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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年12月22日
オーガニックであるということは、通常以上に不安定だということで、品質的に通常のものよりも上質とかでは普通はありえない話。当たり前に自然農法を考えてもらうとわかること、四苦八苦してようやく実がなるのが自然農法で、本当のオーガニックならば、それに近いのが普通で、品質が安定しないのが普通である。

逆に普通よりも高品位とか、普通と同じとか言い出したら、インドの2010年あたりの偽造問題が疑われるとか、GMOコットンの問題とかも疑われてそれを認証機関が綿では検査する方法がないから問題ないで逃げては自身が最悪視しているGMOコットンに対してすら種子に関してのトレイサビリティもない話でどうするのGOTSの信用問題そのもの。

ざらつくとか、織段がでるとかが普通のオーガニックの世界。私自身オーガニックリネンでは普通にない問題を経験しながら四苦八苦してよいものを収めようと考えている。軽々しく、オーガニックは通常よりも品質が高いというのは大手にありがちなブラックボックス的な偽装じゃないのかと思える。通常の何倍ものお金を払いながらそれを信じて問題もオーガニック製品を消費する立場が克服しながら使ったこともないのだろうと思える。

正直な農家がオーガニック栽培しているなら当たり前のことも逆になってしまうのが、商業オーガニックの世界で、オーガニックは高品質とか同じ品質だとか謳って売っている場合は注意が必要だとオーガニックリネンを扱っていてやっかいなだけに思うところ。国際的な認証機関が認定していようが、だまそうと思えばだませる、個人レベルのモラルだけの世界なのであるオーガニックというのは。

オーガニックという言葉にしても、合成繊維が入っていてもオーガニックを謳いたいのが、国際的な公的を謳う認証機関のオーガニックビジネスだったりもする。その裏には株式会社認定会社が存在をして、その認定を手広くやればもうかるで、ゆるいインドの国の基準にすらも引っかかってしまって、2010年すぎあたりには、世界のオーガニックコットンの生産量が、認定を正しくしただけで半減したほど。日本での空前のオーガニックフィーバーの2008年すぎは、半分が偽物だったのではないのかという認定ビジネスの過去。今は、オーガニックコットン認定されているものがGMOである可能性すらも、インドでは可能な限り有機栽培された種子を使うことという個々の農家の努力目標程度でしかない。生産性と収益性を求めたGMOコットン農家が、同じくオーガニックコットンに収益性を求めて移行するのを煽るビジネスモデルの流れの中で、どこまでそれが成り立つことなのかと普通は思うだろうけど。

使っているものは本当にものを良く知っているもので、違いが分かるが認証しているものにはその違いも感じるチャンスすらないだろう。オーガニックリネンでもありえない問題が普通に起こるのが普通で、粗悪なリネンにありがちなクレーム要素が何倍も値段のするオーガニックリネンで起こる。それがオーガニックリネンの特色なのである。粗悪なリネンというのもオーガニックな要素が多いのも事実で、原始的な製法で作られているケースが多い。高品位なリネンというのはどうしても、いろんな産地のリネンを混ぜたりして安定化させるというのが普通で、トレイサビリティすらもがないのが普通。そういう品質を安定させる話も度外視で、オーガニックリネンが高品位であるとかいうのは素人レベルの話ではないのかと、使っていて感じる。ロットによっては強度すらないから、織るのに3倍4倍時間を掛けて、傷も作りながら織っていることも多い。正直につくって時間も掛けて値段が2倍で傷や段の多いの布を誰が買ってくれるかの話で頭を悩ますことも多い。

でも、基準は下げないでほしいと思うのである。オーガニックはなるべくオーガニックの本物であってほしいから。それが消費者が求めるもので、糸の消費者としての林与も同じ思いなので、生地の消費者の方のオーガニックの思いに応えたいと思うから。
2019年12月21日
政府が限界集落を問題視しているけど、限界集落の住人ほど政治家の先生頼みに生きてきて頼みにしてきた先生やお国に、票田とされたものたちが、どうしようもないお荷物がられたら堪らんわなあだろう。先生やお国に頼みの無力で従順に育て上げて、国が面倒見ますよといってきたのに、結局はお荷物なのか?都合よすぎないか。

一番困るのはその次の世代で、自分たちの集落が、政治や行政頼みの自立もできない無力な状態。親の世代は亡くなるまで変わることは難しいだろうから、自分たちが70とか80になって変えていったとしても、時代の20年、30年遅れの後追いになるだけのこと。遅れを取る分、弱体化は進む。

時代の方向性を、都市部が握っている限り、それ以上に田舎が最先端をいかなければ、都市部の補完的な存在として位置づけられては、地方は都市部の下請け人生。地方も土地も広いのだし、自由度もあるのだから、それを有意義に自由に活動できないとだめなのだが、地方のほうが自由すら制限されるあたり。思想統一的な馬鹿な事やってたら本当に滅んでしまうだけのことで、そういうのに次の世代も付き合わせてはどうしようもないだろう。政治が食い物にして重荷化した限界集落、日本の腐った政治の産物でもあろう。

ただ、限界集落と呼ばれながらも、島や陸の孤島のように、独立して生計を成り立たせているような集落は立派だなあと思える。商業に依存せずに村単位で自給自足的に、それに手を加えるよりもそのまま自然に残りたいものが残れるようにして、外からも変な力を加えないほうが終わり方としてもすごくよい形だろうと思える。

不思議だが、何百年も続いてきたものが、この戦後80年ほどで終わりを迎えるものが多い。サステイナビリティってなんだんだろうなあと思う。30年ほどで消えてしまうような新しいものに置き換えることが果たしてサステイナビリティなのか。オーガニックというのは一時と比べると落ち着いて儲からない話が多いが、続けてゆくことがサステイナビリティじゃないのかと思う。少しでもやってみようと動いてみるのがエシカルなことなんだろうと思う。
2019年12月20日
昨年の3月に電気工事を行って高圧から低圧に変更をした。高圧というのは毎月の点検が必要で保安協会が毎月回ってきてくれてたのだが、林与のような小さな工場ではその対応すらもなかなかできない。使っている電気の量にしても昔は夏場スプリンクラー形式のクーラーを使っていたのでそれが20kとか、事務所もエアコンで15kとか、そんなで昔は高圧が必要な60k近くだったんだろう。

今はクーラーも使っていないし、事務所もお客様が来られた時以外はエアコンも使っていない。思い切って変更してみて分かったことは、動力200Vはあまり使っていないということ。100Vが3分の2以上のワット数。工場の中も照明関係がやはり多いのでそちらが電気を消費するんだろう。シャトル織機が主体なので特にモーターの消費電力は少ない。

LEDに騙されたのが、騙されたといっても知れているが、販売元は18kwといっていても、実際は24kwだということ。素人的に考えても2000lmが2500lmになれば、2割消費電力も上がるだろうと思っていたのだが、やはりそんな感じ。蛍光灯というのは水銀が使われていることもあり生産が終了となって今後はLED蛍光灯ばかりになる。LED蛍光灯はたぶん、1度買ってつければ林与の場合半生ものだろう。私的には長く使えることがよいのである。蛍光灯の傘も、新しいのと交換する出なく中の配線を工事してもらってそのまま使う形。

