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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2022年11月26日
盛岡は相当寒くなっているそうで、外は1度くらいとからしく、中も同じくらい寒いそうで、みちのくあかね会の渡辺さんがストーブを3つ用意してくださるそうで助かるのだけど、なるべく自分でも用意しておこうと思って、昨年シーズンオフに自分の仕事用に大人買いしておいた電熱パンツと電熱ベストを友人にも着てもらって寒さを感じずに盛岡での作業をできないかと思う。また、交代ながらも10時間ほど高速を走って盛岡に夜に着く予定で、夜中にもう一台のほうの機械の分解をできないかと考えたりしている。

でも、今回は一人じゃないので一人だったら現場で寝袋でもよいのだけど、もし二人が到着して疲れていたり、帰りのことを考えるとどこか泊まれる場所を用意したほうが良いのではないかとも検討はしていて、当日利用できそうなホテルやスーパー銭湯、ネットカフェなどをいくつかの候補は検討はしておく。疲れていたら朝早くからの作業でもよいだろうし、今回は二人なので下道じゃなくて高速道路を往復使うので、しかも交代で運転ができるのでそれほど疲れることはないだろう。前回の分解のときには、行は全部下道で、帰り道は高速道路を使ったのだけど、帰りが日曜の夜から月曜の朝に掛けてで東京の手前で平日の通勤ラッシュ、また中央道が工事規制が全面的にあった感じで帰りも途中1回仮眠したので行きと同じくらいの時間が掛かった。そういう経験から今回は二人だし週末で空いているだろう高速道路を往復使う予定。北陸経由が一番スムーズに走れそうには思う。雪はまだふっていないということでとりあえず往路は北陸経由で行く予定。

出発は朝の7時半で8時に彦根でレンタカーの予定、2回盛岡に伺ったのだけども手土産も持たずだったので、今回は林与のシャトル織のキッチンクロスでもお土産にもっていこうと思っている。林与がどんな織物をおっているかも分かってもらえるだろう。

出発の前だけども、午後から来客のあと工具屋から連絡が入って、シャトル織機用の交換のVベルトが到着したということで夜中、Vベルトの交換作業と試運転、ガタガタという異音はなくなり、また問題なく織機が動きそう。まだ、私自身が織機を修理できるあたりが一人でも今の時代に織物工場をやっていけている部分、他の人が直せない問題でも、最後は自分がやってみることでシャトル織機の問題をいくつも解決してきた。シャトル織機は織るよりも、他の人におってもらってたので、最初からシャトル織機の2週間の職人さんが難しいと言われた問題の解決から、その2週間は、ステッキが壊れるとか、ピッカーが壊れるとか、シャトルが壊れるとか、バネが壊れるとか、やたらめったら織機が壊れていたのが不思議なくらいに織機が無理して動いていたので、そういう織機が無理して動いているのを無理させず動かす方法に調整し直して今は織機も安定して動いている。

2回目の移設の織機は私自身が管理してほとんど問題は起こらないようになって、以前の工場にあったときに抱えていた問題などもいくつも解決をした。橋のほうが浮き織になる問題なども解決ができて、今は耳までリネンなども織れるほどに調整を上げている。今、織物の世界にいてシャトル織機を動かしているけども、手織り織機のプロジェクトも計画をしていて、それは自分用ではなくて日本中に手織りが広まったらなあと思う考えから、また、自分でもシャトル織機でやるとどうしても本格的に大掛かりになってしまうので、手織り織機で織ったほうが簡単なことは多いので手織り織機をいくつも持っていると林与自身のものづくりの幅も広がる。

昔の高機も何十台も倉庫にあるけども織れる幅が狭いのと織機自体が相当な大きさなので、和織機よりも洋織機で織物を織るほうがコンパクトで楽ちん。私自身は思うのは自分は職人っぽくないなあと、職人っぽい人というのはみんな道具や作業スタイルなどにこだわられるけども、私自身は、最後の出来上がる布が一番大事だったりしてそこしか見ていない感じで、中古の織機でかまわないし、織りたい織物が織れればそれで十分。織物を作るときに形にはこだわらずに、最後の織物をつくりあげるところに集中して、職人タイプの人というのはすべてにこだわりをもつ感じだろう。それがよいんだろうけども、そことは違う観点で織物をつくろうとするのが私のタイプで、形式にとらわれないから新しいことを効率よく作業していろんなことをやって成り立たせていくというのが林与のスタイルか。昭和の時代の分業の限界を感じているので、そういう形に落ち着いたんだろうと思う。

日本の産業界も昭和時代のものづくりモデルがそのままの理想みたいに思われているところがあるけども、もう限界には来ていて、一流メーカーといわれるところでも外も中もきれいな工場が廃業に追い込まれているのが実情で、一番大事なのは人の力ではないのかと思っていたりする。世界的なコンピュータメーカーの製造現場でも働いたけども、なんか織物工場の中の作業と似ていた。でも、途中に5回も休憩があったりと、休憩で忙しいとか。中は24時間空調が効いていて昼か夜かもわからない、太陽の光に触れることができ外に出ると逆に厳しい寒さ暑さ。大きなメーカーでも職人というよりも素人がつくるモノづくりなのであって、もちろん技術者が設計をしたりはするけども現場は素人ばかり。

だれでもが失敗なくできるような工程に落とし込まれて、1個でも失敗すると反省書みたいなものを書かないといけない。不良ゼロ的なものづくりなのだけども、それはそれほど高度なモノづくりでもなく、人のレベルが低いからというのを想定して、誰でもできるような単純作業。人の技みたいなものがないのが、そういう現場の特徴で、結局、海外の人件費の安いところでやっても同じものが作れるから、その工場は数年後には閉鎖されてしまった。だれでもができるような理想を追い求めて結局は装置依存なものづくりで、人の力の差みたいなものが出なくなったあたり。

シャトル織機というのは、人の作業が膨大で、経糸切れや横糸切れなどでも毎回毎回が真剣勝負みたいなところがある。慣れればそれほどでもないのだけども、1日に数回しかキズを作らないレベルでないと、仕事をしてもマイナスな仕事。キズゼロのようなレベルのものづくりを目指すのは逆に高度なモノづくりを否定することにつながるし、キズができるのもしかたないという発想の元、どうやってそれを減らして乗り越えて生地を生み出して行くのか。普通の織物をキズなく織るというのも一つの高いレベルの仕事だろうけども。より切れやすい細い糸を扱ったり、より織るのが難しい、高密度の物やまた薄いガーゼの麻織物を生み出したりと、他の人がやっても織れないと挫折するようなものを、いち早く自分が生み出して形にして世の中に出して行くみたいなあたりが、林与が日本で織物を織っていることの意味だったりする。

別に私が普通のものを織っていることもあるから、普通の仕事を馬鹿にしているわけでもなく、普通の仕事を馬鹿にしている人というのは高度なところにはたどり着けないというのを感じているので、普通の仕事が普通にできるということが一番の基本で大事。でも、ものごとを極めるやるなら一つの作業にとどまらずに、いろんな作業を身に着けて、それは技術とか呼ぶほどの物でもなく、最初の1日から作業に慣れてできるような体質になっていることが大事、好き嫌いなくどんな作業でもこなしていけるような幅の広さみたいなものが大事で、そういうのだと他の人ができないことでも自分だとできるとなってくる。林与が織物作業全般に通じているのも最初からそういう考え方。

今回の盛岡での撚糸機の分解作業でも、分解できるかどうかの前に、それを買うことを決めて、分解して運び出そうとすると自分がやらないといけないということで、自分で作業してやってみる。もしできなかったら費やす何十万円か失うだけのことで、普段の仕事と比べてもそれほど大きなリスクでもない。普段の仕事にしても、毎回毎回、失敗するかもわからないことを一回勝負で正しい答えを出すのが、織物をつくるという仕事。クリエイティブな部分じゃなくて、求められる答えを出すことが大事。一つの織物でも普通は染色から製織、織物加工まで行うと2か月以上の長旅で、織物のプロではあるけどもお客様から注文を受けて織物をつくるということはそれなりに毎回大掛かりではある。移設作業のほうが最後失敗してもそれで済むだけに楽ではある。織機などを移設しても移設した後が大変でちゃんと動くように調整という部分が何日もかかる作業だったりする。そしてその織機をつかって織物をつくる工程は毎回毎回移設作業の以上のような話で経験した人だと分かると思う。
2022年11月26日
今朝、ハンドリフトが運送会社の営業所に届いたので取りに行ったら、60kg以上の重さで、一人で軽トラに積み込むのが本当に難しい話。80kgくらいはあるかも、でもしっかりしたものなのでその点は良かった。なんとか、自力で軽トラに積み下ろしできるのでOKか。明日の朝盛岡に向けて出発。なんか今回は、中学時代の友達も手伝ってくれるので、一緒に旅行になってうれしい気分で楽しみの部分がある。大人になってからは、いつも時間があまりないのでゆっくりと時間を取って遊んだこともないが、今回の盛岡行きはいっしょに飯食ったりもできるだろうから助けてもらう側なのだけど楽しみなところは多い。

