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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2013年04月08日
今日は夕方加工工場の社長さんがキッチンクロスを探しに来て下さり、いろいろと加工のことを尋ねてみる。昔の反物を引っ張り出して、同様の加工ができないのかとか、私自身が良いと思うイメージのものを生み出せればと思うところ。

技術的なものに関しての相談なども最大限の柔軟性での対応で、私自身の中で煮詰めてきた加工がバルクのものとしても実現が可能になりそう。展示会でもリネン関連のトレンドとしてエコやナチュラルなものを林与の主流としてご覧いただいて、そういうのも海外で非常に好評で、トレンドとして出来上がり整合性が増してきた気がする。

林与の特徴的な両極、超細番手ガーゼ+ナチュラルと、超高密度HD+ナチュラル。織の技術でプレーンな平織ながら新しい感覚を引き出す。そこに、リネンらしい素材の良さが出たり。日本の麻織物がどんどんと綺麗に進化した後に、たどり着くのは、廃墟の美学的な、木の文化を思わせるワビ、サビ、味の世界。高級ブランドには厳しいところありますが、高級ブランドのデザイナーの方なども自分のブランドのテイストとは違っても、普通の綺麗に仕上げたものより、リネンの表情としては良い感じだとおっしゃって下さる方が多いのも事実です。

ブームとしてのものではなく、本質的なものの良さを打ち出したいと思う。今年はアイリッシュリネン140番手の風合いを目指した、リネン150番手ストールのシリーズを拡充する。リネン25番手HDシリーズの拡張的な、厚織のリネンのシリーズも新たな顔の生地が誕生。後ろでいろいろと試してできた、自分の良い感じのものを販売できるように生産することなんですが、試作で満足して皆さんに見てもらっているうちにどっかに行ってしまったみたいなこともよくあります。
2013年04月07日
見本つくりに莫大なお金が掛かることは、業界におられる方でも、川上、川下含めて、ご存じないケースがほとんどです。ずいぶん昔のことで、2週間ほど掛かって20柄くらいの柄と色を掛け合わせた、100mほどの枡見本で、見本代を払って本番の単価を落としたいといわれて、7万円を請求させていただいたことがあって憤慨されたことがありました。

それは見本を織るために働いた職人さんの織る分の2週間の人件費の半分程度。織る人件費のほか、糸のお金、糸の染代、整経、ドビーカード代、加工代と、他に払う分を足すだけでも25万円ほどの直接的コスト。間接的な僅かは省いて見本なので私自身が無料の想定としても掛かるだけで大きな費用です。なぜ、ものが作れ流れるのかというと当たり前にそういう費用を認識して負担して動いて、そういうのを理解することは難しいだろうというのも分かっているからで説明もなるべくしないようにして伏せていますが、何分の1かの費用であっても大きいと思われるほどの大きな費用は当たり前に存在し、人や技術を養う経営者感覚的でないと新しいものを作ってその費用を回収するというのはアンタッチャブルな世界に思えるかもしれません。

見本をつくる工程の中では売り手と買い手のお金の流れも実質逆転していることがほとんどで、そのときにお金の流れは伴わなくてもそのあたりが理解できている循環の中にいるとトータルでの成長というのもありえましょうが、それが理解できていない流れの中だとどんなに良い物を作っても逆にどんどんと収縮する循環の中にいることになります。

カードをパンチしたり糸を準備したり規格の密度決定、再現性のためのすべての糸の準備とノート1冊の半分ほどのデータ記録を管理していますが、自分が無料で働いたとしても、新しくものをつくるというのは持ち出しでお金のかかるものなのです。そういう意味で、働いてお金を払うということが常識なのが経営者的な考えなのだろうなあと思うこと良くあります。経営者的に、お金の動きを抑えたければ、リスクを張るとか、とことん自分で時間を費やすとかしかないものです。

それをしないと新しい形のものが見えてこない場合が多いので、必須のものではあるのですが見本をつくるということは、まさにマイナスの仕事なのです。林与にある10数メートルから1反ほどの見本で作ったいろいろな反物というのは損の積み重ねで、作り続けている部分があるので、そういうのが生地を作る上での財産なのです。好意的に残布の処理のお手伝いを考えてくださる方も多いのですが、見本布の価値というのは通常の布の何倍ものコストを掛けた分の価値を持っているものです。

今の時代、商売は、リスク回避が仕事になりがちで、同じ年月を使っても大きなことはできず。昔の商人のように自らの命を掛けて行商に出るのがあたりまえ、自分の歩む道が平坦であるよりも険しいものを良しとするのとは対極的。近江商人の三方善のような理想を支えようとするとその自分に対する厳しさがなければ、三方善すらも三方偽善に終わります。

繊維の世界では、大手のSPAが、リスクを覚悟で海外でものづくり、それはそれで天晴れなことだと思います。そろそろ、日本国内でも大学卒業したような恵まれた人たちが集まって、そういう満足に教育も受けることのできないといわれる国の人たちのものづくりに負けないものづくりを考えてみてはどうかと思うのです。人のスケールの問題にしても、日本人と外国人と立場が逆転していること多くなってきて、日本ではものが作れないというのも現実的な話になってきました。

