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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2024年11月05日
すごく当たり前だと思っていたことが話がかみ合わないというか、言っていることがまったく分からないと言われたことがあって、分からないはずがない本当に分からないのかと思ったりもしてたのだが、その謎が解けた。それがパソコンが使えるか使えないかみたいなあたりが、ものごとの考え方にも強い影響があるのだと気が付いた。

林与は自分で書類を作ったり、みんなの話した結果をまとめたりいろんなことを書類化するのが得意で、検討や指摘や変更や話し合いをするのがものごとをするときの当たり前のプロセスとなっている。けども、昔の会合などをみると書類というのは専門家や事務局が作成して、印刷したものを配って中のことが正しいとか正しくないとか議論をするようなステップというのは当たり前でなかったりする。

話し合いなどが前提でみたいな考え方の場合には、話し合いのための資料を準備したりとか、どうしても変更などがともなうので書類から作り直すようなことが必要で、自分で資料をつくることができたりしないとすなわちパソコンが使えないと、話し合いを前提としたものごとの決定というようなことは言ってることがまったく分からないということにつながるのだろうかなあと、言っていることがまったく分からないと言われてもそれは相手に悪意があるとかじゃなく、私のいっていることが本当に分からないのだというのが、解けた気がする。

パソコンが使えるか使えないかで、ものごとを決めるときに話し合いが必要なのか必要ないのかという考え方の違いみたいなものが生まれてしまうというのも、殺生な話だなあと思える。別にパソコンが使えないというのは悪いことでもない。でもその差が人と人が理解し合えないという別の問題を生んでしまう。私なんかは、印刷された文章を読んで、数字など整合性がないと思ったら普通に指摘して直したほうがよいのではみたいなことを当たり前にいったりしてしまうが、そういう指摘をする人というのは少数派だろうとは思う。そういうのを指摘されるのが当り前の日常だからだと思う。織物なんて言うものは、柄割した計算結果が生地になっているようなものだし、小さな傷でもやはり指摘されるような織物の仕事。やった仕事は基本全部記録に取っておかないと同じものをつくるときに再現性なども難しいし、適当にサンプルをつくるなどはありえず、縦本数、縦の柄、横の柄、打ち込みのギアなど記録を取っておくのは当たり前。百貨店アパレル向けは、さらにそこから検査という段階とかをパスしないといけないので、使った色糸の染料の番号だけでなく、どのロットの糸を使ったのかなども、検査が通らないときには、再度織りなおしたときに検査が通るようにどう染めるかとかにも影響してくる。

アパレルや問屋さんなどにはテキスタイルデザイナーがおられるけども色柄までの方が多く、それプラス、目には見えない品質物性的なテキスタイルデザインの部分をサポートしないと、ブランドさんや販路によっては、織って反物が出来上がっても洋服には使えないと判断される大きなリスクがある。百貨店ブランド向けは、材料と確かな技術の組み合わせにこだわるのも、一つでも甘いと全部駄目になってしまうと思うから。

ものづくりで、利益率を上げろとか、在庫を持つなとかみたいな発想があるけども、そんな浅いところでやってたら大きな失敗を拾ってしまうだけのこと。失敗したときに喧嘩になるようなこともしたくないので、失敗はなるべくしないように石橋をたたくような確認確認のものづくり。間に問屋さんが入るとて抜いて安くやろうとするので問題も起こりやすい。たとえば、糸なんかもサンプル分だけ染めて糊付けてとか、そういうのは失敗のもと。ジャストインタイムな話というのは、実際の生産現場では無駄ばかりというのも現実で、それを強いている側は大きな無駄を相手に強いてドヤ顔してることを気が付いていないだけのことで、必要な時に必要な量だけを生産するというジャストインタイムなものづくりがエコとか無駄がなくて地球にやさしいとかは、林与とは話がかみ合わない。
2024年11月04日
小学校6年のときだったか、剣道の全国大会で東京に向かう新幹線の通路を歩いているときに、林与の先代は、おまえなにしてる、先生の防具を持てとかいう。もちろん自分の荷物と防具を持っているので持てるはずもないのに、先代はほんとうにそういうところバカそのもので、剣道の先生は健全な精神を持っておられて子供たちを育てておられ、子供に自分の防具を持たせて自分は手ぶらでみたいなことを喜ぶような方は一人もいない。偉そうに良い顔したいだけの親が、絶対に無理なことを子供に命令してすごい親みたいな気分になってるアホ。

先代自身は、小さなカバン一つでほとんど手ぶらで、自分が先生の防具を持つという感覚は絶対にない。どうしようもない大人というものはその程度。剣道の先生方が作り上げている健全な秩序みたいなものを、調子に乗った商売人の泥臭さが出て、壊してしまう。もし、そんなことを子供頃の林与がやらせられてそういうのを当たり前だと思ったら、大人になった林与が逆に若いものに自分の荷物を持たないのがおかしいみたいなどうしようもない感覚すら感じてしまうだろう。意味もなくアホなことをさせようとするものがいたりすると、させられたものが将来アホなことをさせる側になる可能性も高い、アホの連鎖はどこかで食い止めないと。

スポーツなどでも、いじめがあったりするが、アホな先輩がいるとそれが正しいことのように代々いじめが続く。3年生が1年生をいじめるでなく、卑怯な3年生は、2年生に1年生をいじめさせる。2年生は1年生をいじめないと3年生から目をつけられるから、いやでも1年生をいじめないといけなかったりとか連鎖する。上下関係なんてないほうがマシで、そういうのにとらわれて大人になった人というのは気の毒だけど、日本社会では年配者に横柄な人が多かったりして、若い者が常に気を使っていないと腹が立つとか、若い人を見下していないと気が済まない人も多い。将棋界などは、今は完全に実力主義の世界で、若い世代の人たちが活躍していて、子供たちが棋士になろうと憧れる。年配者も、上下関係を利用して若い世代を潰そうと思えば潰せるだろうけども、そういう腐ったことはしないのが、今の将棋界の偉いところ。
2024年10月23日
高校生のころだったろうか、地元でお蕎麦屋さんがあって、そこの一人大将が先代の昔からの友人で先代もその方の商売が成功すればよいなあと応援をしていて、年末に年越しそばを頼んだ。年越しそばが12時を回っても届かないので、忙しいのだろうと思い、電話で事情をきくと、雪が降っていて道も凍っていてその中を自転車でそばを配達しようとして、自転車が倒れて、そばを作り直しているのだということ。

普通の家だと大みそかはテレビなんか見て一家団欒だろうに、商売をしていると商売のほうが優先で大晦日も仕事で、仕事をするとやはり問題なんかも起こったりも当たり前で、責任感を果そうと、またそば粉でそばを打ち直すところから数千円の注文の約束のために必死の作業。普通だと配達中に事故があったので今回はキャンセルですみませんということもあるだろうし、うちの家も、逆に気の毒なことでと思うけども。

