for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3692
«前のページ 1 ... | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | ... 185 次のページ»
2024年01月03日
責任がどこにとかうんぬんよりも、とにかくあれほどの航空機火災になったのに民間機のほうの乗員乗客が全員無事で、海上保安庁の方は5名亡くなられた残念な結果だったけど、多くが脱出できたことは本当に不幸中の幸いではあった。航空機のほうも機内への火の回りが比較的遅かったことが幸いした。小さい機体の海上保安庁の機体は爆発は一瞬だったんだろう。でも、今、空飛ぶタクシーとか大阪万博でやろうとしているけども、プロたちが管制塔からの誘導や支持も受けながら、こういう事故が起きてしまうのだから、あまり躍起になりすぎないほうが大惨事につながらなくて良いと思う。

1日たって、能登での被害状況が明らかになるに、やはり津波での被害も起こっていたみたいで、津波が原因らしく家や車が流されていたので早期の避難というのは、大げさに思えた効果的だったと言える。地震でほぼ全壊の地域もあったみたいで、それでいて、死者数が少ないのは、避難方法としては今回の対応は結果的にはすばらしかったということのようである。

飛行機で、私も非常避難口の列の座席に過去に5度以上割り当てられたことがある、座席予約までしていないことが多く搭乗がギリギリのことが多いからだろうけど、また、通路側の席を希望することも多いので、他に席が空いていてもその席に誘導されることは多い。非常時の脱出の際には、CAと一緒に他の乗客の避難誘導などを優先することに同意して座るのだけども、そこに座ったときには、手伝って開けるという構造はどういうやり方なのかを頭で想像しながら飛行機が飛び始める前の時間は考えていたりして、万が一役目がなるべくうまく果たせるようにと思う。一度、他の外国人の方が避難口付近の席とその方の友人が私のとなりの席で、私の席とその方の非常避難口の席を交換してほしいと頼まれたことがあったけども、そのときはその方が同意されて座られたのだから、勝手に私が航空会社との同意もせずには席を代わることは良くないと判断して断ったこともある。

今回の飛行機事故は、内部が燃えはじめるまでに時間の掛かったタイプの事故で、当たり方によっては民間機も海保機のように一瞬で炎上の可能性もあっただろう。事故も偶然の要因が重なって、普通だとありえない状況が生まれ起こったのかもしれないが、民間機にとってはまだ不幸中の幸いと言えば幸いの、奇跡的に全員の命が無事だった事故。例えば待機位置をC1をC5と聞き間違えたとか、滑走路上にいた海保機が小さくて暗くて見えにくかったという要因があったのだろうけども、結果的に民間機が全焼するような事故でその前に全員が脱出できたことは不幸中の幸いである。海保機のほうは機長を除く6人中5人が死亡ということで不幸な結果になった。管制塔の指令なども記録されているので原因が何かははっきりと分かるだろう。海保機の機長も重症のようではあるが話せる状況ということで原因は究明されるであろう。

だれも悪気などない事故で、。認識ミやや失敗があったとしても隠さないで事故原因も究明され公表となれば、人間というのは完璧でもないしミスがあることを考えると、ミスを犯した一人の人間の責任として、全責任がその人にあるというよりも確率的には起こりうる事故として個人の単純なミスを問い詰めすぎないほうがよいようにも思う。医者とかパイロットかだと、専門のことに関しえてはとくに凡人をはるかに超えた正確さが求められるんだろうけども、たとえば、将棋の藤井8冠でも悪手を指して負けることはある。

個人よりも組織が組織としてこういう事故が起こったときに業務を提供するものとしてミスしたものと同じく責任を連帯して感じることができる体質というのは大事だろうとは思う。個人が責任半分なら組織が責任半分とかの意識は大事だろうと思う。つねにスポーツ選手の演技でも、10点満点という演技はやはり人間には要求できず、10点満点を目指しながらも、プロとしてなら9点とかのあたりが現実的で、10点満点の演技は、それは不可避な部分。それはある程度通常の業務で日常的に起こっていることで仕方のないことでもあったりする。

林与も織物の仕事で問題に行き詰まるときが多いが、問題や失敗の原因の究明というのは非常に大事で、問題や失敗をした人がそれを自分で見つけ出してくれると一番次から問題が起こりにくくなるのだけども、問題や失敗の原因を究明するのが作業している現場の人でなく、状況も知らない私であることが多く、そのときに、どういう状況でその現象が起こったのかを正しく説明してもらえないと、正しい原因にたどり着くことが出来なかったりする。私がやると問題は起こらないが他の人がやると問題が起こるとか、同じように本人はやっているように見えてもやり方が異なってしまって問題が起るのである。結局は、ヒューマンエラー的な要素が問題を生んでしまっていることが7割くらいだろうか。織機よりも働く人の物事の考え方とか従順さが作業方法にも出てしまうので、言われたことに従える人というのは理解力も高く能力が高い人だなあと思う。織物の作業って、林与の場合でも基本一つの失敗の少ないベストのやり方を採用していて、途中での確認作業なども非常に多く、普通に誰でもができるような仕事ではないなあと思う。
2024年01月02日
誤報、夜中に震度7の地震が起こったと発表されそれが誤報だったということで、その悪意もまったくない気象庁の誤報に対してメディアがなぜそんな手違いが起こったのかを問い詰めるような記者会見。本当にメディアというのは災害時に平和ボケそのもので、地震が来るのを予期して供えるためなら誤報が起こるのも仕方ないのに、責任を追及して謝罪させようとするような、マニュアル的な考え方。そういうのが本当に駄目な考え方で、最善を尽くしてやってる人を、安全な人たちが最優先の対策に時間を使わせずに問い詰めて時間の浪費。

最初の地震の時にも、地震がこれからくるのを携帯電話が知らせてくれただけでも、すごく良かったのではないだろうか。たまにそういうのに誤報があったとしても、人々の命を救うためにくだらないことやっているよりも、地震や津波が来そうだからすぐに逃げてというのを知らせるほうが良いだろうと思う。原発事故や列車事故などでも、警報装置が働いてなっても誤動作だと人が判断しないといけないようなことがあって、それを切ってしまって、運航して実際に事故が起こることがある。その裏には、優先順位が間違ってしまってそういう判断に至るのだが、人々の安全以上に、マニュアル的なことが勝ってしまったときにはそういうことが逆に個人の責任を問い詰めて起こりやすい。

まともな感覚というのは大事だろうに、記者会見の記者などは自分たちが大きな問題を抱えていることを分かっていない。人々はそんな誤報の理由をしるよりも、そういう誤報があっても人の命を守ろうとする気象庁であってほしいと思うの。それが防災という概念で、意図的な間違いでなければ逃げ遅れないためにもそういう早期の発表は大事なのである。システムが災害が起こったと判断するような場合、人の命にかかわることなら、後で誤報だと叩かれるの心配して流さないよりは、とりあえず発表するということも大事だろう。よく政治家がそういうのやってしまって、今度はそういう失態を隠そうとしておかしなことになってきたのが今までの日本。失敗もあるということを受け入れることも大事で、隠さずにみんなで議論してゆくためにも、情報というのは公開され共有されるべきで、報道機関がその逆の姿勢で責任を追及ばかりでは、人の命を最優先するような姿勢もない。

私自身も最初の地震と違ってまったく地震を感じなかったので誤報を疑ったが、発表した人たちにしても同じに思ってすぐに間違いを訂正で、正常な判断としてものごとが進んでいて、そういう姿勢というのはたとえ誤報につながったからといっても、問い詰めていては仕方ない。大津波警報も、津波の被害がそれほどなかったから、それを失敗だと問い詰めるのではなくて、みんな逃げることが最優先という一丸となった考え方を持つことが大事で、それに手順やマニュアルなど必要なく、今、火事の問題もあるけども、仕方ないとあきらめて消防士なども消すのが難しいと思えば、消火活動を諦めて、落ち着くのを待つという判断も大事だろうと思う。自警団の人たちがあのほのう立ち向かうとなると絶対に無理で、自警団レベルは自分たちの財産的なものはとりあえずあきらめて命を守ったほうが良いだろうと思う。水門を閉めにいった自警団員が多く犠牲になったのが東日本大震災の大きな悲劇で、諦めるものを諦めて逃げることも大事。

こういうのを教訓に、あと見直さないといけないのが、市街地区域とかの概念、やたら密集させて火災などには非常にもろい都市計画となる。古い集落も同じ問題を抱えている。新しく建てる家にしても、一件の家の面積を160平米以下に縛ってしまうのは、固定資産税が3分の1となるなども、あまりにも、国民が豊かになることを否定するような政策で、そういうのが田舎にも適用されてしまう。田舎も必然と、狭い面積のところに家が建つので新しく建つ家も隣とが50cm+cmしか離れていないとか。昔よりは、壁と壁を話す努力はしているのだろうけども、そもそもの広い場所に住むのを許せば、人々はより安全に暮らせるのに、縦割りで固定資産税収入のことばかりを考えていては人々が安全な住まいを選択しにくいバックグラウンドがある。狭い家をつくると、2階建てにして、階段がすごく狭いとか旧だとか、むりやりロフトとか。ほんと新しい家にしても無理ばかりを詰め込ませ強いる。建築基準法を国民に強いるばかりではなく、国レベルが国民をさらに縛ることで解決ばかりを考えていないで、安全な居住空間づくりを考えていくべきだろう。人々の精神面での健康にもつながる。
2024年01月01日
地震が起こった、揺れでの倒壊のほか、大津波警報が出され、東日本大震災の教訓を生かし、とにかく自分自身の安全を大事に高台に逃げてくださいと、いわゆる避難優先で、火災など起こっていても行政も自警団なども一斉に避難するような形。マスメディアなども取材のために中をあまりうろうろすることもなく、地震で被害者を最小にするために高台への避難という避難対策。

適切に思える住民に対する避難誘導がとられて、あの揺れの規模から津波で多くの命が奪われるのを警戒しとりあえず逃げるマニュアルに縛られないスタイルに変わったのを感じる。報道機関にしても報道優先ではなく立ち入らないようにしながらの報道体制で、取材や記者会見優先ではなく国民の命を守るための報道体制が取られていてるように思う。

九十九湾では船の沈没が確認されているというが、たぶん、津波の影響だろう。だが、船の持ち主も逃げて人々は安全ということなら、人々が船を守るために立ち上がるというような行動には出ないほうがもちろん良いだろう。本当の大きな災害時に、一つの方向性で日本中がまとまっているのがよいあたりで、大きな災害時にはこういう形が自然で一番良いのだろうと思う。

津波が来る可能性があるという大事な情報が伝えられたのもよいことで、昔の日本なら人々をパニックに陥れるということでそういう大事な情報は伝えられなかったりもした。今はそういう情報も行政が報道機関に封じることもなく、あぶないからめいめいが早く逃げろという普通の行動がとれる社会に変わったと言える。こういうのが災害時には大事なことなんだろうと思える。

災害に比べれば人の力の小ささみたいなものは歴然としていてすべてを放棄して逃げることも大事で、現場に人々を放り込んで誘導や対応をさせるとかよりも、諦めて全員が逃げるということが大事だろう。一番自然な無理のない方法で命を救うことが大事で、自分自身がその場の状況を判断できることが災害時には非常に大事。災害時、非常時、緊急時には、ルールや方法よりも結果が大事だから結果優先での判断と行動が大事だろうと思う。

