for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2014年5月
2014年5月
リネン日記:28
2014年05月31日
この数年、PTJでお客様が途切れることがなく続いているのも、リネンブームが後ろにあろうかとは思うのですが、それ以外にもほかの方からのご紹介で弊社ブースにお越し下さる方が多いのです。私自身も、日ごろから、弊社では難しいなあという判断をしたときには、同業他社さんをご紹介することも多いのです。

その方が求められるものにたどり着いてもらえれば、それでよいのではないかという思いがあって、その方が早く解決にたどり着かれることを望んでいたりします。それは普段、何か自分がやろうとしてもなかなかスムーズに進まないことも多いので、迷っておられるよりは、思い切って解決に向かわれたらというアドバイスだったりもします。

仕事としてやるなら成功ばかりではなくもちろん失敗もあろうかと思うので、失敗が何度かで解決に向かうならやる価値はありましょうが、失敗のまま終わりそうなら別の方法を考えるのが大事でしょう。そういう意味でベストな組み合わせとなるようなアドバイスを提案してあげることが大事だろうと思うのです。

林与自身は、麻織物に関しては一つのガチンコなスタイルを持っていますが、それがすべてに通用するわけでもなく、産地とか関係なく手ごろな麻生地を探しておられる方には、切り売りのお店で探したほうが問題解決の近道だったりすることも多いかと思ったりして、切り売りのお店をお勧めしたりもするのです。

今日は、阪急うめだ本店でのテキスタイルマルシェの反物の出荷を朝から行いました。小巻ですが、200反くらいの生地を持ち込む形で、特色的なものは見ていただけるだろうと思います。PTJに引き続き、多くの皆様とのお出会いがあること期待しております。
2014年05月30日
今日は夕方から彦根の組合で総会があったので、それまでに急ぎの仕事を済ませます。ここ数日、ハニカムのキッチンクロスを織り進めています。時間を見つけては一枚一枚を半分手織りのような状況でシャトル織機で織っています。伊勢丹三越さんのくらしものさしプロジェクトのアイテムの一つとして今織らしていただいた分も6月中ごろには伊勢丹新宿本店、銀座三越、日本橋三越店頭に並ぶのではと思います、ご覧くださいませ。リネンをハニカムに織って多色ボーダーに織ったもので珍しく、キッチンが華やかに映えると思います。

林与のような機屋がこういうチャンスをいただけるのにも、裏には織物業界を取り巻く厳しさがあり、麻機屋なんて絶滅危機業種であるからだろうと思います。最近も1件の機屋さんが機を止められるというようなことを聞いて、また、別の機屋さんもそろそろ高齢でというお話。本場の麻織が風前の灯というのも厳しい話だなあと思いますが、麻が人気で他産地のほうが麻を織って若い世代が元気にされているのを見ると、この産地では昔のように引き継いでいくことの難しさというものを感じるものです。

もうこれほどまでに小さくなった麻織の本場ですので、やれることくらいは精一杯にやってみてとは思うだけで、林与も動いてはおり、そういうのを評価いただけるケースが増え、いろいろなお仕事いただきありがたいです。今回織っているキッチンクロスも、私自身の一生の思い出となるような経験で、ストールに引き続き、キッチンクロスも定番商品として、末永く織続けて生きたいと思います。
2014年05月29日
昔、NECが98という機種をつくっていました。エプソンが互換機を投入してきて、コピー商品だと叩いたのですが、結局、NECも今は、IBM/ATというかDOS/V互換機製造メーカー。現実社会では、何が正しいのかということは力関係で決まることのほうが多いようです。

サラ金にしても何十年も莫大な利益を上げてきた業種ですが違法となった途端、どこもの業者もがお金を返せない状態に。うまく渡り歩くのは、両方を食い物に出来るマスメディアと弁護士だったりするのですが、そういう常に勝ち馬に乗ろうとするものというのは商売上手ですが、周りから見るとかつての加害者そのもの。

これと同じことが政治の世界でも当たり前に、自民が調子のよいときには自民党、民主党が調子のよいときには民主党。中身がないことが一番の利益に繋がり、船が沈みそうになると一番に逃げ出す船長タイプも多い。そういう船長は非難されるがマスメディア、政治、ビジネスの世界では勝ち組って結局そんな感じじゃないのか。

