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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2014年7月
リネン日記:29
2014年07月09日
東円堂の田んぼで今年は今の時期に大よそ半分ほど田んぼに稲が植えられていない。草が生えているだけ。たぶん、減反政策がなされているのだろうと思うが、高齢化が進み、米の消費が減ってきているのを感じる。日本の国に余裕があるのかというと余裕すらないのに、こんなことをしているとTPPを加速してしまう。外との戦いの前に、中での正しい努力は必要な気がする。

日本の米というものにも己惚れがあるのは、1990年代後半のコメ不足のときの国の対応。コメがなくて国民が困っているときにも、海外のコメなんて食べられたものじゃないというような定評をつくろうと愚策に走ってしまった。国民が困ったときには、農業行政のプロに任せるよりも素人に任せたほうがおいしいコメを海外から引っ張ってくることが可能だろう。国民が食べるものがないような困った状態でも、力を持つものは保身を考えてしまうものだ。それは食べるものを育む現場の農家の考え方とはまったく違う気がする。

商売なんかしていても怖いのは、やっていれば成り立っているというような安心した感覚に陥ること。成り立たなくなっているという意識が現場にないと、自助努力もなく続けていてもどうしようもない結果が膨らむだけ。仕事がないときに仕事を生み出す力がないとならないのだがそういう努力をできる人というのは少ないもので、突き詰めていけば、本業として食べていく力がないという厳しい現実なのかもしれない。布の世界でも、現場で仕事している人のほうが趣味の人よりも布に対する知識も少なく創造する意欲がないなんてのもよくある話で、そこからなんとかしていかないと仕事も増えるはずがない。

10仕事して、2から3の仕事が成り立つくらいの状態を続けていると、日の目をみない7から8の部分もほかにない底力として生きてくる。最初から仕事としてなりたちそうな2から3だけの仕事をやっているだけでそれに慣れてしまうと、やっていれば成り立っているような感覚から抜けきれず、その2から3の仕事が10の仕事に思えて、成り立つ仕事も成り立たなくなってしまうものだろう。
2014年07月08日
今、近所でもいろいろなところで太陽光発電パネルが設置され、発電が身近に始まっている。太陽光発電の設備はあまりに小奇麗過ぎて、更地の上に設置されているものが多いが、エコを考えると本来下は草が生えているほうがよいのではないだろうかと思ったりする。

愛知川の花火大会が近づいてきたけれども、今年は打ち上げ花火は行われないということ、仕掛け花火などが行われる予定で、その理由が、太陽光パネルに花火の燃えカスが落ちて破損するからということらしい。花火大会もできて、太陽光パネルをお持ちの方も喜んでもらえるなら、太陽光パネルを守るような水に濡らした麻布くらいででよければ地元の思いの詰まった行事のために作って無償提供したいくらいだが、風で飛ばないような一工夫は必要だろう。

10数年ほど前、当時、80過ぎた林与のおばあさんが、花火の音が聞こえ、花火が観たいというので、事務所の三階の窓から見せてあげた。外に出ることもほとんどなくほとんどの時間部屋にいたおばあさんだが、花火が観たいというのですごく遠くからの小さな花火だけど見えたと思う。花火の日の昔の楽しい思い出が心の中には巡っていたのだろうと思う。
2014年07月07日
今日は七夕。数日前、東円堂のある家の軒に五色の短冊が掲げられた。七夕なんだなあと思う。七夕の儀式にしても、古来からのもので、棚機女(タナバタツメ)の信仰からそう呼ばれるとされる。中国の牛郎織姫の伝説も似たような内容なので、日本人の祖先も中国人の祖先も同じ出所ではないのかと思い、私自身が徐福が弥生時代をもたらしたと考え、日本の皇族の始まりにも深く関係していると思うのだ。

織物の仕組を考えたときに、今以上に精密な織物を昔の人が織ることができたことはなぞであったが、製鉄の技術にしてもたらら製鉄の存在をしってしまうと、渡来人の持ってきた技術の高さというものは現在の技術に匹敵するものがあり、鉄筬くらいは簡単に作り上げていたであろう。

