for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3558
«前のページ 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | ... 178 次のページ»
2023年06月22日
卑弥呼は神功皇后ではないかという説があるが、今は通説とはされていないが、多分、それが歴史的事実なんだろうなあと思う。江戸時代までは卑弥呼は神功皇后であったとされているが、国学者の本居宣長も卑弥呼は神功皇后であるとしていた。明治になって卑弥呼が別にいたほうがよいような事情が出て来たのだろうと思う。中国の魏志倭人伝で、卑弥呼というような蔑称で記録が残っているのも、日皇女というような記載だったら、別の存在は必要なかったかもしれない。文字を読めなかった江戸時代と、文字を読み書きできるようになった明治時代とでは、事情が異なってきたのかもしれない。

皇后が巫女としての役割を果たすというのも理に叶ったことで、弥呼(ミコ)というのは、巫女を指し、皇女もミコと読む。日皇女とは、日本の女王という意味になるのだろう。幡神として、知られている神功皇后ではあり、地元の豊満神社も幡神の言い伝えが残っている。本居宣長は、邪馬台国をヤマトコクと読んだということで、邪馬台国をヤマタイコクと読まないといけない事情も明治になって、同じような理由であったのだろう。国民に邪馬台国と呼ばれていたものが大和朝廷の歴史では示しがつかない。

魏志倭人伝のような文献に残ってしまっていて消し去ることもできないし、別物として存在させる方向で、日本の歴史とした可能性もある。幡神の旗は、秦、機、幡、畑など共通のものであり、秦の始皇帝の時代の渡来したものたちが秦氏を形成した。五穀と同様に織物の文化も、秦の時代の最先端の織物を徐福一行が持ち込んだと思われる。日本の古来のたたら製鉄の技術も、徐福一行の職工たちのうちに含まれていたであろうと。

アサの語源がヌサであるというのも、奴佐であろうとされるところも興味深いところで、中国への献上品を、中国が奴佐と読んだことで、その代表的なものだった麻の繊維がヌサと呼ばれるようになって、日本神道では、「幣」という漢字が当てられたのだろう。日本は本来、大麻の麻もオと呼んだのである。苧と同じ。神道の貢物が大麻だったので、大麻はアサ、ヌサと呼ばれる。幣にするには大麻がいい太さだろう。アラタエ、ニギタエも本来は、妙で、織物ではなかったであろう。打綿して妙状にしたものを指したであろう。それには絹や大麻が適切である。逆に苧麻は繊維がしっかりとしているので、打面してもフェルト化はしにくい。のちに織物になってからは、アラタエには大麻だけでなく苧麻も使われたであろうと思う。打綿したものは妙、織ったものは布という。ヌノというのは、縫うというのとオを掛け合わせたもので、ヌウオが布であるという説がある。もともと地機というのは、腰機のことではなくて、地面に縦糸であるオを水平に張って、それを横糸のオで縫うようにして織ったものが織物の始まりであろう。アンギンという経糸を掛けるようにして横糸を縫って作る方法も古代の織物の技法のひとつだが、垂直に経糸を張るのと水平に糸を張るのとの違いがある。昭和の時代までは、稲の藁ですらもが繊維として大活躍していた。藁を編んで草履をつくったり、傘や蓑をつくったり、傘子地蔵の世界からすれば、繊維というものは人の手作業から生まれるもの。

アラタエの鹿服みたいに書いて、アラタエと読むのがあるけども、あれは、木を三つ並べて森という字のように、鹿を3つ使って粗いという意味の漢字から来ている。粗という字の美称が、鹿が散らばっている様を表す、アラタエなのである。アラタエが本来は、鹿の皮だったという説には疑問を感じる。

なぜ、日本の神道で大麻を供えるのだろうか、そこに徐福の存在を感じるのである。徐福は7年間インドに留学して、ガンジス川などにももちろん行って、ヒンズー教では神の草と呼ばれる大麻文化に触れただろう。またアショカ王の仏教にも触れただろう。持ち込んだ五穀の一つが大麻だった可能性も高い。というのも、中国の大麻もかなり無毒化された大麻で、日本の大麻も中国から持ち込まれた可能性が高いのである。それでも多少の毒性は残っており、神事などの占いで、燃やした煙を吸うことで麻酔し、巫女が陶酔したような状態で口からこぼれる言葉が占いとなったのであろう。また、インドの寺院の鳥居なども、日本神道の鳥居の起源ではないかと思われるのである。
2023年06月21日
国連のSDGSの動きにしても、善意を利用して金集めに思えるのが残念で、繊維の底辺の覚悟もない環境家とかもトランプさんと同じ儲けレベルにしか思えない。地球を救うためにとか自分が何をやっているのかというのが大事で、扇動家よりも、実際に地道に底辺を覚悟で働いている人のほうが地球環境に役立つのは当たり前。

ある会合で、心配されていたのがドレスコード、林与を誘った人が林与がドレスコードを守るかどうか、別にドレスコードなんて大事じゃないんですというおのが林与の考え方で、ドレスコードにこだわっている時点で、人間としては浅い。服飾の世界にいながらも服飾の世界を支えるためにはドレスコードなんてこだわってたら、江戸時代レベル。

ドレスコードに自分自身がまったくこだわらない林与が、麻織物の世界の最高峰を生み出したいと思っているのが現実で、そういうのが超えた世界だと思う。ほんと人という要素が一番大事で、人という要素を無視して華やかなだけの世界というのはラベルだけで憧れるだけの世界。私自身は、本質志向で、表面的なものには憧れは感じなく、人の内面的なものに魅力を感じ、それがアーティスト感覚だろうし超えたような世界に通じる。人生観や物事に対する価値観が異なれば混じらないほうが良いことも多く混じって薄まってしまうようなことになると面白くないだろうと思える。

普段のビジネス感覚とはまったく違う感覚があるから、特別なものが作れるというのもあったりして、それがなかなか難しくなっているのも今時の話だけども、普通のビジネス感覚に陥りがち。星野新一という作家がいて、恐竜の話が合って、子供たちが恐竜に憧れて近寄るも恐竜は恐竜で子供たちを襲う話。林与が麻織物の専門家たちをそれ本当なのと襲うことも多い。オーガニックやエシカルな人を襲うことも多い。違いは私が本当に作業もしていて限界にしてもすべてわかっているから見たいなところ。オーガニックやエシカル思想っが、階級社会的になるとそれはミイラ取りがミイラになったような状態で、人々の面倒を見たくもない人たちが実際に地道な作業している人たちを仕切ろうとしてボタンの掛け違えが始まる。さらなる重荷が現場には増えて、コットンにポリエステル混ぜたものをオーガニックとか謳い始めたらもう繊維の基本の価値感すらも壊してしまって、どこがサステイナブルなんだろう。

20代の仕事経験1年2年で織物のアドバイザーの人にであったけども、j実際に仕事しているから、その方よりも当たり前に織物の知識があったりもして、その人ができないことでも難しいことでも私が普通に実践して麻布の特別な世界をつくりあげていたというだけのこと。織物アドバイザーとか専門家のレベルでは普通に仕事もまったく難しい話が、日本の繊維業界の難しさにもつながる。

