロケーションでないと置いても売るのは難しいだろうし、何よりもバイヤーさんが数字を付けてくれないと商品を置くことができなかったりする。

高いものは高いものが売れる場所でないとお客さんのニーズとも合わず売れにくいということもあって、高いものを作りたいと思って出来上がったとしてもそれを流していくような販路があるのかという問題になることが多い。大手でサラリーマンをやっておられた方とかが独立されても一つ一つを売っていくのが大事なのだけども、大手の商品企画の方だと大手の会社にいたからできていたことが独立すると同じことはまったく難しいというのを実感するだろうと思う。

海外の大手生地商社の部長が飛ぶ鳥を落とす勢いで高級な生地を仕入れて販売されていたけども、その方も勢いがあるときに独立を選ばれた。リストラじゃなく良い形での独立ではあったのだけども、それでも3年もすると扱われている生地が高級ゾーンからノーマルゾーンへとシフトして、普通の価格帯の問屋さんになられた。

別の話では、国内でも糸商さんから独立されたかたが自分で糸商を始められたのだけども、会社じゃなく自分は個人だから前金でお願いしますとか何十年も仕事でやってこられた方でも、独立したときに素人の個人都合感覚が出てしまっておられて、商売は難しいんじゃないかと年配の方だったが感じ、やはり数年で自分での商売はやめられた。その糸商さんともその方がおられなくなっても取引させて頂いているが、正直に情報がつたわってくるし、糸商の神髄に徹しておられる。

駄目な糸商の例は、在庫があっても在庫がないと嘘をつくような糸商で、そういう人とは関わらないほうがマシで、一番質の悪いタイプ。別のルートから動くと簡単に糸の在庫もあって手に入るだけのこと、関わらないほうがよい。別のケースでは、商社からの生地の発注を林与が国内にその紡績工場の糸がない理由で正直な理由で断っていたのだが、その商社が林与と取引のない糸商にその銘柄の糸があるという話でそれを使って生地を生産してほしいということ、いや絶対にないと思う、林与もストールの生産で糸が必要で海外の紡績工場にも次はいつ手に入るのかずっと確認していて、良い原料が手に入らないから紡績できないとの返答で、ここしばらく作っていないと、日本にも輸出していないと。糸商からファックスが送って来て、番手は同じだが白じゃなくて生成とか。国内にその糸の在庫があるのがおかしいと疑ってたから気が付いたけど、そういうミスというのは気が付いていなければ生地の生産も引き受けてしまうことになる。直接、糸加工の工場に送ってしまっていたら気が付くのは納期間際に違う糸が糸加工済みで、返品すらやっかいだろう。ものづくりは怖く、慎重にやらないと、正しく仕事が回ることはない。

他のオフ白の生地の案件でも、縫製工場に数年前の反物の残っている生地があったかで、縫製工場が企画されている方にそれも一緒に使うか尋ねたら、企画の方が大丈夫だろうとおもって返事されて、ロット別の着取りもせずに、腕のところが黄色っぽく胴体の部分が白っぽいのができてしまったと。大丈夫だと進められてしまった企画の方は大弱りだが、一回見てくれと、いったいいくつの判断の失敗が重なるとそういうものが出来るのだろうと思う。ほんとものをつくるのやめておいた方がよいと思う。ロット違いの生地を1着に一緒に使う基本的なミスとかあり得ないし。縫製工場もロットごとに着取りしないのが問題。色味の確認もせずに大丈夫だと判断するのも問題。縫製工場も縫製していて色味の違いに違和感がないのも問題。最後商品になってしまって大騒ぎでは問題が起こるのは必然に近い。

生地をつくるときにでも、チェック柄とかでもなければ糸のロットをまぜるなんてしないしチェック柄につかうときも注意をして使う。生地を織っていても同じロットでもケースによって色味が若干異なる可能性もあるので、整経でも箱ごとの糸を全体にランダムに散るようにつかうようにしている、さらに、織るときにも色味の違和感がないかなども確認しながら生地は作っている。百貨店で販売されるようなものだったらしいが、企画の方と縫製工場ももっと注意して使われないと当たり前に起こるというか、問題が起こらないほうが逆に珍しい問題で、林与では、糸のロットだけでなく加工のロットも別ロットとして反物は区別しているほどなのに。一番良いのは近いところ取りでの着分取りなのだけども、そこまでは無理だろうから、せめて同ロットの生地で一着をつくることくらいは基本としてほしい。一回の失敗が大きな失敗になるのだから、ものを作るときには慎重に作業が必要で現場で最終商品として駄目なことをやってるなあと思ったらブレーキを掛ける能力も必要。

林与も指図されて絶対に駄目だとか違うといっていることでも、乗り越えてやらせようとしたり駄目な結果を見るまでやらせようとするけども、それに掛かる無駄な労力というのはその方の勉強代だからやってもよいけども、軽く考えていると全損になってしまうし、失敗の結果をみたときに大慌てされても、だから何度も駄目だといったのにという話になる。そのときに頼んだのと違うじゃないですかみたいにいわれることも多くて、プロなんだから任せてあるというようなことをいわれたりするけども、糸や密度の選択、風合いの選択などは、分かっている人でないと、難しいし、実績のあるカウンターサンプルを見てもらいながら説明をするようにはしている。

この件とは別だが同じ反物の中でも後染め生地の場合などはチュウキと呼ばれる現象が起こることがあり、端のほうは濃く染まり、中のほうは色が薄いこともある。林与は後染め生地というのはほとんど扱ってはいないが、1反の中でも色の濃いところと薄いところができてしまう問題などにも注意は必要で、近いところ取りだけでなく、手裁断で、生地をなぜ真ん中で折って裁断するみたいなのが普通なのかの理由も裁断の効率だけでなく、生地の問題をなるべくなく生地をつかうためじゃあないのかと縫製の専門でもないけども想像をしてたりもする。生地を使う時のパターンのパーツの配置も基本左右対称のほうがよいんだろうとは思う。

問屋の社長がシルク麻の生地をもっと柔らかくしてくれというが、そのためには密度を下げるとか柔軟を打つとかになってくる。密度を下げても滑りやすいシルク麻は目ズレを起こしやすいし、樹脂を打たないで強い柔軟を掛けるともっと滑るようになる、そういうのを指摘しても、滑ってもいいからといわれて、薄く柔らかいシルク麻生地を作って服にされるとやはり問題が出て来て問屋の方が生地が問題だと指摘される。検査も取っていないのですかと言われるが、検査取らなくても滑るのは誰が見ても当たり前で、林与が何度も滑るからと止めているのにそれでよいかろといってその結果で、自分自身が必然的にそのような生地を求められた結果。そういう馬鹿なことをやると問題が起こって仕事もなくなるし、下手するとアパレルさんでは林与の生地の問題なってるだろうけども、問屋さんが数年かけて完成された生地を崩してしまうことも多い。
2023年10月15日
林与は外の世界に出てたことが良かったと思う、高校大学時代の京都の生活やカリフォルニアでの生活は、レベルの高さの一方で普通の人の心の温かさみたいなものをすごく感じた。他の人と競い合うことのなく面識のなかったものどうしが仲間意識で全力で支え合う気持ちを持っての人が多かった、日本に戻ったときにはカルチャーショックで、近い人間同士でのいがみ合いみたいなことが基本になって林与の家の中ですらもそんな感じ。

自分が動いてやっていかなければ物事というのは難しいし、他人任せばかりの状況ではよくなるはずというのはないのだが、他人任せの人が多すぎて、それは仕事をしたことのない人と接するときにそれだとやらないほうがマシだよと思うのと同じ気持ち。そんなに都合よく人が自分のやりたいことのために協力してくれるなんてないし、せっかくのいろいろな偶然からの仕事のチャンスでも駆け引きが始まると、もうやらないほうがマシで受けたら林与が支えようとしている人たちから逆につぶされそうになるほどのことも多い。私自身それなりに覚悟はしているので何とか成り立てばよいとおもっているだけのことだけども、一つ一つの仕事においても、場を作ると人間模様の駆け引きで、自分のいうこと聞かないとやってあげないぞみたいな感覚で、それはまさに支配階級意識と同じで、恐ろしいことになることも多い。そういうのが一度イベントの後の打ち上げで議論になったけども、外の世界の普通に仕事の感覚の方たちだとなんでそんな人に仕事頼んでるんですかみたいな話になるけども。田舎の狭い世界だとそういうのが普通の話普通でありがちだったりする。

年配の人たちも若いころは3倍仕事ができたという話が多く、嘘じゃないと思う。量質共に3倍だったと思う。50も過ぎるとみんな仕事が出来なくなってしまっていて、普通に3倍くらいできないと成り立たないというのが当り前の状況。仕事はいろいろあっても、本当に単純な作業以外は、出来る人というのが本当に少なくなっていて、しらん、わからん、できんみたいな、そんな状態で失敗されると困るから、細かくなんども説明するけども、違うことやってしまわれて、一人一つのできることや方法しかないみたいなことも多い。

人間同士が殺し合いにまでなるのも、とことんまでそういう世界がひろがってしまうからだろうし、自分のためなら人が死ぬこともへっちゃらな人もいたりして、普段からうちのものを買っていないやつが災害時にこまっても一滴も売らんとか聞くにもわびしすぎる80代の人とか。自治会入っていなかったら隣の家が燃えても消さないというような感覚で、それを若い者に引き継がそうとしても、そこまで若い人たちというのは心が荒んでいない。次の世代を何と思っているのだろうか子分? 田舎の空しすぎるような現実が長く続きすぎたのを感じるし、繊維業界ももうちょっとまともな感覚にならないととは、林与の先代をみていてもおもうが、今の若い人で吸収力のある人というのは、何十年の経験者を1か月で超えてゆく、それを経験者というのは喜ぼうとするのではないのが、狭い世界の現実で、自分たちの面倒を見させようとする経験者たち、先代もそのタイプだったから、外の世界と関わると自分中心で仕切りたくまともな外の世界を調子よい話で泥臭く濁して行くタイプで、甲斐性をばらまきながらも一番自分が働くも難しい人やった。

そとの世界をしらずにカモ状態になってて、おだてられると気持ち悪く思わず、すごくうれしくなってしまって、ありえない面倒まで見すぎてでも自分がやらないからという間柄。亡くなる前に自分が一番駄目だと気付いたけども、そういう風潮をバラまいて周りも毒してしまったのが自分だけの問題では終わらない問題で、地元の繊維業界を支えてこられたような方に、お前が一番どうしようもなく駄目な奴やったと説教までされ、それは当たり前一時の勢いで舞い上がってそのあとは引き下がれずに変われずに、地道に働くもしない自分のスタイルをバラまいて、林与とは水と油の先代。自分の中に高い能力を持たないと駄目で、頭としても今の時代では普通以下というのも分からないと難しい。落ちぶれた時にも自分が働かないとうのは、1日のアルバイトの人の自覚もなく商売を語るも難しい。

滋賀県の明暗としては、たねやあんと林与みたいなところがあって、たねやさんは金融機関的には一番くらいの優良企業だけども、林与というのは金融機関的には一番駄目な企業。その先代の二人が八幡商業高校の一番の親友同士で二人だけの写真部で、そのころ滋賀県では一番くらいに地場産業で勢いのあった近江上布の世界を裏で支えていたのも林与だったりして、野捨さんの保証人や組合の理事長の会社の保証人にもなって、近江上布絣の世界を別れだった前田商店とも一緒に作ってきた。全部裏側も支える気持ちで技術も提供していたのが与一爺さんで、それは小千谷にも林与の技法が伝わって、小千谷が残ったというストーリーにもつながる。日本の国の最高レベルの麻布の世界というのは、今の田舎のしらんわからんできんでは当たり前に無理で、そういう問題も背負って解決してゆくような覚悟で残して行けたらなあと思っているが、薄くなるなら消えたほうがましだろうとおもうような林与の考え。

2000年以降のアイリッシュリネン問題にもとりくみ、それはまさにアサリ偽装やカシミヤ偽装問題そのもので、1990年代には北アイルランドではアイリッシュリネン紡績も終焉しもう失われた語り部プロジェクト。それでも日本ではどこから出て来たかもわからないけど、2000年代以降も北アイルランドでのアイリッシュリネンが謳われ、それは日本の麻業界の闇歴史で、そういうアイリッシュリネン糸を流しておられた会社の糸を販売されている方がそれは本当ですかと驚かれてるような話で、消費者の人からすると謎が解けたと思う人は多いし、林与も2000年以降にアイリッシュリネン糸も手に入れることも難しい状況で、日本の大手の業者さんが素人な人を騙して中国紡績の糸がアイリッシュリネン糸をつかていると流れていただけのこと。

その中国の紡績工場の方も林与のアイリッシュリネンの展示をみて、アイリッシュリネンなんてないよといわれるけども、これは本物で40年以上前の北アイルランドで紡績された糸というのを聞かれて、たぶん、中国の会社にしても自分が紡績した糸が日本でアイリッシュリネンとして出回っているなんても思ってもいないだろうけど。そういうのが大手のビジネスモデルだったりで、品質も悪くないんだから北アイルランドで紡績しているとか嘘は必要ないんじゃないので、林与は普通に中国紡績糸という正しいことが消費者に伝わるように、中国で糸を紡績している人の覚悟やプライドも林与と同じじゃないと思っている。イタリアの糸もチュニジア紡績という最適な説明をするのも林与で、それは関西の麻業界の基本だったというのが、林与の本物志向のスタイル。

