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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2013年12月11日
今日は、ストール生地に関しての問い合わせがありプリントに使われるそうで、リネン60番手のオフ白を織り上げたものがよいのではなかろうかとお送りしました。林与もストールへのプリントには興味があるのでこれからの展開に期待です。

今、大学も冬休みに入ろうかと思います。厳しい現場経験を積みたい大学生の方、冬休み体験プロジェクトに申し込み下さい。申し込んでいただいた方全員にチャンスがあるわけではありません。(書類審査と面接審査あります。履歴書をお送りいただき、書類審査通過の方にはご連絡差し上げます。)この春からアパレル関係に勤められる方など、織物の現場を知るチャンスではなかろうかと思います。
2013年12月09日
集落の中を車で走っていると、いつも歩いているおじいさんに出会います。一日中、集落の中を歩いておられるようで、赤ら顔のおじいさんで、たぶん、お医者さんのアドバイスで歩きなさいということなのだろうと想像しています。数年前、毎日犬と散歩されていた近所のおじいさんも糖尿病で両足を失い、しばらくの後になくなられました。

私が思うに元気に動けているうちというのは幸せ。仕事にしてもしたいと思っても、できるときにしておかないと、一旦出来なくなるともう現役に戻ることは難しいもの。私も中年ではありますが、まだ、視力がしっかりとしているので細かな作業もできてありがたいと思います。

昨日から、縫製を進めています。縫う縫うばかりでイメージからするとジーンズの縫製と似ているのではなかろうかと思うような作業です。本来は他のものと一緒にやれば早く済むのですが、この作業をいつも縫製をしている母親に説明できるかというと、たぶん難しいので、私一人縫製に打ち込んで他のものは他の作業。

今日も出荷のための検反をしましたが、生成の反物を再加工するとなぜか、色落ちして、色の落ちないところもあるので、強い色段が浮かび上がってきた感じです。再加工する前というのは色段には気がつかないほどでしたが、再加工の際に漂白工程が行われたのか、かなり色が落ちてしまて色段が出現したようです。

生成で怖いのは、色を合わせるために染色するという紡績工場もあったりで、加工すると色が落ちて問題が浮かび上がる生成やP下が存在するというのは、海外で生産されて後染めして、パーツごとに色が違う服が出来上がってしまったとか聞く問題です。また、そういう服を染めたりして色をつけて一様に見せるのですが、服を洗うと色落ちがパーツごとに違い問題が再現されるとか。よく失敗談として聞く話です。
2013年12月08日
今日は朝、先月東京まで納品に行ってもらった親戚のおじさんが会社に2歳のお孫さんと一緒に来てくださり、このくらいの子供は、事務所や倉庫の生地の中で遊んだり反物を運んだりが楽しいようで、将来、会社手伝ってや、という淡い期待です。

東京に新幹線で行ったときに重いスーツケースを二つ駅の階段などを両手でそれぞれ持ち運びした影響か、体が妙に痛く太ももも疲れている。駅を移動中などは乗り換えや電話できるタイミングとばかりにテンションが張っていて重さを感じないものが、緊張感から開放されると疲れが出てくるのだろう。普段の仕事はしていても車ばっかり使っているので運動不足の影響も大きい。

今日は、ミシンを踏んでアイテムを縫製、縫製というのは手間が掛かるが自分の手で形が出来上がっていくので面白い。縫製は人が機械を補助しながら動き続けることでものが出来上がっていくもので、生産性を上げるということは難しいものだなあと思う。ミシンの上にすべての世界が詰まっていて心地よさがあるもので、普通のペースの仕事なら疲れるということは少ない。ミシン一台で食べていけるというのは良くできた職だなあと思う。織物というのは織機を一台持っていても駄目で、一人が4台くらいは最低面倒をみられないと成り立つことは難しいだろう。