道中も11時間ほど拘束を走るのだけども短く感じるだろう。友人とゆっくりしたことなどほとんどない日常なので、こういう機会は本当にうれしい。私自身、仕事のお客様が普通の友人以上みたいな感覚があって、仕事というのは友人間隔以上でないと一緒の気持ちで仕事はできないなあと思ったりしている。損得とかそういうのでなくて、相当無理してでもお互いを支え合う気持ちがないと仕事というのは成り立ちにくいなあと思う。手伝ってもらうのも仕事の雇用関係じゃないというのは私にとってはすごく気持ちも楽。

昔からの友人関係というのは損得じゃない付き合いで、仕事以上の成果につながりやすい。仕事じゃ頼めないことも頼めたり、今回も2日間いっしょに運転も後退しながら盛岡。そういうのは仕事の雇用関係の中ではできないことなのである。友人同士だとできることが仕事の雇用関係の中ではむりみたいな話で、それでどこまで深い仕事ができるのかというと浅いところまでしかできない状況で仕事が終わるだけのこと。でも、なんで友達というのは本当に優しいんだろうなあと不思議に思うことが多い。私自身が友達に同じ優しさをもっているのかと思うと、自分自身がやらないといけないことだらけで時間も足りなくなってしまっていて、昔の友人たちと時間を共有できることもすくない。

展示会に行くとか、今回の盛岡行も仕事なのだけども、私にとっては普段の仕事とはちがうアドバンスドな夢のある部分。林与自身にとっては、展示会もテキスタイルマルシェなんかも仕事というよりも大きなチャンスの場で、そのチャンスを生かさないとと思う気持ちが強い。そういうイベントを普通の日常的に感じてしまってはせっかくのチャンスを逃すことになるだろうと思う。今回の盛岡行もスペシャルなイベントで、分解した撚糸機をトラックに積んで持って帰って来ることなのだけども、日常とは違うスペシャルなイベント。

多少のトラブルはある、レンタカーも屋根のついているバンタイプを借りたかったけども借りることができたのは、2トンの平トラック。代わりに、ブルーシートを何枚か買って用意した。上から荷物にグルグル巻きにすれば同じだろう。雨が降らないことをなるべく期待する。撚糸機が手に入るといろんなことがやりやすくなる、小型の撚糸機なのでその点もありがたかったりするし、また、今使っておられる撚糸機をそのままなので備品なども一式ついていてありがたい。自分が長年ほしかった撚糸機がとうとう手に入るということで、それを移設するということは少し悩ましいことで有ったりするけども、理想とする分解しての運び出しというのを自分でやればできないことはないと分解できると思い込んで実行してみて分解はできた、また問題はもう一つの機械、これも分解ができるのか分からないけど、もう一つの機械の方ががっしりとして重そうで、これを運び出すには重機が必要。

これの小型のほうを業者さんの親子が運び出されたそうだけども、その時にも相当重そうにされていたということで、それより1.5倍くらい大きなタイプなので、トラックの荷台への積み下ろしはハンドリフトを使うことを考え、ハンドリフトを買った。余分の出費だけども、林与の工場の中の、使えなくなった織機も分解しないといけないのでそのときに問題があるのは、織機の上にのっているドビー。ドビーはたぶん100kg近くあって、二人ででも下すということは危険すぎる。上から吊って下すというのも考えたのだが、それよりもハンドリフトのほうが作業しやすいだろうから、ハンドリフトを手に入れることは今回の盛岡以外にも林与の会社の中で活躍しそう。

ハンドリフトのよいのは、リフト自動車とちがって、リフト車の入れないような狭い場所にでも手で運び込んで使えることできっと活躍するだろう。10年前にも、パレットを運ぶハンドパレットを織機の移設のために買ったが、あのときは、1台が2万円くらいだったのが今は4万円ほどになってしまっていたりする。今回のハンドリフトも今は6万円ほどだけども、将来買おうとしてもより高くなっていることだろう。あまり大きすぎるものも持ち運びできないのでうれしくなく、ちょうどぎりぎり自分の力で運べるくらいの大きさのもので高さも顔の高さくらいまでは上がるものが欲しかったので、ちょうどそういうものが送料込みで6万円ほどで手に入った。400サイズくらいあるものなので、送料だけでも普通は2万円くらいするんじゃあないだろうか。

以前、廃業された70の機屋さんが自分で工場のなかの機械を始末されていたけども、そういうのみて自分もやろうと思えば出来るなあと感じた。普段の織物の仕事というのがそれなりに複雑なことなので、それとくらべると、織機の解体や移設というのはそれほど難しいことでもないように感じる。ただ、いろんな道具が必要でそういう道具を用意さえできれば、人の力でもなんとかなりやすい。将来的には、工場の中の大規模な模様替えとなると、リフト自動車やレッカー車みたいのも手に入れる流れになっていくんだろうなあとは思う。多く人を集めて人力でするよりも、二人位で重機つかって作業したほうが何倍も楽そうではある。
2022年11月25日
最近問い合わせをよくいただくのが、サステイナビリティとかエシカルなことに関して、大手のコンサル業関係の方から。5件、6件いただくけども、私のノウハウや経験を教えてほしいとかで食べている人ってどうなのか。一番駄目な中抜き業者そのものの考え方で、他の人の経験や知識を、なんとも思っていない知識や経験のないコンサル業の方が多くなって困っている。分からないなら相談受ける資格すらもないのだけども、カネ欲しさのコンサル業では困るし、そういう素人コンサルがその顧客に説明しようとしてもまったく業界のことを基本すら伝えるも無理。たぶん、似たような案件での相談がおおいので、同じ出元の国とか行政レベルがいろんなところに調査できるかどうか依頼を出しているのだろうとはおもうけど。

もうちょっと、分かっている人たちがコンサルしないと、サステイナビリティとかエシカルなことは理解すら難しいだろうと思う。そういうコンサル業の人たちの考え方すらもが、搾取的で自分がタダで得たものをそれをビジネスに変えたいという今時のサステイナビリティビジネスそのもので、それだとどんどんとサステイナビリティとかエシカルが歪んでいく。そもそも自分がわからんことを仕事として受けるなよ、みたいな話。遠すぎる話でそういう方の存在こそが、サステイナビリティとかエシカルを歪めて行く。そしていうなら、新しいものをやろうとするじゃなく、そうやって支えている人たちを尊重して支えることを考えないとというところなのだけど、支えている人たちから経験を吸収して新しいことをやろうとするからやっかいにも思う。

そういうなんちゃって専門家よりもあたりまえに分かって地道にやっているものが評価されずに、なんちゃって専門家が相談受けているとか笑い話でしかないのだけども。そのあたりも日本でサステイナビリティとかエシカルが難しい根本的な大人の事情があったりする。国や行政レベルでも、都合の良い報告書をつくりたいという意図があって、カネのほしい素人業者に頼んだ方が都合のよい報告書は作りやすいのである。レベルが低すぎるのが今の国や行政で、本質的な方向とは逆の利益的な誘導ばかりで、自分がものごと支えて地道に支えているものを淘汰していくような考え方。

だから、二酸化炭素排出権ビジネスとかも出てきてしまって、それって一番アカンビジネスやんみたいなものが中抜き業者で金儲けできる時代。なぜ二酸化炭素の排出で制限ができない限界があるならそれも理解して限界を決めるのが現実的なのだけども、理想が先走ってしまって結局理想は達成せずに金で解決とかそれもだれかがうやむやに儲けていたりするような。強制的なリサイクルなんかも地球環境には良くない話で、長く良いものを使うように心がけていくべきで、商業的なエコ意識で買い替えを促していては地球環境のなんら貢献にもなっていない。
2022年11月22日
前期の帳簿の案件が片付いてほっとして、現場の作業に戻る。企業というのは作業だけでなく、経理や雇用管理などの事務手続き事が多く、これがまた日本の場合には本来は国と個人の間でしないといけないことも企業に国が投げているところがあって大変だったりする。今回も来年10月からのインボイス制度の説明なども会計の先生から聞いたけども、糸を巻いてくれるおじいさんは90歳、そのおじいさんがインボイス番号を取得して消費税を納めるということが可能なのかという問題がある。多くの個人の内職レベルの方々が、今までは年間の売上規模が小さく免税業者だったのだけど、これからは消費税の計算をして納付する作業が増えてくる。消費税の納付額の計算が、内職の仕事と同じ以上に理解は難しいだろう。普通の現場のおっちゃんおばちゃんでは多分難しいだろう話で、収入も少ない内職の方々がそれ以上の能力を求められる。