つくり生み出すことが仕事でなく、取り合うことが仕事となると悲しいなあと思ったのが、ある小学校での出来事。女の子がミシンを準備して、それが出来た途端、周りで遊んでいた男の子がそのミシンを使い始める。その女の子は一番最後チャイムが鳴ってからミシンを使い始める。その光景をみて、その子達がというよりも、今の大人社会の縮図を見るようで侘しかったが、この女の子が一番強いのを感じた。
2014年05月28日
今日は駐車場に1時間ほど止めた車の車内が暑いこと、新鮮に感じて、こんなんが嬉しく思えるのですから馬鹿ですね。外は昼過ぎだと30度くらいまで上がっているようで、もう春というよりも夏ですね。

日本も砂漠化してきていて梅雨がなくなり始めています。これは、ダムを作りすぎた影響もあろうかと思うのですが、砂漠というのは悪いイメージがあろうかと思いますが、実際には水さえ手に入れることができれば過ごしやすい気候なのです。ただし、日本人が砂漠的な生活を求めると日本情緒がなくなります。

今は前栽のある家も少ないとは思いますが、日本人の道楽の一つに前栽というものがあり、木にお金を掛けて楽しむという価値観がありました。林与の家にも前栽があり、松、梅、紅葉のほか、普通の家の前栽にあるのはおかしいような大きい目のもちの木があったりします。

前栽というのは子供の頃から意識的にあまり入って遊んではいけない場所のような気がしていましたので、家の中から眺めていることが多かったように思います。今も忙しすぎて家の前栽を振り返ることもないですが、家の中に四季を楽しめる空間があるというのは非常に贅沢なことだと思えます。
2014年05月25日
今回の展示会では、林与ながらもストールとワンピースなどの製品展示を主体とした展示方法を取りました。私自身は非常にお客様には好評ではなかったろうかと思うのです。リネンの細番手のよさというものをアイテムを見て手に取っていただくことで、現実味があろうかと思うのです。

林与がこだわっているのは柄だけではなく、リネン素材そのもの。触っていただいた方には感じていただけたでしょうか。細番手リネンをふっくらとした仕上げにしてウォーターレッティングを思わせるようなビンテージ感を出しています。これがまた林与ジャパンプロジェクトの和柄ともよく合うと思うのです。このリネンすごくコンフォートで、林与がビンテージリネンに追い求めていた風合いに似ているのです。

私がこのような風合いにこだわったのも、今までヨーロッパのブランドさん相手に、どんな素材を捜しておられますかと聞いたときに、林与に求められている素材というものは、イージーケアのシワになりにくいリネンという基本的な命題でした。それをクリアすべく、取り組んで生まれたのが、今回のビンテージライクなクオリティ。薄くてもふっくら感があるのが特徴です。

ご興味のあられる皆様は、ぜひ、林与ジャパンプロジェクトのストールをお試し下さいませ。展示会でも非常に好評でした。林与ジャパンプロジェクトのアパレル向け素材もネットで販売をする予定です。
2014年05月24日
PTJの二日目には、上島佳代子先生がお越し下さり、12月のハーベスト展のときに上島先生のレジンの本をプレゼントしてもらって、布をレジンに閉じ込められないのかということをお尋ねしていたのですが、林与が織ったブルーのキッチンクロスを花形で閉じ込めたレジンをいただきました。hayashiyoという文字も中に閉じ込めてもらってて、ありがたや。






2014年05月23日
今日は、イタリアのミラノウニカの説明会が赤坂のJETRO本部であったものの、会場に遅刻して到着して、JETROの7階で会場を見つけられず、結局、終わったタイミングで会場到着。イタリアに行くために飛行機の便を決めたり、いつ会場入りするべきかなど、事務局の方から個別に説明貰ってなんとか助かりました。

その後、アドバイザーの方との個別面談でも、林与の強みを打ち出していけばよいというアドバイスを貰ってそれを実行しようと思っております。MUやインテキ上海は秋冬展ですが、林与らしく、麻100%リネン100%で攻めていきます。海外の春夏展であっても、麻やリネンの会社というのは非常に少ないものです。また、一年中麻織物を織っている会社というのも日本ででも珍しく、そういうのは逆に強みではないかと思うのです。

