for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3731
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | ... 187 次のページ»
2026年03月11日
今日は、昨日の一番問題を抱えていたドビーの修理が完了をしたのだけども、修理を依頼する時に1日では修理できるかがはっきりと分からなかったので1泊で滋賀に来てもらって2日作業をしてもらう計画でドビー修理の専門の人と一緒に林与も作業を経験する。自分自身では修理できない案件を専門の人たちに来てもらって治るかどうかは分からなくても可能性があるなら見てもらって作業をしてみるというのは、仕事の一部で、専門の人が嫌がらないなら助けになりそうなら一緒に作業をして修理作業の力仕事を手伝ったり効率を上げたり、一緒に作業することで問題も見えてくることも多いし、林与の織機なので直る可能性に掛けて作業をするというのは、普段の織物の作業と共通することでそういうのが自立して仕事をする感覚だったりもすると思う。

今日も朝の9時前から午後4時過ぎまで作業をして、3台のシャトル織機のドビーの針箱を取り外して織れたブラスチック部品の交換を行った。初めての経験であろうがやって答えを出せるかどうかが大事で、ドビー修理の方も林与の持っている織機のドビーのメーカーの専門ではないし、分からない部分もあるので修理をするのを敬遠されてはおられるが、林与自身のなんとか直そうとする気持ちを伝え修理作業を進めてもらう。どのドビーも似ている部分があるだろうが、メーカーごとに構造が異なる部分もあって、調整なども同じようにできるわけでもないが、ドビー修理の専門の方だけに、埃だらけになったドビーにしても洗いを掛けたりオイリングもしてから付け直すなど、単なる不具合部分の交換というだけでなく、それなりにレストア的に全体の動きも良くなるようにしてから取り付け直しで、より長く安定して使えるだろう。

林与自身、こわれやすいドビーには頭を抱えていたので、今回2日の修理に立ち会って一緒にすべての作業を説明してもらいながら4台も経験をしたので、普通のドビー1台分の修理の4倍くらいの経験にはなった。慣れないメーカーのドビーなのにその場で構造を理解して調整も正確に行って、そのやり方まで説明してもらえて、本当に良い方に見てもらって思っていた以上の2日間の結果で、はるばる来ていただいただけでなく結果まで良い結果だった。

この織機のドビーを外すだけでもコツをつかむまでは一苦労だったが、この2日で部品取りようも含めて5台分外したので、たぶん一番正解だろうと思える外し方にどんどんと近づいて、取り付けにしても1台目よりは2台目、2台目よりは3台目、3台目よりは4台目の取り付けが早くなっていくなど、経験して慣れて効率が上がって、最初のどうしてよいのか分からない状態から、これが最適に近い修理方法だろうというのに近づけた。

壊れたプラスチック部品の交換もパズルのようなコツがあって、一度外すと、ななかな戻しにくく、一つのやり方でしかうまく填まらない。一つのプラスチック部品の交換に関して、プラスチック部品本体のほかばね2個横梁2さらに縦にスライドする金具をはめ込まないといけないのだけど、それも相当やっかいな作業で間違った取り付けになりやすい。

また勉強になったのが、ドビー全体へのオイリング的なこと、全体的にオイリングが衰えてくるとどうしても抵抗が増えてドビーに負荷が掛かったり、重力で落ちるべき部品が落ちなかったり、ばねで引き上げられるべきものが戻りにくかったりしてドビーの動きが不安定になりやすいということも、洗浄作業をしているときに動きにくいパーツがあったりするのを観察して、部品が正しくついていたとしてもゴミなどの抵抗で正しく動かないということもありうるのをよく理解が出来た。

専門の方というのはこういうのを一人で黙々とやられているのが仕事だけども、織物工場で働いている人でこういう作業を黙々とできる人がいるだろうかと思うとなかなかいないだろうなあと思えたりはする。林与とかは織機が正しく動かないと正しく動くように必死になるが、勤めて働いてい人だと他人ごとだったりというのも普通のことだったりして、普通に動く織機でも織るのが面倒だとかいやだとかも普通の感覚としてありえたりするだろう。こういう深い経験を積み重ねてそれを仕事だと思える人っていうのが大事だろうと思う。そう思って動いているから林与にしても織物工場をやっていけているのだろうと思う。

2日の経験でも、普通の人が一生できないような経験が出来たりもして、普通にサラリーマンしていたらこういう経験って難しい話だろうと思う。お金も労力も時間もそして覚悟も必要だし、普通の感覚だとお金にならないんならやってられないわみたいなのが当り前の感覚で、逆に自分が持ち出して働いて動いてものづくりの環境から育んでいける力からというのは、今の時代にはありえないほど、普通は職人レベルでも一生でも絶対に経験できないようなこういう経験を本当に覚悟してというよりも日常の当たり前としてできる人でないと無理な世界があるのだろうと思うし、こういう林与の普通の作業に思えることも熟練の経験者レベルでも10人に一人か二人いるかどうかの話で、解決しないままだったのが昭和の時代でも同じで、サラリーマン化してしまった、ものごとが難しくなるばかりの繊維業界で、本当に働いて解決して背負って行く人でないと1回の仕事の成功すらも難しい。

今の時代の感覚だと180度反対で無理な世界が今の感覚を支えないといけないのがモノづくり業界で、そこが本当に大きな問題だろうと思う。ドビー朱里の専門家の方にしても、話をすると林与と似たような、他の人の何尾もすでに働いたのでもういつ尽きて雄も十分だし、でも、物事というのは、それなりに結果を出さないと駄目だという責任感を持っておられる方だから、精一杯やっているうちに応えにもたどり着こうとしてくださって結局は答えにたどり着けたのもそこなんだろうと思う。

今の日本の時間から時間の仕事感覚だと50年週40時間普通に働いても現場の織り子さんで終わってしまうだろうし、1日でも2日でも、とことんやれるような人でないと、どんどんと衰退してしまって方向転換すらも難しくなった業界を支える側にも回れないだろうと思う。今回の問題にしても専門家の人の問題じゃないのだけども、林与の基本的な問題が望んでいるように解決するように出せる全力をくださった。そういう専門家って少ないことの方が多くて、利用したいだけの専門家というのが8割くらいで、本当の1割とか2割くらいの専門家の人と関わるべきだろうと思うし、立ち会ってもらうときには自分自身も出来ることは全力でやって精一杯に動いている必要があるだろうと思う。

普段、他の林与と関わる人に林与が期待していることを林与自身の姿勢としてやってみた2日で、全力も出せたし答えも出せたし、いろんな問題が解決もできた。でもこういうことって、普通の日常の仕事でも当たり前で会ってほしいけども、そういう感覚自体が日本では仕事で働くのが嫌から始まってできることもやろうとせず要求ばかりが多くて難しい問題があるだろうとは思う。
2026年03月09日
東京から6日のお昼前に滋賀に戻って、相当の疲労感でこれを元に戻さないと本業の現場の仕事というのは非常に負荷が高いので、とりあえず、9日が大忙しの日となるので、できていなかった出荷などをすませて、なるべく7日8日と長めの入浴を1日に2回するなど睡眠も極力とって体を休めた。滋賀県に戻って気が付いたのが滋賀県は寒いということで、本当に寒気がするくらいに寒くて、もう一度雪が降るんじゃないかと思うくらい。

今日は9日で、朝から京都の北山に手織り機を一台取りに行って、午後からはドビー修理の専門の方に来てもらって一緒にシャトル織機のドビーが正しく動かない問題を見てもらうことに、林与一人だとどうしても動かしながらドビーの動きを眺めることも出来ず、二人で何が問題なのかを織機を動かす人と動いている織機を観察する人に分かれてが、最善の解決方法。

