for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3593
«前のページ 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | ... 180 次のページ»
2023年09月24日
10月からインボイス制度が始まるのと、1月から電子帳簿。

インボイス制度というのはやはり、大きな負担になるだろうと思う。一つ一つの消耗品にしても、相手先の番号などを意識しないといけないので、事務負担的なものが無茶苦茶複雑になってしまうと思う。なぜこんなのだけすぐに決まって数年で実施されてしまうのだろうか、林与は株式会社なので、消費税は納めているけども、仕入れ先が年商1000万円以下の個人事業者の場合にはインボイス番号がないから、仕入れ消費税を控除できないことで、今は減免措置もあるけども将来的には仕入れに対する消費税分を余分に納める形になってしまう。仕入れ先との話し合いをしないといけない問題と、うやむやな答えしか用意されていない問題がある。制度自体こんなうやむやな形でよいんだろうかと思うスタート。

インボイス制度で、申告を断念した人たちが仕事をやめたりもあるだろうし、相手から仕事を切られてしまうケースもあるだろうし、処理が面倒すぎるので商品の購入自体をやめることもあるだろう。10月以降、経済や消費が落ち込むんじゃないだろうか。多く増えた宅配業者や食べ物のデリバリー業者なども、消費税の計算などの申告が個人レベルでは難しく辞められる所は増えてくるだろう。大手の企業が消費税を肩代わりすることもなく、関係を切ってしまうだけのことだろう。大手宅配業者でも3万人とのメール便などの委託契約が終わるなどインボイス制度に絡む、サービス提供の終焉は多く起こるだろう。個人では絶対に難しい日本の税務申告、日本の内職さんレベルが支えてきた大手のサービスの末端の世界を崩壊させてしまうだろう。

電子帳簿というのも、データをUSBに保存とからしいけど、SSDに保存しても、USBに保存しても飛んでしまうことは多い。電子保存したところで、それに何の意味があるのかというと、電子保存も可くらいにしておいた方がよいのではないかと思う。全部電子保存にしてしまうリスクというのは無茶苦茶危険で、消えた年金記録みたいなことを国でもやらかす。USBが認識不能になるって普通にあり得ることだし。SSDにしてもハードディスクよりはクラッシュしにくいけども寿命はあるから。今はレッツノートでシステムが起動できなくなることはほとんどないけども、DELL使ってた時にはシステムが立ち上がらなくなり再インストールとか頻繁に必要だった。デスクトップパソコンが安心かというと実は、デスクトップパソコンは電源の寿命が案外短くて、電源がいってしまったときに、同時にデータも行ってしまうというようなこともありがちで。ノートパソコンはノートパソコンで衝撃が加わりやすいし、レッツノートでも不安。

紙媒体を使わないのでそれがエコにはつながる可能性はあるけども、一個一個ファイルを開いて中身を確認しないといけない手間というのは相当な苦労。紙媒体だとパラパラとめくって探しやすいのが利点。あと紙媒体は感熱紙でもなければ半永久的にデータは残る。
2023年09月24日
お客様のオリジナルの1枚のパネル柄のキッチンクロスがサンプル縫製まで完成した。途中、他の仕事と並行しながら長い道のりだった、まずは2色の色ビーカーから始まってそれが1か月ほど掛かって、糸は特別の良い糸を使ったが、その糸のサイズがばらばらで、一つ1kgに巻くのに何日も掛かってしまい、糸の染も染工場さんの予定を狂わせてしまい、8月終わりころに染まりあがって来て、糸をまくおじいさんも目の手術で糸は自分で巻いて、整経して織ったが、タイイングマシーンが不調で、油洗したりして、ハンドルの回転が軽くなって快調かとおもいきや、最後のほう300本くらいが結べてなかったりで、手で糸を拾って結ぶ作業を2日とか、織りあがって加工も投入予定が遅れてしまって、加工工場さんにも急いでもらうために迷惑かけて、昨日上がってきた反物、それを昨日縫製して、今日、先方に届いて、ごらんいただいて満足してもらえたので、若干の変更などはあるかもしれないけども、ひとまず安心。

一番心配していたのは、きっちりと大きさがデザインされたものなので、それの大きさと異ならずにつくれるか、うっかりの計算ミスとか、加工での縮率計算などがどこまで再現性があるのかなど、多分大丈夫だろうと思っていても最後の最後の確認で、違うところがあったりしたら大失敗ということになる。この仕事は、糸の染色と加工以外の、織物をつくる工程は、ほとんど私一人で作業しているので、途中で何度も何度も確認をする。ひと縦125m分の整経を2本織ったのだけども、115mくらいは織れるんじゃないかと思ったが、110mくらいしか織れなくて、大きな白のタイプが若干少なめになったくらいだろうか、失敗といえば失敗は。

一人で作業をしていたのでまだ途中での問題なども比較的に乗り越えやすかった。織ってくれる人がいたとしても、織ってくれるだけの部分なので、織物としての規格設計は私でパンチカードなども私がつくる、そして織る人が別だと織る人というのは与えられたまま用意されたままを織るだけなので、なにが正しいのかとか分からないままに作業が普通。そういうのって、ほんとうによくないのこと。普通の織物に見えても、縦にキッチンクロスをふたつ取りするようにデザインされた織物なので、内容的には非常に高度な織物の部類に入る。そういうのを一回勝負ですべての作業を自分でやって完成させることができる人というのは、手織りだとまだ織られても、工業的な生産で私以外では本当に珍しいだろうと思う。

ここまでできると大変は大変なのだけども、そういうのが全部できると織物の作業のことがすべてくらいに見えて、自分が間違いなく作業ができれば正しい織物が織りあがって来るという、すべての結果は自分次第という責任感というか覚悟も備わると思う。デザイナーさんの規格書をみて、それを織物に居りあげるまでの一連の作業を1度でも全部自分でやってみるというのはすごく大変だろうけどすごく良い経験だと思うのである。林与が麻織物の1から10まで知っているだけでなく、その作業全般ができ、その作業全般の機械の調整や修理などもできるというのは、今は業界でも本当に珍しいことだろうと思うが、昔は、一人親方的な織物工場だとそういう人はおられたりもしたと思う。

サンプルの縫製は生地のあがりが遅れたということで林与がサンプル分の縫製することに、色の合いそうなミシン糸を手配してタグも届いて、仕様書に従って縫い付けてみたものをデザイン事務所にお送りして、ファーストサンプルの確認が取れた。作業中に気が付いたこととして仕上がった反物の風合いがすごくソフトで良い感じ。今作った生地だけども、昔の生地にあるようなよい生地の風合いと光沢感をしている。
2023年09月23日
林与はコロナ禍においては、アパレル向けの生地生産をかなり減らした。コロナが明けてアパレル向けの生地生産ろうとしても、アパレル向けの生地生産に戻ることが難しい事情が、いろいろとあって、アパレル向けの生地生産は非常に限定的に留まっている。一つの要因として、林与の中での生産キャパ不足、リネン価格がかつてないほどの高騰で糸の入手すらもが不安定気味であることが一つ、また、染色工場さんが非常に仕事が詰まっておられ多色の急ぎの染色することが難しいこと、加工方法によっては加工の納期が見通しにくいこともあり、5年以上前まで海外対応もしていたようなアパレル向けの短納期対応が難しい状況で、展示会受注形式のアパレル生産への対応は、基本的に受けると協力工場さんにも負担が掛かるので半年以上の余裕がある場合や使用する色数が少なかったり納期の読める加工の場合を除いてはお受けできないような状況が続いている。

繊維関係の製造業の現場を抱えておられる工場さんというのは、かつてないような負担が強いられてしまっていて、例えばインボイス制度の導入なども、林与は、適格事業者の登録はすませているものの、個人レベルの方というのは免税業者扱いで消費税を取っておられても、工賃を支払う林与がその分の消費税に関しても負担しないといけない可能性がでてくるとか、国が自分で消費税の徴収をすることなく企業に消費税の徴収をさせていたような今までの状況だけでなく、インボイス制度の導入においてもさらに不透明な要因をつくっていい加減な形でのインボイス制度の導入。零細な事業者に事業者登録は強いませんよといいながら、登録しなければ登録していない事業者に支払った分の消費税は仕入れ控除できずにその分は仕入れた側の業者が消費税をもう一度払う形になる。それを避けるためには仕入れ先が登録していない場合には消費税を取るなとは言えないので、消費税分を値引きしてもらうようなへんな形しか解決方法がなかったりとか、あきらかに問題がややこしくなるような導入の方法。1回が、一つ1000円の作業工賃であってもその処理が付きまとうのでそれは事務処理的にも本当にややこしい話。国は企業に生産効率を上げろとかいろんなことをいうのだけども、このようにいい加減すぎる導入をやって、いままで以上に企業が対応を迫られるみたいなおかしな形。もっとシンプルな形の消費税でないと消費税処理一つが、自分じゃなく取引先が適格事業者がどうかで消費税の処理が変わってきてしまうとか、本当に複雑になりすぎ。

