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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2023年08月06日
米原伝統産業会館で、昨日と今日の2日間、ロビー展示で、林与は手織り織機を2台持ち込みして、超かんたん無料手織り体験を行った。今回も2日間、子供たちを中心に、ほとんど途切れることなく初めての手織り体験を行ってもらえた。手織り体験をしてもらうときに、最初に、1分から2分ほど簡単な説明をしてあとは自分で織ってもらうというスタイル。

初めてのお子供さんたちでも、手織りすることが簡単で楽しいという経験で、私自身は織りたいだけ好きなだけ織ってもらうと思っている。お子さんの場合、お母さんやお父さんが後ろにいてくださることが多いのだけども、子供たちが手織りに夢中になっているときに、お父さんやお母さんは周りにも気を配ってもう終わりにしとき、とまだ織りたいお子さんたちが夢中なのを止めようとされるけども、私としたらとことん好きなだけやってもらいたいなあと思っていて、子供たちはだいたいもう終わろうといわれてももっと織りたいという返事がほとんど。思う存分体験をしてもらおうと思って手織り織機を持って行ったので、お子さんたちのもっと織りたいというのは、林与としても本当にうれしい。手織りの織機に触れるなんていうのはなかなかない経験で、見た目に興味を惹かれて、体験してもらえて、自分で織るというのができて夢中になれる。それって、単に手織りを体験するだけでなく、織るのがたのしいとか、おもしろいとか、ワクワクするものまで感じてもらえる。

難しいなあと思っていた麻の縦の織機のほうでも、一人のお子さんが初めて織って幅16cm、長さ90cmほどのマフラーを織り切った。初めて織ったときにストールを織りあげるという目標を自分の中でもって、それを成し遂げるというレベルの高さ。経験の長さじゃなくて夢中になったことをとことん満足するまでやり遂げたい、やり遂げるということ。その弟さんも同じようにマフラーを織りあげられた。それには私がびっくりした、手織り体験で初めて織ってマフラーを作ろうなんて思いになるのは。特別な二人なのだなあと思ったら、今回はそういうマフラーまで織りあげられるお子さんが8人くらいいてくれて、だれもマフラーを織りなさいといわないのに自分で織っているうちにマフラーを織りたいと思って80cmとか90cm織られる。本能みたいなものが働くのだろうか。20cmくらいのコースターくらいで終られる方ももちろんおられた。

織った分を持って帰りますかと尋ねると、ほんともらえるの?と喜んでくださった。単に織るだけだと、織物を体験したというだけで終わるのだけども、織ったものをお土産に持って帰れることで、思い出が手元に残る。自分が織ったものを見て楽しめる。縦を切って渡すたびに再び織れるようにもとに戻すのだけどもそういうのは林与はプロ中のプロなので1分2分もあれば、織れるように元に戻せるので大変でもない。2日間、お昼から夕方6時まで2台がフル稼働して多くの方に手織りの体験をしていただけ、喜んでいただけたと思う。

もう一つのテーブルでは、おひとり様1枚限定リネンキッチンクロス無料プレゼント企画。日ごろの量産の工程のなかで、キズなどで途中中断してできたハギレなどを取っておいてそれをキッチンクロスに縫い上げたもので、大きさはまちまちだけども正規の商品と変わらないよいもの。滋賀県では、リネンのキッチンクロスをまだ使われたことのないお客様というのは多いので、初めてのリネンキッチンクロス体験みたいな企画。

林与のリネンキッチンクロスをお使いいただくことで、リネンのキッチンクロスの違いみたいなものを体験いただいて、リネンに興味をもっていただくとか、また麻の水をよく吸う良さみたいなものを感じてもらえるだろうと思う。林与にとっても、織物に夢中になってがんばる子供たちにたくさん出あえて、本当に楽しい2日間でした。子供たちが織物に興味をもってやってくれることが本当にうれしく、織りたいならどこまでも織ってほしい。お母さんたちがもう終わりにといっても子供たちが、もっと織りたいと言ってくれると、そうそうとことんやらないとと思うのが私。
2023年08月03日
脱貧困みたいな経済成長モデルがあるけども、農村地に観光資源を作って観光などで活性化しようというもので、大きなお金を田舎に注いで新しい建造物を作ってそれまでの地道な営みを破壊してしまうようなところがある。一時的には、建築などでお金が動いて活性化するもののその事業が成功しなければ、今度はその何千億規模を使った事業ですらもどう維持するのか片付けてゆくのか、次の世代への赤字要因になる。

これが、新興国で起こりがちなことで、でもそれは、日本の万博なども同じような傾向があって、計画では問題なくてもいざ実施しようとしても何倍もの費用が掛かってしまって当初の予定の何倍もの負担になる。今までのことにお金をつぎ込んだ方がよいのだけども、お金を握った人たちというのはどうしても新しいことに費やしたいようなところがあって、地域の人の人生観すらも変えてしまうところがある。

脱貧困社会で問題になるのが、脱貧困のために教育を受けさせるのだけども、結局、高学歴をもってしても結局は誰かが末端の仕事をしないといけないわけで、今まではそれが普通の仕事という概念だったのになぜかそんなことはできませんみたいな人ばかりが増えて、新興国に置いてもさらなる新興国での生産に移行するような話になる。

私自身が、普通と違うなあと思うところは、一番底辺の仕事を当たり前に思っているあたりで、そういう誰もしたくない仕事の部分に価値があったりする。そういう誰もやりたくない部分を自分がこなすことで全体が回ることも多いし、そういう人がいないと企画一つも回らなかったりもする。今の海外生産というのは日本の昔の高度成長型モデルそのもので、海外のほうが低コストで生産性も高く、日本の5分1、10分の1でつくれるだろう。

昔、半年ほど世界最先端の半導体工場の現場で働いたことがあるけども、その仕事というのは織物の仕事よりも標準化されていて単純だったりする。でも、結論から言うと日本でやらなくても、言われたとおりに正しくさえ作業できれば途上国でもできる仕事だったりもする。途上国の人々の生きる力というのは先進国の何倍もあって、先進国の人以上に途上国の人のほうが器用だったりもする。

インドで経験したのが、量産型の縫製工場で、縫製工場の作業員というのはみんな一着の洋服を自分で作れる人たち。そういう人たちを現代の量産の現場で働かせようとすると単能工化する必要が出てきてしまう。それが苦労したところだと工場の方がいっておられ、技術とすれば、安く大量につくれるような素人に近い水準に落とし込んでゆくようなところ。それが世界の洋服の生産を支えたりするのだけども、そういうのが本当によいことなのだろうかと思えたりもする。

日本の昭和のころのものづくりをみるような感じだけどもそういうのが成り立たなくなったときに、今の日本の繊維業界と同じ様に新興国での繊維産業というのも生き残ることは難しいだろうなあと思える。繊維産業は、どんどんと実際に働く人を求めて途上国へ向かうという流れなのだけども、それが本当に良いことなのだろうかと思う部分。先進国は一方で働かないことを理想とする社会に傾いて来ていて、そういうのが、途上国に労働をもたらす一方で、先進国の働かないモデルというのは、結果として、さらなる階級構造そのものを目指しているのではないのかと思えたりする。
2023年07月25日
石川県の繊維工場で68歳の女性が整経の巻き取り作業中に巻き込まれる事故があってそれをインターネットのニュースで見かけた。巻かれるスピードがそれほど高速でもないので安心していると大変なことになる。特に、年配の女性の方だと大丈夫かもしれないが、髪の毛の長い若い女性などは整経作業一つにしても巻き取っているところに一部が巻き込まれ始めるとパニックになって危険である。

また、手首にアンクレットや、指輪なども糸が絡んだりしたりすることもあるので、作業する時というのはなるべく引っかかりにくいことが大事。もう一つ年配の方にありがちなのが、織物工場ではエプロンを付けたりするようなケース。エプロンは巻き込まれやすいので付けないほうが良い。整経を最初に教えてもらったときに、昔の座布団工場の整経の現場ではエプロンを付けた女性が巻き込まれる事故が起こりやすかった話を教えてもらっているので、私自身は巻き込まれたことはなくても、注意が必要であることは最初の時から気にしている。

整経の巻き取りも、電源の接続の仕方で逆回転にもできるけども、巻き込まれにくい回転方向に巻き取るようにすることが一つの安全策で、座布団工場の場合には、巻き取り巾の関係でか逆回りでとくにエプロンの裾が巻き込まれやすかったらしい。整経機の巻き取りの危険に関してもこういう話をするのだけども、普通の人はそれほど危険には思えないので適当に聞いておられることが多く、いくら教えても巻き取りの作業を一人で作業をしてもらえないのはそのあたり。本来はこういう危険性までも他の人に説明が出来るくらいでないとその人にその機械を使ってもらうことは良くない。

シャトル織機にしても、経糸が麻だったりすると、経糸が切れるとそこからシャトルが飛び出すことがあるので、織機が動いているときには注意をしていないといけない。今まで一度も飛び出したシャトルが当たってけがをしたというケースは自分を含めてないのだけども、軽く考えている人がいて、そういう人ほど注意されるとなにを大げさにとなっちゃうのだけども、そういう人は織物の現場にはいないほうがよい。その人が大丈夫でも他の新しい人が来たときにそういうことに対しての緊張感がないと、軽く考えているタイプの人だとケガもしやすいし、教えたことも教えたとおりにやろうとはしないので、新しい人がけがをすることもある。

織機で、一人で作業をしている時よりも二人で作業しているときのほうが危険で、必要なければ織機は一人で作業をした方がよい。遊び気分で二人で作業していると、一人の人が確認もせずに動かしたりしてしまうともう一人の人が作業中だと大きな事故につながりかねない。織機を扱う作業に置いては、基本、一人でする作業というのをもう一人が手伝おうとするのはあまりよいことではないのである。機械というものも基本一人で動かすようにできていることが多い。

また、冬場とかストールをしながら織機を扱う作業をするなんて言うのは本当に危険で、注意するまではその危険性というものも分からないだろうとは思うけども、注意されたときに素直に聞いてくれる人でないと、それ以上機械を扱うことをし内容が良い。他にも、くびに紐でハサミを胸元にぶら下げているようなスタイルは、本当に危険で絶対に駄目だというのだけども、素人の人はみんなそれをやってしまって、いうことを聞けない人も多かったりして、そこで、作業は辞めてもらうことになる。私の母親も最近作業を手伝ってもらっているときにそれをやったので、それは危険だから絶対に駄目だからというけども、こんなの大丈夫よとクビから紐で胸元にハサミをぶら下げたスタイルで作業するのを辞めない。糸を巻く高速で管などが回っていて、ハサミがそこに持っていかれると一瞬ですごく危険な状況が簡単に想像できるのだけども、その一つのことを辞めてもらうだけでも、大喧嘩になる。ほんと、織物の仕事を手伝ってもらう時も素直な人でないと本当に危険だったりする。

