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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2013年05月06日
今日は、午前中の時間を使って、林与ロゴを生地の上にトレースする仕事を行いました。初代ロゴ看板がパッチワークだったので、布に正確にロゴを描くという試みは初めてです。生地の歪みなど手で直しますが、出来上がったときにどこまで許容範囲に収まっているのかは未知数です。

L40ソフト仕上の生成の布に、約220cmX生地幅115cmで、鉛筆で薄っすらと林与ロゴを描きました。技法として確立されていませんので、こんなやり方が本当にうまくいくのか迷うところですが、とりあえず、大きな林与看板ができれば、今回はよいだろうという妥協にも似たものでベストを尽くすのみです。初代のパッチワーク看板も5年前はじめての試みで、展示会場で壁に貼ったときに派手すぎて恥ずかしさたっぷりでしたが、そのうち慣れて当たり前に感じ、作り直そうと思っておりながらも4年ほど使いました。

なくなってから、しばらくは、インクジェットで紙に印刷したロゴを使っていたのですが、やはり、林与は生地メーカーで、生地の展示会ですので生地を使って作り上げるのが一番だろうと。林与のロゴ、リネン日記にも何度か書かせていただいておりますが、50年以上昔の着尺のダンボール箱になども印刷されているものなのです。与一じいさんがロゴを考案したものだと思います。

何人かの皆さんが林与ロゴをみられて、日本らしくない、イタリアのイメージだとか、ヨーロッパのイメージだとか、おっしゃって下さいますが、林与の近江上布が和柄でありながらも着物着物しておらず、ヨーロッパの抽象絵画のような味をもっていながらも、ヨーロッパにはない味なので、やはり林与ロゴにしても林与近江上布柄にしても日本的なのだろうと思います。
2013年05月05日
仕事に追われているとなかなか散髪にすらも行く時間を見つけることが難しく、このゴールデンウィーク中には絶対に行こうと決めて、今日午後から行ってきました。ようやく晴れ晴れとしましたが、髪の毛が短くなった分、顔が大きく見えて太くなったような錯覚。最近は細くなったと思っていただけに、髪の毛が伸びていただけなのかと思うと少し複雑な気分。

午後からはいくつかの出荷の手配をして、夕方6時の締め切りに持ち込んだところ今日は昨日よりも早くトラックが出発しており、今日も集配センターへの持込、途中、ゴールデンウィーク中ということもあって、道は混雑、ぎりぎり7時に持ち込めたと思いましたが、今日は30分早くトラックが出たそうでちょっとの差ということではなく、こうなるともうどうしようもない。

日ごろはがらがらの飲食店も総じて今日はお客さんが多く、ゴールデンウィークらしさを感じました。
2013年05月04日
朝のうちに、昨日織り上げた、新しいプロジェクトの生機を工場内で簡易に整理加工してみました。水に浸けた途端、形状変化をして脱水を行うと良い感じ。長さなども最初から想定をしていたとおりの感じで乾燥して良い長さになりました。午前中のうちに、その新しい布をストールの形に仕上げてファーストサンプルが完了しました。デザインだけを変えれば、いろいろと楽しめそうな素材です。

目新しく感じられるような極端に新素材というのは、本当は1年以上掛けて開発をすべきなものです。生地にしてから一年ほど寝かせるといろいろな問題も見えてきたりするもので、検査だけでは見えないさまざまな問題も、手元において時々触ることで手の感触で問題を感じることもできるものです。通常、5年ほど手元においていい感じのものというのは安心して世の中に出していけるものです。

夜は、出荷の帰りになぜか工業団地の田んぼで花火が上がっていました。安土でなにかこどもの日に絡んでのイベントだったのでしょうか。少し車を止めて眺めていました。日本の花火というと普通は川原で打ち上げられるものがほとんどですが、田んぼで打ち上げられる打ち上げ花火というのは近くで見ることが出来るので圧巻です。まだ、夏でもないのに、日本で花火を見ることができ、30分ほどのことですが、得をした気分で会社に戻りました。
2013年05月03日
夏のストールというのがストールブームだけに終わらずに、根強くある背景には、首が焼けてしまう紫外線防止というほかにも、肌寒い朝方や夕方などに羽織ると肌寒さが抑えられたり、また、冷房が効きすぎた部屋の中で膝に置く等して肌寒さを防止するなどに使えるからだと思います。