来てもらって、タイミングの問題を調整してもらってうまく動き始めたのだけども、寸動ではうまく動くけども、運転に入れると綜絖枠がすべて落ちてしまう謎不明の現象で、これは本当にこまって解決が出来ないかと思ったときに、林与も一度ドビーを完全に分解しているので、中の構造がある程度分かって、動くべきところが動いていない気がして、ネジが1本緩んでいたことで動いているべきところが動いていなくてそのネジを締めたら正しく動き出した。

これほんと、仕事の怖さで、いくらシャトル織機があるからといってもシャトル織機が正しく動かなければ、仕事でお客さんに迷惑をかけるだけに終わる。今はメーカーも織機をメンテナンスできる人もいなく、林与の織機のドビーはメンテが難しいとされるドビーのメーカーのもので、本当の専門じゃないのに無理やり頼み込んでドビーを一緒に見てもらって治るかどうか、やってみるしかないということで、一旦は途中で座礁に乗り上げかけたが、そこからなんとなく原因がたまたまここではないかと疑ったことで、修理の方の知識と経験と推測から原因にたどり着けた。

もし、今日と明日、二人で作業して見て無理だったらこの織機を使うことはあきらめるか、他の織機のドビーを移設して、他の織機を1台部品取り用にするかという、今まで調子よく動いてきた織機を1台駄目にしてしまう話で、それでもうまく織れないとかなら、ずっとやってきた仕事ですらも断念しないといけない話になる。織物の仕事は本当に甘くないなあと思え、結果がすべてで結果が出せなければ、最初から仕事を受けないほうがお客さんに迷惑も掛からない。

仕事というのは受けた時にはこれからの仕事なので不確かさがいつも付きまとう、今回は織機の古称の問題だけども、糸の入手の問題、糸の問題、染色や糊付けの問題、織キズの問題、加工の問題など、いくつもの工場が関係していたりして、その工場の中でも何人もの人が関係していて、組み立て業とは違って、織物というのは後戻りできない作業なので、問題を問題のまま織ってしまったときにはそのあと製品になることも考えると被害が出どこまでも広がってしまうので、問題を見つけた時には、問題を根本的に解決しないと作業を進めてはいけない。

でも織物の仕事というのは本来そういうものだろうと思えたりもして、多くの問題と常に向き合って、解決して行けないと一つの仕事すらもうまくは行かないことのほうが多い。こういう問題にしても、何十年の職人さんであっても解決が難しい問題だろうとは思うし、それでそのまま織機がそのあとずーっと動かないということもいろんな織物工場でもよく起こりがちだったりもする。
2026年03月05日
手織りアルパカ混ストールワークショップで、一番心配だったのが、みなさんが2時間半程度で1枚のストールを織りあげられるかどうかというあたり、初めての手織りで1枚のストールをいきなり織りあげるというのは無謀な試みだったりする感があるものの、参加者の織っておられるのを見ているとそれほど大きな負荷ではないように思え、楽しんで織ってくださって、織られたストールにしても仕上がり感は本格的なものなので、お持ち帰りいただきお使いいただける。

自分で織ったストールを実用的にご愛用して頂けるというのは林与的にはすごいことに思えたりして、今回のワークショップで感じたことは、この手織りアルパカ混ストールワークショップは、林与の中では思った以上に好評感があったように思え、林与の手織り織機の準備不足感も多少はあったものの大きすぎるトラブルもなく、初めての方でも安定して織っていただけていたように思える。


ワークショップと手織り無料体験を開催するということで、集めてきた織機をアルパカストール用に4台立ち上げて、赤、ライトベージュ、カーキ、ダークグレーの4色の縦をそれぞれ作った。織り始めるまでの準備はそれなりに大変だったけども、すごく単純な織機でストールが手織りできるというのは目からうろこ感がある。結び房をつくるのも短時間で皆さん仕上げておられ、問題は無いように思えた。あとはご家庭で、洗って脱水して干してお使いいただくだけ。ご自身で作られたものだけに、お使いいただくときにもっと楽しくおもってもらえるのではないかと思ってたりする。あったかさをご実感いただきたい。

アルパカの糸というのは、ラクダであるアルパカから3kgとかしか取れないもので、ラクダの色も白から黒まで一頭一頭の色が異なるので、同じ色でもロットによって色が異なるという特徴があって、入手する1kgごととかで色が異なってしまうのが特徴で、そこが厄介なところだけども、合成繊維なら色が安定していて当たり前だけども、アルパカらしい特徴の一つだと思える。縦と横の色味が同じ色でも若干異なるのが当り前みたいなのは、仕方のないことと考えていただくしかない。微妙に色が異なるのもかわいいかもしれない。

知人の方に、手織り機を組み立てるのを手伝っていただいたけどもそれも貴重な経験だったかもとポジティブにやればできるみたいな参加型。組み立てるのを間違えたりしながらも、パズルのように正解を探しながら手織り機を組み立てる。4台のパーツすべてちゃんと会社に忘れることなくワークショップの会場に持って行くことができたというのは、うっかり一つでもパーツを忘れると1台が動かなくなるので、全部4台とも
動いて良かった。手織り無料体験の1台も合わせると全部で5台、テキスタイルの展示会の会場の雰囲気を盛り上げるのにも一役になったのではないだろうか。一方で、ワークショップの準備のために、ハイエースのスペースが足りなくて反物をもっていくのあまり持っていけなくなってしまった。

手織り無料体験やワークショップは、楽しんでいただければそれが一番だと思っていて、興味のあられる方はぜひチャレンジして頂きたい。手織り無料体験は無料で、ワークショップは500g程度のアルパカ混糸の材料費込6000円で、織ったストールはお持ち帰りいただきお使いいただけます。無料手織り体験の織機は東京手織織機のスーパーミニ、ワークショップの織機はさをり式織機の城型織機です。手織りの体験を持っておられる方は、創作的な織物を織ってくださっていたので、アドバンスドなことも参加くださる方によっては単純な平織の織機でも工夫次第でいろんなことが出来るんだなあと勉強になった部分もありました。

昨日の夜もホテルで2台の機に糸を通したりでワークショップの準備。織り始められるとセルフサービスでほとんど問題なく織って下さっていたので3台目4台目の織機を立ち上げにぎやかな雰囲気になった。終って疲れすぎていて体力を回復しないと歩いて10分のところに手軽な焼き肉の食べ放題があるということで歩き始めるも本当に疲れていてレバが美味しかった。ビールも何杯も飲んでシャワー浴びてようやく数日ぶりにゆっくりと休めた。
2026年02月27日
2月末も近づいて、休日ながらすこし作業をしながらも休んでいるときに頭によぎったのが八王子の道明さんが今月末で閉じられる話、ストールブームのときには仕事を一緒にしてお世話になった仲だし、個人的にも遠いが親戚筋にあたり、また先代同士が近江八幡商業高校出身の繊維業界の仲間であるという感覚で、ストールブームの時には夏の麻のサマーストールの仕事の多くは林与が引き受けて作らせて頂いた。最後にお礼の電話をしげおかないといけないとおもって電話させていただいた。

会社を閉じられるのは、やはりご子息が別の仕事をされていることと作り手の高齢化の問題で、今はストールと言おうと秋冬向けのウール系のストールが主たるものなので、生産時期が夏場で現場が熱くてやってられるのが恒例の親方たちで、凝ったストールなどは無理必要で、そういうのに限界も感じられて、道明さん自体ももう平均的な引退の年齢近くで、50周年という節目の年に、お客さんにも迷惑を掛けない形で会社を閉じることを告げて新規の受注を受けない形dえ1年掛けて受けた仕事を終えて正式の終業をされるということで、2台に渡り日本のストール業界をけん引されて来ただけでなく、八王子の繊維産業が衰退する中で、元気な繊維企業として最後までやってこられた。