林与の工場だが、平成に入ったころに新しく建て替えたが昔は蛍光灯でも全部つけて作業していたが、生産量も減ったが、無駄な電力消費を抑えて、人が少ないので私が夜中動かすなど長時間動かすことになってはいるが、今はその何分の1くらいの消費電力だろう。高圧から低圧に変えると、基本料金は下がるが、kwあたりの電気代は2倍くらいになるので、同じ電気使用量くらいならほとんど電気代は変わらないが、保安協会の毎月の点検が必要なくなっただけでも時間的にはありがたい。
2019年12月19日
世界中を震わせたBSE問題だが、終息した要因の一つが、10万分の1の確率をごまかすために、政府が検査する月齢をどんどんと上げていったこと、6か月未満は大丈夫から、20か月未満、24か月未満、30か月未満は大丈夫な基準から、月齢基準廃止という政府の流れ。結局、検査しないことで、10万分の1の確率を検出しにくくしたという結果。現在は、検査なしに英国や米国の牛肉が日本に入ってきていることになる。途中から米国牛などは目視で20か月未満で食肉になる牛肉はセーフということ、目視で月齢を見極めるとか無茶苦茶な話だが、20か月の検査というのもほぼ無意味な検査だったということで、結局、検査で引っかからないように検査をしないことで、狂牛病はないことになっている。

まあ、結局、狂牛病も全頭検査で国内の農家を締め付け、輸入牛には目視で6か月以上は検査みたいなだらしない内弁慶な政府。10万分の1の確率だが、米国牛のショートプレートのほとんどは日本向けで、300円の牛丼を食べるだけで、100万円の宝くじに当たるよりも狂牛病に感染する確率は高いだろう。90万頭の20%が日本向け、単純計算18万牛、ショートプレートの消費は米国牛輸入の牛丼大国日本が多いので仮に50万頭分の牛のショートプレートが日本に流通すると、5頭が狂牛病当選で、1頭あたり3KGとすると、牛丼一杯30ℊ程度だから100人分×5頭で、年間500人ということになる。目視というあいまいな基準で月齢未満で消費される牛肉というのは無検査だから、まあ、年間日本で500人程度の狂牛病のリスクがあると考えてもよい。たった300人と考えるのか、300人もと考えるのか。20年でたった10000人が狂牛リスクにさらされるだけのことと考えてよいのか?30か月以下のショートプレートは無検査で日本に来て、安全とされて狂牛病検査にも引っかかることはないのである。10万分の1を統計的に安全とすると日本人が20年で食する確率は最大で10000万人程度だろう。

牛が牛を食べることにより、狂牛病が発生するとすれば、同種の共食いがその種の終焉をもたらす要因になるということ。なぜ、牛とは異種の人間が食べて狂牛病に感染するのかは、たぶん、人間が牛を食べることによって、牛の要素が人にも入っているというあたり。遺伝子組み換え作物が危険なのは、牛が牛を食べることは自然界ではないこと、それを人がやってしまったというあたりが、遺伝子組み換え作物に共通するところ。交配による品種改良もあるが、それらが突然変異が元だとしても、自然が生んだものなので自然は駄目な突然変異を淘汰するだろう。
2019年12月19日
林与が得意とするリネンの細番手なのだが10年前は糊をつけずにレピアでも織っていたが今はそれがなかなか難しい。この10年でも原材料の品質が低下してきているように思われる。今は糊をつけて織っているが、一時期は、綛からチーズアップが非常に難しいとのことで内部でチーズアップを行っていた時期もあったが、今は、おじいさんに問題なく巻いてもらっている。おじいさんも以前は巻けないということをよく言われていたが今は言われないので糊付けの糊剤が変わったことが要因だろうと思える。

今年は昨年にくらべ先染め話が少ないということを染色工場の方に聞いた。うなづける話である。アパレル向けがどこもよくない話のようで、アパレル不況が深刻化していると思える。林与も、以前はアパレル向け一本だったけど、アパレル向けの比率が落ちる流れを感じていたので、ストールやキッチンクロス、資材、生地さん向けや雑貨向けなど、アパレル向け以外の比重を増やしてきたのが、今のアパレル不況のなかでも忙しくやっていけている要因の一つである。それもいつまで続くかは自分がどう新しい活路を見出し柔軟に対応してゆくかのあたりで、綱渡りはつづくのだが、仕事を始めたばかりの人も同じ話で、同じ土俵、長くやってるからといって勘違いは駄目だろうと思える。

リネンの細番手を企画するだけでなく、自分も織っているから細番手の意味が分かるところだし、織物の価値というのが何なのかが分かる。たぶん、自分でやってない人には分からない部分だったりするが、案外、消費者の方というのはそこに織物の価値を感じてくださっている。林与自身が織物を企画すると幻の企画みたいなものばかりになるだろうから普通じゃ流れにくい。今のアパレルの流れに乗らない、そういう特別の世界はじっくりと自分で販路から構築して流してゆくものだろうと思っている。
2019年12月15日
就職の説明会などで若い人と話をするときに、やりたい仕事という具体的な概念を持っている人がいて感じるのが、もったいないなあと思うところ。繊維の仕事に就きたいと思っていて、目の前に仕事があるのに好き嫌いしていたら、繊維全般の知識は身につかないだろうし、そういうのを器用に立ち回れる人というのは、自分の専門の分野の理解も広く深いものである。問屋さんで何十年テキスタイルデザインをやってきて経験も知識もある人が、一番のリストラ対象となってしまう中で、若い人が同じようなテキスタイルデザインにあこがれてもそういう職域で食べて行けるケースはまれ。当たり前の現実が自分の理想を満たしてくれないという状況が続く。ほかの人に指図されるのは嫌で、自分のスタイルでものづくりをしたいが自分が食べてゆくだけの力がない、力がなければほかの人の助言などに従って動いてみれば力もつくだろうけど、ものづくりは難しいタイプだなあと思える人が多い。

頭で考えても実際にやってみるとうまくいかないなんて当たり前に多いので、自分の考えたことをやらされるほかの人というのは無駄な仕事の巻き添えになる話で、その分の生活までも面倒をみられるのかというと、そこを逃げるから、企画している人の生活が成り立って現場の人の生活が成り立たない問題にもつながる。よく、生地企画の人が機屋にいって布を自分で作りたいという話を言われることがあるけども、やろうと思えば今日からでもできる話だが、なかなか最初の1日がないだけ、また、続く人は何十人に一人だろうと思う。自分が自分で企画した布を林与に来て自分でつくってみたらと提案して作業に移れた人というのは本当に少ない。作業してみて織物の企画というものの本質がわかるし、織物の価値観が何なのかわかる話なのである。よく、アパレルの人が来て、林与の生地の特徴はなんですか、といわれるけど、求められているのは、糸はどこの国の糸かとかそんなのは基本買えば済むだけの浅い話で、お客さんが織物の会社に来て、一番大事な織物をつくる部分が見えていないのである。私が答えるのは、「自分が織っているところ」かなあというところ。お客さんはポカーンとされるが、自分が自分で人、モノ、カネ、技術をもってものを作っているという、それが一番難しいところで、そのあたりが選択枝でしかないお客さんとはなかなか話しが進まないと思い、私もお客さんのそういう感覚をオウム返しにほかのところでつくられたほうがお客さんのニーズにあうんじゃないですかという提案をすることが多い。ベストなソリューションという意味では、悪くない結果だと思い、ほかの会社さんをご紹介したりする。

就職活動で繊維関係を目指される学生さんの仕事への感覚と、酒好きの先代の仕事感覚が被るところがあって、これからなのに、自分がやればよいのにもったいないなあと思うことが多い。やれば田舎のおっさんくらいは簡単に抜いて行けるだろうけど、やらんかったらそんなおっさんよりも経験と実績で劣ってしまう。田舎というのはやろうとするとやってない人からブレーキがかかることが多い、林与の先代もそういうところがあって、上に立っていないと気に入らないタイプ、若い人でもこれから仕事しようとするのに上に立っていないと気に入らないタイプで仕事さがしても難しいだろうな。最初から経験者を助けるくらいの力、当たり前に超えて行ける力と覚悟がないと、経験者でも食べてゆくのが難しいのが普通なのが繊維の世界だから、それよりも甘い感覚だと年を取れば食べても行けない同じ道。成り立たないような理想を求めて行動しないより、目の前の現実をどんどんと前に進めていく力が必要に思うのが、仕事があってもやろうともしないしできない経験者の世界。

