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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2022年10月09日
10月25日26日に大阪の綿業会館で、ビジネスマッチングのイベントが行われます。林与も毎回出展の機会をいただき、新しいお出会いをいただいておったりするのですが、今回は、繊維関係の方々でもあまり普段糸などに触れられた方は多くないのではないかと思い、小型の手織り織機2台を持ち込みさせて頂き、手織り体験コーナーをもうけさせていだだくことになりました。本当に誰でも簡単に手織りです。

布をつくる仕事に携わっていて感じるのが仕事で繊維の世界にいる方々の多くが手作業をすることなく繊維の業界が営まれているようなのが普通で、仕事としての仕事で終わってしまっているような気がします。趣味の人のほうがより布や素材のことに詳しかったり、学者的な人のほうが詳しかったり、仕事としてやっているものが一番分かっていて実際に形にできないといけないんじゃないかと思ったりします。糸を結ぶをやってみませんか、手織りをやってみませんか、そこにはモノづくりの基本みたいなものがあって、講釈を垂れる必要もなく、できた時の喜びがそこにあり、次のきっかけとなったり、違う世界が見えたりするものです。

今日午後から、私が世話になっている中学の時の同級生の友達のご夫婦と娘さん。旦那さんも繊維の世界の方で、奥さんも百貨店に昔勤めておられて婦人服売場担当で布の世界には馴染んでおられて、娘さんは繊維と別の世界の方に見えつつも、現場とか実家の繊維の世界を経験されているだけに、いろんな重いものを見ながらもひるまないあたり。帰り際にも洋服にも興味を持たれて、そして一番林与にある良いものの一つを見つけられた目があって、私自身がそうなんだなあとおもった。旬の女性の方がいい感じに思ってもらえるものが林与の中にあるのが、まだまだ、林与が大丈夫な辺り。それは40年以上前のレナウンが世界一のアパレといわれた時代のゴールドのアイリッシュリネンのジャケット。世界一すばらしいものを的な世界が日本のアパレルにあってそれは高級だったけども今ではもう幻となってつくることが難しいようなものがつくられ販売されていた。

特別な金ぴかのアイリッシュリネン的なアイテムをセレクトされた目は本物だろう。探しても、今だとまったく手に入らないような価値観を素で引き当てる感性は世界一クラスのものを見つけるような力。その力には感服で、それを自分が売りたいというけども、売るんじゃなくてプレゼントするから自分で使ってほしいとリクエスト。事務所の片隅のハンガーにあったものが行くべき先が何十年たって決まったのは不思議だけど運命の一つだと思う。そして若い女性に似合う淡いベージュ系やゴールドなアイリッシュリネン。似合っていてそれだけでいい、行くべき先が偶然見つかった感じ。そういう特別なものをプロモートや作れる側に回れるかどうかの前にそういうのを良いと思う目が大事。

近江上布のアーカイブもみてもその価値観が伝わる人と伝わらない人がいて、布がその人に語り掛けるか語り掛けないかの違いがあって、その差が布の世界の共通言語てきなものだったりするけども、その言葉がまだ私は理解ができるのは救われていて、その布が発する言葉が伝わらない人も多い。世界の高級ブランドのデザイナーの多くが林与の近江上布のアーカイブを布としては特別すぎる世界に思ってくださるのも、それは布が語り掛ける言葉が通じるかどうかのところ。昭和の時代の与一爺さんの着物の世界が、ヨーロッパのブランドの皆さんに語り掛けるような世界があったりする。友人である奥さんにもそれが伝わっているあたりが、それは布の価値がわかる世界の人。林与の近江上布は日本の布の資料としては質と量的には世界中の布を見歩いておられる方からもこんなのは初めてみたと驚かれることが多い。

日本のワビサビ的な色柄の世界がヨーロッパのブランドも魅了するようなテイストだったりと、時代を超えて地域を超えて、奥の深いものづくりの世界というのは通じるものがあって、語り掛けるものがあったりする。布が私に語り掛けるような感じはあったりはするけど、洋服やモノが購入者に語り掛けたりする感じというのも同じようにあったりするのだろう。そういうのが薄れているのが現代なんだけども、今日はそういうのがあるのを感じさせていただいた。

私は麻布を見る目というのは特別なものを持っているというか、布が語り掛けてくるようなものを感じる感性的なものがある。それは普段から糸を暑かったり布を扱ったり、糸や布と親しんでいるから、それを作った人の思いを感じるとか、自分の中で想像してしまうことからくるのだろう。与一じいさんの近江上布をみると、人々の厳しさみたいなものが伝わってくる部分がある。ゆらぎのあるモダンななかに今では絶対に難しいだろうくらいの厳しさがあってそれが高級感につながるような辺りで、今の人生観では真似のできないものづくり。
2022年10月05日
左腰のあたりに違和感、尿路結石があるのだろう。コーラでも飲むか。中国の人に中国では結石ができたときにはコーラを飲むというのを聞いて、馬鹿な冗談かと思ったが考えてみると中国4000年の歴史で漢方的な考え方、利尿作用があるのと糖分や炭酸はカルシウムを溶かす?ので、実際に、コーラの2Lを数日がぶ飲みしていたら、石が落ちたことがある。結石が尿路をふさいでいるとすごく疲れるというか眠たくなる。これは非常に理に叶ったことで、ヨコになることで石を腎臓に戻すような働きにつながるのだろう。尿路結石は運動をたくさんして、石が小さなうちに落としてしまうのが良いのだが、織物の仕事でバタバタと動いているくらいではなかなか腎臓内で出来た石は落ちてくれないんだろう。重いビームなんかを運んだ時に、無理したりすると石が落ちたりするんだろう。この1か月ほどの間にも大きなビームをいくつも運んだ。

15年ほど前に、初めて尿路結石の症状に悩んだ時には病院で超音波で落としてもらった。たった1日のことなのだけども、1日入院させられて、病院にいる間中、点滴状態で、あの点滴のスタンドと友達。点滴の針が腕に刺さっていたら安心して眠ることもできないじゃないか。全然必要のない過剰医療そのもので、30分超音波だけ当てて石を割ってくれたらよいだけなのに、それで自己負担分で10万円くらい払ったから、35万円くらいは掛かっているんだろう。前後の検査などもあるので病院での結石治療は大掛かり過ぎる。

そのあとは結石ができても放ってあるけども、いつの間にか落ちているとかで対応している。尿路結石の原因も、食べてすぐ寝るとかが悪いみたいで、仕事して疲れたら食べて寝るみたいなのを繰り返しているので、結石もできやすいんだろうとは思う。水分は常に多い目に取るようにはしている。

なん年ぶりかに5kmくらいジョギングでもしてくるか。激しい運動は結石を落とすのにはよいようである。結石もスムースな石なら落ちやすいのだろうけども、とげみたいなものが出ているので、なかなか狭い尿路の中をスムーズに下には動いてくれない。結石があるかどうかの診断は尿検査で、血が混じっていると結石の疑いが高く、レントゲンを撮ると石が確認出来たりして大きくて落ちにくいとなると超音波で割るみたいな、小さければ利尿剤などを飲んで落ちるのを待つのも一つの解決方法だったりするので、必ずしも超音波で割る必要もない。それほど騒ぐほどの病気でもないので様子見の状態。
2022年10月02日
日本の手仕事というのは、食べていくための仕事というレベルでは、この先日本ではどんどんできなくなっていくと、青土さんとお話していっておられた。分かる気がする、消費者の人たちというのはものづくりというと手仕事みたいな手間暇を思ってくださるけども、日本の繊維業界を取り巻く状況というのはそれほど甘くなく、仕事としてやってるとそれは金儲けのためみたいに思われて、金儲けするなら手間暇省いて上手にしろみたいな誘導も多い。

思うことのひとつに、田舎のおっさんが、「もうけましょう」みたいなのスローガンにしていても、世の中の人というのはドン引きだろう。でも、そういうのが商売の業界では良しとされ、それが仕事というのは金儲けで汚いことみたいなイメージとつながってしまって、地道にやっていることの良さを打ち消してしまうようなところがある。なんとかやっていければよいのであって、そこにも競争があって、辛抱強く地道なことを続けているものが最後はやっぱり本職として強く本物ということになる。楽して金満みたいなのを求める風潮があるけども、地道な仕事がそういう考えに陥るとそこでもう続かなくなるのは、ひと世代前に経験済み。