百貨店で販売されて国産と言われているものも????、どこの産地ですかと他の人がたずねてくれると、代替が国産と仕入れた商社から聞いていますというよう話だったとか。縦横を先染めとかでリネンを織るというのも、経糸に糊付けが出来ないと行けなかったりで、できるところも限られてはいる。スイビ巻きという技法もあるけども、それなりに麻の場合には考慮も必要なところ。林与が従来の糊付け技術で超細番手を織ろうとするのかというのも昔からつづく安全な技術をステップアップできたらと思う拘りで、それを織の苦労ででどこまで成り立たせられるか。
2023年10月14日
昨日は、夕方6時30分から集落のボーリング、だれもが10年ぶりくらいのボーリングだったそう。結局、綺麗に各区8人づつくらい参加者があったので声かけて調整もあったのだろうか、でも、気軽に参加ができるイベントなので頼みやすいとは思える。運動会からこういう軽いイベントに変わることで高齢の方でも参加がしやすいと思える。2区も80近い方も参加くださっていたし昔のボーリングブームを若いころに経験されているので上手だった。

ボーリングは15年ぶりくらいだったけども、結構流行っているようで、スタートの7時までも子供たちのグループがレーンを埋めていたし、スタートして貸し切っていたレーン以外の部分も他のグループがプレイされていて、貸し切ってた15レーンが終わった後も次のグループがイベントをされていたので、今はボーリングもかなりブームなのかなあ。来年は借りることができない可能性もあると言われていたりする。

若いころの思い出で思い出すのが、昔は、夏祭りも大学入った年とその次の年の二学年が担当をして準備していたが、1年目の祭りで一年上だった高校を卒業して農業やってたやんちゃだった人が、大学に行ってた私なんかよりも人をまとめるのが上手で大人社会のハーモニーを重視して、仲間外れや仲間割れになるようなことは一切くちにもせずに、毎回出て来てくれなくてもたまに1回でも出て来てくれた人に、ようきくれたありがとうとあいさつして迎え、誰でもが違和感なく一緒にものごとをできるように配慮されていたこと。あと他の人ができないことを裏で一人で動かれて解決されていた、次の年に祭りが引き継げるように私に託しておられたのだろう、すべての準備の細部を細かく私に説明して、その方が親が車を買ってくれないから自分で15万でセリカを買った話や、ガソリンが買えないので家の他の車から頂戴してとかのやんちゃなところの話とか気取らない大人の雰囲気があって現実社会に生きておられるのを感じた。学生のような後輩気分で命令して年下の者を使い走りさせず、大人が大人に頼むように礼儀をもって私にも物事を頼まれていたのが印象的であった。その2年くらい後に、夜中に居眠り運転のトラックに追突されて交通事故で亡くなられた。

2年目の夏祭りでなぜか、林与の先代の親たちが盛り上がりすぎて自分たちが主役であるかのような仕切りを見せたのが、林与の先代の一番あほな昔から村社会のボンで育った人。前年の祭りで親が口出しすることなどなかったのに、林与の先代のようなものがいると他の親も仕切られて裏での親たちの懇親が大事な行事になってしまう。あのへんな村社会的な雰囲気は林与先代の独特で、結局そいうのが自由にものを言えない、物事も出来ない社会を作り上げてしまう。夏祭りと親は関係がない行事で、ただ夏祭りのやぐらを建てるのに重機が必要だったりするのを手伝うだけのこと、でもそういう夏祭りを始めたのが先代の世代で彼らたちは好きにやってきたのに、いつまでも自分たちが主役気分が抜けなくて、ものごとのわきまえもなく若い者をお前らは駄目だみたいに仕切って来る。廃れるのも必然。

お調子者でボンだった先代が、作れば売れる時代に、ある業者の若い人におまえは1日10万稼げとか偉そうに言って、1日仕事に来れば10万小遣い上げる気分。それをその業者さんはヨシオ君先代は凄いんだよ僕に1日10万稼げっていったんだよと。先代というのは調子のよいときに浮かれすぎて豪語して説教までしているから引き下がれない状態で、先代自体が落ち目になってもまだその偉そうな感覚は抜けられないから典型的なよい時代の昭和の繊維業界の世界から抜けられなかったタイプで、50代でも現場作業の簡単な一つが何十年もやってないからまともにできなし、それ以前にやろうとしないのが先代、これやってくれあれやってくれと全部やってたから、私が一人でも織物工場みたいな状態で、先代の酒飲みの迎えに行って迎えにいくと遅いと説教したりするほどの末期は手が付けられないほどのどうしようもない人間になってしまっていて、最初からタクシーで帰って来ればよいのに、自分が他の人に声を掛けて息子に迎えに来させるとか、酒飲んでもまだ別の繊維業界の有力な人に私を関係させようとしていたりで、村社会的な有力者感覚の愚かさを林与の家の中で感じている。その方にも亡くなる前のある場所の正月の挨拶まわりで一緒になったときに、お前は若いころから酒ばっかり飲んで手どうしようもない一番駄目な奴やったと説教されたが、もっと若い時に説教をしてあげといてほしかったと思う。先代はずっとその方に認められていると勘違いして生きて来てたのにそれは厳しかっただろう。

先代も自分で作り上げた村社会の中で心地よく偉そうに生きて本人自体が普通もできないようでは問題は広がるばかりで、亡くなる2週間前には気が付いて仕事の話などは一切しなくなって、偉そうなことも一切いわなくなったが、ほんとせっかく普通の人間関係があっても、それを自分が中心の親分子分をつくりあげようとするから、そんな気持ち悪い人間関係で先代と結ばれている相手とは、そんなつもりで仕事も人間関係もする気もない。

仕事始めた初めのころに、働くのを面倒がりながら自分たちの面倒見てくれな困るという50代の従業員たちとかもその感覚すらもが昭和の時代の末期の繊維業界を感じさせる。致し方のないところもあるのだろうとおもうのは、糸の在庫をおじさんとおばさんに計ってもらったときにも、木管1本が50gで箱は1kgで、総重量から、木管の重さと箱の重さを引いた、正味の糸の重量を帳面に描いてほしいと頼んで、木管が例えば10本なら計った重さから1.5kg引いてその正味の糸の重量を帳面にかいてほしいと3回ほど繰り返し説明しわかったことは・・・ でも、後で監査の時に計ると箱ごとはかりに乗せた総重量しか書いていない。若いから軽く考えられているというよりも、その計算ができないという現実がひと世代前の田舎の人たちで、その計算を一度も正しくできずに何十年も仕事をしてきただけだから面倒をみる人がいないと困るという村社会の現実で、人間関係だけに頼っての世界。昭和の時代でも、その程度の計算が出来ないとやはり仕事は難しいとは思う。伝統工芸士だった勘一爺さんでも糸をグラム単位に換算してアバウトには整経の糸割が成り立っていたが、正確にカウントで必要メーターを割るのを当たり前に最初の日からやりはじめたのが林与で、そういうの出来る人が現場で生まれないのも日本の繊維業界の難しさ。ドビーのパンチカードをつくるのも私の仕事だったし、ちょっと高度なことが他の人では難しい、田舎だと先代レベルの計算機で計算できるというのがすごいということになる。

打ち込みのギアの比率表がなくてもギア比の組み合わせで打ち込みを割り出すとか、糸の番手から糸量の計算をするとか、そういうのが当たり前に最初の日からできるかやろうとする人でないとなかなか一つの仕事すらも受けてこなすことは難しいだろうと思う。林与も中学生レベル位の数学は当たり前にできるのでそのあたりの計算ができるのが繊維の仕事に携わっている人の中では特殊に思われる一人だと思う。半日でもかけて教えようとしてもそれを実践で使える人というのは稀で、林与が仕事をできるのは基礎能力があるからで、また実際の仕事も目の前の仕事を計算しながら無数にこなしてきているから。昔米原のロビー展示で、林与の布の世界を見られて、ある年配の方があなたのような方がなぜこのような繊維の仕事をされているのか不思議だといわれるが、その方というのはトヨタの海外の工場長などやってられたような方らしい。私がどの仕事も同じような要素あると思う、コンピュータのプログラミングにしてもデバックは、生地のキズを直すのと同じような要素だし。織物のジャガード織機とかも、機械式計算機やコンピュータの原型になっていたりする。自動車産業や機械産業の前身も織機メーカーだったり。商いの部分にしても、糸を買うのも商社から買うことも出来るし、海外の紡績メーカーから直接買うような貿易商的なことも可能、また海外に生地を売るも可能だし、やろうと思えば、織物工場だけども、自分の生地を売るために商社的な仕事も自分の中では可能で、やるかやらないかだけのこと。

強みはやはり麻織物の本場で今も自分で織り続けていることでそれはほんと一番の強みで自分で麻織物を織り続けることが産地の本場産の麻織物を形成している部分は大きく、産地の麻織物の特色的な先染め、細番手などは林与が一番得意とするところで、こだわりの部分として出来る限り残して行きたいとは自分がそういうものを作ることで残せて行けたらなあと思う。なかなかブランドさんでもバリバリの細番手先染めは一般に流れる麻生地の何倍も高価なゆえに手が出しにくいということはあるだろうから、普通の採算を成り立たせるための仕事というよりも、高級ブランドさんに謳いが必要な時や余裕のあるときの贅沢で良いじゃないかと思う。日本のライセンス系の高級ブランドも総崩れ状態というのが実情でより量産型のところが受け皿になって名前が残る形が多く、高い素材というのは扱うのが難しい市況でさらには糸値の高騰もあって、作っている林与自身、本場のガチなものづくりを守るというのは余裕や余力がないと無理に思えたりする。コストが非常に掛かってしまう展示会受注形式のサンプルから必要なオリジナル生地などのものづくりというのが難しくなっているのも事実でそういうのには在庫の範囲で対応させて頂いていることも多くなってきて、あるいは、林与のベストを尽くした一発での量産のでたところでサンプル分と量産分をその範囲で100m、200mとかのスタイル。量産が100mで終るとかの場合、その前にサンプルがあると林与が成り立たないだけでなく染色工場さんや加工工場さんも成り立つことも難しく、川下にジャストインタイムを求められると、川上はジャストインタイムすればするほど成り立たなくなるような状況。

特別な生地を作れないこともないけども、相談を持ち掛けられるお客さんというのがそのリスクを覚悟してくださっていたらのことで、試作がうまくいかないときにもお金が払えるのかとか。P下をそのまま使うなんてだれが考えても無理ですよと忠告するのに問屋さんやっておられる方が大丈夫だからP下10mつくってと、それで林与が加工工場の社長と話すると当たり前にP下のまま使うなんて無理ですよ素人すぎるんちゃう林与さんみたいに言われるが、自分で加工指図もしながらP下の意味が分かっていない問屋さんに駄目なの見せてわかってもらわないといといけないから、林与がお金払うのでお願いしますと無駄を承知で頼み込んで、急いでP下を10m上げて、30cmだけ送ってとかもうほんと仕事の感覚が軽すぎて駄目、そのP下見て、駄目で使えないから残りを急いで再加工してとか。ぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃ。あとP下物性の悪さの危なさとかも分かってないやろうし、問屋さんというのは自分でお金使って解決した経験が無さ過ぎるから困る話で、そういう方というのもわかっていて取引の前に問屋さんというのは厄介なことが多いのでの話をしたときに、林与さんは問屋を軽く考えてますねみたいなことをいわれるけどもその通りの問屋さんで、自分が10mの生地すらも出荷もさせず、荷受けもできないならやめておいた方がよいと思う。指図通り作らせて30cmだけ送って駄目出しして残りを買わないという問屋は多すぎるから、そういう自分が買わない問屋商売の方とは取引はしないようにしている。

繊維業界の闇という問題では、平成の時代にビッグモーター的な繊維業界で飛ぶ鳥を落とす勢いの独り勝ち、繊維商社ビジネスの裏側というのが、利益の3分の1は会社、3分の1は株主、3分の1は営業マンという大手の生地商社、年収1億円営業マンを目指せとか。なにが起こってたかというと、営業マンが何千メートルの契約させて値段を下げさせて作らせて、機屋から買わない問題。機屋の何百万の資金が寝る話。契約違反で買取らずに売れただけ仕入れる話に変更するとか。そうやって機屋の資金を枯らせながら牛耳るやり口。何百万の仕事のつもりでその業界では急成長の超優良企業とされているその会社と取引すると、つくっても出荷させないので何百万もの資金が寝てしまって、売れたとしても値段も落とされている生地なので利益もほとんどない。契約と違うというと契約書を目の前で書き換えてこれで文句ないでしょうとか、もあったらしく、日本の繊維業界で一番、利益率も高くホワイトな経営に見えているところの裏側がそんな状態だったそうで。下請け保護の法律ができる切っ掛けにもなったそう。おそろしやおそろしやの日本の優良ホワイト企業。林与は取引関係一切なかったので良かったが、別の大手の商社とやって何百万かの作らせた生地を買わないはあって上場クラスというのも繊維業界はヤバいところが多い。大手の生地商社と仕事する時には気を付けないといけないという問題で、平成の時代に、日本の繊維業界の表面的な業績が優秀な優良企業というのはそういう裏面を持っていたりするところも多い。

一番の謳いが嘘であるということも多くて、熊本産あさりのような問題も繊維業界ではいつの時代人も常に付きまとう問題。着物の業者の人は、外国で作った着物の工房の銘の入った部分を切り取れば国産とは区別つかないと自慢げにいっておられたけども、それで国産として売って何倍にも化かすような商売が存在していたというのも事実だろう。京都の一番高いくらいの着物の呉服商が麻生地を探すときに産地に来て1000mとか以上でないと手織り出来ないと言われたそうで、呉服商なら老舗でなくても気がつかないと、それが手織りだとしたらそれはまさに海外もの、国内では手織りの麻の織り手すらも当時産地にいるかいないほど、そんなものを京都一の呉服商を名乗るお店が国産の手織りとして大量に売ってしまっていたらやばすぎるだろう。勘違いや間違いは誰にでもあるから正直な訂正は必要だろう。国内の着物の生地商のレベルもその程度だと本物か偽物か分からないものがほとんどで取引されてしまっているのだろうと思う。