暖房に関してはそれぞれの人が暑いなあと感じた人が服を脱ぐなどして温度調整ができるのですが、冷房に関しては、寒いなあと感じてももうそれ以上に服を持ち合わせていないので、冷房自体を弱めるしかないのですが、他の暑いと言う人がいれば、なかなかみんなが満足できる状況を作り出すのは難しいものです。

昔学生時代、カリフォルニアにいたときも、教室の冷房に慣れている先生というのはどんどんと冷房を下げていきますが、休み時間など常に外のテーブルで日光浴をしていた私などは教室の中は寒くて好きではありませんでした。布の暖かさくらいで体温をコントロールできるくらいが一番、体の機能の衰えなども少なくよいんじゃあなかろうかと。

栄養剤に近い健康食品なんかも、それ自体は体に吸収が良くても体が吸収するという機能を衰えさせてしまう恐れが大きいもので、本来は自然の食品から栄養は吸収することが大事です。日本の一部の栄養学者も、食育で健康補助食品を薦めたりするタイプありますが、日常の食生活においてタブレット化されたものから栄養をとって満足という教育、ブロイラの成長ホルモンや抗生物質混じりの食品で育てられる鶏の健康管理に似たところあろうかと思います。
2013年05月02日
5月になりましたが、ここ数日肌寒い日が続いています。桜も葉桜になりながらも、桜の咲いていたときよりも陽気を感じることができず、天気もよい感じでも肌寒い5月です。自動車で出荷などに出たときの、私の楽しみのホットブラックコーヒー。

今日は、ミスって、コールドのブラックコーヒーのボタンを押してしまいました。しまった、と思って、ホットコーヒーを買いなおそうとしましたが、すべてがコールド飲料。5月1日から、自動販売機もつめたい飲み物だけの提供というのが毎年の出来事です。まだまだ、寒いのに、人の感覚ではなく、制度的に切り替える自動販売機。売れ行きも落ちるだろうなあと思います。

年中リネンを扱っている林与が、季節を語るのも、がまの薬売りかもしれませんが、自動販売機なんてもともとホットとコールドの両方を扱えるのに、5月1日から多くの自動販売機において、コールドに統一してしまうというのが当たり前なの毎年のことながら不思議に思います。

今日は、特殊な糸を繋ぐ作業、糸のトルクが大きすぎて、糸が束になってひねれてしまい、手作業で1000本ほどを繋ぐ作業3倍くらいの手間です。これほどまでに扱い難いものだからこそ、扱いが難しいから壁を越える意味があろうかと思います。スナールもクリアして、糸が届いてから2日で基本的なファーストサンプルが出来上がり。難しくても迷わずに進むということ大事に思います。
2013年05月01日
5月は、私の誕生日の月です。アメリカに留学してから年と言うものをほとんど気にしなくなって、いつも年齢を書かないといけないときには、昭和44年生まれだと周りの人に正しい年齢を確認します。

5年ほど前に、軽自動車に社員4人を載せて買い物にいったときに、定員オーバーというのも知らず、パトカーに止められましたが自分の年齢を警察官に尋ねてしまったがために家にまで警察が電話して私の年齢を確認をしましたが、そのとき、父親が出て、警察の「息子さんは何歳ですか」という質問に父親も「分からん」と正直に答えたようで電話された警察官の方が困っておられましたが、林与なんて何月何日とか何曜日も忘れるくらいにテレビも一切見ることなく仕事をしているのでそんなものです。

日本というのは年齢の1歳の違いが大きかったりするので、年齢を気にしないライフスタイルというものもあってもよいのではないかと思うところです。実は日本の昔というのは年齢よりも本人の力量が大事だった時代で、出来る年下のものが抜擢されることが多かったものです。戦後は、ステレオタイプな人生が敷かれ年功序列型に固定されてしまって、大人であっても誰かが食べさせてくれる生活が当たり前になりましたが、大人が自分で食べていけないという状態が長続きするはずもなく、そろそろ日本もいろいろな国に追い越されて終わりかなあという局面。