さらに消費税の一番の問題は、消費税というのは輸出消費税還付というのがあって、輸出大企業の場合には、みんなが払った消費税を輸出した企業が売り上げの輸出割合に応じて還付してもらえるような制度があって、そちらのほうが消費税が上がれば上がるほど、輸出企業が消費税を納めることなく、仕入れ消費税までも雑収入?として企業収益としてしまうような構造で、最終的に利益があがれば法人税は払うのだけども、そういうからくりで一般の人や企業が消費税負担が当り前なのに輸出大企業は消費税が上がれば仕入れ消費税分を自分のものにすることができる。経団連が消費税を一生懸命に上げようとしてるのもそういう意図で、自分たちの腹が痛くないどころか消費税還付で儲かるからで、そういうのって日本の財界人のどうしようもないところで、国民に負担しろで自分たちは消費税を国のように取ってしまう。せめて、黙っているか、一般の国民の方の負担分が増えたり、仕入れ企業の払った消費税分まで自分たちが還付を受けてもらえるから、消費税を上げたいんだと正直に言ってもらいたい。昔から日本は、経済1流、政治5流といわれることが多かったが、今は、経済人も国民のことや全体のことを考えることも無くなった気がする。
2023年09月21日
林与が麻生地をみるときに自分自身の価値観を持っている。良いなあと思える布は、作った人の感性の凄さが怖さみたいなもので伝わってきたりする。それが素敵にかわいく見える布だったとしても、単にかわいいだけじゃなく自分が届かない世界の人が作ったのではないかと思えるような、作られた方の仕事へのとことんな姿勢のみたいなものが感じられる。

自分自身の作った布だと林与の小さなダブルラインのミニハンカチみたいなものも、仕上がり36CM角ぐらいの他愛のない他にもありそうなハンカチだったりもするけども、あのハンカチというのはどこにもっていっても好評で、私も自分が作ったものながらもお気に入り。シャトル織機の特性を生かした着尺幅のリネン織物の上下を三巻で仕上げるビンテージテイストのハンカチ。それがほぼ正方形に収まるようにライン2本づつを上下と左右に配置する。

一般的には、ナチュラル仕上げで仕上げたものが素朴ながらもなんか懐かしいような昔の生地の世界を彷彿させる。お店ではあまり見かけないタイプのリネンハンカチ。1Mで3枚も作れてしまうから織物としてはそんなにも難しいものでもないけども、そんな織物が素敵なハンカチに仕上がるところが素敵で林与自身が良いなあと思うところ。このシリーズもたまにしかつくらないけども、今までに何千枚も作って多くの方に使ってもらったシリーズの一つ。ダブルラインの他にも、ヘアライン、ウィンドウペン、キッチンチェックを、赤、青、グリンの3色で展開。

作り始めた当時はそれ専用にリネン40番手の糸を何百キロか確保しておいた。良い年の作柄の糸で白度が高く、洗い上げた時に真っ白なハンカチに仕上がりやすい。シリーズなので、追加で作るときに、色柄ごとにベースの糸の白度のブレが以前のものとないように、ある程度の糸を確保していたというのが理由。ダブルラインのキッチンクロスなんかもそういうのを考慮してベースの生成りの色などがぶれないようなモノづくりでスタートする。

生地なんていつでもつくれると思われるカモしれないけども、良い糸が手に入って問題なく織れるときになるべくたくさん作っておくのが林与的にはベストのものづくり。同じものをつくろうとしても糸から手に入らないこともあるし、糸が手に入っても同じような仕上がりにならないこともある、掛ける織機が異なれば微妙に完成度というものが劣ることも多く、調子のよい時に織ったものというのは無理なく織れているので美しい。

ミニハンカチは、レピアで広幅で横に3枚取り出来たりもするんだけども、まあ、そういう効率を求めないのもこだわりのものづくりで、昔ながらのシャトル織機でがっちゃんがっちゃんとものづくり、林与の自社製品としてはそういう作り方もありだろうと思う。お客様の仕事とは別途に、織機が空いて、手に余裕が出来た時に、こういうものなら多くの方が欲しいと思ってくださるから作って積んでおこうみたいな、たくさん作ると売れてなくなるのに7年8年掛かることもある。新しい人が織る練習をするのにも、お客さんの仕事だと失敗やロスが許されないので、こういう自社製品向けの生地を織っている織機で最初の練習してもらうことが多い。
2023年09月18日
弟が明日東京に戻るというので、今日のうちにと弟に正月前に購入したテーブルソーの組み立てを手伝ってもらう。買ったときにはすぐに使えるものと思っていたけども、かなり組み立てが必要で、体力も使うので、私が織機などを動かしながらも、弟は外で組み立て作業をやっててくれる。夕方近くになると蚊に襲われはじめ、まだまだ蚊は一杯いるんだなあと実感した。

工場の中に持ち込んで最終動作の確認で、小さな木を厚さ1cm幅5cm長さ60cm位の角棒を斜め30度くらいに尖った裁断してみると、相当の回転の力があるのか、木の断面はかなり綺麗に切れて、丸のこで今まで苦戦していたのとは大違いな感じ。晴れて、手織り機の木工の部分も安定して出来そうに思える。工場の中で作業すると木くずが収拾つかなくなるので、明日朝外で作業をしてみよう。プロが使う何百キロもあるテーブルソーとは精度なども違うけども基本的なことはいろいろと出来そうだから、木工の試作に関してはこれからははかどりそうな話になる。組み立てるタイミングをみつけることができず買ってから9か月10か月ぶりに弟の助けもかりてやっと組み立てることができた。
2023年09月16日
昨日、久しぶりに立派な入道雲が鈴鹿山脈から湧き上がっているのが見えた。ほんと9月なのに。9月といえば子供のころはそれには至るところに赤とんぼ、今は、一匹も飛んでいない。水中の虫なども全部死んじゃったんだろうなあと思える。昆虫系に良く効く農薬が多用されていてアウトなんだろうなあ。

蒸し暑くても、雨が降らないから、蒸し暑いまま。9月の半ばの夜なのに30度近いとか、今年も暖冬予想で、もしかすると今までで一番の暖冬ということになる可能性も高い。工場でもまだ夜でも暑いくらいで、細い切れやすい麻を織るためには雪に閉ざされたような環境がベストなのに、暖冬化は、湖東産地でも麻を織ることが難しくなってきた理由の一つだろう。

もう一つの問題は原料の問題で、リネンの原料のフラックスはヨーロッパの涼しい気候が必要と言われているのだけども、温暖化で原料の発育環境すらもが昔とは異なって来ていて、ナチュラル感はあっても、昔の糸に感じられるような均一性的な良質感を求めることは難しくなってきた。ラミーの世界がまだ、糸の均一性が保たれているが、昔はリネンもラミーに近いような糸の均一性があった。

地元の染工場さんが忙しくされていてコロナが明けて景気回復で忙しくされている部分もあるだろうが、他の産地の染工場が廃業されたそうで、その仕事が回って来て忙しいのだと言われてて、業界全体としてはコロナが明けて逆に廃業という流れもあるよう。また、別の工場さんがいっておられたことに、昔のようには、同じ量の仕事があっても昔のようには回せないというようなことをいってられた。一人で二人分三人分も仕事を回せるような人が少なくなったということだろう。

飲食関係だと、盛り付けなんかでもすべてがまったく同じ必要もなく、目玉焼きにしても、目玉の位置が完全に真ん中である必要もないし、コーヒーの量が多少多くても少なくても問題ないが、繊維業界というのはそれ以上に厳しい基準で指摘が入ったりする。高い品質というのは外に求めるのではなく自分の中で生み出していくような努力も必要だろうなあと思うし、そういう努力があると他では使えないような特別な素材が活用出来たりもする。

今、SDGsの流れでアパレルロスがいわれるけども、アパレルというのは、1反50mに5か所以上のキズでB反として使えないとかいうのが普通でやってきた。そういう業界が使える部分をうまく使ってのものづくりに変われるのかどうかが、SDGs的にみても使えるものをうまく使う力がないという問題。今、SDGsがブームになって、残反を使うとかが良いことのような風潮になり始めるとアパレルも動き始めたけども、アパレルの人自体が布に価値を感じていなかったりして、キズのある布でも使えると使ってくれるのは腕のあるアトリエを運営されているような方とか、自分で裁断してが当り前みたいな方だとそういうのそんなに大きな問題でもない。



林与のアイリッシュリネンハンカチにしても正真正銘の50年以上前の昔の糸を使っていて、前回の整経には、半年以上の時間を使った。その意味は、1台の整経機は半年間、アイリッシュリネンの整経以外には使わなかったということ。そうでもしないと、そんな特別な糸を中途半端にノーチェックで整経してしまったら、糸のフシなどを取り除けなくもったいない話になるから。私が時間のあるときに整経しながら出来る限り節を取り除いて整経した。