糸を支給型の仕事というのが糸が織れないとか問題があるとかが増えて来て、糸支給の仕事は受けないことにしたときに、道明さんの仕事からも離れることになったが、最後まで同じスタイルで仕事を貫かれここ数年、さらに国内でのものづくりが難しくなっているので、よく今までやってこられたなあと感心するほど普通は出来ないことをやってこられたと思う。滋賀県ともゆかりが薄く成られてでもまた滋賀県にも奥さんと一緒に林与に伺うよといってくださっててその時には食事でもしながら団欒が出来るのかとも思う。

アパレルが主体だった林与からするとストール業界というのは異業種的な感覚で、いわゆる付属と呼ばれる、かばん、かさ、ぼうし、ストールのようなアイテムの世界。八王子ももとはネクタイ生地の産地で甲斐シルクが、甲斐街道をへて八王子で織られていたのが八王子の地場産業的な織物産業の特徴でその面影というものもほとんどなくんなってしまっているような状況だとは聞いているが、八王子の織物組合さんも展示会などで出展されているので、まだネクタイ生地などを織られている会社さんが残っていた利するのだろうか。一度八王子の会社のシャトル織機を見せていただいたときに、シャトル書記の薄路がすごく長く、いわゆる絹織機の特徴があった。キビソなどを取り除くために織りながら経糸のゴミを取り除くために長く作られている。

富士吉田も今は、レーヨンやキュプラなどを織られている工場が多いとは聞くが、もともとは絹織物の産地で、徐福伝説が本当なら2200年前からの絹織物の産地ということになる。蚕は中国から伝わったとされ、明治期の近代化以降、戦後日本に掛けては日本のシルク産業は世界一といっても良いほどだった。今の日本からはその技術は消えてしまった。
2026年02月27日
ワークショップの時間枠が予約で埋まりました、ありがとうございます。当日は参加費6000円をご持参の上、4階北のFABRICa NIPPONのイベント会場までお越しください。遅れられた場合などは織っていただく時間が短くなってしまう可能性がありますが、その織機の次の方の予約がない場合には2時間半おっていただけますので、間に合いそうになくても会場にお越しくださるか、遅れそうな場合にはメールにてご一報ください。ビル内も広いので結構迷われるかもしれませんので、30分くらい前にはビルの入り口についていてくださった方が会場までたどり着きやすいと思います。

手織り無料体験は1台の東京手織り織機のスーパーミニを平織モードにして18cmほどの幅で超簡単手織りを体験頂けます。どなたでも無料で手織り体験ができますので、初めて手織りをやってみたいと思われる方はぜひトライしてみてください。最大5台の織機を1名で担当しますので、ワークショップに時間制限がありますので、手織り対応は後回しになりがちかもしれませんが、その分自由に体験に長けるかと思います。

今回、会場にも、麻生地、リネン生地、ストール生地、キッチンクロスなども即売しておりますので、気に入ったものがあられましたらご購入可能です。ヘルプの男性は縫製が出来る方なので、縫製でことにかんしてヒントなど貰えるかもしれません。林与はワークショップ対応がメインになりますが、手が空いていれば生地の質問などにもお答えが可能です。

林与にもワークしょぷなど開催されています、他の出展者も物販されていますので、お時間のあられる方はぜひご検討くださいね。一般の方はマーケットゾーンのみの立ち入りが可になります。ビジネスゾーンは業者さまオンリーです。
2026年02月05日
3月4日5日に東京都の浜松町の東京都立産業貿易センターにて開催されます2027SS FABRICa NIPPONのマーケットゾーンに出展します。今年は、無料手織り体験のほかに、アルパカ混手織りストールのワークショップを行う運びになりました。麻織物の林与ですが、麻を初心者の方が手織りするのは非常に難しいので、2時間くらいで織ることができる、太いアルパカ混紡糸なら初心者の方でも織れるだろうと、有料(消費税込6000円)になりますが、手織りストールのワークショップです。現在予約を受け付けております。

2027SS FABRICa NIPPON の詳細は、
https://www.klaboratory.net/fabrica-nippon-2027ss

手織りストールワークショップの詳細は、
https://www.klaboratory.net/fabrica-nippon-2027ss/workshop-hw27ss

ワークショップ予約受付は、
https://www.hayashiyo.com/product-list/90

各時間枠それぞれ予約受付は1枠で、当日でも、予約枠が空いている場合にはワークショップの当日参加も可能の予定です。その場合に、織ることのできる色が鍵らっれてしまう可能性があります。

このストール、林与もファーストサンプルをこの2週間ほど実際に身に着けてどんな感じなのかを試しましたが、あったかいです。普通に首に巻いてもあったかいですが、フードのように頭にかぶって首のところでくくると耳まで本当にあったかいです。当日、ストールの長さまで織れない方もおられるかもしれませんが、2時間半で織れた長さ100cmとかでひざ掛けとして、夏場のエアコンの冷え対策用などにも活躍しそうです。手織りを体験するだけでなく、実用的なストールを織ってみたい方は、参加費用6000円になりますが、ぜひ、チャレンジしてみてください。

無料の手織り体験も行ってはおりますので、手織りを初めて体験されたい方もぜひお越しください。
林与のワークショップ以外にも、会場内では、ニットやスモッキングのワークショップなども行われますので、FABRICa NIPPONのサイトで情報をご確認ください。
2026年01月29日
台湾が邪馬台国だという一つの説があるが、魏志倭人伝の記述からするとあながち一番説明が成り立ちそうな説ではあったりする。台湾は日本ではないので、日本人からするとあまりうれしくない説だけども。

南へ水行20日で投馬国という国がある。トウマ国なのである。沖縄本島の南部のほうに、沖縄に固有の苗字があって、それがトウマさん。苗字というのは地名からついていることが多いから、あるいは、地名がその国の王の一族の氏からついていることが多い。だから、トウマさんが一族的に仕切っていたトウマ国だった可能性はある。沖縄に行く機会があれば調べてみたい。また、トウマという音は、タイマという音にも通じていて、全国のちらほらあるトウマ神社というのは大麻神社である。

そしてさらに南へ水行30日というと台湾で、日本人の今のイメージからすると中国と台湾というのは地理的には非常に近い関係だから、弥生時代にも交流があったのだろうと思われているが、中国と台湾の関係というのは西暦1600年あたりからというのがよくいわれることで、それ以前は、中国にとっては台湾という場所は、原住民たちが住む他国的な存在であった。台湾を征服に行こうとしても病に倒れるとか中国本土の人間にとっては近寄りがたい場所で、南方由来のマラリアとか、フィラリアなどが、原住民しか生活が難しいような場所にしていたのであろう。あと入れ墨文化というのも、海洋民族的で、台湾の原住民には入れ墨文化があって、今も台湾では刺青が人気であったりする。

魏志倭人伝で気になることに、本州や四国っぽいことが倭国としては描かれていないことで、中国と通訳などを行き来していたのは九州地域に限定をされていたようで、その後に、九州は別府など、律令制度の枠組みの中でも別扱いとされるなど、ある意味、本州の倭国とは別枠的な存在であったと考えられるのではなかろうか、特に当時、広島から兵庫までの瀬戸内がわというのは吉備国という国が力を持っていて、吉備国は中国王朝とは接点をもっていなかったのだろう、そしてさらに奈良や京都大阪という近畿地方、卑弥呼の時代にも大和王朝は存在はしていただろうが中国とは直接的な接点は持たないようにしていたのではないだろうか。

ヤマト国のヤマトという言葉の由来についても、数年前までは山の都ということを由来だと考えていたのだが、しっくりといかない気がして、たどり着いたのが、ヤマトというのは人を指す言葉だという考えで、やもうどという言葉ある。山人と書いてヤマビトがなまってヤモウドなのだが、仙人というのも良い意味での山人なのであって、仙人というのは蓬莱山に住むとされていて、倭国以前は中国では日本のことを蓬莱とみなしていただろうといわれることが多い。