おじいさんも昔は人を雇ってやっておられたのでできないことはないだろうけども、今は先染めの仕事も減ってやってもらう仕事量も減ってしまっているので、そのために複雑な手続きを行ってもらえるのかというあたり。インボイス制度は免税業者に消費税を支払わせるための精度のような感じなのだけども、登録や申請の手続きを行うこと自体が仕事の作業以上に消費税の構造を理解していないとできなかったりと、消費税を課税しながら免税状態になっている業者さんにとっては対応できるかどうかというのは微妙なところだろう。たとえば税務署以外の公務員の人でも理解が難しいことを独立して業をしている人というのは自分でやれるようでないと、現場の作業だけでは業として続けていくことは難しい問題がある。分かりやすければ良いのだけども、消費税は預かり方式だったりしてそれが消費税を複雑にする。おじいさんの場合にも電気代とかには消費税が掛かっているからその消費税分はすでに納めたことになるから、そういう数百円円のものも処理していかないとならず、事務処理の手間は大きいだろう。

免税業者制度はつづくようなので、消費税を取らないようにしてもらって、その分値下げで、1割の消費税はこちらでまとめて納めるみたいなこともロジックからすると妥当な話だそうだけども、そういうのは納税時じゃなくて、仕事の前に先に話を付けておかないと駄目というような国の考え方らしく、国自体がもうちょっとしっかりとした正しいことの説明をできないと、無理やり消費税を導入した経緯などもあって免税業者をつくったり、あずかり制度方式にしたりと、消費税の考え方が複雑になってしまっている。そういうのをつくってしまって複雑になって、あとでルールを変更するみたいのが一番あかんのや。

正しいことのルールがころころ変わるだけで、実は公務員の人でも自分の専門分野でなければほとんどの人が分かっていなかったりする。企業を経営しているといろんな専門的なことを公務員の人以上に広く理解していないと経営が出来なかったりする。企業経営というのはそういう意味でも大変な部分があったりする。現場の仕事以上に、経理や労務管理、正しく処理していかないといけないことが多すぎて。また、自分の会社の締め日などのルールでいければよいのだけども、相手の会社の締め日のルールなどいろいろと相手の会社に合わせないといけないことも多かったりで、本当ならその都度請求できるのが一番良いのだろうと思う。

それをたどっていくと、繊維業界の悪習である手形制度や歩引き制度など、問屋が問屋として機能がしなくなっていても歩引きとかいってくる方もおられて、もう昔の問屋業界の人は今の時代では商売も難しくなっておられるのを感じたりもしたこともある。手形などもなるべく使わないように切り替えていかないとそういう事務処理だけでも時間も労力も使ってしまう要因になる。信用できる相手とだけ多少の支払いの機関の調整はいれながら現金決済で商売をするというのが理想的な形で、古い繊維業界もその形に落ち着いて来たとは思う。

仕事している外の人と話しても、経営全般の知識に関して広く離せる人というのは経営者で同じような経営の苦労を抱えられているところは多い。サラリーマンは楽だというのは自分の税務申告も会社がやってくれるし、自分の与えられた仕事だけであとは仕事のことは考えなくてよいような形になっているから。それだと仕事全体の理解が難しかったりとか外との関係が難しかったりするのだけども、全体の複雑なことを理解できる人でないとなかなか経営や経営判断は難しいだろうなあと思う。
2022年11月21日
9月決算なので11月が決算提出の締め切り、アパレル向けがメインだった林与がコロナでアパレル向けをすごく少なく減らしてキッチン系や雑貨系にシフトして仕事は忙しく続いている。たぶん、アパレル系をコロナ前のままに続けていたらお互いに無理な話が増えすぎていただろうと振り返る。旧来型のアパレルというのは昔からのところはバブルのころから右肩下がりを続けているところが多く、旧来モデルから抜け出せないと新たな活路は見いだせないようなことも多く、伝統産業系の流れを組む繊維業界の構造的な問題を抱えがちであったりもする。

繊維産業で難しいのは、昔のほうがいろんなことをできたが今はどんどんと難しくなってきているような流れを背負っているケース。今も普通に新しいものをつくれるような力がないといけないのだけども、働く時間も短くなって仕事量も少なくなって一生働いたとしてもそれどほどの経験は積めないだろうというあたり。一つの企画にしても量産で成り立たせるためにはそれなりにブラッシュアップが必要で、裏では2回3回のタダ働きに近い仕事が必要だったりするのだけども、そういうこともあまり経験がなかったりして普通の仕事として受けて出たところ勝負で終わりというのが、今のありがちな日本のものづくりの限界だろう。

あう産地の縫製業者さんが、最後パッケージまでしてくださっていてみたいな話を聞いて、やっぱり出来る方でできる考え方なんだなあと思う。本業じゃなくても、そういうところまでできたりしてトータルなソリューションが生まれてくる。仕事が上手な方々なのである。林与も時々、商品タグや説明ラベルなど自分でつくったりするけども、そういうのが出来る人って普通の仕事くらいは苦も無くこなせる。商品開発とかしようとするとそういう壁を乗り越えられないといけないのだけども、そういうのの1回の経験を乗り越えられる人と乗り越えられない人との差は大きいなあと思う。

最初の1回の経験をとことんやって乗り越えられる人というのは何をやっても、そこそこまで行けるけども。その1回のチャンスを乗り越えようとしなかったり、最初だからできないのは当たり前では、仕事なのにいつ最初にできるがあるのかというところの話から、できて慣れて何倍も速く綺麗にできるようになってようやく通用するレベルになれるのだけども、素直に説明を聞いてやろうとしてくれると救いがあるけども、経験の長い人でも素直に説明が効けず自分の我流でやろうとして出来ないままだったり下手なままだったりが普通で、慣れている一つの仕事以外は速く正しくできる仕事が少ないというケースが多かったりする。

縦繋ぎでも、チェックポイントをつくれる人と作れない人では、仕事の能力の差としては何倍もことなる。経験者でもチェックポイントを作れる人はほとんどいないのが地場産業の現場。やって失敗してやり直しているのも大変な仕事みたいなことばかり、私が代わりにチェックポイントのしるしを付けて作業を説明とか、それでもその説明も理解ができないとうか考えるのも面倒なのが経験者に多いタイプだったりもする。そういうのが素直を素直に理解して次からは自分がやるのが当り前みたいな強いプロ意識があったりするといろいろと仕事の幅も深さも出てくるのだけども、そこまで行ける人というのは稀なケースで用意してもらって仕事か普通。他の会社で仕事している人たちというのは私が説明すると一回の説明で縦繋ぎのチェックポイントを作ったりできるけど、なかなか織物の現場の経験者はそれができないのが普通だったりする。

織物じゃないけども、今日は会計の先生以外に女性スタッフの方がこられて、まだ慣れておられないのだけども実際の会計のドキュメントづくりを先生に聞きながら前に進めていかれる。話している内容が分かっておられて、林与の会社の中の一つ一つの仕分けも頭の中に入っておられるような女性の方で、2000個以上ある仕分け内容の一つ一つを、アバウトにでも覚えておられるので、この人はできるなあと思った。決算が終わったらどうでもよい1社の一つ一つの仕分け内容を覚えておられるというのがやっぱりすごいし大事だったりして話をしていても助かる。たぶん、短時間に分からないをほおっておくでなく、決算作業に立会するために一つ一つの仕分けを確認されて覚えておられる。繊維の世界でもそうでないといけないのだけどもなかなかそこまで出来る人というのは10人いて2人くらいだろうか。10人が10人、仕事を分かっていながら仕事できていれば、失敗も少なくなるし、失敗したときにもその失敗の意味が分かる。

無理と失敗を少なくするために、作業手順に確認作業を入れたりするのだけども、その確認作業をおろそかにする人は多かったりするし、また、スピードを上げるために今度は速く作業することに集中するということをやったりもする。仕事なんて自分でやってしまえみたいな人のほうが簡単なのだけども、おりこうさんタイプだと人がやってくれるのを期待したりとか、余裕があればどんどんとやれることをやっていくのが仕事で、それは損じゃなく、自分の能力を高める一つの方法。やらないで出し惜しみしていると楽だけどできないタイプに落ち着いていく。
2022年11月18日
この前午後1時出発で朝10時到着の21時間ほど掛けて途中休みながら盛岡まで日本海側の海沿いの道なんかを中心に下道で行ったんだけども、もうほとんど車も走っていないのに、コンビニだけが至る所で営業をしている。田舎のお店なんかもコンビニがすべて賄ってしまっているんだろうけども、そういう場所で24時間コンビニを経営するって成り立つんだろうかと思える。やっておられるから成り立っているんだろうけども、たくさんありすぎなほどにコンビニだけは存在する。トイレ休憩するにはありがたいが、サービス的には全国一律の値段では厳しすぎるんじゃないんだろうか。

あまりにも画一化されすぎていて、夜中無人に近いような場所でもコンビニが車で5分もはしればオープンしているみたいなの違和感を感じたりもする。山の中の方はあまりそういうことはないんだろうけども、日本海側の国道は本当に真っ暗な中にコンビニだけが突然あったりが多い。一方で、帰りは高速道路で帰って来たんだけども、食事しようとすると1000円くらいは必要で、それはそれで独占していながらもそのくらいの値段にしておかないと成り立たない事情があるんだろうと思える。それでいて、巷にあふれるお店よりも味も落ちてしまう。

