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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年08月20日
急ぎで動いていた仕事で生地商社の担当の方から連絡がお盆を明けてもないので、電話で連絡を入れてみると怪我をされてここしばらくお休みされているとのこと、常に仕事を優先しながらも仕事というものが一番でないことを感じる瞬間です。私の案件は私の意向で数ヶ月早めに動いていてくださったので対応は柔軟にできると思うのですが、切羽詰った案件も抱えておられるだろうで本当に気の毒です。

これは東日本大震災で被災された企業さんにもいえることだと思うのですが、1年の仕事がないとその仕事というのは他に振り分けられてしまうので、その翌年にまた仕事があるかというとそう簡単なものではありません。以前、同業者の方で突然入院をされて、一年の受けていた仕事ができない状態になって回復されてからも仕事を元に戻すことも難しく、廃業されたケースなどもありました。元気であれば、目の前にある仕事に全力で取り組めるという幸せはものづくりの健全な考え方ではないのかと思います。いやいや作られた布よりも仕事に幸せを感じて作られた布のほうが着られる方も幸せになるのではと思うところです。現場の仕事は厳しいものでそれにどう前向きに取り組むかだと思います。

昨日は菱沼良樹氏からパリでのオートクチュール展を開催されたご連絡をいただきました。著名な日本人デザイナーの皆さんの海外での活躍というのは、日本国内の繊維業界が明るい話題というものが少ない中で、日本のものづくりのイメージを牽引されていく原動力となるといえます。今月の初めに上海のトップデザイナーZiggyChen氏も弊社にお越しくださりお話していると一つのブランドというよりも国のイメージを背負われて国際的な舞台で発表をされているような感じを受けます。

デザイナーがデザイナーとしての真直ぐな姿勢に見える活動をされているのは今の時代では失われた聖域であるかのように思えますが、見た人が惹きつけられるようなイメージというのは、華やかに見える裏に貫いたようなコンセプトがあってからこそ特別に見えるのだろうと思います。
2012年08月19日
昨日は時々雨みたいなお天気の中、夕方からは地蔵盆が行われました。近江湖東地域というのは、実は宗教に信仰心の面では昔から強い地域だといわれていました。今も山の神様の風習が残っていたり、宗教に絡んだ講と呼ばれるものが本来は何なのかも分からないまま残っていたりします。仏教の強い信仰があり、また、神道への強い信仰もあって、それが地域社会というものを纏めているひとつの要素になっているのが伺えます。

200軒ほどの村に4つのお寺があったり地蔵盆も6箇所で行われます。地蔵盆というのが子供の自治で行われていると案外良い感じなのですが、親の力が入ると俗っぽいものになってしまって、手作り感というものが消えてしまいます。子供たちの力をどれだけ引き出すかが大事なところで、子供たちの力を引き出せないなら逆にそれがマイナスのイベントになる可能性もあります。

今の時代というのは、子供が犠牲になる大きな事件が起こってからは、親が包含集めについて回るようになりました。地蔵盆の協賛費を村の中の家を回って集めるような感じですが、子供が行ったこともない家にお金をもらいに行き、お金がもらえるというのもすごいなあと小学1年生のときから思っていました。村の中の家や人を知るチャンスだったりいたします。近所や親戚の家には行きやすかったのを覚えています。また、企業にも小学生が行ってお金をもらうので、昔というのは子供でも大人と同様に字で行事をするときには字のみんなからお金を集めるというような風習の練習になっていたといえます。各家が渡す金額も50円から500円くらいで任意なところが気持ちそのものだったりします。金額に関しても何十年も昔からエスカレートしていないのも良いところです。

人々の気持ちに支えられているのが地蔵盆で、上の学年の子供は下の学年の子に教えたり面倒を見るという小さな頃からの上下関係に関する躾も、比較的自由な裁量を与えられた地蔵盆という活動の中で身についていきます。
2012年08月18日
今日は雨の降る一日で、朝に雨が降っていないときに開けた窓が昼過ぎのきつい雨のときにしまっていなくて工場の中が水浸しな感じで、何年かに一度こういうことが起こってます。工場の開閉式の窓は、上が開く方式の窓なので、太陽の光などが入って来やすくよいのですが雨に弱いのです。

織物をしておられる方は、筬などを2本通しにされることが多いことでしょう。なぜ、2本通しなのか、考えられたことがありますか?私は織物を始めた最初の日になぜ昔から筬に2本づつ通すのだろうかと思いました。なぜ、1本通しにしないのか?もちろん、1本通しにする織物は織物であります。

2本通しにするのは、織密度を上げて織物にボリュームを持たせることができるのです。普通の織物はガーゼっぽくないので、ガーゼっぽいものなら1本通しのほうが、生機の状態から一本一本が綺麗に並ぶので、1本通しのほうがよいかもしれません。

普通は織物というのは、ある程度の厚さが必要ですので、ある程度の厚さを持たせたときには2本通しくらいが一番スムーズに織りやすいのです。

3本通しというのも3枚ギシャなんかを織るときにはやりますが、2本通しでやっても3枚ギシャに見えるものですが、正しく3本通しにしてあげるほうが、より、はっきりと3本がまとまって綺麗な織物になります。ギシャなんかは薄手ですので通し方が重要です。

普通の織物というのはそれなりに普通の厚さがあり、シースルーなものではありませんので、そういうものを織るには2本通しにしてあげるのが織物を織りやすいのです。普通の厚さの場合、2本と押しというのは筬目が織物に見えてきませんが、3本通し、4本通しにしてしまうと普通の厚さの織物では筬目が残ってしまい、そうやって織ったことが分かってしまいます。
2012年08月17日
昼間は、工場というのは窓も開けておくことができるので涼しくてよい感じです。今日は、夜に窓から涼しい風が入るようにリネンガーゼを窓の外から窓枠に貼り付けました。これで工場の中も快適に仕事ができそうです。