半年、1年で何十年の経験者を超えてゆくこともできるのが、織物の世界。30年織物やってきたおっちゃんでもシャトル織機がこわいわあで、素人の女の子が1週間でマスターして本生産に移れることも逃げてしまう。何十年織物工場の社長してきた先代でも、実際の一つの作業を面倒がって酒飲んでるとか。これからの若い人たちが、目の前の仕事も面倒がって食べてもいけない田舎のじいさんばあさん的なレベルを軽く超えられないともったいないのである。
2019年12月11日
昨日、今日と熊本からお客様、地場産業的な話をしていたときに、地場産業というのは分業であって、家族経営的なところがある。従業員さんがいて、技術があっても、仕事があっても続かないケースは多いものである。技術継承とかいう簡単な問題ではなくて、従業員の面倒をみる覚悟のある人が亡くなったりしてしまうと、残りの人たちで続けることは難しいだろうと思う。

ある機屋さんが10人以上の人を抱えておられてても、社長がいろいろとできない部分を自分が抱えて作業で苦労されている話を聞く。仕事の内容だけでなく、従業員の給料のやりくりなども大変だろうなあと若い人が多いうらやましく見える会社さんでも将来が安泰なのかというと、10年後、20年後は逆に企業も高齢化し作業もより難しくなってしまう。

新しい人が産地に入っても数年でやめてしまう問題の原因とも似ている。新しい人というのは一般的に自分のやりたいことをする場所探しをしていることがほとんどで、やってみて自分のやりたいことと違ったとか、自分のやりたいことができないとかでやめてしまうことが多い。会社の仕事としてその人のやりたいことを与えたときにまずその準備ができているのかというところその準備も自分ができないままに自分のやりたいことを会社に求めていても成り立たせることは本人の能力的に難しいだろう。

自分のやりたいことが目の前にあったときにそれが思い切ってやってみることも大事だろう。若いころから自分のブランドを立ち上げたい人がおられてその布を作らせていただいたが、難しい結果に終わられ、やらなかったほうがマシなのかというより、いつまでも夢のままで思っているより、やってみて現実を知るのも人生経験としては大事だろうと思う。私がおすすめするのは普通に社員として働いていても、夜とか休みがあるんだからそういう時間で成り立たせていかれたほうがよいのではないかというアドバイス。軌道に乗ったら自分の夢を全力で追うも、現実的な夢の追い方だろうと思う。

私も小さな織物会社の社長だが、お客さんから頼まれた仕事をこなしながら、自分のやりたいことは後回し、自分のやりたいことを優先しても会社も従業員も守ることはできないだろう。一方で普通に仕事をこなしていく中で余力を生み出し、その余力を自分の時間を使って成り立つところまで育てるのは大事だと思っている。成り立つようなら仕事に組み入れてゆけばよい。そういうのは仕事じゃなくてクリエイターな部分だろう。

与えられた仕事をこなすだけの人と、プラスアルファの作業をこなす人がいる。そういうのは会社の従業員教育とかの問題ではなくて、その人が今まで生きてきた生き方が作業として違いとなって出てくる。決して私は一般的にみて成功している人間でもないけど、成り立って続けてられていて、いろんな方から仕事をいただけ、そこから余力も生まれ、人生の中で自分のつくりたいものもちょっとづつはやってみるチャンスもある。

アイリッシュリネンハンカチにしても整経だけで、6か月1台の整経機を独占させたまま、縦糸のフシをできるだけ取り除きながら時間を見つけ少しづつ整経した。織るのも半年くらいかけて時間を見つけ140Mほど織った。自分の夢を追って1年近く、手間かけてつくった布の一つ。リネンの細番手の高密度の平織布、アイリッシュリネンらしい、細番手の高密度なハンカチをつくりたいと思ったから。
2019年12月09日
昨日の夜に、1台を立ち上げて織りだす手前まで調整、朝一番に織り出し、織り出しが始まったところで、少し休もうとすると、電話が2件。午前中突然の来客で予定変更、午後から昨日終わった整経を巻き取り夕方つなぎ始める。シャトル織機も調子が良いようでも、長時間動かしているのでやはり調子が崩れることもある。しかしながら崩れ方は許容範囲。

夕方、調子の良かったシュワイターの調子が悪くなった。巻いた後に新しい管がセットされたときに巻く位置が最初に戻らないといけないのだけど勢いがない。スタッフの女の子が苦戦してくれていた、問題ありの状態。1日中回っていることもあるので、結論としてバネが伸びたのではないかと、夜修理して思った。バネを短くカットするのは、後戻りができないのでちょっと勇気がいるが、やってみよう。

それと、今日、先日買ったパソコンが2台届いた。テキスタイルシミュレーションソフトのデモンストレーション用に4Kディスプレイのノートパソコンを2台購入したのだ。また、1台が4万円ほどのパソコンだが、2か月前に買ったノートパソコンと比べると、まず、作りが堅牢な感じ、それとキータッチがすごく滑らかで、先日の4Kノートパソコンのようなカチカチ感がなくストレスがない。また、タッチパッドもデフォルトのままで異常反応が少なくてこれもよい感じ。私がパソコンを使うときに一番酷使するのがキーボードだったりするので、キーボードやタッチパッドが私の手になじむのはありがたい。なぜか無駄にキーボードにバックライトがついていて、黒いキーボードだが手元が明るくてそれも悪くない。しばらくなにもしないとキーボードのバックライトは消える。左右のスピーカーの音も、まずまず。電池の持ちは4時間程度か。問題はCPUで、あんまり速くないあたりだが、私の用途にはあまり問題がないレベル。

4万円未満で4Kディスプレイを備えて、この完成度のノートパソコンが手に入るというのは驚異的なこと。たぶん、4Kディスプレイは普通の人には文字が見えないレベルなので一般用途の人の評価が低いのだろうと思うが、高解像度のディスプレイを備えたノートパソコンというのは適している。あと、4Kディスプレイだと、ワードなどでも文字がつぶれずに2ページをフルで見ながら文章が打てるとか。会議資料などを作る際などに、今までは印刷して失敗が見つかったことが多かったが、2ページ連続して文章を見ながら作れるのでこれは吉。あと、巨大なエクセルの表が見渡せる。

ウィンドウズ10しか入っていないみたいなノートパソコンだけども、ネットにつなげばオフィスにもアクセスできるしいろんなこともできるし、良いんじゃないだろうか。でも、ワードなどはクラウドとかだと遅いのでタイピングスピードについてこない問題があったりする。簡単な2台の動作確認が行えて問題がない2台のようで良かった。1週間ほど前から、家の中で残念なことにデータ通信専用のスマホが行方不明中。
2019年12月08日
今日は日曜日、土曜日と日曜日はゆっくりと作業ができるので週末の作業というのは幸せ。先日、70歳を超えられた機料屋さんが久々にみえられたが、なかなかどこも機業というのは難しいようで、林与はまだ、仕事が常に何か月か先まで手一杯で続いているだけありがたい状況。しかしながら、試作などで生産が止まったり、新しいものにチャレンジすると量産が苦戦したり、今までは普通に織れていたものが外部要因により織れなくなったり織りにくかったりと、仕事していても1日や1週間、ときには1か月が問題ばかりが残って織ればマイナスで織らずに調整などで消えてしまうことがある。