海外から新規参入されて競争を挑まれていて、日本的な高コスト体質や為替の問題などあって同じレベルで仕事をしていたら勝てるはずもなく、単純に3倍どころでなく10倍の仕事が要求されますが、同じレベル未満の仕事であると成長も見込めず負けは必至です。まだ、言葉や国境という壁に救われているだけ、国内でも、繊維の産業も共栄共存が成り立つように考えていくべきではなかろうかと思うのです。
2013年04月06日
朝から、テレビニュースを見た70過ぎの母親が、今日は台風みたいな風と雨がくるので、会社周辺をそれに備え片付けようとしています。仕事のほうが詰まりきっていてそんなところに頭が働いたことがなく、そんなのは気にするほどのことじゃあないからというのが、一年に10回くらいはあるでしょうか。

昨日は徹夜に近い状態で、お昼過ぎまで作業を積み重ね。春の暖かさの中で全身脱力感に襲われ、3時間ほどの睡眠で回復し、そういうところから通常の状態に戻ったときに、すごく元気に仕事ができるものです。

カリフォルニアに居たときのクラスメートから今年の冬は久しぶりに一緒に長野でスキーをしよう連絡がありました。そのクラスメートもパワフルな人生、半導体製造メーカーの執行役員ながらも相部屋で泊まるスキーツアーで友達を見つけ日本に来るタイプで、山があれば山に上りたいタイプのアメリカ時代からの親友の一人。頭じゃない行動力やハート的なものがいい感じなのです。

日本のスキー場も昔と違って、スキーブームも去ってしまい、海外からの観光客に支えられているというのは、どうやったら昔のようなブームをブームで終わらせることなく、今も同じようにやっていけたのだろうと方法を考えるところ、ブームをつくるでなく、ブームをつくらないことも最良の経営手法の一つだろうと思います。
2013年04月05日
今日は、午前中、東京から糸関係のお客様。林与が何年か掛けて本腰を入れて取り組めそうなプロジェクトの種を植えにきてくださいました。非常に特殊なものなので、やるからにはやるで思い切ってやってみるのが、楽しい。

連日、非常にポイントを絞ったお客様が続き、具体的に何をつくるのかという話が進んで行きます。ものづくりしていると問題なんかもいろいろと起こるとういのは、サンプルなんか作っていると当たり前のことで、今回の新しいプロジェクトもいろいろな問題と遭遇するのだろうなあと楽しみなところです。

夜は、がんばって織ってますが、なかなか安定して織るということが難しい。デゥーレッティングとウォーターレッティングの差というものは、明らかなる織りあがりの風合いの違いに出てきており、ウォーターレッティングで苦戦中。

そのほか、変則組織の織物を巻き戻して織ってみたり、なんか、織っているものはほんと少ないですが、できるできないということの壁を無理やり越えてのモノづくりが多く、一日に何十倍もの重みを感じます。どう考えても織れないと思っていたものが、覚悟の深い一日の仕事で解決方法が生み出され織れて行く、これって、時間が戻るような感覚に陥ります。
2013年04月04日
今日は午後から滋賀県で機能性糸を手がけておられるお客様。麻織物と掛け合わせての開発となりますが、普段の麻織物の世界とは別の切り口になりそうです。いろいろなアイテムに応用ができるのではなかろうかと試織と並行して用途の模索に入ります。

今、今年の春のものづくりの最後の追い込みに入っています。仕事がピークを過ぎるのですが、やはり最後まで残る仕事というのは難しい仕事が多いもので、仕事の量は減っても質的には負荷が大きいこと多いのです。まあ、丁度仕事量が減って最後の締めくくりに時間を使えるので悪くはないのですが…。

人を抱えてする作業が少ない会社というのは気の毒に思います。経営が苦しいだろうに見えるから気の毒というのではなく、会社に来てもする仕事がないので、それを続けていると、働く人の能力というものが落ちていくのです。仕事がなくても給料がもらえるのが当たり前みたいな、最後には、給料を貰っていても仕事をするのが苦痛になる。

仕事があると嬉しくないとならないはずなのですが、逆の心理に陥ってしまいがちなもの。忙しくなったとしても、仕事の出来る人というのは常に仕事に溢れていて、仕事の出来ない人というのは常にできる仕事がないというような両極に分かれることになります。仕事のないときに仕事を生み出す能力を持たないとそのときに仕事がないというだけでなく仕事があっても仕事ができない体質に陥ってしまいます。
2013年04月03日
最近は、地球環境を守るためにサステイナビリティが口にされることも多くなりました。サステイナビリティというのは、「持続性」と日本語化されることが多いのです。今のリサイクル法の概念は使えるものもリサイクルしてしまうというもので、反サステイナブルな発想で、営利目的で動いているものがほとんど。