ブームというのは、30年に一度めぐってくるものですというのが林与の持論です。一過性のブームを作り上げるとその後、30年は飽きられてしまって下火続きになってしまうものなのです。この30年というのは、一代を意味します。昔、自分が熱くなったことに同じように熱くなれるのかというと、それは一生に一度のことで、世間というのも同じ、ある世代で強烈なブームになったものはその記憶が消える次の世代までブームになることはないのです。

観光地やイベントなんかは別かもしれません。訪れたことでよい思い出ができれば、毎年行くような場所になるのかもと思います。価値観というものは自分の中で生まれる場合と、周囲の影響を受けてそれが自分の価値観となる場合があります。自分の中で生まれる価値観等のは実は非常に大事なもので、周囲の価値観は大きく移り変わりますのでそれに流されてしまうと自分を失うことになり、存在自体が薄まることになります。

販売の立場の人ですとブームを渡り歩くというのが王道ですが、地場的なものづくりでは作れる量というのも限られていますのでブームというのは緩やかで、リピートいただけるような形につながっていくことを考えていかねばならないと思います。サステイナビリティとうのは素材だけにでなく、ものづくりの環境に対しても求めていかなければならないコンセプトなんじゃあないかと思うところで、ものづくりの環境のサステイナビリティが壊れているのが海外よりも国内なのかもしれないと思います。
2012年08月16日
夜、仕事を工場の中でして、夜なのに暑いなあと思いながら温度計があったので見ると31度、外は涼しいので、窓を開けたいですが、羽虫が入ってくると後が大変なのと音が漏れないように開けないことにしています。

昔は工場にも水冷式の冷房設備までも作って工場内の夏場の暑さを軽減しようとしたのですが、水冷式では水分が使っていないときにもエアダフトの中に溜まったりするので、生地をつくる環境としてはよくないということで15年ほど前に使わないことにしました。水冷式というのは本来麻織物を織るのには悪くない方法です。今の業務用のエアコンプレッサー式の大型エアコンというのは麻織物を織るのには逆に良くないのです。エアコンを使ったのは数年の夏の暑い日のことで設備自体もったいないものになってしまいました。

日本においては、林与は、レピアで麻を織る時代を作り上げた先駆者でもありました。レピアで高品位な麻織物が織れるのが分かると、日本でも麻をレピアで織る時代が到来をしたのです。レピアで麻を織り始めることができたことが、それが1970年代の空前の麻ブームを引き起こすきっかけの一つでもあったのです。

麻ブームというものは面白いものでオイルショック後のものが売れない時代に重なり、歴史的にみれば、その後の売れない時代の前触れでしかないのかなあと思います。その後は麻織物というものは湖東産地で織られる量というのは激減を続け、他産地や海外で織られるものにほとんどが置き換えられる時代になってきました。林与の場合は、自社規格の先染生地を展開していたので、他の量産の白や生成麻生地ではなかったがために逆に機を動かし続けることが出来たといえます。
2012年08月15日
今年のお盆休みは長く取られるところが多く、11日から19日までというところも多いようです。また一方で、お盆に関してはカレンダーどおりのところもあるようで、ギャップが大きいのかもしれません。8月15日というのは公式的には終戦記念日は休日ではないのは、国民の祝日という名称が妥当でないことからかもでしょうか。

外の世界が静かな間というのは、内部の貯まった宿題をするのには、ちょうど良いタイミングです。いつも追われて企画をしてそれを次々に吸収をしているので、自分がやるべきな企画などをじっくりと検討できるのもこの時期です。一つのことに一日をじっくりと費やすことも可能です。

昨日は、肌で味わうと書きましたが、昔というのはラミーにしてもリネンにしても、太い糸を使ったものというのはゴワゴワとしていたもので、細い糸を使って密度を上げることにより、同じ感じでもよりスムースなものが出来あがっていたのです。

今の時代というのは、仕上加工でその風合いというものを変化させることが可能です。硬くもできれば柔らかくもできます。林与の定番ソフト仕上げ(L25,L43,L66)はリネンのナチュラルさを残した仕上げで滑り感が出ないように仕上げてあります。30年以上続くシリーズですので、実績は高く、アレルギー体質の方や化学物質過敏症の方にも、「一度お試しください」、とお勧めをしやすい定番です。また、サイズが非常に安定していますので、そのまま水通しせずにそのまま裁断、縫製いただけます。
2012年08月14日
栄養素を凝縮した健康補助食品が本当に体に良いのか?というと、普通の食品のほうが長い目で見ると本質的には体に良いと思います。体というのは食べ物を体の仕組みを使って吸収することも大事な部分です。健康補助食品を摂ってばかりいると普通の食品を吸収できない体になってしまうんじゃあないかと思うのです。

飲食店で、その飲食店のクオリティを見るのに一番良いのは「ご飯」がどんな状態で出てくるかだと思います。一番ごまかしにくいものが白いご飯なのです。アメリカに居たときに、これは画期的だと思ったものにミニッツライスというものがありました。お湯をいれて1分でご飯が出来上がる。、食べてみるとお粥っぽくそれなりのものですが、日本では食管法の絡みで入って来ないのでしょう。アメリカのようにご飯も恋しくなるような状況だとミニッツライスでもご飯を食べた気分になったものです。アメリカの人からするとあれがご飯のイメージでご飯というのはおいしいものではないというのもうなずける話です。アメリカでもカリフォルニア米など普通にご飯を炊けば普通においしいですし、値段も相当安いです。

