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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2013年11月17日
筬通しが終わり早朝から織り出し開始、ペックで2X2のバスケット。ヒガエのカードも完了。テスト的に織り出すと、やはり、シャトルでは耳が綺麗に絡まない。2枚ドビーを追加して耳の組織を取る。

横糸を巻くシュワイターも糸が太すぎて綺麗に巻けない。大きく巻けすぎるので綺麗に管が入るシャトルを捜そうとするが、新しいよいシャトルはどれも駄目。糸を巻くのも今までの経験でそんなことがあって、太い糸用に調整をした錘を使うとうまくいく。機械というのはバラバラであってもこういうときにほんと便利。

シャトルにしても、内を削って大きく巻いても大丈夫なように改良したり可能だけど、あんまりやりすぎると、薄くなって、シャトルを挟んだときにシャトルが壊れやすくなる。新しいシャトルがすべてよいとは限らず、シャトルも人の手で改良を加えて使い込んでいく。

織る準備を整えていると昼前からの織り出しになって焦り、織り出すとテンションの問題が発生、経糸が緩んだりきつくなったりでテンション調整を終えて、ようやく織機が調子よく動き出したと思ったら、フォークが正常に動いておらず横糸が切れても検知せず。フォークを付け替えて調整し、ようやく動き出しました。午後1時半にようやく1枚が織りあがり、縫製と加工を済ませ、最後にタグをつけて1枚のラグが出来上がる。
2013年11月16日
今日は、ラグ生地製作の続き、思ってもいない落とし穴があって、相手の糸が細くて、ラグの糸は太くて、細いほうの糸が糊がついて滑るタイプで、普通に手でしっかりとたて繋ぎしても、滑ってほどけてしまう。2回結びでも駄目で、結局、堅結びという原始的な方法で結んで対応。

織前まで送る途中で、ドロッパーを結び目を超えることができない。結ぶのも一本一本だが、送るのも一本一本、引っかかる結び目を手で裁きながら。かざりを通すところで、また、難関、こここ一本一本飾りを通して。こういう作業くらい笑って淡々と進めることができないとこの仕事には向いてない。

これから筬を通しなおして織始めることになるが、今日も一日あっという間に過ぎてしまう。いろいろたくさんやっているといつやったことなのか忘れることが多い、今日が何日なのかとか、何曜日なのかとか忘れて作業していることが多いもの。織機も林与に付き合わされて大変だなあ。
2013年11月15日
昨日の夜、ラグの糸が巻き上がった。これは外のチーズ屋さんでは、大変だろうと思う作業、自分で巻き返したのでなんとかチーズの形にできた。できるとできないでは大違い、できないとあきらめたら次もできない。外に頼んだら、うまく巻くことができないという、大きな問題に遭遇でそこで時間が費やされてしまう。

今日は早朝から整経作業、糸も少なく、一回勝負なので失敗は許されない。私自身が、荒巻も巻取も行う。いくつか難しい点を綺麗にクリアして、問題のない巻き上がり。整経で難しいのは巻き取り作業。太い糸の場合、均等に強く巻いてあげることが大事で、巻きが緩いと織るときに糸が食い込んでいく。
2013年11月14日
近くを通ったので、昔世話になった生地問屋さんに立ち寄ると、同年代の息子さんが会社を一人守っておられる。今は生地問屋さんとしての仕事はされていないが、昔のまま社屋を保たれていて、10数年前と変わらない気がする。

興味深いのが、その会社の先代が亡くなられるときに、遺言として「繊維はするな」、ということをいわれていたそうで、息子さんはそれを守っておられる。仕事の一切を辞めることで会社を守るようなスタイルというのも現実的に成り立つもの。下手に仕事するとすべて失うというのも、繊維の仕事の現場を見ていて、何十年の年配の職人や経験者が仕事しておられても何が正しいのか分かっておられないことも多いもので、気の緩みのある人の仕事は織物に正直に表れる。社内社外関わらず、そういう人がものづくりの流れの中のどこかにいるとすべてやった仕事を台無しにするもの。ある仕事さえも消えてゆくことは多い。