林与は完全にベクトルが一つの方向に向いているので、商売上手な会社のようになってしまわないほうが特色もあって存在の意味もある。日本の風潮として売ってる人が国産といっても売っている人自体が本当にどこまで国産なのかがしらないという現実が普通だったりして、消費者の方々というのは一番の語りの部分で騙されてしまっていることが多い。日本では30年も8割のアサリが海外産だったというのと似ていて、一般的には繊維業界の国産も似たようなものなのである。

繊維業界の正しい知識からして業者さんにもないのが普通で、それが売り場までいくとすべて国産に化けてしまうことがほとんど、百貨店のイベントでは、ほとんどが国産という表現がされている業者さんがあったけども、仕入れ先が国内業者だからみたいな程度でどの生地が国産でどの生地が国産でないかすら売っている人は分からない状態で、国産をPR。なんかアサリっぽいなあと思えて仕方ないのである。国内で縦横先染めリネンを織れる機屋というのは本当に少ないからこれは事実なのである。
2022年09月26日
10月25日、26日には大阪の綿業会館でのビジネスマッチングイベント、そこで手織り織機の無調体験を林与が行う予定で、織機の重さをはかる必要があって、体重計を久しぶりに家から倉庫に持って行ったついでに、自分の体重も3年ぶり以上ぶりくらいに計ってみた。なんと服と履物を履いた状態で64kgで、正味63kgではないか。これは私のイメージしている高校生時代からの永遠の63kgそのもの。もっと痩せているかとおもったけども、これがベスト体重の63kgで、悪くないやん。

この4日間、動き続けていて本当に疲れたら少し寝る。そして起きたらまた仕事。外は涼しくなったので、工場の中も環境は悪くない、暑くもなく寒くもなく、今が一番動きやすい時で、戦う相手は睡魔と疲れとの戦い。本当に疲れ切って血の巡りなども悪くなっているから横になって眠ると全身に血が通う。タイイングマシーンで繋ぎながら織機を3台動かしているけど、織機が止まるたびに動かしに行くので、動く量が多い。

普通織機を動かしている人だったら、面倒に思うだろうが、私の場合には織機を動くように調整するほうが何倍も大変なので、調子よく動く織機を動かすことは一番簡単な仕事の一つ。普通の人の2倍、3倍のスピードで、止まった織機をまた動かす。ときどきトラブルがあって、その時にはその織機を修理するので手が油に汚れたりするので、他の織機を動かすことができない、それがすごく残念なこと。調子よく動いていても1時間にそれぞれの織機で2mくらいしか織れない織物なので、動かし続けることは本当に大事なこと。

また、織ったものになるべく問題が無いようにおらないと仕事を一生懸命にしてもそれはゼロでなく、マイナスなので、織るときには絶対に正しく使えるものを織ることが大事。働いた時間よりも働いた中身が大事というのは製造業ではよくある話なのだけども、それを理解することは難しい概念だったりもする。一生懸命に正しくたくさん仕事しようとしているとそれほど悪い結果にはならないので、その姿勢が大事でなるべくきれいに織りあげてゆくことが大事。


2022年09月17日
リネンデニムを織り続けているシャトル織機から異音がする、ガタガタと。リネンデニム用に特化して、調子よく2年ほど織り続けている織機なので心配ではある。この織機もたぶんVベルトの裏側がそろそろはがれ始めているとかだろうか。Vベルトというのは消耗品なので、長い間使っているとだんだんと伸びてくるのが普通だし、裏側が捲れてきてしまうことが多く、最後には切れてしまう。通常はうちのシャトル織機の場合には3本かけなので、1本切れても2本でもなんとか動かせたりはする。

この月末にも納期が迫っていて新しい縦を繋がないといけないので、ちゃんと動かないと困った話になる。あと、別の立ち上げ中のヘンプデニムの台も1週間たってようやく、ボンドが固まって設置ができた、12枚のドビーにするのだけども、ロッドが通常よりも長く足りなくて苦戦中。機を作ったのに乗せる織機によってロッドの長さが変わってくる。12枚で駄目ならタペットに移して織ってみることを考える。

いろいろとやらないといけないことは多いけども奥が深いなあと思う。これだけ奥が深いと新しい人ができるようなことでもないし、たぶん、昔の人たちでもこういう奥の深さというのは経験をしていないだろう。昔は、リネンでデニムが織れるなんてことは考えられなかったことだけども、やればできたりする世界があったりして、そういうのをできないと今の時代の織物業界では特色の一つとして歌えなかったりする。

林与の特色としては、100番手以上のリネン織物を織れたりすることや、耳までリネンや、また、高密度織物、オーガニックリネンなど。そういう特色というのは、昔は安定して織れなかったことばかり。奥の深さを乗り越えないと生み出すことが難しく、作ればうれるような時代でもなくなって、特色ある麻織物がつくれないと魅せることはできない。今年は原料の高騰やさらに糸が弱いなどもあって麻織物で織っておられるところというのは大変だろうと思う。本麻のほうも糸質の問題もあって、縦に細番手の本麻を織ることがかなり難しくなっては来ている。

世界的には来年からリセッションに入る、実は世界の好景気を支えてきたのが日本の年金マネーで有ったりもして、他国が景気後退でも自国株に資金投入することもないのに、日本は海外の株式にも投資して世界の好景気を支えてきた。リセッションに入るとなるとさらに日本マネーで買い支えるのかということになるだろうけど、たぶん引き下がれずにやるんだろうなあと思う。本来は日本の資金は日本国内で運用すべきなのにもう国政が国政ではなくなってきて、小さな島国日本の年金マネーで支えられるようなものでもないものを支えようとしてしまった感がある。

国内株式に投入されたお金を引き上げることすらも難しいのに、海外株式が下がったときに日本マネーが引き上げると世界経済が大変なことになる。格好よく日本が世界経済を支えるといっても、さらなる後退を日本が支える必要が出てくる。いくら株でGPIF資産が増えているからといっても、実際には引き出せない規模のことやっているので、将来の年金の重荷はますます増してきてしまっている。だれもその危うさに気が付かない国の役人やお抱えの学者たち。円安の正体が一部は、GPIFにあるんじゃないかと思う。ドル建てになってしまっている100兆円もの規模のカネを引き戻そうとすれば円高要因となるだろう。人々が働いて稼いだものからなりたつ年金マネーを国が不労所得目指して膨れ上がっているものにぬか喜びしていても仕方あるまいが、それこそがバブルのころの日本と同じ。円高を喜ぶは分かるけど、円安を喜ぶというのはあまりにも輸出企業の消費税還付目線過ぎないか。円を海外にただで配れば円安になるから簡単なこと、それを政治がやっている。海外がざるな日本に喜ぶのは当たり前。バカ殿さまに近い役割だか、国がそういう役割をしないと日本の大手輸出企業すらも利益を上げられなくなっているような構造問題が日本にはある。

お金をばらまいて国際貢献だけど、できなくなった時にはやってくれないのはおかしいとなって来て、援助してくれる他国に乗り換えられ、もう援助してくれない悪い国のように思われたりもする。節度をもった援助が必要でそ、援助にしても実質中抜きで消えて行ってしまっている部分が多かったりもする。自立できるための援助が必要で、そのためには相手国の富を持つ者たちが貧しいものを救うような構造が必要なのだが、それが同じく日本にもなかったりするので難しいあたりだろう。援助したお金のほとんどがその国の富ものに配られるというような形。お金を払わないと友好関係が築けないというような賄賂政治は日本の政治力のなさそのものであろうと思え、銭の切れ目が縁の切れ目的な外交とはならぬよう、カネを見せびらかした外交はやめておくべきだろう。
2022年09月06日
今日は加工工場に反物を取りに行くと現場の人が林与の上がってくる反物のことを覚えていてくれてまだ時間がかかりそうということを教えてくれる。一日中反物が上がってくるのを次から次に出荷の用意、現場というのはどこも同じだなあと思え、まさに仕事の世界である。そういうところにファンシーな理想はないし責任感とかそういうのが大事で仕事の覚悟のようなものがないと務まらない。そういう人たちが現場にいてくれるから仕事が普通に回っていくのであって、そういう支えている人たちが仕事に何か別のものを求めてしまってはもううまく回らなくなるだろう。