そこで、徐福の登場となるのだけども、徐福というのは方士で、方士というのは仙人という意味も含んでいて、徐福が日本にたどり着いて弥生時代を形成してから蓬莱という国が、ヤマト国という名称に変わったのではなかろうかという風に最近は考えるようになった。こう考えるといろんなことがつじつまが合いやすいし、富士山を中心とする関東というのは、昔は富士山の噴火活動が非常に活発だったので、古代に存在していたとされる富士王朝なども火山の噴火で滅んでしまったそうだし、関東ローム層なども、火山灰が2mとか3mとか降り積もってできているのからしても、富士山周辺というのは富士山などの火山噴火活動が活発だった古代には住むのにはそれほど安定した場所でもなかったのかもしれない。

奈良や京都というのは遺跡の宝庫とされているが、滋賀県でも縄文時代の土器などが琵琶湖の湖底70mから見つかったとされ、林与はその場所は当時は竹生島までつながった場所ではなかったのかと想像している。そういう背景には琵琶湖が1年3cm北に北上しているというようなことも2000年で60mほどは琵琶湖も北に移動すれば陸だったところが湖底になるのも仕方ない。竹生島は一枚岩なので浸食さずに残っている形だが、その西側は一気に90m近くまで水深があったりして、浸食された柔らかい水中の土砂は吸い込まれ続けているのだろうと思える。

日本も今は島国だけども、氷河期には海水面が最大で120m低かったとされ、当時は大陸とつながっていたとされている。縄文人は大陸から歩いて日本に渡って来て縄文時代を作り上げたと考えられている。今は国という概念があって、古代のほうが国教というものを意識することなく人々が自由に世界中をたべものや安住の地を求めてさまよいながら行き来していた可能ではある。
2026年01月20日
「件名 株式会社林与」でメールが送られ、ラインのグループに誘導するメールが林与のアドレスに届きました。不審な詐欺メールですので、絶対に信じないでください。ニュースでも事件として報道されましたが、どこかの物産協会でラインのグループをつくらせ数日後にお金を振り込むからそのお金を取引先に降り込めという指図があり、言われた口座にお金を降り込んだら詐欺だという事件。ニュースになったことで、模倣犯が全国的に新たな振込み詐欺の手口としてやっているのだろうと思われます。

全国規模で新種の詐欺として行われ始めている可能性が高く、各種企業団体も、新しいライングループを誘導する振込み詐欺には、ご注意ください。(なお、林与はラインを連絡手段としては現在は利用していません。)
2026年01月14日
織物の規格というのはゼロスクラッチからやるときには、試行錯誤が伴うのだけども、特に普段使い慣れていないものを企画するときには、道具から作り方から仕上げ方とか、いくつものステップがある。材料となる糸や、その糸にあった機をつくること、筬をそろえること、整経をすること、また加工方法を考えることなど、仕事の他の作業の合間に考えて、揃えて全部揃ったら作業に取り掛かるのだけども、それがうまくいく確率というのは、新しい糸の場合、一般的には、10回に2回くらいだろうと思う。

手織りにする太いウール系の糸を手に入れて太すぎる糸なので、失敗したのかとも思いながらも、3つのところから糸を買っても太さというのはどこも同じ程度で、柔軟に手に入る糸というのは似たり寄ったりの規格のようである。昨日は、午後からさをり式の手織りの機に筬を取り付けて、こんなに太くて重くなってよいのかなあと思いつつも、この糸を生かすにはこのくらいの規格でないと難しいんじゃないかと、結局は試してみないと分からないところがあって、整経を夕方に終えて経通しを行って、夜の8時から10時くらいまで手織りして1枚のストールが出来上がった。縮絨しないといけないのだけども、多分、普通の中性洗剤での洗濯程度でウール系なので十分だろうと思い、またそういう仕上げ方法もストールの家庭での洗濯の想定が必要。

手織りをやっておられる方に訊くと、カシミヤなどを縮絨する前は粗く織ったものを縮絨して目を詰めると詰まりやすく柔らかい良い感じになるということだけど、織るのが難しくなるというのも納得できるので、初心者の方が初めて織物を織ってもストールが織れるような規格にしたいと考えて、太い糸を打ち込んで最初から目を詰めて織る方法で、しっかりとしたものでかつ柔らかくしあがればよいのになあと、仕上がったストールは、平織だし、市販のものと比べると素朴さ感があるけども、力強い感じがするので林与好み。耳が均一でないあたり手織りらしいしビンテージなテイストも感じる。

半日で糸から、機もつくって整経もして織りあげたストールだけども、これはこれで林与的には満足ができるもので、今回の目的が、初心者の方でも2時間程度で織れるものでないと駄目で、林与が試行錯誤しながらも織るだけだと織り始めてから1時間半ほどで織れたので、初めての方でも2時間程度、3時間あれば十分に織れるだろうと想定で、ゆっくりの方は4時間かけてもらっても良いし、その分、無料体験の1台とは別途、ストールを織るようの手織り機の台数を3台くらいに増やせば出来そうな気もする。

実際の実用性はどうなのかというと、着用して見て、柔らかくて暖かくて想像以上に、寒さをしのぐのには良いアイテムで、5月とかでも夜や、エアコンの効いたオフィスや喫茶店などではしっかりとしているのでひざ掛けにもできるだろうし。応用範囲は広そうで、イージーメンテナンスな一品だし、洗うのも簡単で初めての手織りストールでも、長く使っていただけるような感じ。

たまたま、途中では試行錯誤もしながらも、1回で半日でうまくいったけども、準備して揃えた材料や道具、そして規格と作業が、うまく整合しないと、また一から取りそろえる所から、だから最初に糸だけでもいろいろと何種類も取り寄せて置いて保険を掛けて置く、筬も手織り用も荒い目から着尺用までいろんな目数の筬を持っておけば対応はしやすい、その3種類意外に細い番手の糸も2種類500g程度だけど購入してしまって、それを使って織ろうとすると織るだけで半日以上掛かるだろうから、それは防虫剤入れてジップロックしていつかまた本当に時間のできたときに使うことにしよう。
2026年01月11日
日本のものづくり意識がどんどんと好きに自由働いて好きなだけお金貰いたいというあこがれだけのデザイナーや経営者感覚の従業員が増えて島ていることで、林与も20代の働き始めた時からそういう感覚すらなかってそれを相手にも求めようともしていなかった。従業員は従業員で、伝統工芸士の勘一爺さんでも、若い20代の林与には絶対に服従みたいなありえない世界で、勘一爺さんの息子さんたちも大手金融業界の重役だったりとか、日本のものづくる大手の家電企業の営業所が閉鎖された後も一人個人レベルで大企業の営業所レベルを運営で、普通のサラリーマンレベルの金儲けのはbなしは一番気持ち悪くてみたいなのが近江上布の伝統的な部分として、津代良い覚悟として残っているところがあって、自分が好きなことをしたいならそれは自由だから好きにしてほしいし、でも好きなだけお金欲しいのが当り前というのが大手SPAでも次の日には、その人が超満場じゃレベルの欲望で、ほんとそういうのが日本の繊維業界の末路で、人を支えるつもりが食いつぶされる対象に泣って逆に追い込まれてどこまでも追われる。できないのあたりまえじゃないですかとそういうのが、日本の昭和のサラリーマン社会で、今は最初に働く人が同じ感覚で、だから、戦争や、国レベルでの取り合い。