リネンの超細番手に近江上布プリント柄を載せただけでなく、スーパーコンフォートなリネンに仕上げてみました、林与ジャパンプロジェクト。ターゲットはリネンの本場ヨーロッパ。ヨーロッパのリネン通たちをうならせることが出来るのか、どうか。秋冬展にリネンで出展すると、リネン愛好家のブランドの皆様には一年中リネンを探しているということで好評であったりして悪くはないのです。

滋賀県のある駅の近くのSPAのお店で、「麻」を大々的に謳って売りが始まっている。モダールのストールとリネンのストールが同じ場所で販売されている。モダールはトロトロ。リネンはカチンコチン。これでは、リネンを選ぶ勇者探しかみたいなリネンに不利な状況。「麻」を謳いながらも、円高と海外でのコスト高からか番手にしても太いものを薄く織るようなクオリティダウンでのコストダウン、SPA商品のリネンの品質が高くなっているのを感じていただけに残念に思う。そういうカチンコチンのリネンでも最初硬くても、使いこんでいくと風合いがよくなってくるものだろうけど。
2014年05月22日
今日はプレミアムジャパン最終日、朝早くにホテルを出て、朝ごはんに、おにぎりとサンドイッチを購入する。東京の八百屋さんというのはおしゃれにしてあり、でも中で売っているものの値段は滋賀県よりも安いのではないかと思うくらい。

会場について、朝一番に、以前、洋服のブランドのお店で弊社担当をしてくださっていてご自身で服飾のものづくりされている方がお越し下さいました。林与が出展していることを知って下さってわざわざ顔を見に来てくださって、どうしておられるのだろうかと思うときがあっただけに元気そうで何よりです。

今日は、PRESSの腕章をつけた「STYLEなんとか」という会社のアメリカ人っぽい女性が、名刺を差出し写真をとってよいかといわれるので、取材かと思い許可をあたえると、自分の体の陰にカメラを隠して私たちから見えないように近江上布の生地の柄を撮影されている。プレスとしての通常の撮影だとよいが、この盗撮的な行為は完全にアウトだろうと、撮影した画像は、プレス用途以外に撮影をした画像を使用してはならないと注意したら慌てられているが、あとで調べるとクリエイティブを売りにするデザイン関連の会社、大手企業相手にデザインをデザインのプロに売る会社がPRESSの立場でデザインを盗撮しては駄目だろうという基本的な部分。今後、このような行為がなくなるように「STYLEなんとか」は姿勢を正していただきたい。(不快な5分ほどのことでしたが、ほかの出展者の方にもこの会社には注意してもらえるよう書き留めておきます。)

新しい林与ジャパンプロジェクトの提案で動いた今回のPTJ、みなさんが、林与さんのところはいつもお客さんがいて盛況でしたねえといってくださるほどで、ありがたかったです。いつもお付き合いいただいているお仕事での皆様もわざわざ足をお運びくださいましてありがとうございました。

夜は夜行バスで滋賀に帰宅し仕事、明日は再度東京に戻り、午後からの説明会。
2014年05月21日
今日は、プレミアムテキスタイルジャパン初日で早朝に夜行バスで到着。雨がすごくって、来場者が多いのか心配でしたが、どこのブースもお客様がおられる状態が続いていたのではなかろうかと思います。

ミラノウニカに関する記者会見があり、公式に出展企業が発表され、林与も出展させていただけることになり、これからどのように展開するのかが楽しみです。ミラノウニカ会長のシルヴィオ・アルビーニ氏が、弊社ブースにも来て下さり、リネンの細番手で展開する林与ジャパンプロジェクト(近江上布プリント柄プロジェクト)などについて説明させていただきました。

ほかにも今日は昨年インテキ上海で林与のブースに毎日来てくださった上海のリネンに特化した企業の女性社長が娘さんと一緒に来てくださって、私にとっては予期せぬ出会いで、向こうも私をみて覚えてくださってて驚いておられ、懐かしいお出会いでした。早速に林与ジャパンプロジェクトのストールをみて気に入ってくださり、ご自身用と娘さん用に2枚買ってくださいました。商売として売るとかではなくて、自分用に気に入ったものを選んで下さる。娘さんの着ておられる紺のワンピースに赤い柄のストールが映えていい感じで、周囲のもの全員がよく似合うという感想、モデルさんみたいいい感じでした。林与ジャパンプロジェクト中国に向けての最初のスタート。今度またインテキ上海でお会いできること楽しみ。