半永久的に使えるものをつくることのほうが大事です。ものが満ち足りたときに需要と供給の関係で安くなるというのは経済学の基本的な理論ですが、それは、サステイナブルな状況を生み出すわけではなく、逆に地球環境にとって、一番危ない状況です。リサイクルシステムなども経済原理に法ると、結局、エコなものではなくなります。

日本でも、もののない戦後はものを作るために生産設備や工場をつくるところから始まりました。ものが満ち足りたときに、そのすべてが必要でなくなることをすれば、サステイナビリティは失われるのです。日本の場合は、中古の商品の価値がないとするのではなく、マイナスの価値を与えました。そのことは、エコの原理からすればまったく逆の理論です。

昔からある、コーラのビンの回収や空き缶の回収などで、数円の価値をもたせるようなことこそ、ものすべてに価値があり、ものを大事にするという基本的なエコの精神を育むのです。マイナスの価値を持たせるというのは、金満な日本を象徴するようなところあろうかと思います。
2013年04月02日
今日は、午後からお客様でした。あるテーマの企画を考えておられ、それに合うようなリネンの生地を探しに来られました。最近は、アパレル用途よりも、雑貨や資材系の用途のお話も多くいただくようになり、ほんとこの5年ですがいろいろな経験が増えて、経験の成果としての生地が事務所にたくさんあります。

工場の中では今、ウォーターレッティングの生成の糸を織っているのですが、シャトル織機の無地を織るときなど、生成の糸など、シャトルの管の終わりごとに色段ができることがあります。また、チーズ染色された糸というのも内外差の問題を持っているので、どのように糸を使うかで結果が大きく違うものです。

シャトル織機でもレピアと同じに近い感じで、一本の糸を使うように織る方法もあります。
他にも、多丁使いにして、色むらを散らす方法もあります。自然の要素を取り入れたウォータレッティングの糸というのは、カプリシャスで、色段も起こりやすいもので、今日も30番手の糸で問題が発生し、糸の使い方で問題を改善しました。

糸屋さんが、このウォーターレッティングの糸を廃盤にした理由というのも使うと一目瞭然で、この糸はいろいろな意味でやばいです。これを織るためには相当の技術が必要で、普通だと糊をつけても縦糸として使うことは非常に難しく厄介な糸といえます。私は、糸の色にほれ込んで織る覚悟をして使うことに決めました。
2013年04月01日
今日は、袋に入ったパンを午後に食べて、荷物を運ぶ少しの運動で、アナフィラキシー症状が起こり、体中に水ぶくれのようなかゆみを伴う疱疹が起こり、放って置くと血圧低下、呼吸困難を伴う非常にまずい状態になるのが見え、すごく危ない状態にまで陥るのです。

一般に治療法は安静にして症状が治まるのを待つしかないといわれるのですが、この機会に、治療方法を考えてみようと思いました。一万人に一人といわれる症状ですが、放っておくと死にいたるケースもあるアレルギー症状なので、悪化する前に自分で水泡の症状を抑えるような治療方法が見つかれば多くの人が救われると思います。

私の場合ですが、水泡症状が起きた場合、特に服と接触している部分の水泡が連鎖的に広がります。お風呂に入って、お湯というか水でも構いません、かゆみも止りますが、本当に水泡が水で治癒されるのかを試すために、水が体に刷り込まれることが大事と信じて、水につかった状態で水泡の箇所を思いっきり手でこすってみました。水に浸かっていない状態だと掻いたりすると水泡は急速に広がるばかりですが、水に浸かった状態で水泡を擦っても痒みも落ち着くのです。

水に浸かって10分で、アナフィラキシーのかゆみなども収まり、不思議ですが、水の中で思いっきり擦ったところほど水泡も落ち着いています。私の場合の結論として、かゆみを伴う水疱性の運動誘発性小麦アナフィラキシーは水に浸かって水泡を擦ることで症状が劇的に治まります。

一万人に一人といわれるアレルギーですので、病院でもショックを抑える方法などは発表をされていませんが、通常は、かゆみを伴う運動誘発性アナフィラキシーは加速度的に救急車を呼ばねばならないほどの危ない状態になり、いくら布団の中で安静に横たわっていても症状が悪化して危ない状態まで行くのですが、水に浸かって、あえてアレルギーの出た箇所を擦っても急激に改善する方向に向かいました。

これは、運動誘発性小麦アナフィラキシー症状の多くの人に適用する方法であるかどうかはわかりませんが、私の実験では有意な方法ですので、家で突然アナフィラキシーで危ない状態になりそうなら、ほかに方法がなければ試してみてください。

私自身は、同じような症状で苦しむ人や、そういうお子さんをもたれているお父さんやお母さんのためになればよいと思って、自分の治療法方を公開しています。どうしようもないときに試す手段として同症状の方に参考にしていただけたらと思います。