昔、スキーで松本のインターで、そば食べたのおいしかったけど、そういうのが欲しい気がする。滋賀県の高速道路は300円くらいでうどんやそばが食べられるけど味は悪くない。駅の立ち食いソバ屋さんくらいの味と並ぶ。関西はそういうあたりが食文化としてよいんかもしれないが、一般的にみると商売は上手じゃないんだろうなあという判断になるだろう。ほかのサービスエリアだったら600円とか取るようなそばやうどんを300円とかでやってる。

盛岡に着いたら、なにか朝ごはんにでも食べようかと思っていたけども、途中のセブンイレブンで仮眠するときに、120円くらいのカップ麺の天ぷらそばが売ってたのでそれを食べてみた。ボリュームはなかったけど濃い味で、食べた感があって悪くなかった。

滋賀県からだと24時間あれば、本州くらいは下道ででも端から端までたどり着けるということが分かった。片道ガソリン代15000円くらいだろうか。燃費のよい小型車だったら、往復でガソリン代15000円くらいだろう。時間あったら旅してみるのもよいなあと思った。自分で時間を使っているとごっちゃになりやすい都道府県の位置関係なんかがよくわかった。富山があって新潟、秋田なんだなあとか。都道府県の名前はその県の特徴を示しているのもよく分かる。

子供のころに他の家と一緒に1年に1回くらいは夏に旅行があったので、魚釣りをした場所かなあと思える場所を通った気がした、やっぱり子供ん頃に旅行とかしておくことは大事で、思い出みたいなものがないと、そういう場所を通ってもなんの意味もない場所。いろんな場所でいろんな経験をもっているということは心を豊かにすることにつながる。今回の撚糸機の移設なんかも、業者に任せてやってもらうと、思い通りに分解して林与の中への設置などが難しいだけでなく、自分自身が経験を積めないということもあって、やっぱり自分で経験してみるということは人生で時間を使うなら大事なことだなあと思える。
2022年11月15日
昔、いろいろと麻の撚糸物をやったことがあって、それはそれなりに撚糸っぽい風合いになっていて、普通のリネンとは異なる感じがあったあたりが面白かった。撚糸というのは昔の糸だと、落ち感が出て柔らかくなったのだけども、今の糸だとじゃりじゃり感が出てしまって硬く仕上がってしまう。それは糸の質の違いなのだろうと思う。もう一つの機械は、ちょっと使いこなせるかどうかは分からないけども、それも新しい生地の開発に使えるのではないかと、一目ぼれ?して、移設の手間も考えずに出物があると聞いただけで、譲ってもらうことに決めた。

自分自身で移設するというのは、不確かな要素ばかりで、私自身も十分な機材をもっていないので、そのあたりどこまで人力+アルファで、分解して運んで、再度、林与の中で組み立てられるかというあたりの問題は自己責任。業者に任せても、分解せずに運ぶという形なのでそれでは林与まで運んでもらっても、工場の入り口付近にしか設置ができないということになる。私の予定では、工場の中にあるシャトル織機で部品が手に入りにくくなった2台を部品取り用に分解して、スペースをつくって、そこに撚糸機ともう一つの機械を設置する予定。

撚糸機にももう一つの機械にもインバーターを取り付けて、ゆっくりと動かすことで今までなかなか作れなかった糸なんかも作れたりするんじゃあないかと妄想は膨らむ。撚糸機も今までは業務用の歯使ったことがないので初めてだけど、やればなんとかなるという考え方。もう一つの機械も実際にうごいたところを見たこともないけど、ベルトも外れていたりするけども、なんとか修理もできるだろう。本来はウールにつかわれていたものだけども私はリネンに使おうと考えている。

迷っている時間はない、私に残された時間にしても長くても20年くらいしかないので、めぐって来たようなチャンスというのは、ダメもとでもトライしてみることが、失敗に終わったとしても経験としては大事だろうと思える。織機もそうだけども他の人の力というのを期待してもなかなかうまくものを作れるところまではいかないので、自分自身がいろいろと機械をさわって調整をしてみて、どこまで自分が使いこなせるかというあたりが一番大事だろうと思える。

せっかくの機械なので大事にはしたいけども、逆に中古の機械なので自分が割り切って思いっきり使うこともできるし、それで学んだことがあれば新しい機械を購入する方向に向かうことも可能だろう。練習用にはもってこいなのである。撚糸機にしてももう一つの機械にしても、小ぶりのものでも新品だと何十万もするもので、撚糸機も昭和50年ころに中古で導入されたものだそうだけども、輸送と設置も含めて当時200万円ほどしたそうである。そしていい感じなのはレトロチックなところで、林与のシャトル織機などとも整合するような雰囲気。今のスタイリッシュな撚糸機とは違って、昭和の機械のイメージそのままできっとそれはリネンを撚糸するには合うだろう。

また、もう一つの機械も、以前やろうとしていたことがあって、そのために自作しようと考えていた機械で、本格的な業務用が手に入るなんて言うのも夢にも思わなか炊けども、それが手に入ることになって、やろうと思っていたことを格安に試せるチャンス。1年とか2年の間にいろいろと試してみて、どこまでできるのかやってみたい。ちょっと壊れているところもあるそうだけども、それは自分で直せるだろうと思う。シャトル織機よりも構造は単純ではある。

次の盛岡は友人と二人で月末に行くことになって、ハイエースや軽トラでは小さすぎるから、レンタカーする予定で、アルミバンを借りたかったけども空きがないということで、2トンの平トラック。まあ、普通車料金だし、燃費もよいだろうからそれでよい、オートマなので楽だろうし、構想道路で直線的にいけば片道11時間ほど、疲れていたらスーパー銭湯みたいなところがいくつかあって宿泊も可能だそうで、平トラックなのでお天気だけが心配だけど積みやすいだろう。段差を解決するためにハンドリフトを買って積んでいこうと計画、ハンドリフトは工場内の織機のドビーを交換するのにも今後活躍するだろうから無駄にはならないと思う。

今、会社は前と違って私が自由に動ける環境なので、思い切って自分の力をフルに使って自分にとって新しいことをやっておきたいなあと思う。移設というのは大変なことなのだけども、みちのくあかね会さんも、新しい場所への移設をほぼ終えられてスタートされている。思い出すのが8年ほど前になるだろうか、シャトル織機を移設したときに自分いろいろと動いてみて、自分でやってみるとうのも本業の織物の仕事と比べたらそう難しいことでもないというのを感じた。案外、織機を運ぶというのは単純な作業に思え、設置もそれほど手間でもなくて、あとの調整のほうが大変で、その部分というのは結局、自分がやらないといけないので、移設も含めて全部やってしまうのも自分の思い通りにできて悪くはない。

昔よりも経験はあるのだけども、問題は体力が昔よりは足りなくなってきているので、無理をしないように、機材をそろえて短時間で作業が進むようにやってみようと思う。先日の撚糸機の分解も初めての作業だったけども5時間ほどでほぼ分解が終わった。みちのくあかね会さんも新しい場所が狭いことと業者に頼んでも移設が難しいということで手放される話。私も覚悟があって、運び出せないときには、機械の代金はお支払いするけども、分解できないときには最悪ハンマーで壊してでもそれを撤去してスクラップ買取業者にもちこんででも、その場所を片付けるという覚悟で臨んで、分解できてよかった。

ものごとをするときには覚悟が必要で、実際に織物の仕事をしていてぶつかる壁というのは、この比でないことが多く、織物が織れないときに糸から用意し直すとかは100万円コースだったりすることもある。普段やっていることとは違っても、リスク的には駄目でも数十万円の話で、覚悟決めて自分でやってみるしかない。私の友人も月末には盛岡に一緒に行って手伝ってくれるというので心強い。
2022年11月13日
土曜日の昼過ぎにハイエースで一人旅で盛岡に出発して、車で下道を900kmほどの旅。日本海側のルートをたどって18時間ほどかけて日曜日の朝の10時に盛岡のみちのくあかね会さんに到着。みちのくあかね会さんが新しい場所に移動されるので、撚糸機を手放されるというお話があって、それを譲っていただく話になったのだけども、大きさが1.5mX3mくらいの大きさのある機械なので、どうやってそれを運び出すのかを検討したものの、林与の工場まで運んできたとしても、そのままでは工場の中には運び込めず、結局分解しないと奥の方には設置が出来ないので、自分自身で分解して運び出すことに。今回の2日は分解するために盛岡に伺った。

みちのくあかね解散の引っ越しも順調に進んでもぬけの殻に近い状態で、大きなものは撚糸機などの機械だけが残っている感じ。あれだけたくさんあったものを移動するのは大変だったろうなあと想像。小物や備品などもいろいろと販売をされて片付けられて、順調に新しい場所での営業も始まったようである。