そういう人たちと会うと別の会社の方々でも安心感があって仕事での関係ながらも仕事を頼んだ一生懸命に正しくやろうとしてくれてありがたいなあと思う。一方で、山師みたいな人もいたりして儲け話ばかりしているような人もいて、自分がリスクをせずにリスクを背負うカモ探しみたいなところがあってそういう人には関わるとややこしい。具体的な現実的な話ができて実際にそれを形にしていける人というのは時間の無駄もないし、形にしてゆくことができるので失敗してもやり直しなどもきくが、大きなこんなことをしたいという話だけがグルグル回っている人というのはややこしいし、自分自身が形にして行かないと駄目でそれは現場の作業と同じですごく地道なことで、たぶんそれはその人の理想とは異なるだろう。

素材を探しておられる方で私からするとそんなにも特別でもないので、林与ではなく他のやっておられる方が持っておられるものを探された方が値段も合うんじゃないかと思うケースも多かったりするけども、そういうところとも条件が合わないのだろうと思う。少量で特別につくるとどうしても高くついてしまうし、林与がつくるときにはそれなりのものを目指すので市販で数メートル買う時よりも100mとか生産していると高くなる場合が当り前に多い。高級なプロ向けの素材というのは安定性みたいなものが第一に求められて、市販の生地とは別のグレードであるのが普通のこと。

フランスで手に入れたビンテージリネンということで、一見、500番手クラスのモノを見せていただいたけどもそれは、綿をリネンとよぶ実際は綿の世界。イタリアンの展示会などでもフランスのアンティークアパレル業者が綿のビンテージ物と麻のビンテージ物を品質表示も付けて出されていたけど、100番手を超えるリネンは本当に珍しいくらいで、フランスの場合80番手くらいまでが普通。まあ、レッティングの違いや紡績方法、加工方法の違いがあるので今にないふっくらとしたリネンではある。フランスのアンティークリネンといっても基本40番手くらいのものが普通ではある。フランスじゃあ綿のことをリネンと呼んでもそれは普通で、ホテルのリネンにしても本当のリネンの場合もあるけども、普通は安価でよりしなやかな綿に置き換えられたが、それをもともとはリネンだったからリネンと呼んでいるだけのこと。
2022年09月05日
繊維の世界というのは間口が広い業界だなあと思う。昔から現場は女性がメインの職場だったりもして、林与の場合も親戚の人たちが働いていたような現場で、学校をでるとかも必要なく、時代によっては最初の日に覚えた単純作業だけを一生するようなこともある。大きなボリュームでものが動いていた時代には、近年の中国の繊維業界と同じで、一つの作業さえできれば一人前。伝統工芸の世界というのもそういう分業の世界が当り前で、仏壇なんかも七人衆というような概念で多くの人の手作業で成り立つようなものづくり。繊維の世界も伝統工芸的な流れを組むのと、なぜか、海外の大量生産のライン仕事が同じような製造工程の世界。

今では希少になった伝統工芸品でもそれは昔は大量生産の流れ作業でのハイクラスなモノづくり。ものさしなんかは使わない、計算なんかはしない、目分量で、料理人が感覚で料理を作るのと同じくらいに手間を慣れで省いて最大限に正しいモノづくりで、大量に高度な品質のものを生むことができて広まった。

よくいわれるのが手作りじゃなくても大量生産でも同じ品質だと同じ価値だからという概念。でもそれは、熊本のアサリの世界で昔ながらの本場の産地でものづくりをしていると海外で作る何倍もの費用も掛かるが当たり前で、それを例えば産地偽装してしまえば前億のシェアの何割も取れる。それが林与が2000年以降にアイリッシュリネン糸がまったく手に入らないのに、巷では北アイルランドで紡績されたとされる糸を使ったものが流れていて、まさに熊本のアサリの産地偽装そのもので、結局は高品質な中国紡績の糸だったという話で、林与というのはそういう裏の世界を知っている立場だし、大事なのは消費者をだまして儲けるではなく、業界のプロとして正しい情報を消費者に伝えること。努力目標としては一つの偽装もないように動いて、誠意をもって対応をしていても謳いに関することに判別などが難しいこともあるので、その時には間違いがあったときには認めて返品などにも対応すること。

今の大手の日本の繊維業界がブラックボックスなのは昔から、大手ほど偽装に走りやすく謳いはすごいのだけど実態がないことが多く、5000エーカーの自社畑の話が最後は仕入れ先にまかせていただけで、詳細は分からないが繊維業界の大手の普通。本物か偽物か分からないような世界を自分が全部責任もってやってきたみたいな話で国内の消費者を説得して買わせても最後は、実態がないとかが日本の大手の繊維業界の普通。熊本のアサリの産地偽装そのもので儲けていて最後は逃げてしまうだけ。

海外が悪いのではなくて日本の国内の繊維業界というのは厳しい基準でやっているのに、大手はブラックボックスで出し抜いて実際が本当か嘘なのかを分からない話を安く仕入れて最高級。それはいくら海外でもカシミヤ偽装と同じ話で、大手にありがちな素人チックなサラリーマンの世界。車掌すらもがサラリーマンなのが大手の繊維業界で、不祥事で次から次へと社長が変わるような、もうどうしようもない日本の大手の繊維業界。

世界中の消費者を20年騙したVWのクリーンでぃぜる問題と同じことがGOTSでは駄目だろうと思う世界、GOTSの日本の認定委員が、私が天然繊維でもないものがオーガニックコットン認定されてますよねえというと、それは企業が勝手にやってるだけだから私の関係ないし責任じゃないと言う。正しい努力すらもないのが日本のGOTSの認定委員レベル。それで食べててプロ意識もなく何十万人、何百万人の日本の消費者騙すのはまさに熊本のアサリの産地偽装イカかもしれないよう日本の大手の繊維のブラックボックスな繊維の世界。消費者騙してなんぼで生きているのがオーガニックの理事長10年をあやむやに日本のGOTSの認定委員では困る。やめたくてもやめさせてもらえないんですよとか、エシカルなことが面倒なんですよとか、地道に働く気もないGOTSの日本の認定委委員。ドイツのクリーンディーゼル偽装そのものがGOTSじゃ、現場で働いているものはまともにまじめでもトップを自負するものがそのレベルじゃあ偽装物が流れまくり、消費者偽装そのもの。日本のオーガニックの認定委員でもサラリーマンとしてのプロ意識もない、やってる企業の責任ですよでラベルばら撒いているのが、エシカルを謳う世界。そういうのしっているから本当に日本の繊維業界というのは地道に屋てるんものよりもだまくらかしばかりを認定して儲け主義で末期だとは思う。

アサリでも別に中国産でも北朝鮮産でも韓国産でも正直に伝えればよいだけだけど、日本人が儲からないから偽装しているだけのことで、それがオーガニックを謳う団体が儲け主義でそのレベルだと終わる話。まさに熊本の漁協レベルで、淘汰されるのも当たり前。熊本のアサリと日本のオーガニックの世界というのは紙一重、その紙一重で安く大量に最高のモノを流して市場を何十年も奪うのが日本の大手の繊維の世界。大手の人と話すると安く買うことばかり自分が儲けることばかりで損得ばかりの話だから難しいとは思う。

吉野家が狂牛病のときに専用牧場のポスターを店頭に張り出したのもさすが吉野家と思ったが、あれも嘘だったのはすごかった。普通に大量にながれているショートプレートを使っていたというだけのこと。
2022年09月01日
目の前の作業をどんどんとこなしていくということに疲れて嫌でという人というのは多いと思う。林与の仕事もそういう仕事で、織機が止まったら動かさないといけない、一台10秒から15秒で横糸切れや糸がなくなったりに対応して、経糸切れも30秒ほどで解決して、4台5台を動かしながら、空いた時間に新しい織機の立ち上げで、経糸を結んだり、横糸の準備をしたり、追われて追われての仕事のペースを自分で作れる人でないと難しい。大きな工場でつぎからつぎへとものが流れてくるラインで働いているのと変わらない忙しさがある。動く分体力も使うし行動力が必要となって来る。