小麦を食べて運動すると静電気ににた電気的なものが、特に服との摩擦で皮膚の表面で起こる気がします。アレルギー症状が起こると電気的なものが広がる感じです。それが水に浸かることで静電気的なものが消え症状が治まるのではないかと、私自身は考えています。運動誘発性小麦アナフィラキシーはメカニズム自体が解明もされていませんが、もしかすると他のアレルギーにも有意な治療方法ではなかろうかと思うところです。温度的には、37度から40度くらいの温度が熱さも皮膚に良い刺激で水も皮膚に浸透しやすく一番良いようです。

この林与アナフィラキシー治療法は、病院にいく必要もなく、薬も必要ありません。アトピー症状も同じような症状なので、私はアトピー体質ではないので実験できていませんが、この手法アトピー症状の方のかゆみが収まらないときの症状の改善にも有意ではなかろうかと思うのです。体内のイオンのバランスが崩れるのが問題で、水の中には水素イオンと、水酸化イオンが含まれそれが必要に応じて体内に取り込まれることで症状が改善するのだと推測をしています。あるいは、あるいは水中にアレルゲンが流れ出し体内のアレルギー物質の量が薄まるのかもしれません。アトピーに関しても同様で、乾燥するとアトビー症状がひどくなられる方も多いので、水がアレルギーの改善に結びつく可能性は高いかと思います。

ただし、人によって体質は異なるので、あくまでも林与アナフィラキシー治療法として、すべての人に効くということもありませんし、逆に症状を悪化させる場合もあるかと思います。重度のショック状態に陥りそうな場合で、ほかに方法がない場合に最後の手段として試してみてください。リネン日記で書くには場違いですが、私と同じ症状に悩む人の命を一人でも救えたらと思い、憶測的なことも多いですが書きました。
2013年03月31日
年度末ですね。今日で冬は終わりみたいなイメージで、今日は京都にも立ち寄り、桜が綺麗に咲いているのを眺めました。京都の場合、この季節の桜は昼に見るよりも夜に見るほうが綺麗なのかもしれないです。昼間は観光の人で一杯になって桜を観に来ているのか人を観に来ているのか判らないところがあります。

私が一番好きなのは、軒並みかもしれませんが、京都祇園の桜、古い旅館をバックに古木が闇夜に美しく照らし出される様というのは、作り出された風景の一つであるかもしれませんが良い感じです。夜だとそれほど人も居ませんので、桜を見て余韻みたいなものに浸ることができます。

春休みということと花見のシーズンで、国道が混みすぎていて会社に戻ると8時すぎ、今日は年度末ながらも日曜日なので、それほど年度末らしさもないですが、麻織物の本生産のシーズンも終わりを迎えるときで、これからは見本つくりなどに向かっていくことになります。

今は、現物の注文などもいろいろなお客様からいただいており、4月もいろいろな生産の予定でそこそこ埋まってしまって、ゴールデンウィーク明けのプレミアムテキスタイルジャパン終了くらいまでの計画がほぼ出来上がりました。

ネットショップのほうもほとんど在庫がない状態で、すみません、暖かくなる5月末くらいを目標に在庫も2年分くらい大丈夫なように生産に着手し始めています。
2013年03月29日
近くの金襴織物の工場が、この月末で辞められるという話を聞いて、私の同級生の親父さんが社長をしておられた会社で、合うたびに元気になるような話をしてくださっていたのに、最近は入院され長引いていたようで、一つの工場のことというよりも、そういう地域に一つの文化を作り上げてこられたものが消えていくというのは惜しまれることです。

他の現場の誰かがそれを背負ってやっていけるかというと、社長である親方以外では無理だろうというのが普通だと思います。繊維関係も不況で会社のリストラなどで働いておられた方が同じ業種で独立をされるのをたくさん見てまいりましたが、よほどどこかのバックアップがない限りは、仕事をするお金を準備していくところから始まりますので、一つの企画を今までどおりに流していくことも難しいものです。
2013年03月28日
今日は、午前中、彦根市民会館での会議に出席。戻るとシャトル織機のヒガエがトラブル、調整しました。隣の台は、ニュービッグチェックを織っています。ニューといっても、ボーダーの柄を色違いにしただけですが、人気のビッグチェックに新しいバージョンが出来上がりました。グリンとか綺麗です。

日本の文化というのは、木の文化だといわれます。他国の文化に比べて、衣食住が植物で成り立っている部分が大きいというのが特色で、風呂敷のように包む布の文化が発達しています。風呂敷なんかもシルクのものが一番有名ではありますが、シルクも蚕ということで桑を育てるということが大事なのです。

よく展示会などでもたずねられるのが、麻に関しても原料から国産ですか、という質問です。現在、本来自生しているべき苧で糸を作るというのは難しく、一部国内でも青苧を育てて績んでの生産が行われています。上布と呼ばれる着物向けの糸の世界になります。リネンに関しては国内で生産されているものは、リネンの種を取るためのもので、繊維を取り出すためのものではありません。