正しくモノをつくるとかいうのも、いわれたことを言われたとおりにしないと安定して正しいものは作りにくいのだが、ちがうやりかたでも同じでしょとおもって、教えられたやり方でやってくれないタイプの人もいる、また見ていないと違うやり方でやっていたりとか、そうすると出来上がってくる答えが違って着たりして正しく作業ができていないのがわかってしまうのだけども、ものづくりというのはなかなか正しく作業をするところまでいける人というのは少なく、いくつもやり方はあるけども一番良い方法でやろうとしていて、最初は慣れて無くてできなくても、そのやり方に慣れれば最終的に一番簡単に速くできるというのが苦も無く仕事をするのにもつながるのだけども、そこまで深く物事を考えて作業する人も少なく、できれば一緒でしょみたいに思っていると、いつまでも安定して正しい作業にはならず。また、他の人に正しいやり方を教えることも出来ない。

普通の現場の職人さんよりも私が難でも器用にこなせるのは、いろんなやり方があるとは思うけども一番正確に速くできるほうほうを常に考えていて、失敗も少なく、途中で確認作業を入れながら作業を進めるやり方を選んで行う。昔の職人さんのほとんどがいきあたりばったりで、最後までやってから途中でまちがっててやり直しみたいなのがほとんどで、そのやり方から抜けられないからいつまでも一回で正しいものができるということが少なかったり。本数が多くなったりすると余計に、正しいやり方が大事で毎回毎回くらいに確認も必要で、それも含めて一番確認もしやすい安定して早くできる手や体の動きを常に目指してるところがある。そういうのが結局、作業の高度化にもつながるし、より高度なものづくりにもつながるのだろうと思うし、安全な作業を考える時にも、確認を含む安定した作業手順みたいなものは必要で、厳しく危ないことをやめさせるも大事。私は経営者だからそのあたりうるさくいうけど、もめたくないとかなるともういえなくなって、普通の働いている人同士がそういうのにピリピリしていることはなかったりするのが普通。
2023年07月24日
昭和のものづくりというのは、無駄にみえる部品でもそれが機能していることが多いなあと思う。たとえば、木管にのこった残糸を片付ける綛くり機の機械でも、精密にギアでできているんじゃなくてプーリーで回すようにしてある。何か無理をしたときに、プーリーが空回りすることが大事で、鉄と鉄が無利子合わないことが大事。そういうものは何十時間回っても熱をもたず大丈夫なようにつくってある。モーターにしても何十年選手で小ぶり。

この前にちょっと私の大失敗があって、整経機にビームを取り付ける作業をしていたときに、整経機の一番大事な大きなギアの2つが噛むところにレンチの持つところをを挟んでしまって、床を探しても落としたレンチが見つからず、運転入れたらレンチがギアに巻き込まれそうになって慌てて止めたのだけど、ギアの間隔が5mm以上以前より開いてしまった。ギアの噛みが浅くなり回るたびにギアの頭付近がぶつかり合って開いていくような気がして、そのあと整経機をあまりつかっていなかったのだけども。それもなんとか、無駄についていたようなブラケットが移動して、今日、数年前にかっておいたレバーホイストを見つけ出して、それを使ってギアの間の距離を狭くして、固定するブラケットを閉めたら、ギアの隙間が良い感じになくなった感じ。

整経機自体が、ギアの部分と、クラッチの部分で変に当たって異音を立てていたが、それも多分、なくなるだろう。今は、レバーホイストを強く閉めたまま歪を元に戻すために矯正中。この1か月ほど心配していたことの一つがようやく頭から消えそうで、でもこういのって、一か八かでやってみないといけないし、一か八かも失敗するようなやり方だと余計にやったことが悪い結果になってしまうから、慎重にやることが大事。

昔も、業者さんが来て機械の移動などをしたときに、シャッターは壊れるは、織機も慎重に運んでいるのにそれを手本をみせようとして、運んでいる織機を落として織機の脚の鋳物が織れてしまったりとか、業者の人というのは壊れた時にも責任を持つ器などないから、案外、大事な鋳物の部分が壊れていることが普通で、もうちょっとちゃんと仕事するだけで、壊さずに運べるのにと思うけど、そういうのもそれが普通の業者さんだと難しい。

自分たちで織機を移動するときにはそういう大きな問題は発生しないけども、力づくでやってしまうと当たり前に壊れたりするし、作業している人が大けがをすることも考えられる。ゆっくりと慎重に一発勝負でしないといけないことは、その場の即断でやらないほうがよく、慎重にやるのを面倒がる人がいたりすると、ややこしくなる元。何通りもやり方は考えられるけども一番確実で安全な方法を取るべきで、そのためには適切な道具が必要だったりすることもある。今日の場合はレバーホイスト。それなしにいくら修理しようとしても難しかっただろう。

仕事をするときに、本業の織物の仕事以外に仕事の機械をメンテするために必要な道具というものが必要で、あと自分自身で作業する力も必要。他の人に頼るときには、頼った人の力の限界が自分の限界になってしまうから、自分自身の限界を高めておくことが織物の仕事でも続けていく上では大事な要素になって来る。織物を企画して作るだけでなく、織物をつくる機械や環境を維持してゆくとか、さらには、自分で作ったものを売っていくことも必要で、そのためには、イベントに参加したり売るために必要な什器なども用意する必要がある。

ものを作ったときにできるハギレなども、基本的には使える布がほとんどで、数メートル間隔のキズをうまく使えば何の問題もない布が多い。そういうのを活かせるかどうかも、最終的にプロパーに売る部分を成り立たせてゆくためにも大事な要素。高度なものづくりというのはロスが生じるのが普通で、キズなどを避けようと思えば安全に手に入るようなものしかできなくなる。

織機のことに関しても織物の現場の人よりも、大手メーカーで機械を開発しておられる人のほうが、自分で家に作業場をもっておられたりして、他の場所の織機を引退後にメンテされたりと、仕事経験の長さではなくて、作業に対する興味深さとかとことんさの違いみたいなものが本質的な違いなんだろうと思う。その方には到底及ばないけども私も少しはそういうところを持っているので、ひと昔前の人たちが解決できなかった部分にしても解決して乗り越えていけてるとこも多い。小さな織物工場の中の世界に縛られているよりも広い世界を見ておくほうが良いと思う。私も織機を最初から直そうと思ったのはアメリカでの自分で自分の自動車のトラブルをいろいろと部品を買ったりさがしたりして直そうとしたりしてたことがあって、自分で直せなかったら修理に出すみたいな経験が今も生きている。また、若いころに自分でPCをパーツを買って自作したりとかも同じく生きていると思う。今も、ノートパソコンのSDDや、液晶や、キーボードを交換したりとか、直せるものは自分で直したリが普通。形あるものはいつか壊れるけども、多少壊れても直すこともできたりもする。布のキズ一つ直すのも電子顕微鏡で液晶モニタに拡大しながら医者が手術をするように徹底的に直したいと思うのは、子供のころのガムの型抜きに嵌ったあたりが生きているのかもしれない。

さっき、整経機の大きなギア2つが1mmくらいのいい感じの隙間でかみ合ってるのを確認して、レバーホイストを外して、ネジをしっかり締めて、若干の調整をして試運転。異音もなく調子よく以前のように回り始め、これで安心して巻き取りが行える。整経機を修理もせずに下手に動かさなくてよかった話になった。この1か月ほど、頭の中では、巻き取り部分、中古を探して入れ替えしないと駄目だろうかということまでよぎってた。そんなにうまく、昭和の時代の同じタイプの調子のよい巻き取り部分の中古の出物がみつかることもない。新しいものを手に入れても修理が必要になることがあるけども、それが簡単かどうかが大事で、昔から長く使えているものというのは修理をほとんどすることもなく自分が調整する程度の範囲で一生ものみたいなところがある。また、新しいものよりも、今度も同じ機械がほしいなあと思うのはそのあたり。なるべく長く使えるものがいいなあと思う。私自身が手に入れる材料にしてもその感覚で手に入れまた作るものもそのつもりで作っている。使っていて愛着のわくようなものが良いと思う。ボロボロになっても、また、今度も買いたいなあみたいな。
2023年07月22日
今日は、9月の大阪てづくりフェアの件で、コマのなかの配置をどのようにするかを決定しておかないといけないようなタイミングになってきたので、細部を詰めた。特に、背面が他の出展企業さんと壁もなく接しているので、そのあたり、フリーマーケットみたいな状態にするのかどうか、仕切りみたいなものを自分で手配するのかというあたり。

なにか会場に来られた方が、楽しめることがあると良いという思いで、今回もだれでも超かんたん無料手織り体験を行う。手織り織機というのは見ているとなかなか難しそうに見えるのだけども、やってみたら、すごく簡単でだれにでもできて楽しいというのを知ってもらえれば良いなあと思う。編み物とか、縫製とか、あるんだし、織物の体験もあってもよいんだろうと思う。

参加しておられる出展者の方々にとっては、お祭りみたいなイベントだと思う。参加される方にとってもお祭りみたいなものだろうと思う。出展者がどういうことをするかとか、どういうものを用意して売るかとか、また、人と人のつながりや新しい出会いなどもあるだろう。出展者の方の多くも企業のサラリー0万の方も居られたりするかもしれないけども、そういう方でもこのイベントに関しては仕事のような感覚というよりも、大阪のてづくりや繊維業界を盛り上げようという気持ちが強いと思う。

いろいろな方と出会いのあるような場に、自分の作ったものを置いてみたりしてみていただいて、それが発表にもなるし、また気に入ってもらえればほしいと言って買ってもらうことが出来る。なんとなく今は失われた仕事の基本みたいなところがあって、仕事というのは時間から時間というのではなくて、こういうものをつくったらみんなが欲しがってもらえるだろうなあと思うようなものを実際に形にしてお客様にみてもらって成果を上げ、自分が作ったものに対してお客さんの率直な反応を感じることが出来る。

林与にしても会社として仕事をしているけども、仕事の基本はほんとうにその部分で、一般の作家さん以上にそういうのに長けていないと、織物の仕事も続けていけなかったりする。こういうイベントに関しても自分自身で準備して参加するような気持がないとものをつくって売る仕事には向いていないだろうとも思うし、そう、当たり前に行動できる人というのはやっぱり場を作って成り立たせて行けるんだろうと思う。イベントにお客さんとして参加する側よりも、イベントに出展者として参加するのも楽しいんじゃないのかとも思えたりする。他の多くの出展者の方とも親しくなれるし、また、いろんな情報も手に入れることが出来る。

林与にしてももう50過ぎているので、もっと若い機屋さんなんかがこういうイベントに参加されるといろんなきっかけになるんだろうなあと思えたりする。私もテキスタイルマルシェにグループに参加させてもらって、JFW、HARVEST展、TN展の展示会に参加させてもらって、いろんなつながりをいただいて、自分が業界にいるときに何ができるのかということがはっきりとわかって自分にしかできない提案の仕方などもあるんじゃないのかと思い始めた。

あんまり外に出ない林与だけども、全国の産地で活躍されている方とのつながりを通じて全国の繊維の産地の知識も身につき、原材料のことや麻織物以外のなんとか織りとかの繊維の知識も身に着いた。積極性や行動力というのは、経験を積むうえで一番大事なことだろうと思う。そして積んだ経験が毎回毎回のものづくりには生きてくるし、ものづくりでなくても、普通の人が難しいとか大変だとか思うことでも自然に思えたりするようにするようになる。