企画というものはそういう裏があって成り立っているだけのことで、そういう裏を無視してしまうと企画する人の力の足りなさ、実際に仕事の注文を受けても、まずは相手に信用を与えるところからなのだけど、相手が信用枠の設定みたいな話。商売の基本から難しくて、そういうところは最後やっぱり、何年も出来上がった生地を引き取らないとかもある。繊維ニュースなどでも社長がサンプルは自社で費用負担とか言われているところもあるけど、サンプルコストすら請求せず、林与の自社規格でサンプルを開発して、契約があっても買取しないとかで、じゃあ自分で売りますからと売ってなくなると、電話が来て、なんで売ったんですかで、お前が売ってもよいといったからと日本の大手生地商社の情けない話。覚悟ない子供相手に仕事は無理。

納期を急がせて、そのあと2年も買取待って、いつかうか分かりませんとか。その生地にしても、ものづくりへのこだわりのブランド向けだけど、あまりにひどいものづくりの考え方。その商社とものづくりへのこだわりのブランドが取引していると、注文したものを買わないというレベルで、ものづくりすら成り立たなく、金融面でも商社機能を放棄して林与が相手するのも無理。同じく繊維関係の大手商社も同じような商売で現在問題が膨れあがって日本の繊維業界の諸悪の根源。他にも日本の商社の好調なところは、海外から生地を輸入して日本で売って、日本の高級生地を海外に売ってのところがあるけど、日本の百貨店で売る生地もそこの会社はすべて日本製という謳いだったり。それが日本の繊維業界の元気な秘訣というのが悲しい日本の繊維業界の現実。アイリッシュリネンと同じ話。
2019年12月07日
シャトル織機の感光フィーラーの電気の球は、6Vのタイプで廃盤になってしまったようでこれまた頭を抱える話。シャトルも調子よく動いていても動かしている時間が長いので、はさみどころが悪ければ、1か月に1本くらいは壊れてしまう。シャトル織機の管も、今量産の時期になって300本では足りない感じで、昔の管を使えるちょっと大きなシャトルを在庫品で見つけて、若干の加工をほどこして、林与の織機で使えるようにしている。

織機を維持してゆくときに、純正の部品なんかを期待してもないことがほとんど、似たようなものを代用するか、汎用品を使えるように加工するしかないのである。このあたりが、結構私が得意なところで、シャトル織機の皮のバッファが壊れてしまったのを、別の素材を活用して作ってみた。この4か月ほど問題なく動いている。スタッフの女の子がそれをつくるのに半日くらい掛かっているので安く上がったということではないけども、なくなって仕事ができなくなる心配がそれで一つ消える。

シャトル織機にしても日本のメーカーも海外のシャトル織機をまねて作ったあたりから始まっているけども、独自に材料などが進化したこともあり日本のシャトル織機は長寿命である。林与のシャトル織機は個別のモーター式だけど、モーターが貴重であった100年前のベルト式のシャトル織機の工場でも現役で動いているところがあったりと、単に織機があるというよりも、仕事が続いているからその設備も技術も残っているのだろうと思える。着物の世界から洋装の世界に代わって、小幅で織られている工場さんというのは相当な苦労をされてきたと思うが、今、逆に小幅で織る織物が注目されている。織りあがった生地というよりもその作り方に価値を感じて買われる方が増えていると思う。

林与のレピア織機も動かせる状態であるのだけども、レピアの仕事よりもシャトル織機の仕事のほうが忙しい。織るスピードも遅いし、4色使える管を交換する杼替えタイプなので、交換作業も、管に糸をまいたり、糸を掃除したりも忙しい要因になる。時代の流れは非効率なことはやめる方向なのだろうけども、非効率なことを人がやっている姿こそが繊維や織物の文化そのものだったりもする。先進国よりも途上国の織物のほうが繊細だったり、人のデザイン性詰め込まれていたり、特色を持っていたりと、途上国のほうが文化が豊かだと思える部分である。人が生きる力を自分の中に途上国の人は持っているのである。
2019年12月06日
楽天から勧誘が来るが、そのあたりが楽天と言う企業の駄目なところ。過去に楽天にお店を出していたことも確認もせずに勧誘してくる。昔、2年ほどやったけど、契約とかは無視して勝手に有料のオプションサービスをつけるとか。そんな泥棒的なこと、一般のお客さんにやったら社会問題になるようなこと、CRSの欠如も甚だしい。殿様商売の典型だが、そういう関係が長く続いて深入りしてしまうと縁を切るのも難しいだろう。

近くでも楽天でうまく売り上げを作られている会社さんもいくつも知っているけど、楽天と言う会社の考え方が気に入らないので、楽天本体から電話があるとお取り引きはしないことにしている。ほかにもGMOさんも同じ感じで、勧誘の電話があるとお取り引きはお断り。相手がすぐに切りたくて逃げる話で、しつこい勧誘の電話でも断りやすくて楽でよい。

あと、関西電力も一方的な値上げの話で、そのあと価格競争に負けそうになってきたら値下げの話。そのたびに契約を書き直してくれみたいな、契約内容が、あなたの電話で説明していることと明らかに違う契約したものに不利な内容なのに、それは大丈夫だから契約してほしいとか。もう大手企業というのはむちゃくちゃ、だから、原発も爆発しても、原発稼働しないと電気料金が上がりますけどそれでもいいんですか、みたいな程度で、自分の損得だけしか考えていない。

ほかにも、SoftBankの法人向け携帯電話の勧誘とか、シャープやキャノンのコピー機の勧誘とか、簡単に断る方法は、社長と代わってくれと言えば良い。営業マンがすぐに電話切りたがるモードになる。相手にとってあなたの存在は自分に会社よりも下程度の存在なのである。ものには罪はないが、そういう上から目線の人間が支配しているものやサービスというのは好きじゃない。
2019年12月05日
京都の知名度の高い染工場さんから代表取締役交代の挨拶状をいただいた、驚いたのは、後継者不足で株式を他の会社に譲渡される形を取られたこと。残すためにはそういう方法が選択肢の一つだと選ばれたのだろうが、知名度の高い特殊なことをやっておられる会社さんでも後継者がいない。

難しいのは特殊なモノづくりというのは設備や技術じゃなく、人の要素が大きいということ。同じ設備や技術でも実行する人が異なれば同じ結果が得られるとは限らない。特殊な織機を譲り受けてもその状態ではノークレームノーリターンのジャンクでしかないどころか、動いたとしてもまともなものがつくれなければまだマイナス。事業継承というのは本当に難しいものだと思う。

設備や技術があってもそれをどう生かすかというのが実績としてつくったサンプルだったり経験だったりする。設備や技術だけでなく、長年の経験のサンプルやデータが残っていなければ、その設備や技術の価値は生かすまでにまた何十年ものの積み重ねを必要とすることになる。

昨日も、いろんな織機の問題と遭遇、昨日だけでも3つくらいの問題を解決。異音がして動かなかった織機の原因究明、シャトルが挟む問題、送りハンドルを回しても送らない問題、飾りのロッドが一本だけ長くてはまらない問題。織りだしがダブついて織れない問題なんかもあった。織物を一つ織ろうとするといろんな問題にぶつかる、そのたびに手を油だらけに黒く汚して、織っている時間よりも修理している時間のほうが長かったり。まあ、それでも最後には解決して何の問題もなかったかのように動き出す。