多くの人が学生時代に繊維やデザインのことを勉強してその憧れをもったまま、別の仕事に居て憧れの世界で仕事をしたいなあと思うかもしれないけども、その憧れている世界のほうが他の産業界の仕事よりもより仕事量が多くて器用でないとできない複雑な仕事だったりもする。繊維関係の会社の人にいうのが、現場の仕事が自分ができないと会社経営というのは難しいんじゃないかと思うあたり、それは私自身が若いころに年配者の人たちの中で、年配者の人たちの仕事感覚や仕事が通用しなくなっているのを感じながらも、手立てがないような状況。それを乗り越えるのは経験者たち以上の力で、小さな世界にとらわれずに国際的な競争なども見据えながら何ができるのか考えて実行してゆくしかないのである。

たとえば、先日も母親に、赤の管、青の管、黄色の管、赤の管の順番で機械にセットして横糸を管に巻いて、その順番で何回もやっていってほしいとたのんだけども、管の色を無視しながら巻いて順番通りだとはねのけてくる。なにが悪いのよとやってくる。言われたとおりにしていないのが悪くて、作業手順を正しく説明も受けているのに面倒だから守らないでやってしまって、説明したものを攻撃してくる。こういう人というのは、複雑なことが絶対に無理で、その順番に管を機械に立てて自動的に巻いていけば、その機械から目を話しても大丈夫だということで、管の色を見れば作業結果も確実で、他のことも出来たりする。母親の場合にはその一番簡単な仕事も張り付いていないとできなかったり、それでいて人一倍仕事している感覚。私がいろんな作業をしながら隙間にやっている作業一つにしても頼んでも頼まれたとおりにはやらないから口論になる。そんなのが田舎の年配者の驕った感覚では高度な仕事はなかなか難しい、そういう能力の低さがあふれていて、若いものに反抗してくる正しいことが難しい年配者であふれていたりする。

言われたことの意味を分かってやれば言われたとおりに問題がないのに、言われたとおりにやるのを嫌がって、管の順番は違うけども正しいから問題がないで口論になる。そういう人というのはその仕事で精一杯になってしまっていて、他のより高度な仕事も難しい。順番通りに機械にセットしておけば、自動的に巻いてくれて、正しく順番に並べることができるのに、見ていたから大丈夫では、そんな簡単な仕事で一人の時間を使ってしまうしまた後で正しいかどうかの検証もできない。あいまいさみたいなものが生まれる仕事の手順で、それがその一つの作業だけでなく、すべての作業に置いておなじような時間の無駄と確証のある仕事に結びつかない。

簡単な仕事でいわれたとおりにやればよいのに言われたとおりにやらないで正しいと突っぱねたりしてくる。その人にはその一つの仕事しか仕事として見えていないけども、その一つの仕事が正しくできなければ他の仕事はもっと複雑でより高度だから難しいのである。田舎の年配者にはそういう人が多いのは事実で、失敗しても仕事、正しくできなくても仕事みたいな人では駄目なのである。母親みたいな人がいると会社なんてものは絶対に無理。そういう人というのはもうやったけないわよ、みたいな世界で、仕事ってそんなのとは違う厳しさがあって、一つの失敗ですべてが駄目になってしまうから。やればできるのに言われたとおりにやろうとしない人というのはやっかいで、言われたとおりに言われたことを正しくできる人というんは仕事が出来る人なのだけども、そういう人というのは本当に少ないから繊維の仕事というのは難しいのだろうとは思う。すごく基本のことなのだけども、それができる人というのは本当に少なくて、自分のやり方と違うやり方にいわれて対応できる器用さみたいなものや素直さみたいなものが大事で、それがあるといろんな経験を積むことができて、作業に慣れることで2倍3倍のスピードで仕事ができるようになる。
2022年08月29日
ここ数日徹夜モード、起きたら仕事、疲れたら眠る。涼しくなって仕事がやりやすくなった。6月末が結局一番暑かったということになる。太陽の日照時間とのラグがなくなってきたということは砂漠化がやはり進んでいるということだろう。夏至のころが一番太陽の日照時間が長く本来はその時に一番暑いはずなのだが、その暑さを自然が吸収できていると自然界が熱量を木々や草が生い茂ることに使って結局8月が暑いというのが今までだったんだろう。

暑さで体調が崩れてはいたので、めずらしく市販の漢方薬を飲んでみた。これが本当に良く効いたのか、頭がすごくすっきりとして眠気みたいなものが消えた。若い頃っていうのはそんな感じだったんだろうというような感覚に戻った。平気で3日でも徹夜とかできたのが、周りに合わせ始めるとそういうのが出来なくなってきて、自分の能力を最大限に発揮するというのは本当に大事なことだなあと思う。仕事というのは仕事の中に空き時間があるようなやり方で仕事するとすごく疲れる。機械待ちをしないようにフルに効率よく動けるかどうかが大事なところ。

織機が止まるのを待っているような仕事ぶりではいつまでも一人前の仕事は難しく、高度な織物にはつながらない。今、織っているものは昭和の時代には無理だったような織物が多く、当時私がそれを企画したとしても現場の人たちがそれを織ることは無理だっただろうと思う。織ってもボロボロで売るのが難しいというような問題だらけの結果にしかならないだろう。最初はそうでも経験でそれを乗り越えて問題を解決してゆくようなことが大事なのだけども、できない人にはできないものである。最初から出来る人というのがやっぱり大事でそれは人生観みたいなもの。
2022年08月20日
この週末は織機の一台を設置しようと動いてみたがうまく行かずで、来週に。かなり重めのビームを地元の友人に手伝ってもらって下す作業。友人は2回目の作業で、前回よりも重いビームなのでお疲れ。糸だけで80kgくらいか?ビームを入れると、130kgくらいだろうか。

織らないといけないものの縦繋ぎ縦繋ぎ、もう一個前のはタイイングマシーンで繋いだ、今回のは手で繋ぐのだけども。思い出すのがスタッフの子がまだ慣れていなくて糸を指の関節のところで扱うので指の関節の部分に糸が食い込んでそこが出血してテープを巻いて作業、可哀そうだけども、慣れて指の腹でそれほど力を使わずに扱うみたいな感じになるまではその状況が続いてしまう、そういうのは苦痛だろう。数をこなしして行けばコツをつかんでやり方も変わって力も必要なくなってくる可能性もあるのだろうけども、コツをつかむためには自分のやり方を変えようとする積極性みたいなものが必要だったりで、早くたどり着ける人もいれば時間が掛かったりたどり着くことを断念してしまうケースもある。

手で繋ぐ以外にもタイイングマシーンで繋ぐのもあるけども、それも何十年もやっている人でもできない人が多いし、出来る人は最初からやって出来るし、できない人というのはいつまでも出来なかったりが普通で経験の長さよりも毎回の仕事の深さみたいなものが最後の結果には大きく影響をしてくる。1回2回やってみて後は自分でできるくらいの人でないとこの仕事は難しいのかもなあと思う。出来る人は1回2回一緒にやるとその後は自分でどんどんと進めていける。手順など覚えないといけないし失敗しないように注意しないといけないし、いろんな理屈を分かって進めないと道具や機械が壊れたりするので、出来る人とできない人の差というものはあるだろう。

縦繋ぎで体を前かがみになって作業をし続けるので、最初はそこにも力が入ってしまうから、それも早めにコツをつかまないといけないのだけども、コツをつかむ前に作業を中断してばかりになってしまうと、コツをつかむところまでたどり着けないとかもある。忍耐力みたいなものがあるとそういうのを乗り越えやすかったりもする。そのうち自分との我慢との戦いが作業中にあるうちというのは大変だろうなあと思う。

織物の仕事をやっていない人でも、仕事経験の長い人というのは案外そういう作業でも初めから忍耐強く出来たりするから、他の仕事にも共通の要素だったりはするものだろうとは思う。指の動きの速さにしても手が小さく指の細い人のほうが器用なことは多いが、それよりも今までの仕事経験みたいなものがあるのかないのかと、実際に目の前に作業があるときにそれをどれだけ早く正確にこなそうとしているかが伸びしろ的な部分。
2022年08月17日
今、ビルゲイツ氏が来日、昔、ダイアナ妃が京都に来たときに、同志社高校2年のときのクラスメートの女の子3人が授業を抜けてダイアナ妃を見に行った。すごく大人しい女の子たち3人だったので、驚いたのだけども大問題になった、それは今となったらその女の子3人にとっても、逆に意味のあることだったりもする思い出だろう。大きなリスクとなっても心躍ることなんで一生でわずか数回だろう。