また、3年ほどしたら立ち寄りますね、と言って私は帰路に着いたが、たぶん、その会社は3年後もそのまま、動き回っている林与のほうがそのときにどんな風なのかは分からない。自分がスタイルを貫いたとしても、それぞれの時代がそのスタイルを良いとするのか悪いとするのかで、自分のスタイルに対する外からの評価は変わる。一人の人間のモラル以上に、世の中のモラルというのは現金に移り変わるもので、政治なんかを見ていても、数年後には、正反対のことですらも正しいとしてしまうのが世の中というもの。

小さく守ろうとするものですらも、そういうものに便乗して横取りしてしまおうとする力が常に働くもので、小さく守ろうとしているものは外気に触れないようにして小さく守っていないとどんどんと薄まって行ったりもする。外に出すなら出すで、薄まらないように気をつけていくことが大事だろう。
2013年11月13日
オーガニックはエコ、原発もエコみたいな相反する概念がエコで結びついているようで、炭素社会の問題をクローズアップして、原発の根本的な問題を無視してエコというような解釈。地球全体のエコを考えるときに、まったくエコじゃないものをエコとしても持ち上げる。リサイクルシステムにしてもそうですが、裏では損得勘定ばかりなエコ。

私自身、缶コーヒーを良く飲むのですが、これ一つにしてももったいない話だなあと思えるのが、中身以上に外の缶のことです。中身を作るよりも外の缶のほうが工業製品として立派なもので、織機でいうと部品クラスの材料を使って、飲んだらゴミ箱に行ってリサイクルされてしまいます。

ペットボトルなんかにしても、昔だと、水筒に相当するようなものが、リサイクルされてしまっているのです。昔はビールにしてもコーラにしても瓶を主体とした流通システムで、瓶すらも何度も洗って使われる仕組みがあった。ものが希少で大事に扱った時代。

ペットボトルやアルミ缶というのも技術革新的な要素で、すごいのは、世界中が右へ倣えであること。繊維の世界も同じなのかもしれない、天然繊維が合成繊維に置き換えられて、材料コストが抑えられる量産型の合成繊維というのは世界中に広がった。何十年前は誰もが着ていた天然繊維が高級品となってしまった。

瓶ビールの世界というのは伝統工芸と似ている。それを支えるためには瓶を循環させるようなシステムが必要で、瓶の面倒をみられる昔ながらの酒屋さんが最適。酒屋の前掛けも瓶のケースを運ばなくなればそれほど大事でなくなる。コーラを飲むのにも栓抜きという道具が必要。これまた、消え去り行く道具の一つ。

今の時代の産業で思うのが、一人の職人が消耗品というより、お店や工場自体が消耗品。20年前は、高嶺の花であったノートパソコンや携帯電話なんかも、この20年でありふれてしまって、販売しても利益が上がるようなものではなくなっている。

よく、コピー機の業者さんからリースの電話を貰うけど、「無料でも要らないのです」がと本音をいうとビックリされます。今のコピー機で満足していて十分なんです。たくさん印刷する必要もない林与の場合、会社のコピー機なんて立ち上がりが早く堅牢なことが一番で、新しいものを欲しいという感覚ではなくなるものです。

織物にも同じことが言えるかもしれません。ベーシックでよいものを求めて下さる方というのは多いものですが、売り場の方はどうしても新しいものを欲しがっておられます。新しいものに飽きておられる方も多いはずで、特に高いものを買ったお客様というのは、自分の買った高いものが売り場で高い値段のままいつも売られていることが意味のあることだったりするものです。憧れる世界を自分が手にしている満足感とでもいいましょうか、子供っぽいかも知れませんが、欲しいと思う憧れのアイテムがあってそれをずーっと欲しいと思えるような夢、そしてそれを手に入れたときの満足感。
2013年11月12日
今日は出機さんが来られたので、立て続けに4回、オフ白の生地が横糸の汚れで全滅状態だったことや、縦糸が2本いりになってしまって全滅するなど、出機さんでの仕事が全滅状態が続いていることを話しました。これはこの出機さんの話だけではなく、職人は歳を取るにつれて織の現場では、目が見えなくなってくると、細かい作業が面倒になり、根気もなくなり、まともなものが作れなくなってくることが多いというのが現実です。