昔から知っている間柄で、お蕎麦屋の開業にしても先代にも世話になっている部分もあったようで、律儀にそばを打ち直して届けるということを選ばれたことを今も覚えている。1時間、2時間かけてそばを打ち直すところからやっていたら、そもそも蕎麦屋の商売もそばを手打ちするような商売は、バブルのあとくらいで地道でなかなか成り立たないことなのに、田舎の年配の男の人たちというのはなかなか仕事が見つからない方も多かったし、仕事を転々と変えられておられる方も多かった。他の下請けで生活を成り立たせていくみたいなのが普通だった時代。

その方でもまだ外で雇われて働いておられた方だったから、外で働けるということで先代も林与の仕事とは関係を持つことはなかった。林与の親戚筋の方が林与の仕事に携わっていることは多かったけども、なかなか田舎の農家では、昭和の時代で食べていくのも難しく、集落の外で働く仕事が見つからなければ自営でもして家族をやしなっていかないとならない。

戦前、戦後あたりの話を聞いていても、集落の中で生活が難しいのが当り前だったりして、京都や大阪の親戚を頼って丁稚奉公にいったりして教育や仕事を教えてもらって田舎の母屋を支えたりとか、集落の親戚の中で困った家があったら親戚が預かって自分の子供と同じ様に成人まで面倒を見て嫁ぐまでまた家族を持てるまで願ってとかも普通で、林与のお爺さんのころも八重ばあさんとか勘一爺さんとかは、事情もあって与一爺さんと兄弟姉妹のように林与の家で育てられた方で、本家の与一爺さんとかは、ヨジヨモン爺さんから一番厳しく育てられ、他の親戚の面倒をしっかりとみられるように清水お婆さんとか西出お婆さんとかもすごく強い思いでいてくださって、今も世界の高級ブランドが憧れてくださるような近江上布絣の一つの流れが、林与の家を中心とした集落規模の親戚一同の仕事として戦後も存在していた。それは普通とはまったく逆の世界で、食べても行けない困った人たちをどうやって支えていくのかというところを当時から今でいうSDGs、サステイナブルを一貫してやってきたのが繊維業界で、そういうのは、インドの貧困を救うカーディー文化にも通じるところがある。

今のサラリーマン社会ではそれがブラックのように言われることがあるけども、貧困層の面倒をみようとしないで契約で縛って人間関係を切ってホワイトな金儲け主義、そういうのだと、貧困を助長するばかりで一人で何兆円の資産とかはもう繊維業界の貧富の差の典型で、そういう分かち合わないビジネスモデルが世界の貧困なんてものを救うことはできないし、ホワイト企業トップや国のトップが貧困層と同じくらいの質素な生活も享受し耐えられなければききょうレベルや国レベルでも貧困問題の解決も難しいだろうと思う。

NEWSWEEKの海外記者がインドか中国への悲惨な状況ということで、働く本人が農業くらいしかなくて食べていけなくてTシャツ工場で12時間働いて生活が改善して満足していると行っているのに、そういう会社が最悪の会社だ見たいな、自分自身がその人を助手としても雇って家族の面倒も見ない人が、嘆いていても始まらないだろう。NEWSWEEKの記者レベルでも、自分が一人の人とも分かち合うもない感覚で、分かち合おうとしている生きるか死ぬかの困った人を救おうと雇った会社を叩いていて、浅すぎて残念だけども、そもそもその労働者を自分が支える気持ちもまったくなく、すごいことをやっているという感覚は恐ろしいホワイト感覚で、それこそが奴隷は奴隷の面倒を見る人の責任みたいなのが当り前で、面倒を見ている人を奴隷のような悪者にしてしまう。ホワイト感覚の階級構造自体を否定するべきだろうけども、そういう根本的なところから逃げてしまうようなホワイトSDGs、エシカルでは駄目だろうと思う。
2024年10月14日
合成繊維というのは、より安定していて糸も均一なのだけども、天然繊維よりも安い。なぜでしょうか? 

それは、合成繊維は天然繊維を安く生産するために作られたものだからです。レーヨンはシルクの半合繊バージョン。アクリルはウールの合成繊維バージョン。ポリエステルは綿やリネンの合成繊維パージョン。より均一で完璧なものだけども安い、実用性の面では合成繊維が勝ることが多く、安価な服の素材というのは一般的に合成繊維。

用途によっては、合成繊維のほうが適している場合があって、自動車のシートなどは、20年太陽に当たっていても、大丈夫なくらいに丈夫でないといけないので、ポリエステルなどが向いているようである。高級な車なら本革シートというものもあるけども、キズが付きやすいことがマイナスだろうと思う。本革の代用は、ビニールシートだろうか。ビニールシートは軽トラとかのシートに使われているけど、案外、ボロボロということが多いので、ビニールというのはそれほど丈夫ではない。
2024年10月14日
カラムシの語源は、古代の韓国の王朝加羅からの由来でモシが転じてという説や、茎を蒸すからカラムシという説などが一般的だけども、はっきりとしたことは分からないとされている。私自身、カラムシの加羅というのは古代韓国王朝ではなく唐(中国)のことだろうなあと感じるのは、唐糸(カライト)という言葉、それは絹の糸を指す。それが麻糸なら、唐麻糸と表現されたのではないかなあと思ったりする。カラマシというのが転じて、苧(オ)のことを、中国から糸ではいってきた麻糸(マシ)の場合、カラマシ、それは糸のことで、材料が苧麻だったから、中国からの苧麻がカラマシと呼ばれたことで、それが苧麻だったから、カラムシって訓読みが増えたんじゃないだろうかと、唐揚げとか唐紙とか、とおなじような流れを推測する。

カラムシは唐麻糸から来ているというのは、林与が思いついただけのことだけど、本当か嘘かは別にして、説明としては、それなりにまともに聞こえませんか。
2024年10月14日
社員に優しい優良企業と言うのはどうしても裏のある事が多く、まともなビジネスではなく。そういう大手は商社的になりがちで他の会社にほとんどの責任を追わせて自分はマイク増益増収だよよかいってるけど、自分がマイナスでも支える気持ちなくで、しごともことわるしかないし残念な話でお客さんが何千マンのおかねもまわすのが苦しくてというか10万円でも自腹を切る覚悟もないとか、ひとつのぷろじぇくとを行うときにまともなものを支えていこうと思う人もいるけど。底辺覚悟で働く気持ちもなく何億の大きな話ばかりで。地道に働いてそれを馬鹿にしてメイドインジャパンのこだわりとか、古代マフの再現でもないものを百貨店まで巻き込んで大丈夫なのかと心配する。

林与が商品をお客さんに語るときには、麻100%の世界最細番手のすとーるとかはただしいこちだというけど、古代マフの再現とか言うと。昔の太布というのはフニャフニャで嫌われたものを、現代のアパレル感覚で柔らかくて、最高のの古代麻布の再現と言っているだけで。昔の良い麻生地というには凄くハリもあってこうたくもあyてかただはあってしっかりとじていた。高級品というのは一張羅に見える必要があって。鎧用なハリと腰と光沢をともぬ神々しさが必要。それは日本だけでなくアジアの古代の王家の麻布に共通するような価値。シルクにしても古代のシルクは柔らかくふにゃふにゃでじゃなく。安里市が得るほどのセリシンも残った未精錬のもの。
2024年10月04日
麻糸は、苧績みしてつくられる。ひょんなことで昭和村を訪れる機会ができて、9月の半ばに昭和村の博物館で2時間ほど過ごした。なぜ昭和村で、麻の原料をつくることが大事に思われているのかというのが感じられた滞在で、これは、表現が悪いかもしれないけども、恵まれていない山村で、農村としても広い農地もなく、陸の孤島のような村の生活があったからだろうと思う。農家のできることが糸を績んだり、糸の原料を育てることで、長けた人がいたのだろう、より良質の原料を取れるためのカラムシを栽培する技術を村の生活の柱として培われてきた。