私もアメリカでも語学プログラムで皆勤を目指すタイプだったけども、先生方の好意で、実践的な英語学習ということで、午前中、サンディィエゴのダウンタウンの劇場での演劇を見た後に、ルームメイトたちに誘われて午後は、授業を休んでウェイルウォッチング。午後のクラスには半分以下くらいの生徒しか出席していなかっただろう。でも、それがいわゆるピアプレッシャーであったりもするが、学校の授業よりも、生きた経験から学ぶ。語学プログラムというのは形式的なもので、自分自身が自由にアメリカの中で生きてゆくのが最終目的で、ウェールウォッチングもさらなるチャレンジで悪くないだろう。

サンディエゴの語学クラスにも16人のうち、私を含めて4人の日本人がいたけども、教室では話す機会はなかったし、プライベートでも3か月間一回くらいしか日本語で話をしなかった。4人ともなんの約束もしなかったけども、4人ともがその覚悟で、でも、最後のお別れ会が担任の先生のアパートであって、お別れだったので日本のどこから来たのとか始めて4人で日本語でしゃべったら、先生のルームメイトが日本人はいつも日本人ばかりで駄目だと注意されて、先生がこの子たちは違うのよと先生のルームメイトに説明くださってた。そんな良い先生を裏切って、ウェイルウォチングしたのも、良心の呵責にさいなまれながらも、林与にとっては結果としては良かった思い出。結局、学校の授業よりも実社会でも目的をもって行動に移せる人のほうが強いのも当たり前で、発表のために準備を一生懸命する人よりも、なにも用意せずにその場で自由に発表できる人のほうが何十倍も強い。

サンディエゴの語学プログラムではスペイン語圏やポルトガル語圏の人たちがスピーチしだすと30分でも40分でも止まらない人がいて、先生が止ようとしても止まらないくらいで、生徒のスピーチが長すぎて授業が潰れちゃったというような、もはや英語の語学の授業というよりも自分の主張をどこまでも伝えたいような世界。何もみずに1時間でも2時間でも自国の歴史を英語で話せる人がいたり、なんか語学云々以上に伝えたいことを盛りだくさん持っている人がいたりする。

なんかそういう自由な人たちに囲まれて生活したときには劣等感すらも感じたけども、そういうのが世界では普通のレベルなんだというような意識も生まれる。そういう能力はなくても、幸い私は海外ルームメイトはじめとする友達にも恵まれいろんな考え方や経験を積むことができた。数学でいうと最大公約数じゃなく最小公倍数的なところで生きてゆくのが良いのかなあという感覚。自分でできるできるを増やして行くが大事で、その考えというのは、林与が織物をする上でも他の織物業者さん以上に役立っていたりする。腕白でもいいたくましく育ってほしい丸大ハムみたいなのが結局よいんじゃないか。
2022年08月13日
台風というのは日本では大風(おおかぜ)と昔は呼んでいた。中国では台湾のほうからの風ということで台風だったらしく、それが持ち込まれて、日本でも台風と呼ぶようになったという説が有力というか、他にそれらしい説明がないのが台風。

日本だと大風(おおかぜ、タイフウ)で良いのだろうけど、中国文化というのは江戸自体までは日本の行政に大きな力を持っていたと思う。よく言われる科挙の制度なんてものは、今の日本の公務員制度の原型のようなところで、現代日本の理想とするモデルが古代の中国モデルであるのも階級社会的なものをどう維持してゆくかという、古代の中国の為政者が人々を強固に縛った中国の知恵が現代の日本の行政にも生きているのだろう。

そういう岩盤的な役人組織をつくって、それを支配することで、統治者が意のままにアンタッチャブルな世界で統治する。統治者というのは欲の塊でそういう岩盤的な役人組織をトップダウンで利用して、国民の切実な思いをくじいて国民を苦しめ意見も言えないほどに弱体化させ、従わせることで力を増して、自己の名誉欲とか権力を増して行く、それは歴代の王政でもよくある末期状態の階級社会。

日本の良いところは、宮中行事で稲作や機織りがあったりして、トップがそれを実践するところからという地道な日本の礎。今の政治家たちにはそういう礎を実践する気持ちもないどころか踏みつぶすばかりで、日本の人々が幸せになるという心の文化が政治家たちの欲によって失われてゆくのを感じる。

損得主義の浅い世界に身を沈めてしまうとそこから抜け出すことは本当に難しい、それが人間の一生の人生観だから、頭が良いとか賢いとかでほかのまともに働く気持ちを見下してそれにゆうどうすると、なにがおこるのかというとまったく成り立ちもしなくなったのに、今度はそういう成り立ちもしない人たちが欲にまみれて正しいと死ぬまで業界を食いつぶそうとするような世界が広がる。

林与にしても、私が先代の驕りの世界を封印して正常化で、先代の撒いた驕りの世界が私を食いつぶそうと来るのを、ほんと年だけ取って人間として駄目な人たちを、一人一人正していくようなところから。分かるのは自分の親でもそんなもので地道に働くを馬鹿にして儲け話ばっかりで逆に鴨的な田舎の旦那衆の典型。それが見えずにどんどん落ちてしまうのが田舎的な地場産業で本質すらも失いがち。

林与が産地偽装とか品質偽装をしたくないのはその辺りで、産地偽装、品質偽装すれば何億でも簡単だけども、損得ばかりじゃなくプロとしてまともな世界を守りたい。私は実際繊維の世界の人間でもないとう外からの目があるから、それは大手企業が繊維を見る目と同じ様なところで、一番くらいにそこに地場産業が価値を感じないと地場産業の価値すらもないんじゃないかと、先代や人世代前の人たちとでも喧嘩するも当たり前なのが林与という個人だったりする。ものづくりに関してとか働いて答えを出すということに関しては、働き始めた25年以上前から、ひと世代前以上の覚悟は当たり前でやってきたから、
看板商売を勧められる方も多いけども、林与が損得に走ったときには、何十年も熊本のアサリ規模の被害が広がる。熊本のアサリもほんの数%だったけども本物の産地産を守っているのがあるのが救いで、それがなくなれば地場産業自体が信じた地場産業なのに偽装とかではお話にもならない世界。

小さな世界なので、日本の麻糸の流れすらもすべてが教えてもらえるような麻の世界、偽装があったらすぐに分かるのだけども、偽装そのものが商売である業者さんも多い。半年以上在庫糸を持つなという業者もあって、営業マンに麻糸の販売をノルマ着せられて売らないとクビになるとかだと騙してでも機屋に売るのが仕事になる。そうするとすごい謳いの糸が素人な麻糸もしらない機屋さんに回ってアイリッシュリネンに化けたりで、関西はそれなりに昔からのまともな繊維な商売だけど、関西以外からはありえない話で林与でも2000年以降はいくら探しても手に入らないアイリッシュリネンが出回ってそれが、高値で最高のものとして売りさばかれた、林与はすべての裏を知っている存在なので本当にそういう麻業界の儲け主義に走るばかりの裏を正したいなあと思っていて、それはまさに熊本のアサリの儲け主義な産地偽装そのものな世界で、それが日本の麻業界ならリセットが必要な話。

産地偽装で儲けたい日本の麻業界の体質は消費者偽装そのもので、糸がどこで紡績されているとか、布がどこで織られているとか、本当の産地要件を偽装して消費者を騙して高値で売り抜けたい業者さんが多すぎるけど、それがその業者さんの商売なので変わることはない。林与は日本の麻織物の本場というだけでなく、本場で一番麻織物にこだわって来たという意味でそれが駄目ならもうつぶれたほうがマシなのじゃないかと思っていたりもする。それほどに、本場の産地産の本物志向を貫くのは難しい。