だれかお若い人でも林与がやっているような手織り体験をやってみられたら、そこから人とのつながりも増え知識も増し、皆にも楽しんでいただけると思うので、ぜひ、他の方で繊維業界を目指そうとされる方があったらやってみてください。繊維業界のエシカルなことを考える時にも、繊維業界のエシカルに潜むパラドックスみたいなところに気が付かないといけないなあと思ったり。貧しく可哀そうに思っている途上国の人のほうが、先進国の人よりも器用で生きる力ももっていて、ただそういう運命的な位置関係の違いなだけで、自分たちの働かなくても生きてゆけるような価値観を基準に、その中の序列に位置づけようとして、そういう人を教育するとか考えるのは勘違いそのものなんじゃないのかと。たとえば、教育で、今の世界の一番安く普及しているような繊維の品質にたどり着けるのかというとそれは全く無理な話。一番安く、日本や世界の優良な利益繊維モデルは、単能工としても高度レベルにいかない標準化レベルそのもので、それがいつのまに日本の繊維業界の理想的なモノづくりになってしまったのだろう。

日本を代表するような繊維業界の方でも金儲け主義の人ばかりじゃないのも分かってる。でも、私と接するときにその正体が見えることも多かったりして、私自身はある日本の著名な織物の先生は本当に気持ちを持っておられると思うのを感じた。それが機結びとか縦繋ぎ、織物をつくるときの基本作業を自分がするという覚悟があるのかないのか、それを面倒がっておられる先生たちというのだと、よほど他に献身的にサポートされているとかでなければ、日本の高度に発達しすぎて高度なことが当り前な繊維業界は、海外の安い大量生産に流されて持って行かないだろうと思う。

世界的にもモラル崩壊で、国連すらもがモラル崩壊そのものの私利私欲主義で、弱いものは叩くけど強いものは叩かないという、ポリシーすらもがというか、国連の本質があまりにも、虐げられた人たちを救うのが国連が募金集める意義じゃなかったのか。戦う勇気もないのが国連レベルでカネだけ集めるような、人々の期待を権威主義で欺いているようなだけなら国連をうごかすような立ち上がる人も必要になって来るというか、国連にあきれて、国連が駄目じゃないのかと思う人も増えるのは当たり前。
2023年07月20日
私自身が、常に仕事に追われているのを知っている方々からはアドバイスをいただくことが多いのだけども、地元の業界のある方からは、看板があるんだからその看板を使ってどこか安いところでつくってうらはったらよいだけやんとアドバイスされることも多い。でもなあ、結局、他につくってもらうとその作ってる人が本物になるわけで、お金を儲けるという目的ならそれでよいのだろうけども、それが目的じゃないところが大事で、産地で織られる麻織物というのが途切れそうなのを仕事に入った25年前から感じていて、当時から、林与の産地での特色というのが麻を織っていることだった。

それから25年ほどたっても、まだしぶとく織っているんだから、それなりにそこに一番の意味を感じてたりする。産地でも一番の問題は織物の作業できる人がいないこと。産地の特色的な麻織物の先染めの細番手が一番得意なのも林与の特色でそれが他の産地とは異なる近江湖東産地の特色とも被る。先染めの細番手織物だと、林与個人が、世界でも無二レベルで挑戦する人もほとんどない。手織りですらも少ないだろうけど、それを超えてシャトル織機やレピア織機で量産してみようとするから、そういうのに挑戦できるのが、自分個人の力だけでなく、産地の強みだったりするところ。

世界に誇れるような日本の麻織物の世界というのは、海外で安くつくる麻織物とはアプローチがまったく逆で、自分自身がどこまでやるかがポイント。他の人がやってもできないことを自分だったらやれると、自分なりのベストを尽くそうとする。それがもちろん空回りして深みにはまってしまうことも多い、特に、他の人との感覚の違いとか、安全に守られたいような感覚とは異なり、そのあたりが今の楽に働いてを美しいお金儲けを目指すみたいなSDGs思考とはぶつかるところ。外に見える謳いばかりで、業界ではありえないすごいことをやっているを謳うばかりで消費者を煽りながら、そのための地獄を見る覚悟や結果や本質がなければ駄目じゃないのかと思う。

世界最高レベルの世界というのは、墓穴を掘るような世界で、儲けるとか考えたら絶対無理、同じくエシカルな世界も、気軽なエシカルだと、逆に地道な人をつぶしていくだけのことで、今の国連レベルのSDGs。お金が儲からんと意味ないやんを国連レベルで推進は本当に残念そのものというか、日本の国連レベルのSDGsの受け止め方が、地道な日本企業に目もむけずに金儲け的な大手繊維企業にありがちなSDGs。SDGsにしても、国内で利害が対立しすぎているのが現状で、働くことを重視する地道な昔ながらの世界が一番駄目だと評価されるのが、今の日本のSDGsの世界で大丈夫なの?
2023年07月19日
自衛隊の隊員10名が亡くなった事故でエンジン出欲が低下したというのは、ローターが外れたとかで、エンジン制御が働いたからだろう。回収されたプロペラにはぶつかったような切断キズがあるし、ヘリがひっくり返って着水したような形跡もある。でもなぜ、煙を上げて着水したヘリを近辺を飛びながら捜索していたのに無視したのかが諦めたのだろうか、その部分は不思議な話。ひっくり返っているからヘリに見えなかったのか?海岸から爆発したのを目撃してたサーファーは、その上空を飛んでいたヘリなどはその後消えて行ったという。

エンジン出力の低下も、エンジン自体の不具合ではなく、ローターの取り付けの不具合の可能性は高い。エンジンの回転数が20%以上上がりすぎるとエンジン制御が働くメカニズムがあるだろうから。整備が行われたばかりというのもそれを疑うべき要因にはなるところ。ローターの取り付けが再度行われた可能性もあるし、取付ボルトの強度の問題もあるかもしれない。もう産業界でも、ボルトの鋼材ですらも強度偽装がこの何十年も普通に行われてきたのが日本の鋼材業界。整備の際に新しいボルトに付け替えられたりしたなら逆に余計に心配するところ。

三菱自動車のトレーラーのハブ破損も、取り付けが原因だと言われているがボルト自体に強度が無ければ・・・、そのあとに問題になったのが日本の鋼材業界の何十年に渡る鋼材の強度偽装問題。JISレベルは満たしているというような逃げるような表現すらも出てくるけども、汎用的なJISレベルの鋼材が、その何倍もの強度を求めて設計されるべき自動車やヘリに使われてしまっていたとなると、数千メートルも使えば負荷に耐えられず摩耗してブチ切れたりとか、外れたりも想定はしないといけない。

昔の強度を持つ鋼材が今作れるのかというと、それは本当に難しい話で、今のネジというのは数回使うと駄目になるし、最初の1回のインパクトドライバーの締め付けで駄目になることも多い。そういうところまで自動車の事故やヘリの事故のような時には想定をして原因究明しないと、不良整備とかユーザーの問題で片付けていては本質的な事故原因の究明には至らないだろう。このヘリにしても三菱製で、トレーラーのタイヤが外れる問題が多発した事故と同じ様な原因すらもが疑われる。

素材というのはすごく大事で、ネジ一つ昔の強度を保っていないような今のネジで代用をしてしまったら、負荷に耐えることは難しいだろう。日本の鋼材業界の強度偽装問題というのは致命的ながらも、今はボルト一つでも昔の強度のものを手に入れることは難しいような状況。昔の機械などは何十年も使えても今の機械は素材自体がちゃちいので耐久性がない、製品を使う人たちに責任を投げかけていてもしかたないところがあって、ベストなチョイスをしながらも、昔のような良い原材料すらもが手に入らないのが今の繊維業界でも実情であるのと被る。機械のネジすらも40年前、50年前のもののような強度のあるものは手に入らない。

他の原因やローターが外れたとしたらヘリ墜落事故にありがちな整備不良も疑われるが、正しく取り付けられていたとしても鋼材の強度偽装が背景にあったとしたらトラックのような負荷の掛かりやすい場合にはタイヤが外れるような事故にしても避けられない問題だろうとおもう。このような憶測が本当の事故原因だとすれば、メンテナンスにおいても新しく今つくったボルトなどを使用すること自体が問題になって来る。50年前の金属素材の強度を今再現するということすらもが難しいことで、中古部品を使いまわすしかないのだろう。50年前のボルトとなるとやはり経年劣化による金属疲労も伴ってきてしまう。そうなるとそういうことを結論としてしまうと50年選手のヘリの保守自体に問題が及ぶことになるのでそういうふうには結論付け出来ない様なことにもつながるだろう。(事故直後は、パイロットの空間感覚の喪失というパニック状態が憶測的に疑われたが、ボイスレコーダーでそれが原因ではなくエンジン出力の低下が原因だという結論に達している。エンジンは二つ搭載しているし、エンジンが止まったとしてもローターは突然止まることはなく、しばらくは飛行できるというような説がいわれていた。ローターが外れたとしたら確実にエンジンの出力制御が働いて出力が上がらなくなるだろう。)アメリカでのUH-60の事故に関しては、https://aviation-assets.info/flightfax/uh-60-test-flight/ が詳しい。今回の自衛隊の当該ヘリにおいてはボルトの回り止め防止はなされていただろうと想像はするが、ボルトの回り止め防止がなされていなければ同様の事故は必然的に起こりやすく、同様の原因の墜落事故だった可能性もある。ライセンス提供されて三菱によってつくられたヘリだけに、このような米軍内での緊急メンテ情報などが日本には届いておらず対策がなされていなかった可能性もある。
2023年07月17日
たとえば中国では昔は60番手くらいまでの糸しか引けない綿花がほとんどだたのが、今では新疆綿といえば超長綿の代名詞。その背景としては中国が何十年の歴史を持ち、今では世界トップレベルになった遺伝子組み換えの技術が生きていてる。普通の話なのである。インドも同じく、BTコットン栽培のメッカ的な存在であったし、もう今では遺伝子組み換えでない種を手に入れることは難しくなって、努力目標的なものになっている。

オーガニック規定というのは、世界基準みたいなものは実際には存在せず、各国のオーガニック規定に沿った形で認可が下される。日本では、遺伝子組み換え種子を使わないと言われて謳われていても、それぞれの国で使うことが許可されていればオーガニックコットンと認定される。各国でのオーガニック認定が大事でそれが下りることで、認定機関がオーガニックであると認定しているようなところがあり、実際には各国ごとにばらばらな認定基準なのである。

たとえばCPKという肥料の3大要素に関してはインドでは土壌的に自然配合を超えない範囲では制限されていない、すなわち、たとえば日本でいうところの農協の合成肥料がインドではルール上規制されていないのである。また、種に関しても先ほど書いた通り、もう遺伝子組み換えでない種子を準備することは難しくなっているのが実情。国レベルで、何十年も遺伝子組み換えをやってしまっているともはや混入どころか、種すらも入手が難しいという話になる。それが遺伝子組み換えの怖さなのである。

今は、遺伝子組み換えの種を使っても、有機栽培3年で有機栽培された種ということで、オーガニックな種となるみたいだが、本質の遺伝子組み換えの問題は3年育てたところでそのままどころか、それが普通になると本当に遺伝子組み換え汚染が広がる結果につながり、遺伝子組み換え不使用を謳いながらも、ミイラ取りがミイラになるような。遺伝子組み換え不使用を謳いながらも、遺伝子組み換えまではチェックしていないのが実情で、努力目標的なだけなのである。