奈良の月ヶ瀬の大麻の苧績みも同じく、月ヶ瀬という場所が陸の孤島のような場所だったから、そういう技術が発達し、また残りやすかったということもあるだろう。沖縄の宮古上布にしても同じで、島という要素。工業化や機械化するという次のステップに行くこともなく、手仕事で生み出して行くのができることのすべて。

能登ももともと近江上布の原料の産地としていわれているのも、糸が能登で績まれていたのだろうと思う。糸を織る技術に長けていたのが近江で、その原料というのはもともと昭和村のような東北の地から、寄港地である能登に渡ってきて、そこで績まれた。能登という場所も、能登地震でこの一年は名前をよく聞くようになったけども、なかなか地震がなかったとしても、滋賀県からでも能登半島のてっぺんまで車で行くとしても覚悟が必要な話で、能登上布を育んだ背景みたいなものが分かれば、いろんな麻織物の謎の解決にもつながるだろうから一度は訪れて知っておきたいなあと思う。

昭和村にいったときも、昭和村に行く途中の田んぼの土手に立派な苧麻畑が自然にでいていて驚いた。1m近くの高さの苧麻が密集して自生していて、それは単なる雑草で使われないだろうけども、林与の周りではみることもできないようなつる草の世界が、苧麻で広がっているような光景。また、林与が興味があったのは、昭和村に行く途中の山道に自生している苧麻で、近江湖東地域とどう違うのかというあたりもとくに赤苧に関しての考察の検証的な面で、織物で言われる赤苧が、苧麻なのか苧麻でないのかというあたり。植物のアカソが山道に自生していて、真っ赤だったのも印象的。葉っぱも落ちて、真っ赤な茎だけになって、何百本も山の壁面に残っている。一方で、苧麻の茎が赤いものというのは、ないことはないけども、ほとんど、成長途中のものでは見かけない。

64種類の日本のいろんな苧麻や世界の苧麻を育てられている苧麻畑も参考にさせていただいて、日本の苧麻の歴史に関しての林与の持論的な考察とも整合する。近江上布に置いて、「きぬあさ」とよばれたものは何なのかというのも、自生しているカラムシなのかあるいは、福島産のような上質の物なのかという判断も、福島産のような白くて光沢のあるものが「きぬあさ」と呼ばれたものなのだろうなあと思う。

麻の着物の世界においても2ジャンルあったことはあまり言われないけども、そういう概念も大事で、味の世界と、品質の世界という2ジャンル、味の世界では、キビラのような粗にみえるものが評価をされて、品質の世界ではきぬあさとよばれるような世界が評価をされる。

奈良晒の最高峰みたいな織物も、林与が見る限りでは生平の世界のジャンルで、奈良晒なのになぜ生平なのとは思ったけども、晒す技術というのは今はもう残ってはいないというのが現実的なところなのだろうと思う。それを低く評価してはならないとおもうし、現実というものを受け止めて織物をつくるということを考えていく必要があって、晒す技術にしても今は禁止されているような技術ばかりだったりもして、昔だったら川や河原でできたことが、今の日本では許可が出たとしてもそんな許可を求めてやっているようでは成り立たないという問題もある。ほんと国が駄目だと規制ばかりで地道なものにしてⅯの自然破壊だとして、日本の伝統工芸にしても自然破壊で昭和の時代に規制され壊滅状態になりながら、今はそれを日本の宝として復活したいみたいな国レベルのご都合主義のだらしないどうしようもない感覚的な伝統感覚で、日本で産業がどんどんつぶれてゆくのもそのあたりのどうしようもなさ。関わらないでほしい、ほんと。
2024年09月21日
9月後半ながら、猛烈すぎる残暑、車の外温表示が37度を表示していたので、おかしいだろうと思ってネットで調べてみても彦根が36度であっている。暑さだけでなく蒸し暑さがすごくて、工場の中というのは日陰でも風が流れていないからもっと熱気があるように思える。とりあえず小さな扇風機でも回しているだけで助かる。

屋根からの熱を受ける2Fはもっと暑い。整経作業はそういうのを乗り越えてなしてゆかないとならない。子供の頃に剣道をやっていたので暑さくらいはたえられないとというかんがえをもっているので耐えられるんだと思うし。冬の寒さも同じように思え、武道の世界というのは、レベルが高いなあと思うし、子供は炎天下でも何キロも歩いて通学している。

2024年09月11日
9月6日、7日とマイドーム大阪で、手作りが趣味な人が3万人ほど集うイベントが行われ、林与も、2コマで出展させていただいた。一コマ分は物販で、もう一コマ分は手織り機を2台置いて無料手織り体験を行わせていただいた。今回は、無料手織り体験の表示もA4の用紙にマジックで書いた程度の表記で、準備不足感があったものの、会場の中というのは、来場者であふれているような感じで目の前の通路も、常に人が行き来されておられるような状態。林与が出展させていただいている場所も一番手織りもしやすいような場所を割り当てていただいて、会場全体の中でも手織り織機が2台あるのは目立つ存在だと思うので足を止めてくださる方も多い。体験できますかと尋ねてくださったり、やってみたいのだけど大丈夫ですかと聞いてくださったり、また、立ち止まって眺めておられる方にはお声をかけさせていただいて、簡単ですからやってみてくださいと、林与が1台に座って説明しながら織って、もう一台でマネしながら織ってもらうみたいな、1分程度の説明で、あとはご自身で続けてやってもらって、お困りのときだけ手助けとアドバイスするような形。

前回は体験していただいた8割くらいは中学生以下の子供さんたちだったけども、今回は、来場者的にも小中学生の方などは前回よりも少ない印象で、体験いただいた方の比率も、20代手前の学生の方や20代からの一般の方が8割くらいで、子供さんというのがメインターゲットなのかなあと思っていたのだけども、子供さんだけでなく多く一般の方がやってみたいとおもって、実際に手織り体験をしてもらえ、未就学の子供さん、小中学生、高校、大学生くらいの方から一般の方全般、年配の方まで多くの方に、手織りを体験いただけた。おおさか手作りフェスタのような大きなイベントで、手織り体験をさせていただけるのは本当に幸せで、一人でも、手織りに興味をもってやってみて、楽しいなあと思っていただければなあと思ってくださればという思いでやっているので、多くの方がやりたいと思ってくださりご経験いただくのは本当にうれしい。

去年もきてくださったお子さんがまた今年もやってみたいときてくださったりと、手織りするということを経験して楽しいと思ってまたやりたいと思ってもらえるのはありがたいことで、


2024年08月22日
作業にはいろんな方法があって、仕事はそのいろんな方法の中で、速く正しく綺麗にできる一番ベストな方法を選ぶみたいな感じなのかなあと思う。工業的な生産で高度なものごとをやるときに程、この考え方というのは大事で、作家的なものづくりとは異なるところであったりもする。