苧なんてものは現在でも自生しているので、それを活用すればよいのですが、自然にあるものは背丈があるので大概、雑草として刈り取られてしまいます。大麻に関しては、昔は日本だけでなく、世界中のいたるところに自生していたといわれますが、それが今はどこにも自生していないということで、人の力というのはすごいものだなあといえます。

1年前にパリの展示会に行ったときに、オランダのアムステルダムでトランジットしました。面白いことにオランダもリネンの産地としてノミネートされ、一般には知られていますが、花屋さんに聞いても、フラックスの種というものの存在、知られないことが多く、オランダではリネンはマイナーなもののようでした。逆に空港にヘンプの絵葉書などが目立ち、普通、空港といえば大麻とかを取り締まるような場所なのに、ヘンプ文化を発信しているオランダというのも治外法権的な存在だからこそ、アムステルダムが世界のハブとして存在しうるのかとも思います。空港にカジノまで作ってPRしており、オランダというのは国を挙げて思考回路の違いというのを見せ付けます。

日本とオランダという国も遠くて近いのは、鎖国が敷かれた江戸時代にですら日本は中国とオランダとだけは出島を通じて貿易をしていたのです。それって、オランダがヨーロッパでも特殊な存在だったということだろうといえます。日本って、無資源国だといわれますが、日本が鎖国しながらも独自の特色のある文化を形成していたところを考えると、自然の恵みを生かしながら生きていくことできるんじゃあないかと思います。
2013年03月27日
今日は、午前中、染料会社の方がお見えで染色について検討させていただきました。面白いものができそうな気分で、これも新しいプロジェクトの一つとして動いていけたらと思っておるのです。

午後からは彦根観光協会さんの事務局にお邪魔しました。桜がまだなので、事務局前の駐車場にバスも一台もありませんでした。あと2週間くらいで、桜が咲くと彦根城の周りも賑やかになりそうです。

会社に戻ると、昨日調子が悪くなった織機を職人さんの調整が終わって、調子よく動き始めていました。ストールというのも1枚を織るのに複雑なものだと30分から1時間くらい掛かってしまいます。

このストールの納品が終わる頃には、桜も咲き始めている頃でしょうね。春も近く、リネンストールの納期が迫ってて、また、他の納期も真近のものがあってやりたいことは一杯ですが、繋ぐもの織るのも1本1本なので…。

リネンの紡績工場からは、展示会PR用に、弊社が織った150番手の生地を提供したということで、代金を払うといってくださるのですが、海外からの送金をしていただくほどの金額でもないので、代わりに150番手の糸を3kgほどサンプル用にいただくことで決着。

ものづくりというのは意欲のある人にやってもらうのが一番だと思うのです。今も、シーズンが終わって、意欲的に見本や新しいものづくりの種をまくことに動かれているところというのは来年も芽が出る可能性はあろうかと。繁忙期に大きな仕事があると小さな仕事を無理してまでやらなかったり、そして、閑散期になると小さな仕事でも欲しいというのでは、一番仕事が少ない一番厳しいときを、小さな仕事をするところが支えないとならないみたいな。

納期なんかでも今は短く、どこもが一時に集中するのですが、そういう一番大事なときにしっかりと仕事をしてもらえるところというのは、閑散期に困っておられるときに仕事を無理に作ってでも出したい気持ちになるものです。商売というのは、義理人情に熱い人には義理人情で、損得勘定の人には損得勘定で対応というのがバランスの取れた自然な形だろうと思います。
2013年03月26日
今日は午後にお客さまが2件、2件目のお客様は、弊社のリネン生地を使った商品企画をスタートされるということで動かれます。手ごろな小物からスタートされることが良いのではなかろうかという提案もさせていただいて、工場のシャトル織機も見ていただきました。

麻織物の世界と縫製の世界というのは別の世界のように思われるのです。着物の世界というのは戦後も比較的、麻を使い続けたのですが、寝装の世界の流れは麻というのはあまり使われることがなく、使う面積なども非常に大きいので単価を下げることが要求されるため、地場の布団カバーの縫製なども綿の素材などが良く使われていたみたいです。

寝装関連の製造の歴史も近江湖東地域は古いのですが、あまり、その歴史が伝承されていないのは、デザイン性がそれほど必要のなく特色というものが少なかったからでしょう。日本中で布団の縫製にしてもされていたはずでしょうし。

布団カバーなどの縫製の産業も昔は地場の花形産業だったのですが、今は、隣の隣の70を超えておられるおばあさんも私の子供のころから内職でミシンを踏まれていますが、今は、もうミシンの音もあまりしません。繊維産業で、今の時代、正規の雇用形態が多いかというと、内職さんが活躍されていることも案外多いのです。

日本的経営といわれた終身雇用、年功序列型賃金制、企業内組合や、社会保険システム、年金システムなども、戦後のひと世代を終える前に破綻してしまった感じです。日本の戦後型日本経営というのは、結局、成り立たちにくいシステムであるというのは、それが機能しているうちは分からないのですが、支える世代が無限的な広がりを見せていないと成り立たないというのはねずみ講と同じでいつしか破綻してしまうもの。
2013年03月25日
昨日、倉庫の一つでたぶんリネンだと思われる200番手超クラスの織物を発見しました。150番手、160番手あたりかもしれませんが、今のアイリッシュリネンプロジェクトの140番手をかなり超えているような繊細さです。