東日本大震災では、防災無線や広報車や消防車が、津波が来るということで高台への避難を呼びかける中で、逃げた子を校庭に呼び戻したり、子供を学校に引き取りに来た親に落ち着いてとか、校庭に40分もそのままで、避難場所にしても川沿いの場所を目指したなど、教師の判断が甘いというよりも、組織として、防災に対するマニュアル的な意識の甘さが出てしまった。犠牲になったのはマニュアルを守らされた側で、マニュアルを作った人たちは想定外だったというありきたりな逃げ。津波がくるまで、防災無線が大津波が来ることを伝え高台に逃げろと言っても、時間が何十分もあってもその意味がわからないというのは現場の教師の責任というのではなく、日本社会の問題。今回の地震では、そういった古い日本的な体質が人命重視に改められたのを感じ、避難ルールに縛られることのなく個々が逃げることが許されるようになった。体制や組織的重視の考え方から、人々の命を守るための現実的な防災意識へと大きく改善したと思う。
2024年01月01日
あけましておめでとうございます。新しい年が始まりました。

10年前にはできたことが、10年経つとできなくなってしまっているのが今の日本の繊維業界でありがちなことで、古く長く続いてきたことでも時代に合わなくなり消えて行くのは仕方のない側面もあるのを感じ、地道な作業の積み重ねではなかなか成り立ちにくいようなことではありますが、そういう地道な作業を大事にしするようなことが、自分の力の限界なども常に感じ、平和な世の中につながるのではなかろうかと考えております。

何十年も昔の昭和の時代の織機が今も動いていたりと、それは織機があるからというよりも慣れているからというよりも、毎回毎回の仕事で乗り越えないといけないことが多く、作れる量も本当に限られているのでお待ちいただくことが多くなりすぎ、受注も控え気味にしないといけないような状況にはありますが、日本の麻織物の本場といわれる近江湖東産地のものづくりを地道な作業の中から生み出して行きたいと考えております。

ハイテク素材や、複合素材は今はほとんど使うこともなく、シルク麻織物屋綿麻織物も今はほとんど生産することなく、林与の生産キャパは手間の掛かる本麻、リネン100%、ヘンプ100%の生産がほとんどで、以前よりも生産量は生産スタイルや生産キャパの関係で少なくなってはいますが、麻織の本場らしい特色の濃さは残せているような自負はあり、この一年もいくつかの布を追われて苦戦しながら作っているだけであっという間に過ぎてしまうのだろうと、でもそれが機屋らしくていいんじゃないかと思います。いろいろな要因で、数年後には、どんどんと麻織物を作るも難しくなっていくとは思うので、できるうちに動いて作っておきたいなあとは思っています。

林与

2024年元旦
2023年12月31日
近江上布の柄をリネンにプリントで再現したストールも今はサンプルに残っているだけでほぼ完売になってしまい、10年前に簡単にできたことが今は、糸からしても織からしてもプリント工程にしても、実績のある過去にやったことすらもがやって成り立たせるということが難しいよう状況。あのクオリティのものは今作ることは本当に難しくなってしまっている。

自社のストールではないのだけども、問屋さんが林与がストール生地を作っていることを知っていて、林与自身簡単なことではないので、白いストール生地は販売できるけども、後は問屋さんが自分でやってくださいということで約束してやり始めたのだけども、結局やり始めるとまったく経験のない問屋さんには無理な話で、結局、林与がストールに仕上げるまでの工程を作業を引き受ける形になり、問屋さんにしてもまったく素人がつくることがむりな話なのは、よくわかられたと思う。作ることが無理というよりも、よくそんなあいまいな状態で仕事を進めようとされたのかが怖いくらいで、1工程の間違いで失敗して最初からやり直さないといけない話になるという怖さを経験されておられないから。

お金の問題じゃなく、本当に仕事がとん挫するようなことが一番ヤバい話で、普通にそういうのは起こりがちで問屋さんの頼めば他がやってくれる気分の仕事ではものづくりというのは頼んでお金を払っても問題ばかりが付きまとう。結局、その問屋さんも廃業されて代金の改修も難しいという話で、ブランドさんは販売は出来ただろうけども、作った林与にはお金は入ってこない話で、プリント工場にお金がちゃんと入ったのかどうか心配な話。プリント工場とも話をされていたのが、問屋さんだからきっとプリントの代金の支払いなども問屋経由だとプリント工場も被られてしまったのではなかろうかと思う。

白い生地の約束だけでなく、プリントまで弊社で引き受けて仕事をしていたら林与はプリント代やデータ作成費用までも被っていた話で、プリント代というのは非常に高価なので、3倍くらいの被害になっていただろうと思う。プリント工場には気の毒な話。後でどんどんと話が変わっていくような企画というのは、もめたくないから釘を刺していうのだけども、安くしたいから自分でやるといわれるもののいざやろうとしても問屋さんでは無理なことがほとんど。今の林与が、問屋さんとの仕事を減らして生地を買って使われる業者の方と直接仕事をするのはそのあたり。

林与のリネンストールというのは、シンプルに布に見えるようなものが多いがそれなりの生地としての本場の麻織物としての完成度があって、それは私自身のこだわりだったりする。自分自身がちょっとよいなあと思えるような布でないと好きじゃなく、町の生地屋さんでみる麻生地と比べてももちろん、良い感じでしかも染、加工、物性など品質的に高くないといけないと思う。町の生地屋さんやおみやげ物屋さんの麻生地というのは、海外で安く作ってるケースも多く、見た目はかわいくても染料の問題や加工の薬剤などのプロが心配するような消費者が使用されるときの安全性をクリアできているのかどうかが不透明。エシカルやオーガニックを謳っていても海外のリソーサーから購入してるだけとかで、騙されていたとしても仕入れ先のリソーサーの問題というだけで終るような大手のエシカルやオーガニックの意識では駄目だろうと思う。林与の場合には謳いと違うもので対価をいただいたなら、問題があるならもちろん返品を受け付ける覚悟はある。そういうのが昔からの日本の繊維業界の信用だったとはおもうけど、大手のものづくりがブラックボックスになりがちな今の日本の繊維業界の問題にもつながると思う。
2023年12月31日
アベノマスクは、最後、8200万枚が残ってその管理費用が1年6億円とか、あほみたいな国の話そのもの。ひとり1枚分のマスクも備蓄しようとしないで、災害対策とかむりやろうなあ。コロナ当時もなぜかマスク不要論でフェイスシールドが有効とか、政府の見解も思い付きみたいなことばかりで、逆にコロナ感染を助長していたところがある。

各家庭で布マスクをつくって自己防衛しているのが悪いことのように言いながら、日本で海外のような大きな惨事に至らなかったのは、自己防衛意識の賜物。医療関係者でマスク有害論を流していた人たちもいて、あとでわかることになったのは、マスクは効果的だったということ。そしてGOTOをやって、蔓延を国が広げたわけだが、広がるという想定はなかったとか。国のやることがやったら駄目なコロナ蔓延政策だったわけで、一般の人の自己防衛が国民の命を守ったということ。

しかしながら、のど元過ぎれば熱さを忘れるみたいな、国民に伏せて何百万枚単位で発注生産して10倍以上の値段で取引された海外マスクであろうが、ほとぼりが冷めると、在庫はゴミみたいな感覚、そういう風潮だからマスク不足も起こるわけで、8200万枚って、幅40cmX高さ50cmX奥行60cmのひと箱3000枚とすれば、3万箱くらいだろうか、コンテナ換算、一つの2350mmX2350mmX12000mm40フィート12トンコンテナに5X4X19箱380箱入るから、80コンテナくらい必要ということ。新品のコンテナ一つ、80万円くらいだろうから、6400万円で1億もあれば10年20年でもいざという時のために保管ができる想定。同じように、不織布マスクなら体積は少ないので、一つの箱に1万枚として、8200箱なら、25個くらいコンテナがあれは一人1枚分くらいの話で、1億円で一人3枚分のマスクが確保できる話になる。とりあえずの将来に備えて。そういう考え方はしないのだろうか。不織布マスク1枚1円未満で手に入るから、マスク代金は3億8000万枚で4億円で購入できるだろう。5億円で将来に備えることができるのに、なぜ、そういう対策を講じようとしないのだろうか。中抜き的でなく、儲からないからやらないのだろうな。

備蓄品のなかにビスケットとかのほかにマスクも必要だろうから過程で備蓄するのもありだろうと思う。今の手に入るときに10年分くらいを。でも、国としての対策というものも必要で、非常時に一人3枚くらい配れるような準備をしておいてはどうだろうか。行政の職員だけでもそれくらいの量は必要だろうし。コロナでの経験を活かして、防災対策は必要だろうと思う。お金を掛けないことが大事で、国レベルでまとめて購入し管理をほとんどする必要がない状態に維持することで、コストも抑えられるし、無駄な会議も決済も必要がない。何百億円も掛ける必要はない。
2023年12月29日
日本の繊維業界で丁稚奉公や野麦峠というのは搾取のようにいわれるけども、親が働いても食べ物も満足に食べられない貧農の子供や娘さんに、食事や生活以外に仕事や教育の機会を与えられたのは、国や親以上に、面倒を見る覚悟があった苦労して成功を収めた業者の人たち。今、日本中にあるコンビニというのは、365日24時間の責任、それは独立事業者だからと問題ないが、それは野麦峠を超えている話なのだ。最初に1000万を超えるロイヤリティーを取って24時間365日で、もしものときには寝る時間もない約束をさせられる。

林与の場合は、親がそんな感じで、親は地道な作業も嫌って、すきに自由な人生でそのしわ寄せを子供が解決するのが当たり前に思ってるようなところがあって、子供のころから、あなたを生んだのはお父さんを助けるためとか、一人じゃたりないから弟も生んだとか。親にしてもそんなもので、外の世界の人のほうが、人間味もあって理解もあったりはする。自分たちが働きたくない親がいて、自分たちが生きてゆくのを支えさせるために、田舎だとそういう感覚が蔓延してしまっていて、そういう思想というのは田舎の中で働いても食べていくのも難しいという問題にもつながる。

そういうことを言っている親というのは、嫌なことは全部子供にさせて自分が指図していることが親の役目みたいに思っているが、自分が自分でやらないといけないということを分かっていない。戦争なんかでも、年配者が行けば良いのだけども犠牲になるのは若いものばかりで、戦争を指示している年配者たちというのは安全なところで。国家にしてもそんなもので、地域社会でもそういうことが平気で行われていて、若い世代をそういうものから解放することは大事だろうと思える。昔的な体質というのは本当に駄目で、そういうのに縛って正しく生きているというような感覚だと、自由に好きに生きたいものが指図してアンバランスを生み出してしまう。

女工さんたちはたぶん、田舎の農村で働いても食べるものを満足に食べることも出来ない貧しい暮らしよりも、普通に起きている時間、重労働でもなく単純作業で働けば3年で家が建てられるような待遇というのは憧れだっただろうと思う。でも国とかは、そういう貧しい食べても行けない状況に追い込みながら救いの手も出さずに、救われようとするものが自分たちよりも待遇がよいとかをうらやみ、貧農の娘が公務員である自分たちよりも収入があるのはおかしいという身分社会的な感覚はあっただろうと思う。今もそういうのが続いていて、早くそういう官僚社会的な身分社会制度意識を改めないと駄目だろう。なぜ公務員は支配階級で国民じゃないのかという身分制度問題も大きな問題である。法の下というのをしきりに強調する公務員たち。差別的な法を意図的に作って自分たちが支配階級的にいたいというのがあって、同じ公務員でも国家公務員が一番上で、県職員、町みたいなヒエラルキーを作ってしまって、その下に国民を置こうとしているが、それは江戸時代の身分制度的な感覚。