私が仕事に入ったときから、私の下で働いたのが当時73歳の勘一じいさんでしたが、伝統工芸師ながらも、年相応に自分自身の力が足りなくなっていることを十分に理解が出来ていた方でしたので、私のいうことをしっかりと聞いて仕事してくれました。勘一じいさんは、常に愚直に仕事をこなしてくれていました。厳しい親方である与一じいさんや同じく伝統工芸師だった厳しかった勘平じいさんと一緒に仕事をこなしてきただけの人ではあるといえ、高齢で能力は足りなくても人間性としては職人そのものの姿勢を貫いておられました。

私が目を離した隙に、私のやっていた仕事を自分がやってみようと、整経の筬通しをされたことがあったのです。遅くて間違いがあって私がやり直しましたが、私を助けようとされたのだと思い、職人としての姿勢が正しいのを感じました。

その背景には、早くに親を亡くされて、ヨジヨモン爺さんの家で与一爺さんと兄弟同様に面倒を見てもらったということがあり、林与の会社を守るというよりも、林与の跡継ぎである私が立派に家を守っていくことを望まれていたことがあろうかと思います。与一爺さんの妹に当たるおばあさんにしても、私のことを親戚のなかでも特別に見ておられたのを覚えています。私の父親世代や母親世代になるとそれがうすれるものですが、戦前のおじいさん世代の人というのは母屋を守るという気持ちは非常に強いものだなあ感じたものです。

私が3歳4歳のころまでは家では法事も含めて月に1回はおよばれみたいなものがあって、働いているものが家で食事をするのですが、父親や母親をたしなめてでも、おじいさんおばあさん世代が、子供の私を持ち上げるような雰囲気があったのも覚えています。戦前的な日本の家というものの考え方というのは、親戚一同が次の世代の一人に力を集中させるようなメカニズムをもって一族の繁栄を成り立たせていたのかもしれないと思います。
2013年11月11日
今朝は朝早く起きて糸探し、目当ての20色くらいの糸を倉庫から引っ張り出して、伊勢丹新宿本店様向けのキッチンクロスの試作の続き、土曜日に織ったものとは違う色糸使いでの検討。さまざまな色使いを見てもらって、どのあたりの配色に落とし込むのかのたたき台つくりです。

今朝出荷依頼が来て、検反すると、定番のものの仕上げにおいて通常とは違う、縦に折ジワが付いてしまっているような問題で、これは出荷できないと判断して、加工工場に報告し、再加工を進めてもらうことに。繊維の業界では、問題が起こると責任を逃げてしまわれるケースが多いのですが、安心できる対応をしてくださるので安心です。

夜、米原の駅で、キッチンクロスの試作生地の引渡しを行い、この2日間ほどの張り詰めた状況から開放、次の目標に進みます。今の状況は、年内は仕事が一杯過ぎるような状況。

2013年11月10日
今日は、150番手生地を使ったハンカチ生地の出荷をようやく終えました。この生地は、ビンテージアイリッシュリネン140番手ハンカチ生地と同様の規格で織り上げたもので、現行の150番手を使ったもので、150番手としてはかなり密度は高めです。

アパレル向けの150番手素材ということで、珍しいものですが、最近もインテキ上海でもブラウスを展示しているとほしいということでお客様がディスプレイしていた2点を初日に即買ってくださいました。展示海中、ブースが寂しくなりましたが、欲しいと思ってくださるお客様があればそういう出会いって大事だろうと思うのです。

展示会から帰ってからも、インドの方から問い合わせをいただきましたが、もう在庫がないような状況になってしまい。林与も作るのに気合の必要な150番手アパレル素材、リネンとしては特別の雰囲気をしています。150番手の生成バージョンも残ってはいますがこれも特別なお客様向けに動きそうで反物を切り売りできない状態。

海外でもさすがに150番手の織物というのは珍しいです。150番手の糸を引くことのできる工場があったとしても、150番手の織物を織れる工場があるのかないのか。卵(糸)が先か鶏(織物)が先かでは、卵(糸)が先だろうと思います。150番手生地もネットに出したいのですが、一般の方に販売させていただくのはご用途などを考えると心配だったりするので、今のところは業者さん向けにキープ中ですが、ここまで薄いと、ランジェリーなどに使えないかとも。

織るのも難しいですが、もっとリネン糸でも織りたい気持ちではあります。
2013年11月09日
今日はキッチンクロス。朝一番の新幹線で東京からプレイグラウンドの中地氏が立ち寄り下さり、伊勢丹新宿店様向けのキッチンクロスを二人で試作。私自身は百貨店の売り場のイメージなども稀にしかチェックしないがため、林与の中の良いと思うイメージと売り場で求められているもののイメージが食い違っていないかが心配なところ。