戦前なんて死ぬまで現役が当たり前、70なっても80なっても、畑を耕すようなおじいさんおばあさんが当たり前でした。それって、今の時代の30代、40代でも逃げてしまうような力仕事。年齢というものに縛られて、できることもできない気分になってしまうというのも情けない話。
2013年04月30日
今日はセントレアで見送りです。セントレアの駐車場はゴールデンウィークだけあって、満杯状態で臨時駐車場への駐車となりましたが、実際に空港の中に入ってみると、便のコードを重複させてたくさんの便が飛んでいるかのように見えても、実際は一時間に2便あるのかないのかという状況。

関空にしろセントレアにしろ、アクセスの難しさという交通機関としての致命的な問題を抱えており、無理と不便にするあたり利用者も少なくなり維持も難しくなるばかりだろうと思います。空港に行くこと自体が不便で半分くらいの利便性に落ち着いてしまっているのではないかと思えるのです。

どこの国の空港も保安の面などから搭乗口までの距離など長くしてわざと不便に作ってあるところもあろうかとは思いますが、空港といえども見えない競争には晒されているものなので便利な空港でなければ競争には負けてしまうものです。

本来はプラスのものならプラスの蓄積が生まれますが、マイナスのものを抱えてそれを支えるとなると、ほかの切り詰めた部分から助けないとならないようなアンバランスで、国単位での自由競争を想定すると「贅沢な子」を抱えた国というのはそれを補うためにまともな力を無駄に費やさないと駄目になろうかといえます。

空港行くのに外国に行くのと同じくらいに時間も掛かって大変なのそろそろ止めませんか。日本にエコノミストがいくらいてもこれほどまでにミクロ的なことを考えるばかりで、マクロで国の経済を考えるとかしないと何億円もの莫大なお金をかけてつくる法律や制度、また、法律や制度を作ってまで作るものやサービスすらも短絡過ぎて国の将来にとってマイナスのものが多いです。

原発でもハリボテの保安院が浮き彫りになり、電力会社のトップたちにしても、人の命や環境に関わる問題すらもがその人たちの保身や数円の利益と天秤に掛けられ犠牲にされるというのが実情。それならそれで実質的には利益優先主義そのものなのですから、お金のための原発ということで、チェルノブイリの何分の一規模の環境破壊につながっても継続の本質、最初から環境など綺麗ごと謳う必要なかろうかと思います。
2013年04月29日
今日は昭和の日、祭日なので電話も少なく、落ち着いての作業。できていないことをひとつづつ順番にこなして行きます。こなすスピードよりも依頼をいただくスピードのほうが速いことのほうが多いもの。

ものづくりできる環境を持っていることは恵まれていることであって、それがゆえに、普通のお店のように「ある、ない」の答えですまないところがあって、「できる、できない」の話になることも多いのです。

タイミングさえ会えば出来る、タイミングが合わなければ出来ない、というような話は、林与自身の問題以外に、染色工場さんや加工工場さんとのタイミング、また、生産の流れの中で、流れているものに乗ることができれば、できても、それだけを数メートル作るとなると十数倍のコストがかかってしまいます。

夜に生地を探しに倉庫に行きました。倉庫の中には何十年も昔に作った生地が眠っているのですが、こういう生地はできる限り眠らせておくことがよいんじゃあないのかと思います。日本が世界の中で一番に輝いた昭和の時代のものづくり、平成の時代のものづくりとは違う価値観が詰まっている気がします。
2013年04月28日
昨日のお客さんと話をしている中で、麻の歴史で、なぜ、近江上布の特色の一つである赤苧が麻織物の歴史でクローズアップされないのかは本当に不思議なのです。鎌倉時代といわれる奈良晒の起源にしても近江上布の細番手にしても、もしかすると奈良の寺領であった東円堂にあったりするのではなかろうかとも思うのです。もちろん、東円堂で作られた米や織られた織物も奈良のお寺に納めたものと考えています。

それ以前は、大国荘は依智秦氏が開拓した地域で、それは徐福の子孫の存在を思わせるのです。また、近江湖東地域というのは関西でも一番くらいに社寺信仰が強い地域だとされ、渡来文化の強い影響の名残りだと考えられます。林という姓にしても、麻を意味し、また、徐福の四男である徐林の名残の可能性も高く、秦の始皇帝の追跡を逃れるために徐という姓を消すことは非常に大事だったことは考えられます。