リネンに関しても、フラックスの産地というだけの問題ではなく、紡績やまた、織り、染め、加工も、リネンの品質には影響をしてきます。染めてあればフラックス原料の組成も染料と化学変化を起こして性質も変化するものです。麻織物というのは元来農作物の延長ですので、肌で味わう食べ物というところでしょうか。
2012年08月13日
先日あるところで、琵琶湖に関する冊子を読みました。安土城というお城の跡があるのですが、その安土山というのは、もともと琵琶湖にある島のような存在だったということです。湖東平野というのは琵琶湖岸から水面とほぼ同じ高さで山の麓近くまで続いていますが、もともとは、沼のような状態で、いまの琵琶湖の湖岸の形というのは戦後の食糧難を乗り越えるために田んぼを干拓で生み出し開発されたものであるということ。

私自身の滋賀県の地形に関する謎が解けました。本当なら周囲を山で囲まれていて、山か湖かのような状況だったのが、山から水が流れることで、山の土砂が平地や沼地を作っていったという感じで、沼地や内湖と呼ばれるものが多数存在してよいはずが、それらは干拓され農地に変わっていったのです。それをまた沼地に戻そうとする動きがあるようですが、私は、ころころと変えず長く続くことを行い長く続けることが大事だと思います。少しづつ自然を回復していくことが大事だろうと思うのです。

一度失われたものを取り戻すことは大変でその本質的なものを失いがちです。日本の着物の文化がその一つで、強制的に洋装文化に移行をさせられましたが、それをまた強制的に取り戻そうとすると、摘み取る行為と本質的なところで同じだろうなあと感じるのです。自然に育まれたものでなければ本当の価値は宿らず、一度、摘み取られてしまったものは取り戻したように見えても本当の価値を持っていないことも多いものです。
2012年08月12日
現在、アイリッシュリネンハンカチプロジェクトのほかにアパレル向けのリネンを先染で展開するプロジェクトも進行中です。アパレル向けにはオフ白の150番手の糸を手に入れ、それを先染にすることが可能なのかに挑戦したいと思っております。

今の時代の織機と糸の関係では細い糸を薄く織るのは比較的簡単で厚く織るのは難しいものです。昔はなぜあれほどまでに細い糸が出回っていたかというと手織りの時代というのは細い糸に需要があったからです。手織りするとしっかりとした厚い織物が出来上がるのが普通です。それは手機には巻き取りのギアがついていないので、織れるだけしっかりと織って織った分を巻き取るという織りかたをするからです。

今の時代の織機にはギアがついていますので、厚さの調整は非常に簡単です。一般的には程よい厚さに織ることを選ぶのですが、技術的には昔の手織の時代もののように細い糸を使ったしっかりとしたものを織るのは難しいものです。

25番手の織物、100番手の織物、この糸の細さの差が4倍あるということは、同じ規格で織物を織り上げたときに4倍の重さの差なのです。たとえば、1mに1500本X1500本の生機織物なら、25番手の織物は理論的に200g/平米で、実質的には、織り縮みや加工での縮みがありますので、230g/平米くらいになります。100番手なら、理論的には50g/平米で、実質的には55g程度でしょうか。

織筬の厚さなんかも影響をしてくるので一概には言えませんが、25番手と100番手では重さの差で4倍、これは見た目の糸の太さで2倍程度になります。縦横の密度を2倍上げてあげれば、25番手の織物を2倍に縮小した織物が出来上がることになるのです。110g程度の織物が織り上がることになります。生産性は切れない糸の場合だと横糸が増えた分2倍落ちることになり、切れやすい糸だと単純に縦糸も2倍、実際には、100番手となると糸の切れやすさが本数以上に増してしまいますのでそれ以上に生産性は落ちます。実質的な生産性は掛け算になりますので、生産性は6倍から10倍落ちることになります。

これを高密度化して2割密度を上げたり、極限に挑めば挑むほど、生産性が20倍、30倍低いような織物を作ることは可能です。本来、織物の価値というのはそういう織るのに掛かる時間にあったはずで、そこから良い糸を求めるような話になって、最終的にはトータルで高品位なものが出来上がっていました。今の時代は簡単に織れる織物が増えてしまっていますので打ち込みだけの本数の差ほどしか、生産性の低下はなくなってしまっています。

私自身は、織機の織るスピードというものも糸に掛かる負荷の観点から、大事ではないかと思っております。高速の織機というのは糸を乱暴に扱う織機ですので、糸の表面がどうしても荒れてしまいます。実際にはスピードの問題よりも織機の調整の問題のほうが大事です。織れているからといって、織機や麻糸の悲鳴が聞こえないと出来上がるものというのは、とりあえず織ったみたいなものになってしまいます。

アパレル向けの150番手に着手しますが、100番手のさらに2倍から5倍以上の生産性の低下だろうか、普通の織物を作るのの何十倍の時間を掛ける世界ですので、織ることに手間を掛けるという織物の本質に迫った生地が出来上がると思います。普通だとそこまで手間がかかるとドンキホーテー。

けど、それを馬鹿だなあと思うとに取り組んでいるうちに、他の人には出来ないものも一つ二つ生まれてくるのだと思います。私自身は技術依存というのは好きではないのです、布というのが単に技術だけでできる世界ではないと思います。数値的なものを書きましたが実際は人の感性というものが大事で布を作るときの布に対する思い入れのようなものが大事だろうなあと思っています。