差別問題に関しても行政がなぜか悪いのは国民の意識であるかのようにいうが、身分制度や差別的な法律を作って強いるのは国民ではなく、そういうヒエラルキー構造で、そういう駄目な意識を行政の中から正して行かないと難しいのだろうが、どの政党を見ても、そういう構造が蔓延していて、まともな若い人たちの考えというのが通らず、分かち合うという精神すらもがなく、一生国会議員でいたいような人の集まりでしかない。能力の高い若い者たちに譲っていくということは大事なことだろうと思う。今は、年金問題にしても、生まれてくる赤ちゃんたちが問題解決する立場かわいそうすぎる。歪んだ法律を生まれた時から正しいことみたいに生きてゆかないといけないこれから生まれてくる世代。少子化問題をなげているくらいなら、自分たちが問題を解決するべきだろう。現代の野麦峠の一部で本当に駄目すぎる話。
2023年12月29日
リネン糸の価格はさらに上昇するだろうという予測があり、糸商さんももうあまり糸を仕入れるのが難しいような状況になりつつあり、来年は、リネン製品が店頭から大幅に減るような林与の予想。林与が25年前に海仕事に就いた時の日本がバブル期のヨーロッパで紡績されていたリネンよりも、今の中国紡績のリネン糸のほうが糸1kgあたりの価格は高かったりする。

アイリッシュリネンというのはもうほぼてにはいらないといわれた私が仕事についた1990年代後半くらいからもうまた四半世紀25年経ってしまって、林与に残っているアイリッシュリネンというのは1970年代のもの。アイリッシュリネンの糸というのは世界でも多分数トンしか残っていないのではないだろうか。在庫が悪のように言われながら、50年以上も糸を使わずに抱えているような麻機屋が世界にどれほどあるだろうか。

日本でも例外なく、優良企業というのは在庫ゼロみたいなスタイルが普通だけども、そういう考えに陥ったから日本のモノづくりだけでなく日本経済が責任逃ればかりの風潮になって、身軽く身軽くで、アンサステイナブル、アンエシカルなことばかりになってしまったと思う。麻業界の中に私もいるけども、普通の感覚とは全く違う感覚でいたりするから意味があるんだろうと思う。

林与がアイリッシュリネンを安売りしないのもそれが本物だからで、本物が残っていた1970年代に北アイルランドで手に入る最高のリネン糸を手に入れたのが、今も使わずに価値を感じて残しているだけのことで、日本の麻業界では有名な当時アイリッシュリネンが実在してたなかでも最高峰と呼ばれたような糸だったりする。当時のリネン糸1kgというのはフェラーリ1kg当たりよりも高いのが普通だったりして、手を出しにくいような世界そのもの。
2023年12月26日
11月に奥田染工の社長が44歳で急遽され、捺染の世界なので分野は違えども、境遇的に似ているようなところがあったりもして、それを感じたテキスタイルツリーの成田さんが、奥田さんのことを教えてくださり、京都でテキスタイルマルシェがあったときに、大阪出張の帰りに五条のひなやさんで最初に出会ったのがきっかけ。その時は近江上布の柄を広幅で再現したいという考えがあったので、それを相談してみるも奥田さんの工場では難しいとの判断でそのままだったのだけども。

そうしているうちにテキスタイルマルシェ参加のお誘いがあって出展し始めると不思議にいろいろとつながりがあるのが、月島でセコリ荘をやっておられた宮浦さんが一緒にいろいろと活動されてたのが奥田さんで、SNS感覚での繊維業界へのアプローチみたいなのは、自分たちが自分たちをプロモートしていくみたいな考え方。

新宿伊勢丹婦人雑貨売り場であったテキスタイルマルシェでは、二宮先生とのお出会いがあって、二宮先生というのは若いころに奥田染工の先代に染色のことを教わられたとのことで、その二宮先生に、近江上布柄を広幅で再現するプロジェクトで、捺染をやらないといけなかった時に、ゴールデンウィークの日に午後からはん4時間ほどで、実践的な捺染の基礎を教えてもらい、染料や助剤などの具体的に必要なものも教えてもらって、近江上布柄の広幅絣プロジェクトは、出来たりもした。

奥田さんとはお仕事では1度依頼をしたことがあって、それは普通はプリントでしかできないような柄で、50mの本生産なのに、まずできるかどうかのテストプリントなどもやってもらって、仕事というよりもデザイナーさんがつくりたい柄だったのでそれを一度やってみるという思いで、そんな手間ばっかりが掛かる仕事だったけど受けてくださった。

八王子の工場の現場に行ったときにも、トタンで囲まれた奥田染工は、入口が分からない。トタンの周りには奥田染工の看板もなにもなく、トタンの中に入って中にたどり着くと、そこに奥田染工の現場があった。昭和の雰囲気でいろんな古いものが残っていて、なかなかこれを少人数で切り盛りしてゆくのは大変だろうなあと思ったが、そのときも若いデザイナーの方がおられ、自分で作業して自分のコレクション用のプリント生地を作り上げているということをやっておられた。

展示会などでも、奥田さんというのはユーモアがある側面、理論派的なところがあったりもするので、普通のビジネスライクな業務的なスタイルじゃないので、林与のところに来てくださってずっとしゃべっているみたいなことも多かった。宮浦さんの糸編主催の合同就職説明会みたいなイベントの時も、文化服飾学園で先生もされていたので、会場に来ていた教え子の女の子で、その女の子をこの子は根性あるよとお薦めしてくださったりで、かなり魅せるタイプの生徒さんだったので地味な現場に合うんやろうかとかざっくばらんにその女の子も一緒にみんなで話をしたり。

他に、八王子で蒸器のでものがあって、それを軽トラで引き取りに行くことにしたのだけど、積み込むのに人手が必要で八王子と言えば奥田さんて、奥田さんに手伝ってもらえるかなあって頼んだら快くスタッフの方も一緒に手伝ってもらったりとかで、謝礼も払うつもりで用意もしてたけど受け取ってもらえずで、ファミレスで好きなものを注文して食べてもらうだけみたいなこともあった。

しっかりとしておられたので私と同じくらいの年齢化と思いきや10歳ほど若かったというのも、やはり若いころに先代が亡くなったことでしっかりと若いころから自分で物事を判断して成り立たせてこられたというあたりが、当たり前の強さみたいなものだったのだろう。

先日、糸編の宮浦さんから電話を久しぶりにもらって、宮浦さんとマブダチ同士みたいな奥田さんが亡くなられたことも気がかりで尋ねると、私もやることだらけで身動きが取れないことが多いけども、何か林与ができることがあればみたいな。奥田染工さんにレピア織機が入ったようなブログ報告があったので、そういうので困られたら助けられるかもですのでスタッフの方に伝えといてくださいと。

いろいろと作業に追われてしまって、プラスアルファのことができていないような、やれるときにやっておくしかないんだろうなあと思って、3月のFABRICa NIPPONのイベントへの出展も今の林与の状況では無理だと思って見送りを考えていたが申し込んで、無料手織り体験を実施することに。主催の方に迷惑は掛けないようにいろいろと私のやろうとしていることもOKの返事いただけ申し込ませていただいた。会場への入場に年齢制限もないとのことで、ご家族ずれでお越しいただいても一般の方も入れるとのこと。

ものが売れる売れないよりも会場に来た人が楽しめて盛り上がるとうれしいなあと思う。これは手織り体験を今まで10数回くらいはやって来て、無料で気軽に超簡単な手織り体験を楽しんでもらおうという試み。自分が織っているところを見てもらうじゃなくて、自分で織ってもらって経験してもらうが大事で、だれでも簡単で楽しいと思うし、織物に興味をもつきっかけになってもらえれば良いなあと思う。

宮浦さんが林与のスタイルが好きだといっていただけるのもなんとなく似ているかもとおもうところで、セコリ荘や奥田染工さんって林与の感覚と似ていてそういうのがいいなあと思っている。小さなお子さんが夢中になって初めての手織りを体験してお母さんがもう終わりにしようといっても、もっと織りたいと思ってくださるとか、感無量。そういうとことんまでやりたい感覚が日本の繊維業界を支えるための本質的なところではないのかと思っていたりする。
2023年12月23日
林与ですが、現在、生産キャパパシティの関係で新規のお客様のお仕事をお受けすることが難しい状況にあり、手持ちの生地を販売するイベントへの出展y予定となりますが、2025SS FABRICa NIPPONというイベントのマーケットゾーンに出展し、麻生地やリネンキッチンクロス、リネンハンカチ、リネンストールなど販売いたします。加えて、現在主催の方とも調整中ですが、手織り織機を1台か2台持ち込んで無料手織り体験を実施したいと考えております。繊維関係の方でも手織りを体験されたことのない方も気軽に体験いただける、かんたん無料手織り体験で、家族連れで来られても子供さんが手織りだけでも楽しんでもらえたらなあと思っています。

(ビジネスゾーンではなくマーケティングゾーンでの出展となり今回は会場での商談などは一切できません。商談や新規の案件の相談をご希望の方は別途、20日の準備日か、21日、22日の夕方以降、あるいは23日でしたら会場以外の場所になりますが、アポイント取っていただけますと対応が可能です。現状、生産が必要な案件に関しましては新規のお話の場合、最低でも具体的な企画が決定後6か月程度のリードタイムが必要な状況です。ご対応いただける業者さんのみとのお取引になります。)

もう一案件ですが今回のイベントを手伝てもらえる方を1名募集しております(2日間)。繊維業界に興味があって自分でいろんな経験を積んでみたい、業界の現実的な話をいろいろと知りたい方には、日本の布の業界を支えておられるような方々との出会いのチャンスだったりはすると思います。興味のあられる方は、お問い合わせフォームからご連絡ください。


■イベント名:2025SS FABRICa NIPPON
■会期:2024年3月21日(木)~22日(金)
■会場:東京都立産業貿易センター 浜松町館 4階北
■主なスタッフ:オーガナイザー  (有)Kラボラトリー/兼巻 豪
コーディネーター  STUDIO WIZ/久山 真弓
2023年11月26日
日本の繊維業界のサステイナブルを考えてゆくときに、日本の繊維業界にありがちな階級制度的な感覚をまず消さないと無理なのだけども、階級社会構造の中に居られる経営者や社員の方だと、うちのやりかたはこうなんでとまさに、階級社会構造で一方的な契約ばかりが普通。エージェントが絡むと余計に一方性が加速するというのが繊維業界の特徴の一つで、海外の展示会でもエージェントの方にモノづくりとはブランドが買うか買わないカモ分からない話なのに、一方的に作る約束を強いるのはそれがまさに階級社会主義的。発注する側が都合よく利用したいだけなのかという問題がサステイナブルの問題で、問題があったらどうするのかというところすらもが議論もない。

ものづくりに問題はありがちなのが分かっていないと、新しいものも作っていくことも難しいのが当り前。都合よく最高の物を手に入れたいみたいなのはそれが本当に無理なのが何十時間とか何百時間を使う世界がうらにはあって、1mいくらとかが必死な世界というのが、寝る時間も普通の半分に追いやるようなことでは駄目ではないのかなあと、日本の繊維業界のモノづくりの調整的なことも、世界的な問題の縮図的なのが実は、日本のグローバル的なサラリーマンの世界を外の世界の犠牲で成り立ってにるのが日本の大手のものづくりにありがち。