消費者としては、オーガニック幻想にとらわれずに現実を知ることが大事で、謳い通りのものを手に入れることがどんどんと難しくなっている現実で、これは熊本のあさりの問題とおなじようなところがあって、熊本のあさりの業者に聞くと、有明で国産のあさりを取るなんてもう無理だよとかが当り前の話、また海外からの輸入アサリの畜養にしても1年もやったら全部死んじゃうとか、現場のものは現実的には無理なことを分かっていたりする。そういうものが国産あさりとして、日本で30年も8割のシェアを占めて来た。値段は海外アサリの2倍で売れるので他のまともにやっている国産あさり業者を余計に苦しくしてしまうような結果。利益に目がくらむと偽装につながりやすくなるのでオーガニックも気を付けないといけない話なのである。

今の国際的なSDGsの流れは、利益主義的すぎて下手すれば新しいものに買い替えろみたいなところまである。従来続いてきた地道な世界というのが大事なのにそれを悪いことのようにまた金儲け主義の人がその場しのぎに仕切ろうとすると、従来以上の地球環境破壊を及ぼす。ヨーロッパでも一番環境意識の高いドイツのフォルクスワーゲン社が、クリーンディーゼル偽装をやって、有りもしない技術を謳って、世界シェアを奪いつつけて排ガスを垂れ流し続けた20年余りとか。消費者は地球環境に良いということで買い替えて結局排ガスを垂れ流して法律違反レベルの地球環境破壊させられていたということで、そこが一番消費者からすると騙された思いだろう。くしくもヨーロッパで一番環境意識が高いだろうドイツの企業がやってしまったというのも、地球環境を謳うものが偽装してしまうような、今の環境ビジネスが行き過ぎてしまっているところだろう。

オーガニックにしても、現実問題として、たとえば私がオーガニックリネンの糸を使ったと謳ったとして、普通のリネン糸を使っていても、それは消費者の人にはわからない話で、どんな国際認証機関においても検証すらもが難しい話なのである。結局は、ラベルが貼ってあろうが携わっている人のモラル次第なところによるだけの話ということに終始してしまう。

今、ハイブリッドカーが登場してしばらくあとにはリッター40km走るというのが謳いだったけども、それがリッター25kmとかに落ちてきている。それとは別の話だけど国内でも燃費偽装問題も明るみになってきた。25年前に乗ってたホンダの中古の軽自動車で、高速道路を使わない実走行で、リッター25kmは走っていたことを考えるとあんまり進歩していないのかもと思える。
2023年07月11日
先月の百貨店イベントで、初日に一番最初に来てくださったお客さまがキッチンクロスをお買い上げいただき、その数日あとにもう一度お越しくださって、使ってみて、本当に良かったので友達にもプレゼントしたいといって追加で買ってくださった。今日も、百貨店イベントでお会いしたお客様が、キッチンクロスが良かったのでどこかで手に入らないのかというようなお話。

布というのはすごいなあと思う。人々を惹きつけるような要素を持っているのを感じる。コロナ前には海外の展示会に行っても、言葉が通じなくても布が言葉みたいなもので、多くの海外のデザイナーさんたちとの出会いが生まれる。パリの展示会に行ったときにも、最初のお客様というのが、ベルギーの天然繊維にこだわるデザイナーの方で、ベルギーのリネンのことも聞きたかったので1時間くらいは雑談させていただいたのだけども、ベルギーではアパレル用の良いリネンがみつけられないといっておられた。えっつ、って感じ。林与の生地をみて、良い布をみることができて今日は一日幸せだと何度も何度も言ってくださってた。

林与がちょうどアイリッシュリネンプロジェクトをやっていた時だったので、お出会いの記念に1枚、アイリッシュリネンハンカチをプレゼントさせていただいた。林与自身がすごく思い入れをもって織ってハンカチに仕上げたもので、1枚の小さな布をハンカチにしたものでしかないけども、その布というのは布に思いをもった人からするとずーっと探し求めていたような布との特別な出会いになるのかもしれないと。

リネンのストールプロジェクトなども、海外の展示会では発表をさせていただいて、細番手リネンの織り成す柔らかリネンストールを世界に提案した。また、リネンデニムプロジェクトも林与がこだわる世界の一つで、リネンでは不可能だと思われていた綿のようなデニムをリネン生地で織りあげ国内や海外の展示会で発表した。

一つの布を開発する時には3年くらいは時間を使うことが多く、一番最初に絶対に織るのが難しいような規格から入って、それをどこまで織れるように持っていくのかという試行錯誤、織ると並行しながら生地を加工して製品化までしてみて、面白いか面白くないか、一見してその製品にときめきがあるのかないのかを検証する。開発中の商品は事務所に転がっていることが多く、なんどもなんども見る、その時に良い感じなのかどうか。

リネンキッチンクロス、アイリッシュリネン、リネンデニム、リネンストール、それらの生地は、自分が、いつ見てもそれなりにいい感じで、それぞれがそれぞれに特徴もあって、布が私に語り掛けるようなところがある。林与の布ロゴ看板も展示会の荷物に紛れてどっかいっちゃったけども、あれも、ほんと語り掛ける創作物で、あれは初めての展示会の前日に、生地ハンガーはあるけども、ブースどうしようかというのを思って、半日掛かりでつくりあげた。そのブースに看板を飾ったのだけども、ほかのスタイリッシュなブーストは違って、手づくりっぽいインパクトが強すぎてなんか笑えて。あのロゴは与一爺さんがつくって近江上布の着物の箱に印刷してたもので、それを私がまた使い始めたこともストーリー的には面白いんではないだろうか。ある海外の大きな展示会でも林与のブースにこられた方が、展示会で一番いいものを見つけたといわれて他の人にも見にくるように電話されてたが、それが林与のロゴ看板だったりもあった。林与の名刺とか会社案内とかも15年ほど前に自作したものを今も使い続けていて、手づくり精神はそういうところにもある。

林与のものづくりが、その道のプロの人も感動を与えることがあって、ある展示会では藍染の工房さんが出展されていたのだけども、ちょうどその時に林与が麻の藍染プロジェクトをやっていたので、本藍で完璧なまでに濃紺に染められたリネンがその工房の方には刺激的すぎたみたいで、感動を受けたということでほんの少しで良いからサンプル生地を分けてほしいと真似ができるようなものでもないのでお分けしたことがあった。海外の展示会で藍染の展示をみられたオーストラリアのデザイナーの方が、仕事の話じゃなくて自分のものとして本当にほしいと思われて展示会で一番気に入ったものだったのだろう。林与が作った布を、布のプロたちが自分用の私物として買いたいと思っていただけるというのはありがたいことである。展示会に来た記念のお土産に林与のストールを買ってくださる世界各国の出展者や来場者の方も多い。
2023年07月11日
8月5日6日に米原の伝統産業会館で開催されます長栄座のイベントのロビー展示に関する準備の詳細とチラシが届きました。友人がビームを下すのを手伝いに来てくれたので、チラシを見てもらう。私自身、イベントの準備というのは前日位からが多く、今回もキッチンクロスの縫製と洗い掛けを前日に行って朝に出来上がったものを会場に持ち込む予定。あと手織りの織機の整経もしないといけない。

友人は、他の出展者の方の情報もいろいろと知っておられ、私以上に地元のことはよく知っているタイプ。今回は、滋賀県の地元の方向けのイベントなので、来場者の方にキッチンクロス1枚プレゼント企画を行うのと、超簡単無料手織り体験を行う。来場される方の多くが、滋賀県では麻織物が特産品であるということはご存じなのだけども、普段、滋賀県で織られた麻をお使いの方というのは少ないと思う。手織り織機の画像イメージはあっても、実際におられたことのあるかたも案外少ないと思う。

キッチンクロスは、生産の途中でいろいろと問題があったりしてハギレができたりするのだけども、そういうのを残しておいてよいところどりして、正規の商品ではないプレゼント企画用のキッチンクロスを作る。キッチンクロスに向いたナチュラルな加工で仕上げてある。サイズもバラバラだけども、好きな大きさのを選んでもらえばよいだろうし、大きいのが欲しい方もあれば小さいのが欲しい方もあられる。またハンカチに使えるような小さなタイプのものが欲しい方もおられる。

時間があれば、ストールやカバンなども販売を兼ねたディスプレイ用に展示などしたいのだけども、たぶん、キッチンクロスを2日で150枚くらい縫製して準備していると時間はすぐに足りなくなるだろう。他の方々というのは、会社や地場産業のイメージを展示されるのだけども、林与は、ブースをいろんな商品で飾ることはできないが、家に帰られてからキッチンクロスをお使いいただくことで日本の麻織物の本場の麻織物を身近に感じてもらいたい。

また、超簡単手織り体験も整経などの準備が間に合うかどうかだけどもできるところまで準備して、あとは会場で織機の立ち上げなどはできるので、なんとかなるだろうという感じ。2台持って行きたい。長栄座の公演というのは、出演者に子供さんがおられたり、また、親御さんについてきて子供さんが来られることも多い。手織り体験ももう5年目くらいにはなるだろう。子供さんにもキッチンクロスは1枚プレゼントさせていただくので、そういうのも、滋賀県に麻織物があってそれを使ってもらえるというのは、織物を身近に感じてもらえるひとつのきっかけになるだろう。

私自身が手織り体験の凄いなあと思うところは、子供たちが織ることに夢中になってくれるところで、自分の作業で目の前で織物が織れていく楽しみみたいなあたり。もちろん子供さんだけでなく、お若い方から年配の方まであらゆる方が経験頂くと、やってみると分かることもあるで、目からうろこみたいなところがあります。日曜日に米原の伝統産業会館に来て公演や他の出展でも楽しを見つけられるとは思うけども、手織りを体験していただいて織物を織ったことも1日の思い出になれば。手織り織機で織物を織ることは難しそうにみえてもすごく簡単で楽しいということを知っていただけたらうれしいです。
2023年07月07日
先代を持ち上げていた母親もようやく今まで自分がやってこなかったという状況が分かり始めたようで、80過ぎて気の毒だけども、実際に初めて位に仕事をしてみて仕事の普通の厳しさみたいのを知る話。仕事というのは外の世界とのつながりなのだけども、内輪のなかで偉そうにしていてもそれはまったく成り立たない世間知らずで本当に無意味な話。

母親には寝る時間やテレビを見る時間、自由に動き回れる時間をあげたけども、それが普通になってしまって自分が自分で食べていくというのが理解できずに、なんで私が働かないといけないのよ、若いころに働かされたわよ、というような、今の若い人の働く覚悟もない、自分のメンツが勝ってしまって、自分がすべきことをやらずに、自分が下と思っているものに当たり前にそれがあなたの仕事でしょうというような、いわば、日本の階級社会の末期状態。

自分が働く覚悟もない人というのは本当に厄介で他の人を仕切ろうとするからややこしくなる、それが林与の先代夫婦。6億もの借金を自分が信用あると自慢して、お前には無理だとか言っていても、でも、実際に返すのは次の世代。くしくも先代は先々代から借金してまで仕事するなと言われていたのがあって、私が3歳くらいで亡くなっているので記憶はあまりないが、おじいさんというのはしっかりとした人だったなあと思える。過疎化や少子化なんて当たり前で、年寄り連中が好き放題に。実は林与というのは、親に育ててもらったというよりは、本当に正しいことは旧の愛知川町の剣道の先生方に教え育ててもらって、先代なんかは、一番に小学生からやり直さないと駄目のも当たり前。日本の繊維業界の落ちるに落ちるを見る話で、それで成り立っているのが今なお令和の日本経済だったりもする。