ものづくりに対するコンセプチュアルな方向性があやふやだとそれがものに出てしまいます。これも私自身の持論で反論は多いと思いますが、自分自身が作る布なので自分が満足するものを作り上げる部分を残しておくことが一番大事なんだろうと思います。これは理想論をいっているのではありませんので、現実的には高度な仕事ができる環境を持って実際に取り組んで答えを出していくということだと思います。
2012年08月11日
皆さんがお盆休みに入りがちな今日は東円堂の盆踊り。昼過ぎには夏特有の雷を伴う雨、蒸し暑さもあまりない涼しげな雨上がりの夕方、準備をされる自治会の役の当たっている年配の皆さんの姿がみえました。田舎というのは過疎化が進行しながらも外からの請負行事や仕事というのが増えていきがちで、昔ながらの自主な行事の重みというものが減ってきてしまいました。

盆踊りにしても、30年以上昔の私が小学生のときでも、大学生くらいの人が、浴衣を着て踊っているのをみて、若い人が古風なことを守られているのは大変だろうなあと感じたものです。私が大学生になった年に、やんちゃ者だった一つ上の人が長をやられたのですが、その気配りというのは立派で、来て手伝ってくれる人というのを本当に大事にしておられました。

その方も、何年か後に夜中トラックに追突されなくなられたのですが、夏祭りのときになるといつもその人が優しくみんなをもてなしておられたのを思い出します。やんちゃ者で面倒見の良いそういう人ほど自分で一番面倒な部分を動いておられました。頭でっかちじゃあ駄目なあ、立場でえらそうにしていたら駄目だなあと思うのは、そういう良い人の思い出を思い出すとき。

いろいろなことを熱い気持ちをもって自分自身でやっていくことに意味があるのを思うのもそういう良い思い出から。動いて経験を自分で積んでいる人というのは徳があると感じるのも自分自身が理想にしたいところです。今日、ようやくチーズワインダーのローラー部分の修理が完了、ハンドル側の部分の交換修理を引き続き行う予定です。
2012年08月10日
今日は、チーズワインダーの修理を行いました。倉庫に20錘のチーズワインダーの同じタイプがあったので、そのローラー部分を取り外して工場まで持ってきて交換しようとしましたが、右と左が反対のタイプです。軸とローラーは共通の部品ですが、すべてのパーツの位置を調整しないとならないので、結局、両方のローラーを全部ばらして、一つの20錘綺麗なローラーを作ってそれをセットします。1台がゴミになってしまうのは残念なこと。

本来、チーズワインダーも何十年も大事に使うものなのですが、木管を付けないでスイッチを押したりすると1回で、ローラーに大きな傷がついてしまいまって終わりです。今回はそんな失敗で出来たキズのついたローラーを交換する作業で、この交換作業も非常に時間と手間は掛かるだけでなく、交換してもまた同じ結果になるのを恐れ、ようやく時期が来たと判断をして交換作業をしました。細い糸をチーズに小分けするときには、わずかなローラーのキズが命取りになるので、部分整経のための糸の小割は一番簡単な作業の一つではありますが、軽い気持ちで作業をすると30年大事に使ってきた機械が一回の作業で使えなくなってしまいます。

チーズワインダーのローラーの一つ一つが制度の高い鋳物で、取り外してその一つ一つを眺めると機械部品の完成度の高さには感心します。一個のローラーですらもが30年以上昔でも5万円ほどはする部品で、何十年経っても光っているあたり、一つ一つのローラーが高級なお皿以上に芸術品です。今は、このチーズワインダーを作っていたメーカーも、整経機のメーカーも、織機のメーカーも、ドビーのメーカーも事実上なくなっています。30年、40年と使える機械をつくることは、一度しか売れないことにつながり、メーカーというものは存続していくことは難しいものだなあと思います。

日本で織物を続けることが難しい背景には、機械設備の保守部品ですらもが手に入れることが非常に難しく、古いタイプにしがみつくのかあるいは新しいものに常に買い換えていくのかで、新しいものに買い換えたところほど今の機械の本質というものが安っぽくなってしまっていますので長持ちすることはありません。今の時代というのは機械を大事に使える人というのは希少な存在で、そういう人でないとこの仕事というのは続かないものなのです。
2012年08月08日
ここ数日は、少しカラッとしたさわやかな日が続いていて仕事がしやすくていいのです。一方で、中国では台風が大変だとメールが来ました。この微妙に過ごしやすいお盆前というのは、中国での台風の影響が出ているのかなあと。

昨年の秋に、バッグ用のテキスタイルを厚い厚い織物をということで開発しました。自分自身で、製品にしたときのイメージがどんな感じになるのかということで、林与オリジナルエコバッグを作ってみたりしました。今日は、後染で素敵に仕上げたタイプのもので、バッグが出来上がってまいりました。

バッグの専門メーカー株式会社ロットさんに作っていただき、紺の生地でショルダーバッグとリュックタイプのバッグです。存在感があっていい感じです。自分で作った生地ですので贔屓目に見てしまっているのかも知れませんが、普通の感じではない高級な感じがします。

この生地というのは目付けが重いのとその重い生地を染め上げてあるので、デニム生地の2倍ほどの目付けで、売ることを考えてつくったというよりは、しっかりとしたリネン生地を作りたいと考えてできるかぎり厚く織ってみました。インターテキスタイル上海で、ブランドの皆さんに製品にしたときのイメージということでお披露目をしてみたいと考えています。
2012年08月07日
ここ数日、織機の調整に毎晩ほど時間を費やしています。シャトル織機というものは、シャトルを挟んでしまうとバランスが崩れるので、シャトルを挟まないように織れるか織れないかが大事です。シャトルを挟むことは車で接触事故を起こすようなことで、熟練した人だとほとんどありません。シャトルを挟んだときにたくさんの糸切れなんかが起こると、それは、車を板金修理にするかのように手間と時間が掛かってしまうこともあります。