麻のものづくりをいろいろと網羅できるような会社というのは少ないと思う。それは、林与にしても同じで、安いものを作ることが難しいのは糸からして染からして加工からして、安いものの組み合わせがはいるというのはもったいないからと思うから。日本で一番安いモノづくりを組み合わせれば、できることも増えるし、世界で一番安いモノづくりをすればできることも増えるけども、世界シェアNO1を目指すような金儲け主義の独占したいような考え方で、そういう人の感覚というのは金儲けできるかどうかというだけの世界で、儲からなかったらやめるみたいな続かないものづくりで、それは成金趣味と重なるところがある。

M帝国やU帝国的なビジネスモデルを世界に広げれば、犠牲者が多くなるだけどころか、日本の繊維業界の本質すらもが失われるばかりで、MやUな方たちも林与の存在というのは、それなりに例外だとは思ってくださっているけども、方向性が違いすぎて、謳いすぎて熊本のアサリ偽装を超えた無責任さがあるのではと思う。MやUだけでなく日本の百貨店ビジネスにおいても、偽装物ほど良いものみたいに評価されがちなラベルビジネスに落ちてしまって、どう消費者を騙すかみたいな金儲けビジネスそのものになっては一番駄目で、誰もそういうのを警告すらもできないほどに、知識と経験もない人たちが金儲けばかりに走って残念過ぎて、伊藤忠OBの日本を代表するような方でも、合成繊維とかそういうのでの商売で、金儲けだけで、林与はマイナス44点の会社といわれ、その伊藤忠OBのプロジェクトマネージャーも関西の重鎮だった方だけど、布を見る目が全くなくカネもうけばっかりの感覚で、いくら上流階級的にすごいみたいな感覚すらもが、自分の身内のためだけに食い物みたいにしただけのビジネスで、日本の国レベルが本当に終わっているなあと実感。

めいっこかしらないけど関わりたくもない、一般の方位に普通に程度の感覚をもって布も買っていただける範囲なら販売もさせていただけるけども、いくら有名な方の娘さんでも、林与は一切受け入れたくないような対応を日本のモノづくりを支えるような伊藤忠Obのプロジェクトマネージャーが、林与にマイナス44点で、そうですかで切り捨てる話。伊藤忠OB的な自分の周りに金をバラまきたいみたいなサラリーマン感覚だとやめておいた方がよいと思う。関西の重鎮と思われている方だけどそのていどのあほをみせていただいて、関係もしたくないし、関係すると食い物にされる自分自身が地道に日本の繊維産業を背負って支えているのを金儲けとか自分の姪っ子にとか、気持ち悪すぎで、日本の補助金制度自体がその程度で、本質から金を天下りした人の関係者に誘導する目的みたいな話で腐ってしまっているような本当の話。
2024年08月15日
先週夏祭りがあったけども、夏祭りの思い出で一番印象に残っているのが、大学生のころに一つ上のやんちゃだった方が、私に対して、すごく礼儀正しくしかも、そういうのを託そうとされていたことで、そこまでの覚悟しておられる若い方がおられ、一言一言が偉そうでもなく、誰もそういうのを背負う人がいないから、次は一つ下の若い時の林与にお願いしますみたいな、大学1年だった林与からするとそれはほんとうにありえないほど、大人だなあと思えた。

一切横柄な態度もなく、すべて自分が背負ってやってきたことを次の世代に託そうとしてられるのが伝わって、林与とは親戚筋というのはあるけどもそれ以上に、30年以上前に田舎の難しくなっている夏祭りを運営できるのはお前しかいないみたいな話で、大学のサークルでも一番世話になった方が滋賀県の彦根の方で、チャラチャラした都会感覚じゃない田舎の感覚というのが本当に大事に思ってもいたりして、ちゃらちゃらとした感覚と向き合える人というのは10人に一人とかが普通で、それでいて組織を支えてゆかないといけないというようなあたり。

組織ではおいしい思いをしたいチャラチャラした感覚との戦いになるので、まともなことをいうと干される立場で、責任を背負うのでどこまでもお前がやれみたいな偉そうにいう方も多い。偉そうに言うなら組織の責任を背負って組織を成り立たせてゆくのがよいのではないかと思うけども、なかなか一つのことも話し合いすらも難しいのが、70、80の方との話し合いで、70代や80代の方が偉そうに言うのに無責任なことばかりいわれて、自分とは関係ないとかばかりで、その解決を若い者に求めながらご意見番みたいなほんとそれが一番駄目。70、80なら普通に分からんと駄目だけど、分からない人というのは他を食い物にして当たり前の、自分が一番かわいいが当たり前で、自分が底辺を背負う気持ちがあればよいけどまったくない、特攻に集落の若いものを差し出して賛美しているような田舎の末路そのもの。戦前のだらしない年配者の感覚が続きすぎて、自分たちの子供を差し出したとかですごいことみたいに思っているくらいなら親が自分可愛さに子供を犠牲にするだけで、国の犠牲の肩代わりはやめたほうが良い。そういうのが戦争の本質だろうと思う。

美しいことを言いながら自分が最底辺を引き受ける覚悟もない、エシカル、エコ、サステイナブルの美しい階級社会は、地道な方をラベルだけで食い物にしてなりたつようなラベルに依存して成り立つような協会ビジネスで、一番駄目な繊維業界の案サステイナブル、アンエコ、アンサステイナブルな日本のビジネスモデル。全員が全員じゃないけど日本のサステイナブルビジネスモデルは世界的に見ても営利目的でまともを食いつぶすような世界最悪レベルで、昔からの地場産業の感覚以下で金儲け主義、ラベル主義、まともな話をしようとするとそれは傘下企業の責任で済みたいな方たちがほとんどで、GOTSすらも責任逃れが多くなりすぎて、遺伝子組み換え不使用を謳ったまま、遺伝子組み換えなんて言うのが努力目標というだけに裏ではしてしまっていて、偽装の本体になりつつあるのを警告するのも、GOTSが偽装の本体になってしまってはダメだろうというプロの感覚で、日本の繊維業界の従来の普通以下になった合成繊維をまぜてオーガ肉みたいな国際認証に何の価値があるのだろうと思う。関わっている人が、消費者が求めるよう天然繊維のハイレベルなオーガニックを守ろうとしておられず、謳いだけが合成繊維混で、オーガニックという昔のヨーロッパレベルの世界的には繊維業界ではどうしようもない基準に戻っただけ。
2024年08月13日
もう1年くらい、ココイチには行っていないと思う。普通にカレーを外で食べるならスキヤのメガくらいで十分だろうと思うし、どこのカレーでもそれなりにおいしいと思う。でも、なんか体調がすぐれないときや頭がすっきりとしないときには、ココイチの10辛くらいを食べると、神経が刺激されて、だるさみたいなものから回復できるように思う。先日は江國さんとインドネパールカレーのランチセットを食べたが、それなりに辛くてリフレッシュできた。