出来上がった生地にしても、良い部分はアパレル用に、ハンカチとして糸フシなど気にしながら使える部分はハンカチサイズに裁断。残った生地も大事に残しておいて、少し小さめのハンカチに再度検品しながら裁断して林与の友人の娘さんの結婚式の引き出物に使っていただいた。アイリッシュリネンの歴史的は有名だけどもその歴史の語り部のような糸が今も林与には1トンくらいは残っていたりする。2000年くらいにはもう幻といわれたアイリッシュリネンが、林与にはまだ使える糸の状態で残っていたりして、それを形にする力も残っている。

あと、昭和の中頃に時代にもう手に入らないと言われた苧麻の手績みの糸も、1トンくらいは使える状態で残っていたりして、戦前に績まれた糸で、対戦中に麻が禁止になったときに林与が糸商からまとめて引き受けて、それを昭和27年に糊付けしたものだろうと思っている。きぬあさと呼ばれる近江上布の世界を当時の与一爺さんが残そうとして買ったんだろう。当時でももう途絶えかけていた手績みの糸の世界、今はまた、組合さんなどで手績みの糸を績んで着尺をおることが復活してる。商業や工業的に残していくというのは手間の掛かりすぎる世界なので難しい話なのかもしれない。

戦後の近江上布の世界も林与は一番くらいにやってたのだが、琵琶湖をもつ滋賀県ということで、昭和40年代に粉せっけん運動が盛んになり、今の染色工場の染料の使用と比べても染料の使用は何千分の1とか本当に小規模だったのに捺染が規制されて、そこで捺染をやめたすなわち林与が近江上布の生産をやめたということがある。林与も豊国村の2代目の村長だった家なので、近江上布の生産が主産業だった豊国村という村として残っていたら話はべつだっただろう。寝装関係の麻産業が主体だった愛知川町に吸収合併する方向に同意したのもヨジヨモン爺さんだったけども、合併後は町の行政の指導で、国内でも超一級とされた林与の近江上布ですらも単なる工業生産品として扱われ規制され断念せざるおえなかったといういきさつがある。行政の家だったので行政に後ろめたいことはするなというヨジヨモン爺さんがそういう自分で自決するような覚悟が林与の家訓的な部分としてはあったりもして、行政をつかさどるなら物事を分かってやってもらわないと、いい加減に偉そうにするだけだと、やっているものごとの価値の深さもわからずに日本や世界に誇るべき大事なものを失うだけのこと。

琵琶湖の水を守るというが、それは京都や大阪の飲み水のため。一方で京都で染が盛んで今も染工業が普通に営めるのもあるいみ都会的な普通に気にせず処理もせずに垂れ流しが可能だからというだけの理由。都会の下水環境との兼ね合いで、京都だといくらでも可能なことが、京都を守るために滋賀県が配慮して規制され、地場産業も難しいというパラドックスがあったりもする。

今の原発問題と同じで、いくら薄めたとしても、環境というレベルになると全体的な染料や薬剤の使用量が結局はポイントで、それは薄くて基準をクリアしても着実に環境に影響を与えてゆく。薄めて処理すればだいじょうぶとういう感覚をなくさないと駄目なのだけども、薄めて基準クリアで何が悪いんだという世界が蔓延ってるから地球環境が当たり前に破壊されてしまう。トンボが消えるのもそのあたりだけどそういう積み重ねがトンボを消して行く。

大量生産大量消費に傾倒して、自然環境だけでなく、地球環境、階級社会的な奴隷制度の助長は、すごく日本の政治にみられるような特徴で、産業界がそれに従ってしまうと、今まで日本人が守ってきた人間の価値観が失われる。自己犠牲を強いながら、自分たちは自己犠牲を食い物にするような日本社会にありがちな階級的な考え方。本当の平等意識もなく、法の下の平等とかいう人たち、奴隷制度も法なら平等で江戸時代の武士気取りが多いのが日本の政治の特徴だとは思う。江戸時代的な正論の身分社会、階級社会が当り前の悪質な現代政治では駄目だろう。宗教と政治が一番くらいに金儲け主義的で人々の生きてゆく苦しみも分からずやぱいというのも日本の特徴。もちろん、本来の政治や宗教の気持ちを持っておられる方もいて話するとすぐに本物か偽物か分かるけども、偽者を排除することが本当に難しいのが法律。

なんちゃらコットン協会の理事長を10年やってられた方と電話で話したときにもうほんと、この人が諸悪の根源みたいな人で、地道に仕事している人間からしたらアウトそのもの。エシカルなことが面倒だとか、国際会議でなまった英語効いてると眠いんですよとか、理事長やめたくても他に人がいないからやってるだけなんですとか、それが日本で一番大きかったオーガニックを謳う世界の裏側。自分が責任もって成り立たせる覚悟もなく、無責任にやってだけの話には疲れる。そこまでいい加減なことばかり言ってるなら、いわないほうがましだし、いないほうがマシだよというのが林与。セミナーをありがたく聞いてるばかりじゃなく、本気なら他にそういうの感じて、当たり前のこという人いてほしいと思う。でも、この人はある意味正直だともおもう、聞いてびっくりするような、自分たちが謳ってることすべてが面倒みたいな話を正直に私に言われるから。そういひとが日本のエシカルのトップだったというのもすごく日本の繊維業界が問題だと思える話で、オーガニックの世界がブラックボックスで本当か嘘なのかも分からないのを作り上げる原因になってしまっている。ほんと普通の天然繊維業界のまともな感覚もない人が素人の業者さんたちを集めてみたいな広がり方。他にだれもやってくれる人がいないからやってるだけなんですよ、とかいわれて気持ち悪すぎた。それならやめといたら似非的な害も広がらないやん。
2023年09月13日
おおさか手作りフェアで、半年ぶりとか1年ぶりくらいにお会いできた出展者の方が多かった。クマムレースの谷本さんとは3年ぶりくらいにお会いできただろうか、林与の手織りプロジェクトが子供たちに好評でスタートできたきっかけが、林与にある麻の糸は太いと言ってもそれほど太くないので、かわいい太い糸を麻でなくてもよいので、手織り用に分けてほしいとテキスタイルマルシェで知り合いだった谷本さんに頼んだのがきっかけ。

分けてもらった糸はモールのようなピンクやブルー、イエローの色味の糸だったが、相当太くて5mmくらいはあったと思う、使うのがもったいないくらいの糸で、その糸を横糸に織るとすごくかわいい織物が織りあがる。たぶん、糸としてもすごく価値のある糸。今は、引き揃えた糸などをそれなりに太い感じにして織ったり、レリアン網の毛糸を織ったり。

本格的に手織りをやっておられる方とかからすると、あまりにも、初めての人向けの織物なのだけども。それで楽しいで織ってもらえばよいと思っている。そういう考えに至ったのも、谷本さんがそういう糸を林与に分けてくださったことがきっかけで、今はそのくらいの太い糸を手織り用に用意したりして、子供たちでも簡単に手織りが体験できるように心がけている。

4歳5歳くらいの足が届きにくい子供でも、少し足踏みを手づだって上げると、手は一生懸命に横糸を入れて、框を叩いて織って、夢中になって織ってくれるのが、本能的なものを感じる。親に無理やりやらせられているとかじゃなく、自分がやってみたいと思ってやってみて楽しいと感じてもっと織りたいとなり、一度体験してくれた子が、もう一度織りたいと後で来てくれたり、また次の日に楽しかったからまた織りたいと来てくれたり、子供たちにとっては、案外、手織り体験というのは、1日のなかで一番楽しかったイベントに思ってもらえることが多い。

林与は最初少し教えてあとは自分で好きなように織ってもらって、うまく織るのが難しそうなときだけ少し助ける程度。子供の場合には何十本も織り進んでくれることが多く、大人の人の場合には10本くらいで終られる方が多い。時間が許すだけ、好きなだけ織ってもらってかまわないが、子供の場合には、手織り織機の見た目の難しさにも関わらず、手織り織機をみて織りたいと思ってくれて、また、はじめてでも織出したら簡単で楽しくて、織物を織るのが本能的なことのように当たり前に織ってくれる。

無料体験イベントなので、気軽にやってもらえるし、織りたいと思ったお子さんがお父さんお母さんにもやってみたいと相談しやすく、親御さんも手織りを子供が体験するということを喜んでくださるのでありがたい。林与手織り体験用に小型の足踏み式の手織り織機を10台以上持っていて、こういう織物にふれる最初のきっかけをつくるような活動が広がればよいのになあと思っている。そういうきっかけが若い子供のうちにあると将来、織物の勉強をしたいとか、織物の仕事というのも少しくらいは、候補になるだろう。もし、織物を一度も織ったことがなかったら、織物を自分で織るなんてイメージは湧かないだろう。