先日、糸を紡いでみて感じたのが、これはできるようになったとしても根気の必要な作業だなあと。慣れるまでにどのくらいの時間が掛かるだろうか、たぶん、1週間くらい本格的にやれば手が糸を紡ぐのに慣れて道具になるだろうか。最初の1回がちゃんとできたとは思えなかったけども、最初の1回目で挫折すると次にうまくできるということはあまりないので、早めにクリアするべきだろうと思うが、他のことが手いっぱいで、次のチャンスは1年後とかのイベントのときになってしまうんだろうと思う。ものづくりに基本上手下手はあっても階級的な感覚は必要ないと思う、分業的な感覚というのもなくてもよいとおもう。初めてのでも本気の人というのはとことんさえやれば経験者以上に上手にできることも多く、切っ掛けだけをもらえばあとは自分次第のことだろう。織る作業よりは手紡機で均一な糸をつくるというのは高度だなあと思えた。羊の毛から繊維を取り出す話も聞いたが、国産の羊の毛が手に入ったからと言ってそう簡単に糸になるわけじゃないという裏話を聞いて、普通に絶対に無理に思えてしまうような話だがそういうのをやっている人がおられることがすごいことだなあと思う。
2023年11月23日
21,22日と大阪綿業会館でのビジネスマッチングのイベント、林与の現場が立て込んでい過ぎてまったく準備も出来ないままに、日帰りを2日でイベントに参加、大城戸さんが初日に「明日はおらんで」みたいな感じらしく、そこが空きスペースになるということで2日目には急遽手織り体験イベントができるような形になって、2日目には手織り機をセッティングさせて頂いた。

ESINの伊藤さんによるウールの紡ぎ車の実演に興味を示していただけるような方が多かったりで、林与も初めてウールの紡ぎに挑戦をさせていただいたのだけども、糸が綺麗に紡げるというのは奇跡的なことだなあと思えたりもする。フラックスの手紡ぎようのファイバーも手元にあるので、それが糸になるのをみたいとおもっていたのだけども、それを持って行くのを忘れてしまったりと・・・会社のどこに置いただろうか?

初日に専門学校の学生の方で紡ぎ車をみられて興味深めに眺められているので、ぜひ動いているところを見てもらいたいと伊藤さんに休憩から戻ってきてもらって、手織りとか織物のことに興味があるような方というのは林与と関係があるなしに関わらずにぜひ経験をしてもらいたいなあと思って、明日もおられるなら手織りの体験ができますよと伝えるも、授業があるということで残念ですねということだったのだけども、2日目に学校の許可ももらって手織りと手紡の体験をしに来てくださった。

こういう体験というのはやりたいなあとばくっと思っていてもやれる機会というのはあまりないと思うので、興味だけで終わらせないためにもチャンスがあるときにはぜひ体験をしてもらうのが良いと思う。手織りの機や紡毛機というのは、オブジェとしてもいい感じで、出展者のみなさんも興味を示してくださり、いろんな接点が生まれ、他の素材や他の織物に関してのいろんな話を聞かせていただくことも出来た。

今は、林与もほとんど外に出ることがなくなったので、テキスタイルマルシェグループのみなさんや新しい出展者の皆さんともお話などさせていただけた。このイベントの出展者のみなさんというのは、前向きな方がほとんどで、他では難しいようなことでもやってみようというような企業さんばかりで、ものづくりだけでなく、販路開拓などにも力をいれておられ、いろいろな体験談などもきくことができてものをつくる部分だけでなく、現実的な話や現実の問題を打開するためにどういうことをやってきたのかみたいなあたりの話なども聞けたりもして、やはり、商品開発や小ロット生産においては一貫生産的な流れがないと難しいのかなあとも思えたりもして、多くの企業さんが製品までの一貫生産を社内でやっておられるところが多い。

林与も今は、かつてないほどの原料価格の高騰で非常に身動きすらも取りにくい状況で、林与も麻が主体ではない4産地でフラグシップ的に麻織物に取り組んでおられる機屋さんの方々とは懇意にさせてもらっていて、こういう仕事としてやっても自分が持ち出しながらも業界を存続させていくような苦境局面を背負って乗り越えていけるような機屋さんがあったらどんどんと麻織物を引き受けていただきたいような応援の気持ち.日本の機屋さんに麻織物を普及したいなあと思っていたりは、数年前の麻がデフレで3分の1とかで入ったときにも同じような覚悟。

大手の利益主義な世界が逃げるようなというか、世界規模でも高いものというのは日本が一番くらいに残しているというのが奇跡的な現実で、林与の近い人たちが、麻織物にも興味をもって林与とも関係もなく動かれて、林与と同じ様などうやっていけば成り立つのかの問題にも直面をされているのはよくわかる話。世界的にも日本の繊維業界が評価されるのは損得じゃない日本人の覚悟を見せて嘘や偽りがないみたいな信頼性、でも、日本の大手が本当にそうなのかというと熊本のあさりにつきてしまって、損得ベースで大手が動きながらも日本のイメージで何百億円も動かしながらも昔ながらを守っていくことすらも難しい人たちの努力がイメージになりがちなのが本当に日本の繊維業界の構造的な問題そのもの。

そういう問題というのは本当にブラックボックスで、百貨店とかで売られている国産の語りのものにしても本当に国内産なのかというと、株主とか利益主義とか優良企業を保とうとすると、一番安いところを求めるようなのが普通で、ホワイトというのが業界を食い物にして成り立つような典型で、林与にしても麻織物の業界的には日本で一番というよりも世界的にも本当に珍しい感覚で日本の麻織物の特色を残そうとしていたりもする。それは自分の時間を織れるか織れないかも分からないものに、できるかできないかもわからないものに、使う覚悟があって、日本じゃあそういう感覚がなくなってしまっているから自分だったら注文をいただいたお客さんにもご迷惑を掛けながらも他のだれもが出来ないような、奇跡的な日本の麻織物の世界というのをなんとか、本当に、なんとか残したいなあと思う。それは例えば他で働いてそのお金をつぎ込んでも成り立たせて行ければと思うほどに、でも、今回の展示会にしても出展者の皆さんというのは林与と同じ様な感覚の方ばかりで自分がとことんモノづくりしてお金もつかって環境も整備して、うまく行かないことばかりだけども責任感を背負っておられ鵜方が多くて、革製品を扱われている方ともお話もしてその方というのは本当に自分がどうでもよい覚悟、パートさんレベルじゃなく自分が長い付き合いでそれなりに待遇もしていた人たちが自分が駄目になったときに他の世界に行って心配だと思っておられ、それが本当に日本の繊維業界の経営陣の温かいところだろう胃
dと思う。

部長や課長という肩書すらもがパートさんやアルバイトと同じ様に数字で切られてしまうのが日本のエシカルとかサステイナブルの世界なのかと思う。それは林与自身が寝ないで仕事していても、なんちゃらオーガニック夫ん協会の10年くらいやってた人が一番くらいに、本気に地道な人を、自分が明日は休日だからと寝ないで仕事をしている糸一本一本の自分て繋いで縫って直しての日本の繊維業界の日本の価値観を普通に支えようとしている林与にあなた誰ですかみたいのが、日本の本当に厳しいような日本のエシカルとかサステイナブルが本当に糞レベルの責任逃れ、それて階級主義的な、ラベル主義的な、本当の実際の苦悩を経験もしない人たちが、セミナーで日本のエシカルやサステイナブルのトップというのも日本の地獄絵。日本の織物の世界や、素材の世界でも、林与というのはそういう人と話すると、あなた誰ですかみたいな、日本の繊維業界って本当に素人なのかと思ってもいるし、そういう方々ほど、普通にサラリーマン的な損得で金儲けで、日本の繊維業界に本当に疲れた本当に疲れた、素人みなんな、何百億を日本のものづくりをうたいんがらいやそれは海外の人の生きてゆくのも難しい繊維業界を食いものにして成り立つようなに日本の大手のサラリーマンライクな繊維業界。それでしか生きて行けないというのが、日本の繊維業界なのかなあそれでいきてゆkしかないというのも、どうなのかなあと大手のモノづくりの普通過ぎるものを大げさにエシカルとかサステイナブルというのが本当に日本のサラリーマンライクな日本のビジネスマン的な大手のモノづくりで、消費者騙しで何百億もの利益を上げてホワイト企業気取り熊本のアサリ以上にやばすぎるようなのが日本の繊維業界の儲け主義。

やめたほうが良いと思うような、偽装が横行して分から➁と思って、同じような構造が20年続いているのが日本の繊維業界で、サラリーマン感覚の自分可愛さの大手企業の人たちというのが本当にもの知らずに、消費者騙しになってしまってて、ホワイトというよりも一番くらいにヤバいよような説明すらも出来ない仕事で日本の繊維業界がサステイナブルとかエコとかをくいものにして何百億の利w気をあげるのが風痛になってしまた、一番やばすぎる、麻業界でその話をすればそういうホワイトな人たちほどみんな逃げてしまうような日本の繊維業界では駄目だろう。GOTS,SDGs、金儲けのために規格や基準を作っても、日本の昔ながらの繊維業界の価値観というのはそれをはるかにこえて世界のトップレベルで、世界レベルの金儲けの素人集団が金儲け主義に世界の繊維業界を食い物にしようとしても、地道に一つのキズをなおしたりする世界をわらう人というのは偽物の金儲けしたい人というだけ。

林与の存在というのは、自分がつぶされてもどうでもよいというのがあるけども、日本の一般的な繊維商社や大手が偽装すらもが多くなりすぎて浄化どころか熊本レベルが普通になってしまっていてこの20年以上。林与は個人レベルだけど、大手上場企業の方にでも、消費者騙し的なことはやったら駄目なことはやったら駄目だというタイプで、そこまで分かってる人が業界にいないというのも問題で、近代麻布の研究の専門家の人が私にあってあなただれですかとかというような、現実があったりして、マヨッタエとか、神宮大麻の世界が吸いたい金儲けしたい素人の人たちを集めてしまって、ほんと残念にも思う。

個人的に林与を知っておられる方だと、それなりに意味も感じてもらえるからとは思うけども、あまり話もしたことのない方だと、本当に繊維の世界の話すらも難しく、責任逃れでどうやって楽に生きていくかみたいな話ばかりを豪語されて、サステイナブルやエシカルの日本のトップの方でも林与のような会社は一番クズみたいにいわれることが多い。それが本当日本の繊維業界の闇そのものでそこから直した行かないと、とおもうのが、本当の日本の繊維業界の闇そのもので世界に誇る日本の繊維業界の本質てきな価値観がクズ扱いで、東京ベースの事務方的な現実も分かっておられない日本のトップの繊維業界の方というのはどうなってるのかと思え、立地や資本力を利用するだけのコンビニじゃないんだから儲け主義ばかりでは日本の繊維業界の本質すらもアパレルさんに伝わりもせずに駄目なんじゃないかと。アパレルさんが偽装物を売ってしまったときにはいくら問屋さんや機屋さんが素人だから騙された解いても消費者騙しのからくり層の物で、そういう構造が世界規模なのが日本の繊維業界の地道な気質を利用して謳いを広げて、日本的にはまがいばかりをやって儲けるような日本の大手で良いのかと思う。

それぞれの素材に関して、綿とかシルクは詳しくないけども、麻に関してはそれなりに限界も知ってはいて、日本の大手の麻業界というのが、海外の紡績工場からの情報からとも乖離しすぎて、アイリッシュリネンなんてこの20年以上、買われた人のほとんどが大手の日本の業社と素人的な機屋さんが織る中国紡績の糸だったというだけのことで、日本の麻織物の流通では最高峰に位置づけながらも闇歴史そのもの。大手の上場企業というのは日本の繊維業界の闇歴史を作りがちで林与自身がそういう大手の麻業界の方とも調和を取りながら普通にまともなのも難しくなるような、そういう大手の方のサラリーマンの方にも林与が日本の大手が無茶をされすぎないようにこの10年20年でもそれなりに警告も発してきてそれが無視されて、結局は働く人のために自分たちが立ち上がったみたいな話が、たんなるリソーサーから買ってただけで、自分たちは責任がないと、それはビッグモーターの経営者と店長との関係のような構造で、安くないと意味がないというような考え方には他を淘汰したい気持ちが強すぎて共栄共存という発想すらもなく、