先週の土曜日には、集落の夏祭りが行われたが、炎天下で2時間ほど、じっとめだかすくいの番をしていたら、熱中症気味になって、午後になって皿回しの練習を子供たちに混じってやったら回復した。外で何時間も太陽に当たったのも珍しい経験だったので、たまには外で体を動かすようなことも大事だなあと思った。

夏祭りの運営も、50代の人たちが多いのかなあと思う。林与も50代だけども、私よりも若い人たちもすごく盛り上げるのが上手だし、集落の子供たちはすごく前向きで、多くの子供たちが大道芸人親子に教えてもらって皿回しに挑戦をしていた。もうそろそろ時間かなあと合図があったあともやりたい子供たちがいて、それに大道芸人の親子が終わりとも言わないで満足できるまで練習させてくださってた。林与にとっても貴重な経験だったと思う。

林与も手織り体験などをやってるものなので、同じような機会があったときには、自分自身がチャレンジしておくべきだと思っていたりして、年をとっても恥ずかしがらずにそういうのやってみるのは大事だとは思っていて、経験できて良かったと思う。70くらいの気さくなお方もお孫さんと一緒にこられていてお孫さんと一緒に皿回しに挑戦されていた。

子供たちも、大道芸一家の娘さんたちがすごいことをできるのをみて自分もやってみたいと思って、教えてもらえるような大事な機会を本当にもっとやってみたい、できるようになりたいという思いで、夏祭りの本当の主役として活躍してくれ、観る側の参加者も楽しませてくれた。
2024年08月12日
今日は午前中に電動草刈り機のテストを1時間くらい公園で行う。草刈りの問題が田舎だといたるところで必要な作業として起こるので、林与もなかなか草刈りが倉庫周りも出来ておらず、親戚の方が草を刈ってくださってたりしたので、今後は林与自身が草刈りをなるべく簡単に行えるように、本格的に道具から揃えておいた方がよいと思っている。

最近、手軽に扱えそうな草刈り関係の道具を5万円くらい買って揃えてみた。手動芝刈り機、充電式草刈り機、草焼きバーナー、充電式チェーンソーなど、とりあえず、試しに使ってみて評価を自分でするしかないなあと。他にも、草刈り機の替刃や芝刈り機の刃研ぎなども揃えて、なるべく簡単に草刈りができるように態勢をを整えておく。エンジン式の草刈り機は重すぎるし燃料も必要で補充の際にこぼれやすいし、石などがあると危険なので、パワーは劣るけども電動の草刈り機のほうが柔らかい草などは根元まで刈りやすいと思う。

芝刈り機も大型の物もあるけども、25mmくらいまでしか刈れないものが多いので、10mmまで刈れる手動のタイプをとりあえず試してみる。手動の芝刈り機と充電式草刈り機は使ってみて正解で、電動チェーンソーと充電式のレプシソーは微妙。草焼きバーナーはまだ試せていない。充電式のバッテリーは20分くらいしか持たないが、レプシソーも同じタイプなので、4個ももっていれば1時間草を刈れば翌日にまた作業で良いだろうと思う。

充電式の草刈り機は軽くて疲れないのがよい。手動式の芝刈り機は根元まで刈ることができるのがよいし、自分で刃を研ぐことができるところもよい、刈った草を集めて地面が綺麗にみえるのもよく、刈った草がたい肥化するのを防ぎ草が再度生えてくるのを防止しやすいと思う。充電式草刈り機やレプシソーの替刃などは海外製品なので海外から安く手にいれることもできるし、また、草刈も柔らかい草を刈らないといけないことが多いので、チップソー刃よりも、ナイロンワイヤー式のほうが、石などの飛びも少なく根元まで綺麗に刈ることが可能で、交換用のワイヤーなどもいろいろと購入して試してみる。

公共の公園などは補助金を使って芝生化するのも、芝刈り機だけでうまく解決できることになるので一つの手だろうけども、芝生化したらしたで、そのあとに芝生を張り替える必要が出てきた時には、はがしたりするのもそれなりに費用が掛かるし、その芝生の処分にしても結局お金が掛かる話で、あとの世代に負担が残る話になってしまう。表面を締まる土に入れ替えするのが一番安上がりには思え、あとの土の入れ替えなどもそう大きな問題にはなりにくそうではある。もちろん、多少の草は生えるので軽く草刈りは必要だろうけど。
2024年08月12日
先週、来客があって子供のころから知っている地元の繊維関連の会社さんが廃業されたのを知った。数年前に代表も交代されて新しいことに前向きに動いておられただけに残念な結果ではあるものの、そうやって思いっきりやってみて駄目だったら駄目で仕方のないことだろうし、やらないで終るよりもやって経験を積んで、次の新しい人生のスタートに生かせればよいだろうと思う。

経営者がサラリーマンとして他の職種で働いてみるのも良い経験だと思うし、他の職種の厳しさみたいなものがよく分かる。世界トップレベルの半導体の製造現場で6か月働いた経験があるけども、若い人たちが当たり前に正しい物事をこなして正しいものが作られてゆく。初めての作業でも一度教えてもらったらそれをその場から正しくできないといけないし、一つのミスも許されないような、田舎の織物工場とはまったく違うレベルの高さがある。

そういう品質管理の厳しい現場でも、正社員がというよりも期間労働者がその仕事を請け負っていて、いわれたことを理解して我流を入れないようなタイプの方を多く集め、決められた作業工程を守りながら製品が作られてゆく。繊維業界というのは気楽に働いている人も多く、うっかりや失敗が多く、また、初めての人も初めてだからできないのが当り前みたいな感覚の人も多く、そういうやりとりで正しいものをつくるところまでに行きつきにくいのが繊維業界の現場の実情ではあろうかと思う。
2024年08月12日
麻織物の人間としては林与というのは、日本でも本当に珍しいようなタイプだと思うだけでなく、自分のギリギリでなんとか本場の麻織物が回らないかと、仕事についた20代のころからこの感覚で仕事が続いているというのは幻想そのものでしか思っておらず、林与自身が日本の大手SPAを超えるようなモノづくりを考えてはいたけども、働く人の全員ではないけども昔からの良い時代の人というのは先代頼りで先代も自分が食わせてたるみたいな感覚で、そういう風に育ててしまって、5時に帰られてから本気の仕事をやってなりたたせないとと思う。

日本の麻業界にとっては林与というのはややこしい存在だろうと思う。なぜなら個人の問題に関しても、業者的な方にでも、自分が麻織物を企画して作るということを、自分なりに本気でやって、新しいものも自分のリスクでいろいろと生み出してはきたので、日本の大手SPA以上だろうと思う。すごく残念だったのは日本の大手SPAが、エシカルなことから逃げて、リソーサーから買っていただけだからリソーサーの責任というような、エシカルな世界では一番駄目なことを平気でいってしまって、逃げられたことで、日本の麻に関係しておられる二つの大手SPAがエシカルとかエコを謳いにビジネスをひろげなららそういう会社に誰も自分が謳ったことを背負う気持ちがないというのがすごく残念だけど、日本の繊維の世界というのはそういうのが普通でまがいものみたいなものがすごいみたいに安く流れて逃げるだけの日本のホワイトな上場企業レベル。