数日前に織ったものはストップして違う路線に色味を変更。答え無くさまようよりは一つの柄でカラーバリエーションを広げるなどしてみて、一通り目標のマス見本を終わった後に、ここの部分の色はこういう風に変更してみるといい感じになるだろうと、もう2種類くらいその路線を外れて色を加えて織ってみると、それが二人ともいい感じに見えて一安心。

今日もいざ、柄と色が合うように織り始めようとすると昼くらいまでシャトル織機の調整に手こずり、朝早くから来ていただいたのは大正解でした。織り上がったキッチンクロスを見ると織や色使いの楽しさみたいなものが伝わるのじゃあないかと。

今日お持ちいただいた、伊勢丹のくらしものさしプロジェクトの冊子でも、今回は一番最初のページとして林与のリネン生地を使ったエプロン、日本のこだわりのものづくりの一つとして紹介くださっててありがたい話。それほどまでに応援もただいているのですから、私自身が、自分の手で織物の作業に携わる部分疎かにしてはならないと思うところです。
2013年11月08日
仕事が少なくて値上げしてほしいという話があるのだが、仕事しないでその分を値上げで補うというのは今ある仕事すらも消えていく、当たり前の流れ。結局、前のお客さんに値上げ分を同じような仕事が少ないから値上げというような理由でねだれるかというと、そんな甘えが通用することはほとんど無い。

今、技術的にも生き残っているところというのは、仕事をたくさんしているところで、そういうところでも厳しい現実はあるがいろいろと生き残るために努力をするので新しいものも生まれてくるし新しい技術も生まれてくる。繊維業界においては中国の企業が、日本やヨーロッパの大手企業の実質的な生産を担う形となって、一般的には中国のほうが日本以上にものづくりが上手になってしまっているようなケースも多い。私自身も先染という分野においては配色などは別にしても、その多様性とそのレスポンスではもはや中国企業にこの10年で抜かれてしまったのを実感する。

日本の場合、仕事があると講釈を垂れて仕事を出し惜しみというタイプの職人さんというのも多く、できることくらいベストでやらないと駄目だろうと思うが、仕事が面倒そうな話ばかりで仕事に対する姿勢に曇りが見えると仕事というのは逃げていくもので、仕事をしたくても仕事がないというのが当たり前の状況で、仕事があっても仕事するのを面倒そうにいうばかりでは仕事がもらえるはずもない。

職人もそうだができることはなんでもやって能力を常に持っていないと駄目で、職人を育てる企業にしても同じだろうと思う。下請けの業者さんに頼んでも、新しいものづくりのために、やれば出来そうなことを提案しても面倒そうに言われ、それはできないと技術的な問題点ばかりをいわれることが多いが、今、それを乗り越えようとしないならいつまでも無理。新しい機械設備などなくても人の力でカバーできることも多いが、そういう地道な仕事を、今の職人ができるのかというと仕事をしないほうを選ぶことが多い。
2013年11月07日
内部の経理関係をコンピュータ化しようと思っており、今日は公認会計士の先生に相談。コンピュータ化といっても特別なソフトを開発するとかではなく、市販の会計ソフトを導入するというだけの話ですが、長年、帳簿に書いて入力をする方法を取ってきたので、コンピュータ管理に変えるためには人が適応することが大事に思います。

その相談のあと、近江上布柄のライセンスの件で英文の契約書を作りたいと考えているので、貿易関係の関係の専門家の方にアドバイスを受けたのですが、専門外ということで、知的財産と英語の両方に精通したような専門家に出会うような必要があろうかと別の機会を持って進めていきたいと思います。
2013年11月06日
今日は、機能素材原料開発の会社の方が来られて、先月試織した素材の分析データの説明に来てくださり、非常に理想的な検査結果で、実用に向けての展開が可能ではなかろうかと思われる。