赤苧から繊維を取ることは大麻や青苧から繊維をとることよりも格段に難しいとされていて、現代では再現が不可能に近いものではあります。それが近江上布の一つの特色であり、他産地の麻織物よりも高級な域に達していた理由ではなかったかと思うのです。

林与に眠る1トンほどの手績糸が、青苧なのか赤苧なのかは、一度分析が必要かと思うのですが、昭和27年あたりの紡績時代の紙に包まれ、使われずにおじいさんが保存したことからしても、戦後は、手績糸が手に入らないといわれていたので、江戸時代や近江上布本来のものづくりを残そうと林与の先先代が動いて残そうと動いていたものと思います。

新聞紙に包まれて、箱に密閉に近い状態で保管されており、糊付された状態なので劣化も少なく、一束取り出して事務所で5年ほど放置してありますが、非常にしっかりとしていて、強度にしてもとことん強くよい感じです。それが戦後麻織物が解禁されたといわれる昭和27年以前の原料とは思えないのは誰もが驚くところです。

私のおじいさんが戦争が始まるということで、もう良い糸が手に入らなくなるというのを予測して、買えるだけの手績の糸を買ったのではなかろうかと思っております。そして、戦後の解禁された昭和27年に糊付けを行い、糊付後も60年近く、今まで完璧に近い状態で保管されているというのが私の推測です。

おじいさんの考え方というのは、亡くなる直前のオイルショックの前触れを察知して、よい材料が手に入らなくなるということで、花王のマルセル石鹸を何百キロも買ったりしたりで、ものづくりを本当に大事に考えるタイプでした。今も、40年ほど昔の花王のマルセル石鹸、林与では手を洗ったりするのに使っています。
2013年04月27日
今日は3日ぶりに会社に戻って、留守中にいただいていたご注文の在庫確認など。ゴールデンウィークに入っているので、電話もほとんどなく静かです。お昼には、近くの台湾料理のお店に行って、そのついでに秦荘マーガレットステーションに寄りました。ちょうど、一人パフォーマー的な大道芸の方がパフォーマンスをやっておられました。

5個のボールを操ったり、バランス台など。大変だなあと思ったのは、自分ひとりで演技の説明もされながら、音楽のボリュームもコントロールしたり、自営業的なパフォーマンスなのです。なんとパフォーマンス時間はたった10分ほどですが凝縮されていて良かったです。

大道芸師に憧れる人、しかも自分で技を磨くようなタイプの人というのは、お若いのに、子供たちに夢を与えたいような夢のある方だなあと思いました。芸そのものよりも、その姿勢の美しさみたいなものに応援したい気分になります。大道芸人の厳しさは、自分で食べていかねばならないところで、見て楽しむことに代金が約束されていない形だと食べていくのも大変だろうなあと思えます。それでも、アルバイトしながらでも、お客さんの多い週末にパフォーマンスするなど、サーカスと比べると食べていきやすいのではなかろうかと思います。そういうスタイルって強いと思うのです。

夕方は、お客さんでした。麻の歴史的な話をしていると、麻織物の歴史というものが非常に不鮮明であることを感じます。それというのは、不鮮明にするための要素がやはり働いていたものと思えます。同時に産地での工場の廃業のお話を聞いて、強い技術を持っておられるところでも高齢になられると次につないでいくことの難しさを感じます。
2013年04月26日
日本の方の多くが知っておられないのが、中国という国の現在の状況です。いまや中国の中級地方都市でも東京以上に高層ビルが立ち並んでいます。中国はいまやアメリカを抜くようなインフラの整備が完了し、高速道路なんかも当たり前に日本の高速道路以上の規模で中国全土を走っています。世界中の資本が中国に集中した結果ではあります。

中国は、ドル連動型を保ち、変動相場制に移行しなかったことが、基軸通貨のドルが弱くなればなるほど中国経済が楽になるというのが、経済発展の最大の理由にあたるかと思います。これは、物価が異なるときに、物価の低い国から高い国に物が流れ続けるという購買力平価の原理を最大限に活用できるもので、作れば売れなくて損の国と作れば売れて儲かる国を作り出します。最初は小さくても、規模が大きくなるほど規模の経済も働き、どんどんと加速していくものです。アメリカは国内製造をやめ中国での生産に移行せざるおえないでしょう。アメリカの商品が売れなくなるとアメリカ経済が悪い状態でドル安をもたらしますが、それが中国経済がよい状態で元安に結びつくので、加速度的な経済発展につながります。