日本でもそういうのが昔から繊維業界の軽い感覚だと普通だと思っていたりして、破産や地獄見る覚悟決めないといけないとおもうし、林与ならそんないい加減ならやめたほうが良いと思うし、日本の繊維業界での本気すらいくら有名でも自分の金儲けが買って、1000円、2000円のアイテムで世界の最高をまもるという単なるラベル商売でしかなく、偽装の温床というのが昔から日本で繰り返されるまともに働いている人たちと向かい合う気もない、実際に働かず化かしたいだけの日本の繊維業界のありがちな状況。林与にだれも厳しい話をしないのは、林与がそれなりに、日本のエシカルとか、エコとか、日本でも自分自身で意味も分かりながら実践はしている。

安く大量に流したいとか日本が昭和の時代の大手の商社レベルのビジネスモデルとも相反して、伊藤忠OBの方にマイナス44点の会社だといわれたのが日本の末路的な、人生を覚悟もしていない人から日本の繊維業界の末端すらも当たり前に背負っているのに、ゴミのように扱われて、日本の繊維業界というのはやっぱり昭和の時代から腐ったままで、エシカルとかエコとか、補助金とかもそういう80代のおっさんが、自分可愛さに何千万も林与にでも借金してでも背負わせるような計画とか、あたりまえに、どうしようもない大手商社OBレベルのサラリーマンや公務員と迎合して、日本の繊維業界のまともを食いつぶしてというのが現状で、いくら重鎮とされる伊藤忠OBでも近江商人としては一番駄目な爺さんで迎合もしたくないし、林与が迎合しないのを日本の繊維業界の本質と思ってほしいと思う。商社のサラリーマン感覚で自分の姪っ子に国の補助金を田舎の企業負担で流したいとか、そういう日本の繊維業界を救うと言いながら勝手に金づるみたいな、まさに日本の政治の末路そのもで、補助金自体が個人レベルの利権に食いつぶされて、その犠牲が田舎の繊維業界からむさぼりたい大手日本の商社のOBだと関わらないほうが良く、そういう国と癒着して食いつぶしてが一番気持ち悪い、日本の大手商社のOBレベルの繊維業界で、一切関わりたくもない。、

奴隷制度そのものの感覚なのが日本の行政のプロジェクトマネージャーでは駄目で関わりたくもない、それなりに有名な姪っ子さんなのもわかるけども、林与としたらそういうのも、デザイナーさんの覚悟があるのかないのかで消費者騙しにならないかを心配しているで、マイナス44点ですといわれ、そうですか、そうですかという返答で、辞退。なんか日本の繊維業界の国レベルのプロモートもやめておいた方が、昔からの日本の繊維業界の金儲けじゃないような世界を守れるような気もして、巻き込まれてそのかたや姪っ子さんのブランドのために田舎企業が何千万もの借金を背負うような計画とかは、逆に舞いなるでしかない。本当に日本の繊維業界というのは80代が食い物にしすぎて食いつぶす手本を、日本のプロジェクトマネジャーレベルがやってられて、関わりたくもない。三方酔いsどころか食いつぶしてなんぼばかりをみせられて、田舎のまともも地獄の沙汰は銭の沙汰みたいな大手商社レベルの銭の沙汰に巻き込まれないように行政も考えないと自分たちの奴隷みたいに考えている大手商社のOBレベル。世界でも一番駄目なSDGs、サステイナブル、エシカル、エコをうたいながら、80過ぎた爺さんの欲望で動くみたいな日本の繊維業界というのは、日本の繊維業界の意将来もないのも当たり前というのを経験した。80台の爺さんレベルが自分可愛さに人生送っていてそれで日本の繊維業界を支えるとか、そういう人生がどれだけまともな日本の繊維業界を潰してきたかというのは、その企業とも先代までのお付き合いだったけど、林与になってまともじゃなさすぎて接点をつくらないようにするしかない話。
2024年08月04日
その場の勢いで他を巻き込んで動いて、それができなくなるとまったく逆の、普通の当たり前もできないような状態というのは、林与の家の中でも経験していて、そういうのが田舎のどうしようもない驕った感覚で、集落を仕切っていた家でも次の世代になれば、まったく普通に強いられることも対応が難しいというのが当り前で、それはそれで次の世代というのは気の毒に思う。

一番偉そうに仕切ってた家とかでもが、普通の家が理解してやっていることもまったくやるのも難しくなってしまう。そういうのが普通の田舎のどうしようもない村社会的な感覚で、そういうのを正すような動きがないと、落ちてゆくだけのどうしようもない状況から抜け出すこともできない。まさに日本の世界で政治家が当り前のことも言えずに国を売って美しいようなその解決は国民が奴隷になっているだけのことで、日本のなかの奴隷社会から行政からかえてゆかないと、日本が批判してきた階級社会に甘え国民を苦しめるだけの、存在の意義すらもない政治や行政に成り下がってしまっていては、諸外国に改善してもらうしかないような日本の政治や行政、国としての存在意義すらも正当性もなくなりつつある。

80歳を超える人たちが田舎だとどうしようもなく、偉そうにいうだけで、自分自身が普通の覚悟位もないなら静かにしていてほしいが、人々を仕切ろうとしたり、見下して好き勝手に利用しようとしたり、年を取っているというだけで偉くて若い者が言うことを聞くみたいなだらしない年配者がいるようなら、村社会的などうしようもない、将来のない、次の世代にとっては暗黒。次の世代の重荷になるようなことばかりで、手本にもならないような田舎の末路で、次の世代には関わらないほうが良いし、健全な子供たちにも関わらないでほしいと思う。そのためには、70や80になっても学生以上の覚悟がないと駄目で、若い人たち以上の覚悟がないと駄目で、できん、わからん、どうでもよいのだらしない感覚というのは、社会的に見て最低の感覚で日本の政治家のどうしようもないのが田舎のどうしようもないに通じ、どうしようもない人たちが先生たのみの人生で、若い人たちが生まれた時からその食い物になると可哀そうすぎる。

せめて健全な精神をもって次の世代に引き継奈がないと、仕方ないとか、問題を自分がすべてを背負って解決をしようともせずに現状に甘えて甘い部分を食べたいばかりの村社会的な感覚では駄目で、今も林与がそういうのも出来ないを当たり前のことと受け入れながら解決を探っている。地域を代表する方のまったくできない問題も受け入れながら、だから勢いがあるときに他を巻き込んでやったらおかしくなるだけみたいな、林与の先代と同じ話で、集落の林与の親戚筋のどこの家もが成り立ちにくくなっているのも、それを背負うのは相当の覚悟が必要で軽い気持ちで救おうとすると、自分が利用して何億をもうけたいか、逆に何億を損して、損を覚悟しながらも田舎の難しいを成り立たせるかの話。誰も自分が田舎だと何億もの損を被るは難しく、結局自分の儲けばかり考えていると田舎はどんどんと衰退してゆく。林与が田舎でまったく利益を上げようとしないのも厳しすぎる日本の田舎行政に晒された人たちの生きてゆく苦しみを知っているから。