何よりも地力みたいなものが必要で、ひと世代前の昭和の時代の人でも今の時代に繊維の業界は難しい、今の人が日本の繊維業界で動いていこうとすれば、その時代の人を超えた力がないと難しいだろう。サステイナブルの世界にしても、本質的なものを失って右往左往しているような状態で、今ではデニムが水を使うということで駄目なもののように言われるけどもまだ自然に返るだけましだろうと思う。サステイナブルの扇動家たちは結論として、再生ポリエステルは再生ポリエステルとして服を作ればよいだろうと思う。綿100%なら産業廃棄もまだ簡単だが、再生ポリエステルを綿に混ぜた糸を作るだけで、それはもうややこしい産業廃棄物扱いになる。服にしても同じことなのである。

TCと呼ばれるコットンポリエステルは、機能的には悪くない。でもオーガニックだと謳いたいような人がいるというのが不思議で、オーガニックを謳い始めた最初の考え方すらも商業主義にながされて消えてしまっているのが今のオーガニックの専門家たちの世界だったりして、ポリエステルの相手のオーガニックコットンもどこまでオーガニックなのかも今は努力目標的で実際は敵対している遺伝子組み換えコットンである可能性も高くなってしまっている。ラベルが独り歩きし始めているようなビジネスとなって、オーガニックの中での価格競争とか、オーガニックの実態もだんだんと熊本のあさりに近づいてきてしまっている。オーガニックの理想を求める消費者が、オーガニックの謳いの嘘に騙されないことも大事な局面になってくると、オーガニックよりも普通のコットンやたとえ遺伝子組み換えであろうが正直で、オーガニックやエシカルや既存の繊維業界の概念に則しているのではないかと思えたりもする。ドイツであったクリーンディーゼル偽装とオーガニックの行く末が被るようなところがある。オーガニックコットンでは、敵対していたモサント社も、今はバイエルン傘下、オーガニックの世界もあれほど遺伝子組み換えにはNOだったのに、もうNOとは言えなくなってしまうんではないだろうか。

オーガニックにしても自然農法に近い概念だったはずが、もはや自然農法とはかけ離れて、有機肥料使用でとか、殺虫剤不使用、枯葉剤不使用とか、レギュレーションに縛られて、虫のいるような地域ではオーガニックが難しくなり、砂漠地でスプリンクラーや点滴給水とか、栽培そのものの環境すら虫のいないような環境に持ち込まれて、別の無理やりな技術で、資本主義そのものだが、そういうものが自然農法的な小規模のハンドピックされる本来のオーガニックコットンを淘汰してゆくことになる。

まだ、ハンドピックしていた人たちが、トラクターに乗って産業が近代化するみたいなモデルだとまだサステイナブル的で良いのかもしれないが、別の地域で新しい産業としてお金のある人たちが金儲けのためのビジネスとしてそういうレギュレーションだよりにやってしまうと、カネのある人たちのためのオーガニックビジネスと成り果てる。アイロニーちっくな話だが、地球温暖化で地球全体が砂漠化すれば、雨も降らず、虫もいなく、水を止めれば枯れてしまうから、全世界でコットンのオーガニック栽培がしやすくなるのかもしれない。旧来の人たちの生業を守ることこそが大事だったはずなのに、なぜかオーガニックやエシカルを謳いながら、過当競争まで引き起こして自分たちは立ち上がりますと謳いながら販売をしていても、問題が起こればリソーサーから仕入れいているだけとかが販売している人の現実話で、衣料販売が不振になれば商品企画チームの3分の2を入れ替えとか、どこがエシカル?サステイナブルの考えがあるのか?大企業にありがちなカネ至上主義でオーガニックやエシカル、サステイナブルは語ってほしくないが、そういうのがこの10年ほど日本で流れるオーガニック製品のシェアの多くを占めて来た。

一方、オーガニックやっておられる方で、オーガニックは過酷だというのを認識されている方がおられる。ほんとそういう人というのは末端の人の気持ち分かって無理しないとオーガニックの概念は支えられないということを知っておられる。繊維の普通の仕事も同じことで、それを手を抜いて楽にしていこうとすると、もう繊維の仕事自体を続けていくこと自体が難しい話になる。
2023年06月21日
仕事の考え方というのが異なれば、扱うものも変わって来るし、扱うものに対する感覚も変わって来る。また、企画に対しても企画方法や企画の目的も変わって来る。また、物事に通じていないと仕事というものがお金だけのところに終わってしまって儲からないからやらないみたいな話ではなくて、価値のあることならやってみてやっただけの価値を自分で生み出して行くというのが大事だろうと思うのが林与の考え方。

価値のあることだと思ってやってみても、うまく行かないこともあるだろうけども、やってみたいと思うことがあるならやってみて失敗してみるのも大事な経験だったりもする。あるプロジェクトがあって、協力を求めていただいたのだけども、物事というのはそれが深いことなら、広げすぎては駄目で、覚悟している人たちだけが、覚悟決めて突き進んだ方が良いように思うことは多い。

物事は深く追求すればするほどついてくることは難しくなって、麻織物や麻の世界も深さのレベルで、関われる人の度合いが変わってきてしまう。昨日、富士吉田で活躍中の流しの洋裁人原田陽子さんからお電話いただいた。徐福の話をしたら、陽子さんも知ってられて、さすがやなあ。近代麻布研究家の方に徐福といってもまったく話が通じないのと比べると、すこし織物の歴史をしれば徐福のことは当たり前につきあたり、それが日本の弥生時代以降の歴史につながって来る。服飾の歴史の先生だった方も徐福の話をするとそれなりに知っておられた。なぜ、近代麻布研究家の方が徐福をご存じなかったのかが本当に不思議なところ。文献が大事だとか私に言われたけども、徐福というのは日本では知られていないかもしれないが実在した人物で中国のいくつもの文献に登場する人物。実在の天皇といわれる神武天皇である可能性も高く、林与はそうだろうと思っている。それが邪馬台国や卑弥呼の謎を解くカギにもつながる。
2023年06月17日
昨日は、金曜日で夕方、手織り小学生くらいの子供さんが体験してくださった。すごく興味を持ってもらえて、すぐに上手に一人で織れるように、手織り体験を担当したものがまた明日織りに来ますみたいことを言ってもらえたそう。織機というものを稀にみることはあっても、手織りを体験したくてもなかなか体験できないシチュエーションってあるかと思う。ときめくようなものを織物に感じてもらえるというのはすごくうれしい。手織りを経験したことのない人が、織機をみているともやもやとしたものがあると思う、でも実際に織ってみるとどうやって織るのかが分かる、自転車に乗るよりも簡単に、そのもやもやや苦手意識みたいなものが消える。

手織り体験は、誰でも楽しめると思うし、やってみると想像以上に簡単で初めてでも最初からきれいに織れる。耳を手で揃えておるような本格的な織り方というのはまた別にあるとは思うけども、そういう主旨ではなくて、手織りを体験して実際に織物を織ってもらうというのが主旨。楽器を演奏するよりも何倍も簡単で、その場で最初から織物が織れたということを実感してもらえる。