何も残していらないから借金を片付けて綺麗にしておいてほしいというのに、驕りすぎてお前は将来ワシに感謝すると田舎の旦那さんというのが、私が高校生17歳の時の真面目な話の結論。そういう先代に頼ってしまっていては結局何倍もの問題を解決するのが私が働き始めた時からの仕事。でも、先代夫婦というのは今時の感覚で、こかしてなんぼの世界、そして先代と懇意にしていた金融機関もそれが理想だと思っているから、何億円もの問題が次の世代にのしかかってくる。

カネや数字に浮かれた人たちが、人々が守ろうとする物事の大切さや気持ちも見失って、綺麗ごとで利用して責任感もなく食い物にするのは解せないところ。先代はあまりにも人が良すぎて、田舎の世間知らずの旦那さんそのもの。その世間知らずの旦那が、人間関係に奢って、他の人に頼り始めた時に、それは相手の苦しみも理解せずにやったら駄目だと警告を鳴らすのが私で、人々が働くをあまりにいい加減に考えすぎているのが覚悟すらもないというか、覚悟すらもない人が集まりすぎて覚悟している人を食いつぶすようなのが当り前な今のながれ。誰が面倒を見るんですかという話で、自分が面倒も見ようともしない人たちが偉そうに面倒見ろとか、それは野麦脳外の世界に通じる話で、日本の階級社会の闇そのもの。生きてゆくのも難しい困った貧農を救うのが国からすると一番駄目なようなように持って行く、3年で家が建てられるとかのチャンスが日本苧行政的な階級社会では一番駄目なことになる。

江戸時代の身分制顔がそのままなのが今の日本の法の下の平等で、法律で江戸時代の身分制度や階級社会を守っているだけのことで、それが、本当に残念、そのもの。自分が支える覚悟のあるものが日本の繊維業界を支えてゆかないと思うだけで、その気持ちを増やして行かないと、日本の繊維業界もどんどんと楽にうすっぺらく、ラベル商売が横行して、逆に実際に作業する気持ちすらも食いつぶして行く、それがこの15年くらいの流れ。

専門家の人が林与にアウトソーシングしなさいとか、損得じゃない日本の産業としての問題で、それは、日本の大手企業すらもが海外のお客さんになるだけの話で、自分たちが働くことすらも面倒になって、そういう考えに陥ると成り立たないようになるだけのこと。大きな企業に憧れが無くて、一般的には特に大きな企業の中の人には魅力をあまり感じない。大きな会社の中でも、私と同じように仕事している人がいたりもして、そういう人はなんでも自分でやっていて解決方法も持っていたりする。実質的な仕事のところがあって本当の仕事力みたいなものを持っておられ、その会社では一番年配の開発者の方らしいのだけども大企業を支えられているなあと思えた。

補助金の審査会でも審査委員のいわれることがずごく浅すぎてそれが一番駄目だったりとかも多く、わたしは、現実も分かっておられずに「そうですか」というだけ。別の審査会では審査員の方が事業計画でなぜ販売をしないのですかという質問をされたりもして、補助金の事業期間中は販売してはならないルールがあることが私の返答だったりとか。自分が開発した商品などにしてもなぜか販売は他の人に任せなさい見たいなことを言われたりするけども、それももちろん今までの仕事で経験はもっているけども、繊維業界全般で販売が難しくなっているから、作っているもの自身が販売を手掛けていくという必要性が出てきているのである。

一流企業で働いてとか公務員になるも難しい人たちが田舎の繊維企業に集まったときに、そういう人たちの生活をどうやって支えてゆくのか。できなくても精一杯やってみるというところから始めないと。何億問題を当たり前に背負いながら、まだ、働いている人を先代のように大事にしなさいよみたいな感覚では、今の時代の普通に働くも難しい話で、そこまで要求されるのが駄目な田舎社会。持ち出してその人々の人生が支えられているのがわからないと年配者や経験者がどこまでも覚悟すらもなく支えている喪に要求では難しい。みんなが頼っていた先代や、ちゃんとしているという母親に、1日のアルバイトの覚悟もなく、次の世代に面倒見てもらうのを求めてしまっている日本社会と被って、残念に思うところ。

田舎の商売感覚ではどうしようもないところがあって、外の人たちというのはピュアな気持ちで応援もしてくださる方が多く、普通に一生懸命にやっていれば評価してもらえるというまともさがあって、そういうのは一般の最終消費者のお客さんが評価される気持ちみたいなところからきている部分もあるのだろう。一般の消費者というのはSDGs的なものごとやエシカル、エコを大事に思ってくださる方が多く温かいなあと思う。そういう気持ちに応えられるような感覚で仕事はしたいし、意味のあることを続けていることがやっぱり大事じゃないのかなあと思える。儲けるとか儲かるとかに支配されてしまうと、大事な物事を見失ってしまって、毎回毎回の判断が誤りの積み重ねになってしまうだろう。それだけは避けないと一生懸命にやっている意味すらもなくなってしまう。
2023年07月01日
遺伝子組み換えのBTコットンではないかとオーガニックコットンが疑われている事例への、国際的認証機関の返答が、綿花レベルで遺伝子組み換えか否かを見分ける技術は現在のところないので問題ないという返答。それって国際的な認証機関が、オーガニックで遺伝子組み換えを禁止していると消費者には謳いながら、実際には、インドなどでは遺伝子組み換えでないコットンの種子は入手が難しくなって努力目標でしかなくなっているのが実情。

何がいいたいのかというと国際的な認証機関自体が、消費者に謳っていること自体がもはや現実味すらなっているということ。今に始まった話ではなく、2008年のピークから次の年に半減したのは、認証機関が適正な検査をしていなかったということで、2009年2010年にはインドの綿花の栽培量が半減した。オーガニックコットンの意味を否定するわけではないけども、国際的な認証機関の認証もうのみにせずに、消費者目線で警笛をならさないといけないというのが実情なのである。

特に、日本で一番大きなオーガニックコットン系の組織で、数年前まで、理事長やってた人は本当に無茶苦茶なことを電話で言っててびっくりした。私がコットンじゃない合成繊維交じりのものにもオーガニックコットンのラベルがついていますよね(当時はオーガニックコットン100%でないと駄目なとき)、というと、その理事長は、それは企業が勝手にやってるだけだから私の責任ではないと。それが国際認証機関の日本の認定委員も兼ねているから、結局、その程度の認証なのである。ほかにも、エシカルなことが面倒だとか、国際会議でなまった英語を聞いていると眠くなってくるんですとか、私があなたが一番オーガニックのなかでやばいですよ、早く理事長を止めた方がよいですよ、というと、辞めたいけど他にやる人がいないからやっているだけだという答え。そういう方が日本のオーガニックを謳って、セミナーとかで講演をしていたというだけのこと。一番感じたのは権威主義的で階級思想的な考えをもっておられ、そんなボロボロなことを言いながら、オーガニックの代表では駄目だろうと思うが、それが一つの日本のオーガニックのお粗末すぎる実情。その当時の副理事長だったかたにこういう話をするとびっくりされていたが、副理事長の方ですらも、理事長がそんな人だとは思ってもおられず、一緒にオーガニックの啓蒙活動をされてたみたい。その方を取り巻いておられた他の方ともお話するとびっくりされているけど、取り巻いておられる方々にしても、そういう本質も見抜けずに一緒によくやっておられたなあと思う。

オーガニックコットンに憧れる業者の方というのは、それまで普通のコットンを扱ったことのない方が多かったりする。同じように普通のリネンを扱ったことのない方々が、オーガニックリネンを求められて商売にしようとされていたりも多い。そういうのって繊維の世界からするとアプローチが違って、繊維の基本知識もない方がイメージから入ってこられるみたいなあたりで、消費者に正しい知識が伝わるのかとかも心配だったりするところ。

国産と謳われると安心するというイメージがあって、それが海外でつくられたものであっても、国産しか謳わないからどこがどう国産なのかというあたり、百貨店レベルでも危ない橋を渡っておられる業者さんがあったりもして、販売店員の女の子と話しているとすべて国産ですと言われるが、その裏の話をしっているから、販売店員さんにその会社は海外本社の業界では有名な輸入生地業者さんだということを教えてあげる。熊本のアサリのようなことは繊維業界でも普通にあって安い生地にはやっぱり訳がある。別に安くて悪いわけじゃないけども、高く売りたいからすべて国産とか謳ってしまう。

生地の産地にはいろいろな産地が絡んでいる、原料の産地、紡績の産地、染の産地、織の産地、加工の産地などなど、生地の産地要件としては、基本織の産地が、生地の産地となる原則があって、後染めやプリントの場合には、織の産地+プリントの産地とか、林与の場合は、織の産地主義に基づいているから、産地主義を貫いている。林与のように自分自身で仕事を受けて織っている会社からすると、今すでに麻を他の会社に頼まれて作っておられるなら、その織物工場とのお付き合いを大事にされるのがよいのではないかと思ったりする。

機屋というのは日本では絶滅危惧産業で、林与のようによいお客様やチャンスにも恵まれながら、いろいろとものを作って動き回っていても、実際の作業量が多すぎてなかなか成り立たせるは難しい。でも、普通に憧れて本質を見失なってしまえば私が織物をやっている意味も無くなるだろうと思う。ある方が、林与に尋ねられたことに林与さんの特徴はなんですか?と、自分で織物を織っていることかなあとお答え、尋ねられたかたはその当たり前に思われる答えにポカーンとされたのだけども。たぶん、どこどこの糸を使っていますとか、すべて何とかリネンですとかのようなところを求めておられたのかなあと。麻の知識に関する認識が違いすぎる時には、整合することはないだろうから言わないほうがよいのか迷うことも多い。言わないときには林与との仕事としての接点は生まれないほうがよく、接点が生まれると生地に対する情報がその方に正しく伝わるか、また、その方から消費者に正しく伝わるかどうかが重要なポイントとなる。
2023年06月28日
ルールを作っている人が現実しらずに理想もとめてたりだと大変なことになるのが、クリーンディーゼル偽装。地球環境を守ると言いながらも、不正プログラムで実走行では排ガスを垂れ流すディーゼル車に買い替えさせて世界シェアも伸ばしたが、実際には、10年20年排ガスを、偽装クリーンディーゼル車が環境によいということでシェアを伸ばしより大規模にディーゼルの排ガスを垂れ流すような結果になって地球環境を破壊。今、VW傘下のアウディ者の元トップが裁判に掛けられているが、そういう絶対に無理なルールを強いて偽装に陥らせてしまうような環境意識高い系の素人専門家や国の役人たちが深く考えもせず、まともにやっているものごとを破壊して、地球環境の悪化につながってしまった典型的な事例。環境に良いと信じた消費者が手にした車を買い戻しさせることも出来ない。

人々のモラルまで落ちてしまって、素人的な環境の専門家たちと一緒になって、ルールを守って地球環境破壊することが、まともなものを淘汰してしまって最悪の結果。地球環境の専門家たちがクリーンディーゼルというような実現性のないものが実現されたと持ち上げて地球環境を救う最先端みたいに、普通のまともなものを駄目なことのようにつぶして行く。偽装の発端が、地球環境保護を謳う人たちの意識と知識の無さにあるだろう。