普通のや儲け重視で日本メーカーを語りながら、世界規模のGOTSにしても本質が見えている人が日本にいないのが、世界規模の繊維業界のサステイナブルとかエコの世界、本当の素人の方が、そういうの代表とかされていて本当の世界レベルの麻とか繊維の世界でもない普通以下の合成繊維を混ぜて、サステイナブルとか商業過ぎになってしまっているのが、GOTSレベルで警告を鳴らすのの林与で他には普通に商売じゃなくてまともに消費者の信頼も考えて普通の繊維の世界すらも誰も世界規模でも金儲け主義にまみれておられないのかと思う。

それは日本の繊維業界の一つの麻の世界すらもどんどんと100円ショップ主義的な世界テキスタイルスタンダードで、消費者が気の毒で、国連レベルのサステイナブル認証だけど、それは本当に自分の損得以下の消費者騙しの世界。世界的な認証機関の認証を与える日本の代表的な人にも、それ一番アカン自分可愛さで本当の覚悟もなく組織を守りたいだけで、地道な人を食い物にして成り立ってるオーガニックコットンでは一番やんというのが日本でも駄目なものは駄目と叩いて、日本ラベル協会の方にでも普通にまともなことを日本でやっていきましょうよと、その方に依存されていた日本ラベル協会の方にも、ほんと、残念なのが、自分が食べていくのも難しい方々が日本の繊維業界の重鎮みたいにおられて、林与すらもまったくご存じなくて単にビジネスライクなだけの考え方で、水と油でそんな自分で業界もせおってない覚悟もない人たちが、日本の繊維業界を支え築みたいなことをいっても、そういう代表の方がまったく素人で学生のようなレベルで覚悟もなく人々を支えるでもなく大きなことを謳て、地道に作業してを軽く見てお宅だれですか。それは本当に日本の繊維業界でもありえないのだけどもそういう本当に自分が一生を食べていくために山師的な人たちが軽い気持ちで今の日本の繊維業界。林与というのはいつ滅んでもよいけど、そういういい加減な上場企業の何百億もの儲けが責任逃れ手日本の消費者騙しすぎるのを残念に思う。やらないほうが世界的な繊維業界にとても良いのじゃないかと思う、金儲け主義の日本の大手の無責任なものづくりなら日本の期待して買った消費者騙しに終わるだけが日本では広がりすぎ。日本の上企業の経営者でもそれが普通で残念に思える。サステイナブルとかエコという概念が新しい概念の金儲けに使われ始めると地道に続いて来た物事を続かなくしてしまうだけ。水の少ない虫のいない場所で栽培するようなことが遺伝子組み換えを必要としたり、本来のオーガニックの理想は自然の恵みとしてのオーガニック栽培だろうけども、装置産業的な有機栽培で資本力勝負の低価格競争的なオーガニックへと代わってしまって、以前からやってた人たちはやめて、新しい場所でのビジネスとしてのオーガニックで、価格競争的に落ちて、合成繊維まで混ぜてオーガニックを謳いたいとか、そこまでいくと天然繊維の業界の守ってきた価値感すらも・・・。結局、どんどんとオーガニックも普及するにつれて当初の崇高な理想から普通のものに近づいてきてしまっていて、遺伝子組み換えコットンでもオーガニックコットンのラベルがついていればオーガニックコットンでよいと思う人も増えるだろう。今では、コットン栽培自体が水を使うから悪のように言われてしまう状況。なんか繊維業界の普通の価値観とかもなく、自分たちが自分の手で作業をしない人たちがレギュレーションを決めて階級社会、育んでいる人たちが一番大事みたいなオーガニックの理想に戻ることはないだろう。
2023年11月01日
縫製工場の会長さんが、林与がいつも徹夜で動いたりしているのをご存じなので体のことを心配くださる。年を取ったのかなあと思うのが、暑さ寒さに弱くなったかと思う。それほど寒くもないのに足が冷える感じがしたりとか、そうなってくると健康というものが心配になるのだけども、林与のように一日中動いたりしていると若いころのような食生活でもよいのかなあと思えたり、今日は3か月ぶりくらいだろうか、へとへとくらいにバテてたので、天下一品のこってりスープ大を食べた。

体が寒く思えたのがなくなって体中がエネルギーに満ちている感じがする。林与の場合、健康的な食事では栄養がやっぱり足りないのだろうと思う。辛子味噌やニンニクの薬味などかなり入れて、健康な食生活をされている方からするとまさに塩分とか濃さとかは毒の塊みたいなものだろう。食べ物で体があたたまると体に違和感を感じないのでたくさん動けるから結局体にとってはたまにはよいんじゃないだろうか。

頭もすっきりと眠気も吹き飛び、体も本当にリセットされたような感じ。頭もすっきりとしていないと、書類関係の作成なども細かいところまで思い出したりすることが必要なことも多く、とくに複雑な作業に関しては一回勝負なので一つの織物を織りあげて出荷するまでに、林与の中だけでも細かく分けると10近い作業工程を一か所も間違うことなくやらないと正しいものは出来上がらない。そこに織機の調整も付きまとう。織機が問題のある時には絶対に織り進んだりはしないのも大事なことで、最終的に問題のない正しいものこそ大事。

林与はへとへとにバテていることも多いので、歳をとってても学生みたいにスタミナ満点みたいな食事のほうが合うんだろうと思う。でも、ラーメン大1杯で、もう限界みたいな状態から、また、このなんでもできそうな充実感への復活は本当にありがたい。
2023年10月30日
いう文字の旧字は、日に麗で「曬」。太陽に当てて綺麗にすること。曬の字が難しすぎるので、西(セイ)の音を取って当てて、晒と書くようになったということで、ようやく、悩みが解決した。なぜ晒すという風に言うのかが今まで理解できなかったから。

蚕の繭の外側の糸にならない部分をほぐしてそれを糸にしたものをキビソと呼ぶのもしっていたが、なぜそう呼ぶのかは漢字が分かって、理解が出来た「生皮苧」。

チュウキとかいわれるのも、漢字で見ると「中希」で、両耳の部分と中とを比べると中のほうが色が薄い現象。

ヒマも、「杼間」で、横糸切れなどで横糸に隙間ができること。

漢字で見ると意味が分かりやすいことが多く、他にも、妙とか布とか、地機、高機とか、蚕の漢字がなんで天の虫なのか。麻と呼ばれるものがなになのかということも、「粗苧(アソ)」というのが和音のアサ転じたのかなあとも思う。麻というのは、しびれるような辛さを表す。山椒のような痺れるような辛さが麻なのである。本居説のヌサが転じて麻というよりも、麻(アサ)が幣(ヌサ)の語源ではと林与は考えたりもする。ヌサは、奴(ナ)左(サ)から来ているとしているが、捧げものであるナサには奴隷なども含まれていたという。

ブーというと、沖縄では苧麻を指すらしいが、中国語の苧麻(チューマ)のチューから来ているだろう。大麻は中国語では(ダーマ)、胡麻は、胡の国の麻ということで、麻というのは粒の実のなる木を指すことばではないのかと思えたりする。大麻の実も油を取るために使われた。実の辛さみたいなものが痺れるような麻の辛さ。麻痺するの病ダレの麻もそもそもは舌が痺れるような麻の辛さに由来していたのだろうと思う。麻婆豆腐にいれるのに華椒よりからい麻椒というものがあるようでそれが麻の辛さを象徴しているんだろうか。ドライフードみたいな
2023年10月20日
今のライフスタイルというのは無駄なものを持たないみたいな生活。30年前でも部屋の中にはテレビだけで、押し入れに布団片付けるとテレビだけしかない部屋で済んでいた人をみて、いつでも引っ越しができるやんと思った。

仕事をしていると物がどんどんと増えて来て、処分しようとしてもこれを自分が手放すと次に手に入れることは難しいだろうと思うものが多い、織機もそうだけども30台近く持っていて、そとには2台スペア部品用においてあったり、倉庫にもは部品の山があったりする。自分自身でものをもっていないと織機も修理も出来ずに誰かがすぐに可能というわけでもなくそこで織機自体が使えないということになる。

今使わないものを自分で将来のために準備して保管しておくということは織物の世界では、ある時にしか手に入らないことが多く後でなくなってから手に入れようとしても難しい。需要の少なくなったものほど手に入れることは難しくなっていて、筬などはまだ作ることは可能だったりもするけども、シャトル織機の部品なんかは出物があったときに手に入れておかないと後では難しいという話になる。

タイイングマシーンも林与には4台あるのは救いで、タイイングマシーンも林与の使っているロングセラーだった型番ももういろんなパーツが手に入りにくくなっているということで、一番調子のよい1台を使いながらも他の3台は予備として持っていないと難しい。無駄に見えるものばかりを抱えているようなことも本当に多いのだけども、昔のシャトル織機の本体にしても本体があるだけではなかなかその維持というのは難しく、いろいろと抱えている必要がある。

工場の維持というのも非常に大変で、もう10年くらい前になるだろうか高圧から低圧にかえ、しかも動力は14kwのブレーカー契約にしたことで30台もの織機を維持できていたりする。電気工事会社をやってる同級生にやってもらえて長年の夢が実現した。もっと早くやっておきたかったのだが、ブレーカー契約などに詳しい業者さんというのも地元には少なく従来会社の電気を頼んでいた方では従来の方法しか難しいようなこともあり、林与がブレーカーを手に入れて、それを電力会社に持ち込んで検査をパスさせて設置してもらうというような流れは通常だと難しいだろうが、同級生の理解も得て違法でもなんでもない正しい手法で、多数のシャトル織機を温存するようなことが可能になって、ようやく理想的な形で高圧電気設備維持の重荷から抜け出せたような感じ。その点では本当に昔からの友達で苦労している人たちというのは企業を背負っておられながらも同じ気持ちで仕事されているので、成り立つ話でそれが長く実現が難しかったのも昔からの関係を大事に思って。

林与もいろいろとやりたいこともあって最優先的に今までの方に頼むことがあるだけども、林与が思っていることが簡単に見積もりも取ってもらう間に外の世界で速く簡単に何分の1の値段で出来てしまうということも多くて、外のそういう人たちの感覚というのが案外林与の感覚にも近いのかなあと思うことも多いのが実情で、国内の従業員などを抱えた製造業が国からの重荷奴隷になりすぎて、奴隷にしながらアベノマスクは隠して騙して海とか、海外マスクの10倍の相場を払ってたりとか。それだと国産マスクでも十分に対応も出来たのに、大手のマスク業者たちと癒着してしまって、そういうのは日本の政治と一部の政治に癒着した繊維業界の闇の部分。そんな癒着構造で多くの国民が未曽有のコロナで苦しんで死ぬのも分かってないから、自分たち利権にしがみついて裏で汚く国民から巻き上げて殺すみたいな、世界でも一番恐ろしいレベルに陥ってしまってる。戦争で人が死ぬ音は大丈夫でも、政治家の愚策で多くの国民の命が犠牲になるというのも同じことでそれが法律では罪でないだけで、日本の政治家というのは国民の命以上に、それよりも自分たち音利権の方が優先されるようなショービジネス。法律もそのように隠して騙してを作り上げてそんな法律のどこが正しいのか、まさに、腐敗した政治社会。
2023年10月19日
今のホワイトなモノづくりというのは無理や競争に追い込まないスタイルなのだけども、お客さんではありえないことだけども、従業員レベルだと朝からあくびばかりしている人の割合が半数以上に増えているのは事実で、そういうのを指摘しても、あくびは緊張感を得るための健全な行為として逆に従業員に説教されるのが経営者。すきなだけあくびしてくださいと思うだけのことで、本当の緊張感がないと話をするきもなくなるだけのこと。