着物の時代から洋服の時代に移り変わったときに、一番良い物を作ろうとして手がけたあたりのものだろうと思います。糸の形状をみるとラミーではなくリネンっぽく、ビンテージな雰囲気が漂う反物たちです。

こういう昔の良いものというのは白く晒した平の織物であっても、着物の世界の名残で、日本でもほとんど織られることのなかった特別のクラス、本当に優雅でないとならない歌舞かないとならないような方のために取っておこうと思います。他にも、80番手X100番手で織り上げたアイリッシュリネンの反物も40反ほどP下状態で見つけて、糸からして光っていてしなやかで麻らしい、40年ほど前にはこんなものでも簡単にものづくりやっていたのだなあと思います。近江には最高峰の麻織の文化が宿っていたというのを実感するのです。

20から30種類くらいの白く晒したP下状態のビンテージな40年から50年ほど前のリネンの反物を全部で百反以上あるでしょう。白い反物にはあまり興味がなかったのですが、色を染めたりするときっと最高峰のリネン織物たちになるだろうと思います。日本のリネン織物文化の過去の世界、PTJなどでは、非売的な参考展示としてご覧いただくような形ででもご覧いただければ日本のリネン織物文化の役に立つのではなかろうかと思います。しかし、着物の世界からアパレル向けのリネンを織りはじめた当初に当時の世界屈指であろうクラスに挑戦をしていたというのもほんとうに面白い話。たぶん当時も円が360円で糸代からして高いものになり過ぎてあんまり売れなかったんでしょうが、作り手としての価値が詰まったものなので、今の時代まで残っているのだろうと思います。林与の家の中で作ったものではありますが、そんなのも日本の麻織物のモノづくりの一片です。

私自身、日本の製鉄に関する文化を最近まで調べたことがなかったので、昔の筬というのは、木か竹の筬だろうと思っていたのですが、日本に織物が伝来したのと同じくらい鉄の歴史も古く、木刀のようなもので糸を打ち込んでいたあと、比較的早い時期に鉄の筬というものも日本で使われ始めていたのではなかろうかと思ったりもするのです。
2013年03月24日
今日は、米原にある滋賀県文化産業交流会館での長栄座のロビー展示。前回は会社案内がなかったので、会社案内も必要かと思って、午前中、時間もないのに、会社案内を何十部か作りました。

途中で、1月にエプソンの買ったばかりの1700Fという複合機が最初の純正インクも使い切らない間に、ブルー色のインク擦れトラブルを起こして予定していた紙が足りなくなって用紙を買いに行ったりよくあるパターンです。

何時間も余裕があると思っていても、出発は予定よりも1時間以上遅れて、会場入りすると他の皆さんはもう準備終えておられました。準備中から布に興味を示してくださる方は多く、布というものが人の心を引くものだというのは今日も感じました。

暖かく弊社の展示に声を掛けてくださった方とじっくり目にお話をさせていただきました。声を掛けさせてくださっても、どれだけの時間が与えられているのか分からないので、端折りながら自己紹介的に何をどうやって作っているのかお話しするのですが、話し始めるとどこまでも話は長くなるものです。ご年配の皆さんが若い私に興味深げにかつ丁寧に声を掛けてくださるのありがたいです。

開演し、皆さんが会場入りされたときに、会館の方ともお話してある建築メーカーさんの40代の社長さんのお話をお聞きしました。私のやっていることを見守ってくださっているようで、会社を引き継がれたときに、株式会社○○建設という名前を、株式会社○○にされたとか、株式会社林与織物を株式会社林与と変えた私と同じようなことをされた方が居られ、業種は違えども、まったく同じような境遇にあられたのだと思うのです。

ひとつの世代が終わって次の世代に引き継ぐときに、それまでは守られてきた垣根なども、ここぞとばかり崩れることも、また、それに応じて崩していかねばならないこともあったりで、結論として最後は自分自身が力をつけることが一番大事で自分の判断で動いていれば結果が悪くてもそれがベストじゃないかと。

すでに、業界の廃業をされた70代、80代の皆さんの仕事の姿勢ならびに人生観、さらには、50代、60代で家族を持ちながらもやもえず仕事から去ることを余儀なくされた方々の人生観などを参考にさせていただきながら、そういう方々にほど賞賛せざるおえないような三方善の美徳があった気がします。独自の技術もそういう方が育まれておられたような気がします。