ミシンというのはミシンメーカーといえば、JUKIがBROTHERというほど日本メーカーの2社が生き残っているので、まだメカニズムか堅牢に進化し続け、進化に失敗したときには、堅牢なモデルに後戻りできる。進化に失敗というのはおかしな話だが、初心者でも縫えるようにするために進化すると業務用と家庭用の区別がなくなり始める。

工場内ではストールの見本つくり、ストールの生産も2月くらいまでは予定が埋まり始めて、来年の頭くらいから新たに企画をスタートし取り組みを始めるブランドさんなどを加えると3月末くらいまでの生産が8割以上埋まった感じであとはどのくらい無理をするか。アパレルさん以外の仕事のお話なども増えそうなお話もあって簡単な仕事ではないけども経験を積んでいくのかいかないのかで、実際に会社としてできる仕事の範囲が大きく変わる。
2013年12月07日
今日は東京のアパレルブランドの方が朝一番で起こしになられ、展示会だけでは見ることのできない色柄のものを、会社までお越しになられるとご覧いただくことができるので、それが滋賀県まで脚を運んでもらうメリットではなかろうかと思います。

今、産地はシーズンに入ってどこもが手一杯な状況にあります。季節的な要因が絡んで、春夏の仕事の少ない時期に余剰人員を抱えることができず、職場の人数を少なくしているがために、シーズンに入るとすぐに手一杯になってしまうという状況。これは決してよい状況ではないといえますが、今の時代の小ロット多品種のものづくりに順応したがゆえの結果であろうかともいえます。

小ロット多品種の生産システムは、いつでも同じものをつくるのとは違って、意図的に違うものを正確に作り分ける必要があり精通した人が必要なものです。小ロット多品種が、印刷のようなものであれば設備は同じで生産量が違うだけみたいな程度ですが、織物の場合は、材料、染、機、など一から用意しないといけないことが増えてくるもので、本格的なものは、見本を作るときでも何ヶ月も掛けて作ることが多いのです。

どちらかというと縫製は自動車や家電のようなアセンブル産業と似ていて、織物というのは電子部品製造や基盤製造のような製造業に近いイメージではないかと思います。CPUやメモリなどの電子部品分野も撤退して久しいのは、汎用性が高いがために価格競争に晒されやすく、需要が安定していないと成りたたないという事情があろうかと思います。縫製工場が案外たくさん残っていながらも織物工場というのは少なく、さらに紡績工場となると日本では本当に難しい業種になります。

紡績業が撤退をしただけでなく、糸在庫なんかにしても、国内に糸を在庫するということが悪であるあのようになってしまって、糸商さんが糸がないということがよく起こりえます。長年のお付き合いのある糸商さんというのは品質の高い糸を持っておられることが多いので、そういうところから積極的に糸を買おうとするのですが、高い糸というのは使うところが少ないので、安価な糸に流れてしまわれ、どこでも同じ糸しか入らなくなるもの。日本で流通するアパレル向けのリネン糸なども世界の10社程度の糸が99%ではなかろうかといえるほどに日本品質で普通に織物に使える糸というのは限られてしまいます。

展示会に行くとリネン糸メーカーというのは何十社もあり、ブースにセールスにも来て下さるのですが、糸や織った布をみてもマットな感じの仕上りで、私の求めているリネンの品質や表情とは一見して違うものです。アパレル向けに使おうとすると見た目だけでは駄目で製造方法も非常に重要なのです。糸メーカーの人がそのあたり理解できているとまだ安心ですが、糸をつくる糸メーカーの人が糸を作るときに諸問題を想定していないと生地となったときや洋服となったときの見えない品質の部分で引っかかってくるものです。

実際の消費者というのは、色が少し落ちても当然のことと捕らえ、細かい品質よりも着心地や風合い重視だったりするのですが、日本の検査というのは合成繊維の工業検査的なところがありますので、検査に引っかかるのも当然の検査手法がとられていたりするものです。そろそろ検査手法も素材のプロの目で素材ごとに見直すときがきているのではなかろうかと思います。リネンのものを水洗いするのが前提の時代になってきたのですから。