自分が働いて支える気持ちがあるのか、取って食っての気持ちなのかでは180度反対で、今は本当に人の気持ちすらもなく、人命すらもがお金の種三うしなわれていくような、ナショナリズムで、人類の歴史では今が再好調な国益や自分が頃さr宅内国家担当者的な状況。自分の命可愛さも分かるけど自分可愛さで国民を裏切っては駄目だろうし、国民を守らないといけない。

でもそういうのほんと無理なのが世界レベルの国際情勢でやってるアメリカも自分がすべてで世界を支配したいだけ、世界や政治を支配したいじゃなk国民の幸せを考えないのかという話になると、反論する国民はテロリスト扱いで独裁コカの特徴で、民主主義すらも、普段の生活も難しいのにそういう国を本当に支えようとしている人を、力や金で買えようとしても無理じゃないか?
2026年01月08日
物事を引き継ぐことへの抵抗というのはすごく大きいのが普通で、それを行うにも手本みたいな方の存在が大事でそういう方たちを抜きにしては物事を引き継ぐことすらも難しいだろうなあと思う。自分自身がお金にならないことを一生懸命にやってそこからお金を生むという、ある意味日本の繊維業界の日本の古来や戦後のすべてを失ったところからの価値観そのものが宿っていないと難しいんだろうなあと思う。

一言にいうと限界が浅くなりすぎて普通を求めすぎていて普通以上のものが当たり前に普通に手に入って普通の暮らしができるのが最低限の感覚だと、そういうのって、昭和のサラリーマン社会の繊維業界そのものでもう過去の話で良いんじゃないのかと思うけども、そういうのがSDGs的にも美しく言われて、林与もSDGsやっている企業の方に一番駄目な企業みたいに言われてきた。

そういう方というのは林与のような人間とは接点のない方で、営利主義的で怖すぎて、SDGsを謳いながら損してまでやってられないのが当たり前というような、日本の繊維業界では恥レベルの経営者にも満たない感覚で、権威主義的な行政レベルと結びついての金儲けで、末端で働く人々を自分たちがどこまで救えるのかというと、救う気持ち置ない人たちが権威主義や働く気持ちもなく責任放棄で、日本の大手商社OBでカモ探しとかあきれる始末で、そういうのからも自分が日本を牛耳っているようにいわれている方も避けて、林与はマイナス44点、それでいて、数千万の銀行の借り入れもできないなら駄目ですと与言われて、それが本当に近江商人を語る伊藤忠のOBなのか?

自分の姪っ子の相手のブランド探しとか、あんまりにアホすぎた伊藤忠OBを語る逆に林与がマイナス44点でどうしようもないというような人のつながりも難しい、伊藤忠や丸紅が本当に自分の利益のために数千万の借金借金も背負えないなんて協力は難しいと言われて、本当にそういう爺さんは日本の繊維業界からはきえてほしい、借金を地場産業企業に背負わせて自分の身内に何千万の補助金事業というのが中小企業基盤機構で良いのかと思う。日本の繊維業界の歴史として一番残念だけど底まで日本のブランドれエルでも裏があり過ぎで、ほんとそういうブランドは日本から去ってほしい。

なんで滋賀県出身の方がそこまで食うのが伊藤OBなのかという問題でサラリーマン感覚過ぎて、逆に一番怖い存在で、近江商人の三方善すらもまったくないのが今の伊藤忠のOBの姿でどこまでもさらに滋賀県の企業に頼りながら吸っていきたいだけなのかで、伊藤忠や丸紅が本当に残念、でもそれほどに、伊藤忠や丸紅のような日本の勝ち組商社でも、日本の地場産業企業に借金を背負わせて自分たちが利益を上げないと生きて行けないような、日本の繊維業界の末路、本当に日本のブランドさんもそれくらいに厳しくなってしまっていて、関わるだけで数千万の借金を背負って利益誘導では困る話なのに、なぜか、自分がやりたくもないが協力の気持ちなのにマイナス44点とか。

日本の国のプロジェクトが借金を背負う先を地場産業に求めていて食いつぶして生きていくような日本のブランドのスタイルというのが本当に日本のブランドの末路をまさに、今は猿と蟹の戦いなのかと残念に思え、まあ、そういうの気持ち悪くて関西の繊維業界の重鎮と言われた方だったけども本当に、自分の損得でサラリーマンみたいな方だったのが残念で、いつも自分の責任を逃げて地場産業企業を馬鹿にされて伊藤忠OBの権威を振りかざして、伊藤忠ってそれほどすごいんですかという話。そこまで落ちララ伊藤忠こそが、一番金の亡者で食いつぶすでヤバい人生観やろ。

その方にそういうの伝えるのも林与くらいやろうと思うし、日本の繊維業界じゃなく世界の繊維業界を考えるときに、金儲けや権威が大事な人生観でやってると林与とはまったく180度反対で、滋賀県の地場産業的な麻織物を守りたい家業感覚というのは、今の伊藤忠の経営者とはまったく180度反対の感覚だから。こられたときにも、うんこ糞見合いにいわれてたそこまでいってた人はその方一人だけで、社会性も足りない人が権威主義で馬鹿にしながら自分のめいっこのプロジェクトの話で何千万出せないからマイナスとか、そんなん、最初に行ってほしい話で、誰も蚊皮q理たくない自分の姪っ子のためのプロジェクト、しろうとでもかかわりたくないし、日本の繊維業界の一番気持ち悪い末路が今の伊藤忠OBを中心にした国レベルの話なのかと思うと残念そのもの。日本のセインい業界の地場産業のまともな商売が衰退の原因になってしまったのかなあと思う。そういう泥臭さまで、近江商人の名前を背負っているだけに落ちたくはない。でもそういうのが日本の繊維業界の衰退のこの40年くらいだろう。あっていわれても林与がいうのは、ああそうですかとそれじゃむりですよねいうだけで、そういうのってどれほど相手がせかいてきんなブランドさんでも普通に同じ話だが、あまりに相手が日本人なのにほんと吸い取りたいだけで責任をすべて背負わせたいばかりでそれでいて自分の姪っ子にお金数千万流したいだけとか、やめてくれよ、ほんと、日本の国レベルならそういう甘さでいうこときけば成り立つのかもしれないが関わりたくもない。

関西の重鎮、日本の重鎮と自称してるような方でも林与はほんと毛嫌いして、日本の繊維業界をまともにしたいなあと考えてきたのは事実で、たぶん、日本の百貨店業界のトップでも林与のことを本当に一番だと信じて、林与にその百貨店のすべてを任せたいと言われながらも、そのあとの質問一つの答えがブランドが面倒をみるとか、ナンセンスで、エシカルエコでもうけたいとかいわれて、ドン引きで、もちだしするかくごもなく、国産100%とかで、百貨店のトップと会っても断るばかりをやってきて、ビジネスマッチングの話とか、本当に意味もない。ただそn方がエシカルエコで困っておられて林与さん救ってもらえないかという話も、2週間で日本のベストを尽くして撚糸企業さんの協力も得て解決したのだけど、たぶんいきさつもすべてその日本でも百貨店のトップの方が林与が一円のお金も貰わずに助けよとしたのだけど、林与それに林与の頼みを聞いて協力もしてくださった会社さんに対して、最初からできないならできないと言ってくださいよとか言われて、ほんと日本の百貨店の開発のトップでも難しい容易な日本の現状で、T氏は本当に本気な人だったと思う、林与が展示会に出ると10時一番に林与に合いに来てくださって全部、日本で一番の百貨店のことをすべて任せたいみたいな話。