撚糸機は昼頃から分解を初めて夕方には分解の目途が付いて、運び出すためには男で手がもう一人必要なので、それはこの11月の末に友人と一緒に運び出す予定。もう一つの機械も自分が活用できるのかどうかは分からないのだけども、頭の中に思っていたことがあってそれに活用ができないかと思って1か月前に出される話が合って買取させてもらう話に。これも何かのご縁だろう、こんな機械があったらできるだろうにと思っていたことが機械のほうから私の手元に入るような流れ。

問題は、大きさと重さ、何百キロもある機会をそのままでは運び出すこともできず、また移動して林与の工場まで運んだとしても、織機だらけの工場の中の奥まで運ぶこともできず。林与の工場の中二設置するためには分解して再度組み立てる必要がある。業者さんではそこまでのことは難しく、運ぶだけでも距離が1000km近いので、100万円くらいの話で、分解して運び出して再度組み立てるとなると2台だと3百万円とかになる話だろう。しかも、業者さんにとっても初めての話で、それが可能なのかどうかも難しいところで、林与が自分自身でやってしまったほうが簡単だろうと思う話である。

中古の機械というのは機械自体よりも移設に費用が掛かってしまうのでなかなかその移設がうまくできないと難しい。大きい機械といってもほんとうに大きな機械でもなく、織機1台分くらいと同じ程度の機械なので、織機を分解して組み立てることくらいは10年ほどまえに何台もやったことがあるので、この機械にしてもできないことはないだろう。撚糸機も半日あれば一人で分解できるだろうと思っていたけども、昼過ぎからはじめて夕方くらいには分解の目途が付いた。

もう一つの機械のほうが鉄の塊みたいなもので、そちらのほうが重そう。そちらの分解を夕方以降は考える、たぶんそれも3時間もあれば分解は出来るだろうと思う。分解した後、運び出すにはもうひとり人手が必要な話ではある。運び出すのに、会社のハイエースと軽トラで運び出すか、レンタカーして大きなトラックで移動するのかもまようところ、1日で確実に片付けるためには、レンタカーした方が無難かもしれない。

機械にしても一つのパーツを二人で運び出せるくらいの100kgくらいにまで分解して運び出して組み立てるのが一番のベストだろう。時間さえあれば、そういうのも楽しみといえば楽しみ。盛岡への道中、日本海の夜の海の横を走っていったのだけども海に吸い込まれそうな気がして気が抜けない。帰りは高速道路を使って東京経由、東京まで横風がすごく強くて、何百キロか部品をつんでいる燃費が悪くなったハイエースでもマッチ箱が走っているように吹き飛ばされてしまいそう。大きなトラックなんかもハンドル取られて揺れながら走っていた。渋滞なんかもあって、結局高速道路を使ったほうが帰るのに時間が掛かって、途中も3回くらい休憩をとって、戻ったのは15日の朝方。

普段仕事で工場の中で作業しているので、こういう旅というのは楽しいものである。普段の織物の仕事に比べると、機械の移設なんかのほうが単純で簡単に思えたりもする。
2022年11月07日
この数年肩が凝って頭がすっきりしないことがおおく、眠気が激しかったけども、11月に入って自分で荒治療をやってみたら、頭すっきりで眠気がなくなった。この数日も3日ほとんど寝ずに動き回ったけども眠気もせずに、また足も重くならずに、納期のあった仕事をクリア。なぜか、学生時代のような若いころの時間の過ぎるのが長いなあと思えるような状態に戻った。すごく有難い。

この状態が続けば、いろんなことができそうで、本業以外の、繊維文化を日本に残していくためのプロジェクトというのも動けそうで、手織り織機をいろんなポイントに置いて体験してもらって織物って楽しいんだなあとか、どういう風に織物がつくられるのかとか、ゲーム感覚で若い人たちなら経験をしてもらえると思う。そういうのがないと大人になって仕事として織物を作ったとしてもそれは仕事だったりして、織物が人々を幸せにすることもあるというところにまでたどり着くことは難しいだろうと思う。

別にそれは織物じゃなくてもよいのだけども、自分が時間や手間をつかってつくったものを誰かが評価して喜んでもらえるというあたりが通じないと、お金だけがやりがいになってしまうとそれはあまりにも普通過ぎて他とは違うところのレベルまでには行きつかないだろうなあと思う。自分がお金を使ってでも喜んでもらえるものを作ってその対価を得るみたいな感覚が、本当の仕事としての仕事で時間使って働いたから仕事みたいのだと売り場に並んでいるものを超えることも難しく、ものづくりの仕事では通用しないことが多い。

ものづくりの仕事というのはサラリーマン感覚から脱しないといけないのだけども、なかなかそういうのが難しいなあと思う。何時から何時まで仕事ですかみたいな感覚だと、それにしばられて仕事していては大したものはできないのは当たり前なのだけど、その初歩的なところも通じなく、超えた世界というのが才能で叶うなら良いけども、仕事というのはやっているものだけが分かる超えられない世界があって、自分で時間もお金もいろいろと負担していろんな経験を積んだものがやっぱり本物で強いとは思う。

たぶん、この頭すっきりは、できることをいっぱい増やすと思える。あまり重荷を背負わないようにわりきりながら、いろんなことを実現に向けて力があってものづくりに思い入れのある人たちと取り組んでゆけたらよいのではないのかと思ったりが今の方向性。
2022年11月01日
大阪のイベントでは小さな手織り織機を2台持ち込んだ。小さいと言っても1台の底面が80cm角くらい、高さ1.2mくらいがはあるので、米原のイベントに続いて、ハイエースが活躍してくれた。コロナ前は、展示会などに頻繁に出展していて、ハイエースをレンタカーして東京の展示会に行ったりもしてたので、ハイエースがあればたくさんの荷物をもって展示会も行きやすいだろうと考えて、車を買い替えるときにハイエースにしたのだけども、展示会に行くことも少なくなって。

荷物をたくさん積めるので、出荷の時にも時折活躍をしてくれるのはしてくれるけども、普段乗るにはイスに座るまでもよっこらしょっと体を持ち上げないといけないので、そのあたりが、たまにしか乗らないので違和感がある。ハイエースにもいろいろとサイズがあって長いものもあれば背の高い物もあるけども、林与は、普通サイズで、一番小さめのハイエースにした。一般的な立体駐車場の大きさにぎりぎり入るサイズだから、展示会に行くときには駐車場の問題が一番やっかいでビルの中の駐車場や立体駐車場などに止められないと駐車場探しに苦労する。

たまにしか乗らないので燃費が悪いのは仕方ないとあきらめているけども、遠出するときには燃費のよい車のほうが良いなあと感じる。1500ccクラスのハイブリッド車をレンタカーしたことがあるけども、リッター30km近く走った感じで、2日で800kmくらいを一度も給油しなかった。走りは弱かったけども遠出するにはいいなあと思った。

展示会というと、商談の場みたいなイメージかもしれないけども、実際にその場で発注があるということはほとんどなく、最初の接点みたいな部分や、従来からのお客様と会う機会、また、繊維関係の皆さんとの情報交換の場だったりして、普段の自分の仕事での活動をPRする場でもあったりする。まだまだコロナも続いてはいるので、スペースなどもゆったり目で出展社数なども限られていたりと、久しぶりに大阪に出た。東京の展示会なども出展したい気持ちはあるのだけども、今は現場の仕事のほうが手いっぱいなので新規のお客様の仕事を受けることが難しいような状況。

1月に一つの試作案件の解決を割り振ったので、それがうまく正月休みとかに解決ができればよいなあと思うけども、根本的な問題があるので普通の方法じゃあまず解決できないとは思う。強行的に解決してしまう手段を選ぶしかないのかなあと、やってみないと分からない部分が多くて、動き始めるまでにはまだ時間があるのでどういった方法が一番良いのかを考えながら、年明けを迎えることになるのだろう。今のままでは根本的に無理なあたり。
2022年10月30日
私はコンピュータゲームをしないのでグラフィックボードの価値が分からないのだけども、仮想通貨のマイニングにはグラフィックボードが使われる。仮想通貨のマイニングブームがあったのでグラフィックボードが高止まりしていたのだけども、この夏あたりから2倍以上の性能の新しいグラフィックボードがどんどんと出てきたことによって、仮想通貨のマイニングで利益を上げることが難しくなって、グラフィックボードはゲーム専用に戻った感がある。

グラフィックボードは電力を大量消費していて、最新の高いものだと450wとかで、コンピュータ一システム式で1kwくらいの電力を消費する。1時間の電気代が30円としてとして、5時間使うと150円で、一か月で5000円くらいの電気代。画像処理などの仕事でビデオなどのエンコードで24時間使うとなると、一日720円で、1か月で2万円くらいの電気代になる。

シャトル織機1台もガチャンガチャンと動きながら音を立てるのだけども、その半分の500kwくらいしか電気を使っていないのである。林与の会社の場合も、シャトル織機の動力の電気代よりも照明の電気代のほうが高かったりする。工場全体には、蛍光灯が200本以上ついているから。一部の蛍光灯はLEDに交換してさらに、人感センサータイプにした。一番良かったのは昔よりも工場の中が明るくなったこと。まだ、一部の蛍光灯は昔のままだけども、蛍光灯もまだ使えるものがあまっているので、すこしづつ使って使い切ろうと思う。