インドにいったときも、ある組合の人が手織りのインドの綿のスカーフだと言って見せてもらったが、どうみても手織りには思えない。経糸切れでボロボロのまま織っているから、そのあと会場でインドの織物業者の人と直接英語で話すと正直にドロッパーの無いセミオートのシャトル織機で織っているという話、普通にプロがみればおかしいなあと思うところに気が付いて確認をしないと、貿易組合いの方の話だけを信じてしまって、手織りのスカーフとして日本で安く売ってしまうようなことがあるなら偽装になる。その話をある組合の人に話すと全然気にもしておられないから、同じようにそういうものが日本国内で、インドの手織りスカーフで流通してしまっているケースは多いだろうと思う。日本人は高く売れればそれほど説明がいい加減でも気にしない傾向があって、日本で繊維に深くかかわっている人というのはもう少ないから、特に、売買で関わっている人というのは単にサラリーマンのことも多く、ノルマがあって、仕事として働いているだけだから働く時間も短く知識もアバウトなことが多く、安く買って高く売るのが問屋の商売の技術だと言われていた問屋さんもいて、そういう人は偽物をつかみやすい。取引はないけども方だったが、カシミヤてかいてあるとストールが高く売れるわといって、海外で1000円くらいで買ったものをネットで1万円くらいで売っておられた、それ偽物だよとヤバいよ伝えたが、カシミヤの意味もあまりわかっておられないだろうし悪気もないだろうしそれでも取り扱っておられる業者さんは多く、大手のネットショッピングモールに流れるお手頃なカシミヤの大部分がカシミヤライクである可能性は高い。

地場産業にしても、もう全力を出せるような環境すらがなくなってしまっていて、雇用していても時間に縛られ1週間40時間のプロでは、よほど出来る人でもそう深くまでの理解は無理だろう、ましてやとことんやったことの少ない人が週40時間だと分からないままがずーっと続いてしまう。仕事で失敗すると挽回できるようなチャンスがあるのかというと、その失敗をまず自分が解決することが大事なのだけども、織物の仕事での失敗となると結構大事で、たとえば、シャトル織機でシャトルを挟んで何百本もきれたとなると林与はそれでも普通に直すけども、それが坦々とできて、普通に織れるように戻してやっと仕事ができると思えるくらいでないと難しいだろう。

機を一から作るとかも最初のころから当たり前の作業の一つで、教えられなくてもそのくらいは普通のことに思っている人でないと難しいと思う。昼夜、2重織、刺し子など、当たり前に見るだけで理屈が分かるくらいで、なかなか上手にやってるやんくらいに思えないと自分がそういう技法を生かして行くは無理だろう。技法を知っていても自分が自分の手元にある糸でその技法を活用して織物を作り上げるのは別の話で、実際に織物を作り上げて、完成度が低いなら、さらに上の完成度を目指して作り上げるようなことが大事で完成までもっていって、売れる状態にまでもっていくことが大事。

一宮のある廃業された問屋さんが、おじさんが番頭さんとして仕事の面倒を見ておられた。しっかりとされた方で、ハサミの使い方も一か所ばかりを使っていると切れ味が悪くなるというあたりまでも気にして道具もつかわれていた。そういう方だとそれなりに失敗しても大きな失敗にはつながらないしアホなことも言わないから、その問屋の社長がたとえば、着分と本生産はまったく同じでないといけないとかいうが、具体的に色味が若干ブレているときでも現実な話もできたりで、経験豊富な人らしい解決の仕方をされていた。着分などは3mほどの生地を1kgの糸染めから着分用にやって再現性を持たせる。だが、染色においても欲比の問題もあるし微妙な色ブレの問題も生じるのが普通のことで、さらに加工でサンプルの時にいくつかの配色を3.5mづつつなげて加工すると色落ちの色などは布にほとんどつかない、あるいは色が混じって仕上がるが、反数の多い量産では色落ちした色が再度生地に付着する可能性は否めず、より鮮明に色が出やすい。とか、さまざまの避けられない要因で、色ブレというのはベストを尽くしても出てくる。また、織機の経糸のテンションの違いでも出てくるし、ビームの積極送りの大きさがビームが大きな時と小さな時では異なって来て、途中で送りのテンションを加減したりもするのだけども、そういうのも微妙な色味の違いに影響してくるし、反物も反末を本生産のサンプルとすることが多く、反末というのは加工でも一番揉まれすぎたりで一番色味も安定していない部分。まず色味がズバリになるほうが奇跡に近いのだけども、林与はそれなりに許容範囲に持って行いくをやってはいたけども、そういう努力を理解していない人というのはズバリじゃないのがおかしいとかで、それなら最初に量産を入れてそこから着分を取る方法しかないのだけども、海外はその方法。売れ残ったら他に転売。海外の場合プリント物なども何千メートルと最初に量産してそれを売る形だからオリジナルの物を色を変えて作ろうとしてもそれは一切受け付けてくれない。もちろん版権の問題もあるだろうけども、最初から色を変える想定なんてなく数千メートルの効率の良い生産。日本のブランドさんというのは細かい注文で贅沢をいうというのが特徴で、量産が50m100mしか見込めないのにそれに対して着分サンプルが欲しいとかいわれても、多分足りるだろう100mくらいを着分時に林与がリスク仕手作ってしまうしかない話で、高級ブランドの高級な生地というのは高いがゆえに生産量も想定が少ないので、生地の面倒まで林与がみてブランドのオリジナルなものづくりを助けていたことも多い。ブランドさんで知らない方が林与に直接取引にこられると、今年はどこの問屋さんんも同じ柄の生地を提案してくると不思議がられているが、問屋さんごとに林与の新しいマス見本のなかから色を振り分けてバッティングしないようにしていたりもする。生地の出所は同じだったりして、日本のハイシニア
高級メンズというのは凄く狭い世界だったりもした。

不思議なもので、高級シルク糸の出所の長谷川さんも、林与というのは麻だったのでご縁が無かったのだけども、シルクのモール糸をアクセントに使うことが始まりでお客さんの立場だったのがハーベスト展では同じ出展者として親しくさせていただいて、今は廃業されてしまったが工業的な草木染では有名だった村田染工さんも草木染の件で相談にいったことがあり、のちにハーベスト展で出展され親しくさせていただいたりと、全国のそれぞれの分野でも有名な会社さんとも商売でのつながりはそれほど大きくないものの仲間意識でいろんなことを教えていただけたりとか。普段は田舎の工場にこもっている林与ではあるけども、展示会などでいろんな産地の皆さんと親しくさせていただいて、いろんな知識をまさにその方がその技術のトップみたいな方から雑談の中で教えてもらうことも多く、麻織物だけでなく、他の素材に関しても技法などに関しても、自分がネットなどで調べてもいまいち分かりにくいことなどがあったときには、そういう機会に雑談的にお尋ねして教えてもらうことも多い。

展示会場にいると麻のことを知りたい方や使いたい方が来られるけども、まず相手がどんなことをされていてどのようなことに麻布を使われたいのかというのを知るために相手の仕事の内容をおたずねして分からないことなど異業種のことであっても理解をしようとするので私自身の全然知らなかった業界のことでもいろいろと説明して教えていただけることが多い。麻のことはそれなりに十分に知識もあるので他の分野のことをいろいろと学ぶのも麻織物を応用しようとするときには参考になるし、私が自分が麻織物を使って製品までやろうとしていたことをその分野の方がやりたいと相談されるケースも多かったりで、応用の場のチャンスなのかなあと思うことも多く、同じような相談をいろんな方から受けることも多かったりもする。そうするとある程度その分野に関する知識も高まっているので、自分自身で試作やテストもしやすく、商品としての問題点なども自分で克服してお客さんに提案出来たりもする。

物性検査などに関しても収縮率や、引き裂き強度などは実用面で自分でテストしたりとかが、普段からしているので、アパレルさんなどにも検査数値ばかりでなく、実際にミシンで布を合わせて縫ってみて試して見られたらどのくらい大丈夫なのか分かりますよと説明をすることも多い。湿摩擦堅牢度などにしても検査数値以上に実際はどうなのかが大事で、自分で試してみることも大事。藍染やインディゴ染めのストールなんかもよいかんじだけども、念のために白いシャツやTシャツで汗をかくと色移りする可能性はあるというお話はさせていただいて提案する。反応染料のものを選ぶのか、こだわった藍染やインディゴ染めのものを選ぶのかの選択はお客様次第だと思っている。白いシャツやTシャツに藍染やインディゴ染めのストールってかっこいいとは思う。藍染やインディゴ染めのブルーの持つ化学染料にはない雰囲気が好きだったりもする。
2023年10月13日
パレスチナ情勢が緊迫しているがそういう人がお互いに殺し合い死ぬか生きるかみたいな状況ではもうサステイナブルとかエコとかエシカルとかは意味のない話。どちらが正しいとしても戦うだけで人が殺されてしまう結果になる。過去を忘れて、ノーサイドみたいにその後は関わり合わないというようなルールで、お互いが隣同士でも一切関与せず新しい復興に向けて動き出すとかしないと無理だろうが、そういう戦い合うのが当り前みたいな状況においては、片方の側の中でもそういうのを受け入れられる人と受け入れられない人との差というものは大きく、片方の側の中でもパワーゲームが繰り広げられていて味方として戦わなければお前は敵だみたいな風潮もあるだろう。

よく企業が莫大な利益を上げたりするけどもそれが本当に良い結果なのかというところもあって、その裏側をみることも必要で、その利益が多くの人の損で成り立っていたとしたら、そして力をもった企業が利益が上がる構造を固定するために法律を牛耳りだしたら、もう、貧富の差は広がり、結論として多くの人たちが食べていけなくなる。資本奴隷のような状況に陥り、国も成り立たなくなり、結局、生きているだけで税金が課せられるような、払えないものは犯罪者でということで利益を上げられないものは国から見れば犯罪者ということになってしまう。だから、経済成長とかそういうのを目指すのは良くなくて、国が浪費すればするほど税金を取らなければならず。立場の弱い者たちは常に不利なルールの下、抜け出すことは難しい状況が続く。

立場の強いものに有利なルールで、立場の弱いものに不利なルールというのも、よくありがちなルールで経済というのは平等なルールでは回ってはいない。例えば新電電という電力の再販システムがあるが、これらの業者が非常に胡散臭く、kwあたり1円程度の値引きをしながら、燃料調整費用で4円とか5円とかとってたりで、その部分が電力会社よりも高かったりして、逆転現象が起こったりもする。

新電電の電力会社の本社も、電気業金に関して説明ができるものは2人しかいないとおいう。えっ、契約者はその契約内容を理解しないといけないのに、新電電の会社の社員でも2人しか料金の詳しい説明が無理とか、それどうやって契約するの? 営業の人たちは電気料金が安くなるからといって契約させているのに、具体的な数字を聞いてもサービスを提供する側が自分の約定も理解せず、利用者である顧客がその約定をすべて理解して契約しないといけないというのもおかしな話だけど、実質新電電問題などは、燃料調整費のせいで電気料金が2倍に跳ね上がったとかいうようなところもあるようで、騙すのが目的だったのではないのかと思うような、社員ですらも約定すらも理解していない状態でのからくりのある約定で消費者に不利なものを押し付けて自分たちが間に入って中抜きするだけのビジネスというのが当初からありがちなスタイル。法改正もそのためにされたのではないかと思うようなところがあり、電力会社が面倒な個々の契約から解放されしかも燃料費の高騰を新電電に背負わせることが可能だったりで、結局それは消費者が損をする話。国がそのように法律を改正して誘導したようなもので騙された人も多い。

大手の保険契約というのも、生命保険にしろ最初の契約だとすごく有利なのに途中で新しいプランに変わったからそちらの方が有利だと解約させられて新しいプランに移行すると損をするというのがほとんどで、セールスマンすらも理解ができないほどの複雑な約定契約で、最初の契約よりもどんどんと不利な生命保険契約に変更させられて、日本の年金と同じような問題が民間の生命保険にもある。そういうのを国が許して誘導しているから駄目なんだけど。破綻した生命保険会社ほど儲けて逃げているという実体があって、何千億もの保険会社破綻に備えて積み立てられたお金が一つの保険会社の破綻でなくなるとかもあって、生命保険屋や損害保険というものは、保険会社の破綻こそが儲けのビジネスモデルというからくりがある。保険会社にしても天下った人も多いし、そういう人たちが甘い汁を吸いながら責任を取るつもりもなく運営されている。破綻した保険会社が集まったみたいなのが今問題を起こした損保ジャパンで、保険業界の会長の会社が再度えぐい損害保険ビジネスつづけてやって成長とか。

でも国からすればそういうところが優良企業で資金を積めて利益も上げて急成長で、成功モデルというのが日本の今のホワイト企業モデル。裏側はBMと同じく消費者騙しの手口が横行でそれで利益が上がっているだけのホワイトな優良企業。そういうところが、結局地道な昔からのものを儲からない駄目なことやっているように見せてしまい淘汰してしまって、まともなことをやっているところほど、よくて普通の利益程度しか取らないし親身に顧客を騙しもしないし押し売りもしない。
2023年10月13日
京都で学生時代に体育の授業で一人親しく友達になろうとしてくれた人がいて、今度遊びに行くということで来てもらったら、もう一人訳の分からない先輩みたいな人もいて、これから先生がこの近くにいるから会いに行きましょうという。私が、偉い先生かもしれないけども人を騙してそういうことやってたら、自分ら一番アカンやんと、私が説教するとその二人は何も言えない。