誰が答えを教えてくれるでもなく自分自身で答えを見つけ出さないと織機はずっと止まったまま、自分自身で解決するから織物が織り上がる。力が足りなければ織物は織れないまま。たくさん織機があるので順番にひとつづつ問題を解決して織物を一つ一つ織ってゆく、それが仕事。新しい人が同じ経験をして織物をつくれるのかという問題。設備と技術という問題だけでなく、やる気みたいなものが相当ないと一つの工程も乗り越えられないだろう。しかも、人が少ないので総合的な力も必要となってくる。林与の場合、糸が届いてその糸を織りあげ、検反や修正、出荷、時には加工や染色、製品にするまでもを一人でできるようになることが基本、作家的なトータルな布つくり。

結局、必要なことそれがすべて仕事というのが仕事の原型ではないのかと思う。現場の職人というのは一つの作業に没頭できるので幸せだなあと思える、が一方で、体が覚えているだけの感覚だけで仕事をしてしまうため、新しいことに対応ができず、経験のないことに対しては分からないとかできないが増え、初心者ができることでも経験者ができないことが多かったりもするものである。たぶん、それは経営に関しても同じで、自分は経営で作業は他の者みたいな感覚に陥ると、ものづくりも他人事で落ちてしまうだろう。作業している人間の苦労くらいはへっちゃらでないと職人たちに良い方法を教えることもできないし、やればできることでも職人たちのできないわからないが限界となる。

ある意味、職人的の世界というのは作業が苦痛を伴わない体が道具になったようなあたりではあるけども、人が機械と違うのは柔軟性という部分で、柔軟性を欠いてしまうと、機械にも劣ってしまうのではないかと思う。機械を使うときは機械が仕事しやすいように人間が面倒を見ないといけない、たとえば、手でつなぐでなく、タイイングマシーン。人が物事をするときには自分の面倒は自分で見ることができるのである。それが他の人に面倒を見てもらう必要がでてくると他の人を使っているようで他の人に使われている状態なのだろうと思う。

こういう話は自分自身が何十年の経験者が難しいという作業を解決するのが普段の仕事だと思っているので後継もできるんだと思う。問題が詰まった状態でのバトンタッチ、解決する力がなければと思う。織物の会社、正しく織物が織れないと、海外で正しい織物が織れるのが当たり前になってくると、経験者でもそれまでできないわからないで通っていたものが、海外に追い越されてしまう話。後継者問題にしても自分たちの問題を年金のように次の世代に背負わせるのではなく、自分たちが次の世代の手本となれるように自分自身がほかに頼らず完結して仕事するのを見せる必要があるだろうと思う。どんな苦境でも腹くくって自分が受け一人でも背負って、何十年やってきたことでも間違ってる姿勢のものは間違ってるからちゃんとしなさいというような覚悟がないと、惰性的な気分では後継するというのは難しい。ちゃんと地道な作業にいそしんでいるうちは大きくはぶれないものである。職人的な気質もどんぶり勘定な経営者と同じで面倒が先にたつことが多く、それが外が見えない世界につながり、地場産業が衰退する要因の一つ。

地場産業衰退の要因を分析する大学の先生にも地盤産業衰退の本当の理由を教えましょうかというのもそのあたりなのである。同じ設備と技術があって人という要素が大きく、それは仕事の中でのことではなく、社会的な要素に振り回される。巨大文明が一瞬で消えてしまうのと同じで、基本を失って法律ができたりすると、それまでのことが軌道修正もできずに一代で終わるという話は、ひと世代ももたなかった年金制度に通じる。年金制度はその一代の自分たちの将来を面倒見るどころか生まれてくる赤ん坊たちに面倒を見させる制度。法律的には正しくても滅びゆくのも当たり前の緩慢な愚作そのもの。次の世代が働いて解決するのは海外での階級社会的な児童労働を超えた問題だろう。
2019年12月04日
国連でコットンが問題視されている、1着のジーンズで、人の飲水10年分が使われるということ。これの問題が、規制基準の高さがある。オーガニック認証もそうだが農薬を使わないとなると、雨の降りにくい砂漠地のような場所に灌漑で水を流してコットン栽培。本来乾燥している地域なので、例えばテキサスなんかではオーガニックコットンは地下水を組み上げスプリンクラーで水が供給され、地下水の渇枯と地盤沈下の要因になってしまっている。

自然農法にゆだねたオーガニックコットンというのはハンドピックトなのでまさに、オーガニックコットンの中では絶滅危惧なオーガニックコットン。マシンピックとなオーガニックコットンは地球環境を破壊しやすいという要因がある一方で、機械集約型の近代的な農業で行われるために、通常のコットン栽培と変わらない生産効率がある。費用面での負担とすれば認証に掛かる費用が農家の重荷になってしまって、遺伝子組み換えの特許問題で農家の貧困の要因となるのと同じ要素。認証かモサントかの究極の選択を迫られる農家。モサントに騙されたという農家がオーガニックに動いて成功するのかというと、今みたいな認証の基準が原因となり、地球環境の破壊につながるのが目にみえてしまうと、農家にあなた達のやってることは地球環境によくないからやめなさいと言えるのか、否かの認証機関の存在意義や認証基準の浅はかさの問題とも絡んでくる。

ハンドピックトされることがオーガニックコットンの価値を生む話だったのに、いつのまにか、ハンドピックとされないマシンピックトなオーガニックコットンが、オーガニックコットンの主流となり、このような問題を引き起こす原因となってしまった。オーガニックコットンの世界で言われるのも農家の利益のこと、モサントに騙されて自殺に追い込まれた農家がいて可愛そうだから、オーガニックコットンをつくればそれは解消されるみたいな話で誘導だが、本当にオーガニックコットンなのかもはっきりとしない2010年頃の世界のオーガニックコットンが認証機関の不適切認証の問題で半減したこととか、今も、遺伝子組み換えコットンが混入しているのではないかと言う問題も、判別する手段がないから遺伝子組み換えコットンが混入しているとはいえないというレベルの認証機関の説明。

諸悪の根源のように遺伝子組み換えコットンを叩きながら、オーガニックコットンに遺伝仕組み替えが疑われると判別する手段がないで逃げてしまうような説明では認証としては、認証機関としてはまずいというのも分からんのかなあ。消費者は本物だから買うのだけど、認証機関が判別する手段がないではあかんだろうなあ。2010年までのオーガニックがオーガニック認定として適切ではなかったのも明るみになった。日本国内ではそのことは隠されてしまっているが海外では認証機関の認証すらもが怪しいという消費者サイドの目線。オーガニックの原産大国インドが、認証機関に適切に認証をするよう指導したということ。その多くが、日本で製品としてオーガニックを謳って流れて販売されてしまった。

トレーサビリティにしても、クオータ制をとってしまと、オーガニック原料をたとえば1トン仕入れば、1トンまでオーガニックの糸の認証がでますよ、みたいな制度だと、トレーサビリティがないのだが、これはオーガニックリネンにも当てはまることだが、トレーサビリティーが一人歩きしてしまう現象。結局、本物か偽物かは、業者の良心に委ねられるのである。信用できる業者から買うことが大事だろうと思うのは、アイリッシュリネンの幻想の話と同じこと。