いつもどこでも目線を外すとあくびしてるというのをみられてしまっているのを本人が気が付いていない、得意先の人とかブランドの方が来たときには仕事の時間の中でほとんどそういう緩みはないけども、時間中に気が抜けてあくびしてたりが普通の人の割合というのは多くて、じゃれたきもちで仕事をしているのが、周りの人には分かってしまう。

普通に40時間程度作業して、朝から眠いのにそれでも睡魔と戦っていますみたいな主張なのだろうけども伸びることは難しいのは当たり前でたとえその半分の時間精一杯でも、のこりの半分がそのような状態だったらまともな作業は難しいし、時間が来るのが待ち遠しいだろうと思う。自分なりには頑張ってくれていた方でもあるとき1度今日は覚醒して仕事ができましたみたいなことをいってくれて普段の2倍の普通くらいのスピードで仕事をしてくれた。そういうのが要求される仕事の感覚なのだけども、そこまで行きにくいというのが経験の少なさだったりもして仕事に慣れるまでも難しいようなところ。
2023年10月19日
繊維関係の海外視察で、ある経営者の一人の方が非常にリーダーシップを取ってくださって、経営者たちをまとめてくださっていい雰囲気の視察をできたことがあった。食事会などあって、普通に個々が好きなものを頼んでプライベートな旅行に終わるのじゃなくて、支払いなどは経営者たちで払おうと持って行ってくださって、6人くらいの経営者が30ドル程度の支払いで接待という気持ちもまったくなく、世話になっている主催の方々や他の参加者をもてなす程度。

その旅行に参加した方々というのは次の展示会の時には、ブースにまで会いに来てくださる方も多くて、参加させて頂いていろんな海外の現場のことも知れたし、地場産業じゃない世界レベルのものづくりという現場の現実も知ることができた。その経営者の方も日本の繊維業界をうまく引っ張って行こうと献身的にいてくださるのが伝わってくる。その方も今は社長になられたけども、何百人も従業員を抱えながら、能力もありながら一方で心優しく、林与にも旅行中もいつも声を掛けていてくださった。

次の展示会でもバタバタしてばかりだったけども視察に行った時よりももっとなんかみんなが仲間で連帯感があって、旅行中も世界で一番おいしいカレーとかも誘ってもらって食べておいて思い出の一つになったりもした。経営者ばかりの参加でもなく従業員の方の参加もあったけども、従業員の方とも仲良くなれて、他の繊維の分野の知識というものをいろいろと教えてもらえて、高いレベルのことをやられながらもすごく高いのでなかなか売るのは難しいといっておられ、真似もされやすいのでサンプルリクエストなども注意はしていると行っておられた。

林与も麻織物をやってて幸せだなあと思えたのがその時で、他の会社と比べるとシンプルなのにそれでも仕事が続けて居られること。日本の市場というものが恵まれていると感じたのもその旅行で、日本の消費者の方というのが他の国の消費者以上に日本製の生地なども評価してもらっているのを再認識できて、日本で織物を作っているならもっと出来ることがあるんじゃないかと感じたのもそこで、損得とか考えていたら日本製なんて難しいだろうし、ましてや小さな会社や林与じゃなくても個人レベルが損得を考えてやってても評価なんてされることもないだろう。本業に徹して思いっきりやろうと。

けども、思いっきりやろうとすると、作業でも、準備でも、お客さん対応でも、私にしか出来ないようなことも増えてしまって、織機なども調整が微妙になりがちで、調整にしても私にしかできなくなってしまったりとかも増えて、お客さんの需要というものは増えるのだけども、一つ一つが問題の壁が高くなりすぎて一つの壁を乗り越えられないことが雪崩式に命取りになるようなことも増え始めた。

2008年にリネンデニム生地を林与がそれなりに形にして発表で、今も続いている商品の一つだけども1時間に1mしか織れないような織物。作ろうと思っても簡単に作れないからよいんだろうし、真似をしようとしても同じ苦労があるだろうから、我慢比べかなあと思う。令和の時代の初めのころにレピアで綿のデニムが試しに織ったのだけどもそれほど難しくなく織れたのとくらべて、量産をしながらもリネンデニムは手ごわいなあとつくづく実感。

他の生地の企画などもギリギリのものが増えすぎて、この15年で、リネンの細番手の糸もだんだんと弱くなってきているのも実感で、無糊で100番手くらいならレピアででもアパレルクラスの生地を織っていたのに、それが同じ銘柄の糸を使っても完全に無理になってしまって糊付けもするのだけども、それでも手ごわく量産が難しいとか。林与の現行糸での超細番手企画はちょっと様子見中。

普通の60番手の生成の糸を織るのが難しくなってしまっていて、これも林与周辺の地球環境の変化だろうか、前回も糸のねちこさみたいのはあって、ももけてきれてキズになったりもあったが、オーガニックの原糸を購入してからかなり時間も経っているので、フィブリル化みたいなものが若干進んで桃け度合いが端のほうはどうしても緩みやすい加減で、今回は難しいのかとかで、在庫がなくなったオーガニックリネンソフト仕上げの生成の生産も様子見中。

ビンテージアイリッシュリネンプロジェクトも、一生で一度は経験しておきたいなあみたいなプロジェクトだったし、昔の良い時代のものづくりを現代に復活するようなプロジェクト。他にも世界的にもリネンの広幅絣プロジェクトというのも、近江上布の横絣技法を応用した織物で、林与のシャトル織機の技術を活用したという意味では、応用的な可能性が広がるプロジェクト。それが今、手織りで再現するほうが簡単かと広幅の手織り織機を自作するような計画にも進化。

林与だけの問題じゃないと思える。今手に入るリネンの糸も高値ながら希少になりつつあって、従来の継続番手がどんどんと消えて行ってしまっていて、16/2の糸などは2年分くらい買っておいて本当によかったが、従来やっていた20/2の糸などは久しく手に入らない状況とかで、昔、量産していたものも今は作れなくなってしまってる状況。

今まで麻織物を横糸に扱われていた工場さんでも、どこか安く麻糸が手に入りませんかという相談を受けたりもするけども、国内ではリネン糸自体の入手自体が難しくなりつつあって、糸は過去最高値を更新中。ラミーやヘンプ糸も同様に上がって、企画の話をするときにも、その都度に糸の入手の話からそのときの価格での見積もりが必要な状況がコロナが明けた後から続いている。

受注生産形式のやり方ができたのが、糸の入手すらも難しいとなると無理だし。他に地元の染色工場さんも手いっぱいになられていて、染めるのもがんばってくださっててもキャパ的に難しくなってきている。加工工場さんも昔のようなペースでは仕事が回っていないとおっしゃられていたりで、縫製工場さんがおっしゃっておられるにも生地が上がってくるまでに半年かかるのが普通にとかの状況らしい。

でも、世の中をみわたせば、ウクライナでの問題やパレスチナのような状況が現代でも普通に起こっていたりと、いくら豊かになっても殺し合うことすらもなくならないのが人の世界で、まだ、地道にいろんなことを前向きに考え作業していられるのが幸せで良いことなんだろうと思えたりもする。種を撒いて育むようなことが出来たらなあと思うのがあって、自分で織物を織るような手織り体験をさせていただいていて、手織りをやってみたかったとか、やってみたいと思ってくれるお子さんが多くて、そういう機会すらも今はなかなか難しくて、簡単な織り方だけを最初に1分ほどお教えしてあとは自由に好きなだけ織ってみてと黒子に徹してサポート、そういう場を提供させて頂けるのが一番にありがたいことで喜んでいただけるのが幸せ。自分がやろうとしてできた充実感を味わい楽しみと自信をつけてもらう。教科書みたいなマニュアルもなく、いきなりの実践で見よう見まねでやってみて覚える、とか、そういう学び方もよいんじゃないだろうか。

考えや価値観が違うもの同士が交わるということは非常に難しく、他のものに頼みたいじゃなく、他のものを支配したいような考えをもつものがいるかぎりは難しいことで、お互いを認め合うような精神が大事で、林与の中では、人が階級的な意識を持つというのは一番駄目なことだろうと思う。上の立場の意識を持つならそれはそれなりに責任を背負うべきで、逆に面倒を見てもらいたいならいうことを聞かないといけないのも仕方ないことというのもバランスとしてはあるだろう。無責任な逃げてばかりの政治家みたいなのは一番駄目な典型で、そういうのを見逃したり正当化するような法律も駄目で、みんなが同じような条件で成り立たないと民主的な基本すらもが揺らいでしまう。最悪なのは美しいことを言って選ばれたのにそれを裏切って選んだものの責任だとかいう政治家とか、そこまで落ちてしまうと詐欺と同じレベルで駄目すぎるとおもうけども今の日本はそういうのが普通になってしまっているような気がする。
2023年10月18日
今日、友人の娘さんが午前中仕事を手伝いにきてくれておめでたとのことで、林与なんかは去りゆくものでよいけども、次の世代の人がその次の世代を育めるということは日本ではだんだんと難しくなってきているだけになによりも素晴らしいことだろうと思う。今の若い人たちというのは共働きが多くて、そこに訳の分からないベビーシッター制度とかよりも、保育園に普通に入れるようにしてあげればよいだけのことなのに、それも行政が拒んでいるところが多い。子供たちが親にだけ育てられるよりも、保育園のような場所で他の子供たちと一緒に遊ぶみたいのが大事で、なぜ政府はそんなことも許さないのか不思議。

仕事のない母親は子供を自分で育てろみたいな話につながるのだけども、仕事を持つためには子供を保育園に入れないと仕事ももてない。無理とそういうの作って真面目な人たちを苦しめて居たりもして、普通に子供を持っていても働けるような環境を国が提供しないといけないのだけども、無職の母親が子供を保育園に入れることは難しく、働いている人しか子供を保育園に預かってもらえないような状況では、貧困層を増やして生まれてきた子供たちも階級社会の中では食べても行くのが難しく国家の奴隷要員。

無職で苦しんでいる人たちでも怒らないといけないのが、労働基準書の監督官に、あなたが一日中外でタバコ吸っていたら労働基準監督局を訴えますかとk架空の質問という想定で尋ねると「訴える」という答え、そういう人に無職の苦しみもわからないだろうし、働く人を受け入れて責任を受け入れて働かせる大変さも分からないだろう。国レベルでもう階級社会が形成されてしまっていて、働く人を受け入れたらそれだけで国のバラモン階級の役人たちに支配されて吸い尽くされてしまう。そういう国の役人がどれだけまともに働く人をつぶして働こうという人を受け入れた企業をつぶして自分の立場を無責任に偉そうに自分の利用して生きているんだろうか。