私の言っていることよりも先生の指示のほうが大事のように見えて、私を引っ張り出してそこへ連れて行かないとその人たちの使命が果たせないというような状況。マルチビジネスとか英会話勧誘とか似非宗教に耐性のない人だと、押しに負けてついていってしまってるだろう。騙されたことに対する怒りというのは大きすぎてその二人のやってることは許せない。

怖いのは、18くらいの優しそうに見える人がなぜか人を平気で騙してそいうことを企てる一味になってしまっていることで、家系がそういう家系で生まれながらにそれが普通になってしまっているのだろうか。嘘で騙すのがへっちゃらな宗教というのも、嘘をつくのがうまい奴ほど出世して幹部で、人を騙して階級社会に取り込んで食い物にするプロフェッショナル。政治も宗教も似たようなところがあって儲けるからくりが悪徳な青竹売りよりも一桁二桁さらにエグイ。力のない不幸な人ほどそういうのにすがるものでそれを食い物にして成り立つ組織というのもないほうが良いと思う。

不幸な子供をもった親が息子を救おうとそういう宗教に掛かると、息子の不幸は親が財産を大事にしているからとかでなぜか寄付させて、その家族をもっと不幸にする。それが実話の物語で、障碍者のお兄さんをもった弟が自殺して自分の保険金で兄が幸せに生きて行ければと願うほどに、日本の社会も世界で一番に悪徳が広がりすぎた政治的にも宗教的にも社会的に末路な状況。
2023年10月13日
手織り体験で、初めての子供たちが1本織る度に上手になる。最初に織りたいと興味を示したときにやってみることが大事で、その1回目が失敗に終わらないように誘導することは大事だと思っている。あと手織り体験のような経験は手織りを体験するというだけでなく、初めてのことでもやってみるという体験の場でもあるから、そういう初めてのことでもチャレンジするような経験を積んで、次の他のことのチャレンジにもつながる可能性がある。

織物の仕事をしていて、仕事の説明というのは最初の1分とか2分程度で長くても5分以内のことがほとんど、やってられるのを実際に見て真似てするしかないし、その時に次からは自分ができるようになっておくのが非常に大事で、やった仕事はすべて吸収してというのが基本、次からは自分でやるのだからまれに失敗なんかもあってすごく時間かけて復旧することもあるけども、そういうのが当り前だと、調子よい時だけでなく問題の起こったときに立て直す力も備わる。

アンダーモーションとかも全部バラバラにして、ジャガードの装置なども全部バラバラにして掃除をしたり悪いところを直したりも、根気よくやれば出来ないこともないし、若いころに最初から本番で自分でやって1日とかで完全にマスター出来たりもする。次にやるときには慣れて素早くする方法も見についているからスピードも速く、アンダーモーション何台分も1日に分解掃除が出来たりする。もうそれでアンダーモーションメンテのプロになれる。

林与は考え方が特殊で、工場で働いていたおじさんが織機のトラブルを直すために狭い織機の下に体をくねらせて潜ってアンダーモーションが外れたのを直すのを見て引くのではなく、昔から知っているおじさんでもやってるんだから織機の問題があったら自分が一番最初に直そうとしようと決めて、織機トラブルの時には率先して織機の下にも潜るようにしていた。

そういうのはどこで身についたのかというと、アメリカにいた時に自動車を自分でいろいろとメンテしていたことが練習にはなっていたと思う。自動車の構造も織機の構造もタイヤがついているかいないかの違いで機械的な動きは似ているところがある。また、20代のころに自作PCブームというのがあったので、PCをばらしては組み立て、今もレッツノートを何台も持っているが、部品が壊れれば、液晶でもキーボードでも自分で交換してみようとなる。それで普通に直るから、ノートパソコンなんかは修理に出すとハードディスクも初期化されてしまうというのが普通だったので、データを失わないためには自分で修理し、復旧するしかなかったというのがきっかけではあるが、最初の1回目を乗り切れば次のときにはやればできるの分かっているので。新しいノートパソコンよりもそういう古い分解でき修理が自分でできるノートパソコンのほうが良いと思っている。

10万円以上もするものを失敗したら終わりという覚悟で、いろいろと情報を調べるだけ調べてから、慎重には作業を進める。ほとんどの場合にはうまく行くが、10回に1回くらいは初めてやったときには失敗することもある。そういう失敗には授業料を払ったと思えば、他の10回に9回の成功で授業料も帰って来る。仕事も同じ考え方で、10回に1回くらいの失敗は他の9回の成功で取り戻せると思っているが、それ以外に、問題のあるときには自分の時間をフルに使って解決できるまでとことんやってみるというのが、自分が頭で考えた解決方法をすべて試してみるのにつながっていて、経験が長くなれば問題のほとんどと物事の限界みたいなことも普通以上に深いレベルで見えてきたりする。

手織り織機のラチェットギアを真鍮で自作した経験にしても、長年、手織り織機の構造は簡単だけども、ラチェットギアだけは自分では無理だろうとおもってたのを克服できた。一生のうちにそれができたことは部品や材料のほか、切断工具など10万円以上は使っているけども、会社の整経機を使って手織りの織機用の自作ビームに巻き取り、さおり式や東京手織織機に関してはビーム交換式が実現したことは、こんなことができたらよいのにと思うのを自分自身で解決ができて手織り織機の価値が増す。グリモクラのビームも交換は難しいのだが、同様に新たなビームを取り付けられるやり方を使えば機草を使わずに50mでも100mでも交換式で整経が取り付けられるだろう。

自分で手織り織機をつくることだけでなく、そのための金属加工までを考えるようになって、シャトル織機の部品なども最悪は自作する目途もたっては来たというのがもう一つの利点で、林与は今54歳だけども若いころにもっとこういうことを出来る環境があれば面白かっただろうなあと思う。先代は織る以外は外の専門の人に頼んでやってもらうのが主体で、私はまったく反対の考えだから今もやっていけているんだろうと思うが、この考え方というのは近江上布絣の数々の技法を生み出したヨジヨモン爺さんと与一爺さんの精神。モノが手に入りにくい時代に、近江上布絣柄というものを数千も生み出した。それは単なる技法と品質にはとどまらず、デザイン性においてもヨーロッパの高級ブランドに通じるようなモダンで絵画を身にまとうようなオシャレ。

笑える話だけども、20代の若いころに20枚ほどの近江上布のハギレがたまたま、家のどこかに置いてあって、私がそれをみて、すごすぎるこんな印象派の絵画のような布をどこの誰が作ったんだろう、日本の生地ってすごい世界があるんだなあと思ったのだが、あとで知ったがそれが門外不出的なものが家のなかで20枚ほど箱から出されて出てしまってた。その20枚にしても今の時代にはありえない世界だが、先代は、できないものは見せるなのタイプだったので私も封印しておいた。

それをプリントとしてデザイン面で再現しようとしたのが、林与の近江上布柄プリントプロジェクト、それはイタリアや中国の展示会で注目されるけども、布の世界の目の肥えている世界の高級ブランドの方々というのはオリジナルのアーカイブの絣のものほうが欲しいと言われるケースが多く、それを広幅で再現しようとしたのが広幅絣プロジェクト。近江上布の技法をさらに発展させ、一人ですべての工程を行い、アパレル用の広幅で再現するというプロジェクト。技法は確立できたものの、林与は常に目の前の現場の仕事に追われているので、世界最高峰的なものづくりとういうのは時間のできたときに趣味的に行えればと思う。

シャトル織機で一本一本何千本もミスなく柄を合わせながら織るのは肩が抜けるほど疲れるから、やっぱり広幅絣も手織りにしようかと思ってて、手織り体験にもつながったし広幅の手織り織機を自分でつくるところとかまで広がってしまっている。すべてが連動して相乗効果的なものを生んで、それは何十もの普通を超えたマジックの組み合わせ。布そのものがマジックのように人を惹き付ければよいと思うし、やぼな種明かしは必要ないだろうと思う。林与の思う力のある布とか力を感じる布の世界。布をみたときにそれを作った人の強さみたいなものが伝わってくるとか、人生観の儚さや無常さみたいなものが伝わって来るとか、そういうのに人々が共感するみたいなのが布が人々に語り掛ける世界なのだろうと思う。
2023年10月13日
問屋さん経由で仕事をしていたときに、あるブランドさんにいったときに、ブランドの人と問屋さんの若い人が仲良く話をしていて、問題が機屋の問題だみたいな結論が出来上がっているようなのが伝わってくる。その問屋さんの若い人も業界の大手で経験を持っておられ仕事の感覚がボケ過ぎててやはり2年ほどで去られていったのだけど、そのブランドの方も緊張感がないのは、私のほうが若かったのでまさか社長とは思っておられなかったのだろう、林与の麻生地がそのブランドの基準には満たないということですねとおっしゃられて、その問屋の人とそれで問題が解決すると思っておられる感じ。後で私が社長だったのに気が付かれたかで、神妙な電話をされてくるけども、あの軽い乗りでオリジナル生地が簡単にできると思っておられると高品位な糸というのは綺麗であるがゆえにわずかな糸のフシでも目立つ、光沢感などなくなるが安いボコボコの糸を使えばそういうの目立ちにくく、林与も成り立ちやすいが、それは安物をつくる世界で糸を下げて他を産地の一級のとかもったいない話で、4分の1とか5分の1の値段で手に入る綿麻の糸に置き換えればできないことはないけども、出来上がった布をみて、それを喜ぶ最終のお客さんがどれだけいるのかという話で、業者的にはそれに満足しても、目の肥えた高級ブランドのお客さんの目というのは普通のありきたりの生地ではシビアな結果になるだろう。

ほんとサラリーマンな世界が広がっていて、自分が生地のことを分かろうともしていないのが広がりすぎている空気でやってるんだろうなあと感じ、私はそうですか、そうですかと反論もしない。議論もしないと分かってもらえないというのは残念で、議論もしたくない。その問屋の人にも電話で噛み合わないので、一つの着分サンプルつくるのに10万くらいはコスト掛かってますよと普通の話をすると、20年やってて初めて知ったとかいわれて、それでも1円でももらったら仕事は仕事だとか、その人が偉そうに言ってるからこりゃあもう相手にしたら全く駄目な人。

でもそういう人がぐるぐると繊維業界を転々としているというのが普通で、自分が自分のお金を使う覚悟もなく、問屋だから機屋よりも偉いのが当り前みたいな感覚で、その問屋の大手商社との仕事も林与が大手に相談されてその問屋を間に挟みたくないからといわれるのを、その大手商社に口座が作れるように調整するのも、何代もいろんな商社が着物を扱っていた時からとかの付き合いのある機屋の役割だったりもする。

問屋さんにも間に入ってもらうのは人の情けみたいなところで成り立っていて、ブランドのものづくりを資金面で支えるのも問屋ではなく機屋の仕事。問屋さんが自分で生地を買えれば別だけども、何百億もの生地商社でも何年も買い取りもせずに、引き取らないのですかと尋ねると、ハイみたいな答えで、それじゃあ自分で売りますからと売ると今度は、その人が半年後位になんで売ったんですかとか、ボロボロのボロボロが年商何百億円の生地商社。それでそのあと林与がその会社との取引をしないことに決めてるのに、次は絶対に買取も約束しますからと言って100万円くらいの仕事だったけど、つくったら結局、担当も変わって引き取らない話に、2年経って、部長クラスが電話してきて海外のプロジェクトで特別なものをみせたいからみたいな話だけども、御社との取引は問題がありすぎるのでと断る話で、その100万円くらいの生地もその部長が自分の倉庫に入れる形で解決。田舎の機屋のほうが何百億円の生地商社よりもものづくりを背負っている話で、その生地にしても世界に日本のものづくりを発信する有名なブランドの注文なのだけども、裏は日本のものづくりをどこまでも苦しめてしまってそういう日本のこだわりのブランドが成り立っているだけのこと。ブランドの人も問屋と付き合う時には、そういうの分かってないと、問屋さんにお金のことも考えずに気軽に宿題出されると本当に迷惑で。

林与と関係のない問屋さんが、林与がそのブランドのものづくりに関係していることを知って、そのブランドから宿題をもらったのだがわからないから、ものづくりを教えてほしいと。えって、なる話で、自分が、できない、わからないなら受けたら駄目だよ。でも、問屋さんというのはその程度で、自分がサンプルを作る費用も考えずに受けてしまって来る。生地の世界は、ゼロからのものを作ろうとすれば100万くらいは試作や叩き直しに使うこともあるのが普通で、それを無料で機屋が頼めばやってくれるとか考えていたりが個人の消費者未満の感覚で商売したい問屋さん。

その方にも、林与の織物の世界じゃない話だけども、林与もそれなりにその世界も1度やってみようと業者とも話を煮詰めたこともあったので、そういう知識をその人に教えてあげるけども、何十万も試作に用意できるのかというあたり、宿題貰った問屋レベルではやはりブランドさんの求める答えを出すというのは、経験も資金面でも無理な話で、ブランドのものづくりは末端だと思われてる機屋とかが技術面資金面で支えないと無理な話が普通。

私にある方が、会社で決済が難しい案件で自分が20万とかのお金を建て替えてまでやってるんだよみたいな話されるけど、それ聞いてその会社だとすごいのかもしれないけど、自分で会社や仕事している者だったら普通にやってることだよという。スポンサーが逃げたら私もやめると言っておられた徐福をまったくご存じの無い研究家の方にも、もっととことんの覚悟しないと駄目じゃないんですかという。すごく気になったのが、徐福の名前を聞いたこともないというのが本当に不思議すぎて、ある大学の服飾の歴史の先生は徐福知ってますかと聞いたときに秦の始皇帝の時代の中国の人だともちろん知っておられた。