でも、そういうのは本当に大丈夫なのですかの話を代表的な方にでも普通にして、でも、いつもお金儲けの気持ち悪い話ばかりじゃなくて本質的な日本の
2026年01月06日
筬も消耗品の一つで、普通の織物なら筬を挟んでも筬を逃がす機構が働きやすいけども、高密度織物などでは筬が逃げられないことが多くまた、シャトルも飛びにくいことがありがちで挟みやすい。筬の目の乱れも多少は修理が可能であったりする。筬の羽(歯、刃)は、上下が樹脂で固定されているので、目のずれが調整できるようにかまし物をかましてドライヤーを当てて熱で樹脂を溶かしてまた冷やすと、筬の羽を元に戻すことが可能だったりする。

完璧に治ることはないが、少しでも筬の羽の乱れを治せる。それでもダメな時には新しいものと交換するけども、交換した後の筬も、部分的に使えないことはなく、だいじょうぶなところを活用して、小巾の織物を織るのに使うことも可能だったりする。いろいろな部品を消耗品のように捨てるばかりではなくなるべく残しておいて活用することも大事だろうと思え、そういう辺りは今のものづくり関係では一番いやがったりもする。たとえば、半導体工場では、消耗品に寿命時間が決められていて、1定時間ドリルのビットなどを使用するとまだ大丈夫でも交換して、消耗品が折れたりしたときに発生する不良リスクを減らすという方法、そのためには、半導体工場の中には消耗品メーカーの人が常駐していて社員のように働いている。ファッション業界でいうメーカーから派遣されたマネキンさんという感じと似ている。メーカーから派遣されている方だから部品に関しても半導体工場の社員以上に詳しいし、部品に問題があったときには実際の現場でその問題を経験するから改善などの必要性も伝わりやすい。単なる販売員というのではなく、現場で現場の作業もしているので意味があると思える。それが現場にいてお茶のみとかだべってセールスだけとかなら邪魔なことのほうが多いだろうと言える。

今、日本では織物の織機メーカーも高速なウォータージェットやエアジェット以外の織機メーカーが消え去って、部品一つが手に入れにくいことが多い、また、一つの部品が中古織機の半分くらいの値段することも多かったりする。タイイングマシーンの中古のものはもう手に入れることも難しくなってきていて、故障したときに部品を手に入れることが難しいらしい。新品だと50年前でも300万円くらいはするものなので、一つの正規の部品交換でも10万円くらいは掛かることも普通にある。レピアヘッドなんかもヘッドだけで片側だけでも10万してしまうから、両側のレピアヘッドを交換するのと、中古の織機の出物を手に入れるのとは移設が容易なら、全体的に消耗が激しくなった状態の織機というのは、中古の状態の良いものに交換するのが良い洗濯だったりもするが、中古の織機というのも、まったく同じタイプのものならまだ何か問題があっても解決は容易だけども、違うタイプの織機だと問題が起こったときにまた部品を見つけることから大変で、予備部品を用意しておくことも考えると、同じタイプの織機以外がいろいろと増えることに関して、本生産が目的の工場としてはメリットは少ない。

林与も基本的には、同じタイプの織機だけども、それぞれの機の規格というのは異なっていて、一つの織機の調子がどうしても治らないときには、機を他の織機に乗せ換えて織るということも行うし、レピアで駄目ならシャトル織機の一つのタイプ、それでもだめならシャトル織機のもう一つのタイプと、いくつかの可能性を残しておくことで、なんとか量産を乗り越えられた経緯があって、織る前の材料を新しく全部準備したとしても、糊付けの加減などでまったく織れないというケースも今まで何度も経験をしてきて、またもう一度糸を用意しても同じ結果になることも普通で、1台の織機を調整するだけでなく、それでも駄目なら他の調子のよい織機に乗せ換えるなどしておろうとするようなことで解決になることも多々ある。でも、本当に駄目な糸の場合などは、調子よく織れていた織機に調整を加えることがあるので、今は支給の糸の仕事の話は受けないことにしていて、自分が自由に糸も代替をさがして動けるような話でないと、一つの仕事も糸に縛られて解決が出来ないことが多々ある。
2026年01月05日
この1週間ほどは冷え込んで、年末年始で周りのお家も規制されているので、一度足の違和感を治そうと横になって暖かくして休息することに、また、昨日は、もう5年ぶりくらいだろうか、彦根の極楽湯に行ってきた。最後極楽湯に行ったのが、1回700円の時だったので、もう今は土日だt1200円とかになっているようだが、帰省している弟が回数券を持っているから使って良いということで1回分使ってゆっくりと6時間以上滞在した。

なかもかなり変化していて、漫画喫茶以上に休息所も暗くして横に慣れたり、漫画などがたくさん置いてあり、リクライニングシートなどもたくさんあった。お風呂は、血行が良くなるという炭酸風呂や電気風呂、気分転換に露天ぶろやサウナなどそれぞれ1時間筒くらいは楽しんだだろうか、のぼせるといけないのでペットボトルの炭酸水も用意した。目的が足の血行やリンパの促進で違和感を無くすことなので、必要以上の時間をお湯につかりながら過ごした。

頭の中では、昨年も一年仕事をしてきてあまり布がすごく出来てしまっているので、それをどのように解決してゆくかということで、使える小物に変えて販売できないだろうかと考えている。今はリネンの糸も貴重なので、キズなどではじいた生地をどうやって生かして行けるかということが、仕事を循環させていく上でも大事なことで、昔から繊維業界のものづくり側ではやってきたこと。

一般的に、アパレルブランドは展示会受注形式で、サンプル、量産、追加発注というような、形でその都度、必要数量を納めるような形を好むが、今はサステイナブルな流れで、そういう生産サイドに在庫が残るようなものづくりというのは減っては来ていると思う。また、原材料であるリネン糸の価格が3倍くらいの値段にあがったことと、人件費などの高騰で染コストや加工コストも上昇してしまっていることなど、生産サイドはより苦しくなってしまっていて、アパレル向けというのはなかなか難しい状況ではある。

ウクライナ戦争が終わるまではリネン価格も下がることは無いだろうなあと、店頭からはリネンのアイテムが消えているような昨シーズンで、よりコストの掛かりやすいラミーの細番手の物なども店頭からは消えてしまっていたようで、この春夏生同じようなアパレルの傾向となるのだろう。世界も、2年ちょっとで流れは大きく変わってゆくだろうとは思うが、中国経済が不動産バブルの崩壊、ディベロッパー企業の問題だけでなく、日本の土地神話と同じく、マンションを買った人たちはマンションの資産価値は半分とか3分の1に落ちて借金だけが残り続ける、借金を返すための人生を背負った都市部のや田舎都市の多くの人の人生観は30年先まで同じだろう。

林与よりも若い世代の方のご不幸の話が昨年もあって、子宝に恵まれてこれからというときに若い人たちが不幸を抱える。そういうのもたまたま教えてもらったから知ることができただけで、そういうことも話さずにそれまでは林与と接していてくださった。これからの世代の人たちというのはもっともっと大変だろうと思う。
2025年12月25日
麻の小巾を織っておられたご夫婦が昨日見えられて、今の縦が織り終わったら仕事を終える旨を伝えに来られた。気にしておられるのは今まで取引のあった得意先のことで、続けて林与がその小巾の仕事を引き継げるのかどうかというあたりで、小巾織物にしてもそれなりに難度が高く、高い理由は、糸の番手が80番手や100番手であるということと、13mとかに傷が1か所でもあれば着尺生地としては1匹が丸ごとB反となること。

お話をしていても難しいというあたりは共通のところ。林与として今も手いっぱいなのになぜそういう仕事を受けようとするのかというと、もう産地では、そういうが産地から消えてしまうからという理由。林与は、昔は小幅織小野が普通だったし小幅織物もやってきた実績雄あるし、産地から産地の織物の特色の一つである和装の小幅織物の生産が消えてしまうということは非常に残念に思えてならない。