こういうのをひとつのきっかけに織物に興味を持ってもらって、織物を楽しむ人が増えて織物を織る人が増えたらなあと思う。私自身は織物に親しんでもらうことを広めたいなあと考えている。織物をはじめて織るきっかけを多くの方に提供できればと思っていて、興味のあられる方は自分で織機を手に入れて家で織ってもらったらよいだろうし、見つけることは難しいかもしれないけども織物教室に通われるも良いだろうと思う。ミシンよりも簡単だろうと思う。

テキスタイルマルシェで織物を探してくださる方は多いけども実際に織物を織るということも経験してもらいたいなあと思って、今回、無料手織り織物体験コーナーを実現させてもらった。8月には米原の長栄座のイベントでの手織り体験コーナー、9月にはおおさかてづくりフェスタでの手織り体験コーナー。多くの方に織物を織るを体験してもらい、布をつくるを身近に感じてもらいたい。
2023年06月10日
自分が経験を積むためには行動力というのは非常に大事で、行動力というのが他の人にものごとをしてもらうを求めるでなく、自分が背負って物事を回していくような覚悟みたいなもの。ものづくりするときに誰が覚悟して在庫を積んだりお金を使ったりするのかが大事で、そういう覚悟のあるお客さんとは仕事は精神面では同じような気持ちで仕事しているのでありがたくやりやすい。

今、商社や問屋さん関係の仕事はほとんど受けることなく、自分自身が生地を買って在庫を持てるようなお客さんとの仕事の話が多い。間に入られる方が、動ける方なら間に入ってもらって問題がないけども、動かそうとするような方が間に入られると入っていただく意味もなかったりする。

今も不思議に思うのが、数年前に刺繍の案件で、あるコンバーター業をしたい方から相談があって、林与が取り引きしているさきから仕事をもらったのだけど、自分が経験がないので教えてほしいといわれるけども、教えても動こうともされず、サンプル作るのにも刺繍屋さんにお金を払うつもりもなく、自分が間に入るだけで企画を引き受けて、自分が食べていこうとされている。でも、なぜメーカーもそんな覚悟もない方たちに自分たちの大事な仕事の企画を宿題を与えるのかという問題。その素人のような人が実際にお金を使って試作など動いた時にはその人の月給くらいは普通に消えるだろうけど、1度で満足のいくものになる確率も低い。出し惜しみしてたら2度3度叩いてみるは無理だろう。

覚悟のないものが軽い気持ちで企画してもまともなものづくりにはつながらず、覚悟した人たちだけが集まってものづくりを進めていくべきで、たとえばそういう繊維業界の現場の意味すら分かっていない問屋さんの人に、現場の経験をしてみられたらどうですかというのが林与。その気持ちもなく自分が仕事を企画しようとかは本当に難しい話。そういうときに本当によいのですかと数日とことんの自分のために経験をしてみるような方なら本物。それが続いたらプロとして残れるということ。

一度のチャンスを生かすかどうかで適正なアドバイスをしても一向に動かれない、それで、もっと教えてとか自分が動かないと駄目なのにダメもとでも刺繍工場に自分がアプローチして試作をお願いしたらどうなのかと思うけど、それ自体が難しい状況で自分の宿題を他の方に解決してもらおうとされていたり、自分の宿題を他の人に頼むときには、他の人というのは普通に覚悟してお金も使って仕事の答えを導き出している。そういうのから今の問屋業の方のには期待できなくなった。

刺繍工場に迷惑を掛けてしまうだけなので刺繍工場を紹介することすらもできないような話だし、たぶん、宿題を出されたメーカーもその問屋さんにお金を払うつもりもないだろうし、その問屋さんもお金を使って試作をする気もないだろう、試作するお金の話すら一切ないのがメーカーと問屋さんの企画話で、誰の責任の企画なのかすらも分からないような状態。そういう感じの企画というのは、いい感じのものが出来たとしても、コストが合わないとかで流れることも多く、一番動いてもらう刺繍工場にも大きな迷惑を掛けることになる。
2023年06月10日
今、リニアモーターカーの開通に向けて工事が行われているが、リニアモーターカーが開通したときには東海道新幹線はどうなるのだろう。東京大阪間の利用客が半減するような可能性すらある。というのも半減するくらいでないとリニアモーターカーも成り立たないであろうから。新幹線も利用客が減ったときには、本数を半減するような形になってくるであろう。利用客が少なくなると成り立たなくなるので新幹線は値上げされ、さらに利用客は減って、新幹線は将来的には消えて行くような運命なんだろうか。リニアの料金も東京大阪で1000円程度高くなるくらいが想定のようである。

リニアというのは原子力発電所が2つ分の電力を使うということで、新規に原子力発電所をつくる必要も出てくるだろう。500kmで走る想定のリニアというのは、300km想定の新幹線の4倍くらいの一人1kmあたりの消費電力のようで、今のように夏場に電力不足が懸念されることが多くなった状況では、新たに1基から2基の原子力発電所の建設が必要になってくるだろう。

リニアモーターカーの話は、私が小学生のころから未来の技術として、もう50年以上は開発が行われてきた。当時の日本というのは土地神話みたいなものがあって高度成長が続いていて、そういうなかでリニアモーターカーも近い将来の技術として始められた経緯がある。少子化の財政負担も難しくなった今の日本、取り巻く環境は変わってしまったが、計画は7年とか8年後の実現に向けて動いている。

リニアの開通が終わったら新幹線を廃止するみたいなことが簡単なら問題も少ないのだろうけども、リニアと新幹線を共存させてとかはJRにとっても負担でしかないだろうと思う。今、コロナで在宅ワークなど増えて、東京に本社ビルなども必要がなくなった企業なども多く、50年前よりは、商談にしても顔を合わせて行う必要も少なくなった。スマフォでビデオ通話ができたり会議ができたりと、ビジネスでの出張というものも絶対に必要なものでもなくなってしまった。

中国の上海では2003年あたりからリニアモーターカーが時速400kmで商業運転されていて、それが中国全土に広がるのかと思えば、日本の新幹線が技術提供され中国で走っているような状況。中国はリニアモーターカーから新幹線へ。日本は新幹線からリニアモーターカーへ。
2023年06月09日
テキスタイルマルシェというグループで百貨店でのイベントなどに出展させていただいているのだけども、このテキスタイルマルシェという活動は、行動派そのものな人たちの集まりで、その場でどうやったら自分たちの作ったものが売れるだろうかとか、売るため努力に対しても自由度が高い。

林与が、阪急梅田本店でのテキスタイルマルシェに参加したときに、生地を売るだけでなく、リネンのはぎれキッチンクロスをワゴンで売ろうと思いたった。林与の一般のお客様のイメージがリネンキッチンクロスだったりするのもそういう機会をいただけたりするからのところもある。林与の正規のキッチンクロスというのは大きさも決めていて私なりに難のない一級品で、その一方では、糸ムラや生成りの色ムラなどをはじくとはぎれがたくさんできるけども、それを自分自身でどう活用するか、しかも、それは自分の参加するイベントが盛り上がるような楽しみ。