手織りの織機もたくさん持っていても、やはり経糸の準備が大変なので、そのあたりは、林与が得意とするところなので、手織り織機にもさらに改良を加えて、50mとか100mの経糸を準備してたくさんの人に織ってもらえるように考えたりで、織機自体も、なかなか市販品の入手が難しい金属製のラチェットギアと爪を自分で自作できる目途が立ったので、綜絖などはシャトル織機のものを流用して、自由な織り巾の手織り機も作れたら、最初から経糸の供給メカニズムなど林与っぽい仕組みにできるので、よいだろうなあと思っている。

超かんたん手織り体験は、米原でのイベントでも好評だったし、今回のおおさかの手づくりフェアでも好評だったので、繊維関係のイベントに来られた方で、特にご家族で参加されて小さな子供たちが楽しめるようなことがあればいいのになあと林与は思うし、本能的に手織りなんかも馴染んでもらいやすい子供のころに経験してもらうというのも他にはあまりない機会だろうから、手織りをはじめる切っ掛けや織物を織ってみる切っ掛けを提供したいなあと思う。
2023年09月13日
若いころからだけども、林与は音が聞き取りにくい。特に店頭などまわりがザワザワしているときに、面と向かって話をしていても女性の話される高い目の音がほとんど聞き取れないことが多い。これは学生のころからなので改善は難しいことだろうとおもったりしている。周りが静かだと大丈夫なのだけども。

まあ、お年寄りと話をしていると、よく聞こえていないのだなあと感じることがあるだろうけども、林与と話をしたときに反応が鈍ければ、音が聞き取れていないということだと思ってほしい。先日のイベントでもなんどか尋ね直したけども、お客さんになんども聞き返すということはよくなかったりもするので、2度聞いて言葉が聞き取れないときには、それ以上は尋ねないことにしている。しっかりとした低音気味の声だと大丈夫なのだけども。高音の音はなにか脳みそに事情があってシャットアウトしているんだろうと思う。聞き取れない言葉というのは日本語なのに何度聞き返しても聞き取れないことが多いから不思議だ。

基本、ざわついたところは苦手で、静かなところが好きなのだけども。織物工場の中はほんとうるさいくらいに機械の音が聞こえてくるので、本来は織物工場の中にいるだけで苦痛であったりもする。
2023年09月13日
最近、無理やりながら、疲れている足をさらに酷使したらその違和感がなくなった感じのここ3日ほど。治る前には足がすごく疲れてそれでも無理やり動きまくったのですごく足が熱くなった感じで、それが血行やリンパの流れを復活させたのかもしれない。この状態が続くとよいなあと思う。立ってばかりいたので、足を指先まで伸ばすことをずーっとしていなかったので、数日前に、寝た状態で足首から下を足の指先までを思いっきり力を入れて伸ばしたり縮めたりした。数年ぶりのことだろう。それも足の復活には役立ったのかもしれない、そのあとすぐに足首から下が楽になった。

昔、若いころに肩が凝って仕方なかったときがあって、神社の祭りがあって、真鍮製の重いカネを竹で担ぎながら村の中を回ったことがあった、肩がすごく痛かったのだけども、次の日には肩がすごくほぐれてて、肩こりがなくなったことがある。林与の肩というのは道具の一部になっているので、100kgのビームとかを肩に担いでも痛くない。普通の人がそれをやると思いというよりも痛さに耐えられないだろうけど。

昔の人というのは肩で重いものを担いでいたけども、今のサラリーマン社会になってからは重いものは担ぐことがなくなり、年配の方たちでもそういう経験が少なくなっているので、私が重いものを当たり前に肩で担ぐのに驚かれたりする。ビームを肩で担ぐときに一番大変なのが、立ち上がるとき、足の筋力が必要で、立ち上がれないことも多くなってきた。私も若いころにそんなに重いものを自分で担ぐというのは無理に思えたけども、やってみると出来たりもするが、普通だとやろうとは思わない。100kgを超えるものを肩で担いでいても、一旦肩に担いでしまえば、バランスの問題だけで、階段を上り下りしたりはそれほど難しくなかったりする。

農業関係の方たちも重いものを運ぶのは得意で、年配の方でも重い物を扱われていることが多い。一俵といえば60kgあるから、それが肩に担いで運べないと昔の農家だと仕事にもならないということだろう。年配の出機さんが、ビームをトラックの荷台から下に落として下ろしているのとかをみると、高齢になるともう織物の仕事は難しいなあと思ったりもすることはあった。それを見て、ビームをとりに来てもらうよりも、なるべく自分が運んで、織機に設置までするようにした。

2023年09月09日
今回、マイドーム大阪での2日間のイベントが終わった。現場の仕事が詰まってしまっている中でのイベントで、協力しようと準備してくださってた方もコロナ感染が判明して今回は断念してもらう形に、一方でお客さんとしてフェスタを見に来ておられた顔なじみの方が、初日に、急遽林与のピンチを手伝ってくださることになり、その方も手織りの経験をお持ちの方で、林与のキッチンクロスやストールも使ってくださってる方なので、手織り体験もキッチンクロスの販売なども助けてくださって、2日目も予定があると行っておられたのに手伝いに来てくださって、申し訳なかったが、ありがたかった。

手織り体験も体験を希望してくださる方がほとんどいつも続いて盛り上がったし、会社にあるキッチンクロスを探して持って行った8割9割が売れ、今回のフェスタのお客さんの数の凄さだと、対応しきれない様な状況だった。今回は、すごく良い場所をいただいて、手織り体験は気軽に体験していただけたと思う。初日は平日で大人の方がほとんどで、2日目はお子さんが7割以上だった。合計で、多分、100人くらいの方が経験を下さったと思う。

てづくりフェスタというイベントはハンドメイドの方たちのためのイベントなので、手織り織機なども非常に興味を持ってもらえて、無料で手織りが体験できるということで、手織り織機で、初めての手織り体験。手織り織機をみると難しそうに見えるし、他の人が織っているのをみていると難しそうにみえるけども、自分が実際に織ってみると、手織りはたのしく簡単だということを知ってもらうためのイベント。手織りを通じて織物がどのように作られていくのかをご自身で体験していただくことで、織物が目の前で自分の手で織られていくのが楽しく体験できる。

今日も、お子さんたちが、手織り体験をすごく楽しいといってもっと織りたいと思ってもらえたのが、本当にうれしくて。大人の皆さんも今まで織ったことがないといっておられ、それならぜひ織ってみてくださいと織ってもらうと手織りするということの理屈も分かって、おもしろいというのも分かってもらえる。3分もあれば、初めてでもだれでも手織りするという意味がわかるので、興味が少しでもあられるなら体験してもらいたいなあと思う。ただ、織るということを体験して楽しんでもらいたい。

一番最後に織ってくださったお子さんも、その数時間前に始めて織ってみて、もう一度織りたいと思って、おかあさんといっしょにまた織りに戻ってきてくださった。お母さん曰く、そのあとほかもいろいろみてたけども、お子さんにとって手織りが一番楽しかったそうで、もう一度織りたいということで最後に20cmほど織ってもらって、その織った織物をお土産に持って帰ってもらった。

織物を織っている林与なので、織物を織るのが楽しいとかもっと織りたいとか思ってもらえるだけでうれしくて、私自身もこういうイベントを年に4回ほどさせてもらう機会ができてきたけども、お子さんたちが集まるような場所を持っておられるような方に、手織り織機をお貸しして手織り体験できるような場所を増やしていければと思うプロジェクトを計画と進行中で、まずは、自分がイベントとして、体験してくださったみなさんが楽しんでもらえるのを実感があるのでいろんなところで広がってゆけばという思いがある。
2023年09月06日
昨日はしゃがんだ姿勢からの屈伸するような作業が続いたので、今朝は階段を上るのにも両脚が痛む。普段使っていない筋肉を使いすぎたのだろう、体が本当に大事な仕事だなあと思う。

普通の会社だと、慣れた仕事をやってもらうのが仕事みたいなところがあるのだろうけども、私自身は私自身が作業のコツの積み重ね的なところで成り立っているというあたりがある。今日は、本縫いミシンを初めて使う女の子に縫ってもらったのだけども、自分でも思うが、うるさいほどにここはこうしないと駄目、ここも駄目、ここも注意みたいな話になる。基本、一回勝負で答えを出さないといけない仕事なので、そういう緊張感での経験を積み重ねて、考えなくても、問題のないものを安定して同じように速く縫えるようになることが大事だと思う。

長くやっていれば速くうまく縫えるようになるのかというと、毎回毎回1枚を失敗しないできれいに速く縫えるようになるように心がけることが大事で、それは自分との戦い。市販のものというのはそれなりに隙のないものが多いのは、縫っている人たちというのはやはり当たり前にプロだなあと思う。織物の会社なのに、縫製とかに関しても量産のものというのは普通にパートの人が縫ったりしているのだから同じ設備があるなら、普通に働いている人のレベルは超えたいなあと思う。

自分が縫製のことも知っていると、織物を製品にするときに何が可能なのかがよく分かったりして、縫製工場の人とも始末の仕方とか話がしやすく、生地を作るときに、縫製工場で失敗が起こらないようにどこまで生地の縫製時の注意書きなどが必要なのかが分かったりする。よくありがちなのは裏表というだけでなく、柄がある場合には天地と上下左右の問題。