今日一日、お客様がほとんど途切れることなく続き、リネンの人気の強さを感じます。林与ジャパンプロジェクトは、プロの目にもいい感じに受け取ってもらえ、よいスタートを切れてよかったです。
2014年05月20日
今日は、朝から帽子に使う素材をお探し下さるお客様。林与自身は帽子素材というものに対しての知識も少なめなのですが、薄い感じのするアパレル素材も裏地を張ることで使えるということで、帽子素材という新たなチャンネルを経験できる感じもします。帽子の老舗のものづくりなので、林与の中でも産地の味のある感じの素材をピックアップくださいました。

お客様を駅にお送りしてから、林与パンフや名刺のプリント。工場の中では数日留守にするために終えないといけない仕事を進める。プリントする生地を出荷しないとならないことがあり、夜8時半に佐川に持ち込むもトラックが出てしまったということで、栗東のクロネコの翌日9時到着便を使う。会社に戻ると10時前、やはり、今回も展示会出発準備は1時間でやってしまわないとならない状況。

スーツケース3個に詰め込んで、夜行バス出発時刻の数分前に集合場所に到着。なんとか間に合った。
2014年05月19日
昨日は昼からアナフィラキシー症状でダウン。パンを食べるのを注意するところを、敢えて、今朝の朝一番に昨日と同じパンを食べて仕事をしてみる。今日はまったく大丈夫。私の考えでは、体の中に抗体ができているので、しばらくの間はアナフィラキシーは起こらないのではないかという理論。この状態でそのパンを食べ続ければ、体が順応してそのパンに対してのアレルギー反応が起こらなくなるのではないだろうか。

アナフィラキシーには、効果的な治療方法はないとされているけれども、風邪と同じで1年に一回抗体を打つようなことをすれば防げるのではなかろうかと思ったりもする。サンドイッチのパンはいつも大丈夫というのも、毎日食べているので、抗体ができているのだろう。種類が変わると危ういのかもしれない。

私の場合怖いのは、展示会に行くときで、重いスーツケースを2つ以上持っていく場合に、歩いているだけでも非常な運動。お腹が空いたと思って、旅先でパンを食べると体が運動中で小麦が体に入るのでリスクは非常に高い。パンだけではなくうどんでも起こったことがある。久しぶりにチェーン店のうどんを食べたときに、ハンバーガーでも起こったことがあってそれも久しぶりに食べたときに。

でも、これも陰と陽ではないのかと思うところ、一年のうち350日以上元気にしているのだから、1日、2日、大きなマイナスがあって、バランスが取れるというもの。もう一つ思うのは、地産地消に似た概念で、自分が慣れたものを食べ続ける、使い続けるのが安心ということだろう。

夕方、仕事をしていると事務所にお客様、おはるばあさんの娘さんで、おはるばあさんが亡くなられたそう。おはるばあさんは、林与の前にある家から隣にある家に嫁いだ。伝統工芸師の勘一じいさんと一緒に、林与の身内として林与で麻織物の仕事に従事。

仕事を引退されてからは、愛荘町の特産品の一つ、瓶手まり細工などもやっておられて、お邪魔したときには、瓶手まりがなぜ瓶の中に入ることができるのかの秘密を教えてもらった。おはるばあさんに教えてもらわなかったら、そのからくりをしらないままだったろう。

2014年05月18日
昨日は、運動誘発性小麦アナフィラキシーで、午後からダウン。今日は朝、避けるでなく同じパンを食べてみる。私の考えでは、体の中に免疫が出来ているから大丈夫という理論。今日も昨日と同じようにパンを食べた後仕事するが大丈夫そう。パンにしても毎日ほどに食べているけども、昨日、なぜ、極端なアナフィラキシー症状に陥ったかは疑問。