織物で思うのが、機の構造ではなく、糸の作り方。シルクの糸にしても、麻の糸にしても、それが日本と中国別々のところで生み出されたとは思え難い。渡来人が、糸を績む技術も日本にもたらしたと考えてよいのではなかろうか。近代以降、紡績の時代が200年ほど続いて糸をつくることも変わり果てたが、それまでは、徐福一行が日本に来てから2000年の間、持ち込まれた技術が日本の中で継承されていたと考えてよいのだろう。

物語は語り継がれるだろうけど、その中に出てくる織物を織るということが継がれなくなってしまっている。七夕の話を聞いて、機織の話が出てくるからかろうじて、機織というものを小さな子供が知ってくれているのだろう。
2014年07月06日
雨が降って蒸し暑い一日、太陽が照らさないのに気温は高い。雨に少し打たれているくらいが暑ぼったくなっている肌の表面を冷却し丁度よい。先日、大手のハンバーガーショップで、100円のハンバーガーを2個とコーヒーを注文。気になったのは環境への取り組みというプレートの上にしかれ紙の中の説明の一つに、夏の店内冷房は28度までということ、店内は非常に涼しく、明らかに25度未満だろうと思うのだが、こういうのも許容範囲なのがその世界。

先進国の食品というものが途上国の規制未満に落ちてしまっているのではないかと思うのが、中国で昨年春頃、鳥インフルが流行して中国国内の売り場から一切鶏肉がなくなったときに、中国から輸入された鶏肉がキャンペーンをうってまで日本国内では流通されたこと。日本国内でも中国鶏肉の残留成長ホルモン問題など話題になって、そのあと、中国産鶏肉を使用しているという表記から、即座に、中国とタイから鶏肉を仕入れているという原産国表記に変わったり。

これは狂牛病問題や日本の原発などへの対応をみてもよくわかる。狂牛病でも国内の畜牛農家には全牛検査を強いて締め付けながら、海外から入ってくる牛肉は行政と業者の癒着もあるのだろう、確立は低いから安全だという程度の根拠で入ってくる。大手牛チェーンも狂牛病問題当初は専用牧場で飼育した牛を使っているので安心というようなポスターを作ってその場を凌いで、数年後には使っているのはアメリカで流通しているものという話しに摩り替わった。国民の安全のためでもなく、締め付ける力だけが弱者である畜牛農家にはかかってしまい、大手には力はかからない。なにが正しいではなく力関係だけの話。

原発もそうだが、福島の所長が甲状腺癌で数年のうちになくなっても、原発の爆発とは無関係という結論も東電の原発被害に対する対応意識そのものだが、所長が炉心融解はなく放射能漏れはないというのを信じていつものような感じで現場確認などして1000倍の影響があるといわれる体内被曝したと考えれば十分ありうる発癌で、放射能の怖さを改めて感じた。小学生などでも甲状腺に悪性の腫瘍が多く見つかり始めている、国が力関係でデータなどを隠し握りつぶすと、水俣病、アスベスト、ミドリ十字といういつものパターンで死んだものが馬鹿という流れ、専門家たちによる取り返しのつかない殺人なのだ。保身や損得で判断せずに、良心をもって専門家たちは判断してほしいが、それが一番難しい問題なのだろう。20年後には正しいとされることの反対が今は正しいとされるということよくあって、欲に満ちた判断が、多くの人を病気や死に追いやったりしているが罪悪感すらもないところが怖い。

原発なんかも人が死ぬということを正面からとらえて安全なんて謳う馬鹿は止めて、危険を謳いながら推進するのが本来はバランスのとれた推進なのだが、国が欲に満ちた専門家を抱えてやっちゃうと子供騙しな口からでまかせでも話は進む。放射能漏れなんかも地下から漏れ出したからよかったものの漏れ出さなかったらチェルノブイリと同様石棺化が必要となったであろう。専門家というのは利害関係が絡んで保身に走るという定理を前提に議論しないと駄目なくらい、素人ほうが正しい判断をすることのほうが多い。誰が見てもメルトダウンに感じる爆発も専門家には水素爆発という、国民の命に関わる一番のときにですら、保身が出るものだ。政府が爆発後の放射能拡散データを半年以上も隠匿してしまった事実も多くの国民が死ぬことよりも自分たちの保身が優先されるという怖さそのものである。