縫製工場でも、裏表くらいしか気にされない縫製工場もあって、ブランドによっては、チェック柄などでも柄合わせもしないモノづくりブランドもあれば、柄合わせして完成度を高めるのが当り前のブランドもある。基本、綾などは右上がりが一般的な綾目方向で、左上がりに出来上がっている服などをみると違和感を感じたりもす綾目

林与のほとんどの無地ライク生地は、両面同じ加工を施してあり、裏表の区別なく綺麗な方向を表として使える。でも、本来は織機の織前での表が表で、それが加工も通じて表として加工されて、林与の場合は紙管に内巻きが表の状態でということになる。基本、検反面が表で内巻きに巻かれる。織機で織っているときの表が表でないといけない理由には、布を巻き取るシリンダーには布が滑らないように鮫肌やペーパーが巻いてあるので、裏面というのはダメージを受けることになる。だから、織前での表を表とするのが正しい。

でも、麻織物の場合には、それほど糸のダメージは気にする必要がないので、ドビーの動きなども加味して、ドビーに負担が掛からないように、3/1の綾などは、1枚しか上がらないように裏側を織機上での表として織ることが多かったりすることも多かったりする。こういうのは、誰も教えてくれることのないことで、自分が経験をしながら問題にぶつかりながら問題を回避するために、方法を見出して行くもので、ストールを織るときにも、スチール製の鮫肌は糸にダメージが残りやすいので、サンドペーパーに変えたり、鮫肌の上にテープを巻いたりしてダメージをやわらげたりすることで、問題なく織れるようにしたりとか。いろいろやってみて正しい答えができる方法が正解ということも多い、でも、織機に掛かる負荷や織機の正しい使い方の意味なども検討しながら、例外的な織機の使い方は検討してゆくべきだと思う。織る織物によって、織り方の正解は変わって来る。

シルクの織物工場で、シルクを織るときに、テンプルを使っておられないのをみて、シルクの表面がダメージを受けるからテンプルなしで織っておられるんだなあと感じたり、それもシルク工場の工夫の一つである。地元の工場に置いてあった昔のシャトル織機にもテンプルがついていなかったのはやや謎で、その代わりに太い紐を織の最前線あたりに左右に渡して織前を下げているような工夫であるとか、ベルト式シャトル織機の時代には、真鍮製のテンプルは、まだ、なかったんだろうか。

2023年09月04日
ようやく、暑さが落ち着いて作業がしやすくなった。ありがたい。この夏は暑すぎて体調もあまりよくなかって夜に作業をしていることが多かったが復活か。麻がなかなか織りにくいのも地球温暖化の影響だと言われていたりして、今まで原料の栽培地だったところの気候が、昔とはがらりと変わってしまって、原料の栽培もむつかしくなってしまっているとか言われている。麻織の本場といわれてきた近江湖東産地だけども、子供のころはまだ雪が相当積もるほどに毎年振っていたし、夏場には毎日ほど夕立が降っていた、今は、雪もあまり振らないし、雨も少ない、水の循環が本当に限られてしまっていて、ダムができてからは、水路の水の量も少なくなり水路の幅も狭くなった。

体調があまりすぐれないのが続いているのは別として、昨日、久しぶりに指の皮が捲れるけがをした、毎度のことだが、水で傷口をよく洗って、ティシュで血を拭いて、出荷の養生テープで傷口を巻くとすぐに痛みはなくなり、仕事も続けられる。そして、半日あとには傷口もくっついて養生テープをはがして今度はマスキングテープで傷口をカバーし糸を触る作業に戻った。去年の冬から織れないものが多くなっていろいろとやらないといけないことだらけになってしまっていて、楽しみにしていた8日9日のおおさか手づくりフェアも準備をほとんどできずに、ホテルも予約していたけども毎日通いでの出展になりそう。

糸をまいてくれるおじいさんも、目の手術をされて、今回は本当に引退なのかなあ、シルクなどは掛けるとそのまま回り続けるけど、麻は綛の糸が切れると目が良くないとなかなか作業も難しいだろう、現場の人たちはみんな年を取り始めていて頼めたとしても昔の何分の1が普通になっている。麻織物の仕事も経験の長さよりも若い時の精神的、身体的な強さみたいなものが大事で、スポーツと同じに思える。
2023年08月27日
今日は隣組の集まりで、隣組の集まり自体を続けていくということを念頭に当番で当たる家の負担を軽くして行くという流れ、小さな組と呼ばれる組織の運営だけでも組長、会計、宿と呼ばれる当番の家がコロナ前はすきやきか幕の内を準備するなど、昔のにぎやかにするのが良かった時代のことが今の時代には負担として残ってしまって、それをどうしてゆくか。続けていくためには思い切ってそういう本質的ではない部分を削り取っていくみたいな形。

自治会なども続けていくためには、本質的な部分ではない行事などを思い切って割愛してゆくことが大事で、時代の流れに適応してゆくということをあるタイミングでしてゆかないといけないということだろう。どの家も一人か二人しか人がいないという状態が普通になって、都会以上に核家族化で高齢化で無理無理に昔のまま続けて来てたというようなあたりもある。

今年は思い切った舵取り的なことがいろいろと行われて、防災訓練的な避難訓練もマニュアルや形式にとらわれない実践的な防災訓練で、避難所に集まった後も全体の整列とか挨拶などもなしに、人数を報告して解散という流れ。もう実際に人も少なくなって本質的な部分により力を使うような形。にぎやかになんでもやっていくのが昭和のスタイルだったのが、今は自治会の存続自体を考えていかないといけないのが次の世代。

会社にしてもそうだし、いろんな他の会にしてもそうだし、昔と違って本質的なところに絞ってものごとを成り立たせてゆかないといけないことが多くなった。20年後には人もまた何分の1となっていくだろうことも考えて考えをもって行動してゆくというのは大事なことだろう。また次の世代に重荷を残さないということも大事なことだろうと思う。
2023年08月26日
新しいことをやろうとするときには、全部が揃わないとできないことが多い、今も織物のラチェットギアをつくろうとするのだけども、素材から吟味、スズだと鋳造がやりやすいが耐久性に問題がある。アルミだとどうだろうか、鋳造もしやすいがやはり硬度の問題が、そこで真鍮がやはりよいのかとおもうが、それなら鋳造よりも削り出しで作ったほうがよいだろうと。

素材が真鍮で、大きさがφ50、厚みが5mm、ギア数18程度のもの。近いものを探してもみつからないので、自分で作ることになって、まずは、真鍮のφ50の丸棒を5mmにカットしたものを手に入れようと探す。それがうまく手に入れることができ、それをどうやってギアに加工するのか。バンドソーが直線的にカットできるので一番理想的だけども、バンドソーの厚みが3.5mmとか5mm、それならグラインダーでカットするほうが裁断砥石の厚みは1mm以下なので良いのではないだろうかと。

そのギアをセットする丸棒の直径とさらにそこにさす紙管の内径と外径と、その紙管に付けるフリンジの内径など、ミリ単位で大丈夫なのかと心配しながらもそういうパーツを集めて、最終的に自分が作りたいものに仕上げる。手織り用の経糸のビームセット。仕事の合間に、こういうのは考えて、集めるだけ物を集めて、試しに1時間2時間使って作ってみるとうまくいったり行かなかったりで、また、仕事しながらより完成度の高いものにするためにどうすれば良いのか考える。

一からすべてつくっているとすごくお金が掛かるので、既存の物を使いながらそれをうまく組み合わせながら使えるように持って行く。同じ手織りをするにしても整経とか経糸の準備という部分が本当に一番くらいに大変な部分で、そこをどううまく解決できるのかというあたり。木工の本職でもなく、手織りの本職でもない林与が、今の手織りの問題を解決しようと考えている。

15年ほどまえに手織り機をつくろうと考えたときもあったけども、その時に悩みだったのが、ラチェットギア。通常手織り機には、前と後ろの巻き取り棒にそれぞれ1個づつラチェットホイールギアと爪がついていて、空回りを防いでいる。それが一般的には金属製で、それを一から作るとなると大げさすぎるから自作の織機は難しいだろうなあと。

そのあとに広幅絣プロジェクトをやったときにも、広幅の手織り機で織るほうがシャトル織機で織るよりも簡単だろうなあと思ってたが、同じく、ラチェットギアをどうするかというところであきらめてしまっていた。今、ラチェットギアの問題が自作することで解決できそうになり、自分自身で手織り織機を自作することが可能になりつつある。

ソウコウ枠なんかもシャトル織機のものを使うことも可能だし、より軽量化のためには自作するのがよいのかもと思い始めたりもしていて、綜絖は糸綜絖か、シャトル織機のワイヤーヘルドを流用すればすべてのパーツが揃うことになる。自分の思うサイズの手織り機が自分でつくれるということは、自分のすきな幅の織物を織るというためには理想的なこと。