一度、アナフィラキシーになると1年ほど免疫が持つのだろうか。この一週間パンを食べて運動したりして試してみたい。アナフィラキシーでリスクを背負っている人も抗体を接種することで1年ほどそのリスクがなくなるなら、解決方法がないとされるアナフィラキシー症状を風邪と同じく解決できるのではないだろうか。

今日は、キッチンクロスを織っていて、なぜ、織筬に、1本ではなく2本通しにするのかということを織物を最初に経験したときになぞだったことを思い出した。機屋なら普段だれもが普通に2本通しにしていることが多いと思う。私自身は、今はその答えらしいものを持っている。郷に入らば郷に従えで、うまくいっているものはそのままにしておくのがよい。素直に先人の積み重ねに従うことも仕事をしていくうえでは大事、先の人が表に使った筬は常に表を同じに使う、裏表ひっくり返して使うと新たな問題が起きたりするものだ。
2014年05月17日
お昼にパンを食べてシャトル織機をどったんばったんと動かしていたら、久しぶりに、アナフィラキシー症状。サンドイッチなんかはいつも食べていて場合大丈夫なのだが、今回は珍しく駄目。お風呂につかって症状が落ち着いて、元気に仕事のできることの喜びというのを感じることが出来た。人間というのは不思議で、逆境というものは必要だろうと思う。

今回のプレミアムテキスタイルジャパンでは、中国からJ VIEW FASHION CO., LTDという企業が初出展されます。弊社とは仕事では取引などなく関係ない企業さんですが、昨年のインテキ上海で社長が弊社のブースに来られ、日本語でご挨拶くださり、ものづくりの熱い気持ちが伝わってきました。よいテイストで中国のテキスタイル業界を引っ張っておられる方です。

というのも、私自身が数年前のインテキ上海で中国企業のブースを眺めたときに、私の眼に一番面白いものづくりされているなあと思えた会社で、独自っぽく開発されているのでものづくりのセンスが感じられたのです。昨年、社長の名刺の会社名で思い出しました。プレミアムテキスタイルジャパンにお越しの方は、ぜひ、J VIEW FASHIONのブースも眺めてみてください。今の中国の天然素材開発の最先端が見られます。
2014年05月16日
今日はよる出荷の帰りに月の光りをみて、光と影というのは、陽と陰、太陽と月のことだなあと思う。太陽の光りというのは、月に跳ね返るだけでこれほど明るい。太陽から出た光りというものが、月に当たっている率というものは、無量大数分の1でしかないだろう、また、その反射の光りですら生きている。

人は光の中で生きているように思われるが、太陽の光りは強すぎて日干しになるほど。結局、人は一生のほとんどを影を求め生み出し影の中で生きているということになる。それは木陰かもしれないし、建物かもしれないし、衣服かもしれない。
2014年05月15日
PTJの案内状がまだ出せていなくって、いろいろな皆さんの来春の企画が始まりつつあるころで、お電話いただいてPTJのときにということで、皆さんの予定をお聞きしていると21日に皆さんお越しということで、すでに21日は予定が埋まりつつあります。22日の日の予定はまだ空いていますので、22日だと新しいお客様とも、まだじっくりとお話できるかと思っております。

22日に私とお話したい方おられましたら、アポイントを事前にとっていただくほうが安全ではないかと思います。いつもの傾向ですが、昼過ぎから混む傾向にあろうかと思います。22日の最終の17時30分以降も予定が入りました。ブースにおきましても、アポイントのあるお客様を優先させていただきます。小さな会社で、質問などに対応できるものが林与自身だったりしますのでご理解下さいませ。

夜はジャガードの紋紙と格闘、ジャガードが食べてしまった紋紙を救出すると、ペコペコな状態。アイロンで蒸気を使って伸ばしてみる。1400本の大柄で紋紙というのはなかなか厳しいなあと実感する。でも、紙の紋紙にも長所はあって、デジタルが苦手な人でも扱えるということ。特に切れやすい麻の場合には、紙の紋紙のほうが手に伝わる感覚に頼れるので、よいところもあるんじゃないだろうか。慣れれば一緒かもしれないが。
2014年05月14日
今日は誕生日、例年だと誕生日も忘れているが今年は45歳というのも覚えていた。自動車免許の更新が必要でちょっと前から気にしていたから。人生の半分くらいに差し掛かっているのか、40でも同じように思った。50歳、60歳の人と話をすると年をとるごとに仕事でもできることは急速に少なくなるのを感じる。特に新しいことに挑戦するということは難しくなるだろう。