事務所の蛍光灯もほとんど交換せずに30年以上使っている。ものというのはなかなか長持ちするもんだなあと思う。まだ使える蛍光灯を捨てるのがもったいない気がする。事務所にしても使う時間は少ないので、全部をLEDに交換することのほうが無駄が多い話で、たまに少ししか使わないものは買い替える必要なんてないのである。

そしてよく使うものは使い勝手が良く丈夫で長持ちするものが大事で、別に高い物でなくてもよいけども、本質的に良いものを使うのが私的にはあっていて、よく使うノートパソコンやスマホは、中古の同じ機種を手に入れてそれを何台ももっていて便利に使っている。今のノートパソコンもスマホも、バッテリーを交換できなくなってしまって改悪ではないのかと思える。
2022年10月30日
先日のビジネスマッチングイベントでSDGsの取り組みに関して5分ほど話させて頂く機会があって、まず、林与のような昔ながらの小さな企業でも日本の中で残っていくのは相当覚悟のいる大変なことであることで、天然繊維の織物が国内でこの先存続できるのかという大きな問題が日本の中にあって、それに関してはそれほど国内では危惧もされておらず、海外の繊維業界に関しては働いている人日の生活など危惧がされていても、国内の繊維業界というのは競争力がないとか、斜陽産業だとかいう位置づけで、昔ながらの織物業を取り巻く環境は厳しい状況であること。だからこそ、自分自身が織物を織つづけていくこと自体が繊維業界におけるサステイナブルな取り組みだろうと考えている。なぜ、取り巻く環境が厳しいのかというと、以下のような背景がある。


ロスや無駄をなくすというと、ジャストインタイム、小ロット生産、在庫ゼロの考え方というのは、優良企業的なのだけども、それを受ける側というのは無駄ばかり。トータルで見ると無駄を意識せずの生産方法ではある。織物の生産現場には無駄ばかりが残ってしまう。サンプルの時につくった10mのうちの着分3m以外の残りとか、50m作ったうちの15m以外の残りとか。またいろんなサンプルのバリエーションをつくって残った部分とかも。アパレルさんにとってはそれは関係のないものになるのだけども、実際に生地を企画されるときにそういったトータルなものづくりがみえていないと、ロスのことすら頭になく、意識高い系のロスゼロでそれは単に利益目的でトータルな考え方が無かったりする。

林与的考えると、定番的なものをベースにして、シーズンに問われずに作ったものを次の年にも店頭に並べることができるようなスタイルが、ロスゼロに近い概念に結び付く。今までのようにセールで売る形だと、発注量が200mだとかだとして、200m納めるためには、240mくらい生産する計画で、200mに必要量の、1.3倍くらいの糸と糸染めをすることになる240m織れたとして、どれだけ加工縮みや加工ロス、キズ引きなどがあるかで、220mくらいに落ち着いて、そこから200m程度を納めることになる。

ショート厳禁のブランドさんだと余計にショートしないように多く材料を投入するので無駄が多くなるし。1反の長さを50mのプラスマイナス5%以内とかのブランドさんだともうお付き合いは難しくなる。そういうブランドさん向けにはオリジナル的な生地は生産しないほうがリスクが少なくてよいのである。ブランドさんの規定で使える生地も使えないという問題は、最初に言ってもらえれば断って進めるか、仕事自体を断って済ませないと。最初に書いた、ロス程度のロスでは済まない、1反単位のロスができて、またもう一度追加で作り直すような話も出てきたりする。

納期なんかに関しても、今の日本の体制で品質検査などもある場合に、ぎりぎりの予定で仕事を受けている状態で、品質検査が通らなかった時にはどうするのか?とか。ジャストインタイム、小ロット生産、在庫ゼロというのは、単純な組み立てとかの製品には適しているかもしれないけども、一から素材をつくるとなると組み立て作業ではないから、いろんな問題などが起こるを想定してスケジュールも柔軟に考えておかないとエシカルなものづくりは実現をしない。

織物の現場の仕事でも、この仕事を他の誰ができるんだろうかと考えるときに、普通は技術的にも体力的にも難しいような仕事だろうと思う。そこにいろんな制約ばかりをぶつけてみたところで、余計に仕事が難しくなるだけのことで、いろんなところでどんどんと無駄が出てきてしまうのである。実際に無駄と向き合って解決する能力を持つことも大事で、作ったものが残ったときにそれを料理する力みたいなものがアパレルさんにあったらよいと思うし、なければ林与にあるようにしないといけないと思う。

今は、お客様の長く扱っていただける定番素材や、林与の自社生地を使ってもらうような形も増えてきた。アパレル業界の展示会受注方式というのは、アパレルの次のSS展示会は10月ころに行われるのが普通で、11月末くらいに発注量が決まり、12月頭に生地の本生産の数量が決まる。そこから糸を染めるにしても、フル生産の時期に12月中に染められるのかという問題がある。年を明けるともう1月末とかの納品は難しくなる。加工ですら2週間、ときには1か月掛かることもあったりする。正しく生産できたとしても、そこに品質検査などがあって、引っかかってしまうと再加工など。最初から展示会受注方式というのは、手間のかかるモノづくりには向いていない方式で、今の日本ではどんどんと難しくなってしまっているように思う。
2022年10月27日
今日は、2日目、朝10時から、昨晩は本当によく眠れたのだけども、それでも目が覚めたのは朝の3時。コンピュータでの作業を起きて少しやって、会社に戻ると月末納品が詰まっているのでなるべく体を休めておこうと、朝の10時のチェックアウト近くまでは、ホテルのベッドの中で横になって体力を温存しておく。手織り織機というのはやっぱり会場の中でも人目を惹くので、たくさんの方が手織りを体験してくださる。学生の方が興味をもって織ってみたいと思ってくださることは多く、それも私としてはうれしい。

ファッション関係の専門学校が大阪にはいくつもあって、展示出展もされていて、若い学生の方々がたくさん会場にも来ておられ、ぱっと見、コスプレのような風貌の若い方々が手織りのような光景は不思議に思えるのかもしれないが理には適っている。若い方々が手織り織機を見て織ってみたいと思ってくださるのはうれしいし、そういうのを体験することでこんごどこかで織ったことが知識となって役に立つとか、織物に関してさらに興味をもってもらえるとか、自分で手織り織機を使って、布から織ってみてその織った生地で洋服をつくってみようみたいな流れになったりすることもあるんじゃないのかと。なにかのきっかけになればよいなあと思ったりもする。

繊維業界に織られる方々でも手織りを経験されたことのない方は多くて、織機を眺めていてくださるかたはやっぱり興味があったりされて、どうぞ織ってみてくださいと声をおかけすると織ってくださる方が多く、誰でも簡単にきれいに織れたりするので体験された方は楽しんでいただけると思う。ビジネスマッチングのイベントなのだけども、まったくビジネスを意識はしていない体験イベントで、いろんな方と話ができて繋がれるというのはありがたいことである。

コラボさせていただいたESINの伊藤さんが、糸車で手紡で羊毛を手で紡いで糸をつくるところも実演をさえて、それもいろんな方が興味を持って話しかけに来てくださる。林与というのは麻織物の織物工場なのだけども、繊維の世界というのは工場みたいな感覚でとらえられることが多いのだけども、経験いただく手織りのような布を織って自分が作るという部分は、一番基本の部分なので、生地は売って買うものという感覚も一つではあるとは思うが、つくる工程や自分たちでつくるというような感覚まで広がってほしいなあと思ったりもする。

体験いただいた方々というのは、平織という織物の基本組織の織物がどうやって織れるのかというのを頭ではなくて、体で織って理解できるので目からうろこみたいな、やれば簡単に織れるみたいな部分もあったり、また織ることも楽しいと感じていただけたのではないだろうか、

今回は主催かたにお願いして林与のブースの横に手織り織機を置かせて頂きたい、テーブルがなくてもよいので手織り体験をしてもらいたいということを提案させて頂いたところ、手織りコーナー用のスペースを用意いただくなどになって、逆に私が誰が閑古鳥だったらどうしようか?と心配してた部分もあったのだけども、この2日間、ほとんど間が空くことなく、伊藤さんには大活躍をいただいて、何十人もの方々に手織りを体験いただけた。体験された方だけでなく、体験されている友達をスマホでとったりされておられる方も多く、私自身本当にうれしかった。

そういえば、もう7年ほど前になるだろうか、昔、東京テキスタイルマルシェで初めての手織り体験企画をやったことがあって、その時も小学生くらいのお子さんが楽しそうに織ってくださった。一人でも二人でも楽しんでいただける方があれば織機をもっていった甲斐もあるというもので、そういうのが発展して米原でのロビー展示や今回の繊維の日のイベントでも、すごくたくさんの皆さんにチャレンジしてもらえるような流れになってきた。活躍しているのは中古で買った手織り織機で、長く使われずに放置されていたような織機たち。何十年も放置されていた手織り織機が、繊維関係者の集まるイベントで脚光を浴びるみたいなのも私としては、なんとなくそういう見向きもされずに放置されていた昔の手織り織機というのが日本の織物産業を象徴しているような気もして、織物の世界が脚光を浴びたような気がしてうれしい。