私が織物の歴史をたどったときにそれが日本人の歴史にたどり着いて、徐福が神武天皇で皇室の始まりだろうとする説を私は支持している。そうでないと日本の弥生時代や弥生文化がどこから来たのかとか説明がつきにくい。日本の神道にしてもなぜ大麻なのかも説明がつきにくく、そこにはインドに7年留学した徐福の存在があると考える。その時代はアショカ王の仏教がインドで広まった時代で、その影響を受けて後の平安時代の仏教とも非常に整合性のよい日本神道の形で、仏像や寺院の建立や皇族の出家など昔の皇族は仏教信仰の側面があり、仏教というのは家の代々の先祖を大事にし、神道では地域社会の先祖を地域が大事にする違い。土着の弥生時代以前の宗教や山の神さま、海の神様で、自然の木をご神木としたり、石を積んだものを社とするなど先祖崇拝的ではなかったろうと思われる。弥生時代にもちろん漢字はあっただろうがそのほとんどが記録として残っていないのも、秦の始皇帝の追手から逃れるために末代に徐姓を名乗るなと言い伝えただけでなく、痕跡を隠すために文字による記録を取らせなかったかあるいは焚書的なことを行ったのだろう。
動物化や化け物化した日本の昔話などもあれは人々を苦しめる支配的な存在に対して、庶民は善良で正しく生きていればいつか報われると諭したのだろうと思われる。
2023年10月12日
たとえば、縦横高さ58.5cmの箱に荷物を入れて60サイズだからといってクロネコに出しに行くのは、最初から60のサイズの荷物を作ることを心掛けて箱にも入れていたりする。一緒に若い人と行くと、80サイズだったと車に戻って来る。60サイズだからともう一回行って確かめてもらってというと、嫌そうになっている。そしてまた、80サイズだと帰って来る。私が行って、窓口の女性に60サイズだからちゃんと計ってみ、というと、正しく計りなおして60サイズになるとか。

これは残念な話だけど、窓口に向かわせたのが若い女の子だから受付の女性も緊張感がなく適当な計り方、たぶん、私が最初に持ち込んでいたら1回で指摘もするし測り直させるから正しい結果になったとおもう。いい加減に図るのではなく縦何センチ何ミリ横何センチ何ミリ高さ何センチ何ミリくらい、その一瞬でも認識しないような計り方だと正しい計り方なんで言うのはしようとも思っていない。どうせ若い女の子だからオーバーサイズに計ってもそのことは関係のない話だからと思って軽く考えて騙してしまうのだろうけども、そういうのが仕事の感覚になったらビッグモーターと同じでお客騙して金儲け、自分が顧客に守らせる約定すらも違反して利益は増収増益では駄目な話。

このくらいの簡単なことは思った通りの結果にならないと仕事とか難しいと思うが、そういうのも難しいような緩慢で別に監督が必要な話では。多分営業所のボスの指示でワンサイズ上にしろという命令があるのだろうとは思う。佐川もサイズを計ると62とか82とかが多くで、大阪から届くジャケット1枚を畳んで120サイズ以内の段ボール箱の着払いを142cmとして160サイズの着払い料金を請求しようとしてきたことがあって、そうすることで2倍の料金を請求可能だが、あまりにも汚い。うっかりじゃない、騙す気まんまんなのが日本の上場企業でも横行。

林与も生地を切るときには仕方なくキズが含まれそうになるとギリギリの時もあるけども1mなら1mを割ることはないように心がけている、一般的には5%セントくらい大目に1mなら105cmとかでカットすることがほとんど。林与自身、業者に対して厳しい目線で正しいことを追及するだけに、逆に自分自身はお客様に対しての余分的なアロウワンスを与えることが多い。

業者さんにしても用尺が2.3mなら1割くらいのアロウワンスを儲けて2.5mで計算してくれてたりとか、それが普通にロス計算をしていないと成り立たない話なのだけども、そういうロス計算が想定外と思うブランドさんは、一つのキズを直すために何往復もの洋服を機屋に送られるが、そういうのが奴隷的な生き地獄で、林与的には仕事したら一切駄目な相手。何千着もの洋服をつくれば、数パーの問題を想定はしていないと、天然繊維では難しい話で、直しても直しても駄目出しされて送り返される最終商品に往復の送料だけでも1万円以上は当たり前に使う話で、なにの意味があるのかもわからないタダ働きどころか地獄そのものが大企業的な日本の繊維のデフォだったりもして、一生懸命に仕事をしている気持ちも分からずにくみ取らずに駄目出しばかりのブランド運営では相手が駄目と思っていても、議論すらもしたくないから、その仕事だけはなるべく綺麗に片付けて解決したいと思って出来る限り。

私がそう思うのもなにか問題が起こると逆に脅しを掛けてくるような業者さんも多く、仕事をそういう業者さんとすると頼んだことで大事な仕事の首根っこを持たれてしまって、苦しむというのはいろいろと繊維業界で経験してきた昔ながらの繊維業界の体質そのもの。業者さんにも仕事がないから仕事あったらぜひといわれて良かれと思って仕事を出すけども、その前に念入りに色落ちの話もしているのに、結果、色が3分の1に落ちるような問題でも、それは加工で70度のお湯を通すことを想定していなかったとか、それは日本の伝統的な今の繊維業界のレベルの低さそのもので、海外の途上国の染でもそんなことはありえないのだけども、仕事の感覚の違いそのものでお金はお支払いして、展示会サンプルが没になる話を解決してゆく話で、一般の消費者だと服の色が3分の1に落ちるなんてありえないだろうけども、プロはピンキリだから、加工で70度になるのを言わなかった方が悪いという低いレベルの話では100度くらいを想定もする林与としては諦めるしかない話。今は加工工場さんも日本製の持ち込まれる生地の色落ちが激しくて100度を70度に落としてそれでも落ちるような染もあって、昔だとそういう海外で普通に問題になっていた生地の問題が日本製の生地で頻発しているような状況らしく、加工工場さんも地元の澤染工さんの染を色落ちなど安心な染の基準にされているお話でそういうのも分かるのが、日本で最高の麻織物の世界を求め続けて、今はなるべく染も加工も地場での思い。加工工場の会長さんとの話でも加工のことで迷惑を掛けることも多いけど、林与の本気は他にはないと小さな林与を大事に思ってくださっていて相談役さんでも林与の布は特別だからと配慮をいただくも苦言を呈するのもややこしい自分なんてどうでもよいからの林与だから産地での存在息も意義があると思ってる。金儲け主義が一番嫌いで成金的な感覚が一番嫌いで、大企業的な階級思想も感覚も嫌いで、つぶしたければつぶしてくれてもよいとも思うけども、日本の麻業界の重鎮と呼ばれる方たちの人間性すらも林与の個人のつながりとしてあんまり無茶苦茶でだらしない話ばかりやと70代の方々に怒る話も多く、それは本当に厳しい話で日本の麻業界の本気がつぶされ駄目ならいつでもつぶされてやめる覚悟すらあるけども、世界的な麻業界の布の世界のものづくりやと、日本の大手の資本力的なものづくりじゃなく、中国でもこだわりをもった2社くらいが中国の布づくりの麻の最高峰として最後残るだろうと思う。

林与というのはなぜか恵まれてそういう世界的にみた国家のレベルの頂点を目指したい人たちとの接点も商売じゃないところで同業者として持てるのも、林与の布の世界を見た時に布がそういう方々に失われた布の世界の感覚や求めたい布のせかいの感覚を伝えられるからだろうと思う。インターナショナルなブランドさんというのが、安いモノ探しばかりで適正な価格も難しいという現実もあって、ブランドさんの古参のひとは林与の布を見て若いものに見せさせたいとイタリアでも失われたテイストを林与の布からブランドの若い人たちに学ばせたいみたいなこともおっしゃってくださるが、来られた方が10ドル以下の布を探されてて、それは本当に一番今の世界で有名なブランドなのに金儲け主義で本質すらもうしなって、林与では一番安い綿麻のP下の1000円の生地をお勧めするような話は、残念過ぎる。でも、イタリアでも別の世界的には有名だけど日本では無名のブランドの年配の経営者クラスの方が林与の近江上布を見てくださって、さらにイタリアのトップの生地つくりレベルの会社の経営者レベルの方にも林与のブースを見てこいみたいな感じで、そのイタリアの麻の名門中の名門の生地の方が、ブースの外で他のお客様が終わるのをまって、最初に名刺を差し出して、まさに紳士淑女の世界で、いきさつも林与のブースにお越しになられたいきさつもお話されてイタリアの重鎮の方から一度見ておいた方がよいといわれて、林与の近江上布アーカイブやアイリッシュリネンプロジェクト並びにハンガーをどうぞご自由にご覧くださいとみていだだけるのはある意味光栄。

でも、日本の現実というのは最初に描いたクロネコさんとか佐川さんレベルでも金儲け的なだけの存在で、自分で作った約定も守れずバレないと悪用して消費者を騙してしまって莫大な利益を上げていたりとかはアカンちゃうの?なのが国内の大手企業の現実で、大手企業でもそれしか方法がないのかと思いきや、ある食品関係の物流まで自社構築されて1強ながらもの企業というのは、その企業で最高齢の開発者の方が林与の気持ちと同じで、展示会で東京に行った際にでも朝の5地とかなら時間ありますからというと普通に駅に5時過ぎに迎えに来てくださって会ってくださる。それが世界レベルの日本の食品業界を支えている方で、気持ちは同じで、日本の食品業界の同業者が苦しいのを助けながら一本化でそういう同業者の事業も継続できるように調整。同業者同士が競うでなく、日本のその食品業界の謳いの世界も買い支えて続けていけるようにしようとするのが、日本の繊維業界の大手の安い路線で日本のものづくりを高いから駄目だというのとはまったく違うところ。そういう日本の繊維にとっても林与というのは目障りな存在なんだろうけども、本当の日本の布のものづくりを考えるなら林与のスタイルと整合しなければ逆に日本の布のものづくりの世界はつぶれていくだけだろうし。林与は布の世界の人間じゃないのを自覚もしている、だから、見えてしまっていることも多い。ピカソのキュビズムが人間のもつ汚さを美しく見えるモデルたちを化け物化して表したという、現代のモデルの華やかで美しい世界に憧れる人たちの問題にも共通するようなピカソのキュビズム、ピカソもそういう人たちを抱えてしまって死にそうな気分だったんだろうなその中から生まれたのがキュビズムで、化け物に描かれたモデルたちに絵を見てそのことに気がつけというピカソの嘆きで、ゲルニカにしても、人間の愚かさそのものを、白黒の化け物のオンパレードでモザイクで表現しているだけに私には伝わる。アルルカンに扮するポールという作品が好きで、子供たちというのはそのまま描かれている。大人のどうしようもない内面の腐ったものを絵に表現したのがピカソのキュビズムとの林与の認識。ピカソの自我像にしてもキュビズムでは人生を残念がる裏面と表の顔が2重に描かれているとか。
2023年10月12日
ある方が、昔の職場でその工場が閉鎖になるときと従業員に通告したときに不良率が無茶苦茶あがったといわれていて、工場の経営陣を批判されていたのだが、その工場自体、そもそも成り立っていないのに気が付いていないというのが働いている人は分かっていなかったという問題があるだろう。私も3交代の半導体工場の中で働いたことがあるけども、一番楽なすたいるの優良な工場でこの工場がつぶれないのはおかしいと思っていたことがある。その数年後、その工場は閉鎖され、他の会社に売り払われた。

日本で一番とか世界で一番とかでも、そのなかの経営というのが緩慢になってしまっていては難しい。たとえば、その半導体工場で働いていた時に、昼休憩と呼ばれる45分の休憩とショート休憩15分の二つがあって、休憩を重ねずに機械を動かすために休憩もシフトしながら取る。普通なら15分休憩のタイミングで、45分休憩を取ることになった私ともう一人の同僚が休憩室で休憩していると、すぐにそのあと、昔のその部署の係長クラスの方が他の方と休憩に入ってこられた。

35分ほど休憩しているとその方から、自分ら30分以上休憩しているだろうと指摘されたが、部署が関係なくてもそうやって会社全体のことを見ておられる方が大事で、その指摘は勘違いなのだけども、その方というのはそういうしっかりした方というのを私も同僚もしっていたので、目合わせして反論もせずに休憩をやめて元に戻った。その人が一人だったら昼休憩ですという答えを返しただろうけども、もう一人は管理職の方のように見えたので正しい指摘として終わるほうが勇気をもって指摘されたその方の立場が崩れない。

人の待遇をぎりぎりまで良くして、負荷を減らして労働気分じゃない状態にもっていって、優良企業というのは無理だろう。私は当時3交代のシフトの作業員だったけど、正社員の人たちというのは働く時間はもっと短いし休みも多い。それでいてノルマみたいなものは課せられていて生産性を上げるとかは常に目標となっていた。

日本じゃなく、海外に持って行けば、こんな簡単なだれでもできる作業、やすい労働力で十分だろうし、この工場の敷地にしても無駄に大きくて世界的な競争の中で残るのは難しいだろうなあと思うのは普通のこと。すごく恵まれた優雅な工場なのだけども、砂の上の城みたいな状態。働く人もそういうのに憧れるのだろうけども、長続きすることはなく、働いていても作業内容にしても、素人が集まったものづくりで、マニュアル化して検査ばかり。それも無駄といえば無駄であるが、そういう検査作業というのは算数のドリルを解くようなものだが、それで失敗や責任の所在が誰にあるのかを見極めるような話。基本一つのスクラップも出さないというような高い目標があって、一つのスクラップが出れば改善書を書いて出さないといけないので、普通に地力的な作業姿勢と能力は必要で、田舎の繊維の現場に多い、仕事なんてどうでもよいのよーみたいなおっちゃんおばちゃんでは無理な世界ではあるが、そういう人を解雇するためにはそういうマニュアルプロセスが必要なんだろうとは思える。