その検査の中には麻という素材の機能に関するデータも含まれていたので非常に興味深かった。綿と比較したときにおおよそ倍ほどの効果を持っている。麻という素材が空間に存在をするだけで、その機能が発揮され、人に心地よさをもたらすことになる。麻という素材がフォームファブリックとしてよく使われているのも理由の一つになろうかと思う。
2013年11月04日
今日は振り替え休日、私自身は仕事を進めないとならない状況。今の時代というのは、仕事が悪いことのように思われますが繊維の世界で仕事というのはよほど力がないと食べていけないものです。私もかなり経験はありますが、一つ仕事をしようとすると織るだけでなく実際に織物の規格を決め、問題を潰していくので、毎回くらい相当の時間を使います。

休み中には、いろいろな見積もり関係の計算なども行いました。実際に見積もり出して話が流れることもありがちですので、アバウトな見積もりで十分かと思うのですが、ものをつくるときにはいろいろな制約がうまれてくるので、決断が遅かったりすると見積もりも成り立たなくなります。最近も海外からのメールで原反確認なども行って出荷が出来る状態にまで煮詰めましたが、そこから値下の話になり仕事としては決済のことなども含め難しいと判断。他のお客様が商品に興味を示されたので自然に流れるお客様に買っていただくのが、すべてにおいては良い流れだろうと思うのです。

私自身も自分の決断力で糸を買ってお客様もない状態でものをつくって持っているということが多いので、自分が経験を積むために何倍ものお金を費やしたもので、そういう経験をもたれることのない方などは売れ残りの在庫と思われる方も多いものですが、自分自身が働いて1点数メートル作るのに糸からはじめると10万円くらいは使っているものがほとんど。機屋が織物の仕事で成り立とうとすると迷うということが一番致命的だろうといえるので、費用は掛かっても迷いなくつくることが大事。そういう迷いの繰り返しを仕事でする人の仕事では成り立たないもので、経験から答えを持っている人との取り組みが非常に大事。仕事は覚悟を決めて1回で売れる形を目指せるような人同士のチームワークが必要です。持ち出しを覚悟して仕事に掛かれるチームでなければ実際の仕事なんて何回かに一回の確立ですので続かないものです。

私がよくいうのは織物の企画というのはアイデアじゃなく、リスクをどれだけ被れるか。アイデアは無限であっても売れるか売れないかまで含めて、そのリスクを被れるような力がないと形にも出来ないものです。学生の方にもいうのですが、織物というのはデザイン力ではなく自分自身がどれだけ作る意欲をもって作るか、売る意欲をもってつくるか、そうでないとそのアイデアを流せる形にすらもできません。職人がものをつくる力があるのかというと技術はあってもその意欲がないことが多いのでものを生むのは職人ではなく経営者の力によるところが大きいもので、そういうリスクを被れるほどの力があるのかないのかで企画力すらも決まってきます。

ものをつくることに集中して良い物を生み出してもそれが売れるとは限らないのはトータルでの企画力の必要性。どこかにボトルネックがあると流れていかないので、ボトルネックとなる要素を取り除いていかないと難しいもので、直接ものを取り寄せたり、つくったり、流していくという手法が一番手っ取り早く成り立ちやすいというのも一つの結論で、疲弊してしまっている人が集まっても仕事の出し惜しみでボトルネックになるだけのことも多いもの。
2013年11月03日
11月に入って暖かい日が続いていて、工場の中で仕事をしていても、寒くもなくいい感じで、仕事にも集中が出来る感じ。上海から帰って、仕事関係でのお客さんからいろいろと会いたいというお話をいただくことも多く、連日のお客様続き。今は手一杯になってしまっていて2月くらいの納期の案件に。

いくつか新規の柄組などを含む案件が動いていて、新しい案件というのは怖さがあるもの。一回で、普通じゃない売れるような形にするというのは難しいものなので、何回も内部で、こうでもないああでもないと動いて、結局、予定通りの量が作れなかったりで分納になることもよくあったり。

先日も耳糸が切れる問題で、二人掛かりで3日間、昼から番まで費やして、結局、綿の耳糸を入れて解決することに、最初から安全にものづくりをすると簡単なのだけども、できる限り他が出来ないものを目指したいという、耳までリネンのものづくり。フランスのアンティークなリネンが耳までリネンだったりするのはギザギザだったりだがそれはそれで美しいと私は思う。最初から安全にというのは、誰でもできて仕上がりもありきたりになりがち、なかなかまっすぐに織れないギザギザな耳を見て苦労を感じてもらえるとありがたいものです。