イベントに参加するときに自分自身が考えていることをできるかぎりやってみようと思う人でないとイベントへの参加も業務的に終わってしまう。それが本当に残念なことで、業務的な感覚というのを超えたあたりにお客様の評価があったりもするから、私が思うに、商業的な日本の繊維業界よりも、日本の繊維業界を盛り上げるためのイベントとして、普通では手に入らないレベルの高い物や面白いものを自分たちで提案してゆくというのが、自分が日本でモノづくりしている意義ではないのかと思う。

損得ベースで良ければ、より安くつくれるところを探してそれを仕入れて売るとか、でも、そればかりじゃないのを経験したのが、ストールの件で、海外だと1枚200円でリネンのストールが手に入ったときに、それはたしかにリネン100%のストールだけども、そのストールを見ても、リネン100%のストールという世界。

私自身はリネンストールについて考えてみたい所から始まる。リネンストールとはどんなものが求められるのか理想なのか、私自身、何千メートル以上の生地を自分で加工してみて、たどり着いたのが柔らかリネンストール。それは、海外のリネンストールがすごいということでリネンじゃなく、たぶんポリエステルなストールを見せてもらったことに始まる。リネン100%のタグが付いていても、これは明らかにリネンじゃないと糸ムラすらもないこと、糸をほぐすとふわっと綺麗に繊維が分解、普通考えたらポリエステルなんじゃないですかみたいな。でも、そこでとまらずにリネン100%でそれ以上に柔らかで高級感のある実際にお金の掛かった正直な日本のものづくりでリネン100%のストールを作ろうと動いて、林与のリネンストールというのは一つの世界レベル的なくらいに海外でも評価が高かった。

展示会に出展されている海外の繊維業界の方が展示会のお土産に林与のリネンストールを自分や自分のお土産に買ってくださる。林与のブースに来られた海外のデザイナーの方も、ドキッと驚かれるのがその世界で、日本の繊維業界が繊維の世界で一番っぽいものを作っていないと、繊維業界が成熟した日本市場では成り立ちえない。一般的な商業感覚になればつくるものががらりと変わって普通を追って終わるだけの話。

近代麻布研究家の方も、スポンサーが降りたら、大麻の企画も辞めるだけとか私にいわれるけど、もっと覚悟決めて気持ちもってやらないと麻織物の世界というのは世代を超えた、人々の生活を支えるようなところから来ていて、地道な作業で生み出してきたようなものごと。実際に自分でやっているとものごとが見えてくることが多く、普通のものと良いものの差もものをみる目という要素。

国産の麻織物の200番手を超えるといわれるラミハラのハンカチ1枚をその専門家の方にもプレゼントしたけど、60番手くらいの大麻織物が最高級といわれているのが日本の麻織物の専門家のかた、でも本当に難しい話。それは本当に今の商業的な100番クラスの麻織物のほうが高級な世界。麻織物に対する覚悟の違いで、麻織物というのは世界的には、100番超えていたのが手織りの世界で200番超えすらもあったのが事実。

なぜ麻織物の歴史的な解釈をゆがめるのかすらも疑問すぎるようなところ。なんで60番手クラスの今の時代にどこでもつくれるようなものが江戸時代の最高級の麻織物なのだろうか。昔、地元の組合に展示されていた商家の帷子のほうが、濃紺で絣におられ見た瞬間に超えたクラスの物と分かるものだった。昔の良い麻という感覚は柔らかいとかじゃなくて、最後糊をうってパリっと仕上げるのが大事だったりした。今の時代の感覚で、柔らかい麻が心地よいというのはすごく現代的な解釈で、着物の世界の寸胴的な美をつくるためには硬さやハリが大事だったのである。帷子にしても100年以上の時代を超えて芯のあるようなしっかりとした繊維というのが大事な要素で、それが代々伝わるような布。今の時代だと制服なんかにも昔の人の感覚の名残があって、学生服が軍服的で首の部分にカラーという部分があったりとか。明治の軍人的な流れの名残なのだろう。

昔、麻に求められたのはハリ感やシャリ感だったりして、綿ライクなやわらかいものというのは安物という今の時代の感覚とは逆だったりした。その背景には、普段身に着けるものが藁草履とか、蓑とか、もう、藁ですらも衣類な世界。昔の人というのは肌の強さとかがまったく違った。麻のものが洗濯やくたびれて柔らかくなってきたときには、仕上げ糊を打ってしっかりとさせるのが昔の上等の感覚。

2023年06月09日
仕事で突然わいたような良い話に協力してほしいとかいうことがあって、新規にお店を出店するとか、新しい商品があと1か月で必要みたいな、そういうのに関わるとダメージが大きいことが多い。まったく準備ができていないのを生地だけでなく、オリジナル商品開発まで林与がするみたいな。関わるとコスト的に無理納期的に無理な話が独り歩きし始める。

これと似たようなのがこれからブランドを立ち上げたい人が、事業をはじめようとするとき、ブランドを立ち上げようとするとイメージだけであとは頼めばものができあがると思っておられる方が多く、開発する商品それぞれに対するものづくりの基本や知識みたいなことをデザイナーの人が持って、資金も用意しておかないとならないのだけども、こんなことをしたいという夢だけでいろんなところを回られていても頼み込んで一つのものをつくることができたとしても、それを小ロットで生産するのはマイナスでしかないし、ブランドの一番大変なところを縫製工場や素材メーカーに代わりに持ってもらおうと思っておられるあたりが、仕事感覚が全然違ったりする。

ブランドを立ち上げる方々にしても素材に対する知識というものは必要で、お客さんに商品説明をするときや洗濯方法など、縫製工場や織物工場が責任を持つ話でもないのである。商品開発の商品企画という部分に含まれる企画要素で、商品開発の際には十分な商品テストも必要で、いろんなテストをやっていないと大きな問題が起こることになりかねない。あまりにも、製品に関しての知識がないと思う時には、普通の市販生地を使われた方が無難ですよと助言することもある。

間に問屋さんのような業者が入られるともっとややこしいことになりがちで、そんなの当たり前のことやんと思うことを、クレームとして解決してほしいと連絡があったりする。たとえば、手もみの生地をクリーニング屋さんがアイロンがけでシワを伸ばしてしまったとか、洗えば少しはもとにしわが戻るだろうけども、一旦蒸気できれいにシボを伸ばしてしまうと、水洗いして干しても手もみのシボが元と同じくらいに回復することはない。そういうのを情けででも引き受けたりすると、今度は鬼の首を取ったかのように、何度ももうちょっと直してほしいとか、となる。

商品開発をする人には、自分で作ってみて使ってみて、よく自分のつくったものを理解してから販売してもらうことが大事で、それをやっていないと大きな見落としが普通にあったりすることも多い。自分自身で縫製などをされているデザイナーの方というのは、いろんな問題を理解されていることも多く、そういう問題を商品開発の時に検討の上でものごとが進む。