今の100番手にしても昔の100番手と違って糊付けをすると非常に硬くてもろくなりがちで、織ることが非常に難しく、長年織っておられたご夫婦でも80番と100番からは撤退するということを以前から表明されていたので、よほど難しさが募っていたのだろう、キズの問題などに関しては、得意先と共有が必要で、さらには自社の中に傷の部分以外を活用して製品化するような方法が必要かもしれない。

アイデアとしては、昔から考えていた案件が一つあるのでそれがうまくいくかどうかは一度試してみようとは思うが、誰もやっていないことを新たに立ち上げるというのはそれなりに試行錯誤も必要なので、しばらくの間は、使えない反物が増える結果になってしまうのだろう。問題を解決して乗り越えていくというのは絶対に必要な概念でそれができないとかそこから逃げるともう生地の生産自体が難しくなってしまう。トータルで麻生地を生産しつづけられるようなスキームが必要で、小物として活用できるような解決方法が必要であると思える。
2025年11月25日
集落の文化祭のイベントで、年配の方々で、林与の親戚筋の方々が多く出品くださっていたりで、趣味のものづくりの世界でも、今の普通の工業製品を超えているようなものを、自分の手で生み出されていて、ものをつくる作業を面倒だとも思わずに、創作意欲をもって動かれているのは、尊敬する存在で、自発的に自由な時間を自分で学んで追い求めて、そういう感覚というのが大事なのだという思いを持っておられる方が年配の方に多いのを感じる。

願寺の大奥さんも、別のお寺のご住職とも、つい集落の昔の話をいろいろと長話させていただきながら、林与が織物という地道なことを今もやっていて、手織り機と昭和のころの近江上布の見本切を100枚ほど、昔の集落の記録として出品させていただいたのだけど、昔は東円堂の農家ができる大事な手仕事だった織物というのを評価下さって応援のお言葉を頂いたり、今年だけのことだけども、手織り機なども置いてみて良かったなあと。子供さんも数人経験くださって、興味も持ってもらえた。

林与も歴史というよりも昔の人々の生き方が谷内間に関しては、昔の人がどういう考えで、どんな生活をしてきたのかという部分には興味がある。たとえば、海外にいっても海外の有名な観光地やホテルよりも、庶民的な人々のライフスタイルを経験したいと思うし、海外にいったときにも友人の家に素泊まりで構わないからと泊めてもらって、庶民的なお店での食事を楽しむとかが一番の楽しみの一つ。

田舎の集落らしい人の温かい心を育むみたいな気持ちで作品を出品くださってる方々が多いように感じた。そういう創作活動をすごく年配の方々というのは大事な感覚に思ってられるのも感じ、林与も昔ながらの産業である織物やってはいるので、すごく大事に見てくださっているのも温かい言葉を掛けてくださる方が多く、織物というんは一般的には衰退産業だったりするけども、一般の人々の関心を引き付けるには十分すぎるほどに特別な世界にみてもらっているのを感じた。

今年は役もあたって文化祭の主催側だったので、来場者の多くの方とお話もさせていただけるきっかけになったのが手織り機の出品で、たぶん、それなしに役として立っていても簡単なあいさつ程度で、いろんな昔の話や会話の機会も生まれにくく、手織り機のおかげで、皆さんとのお話なども弾んでうれしかった。ほんと、親戚筋の方であっても、普段はおはなしする機会もなかなかないので、ずっと来場者の誰かと話つづけていたみたいな文化祭当日だった。一緒に運営委員として動いてくださったみなさんも指示がなくても積極的にできそうなことをめいめいが考えて動いてくださって、自分ができることを探しながら文化祭を盛り上げようと動いてくださって、感謝の気持ちで、来年も自分が引き継いで役を受けてくださる方も見つかって、無理やりじゃなく続けていけそうな形で続いていってくださるのが人の気持ちも大事にしながら長続きするのかなあとも思う。林与も、運営で困ったことがあると感じた時には積極的に状況を共有するようにして、みなさんの考えもいただきながら、行事が良い形で良い思い出になるように、続いていくようには思う。

今日も、仕事なのに仕事も遅れて行くから大丈夫と行事の片付けに出てくださっていた7歳くらい上の方が、若い世代の人が次の役を受けるのが難しかったら言ってくれたら自分が受けるからと言ってくれたら受けるからと言ってくださって、いろんな事情で若い世代の方々が役を受けにくいのも理解くださるだけでなく、自分が受けてやるからと動いてくださろうとするのは、次の世代にとっては本当にありがたいことに思える。
2025年11月16日
昔、ある小学校に縫製教室みたいなことでミシンをつかう授業をサポートする役割、男の子が遊んでいる版があって、そこが問題ありすぎて誘導が必要だと思って、遊んでる子たちに話に行く、「自分ら遊んでてどうするの?」「やりたくない」という返事。将来も遊んで暮らすから別に同でもよいという。そうかそれなら仕方ないなあと思って見放す。

一方で、ミシンの準備を一人分かってしている女の子がいて、教頭先生がすごい高い評価をしておられるが、準備ができたとたん、遊んでた男の子たちがミシンを、「おいどけ」といって1番に使い始め、準備してた女の子がそのミシンを使い始める前に、チャイムがなってお昼。

こんな理不尽なことは子供が子供時代に経験するというのは気の毒すぎて、チャイムがなって他のみんなが給食の準備だと動き始めるも、林与は少しでも縫えるように付き添う、女の子も焦っていて、それも分かるから「大丈夫、大丈夫」と応援しながら付き添う。ある程度まで縫って、後は家で縫うから、「あなたはほんとうにすごい」よと能力有りながらすべての苦悩を背負ってるのを感じる。

校長室にいくと、校長先生が、「困るんですよね、時間くらい守ってもらわないと、府警から文句があったらどうするんですか」と、言い訳もしたくないが、気の毒な女の子に共感できるような校長先生でもないから、「事情も説明せずに、本当にすみませんでした」と謝って終わる。

翌年別の小学校に行くと、学年主任の年配の先生が母親の実家の向かいの方で、ほんとこの学校の子供はやんちゃでご迷惑おかけしますと、でも、すごくいい雰囲気のクラスが多く、でも、最後に校長室に呼ばれると、この前の校長先生が転勤されていて、えっ、これって何なのと思ったが、転勤されて、新しい小学校にということらしい。なぜか、今回は私に対して非常に丁寧な対応。小学校のトップじゃなく、現場の年配のまともな先生のほうが力を持っていてまともな感覚があったということ。

でも、その学校でも新任の一人の若い先生が、子供たちに一言の自由な感情もださせずに、校長先生の影響だろうと思う。年配のまともな先生は校長先生でも押しつぶせないが、新任の先生が校長先生にいちびられいうこと聞くように仕向けられている感があった。犠牲になるのは生徒たちで、4クラスの内、一番メンタルが弱そうな担任の先生だけが、ひとことの自由な発言もゆるさないみたいな戸塚ヨットスクール状態。

校長先生が仕切ることができないので、弱い新任の先生をターゲットにいうことを聞かせてる結果なんだろうと思えた。よくある大人の事情で、責任老いたくないできないトップ程弱い連中をいちびって手下にしてその犠牲が生徒、1年とか2年地獄が続く。担任の問題化もしれないが、校長の問題だろうと思えた。

好きに自由にさせて無責任な校長ほどまともにやろうとするのを縛ろうとして自分個人の評価を気にして、子供たちのことを考えてもいない、村社会のなかで有力者に媚びて生きる人生観なのだろうけども、子供たちが犠牲になって、まともな教育が教育委員会や校長レベルからして小学校にないのを感じた。

校長が親から自分の立場を脅されているのは分かるけどもそのしわ寄せを小学生に解決させるというのはあまりにも理不尽過ぎて、教育って上層部ほど保身で腐ってるなあと本当に思え、小学生の手本にもならない。