多品種の計画生産において、無駄に材料を投入することもなく生産を進めるということはなかなか難しいことで、半導体のせかいだからできるのだろうけども、天然繊維の世界では、不良率は昔以上に糸の問題が増えて検査基準も上がって高まっている。経糸に関しては、3割くらいのさまざまなロスをみて生産することも多い。糸の番手が同じでも糸が均一でないと平坦な布が織れず、それだけで5%とか消費量は変わって来る。シャトル織機で織るのかレピアで織るのかでも糸の消費量は変わって来る。特に横糸は捨て耳の分レピアでの消費量は1割以上多くなる。経糸はシャトルのほうが緩くも織れるしきつくも織れる。高密度に織ろうとすれば、織前が下がるのを避けるために、経糸のテンションを上げないといけないのだけども、高密度に織れば、アップアンドダウンが激しくなり、糸の消費量は普通の織物の2割余分になるとかもよくある話。

薄く織るのは目ズレやヒマが開かないように一般的な織の技術を高めることで回避できるのだけども、高密度の織物というのは、織機に限界にあたるときには、また糸の限界にあたるときには、織幅の縮みが大きすぎて耳そばが切れて切れて織れないとかが起こり始める。それをどう回避するのかが課題になる。

半導体工場での生産においては、高度で特別なものづくりというよりは標準化という手順が取られ、下手過ぎるのは駄目だけども、上手すぎるのも駄目だという品質を一定に保つようなことが行われる。そういう工程においては分業というのは適しており、誰がやっても同じ程度にしかできない簡単な作業に落とし込まれる。1枚が何千万円もするエンジニアリングサンプルの基盤などもそれほど高い工程で行われるのではなく、1枚をつくるがためにすべての量産の工程をへないといけないというゆえに高価であるという部分が大きい。

普通の生産プロセスでももっと小型化なども可能なのだけども、小型化すればするほど多層化した基盤の上下の位置関係がぴったりと収まりにくくなる。そこに穴をあけたりもするので、その穴がさらにズレることにもつながり、小型化も無理のない範囲での小型化におわるから、機械の性能をフルに発揮しているというわけでもない。

織物の仕事においては、作業員の仕事のレベルの差というものは1と10くらいの差がある。初心者の人や年配の職人というのは2から3あたりということが多く、年配の職人の人でも昔は3倍仕事ができたと言われているのもそのあたりで、昔だったら6とか普通レベルの仕事ができていたんだろうと思うが、歳をとると仕事が難しくなるのは普通で、よく言われる何十年の経験というのは最初に戻ってしまっていることが多い。

林与が働き始めた時に整経の糸を割る仕事を伝統工芸士の勘一じいさんがやってくれていた、勘一爺さんも70くらいだったのだけども、生真面目な性格で、初心者の私に対しても絶対に服従で、昔戦争に行かれた方だけに組織というものをよく分かっておられ、何カウントで何本割ってほしいと頼むとそのとおりに糸を準備しておいてくれた。たとえば、先代とかに頼んでもそういうのは無理な世界で、徹夜してもすることが多く間に合わないので、のんきにテレビみているだけの先代に、糸を割るのを頼んでもワシが働くのかというような答え。小学校3年とかのときでも忙しいというので私が手伝ってたこともやる気がない当時50代というのも本当に厳しい話で、でもやってもらっても2ロットがごちゃまぜとか説明したとおりの仕事もまったく無理で、私がその2ロットの微妙な色の差を目視で判別して2ロットに分け戻すとか、この昔ながらの業界は偉そうにしている人が仕事に携わりながら、仕事をするきもなくて、できなくて厳しい。田舎の人の生きてゆく力のなさみたいなのを林与の家の中に感じる。結局、先代も自分が大バカ者だったというのを悟ったのだけど、嘆いていないで働いたらええやんと20代の林与の冷めた感覚。
2023年10月12日
商売としてものづくりにこだわる人たちでも布とお金とを比べるとお金のほうが当たり前に大事で布というのは残らないほうが良いと思う人は多い。ある布のお店の方の奥さんが、布はどんどん増えて行ってしまうと言っておられた。それを聞くと布に思い入れがあるのだろうなあと思う。作っておられる方でもないのに個人として好きでやっておられるからそうなるのだろう。お金よりも布のほうが大事な感覚だと布は増えていきお金は減ってゆく。

日本のブランドにしても世界的なブランドにしても洋服の在庫を残しておられるところというのは少なくて、その年に全部売り切って処分で売れ残っても処分品というのが多いケース。それって1年で駄目になるようなものでもないだろうに、最初の瞬間最大風速だけのためにあって、そういう最初の瞬間最大風速をいろんな形で続けていくようなコレクションと呼ばれるものでよいのか。人々の注目を集めるコレクション、その目的が儲けになってしまうと、安くできるものにラベルをつけて。

ハリスツイードにしても日本では非常に有名だけどもヨーロッパでは評価がそれほどでもなくヨーロッパで言うところの伝統工芸品的の流れを汲む位置づけ、ハリスツイードの場合にはルールがあることで、布の世界の価値感すらもがハリスツイードの布としての本質すらをも変えつつあるような気がするし、オーガニックにしてもルールがあることでそのルールを守れば、また、バレなければどうかなあというものでも大丈夫という儲け意識に落ちてしまっていて、昔ながらのものづくりを語るのになぜかハイテクノロジー。

昔に戻って価値を詰め込むために労力を注ぐというよりも、良いイメージを活用して、ラベル化して儲けるビジネスに落ちてしまっているような気がする。世界的に環境保護を打ち出しているブランドの話でも、ポリエステルの素材に日本の有名な染色技術の会社の新しい染色技法を適用したプリントを施して、結局、それを記念イベントで身に着けた人たちが皮膚に炎症を起こすような問題があったらしい。

長く続いてきた技法というのはそれなりに人間の耐性とマッチしていたようなところがあって、それをさらにハイテクで代用しようとすると人間にとって有害になる可能性もありうる。ナノ化してゆくと、遺伝子や免疫構造にすらも影響を与えてしまう恐れは多い。

マスク一つ見ても、布マスクというのは空気感染も今まで防いできたし、それなりにコロナにも有効でよくできている。一方で不織布のN95マスクというのは医療関係者用に開発されたもので、1時間2時間しか使い続けることができないものでコロナウィルスを99%除去しようが日常での実用性はない。当たり前のことと言えば当たり前のことで、N95マスクだと自分の吐く水蒸気を含んだ息すらも外に出られずに重すぎて呼吸が難しくなる。布マスクというのは水蒸気に対しても寛容というよりか受け付けるようなところがあって、それで網目がより細かくなり水蒸気が異物をマスク表面で捉え効力を発揮する性質が備わっている。結局程度問題なのだけども、それを0と100の議論で武装して、マスク不要論とかは愚かすぎる話だろう。

マスクの有効性を認めたとしても、まだマスク不要論をやってた人たちというのは気に入らずに、N95マスクでないと意味がないとかいうけども、人の命という問題を最優先にすれば、そういう議論が多くのマスクで防げる人の命をマスク不要マスク有害ルールで奪ってしまってきた。村社会的すぎるが、医学にしても西洋医学というのは東洋医学を化学的に再現しただけで、本来は自然の中に人類が生き延びてゆくような知恵みたいなのが東洋医学で、薬にしてもその文字からみても、草で楽になるという漢方のスタイルそのもの。漢方の薬を真似て特許取って独占して化学合成してやるのが西洋医学の基本。
2023年10月12日
スポーツは偶然の要素が多かったりもする。勝負の世界でもゲームの理論という要素も多かったり、将棋というのは必然で偶然がない要素、個と個の思考の戦いという要素で決まる。また、限られた時間なので、経験的に学んだことをもとに自分が考えたことが生きてくる。

すべての局面をコンピュータつかって再現をしつくせば、人間ができるのもその範囲でそれを選んで勝敗が決まっているだけなのだけども、500手未満の勝負のために枝葉的な何億手を記憶したとしても人間としては限界がある。AI対AIにおいて、千日手で差し直しがあろうとも、500手までも行くことがないのは、逆に将棋の奥の深さだろう。江戸時代に将棋を考案した人物というのはたぶんすべて分かって将棋のルールを作ったのかもしれない。

将棋の世界というのは実力主義的で逆に無情にも思うところがある。現実的な社会ではお互いに支え合う気持ちというのはすごく大事なのだけども思うところがあるのだけども、年配の方と話をしていても自分と考えの違う相手は裏からつぶしてみたいなことを考えている人が多いし、それを平気でいうのが大きく経営しているような人たちに多く、消費税問題も輸出型大企業に有利で、国民の生活が必然的に不利になっているのもそのあたりで、いびつなルールで利益誘導が行われていて、頑張って働いて消費税を国民の納めてもそれが大企業にルールとして食われている結果になるだけのこと。

政党政治にしても同じことで、国民の選ぶ国会議員ですらもが直接的に選べないようにどんどんとなってしまっている。比例代表ありゃなんじゃ。そういうのでしか当選できないようなゾンビ議員が党を牛耳るような立場の人間なのだが、政治資金の不透明なこともそういうへんな力構造を怖れたテロ的なちからで、大企業でも求められれば払わざるおえないような村社会日本要素。それはロシアの政治構造にも共通して、日本の柔道界も世界柔道をプーチン氏だよりにするほど日本の柔道の世界にしても闇は深い。

マラソンなんかも厚底バネシューズ一つで決まるみたいな話になってしまって、ルールを抜け穴的に競技の本質を変えてしまうようなやり方で、そういう精神構造が勝てばよいというドーピング構造と似ている。選手だけだと難しいようなドーピング問題、それは国家規模の問題なのだけども、フローレンスジョイナーのアメリカの健康食品企業の広告塔で、健康的にみえた彼女が40歳未満でなくなってしまうという悲劇、見るからに他の選手とは異なるボディービルダーのような脚の筋肉。当時のアメリカという国もベンジョンソンの記録に期待し舞っていて彼の薬物使用を疑うこともタブー視されていた。

才能のある人たちが才能で他の人よりも勝っているときというのは、普通の者でも普通にやっていけているのと同じ状態で、そういうのが難しくなったときに、努力するのか偽装に走るのかの問題はあるだろうと思う。大企業というのはそれなりに優秀な人の集まりではあるけども普通程度の仕事量なので、その恵まれた大人数を食べさせてゆくためにはからくりが必要だったりすることが多い。

消費税率を上げて大企業を救うようなからくりがないともはや日本の大企業も成り立たない状況ではあって、消費税や年金制度は新しい階級制度構築のための手段としての基本的な要素とも思う。極論100%にしたときに何が起こるのか、輸出大企業は国内でものを買って他国につくった商社窓口やディラーとかに輸出するだけで、国民から集めた消費税をごちそうさま出来る。経団連なども社会のために消費税を上げろというなら輸出消費税還付制度をなくすべきだろう、それをいうのはタブーなのか?
2023年10月11日
仕事をはじめたころ、整経の作業をされていた方が、特別器用で仕事熱心な仕事の正しい姿勢を貫いておられた。整経作業だけでなく仕事の下準備と織りあがった生地の後片付けなど他の人がやらない分までやっておられた。1日の仕事にしても、分野は違えど他の人とは仕事の質、量ともに何倍もの差があって、時間から時間で帰ってゆくのが当り前の人たちとは仕事ぶりは雲泥の差。

毎日他の人の何倍もの仕事をされているから特別な器用さもそういう作業の中から生まれてくる。整経なんかも1日に3本くらいされていた。林与も最初整経の作業をしていたのだけども、その方と同じような作業を若いころから普通にこなしていて、より難しい麻関係の整経が仕事を始めた時からの私の担当で、仕事を始めた最初の2年その方と一緒に会社の中のいろんな仕事を経験していた。

一日働いて疲れ切っていてもそこからまだ一仕事二仕事が普通みたいな仕事の姿勢を一緒にしてたのだが、先代の緩慢経営では会社はまったくどうしようもない状態。その方が仕事ができるのもなぜかというと、先代が育てた人じゃないから、私が仕事ができるのも同じで先代が教えた仕事という概念はどうしようもないもので、たとえばあいつらを食わしてやってるとか、整経ばっかりやってたら頭が腐るとかあほばっかりで、そういう感覚が仕事できない人を増産してしまってる。

私も子供のころから先代はまったくどうしようもない親だと感じて来て、剣道の先生方に育てられたようなもの。剣道の世界にしても先代が役で関わるとろくなことなくそのどうしようもない毒を広げようとする。どうしようもないアル中が若いものに酒飲ませて大物気取りとか、ほんとやめとけ時代が違う。子供のころから見ていてどうしようもないあほな親で、まわりもそういうアホがお金ばら撒いているからそれを頼りに生きてては、本当の働く力もなくそういうアホにすがっているような状況で、歳をとっていても食べさせてくれるのを待っているヒナのような人が多い。そういうヒナみたいな人は先代がいなくなってからも私に食べさせてもらうのを期待している人もいるけども、そういう感覚が先代がつくった田舎や繊維の世界のどうしようもない縮図で間違い。