問題がありそうになるとドライ指定にして解決されようとするところがある。ドライ指定にしてもクリーニング業者が失敗しない様な誘導をしないと、クリーニング業者で働いている人にしてもアルバイトやパートの人が多く、クリーニングの投入前の状態を知らない人たちが仕上げするのである。問題が起きないことのほうがおかしい想定だけども、それだと保険や補償が降りたりして、お客さんとクリーニング屋さんとの間の問題として解決してくださいみたいなことになるのだろう。いわゆるデメリット表示でどこまで逃げるのかみたいな、そういうのからしても、3cm角もないラベルに、読むこともできないような小さな文字で何行にもわたる注意書き。ISO式の絵表示の変更で余計にトラブルは多くなっただろうと思われる。

そういう想定からして、タンブラー乾燥するのかしないのかで大きく絵表示を付けている意味すらも変わって来る。家に洗濯機がなくとか干す想定が無い人は、タンブラー乾燥不可の洋服を買うことが難しくなるのである。平成28年の改定で、タンブラー乾燥が加わって、そういう洗い方を普通にコインランドリーでするのは分かるけども、水洗いで釣り干し想定の製品はどうするんだろうと思う。あまりにも、ケアが異なりすぎて一つの家の家庭洗濯が二通りに分かれて難しい話。
2023年06月09日
時代は繰り返されるようなところがあって、今またバブルを感じるのは金儲け話で人間関係をつくりたい人たちが増えているということ。YOUTUBEで、お金儲けのヒントの本を無料で進呈するようなことをすごいことのように謳うのあったりするけども、お金儲けがすごく上手なひとならその2冊の本が2000円だとしてもそれはすごいとは思えない話だろう。

インフルエンサーになりたいがためのマインドコントロールっぽい、昔マルチビジネスによくあった階層つくりのための手段なんだろうと思う。階層がなければそういうお金儲けのシステムは構築が難しい、自分より下の階層に入ってくれる人たちが増えればそれで自分は安泰になるというメカニズム。それ以上それ未満でもないから、海外の何億もの遺産の権利をあなたに譲るが手続き費用に数千万掛かるというのと同じような話で、すごく、お金を儲けたい人のどうしようもない欲で儲けようとしている人がいたりする。

吸い上げて儲けているのだけども、吸い上げられる人たちというのは自分たちが吸い上げる立場になりたく、関わって吸い上げられるままというのが多い。実はやっかいなのが、自分の欲に打ち勝てなくて吸い上げられる人たち。一旦関わってしまうと本当にやっかいで、それは自分がじゃなくても親がそういうタイプの人だと、親が欲で吸い上げられてそれを子供が背負ってしまうようなことも多い。

日本社会の構造もそれと似たようなところもあって、政治なんかは特にだらしない層にお金をバラまいて、法律を作り上げて、次の世代に負担させるような構造が非常に似ている。ボタンの掛け違えのような法律だけども、その法律に疑問を感じる次の世代がいるうちはまだましだろうけども、へんな法律のせいで、他を食うのに目を光らせているような人が若い人たちに増えてきているように思える。国外から指摘がはいると是正されるようなところなのだけども、国内というのはモラルが働きにくい構造になりつつあって、前の世代が自分たちを背負わせるために次の世代を毒しているような感がある。そういう偏狭な狭い社会にはこだわらず、広い社会で育つべきだろう。
2023年06月05日
軽トラの荷台の後ろのほうの下のナンバープレートのついているあたり全体がカバーのようになっていて、それが上のほうで留められているのが外れて、ナンバープレートも見えない状態になっている。鉄の溶接がされている部分の溶接が経年劣化で外れてしまったようで、形あるものはいつか壊れるというようなもうこのスバルの軽トラも細部で寿命がせまってきているんだろうなあ。

中古で手に入れてから6年くらいになるだろうか、軽トラは荷物を倉庫や運送会社に運ぶときくらいにしか、本当にたまにしか乗らないからそれほど大事には思っていないが、この前、岡山まで荷物を持って行ったときに、かなり振動が激しかったので、その振動というのが、その溶接が外れて、後ろのカバー部分が車体に当たってる感じだったんだろう。タイヤがパンクしたときと同じような周期的な衝撃。

軽トラも2年に一回の車検から車検でもこの前までは1000kmも走っていないだろうけど、ここ最近2度岡山までを往復したので問題のありそうなところが、問題として浮き上がってきた感じ。外れそうになっていたパーツは失わないように取って残しておいたのでそれを自動車整備工場で溶接してもらえば元のように戻るだろう。

自動車が事故でもなければ壊れることなんてほとんど想定はしていないけども、経年劣化で部品が外れるというのはやはり仕方のない程度には起こりうる。沖縄の自衛隊のヘリコプターも40年以上昔の物のようだし、同じような経年劣化的な原因でプロペラが外れて落ちたのかもしれない。まだ、軽トラは次の車検も受けて残しておきたいが、もう遠出には使わないようにしようと思う。ハイエースが車検から戻ってきた、商用車としての登録で毎年の車検なのでそれがあっという間に回ってくる。

今は雪が降らなくなったので、雪が降ったときには、軽トラは4WDのスタッドレスなので雪が降ったときには軽トラが使えるならそれでいいだろう。あとはなるべく乗らないようにして我慢。

2023年06月05日
田舎で自転車に車道を走らせるのは本当に危険行為でしかないと思う。田舎の車道というのは暗くてしかも整備がされておらず、対向車同士がすれ違うので精一杯なのにそこに自転車が車道を走ってたらどうなるか、対向車とぶつかるか自転車とぶつかるか、自転車が飛び出してきた時やふらついたときに命すらも終わること。

都市部で鉄道インフラが発達し、歩行者と自動車が中心のような状況で自転車の存在が珍しい状況では、自転車は交通手段としては軽い者かもしれないが、田舎では弱者は自転車。それを都市のルールで縛って、田舎のような道路整備も整っていない場所で車道を走らせるとかは、危険行為そのもの。

中高生で死亡事故が増えているという、道路交通法が改正されて田舎でも車道を走らないといけなくなったら、死んじゃうのも当たり前。ヘルメットをかぶったらとかいう問題でもない。当たり前に人の命の安全を考えないと交通安全の意味すらもない。

あとミニカーやキックボードのようなものが認可されたりと、時速20キロのスピードが車道を走ったら問題だらけになる。追い抜かないと通常の交通すらも成り立たないし、実際には1.5mの距離を置いて追い抜くと国道では黄色いラインをはみ出してしまうことになる。成り立たないようなものごとを考えもせずに認可するような交通安全意識では、交通安全を謳う為政者の交通安全意識が足りな過ぎると言える。それで人の命が奪われて、ルール守れで、ルール守って死んでいくようでは、考え直した方が良いのではないか。

免許の更新で滋賀県の国道で歩道もあるのに、おじいさんが歩道を走らずに車道を走って死亡した案件があって、誰も歩いていない歩道走るのが実は一番命の安全という普通のことができなくなるようなルールつくってしまって、ドライバーに気を付けましょうとかでは、死亡事故を減らすことに、つながらないのではないか?