私自身は、北アイルランドでリネンの細番手が紡績されなくなった背景に、シャトル織機がレピア織機に置き換わったことがあると考えています。レピア織機で、25番、40番クラスの製織が非常に簡単になって、リネン全体の生地相場が崩れたことと、細番手をシャトルで織ることは何倍もの時間を要するために、高く売れたとしてもその手間隙を吸収することは難しいものです。

生産性が高くなるということは基本的には良いことですので、日本の場合も、1970年代中ごろから和装が衰退し低迷をした繊維業界を生き返らしたのが、広幅で織れるレピア織機の普及でした。その後、ウォータージェットやエアジェットなど織機の高速化は進みますが、麻織物の場合は、糸の切れやすさなどからレピア織機どまりのところが多いようです。

林与でも、130インチの織機が動いていた時代30年ほど前です。広い幅の生地を求められるのが今の時代ではありますが、広い幅の織物というのは品質の面でトラブルというのが多すぎたのが昔の日本のアパレル基準で、広く織れば織るほど別の問題も多く、働く人の高齢化や女性がメインの織場では、110cmくらいの仕上がり幅くらいの織物のほうが無理がないものです。

実際、手織りの世界というのは人に優しい時代なのですが、それも労働集約すぎ生産性がないもので、手織りを謳うものほど産地が怪しいので消費者も注意しないとなりません。一人の職人が高品位の密度の高い手織りのものだと一年に10反から20反を織れるかどうか、国産の着物の流れを汲む手織りの特徴はしっかりした打ち込みの高密度で、高級なものというのは細い糸をしっかりと打ち込んで織ったものです。

わたしも、麻の産地の地元で悲しいほどの手織ものを見かけることがあります。織りムラがひどすぎて、海外の子供の手仕事で織ったのだろうと思うのですが、国産のものと海外産のものとの大きな差を感じ安堵をする一方で、使われる方というのはその差が分からずに麻の良いものとして基準になると本業でやっているこだわりすらも危ういなあと思います。

別の話では、業界の皆さんがおられる席で聞いた話に、ある麻関連の会合に、近江産の麻ジャケットを着てきてくださった皆さんのお知り合いの方がおられてその気持ちには感謝するものの、毛むくじゃらのラミーで産地の麻布のイメージとは違いすぎて、もう少し産地らしいものを経験していただかないと本当の麻の良さも伝わらないのではないのかという話になってしまい、本人のご好意とは裏腹に気の毒な話もあり、その方にもそれが産地のイメージのものとかなり違う世界であるのを言いにくかったということで、私はその場にいなかったものの良くありがちな話です。

といいつつも、私自身も、工場に出入りすることが多く、汚れてしまうのを気にして市販の服で済ませてしまうことが多いです。特に外に出るときなどには自分自身が手がけたものを身に着けるようにしていかないとならないなあと思います。自分で作ったものというのは自分で育てた野菜を食べるかのようで、別の意味合いが多いのを感じます。地元産にこだわる原点に、農業なんかでも同じですが、自分自身ができることがすべてですので作っている人というのは正直なことが多いものです。

地元の自治会でも、カルガモの自然農法をやっていますが、それがどこまで通用するのかというと、やせ細った実の成らない稲が出来上がってしまいます。そういう方と実際に話をすると、カルガモに餌を上げているだけでは難しく、肥料をあげないと実すらもが取れないのが現実です。案外、本当に支えている人というのは正直に物事を話して、それに気がつかないとならないことを諭してさえくれます。
2012年08月06日
超高密度の織物を織っていますが、この織物というのは簡単に織れるものじゃあないなあとつくづく思います。これは糸に水溶性ビニロンを巻いて織る林与では珍しいタイプなのですが糸からしても細番手のリネンを使い、総本数からすると一時間に300本程度つなげるとすれば縦糸をつなぐだけでも普通の人の3日分の仕事。つないでから織り出すまでに数日使ってしまって、織り出せたと思ったら縦糸の送り具合の調整、最後にまた夜中、調整を数箇所掛けて結局織機に乗ってから2週間ほど掛かって安定させました。

どこをどう調節すると織れるのかということは本当に感覚的なものに近いです。調整も、目、耳、手、脚、体を妥協なくどこまで動かすか。シャトルを挟むとバランスが壊れてしまうので、シャトルを挟まないでどこまで調子よく織り進めることができるかが大事で、器用な人でないと綺麗に織ることは難しいものです。

この織物もなぜここまで織るのが難しいのかというと、無理やり難しいところまで密度を上げたためで、実用的に織れるかなあと思うぎりぎりのところで規格を定めたので、織るのが難しいのは当たり前といえば当たり前。織機の具合が悪くなったときも、一番困るのがなぜ悪くなったのかを織っている人が、その状況を説明できないと完璧に調整したつもりでいるだけに、どこを触って調子を元に戻してよいのかも分からないのです。

織機を調整するときの一番大事な調整方法のコツというものを知っているか知っていないかが大事で、シャトルの場合、調整箇所なんていうのはたくさんあるのですが、そのそれぞれを緩めてよいのか締めるほうがよいのか、的確に判断できないと調整も収束しないばかりか、バランスが壊れたときにどう立て直すかすら分からないと本生産の途中で座礁してしまいます。