よく、海外のリネン生地がすばらしく思えるかもしれませんが、同じことを日本でやっても品質基準に引っかかって販売すると製造元が大きなリスクを被るか、あるいは、堅牢度を上げたり滑脱をクリアしたり、収縮をクリアするために、特別な技法が必要となってくるものです。海外のリネンだとしかたないということで許されるものです。インポートのリネンの服には品質基準が適用されないのでは、生地の段階でのハードルの高さが数倍違うような競争が後ろにあったりするものです。

海外生地の場合、加工の段階ですでに色泣きしてしまっているようなケースも多く見かけ、素人が染めるに近い直接染料で染めてしまっているのか、あるいは反応染料でもリネンを染める前提で染めていないから染料が落ちてしまっているのを良く見受けるのですが、それが日本のメーカーに許されるなら日本の生地のものづくりも低コストで世界と競争が可能になり、デザイン重視に動けるのではなかろうかと思います。
2013年12月05日
今回のハーベスト展では、パノコさんが考えられたゴールデンラック企画。それは、各社が販売などを想定しないクラスの特別のものを展示する場所。他社さんは、カシミヤ100%、フェイクファー、人工芝みたいなシルクの織物などなど、自分のこだわりを詰め込んだ数点を展示。他社さんが凝った感じのもので攻められるなか、林与は、薄い平織りのシンプルな3点をチョイス。他社の織物と比べると、なんじゃこの力の抜き方はと思われるかもしれませんが、私が見て自分自身が麻布をつくるときに手本とすべきものづくりの3種類を倉庫から選び展示しました。

1点目は、林与がサブロクの織機で織った50年ほど昔のリネン150番手生成。ここに産地のリネンの歴史が詰まっているような気がします。着物の時代からアパレルの時代に移って、最初の頃に作ったリネンなはずなのに、私が見てもそのリネンは今でも目標にすべきくらいの仕上がり。2点目は、コットンリネン、とても上質なコットンの単糸を縦に使い、横には140番手。3点目は、綿麻(コットンラミー)シャンブレー。こういうものが市場から姿を消して存在すらも誰も知らないかと思うので、こういう機会に展示して見てもらおうと思いました。

弊社のものは別としましても、お金を掛ければやはり面白いものが出来るのだというのを感じました。フェイクファーがオーガニックコットンで出来ていたりしたのには驚きました。しっかりとしたカシミヤ100%の素材なんかも糸値だけでもすごいはず。どれも個人の消費者なら欲しそうなものじゃないのかと思うところです。純粋に良い物をつくりたいと思って材料にお金を掛けたり手間隙掛けたりなので成金というわけでもなく。

林与の数万円のリネン生地は売れてしまって、ほとんど在庫がありません。次に作ろうと思っても作るのに気合が必要すぎて、注文をいただいても出来上がるのは1年後とかになろうかと思うのです。
2013年12月04日
今日からハーベスト展、朝一番の新幹線で東京に向かいます。展示会終了後、明日の夜には滋賀県に戻ります。ハーベスト展にご来場できるのは、業者の方のみになりますが、厚地のリネン生地に興味のある方には先着6名さまかばんの生機布150cmプレゼントです。
2013年12月03日
ハーベスト展が明日に迫って、作ろうと思っていた新しいアイデアの作品も準備はしたものの織るにまで及ばず。伊勢丹さんのキッチンクロスも色を出してもらって見ると楽しそうなカラーリング、早速にも作ってみたいが、たぶん、私が織らないと他のものではやや難しいレベル。

今日はバッグ生地に関してお電話もらって、幅が狭いと加工ができないということで、本生産は二つ幅で織るということに、生産効率も取り効率も上がるので、こういうのは三方良しに見えるが、思わぬ落とし穴があったりするので気をつけないとならない。こういうときに、自分の損得を考えては駄目で、仕事においては双方が最大限の協力は必要。欲を出す人がいるとみんな喜べないもので、自分の得のために全体が損するようなことだけは避けたい。仕事では全体主義的な考え方ができることが大事。