今、現場が手が足りていないので、手織り機を自作するほうは材料やパーツを集めるというのをやっておいて、時間が出来た時に作業して、シャトル織機の綜絖や綜絖枠などのパーツが流用できるような手織り機を作ってみようと思っている。一つの手織り機をつくるのも、一つの織物をつくるのと似たような作業に思えたりもする。
2023年08月12日
2007年ころに中国の展示会を見に行ったときには、後染めの生地ばかりが並んでいて、林与の作っているような先染め生地というのはほとんど見かけることがなかった。また、天然繊維に関しては、色合いにしてもなんとなくくすんでいるような浅い色のものがほとんどで、展示会の何千もの生地出展者の無数に思えるほどの生地を見て回っても麻に関しては日本との品質の違いというのは明らかに思えた。それから15年。中国が日本の繊維業界を吸収してしまったかのように思えるほどに、今、中国の展示会に行くと先染め生地はもちろんインクジェットで自由に生地をデザインするのが当り前で、日本企業がそういうことをやろうとしても中国のように簡単にものがつくれるような状態ではなくなった。中国にしても日本の5倍くらいのスピードで進化して中国の繊維業界もベトナムでの生産に移行するような流れ。

デフレの流れの中で、日本での生産がどんどんと海外に移る流れになって、日本企業も海外で生産をするようになり、日本の品質が中国にも移転され、一方で国内では量産の仕事が少なくなり、ニッチェ的な小ロット生産の流れ、製造業を知らない人というのはそれが日本のものづくりだというけども、日本のように終身雇用的な雇用形態で、高齢化した現場においては、なかなか普通のものをつくるも難しくなるのである。ましてや高度なものなどというのは、ほんの一部の人しか携わることが出来ず、あいまいな人が関わるだけですべてが失敗に終わる可能性が高くなり慣れた以外の仕事は頼めないことになる。

国内の繊維業界でも新興企業が海外生産で、国内販売には若い人たちを非正規雇用して伸びていく一方で、伝統産業系の繊維の現場では高齢化で生産性も低くなり、まさに明と暗みたいな対照的な世界が、日本の繊維業界の中にある。これは一企業の問題ではなくて、日本の終身雇用年功序列的な雇用ルールを守って長くやっているとどんどんと難しくなっていくという時が経つごとにどんどんと難しくなる構造的な問題で、社会構造的な破綻。

構造的に難しいような土壌を取り除かない限りは、人を多く抱えた企業というのは成り立たせるのは難しい問題がある。手間を売りにしているはずのものづくりが、働く時間もどんどんと短くなれば働いている人も経験も少なくなり器用でもなくなり手抜きになるばかり。そういうの極端になってくると、謳いは美しいが、産地偽装やビッグモーターのようなことをやれば、メガバンクなどもお墨付きの飛ぶ鳥を落とす勢いの優良企業として成長できるみたいな。偽装の大元はビッグモーターでも経営陣は自分たちは指図していないというがいうこときかなければ切り捨てるみたいなのと同じで偽装に手を染めさせる。結局はいろんな企業の偽装にしても、経営的に無理な数字を求め企業に強いる国レベルなのかもしれないなあと思えたりもする。

優良企業とされている大手ほど経営の数字は良いのだけどもいろんな構造的な偽装が問題になって、そういうところが優良企業とされて金融資本が流れてきたのだけども、数字しか見ていないとそんなふうな根本のところで構造的に問題を抱えた企業系になりがち。カネがらみで捕まる政治家たちが主導する国ながらも、もうちょっと行政レベルもモラルみたいなものを持たないと、法律すらもがボタンの掛け違えを生んでしまう。今も、大阪でカジノ構想とかあるけども、安直で他力本願的なところがあって、そういうの喜ぶのは利権がらみな政治家とかのレベルだろう。あんまり後のこと考えていないだろうが、利権ほしさに将来にマイナスが残るようなこととかはやめてほしい。日本の将来は、次の世代に白いままで残してあげたい。目先の利益を追い求め、問題を将来に先送りする出なく、今の世代が今の問題を解決してゆくべきだろう。

今の若い人たちの憧れがYOUTUBERだったりで、そのどこに憧れるかというと金満なところやお金儲けの部分。私自身が手織り体験とかして思うのが、自分で作ったり自分のつくったものを大事に思うような気持ちが子供たちには本能的にあるのだなあと感じる。子供たちが織っているときに上手とか下手はない、簡単な説明をして後は自分なりに織ってもらって、分からなくなったら少し手助けするだけ、自分自身が前に進めていくという部分一番大事だと思うし、とことんやってほしいし挫折してほしくないから、親御さんは、サポートしている私のことを気にしてもう迷惑だから終わろう見たいにいわれるけども、私自身はとことんやってほしいので、夕方まではやってるから織りたいだけ織ってという。単に手織り体験というだけでなく、織った布を記念に持ち帰ってもらうのもすごく喜んでもらえ、小さな宝物。自分で織った布ということがすごく大事な部分で、私の自分がつくった布への思い入れと似てるんじゃないだろうか。米原のイベントでは、織物体験用に広いスペースをいただいたけども、多くのお子さんたちに体験してもらえてフルに活用をさせていただけてほっとしてる部分もある。盛り上がって林与自身本当に楽しかった。次は9月8日9日のマイドーム大阪での大阪てづくりフェア2023で、「超かんたん無料手織り体験」やります。
2023年08月11日
阪急百貨店のテキスタイルマルシェでも、小さなお子さんが来てくださって楽しかったのでその次の日にも弟さんをつれて織に来てくださったと聞いて、すごくうれしかった。米原のイベントでも、初日に楽しかったので次の日にも体験しに来てくださったお子さんが6人くらいはいてくださった。子供たちにとって手織りというのは仕事や作業というよりも楽しめることなのである。

林与自身が手織りをほとんどしていない人なのだけども、レピア織機やシャトル織機とかになると何十年やっている現場の人たちでもなかなか難しい問題があったりして、仕事で織物をする人たちも手で織るという基本作業からやると、職業的なプロとして電気で自動に動く織機を使うという意味も理解できるのではないだろうかと思える。

林与が世界でも本当の本物だと思うのがイギリスのステラマッカートニーというブランドさん。林与との実際の取引はないのだけども、すごい思いのある方たちの集まりなんだと感じるばかりで、本物のエシカルな世界を探してられる。ステラマッカートニーというブランドは、本当に心優しい人たちの集大成だと思う。これは実際の取引説かなく損得関係なく私が思うところ。世界的にみてエシカルなコンセプトは本当の本物。私が肉をたくさん食べてしまう人間なのそのブランドのコンセプトにも林与はまったく見合わない。それが本当に残念だけも、林与が世界のトップレベルのエシカルには見合わないと思うのもそのあたり。

日本でもオーガニックの会社があって、その代表の方がお肉は食べないと言っておられたのが、本物なんだなあと感じたことがあった。私が一番嫌いな飛ぶ鳥を落とす勢いに感じてしまっていたのだけどその肉は食べないという一言で、本物だと感じた。私自身も繊維関係のエシカルとかエコとかには厳しい視点を持つけども、そこまでは個人レベルとして難しい。パタゴニアの地球環境保護も分かるけども、それ以上に林与の接点として世界のトップレベルの繊維業界のエシカルを自分の人生を照らし合わせて考えないといけないあたりもある。結論として消費者の人は自分の作ったもので裏切りたくない。肉もたくさん食べる林与が関わることでさらなる上の世界レベルのエシカルを濁したくない思いはある。林与もまったくの除外だけど、そういうコンセプトの世界って世界的にも格別にみられてもよいと思う。哲学、アート、人生観、それを謳いだけでなく実際に守れる人たちというのは本当の世界的にも特別。
2023年08月06日
米原伝統産業会館で、昨日と今日の2日間、ロビー展示で、林与は手織り織機を2台持ち込みして、超かんたん無料手織り体験を行った。今回も2日間、子供たちを中心に、ほとんど途切れることなく初めての手織り体験を行ってもらえた。手織り体験をしてもらうときに、最初に、1分から2分ほど簡単な説明をしてあとは自分で織ってもらうというスタイル。

初めてのお子供さんたちでも、手織りすることが簡単で楽しいという経験で、私自身は織りたいだけ好きなだけ織ってもらうと思っている。お子さんの場合、お母さんやお父さんが後ろにいてくださることが多いのだけども、子供たちが手織りに夢中になっているときに、お父さんやお母さんは周りにも気を配ってもう終わりにしとき、とまだ織りたいお子さんたちが夢中なのを止めようとされるけども、私としたらとことん好きなだけやってもらいたいなあと思っていて、子供たちはだいたいもう終わろうといわれてももっと織りたいという返事がほとんど。思う存分体験をしてもらおうと思って手織り織機を持って行ったので、お子さんたちのもっと織りたいというのは、林与としても本当にうれしい。手織りの織機に触れるなんていうのはなかなかない経験で、見た目に興味を惹かれて、体験してもらえて、自分で織るというのができて夢中になれる。それって、単に手織りを体験するだけでなく、織るのがたのしいとか、おもしろいとか、ワクワクするものまで感じてもらえる。