怖いなあと思うほどのリスクの高さで、林与でも10回受けたとしてそのうち何回うまく仕事がこなせるかという自信がないのです。これは、おかしな話ですが同じタイプの織機でも微妙な織機の状態で織れる台と織れない台があったりするものですし、シャトルの調子ひとつでも調子の良いシャトルを挟んで壊してしまうと、次の調子の良いシャトルを見つけ、調子よく糸がでるようにゴムの調節など。今回もなんとか調子よく織れるところまで持って行けました。仕事というのは一つ出来ないとその仕事に追われて他のすべてが止まってしまいますので、一般的には安全な範囲でどう仕事をするのかが仕事をスムーズに流すかのコツではありますが、こういうリスクの高すぎるステートオブアート的な織物も惑星直列的な偶然の成果物的な天の恵みで、作れなくなるときがくることも当然あると感じるので、今挑戦しておくことは大事だろうなあと思います。
2012年08月05日
先日もLEDの業者さんから電話がありました。工場の電気をLEDに変えませんかというセールスです。コンビニなんかもLEDに変えたところが多いのでLEDのほうが明るくてよいのかなあと思ったりしますが、色のみえ方というのが大事です。

私は、色を織りながら自分で良い悪いを決めていきます。織って駄目なら、より良い色味に調整を掛けるのです。着物の時代の近江の機元というのは、着物というものが同じ形なだけにデザイナーそのものでした。織物をつくるものがデザイナー的でなくなった今日の日本というのは似たものばかりがあふれて弱いなあと思います。

色というのは、一つの色は一つの色じゃないのです。光源によって色というのは、色味が違って見えます。まったく違って見えることもあるのです。光の反射が結局、目というセンサーに波長として伝わるので、波長の違う光の下で見ると、色というものはまったく違って見えるケースもあるというより、多いもので、それがLEDともなればまた違う風に見えてしまい、機場で色糸を組み合わせることが難しくなってきます。

慣れればたぶん大丈夫でしょうが、先染めの織物を扱っていると、色の再現性の問題でのクレームは非常に多いもので、納期に追われてすべて作り上げた後に色の問題が出てきてしまうと、それが没にしてやり直したとしても求められるものを作れるのか?という極限のプレッシャーに追い込まれます。

残り時間ゼロの状態で、次に成功するかどうかも分からないものを手探りに作り直すというのは、中の仕事がすべて止まるだけでなく、外の協力工場にも他の仕事を止めて協力をしてもらうがために非常に大きな迷惑がかかります。、

一休さんの話で、川に落ちた1文を探すために20文の松明を使う話がありますが、それに似たことを常に覚悟して仕事していないとならないのが、次から次に新しいものを求められ、正しく納めないといけない今の時代、LED一つで、今までの色の勘にぶれが来るのが怖いです。慣れると大丈夫だとは思いますが…。ローテクな工場で、ハイテクの否定、時代遅れそのものですね。
2012年08月04日
キッチンクロスのHDタイプが最近ようやく織りあがりました。これも半年ぶりくらいの在庫の拡充で、ストール関係もパープルX生成とブルーX生成、リネン150番手ストール生成、L60番手リネンガーゼストールのカラーバージョンなどをつくったりして、在庫を増やしました。

定番のソフト仕上げなんかにしましても、いったん在庫がなくなると半年とかときには1年とか生産に掛かってしまうというのはいかがなものだろうかと私自身思うのですが、特にシャトル織機で織るリネンというのは通常の織機に比べると3倍くらい時間が掛かってしまいます。ストール用の生地や切り売りでお買い上げいただく生地の場合には、耳まで大事なことが多いので急いで作ることは良くないのです。シャトル織機で織ること自体が技術を要するのでどうせなら綺麗に織り上げたいものです。

この数日、リネンの高密をを織るために最初の打ち込みをあげるのに時間と頭を費やしています。レピアとシャトル織機の織りあがりの風合いの違いに関しても、林与の持論だった話も織物業界の中でも定着をしてきたようです。シャトルの織物がふっくらとしているのは、シャトルから出るノーテンションに近い糸が斜辺的に打ち込まれることにより、織った時点ですでにゆったりと織られているからです。シャトル織機で厚いものが織れるのもそれが大きな理由です。

織れない糸を織れないとわかりながら、同じ糸を、レピア、ジャガード、シャトルの順番で織機に乗せてそれぞれに1週間以上の織機の調整を掛けたことが昔ありました。レピアというのは、素人の人でも織れるように壊れるまでの調整ができないように歯止めがしてあるのを強く感じました。ジャガード織機というのは柄が織れるだけでなく、縦糸のコントロールという面では優秀で、北アイルランドのダマスク織りなども今は最新のジャガード織機で織られていますので、複雑なものを手がけるときに一本一本に掛かる負荷をジャガードの機構があるていど調整する力を持っています。

しかしながらも、一番織るのに適しているのはシャトル織機で、織機だけの問題ではなく、一度馬鹿な調整をして織ってしまうと織機が修復不能になってしまうシャトル織機というのは、調整しだいで同じ織機でも別の座標で織物を織ることにつながります。

織物を考えるときに織物というのは普通に織れるものだという感覚があるかもしれませんが、それは普通の織物の世界で海外のように量をたくさん流していくことを考えると普通に織れるものなのです。そういうものというのは物性なども当たり前に安全で、糸の良さで物性をカバーするとか、染めの良さで物性をカバーするとかまで行く必要がないものです。

ほんとうはそこまで張り詰めて考えて織物を作る必要がないのかもしれませんが、世の中にないものを求められるときに、そのリスクが理解できていて全体で共有しながら良いものを作ろうとしていくと簡単なのですが、アパレルメーカーさんというのもOEM生産が多くなり縫製の技術がないと、素材の特殊性を生かして、特別なものを世の中に出すというのも出来なくなってきています。

検査がすべてであるという素材の判断は、逆に素人でも素材が扱える世界につながり、先日も検査に精通されている方と話をしていても、数値依存で素人なものしか作れなくなったなあという話になってしまっています。数値に依存することなく、自分の目や手で職人的にトータルなものづくりができることこそが、神の領域に達するような差別化したものづくりにつながるのですが、紙の領域に縛られ大手ブランドさんほど素人なものしか扱えないということも多いものです。百貨店店頭と路面店ブランドとでは、路面店ブランドのほうがものづくりに精通しておられるケースが多くなってきています。