無糊では手ごわいL25生成をなんとか織れるように調整をかけたけど、再び幅が広くなって同じように織れるのかどうか。糊をつけるのかつけないのかも迷うところ、糊をつければ問題はなくなるだろうが、生機渡しになり、加工において糊抜きを想定されているかどうかも心配するところ。

なぜ、経糸には、糊をつける必要があるのかというと、糸の上下運動で、糸同士が擦れ合うと毛羽立ち、糸のスムーズな上下運動が難しくなり、最後にはくっついたような状態で、糸が緩んできて最後に切れる。毛羽立ちを押えるために糊をつける。横糸なんかは比較的毛羽があっても大丈夫で、毛羽が多いとブレーキになるので、横糸にはオイリングしたり糸道油を使うこともある。染料系は比較的大丈夫だが、顔料系は、粘土のような粘りがあって抵抗になりやすいのでオイリングが必要なことが多い。
2013年11月30日
レピア織機の捨て耳は、絡みソウコウで絡ませなければならない。これがうまく絡まないと横糸のループの出来たりする。今までも、職人さんたちがループが直らないと嘆くときに、捨て耳がうまく絡んでいないことが原因であったことが多い。

捨て耳は、絡みソウコウという特殊なソウコウで、2本の糸の片方を前に落とすときは左側に、後ろに落とすときには右側にという感じで変えながら、そこに横糸を走らせることで絡ませる。

ここ数日、一台の織機の絡みソウコウがうまく絡まない問題で難儀していた。一昨日も調節し、昨日も調節したが、今日もうまくいかない。今日は、調節で対応は諦めて新しいソウコウに交換するかと、何が問題なのかも分からずに、交換しないといけないことに不本意ながら歩きかけた途端。ふと、原因にたどり着いた。

絡みソウコウに問題がないなら正しく動くはずというところが盲点で、絡みソウコウが正しくても動かないことはあるというところ。それで、その原因に対する対応をしてあげると今まで絡まなかったものが簡単に絡むようになって問題解決。

この問題で潰れた機屋というものも多いのではなかろうか。普通は、新しい絡みソウコウに交換して対応するのだろうが、なにが悪いのか分からないまま。正しい絡みソウコウのあり方というものが分からない歯がゆさがある。

諦めかけたときに、なぜ、ふと思いついたかこそが不思議、考えて思いついたというよりも、夢の中のように自分の意思とは別個に頭のなかに原因のイメージが浮かんだ。夢から覚めるように今の頭の中のイメージは何だと考えると、絡みソウコウの問題の原因のイメージだった。それでそれに対する対応をしてあげると。今まで絡まなかったものが簡単に絡むようになった。
2013年11月29日
今日は、レピア織機の修理、午後は縫製を行いました。縫製も私しか出来ない長さ調整が必要な部分が含まれるので、他のものに頼むことが出来ません。普段、縫製を担当している70歳を超える母親も、私の頼まれて仕方なく、この数日は4本4本のストライプ柄を手で繋ぐ作業。間違わないように確認しながら繋がないとならず、4日掛かって縦糸繋ぎを終えました。週明けに加工出しです。

レピア織機も、もともとは年配の職人さんが40年ほどみてやってもらっていたのですが、年を取られて織機の問題を直すことが出来なくなり、織るのも細い糸なので難しくなってきました。年を取るとできる仕事が少なくなっていくもので、する仕事もなくなって行きます。昔できたことが出来なくなっていくというのは個々の職人にも言えることで、それを引き継ぐものがいなければ、会社としても昔できたことが出来なくなって行きます。