警察官の方と話しても、滋賀県だと自転車が歩道走っていてもそれは安全でしかたないと同意されているし、ルールが人の命の危険につながるようなルールだと見直しが必要だろう。また、ミニカーや電動スケートボードなども、商業的な意図で矛盾のあるような危険な認可。交通安全行政は交通安全に向かっているのか?命の危険をさらすようなルールではいけないし、そういうルールを啓蒙していくというのもよいことではない、自転車が車道を走ることになり交通死亡事故が増え、ヘルメットの義務化とか、田舎だと自転車に車道を走らせることのほうが命の危険におよぶことなのである。
2023年06月05日
縦繋ぎしているのだけどもタイイングマシンが以前から不調気味になってしまっていた、内部に硬い糸がワタ状になった塊が2つ入っていて、それらを取り出した。このタイイングマシーンは4年ほど前に廃業された機屋さんから購入したもので、買ったときにはすごく調子がよく動いていたけども、そのあと調子が悪くなってようやく元の調子に戻った。

林与には4台のタイイングマシンがあるけども、ほかの3台はメンテが良くなく、あまり使っていなかったりする。綿なら繋ぐことができるのだろうけども、麻を繋ごうとするとテンションなどが非常に重要で、カチカチカチと綺麗に繋いでいける状態でないと、何か所もつなぎ間違いが起こりやすい。4年前にいてくれた子は器用だったなあと思う。最初から教えなくても筬も通せて手で繋ぐのも速かったし、タイイングマシンも使いこなせて。

何十年やっている人でもタイイングマシンが使えない人がほとんどで、一度教えてもらったらあとは自分でやるのが当り前のような人だとどんどんと仕事の幅も広がっていくけども、できないわからないやらないでいるとどうしても簡単な最初の1日目的なことの範囲で一生の仕事となるケースも、織物の現場ではありがち。

ある集まりで、他の会社で現場で働いている人が仕事がヒマでヒマで5時になるまで時計見て5時になったら帰るといっていた、4人おられるが分業で成り立っているらしく、私は自分で仕事を生み出すタイプなので、時間があるならいろいろやってみたほうがよいよというのだけども、やるつもりはないと言っておられた。昔ながらの繊維業界というのは仕事が普通にあったので多くの人を抱えて分業で成り立っていたけども、仕事が無くヒマにしていては仕事としてまったく成り立ってはいない。昔からの分業的な繊維の現場というのは感覚的にそういうケースに陥りがちで仕事が無いから仕事していないと、仕事があっても仕事ができないということもあるだろう。

たとえば、コロナでアパレル不況に陥ったときに、布マスク需要があって繊維関係ならそういうのに興味をもってやってみるべきだろうし、ものづくりの経験値も上がったりする。その方でも私と同年代ですごく楽しい方で営業とかは上手なのだけどもそういう方でもそういうことを言っておられたので、企業の流れを変えるというのはなかなか難しいものだなあと思う。基本、林与は行動して答えを出せないと仕事じゃないと思ってるので、たぶん仕事ってそうではないと考える人のほうが多いと思う特に仕事の少なくなった繊維業界では。

織物会社の中に仕事なんてほんとたくさんありすぎて、でも、普通の機場の人というのはその中の一つの作業が仕事で、ほかの作業ができない、しないのが当り前。若い次の世代が次々といろんなことを覚えてやっていくのに、経験の長い人ほどできる仕事が少ないというのもおかしな話で、そういうところから変えていかないといけないんじゃないかなあと思う。学校のほうが5教科以上にあって毎日新しいこと、言われてやらないといけないことも多く、今の子供たちの方が大人以上に何倍も大変だろうと思う。
2023年06月03日
9月8日9日にマイドーム大阪で開催されます大阪てづくりフェアに林与が出店いたします。繊維業界のプロモートに関わりたい学生のボランティアを1名募集いたします。出展内容は、林与のリネン生地やキッチンクロスなど販売および、無料手織り体験コーナー2台になります。繊維業界のこと、素材のことを勉強したい方や手織りなどに興味のあられる方で自分で会場まで両日来ることの出来る方ご応募ください。応募締め切りは8月20日まで、お問い合わせから応募ください。
2023年06月02日
将棋の世界で史上最年少名人が登場した。将棋の世界も経験が長いから勝てるという世界でもなく、若いものほど思考能力も高く判断も適格という事例の一つ。昔からのタイトルは、若いものが取るためには、下から順番に上がってゆかないと若いものにほどハンディキャップがあるのだけども、経験者たちをしのいで、藤井聡太竜王が名人も獲得した。

将棋の世界の清いところは本当の実力主義的なあたりで、年を取ってるからとかで若い者に対して偉そうにしたりしないところで、出来るものは出来るものとして評価をするようなところがある。逆にいうと勝負の世界の厳しさがある。将棋というのは運というものがないといわれる、あるとしたら自分自身が考えきれずに一か八かでどちらかを選ぶような運だけ。将棋の場合はとことん先を読んで最善手とおもわれるものを指す。

遊びのように思われる将棋だけども、プロ棋士になるのは、東大に入るのよりも何倍も難しいとされる。東大生以上の記憶力と思考能力がないと難しい世界で、一局の差し手を当たり前に覚えていて再現もできるしみたいなのは、私なんかは絶対に無理で、地頭とそういうのも小さなころからのトレーニング何だろうなあと思う。

将棋の世界も昔、年配者がはびこっていたときには泥臭いところのあった業界だけども、今は健全化をされて、特に藤井聡太プロが活躍しだしてからというもの、若いものを駄目だというような人がいなくなった。けど、実際に若い人が本当に強いという事実があって将棋のような日本の伝統文化的な分野でも実力があれば、年齢や経験の長さというものが決めることでもないというところがある。漫画以上にすごいことが将棋界で起こってしまって、若い者にチャンスのある将棋界というのは人気を増している。

私も若いころから田舎を離れたことですごい人というのはすごすぎるというのを外の世界で体験して、凡人は凡人なりに努力するしかないなあということを悟った。そういうのを早くに悟ったから、軽い物事に流されることはないし、まあ、失敗したとしてもそれなりにやってはみた結果としての失敗だから仕方ないと割り切れることが多い。将棋界も昭和の時代とはまったく違う業界になって、古い物事ながらも人々の人気や注目を集めている。多分昭和のままの体質だったら将棋も廃れてしまっていただろう。
2023年06月01日
6月14日から19日、阪急うめだ本店9Fでテキスタイルマルシェに参加するので、今そのキッチンクロスの縫製作業などを普段の仕事と並行して行っている。販売させて頂くキッチンクロスは、製造工程でキズで途中で織るのを止めた1枚などを残しておいて、そういうのを活用してキッチンクロスを作ったりする。林与としてはすごく意味のある工程で、キズの反物なども普段から捨てたりはしないで50cmとか30cmでも残しておいて、使えるような活用方法を考えたりする。

昔、ある人気の生地屋さんにいくと、若い女性の店員さんがたくさんおられて、私がキッチンクロスをつくって販売しているのを知っておられて、どこかキッチンクロスを縫製できるところありませんかみたいな質問を受けたことがある。でもそういう時に、とくに将来の可能性も考えると、質問されている方自身が空いた時間や家で1日10枚でも20枚でもとか、縫製してつくるのが一つの方法ではないのかなあと思ったりする。