麻織物の歴史を本当に知っておられる方なら私との話も普通に出来たりもするのだけども、麻織物研究家レベルだとスポンサーがお金出してくれなかったら辞めるとかで、なんで70の爺さんが学生レベルで業界を支える気持ちもないのかと、林与のことも知られない話で、私におたくは誰の世界。麻織物の世界で林与をしらないのは、明治にさかのぼっても難しい話で、外村家、外与家さんなど、市田さん、伊藤忠さん、丸紅、森吾商店など、明治大正の時代の日本の麻織物業界の知識もないのが残念で、林与自身は、まだお付き合いが生きていたりしてそれは昔の歴史の話じゃなくて家やその後継者の方との日本の麻業界がゼニゲバにならないように昔ながらのお付き合いみたなところ。林与の家も旧の愛知川町の麻織物の歴史を書かせて頂いているような家だけども、私以外にそういう昔のことを知っているような人は、私の話することは旧の豊国村の近江上布の世界を育んだ織元の話として、非常に慎重に貴重な話と聞いてくださる。

5年ほど前に私にお会いされてその研究家の方も近代麻布的な麻織物の世界というのが、数軒の麻織物の織元によって生み出されていたのだということに気がつかれただろう。60番手クラスの大麻のプリント布を最高級と謳われていたのがすごく違和感で、組合にある100数十番手を超える絣の国宝級のものに目がむかいのが、麻布を見る目がまったく駄目で、柔らかいものがすごいというのは洋風テイストで、江戸時代などは硬いしっかりした麻布こそが高級だったというような基本的な麻布の価値感すらもなくでは本当に麻布の歴史を語るにも厳しい話。
2022年08月12日
昨日は京都から青土さんがこられ進行中の案件を煮詰めに、全員それなりに年配?なのでバブルのころを知っていて、そういう時代もあったよなあという不思議な感覚だったりするから、ある意味、みんな今の時代の感覚で生きているというような辺りを感じる。

私も倉庫にある手績みの糸を手織り機で準備して織ってみたいなあと思う思いがあって、経糸の件、横糸の件、その糸が使えるのがそれが普通なのか聞いたりもできて、できそうな感じなので、一度10月のイベントに向けて手織り機の1台を立ち上げてみようかと思う。

倉庫の手績みの糸は糊付けされて、昭和27年の新聞にくるまれて箱に入っている。昭和16年の戦争が始まってから、麻織物はぜいたく品として禁止されたので、戦前につくられた手績みの糸が行き所がなくなり、林与の与一爺さんが在庫をすべて買い占めたものではないかと思うほどの量。林与の戦後の絵絣の近江上布は紡績の糸を使っていたので、与一爺さんは江戸時代以前の上布の再現用に買い占めたのではなかろうかと思う。赤苧大絣とよばれるものが、赤味のある味わいのある色で、その世界に使う糸なんだろうなあと思う。

10月の大阪のイベントで織れたら楽しいなあとまた、10月末まで工場の中の仕事で手いっぱいなのに、また要らないことをやろうとしている林与がいたりする。そういうプロジェクトにしても、林与の夢的なものではあるけども現実性のある夢の一つ。なぜ当時の糸が今もよい状態で残っているのかというと、糊付けをして新聞紙にくるんであるからというあたり。

その倉庫の奥の押し入れの中で、林与の数万枚の戦後の近江上布のアーカイブも見つかった。技法的な部分がそのデザイン性を引き立たせていて、色柄の日本的ながらモダンな感じが林与の近江上布の特徴で、特に染に関しては色の深さなど林与らしい特徴がある。私でもいまその与一爺さんの世界に迫れるのかというのとその1枚にすらもなかなか及ぶことができない。

与一爺さんは、近所のそれなりの方がいわれるはキチガイだったと、それほどに怖く周りから恐れられていた人だったが、農村で農業しかなかった村で、近江上布を織ってもらうことで、大卒並みの現金収入をもたらした。与一爺さんの芸術的な要素と、勘平爺さんと勘一爺さんの愚直な仕事による染の要素、そして親戚を中心とした村の人たちの織の要素。厳しくないと日本の一番の売り場で通用するようなものは難しいから、その厳しさゆえに裕福な村は裕福になりえたのだろう。私が今みても林与の近江上布の完成度からして今の時代にはない厳しさが見て取れる。大島紬のち密さとは違うような、揺らぎの世界のなかに感じる厳しさみたいなもの、当時の人の人生観みたいなものが感じられるのである。

実際、展示会などのイベントなどでも、近江上布アーカイブを心が和むと見せてくださいと500枚ほど絵を2時間とかじっと1枚1枚眺めておられた方もいままで何人もおられた。布が語り掛けるような世界があって、私もその布が語り掛けるを感じることができるタイプなので、そのあたりが仕事をしているうえでも織物の技術だけではないデザイン的とか感性的な部分。林与の近江上布はぎれにしても残してあったのが奇跡みたいな資料ではある。それも与一爺さんのものづくりへの思いがあったから。林与ロゴも与一爺さんのつくったもので、林与の外の上の空いたカッコは、一で林与を囲んだデザインなのである。林与一という名前だから、林与ロゴができたのであって、他の名前だったら林与ロゴも存在しなかったかもしれない。
2022年08月10日
高齢で廃業される機屋さんを片付けておられる機料屋さんの話で、屑鉄の相場が60円から37円に下がったと。これは国内の問題ではなく、中国での建設需要が軒並み減ってきたということであろう。中国バブルの崩壊が実際に始まっているという話だろうと想像をする。

日本の場合の土地バブルと違うのは、中国の土地バブルは投機目的が多いといわれ、自分が住むのではなくて将来の値上がりを見込んで高く売るために買うという目的で、銀行に借金をして買うから、私のよくいう借金したら儲かる時代が中国に来たということで、それがすごく速いスピードで崩壊し始めているという感じだろうか。なんか日本のバブルと被り、早く分かって逃げたもの勝ちなのだけども、一度おいしい目をすると局面が変わってもそこから抜け出せないというのがよくありがちなパターン。

日本と違うのはスピードの速さで、日本は30年掛けて土地神話が崩壊したけども、中国の場合は2倍3倍のスピードで、マンションバブルが広がった。中国国内の物価の上昇も激しくて、たぶん、上海だと日本の東京や大阪と逆転してしまっているだろうと思う。ローソン、ファミリーマート、セブンイレブンが日本と同じように中国全土に展開しており、ドリンクやアイスの値段はもう日本と同じか日本よりも高いのが普通で、10年前はまだ逆転していなかったが今は逆転状態。

逆にいうと中国での生産が内需に向けられ始めていて、世界的にみると中国での生産というのはコストメリットはなくなってきたということで、中国もサービス業へのシフトが進み、先進国として輸入大国に代わってゆく流れになって来る。繊維製品の95%以上が海外製品である日本の繊維業界というのは、繊維製品に関しては、ベトナムへやインドでの生産への移行が進んでいるようではある。繊維製品の特長としては日本的なものづりは中国国内でも生きるということ、中国のファッションも欧米というよりはアジアンテイストで日本テイストなファッションに私は思う。中国でSMAPが人気だったとかもファッションテイストの一つである。そういうところは若い人たちはインターネット時代で国境を越えて敏感なのである。
2022年08月09日
8月5日に三宅一生氏がなくなられたということ。林与も昔にお取引のあったブランドで、布文化を大事に思ってくださるデザイナーで、日本の布文化を世界に発信しておられた。バブル崩壊後も、他のブランドが勢いが落ちる流れのなかでも日本を代表するブランドとして強く存在をもっておられたのも、日本の布の文化に対する強い使命感を持っておられたからではないだろうか。

林与の生地にしてもパリのコレクションで使っていただいた時には、生地をどれだけ魅せるかというところがポイントだったらしく、縫製の方には申し訳ない話だけども縫製にお金をかけるよりも、生地を使うことにお金を掛けるというようなことを大事にしておられたと聞いている。普通はデザイナーだったら洋服や縫製へのこだわりとかだろうに、布を布のままみせるような、布を羽織っているだけの衣装でもよいというようなコンセプト。布をデザインすることに力を使っておられるブランドの代表格。

プリーツプリーズなどにも林与の生地を使っていただいたのだけども、林与の織物への意気込みに賛同くださって使っていただいた感すらあった。先染織物の場合に色の濃淡などで物性の違いなどが出てきてどう問題を解決するかとか物性的な問題で頭を悩ましながらも取り組ませて頂いていたのを思い出す。アパレル向けの生地を一から作るような先染めの織物工場にとっては仕事らしい仕事だった。