林与自身が、それなりに普通を超えた一番の繊維業界の最底辺を当たり前にこなして成り立たせているから、そういうのが世界的に見ても、展示会などに行くと、高級ブランドの方が、買うことのできないようなものにすごく興味を示されて、中国やインド、ヨーロッパで、個人としてまた大企業として極めているような人たちが、林与的な家レベルの日本の麻のモノづくりに、すごいのを見つけた、世界規模の展示会でも展示会で一番を見つけたと、繊維の世界のものづくりの布自身が語るような世界。

分かる人に分かればいいし、分からない方も林与の近江上布のアーカイブをみて普通に単なるぼろ布だといわれることもある。麻布に対する目の違いというのは、実際に自分が極めるか極めないかだけで、それを日本で一番くらいに極め続けてきたのが、林与の本場での四代の歴史で、それ自体が120年を超えて、田舎の小さな家が、日本の麻業界の120年に渡る高級ゾーンを滋賀県の田舎から生み出しては来たけども、滋賀県の田舎も戦後はほんと、サラリーマン社会で仕事が面倒とかが多すぎて、日本のトップレベルだと林与にも評価があるけども、覚悟のない方たちの面倒までも関係もない林与がそういう大きな組織の代りに組織にも所属もしない林与がそういう大きな組織の面倒を見るのが難しい。

若手で本気に人生を託す気持ちで麻織物に掛けるような方たちがいればと思っていて、何十万人、何百万人に一人レベルだろうと思うけど、林与自身は1億人に一人くらいな、経験を積んでいてそれは、世界でもありえないような最底辺のように見なされる世界的に見ても匠の世界の織物の地獄を普通に乗り越えられるだけの力があると思う。林与の作業スピードというのは、働き始めた時から何十年の職人の何倍もの速さで正確さ厳しさ、田舎のおっちゃんおばちゃんに対しても自分が働いて自分がゼロでもすべて分け与える覚悟で日本の工業的な麻業界の地場産業の最高レベルも今まで支えてきた。そういう自分が普通の10倍働くような覚悟というのは世界でも無二だろうと思うし、それで日本の麻業界が薄く流れることなければ良いなあと思う。自分自身の人生をなげうって、3日テツヤで立ち仕事で、朝の7時から12時までネルを1か月繰り返して、それは比叡山の修行僧の以上ことを、若い人が来るたびに覚悟して最初の若い人たちの試練を支える。賽の河原の石積みみたいなことを本人が一生懸命なのも理解しながらお釈迦様の手の平の上のような感覚が理解も出来ないと続くのすらも難しく、そういうのを前向きに向き合って、織物の本質とか作業の本質とかを乗り越えられないと、この世界というのは難しいだろうなあと思う。

林与の歩んだ人生以上に日本の製材環境が薄まれば、より世界の麻業界というのは厳しいだろうと思うし食べていくのも棘の道そのもの、1か月前に女性の方にもすべて知りたいという覚悟で林与の仕事をそれなりに覚悟頂いて、今週も1週間、無報酬も覚悟で織物をつくるを学びたいと覚悟を決めてこれた江國さん。林与自身は商売というのはなくて、自分が日本で一番とか世界で一番とかが日本の機屋の覚悟と関わることで自分の覚悟次第て生まれていくだろと思っている。サラリーマンでは無理な経営者感覚的な、どこまでも自分が費用や負担してまでも世界一とか日本一の織物を商品として形にしてゆきたいと思うような、メイドインジャパンじゃなくて、林与でもなくて自分自身を推奨。それは林与と同じ様な覚悟次第だと思うし、それを越えればすごいというか、林与にしては織物つくるものとして最低の知識や経験でそうでないと手作業の各国の伝統工芸的なものを作るとか、品質検査などを越えて量産の市販レベルを目指すというのは、日本や世界で最高とかは難しいと思う。ごまかせば簡単だけどごまかさなければ本当に工業品というのは量産すらも難しい。

そういうところ、これから品質検査機関と林与が話をしてゆくべきだろうとおもうようなところで、そういうのを調整しないと、今の繊維基準は化繊基準で、天然繊維がほとんど通らないのもあたりまえで、実際には大手では、検査偽装が普通だったりもして検査偽装が当り前の安いものほど成り立ちやすく、高品位なものほど日本製としてはダメという検査基準。結局は偽装というのは、人という問題で、利益重視の企業ほど検査偽装も当たり前で、ビッグモーターと似たような検査が厳しく成ればなるほと偽装すればするほど儲かるような高品質に見えるような日本の大手繊維商社レベルの生地の現実。で正直な地場産業は手も出ない話が多い。あほなアパレルや百貨店は騙されて消費者騙しという現実。これほんと日本の天然繊維の織物が品質検査のレベルの高さゆえに偽装したものほど熊本のあさりになって何十年。海外の天然素材の服飾製品は品質検査も責任もすり抜けて、絶対に通らないものばかりが溢れている。
2024年08月04日
今、人がいない状況で自分が地域のために動けるような人が必要だと思って、林与自身も公園の草刈とかをできるときにやってはいるが、1年上の方が自分が除草剤を巻いといたからとか、年下の方が今日も、草を買っといたからとか自発的に自分自身が個人としてできることを動いて支えていくような気持ち。ルールとかでもやくわりとかでもないけど、若い世代というのはそれなりに分かってもいて、強いられなくても人生自体がそんなものを生まれた時から割り切っていてそういう人が残って田舎を支えている。

本来なら、田舎のしきたりをうるさく言う年配の人たちが、時間もあるのだから動いて解決が当り前とは思うけどもそれが本当に難しく、若い者に強いるだけで自分たちのやってきたようなことの解決を求めているような状態では駄目で、自分たちが自分たちの言ってきたことも正当化するためには自分たちが自主的に動けないといけないのだけども、動いて手本を示せるような方というのはなかなかなくて、ルールとして若いものが解決城みたいな一番駄目な末路的な田舎システム。

年配者が率先して現役世代に負担を掛けないように動いて田舎のインフラを解決して自分たちの価値観を守っていくべきだろうと思うけども、次の世代に依存して自分たちの価値観を守ろう見たいのは、今の時代だと駄目すぎる典型そのもの。日本の年金制度や日本の政府の考え方も自分たち可愛さに、これから生まれてくる子供たちが自分たちの失策の面倒までみるような話で、日本の残酷な年寄り思想そのもの。

2024年08月04日
これあれあれやれと指図する人がいるけども、そういうのは、今の時代からすると社会性すらもが無くて、人に強いるならそれなりの覚悟は必要でその覚悟もないなら、1企業すらも経営してはいけないし、行政的な感覚がほんとだめな戦前とかロシアの若者を戦場に送り込むような、自分が年上だから年下のものに強いるだけで背負わせてババを引かせるような、今の日本に残っているような感覚。

都市部だとそういうのほんと、一番駄目な日本の感覚だと分かるけど、田舎だとどうしても自分が何もしないで他の者に背負わせて解決というのが普通に当たり前に年長者的な感覚で、林与はそういうのも自分が生まれた場所に残ってやって覚悟もきめているから解決したい思いで、軽くそういう話をなげているから年寄り天国で若者が逃げ出して過疎化そのものな林与の周辺。だれも本気で考えずに、逃げて自分や自分の家のことばかりで動くなかれと思うが、それが田舎のどうしようもない感覚で、そのすべてを背負う覚悟で、近江上布が東円堂という農家が、麻織物においては世界でも一番くらいなモノづくりで、豊国村の特産品、滋賀県の特産品、そして日本の織物としては伝統工芸品の麻織物の分野では近江上布が最高峰というのをサラリーマン的な普通の感覚じゃなく、日本でも一番くらいに食べていくのも難しい滋賀県の農家が頑張れば日本で一盤見t買いそれが今だと世界でも一番があったのが、近江湖東麻織物の歴史そのもの。