JR西脱線でも鉄道の専門家は一応に、130kmでも脱線することはないということばかり言って本質的な問題から逃げてしまっていた。実際に問題が起こったときにでも、真実を見据えられないのが専門家だったりするものだ。いつまで専門家委員会なんてもの立ち上げて政治家も責任逃ればかりするのだろう。そこが最初から気持ちの悪いところで、まともに考えている国民なんかの期待を最初から裏切っているのに気が付かないと。

一番電力を使う東京や大阪に原発をつくればよいということを考えもせず誰も言わないのは、原発の危険性や、嘘で塗り固められているということを本能的に感じているからだろう。田舎に持っていくのはどこのだれかもわからない人たちのことは気にしていないものだったりする。日本中が自分の町に原発がくるのを容認できるかできないかという判断をもって、原発推進するかどうかという気持ちにならなければ、便利さは自分のこと、危険はほかの人のことという意識での安全性や推進でしかない。

ごちゃごちゃと書いてしまっていてお前は何が言いたいのだということをおっしゃられると思うが、私自身も麻や織物の専門家の一人、いろんな問題を他山の石とし自分のものづくりには生かしたい。
2014年07月05日
今日は、午前中奈良からミルツルさんが起こしで、ご主人がフォトグラファーとして立会ってもらって、ミルツルさんもデザインと縫製のお仕事ながらも、商売として成り立たせていくには、PRしていくセンスもお持ちなので成り立っているのだろうと思う。

絵を描かれるセンスも抜群で、クリエイティビティが布の世界と自由に結びついているところがほかの人以上の空間作りに役立っているのだろうと思うが、一発勝負でやっているようにみせることを成り立たせるには、裏では緻密な苦労をされているのが伝わってきます。

おかげさまで、麻というのは今はブームなので、夏場で通常なら閑散期ながら、いろいろなところが声をかけて下さいます。今の予定もかなりつまり始めていてあまり急いでの対応は難しいのですが最近も地元の業者さんがタオル関連で打診下さり、形にしてみようということで動く話になりました。

別件でもタオル関連のお話あってそちらは記念品目的ということで枚数も多いので本格的に下準備が必要である話で、少しでも早く具体的な形に近づけていくことがあろうかと思っております。自分の良いと思う形とお客様の良いと思う形が異なることも多いので、お客様の意向を汲みながら技術的なことも含めて対応が必要になってきます。

機屋で、生地の提供だけだと簡単なのでしょうが、最終的にデザインを載せてタオルとして作り上げるところまでをとなると、使い勝手とか思われているタオルのイメージに近づけるとか、普通のものでよいのか特別なものなのかというところも含めていろんな選択があり、一つ一つ判断していくところに時間をとってしまうものです。
2014年07月04日
アメリカの独立記念日、ずいぶんと昔のことでもこの日を大事に思うアメリカ人というのは、人が個人としてでも独立していることを尊ぶ気持ちがある。最近は日本でも起業関連の補助金など多いのだが、起業するのは簡単でも継続が難しいという問題もあろうかと思う。アイデア起業というのは受けるけども、一番長持ちし難いタイプだろうなあと思うのだ。

私自身は、自分の夢なんかがあるなら、それで仕事が十分満たされなければ、空いた時間というのは別の仕事をしてでも、自分の仕事を叶えるための原資をつくるほうがよいだろうと思う。暇だ、暇だ、仕事がない、と口にするよりは、自分で経験を積んで、仕事を生み出していくことを考えていくべきだろうと思う。

よく言われるのが、仕事ができるようになりたかったら上手な人のやっているのをみて自分が出来るように努力しないといけないということ。自分が仕事するときに誰かが親切に教えてくれたり助けてくれたりしても毎回それでは働いていることにはならないものだ。自分がしっかりと独立して仕事をできるような人が理想だろうと思う。
2014年07月03日
今日は午後からJETRO大阪本部でのミラノウニカの提出素材に関する説明会。雨が降っていて歩いていても暑くなくてよいのだが、普段傘の用意をしていない林与は、地下鉄を降りてビニール傘を買うことに。

傘を差すと梅雨の気分、梅雨が終わると夏が来るのだが、もうすでに夏物のクリアランスセールも始まった。昔だと、5月頃によく売れているから7月店頭目指して追加生産しようというような話もあったが、今は、そういうのはほとんど聞かない。