難しいなあと思っていた麻の縦の織機のほうでも、一人のお子さんが初めて織って幅16cm、長さ90cmほどのマフラーを織り切った。初めて織ったときにストールを織りあげるという目標を自分の中でもって、それを成し遂げるというレベルの高さ。経験の長さじゃなくて夢中になったことをとことん満足するまでやり遂げたい、やり遂げるということ。その弟さんも同じようにマフラーを織りあげられた。それには私がびっくりした、手織り体験で初めて織ってマフラーを作ろうなんて思いになるのは。特別な二人なのだなあと思ったら、今回はそういうマフラーまで織りあげられるお子さんが8人くらいいてくれて、だれもマフラーを織りなさいといわないのに自分で織っているうちにマフラーを織りたいと思って80cmとか90cm織られる。本能みたいなものが働くのだろうか。20cmくらいのコースターくらいで終られる方ももちろんおられた。

織った分を持って帰りますかと尋ねると、ほんともらえるの?と喜んでくださった。単に織るだけだと、織物を体験したというだけで終わるのだけども、織ったものをお土産に持って帰れることで、思い出が手元に残る。自分が織ったものを見て楽しめる。縦を切って渡すたびに再び織れるようにもとに戻すのだけどもそういうのは林与はプロ中のプロなので1分2分もあれば、織れるように元に戻せるので大変でもない。2日間、お昼から夕方6時まで2台がフル稼働して多くの方に手織りの体験をしていただけ、喜んでいただけたと思う。

もう一つのテーブルでは、おひとり様1枚限定リネンキッチンクロス無料プレゼント企画。日ごろの量産の工程のなかで、キズなどで途中中断してできたハギレなどを取っておいてそれをキッチンクロスに縫い上げたもので、大きさはまちまちだけども正規の商品と変わらないよいもの。滋賀県では、リネンのキッチンクロスをまだ使われたことのないお客様というのは多いので、初めてのリネンキッチンクロス体験みたいな企画。

林与のリネンキッチンクロスをお使いいただくことで、リネンのキッチンクロスの違いみたいなものを体験いただいて、リネンに興味をもっていただくとか、また麻の水をよく吸う良さみたいなものを感じてもらえるだろうと思う。林与にとっても、織物に夢中になってがんばる子供たちにたくさん出あえて、本当に楽しい2日間でした。子供たちが織物に興味をもってやってくれることが本当にうれしく、織りたいならどこまでも織ってほしい。お母さんたちがもう終わりにといっても子供たちが、もっと織りたいと言ってくれると、そうそうとことんやらないとと思うのが私。
2023年08月03日
脱貧困みたいな経済成長モデルがあるけども、農村地に観光資源を作って観光などで活性化しようというもので、大きなお金を田舎に注いで新しい建造物を作ってそれまでの地道な営みを破壊してしまうようなところがある。一時的には、建築などでお金が動いて活性化するもののその事業が成功しなければ、今度はその何千億規模を使った事業ですらもどう維持するのか片付けてゆくのか、次の世代への赤字要因になる。

これが、新興国で起こりがちなことで、でもそれは、日本の万博なども同じような傾向があって、計画では問題なくてもいざ実施しようとしても何倍もの費用が掛かってしまって当初の予定の何倍もの負担になる。今までのことにお金をつぎ込んだ方がよいのだけども、お金を握った人たちというのはどうしても新しいことに費やしたいようなところがあって、地域の人の人生観すらも変えてしまうところがある。

脱貧困社会で問題になるのが、脱貧困のために教育を受けさせるのだけども、結局、高学歴をもってしても結局は誰かが末端の仕事をしないといけないわけで、今まではそれが普通の仕事という概念だったのになぜかそんなことはできませんみたいな人ばかりが増えて、新興国に置いてもさらなる新興国での生産に移行するような話になる。

私自身が、普通と違うなあと思うところは、一番底辺の仕事を当たり前に思っているあたりで、そういう誰もしたくない仕事の部分に価値があったりする。そういう誰もやりたくない部分を自分がこなすことで全体が回ることも多いし、そういう人がいないと企画一つも回らなかったりもする。今の海外生産というのは日本の昔の高度成長型モデルそのもので、海外のほうが低コストで生産性も高く、日本の5分1、10分の1でつくれるだろう。

昔、半年ほど世界最先端の半導体工場の現場で働いたことがあるけども、その仕事というのは織物の仕事よりも標準化されていて単純だったりする。でも、結論から言うと日本でやらなくても、言われたとおりに正しくさえ作業できれば途上国でもできる仕事だったりもする。途上国の人々の生きる力というのは先進国の何倍もあって、先進国の人以上に途上国の人のほうが器用だったりもする。

インドで経験したのが、量産型の縫製工場で、縫製工場の作業員というのはみんな一着の洋服を自分で作れる人たち。そういう人たちを現代の量産の現場で働かせようとすると単能工化する必要が出てきてしまう。それが苦労したところだと工場の方がいっておられ、技術とすれば、安く大量につくれるような素人に近い水準に落とし込んでゆくようなところ。それが世界の洋服の生産を支えたりするのだけども、そういうのが本当によいことなのだろうかと思えたりもする。

日本の昭和のころのものづくりをみるような感じだけどもそういうのが成り立たなくなったときに、今の日本の繊維業界と同じ様に新興国での繊維産業というのも生き残ることは難しいだろうなあと思える。繊維産業は、どんどんと実際に働く人を求めて途上国へ向かうという流れなのだけども、それが本当に良いことなのだろうかと思う部分。先進国は一方で働かないことを理想とする社会に傾いて来ていて、そういうのが、途上国に労働をもたらす一方で、先進国の働かないモデルというのは、結果として、さらなる階級構造そのものを目指しているのではないのかと思えたりする。
2023年07月25日
石川県の繊維工場で68歳の女性が整経の巻き取り作業中に巻き込まれる事故があってそれをインターネットのニュースで見かけた。巻かれるスピードがそれほど高速でもないので安心していると大変なことになる。特に、年配の女性の方だと大丈夫かもしれないが、髪の毛の長い若い女性などは整経作業一つにしても巻き取っているところに一部が巻き込まれ始めるとパニックになって危険である。

また、手首にアンクレットや、指輪なども糸が絡んだりしたりすることもあるので、作業する時というのはなるべく引っかかりにくいことが大事。もう一つ年配の方にありがちなのが、織物工場ではエプロンを付けたりするようなケース。エプロンは巻き込まれやすいので付けないほうが良い。整経を最初に教えてもらったときに、昔の座布団工場の整経の現場ではエプロンを付けた女性が巻き込まれる事故が起こりやすかった話を教えてもらっているので、私自身は巻き込まれたことはなくても、注意が必要であることは最初の時から気にしている。

整経の巻き取りも、電源の接続の仕方で逆回転にもできるけども、巻き込まれにくい回転方向に巻き取るようにすることが一つの安全策で、座布団工場の場合には、巻き取り巾の関係でか逆回りでとくにエプロンの裾が巻き込まれやすかったらしい。整経機の巻き取りの危険に関してもこういう話をするのだけども、普通の人はそれほど危険には思えないので適当に聞いておられることが多く、いくら教えても巻き取りの作業を一人で作業をしてもらえないのはそのあたり。本来はこういう危険性までも他の人に説明が出来るくらいでないとその人にその機械を使ってもらうことは良くない。

シャトル織機にしても、経糸が麻だったりすると、経糸が切れるとそこからシャトルが飛び出すことがあるので、織機が動いているときには注意をしていないといけない。今まで一度も飛び出したシャトルが当たってけがをしたというケースは自分を含めてないのだけども、軽く考えている人がいて、そういう人ほど注意されるとなにを大げさにとなっちゃうのだけども、そういう人は織物の現場にはいないほうがよい。その人が大丈夫でも他の新しい人が来たときにそういうことに対しての緊張感がないと、軽く考えているタイプの人だとケガもしやすいし、教えたことも教えたとおりにやろうとはしないので、新しい人がけがをすることもある。

織機で、一人で作業をしている時よりも二人で作業しているときのほうが危険で、必要なければ織機は一人で作業をした方がよい。遊び気分で二人で作業していると、一人の人が確認もせずに動かしたりしてしまうともう一人の人が作業中だと大きな事故につながりかねない。織機を扱う作業に置いては、基本、一人でする作業というのをもう一人が手伝おうとするのはあまりよいことではないのである。機械というものも基本一人で動かすようにできていることが多い。