林与にしても、私が経営者に徹して現場の作業をできなければ、織物を織るのもそこで終わっていただろうといえます。現場の作業ができるできないというのは、知識や経験の部分以上に気持ちの問題だろうと思います。新しい人が来ても、その仕事が上手にならないのは、それを自分の仕事だと思えないことが多く、教えてもらってやっているのが精一杯でいつまでも吸収できないのです。

私の場合は職人というよりも経営者なので、職人であって満足というのでは駄目で職人に仕事を与えできないときにはやり方を教えるのも仕事です。経営者というのは、会社全体を支えていくという気持ちがあるものですが、職人というのは会社の中で守られているので、仕事ができなくても危機感というものはないことが多いものです。これは中だけのことだけでなく、外部の協力工場の社長さんや技術の人と話していても感じます。

社長さんと話しするとできるだけのことをしようとされますが、現場の技術の人と話すると面倒そうに言われることが多いのです。仕事があるないというのは、できないできないと言って仕事をしないのか、できるできると考えて、できることは実際にやっていくのかの違いだけだろうなあと思うのです。

オンリーワンとか、差別化とか言いますが、麻のような天然繊維の世界においては、単にそれは面倒なことを乗り越えてやっていくだけのことなのかもしれないと思ったりもするのです。技術でやることは真似されてしまえばそれで終わりです。
2013年11月28日
今日は、弊社のあるプロジェクトを展開することに関しての専門家のアドバイスを受けました。一人で前に進まないまま考えているよりも、専門家の無料アドバイスなどを受けて自分に適した方法で進めていけるように考えていくことが大事だろうと思います。

専門家の方は専門家の方なりに正しいと思われる手段を教えて下さるし、その教えてもらった知識を応用して自分の方法を見つけていけばよいわけで、世の中というのは、売り手と買い手の間で決めればよいだけことも多いものです。

恐れてしないよりは、失敗しても良いつもりでやったほうが、やらずに後悔するということは避けられます。失敗しても、また他のことを考えればよいわけで。とりあえず、スタートを切って、一つ失敗、二つ失敗の経験を積んで、自分が実経験を積んだ人間になることが大事。
2013年11月27日
人に教えられたことは一度飲み込んでやるやらないは別にしても出来る力はもっておくべきだろうと思います。教えた人のできること以上のことが出来るようにならないと、それは違うとか言っていても単に苦手なだけです。

新しいことを飲み込むのが早い人というのは、今までも、多くの壁を乗り越えてきた人だろうと思います。自分は新しいことが飲み込めないひとというのは、能力の差ではなく、経験の差であろうかと思うのです。経験が豊富なのをうらやましいと思うかもしれませんが苦労が多いものです。仕事の出来ない人ほどやらずに文句が多いというのもよくありがちなパターンです。
2013年11月26日
今日は、朝から加工出しの準備です。林与の中も作業が一杯の状況ではありますが、加工工場さんも、これから加工される反物で一杯になっておられ、ピークの時期に近づいているということです。

どこの仕事も、台車一杯の量で仕事が流れているのをみて、林与からするとすごいなあと思え、仕事を受けてもらう加工工場さんも弊社の仕事を受けると大きな魚を逃してしまうのではないかと思う気もするのですが、そうしてでも産地にいて昔からのお付き合いの流れの中で仕事を受けてもらえるのはありがたいこと。自分自身が見本などにたくさんお金を使うだけでなく、加工工場さんが小ロットの手間暇な仕事をうけてくださるので、特別のことが出来たりする幸運を感じます。

今は、林与も年内から年明くらいまで埋まってしまって身動きがほとんど取れない状態。12月10日というのが一つの修羅場になりそうで、12月4、5日の東京での展示会は車を予定していましたが新幹線でのトンボ帰りになりそう。
2013年11月25日
今日は午後に、大阪のお客様、お話を聞いていてやろうとされていることのゆかりというものが、昔、子供の頃に京都でおじさんがされていたご商売があって、それを今の時代にご自身で創業し立ち上げようとされているようなお話。裏にはストーリーがあって、いい感じの話やなあと思いながら。林与の近江上布プリント柄と似てるかもな世界。