同じく、熊本のあさりの産地偽装問題も、やっている人たちはルールを守ってやってたみたいな一夜漬け、その一夜漬けもしていない業者もいたりで、結局、そういうのが表面的な世間一般では超えたことをやって国産の優良企業として扱われて、正直に商売している人たちは成り立つのも厳しく、商売がヘタみたいに扱われて、何十年。まともに仕事していたら儲からないのは当たり前だけども、そういうまともな商売を評価しないと駄目なのに、なぜか、ルールやラベルがあることで、それを欺くところにビジネスチャンスがあるみたいな今のものづくり。

オーガニックなんかでも、いくら認証やラベルがあろうが、結局は一つの企業のモラルの問題というだけでしかなく、普通の糸を使ってオーガニックラベルを付けても判別は不可能という現実。ルールの独り歩きの典型が虫のいない様な場所でのより工業的な作物の生産手法の導入とか、自然農法とはどんどんとかけ離れてゆき、資本主義的になりがちな今のオーガニックで良いのかと思う。

続いている技術というのはそれなりに安全性があるのだけども、それを駄目なことのように貶めてより安全でエコだとかで買い替えさせ、ずっと使えるようなものを捨てさせて、新しいものに買い替えさせるような、ビジネス目的のエコでは、従来の業界のまともさすらもなくなってしまうだろう。変な環境家や学者など必要なく、健全性を守る覚悟の人たちが業界をつくりものを生み出していくのが一番良い。買い替えさせるのに必死なビジネスのどこがエコなのか、その買い替えたものがまた数年で買い替えないといけないようなものだったり、より地球環境を破壊するような結果になる。

アベノマスクにしても、マスク企業がやったんだけども、あれは一番駄目な日本の終わってるようなレベルの政治と癒着し商社化した繊維業界の典型。ああいう形で生まれたマスクでも、つくられたマスク自体には罪はないしゴミでもない。今はマスクが普通に出回ってマスクのありがたみすらもまた失われてしまったけども、ゴミのように考える考え方が蔓延ってしまうのが本当に残念で、どうしようもない人たちが掌っていると保管料だけで6億円とか、もうそこが根本的に垂れ流し。

国もエシカルサステイナブル言いながら長期保管もできないようなシステムそのものが、エシカルとかサステイナブルを指導しようとしていたりでは、日本のエシカルサステイナブルからもまともが消えてしまう。人としての温かさを失った人たちがエシカルやサステイナブルを牛耳り始め、実際にやってる人たちを駄目かのように苦しめはじめたらそれはもうエシカルでもサステイナブルでもない。
2023年06月25日
商売するのには、場所というのはすごく大事だったりする。何もしなくても人通りの多いところでは商品やサービスが人の目につくが、奥まったところだと人の目に着きにくく、売り上げをつくることは難しい。若いころ展示会に出て、人の流れの少ないところが当たったときに、場所が良くなくて、新しいお客さんとの出会いが少なかったことがあって、もっと良い場所に割り振ってほしいなあと思ったことがあった。その考え方が本当に愚かだと悟ったのは後のことで、主催に近い出展者は、大きなブースで費用負担も大きいけど敢えて奥まったような場所を意図的に自分たちに割り振ってられるようなことを知った。その理由が、奥までの動線を作るためのような全体を盛り上げるためにあえて自分たちに悪い場所を割り振るみたいな考えの方がおられるのを知って、ほんと自分自身は浅いなあと思ったことがあった。

ものを売るだけの商売なら、販売のチャンスにものが売れないと難しいことになるけども、林与の場合は、織物をつくるという大事な部分があって、展示会に出ながらも、そこに一番の力を注ぐべきだろうと思うようになった。売り方にしても商社的な会社の売り方を真似るではなくて、自分自身が作っている立場の人間として、これは良いものですよと伝えるような売り方がよいんじゃないだろうかと。たとえば、それが他社の生地でも私自身がみて感動したならそれは良いものとして、お客さんにどこどこの業者さんがすごい生地をもってられるみたいな話をするとか。手ごろな価格帯の生地を探しておられるお客さんには、他の業者さんの情報を紹介することもある。出来上がった生地がいくらというよりも、製造するのに掛かる手間やコスト、リスクが結局のところ私にとっては生地の値段。林与の問題というよりもお客さんの求める生地の作り方次第でコストは大きく違ってくる。

他の会社のカラーブックで、数メーターから買える生地に慣れておられる業者さんにとっては、生地というのはいつでも手に入ると思われるかもしれないが、ブランドの色とかもうちょっと薄い生地を敢えてそのお客さんだけにつくるとかなると、お客さんがしっかりとした生地を買い上げる企画をもっておられないと話からして難しい。自分が頭でほしい生地を、30cmだけ作って見せてみたいな話をされるお客さんが多いけども、それほんとそれを頼むことの意味を分かっておられないと、次は1着分だけほしいとか、10m20mのサンプル作っても30cmだけ送ってとか、自分がオリジナル生地の企画をするのに売れたら買いますみたいな話とか。林与が自分自身でオリジナル生地を作るときにでも普通に100mとか200mはつくって売る自信があるし、作った生地は在庫として持って販売する努力を売り切るまで努力しつづけるけども、そういう自信のない人の企画というのはアイデアだけの使い捨て企画が多い。

もう10年ほど前の話になるけども、年商何百億円の大手の生地商社が、生地をつくらせて小出しばかりさせて、3年経ってもまだ買取らないので、買取るつもりないんですかときくと、わからないという。買い取るつもりがないなら私が自分で売って片付けますよというと、どうぞといわれる。それで売ったんだけども、また半年ほどしてへっちゃらに出荷してほしいとか言ってくるけど、もう売ってないですよと返事。なんで売ったんですかとか、あわててるけども、その大手の問屋のどうしようもなさ。そういうことがあったので、もう作らないと決めていたけども、絶対にあんなことにはならないから、もう一度作ってほしいと言われて、担当も変わったけども、結局また2年経っても新たに注文して作らせた300mほどもまったく引き取らないから、それが日本の大手の生地商社の中の人の商売感覚。最後また別件でより上のほうの方から電話貰って、その方個人で引き取りはしてもらったが、今後の取引はお断りする話で、そこまでどうしようもなくなっているのが日本の大手生地商社レベルで、日本の繊維業界も元気に見える所が末期状態でリセットが必要ではないのかなあ。その生地を使っているのも、日本のものづくりにこだわる海外でも日本のものづくりを謳う知名度の高いブランドさんだったんだけどもう関わりたくなくなった。

金儲けやものづくりへのこだわりよりも、地道なことを支え合うような精神を大事にしたいなあと思う。今の世の中というのは法律自体がもうボタンの掛け違えで作られすぎて、今の若い世代の人たちはかわいそうに思える。若い人たちほど搾取される立場で、生まれてくる赤ちゃんたちに今の日本のだらしない行政の問題を背負わせてしまうような頽落状態の行政。自分たちの問題を背負わせたいがために次の世代が必要みたいな、どうしようもない感覚で少子化問題議論。生まれてくる子供たちが今の大人たちの問題解決を背負わせる奴隷では可哀そう。少子化問題も対策の機振りしている人たちが少子化問題の元凶だったりもするのが、日本の少子化問題の根の深さ。それは過疎化問題と同じで、自分を譲れない人たちがいつまでものさばってしまっているから、世代交代すらもできずに、ワシの目の黒いうちは牛耳ろうみたいな人ばかりではお話にもならない。牛耳ろうとするのではなく問題解決を自分がやる先頭に立て底辺を覚悟して実践すればよいだけ。偉そうなだけの政治家たちに価値はないどころか、社会問題の元凶そのもの。
2023年06月25日
私自身は地道に先代である自分の親がアホだっただけななく、金融行政や雇用行政も含めてアホすぎたから、日本の昔ながらの繊維業界が、素人的なものに置き換わってしまって、一番下の身分扱いなのが、残念過ぎて。それは行政レベルで、世間知らずの田舎者を騙して食いものにするようなあたり、国レベルではそういう問題に是正の動きがあるのも理解はできているけども、林与のようなオールイン全力でも、日本では難しいと金儲けするためには消費者騙しするしかないんじゃないか?国や行政レベルがらみだと消費者騙しで、さらに責任逃れがふつうなのが、国際的なクリーンディーゼル偽装。素人でもディーゼルの排ガス心配して遠慮しても、金儲けに問題解決したと世界シェアを奪って20年も排ガス垂れ流して、消費者を裏切ってつぶれることもないような国家レベルの偽装。その消費者騙しレベルに本気でやってる人が落ちてほしくない、国連や国際レベルもエコとかサステイナブルが現実的には推進している人たちが危ない商業的なレベルで、それを信じて買った騙された消費者が排ガスの問題を抱えて、1万キロごとに触媒を交換で何十万の世界、それが世界的な偽善エコビジネスの最先端が続いている。本当なら、エシカルな観点からすればすべての自動車をリコールしないといけないレベル、地球環境に役立ったどころか、買い替えさせて、意図的に地球環境を汚染をつづけさせたようなビジネスモデルそのもの。国の行政が普通に国民を騙してばかりいるようなことを、商売している人間がしてどうする?その国民や消費者騙して生きてゆくのが日本のレベルならやめた方がマシ。

世界的にみると戦争ビジネスとか政治ビジネスとか、何兆円もの話あるけど、それで救える人は地球規模。国連すらもがカネを集めるだけの組織になったときには、警告を鳴らすべきは、本気に思っている個人、国連の誰もがその覚悟もなく、聞く耳もなく、SDGs。

日本の繊維業界で私を知る人だと、分かることもあると思う。それは国連の温くカネを集めるだけのことやってると、地道な人がつぶされて、その流れが加速してゆくようなSDGs。日本のSDGsやエシカルなことを発信されている方でも、実際には繊維業界のことを専門的にしか知られない方が多すぎて、法律とかができると、林与のような世界的にも珍しい感覚でやってる企業が一番駄目な繊維企業扱い。それって、世界的なカネの話ばかりの薄い話のどうしようもない世界で、それが国連レベルのSDGsなのが残念に思える。どんどんと従来やっている人たちをつぶして、商業主義的な方向を主導しているのが今の国連のSDGsで、商社や金融機関はもうかるけども、実際に昔から繊維業界の価値観を守ろうと地道にやっている人たちが代わりに消されてゆくだけの今の世界的なSDGs.扇動家として金儲けしたい気分もないけど、地道に本気で繊維業界の現実を受け入れているものを追いつめるような営利主義的なSDGsでは駄目そのものと思う。

