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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年12月
リネン日記:22
2019年12月02日
林与のものづくりスタイルはこの10年ほどで昔に戻した感じ。先代の時のものづくりというのは、設備投資してとか、外の人にやってもらうタイプの経営スタイル。先代のころというのは、機をつくるのも、アンダーモーションの掃除なんか、外の人にやってもらうみたいな感じだった。結局、そういうのが内部でできるということが技術力があるとか仕事の能力が高いということ。そういうできることも自分たちでやらないと、仕事の中の機械の使い方とかもわからないが増えてそのままだったりもする。

タイイングマシーンも昔から3台あったけども、そのうち1台は壊れて使えないという話だったが、ただ単につなぐモードレバーの位置が畔なしのモードになっていたというだけのこと。横糸が織機の途中で切れた場合に1本で織れてしまうとかもこの織機は直らないという話だったが、それも単にセンサーの位置が正しくないだけのことで、織機は正しいがセンサーの位置を変えてしまって横糸切れのタイミングがうまくとれていないだけのこと。横糸がループになって飛び出す問題も、まだ出るけどもこんなもんでどうというが、それは単にレピアオープナーの位置が正しくなく、捨て耳のカラミソウコウにしっかりと絡んでいなくて、糸がカラミソウコウに絡むようにレピアオープナーの位置を調節するだけのこと。

こういうのもメーカーがあって聞くことができれば簡単に解決するのだろうけども、田舎のおっちゃんレベルではなかなか難しいレベル。正しい解決方法を説明すると、それを理解するというよりも自分のほうが上だという感覚が強すぎて、理解しようとしない問題もある。説明する人がメーカーの人だとかだと一生懸命に聞くだろうが、田舎の年寄りが年下のいうことを聞くことはそれが正しいことであっても難しいのである。全員がそういうわけではなく、きつい老眼鏡をかけて年取った勘一じいさんはチーズワインダーで糸を割ったり糸の整理くらいだったけども、上下関係が最初から私のほうが上であるという組織というものを理解していた人だった。

仕事なんて、正しくやらないとやったらマイナスがほとんど。正しい布を作れたとしてもそれが売れなかったらマイナスで終わる。先代なんかはどんぶり勘定スタイルだったので、仕事してお金が無くなるのパターンも多かった。外では働けないタイプが、商売やっても無理なタイプ。自分が作業するとか布を売るというあたりが希薄だったのが一番の問題だったんだろうなあと思う。こういう経験があるから、デザインするというのは何なのか、企画するという問題も深く考える。

デザインして、サンプル生地を展示会に掛けて売れたらその分の服をつくるための布をつくるというスタイルが主流ではあるけどもその場合のコストというのは非常に高くなってしまう。生地の値段というよりもそういうスタイルで生地の生産を回すのを支えてゆくコストが生地の値段となるのである。実生産のボリュームが少なくなってしまったときには成り立ちにくいモデルなのである。生地の需要を生んでゆくというのも企画の一つで、謳いを込めた生地を作ってその謳いをアピールしながら売ってゆく。地道にロングランで売ってゆくには理想的な形だろうと思える。私の作ったシリーズとしては、アイリッシュリネンシリーズ、キッチンクロスHDシリーズ、シャトル織リネン定番シリーズ、藍染やインディゴ染シリーズ、リネンの超細番手シリーズ、細番手柔らかリネンストール、近江上布柄プリントシリーズなど。外の流行を取り入れてつくったものではなくて、自分が作りたいと考えてつくったシリーズである。だれに売ってもらうでなく自分で売ってゆくことを基本にした麻布なので作り手主体のものづくり。
2019年12月01日
仕事があっても、今の時代の仕事についていける長年の経験者というのも繊維業界だとあまり存在しないだろう。昔の流れの毎日普通に仕事があってそれをこなしたら食べて行ける時代と違って、今は、どんどんと前に仕事を前に進めてゆく力がないと成り立たない仕事が多い。

仕事があっても、Aという人がやれば成り立つが、Bという人がやると成り立たないみたいな、仕事がほとんど。たとえば、元気に見えるコンビニもその一つ、コンビニの経営者は成り立たせているだけのこと、他の人がやったらすぐに閉鎖ということもあるだろう。

林与の経糸をつなぐ仕事でも他の織機を動かしながら糸がつなげれば仕事として成り立つが、糸をつなぐだけで成り立たせようとすると、タイイングマシーンでつなげるとか、つなぐのが難しいのを手で正確に早く繋げないと難しい。並行して作業をできるように、作業を組み立てられる人でないと難しい問題もある。

仕事の時間のなか仕事が成り立つように動ける必要があるのである。私も経験者の人の準備をしてきて、その逆というのがあまりないのを不思議に思ってきた。経験者というのは自分から手が空いていても他の人の作業を手伝おうとはしないのが不思議だったが、ひと世代昔の経験者というのは他の仕事はできないままであることが多いのである。

伝統工芸士だった勘一じいさんが私が忙しいのをみて、自分で整経の筬通しをしてくれたが、それが間違って過ぎて、やってもらうのは難しいなあとおもったけど、そういう気持ちをもって仕事している人というのは少ないのでありがたい話ではあった。

繊維の業界も、今の時代の仕事について行ける人でないと、仕事があっても仕事が見えないとか仕事が進まない、成り立たないということになる。出機さんにチャンスが訪れたのがストールブーム、そのストールブームのときに最初の見本一つが、繋いで織る前までもっていっても、織ってくれない。諦めて、自分が織って持って帰ってくると、勝手にさわるな嫌なら自分が織機入れて織れといわれ、せっかくのチャンスの仕事で仕事してもらいたかったけど、自社の織機をシャトル織機に入れ替を決意してのストールの生産。

仕事があっても仕事として成り立たせることが難しい、ましてや普通にないチャンスの仕事でもそれを嫌がっては仕事そのものが難しくなる。ストールの加工も同じく、地元の工場でストールの量産をしたかったが、新しいもの過ぎて、こんなのできるはずない、もってこんといてくれ、といわれたので、他のルートでの商品化。

繊維の業界では、なかなか良い仕事がないときに何年ぶりかのチャンスの仕事でももったいない話なのである。昔の体質の繊維業界がなかなかチャンスをつかみにくいのもそのあたり、加工工場さんもその1年後くらいには、私が思っているような加工をできるようになっておられたが、それはストールブームがピークを過ぎた年、非常に残念な話なのである。