田舎の小さな会社なのでできることも限られているなあと思うけども、やるかやらないかは自分次第だと思う。普通だと難しいようないろいろな良いご縁にも恵まれていて、特色のあるモノづくりを続けていける形を保っていられる。産地でも特色をもってものづくりをしていた代々の機屋さんが次々と廃業をされていくのを見ながらも、自分の会社がまだ、麻を織り続けていられることは幸運だろう。

夜には作り直したジャガードの紋紙の金属の爪の片方がなく、仕方無しに、ほかの壊れた紋紙などの爪を外して再利用。再利用は非常によいことなのだが、時間に追われている中でこの時間のロスは厳しい。

紋紙も紋紙のベースとなる紙のメーカーの在庫がなくなってしまって、海外の紋紙を使用することに。一部が破損したときに、古い紙と新しい紙を貼り付けてもうまくいかないことが多いということらしく、しばらくジャガードを使っていない間に、弊社のジャガードにとっては非常にピンチな状況となってしまっている。
2014年05月13日
今日は午後大阪、プリント終わった生地をとりに行き持ち帰る。作業を詰めてもらって、なんとか夜の段取りに間に合う。PTJを目標にアイテムつくりをしているので、PTJにお越し下さる方にはご覧いただける予定です。

今は日本ブームだといわれています。悲しいことではありますが日本を襲った東日本大震災が世界が日本に再び関心を寄せるきっかけになりました。そのこともあって日本のオリンピックも開催が決まり、より関心が高まるものと思います。

私は小さな頃から剣道をしていました。実際の練習なども相手に合わせて譲ることも大事というスポーツです。もともとは大陸から渡ってきたテコンドウから来ていると考えるのが正しいようですが、目の前のものは敵で手段を選ばず負かすべき相手という形から、日本人の文化や歴史とともに変わり、精神育成のための礼儀を重んじるスポーツとしての剣道という形に至っています。

私の地元でも、剣道の愛好家が練習を始めたところから始まって、大人が子供にスポーツを教える精神というのもお金のためではないので、どんなに厳しくてもそこは意味のあるところだろうと思うのです。私も商売として仕事をしていますが、普通以上に全力で何事にも取り組めるのはそういう剣道を学んだことから来ている気もします。

私は、オリンピックに剣道をとは思いません。オリンピックは商業的すぎて、今はオリンピックというのは金儲けの道具でしかないのかなあと思います。メダル、メダルで、勝つことだけに意義を感じるというのも、本当に日本らしいのかと思うところ。

一例で、オリンピックの柔道で審判が間違えて日本選手の有効を相手選手の有効とつけてしまいました。日本ならそんな審判のミスは少ないと思いますが、それが国際的なオリンピックの水準だろうと思います。審判だって選手とどうように緊張しているもので、ミスはあって当然で、ミスジャッジも受け入れる覚悟で試合に臨まなければと思います。

日本チームが審判の判定に抗議したところまでは、問題のない行為だと思いますが、審判も意図的でなく勘違いをしたのです。その場で終わらずにグダグダと審判の判定ミスだというのを引っ張るのは逆に失格だと思ったりします。判定ミスも意図的でなければ、180度反対の結果になってしまうものの、仕方のないことだと思えるような清さも大事だろうと思うのです。

オリンピックのような場所よりも、少年スポーツの場でその清さを学ばせることが大事で、大人がオリンピックのような子供たちも見ている場所で少年たちにその醜態を見せてはなりません。スポーツだとミスジャッジはよくあることで、意図的なミスジャッジでなければ、それを審判に説明しても覆らないときにはどうしようもないので潔さが基本です。