繊維で品質偽装や産地偽装問題が頻繁におこるのも、本質的なものづくりが欠如して、謳うべきがただ単に組成や産地に依存してしまっていて、どうゼロのものを10倍にして売るかを考えているばかりな最終的には消費者を騙す結果になってしまい。ふぐや牛肉じゃあありませんが、着物の時代から繊維業界というのは似たような体質が常にありますので、確かなものづくりというのは大事だなあと思っています。産地のイメージを守るのは常にそれとの戦いです。

プロの目が欠如して。麻の業界においても誰もが糸も手に入らないといわれたアイリッシュリネンがその希少性を売りながら大量に出回りましたが、中国紡績の糸がアイリッシュリネンの糸を使用していると謳われながら、日本での大手の糸商さんや百貨店ブランドさんが生き残るためのありえない差別化で素人的な偽装。百貨店さんも騙されすぎてはおられるのですが、そういう業者さんは商売の体質ですので懲りないといけないと思います。

数箇所から南アフリカで紡績されたリネンがイギリスの船積み証明をとって、アイリッシュリネンとして販売されたという話が業界では流れています。超高級ブランドさんが騙されたのか、嘘話にのってしまったのかは分かりませんが、リネン業界でも高級ブランドさんが謳いにされた部分がデマとして流れいます。高級ブランドさんも気の毒な話ですが、ブランドの名前を背負っておられるだけに、業界では当たり前に担当された方の資質というものが問われますというか、偽物をつかまされてブランドとしての存在が自体危ういところ。

麻業界でも近江湖東で織られる麻布というのは本当に希少になりつつある中で、百貨店さんもアイリッシュリネンの二の舞ではありませんが、しっかりと、機屋で本生産をしているのかなど確かめてその希少性をしっかりと謳ってもらうことが、素人の世界と違うプロの対応ではないかと思います。海外や他産地ものが増える流れの中で、消費者は本物を探しておられるのに百貨店やブランドさんが偽物をつかまされたり、消費者を騙すことになってしまっていたり、京都の西陣織などでもそのほとんどが海外で生産をされてしまって、消費者は本物の産地産にたどり着くのも何十分の一、何百分の一の確立であったりでとういのが普通になってしまっています。産地に来て、産地産だと信じても、京都の呉服商さんが扱われるものは海外産の手織りの麻布だったりします。産地では手織りは何十年も昔から、ごく一部を除いては、海外産がほとんどというのは有名な話ですが、産地の実情も知られないで産地産だと信じておられたのが逆に不思議でした。

本物を求められる消費者の方には、本物志向で本物にたどり着いていただきたいというのが思いです。産地でつくり続けることは安い多産地産や海外産が同じ看板を背負ってしまうと難しいものです。産地フェアーなんかでも、一番大事な謳いの部分がごまかしというのも買われる方にとっては厳しい話じゃないですか。
2012年08月03日
今日は、午後から東京のお客様がお見えになられ、夕方、出荷などを少し済ませて、そのあと、長浜でお客様とDENさんのスタッフの皆さんと一緒に食事をさせていただきました。縄という古い町家を改造した居酒屋さんで創作的な料理がおいしかったです。

会社に戻ってから夜中に織機の調整を掛けていますが、縦糸切れが収まらず、明日の朝、部品を細工するなど本格的な調整を行わないとならないなあと。織れないと思っていても最後には織れることが多いので、織物というのは面白かったりいたします。

今週はずーっとお客様続きで、宿題なんかは一杯いただいたものの、新たなものづくりが始まります。今の時代というのは仕事がない時代だといわれていますが、やろうとすれば仕事なんて一杯あるものです。そこで一番大事なのが自分で仕事を作れるか作れないのか。昔の人が織物を始めたのも、農業のB面としてでした。自分たちが食べるもの、着るもの、住むところを作ることまでもが、自分たちの仕事でした。

分業化がどんどんと進んで生産性はあがったものの、一人の人間がものを作り上げる力というものがなくなってしまったことは、残念なことです。
2012年08月02日
上海ブランドのデザイナーがお越しくださいました。実際にお会いしてお話をさせていただき、特別なものを作ろうとされていることが強く伝わってきます。来年のAW向けのお話でベースとなるものの試作のアイデアが固まりました。

林与のつくる素材の中でも特殊な風合いの素材を使っていただいておりますので、ヨーロッパのマーケットで非常に反応がよいというお話です。
2012年08月01日
8月になって、すがすがしい一日に恵まれました。今日は、朝から滋賀県の東北部工業技術センターの職員の方がお二人、センターの施設利用の資料などを持って来られて、雑談のあと工場を見学されました。

林与の手元には、昔の糸や生地など分析してもらいたいものがたくさんあるのです。赤苧の話を聞いていますと、青苧と比べると繊維にしにくいということで、やはり、近江上布の特色のひとつである細番手のものというのは赤苧だったのではないのかなあと推測です。大麻というのも裃に使われていた以外に、座布団や資材系などにたくさん使われていたと思います。青苧というのは全国的に一般的な麻織物だったといえます。ヨジヨモンが赤苧大絣で一等賞を取ったのも、素材としても良いものであるという認識があったからだと思っていますが、昔のきぬあさなどの手績の糸を分析してもらうなどすれば、その結論も見えてくるのではないかと思っています。

午後からは、京都のプリント工場さんが弊社に見えられまして綿のベースに近江上布柄をプリントしたものをお持ちくださいました。同じ柄であっても、リネンにプリントするのと綿にプリントするのとでは、色の出具合が異なってきます。綿のほうがきれいにプリントされた感じがあるのですが、絣調にしてありますので、普通のプリントとは違ってみえて良い感じに思います。