結論として、昨年の糸ではなかなか耳までリネンは難しい。でも、そんなのまで分かっていることが、世界中の誰かが耳までリネンでは出来ませんか、といわれたときに、答えをもっているかいないか。最初から出来ないというのは簡単だけど、今年は微妙だけど、来年だったら出来ると思うというのが良い答えなんじゃあないだろうか。

この耳の問題だって糸のロットまで指定してわざわざ選んで買ってそれでも難しい。耳の問題以外に、生成というのは色のばらつきがあってそれが致命的に怖いもの。その問題はなんとかクリアできそうだが、一つの同じ巻きの中で平気で色の違う要素が入っているというのも今までの年にはないほど怖い話だが、昨年と今年の糸だけは注意をして使うしかない状態。
2013年11月02日
シャッター通りと呼ばれる商店街、かつての賑わいは消えてシャッターを閉じたお店ばかり、その理由はというのと、近くにショッピングモールができたり、コンビニにお客さんを取られてしまったこと。

しかしながら、私自身が思うのは、接客態度などに関しても、コンビニでは学生のアルバイトでもマニュアル的ではあると思いますが正しい対応。一方、商店街のおっちゃんおばちゃんというのは、タメ口対応というのが客離れの原因じゃあないでしょうか。顔見知りのひとには親切でぺちゃくちゃしゃべって、知らない顔のお客さんが来てもしゃべり続けているような感じ。これではお店の存続を訴えたとしても難しい。

コンビニでも廃業になるところというのは、商店街のおっちゃんおばちゃん経営的な感じのところが多く、暇なときに顔見知りのお客さんが来て、世間話をしゃべり続けている。辞める信号が出ている。地場産業も似ているかなあと思うのは、働いている人があまり変わらないので、働いているひとも、技術を上げようとか新しいものをつくろうとか思わずに、いつまでも仕事というものがあると思っている。

別に大もうけする必要もなく、人は人の甲斐性の範囲の中で生きていればそれで十分い立派だと思う。伝統産業の人が仕事に誇りをもって自分の生活を切り詰めてでも守っている世界があるならそれは不可侵に立派だといえる。

商店街なんかでも本業だけでは食べていけないので、いろいろな代理店をしたり、内職をしたりしているところというのは、立派だなあと思う。自分が食べていくために精一杯の努力をする人たちなので、逆に言うと本業もしっかりとしているものだ。それが、本業だけでどうしようもないといいながらも本業以外をしないのは工夫のない職人と同じで、本業を残すためにも経営者も一工夫は必要に思う。

バブルに懲りた経営者が本業が大事と本業に絞るのとは別で、本業が需要が減った分を本業を助けるための他のことをする力に回すことが大事だろうと思う。仕事がない状態から飛躍的に仕事は増える。自分で販路を開拓するのも一つ方法。ものは売れても売れなくても、業界に対して存在感を生むというものを売る以上に大きな利点がそこには潜む。
2013年11月01日
上海では十分睡眠をとって充電をしたつもりですが、上海から帰ってから寝ていない毎日が続きました。今日は夕方、「林与」のミニロゴがなくなってしまったので印刷しに彦根の組合にいきました。

会社の中で出来る仕事というのはどこまでも急ぐことができるのですが、糸、染、加工が絡んでくると外部とのタイミングの調整や仕事をまとめないと電話やファックスだけじゃなく、手でそれを持って動いて作業をするので、織物屋ながらも糸に関して、染に関して、加工の準備や加工から上がったものに関して作業することも多いのです。

この自分で動く作業を避けて仕事をするのを選べば、量もこなせるようになるでしょうけど、スタイルがゴロッっと変わると思うのです。馬鹿な話ですが、届いたリネン糸なんかも箱を開けて、そのロットの生成やオフ白の色味を確認してから使ったり、染めに出したりします。

毎回微妙に違うもので、毎回、注意して確認するから気がつくもので、注意していない人にとっては同じものでしかありません。染にしても、加工にしても毎回微妙に違うもので、違うなりにも、それが揺らぎの範囲か作業に失敗によるものかの判断は大事だと思います。

たとえば現実に同じものをつくるために林与が10数年前までに行ってきた手法というのは、何トンもの良質の同じロットの糸を押えること、染めの量にしても同じ程度の何十キロかの糸を染める。加工にしても見本のときから1反加工するというような、今の時代からするとかけ離れた贅沢で、品質を最優先してきた経緯があります。