人々の地道な地球環境をモア盛ろうという意識を裏切るような行為で金儲けするようなSDGs企業が増えすぎたというか、それが一般的な企業や組織の営利ビジネス。それに従順な人たちが騙されてしまっているようなままでは駄目で、理想じゃなく、できる現実を伝えるのが大事で、それは日本の原発の5重の安全神話そのもので、まったく責任逃れするばかりが、独り歩きで問題が起こってもそれで食っていた人たちはさらに国民に負担させるだけのこと。詐欺と同じで地に落ちたビジネスモデルでそれが合法とかだと、だれひとり責任すらも感じてないどころか、電気代2倍になりますよとか言ってくる、私は天然志向で2倍になってもいいですからいい加減な気持ちで安全を謳ってやらないでくださいという。事故が起きても分かってない電力会社というのが、次の事故を当たり前に起こす。あのメルトダウンでも十分に防げたけども、メルトダウンしても石棺化が必要なかったのは、地下から海への汚染水の流出という想定外のことで、石棺化に必要な多くの人命が救われた。チェルノブイリでの石棺化での消防士たちの命を笑っていてはいけない話で、想定外の地下水からの放射能汚染水の流出がなければ、石棺化が必要だったという問題。それをやらなければ、福島原発一帯は、チェルノブイリだと何十年も近寄ることのできないような8000ベクレル越えの場所。日本がチェルノブイリ以下じゃないのかと感じたのは、汚染土を8000ベクレル以下だと全国にばらまくとか。
2023年06月24日
コロナで国連のWHOレベルですらも金儲け主義の組織で、マスク害悪論を流して、コロナに便乗してカネを集めるだけで、その存在が逆にコロナに対して正しく対応しようとする人々を苦しめた。まさに、マスク1枚で救える命があったのに、それをさせようとしなかったWHO。ボタンの掛け違えが広がりすぎて、マスク害悪論が独り歩きさせ過ぎた。空気感染はしないと、ソーシャルディスタンス論ばかり強調して、現実的には、コロナは空中を漂い、距離をとっていようが、空間を共有した人たちが感染した。

初動で、マスクを付けさせない様な誘導ばかりが目立ち、ソーシャルディスタンス論ばかりが独り歩きした。世界の人々の健康を守らないといけないはずのWHO自体がその代表例。結果としてコロナに対してはマスクの効果は絶大であったことが最後に証明され、WHOの事務局長も最後にはマスクを付けたが、専門家といわれる人たちほど違う方向に誘導をして、一般の人ほど普通にマスクをつけてコロナ感染の拡大を防いでいた。普通にGOTOなんかやったらコロナが広がるだけなのに、意図的にGOTOやってコロナ感染拡大をさせてしまって、あとで、GOTOでコロナが広がるなんて想定外だったとかいう日本政府。人々の冷静な対応とは逆に、その冷静な対応を崩そうと動く政治家たちの意図はというと金儲け。

国民が適切な判断をしてコロナを防ぐということは、為政者たちにとっては不愉快で、国民というのは愚であるというモデルに落とし込んで支配したいという気持ちが強い者たちが、為政者。愚なるは為政者で、愚なる為政者たちが適切に対応している国民を、命の危険にさらそうとする。自分たちのいうことを聞かせたいというだけの心理。そして初動の失敗すらもいつまでも省みずに正当化しようとボタンの掛け違えを続ける。

日本という国では国がいくらマスクは害だといっても、国民は自己判断でコロナ蔓延防止のためにマスクを付けた珍しい国で、他国のような爆発的な感染は起こらなかった。マスクがないときに布マスクを家族のためにお母さんたちが自作するというような国民性も世界的には珍しく、自己防衛本能があって自分たちの命は自分たちで守るというような国民性。

今は、またマスクが普通に安く手に入るような状況が戻ってきたけども、本来はこういう時に個人にしても行政にしても一人当たり何十枚分かは備蓄しておくようなことが大事なんだろうとは思う。マスク1枚で国民に身を守られては商売あがったりな人たちがいて、なぜ、あれほどまでにマスク有害論を垂れ流すような人たちが行政には多いのかというあたり。
2023年06月24日
日本の行政の人たちが、法の下の平等とかが世界レベルの人権意識ではまさに差別意識そのもので、そのような低いレベルの人権意識では、ボタンの掛け違えで差別を助長し、階級社会を助長する。法律がボタンの掛け違えを生み出し、謳いは美しくてもまともな人間ほどを苦しめているような、官僚主権的な感覚はもう戦前そのものが加速している。

自分の命を捨てる覚悟の国民を求めて、一方で勝手に死んだだけとかの、為政者たち。存在すらもが害悪なんだけども、日本の社会の本質そのもので、そういう輩がまともな人たちを食い物にして、そういうのにすがるような苦しい国政を生み出して、世界の中で日本はまともじゃないのになびかないと法律が干すような社会で落ちてしまっている。世界的にみれば中世以下の今の日本の現状。それで回って世界的に優位を満喫している国とか国民ならよいのかもしれないけども、逆にそういうのを国民に支えさえて国民の義務だと世界に良い顔して大盤振る舞いで好待遇の政治家や役人たちが日本国内で階級社会そのもので吸い上げてどうする。そして吸い上げている人たちが払えないと犯罪者扱い。それは、もう途上国以下のレベルで自分が国民を幸せにする覚悟もなく食い物にしたい人たちが牛耳っているだけの、世界の優位な先進国を支えるための裏社会が日本の政治、日本社会が世界のために自分も成り立たないほどに奴隷以下にが今の国民の姿を求めて、政治家や政党が中間搾取で蔓延っているような本当に身分制度もあった江戸時代を超えたような、現代の官僚的な感覚の身分制度的な階級社会そのもの。身分制度のあった江戸時代てもそこまではやらなかたようなことが法律としてやってしまっているのが、現代の日本で、なぜか地道な人たちを食いものにしている人たちほど国連レベルや日本行政レベルのSDGs。一番アカンのが日本の行政的な金儲け主義的なSDGsやで。

2023年06月24日
地域でも自分たちが持ち出しでやる草の根的な活動があったりする。手織りプロジェクトは林与個人が全国の人に初めての手織りを経験してもらって織物を織るということを経験してもらい、織物って織れるんだなあという楽しみを広めたい。だから、一番簡単に、経糸には太い綿の双糸、横糸にはかわいい匹揃えた糸やモール糸など、初めての人でもだれでもが簡単に最初から織れて、自分の手作業で織物が織れてゆくのを体験してもらえる。

林与の手織りプロジェクトの役割というのはそこまでのことで、それよりも先は、最初の経験をきっかけに織物教室に通ってもらうとか、自分で織機を探して織物を織ってもらうとか、伝統工芸レベルの体験教室を組合さんなどで体験してもらうとか。だから、林与の手織りプロジェクトでの手織りは一番簡単な手織りで、初めての人が誰でも楽しくわかりやすく織れることを目指している。本格的な手織りの手法では耳をきれいに織るために、途中、横糸の微調整が入ったりするけども、そういうのはまた他の場所で別の機会に学んでいただいたら良いと思っている。

林与自身はそれを営利目的にするつもりもなく、自費で準備して日本中に広げたい気持ちがあって、それが私が日本の繊維業界にいてできるようなことの一つだろうと思っている。先日の阪急のテキスタイルマルシェでも、売り場で無料手織り体験の機会をいただいて、手織り織機を置かせてもらって、5歳くらいのお子さまが椅子に座っても踏板に足も届かないから、誰でも簡単に織れると謳っているのにやばいなあとおもって、右側の踏板は私が踏んで、反対側はお母さまが踏んでくださって、上手に織ることができて、難しかったかなあと思ったけども、お母さまと一緒に売り場を離れられる時に、振り返って織機を見てもっとやりたいとお母さんと話されてるのみて、うれしくて。

他にも楽しかったので次の日にも朝から来てくださる小学生の方もいてくださって、なんか遊園地の乗り物とかじゃなくても、織物の世界で自然に楽しんでもらえるような世界があるのが、私自身織物をやってる立場からするとうれしくって。私自身が実はお金儲けのための仕事じゃなくてその感覚で織物をやっているようなところがあるのかもしれないなあと思う。自分の家族が着るものをつくるために家のものが手織りしていたのが戦前の日本で、戦後は企業は株式会社化、働く人はサラリーマン化で、何百年も続いていたことが崩れてゆく。

織物の世界にしても今の日本では3Kで実際に厳しい仕事だけども、昔の人たちにとっては生きてゆくのも難しい階級社会に縛られた農家の人たちにチャンスを与えた方法の一つ。野麦峠の話でも、3年で家が建てられるほどを目指せるくらいに、貧しい農家の娘さんの世話を大盤振る舞いしてやったのが繊維業界の親心での人たち。貧しい人たちが国からも吸い上げられ見放されているのに、値切ろうと思えば値切れただろうけども3年で家を建てられるような今でも夢のような待遇を用意したのが当時の繊維の世界の人たちではなかったのかなあと思う。

国というレベルは無常で、貧農からも吸い上げるばかりで、食べるものすらも吸い上げるようなことして見殺しが当り前の時代に、同様に貧農の足下をみれば国と同様に吸い上げることも可能だったろうけども、それをしないで3年で家が建てられるような待遇。すごいチャンスを提供したのだけども、それが一番悪いことのように、世界遺産の富岡製糸工場につながる。良家のご子息に好待遇でまともなものができるのかというと、貧農の娘さんの作るものの方が覚悟もあるので、当たり前に品質も高く、吸い上げたお金から偽善というのは、日本の政治の歴史そのもので、搾取そのもので、国際的なSDGsですらも、搾取の典型になってないのかと思ってしまうのが、末端で先進国日本で働いても、地元の金融機関に一番駄目な企業ですよとか、日本の行政の専門家派遣の専門家でも返してから文句言いなさいと、行政を含めたトリックで本気な人をカネを吸い上げたいだけの金融機関的なSDGsを経験しているのが林与。社交辞令の世界でやってるけども、世界的なSDGsがまったく本気な日本人ですらも一番駄目と烙印を押してくださる、数字だけしか見てませんな日本の金儲け主義的なSDGsで、金儲けに浮かれた人たちがSDGsで、それになびくだけの繊維業界の人たちを食い物にしてどうするの?世界の中で日本が一番くらいにやばい世界で、日本の金儲け主義な政治が牛耳る日本社会は国家として末路すぎる。一生懸命な日本人を利用して食い物にして謳いを謳って食いつぶしてるだけなら正直に金儲けがすべてというトランプさんの方が日本の環境ビジネスよりもマシ。
2023年06月24日
可能性が残っているときにはあきらめないで精一杯やってみることが大事だろうと思う。そんな局面を何十回も経験をしている。

ミラノウニカの展示会の朝も、1週間ほどの留守の間、他のものが仕事が出来るように準備をしてうまくいかず、電車を2本遅らせることに、その2本目の電車から関空特急はるかに京都で乗り換えないといけないのだけども、その距離が遠すぎて、荷物も多すぎたので、はるかがさようなら。これ、飛行機に乗り遅れると、空港で当日のチケットを購入しても最短でミラノ到着が展示会初日の昼頃。展示会の初日に穴を開けてしまうことになる。

京都駅で新幹線の窓口の駅員に新幹線で新大阪乗り換えなら間に合うか尋ねてみると無理といわれるが、それでも、やれるだけのことはやってみようと新幹線に乗って新大阪に向かう。そしたら新大阪についた新幹線から、なんとさっきのはるかが出発がやや遅れて止まっているのが見えて、新幹線をおりてはるかに乗れた。本当に奇跡的だったけども、関空でも猛ダッシュでチェックインがなんとかできて、予定していた飛行機に乗ることができた。その時は私一人だったからそういうのもできたけども、他従業員と一緒だったら逆に絶対にそこまでの無理はしなかったろうと思うが。