林与も40代前半までくらいのころにそういうのをやらせてもらっておいて人生経験としてすごく有難かったなあと思う良き思い出で感謝の気持ち。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2022年08月08日
何もやらないで0よりも、何かやって終わってマイナスの方が結局意味があったりもする、と思うことは多い。何かやって終わってマイナスでも他の部分でプラスを作って成り立たせてゆけばよいみたいな考え方でいつもやっている。普通に仕事をこなす部分でプラスをつくって余力を作って、普通の仕事で生まれたその余力の分を普通の仕事とは違う部分に使うというやり方が一番理想だと考えている。

何かやるにしても、基本的な部分でプラスのことを軸にしていないと、夢を見ているようなことばかりに時間を使って考えていてもなかなか到達もしないし現実的でもないけども、新事業みたいな計画とかはそういうところを評価するようなところがあるので、それならそれでそれを一本に早めに実現してみる形をとるというのが良いだろうと思う。結果が悪かったら軌道修正してとりあえず目標に向かうとか。

林与の普段のものづくりもそんな感じで、お客さんの生地の企画をするときにも綿密な織物の機の規格なんてものを一生懸命議論しても仕方ない、織ってみて生機見てその生機がどんな感じなのかで判断するとかしないと、あと加工したり簡易的な洗いのテストをしたりとどんどんと現実に近づけてゆく。一つのアプローチだけでなく、いろんなアプローチを知っていることが大事で、それぞれの違いやどういう組み合わせがベストなのかを見つけ出すことが他と違うものづくりにつながったりもする。


林与の場合、やわらかリネンストールなんかでも市場最初に自社企画で作ったものなんか今も手元に残っているけどもそれが一番くらいに良い感じだったりもする。それも自分自身が家のなかで薬剤などを研究し洗いを掛けただけもものなのだけども、自分的には素敵に見えたりする。そういう生機を加工工場さんにお願いして量産向けに似たような仕上がりになる加工をお願いすると、そっくりとは違ってもそれなりに量産に向いたいい感じのテイストで上がってくればそれは一つの方法。

林与自身が柔らかリネンストールに没頭して、それまではリネンストールというと硬かったのだけども、柔らかいリネンストールを細番手リネンを使って生み出したパイオニアではあって、それが展示会を通じて全世界に広まったというような経緯もあったりする。ストールブームのピーク時には、ほとんどのリネンストールが柔らかいリネンストールの流れになった。

リネンハニカムなども今は普通になったけども、林与がPRに取り組んだプロジェクトの一つで、4枚ドビーでのリネンハニカムに取り組んで、PTJでPRすると、すごく簡単にリネンハニカムブームが生まれた。最後サンプル用にに取っておいた2mも、私の友達が欲しいと言われて譲ったが、その時は次に1年もあれば量産できるだろうと思っていたけども、なかなか作る時間を作るのが難しく、もう10年くらい経ってしまっている。海外輸出もできたリネンハニカムで思い出は多い。

またリネンの藍染プロジェクトも、それまではリネンというのは色落ちも激しいので藍染は案外避けられていたりもして、くすんだ藍染などが多かったのだけども、紺久さんとの取り組みで、リネンの140番手アイリッシュリネン本藍染ストールをお披露目した。それというのは奇跡的な一品で今もう私の手元には1枚もない。これはサンプルだから売れないといったのだけど展示会で海外のデザイナーの方が自分用に売ってほしいと懇願くださって、この人に使ってもらうのが良いのかもと思ってお譲りした。まだ再現できる自身の有った頃で、今はそういう夢的なリネンプロジェクトにしても、それよりも今の林与のお客様の仕事を優先して地道に作業していくのが大事。

林与の中でとりわけリクエストの多い十文字絣にしても、設備はあっても私にしか織れないような織物で、それも糸も完璧ですべてが整っていないと、ああいう芸術的な麻織物の世界というのは作り出せない。最後に織った100mほどでも、キズが多かったので、キズの箇所を減らすために私が数百倍の顕微鏡画面を見ながら、縫って5か所6か所を1週間ほど掛けて修正したりもした。将来日本であのクラスの麻織物が作れるのかと言おうと難しいだろうなあと思う。

リネンデニムなんかも、海外への輸出実績も頂いて、中国の第一回目の国際テキスタイルコンテストで総合の第3位を受賞出来て、リネンデニムもそれまでは難しいと言われていたものを量産に成功したのが林与で、世界中に広めた。尖閣諸島の問題の有った2週間後ことで、受賞したタイミングとしてはあまりよくなかったのだけども、授賞式も楽しみに出席して中国的な壮大な国家事業的なテキスタイルの式典を経験できた。

昔の林与の近江上布柄をプリントで再現する、林与ジャパンプロジェクトみたいのもやってみた、最初20柄は凄くうまく行ったのだけども、そのあとデータ作成する人が変わったりプリント工場の社長が亡くなられたりと、次の20柄は最初の20柄とは雰囲気が変わってしまって断念、仕事というのは人というのが大事でやっぱりいろいろとあるなあと実感である。

アイリッシュリネンハンカチプロジェクトも壮大なプロジェクトではあった、謎だったアイリッシュリネン紡績が来たアイル乱でにまだ存在するのかという問題の答えを出したプロジェクトで、倉庫で見つけた1970年代に購入したアイリッシュリネンの糸を織ってみたプロジェクト。

そこそこ良い感じの個性のあるものを作っただけでは、不発に終わることも多いのだろうけども、応援くださる方もたくさんいてくださって、つくればメディアに取り上げていただいてそれが日本の麻業界のトレンドの一つとなったり話題になったりで、応援くださる方に恵まれていたなあと感じることも多い。最近は、自分自身よりも次の人に譲って同じような経験を若いうちにしてもらいたいという気持ちではいたりするが、世の中にないような麻織物の一つのジャンルを作ったりするとかは、日々の仕事以上に超えた力が必要だったりもするので、普段の仕事の作業に意味を感じてできる人でないと、新しいジャンルの世界をクリエーションしたとしてもそれは普段の仕事の作業以上に何倍も重い仕事で、それを普通の仕事としてするのが高度なレベルの仕事をやってるということだろう。

林与の今のリネン織物の場合、定番のソフト仕上げシリーズを除いては、どれもが普通よりも少し以上は高度な仕事。定番のソフト仕上げシリーズも生成となるとシャトルで織るので色ムラの問題をなるべく出さないために高度な仕事の要素もあったりしてそういうの普通にできないと定番のソフト仕上げシリーズですらも織れない。そういうのが林与の織る人によって同じ織物で答えが違ってくるようなあたりのモノづくり。
2022年08月07日
左腕の触ると痛いのは更年期障害というやつだろうか、よく年配の人が節々が痛いみたいな症状が、私の左腕に出てきているのか、左腕というと子供のころから剣道やってて一番使っていた部位ではある。それが今、仕事でもモノを運ぶときくらいしか力を使わなくなって、筋肉なんかも衰え始めているのが影響をしているんだろう。

逆に仕事が目の前にあっていろいろと重いものを運んだり、作業したりを当たり前にやっているうちというのは、大丈夫だろうと思う。そういうのやり続ける人とやらない人の差というのは大きいだろうなあと思う。

昔、中国で新幹線に一人で乗ったときに全部指定席だって、通路を隔てた隣が20代くらいの女優のような女性で、その横が子供をつれたお母さんだった。子供をつれたお母さんは子供がその女優のような女性の席を取ろうとしているのを取ってしまったら得だと考えているようなお母さんで、どうなるんだろうと見ていたら。

20代のくらいの女優のような女性は子供に自分の席をあげた。全席指定席だから自分が座るところがなくなるのだけども、嫌な顔も見せずにもめもせずに立ち上がって、子供はその席に座って勝ち誇ったようである。乗務員が来て注意でもするような感じでもないだろうはその女性はたぶん、空いた別の席をもめずに買うつもりだろう。
2022年08月05日
今日はこの半年ほど気になっていた織機の問題を織機を分解して解決。どこが原因かまず分からなかったので、織機のそれぞれの部分がその問題と関係あるのか見て行って、見えないところは分解して確認して見て問題がないか判断。そうやっていくうちに問題の箇所が見つかってそこを直したら直った。