そういう方がもたれていた技術というのは私自身は漏れずに、その方たちとともに消えていくほうが世の中のためだと思います。新しい世代が自分自身でその技術に近づくことこそがそれを超える技術を養う要素になるもので、軽々しく教えて得意になる人というのもそういう軽々しさの連鎖になり、仕事を動かす中で理解し、技術自体も育んでいくことだろうと思うのです。損な事を積み重ねるから他で真似のできないほどの強靭なものづくりになることが多いのです。そういうのが川上から川下まで流れていたから近江のものづくりは三方善で良いものづくりだったような気がします。農家でその副業としての流れを持つことも、モノづくり自体も使い捨てにならず良いモノづくりにつながったのではなかろうかと思います。

長栄座の展示は、そこで売ることが目的ではなくPR活動で皆さんに近江湖東で今も麻織物を織り続けていることをお話し、お若い方には近江湖東麻織物の文化があることを知ってもらうことが目的なので、そういう場所に出て見てもらって、いろいろな方とお話しすることが展示会と同じで大事に思います。
2013年03月23日
技術的な機密を商モラルを持って保持することは、商いをする上では非常に大事なことで、そうしないと技術を育むことすらも出来ないのです。アイデアを形に変えて売れるようなところまで煮詰めていくことは、何度ものトライアルが必要で、それがモノづくりなのです。そういう部分は漏れないからものづくりは難しいのですが、そういうのを安易に漏らしちゃうタイプの方がいるとすべてが水の泡。本業として仕事されているのに漏らすことで人気者になられても困るのですがみたいなモノづくりの苦労を分かっておられない厳しさにも直面することも多いのです。

商モラルみたいなものがない時代で、人のものは自分のものみたいなケースも多いので、親方次第で産業というものも浅墓なものになりうるのを感じます。何十年の経験をもたれた親方が一般の雇われ人みたいな感覚のことをいわれ本当に実行されたら加速してその先代が厳しく教え込まれた技術も落ちていくものです。軽い話はあくまでも社交辞令でないと駄目なのですが、実践されてしまうと産業を背負ってやっていくという面では難しいなあと思います。

勝ち馬に乗るというような風見鶏的な商売スタイルも多いものです。結局は、親方というか経営者次第だなあとおもうのも代々な商売の秘訣だろうと思います。案外、業者さんは敏感でなくても、憧れをもつ消費者やそういう業種を支えようとする立場の人というのは敏感なもので、気持ちみたいなものがしっかりと流れとらんと年取って若い人にもメンタリティで劣るみたいなケースも本当に多いので他山の石にしたいと思います。
2013年03月22日
今日は、プリント生地が加工から上がってきました。プリントというのは染と違って表面的に染料が載る形なので、先染とはことなるいろいろと考慮の必要な要素が多いものです。

別案件のリネンの生地に関してもようやくテスト用の生地の生産に区切りが付いて、次は本格的に糸から考えていく話になりそう。テスト用の生地も、出荷のときに触ってみるとしっかりとしていて良い感じがして味があってリネンっぽい。

夕方には、150番手の製品を2着作ってもらったのが到着して布で見るよりも生地にすると良い感じ、薄い150番手ながらも、従来の方法を貫いて作ってあるので、普通のものと同じ扱いが出来るのも魅力じゃあないのかと思います。

こういうものづくりになってくると自己満足のものづくり、といわれるのですが、この部分は、本業とは別のプラスアルファの部分なので、普通に本業だけだと仕事なんかも前に進まないことが多いですが、プラスアルファの要素というのは、自分の世界なので大事にしていきたいなあと思います。
2013年03月21日
私自身は休みというわけではありませんでしたが、一週間の中に祭日があると出来ていない仕事を休みの日に出来るので良い面もあります。休み明けだったので、午後から2件、取引関係のお客様が起こしになられました。

今日は、レピアオープナーの樹脂の中の、小さな鉄の芯が抜け落ちてそれがレピアバンドを邪魔し、織機が動いている途中で、レピアバンドが折れる事故が起こりました。すごく、大きな音がしたので、織機自体が壊れたかと思いましたが、受け取り側のレピアの損傷だけで助かりました。

織っている物が特に織機に負荷の掛かる織物だけに、また、織機を直すところから始まります。織機を直すことは故障の原因と直し方さえ分かれば、単純な作業で30分から1時間で済むことが多いのですが、故障の原因が分からなければ直してもまた同じ問題が起こるものです。
2013年03月20日
仕事で迷いがあると仕事なんて何十分の1しか進まないものです。やりたいことは多いのに結果がどうなるか分からないので迷っていることが多いもの。迷いの多い人と一緒に仕事をすると時間だけが無駄に過ぎていくもの。

技術的なことでも、どれがベストな方法か迷っているよりは、できる限りのことを試してベストな方法を見つけ出すことが大事かと思います。その一回のことで、すべての方法の長所短所が分かるのです。

プロでありながら分からないままというか、やらないまま何十年いることが多いよりは、1ヶ月2ヶ月使ってでもしっかりと正しい答え出して知っている人のほうが強いものです。今の日本のものづくりというのは迷いの塊のようになっていると思います。迷わずに良いと思う物を作って良いと謳うことが大事。
2013年03月18日
昨日は米原での長栄座のロビー展示で、たくさんの皆様にビンテージアイリッシュリネンプロジェクトの冊子を配らせていただきました。長栄座も驚くほどたくさんのお客様で賑わっており、たくさんの皆様にストールなどをご購入いただきました。