夜はリネンの織りにくい台を調整、調整を掛けるが織れない。耳糸を入れても耳そばが切れて織れず、昨年のロットは非常に繊維長が短く織ると毛羽立ちやすいという特性があるが、できる限り織機を完璧に持っていこうと他の原因がないのか考え、ある要因を修正しようとやり直し。糸のコンディションが変わると織機の調節もシビアになってしまう。

マニュアルがどこにあるでもなく、織れないときに自然と原因が分かって調節を加える力というのは、経験の積み重ねでしかないと思う。頭で原因が分かっても実際に調節する力がなければ駄目で、現場で手と体の動く人が職人としては適している。現場で手と体が動かない人というのはどうしようもない。

教えてもらっていないから出来ないという人もいるかもしれないが、問題が起きたときに解決するのがケーススタディで、実践的な勉強方法で、実際に意味のあること。ケーススタディの積み重ねこそが大事で、立ち会ったときに自分のものにしようとするかどうかが大事だと思う。

京都のある織物工場の若い社長が、業者さんに任せないで、業者さんと一緒に、機械の部品を廃業した織物工場に取りに行った。自分で分解して持って帰れば、自分が組み立てればよいだけ。すごく疲れるだろうけど、その経験があるかないかで、あとの仕事人生のスタイルも決まってくると思う。
2013年11月24日
だいぶ冷え込んできて、もうそろそろ、柿も終わり。今日は2重織のストールが織り出しでき、規格どおりに織れたのですが、開いてみると接結が弱いなあという印象。目立たないように接結ということでしたので最小限、強度の面で弱すぎる。大丈夫かどうか迷う。他にL25HD用の生地が織り出し、こちらは耳が綺麗に織れないトラブル、対策をしました。

人の気持ちというものは、気持ちがあるのとないのとでは、出来上がる成果そのものが違ってくるもので、どうでもいいかの固まりの人が作業すると、出来上がるものは水準が落ちるので、他の人が手直しする作業が増えたりで、他の人が仕事できなくなってしまいます。気持ちのある人だけが仕事に携わるような形が理想的だろうといえます。

いろいろな講演会があっても、大きな肩書きのある人が講演すると、個人レベルの損得だけの世界に近いなあと感じることが多いもの。またそういう話は美しく魅力的に思え、才能でお金儲けができるような、ネットビジネスに近い話。講演会でも繊維業界の現状をしっかりと伝えられる人がいないと若い人が勘違いから始まって駄目だろうなあと思えたりもする。
2013年11月23日
カネボウという会社は紡績で有名で、弊社にもカネボウブランドのシルク糸が残っています。日本での産業用の絹糸は国産がなくなって久しいですが、カネボウも最終は、中国とブラジルでの紡績となり、粉飾決済事件とともに原糸部門からの撤退。

私自身がたまに使った印象では、カネボウのシルクはシルクとしては色艶など綺麗ですが、半製品みたいなもので問題を取り除いて完璧な形になるという印象です。カネボウの海外でやっていた紡績部門が成り立つのは難しいなあと糸を使った印象で感じました。問題も程度問題ではなく、致命的な問題なので、原糸を見ても分からないですが、染めると露呈して作った生地が全滅する可能性が高いもので、それを防ぐために途中で問題を取り除く工程を必要とします。

リネン紡績に関しても糸の品質が落ち、問題が起こるとそのうわさがすぐに飛び、噂というのは正しいことも多く使わないほうが大きなリスクを被らずに安全なのです。これは糸の品質だけでなく、糸の産地なども同じでこと。正しい情報を得ようとすれば、欲する側も過度の期待をしないことで、現状と受け入れることも大事だろうと思います。