可能性に掛けるということは本当に大事だろうと思う。理論的には難しいとが現実的には難しいとかのことでも、奇跡的に成り立つようなことは多い、林与がシャトル織機を入れ戻したときにも、別の工場では高度な織物を織れていたシャトル織機だったのに、移設して経糸を繋いで織ろうとしても経糸が着れて切れて織れない。その時も2週間で60縦のストールサンプルを作る話で、普通だと絶対に無理なんだけども、その状態で、2週間ほとんど寝ずに仕事して、最後東京まで持ち込んでお客さんの展示会には間に合った。

で、サンプルはなんとか無理やり織ったけども本生産はどうする? シャトル織機の職人さんもいては下さったけども、原因は分からないということ。私が原因を見つけるしかないのである。自分自身が経験のなかったシャトル織機を寝ずに触って2週間。10台のうち1台だけ調子よく織れた織機があって、なぜその台は織れるのだろうかと考えることにした。そうしたらその織機にだけ、他の織機にない棒が一本ついている。そしてその棒の働きを考える、この棒が経糸のテンションを管理しているような気がして、職人さんに尋ねてみると関係ないという答え、でも、さらにありえない質問を聞いてみる他の織機に最初付いていなかったですかと?するとついていたと、必要ないから取ったと。その1台だけが固すぎて取れなかったということで、サンプルの60縦のうち半分の30縦はその1台でこなした、そして織れない原因も分かった。首の皮一枚で救われた世界。

未体験のことでもまったくわからなくても、やってみることは大事で、分からないことは尋ねてそれでも分からないといわれたら自分で考えて解決してゆくことが大事。似たようなことが別の場所でもあって、動かないシャトル織機を動くようにしたときも、その織機をいくら調整しても経糸の高さが織れる高さに落ち着かない。そこでおかしい、1台手つかずでリペイントされていなかった織機があったのでそれを見るとテンプルがついている。まさか、リペイントしたときにテンプルを外して、それをつけ忘れているのではないかと想像。するとやっぱりテンプルが出て来てそれを付けたら安定して織れるようになった。

私自身が仕事しているときに、問題の一番は作業している人が何をしたかが問題の原因であることが8割9割。目の前の織機の問題を解決しようとして目の前の織機をいくら調整しても動かないも普通にあって、そういうときに、可能性として、すごく失礼だけども、作業した人に原因があるのを疑ったりする。普通のサラリーマンの人は、他人は他人なのでそこまではしないのだけども、作業している人というのは分からないままに作業していることも多く、できないはできないで終わってしまうことが多い。

普通の織物を織っているときには問題にならないことが、切れやすい細番手の麻糸を織るときには問題になることが多く、それをクリアしないと、細番手の麻織物を織るのは難しいということになる。林与も私自身が自分で経験者の人たちの諦めることや解決できない問題を解決する立場でいつも仕事してきたから、私自身は麻織物全般に関する問題を解決するのが仕事で、他の人が出来る時には他の人に任せるが、他の人ができないとあきらめたことを出来るようにしたり。新しいものを生み出して行くときにはそういう力が必要だったりする。

同じことでも、やる人によってできるできないは変わって来る。Aという人がやればプラスでも、Bという人がやればマイナス。Aという人がなぜ仕事ができるのか、結果が出せるのかは、可能性があるときにとことんそれを追い求めるからというあたり、もちろん、可能性があっても出来ないこともあるけども、その可能性を追い求める努力というのは普段の仕事の深さにつながって来きて、なんでも理解してて上手にでき、一回勝負に強い。自分ができないことを他の人ができたりすると私はすごいなあと思う。超えている人というのは超えていたりするのが繊維の世界にもあって、そういう人の力の超えた要素がないと普通ではなかなか繊維の世界では難しいだろうと思う。

ある仕事で、何種類ものの布を合わせて作る製品があって、一番表の布に林与のリネンが使われた。洗うとそのリネンの表面に硬いしこりのような問題が起こるということで、その製品を送ってもらって洗うと確かにその問題が再現される。製品を作っておられる方は大騒ぎされるのだけども、林与は自分のつくる布には普通に見える布でも私自身が手掛ける布にはそれなりの自信があって、検査数値とかそういうのじゃなくて、それを上回る実用性の面で、日本の麻業界の定番的に何十年も愛されてきた布を生み出して作ってきたのが林与。良いモノづくりをしてきたとされる先代に対しても、すごく厳しい評価なのが私だったりして、金満に浮かれた世界が本当に嫌いで、ラベルとかじゃなくて本質が大事で、実際にものごとを他の人に解決してもらうじゃなくて自分自身が解決している人たちが報われないと、海外依存の今の自分たちがものをつくる覚悟もない日本のものづくりになってしまう。

ものづくりに研究家や専門家なんて本当に必要なくて、実際に自分が覚悟決めて仕事している人たちを評価しないと、日本のものづくりも、研究家や専門家レベルの浅さや薄さで、実際のものづくりも分からずに終わってしまって消えゆく流れ。日本のブランドや百貨店が、研究家や専門家を持ち上げてありえない話で消費者騙しになってしまうのは駄目なんじゃないのかと。近代麻布研究家が、明治以降の近代麻布の世界を作り上げてきた林与のことも知らないとか、その人の消費者騙しの大風呂敷に問題提起しているのに、初対面で、おたく誰ですかといわれた経験。もぐり研究家が日本の麻業界を仕切ろうとしても本当に何も生まれないどころか害になる。そういう人の人脈が怪しくて日本の大麻文化を謳いつつ、違法大麻栽培、大麻吸引の輩を持ち上げて島根県の問題。日本神道も絡む問題でしかも、昭和村も絡む問題で、人というのが見えず、浮かれてやると大麻の違法栽培家を持ち上げてしまうような、にわか麻研究家。

私がその方に麻の良いものは、こういうものですよと、日本の紡績会社の何十年か昔のラミーの自分の持っていたハンカチを1枚プレゼントした(林与の織ったものでもないけどそれは記念品用に特別に作られた業界の人にも認められる世界最高峰レベルのラミーの一品で、林与はそういうのと昔から接しているから最高峰クラスといわれる麻のものづくりが日本にあったのも分かる)。日本の近代麻布研究家を名乗る人でも日本の麻業界のレベルとも違いすぎて、スポンサーが降りたらやめるだけとかは、サラリーマンレベルの話に日本全国の麻愛好家が騙されてしまう話では、百貨店やブランドを信じた消費者もかわいそうすぎ。これ本当にある裏の話で、初対面で仕事に対する覚悟もない人が消費者の本気を支えようとする気持ちをスポンサーが降りたらやめるだけとか、林与にほざいたので、大きな謳いのことやりたいなら人生投げだす覚悟でやらんと駄目ですよというけど。自分は1000万は損したみたいな話でそれ以上は無理とかで、自分可愛さでは駄目じゃないのかなあと、私よりも20歳くらい上だろう人に、実際の経験もなくものごと分かっていない学生さんに麻布のことを説明すると同じような現実。日本の繊維業界が大事にしてきた価値感さえも失われたような部分がそういうところにある。徐福ってご存じですかと聞いても、文献や記録にないことをいっても無理だとか私に言われるが、それはほんと研究家としても難しい。
2023年06月22日
卑弥呼は神功皇后ではないかという説があるが、今は通説とはされていないが、多分、それが歴史的事実なんだろうなあと思う。江戸時代までは卑弥呼は神功皇后であったとされているが、国学者の本居宣長も卑弥呼は神功皇后であるとしていた。明治になって卑弥呼が別にいたほうがよいような事情が出て来たのだろうと思う。中国の魏志倭人伝で、卑弥呼というような蔑称で記録が残っているのも、日皇女というような記載だったら、別の存在は必要なかったかもしれない。文字を読めなかった江戸時代と、文字を読み書きできるようになった明治時代とでは、事情が異なってきたのかもしれない。

皇后が巫女としての役割を果たすというのも理に叶ったことで、弥呼(ミコ)というのは、巫女を指し、皇女もミコと読む。日皇女とは、日本の女王という意味になるのだろう。幡神として、知られている神功皇后ではあり、地元の豊満神社も幡神の言い伝えが残っている。本居宣長は、邪馬台国をヤマトコクと読んだということで、邪馬台国をヤマタイコクと読まないといけない事情も明治になって、同じような理由であったのだろう。国民に邪馬台国と呼ばれていたものが大和朝廷の歴史では示しがつかない。

魏志倭人伝のような文献に残ってしまっていて消し去ることもできないし、別物として存在させる方向で、日本の歴史とした可能性もある。幡神の旗は、秦、機、幡、畑など共通のものであり、秦の始皇帝の時代の渡来したものたちが秦氏を形成した。五穀と同様に織物の文化も、秦の時代の最先端の織物を徐福一行が持ち込んだと思われる。日本の古来のたたら製鉄の技術も、徐福一行の職工たちのうちに含まれていたであろうと。

アサの語源がヌサであるというのも、奴佐であろうとされるところも興味深いところで、中国への献上品を、中国が奴佐と読んだことで、その代表的なものだった麻の繊維がヌサと呼ばれるようになって、日本神道では、「幣」という漢字が当てられたのだろう。日本は本来、大麻の麻もオと呼んだのである。苧と同じ。神道の貢物が大麻だったので、大麻はアサ、ヌサと呼ばれる。幣にするには大麻がいい太さだろう。アラタエ、ニギタエも本来は、妙で、織物ではなかったであろう。打綿して妙状にしたものを指したであろう。それには絹や大麻が適切である。逆に苧麻は繊維がしっかりとしているので、打面してもフェルト化はしにくい。のちに織物になってからは、アラタエには大麻だけでなく苧麻も使われたであろうと思う。打綿したものは妙、織ったものは布という。ヌノというのは、縫うというのとオを掛け合わせたもので、ヌウオが布であるという説がある。もともと地機というのは、腰機のことではなくて、地面に縦糸であるオを水平に張って、それを横糸のオで縫うようにして織ったものが織物の始まりであろう。アンギンという経糸を掛けるようにして横糸を縫って作る方法も古代の織物の技法のひとつだが、垂直に経糸を張るのと水平に糸を張るのとの違いがある。昭和の時代までは、稲の藁ですらもが繊維として大活躍していた。藁を編んで草履をつくったり、傘や蓑をつくったり、傘子地蔵の世界からすれば、繊維というものは人の手作業から生まれるもの。

アラタエの鹿服みたいに書いて、アラタエと読むのがあるけども、あれは、木を三つ並べて森という字のように、鹿を3つ使って粗いという意味の漢字から来ている。粗という字の美称が、鹿が散らばっている様を表す、アラタエなのである。アラタエが本来は、鹿の皮だったという説には疑問を感じる。

なぜ、日本の神道で大麻を供えるのだろうか、そこに徐福の存在を感じるのである。徐福は7年間インドに留学して、ガンジス川などにももちろん行って、ヒンズー教では神の草と呼ばれる大麻文化に触れただろう。またアショカ王の仏教にも触れただろう。持ち込んだ五穀の一つが大麻だった可能性も高い。というのも、中国の大麻もかなり無毒化された大麻で、日本の大麻も中国から持ち込まれた可能性が高いのである。それでも多少の毒性は残っており、神事などの占いで、燃やした煙を吸うことで麻酔し、巫女が陶酔したような状態で口からこぼれる言葉が占いとなったのであろう。また、インドの寺院の鳥居なども、日本神道の鳥居の起源ではないかと思われるのである。
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