オーガニック原料云々も大事だが、製織、染色や加工もオーガニックの要素であることは理解が必要。林与のオーガニックでも究極のオーガニックは、オーガニックの糸を糊を使わず織り上げ天日干しのナチュラル仕上げで、こちらがオーガニックとしては究極。でもこれは普通のアパレル向けには向かないので、同じオーガニックの糸を使用しながらも通常の加工工程を経る業務用途に適したオーガニックリネンプロシリーズ。林与としては、オーガニックでひとくくりにするではなく、適切な情報を正しく消費者に伝わるようにしたい思いはある。通常だと扱いやすいオーガニックプロシリーズをオーガニック出ない部分まで隠してとか基準を下げて、これが本物だとやってしまうだろうけど、それだと本当のオーガニックが消えてしまう部分がある。オーガニックじゃないところはオーガニックじゃないのも理解いただきながら、基準でごまかさず信念をもってオーガニックを提案してゆきたい。
2019年12月03日
ポリエステルのマイクロファイバー問題、私が一番気持ち悪いなあと思うのは裏に利益誘導があったりするところ、コットンと水の問題も裏に利益誘導があって、たぶん、遺伝子組み換えでエコなコットンというのがエコだという流れだろう。CO2問題で、国連が原子力発電を推進とか本当にありえない話で、エコを謳う国連や環境庁が環境問題の素人そのもので、福島の爆発をもたらしても反省もなく。環境庁なんて、処分に困る汚染度を全国にバラまくという暴挙に出ている。安全な汚染度ならまとめてとどめておいてもよいだろうが、これも国民騙しそのもの、危険を知っててはあたりまえ、100ベクレルで普通は危険だとされるものをチェルノブイリだと避難推奨レベルの8000ベクレルで安全だという環境庁。国からすれば、メルトダウンを隠匿で何十万人が死んでもどうでもよいような原発行政。たまたま、不完全な原発が地下水から放射能物質を大量に海に流れでたからチェルノブイリのような石官化が必要とならなかっただけのこと。人の管理の範疇を超えた愚かさの部分に何十万人の命や健康が救われたが、その一方で、日本国民の軽い命。

ポリエステルだけど、エコを謳うオーガニックの組織が再生ポリエステルをしかも、漏れ出しやすいような混紡でオーガニック認定するような流れがあったりと、国際的認証機関が反エコ推進なのか、それとも国連がマイクロファイバー問題を取り違えているのか、同じエコでも対立するような概念。私自身は、ポリエステルにしてもポリエステル100%なら長く使えば、1生着ることができれば、最大でもポリエステル100%なら1着の百分の1しか流れださないレベルだろう。それが混紡だと結合が弱く流れ出しやすい。例えば300gなら1gがマックスなんじゃないのかと思う、1生で1着がゴミ袋問題1枚のこと。それよりも300gの服を捨てる話になると自然に帰らない実際プラスチックゴミとしての存在の問題が大きい。裁断して埋め立てとか土壌汚染そのもので、そういうのが環境破壊の一要因となるが、そういうのが環境破壊にカウントされないのが、環境破壊問題のそもそもで、日本の土壌汚染を危惧しながらも、ゴミを埋め立てして埋立地がつくられていたりとアンバランスすぎるエコ意識。

本来はゴミを埋め立てするようなものこそ一番の環境破壊なのだが、それが普通のごみ処理問題。地中に埋めるより燃やしたほうがまだましなのかと思うけども、そんな処分に困るゴミで作られたような土地は本来やばすぎるだろう。なんか論点をごまかすような行政主導のエコ。行政や利益誘導の問題を解決しないことには本当の地球環境保全もないだろう。

ゼロコンマ1gの問題を問題視するが、何百グラムの埋め立て問題は普通だというのがアンバランスな力関係で成り立つエコ推進、そういうのが地球環境的には一番アカンのや。埋め立てゴミというのは年間5000トンの世界、雨が降ると水が土の中を流れ、それは洗濯機の中で選択するのと同じ効果がある。マイクロビーズが水の動きと一緒になって河川に流れ出るのである、一部は浄化槽を減るが浄化槽でも沈下しない膜を透過するマイクロビーズ問題は解決はできない。ゴミそのものが地球環境を破壊してしまう要因で、ゴミをなるべく算出しないようなものづくりが理想。

ゴミを捨てるようにものが作られるというのが、大量生産型のモデルだけど、あれが結局すべて1年とか数年後にはゴミになっている。
2019年12月02日
林与のものづくりスタイルはこの10年ほどで昔に戻した感じ。先代の時のものづくりというのは、設備投資してとか、外の人にやってもらうタイプの経営スタイル。先代のころというのは、機をつくるのも、アンダーモーションの掃除なんか、外の人にやってもらうみたいな感じだった。結局、そういうのが内部でできるということが技術力があるとか仕事の能力が高いということ。そういうできることも自分たちでやらないと、仕事の中の機械の使い方とかもわからないが増えてそのままだったりもする。

タイイングマシーンも昔から3台あったけども、そのうち1台は壊れて使えないという話だったが、ただ単につなぐモードレバーの位置が畔なしのモードになっていたというだけのこと。横糸が織機の途中で切れた場合に1本で織れてしまうとかもこの織機は直らないという話だったが、それも単にセンサーの位置が正しくないだけのことで、織機は正しいがセンサーの位置を変えてしまって横糸切れのタイミングがうまくとれていないだけのこと。横糸がループになって飛び出す問題も、まだ出るけどもこんなもんでどうというが、それは単にレピアオープナーの位置が正しくなく、捨て耳のカラミソウコウにしっかりと絡んでいなくて、糸がカラミソウコウに絡むようにレピアオープナーの位置を調節するだけのこと。

こういうのもメーカーがあって聞くことができれば簡単に解決するのだろうけども、田舎のおっちゃんレベルではなかなか難しいレベル。正しい解決方法を説明すると、それを理解するというよりも自分のほうが上だという感覚が強すぎて、理解しようとしない問題もある。説明する人がメーカーの人だとかだと一生懸命に聞くだろうが、田舎の年寄りが年下のいうことを聞くことはそれが正しいことであっても難しいのである。全員がそういうわけではなく、きつい老眼鏡をかけて年取った勘一じいさんはチーズワインダーで糸を割ったり糸の整理くらいだったけども、上下関係が最初から私のほうが上であるという組織というものを理解していた人だった。

仕事なんて、正しくやらないとやったらマイナスがほとんど。正しい布を作れたとしてもそれが売れなかったらマイナスで終わる。先代なんかはどんぶり勘定スタイルだったので、仕事してお金が無くなるのパターンも多かった。外では働けないタイプが、商売やっても無理なタイプ。自分が作業するとか布を売るというあたりが希薄だったのが一番の問題だったんだろうなあと思う。こういう経験があるから、デザインするというのは何なのか、企画するという問題も深く考える。

デザインして、サンプル生地を展示会に掛けて売れたらその分の服をつくるための布をつくるというスタイルが主流ではあるけどもその場合のコストというのは非常に高くなってしまう。生地の値段というよりもそういうスタイルで生地の生産を回すのを支えてゆくコストが生地の値段となるのである。実生産のボリュームが少なくなってしまったときには成り立ちにくいモデルなのである。生地の需要を生んでゆくというのも企画の一つで、謳いを込めた生地を作ってその謳いをアピールしながら売ってゆく。地道にロングランで売ってゆくには理想的な形だろうと思える。私の作ったシリーズとしては、アイリッシュリネンシリーズ、キッチンクロスHDシリーズ、シャトル織リネン定番シリーズ、藍染やインディゴ染シリーズ、リネンの超細番手シリーズ、細番手柔らかリネンストール、近江上布柄プリントシリーズなど。外の流行を取り入れてつくったものではなくて、自分が作りたいと考えてつくったシリーズである。だれに売ってもらうでなく自分で売ってゆくことを基本にした麻布なので作り手主体のものづくり。
2019年12月01日
仕事があっても、今の時代の仕事についていける長年の経験者というのも繊維業界だとあまり存在しないだろう。昔の流れの毎日普通に仕事があってそれをこなしたら食べて行ける時代と違って、今は、どんどんと前に仕事を前に進めてゆく力がないと成り立たない仕事が多い。

仕事があっても、Aという人がやれば成り立つが、Bという人がやると成り立たないみたいな、仕事がほとんど。たとえば、元気に見えるコンビニもその一つ、コンビニの経営者は成り立たせているだけのこと、他の人がやったらすぐに閉鎖ということもあるだろう。