そのくらい日本の品質は厳しかったので良いものが存在しえ、海外の生地が入る余地がなかったということがいえるかと思います。仕事の体系が一回一回の契約形態になると全体的な信用で取引していた時代とは違って、無理をせずに、普通のものを普通に流すのが適した流れになってしまいます。信用で成り立ったような日本社会というのは世界的に見ても稀なケースだったといえます。人を信用することこそがバブル経済を生み出したともいえ、人を信用しなくなりバブル崩壊を迎えたようなのが、日本経済のイメージではないでしょうか。
2013年10月30日
今日も納期、これもシャトルで耳のそばの問題。これも丸々3日格闘で、4色を2mほどづつ織り上げるのに費やす。糸の種類と太さがベースの部分と耳のそばの部分では違うので、ベースは平織り、耳のそばは糸密度を上げてあや織り。

耳のそばの糸が切れて切れて10cmも織れない。糸が切れる原因は普通の人は、糸を強く引っ張るからだと思うかも知れませんが、織物の場合はその反対のことも多い、糸が緩いから切れるのだ。糸が緩いと糸の上下の開きが完璧に出来ずに、糸同士がくっついて摩擦が増えて糸が弱って切れるという現象が起こる。織れない時に織機にアゼ棒を入れると織れるようになるのも、開く角度が大きくなるから糸同士がしっかりと離れやすくなるため。

織れないというのは簡単でも、一度走り出した企画というのは途中で止まることはなるべく避けたいもので、どういう形なら売れる形に収まるのか、対策を考える。綾組織を止めて全面を平織りにしてだと、糸切れの問題が収まって本生産も大丈夫そう。それを一つの解決案としてお客様に説明し了承を貰い解決。時間ぎりぎりに出荷で月末を終える。
2013年10月28日
展示会から帰って、早速、私自身、整経作業をこなし3日間、納期のぎりぎりで織り上がり、東京の加工工場に朝持ち込み。無理して東京まで行ってよかったのは、久しぶりに東京の加工工場の社長さんと話ができたこと。

小さいながらも若い人もたくさん居られる工場なので将来は明るい元気企業。全国的にもその道では有名で、リネンの加工で面白いものできないかと相談相談です。なんでもがんばってみますというのが見習わないとならない姿勢。

この工場の魅力はクイックなレスポンス。クイックにレスポンスができるような加工をメインに、今の時代のものづくりに対応をされているので生き残られているという気がします。もう一軒寄っての日帰りだったので、帰り間際にブラック缶コーヒーを3本いただいて気をつけて帰るように。

会社に戻ると夕方、今日も納期のものがあるので夜中すぎまで作業、親戚の方に頼んで千葉県への納品。麻織物の仕事というのは糸が切れて思うように織れないことが多く、キズが多ければ最初からやり直しになるので、最初に綺麗に織れるまで織機の調整を加える。耳の際の糸が切れる問題で織れずに悩んでばかり。耳の際まで使わないということで、綿の耳糸を少し入れて最後は解決。この商品は良いけど、耳の際までリネンの商品をつくるのが今の糸ではなかなか難しいことを実感。
2013年10月25日
電車の乗り継ぎの関係で京都までしか帰れず、京都で一泊。朝一番の電車で家に戻る。今日は、東京からお昼頃からお客様。もうすでに産地も生産のピークに入っているがため、糸を染めることからしても身動きがとりにくい状況になりつつあるのを想像はしていたものの再確認。今のタイミング、この仕事も出来るのかどうかは糸が染まるかどうかという話と絡んでくる。

先月の商談会に訪れたアパレルさんとの企画の話もカラーも決定し、見本を進める話になりそうですが、こちらは大きな問題もなく大丈夫そう。見本コストの負担なども可能ということでバランスの取れたものづくり。そういうのが難しいとなると、ものづくりの構造ががらりと変わり、生産工程でどれだけお金を浮かすかで利益を生み出すようなスカスカなものづくりになってしまいがち。そんなスタイルだと消耗戦、年を重ねるごとに出来るものがどんどんとありきたりになっていってしまうもの。