私にとっては今年の夏の天候というのは特別の夏に思います。日本の夏らしい夏が久しぶりに返ってきたのではないかと思うところです。私が小学生のころは、エアコンも普及を始めていましたが冷房は28度までみたいな時代でした。同じ国でも時代が変わると電力不足に対しての対応というも変わるものだなあと思います。
2012年07月31日
今日は、朝からアパレルと問屋のお客様が来期SSのリネンの企画に関してお越しくださいました。来春の企画というと時間的にもかなり状況が詰まってきているので、形があるものを選ぶほうが安全なのですが、現在、開発予定のシリーズも入っています。

百貨店に出る商品では産地の偽装や品質の偽装が厳しくなっているということで麻に限らず百貨店ブランドさんというのはより確かなものを求めようとされる傾向が強いというのを強く感じます。産地偽装や品質偽装に関しては、最終的には確かなところから購入をするしかないといえます。

ネットで弊社サイトからお買い上げいただく場合には、1週間の返品保証もお付けしておりまして一番安心いただけるような形を取っております。今の時代というのは繊維に関わらずですがうたい文句がまったくの偽装であるケースも多いので、最終的には使われる消費者の方が確かなものを見極める力がないと、販売をされている業者さんでも完全に騙されているような話もありがちです。

アイリッシュリネンなどのケースでも、リネン業界でも本物のアイリッシュリネン糸が手に入らなくなって99%以上がそんなはずはないと思われるものであっても、一部の業者さんが実態を知らないまま大量に流されていたのが事実で、アイリッシュリネン糸であることを一番に謳われて糸を販売されていたところの一人の社員の方が、展示会で林与のアイリッシュリネンに関するパネルをご覧になられて、展示会で「これは本当ですか?」と驚かれていたほど、消費者以上に素人であられることも多いものです。

ブランドさんや百貨店も騙される側になってしまっていることも多く、先日もベルギーの糸を販売されにこられてた糸商さんにも、もともとエジプトと中国のフラックス工場を持っている会社で、以前はそれを売りにされていました教えてあげると驚かれていましたが、業界では当たり前に知っておられる方が多いことでもリネンに精通された方以外がリネンを動かされる時代にはどこまで本当なのかを消費者に伝えることは難しいものです。

フレンチリネンといわれるものでもフランスあるいはベルギーフラックス表記がなされるようになってきたのも業界のなかでも適正化が進んできたように思いますが、商社の糸を動かされている方にしましても言葉すらもほとんど通じない状況で現状を知らない通訳を介して糸を買われていることが多いですので、仕方がないといえば仕方がないのかなあとも。

アイリッシュリネンの産元として業界では有名だった中国の紡績工場の方に展示会でお会いしたときに、その工場の方たちがはっきりと「アイリッシュリネンなんてもうどこにもないよ」、と業界での当たり前の共通認識をいわれ、林与のアイリッシュリネン糸が存在することに非常に驚かれていたのに、一方で、その工場で紡績された糸が日本ではアイリッシュリネンとして大量に出回ってしまっていたというのも悲しい日本のリネン業界の真実です。中国紡績のリネン糸が品質が悪くないのは、そういう大手のものを買われた、みなさんが最高峰のアイリッシュリネンとして満足されていたことからも品質としては悪くはないものなのです。

しかしながら、昔のリネンと今のリネンとは違うという感覚的なことから不思議に思われ、林与のサイトをご覧になられてその理由が分かったということでお電話やメールをいただくことも多いものです。私自身は、一部ではありますが消費者の方たちが感覚的にそれに気がついておられるのが流石だなあと思います。大手のアパレルのリネン企画担当の年配の方でも、フレンチリネンに関しての大きな事実誤認があったりするので、どこからその間違った情報が入ってしまっているのですが、ありがちなのはよく分かるのです。販売されている方も本当のあたりをご存じないのが現実で、百貨店にですらも本当のあたりが伝わることはありません。

リネン業界の常識と百貨店店頭の認識に今も大きなズレがあるので、消費者の方に真実が伝わるかどうかすらも危ういところで、百貨店の店員さんが謳いにしていることに関しても産地偽装などの根源になってしまうのも怖い話ではあります。安いことを売りにする量販SPAは別としても、百貨店で販売されているものですらもが産地や品質ですらもが事実誤認で総崩れになりつつかある中で、消費者の皆さんに対して確かなものを売りたい買いたいと林与にたどり着いてくださる業者かたも多く、それを励みにしないとならないなあと思います。店頭でもどこで作られた生地ですかと聞いていただいたときに、弊社に限らず織工場の名前までもがしっかりと聞こえてくるようならものづくりに関しては安心していただけるかと思います。

近江の業者さんが扱われている麻布でもしっかりしたところは、浜松で織っているとか、西脇で織っているとか、高島まで織っているとか、中国で織っているとか、正直に話されており、そういう情報も業界は小さいので伝わってきます。そういうのに驚かれて私に言ってくださる方もあるのですが、私が言うのはそれはがっかりとされることではなく、正直に話されているので当たり前の真実として受け取ってもらいたいと思うのです。

日本の麻織物の本場といわれながらも近江湖東産の麻布というのがほとんどなくなっている状態ではありますので、それが特別なことと思われずに、産地に関してもそういうことが当たり前である状況を業者の方も消費者の方も受け入れてもらう必要はあるかと思うのです。たとえば、海外や他産地で織ったものといわれてそれは偽装でもなんでもなく真実なので、そのあたりはがっかりされることなく今の産地の現状であることを受け入れて販売や購入の際の判断に加味していけばよいことだと思います。
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