日本の経済発展の場合、変動相場制以後は本質的に止って、それを金融の緩和でバブル経済に誘導し見せかけの好景気を作り出しました。将来中国元が変動相場制への移行で起こる可能性も高いですが、それが起こらなければ、基軸通貨であるドルが弱くなればなるほどに中国経済が発展することになります。日本が基軸通貨であるドルを守ろうとすれば同時に中国元を守ることになるので、日米の貿易摩擦を解消しようと円高誘導すれば、アメリカの商品と中国の商品が同時に日本国内に流れやすくなるという効果をもたらします。

中国が、このわずか20年で世界中の資本を集めることが出来たのも、このようなメカニズムがはたらいたからであろうと思いますが、国の経済というのは政治と連動しているので、日本経済が立ち直るようなことも政治がこのままだと不可能に近いんじゃあないかと思います。国の政策というものは、為替とすらも関係のない、国内でものづくりしているものにも大きく影響を与えるもので逆風のトラップ、抜け出すことは難しいでしょうし、政治の方向性からしても逆風は強まるばかりだろうと思います。
2013年04月25日
今日は、中国では記念日なのでしょうか?ホテルにいると近くで花火の音が聞こえます。通訳のものに尋ねると、中国の花火というのは個人が打ち上げるとのことで、日本の花火大会の半分くらいの規模のものを個人がボンボンと打ち上げたりするのが当たり前ということです。結婚式があったのか、あるいは、お店の新規オープンなのか、誕生日なのか。

しかも、ビルが密集する街中の公園で打ち上げてしまうので、やりすぎじゃあないのかと思えます。夜、10時を過ぎていても花火をまだ上げていて、警察なんかもそれを止めようとはしないので許容範囲なのだと思います。

中国の家が石で出来ているというのは、火事を防ぐ効果もあろうかと思います。日本の家というのは木で出来ているので火事が起こりやすく、火の用心の文化が根強くあって、そういう用心深さが日本人の品質意識にも結びついている気がせんでもありません。台所に火の神様の文化も、木の文化と強く結びついているものと思います。

日本の文化で大事だったのは、火鉢の文化や蚊取線香、今ではすごいなあと思えるアンカの文化。燃えやすい布団の中に火のついたもの封印して持ち込むというリスクも覚悟で暖を取っていたというのがほんの40年ほどの前の日本。
2013年04月24日
今日から上海です。今日は上海の高級カジュアルブランドの事務所にお邪魔しました。ブランド兼オーナーのデザイナーさんと、通訳兼PR担当の方、ならびにアシスタントの方との打ち合わせ。

打ち合わせの前に、ショウルームを見せていただいてブランドさんに流れる嗜好的な部分が、やはり素材の選択にあるのだろうなあと思いました。ブランドの立ち上がりから10年数年ほどで中国全土に100店舗ほどになっておられ、急激なスピードで成功を納められて。ブランドを立ち上げられたときのコンセプトが流れ続けているのがよいところなのではなかろうかと思うのです。

インターテキスタイル上海でも、そのブランドさんの若いデザイナーさんたちも毎年林与のブースに来てくださって、昨年サンプルとして買ってもらったストールを首に巻いて来てくださるなどもビジネス以外の部分で特別の意味をもって、接して下さっているのにありがたさを感じます。
2013年04月18日
才能というものが一番表れるものに絵画の世界があるのでしょうが、私の場合は、書いているうちに絵らしくなっていくくらいで、頭の中に絵が浮かびませんので駄目かもしれません。

ミルツルさんから新作展のご案内状をいただきまして、案内状にあった「つばめダンサーズ」というテキスタイル、かわいいです。弊社の生地をベースに刺繍を載せた生地だということで今度見せてもらえるのが楽しみです。それにはすごく才能を感じたのです。布が人々を幸せな気分にさせるというのはいいですね。手の落書きっぽい味のあるもののほうが面白く思える。