産魚とか職人とかじゃなく、消費者の方々に謳い期待されるような覚悟もなければ難しいのかなあと思いながら、林与自身が、25年以上。何十年の職人さんにしても働き始めtあ最初のころから、難しいなあと思う程度で、自分の仕事dえ日本で最高レベルとか世界で最高レベルとか、そういうのやらんと、林与自身が今もやっている意味もないと思っている。地場で麻織物をやりながら、下手すれば全部返品が普通だったりも普通なのだけど、そういうのもわからないとバランスすらも取れないし、仕事として普通もないのかと思う。いう時には、ほんと、どんな方に対してもあほやったら、厳しすぎる話をするのが林与で、そういう当たり前の話がうけいれられないなら生地をつくるとか扱ういうのは難しい話で、儲けだけ考えるなら麻織物は難しすぎるとごく当たり前な繊維の話なとくに一回勝負を求めて一回勝負がうまくいかなかった時に覚悟もしてなければ難しい。だからこそ林与のような存在が必要で、できる所まで寝ないでお金も捨てながら麻織物をまともに残したい。
2024年08月04日
今の日本のものづくりというのは戦後高度成長的な政治や行政誘導のサラリーマン社会になって弱くなって食べていけなく衰退していった。働く人が働く場所を失っていったのも日本の法律が自分たちが働いて食べていくを考えずに美しいだけの人々を背負う責任すらも感じていない人たちが、偉そうにマリーアントワネットで、日本が世界に誇れるような何百年の繊維業界の地道な価値感すらも失わせ食べていけないようにしてしまった。

サラリーマンが正しい仕事形態に思う感覚というのは公務員的な感覚過ぎて、国民に負担を強いて成り立つような、いわゆる国家主義的な社会で、経済がうまく回らない政治的な社会に通じる。若い人々が戦場に送り込まれたりとかが普通の世の中で、日本というのは戦後も民間のものづくりの力で、世界でも優秀なモノづくりを行って秀でたけども、それをだらしない政治が外圧に負けて働いて生活を成り立たせている人たちを叩いて食べていけなくしてきた。まさに敗戦国そのもので、政治や行政が日本のよいところをどんどんと切り捨てていってしまって、昭和のサラリーマン感覚がその典型で、当時言われた戦後の日本的経営はバブル崩壊後に完全破綻。人々は仕事を失い、失われた30年とか言われて、さらに10年くらいたって、海外の働く気持ちの人たちに普通に抜かれて行って残念無念だが、ウサギと亀の話そのもので、仕方ない日本のウサギ的な政治や行政の主導は、法律すらが、亀として生きてゆくもあざ笑い一番駄目だと否定するような日本社会の構造。

どこまでそんなだらしない感覚で日本のトップからして、人々の金を巻き上げて汚く使い込んで公表もしないような状態で、当たり前な世界的な政治のクリーンさのまったく逆な、階級社会を強いて人々を苦しめている。林与も、自分がサラリーマン感覚の人に林与見たいな会社が全部だめですと、でも、その方の上司をお前が一番駄目でが地銀の支店長や支店長代理レベルで、信用保証協会の専門家の方でも、自分が食べていくのが大事なのか、顧客が大事なのかで、サラリーマン感覚で、日本の行政自体が個人の欲望ばかりというような、国税を集めて権力を集めてまともに働くを馬鹿にして潰して行くような、田舎の金融行政だと、地場産業は霞が関の指示にしたがってサラ金以上の感覚でどこまでもつぶすばかりだろうと思う。

日本の金融行政自体が傲慢すぎると社会に否定されるようなサラ金思想になってしまっていて、覚悟して業界を背負ってきた地道なものは奴隷レベルなのが日本の行政レベルというのも正直に言わせてもらう。専門家の方が、借金返してからものをいえとかいわれたのがほんと一番駄目で、人を追い込んで、楽に行きたい感覚で、県レベルの保証協会も保証するを保証もする覚悟もなくサラ金と同じ年利30%で成り立っているいう問題で、それが行政得レベルで日本の地道なものづくりをつぶしてエシカルエコサステイナブルで、保険業界的な金を回すだけの利益重視が地場産業にも、金融機関が金儲けは林与も支えてきたけど、支えてきたがwくぁを食いつぶすが当たり前で、支えられておいしい思いして世界金融のレベルで失敗してもまた地元企業から吸い上げないといけないような、日本の政治レベルの敗戦国てきな日本の金融行政。

覚悟もなく普通の金儲けレベルの感覚で、人が生きていくまともなSDGsとかサステイナブルとか謳うのが、今の日本の政治や行政的な世界的にも一番否定されるような、林与のような企業が全部だめですと言われるような、別にいつ辞めても良いけど、まともな人間の働く気持ちを持っている人になってほしい。サラリーマンでは支店長でも駄目で、自分可愛さにかけマージャンで顧客を食い物にしながら負ければ融資をするみたいな最低な日本の地銀レベル。ほんと嘆かわしいような田舎の金融行政で企業が支店長レベルの個人の数十万の損得に左右されるようなどうしようもない田舎の末路。金を貢いだ企業が日本の金融行政も絡んだ融資を受けるようなきたない林与がうまれて育った滋賀県や愛荘町では駄目だろ思う。滋賀県という田舎のほのぼのどころか、法務省レベルのかけマージャンで私腹を肥やして融資とかほんとだめな田舎の地銀レベルで、世界中から批判を受けるような汚いことをやってながら、田舎的な滋賀ではSDGsの最先端。人が死んでるまであるから怖い。闇すぎる日本の田舎レベルのSDGs。
2024年08月02日
2日間、シャトル織機を動かすのを本格的にやってもらって、今日は、一台を縦繋ぎ。今日の朝、縦繋ぎを教えて覚えてもらって、キッチンクロスの750本ほども一人で全部繋いでもらうというのがよいだろういと任せる。

夕方に、ハンカチ用の三巻アタッチメント江國さんだったらどんな感じなのだろうかと試してもらう。最初にコツみたいなものがあって、江國さんの作業をみているとなんとなく林与も出来そうな気がしてきた。

夜は、牛肉を食べることに急遽なって、食べてしまわないといけない肉があったので、肉だけの焼肉イベントを夜の9時から1時間だけ開催。5日の飛行機で大阪から沖縄に戻られるので、4日の夜には焼肉の食べ放題を予定。それまでに整経の作業も後2日の間にやってもらう予定。

林与には3年ほど前に数日現場を経験してもらったが、今は、林与が現場にいなくても、現場で織機を動かしながらいろんな作業を進めてもらうみたいな本格的な内容。濃い内容の1週間を経験してもらう。夏の一番くらいの暑さも味わっていただきながら、キツイをキツイままに経験していただく。
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