子供のころ、剣道の団体戦で、相手チームの選手がこちらのチームの一本に拍手を送っていて、初めての経験で奇妙に思ったことがあったのですが、剣道を通じて敵か味方でしか判断できないというのが育っては駄目だろうということを考えると、相手の一本でも素直に上手だなあと思えれば拍手を送るのは自然なことだろうと思います。自分が相手に一本取られて審判が一本と認めないのを期待するより、一本とられたときに自分から参りましたくらいでよいじゃないですか。やっている人たちには外からみる以上に勝ち負け分かるものです。仕事なんかは審判がいないので、それの分かる人同士が仕事をしていないとドロドロの勝負になります。
2014年05月12日
ドビーのパンチカードの穴が一列だけ数ミリずれていて、ヒガエがうまくいかない。私がパンチカードも空けて作っているので、私の責任なのだが、織っているものというのはなかなか何が原因であるのかというのは、管轄以外はノータッチだったりする。

日本でも織る人と準備する人とが別の会社もある。縦糸を繋ぐのも別の会社の人が来て繋ぐのが当たり前になってしまうと、織物における大変な仕事をほかの人がしていることになる。

世界的にみても織物の基本である経つなぎできる会社というのは少なくなっている。日本では織物の作業の機械化が進んで、機械任せになってしまい。織物を織る人が織物が織れないと駄目だという基本すらもが、機械が調子悪いから織れないで終わってしまうのだ。
2014年05月11日
早朝に車で農道を走ると太陽が眩しい。空気がいい感じ、滋賀の田舎なんて戦後の人世代が終わろうとしている今、集落は過疎化が進み、昭和40年代の子供の頃とさほど変わらない町並みが残っている。

もう、スズメなんかは少なくなってしまったが、たまたま今日はキジバトが物干し竿の上に止まっていた。食べるものを見つけることも難しい環境の中で、野生の生物は生き残ってほしいものだと思う。野生の鳥を見るだけで新鮮な気分になれるというのも日本の今の現状だろう。鳥だけじゃなく人も同じだろうと思うところがあって、野生の鳥みたいな人が少ない。

高圧の電気料金が2割ほど上がる。形上は自由契約の同意にもとづくものらしいが、契約を受け入れないと電気をとめますよという主旨のもので、独占というのはやはり殿様商売をもたらしやすいだ。原発に傾倒した電力会社も電力行政も失敗しても尻拭いもその利用者というのは理解ができないがそういう体質が結局は、一番怖いのが、放射能漏れを隠匿し何百万人の国民の生命すらも危機に脅かすこともへちゃらなのに繋がる。子供たちが、事故直後の高濃度に汚染したものを食べるのを少しでも防げたのに、2次被害まで生み出してどうするのか。チェルノブイリ未満かもしれない。2割上がるのがいやだというのではなく、原発をやめて、原発行政のどうしようもなさがなくなるなら、天下り保安院なんの役にもたたないのを廃止して経営努力し、それでも苦しいというなら、2割、3割上がってもよい。それが出来ないで殿様商売がつづく公共性もかんがみ国有化も必要だろうが、国有化されるとさらに殿様になるだけだろう。

原発も運用している人の精神が正しければ事故後の被害でも最小限に食い止められる。でも、一人の人間が野鳥のように存在することが難しい日本、普通の精神が正しく働くことは難しいものだ。今回の事故でも人の命の危険よりも損得が優先したのが事実。原発行政のなかでも、甲状腺ガンでなくなった福島原発の当時の所長は考え方発言一つにしても内部でも、上部のだらしないのと戦っているのが見え立派だったと思えた。石棺化で犠牲になるのも辞さない覚悟を感じたが、その人がいなくなった後、同じ覚悟のものがほかに残っているのか。今の原発行政では、そういう人間は邪魔者でしかないだろう。
2014年05月10日
今日は大阪にプリントしてもらうプリントのサンプルを持ち込みました。昨日発送しようと思っていて作業を始めると結構確認などに時間がかかり、昨日の夜もほかの出荷がぎりぎりになってしまっていたので、急いでいる案件なので今日持ち込むことに。

社長にもお会いして技術的なところをいろいろと聞いて今後の対応を考えていくための頭の整理を出来ました。帰り高速道路、天気がよくて眠くなり、1時間サービスエリアの駐車場で仮眠。

会社に戻ると無線LANのルーターが、これで、会社の弱い無線LANを改善できるだろうかと繋いで見るが、結論として繋ぐことができないということが判明。電波が弱いとメールが送れないという現象が何度も起こっているのでそれを改善したい。