そういう何十年の経験者でも一緒に先代を頼って生きてきた問題を片付けられるのかというと、1日の仕事でも絶対に無理だし、一つの作業でも絶対に無理。そういうのも分かっているから先代の何億もの問題から逃がしてあげているのに、取るばっかりで先代に近づいていた人というのはそういうのも分からずにまだ取ろうとして近づいてくるけども、そういう人に普通の話をするとそういう先代が面倒を見た人が敵対してくる人も多い。先代の問題をすべて背負ってるの分かっている人というものいてくださって、そういう人が親戚の中でも外の世界で強く生きておられ先代というよりもヨジヨモン、与一爺さんのころの精神で強い絆。

先代みたいなものが仕切り始めたころからそういう昔の近江上布の感覚が消えて、先々代ころの厳しさというのは他の産地には残っていたりして、地場でもそういう昔の時代の話をするとそういうものづくりをしないと駄目みたいな話になる昔の地場産業のものづくりを知っておられる方も残っているけども、もう引退も間際でそういう昔のなにもない田舎の働いて出来てなんぼで近江上布の世界をつくりあげたような感覚がなくなっては、できないことだらけになってしまって、できることも、しらんわからんできひんが昭和の時代から当たり前になってしまっていた。

地場産の本物志向を貫いている林与に、悪い気持ちもまったくなく林与さんも看板があるのだから自分みたいに他のところで作った生地を化かして売らはったら簡単にもうかるみたいなことを地場の伝統工芸士の方でも薦めてくださるけども、それしか儲けて残る方法が残っていないというのも地場産業の課題なのかと思って、産地でのモノづくりを残して消費者を騙さずに産地産を成り立たせていく方法はないのかと、昭和のころからの熊本のアサリ問題と同じ様な状況というのも昭和の時代からの麻織物の本場の産地が抱えている課題。麻織物というのは手間が掛かるだけに、昭和の時代でも林与の中の何十年の経験者でも、その手間を当たり前に耐えられる人というのは少なくなってしまっていた。今の時代の人がそれ以上に強くないと産地産の麻織物を残して行くというのは難しいことだろうが、本場の産地で織られる麻布の本物というのは出来る人も少なくなり、それでいて、麻織物が本場の産地で織るのが難しくなっていて、産地でも産地で織られた麻布を見つけるのが難しいような現実というのはまったく知られてもいないし、消費者にも伝わってもいないであろう。
2023年10月07日
昨日の夜は、丸亀製麺のかけうどん大をネギだくだくだくで、麺よりもネギと出汁のほうが楽しみだったりもする。少し天かすで若干の甘みを引き出し、ネギの辛みというか苦みというか刺激のある薬味が、体の中の鈍くなまったような感覚を中和する感じ。中和されて脳みそが満足感に浸りぼーっとできる感じ。

丸亀のうどんの麺は、運動した後に食べたりすると運動誘発性小麦アナキフィラシーが起こるので、食べる前も食べた後もあまり動きすぎないように。マクドナルドのパンズも同じく小麦アナキフィラシーの原因になる、袋に入ったパンも。コンビニのサンドイッチは小麦アナキフィラシーの要因にはならないのが不思議ではある。同じ小麦でも何が異なるのか?国産か国産でないかか、遺伝子組み換えか遺伝子組み換えでないかか?海外の浦東空港の出口のコンビニのサンドイッチは食べた後に動いたらアナキフィラシーが起こったので、日本のコンビニのサンドイッチだけが例外だろう。普通に販売している食パンはアナキフィラシーの原因になる。いちど、この辺りは、時間のある時に食べ比べして究明してみたい。

林与のアナキフィラシーショックには大きく2タイプあって、一つは、急激な運動をしてしまって、かゆみなどが起こる前に貧血症状で血圧の低下で立っていられなくなるパターンと、もう一つは、じわじわと蕁麻疹のようなかゆみを全身に感じて、赤い発疹が出て来てくるパターン、だんどんとひどくなって、ひどい時には呼吸困難や血圧低下がくるが、基本、横になって寝てると2時間くらいで収まる。

海外に行くと食事の後とかに歩く距離が長いので、それが問題で、アナキフィラシーが起こってしまうことが多いので、海外旅行時は要注意ではある。慌てて飛行機に乗ってパンとか食べてアナキフィラシーで発疹とか出たら、飛行機の中でシートベルトしてじっと座っていられないケースになるだろう。横になれるなら治るだろうけども座ったままだと激化する可能性は高い。車で移動するような国内の行事だとまだ安全だが、スーツケースを抱えていくような展示会は今は参加しにくい要因の一つにはなっている。イベントなどでも、一緒に準備してもらったりすると負荷が減るので大丈夫だったりするが、今は一人で参加することも多く特にそういう時は注意が必要。イベントの時は、その場で食べるもらいものも多いし。会場であった人と久しぶりだから一緒にちょっと食べに行きましょうで、お店探して何キロもうろうろと歩いてピザ食べたりパスタ食べたりするとかはよくありがちなパターン、そういうのが危ない。たくさんうろうろしたあとの食事はあまり食べないで飲み物主体にしていることが多い。
2023年10月07日
農協というのは郵便並みに大きな組織で、単に農業の農作物をつくる部分だけでなく、金融、政治力的な力も持っている組織。その組織がオーガニックに全面的に移行するような流れ、農薬や化学肥料を販売して成り立ってきた組織がある意味180度の方向転換ともいえる。化学肥料や農薬が減れば、川や水田にジャンボタニシばかりじゃなく、ヤゴや日本タニシ、どんじょうなども戻って来る可能性もあるだろう。

昆虫を殺してしまう成分が含まれる殺虫剤を田んぼに大量に撒いてしまっていては、トンボや蝶々も川の中の水生生物も元来種から消えて、耐性のある強力な輩だけが田んぼや川に残る。そしてそれが稲を食い荒らす悪循環。羽虫やブヨ、ぼうふら、蚊なども殺虫剤によってほとんど田舎でもいないほどになったけども、つぎには人類の番が来ているような気もする。アニキサスの問題があるけども、昔だったら普通にマイナス40度冷凍の技術なんてなかったし、それでも魚を食べていて普通だった、寄生虫にも耐性がある程度あった人類。どんどんとピュアにはなって来ていて、一方で耐性は下がってきている。

コロナ対策で不思議だったのがスウェーデンの初期対応。社会主義最先端の高福祉国家なのに人が亡くなるコロナで自然免疫の獲得を目指して、途中で挫折したが。医療制度も充実した高福祉国家スウェーデンならコロナ対策も一番くらいに徹底したものがなされるのかと思いきや放置政策。それは分からないでもない、高福祉医療国家ゆえにその現場すらもが崩壊してしまっては、医療従事者に休めとかも言えないし放置するしかないのだろう。公務員的な比率が何割もある国というのは、自分自身の成り立ちや制度を否定することは難しい現実があって、一人の学者の自然免疫説に乗っかって正当化するしかなかったのだろう。国連にしても同じで当初からワクチンに金集めして、コロナはたんなる風邪というフレーズを世界中にばら撒いてマスクするなというのを広めた。マスクで救える命も多く失っただろう、人の命を救うためにあるWHOでもその逆の愚策をばらまいて人を無防備にコロナに晒し死に追いやる結果。

本質を見抜く目が大事で、なぜ不可思議なマスクするなというのかなど。WHOが権力を増すために、コロナが広まるのを期待していたのではないだろうか。人々から自衛能力すらを失わせてどうするつもりなんだろう。国連のコロナ対策は、CDCの存在が大きかっただろう。事実かどうかは分からないが、グランドプリンセス号の乗客がアメリカに戻るまでほとんどコロナPCR検査をアメリカでは行っていないという報道があった。世界中がコロナで大騒ぎしていたのにアメリカの世界的権威のCDCがPCR検査をアメリカ国内で実施していないとか、これが国連が従っていたCDCの実情。たぶん、コロナがすでにアメリカで蔓延していたという事実があったんじゃないだろうか。武漢の3か月ほど前からかつてない異常な死亡者のインフルがアメリカが襲っていた。早い時点でコロナは単なる風邪と判断をして放置したというのが、方向転換も出来なくなった権威主義の末路ではないのか。

コロナワクチンがアメリカで接種されはじめたのが2020年12月、CDCがマスクがコロナに有効性があることを認めたのが2021年2月、CDCの関係者もコロナワクチンの開発と承認に関わっていただろうから、ワクチンが販売されるまでは、マスクの有効性を認めるわけにはいかなかったのではないだろうか。なぜ、マスクの有効性実験の実施と発表がこんなに遅く、マスク不要論を垂れ流していたのだろう。結果、アメリカのワクチン会社がコロナ蔓延で大儲けしたことにつながったけども。CDCとWHOのマスク不要論でコロナは世界パンデミックになり多くの人が死んで犠牲になりすぎた。徹底したマスク不要論、一方でフェイスシールドとか、ほんと古き先人の知恵が生きていない。専門家たちがレッドゾーンまで儲けて、隔離コロナ病棟とかやってるのに一方でマスク無しにソーシャルディスタンスで大丈夫とか。無茶苦茶のロジックで都合の良すぎた専門家たち。

神戸でも武漢の半年前に採取された血液からコロナウィルスが発見されたという記事や、イタリアで武漢の1年前からコロナがという記事などもあり、あの中国の一人の若くして亡くなった医者がいなかったら、かつてないインフルということで処理されて、コロナウイルスは永遠に問題視されず、歴史に記録として残らなかったのかもしれない。悪い風邪が流行っていますから気を付けましょうねの単なる自然死で終っていた可能性もある。

ワクチン開発などは悪いことではないのだけども、マスクで防げるようなものをマスクで防ごうとさせないような、疫病の専門家たちの存在というのもあまりにも現実ながら悲しい話で、それも一つのプロの仕事として、世界レベルでマスクするなのコロナ対策、なんの目的だったんだろうと邪推するしかない。
2023年10月07日
普通に生地を生地として使う場合には問題がないのだけども、林与の生地を使って製品をつくられると問題が起こってくることがある。単純なケースでは、製品の表面に、合成繊維のものと麻の生地を一緒に使って縫い合わせたりする場合。合成繊維の糸は均一でしかも糸目が碁盤の目に通っている、一方で麻生地でゆったりと仕上げたものは、糸目もゆらいでいて、また糸のフシも目立つ、糸のつなぎ目なんかも目立つ。

機能的な問題では、製品に林与の生地を他の何種類もの生地と一緒に使われて林与の生地に問題が現れて、その会社の方が林与の生地に問題があるとメールなのだけども、林与の生地で今までそういう問題は一度も現れたことがないし、たぶん他の生地が原因なんだろうけども、その会社さんにしても使われているいろんな生地のことを理解されずに使われていて、でも解決能力はその会社にはないだろうから、林与が製品を送ってもらってどの生地に問題があるのかの原因を見つけ出す作業。原因の生地がどの生地なのも特定し、その生地を作られたメーカーに溶け出すような糊剤や樹脂を使われていないか確認されたらどうかという返答をさせていただいたけども、新しいモノづくりにはトラブルはつきもので、そういうトラブルを解決する能力を持っていないと、製品を買われた一般の消費者の方が一番困る話。

林与の染色工場さんや加工工場さんは限定的でそれには理由があって、ありえない問題が起こることを防ぐためでもある。あたらしい薬剤や技法などはいろんな問題を含みがちで、安心のできるものを提供するためには実績のある定番の染、定番の加工方法が一番である。何十年にも及ぶ何十万メートルの過去の実績で問題がなく安全であることが証明もされている。

生成の麻生地を化学染料で染めて色が落ちるみたいなのは安全性の面で気を付けないと、草木染とかならまだ色素も天然系で良いのかもしれないけども、本来はしっかりと結合していることが前提の染料が色落ちするとかは良くないモノづくりだと林与は考える。硫化染料など色落ちを想定した染料なら別だけども、生成りを染めて色が落ちやすいという現象は途上国などの化学染料染めではよくある話でよくないものづくりの典型で、洗濯時の移染程度ですむならデメリット表示で単品洗いとすればよいだろうけども、着用時に皮膚への付着や吸着すらも心配される。不純物の多い生成りを精錬もせずにそのまま染めると安く染められるが色落ちはしやすい。色落ちをさせようとすると手軽に安く染められる直接染料を使えばもっと色落ちしやすくなるがそういうのは安い世界のものづくりにありがちな作り方。

京都で反応染料で染めた時にも加工で3分の1の色に落ちたことがあって、京都の染料店の方の紹介の京都の家庭規模の染工場では工業生産品としては厳しいのが明らかだったりで、染める前にも色落ちは大丈夫ですかと3回くらいは尋ねたけども、反応染料だからフィックスもなしでも色落ちはしないといっておられたが、技術力の差というものは麻専門の染工場とは歴然とした差があり、おみやげ物屋さん向けのアイテムと百貨店アパレル向けのアイテムの差だろうと思う。林与も家で、藍で染めたりもするけどもそれは堅牢度はよくなかったりする。作家的な、一点ものならそういう染でもよいのだろうとは思う。民芸系には工業的な基準は適用されないとかもあったりで、一般的な工業系の検査基準だけがすべてではなく、コスチューム的な着物など色落ちしても妥協できるような価格のものもあるだろうし。(京都にも高品位な染をされているところはたくさんあるのは知っていて、麻の染を得意としている染業者さんでないと林与的には合わないのだろうと思う。)

林与の家は近江上布の織元だったので、染も家の中でボイラーももって昔は本格的にやっていて、与一爺さんが京都の染料会社とやりとりして、近江上布の絣の中でも一生ものとして使える一番くらいに堅牢な染を目指していた。林与の麻の濃色というのは濃いのが特徴。湿摩擦堅牢度は若干悪くなっても色味を大切にするのが林与の特徴で実績で使っていただいていたりもする。そのあたりが林与の総合的な妥協点。