労働基準監督官でも1日中さぼってても給料をもらうのが当り前だと思っていて、そういう感覚で企業を指導しようとするから、これはまさに階級社会そのもので、日本もどうしようもないようなレベルに落ちてしまっている。それが日本の労働監督署の指導だというのも、日本社会が階級社会を目指し、奴隷社会につながるような状況で、1日中外でタバコ吸っててもそれが労働基準監督官みたいなのが当り前みたいな人が、日本の労働行政を指導していたりで、ボロボロな日本、末期なのも当たり前、そういう問題から解決してゆかないと支配階級意識で奴隷階級から吸い上げるだけの日本。

林与の親友と呼べる方たちにも県職員レベルの方は何人かいるし、滋賀県の県職員の方も多く知っているし、また他府県の職員の方も知っている。県職員の方たちというのは、実際に民間の人たちとの接点が多いので、親身な対応をしてくださってることが多い、国からの問題を解決するのが都道府県という立場だからだろうと思う。国と都道府県や市町村というのも階級社会の典型ではあり、日本の場合には社会主義国にみられるような構造があったりして、無駄な締め付け政策や利権との癒着構造など不透明な部分も大きくなりすぎている。次の世代やその次の次の世代をそういうものから解放してあげないと、ボタンの掛け違えのような悪法をつくってそれが正しいと信じ込ませての連鎖では、健全に育つとかいうことすらも難しいだろう。

親と子供が家庭の中で過ごせる時間というのも短くて、高校くらいまでだろう。高校くらいまでの親と子供は地域の行事よりも家庭に専念できるように、親も子供もレクレーション的な行事以外からは解放してあげるとかが大事ではないのかと思える。PTAなども不要論が出ていて存在していることが逆に問題を生んでしまう場合も多い。家庭の中で、親と子供が週末のひと時でも一緒に過ごせるような環境が大事だろうと思え、また成人したときには、親が子供から離れまた、子供が親から自立していくのが当り前のような、次の世代に力と自由を譲っていくようなことが大事だろうと思える。年配者がいつまでも社会を牛耳っているような構造では、次の世代、また次の次の世代が自分たちで考えて生きてゆくような当たり前のことも実現は不可能だろう。

宗教にまつわる不幸な問題なども日本ではあったりだが、本来は国がしっかりと意図的に見逃さずに対応をしていればと思うような、宗教的な階級社会とも政治が融合してしまって、それで何十年とかの日本の政治の裏側。普通の良心的な話すらも通じないような大人たちが国を牛耳っているようでは、優秀な自分たちの信者を育てるのが国の役割ではないのだから。

文化や伝統を重んじるというようなことが美しく謳われるけども、文化や伝統を守るためにも、その何倍もの新しいことは必要で、世界で活躍できるような次の世代や、世界にでなくとも自分の考えをしっかりと持った人たちが大事なんだろうと思う。日本の同調圧的なものに弱いのは、悪徳宗教などにも弱く、洗脳されやすいことを生み出すとか、風見鶏的な人を生み出す。日本のテレビ業界の華やかな裏では、子供たちが権力者になびかないと活躍の場もなく、芽もつぶされてしまうみたいな構造も明るみに出たが、次の世代の人たちには権力にすがらなくても普通に生きてゆけるような社会を残していくことのほうが大事だろう。

権力者構造に陥った組織や社会というのはそれを守ろうとしておかしなことを法律にして正当化してゆくもので、そういう体質を変えていくことは非常に難しいこと。大人というのは権力になびいてしまうものみたいなのが、村社会的な普通のことで、そこで生まれ育ったものでも逃げ出してしまうような状況で、新しい外の人を頼みもそれは本当に難しいことだろう。日本では国レベルが村社会的な状況で、日本の少子化と、若い外国人に来て日本社会を支えてもらわないと成り立たないような状況。次の世代を食いつぶして成り立つような構造を改めないと、若い人たちというのは働きながらも本当に質素でつつましくささやかでギリギリの生活の人が多い。
2023年10月18日
自分のビジネスを始めるというのはかっこよいイメージだけども、やるなら右から左の転売的なものが成功率は高いだろう。ものづくりというのは開業補助金などの対象になりやすいし、地場産業系のものづくりと絡めたプランというのは地域も地域文化存続のために必要としていたりもするけども、林与のやっているような織物の仕事というのは、無店舗物販業の10倍くらいの負荷があるだろうと思う。

物販業においても店舗や人員を抱えるだけで、その負荷は2倍3倍になっていくだろうけども、モノづくりというのは、人(技術)、物(設備)、金(資金)と呼ばれるようなものが揃わないと難しいし、その半年とか掛けて長い道のりで作られた織物を、作ったら買い上げてくれるような業者さんに恵まれていて、定番商品を生産させてもらっているから安定した経営ができるだけのことで、新規の商品アイデア程度のことというのは、たんなる消耗品的なアイデアに過ぎず、どうやってそれを試作して形にして仕上げるのかというプロセスと、どういう形態で流して開発費用などを回収して次の開発の資金を生み出して行くのかというプロセスが成立しないと難しい。

林与というのも不思議だけども、はっきり言って繊維の人間でないから大きな重荷も背負えるところがあって、普通に繊維の世界の感覚だと損得だけに陥って、一回限りの出たとこ勝負的な話になる。実際、それは昔日本が馬鹿にしていた海外のものづくりそのもので、小さいところが損得ベースに落ちてしまったら大きなところの普通の損得ベースと同じ考えでは、難しいだろうなあと思う。おかしな話だけどマイナスも覚悟してとことんなところまでいかないと、繊維業界の10倍の価格差というのはモノを国内で生産して流して行くことは難しい。

生産を海外や国内の一番安いところに移して販売だけだと成り立つ可能性もあるけど、自分で作るようなものづくりが一番意味があって、林与も自分のできないことというのはお客様に迷惑を掛けないように他のところで出来る情報を提供したりして、林与とは関係なくても麻のことで林与を頼ってくださったということに、価格や現実性も考えながら今までも頼ってくださった方が麻関連で成功されることを大事に思って動いてはきた。

滋賀県というのがすべてにおいてどんどんとものづくりが難しくなる事情もありながらも、県の行政機関の方々からも、業者の損得の話じゃない日本の最高レベルの麻織物の世界を作り上げたいような気持で、繊維の人間感覚もない私が取り組んできて、麻業界では新しい感覚で日本の麻の価値観を守ろうとする麻福さんの北村さんも似ているような気もする。それは北村さんが侍ジャイアンツ的に日本の麻織物のルーツに傾倒されているからだろう、東京から伊勢に移られたのには驚いた、商売じゃないんだなあと思えたり。その点は林与が日本の近代以降の麻織物の世界の江戸時代の技法も再現したいと思いながら与一爺さんでも、多分、戦中に麻織物贅沢品禁止令で手放された1トン2トンの手績みの糸をその60年近く使うつもりもなくても守りたいと思って残している。1970年代の幻過ぎる花王のマルセル石鹸を数百キロでそれがなくなるとすべてが終わってしまう感覚で、花王の幻的なマルセル石鹸でも数百キロ単位で買う覚悟で残してくれた。

林与が日本苧麻業界の最高峰の敵視的な、世界のどこに行っても特別すぎるありえない感覚の日本苧麻業界のものづくりを楽しん頂けるのが、一つの家レベルが覚悟を決めて世界で一番くらいの最高峰が残せたら良いだろうというような気持ちで、それは大手のSPAさんの安すぎる10分の1の世界も自分が10ばい覚悟して日本の麻業界の伝統的に培われた価値観を、仕事を始めた最初の地から伝統工芸士さんたちの限界も感じるも日本の200番台の初めのころの伝統工芸士さんというのは働き始めた20代の林与に絶対的に服従だったのがありがたく、一方で指図ばかりで働こうとしない先代がお前は信用がないからとか、日本の繊維業界の縮図というか日本の駄目を家の中で経験した。

日本の繊維業界の価値観を損得度外視で考えるような方たちとだけ、押し売りもしないし。利益率ゼロでお受けて、その方たちにビジネスでといわれたら、日本の製造業界すらも将来はない。あるかたが林与が24時間うごいて世界的には自由を奪われて最低と思われている人以上に、一生懸命に動いてしるものを馬鹿にしないで見下しもしないでいてくださるのが心の救いで、日本政府がこのような状況では、世界で一番くらいに頑張ってる人たちが、軽い日本政府がモノがして消費者騙しの日本のものづくりの浸透。自分が働く覚悟や人生を捨てる覚悟を国内では食いつぶしているようなあ、まさに国内がジェノサイドそのもののの状態。

田舎の80代の近い人が、隣の家が燃えても自治会に入っていなければ消すなとかで、普通の人間の困った人を助けるよう心すらもがなく思え、そういうのに反論できるようなのが林与だけというのも末路で、その時の自治会長ですらも外の世界でいったら一番駄目なようなことを、有力者と相談してきめるとかで住民には隠して騙してばかり、70代、80代のひとのどうしようもない。末期状態を指摘する話で、過疎化も当たり前だろうなあと思うし、そういう村社会的な有力者市思想を自治会長が見せたら終わりのもわからないと駄目で、自分が生まれてそれなりに責任も被って頭下げて役も受けて来たのに、田舎で自治会長でもしらんわからんぜんぶまかせてあるというような、外の普通の世界からみたら笑えてしまうような状況がなぜ自分が生まれた場所の現実なのだろうか。

普通の議論を公のばですると一言も言えないのに、裏では権威主義で70近い自治会長が自分の利益可愛さに隠して汚いというのが、田舎の末路過ぎて、そういうの若いものを軽く見すぎてそういうのほんとやめようよと思う。若い人たちは苦しみながら田舎でしらんわからんでいきている年配者を支えているのに、それを食いつぶそうとするような年配者や村社会構造というのは日本社会のどうしようもない縮図そのもの。厳しい話だけど、ほんと食いつぶして生きてゆくとうのが田舎の末路で、育んで育てていくような人の芽を摘んでいく。林与にしても50過ぎていてもっと若い人たちに力をもって譲っていかないといけないと思っているけど、70,80代の人たちが力を握って譲ろうとしないような組織というのもいつまでそんなことをやってるんだろうと思う。任せられたという外の業者が一切手を引く話で来たが同世代で可哀そう、集落のいい加減な年配者が自分のことなのに知らん分からん業者にまかせてあると責任から逃げているのにそういう裏で隠して汚いことやってる責任被って窓口やらされて、林与じゃなく普通の若い人だとそういう汚いことやる連中につぶされちゃうんだろうと想像すると、集落という組織も一度リセットして綺麗に再スタートが必要で、表で和の精神とか隣近所とかいって他の家の若い者に説教してるようでは最悪で自分の家のものは好き勝手のわがまま放題させてたりとか。

林与もなにかをやろうとするときに、助ける力も持っておられる方がいてくださってその方が無理になっても、明日は難しいと言われながらも林与をサポートくださった別の方とか、ほんと1円のお金も考えずに林与が動いて特別なことにいるのも理解いただいて、お話をしていてもすごく温かい人生観みたいなものがつたわってきて、田舎にありがちな駆け引きや下衆な脅しで仕切ろう見たいなのは一切なくて、価値観の一致みたいなところでのすべて分かってくれている人たちが林与を支えてくれてたりで、感謝でしかなく。

林与が、展示会に出るときなども林与というのは展示会傘下の中では一番くらいに小さな会社なのだけどもそういうのを支えようとして動いてくださる主催の方の温かいお気持ちでいろんな展示会にも出展させていただけたし、そういう方々というのはサラリーマン的じゃなく、苦労して夢を育もうとされている方々で、そういうのに本当に支えられてきたから、そのときまでは接点の少なかったある方がおっしゃってくださってたのだけども、林与は特別あつかいが不思議だと。その方に頼って海外の展示会での通訳の方を探しているので助けてほしいと頼むとその方のお友達の繊維業界にも精通した最強レベルの方で、その翌年にその方がスケジュール的に無理なので他の方をご紹介いただいてもその方にしても本当に良い方で、その次の方も良い方でみたいな連鎖。ほんと林与は恵まれていると思った。