繊維とは関係ありませんが、あるところで地場産品のお土産を買おうとして、値段も付いていてディスプレイしてある商品を欲しいといってもそれそのものは絶対に売ってくれないことがありました。それはそのディスプレイしてある商品は本物で、通常に売るものは他から仕入れたものであるのを察しました。その業界の頂点に立たれている職人さんでも食べていくのがそういう形であるというのが気の毒に思える。

自分でつくったものは、結果、不細工でもいいじゃないかと思うことが多い、小綺麗にしようとすると薄まってしまうもの。絞りたての牛乳のようなものづくり、長年寝かせた蔵からの蔵出し、作りたての感触。
2013年11月22日
今日は、朝、運送会社から電話があってリネン糸が到着。リニフィチオのオーガニックリネン40番手の糸も含まれていて、箱にはメイドインチュニジアの印。リニフィチオのオーガニックリネンも当初のイタリア紡績からチュニジア紡績に移行してしまっているのは、時代の流れなのだろうと思う。

10年くらい前になるでしょうか、私が最初に使ったリニフィチオのオーガニックリネンは、イタリア紡績で、糸はグリンの色味でした。リネンの糸としては珍しい色味で、あんまり好まれないかもしれない色味の気がしたものですがオーガニックらしいものかと不思議な気分がしたものでした。自分で加工まで仕上げてみると、しばらくのうちにベージュに変わっていきました。生きているなあと思えたものです。

今のオーガニックリネンは、通常のリニフィチオのチュニジアものと同じようなベージュ色、糸がしっかりとしまっている感じがして、見た目は60番手クラスではないのかと思うほど細く見えます。ロットによってばらつきなどあろうかと思いますが、仕上がってくるとどうなるのか。

名門といわれるハードマンズとリニフィチオ。ハードマンズも南アフリカでの生産に移行して、リニフィチオもチュニジア。今はアフリカがヨーロッパブランド糸の生産地になりつつあり、世界の繊維産業も、最終的にはアフリカが紡績、製織、加工、縫製の拠点となるという予測も多いものです。
2013年11月21日
今日は2重織ストール。はじめの準備を私がしてつなぐなどの作業を職人さんにしてもらって、最後の織るための設定などが職人さんでは難しいということで、再度私が織り出しを行うという形で、2重織のストールの織り出し。

規格があってもなかなか形にするまでというのは、何十年の職人さんでも難しいことが多いのも事実。複雑な織物を作るというのはコンピュータプログラミングに似ているところがあり、ヒガエやドビーのメカニズムなどは織機がコンピュータの始まりといわれるほどに似ています。

ストールとして織り上げるためには細部の調整なども必要。耳を問題ない程度に仕上げるためにリネンのままだと難しいので綿の糸を数本入れたり、通し方の違うところを手直ししたり。見た目、90%程度織れるなあの状態まで見えてくると安心は出来ますが、これで最終というところまでの残り10%が、神経をたくさん必要とするところで実際には50%くらいの力を最後の10%の詰めに使うことになります。
2013年11月20日
今日は東京、朝早くおきて、留守にする分の職人さんなどの段取りを準備。朝、会社を出ようとすると、銀行の担当の方がきてくださり大まかに計画を説明。急いで新幹線に乗るため米原の駅に着くと、東口が出来て駅が活性化したためか、駐車場も増えたはずなのに駐車場がどこも満杯で、駐車場を探すのに30分。結局、東京には1時間半ほど遅れての到着。

途中、新幹線に乗っても、整経をビームに巻き取るときに、シャトル織機の2重織りに適した位置と一致しないといけないので、ビームの端から何センチのところから巻取りをしたらよいのかを、携帯電話で説明し現場の状況を聞きながら計算。経験というのは、単に時間や回数ではなく、仕事を自分自身で乗り越える経験が必要なのだが最初の一回を乗り越えられないと次も無理だったりするので、電話で出来る限り丁寧に何度も説明をする。帰って自分でやったほうが早いのだが、時間を掛けてでもできないをできるにし、自分で仕事を進める能力を養うことは必要と考える。