分業でのものづくりというのは、製品に想定できない問題があることが多いので、最後の商品をテストなどして叩いておく必要はあるだろうと思うが、そういうテスト環境みたいなものを持っておられないところも多いので、商品企画される方にお勧めするのは、自分が企画して開発されるなら自分でその商品を使って洗ってみたりして評価することが大事だということ。使ってみると自分の企画の問題点なども見えてきたりすることも多いだろうし。企画される方への大きなヒントで、改良へのポイントにもなる。

ある生地屋さんに行ったときにも若い店員がたくさんおられて、林与と話するのを楽しみに話しかけてきてくださる。林与さんキッチンクロス縫製できるところ紹介してくれませんがみたいな話で、私がいうのは、自分たちで縫製してみるのも良いんじゃないですかみたいな話。いろんな生地を持っておられて、それがキッチンクロスに店頭でなるみたいな自由度ってよいだろうし、店員さんがお客さん相手だけじゃなく、縫製のこともできればお客さんとも会話は広がるだろうし、自分自身が染めたり、加工したり、ミシンも踏んだりすることがあるので、他を探したりよりも自分でやるほうが簡単なこともある。そういう話すると想定外に思われるのだけども、そういうのが普通の感覚だから林与の仕事感覚は変だとか思われる。だから、他とは違うものづくりやこだわりの部分があったりして興味しめしてくださる方も多い。
2023年10月02日
もう15年ほど前になるだろうか、そのころというのが自分がやろうと思えば一番くらいに会社の中でいろんなことが出来たりもした。いわゆるデフレ不況の中で、世界で一番クラスのものを作ろうとアイリッシュリネンプロジェクトを立ち上げたのもそのころで、多くの方たちが手軽な安い生地を探しておられるときで、一番くらいに思い切った日本の麻織物の本場的なものづくりが出来たりもしやすかった。それはイコール世界でも最高峰レベルの麻織物の世界で、ながく業界でも疑問視されていたアイリッシュリネンの不透明な部分に関しても結論を導き出したようなプロジェクト。

イギリスのアパレル業界や生地関係の方とも接点を持つことができ、商売のことよりもアイリッシュリネンの糸が英国にて今も紡績されているのかどうかというのを質問するのが林与で、イギリスでも有名な生地を販売されている会社の方でもアイリッシュリネンなんて気にするなみたいなことを言われて、もう英国でもアイリッシュリネンというものを追い求めるようなことすらも難しい状況で、なぜか日本人の林与が北アイルランドの失われた世界を取り戻してもらいたいと思いつつだけども、それすらももう遠い過去の話。

一方で、林与の近江上布のアーカイブは世界のブランドを魅了し、すごくそういうのを再現してほしいという要望が多く、その後に広幅絣プロジェクトとして近江上布の織元だった林与が、アパレル向けに林与の数千柄に及ぶ近江上布のデザインを活かしてプリントで再現してそれがすごく好評ながらも、本当の絣のものが欲しいとリクエストも多かったので、広幅絣プロジェクトを林与発で打ち出して、世界のこだわりのブランドさんからすれば、ありえないほどのディープインパクトだったと思う。

その広幅絣プロジェクトに関してもすごく多くの方が支えてくださって、全然関係のない日本を代表する食品関係の開発の方も繊維業界にはありえない開発を支援するような気持で、林与をとことんなくらいに応援下さって、その方って全く日本の大企業のサラリーマン感覚がない世界で、その人がやることすべてが世界のトップクラスの話で、そういう方が世界規模の日本の上場企業でも支えておられるのを知って分かったり。その方の食品業界におけるリネン生地に対する探究心というのは、世界一クラスだったと思うし、会社の中でも自由に開発を任されるような無二の方だったと思うし、やっておられることが織物に関してももう失われたような特殊なベルトをつくる織機の技術とかを求めておられたり。

そういう情報をもらうと林与も世界のウェブの織物に関する情報を調べて、そういう技術が今残っているのかどうかというのを調べ、残っているとすればどこに残っているのかとか、あるいは、今の技術で代替するような現実的な方法はなんなのかとかとかを考え自分の考えを述べることがそれなりに、妥協案としては有効ではないのかと思う。継ぎ目のない織物のベルトをみた時に手品をみたような感覚に陥ったが、そういうのを昔の人は機械を作って量産してたというのが、現代にはありえないほどの器用さで、そういう器用さを現代に追い求めたい人というのは多いのかもしれない。

人生でそういう方に会えるのは5年10年に一度くらいだろうけども、そういう方の才能だけでなく人格のすばらしさみたいなものが超えすぎていて、そういう方に甘えてしまっては駄目で、しっかりと普通の仕事の感覚を持って、いつでも駄目だったら林与を切ってもらえるようにが仕事として大事だろうなあと思う。
2023年10月01日
高校生のころに、山口みえという女優がいて、テレビCMで、仕事バリバリしたあとに、「しば漬け食べたい」というしば漬けのCMのセリフがしば漬けのイメージで、しば漬けなんかほとんど食べたことのない高校生のころに、京都大原三千院に行くと周辺は日本で一番くらいのしば漬けの産地で、しば漬けの実物を見た時に、これがしば漬けかと感心したものである。たぶん、一切れか二切れ、旅館とかの小皿に乗ってる漬物で、食べてたことはあるけども、あれが働いて疲れたときに食べたいと思えるような感覚は林与には無理。

キューリのQちゃんみたいな味のもので、あの味の濃さのお漬物というのは苦手で、食べても一切れ二切れが限度。スーパーのひと袋200円くらいのしば漬けはたぶん一袋でも林与にとっては1年くらい冷蔵庫にあるままだろう。食べる前は、山口みえのCMを思い出すが、一切れ食べると、十分になる。キューリのQちゃんも有名だけども、あんなに味の濃いものをぼりぼりと食べられる感覚がすごいように思えて、林与は白いご飯で味を薄めながら3切れもあれば、茶碗一杯分のご飯が食べられる。

納豆も経済的な食べ物で、100円あれば2パック3パックが当り前。1パックあれば、ご飯一杯は食べられるので、卵ご飯と並ぶくらいに経済的で健康的で、そういうのに満足できる人というのが一番くらいに人生を幸せに送れるタイプの人なんだろうと思うし、逆に、仕事もすごくできそうな気がする。しば漬けで喜べるようなキャリアウーマンのCMイメージと整合するところもあって、キャリアウーマンが海外の高級リゾートを満喫するような普通のイメージとは違うミスマッチ的な庶民感覚が、庶民的な人々の共感を得られる大事な要素なのだろうけども、しば漬けのあの味の濃さはもっと薄くはしてもらえないものなのか。

増田明美さんの監督で、増田明美さんには試合前にお肉をたらふくたべろとふるまって、監督さんが塩ご飯というのを、増田明美さんが意味も理解して、自分がすごいんじゃなくて監督がすごいんだと。それが日本の親イメージ的な価値観で、自分のことよりも自分を捨てて次の若い子たちの活躍を期待してという手本だと思う。
2023年09月30日
今日は、納品の途中で満腹ハンバーグダブルというのを食べた。この1週間ほども仕事に追われまくってたので、昨日の夜も、朝も食べてなくみたいな状態で、昼前に思いっきり食べたいなあと思って、思いっきり食べられそうなまんぷくハンバーグにした。

ミンチ肉だけでもたぶん普通のハンバーグ2個分X2くらいで、500g以上は使ってると思う。たれに刻みニンニクを入れて、無茶苦茶おいしかった。でも、なぜか1個食べたくらいで満腹になってしまって、えっとおもった。今までこんなことはないのが林与なのに、年取ったんだなあと。それでも、2個目も食べきって、出発。食べる前と比べるとすごく元気になった。食べた肉とニンニクのエネルギーが注入されたのだろう。

ニンニクも2か月ぶりくらいじゃないかなあ、思いっきり食べたの。疲れていたのを忘れることができたので、インターを降りてから手ごろなの食べようかどうか迷ったりもしていたが、ほんと食べて良かった。ごはんもおかわり自由とあったけども、結局、最初の大もりでお腹いっぱいになりそれを食べ切るだけでも、縫製用に調子だしして好調に動いていた15年使っていたミシンが壊れるなどドッタンバッタンでなんとか、JUKIのポータブル職業用ミシンを引っ張り出してきて縫ったんだけども、やっぱり、新品だと60万円以上する本縫いミシンの安定性というのは、15万円くらいのポータブル職業ミシンではまったく敵わないなあと感じ、そこそこは綺麗に縫えているのにミシン目の美しさを欲がでて、3時間以上も上糸と下糸の調整とか。新品に近いポータブル職業ミシンなので普通以上に綺麗に縫えているのに、そういうところが、本当の本縫いミシンの何時間も掛けて調子だし済みの縫い目の綺麗さに慣れてしまうと満足が出来ずに駄目だなあと思う。

林与に本縫いミシンが2台とオーバーロックミシンが入ったのは15年前、そこから小物なども自社内で作るようになって、いろんな広がりができてきた。子供のころに剣道を教えてくださった剣道の先生がミシン屋さんで修理もされていて、壊れても面倒見るから思いっきり使えみたいなことを言ってくださって、一度も修理に出す必要もなく15年、そういう本当のとことんの人間関係というのは、私が子供の時からの剣道の先生のボランティアで、なぜかそういうのが本当に世のどこを探してもなかなかありえない世界が、生まれ育った愛知川町にあったのをすごいことだなあと思う。
2023年09月25日
定番の生成を織るためには糸の色味が安定した生成糸が必要なわけですが、今の現状は糸の色味の安定したロットの糸を探しているような状況で、L25番手の生成在庫が残っている以外は、L40番手クラス、L66番手クラス生成の生産の目途が立っていない。今年手に入れた、安定した品質の銘柄ということで定評のあるL25番手の生成にしても5mから10m織るごとにかなりはっきりとしたオーガニック糸にときおりみられるような1cm程度の白い帯のようなものが見受けられ、昨年度取れた原料というものが生成に関してはかなり不安定であることを心配している。

今年度の作柄に期待して来年の紡績が始まり3月くらいの初物を待つのが良いのではなかろうかと思ったり、L40はハニカム生産用に数年前に確保した分が120kgほどあるので、その半分を定番用に回すこともできるけども、そのロットの糸もまだ色ムラなどの問題があるかどうかのテストが出来ていない状況。生成主体のアパレルさんなどは、どうやって今の状況を乗り越えられておられるのだろうか、糸商さん関係は、生成と謳わないで、生成りに近い色に染めて生成りっぽい生地で代用をされているところもあるようである。

糸値が高騰している中で、生産しても危険がともなうような状況で、一番くらいにベーシックなリネンの生成の生産が糸の問題で難しいというのも非常に困った話。ベーシックであるとは言いながらも、20年くらい前は普通だった生成の色の安定性というものは、今手に入る糸ではもう保証はされておらず、箱から出した糸をそのまま整経してしまうと縦の色ムラで全没になることも多く、同じ糸の生産ロットでも箱ごとに1ロットと考えて、整経も散らしながら使っていたりする。シャトル織機で使う横糸もシャトル織機では管ごとに色ムラになりやすいので、その問題を避けるために糸の管理を注意していたりする。

糸というのは紡績できればそれでよいというのではなくて織物にしたときに問題がないことが大事で、糸商さんにしてもこういう問題を糸が抱えてしまっているときにお客さんとの対応というのは大変なことだろうと思える。紡績工場においては同じ番手でもオフ白より生成のほうがやや値段が高いというのが普通だったりして、紡績工場においても普段から色味のコントロールに関しては苦戦もされているのだろう。

生成と呼ばれるものは匂いだと気に藁のようなにおいのする生成があるがそれが無漂白の生成。一般に生成と呼ばれるものはややマイルドな色味をしていて、その理由は8分の1晒と呼ばれる漂白が掛かっていることが普通。アパレル向けなどはそういう糸でないと藁っぽい匂いで使えない。たまにウォーターレッティングの糸なども匂うことがある。色がゴールド味で、藁のようなにおいがするなら、まったく晒を掛けていない生成りだろう。

そういえは廃番になったエジプトのウォーターレッティングの生成もたしか在庫がどこかに300kgほどあったはず、その糸も強度が普通よりも弱く、あと糸の色ムラが強烈なので、使う時には非常に注意が必要で、注意していても縦にややすじばった感じがみられるけど、もうそれはその糸の味としてとらえていただくしかない。糸自体が非常にナチュラルな作り方で品質を安定させきれていないんだろうけども、そういうコンセプトというのもよいことだろうとは思うがアパレル向けに使うとかは非常に厳しかった糸。でも、アパレル向けにシャトルで織ってその味を楽しんでもらいたいと思って糸の国内在庫の残りを買った。昔、ネスカフェゴールドブレンドのTVCMに山本寛斎さんだかがでてて、子供ながらにインスタントコーヒーのすごさを植え付けられて、今もインスタントコーヒーで十分で、しいての好みは、ブラックで飲むキリマンジャロの酸っぱい系のテイストが一番好きなので、結局林与のコーヒーのテイストにしても、今は本当に希少になったキリマンジャロが自分の口になじんでたとかは、一般の高級テイストと整合するように出来上がってはいる。

もう10年以上前になるだろうか、リネンバードさんの10周年記念のトーションのグリンのストライプの生成部分はその特別な生成を使い、ネイビーストライプの生成りはグレーの通常のデゥーレッティングの生成を使わせていただいた。グリンのほうが織るの何倍も大変だった。でもそういう特別なシチュエーションに使っていただくようなものは他ではやらないような発想の特に苦労するような布が良いと思って、糸ももう残っているだけで次の予定はないということを聞き、残りの糸はとりあえず買っておいた。
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