自分が手掛けたものというのは単に販売するよりも思い入れがあったりもするし、より理解が深まったりする。縫製工場の経営者の方で縫製をされないかたや企画の方で、ミシンを使われたことない方にも、お客さんと話をして商品企画をするならまた商品の可能性を考えるなら、自分でミシンを踏んでいろいろやってみたほうがよいと私はいうタイプ。

キズのキッチンクロスなども、無限にあるわけでもなく限られた材料の中でどう良いものをつくるのかというあたり考えながら、そのものづくりというのは、普通のノンリミットな商品企画とは違う感覚だけども、林与の織物の世界というのは自分の与えられた環境の中で、どうやったらいろいろなものが作れるのかとか常にやっているので、近い世界だったりする。

普通にものをつくる以上に手間が掛かっていたりはするけどもそういうのって意味のある仕事で、そういうキズの生地でも価値のあるものだと私自身は考えたりしているので、生かせるかどうかは自分の力次第だと思っている。私が好きじゃないのは捨てる生地をタダでくださいみたいな話、そういう人というのはもうそういう感覚で味をしめられていることが多く相手にするのも疲れることが多いので断っている。値踏みばかりしている業者さんをさらに進化させたようなカテゴリーという位置づけでしかない。無料で欲しがっている人とは接点はもちたくなく、50cmの布でも価値を分かって普通に買える方と接点を持ちたい。

日本の繊維の上場企業の大手でも弱者の権利を無視して無料で使わせろみたいな悲痛すぎる裁判ざたもあったりと、日本の繊維業界の金儲けというのはとことん落ち過ぎたところもある。自分のロゴを無料で使わせろみたいなのと同じ話なのだけど、大企業にそういうのが多いのが、日本の繊維業界って階級社会のあった江戸時代なのかと思える。猿蟹合戦の猿みたいな企業だと、そんなことして儲けている企業はなくてもよいんじゃないか、そういうことして金儲けて優良企業でSDGsパターンが多いのが、今のSDGsも末期症状だったりもする。

私はトランプは好きじゃないけども、案外、トランプというのは無茶苦茶に思えても正直なタイプで偽善家ではなかった。偽善家よりもトランプのほうがマシだろうなあと思うのも、偽善家がやっていると一番の謳いからして消費者騙しに終わることが多い。今の買い替えを促すような、商業エコは昔のほうがエコだったんじゃないかと思う。人も正直だったと思う。あきらかに昔よりも今のほうが使い捨てや大量消費社会。形を変えた大量消費社会にエコラベルを張り付けただけのようなもの。当たり前のことだけども都市化し道路を増やせば地球温暖化は加速する。エアコンなどを使えば排熱で地球温暖化は加速する。
2023年05月27日
8月5日、6日に米原で滋賀県主催のイベントがあり、林与がロビー展示に出展しますので、学生のボランティアを若干名募集いたします。時間は米原集合ですと両日12時から5時くらいまでです。麻織物に興味のあられる方で、繊維業界のプロモーション側に回りたい方おられましたら、林与のホームページのお問い合わせから問い合わせください。(募集締め切り7月20日、結果連絡7月27日、要履歴書) キッチンクロスの配布などのお手伝いを頂きます。あと手織りの無料体験も行いますので、来場者の一般の方や来場くださったお子様方に簡単にできる手織り方法を教える手織りなどを担当したい方がおられましたらご応募ください。(手織りの経験は不問)ご自身で両日、会場の滋賀県文化産業会館までお越しいただけることが必須条件になります。昨年は林与の展示、盛況でした。 業務的にはそれほど難しくないですが、来場者の方とコミュニケーションをとるという積極性が大事なシチュエーションですので、積極的に来場者の方に声を掛けられるような方だと適していると思います、一部販売もいたしますが基本販売目的ではありませんので、地域のイベントを盛り上げる主旨に賛同いただける方だとありがたいです。
2023年05月24日
和紙で作られた糸というのがある。林与もというより、私は昔からそういうのにも興味があったので、細い糸を作る技術が出来た当初にテスト的に試してみたことがあって、糸が手に入ってから織ることは数日で出来た。

でも、その糸を販売している人にしても大事なことは教えてくれないもので、その織りあがった織物を私がテストすると致命的な欠点が見えてしまって、加工にも出さずに断念した経緯がある。帯など特殊な用途には向くだろうけども、一般的な衣料には向かないというあたりがある。

糸を代理店的に販売している人たちもそういう点に関してはまったく知らないで販売をされていることも多く、プロの世界というのは用途は様々なので、話題性だけに飛びついて商品化したりすると一般の消費者が購入して使われたときには大きな問題となることも多い。

林与のストール生地などで洋服を作られたいというデザイナーさんも今まで何十人もお会いしたけども、実際に洋服にしてみると分かることも多い。ストール生地はストール用に作っているというのが林与の考え方で、洋服に使うと失敗することも多い。

また、本麻手もみの100番手などもパンツなどに使うには番手的に強度が足りないと考えていたりするので、60番手くらいの生地が良いだろうと考えている。そういうアドバイスはデザイナーさんがつくるものを想定されて話をされると、ボトムでもスカートならOKでも、しゃがんだ時にお尻に負荷の掛かりやすいパンツは辞めておいた方がよいという話なども多い。

止めてもやってみるとやられる分には、私自身反対もしないし自己責任でやられるというならそれはご自身がテストなども含めて活用方法を考えるという上では良いことだろうと思う。

私も、分解されて自然に返る糸というのを手に入れた。それを織物にしたいなあと思いつつも、100%では織ることが難しいといっておられ、ポリエステルとかと撚糸すればつかえるとの話だけどもそれだと洋服を土に埋めた時にポリエステルが残ってしまうので、100%で織りたいのである。だから、手に入れてそれを100%で織ってみたいと思っている。

麻を織る技術が他の新素材を織る技術に生きることも多かったりする。今のものづくりの現場に足りないのはものづくりへの探求心みたいなところで、大企業にありがちな事務的でビジネスライクな感覚では距離は広がってゆくばかりで、現場志向で物事を考えてゆくとものづくりが広がることが多かったりする。ものづくりへの理解というのは大事で、仕事やってマイナスというのが当たり前というのを理解しないと新しい物事というのは成り立ちえない。それでいて新しい物事を次々にやろうとすると、問題はだれが解決するのかという根本的なモノづくりの問題につながってしまう。

企画というのはトータルな循環が成り立ちえないと難しく、ミクロ的な考えに陥ると一つのボトルネックがすべてを成り立たせなくする要素になる。ボトルネックとなる要素を解決する力が企画にないと駄目だろうとは思うし、誰がやっても無理なものは無理だろう。出来る人がやってできるが限界というのを知らないと、机上の理想を言ってても現実が分かっていないと現実のリスクを吸収できないとものごとは成り立ってゆかない。