林与が覚悟をきめていて外の人が全力で助けてくれていても林与の内の人がそういうのを理解できていないと、そういう方との力の違いすらも理解が出来て居なかったりで若い人をそういう展示会に連れて行くことも難しいのも、若い人が思っているのが自分のことで、そういう外の力のある人たちというのは自分のことじゃなく他の人を助けようと日本の繊維業界を盛り上げようと全力の気持ちの方たち。自分のために動いている人の価値観というのは強すぎて他の人を支えようとして動いている人を攻撃までしてしまうところがあって怖いのも現実で、能力のギャップの大きさ、覚悟のギャップの大きさ、答えが出せるか出せないかのギャップの大きさ、価値観のギャップの大きさ、というのは埋まることのほうが珍しく、最初から出来る人は教えたとおりにやろうとするし出来ることが多いし、いつまでも出来ない人は教えてくれたらやるというけどやり方がわかってもそのやり方をやらないというようなはっきりとした違いがあったりする。

若い人たちにとって気の毒なのは、今の繊維業界は昔と違って昔以上に激戦区で、誰もが働けるような場所ではなくなっていて、何十年の経験者でも通用することが難しく、そいう人たちを軽く抜いてゆけないと携わることは難しい、それは私自身も感じてきたことで、実際にやってできないと駄目だし、仕事の厳しさみたいものに普通に耐えられないと地道な作業だから難しいが、好きなことをやりたいとかいう感覚だと逆に最初から無理で余力作って好きなことをやるみたいな感覚でないと仕事としてはやらないほうがましのことが多い。繊維の現場というのは軽く見られがちだけどもすごく負荷が高く、高い能力が要求されるのが現実で、麻織物においては、縦横先染めで麻織物をつくれるところというのは日本では本当に限られていて、普通に見える麻織物でも国内でつくるのが難しくなっているのは現状。

それは技術的な問題じゃなく、千メートルの生産というのがなくなったから。いわゆる小ロット多品種化的ジャストインタイム的な妄想があるけども、それは、数メートルをつくるのでも100mを作るのでも変わらない手間が必要で、多工程にわたるものづくりでは難しく、たとえば、電気や自動車のような組み立て産業だとまだ仕入れ先に在庫を持たせて成り立つだろうけども、生地のようなどこかで失敗が起こると全没になりやすく、ショートもしやすく、全部やり直しになる世界では難しい。1kgの重さの織る前の染糸にしても、フェラーリと同じくらいのkgコストだし。普通のリネンのバルク買いする糸でも、ハイエースとkg単価は同じくらい。染代も糸代と同じくらいは掛かるから。一番安い糸でそのあたり。

日本のものづくりをどんどんと難しくしていった。国内で問屋経由で大きな相手の仕事があるかのように見せてサンプルや試作だけ作らせて、データをすべて提供させて海外で本生産をするような業者さんも大手では多かったりもするし、海外で本生産で失敗すると国内に本生産が仕方なしに戻って来るみたいな話は織物業界では腐るほど聞く話。

ある産地の方が産地の振興を思い、熱い思いをもって1000点とかのサンプルを海外の商社さんに送られた、天然繊維100%のものは発注がなく、複合繊維のものだけが発注が入ったと正直な話。100%のものは糸も同じ色に染めてまた柄も同じようにおって、海外で複製して量産が作られてしまっているんじゃあないだろうか。その窓口の商社がしなくても、その商社のお客さんがいいなとおもえばサンプルを欲しいとサンプルを手にされて、従来の系列で作られていることも多いだろうとは思う。創意工夫してつくったものがすぐに真似して流れることも多く、特殊な染の糸なども林与が生地を作って売れるとなると、それを聞きつけた他の産地の商社から糸を売ってほしいといわれ糸を売るのだが、そのあとは地元の工場を調べて林与の完成したものを日本の他産地ですら真似ようとして来られるから、自分が仕事を生み出そうとしても生み出しても、開発費も使わずに真似をする業者さんのほうが安く作れる。
2023年10月16日
20代の後半に会社に入ったときに、とにかく目の前の仕事は自分の全力を出して精一杯やろうと考えていた。まだ、大手SPAのものづくりが旧来のアパレル業界からは笑われていたころの話で、働いている人たちというのも気楽な気分が漂っていた。仕事は普通にあるものというような雰囲気で、値段も通る世界がまだあったりもした。

その背景にはやはり土地バブルというものがあって、昭和の時代の年功序列型賃金制、終身雇用制度というようなものを支え、さらには、高級ブランド志向を支えていたところがあった。バブルの世代をしっているものは、今の10倍の値段の洋服を普通に買い物していて、その時の価値感が今も残っているようなところがあるから、洋服にもお金を使うのだけども2000年以降のデフレの時代というのは安いものがファッション化した時代で、若年層を中心に国内生産ではなく、海外生産の安価な洋服を買うことがファッションとして定着して、私はテレビを見ないのでよくわからないが、昔は高級ブランドのテレビCMばかりだったが、テレビCMもそういう大手SPAのCMが流れるようになったのではなかろうか。逆転するのは早いもので、それは、同時に日本が中国に追い抜かれてゆくのと似ていて、2000年ころの東京と上海では、上海のほうが未来化して2004年にはリニアが開通し実用化された。

中国の繊維関係工場というのも多くの人を抱えていたために競争してでも仕事を取りたいような状況で、働く人たちも仕事を転々としながら、能力が高ければ高い給料、能力が低ければ低い給料で、働くことでより高い給料を得ることを目指し、失敗した仕事は休み時間に直したり居残って直すような形で、できるものは休み時間や残業して工賃仕事をこなして経験と収入を上げていった。そういうものづくりが日本の大手SPAの裏側のものづくりで、日本がサラリーマン化して失ってしまった部分を補ったのである。中国の工場が独自のブランドを作らずに海外向けはOEMに徹したというのも下働きな地道な部分で、そういう下働き的な地道な部分を10年覚悟してこなせば、世界中のブランドから製造を依頼されるようにもなって、さらに経験も品質も上がった。一方日本国内では、高い労働者の能力とより多くの手間と時間を必要とするような小ロット多品種ジャストインタイム的な生き残りを目指せというようなことを経営理想とする半面、働くことは悪いことだ見たいな風潮をつくりあげ、多くの企業はつぶれて行き、上場企業ですらも行きついた日本の厳しい基準に縛られて偽装せずには成り立たない状況が蔓延をしてしまって、デフレ以降の日本では厳しい日本の品質基準を謳いながらも、手抜き工事や強度偽装品質偽装などが横行して、5年後には残らないような、太陽光、地デジ、LED、など政府の補助金ビジネスばかりが時のビジネスとしてタケノコのように生えて来ては消えて行った、同時に日本の家電メーカーも消えて行った。

日本の大手SPAのものづくりはものづくりだけに終わらなかったから、新興であったために国内では正社員でない若い非正規の従業員を大量に使うことができた。百貨店販売ではなく路面店形式をとった、製造も日本の硬直化した繊維製造システムではなく世界規模での製品の企画と製造、仕入れ。旧来の業界のもつ重荷から解放された自由なものづくり、そしてその裏の素材品質は日本の大手の繊維素材メーカーに支えられ、新興国が日本の繊維業界の大手の製造技術を引き継いだ形。色にこだわらない原色的な5レンジャーカラー、もう一つが、白黒ベージュのカラーテイスト、どちらも一番モノづくりを安くつくれる色、世界中で共通の色、色で悩むことはない。ジャストインタイムと言われたモノづくりではなく低価格を目指した大量生産型。すべて日本国内の旧来の高級ブランドの展示会受注型とは逆の思想で、社内に年配者たちも抱えない自由で新しい繊維業界の形のスタート。国内では重くなりすぎた製造じゃなく、企画と販売だけに特化した、新しいことに挑戦ができるスタイル。日本のSPAが世界規模で広がったのも、ほかの海外SPAとの違いは、日本の大手素材メーカーの存在が大きかったんじゃあないだろうか。日本の素材に近いものを海外で生産するだけでなく、製品企画にも精通はしている。新興国の普段着市場を持ったことも旧来の日本のアパレル業界とは異なるところで、原色カラーが売れるような海外テイスト。

国内の旧来の繊維業界においても仕事というのはやろうとおもえばいろいろとあるのだが、人がいてもそれをこなせる人がいないという問題がどこの現場でもあって、目の前にあるものごとを仕事と請けいれてそれを初めてでもやろうとしてできるかどうかだけなのだけども、長年の経験者ほど経験がなければ慣れた仕事以外はやろうとしないし、説明した新しい方法ではやろうとしないことも多く、初心者の人と同じ様な問題を抱えていることが多く、国内というのは高度な新しいものを生むこともできなくなって、どんどんと通用する市場はなくなり生産量も落ちていった。日本人は昔は器用だったというのが事実だが、今はもう海外の新興国の人のほうが実際に働く時間も長く大量の物を扱っていて器用だろうと思う。国内でほしいものをモノ作りするよりも世界中から欲しい製品を探してくる時代になったのは事実だろう。

時計、カメラ、計算機、コンピューター、システム手帳、財布なども今はスマフォの中にまとまり、アップルとサムソンという2強が世界シェアの多くを占めていて、日本市場ですらも、日本の家電メーカーの市場での割合は小さい。低価格スマホは中国メーカーのものが多い。2019年あたりまでは、アップルもサムソンも生産拠点は中国というのが基本で、中国のものづくり一強時代が、繊維だけでなく、スマホや家電でも続いてはきた。世界の生産拠点となった中国は不動産バブルで、日本の経済成長の3倍くらいのスピードで経済大国化した。今は中国に行くのも難しくコロナ以降行っていないが、もう物価は、日本よりも中国のほうが高いだろう。最後6年くらい前に行ったときにも簡単なお昼の弁当でも10元=200円するって言ってた。中国でも普通に自動車が普及するようになり、日本の最賃程度の時給が普通になってきた。中国の発展モデルというんは日本の経済発展モデルを濃くしたような感じに思える。自動車も車検制度があったりと他国が参入しても自国基準で自国のものづくりを守ることができるようなモデル。

繊維の世界にもそういうモデルがあって、ケアラベルなども日本式が当り前で、ケアラベル一つでも日本メーカーは厳しく締め付けられていたのに、海外メーカーの圧力には弱くて、ISO式に変更。なんだったのだろう今までの日本の国の国内メーカーに対する国の締め付けは、赤と黒の2色をつかったものでないと、塩素×も認められないとかやってたのに、今は、海外に合わせて1色がOKとか。国レベルで製造業者を苦しめてたのに、今は海外のコインランドリー洗濯方式ケアラベルに合わせろという指導。国内メーカーというのは国のだらしないのに振り回されすぎる。消費税の表示方法の変更などにしても迂闊すぎるし、今回のインボイス制度も迂闊すぎる。この普遍性の無さみたいなのが、小売店舗なら、レジなども含めてすべてを買い直さないといけない変更になるとか、ほんとどこがサステイナブルなんだろうと思う。自社形式の請求書のつづりとかも大量に作ったところは気の毒だし。仕入れ消費税を被る負担よりもそういう部分の負担も伴い、仕入れ先が適格業者化どうかによる会計処理の複雑化とか、馬鹿×3乗みたいな話。
«前のページ 1 ... | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | ... 185 次のページ»