帰りがけに、手づくりフェアでお世話になっている関西ファッション連合の清水さんにお会いして、大阪の手づくりフェアも3年ぶりにくらいに開催をされたそうで、手づくりフェアは家族で来られる方も多いのでそういう場所でも2つか3つ分くらいブースを借りてやってみたいなあという新たなるプランも生まれてきた。織物経験するなんてあまりないだろうから子供たちにも織物がたのしいを知ってもらいたい。やれるうちにいろいろとやっておきたいなあと思うのである。また、仕事で布を織ってほしいというようなリクエストも多く受けたりするのだけども、林与のシャトル織機でつくるのも一つだけど、ご自身で手で織られた方がご自身で試行錯誤もできてよいのではないかと業者の方にも手織り布を織ることをお薦めしたりもするのが林与だったりする。

この2日間、手織り体験のことばかりだったといこともなく、本業の麻織物の仕事のほうのお話もいくつかいただいたり、昔からのお付き合いの方々とも久しぶりにお出会いが出来、お話ができたりと、普通にビジネスマッチングの場としての面も活用はさせていただいた。
2022年10月26日
今日は午前10時に大阪の綿業会館に到着、手織りの織機を2台持ち込んで手織り体験イベント。今回の会場のテーマもSDGsがテーマとなっている。ペットボトルなどの再生繊維や洋服を再生した再生衣料などの企業などが多く出展。こういうイベントに出展させていただくと、いろんな意味で今のトレンド的なものを知ることができる。基本、林与のものづくりというのはぶれなくてもよいんじゃないかと考えていて、麻織物というのはそれ自体が非常にエコなものづくりでサステイナブル、丈夫な繊維なので、長く使える良いものを作るというのがいいんじゃないかと。

今日は、ESINの伊藤さんとコラボで、手織り体験コーナー。手織りの織機というのはやっぱり存在感があって、今日も専門学校の学生のみなさんなどがたくさん体験をしてくださった。学生の方の場合には、友達同士で体験してもらうパターンが多く、二人が興味を示して一人が織ってくれていると他の友達も集まって来てみたいな感じで、学生さんらしいと言えば学生さんらしく、手織り織機に興味をもってはくれているのだけども、一人だと近寄りがたい感がやっぱりあったりするんだろうなあと思う。

ESINの伊藤さんは、本職がパターンナーで、手織りは初められてまだ1年ちょっとなんだけども手紡や草木染などもされていて、1年の経験というよりはプロの実践という感じで、ストールなども一つ一つ市販レベル以上のものをつくっておられる。もうすぐ販売もスタートされるということで、このビジネスマッチングイベントも良い機会ではないかと、ブランドPRも兼ねて、手織り体験のコーナーも担当くださっている。いろんなことが出来る方なんである。

今回は、手織り体験コーナーも盛況で、初めて織られた方はやっぱり、目からうろこみたいな経験だったと思う。だれでも最初から簡単に織れる。こういう機会を通じて織物に興味をもっていただいたり、また、自分で手織りをしたいなあと思う人が増えればよいんではないかと思う。私自身も織物に携わっているものだけに、織物に興味をもってもらえることは本当にうれしいことだったりする。
2022年10月23日
今日は、シュワイターの前が暗いので、昨日買った延長コードと蛍光灯用のACコードが届いたので設置。まあまあの感じで明るくなった。それと同時に検反場も今までは別の延長コードでやってたのでそれを同じ場所から電源を取って検反機の上にもLED蛍光灯を設置した。長い間、やりたかったのだけどもやれてなかったことの一つで何年振りかのようやくできたこと。母親がシュワイターを使って糸を巻く作業をしていることが多かったのだけども、暗そうにしていたので。

糸を触る作業というのは明るくないと何倍も作業がしにくいので、明るいに越したことはない。昼間は大丈夫でも夜の作業というのは手元が暗いとなかなか思うように作業がはかどらずに、気分的にも作業がしづらくなる。もう5年ほど前になるけども、工場の中をLED化した。その時にやっておいて本当に良かったなあと思う。この5年でも作業は何倍もやりやすくなった。その前というのは、工場の中も電気をつけていてもかなり暗かった。まあ、LEDも5年もたてば明るさが落ちて寿命らしいけども、まだつかえるので10年以上は使えるだろう。蛍光灯よりも寿命が長いのがすごく有難い。あと割れないので取り扱いが楽なのでありがたい。

年内も作業予定がいっぱいに詰まって来て、また、月末までにやらないといけないことだらけで、月末までにどこまで作業をすすめられるか。朝方がめっきり寒くなって、夜間の作業なども寒さを感じ始め作業がちょっとしづらくなっては来ている。でも、まだまだ10月。



2022年10月19日
今日は、数か月ぶりに食べ放題焼肉、肉と野菜を食べたいなあと思って。そしたらやっぱり食べ放題の値段も上がってた。材料費の高騰は食品が著しく、たいへんだろうは、お菓子なんかは、新旧の値段が入り混じったりするんじゃないだろうかと。価格改定をせずに内容量を減らず、手法なんかもあったりはするけども、それでもパッケージを再度印刷しなおすとか、いろんな配慮が必要になって来くるので、単に値上げするほうが簡単じゃないのかと思える。

食べ放題も時間がおそかったからか?というより、値上げしたからお客さんは以前よりもすごく少なくなっているように思う。食べ放題も2割の値上げしても売り上げは結局落ちていると思う。2割値上げした分、良い感じの新しいお肉が増えていた。値上げして質が落ちるというのはお客さんばなれにつながるであろうから、経営努力みたいなものが見受けられる。

私もあまり前ほどは食べないので、普通のお店で少量食べるくらいでよいのかなあと思うようになってきた。月末までが忙しすぎるような状況で、25、26日は大阪のビジネスマッチングイベント。オーガニックリネンのエプロンを今回の企画では作ってもらえるので、それを見るのも楽しみなのだけども、生成り無地のリネンなので「素朴」ですねえ、という印象だろうけども、それでよいのだ。林与の思い入れのある素材だから。

これまた数か月ぶり位か、夜の出荷のあと、疲れていて休憩でマクドナルドでホットコーヒーだけ、Mサイズ頼んで飲む、ブラック。久しぶりに飲んで飲みやすい苦みがあるのが林与好み。コンビニのコーヒーよりも上に思った、すごくおいしかったのは疲れていたからだろうか。
2022年10月09日
10月25日26日に大阪の綿業会館で、ビジネスマッチングのイベントが行われます。林与も毎回出展の機会をいただき、新しいお出会いをいただいておったりするのですが、今回は、繊維関係の方々でもあまり普段糸などに触れられた方は多くないのではないかと思い、小型の手織り織機2台を持ち込みさせて頂き、手織り体験コーナーをもうけさせていだだくことになりました。本当に誰でも簡単に手織りです。

布をつくる仕事に携わっていて感じるのが仕事で繊維の世界にいる方々の多くが手作業をすることなく繊維の業界が営まれているようなのが普通で、仕事としての仕事で終わってしまっているような気がします。趣味の人のほうがより布や素材のことに詳しかったり、学者的な人のほうが詳しかったり、仕事としてやっているものが一番分かっていて実際に形にできないといけないんじゃないかと思ったりします。糸を結ぶをやってみませんか、手織りをやってみませんか、そこにはモノづくりの基本みたいなものがあって、講釈を垂れる必要もなく、できた時の喜びがそこにあり、次のきっかけとなったり、違う世界が見えたりするものです。

今日午後から、私が世話になっている中学の時の同級生の友達のご夫婦と娘さん。旦那さんも繊維の世界の方で、奥さんも百貨店に昔勤めておられて婦人服売場担当で布の世界には馴染んでおられて、娘さんは繊維と別の世界の方に見えつつも、現場とか実家の繊維の世界を経験されているだけに、いろんな重いものを見ながらもひるまないあたり。帰り際にも洋服にも興味を持たれて、そして一番林与にある良いものの一つを見つけられた目があって、私自身がそうなんだなあとおもった。旬の女性の方がいい感じに思ってもらえるものが林与の中にあるのが、まだまだ、林与が大丈夫な辺り。それは40年以上前のレナウンが世界一のアパレといわれた時代のゴールドのアイリッシュリネンのジャケット。世界一すばらしいものを的な世界が日本のアパレルにあってそれは高級だったけども今ではもう幻となってつくることが難しいようなものがつくられ販売されていた。