また、冬場とかストールをしながら織機を扱う作業をするなんて言うのは本当に危険で、注意するまではその危険性というものも分からないだろうとは思うけども、注意されたときに素直に聞いてくれる人でないと、それ以上機械を扱うことをし内容が良い。他にも、くびに紐でハサミを胸元にぶら下げているようなスタイルは、本当に危険で絶対に駄目だというのだけども、素人の人はみんなそれをやってしまって、いうことを聞けない人も多かったりして、そこで、作業は辞めてもらうことになる。私の母親も最近作業を手伝ってもらっているときにそれをやったので、それは危険だから絶対に駄目だからというけども、こんなの大丈夫よとクビから紐で胸元にハサミをぶら下げたスタイルで作業するのを辞めない。糸を巻く高速で管などが回っていて、ハサミがそこに持っていかれると一瞬ですごく危険な状況が簡単に想像できるのだけども、その一つのことを辞めてもらうだけでも、大喧嘩になる。ほんと、織物の仕事を手伝ってもらう時も素直な人でないと本当に危険だったりする。

正しくモノをつくるとかいうのも、いわれたことを言われたとおりにしないと安定して正しいものは作りにくいのだが、ちがうやりかたでも同じでしょとおもって、教えられたやり方でやってくれないタイプの人もいる、また見ていないと違うやり方でやっていたりとか、そうすると出来上がってくる答えが違って着たりして正しく作業ができていないのがわかってしまうのだけども、ものづくりというのはなかなか正しく作業をするところまでいける人というのは少なく、いくつもやり方はあるけども一番良い方法でやろうとしていて、最初は慣れて無くてできなくても、そのやり方に慣れれば最終的に一番簡単に速くできるというのが苦も無く仕事をするのにもつながるのだけども、そこまで深く物事を考えて作業する人も少なく、できれば一緒でしょみたいに思っていると、いつまでも安定して正しい作業にはならず。また、他の人に正しいやり方を教えることも出来ない。

普通の現場の職人さんよりも私が難でも器用にこなせるのは、いろんなやり方があるとは思うけども一番正確に速くできるほうほうを常に考えていて、失敗も少なく、途中で確認作業を入れながら作業を進めるやり方を選んで行う。昔の職人さんのほとんどがいきあたりばったりで、最後までやってから途中でまちがっててやり直しみたいなのがほとんどで、そのやり方から抜けられないからいつまでも一回で正しいものができるということが少なかったり。本数が多くなったりすると余計に、正しいやり方が大事で毎回毎回くらいに確認も必要で、それも含めて一番確認もしやすい安定して早くできる手や体の動きを常に目指してるところがある。そういうのが結局、作業の高度化にもつながるし、より高度なものづくりにもつながるのだろうと思うし、安全な作業を考える時にも、確認を含む安定した作業手順みたいなものは必要で、厳しく危ないことをやめさせるも大事。私は経営者だからそのあたりうるさくいうけど、もめたくないとかなるともういえなくなって、普通の働いている人同士がそういうのにピリピリしていることはなかったりするのが普通。
2023年07月24日
昭和のものづくりというのは、無駄にみえる部品でもそれが機能していることが多いなあと思う。たとえば、木管にのこった残糸を片付ける綛くり機の機械でも、精密にギアでできているんじゃなくてプーリーで回すようにしてある。何か無理をしたときに、プーリーが空回りすることが大事で、鉄と鉄が無利子合わないことが大事。そういうものは何十時間回っても熱をもたず大丈夫なようにつくってある。モーターにしても何十年選手で小ぶり。

この前にちょっと私の大失敗があって、整経機にビームを取り付ける作業をしていたときに、整経機の一番大事な大きなギアの2つが噛むところにレンチの持つところをを挟んでしまって、床を探しても落としたレンチが見つからず、運転入れたらレンチがギアに巻き込まれそうになって慌てて止めたのだけど、ギアの間隔が5mm以上以前より開いてしまった。ギアの噛みが浅くなり回るたびにギアの頭付近がぶつかり合って開いていくような気がして、そのあと整経機をあまりつかっていなかったのだけども。それもなんとか、無駄についていたようなブラケットが移動して、今日、数年前にかっておいたレバーホイストを見つけ出して、それを使ってギアの間の距離を狭くして、固定するブラケットを閉めたら、ギアの隙間が良い感じになくなった感じ。

整経機自体が、ギアの部分と、クラッチの部分で変に当たって異音を立てていたが、それも多分、なくなるだろう。今は、レバーホイストを強く閉めたまま歪を元に戻すために矯正中。この1か月ほど心配していたことの一つがようやく頭から消えそうで、でもこういのって、一か八かでやってみないといけないし、一か八かも失敗するようなやり方だと余計にやったことが悪い結果になってしまうから、慎重にやることが大事。

昔も、業者さんが来て機械の移動などをしたときに、シャッターは壊れるは、織機も慎重に運んでいるのにそれを手本をみせようとして、運んでいる織機を落として織機の脚の鋳物が織れてしまったりとか、業者の人というのは壊れた時にも責任を持つ器などないから、案外、大事な鋳物の部分が壊れていることが普通で、もうちょっとちゃんと仕事するだけで、壊さずに運べるのにと思うけど、そういうのもそれが普通の業者さんだと難しい。

自分たちで織機を移動するときにはそういう大きな問題は発生しないけども、力づくでやってしまうと当たり前に壊れたりするし、作業している人が大けがをすることも考えられる。ゆっくりと慎重に一発勝負でしないといけないことは、その場の即断でやらないほうがよく、慎重にやるのを面倒がる人がいたりすると、ややこしくなる元。何通りもやり方は考えられるけども一番確実で安全な方法を取るべきで、そのためには適切な道具が必要だったりすることもある。今日の場合はレバーホイスト。それなしにいくら修理しようとしても難しかっただろう。

仕事をするときに、本業の織物の仕事以外に仕事の機械をメンテするために必要な道具というものが必要で、あと自分自身で作業する力も必要。他の人に頼るときには、頼った人の力の限界が自分の限界になってしまうから、自分自身の限界を高めておくことが織物の仕事でも続けていく上では大事な要素になって来る。織物を企画して作るだけでなく、織物をつくる機械や環境を維持してゆくとか、さらには、自分で作ったものを売っていくことも必要で、そのためには、イベントに参加したり売るために必要な什器なども用意する必要がある。

ものを作ったときにできるハギレなども、基本的には使える布がほとんどで、数メートル間隔のキズをうまく使えば何の問題もない布が多い。そういうのを活かせるかどうかも、最終的にプロパーに売る部分を成り立たせてゆくためにも大事な要素。高度なものづくりというのはロスが生じるのが普通で、キズなどを避けようと思えば安全に手に入るようなものしかできなくなる。

織機のことに関しても織物の現場の人よりも、大手メーカーで機械を開発しておられる人のほうが、自分で家に作業場をもっておられたりして、他の場所の織機を引退後にメンテされたりと、仕事経験の長さではなくて、作業に対する興味深さとかとことんさの違いみたいなものが本質的な違いなんだろうと思う。その方には到底及ばないけども私も少しはそういうところを持っているので、ひと昔前の人たちが解決できなかった部分にしても解決して乗り越えていけてるとこも多い。小さな織物工場の中の世界に縛られているよりも広い世界を見ておくほうが良いと思う。私も織機を最初から直そうと思ったのはアメリカでの自分で自分の自動車のトラブルをいろいろと部品を買ったりさがしたりして直そうとしたりしてたことがあって、自分で直せなかったら修理に出すみたいな経験が今も生きている。また、若いころに自分でPCをパーツを買って自作したりとかも同じく生きていると思う。今も、ノートパソコンのSDDや、液晶や、キーボードを交換したりとか、直せるものは自分で直したリが普通。形あるものはいつか壊れるけども、多少壊れても直すこともできたりもする。布のキズ一つ直すのも電子顕微鏡で液晶モニタに拡大しながら医者が手術をするように徹底的に直したいと思うのは、子供のころのガムの型抜きに嵌ったあたりが生きているのかもしれない。

さっき、整経機の大きなギア2つが1mmくらいのいい感じの隙間でかみ合ってるのを確認して、レバーホイストを外して、ネジをしっかり締めて、若干の調整をして試運転。異音もなく調子よく以前のように回り始め、これで安心して巻き取りが行える。整経機を修理もせずに下手に動かさなくてよかった話になった。この1か月ほど、頭の中では、巻き取り部分、中古を探して入れ替えしないと駄目だろうかということまでよぎってた。そんなにうまく、昭和の時代の同じタイプの調子のよい巻き取り部分の中古の出物がみつかることもない。新しいものを手に入れても修理が必要になることがあるけども、それが簡単かどうかが大事で、昔から長く使えているものというのは修理をほとんどすることもなく自分が調整する程度の範囲で一生ものみたいなところがある。また、新しいものよりも、今度も同じ機械がほしいなあと思うのはそのあたり。なるべく長く使えるものがいいなあと思う。私自身が手に入れる材料にしてもその感覚で手に入れまた作るものもそのつもりで作っている。使っていて愛着のわくようなものが良いと思う。ボロボロになっても、また、今度も買いたいなあみたいな。
«前のページ 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | ... 180 次のページ»