一方で、アパレル向けではなく、リネンでも雑貨小物関連のお話は春すぎから多い。季節性が比較的ないのとサイズがないのとで通年で企画が進行してもらいやすいのだろう。リネン関連では、キッチンクロスがブームといわれる。林与のリネンをシャトルで厚織したキッチンクロスは自分らしいキッチンクロスで嬉しい。テキスタイルマルシェでも、使っているみなさんが使ってますよと声かけて下さり、柔らかくなって愛着を感じて下さってます。

ビルの29階から外を眺めると、雨の中10階くらいのビルがベースとなって、ときおり、30階建てのビルがニョキニョキとたっている。一つも傾いていない、どれも真っ直ぐだ。感心する。建築の世界は、一回勝負で失敗が許されない。練習なんてない大人の世界。
2014年07月02日
ジャガードの紋紙が破れかけているので同じのを彫りなおそうとすると。紋紙屋さんが、昔のデータというのが古いコンピュータシステムの中にあって取り外してしまっていて、取り出せないというような話。紋紙の紙のメーカーがなくなったという報告も受けて、それもやや薄いもので敗れやすいとか四苦八苦してしまう。

そういうのにも準備しておかないとならないのだろうけども、紋紙の不要な電子ジャガードへの移行のタイミングなのかとも思う。このことを考えると産業用の資材というのは需要が少なくなると供給が難しくなるという一例で、機械はまだ動いてもその消耗品的なものや部品が供給されなくなると蓄積した柄ですらもが再現が難しくなる。

これからはジャガードの注文を受けるたびに紋紙が破れると新しく彫りなおすというような作業になる。紋紙なんて紙のタイプは針を傷めないように無理と破れる程度の強さ。強い紙だと掘るときのこともあって掘り難いなどともいわれる。

林与のドビーにしても同じくプラスチックで出来た紋紙のようなフィルムドビーといわれるタイプ。こちらにしてもブラックボックス化してしまうと横糸が頻繁に切れる麻糸の場合は、後退する作業を頭を使いながらになるので量産には向かないだろう。見本は作りやすいが、本生産の安定性が落ちる心配はある。慣れた作業環境が一番仕事がしやすいもので、どの織機も基本同じ動作で統一して正しく織物が織れるようにしておくと、織る人が専門的にその織機につく必要もなく柔軟性の確保になる。
2014年07月01日

FUBAKO

今日から、阪急うめだ本店1Fギフトコーナー「FUBAKO」さんで、林与近江上布プリント柄ストールならびにアイリッシュリネンハンカチの期間限定にてのお取り扱いが始まりました。大阪にお立ち寄りの際には、ぜひ売り場のほうに脚をお運び下さいね。ストールは18柄全柄ご覧いただけます。


近江上布プリント柄
リネンストール

「林与」の家は、明治以前は何十代も「ヨジヨモン(與次右衛門)」を襲名してきた旧家の農家で、農業の傍ら女性の手仕事として麻織物を織り続けてきました。明治30年に林與次右衛門が、近江上布の機元として創業以来も、四代に渡り110余年、麻織物を織り続けております。

 戦時中は近江上布は贅沢品として生産は禁止され、戦後近江上布の生産を復興しましたが、「林与」では、昭和40年頃には着物を着る人も少なくなったことや、琵琶湖の水質を守ることもあり、近江上布の生産を断念いたしました。

 「林与」の近江上布は、麻が素材ゆえそのほとんどが草木をモチーフにしており、麻の上布では珍しい色柄の華やかさが特徴です。端切れの箱には「外に出すべからず」の文字があり、半世紀の間、「林与」の近江上布は倉庫の奥にしまわれ封印をされてきました。

 「林与」の近江上布アーカイブというのは千種類を超え、世界の織物の歴史の中でも、質、量ともに超一級の資料で、その柄や色使いには、日本人のものづくりの美意識や感性が詰まっているのではないかと思います。

 本来、近江上布は絣織物で硬くざらざらとした生地なのですが着物用にオリジナルを再現するのではなく、プリントで色柄をソフトなリネンのストールの上に再現いたしました。半世紀以上昔のシャトル織機を使って、切れ易い細番手のリネン糸を一時間に2メートルほどのスピードでゆっくりと丁寧に織り上げております。見て楽しんでいただけるだけでなく、本場近江湖東の麻機屋「林与」の麻織へこだわりや、リネンストールとしての格別の心地良さもお楽しみいただければと思います。