林与の経糸をつなぐ仕事でも他の織機を動かしながら糸がつなげれば仕事として成り立つが、糸をつなぐだけで成り立たせようとすると、タイイングマシーンでつなげるとか、つなぐのが難しいのを手で正確に早く繋げないと難しい。並行して作業をできるように、作業を組み立てられる人でないと難しい問題もある。

仕事の時間のなか仕事が成り立つように動ける必要があるのである。私も経験者の人の準備をしてきて、その逆というのがあまりないのを不思議に思ってきた。経験者というのは自分から手が空いていても他の人の作業を手伝おうとはしないのが不思議だったが、ひと世代昔の経験者というのは他の仕事はできないままであることが多いのである。

伝統工芸士だった勘一じいさんが私が忙しいのをみて、自分で整経の筬通しをしてくれたが、それが間違って過ぎて、やってもらうのは難しいなあとおもったけど、そういう気持ちをもって仕事している人というのは少ないのでありがたい話ではあった。

繊維の業界も、今の時代の仕事について行ける人でないと、仕事があっても仕事が見えないとか仕事が進まない、成り立たないということになる。出機さんにチャンスが訪れたのがストールブーム、そのストールブームのときに最初の見本一つが、繋いで織る前までもっていっても、織ってくれない。諦めて、自分が織って持って帰ってくると、勝手にさわるな嫌なら自分が織機入れて織れといわれ、せっかくのチャンスの仕事で仕事してもらいたかったけど、自社の織機をシャトル織機に入れ替を決意してのストールの生産。

仕事があっても仕事として成り立たせることが難しい、ましてや普通にないチャンスの仕事でもそれを嫌がっては仕事そのものが難しくなる。ストールの加工も同じく、地元の工場でストールの量産をしたかったが、新しいもの過ぎて、こんなのできるはずない、もってこんといてくれ、といわれたので、他のルートでの商品化。

繊維の業界では、なかなか良い仕事がないときに何年ぶりかのチャンスの仕事でももったいない話なのである。昔の体質の繊維業界がなかなかチャンスをつかみにくいのもそのあたり、加工工場さんもその1年後くらいには、私が思っているような加工をできるようになっておられたが、それはストールブームがピークを過ぎた年、非常に残念な話なのである。
2019年11月30日
今日は大阪での繊維のイベントでの講演会の日。午前午後とお二人の方がサステイナビリティに関して講演された。成功されているあたりが私の考えと違う目線だからだろうなあと思ったのが、ミシンの自動化の話で、糸調子などコンピュータで自動的に管理するようなことができるとかの点。わたしからするとそれって、プロ用が進化すると素人用のミシンに戻る現象、結局、ものづくりがミシンメーカー依存になるのではないかと思える。自動で服が作れればよいのにと服をつくるのは素人の私が考える夢の世界なのかもしれないが、誰がつくっても同じになるとさらに日本の繊維が難しくなる気がするのだが。

ほかに、マイクロファイバーの問題で、マイクロファイバーがでない、丈夫で普遍な素材があればよいのにというお話。でも、そういう素材は、自然に帰らないので、やばやばな素材なのではないかと、最終、捨てることも処分することも難しい。求めないほうがよいのではないかと思う。やはり求めるべきは、普遍性ははないけども、自然に帰る天然素材という方向性が理想ではないかと思う。

なぜ、自然破壊が進むのかというと、作っている人たちの問題でないあたりも大きい。こういう世界的な基準もそうではあるけども、日本でも検査基準がある、たとえば、堅牢度の話になると、自然に帰るようなものというのは、堅牢度は悪いもので、堅牢度を上げるために何度も作り直したり、これしか認めない適な考えで廃棄するものが増えたりする。出来上がったものも品質は高いのではあるが、堅牢度がよいというものは基本自然に帰りにくいことを意味する。その分、長く使えるという要素がある。相反する概念なのは面白いところで、陰と陽というか、人間というのは自分が求めているのはまったく反対なのにそれが見えにくいというあたりがある。

私も品質の高いものという概念とエコな概念というのは製造工程は基本相反する部分があるだろうと思っている。野菜なんかでもスーパーに並ぶものは農薬や化学肥料を使ったものであって当たり前のグレード基準がある不揃いを許さない。一方でオーガニック野菜や道の駅の野菜は不揃い。どちらを求めるのかの世界なのである。オーガニックで高品位なものを求め始めるとどうしても基準を普通のものに近づけてそれをオーガニックと謳う薄っぺらさが出てきてしまう。

日本の国というのは昔のほうが捨てるものも少なくエコだったような気がする。環境関係の先生からすれば昔は無茶苦茶だったというけども、それは日本が海外のものまでをつくる側であって、それが今、日本が海外でモノを作らせる側となって、生産量は何十分の1になってしまったというだけの部分も大きい。

次に、生産に水をたくさんつかう問題にしても、これは規制基準を満たすためにはどこの国でもしかたないあたり、染色なんかで堅牢度を上げようとすると水洗が必要で、大量の水を使う必要がある。また排水も、何PPM以下に薄めないと環境基準をクリアできないから、大量の水を使うのである。どこかの国の皮の染色現場の様子、それぞれの色ごとに小さな棚田のような池が100くらいあってそこにつけて染めるみたいな状態。それは、ある意味、多くの観点において理想的でそこから外に害を広げないという意味ではよいのだけど、逆にそれそのものは土壌汚染、地下水汚染など一番の問題だったりする。日本だとまったく許されない染色スタイルだろう。

ほかにも、コットン栽培の農薬の使用の問題がオーガニックの世界では問題視され、枯葉剤や農薬不使用のオーガニックコットンの基準ができるとなにが起こったかというと、従来の自然農法的なオーガニックコットン栽培が激減させ、害虫の少ない、乾燥した場所、すなわち本来は生物が育つのに適さない砂漠のような場所でのオーガニックコットン栽培が主流となってきた。地下水をくみ上げて水を供給する大量の水を消費するオーガニックコットンが、地盤沈下や飲み水の渇枯をもたらす環境問題を生んでしまう。エコな基準が地球環境破壊につながるというあべこべな問題。同じく、CO2問題での原発推進も同じことで、オーガニックとかエコを語るときに、オーガニックとかエコの本質がみえなくなっては、オーガニックやエコも逆に地球環境破壊につながる。

国連の環境チームがが会議などして基準をつくって、日本の環境庁が動いているみたいだけど、CO2問題の時のように原発推進するような愚かなことを考えないでほしいなあと思えたりするところ。日本なんてもう生産をしているのかしていないのかわからない規模にまで落ちていて今の基準でも環境負荷も小さい。言うは易し行うは難しで、言うだけのひとが偉そうに良いことをしているみたいでも、実際に行う人間がその苦労を背負い込み解決して立つことも難しいふらふらの状態で成り立たせているだけのこと、ぜんぜんエシカルでもない話。また、基準をどんどんと遊びのように上げてゆくから、結局、スクラップアンドビルトな浪費モデルだったり、クリーンディーゼルのような悪質な消費者だまし企業が生き残るとか、10社やっているところが基準のふるいに掛けられ5社になり2社になるとか、今まで8社が消えてしまわないとならないような基準だったりして、自分が生きてゆくための地道に働く環境すらも締め上げられて、エシカル?環境?