ずっと気になっていた問題がようやく解決してその織機を使うのも注意せずに、他の織機と同様に扱うことができるようになった。ほんと時間がなくて、そういう問題もじっくりと見ている時間がないのである。次々とやらないといけないことが迫ってきていて、どこまでやれるかとの戦いみたいなところがある。考えている暇がないので、直線的に作業に打ち込む。

今日は朝は、空腹感の中での仕事、体も軽くて次々とものごとが進んでゆく、お腹がすくというのは煩悩的なことの一つでそれを我慢して克服した状態だと他の暑いとかも消え去って、ただ目の前の物事を前に進めることだけに集中ができる。

私が苦手なのが、不毛な会議とか、企画会議しているくらいならベストそうなアイデアを試しにやってみてそれが駄目なら改善していくということが結果が分かりやすい方法。昔から、私が考えても、何十年の人たちでもその考えたことを言った通りにはやってはくれないということが多く、それは私の親とかでもできないような話で、私が私自身で作業するとその思っているものができるのだが、他の人には同じように同じものを作ることができないことが多い。

頭で考えたことをそのまま形に出来る人というのは少ないのである。それはまず理解できないという問題もあるだろうし、理解したくないという問題もあるだろうし、特に年配のひとだと若いものに指導されるみたいなことが嫌だったり、できないところを見られるのが嫌だったり。私がミシンを習ったのも最初2時間若い人からで、シャトル織機の修理は最初から自分でやったが織るのは若い人から1時間習った。縦繋ぎも30分ほど。若い人も私がすぐになんでも覚えるのでびっくりして私が能力あるって分かるけども、私がそういうのを見せないと私が仕事ができないで偉そうみたいに思われたりもする。

年配の人というのは若い人に教えることはあまりなく、触るな触るなと偉そうにいうひともいるけども、そういう人は大したことをやっているわけでもなかったりする。そういう偉そうにいっている人ができれば任せるができないから、織の専門でもない私が解決しないといけないことも多かったのである。当たり前に問題を問題のあるまま進めてしまうようなくらいなら後で大きな問題になるから仕事は無理な世界なのである。
2022年08月02日
長栄座のイベントもプレゼントのキッチンクロスを作るだけでも時間を使ってしまって、夜中から手織りの整経を初めて織機の準備をしたりと、ぎりぎりのぎりぎりの作業。キッチンクロスを洗って乾かしたりにもこだわりがあって、植物系の天然の薬剤しか使わないナチュラルな加工で仕上げ、アイロンも掛けずにリネンの良い雰囲気そのままを見てもらって選んでもらう。

今回ブースのディスプレイには時間がなかったので、他のブースよりはブースのみたくれがわるかったけども、手織り機2台と、テーブルの上の山積みのキッチンクロスが、そして若い女の子二人がブースを盛り上げて、たくさんの方に林与の存在を知ってもらえた。

そしてキッチンクロスは、2年、3年とお家で使ってもらえ、日本の麻織物の本場、近江の特産品の麻織物の良さを実感してもらえる。リネンが好きな方は大喜びしてくださるし、リネンが初めての方も林与のキッチンクロスで麻のふきんとしての良さを味わっていただけたらと思う。

林与のキッチンクロスは、案外、洗って干すのを楽しみにしてくださる方も多く、使っていくうちに段々と柔らかくなって馴染んでくる。汚れたりもするけども、使えば使うほどに捨てるのがもったいないとおっしゃってくださる方も多く、一度お買い上げいただくとヘビーローテで使っていただいても長持ち。

普通の綿パイルのタオルや、綿の布巾とは違う、リネンのキッチンクロス。林与の工場の中の旧式のシャトル織機で1時間に2mくらいのスピードで織っておりまして、近江湖東産地の老舗の麻機屋の一品です。ばたばたしながらも来場者の方々に楽しみを感じてもらえるようなロビー展示になったこと、また多くの方が林与のキッチンクロスをお使いいただけること、林与自身すごくうれしかったです。
2022年08月01日
長栄座のロビー展示で、地元愛荘町のお客様から、旧秦荘町の蚊外にある金剛苑さんが閉館されたというお話を初めてお聞きして驚いた。川口織物さんが運営されていたのだけども、観光バスで他県からもこられてお昼ご飯を食べてもらうのだというお話を、川口織物の社長が林与にみえられたコロナ前のころにお聞きしていて、6月とかに毎年生地の特別セールをやったりもするとか、地域の拠点づくりにも昔から動いておられて実際のお客様対応や広い敷地の管理など大変だろうなあと思っていた。

川口織物さんも若社長が現場で本麻織物を織っておられるというお話を聞いていて、私の若いころの苦労と同じで大変だろうなあと思うばかり。もう年配のベテランの現場の方も引退されたのではなかろうか。本麻関係の需要規模も相当小さくはなっているけども、若い世代のひとが引き継いで産地に残して行くというのは産地全体としても大事なことだと思う。そういう麻織物の文化がどういう形で産業的に残っているのかというと、それぞれの会社が現実的な織物の仕事をすることで産地の特色が残って来たし残ってゆくだけのことだろうと思う。

林与は今は地元の麻関係の組合には所属していないので、地元の業者さんのことも知らないことが多かったりで、それでも織物の業界の同世代は一つ前の世代の拡大期で羽振りが大きかっただけに、その後の片付け的な縮小期での仕事人生ですごく苦労されているので、その分気の毒だなあと思う。林与なんかは先代が亡くなったときに、途方に暮れるでなく、昭和的な繊維産業の感覚からの脱皮で会社の立て直しから、これからは自分がやると割り切ったのが正解で、やれることはすべてやってみようという姿勢でそれに共感してくださったのは、全国の人々また海外の人々。

自分が布を見る目があるのかないのか、それって本当に大事で、それは私が作った布が展示会などでハンガーラックに私が良いと思うものと普通のモノを一緒に200点くらい掛けておいて、私の良いと思うものをどのくらいのデザイナーさんや素材の発掘のプロが選んだかというのが参考になる。テックスワールドパリでは、林与のブースは一番小さかったけどもクールで高級なイメージだったと自分では思った。

2012年のパリの展示会でも、初日の最初初日旭化成の方と30分くらい話していて、次は繊維ニュースの記者の方、ホントの最初のお客様が外でじっと外で待ってくださってるファッション系の学生さんなのかなあと想像する。服を自分でつくっていると、自分の今年のコレクションブックを私にこんな服をつくってるんですと見せてくださる。ナチュラルテイストな良い感じの作風。その方が言われるには、ヨーロッパには良いリネンがないから、今日は良いリネンがみれて本当に幸せだと言ってくださる。アイリッシュリネン生地をすごく気に入ってくださってでも値段が高すぎるので無理だと、なんか、誰か分からなかったけども、すごく林与のアイリッシュリネンことを気に入ってもらえたので、1枚だけディスプレイ用に持って行ったアイリッシュリネンのハンカチを記念にプレゼントした。当時ベルギーで一番有名位な天然素材系の人気のデザイナーで日本でもブランド展開されていたソフィードールさんだった。私もヨーロッパでのアイリッシュリネンのことを知りたかった調査的な展示会出展だったので、いろいろと聞いたけどももうヨーロッパには良いリネンはないというようなお話だった。

私自身が麻布にもつ良い感じというのは、それが林与の麻布のテイスト。布というのは言葉みたいなもので、デザイナーたちに語り掛ける。布がデザイナーたちに語りかけるものは多いと思う。林与の中にヨーロッパが失ったリネンの良い感じが残っていたりもして、ブランドの古参の方や重鎮の方が他の方に紹介してくださり、林与のブースを見てくださるケースも多い。私のものづくりだったり、先代のものづくりだったり、おじいさんの近江上布のものづくりだったり、と日本の近代以降の麻業界の歴史を凝縮したようなものづくりを海外のかたに見てもらえるのが林与の海外でのプレゼン。今の生地をかってもらうよりも日本の織物のものづくりの世界を知ってもらうというのも展示会に来られた方にとっては意味のあることではないのかと思う。そういうのが林与の本当に強いところで、林与のものづくりがリネンの本場ヨーロッパの方にも評価してもらえるあたり。JETROの商談会でもロンドンの生地やさんが、林与の近江上布のはぎれをみられて、アイリッシュリネンなんて忘れたほうが良いといわれ、林与の近江上布のはぎれを宝もののように思ってくださるとか。
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