特別な金ぴかのアイリッシュリネン的なアイテムをセレクトされた目は本物だろう。探しても、今だとまったく手に入らないような価値観を素で引き当てる感性は世界一クラスのものを見つけるような力。その力には感服で、それを自分が売りたいというけども、売るんじゃなくてプレゼントするから自分で使ってほしいとリクエスト。事務所の片隅のハンガーにあったものが行くべき先が何十年たって決まったのは不思議だけど運命の一つだと思う。そして若い女性に似合う淡いベージュ系やゴールドなアイリッシュリネン。似合っていてそれだけでいい、行くべき先が偶然見つかった感じ。そういう特別なものをプロモートや作れる側に回れるかどうかの前にそういうのを良いと思う目が大事。

近江上布のアーカイブもみてもその価値観が伝わる人と伝わらない人がいて、布がその人に語り掛けるか語り掛けないかの違いがあって、その差が布の世界の共通言語てきなものだったりするけども、その言葉がまだ私は理解ができるのは救われていて、その布が発する言葉が伝わらない人も多い。世界の高級ブランドのデザイナーの多くが林与の近江上布のアーカイブを布としては特別すぎる世界に思ってくださるのも、それは布が語り掛ける言葉が通じるかどうかのところ。昭和の時代の与一爺さんの着物の世界が、ヨーロッパのブランドの皆さんに語り掛けるような世界があったりする。友人である奥さんにもそれが伝わっているあたりが、それは布の価値がわかる世界の人。林与の近江上布は日本の布の資料としては質と量的には世界中の布を見歩いておられる方からもこんなのは初めてみたと驚かれることが多い。

日本のワビサビ的な色柄の世界がヨーロッパのブランドも魅了するようなテイストだったりと、時代を超えて地域を超えて、奥の深いものづくりの世界というのは通じるものがあって、語り掛けるものがあったりする。布が私に語り掛けるような感じはあったりはするけど、洋服やモノが購入者に語り掛けたりする感じというのも同じようにあったりするのだろう。そういうのが薄れているのが現代なんだけども、今日はそういうのがあるのを感じさせていただいた。

私は麻布を見る目というのは特別なものを持っているというか、布が語り掛けてくるようなものを感じる感性的なものがある。それは普段から糸を暑かったり布を扱ったり、糸や布と親しんでいるから、それを作った人の思いを感じるとか、自分の中で想像してしまうことからくるのだろう。与一じいさんの近江上布をみると、人々の厳しさみたいなものが伝わってくる部分がある。ゆらぎのあるモダンななかに今では絶対に難しいだろうくらいの厳しさがあってそれが高級感につながるような辺りで、今の人生観では真似のできないものづくり。
2022年10月05日
左腰のあたりに違和感、尿路結石があるのだろう。コーラでも飲むか。中国の人に中国では結石ができたときにはコーラを飲むというのを聞いて、馬鹿な冗談かと思ったが考えてみると中国4000年の歴史で漢方的な考え方、利尿作用があるのと糖分や炭酸はカルシウムを溶かす?ので、実際に、コーラの2Lを数日がぶ飲みしていたら、石が落ちたことがある。結石が尿路をふさいでいるとすごく疲れるというか眠たくなる。これは非常に理に叶ったことで、ヨコになることで石を腎臓に戻すような働きにつながるのだろう。尿路結石は運動をたくさんして、石が小さなうちに落としてしまうのが良いのだが、織物の仕事でバタバタと動いているくらいではなかなか腎臓内で出来た石は落ちてくれないんだろう。重いビームなんかを運んだ時に、無理したりすると石が落ちたりするんだろう。この1か月ほどの間にも大きなビームをいくつも運んだ。

15年ほど前に、初めて尿路結石の症状に悩んだ時には病院で超音波で落としてもらった。たった1日のことなのだけども、1日入院させられて、病院にいる間中、点滴状態で、あの点滴のスタンドと友達。点滴の針が腕に刺さっていたら安心して眠ることもできないじゃないか。全然必要のない過剰医療そのもので、30分超音波だけ当てて石を割ってくれたらよいだけなのに、それで自己負担分で10万円くらい払ったから、35万円くらいは掛かっているんだろう。前後の検査などもあるので病院での結石治療は大掛かり過ぎる。

そのあとは結石ができても放ってあるけども、いつの間にか落ちているとかで対応している。尿路結石の原因も、食べてすぐ寝るとかが悪いみたいで、仕事して疲れたら食べて寝るみたいなのを繰り返しているので、結石もできやすいんだろうとは思う。水分は常に多い目に取るようにはしている。

なん年ぶりかに5kmくらいジョギングでもしてくるか。激しい運動は結石を落とすのにはよいようである。結石もスムースな石なら落ちやすいのだろうけども、とげみたいなものが出ているので、なかなか狭い尿路の中をスムーズに下には動いてくれない。結石があるかどうかの診断は尿検査で、血が混じっていると結石の疑いが高く、レントゲンを撮ると石が確認出来たりして大きくて落ちにくいとなると超音波で割るみたいな、小さければ利尿剤などを飲んで落ちるのを待つのも一つの解決方法だったりするので、必ずしも超音波で割る必要もない。それほど騒ぐほどの病気でもないので様子見の状態。
2022年10月02日
日本の手仕事というのは、食べていくための仕事というレベルでは、この先日本ではどんどんできなくなっていくと、青土さんとお話していっておられた。分かる気がする、消費者の人たちというのはものづくりというと手仕事みたいな手間暇を思ってくださるけども、日本の繊維業界を取り巻く状況というのはそれほど甘くなく、仕事としてやってるとそれは金儲けのためみたいに思われて、金儲けするなら手間暇省いて上手にしろみたいな誘導も多い。

思うことのひとつに、田舎のおっさんが、「もうけましょう」みたいなのスローガンにしていても、世の中の人というのはドン引きだろう。でも、そういうのが商売の業界では良しとされ、それが仕事というのは金儲けで汚いことみたいなイメージとつながってしまって、地道にやっていることの良さを打ち消してしまうようなところがある。なんとかやっていければよいのであって、そこにも競争があって、辛抱強く地道なことを続けているものが最後はやっぱり本職として強く本物ということになる。楽して金満みたいなのを求める風潮があるけども、地道な仕事がそういう考えに陥るとそこでもう続かなくなるのは、ひと世代前に経験済み。

林与は完全にベクトルが一つの方向に向いているので、商売上手な会社のようになってしまわないほうが特色もあって存在の意味もある。日本の風潮として売ってる人が国産といっても売っている人自体が本当にどこまで国産なのかがしらないという現実が普通だったりして、消費者の方々というのは一番の語りの部分で騙されてしまっていることが多い。日本では30年も8割のアサリが海外産だったというのと似ていて、一般的には繊維業界の国産も似たようなものなのである。

繊維業界の正しい知識からして業者さんにもないのが普通で、それが売り場までいくとすべて国産に化けてしまうことがほとんど、百貨店のイベントでは、ほとんどが国産という表現がされている業者さんがあったけども、仕入れ先が国内業者だからみたいな程度でどの生地が国産でどの生地が国産でないかすら売っている人は分からない状態で、国産をPR。なんかアサリっぽいなあと思えて仕方ないのである。国内で縦横先染めリネンを織れる機屋というのは本当に少ないからこれは事実なのである。
2022年09月26日
10月25日、26日には大阪の綿業会館でのビジネスマッチングイベント、そこで手織り織機の無調体験を林与が行う予定で、織機の重さをはかる必要があって、体重計を久しぶりに家から倉庫に持って行ったついでに、自分の体重も3年ぶり以上ぶりくらいに計ってみた。なんと服と履物を履いた状態で64kgで、正味63kgではないか。これは私のイメージしている高校生時代からの永遠の63kgそのもの。もっと痩せているかとおもったけども、これがベスト体重の63kgで、悪くないやん。

この4日間、動き続けていて本当に疲れたら少し寝る。そして起きたらまた仕事。外は涼しくなったので、工場の中も環境は悪くない、暑くもなく寒くもなく、今が一番動きやすい時で、戦う相手は睡魔と疲れとの戦い。本当に疲れ切って血の巡りなども悪くなっているから横になって眠ると全身に血が通う。タイイングマシーンで繋ぎながら織機を3台動かしているけど、織機が止まるたびに動かしに行くので、動く量が多い。

普通織機を動かしている人だったら、面倒に思うだろうが、私の場合には織機を動くように調整するほうが何倍も大変なので、調子よく動く織機を動かすことは一番簡単な仕事の一つ。普通の人の2倍、3倍のスピードで、止まった織機をまた動かす。ときどきトラブルがあって、その時にはその織機を修理するので手が油に汚れたりするので、他の織機を動かすことができない、それがすごく残念なこと。調子よく動いていても1時間にそれぞれの織機で2mくらいしか織れない織物なので、動かし続けることは本当に大事なこと。

また、織ったものになるべく問題が無いようにおらないと仕事を一生懸命にしてもそれはゼロでなく、マイナスなので、織るときには絶対に正しく使えるものを織ることが大事。働いた時間よりも働いた中身が大事というのは製造業ではよくある話なのだけども、それを理解することは難しい概念だったりもする。一生懸命に正しくたくさん仕事しようとしているとそれほど悪い結果にはならないので、その姿勢が大事でなるべくきれいに織りあげてゆくことが大事。


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