織物も頭に織柄が浮かぶタイプの人というのもあるでしょうし、単に織物というだけでなく洋服にしたときにどのようなイメージになるのかまで瞬時に頭の中で描けるひともあります。デザインというのは、実際にはスタイルの問題なので、どんなデザインが良いというのは美人投票みたいなもので、時代にもよりますし人にもよろうかと思います。

売れる柄を狙うなら柄を組んだりしないほうが良いのです。日本の場合は、まず、シンプルな白無地で風合い勝負、次に、ベージュ、紺、黒などのベーシックカラー。こういう傾向というのは店頭では特に大事。クリエイティブなデザインのものを創造するのがデザイナーの仕事であるように思いますが、商売を考えるとベーシックな柄で攻めるのが王道であることが多いものです。
2013年04月15日
今日は午後から長浜にある東北部工業技術センターに行き、試料の分析を行ってもらいました。生地がコットンなのかリネンなのかという分析です。顕微鏡で見るとコットンの場合にはリボンがひねれたような形状をしていてリネンは糸が丸くストレートです。

普通では糸の一つの織目すらも数えるのは大変ですが、顕微鏡を使うと、10000倍くらいに拡大されているでしょうか、糸を構成する繊維の一本一本ひねれた状態までもモニターに綺麗に映し出されます。

顕微鏡というのは大きく見えても万能ではないというのは、光の屈折を利用して拡大しているので、焦点距離というのがあるために、ひねれている一本の糸でも同じ距離にないとくっきりと見える部分とくっきりと見えない部分があります。

コットンもリネンもセルローズ繊維と呼ばれ、原料は同じで外観が異なるみたいなものですが、見た目の光沢観や風合いなんかも変わってきます。コットンがマットな感じに見えるのは、一本の繊維が扁平気味で、屈折しているから、光がコットンの繊維には均一にあたりにくいということになろうかと思います。
2013年04月13日
今日は細かい作業が必要なことがあって、お友達の電子部品製造工場に拡大鏡を貸して貰うことにしました。この工場というのも、実は英語関連で奥さんとお知り合いだったのですが、ご主人が工場を経営されているということで分野は違えども参考にさせていただくところが多く、才覚を感じるものづくり。半田付けでは世界屈指の技術をもたれています。

大きな製造工場というのは設備依存で人の技術や作業が伴わないことが多いのです。製鉄でも今の製鉄技術よりも2000年昔の渡来人が日本の鉱資源と結びついて発展させた「たらら製鉄」のほうが何十倍も技術が上というのも面白いものですが、当たり前といえば当たり前。製鉄技術にしても最高峰のものを考えると一番最初の技術に戻ってしまうというのが面白いところです。織物の世界も同じで、エジプトのミイラのリネン布が今の時代の布を超えているというのも同じです。製鉄技術にしても織物技術にしても2000年昔の技術を今の技術が超えるのかというと、人の要素が一番大事ですので、その面で、超えることはないと思います。

小さな工場というのは、人の力が命だなあと今日も社長ご夫妻とお話をしていて思いました。
2013年04月12日
今、ある生地開発に伴いリネンの伸縮の問題を考えています。よく、お客様からリネンの通しが必要ですかといわれます。一般的に市販されているリネンというのは水通しすると縮む傾向にあるかと思います。なぜ、リネンが縮むのかというと、それは引っ張り出して仮に幅を出しているからです。イメージからしますと引っ張りながらアイロンを掛けた上体というのが、市販されているリネンの一般的な状態です。

そのためリネンショップでは使用する前に水通ししてくださいという表記が良くされています。水通しすると、仮に幅を出していたものが解け、生地がリラックスした状態になり、それをまた乾かすと通常は縮むのです。時折ですが、縦に引っ張って加工したリネンというのは横が入っている傾向にあるので、水通しすると幅が広がるようなこともあったりします。横に引っ張り出しすぎると縦が縮んだ状態なので、生地が伸びるということです。仕上げのときに横を引っ張り出しすぎると縦が詰まっている状態なので、水通しすると縦伸びすることになります。

収縮検査というのは、絶対的なものにとらわれがちなのですが、一般に水通ししてそのまま乾かすと収縮物性は極端に改善をいたします。加工工場の方も、こういう理屈をご存じないケースが多く、生地を同じに織って投入をしても、加工時の布に掛かるテンションで物性というものは揺れ動くものなのです。