エシカルなことというのは、本来、自分が考えてゆくことであって、誰かに従っていれば安心という問題でもない。エシカルナことを謳う人でもやはり、ビジネスとして成り立たなければ無理だというレベルが根底にはあったりする。私の立ち位置は別で、普通の仕事は仕事で、エシカルナことはエシカルナことでエシカルナことは持ち出しか、ほかの利益を回してするのもありじゃないかと思う。日本で一番大きなオーガニックコットンの協会も、実際に中身は、前理事長が理事長のときに電話でお話すると、「エシカルナことが面倒なんですよ」とか、「国際会議でなまった英語をきいてると眠いんですよ」、「偽装はやった企業の責任で私とは関係がありません」、みたいなのがその前理事長の口からでてくる本音、単に消費者を食い物にするビジネスモデルなのかで、謳いを信じている消費者が気の毒すぎる。若い人に理事長を譲られたようだが正していってほしい。
2019年11月29日
ミナミヌマエビも冬になって水温も下がって動きが不活発。夏に大量繁殖したミナミヌマエビの稚エビも大きくなって、数が減ってしまったが赤いミナミヌマエビも3cmくらいになって、メダカとなんか魚もまだいる水槽。

マツモが大変な勢いで水槽を埋め尽くし、オオカナダモが大きくなりすぎて、自然界を凝縮したような林与の大型タライ。餌も週に1回くらいに少なめにして、水が汚れるのを防ぎながら、自然の餌で育成中。

自然に繁殖しているうちはあまり触らないほうがよいのが分かってから自然に繁殖するようになった。やっかいなのは、たぶん、ヤゴが自然発生してしまっていること。たぶん、ヤゴがエビを食べてしまうのだろう。小さなエビが少なめな状況が続いている。ヤゴを見つけては網ですくって外の川に逃がす。

たぶん、何か足りない要素があるとは思う。水が濁り気味。エア、ろ過装置は自然繁殖を試みているために停止中。それでも、たぶん、ミナミヌマエビ大小混ぜて、1000匹以上くらいは100Lの中にいると思う。水温もまだ10度以下になっていないけど、もうすぐヒーターが必要になるかもしれない。

ミナミヌマエビを捕った、一つの農業用水は枯れてしまって、たぶん、今はゼロ。もう一つの水流の絶えない場所も4か月くらい放置なので、また捕れるかな。でも、捕るのが本来の目的ではなく、自分が水や自然のことを考えたいからミナミヌマエビを育てている。
2019年11月24日
今日は、自治会のゴミ拾いと水路の掃除。急ぐ仕事があるので朝6時に仕事を切り上げて、6時から軽トラの後ろにシートを用意して7時からゴミ拾い、30分で終わる、その後水路の掃除も30分。私は軽トラで泥を運ぶ担当なのだが、ほかの区はまだ泥上げ作業中。まあ、せっかく参加してやってるのだから、ほかの区の泥も片付けてしまおうと、5区、4区の泥を積み込む。

その後、ごみ処理所に泥をもって行って軽トラを洗って解散。普通の軽トラの2倍以上の泥の量、どうせ時間使うなら覚悟決めて思い切りやったほうがよい。消防の班長だろう20代の前田くんが一人、50から70歳の中に入って積極的に動いてくれる。立派だなあと思うし、大人は手本にならないとと思う。

11時くらいには終わっただろうか、体力的にはそれほどでもない。また、織らないといけない仕事に戻って夕方まで織って夕方から出荷。8時に出荷作業が終わって夜中まで眠って、月曜日の朝9時に社員の女の子と交代して昼間で休む。機械が調子よく動いて、順調に織れた2日間。
2019年11月23日
今日仕事終わって、土曜日だよねという話してたら、今日が勤労感謝の日で祝日だということ。林与の場合、日曜日はスタッフは休みだけど、祝日は関係なく基本仕事しているので忘れてしまっていることが多い。昨日は、夜出荷で朝まで一人工場で織ってスタッフと交代でお昼まで休み、午後に2回ほど織機のトラブルで、夕方から活動開始。

世の中の労働時間が減ると逆に経営者はそのぶん労働しないといけなくなって働く時間は増える。大企業だと経営者は会議だけして働かないし、企業をつぶしても退任すれば終わりというだけの大臣や国会議員程度の責任感で済む。そいう人っていてもいなくても同じレベルというか、いると企業や国が傾く。働いていないから働く苦労がよくわかっていないとか、責任逃れが当たり前だから口だけがほとんど。働く時間が短くなって国際競争のなか、国民は困る流れになってもその愚作の面倒を見させられるのが国民というのも悲しい話。

勤労感謝の日は、昭和の時代の響き。悪いものとされる労働観が広がる中でそのうち名前も変わったほうが自然に思えたりもする。昔ゆとり教育が施されて、子供の教育がどうしようもなくなったと、今度は手のひら返したようにゆとり教育否定とかと同じ流れになるのか、子供のことは法律じゃないから軌道修正が用意だが、大人のことは法律で定められてしまうと、成り立たないことでも法律で成り立ってしまう結果、まともなことがまともでないと否定されたりもする。

労働基準監督官が、架空の質問だが、たとえば、労働基準監督官であるあなたが仕事さぼって外で一日中たばこをすっていて首にされたら労働基準監督署を訴えますか、という私の質問に。「訴えますよ」、というのが今の労働基準監督署の監督官の答え。そんなのに指導されてしまったらどこの企業でも終わりだろう。1日のアルバイトの学生でも、まともに働く想定があるのが当たり前だろうが、労働基準監督官が一日中さぼって外でタバコ吸っていて首になったら労働基準監督署を訴えるとかいう話。法律からしてまともじゃなくなっている話。まだ、霞が関の厚生労働省の役人たちはこういう話しても、まだまともだが、末端の労働基準監督官あたりは、悪徳奉行レベルでまともな企業経営を貶める。

この想定話は、一日中外でタバコ吸ってさぼっている労働基準監督官に税金から給料が払われているという問題を指摘している部分もあるが、それも見えず、さぼって給料泥棒そのものの想定話でも、労働基準監督官レベルだとさぼって給料泥棒そのものに対してもなんの罪悪感もないのが、やばすぎる。こんな指導聞いて大人たちが正しいと信じて、仕事しないでさぼるの当たり前だろうなあと思う。結局、そういう人はやめてもらう話になるんだから、そのさぼっている人のためにも行政が緊張感を持たせる正しい指導は必要である。まあ、労働基準監督官にしても自分可愛さで、その労働者のことなどどうでもよいからそんな指導になるんだろうけど。本気で労働者のこと考えていればそこまでひどいと突き放してやめてもらわないとね。

昔、大阪のコンピュータソフトウェアの会社にいたときにも、新しい人が休憩所でタバコ休憩、ほかの部長や課長もそういう法律意識してなにもいわないが、社長たまたま登場して、新しい人たちに注意、新しいものは社長の顔も知らずに誰が偉そうに注意しているで、社長と新人の喧嘩。社長はその人を即日クビだけど、普通の神経もっているならクビになっても当たり前。他にも前にも書いたことあるけど、大手のコンピュータ製造の現場で働いたとき、前に部署の上の人だった人が、たまたま、休憩時間が同じになって、私たちの45分の休憩を15分休憩と勘違いして、その人が私たちに30分以上休憩していると注意。その人はたんに勘違いしただけで、私は立派な人だなあと思った。その人の周りに何人かいたので、冗談でも言い返すとその人が気の毒。その時、私はサポっていたと思われたままだろうけど、私はその人の注意してくれるような人格を信用しているから、普通の人は逆におかしいと思っていてもいろんなことにビビッて注意もしないだろう。それは管理する側としては仕事もできていない駄目な話。勘違いしたかもしれないが、それは私たちのために言ったこと。正しいを守るは周りも協力しないと駄目だろうと思うが、なかなか大人社会は正しくない文句言いのほうが強いから。
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