懐かしかったのが、3年ぶりくらいにお会いしたでしょうか、生地の検査のベテランのお方で、林与にお声を掛けてくださいました。普段、工場に篭っていて、あまり業界の皆さんとの交流がないので、展示会のときなどは思いがけず、うれしいお出会いなんかも多いのです。

今日は、舞台の合間のときに、壇上で、皆さんにご紹介をしていただくようなチャンスもいただき、司会の女性の方の上手な誘導の下、大きな失敗もなくご挨拶させていただけました。

林与の地元滋賀でのPRの場というのは長栄座の場がメインで、滋賀県に麻織物が残っているということを知ってもらおうと思ってですが、多くのお客さまが麻組合さんのこととイベントに参加をされたことをおっしゃっておられ、私以上に地元の麻のことに関わり、知ってくださっているのを今日も実感いたしました。これも地元の麻関連の皆さんの情報発信の成果ではなかろうかと思います。

林与に関しましては滋賀県内のお客様というのは比率的には非常に少なく、それというのも、林与が問屋さんとの商売を長年大事にしてきたことが大きな理由で、自社の名前を前に出す必要がなかったことにあろうかと思います。

ものづくりをしっかりとやっておればものがしっかりと流れていくというのが理想の形で、それが三方善の精神にもつながるとはおもうところですが、ものづくりをしっかりとすると逆に高くなり売れない、ものづくりを省いて安く売るというのが主流の時代になり、売れるものが良いものという、ものづくり不要論的な、まね物作りの時代に突入し、そんななか、昔のものづくりを超えるような、まったく正反対の最高級路線を貫くことを決めて突っ走ってみた感じの5年間でした。(まったく別のラインでリネンデニムやHDシリーズなどのカジュアル路線や厚織路線も糸と織りを考える中でたどり着きました。)

あるお店の生地売り場で、毛焼きもしていない毛むくじゃらの本麻と林与の本麻手もみの100番とが同じ棚に並んで色違いとして販売されているのを見て、これは自分が守ってきたと思っているものも、売り場では違いを気にしない時代、消費者の方に麻の良さをいくら語っても、自分自身が作る麻を消費者の方が「林与」の麻布であることをわかって手にとってもらって語らないことには、麻の良さと言うのを語っても、同じ麻といってもいろいろな表情の麻が溢れています。麻文化の情報発信をするときにも、自分が作ったものを買ってもらわなくてもよいので、自分が作ったものをまず知ってもらうことが非常に大事だと感じています。

生まれたものはいつかは消えていくという当たり前のことなのですが、何代にも渡って良い物をつくろうとして生まれた技術や完成形に近い形すらもが、新しく始めるところとの競争で消えてゆく、小さく凝縮することで一つの波や二つの波くらい乗り越え、次につながらんかなあと、外の波に流されて良し悪しは別にしても、リネンや麻というひとくくりで、特色的なものが薄まることを一番危惧するのも事実です。

考え方はいろいろだろうといえます。小さくなったところを大事に残そうとする考え方と見切ろうとする考え方、私もこの仕事に携わったときにやれることもやらないじれったさを感じることが多かったのです。誰が決めたわけでもないのですが、やってはいけないという規律見たいな物が多く、衰退的な状態を変えるために仕事で何かやろうとしても、人が人を支配しようとしたり序列を守ろうと一生懸命な感じで、そういうのと関係のない新しいところのほうが技術ゼロでもやる気が育まれ次の世代が育ちやすく、結果、硬直したものを追い抜いていってしまうという性。その競争が繊維業界にあるのではなく、文化や法律も違う海外との競争や、人材面も含めると商慣習のまったく違う異業種との競争で会ったりもするのです。

たとえば、単純な壁の例ですが、糸のことに関しても国内の業者さんにまずは頼むのですが手に入らない糸が多くなりすぎ自分で海外の糸を探し手配することになったり、織物の加工にしてもまずは頼むのですが出来ないといわれると自分で考えて出来るようにしたり、織機にしても職人さんに任せて難しいといわれると自分が修理したり織ることをかんがえたり、売ることに関しても同じで売るのが難しいといわれると自分で売ることを考えたり。

頼って出来ないといわれたものを頼り続けて出来ないままよりも、自分の作りたい布を作るために自分で出来るようにするというのが解決の近道。その道のプロの方が出来ないといわれる壁を越えるところに特別な世界があるということ、林与自身も出来ないというとお客様にとってはそれが結論ということ他で出来るところを探されるのは当たり前。自分が出来なくて他でできる理由が、コスト面や設備面でなく、それがやる気を出し惜しみしているだけだとその一つの仕事というのではなく、全体として他に抜かれていくのは見えている気がします。
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