たぶん、そのミシンを準備した女の子が自殺などせず生き残れれば、小学校の校長でも逃げて解決できない現場の問題を一人被って解決しているんだから、狭い大人社会のどうしようもないのもはねのけて、大人になるまで生き延びて外の世界の自由で活躍できるを味わってほしいなあと思った。田舎によくありがちな村社会的な陰湿な構造だったりするが、そういうのを幼少期から経験させる年配者たちというのも存在自体が日本の将来のためにならない。
2025年11月12日
地場産業というのは苦境にあって、それが30年前の戦後のひと世代のバブルの問題も今も背負い続けて、日本で一番駄目な経営といわれる。お金儲けするだけなら、大風呂敷広げれば簡単なのだけども、業界の本質的な価値観をそれなりに持っていないといけないと思う。

繊維業界でも金融業界でも、海外から輸入したものをすべて日本で一貫生産したと、絶対にありえない話で急成長して日本の繊維業界の神、企業にいわれている企業があるが、林与がその会社の名前を聞いてもまったく知らないし、また、その会社を知ってる人に聞いてもあそこはほんとうかうそかわからんという、金儲けのために金儲け主義の金融機関に締め上げられて偽装に走ってしまったんじゃないのかと思う。

林与も、地場で貫いている部分もありながら、アウトソーシングとか、金儲けだけを勧めるのが地銀的な金融機関で、地方銀行が偽装と強要しているような側面があって、そういうのが地方銀行でも問題になったスルガ銀行のかぼちゃの馬車とかで、地方銀行が国から有料認定を受けようとすれば地場産業にアウトソーシンクしろみたいな、えっ、地銀さんが偽装企業を最大に評価して金儲け主義でそれに従わないと潰されてしまうのかという悩みもあると思う。

消費者の方、通販とかで売られてる何万円のものと中国から仕入れる2000円の物が、同じクオリティなのに謳い明けで、日本では地銀さんレベルで優良企業に認定とか、銀行員も偽装を生みだしてしまうだけの存在で、普通にまともな商売やったら日本で一貫生産なんて全く無理なことも分からんとあかん。1000円で仕入れたものを4万で売る商売が日本で地銀レベルでも滋賀県で最高の企業とか、熊本のあさりとおんなじ話でしかない。名前は伏せておくが、そんな企業を紹介してくれと頼まれるけど、地場では誰も知らない企業で、詳しく知ってる人もほんとうかうそかわからんという評価。でもそういう企業が金融機関的には一番勝ち組のホワイト企業で、日本の縮図。

林与でもそれをやろうとおもえば謳えるけど、地元の人からそんなことやったら滋賀県の名汚しに終わるだろう。でもそれほどに、滋賀県の地銀レベルがそういうのを最高な企業として評価して林与ともマッチングしようとしてたりで、本当に地銀さんも熊本のあさり偽装が優良経営で最高みたいな状態。それに陥らないように、いくらそういうのに誘導してもらってもそこまで落ちないように、苦行を背負うの覚悟。
2025年11月11日
昨日、一昨日と、最後、夜に整経機の巻き取りができないトラブルがあって、その問題を解決するのにへとへとになってしまって、その後、ビームを手伝ってもらって2Fから下ろしたのだけども夜中を回ってしまって、仕事しているとトラブルが多いのものの、今日の整経機の巻き取りのギアが回らないトラブルも、1時間くらいで解決することができたが、解決できなかったら数日とか数週間悩む話になる。

遊びの大きい部分があったので、微妙にネジが緩んだのが原因だったのだろうと思え、何か所か他の部分も触ってみたけども、あまり効果がなく、その部分をきつく締めることで遊びがなくなって、正しく巻き取りのギアが入って回るようになった。大きなトラブルに発展しなくてよかった。へとへとになりながらも少しの時間のロスで済んで助かった。

整経機もいざという時のために同じタイプが2台あるが、普段使いの調子のよい小型のほうなので、それが動かなくなると林与の麻織物の生産も作れなくなるものが多いだろう。麻の整経というのは綿の双糸の整経の何倍も難しいと思う、特に、巻き取りが難しく、麻糸の整経をできる人というのは少ないだろうと思う。林与も麻糸の整経を自分自身が出来ることで可能性は広がる。

同じ作業環境というのはいくら似たような道具があっても、それぞれの道具によってノウハウが異なってきたりするとか、経験値がないと求める結果にはたどり着かないなどあるので、今の環境というのはどんなに古い環境であってもそれなりに大事な一つの形。巻き取り時に使う道具のネジでも、今のスチール製のものでは巻き取り時の負荷に耐えることはできず、その鋼鉄ネジですら数年探し求めて見つけて、使うと、簡単にしっかりとしまって粘りがあるというか負荷にも強く何回閉じ閉めしてもガタがこない。もう手に入れるのは難しいような市場から消えてしまっている掘り出し物。そういうのがたまたま手に入ることで毎回毎回の苦悩から救われる。

見つけた時にボルトとナットとワッシャーを15セット位まとめて買って、一生、その巻き取りの道具の鋼鉄ボルトとナットには困らないだろう。たまたま、思っていた通りのものを見つけることができたそれは本当に幸運。整経も30年くらいの経験はあるが、そのボルトが緩んで通算何100回と途中でビームの位置がずれてしまったり、締め直したりで難儀してきたことか。たとえば600回として1回10分として6000分、100時間を使うだけでなく、毎回、心配や体力の消耗につながる。

普通の織物ならそれほどの負荷は掛からないけども、麻織物で高密度物などを作るときには、巻き取るときのテンションも強いので、どうしても整経機にも負荷が掛かってしまって、10回くらい締め直す必要があるだろう。
2025年10月23日
日本の線業界の限界を支える覚悟がある人がいるんかという根本的な問題。この意味が分かる人たちだけが日本の繊維業界を背負う覚悟ながらも、気軽に謳ってやったらよいんじゃないかと思うくらいに、ビジネスだから損得が大事を聞いてき過ぎて、気持ち悪すぎて、やめたほうが伊野じゃないのかと、ビジネスライクな日本のホワイトな感覚で、それそのものが日本の数百億円の議員献金に消えてるだけで、奴隷制度が単なる政治の勝った負けただけで済むような働いている人たちが奴隷レベルな行政的な日本にあるのが本当に残念過ぎる。
2025年10月23日
22日から急に寒くなって、Tシャツと短パンでの作業だと寒さに震えるくらい。衣替えをする時期。、もう10月も後半で、寒くなって来ても当たり前なのだけども、今年の暑さは本当に長かった。

この3か月くらいずっと作業続きで作業ばかりしてきたのだけども、一つの急ぎの仕事があって、その仕事を勧めるために、横糸切れを感知するフォークを他の織機から取ってきたりすると、他の織機が動かせなくなるので、急ぎの仕事しかできなくなってしまう。そうすると並行して仕事W勧めることができなくなってしまって、遅れる仕事が多くなる。

また、問題が急ぎの仕事にあると織機の調整を頻繁にするため、これも仕事を並行して動かせなくなる原因となる。うまく織れなかったので止めておいた織機もずっと張り付いて居るという作業になってしまって、その一台しか動かせない。

織機も無理をさせて鋳物が2か所壊れてしまったので溶接する必要が出てきた。シャトルを挟みがちだったのでステッキを叩くのを強くしたのが原因だったとは思う。ここ3か月くらいはシャトルが壊れていないことはうれしいことではある。

まだ、織らないといけないものがたくさん残ってはいるが、それが終わったら、一度リネンガーゼの鋳物の交換なども行わないといけないが、ちょと大掛かりに作業になりそう。暑いのより、寒い方が着込めば良いので雪が降るくらいまでは作業もしやすいだろうと思う。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | ... 187 次のページ»