今もキッチンクロスの新案件で、企画される方との話し合い。素材の性質から取り扱いや企画の話までデザインだけでなく、製造工程にともなうリスクの説明とか、オリジナルをつくるという意味のリスクの高さなどの理解がないと、普通を超えたオリジナルのものというのは提案も難しかったりするところ。仕事としてやっていても、ビジネスライクになると成り立ちえないことのほうが多かったりもする。

私自身はビジネスライクな方とはご縁を断ることも多かったりで、普通とは違うとよく言われ、ものづくりの本質を守りたいなあと思う気持ちは多かったりする。ものづくりしているといいながら、なぜ、ビジネスライクなことばかりが優先されるのかというようなミスマッチ。

日本のものづくりを守るためには自分が限界まで働いてみる必要があって、自分の限界がものづくりの本当の限界で、それ以上のものを余力をある人たちが仕事で求めても無理だというのも普通の話。理想を求める人ほど、自分の理想を他の人に強いて求めてしまうというのが、仕事やものづくりの世界でもありがちで、普通だとそういう話はご法度だけども、私自身はそういうのをものづくりしている方々やモノづくりを謳う方々と共有したいと考えていたりする。それがモノづくりの価値観を生む本質的なところ。

繊維関係でも大企業ほど意識もせずに優良を謳いながら一番の搾取的になりがちなのが、日本の繊維業界にありがちでそれが世界的な問題にもなっているのが日本の繊維業界の問題あたり。エコノミックアニマル的な感覚でモノづくりのこだわりを謳ってしまうと素人未満や途上国の現場の覚悟未満で意識もなく搾取が当り前のビジネス感覚でエシカルを謳ってしまう日本の儲け優先のいわゆるホワイトな優良企業に陥る話。

林与自身は自己犠牲の極限でモノづくりの究極を目指しているケースの一つだとは思う。日本の麻業界の一角を覚悟もしているから一人でもそれなりに支える覚悟もあるし、日本の麻業界の誰とでも普通に話もする話だし、ものづくりの感覚がサラリーマンライクに薄くなっては、日本の麻業界の根本すらもが難しい話だったり。

近代麻布研究家の方にも、日本の麻業界を背負う覚悟決めましょうよというのが私で、スポンサーがいないとやめるよと言われるので、日本の麻業界に自分の人生を捨てる覚悟もないならやめておいた方がよいよと普通に助言するのが私だったりもする。それが日本を騒がせるような麻の企画だったりもする裏側でそれじゃダメなんじゃないのかと、覚悟を決めないと難しいんじゃないのというのが林与。毒がありすぎて、誰もが仕事すらも逃げる話、それが林与の日本の麻織物の一角を実際にこなすことで背負っている林与の家の歴史だったりもする。ものづくりというのは自分自身の覚悟がすべて。
2023年05月18日
林与のリネンでウェディングドレスを作ってくださる案件は過去にも何度もいただき、人生の特別なイベントに林与の生地をご指名いただくことはありがたいことである。友人の娘さんが結婚式を挙げられるのでその引き出物にアイリッシュリネンハンカチをお使いいただくことになり、中には林与の可愛い感じの小さなパンタグラフタイプの会社案内をいれさせていただいた。

特別な思い入れのあるアイリッシュリネンハンカチなので、特別なシチュエーションにはよいんではないだろうかと、2000年以降に、アイリッシュリネンを探していて、それがどこにもないということも分かって探していて、それでも会社の倉庫から出てきた。

出てきた糸が、最初はリネンとは思えなかったのはその細さ、糸質も柔らかく光沢感がありベージュがかっている綿か綿麻の糸ではないだろうかという想像、でも、箱は未開封で北アイルランドから輸入された旨が掛かれていて、ラベルにはうっすらと140LEA。先代が生きていた時に昔140番手の糸を買った話を事務所でしていたけども、使っていなかった、そのままのこっていた。

しかし、140番手の糸というのは普通は織ることができない。たまたま、シャトル織機を林与に入れ戻したので、シャトル織機で140番手に挑戦してみた。まあ、普通に織るだけでなく、先染めでも挑戦してみた。現行の150番手の織物も織ったりもしてみた。それが39歳くらいのとき。あれから15年。15年仕事で動き回っているので、まだちょっと前のことのような感覚。深く広く出来る限り。

この糸は、北アイルランドにあったハードマンズサイオンミルの象徴的な糸の一つで最細番手だったようで、白く見えるけどもビンテージっぽい色合いの生成糸、時代を超えたような深みを感じることが出来る。林与の歴史も背負っていて、当時の世界最高の糸を手に入れようと糸商さんに頼んで手に入れたアイリッシュリネン糸のひとつ。
2023年05月13日
今は現場が忙しいので動けないのだけども、今、林与がやりたいことがあって、在庫のいろんな生地をハンカチにしたいなあと、5mmくらいの三巻だとできないこともないのだけども、せっかくなので、2.4mmとか3mmくらいの三巻にしたいなあと思いつつ、ハンカチを縫製するのはすごく難しいので練習しないといけない話。

種を撒くときにはサンプルが必要でそういうのを業者さんに頼んでも負担が掛かりすぎるだけでまた本生産も少量だとまた負担が掛かる。量産は業者さんに任せるとしても、サンプルや小ロット生産は社内でできるほうがよいといつも思っている。糸を選んだりとか試行錯誤もいろいろできるから。そういう試行錯誤を業者さんに頼むのはなかなか難しいのが現実で、サンプルを一つ作りあげて同じ感じで作ってもらえますかというのが一番自分のイメージが伝わりやすい。

ミシンはまだ織機にくらべるとかわいく見えて調整個所も少ないし、でも、やっぱりコツと慣れが必要だろうなあと思う。あともう一つ考えているのがバッグを作ろうかと、エコバックはいろいろと作ったことがあるけども、もっと革のバッグのようなしっかりしたものをリネンで作りたいなあと。それもまた今のいろいろなことが済んでから。試行錯誤して自分で作ってみるのは一番自分の理想に近いものを作れるし、こだわれる。前につくったエコバックも林与のタグをつけたら案外かわいかった。
2023年05月11日
林与ではシャトル織機で麻を織るなどしていてそれ自体が普通と比べるとかなり高度な次元に思え、ふつうの人が現場の作業になじむことすらが難しく、それを毎回毎回乗り越えて織物が織られてゆく。

コロナで織物工場も半減したのではないだろうかと思う。アパレルがコロナ以前に消費税値上げで不況感があり、その後コロナで壊滅状態に陥り、問屋さんの倒産や廃業などもあおりをうけた機屋の資金回収悪化の問題につながった。しかも縦の系列的な要素の強い地場産業系は、問屋さんなどが廃業してしまうと長年の売り先からしてなくなってしまい、将来の受注の見込みすらも立たなくなる。

今年は繊維業界を原料高が襲っていて2年前と比べると2倍に高騰、この何十年かではリネンの25番手などの太番手の糸ではこの過去最高価格を記録中、10年前と比べると3倍くらいだろうか。糸商さんにしても、リネン糸ヘンプ糸は高すぎてリスクが高く、今は仕入れることが難しいというような状況になりつつある。資材系などは、作りたくても価格が見合わないから作れない大きなダメージを受けておられるだろう。
«前のページ 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | ... 178 次のページ»