インテキ上海でも、各国での麻の世界で有力なものづくりをしている企業さんとも出会えて、そういうところと対等に話ができるほどのモノづくりをしようとすると、日本企業というのは歴史や経験のあることで助けられていることは多い。だが、日本も先進国になってしまって伝統の流れを汲む繊維産業はフロック的なブームはあるかもしれないが、基本は衰退傾向で継続していくことすらも難しい。モノづくりの考え方からしてよほど強くなければその他大勢。少人数であってもモノづくりの考え方が強ければ特別の世界は持てる。
2013年10月24日
今日は最終日、今回のインテキ上海を振り返ると、用意した会社案内は2日目でほとんどなくなり、アイリッシュリネンプロジェクトの冊子も2日目。英語の名刺も150枚しか用意できなく足りない。今回も準備不足を反省。英語版の会社案内がこの展示会で配れたら有意義だったろうに、それも出発前の仕事に追われてしまってその後まったく手付かず。

今回良かったのは、リネンチックゾーンに林与のアイテムを並べていただけ、よい感じにディスプレイしてもらっていてほんと良かった。自分的にはアイリッシュリネンのハンカチが特にいい感じ。ものそのもののイメージだけでなく、それぞれのアイテムには作ったときの思い出が詰まっていて蘇ってくるもの。リネンチックゾーンに出展できたのも、展示会を運営されているメサゴメッセフランクフルト香港が林与のことを覚えて下さっていてメールくださったから。晴れの大舞台に置かせていただけたことに感謝で、特に麻に興味のあられる業界の皆様向けに林与のモノづくりの強いPRさせていただけたものと思います。

また、バイヤー的なお客さんとの出会い以外に、麻関連で目立った動きをされている出展者の方も弊社ブースに多く挨拶にきてくださり、情報交換させていただけたことも良かった。上海の「集糸坊」という会社、実は3年ほど前に中国ブースを眺めて回って私自身が一番注目をしていたブースであった。リネン125番手(NM75)の双糸でニットを作られてサンプル展示されていた。スタイルが林与と非常に似ている。ものづくりに対しての意気込みをファブリックから感じることができた。その会社の社長が弊社ブースに見えられてお話しする機会を得た。

お話していると考えておられることが、ビジネスを超えて、良い布の文化を生み出していこうというような思いをもっておられる。私と同年代くらいかと思うが、中国の天然素材開発のリーダー的な存在の方だろうと感じる。方向性と考える力、つくる力が伴っていて、私の話すことも黙って吸収できる方で、それというのは相当怖いなあと思える。良い方に出会えお話できた気がした。

また、昨日は吉林省の大学生の女性の方が近江上布に興味をもたれ、英語で話しかけてこられたので近江上布について説明したところ、中国にも同じような技法があるということ。名前も教えてもらったのでネットででも調べてみよう。その方は、布に興味をもっていろいろと織物に関してのいろいろと大学で勉強をされているということで、日本の織物の歴史がどこまで中国の織物の歴史と被っているのかという辺りも、情報交換することでたどり着ける答えが見つかるかも知れないと思う。たぶん、苧績みの技法にしても弥生時代に中国から入ってきたものであると想像しているが、どうなんだろうか。まったく関係ないが、中国に行ったら桂林の景色を一度は眺めてみたいと思っていたことを思い出した。願っていればいつか実現するもの。

昨日ブースに来られたイタリアのブランドのオーナーの方に、イタリアで一番良いリネンテキスタイルの会社はと聞いたところ3つ教えてもらえた。今日は、そのうちの一番の会社が弊社のブースに来ていただけ、近江上布に興味を示していただけた。非常に礼儀正しく、ブースに入ることなく、名刺を出して自己紹介をし中を見てよいかどうか尋ねてから、まさに、生地を見ること対する考え方が一流であることを感じる。

今日は最終日でお客様は少なめだったので近江上布を非常に気に入った中国の年配の女性の方が、1時間以上眺めておられました。デザインが好きそうな方で、本当に一生懸命に見ておられ、たぶん、柄を見ると何か心地よくなる要素があるのだろうなあと思うのです。多くのデザイナーの方が、近江上布に目を留められ、たぶん、デザイン的な刺激相当あったのではなかろうかと思います。近江上布の箱には、外に出すべからずと書いてありましたが、50年たった今、おじいさんの時代の仕事が世界中のテキスタイル関係者の方に評価いただけるのは、このまま箱から出すことなく消えてしまうよりは良かろうと思うのです。
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