また、検査機関の方もご存じないのですが、検査に使う試料というのは一番端を落とすことが多いので一番物性が不安定を検査していることが多く、最初から物性の悪いところを検査しているので検査に引かかるのも当たり前のようなことも多いのです。
2013年04月11日
今朝、東京から帰り、午後からは京都からお客様でした。今回の東京は、非常に充実していました。いつもの展示会での印象と違う印象を受けたのが今回の東京でした。展示会は力任せのスケジュールで行くことが多いのですが、今回は、詰め込みながらもそれなりの計画を持って動けました。

動くのはものなのですが、そのものを動かすために大きな設備空間が必要だったり、お店が必要だったり、人がたくさん必要だったり、して、一つのものに人が出会うということになります。一般にものづくりという話になると、ものをつくることに主点が置かれますが、小さなものをつくる以上に大変な部分はどうするのですか?というところから始まるのです。

物だけが単に出来上がることはなく、物が出来上がると同時に、人々に仕事が生まれ、より大掛かりな設備や、文化や人の流れも出来上がってくるものです。また、ものづくりというものは新しいものを捜しがちですが、蓄積されたものを生かすような動きから新しいものを生み出すほうが真似のしにくい世界だったりします。

そういう中で、文化に広がりができるもので発展もありえるのだといえます。時々、宇宙というものを考えます。宇宙の果てがあるのかを考えるときに、宇宙というのも無限ではないだろうと思うのです。発展というものも元に戻るような限られた空間の中で作り上げていくものであるのが自然じゃないかと思います。
2013年04月10日
今朝は、東京、新宿伊勢丹さんのリビング雑貨コーナーを見学、林与のリネン生地を使ったエプロンをコーナーに展示いただいていて、これからリネンの季節、他のプリント生地などに負けないくらいに素材感が出ていました。

午後には表参道のお店を覗いて、渋谷のお店に立ち寄り、夕暮れに二子多摩川のリネンバードさん。今回はリネンバードさんの10周年ということでお伺いすることがきっかけになりました。リネンバードさんというとリベコさんの生地がほとんどなのですが、このイベントのタイミングに合わせて林与がシャトルで小幅に織らせていただいた生地もお店で扱って下さってます。10周年の鳥をデザインしたオリジナル生地も見せていただき、デザインされた方にお話伺いました。

夜、レンタカーを返す前にアポを取って工房さんに立ち寄りました。職人さんたちが帰られたあと、外のデザイナーの方が作業をしておられ、自分自身の作品を自分で仕上げる姿勢というのは理想的で美しい。工場も戦後のレトロで、林与が失ってしまった世界、作業現場も味のあるまま残したほうが良いというのが、昔の作業現場の建物を片付けてしまった林与の感じるところ。

作業環境というのはものづくりする上で大事だなあと思うのです。作業現場にしても恵まれたものを求めようとするとできないことが増えてしまう。あるものを造るときに作られた道具など必要なくなっても、そういう道具や材料などが捨てられずに残っているのと残っていないのとでは大きな違いです。

今の時代、自分で道具や機械を作って、ものを造ろうとする人というのは少ないものですがそういうのって本当に大事。ものをつくるときにものを造る道具から自分で造ったり、修理したり。林与も昔の倉庫の道具を見ていても、おじいさんが自分でつくったり、鍛冶屋や大工さんに指図して造ってもらったものがほとんど。自分でものを考案して造っていくというところ、日本の織物の文化の形成と深く関わっています。
2013年04月09日
今日は、海外輸出の生地の出荷、神戸の保税倉庫に搬入する途中、税関の想定価格よりも高いということで理由が必要とのこと。長期的に続いた円高のトレンドの中で海外のバルク向けにドル建て価格を落としてはいるが、通常の3倍重い超厚織タイプで、使う糸だけでも織る前の段階で普通の生地の値段を超えてしまっている。値段も正直なところなので高く思われてもどうしようもない。

午後に会社に戻って、今月、来月の出張や展示会の飛行機やホテルを段取り、今日の夜出発する東京行きも、午前、午後、夜と、いつもなら展示会だけでとんぼ返りが多いので、今回は比較的じっくりと予定を組んでの東京。訪問先も駅から離れているところもあるので東京でレンタカーを借りて回ってみようと思う。新しいことを試してみるのは楽しい。
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