アパレルさんの展示会は、昨年もそうだったが活気付いていた。ものだけではなく、人が時間を過ごすこととに対するトータルな提案を考えておられることが人が集まる要素となるのだろうと思う。高級ホテルが単に寝るだけの場所でないのと似ている。その後、JCとPTJの会場もかなりぐるぐると回らせていただき、その後、海外展示会の説明会があった。

その説明会のときに、ある方が意見を言われて日中韓のアジアグループを組んで、日韓が企画、ものをつくるのは中国というような構想をいわれ割り切っておられ。日本だけが抜け駆けすると、中国、韓国からクレームがくるといわれる。ものづくりの現場じゃない、夢のない話に思えた。日本の織物企画にしても、自分たちで作るという現場がなくなり、展示会を回ってスワッチを貰ってそれを安いところで真似して作ってみたいな織物企画屋さんが多いのも現実。自分が作業する現場がなくなると自分で生み出すことができなくなるということ。逆に自分ですることを増やしていくのが生き残りの道の一つに思う。それは失敗も多く茨の道かもしれないが、他人に仕事してもらうでなく、自分が仕事して食べる力をつけていくとかの基本的な部分に繋がる。

説明会の前に、休憩スペースでイスに座って作業していると、メサゴフランクメッセの柏木さんが私を覚えていて下さり声を掛けて下さいました。現在はテキスタイル展からは離れられて折られますが、展示会に出始めた頃は、日本事務所の代表をされていて、大変お世話になったりで、お会いできて懐かしく、まあ、なんとか元気に仕事をしていますというご報告。裏で支えて動いて下さる方の努力で、出展者が出展した成果というものが左右されることも多いもの。インテキ北京も思い出すとなつかしいなあ。もう、5年前になるでしょうか。リネンの本場であるヨーロッパに日本製リネン生地を提案するという話をメサゴフランクメッセのドイツ人の代表の方に語ると笑われましたが、その思いにしてもパリの展示会も経験し、今現在も進行形で気持ちを持って実際動いていれば叶う話だろうと。
2013年11月19日
今日は、委託で織っているストールを出荷。今年はあらかじめ染まった糸を使っているので、染めの時間の分が織る時間に貰えスムーズ。夜には、2重織のストールを久々に試作、これも切れやすいリネン糸でシャトル織だから難しい。

2重織というのは単純に2倍時間がかかるそれだけでも、リスクは2倍以上。織物がいろいろな可能性があるというのも、普通の織物ですら手間がかかるために、あまり複雑なことをする人はあまりいないからだろうといえる。

複雑にしたからといって売れるものじゃあないというのも面白いところ。白黒とカラーだと、表現力は大きく違うが、自然の色というのは案外人の眼にはハッキリしているもの。それでいて美しいと感じる。虹の色が7色に見えるのも、実は無限なのだが人の眼がそれを見分けられないだけ。日本人にとっては7色、外国人にとっては6色。
2013年11月18日
今日は、東京に2件持ち込み。東京に行く途中、高速道路で、秦野という場所を通る。徐福の子孫たちの秦氏が住み着いたといわれる場所である。富士山というのも、不老長寿の薬草を求めて最後に徐福がたどり着いたといわれる。高速道路から雲の上に雪で真っ白の富士山頂が見える。

富士山は有史以来、日本で一番高い山であり続けたのかというと、戦時中は、日本が台湾を植民地化したので、台湾の最高峰の山が、日本の歴史上では日本最高峰ということになっている。多くの人が知らないトリビアである。

織物では富士吉田のスフ織物などが有名だ。もともとは絹織物であったそうだが、今は産地はレーヨンの織物を主体とされている。富士吉田の産地は、産地に機業が残っておられ、若い世代が活躍されていて活気を感じる。他産地のことながらも、織物の技術のあるところの技術が消えないように残ってほしいと思う。
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