2025年07月03日
とうとう念願の鬼ヶ島といわれる女木島を訪れることができた。岡山の納品のあと、1日ぶりくらいの食事をすき家でった。いつもは、ヘトヘトでペコペコのときは、キングカレーなのだけども、今回は、キングカレーが甘口になってしまっていて激辛ソースを自分で使って辛くするみたいな感じで以前のような、食べると辛さで体がリセットされるようなスパイシーなものではなくなってしまっているので、今回は10年ぶりくらいにキング牛丼を注文。
2時間以上かけて休息も金ながら食べて、車の中で休んでからと思いながらも、納品に来るときに降った小雨も落ち着いたようで、疲れているはずなのに食べた後なのに眠くなく、夜のうちに香川県に移動できるだけ移動しようと思って、瀬戸大橋を渡って下りたインターの出口のコンビニの駐車場でコービー休憩で朝を待つことに、朝は5時くらいから動き出して、高松港周辺の駐車場と乗り場の確認など行って、高松港周辺の雰囲気もうろうろとしながら習得。高松も都会やなあと思えるほどに高松港周辺は発達していて、瀬戸内海の海運の1大の拠点みたいにもなっている。
駐車場も6時間止めたら、上限なしで3000円とか4000円するところから、10分ほど歩けば1日300円のところまであって、12時間450円のところに決めてとめて、簡単な朝食をとってから、8時の女木島行きのフェリーに乗った。朝食を取りながら決めていたことが、レンタサイクルをすることで、電動自転車が1日2000円で借りられるというのを知って、ちょっと高いかなあと思いながらも、洞窟までの往復バスが往復で800円だから、1200円で女木島での移動手段を確保できるとするならよしと思って、島についてまず、電動自転車のレンタサイクルした。
他にも観光客はそれなりにおられたけども電動自転車を借りているのは林与だけで、鬼の島洞窟へは他の方はバスで行かれるのだろう。電動自転車を借りる時に、借りる場所のおばちゃんが、電動自転車の乗り方と、島を一周したいというと、丁寧過ぎるくらいに10分以上ルートを説明してくれた。これが本当にありがたい結果となって、鬼の洞窟を1番に目指すではなく、南の下のほうから海岸線に沿って下って、山の中腹を登って鬼の洞窟を目指すルート。電動自転車のバッテリーは絶対に1日くらいは持つからという話で、下から攻めていくことに、お天気がよくて、海岸線近くを辿りながらも海岸か山道かの選択で、ほとんど走っているのは山の上りの斜面という状態が鬼の洞窟まで続く。
これ、歩きだと絶対に無理だろうし、フェリーにハイエースで島を散策も考えたけども、そういうのも自動車では通れないような舗装はしてあるが車道幅もない山道が続いているだけ、まさに電動自転車が神さまの乗り物のようで、林与一人が島を縦横無尽に動き回っているようなモード、島の住人らしい方ともほとんどすれ違いなどもなく、漁業と観光の2本柱で、日常生活も急斜面が多すぎて車もバイクも自転車も使わない徒歩で移動する程度の田舎の集落の中の生活みたいなもので、1時間くらい掛けて山道を走って鬼の洞窟までにすれ違った人というのは、徒歩でハイキングする感じの2人の女性だけ。
林与が興味があったのは転がっている山道の石で、緑色をしていて尖った形状で、ほとんどが瓦を割ったような石なのである。こういうのは、いわゆる火山性の岩石が川を流れて丸くなったような形状ではなく、出来上がって割れているだけの状態のものがゴロゴロとしている。オリーブ柱状玄武岩質的なものということらしく、山道においてもその石の性質を確認しながら撮影しながら鬼の洞窟へと向かう。
バス停付近の鬼の洞窟の登り石段の入り口につくと、まず、山の頂上の展望台に登って、日向ぼっこしながら、ここで1日過ごしても良いくらいの眺めというよりも、バス停から展望台に登るだけでも、きつく疲れるほどで、いやほんと、昔の鬼も、こんな頂上付近に住むなんて大変だったろうなあと実感。
なぜ、山頂に住むのかというと天守閣的な意味合いがあったのではなかろうかと、下から登ってこないと駄目な場所だと、上にいるものが絶対に有利で、しかも石を投げたり岩を上から転がすだけで武器になる。洞窟の中も、今は照明で照らされているけども真っ暗にすると初めて攻め入ったものは圧倒的に不利。
なかに大広間の部分に大黒柱といわれるものが2つあるけども、その下が削られていることを考えると、まだ途中で放置されたものと思われる。なにがあったのか、多分、コロナみたいな肺炎的な疫病が起って洞窟の中での暮らしが難しくなったのだろうと思う。そとが30度を超えていても中は15〜18度という、ミストが漂う、天然のエアコンが効いた状態で、中で疫病が蔓延すれば、洞窟自体が亡ぶ。
なぜ、このような巨大洞窟が人の手で掘ることが可能だったかに関しても、玄武岩が衝撃にもろく割れやすいというような性質で、洞窟の上には、県の天然記念物の石柱がある。叩くだけで割れて落ちるという性質を利用して、洞窟が人の手で簡単に掘られたのだろうと思う。ここは、昔の横穴式住居と呼ばれるものと似ていて、体積した粘土質や砂質ではないけども、粘土質の層と似たような感じで掘り進めることができそうな岩質である。洞窟の中の壁の岩もほとんどの岩がひびが入って割れていて、もともと、硬いながらお割れやすい岩でできた火山性の山なのである。だから、やまの上は雨風で風化もせずに山らしく尖がっていて、マントルから火山の溶岩が噴き出す山頂までの溶岩の通り道に溶岩が固まって、その溶岩を崩して洞窟が掘られているという感じなのだろうと思う。海底火山だったものかあるいは噴火した後にも溶岩が流れ出て海中で急激に溶岩が冷やされて、山が形成されたようなかたちだろう。硬いけども衝撃には弱く叩けばはがれるように崩れる岩。高温の溶岩は密度が薄いので固まることで密度があがり、岩を形成しながらも割れが生じて行ったものと思われたりもする。
徐福に関することは一切辿れなかったが、なぜ、このような巨大洞窟が紀元前100年頃に掘られたのかということも、孫悟空の話と同じで、また、アマテラスの話とかも織んなじで、火山性の山に洞窟があってというのと通じている。興味深いのは、農地らしい農地がないことで、狩猟生活的で、海での漁をするか、動物を捕って食べるというのが基本だったのだろう。
島の北の方を回ると、畜産場のようなものもいくつか見受けられ、島で暮らしていくためには自給自足的なことが、島民の暮らしの基本だったと思える。女木島で一つどうなんだろうと思ったのが、飲み水の確保、川が基本ないのであって、雨水を貯めるしかない。洞窟には水源があるが、その水源は洞窟内のミストが天井で冷やされて滴り落ちて、飲み水を確保できる形。野生動物にしても、巨大なワシのような鳥は何匹も見かけたけども、なかなか水を確保するというのは動物にとっても難しいだろうなあと思える。
電動自転車をフル活用して、島を1周できたことで、何倍も時間を有効活用できて、8時半くらいに上陸してから、午後1時20分の船で高松港に戻った。今の女木島の人々の暮らしも大変だなあと思う。漁業もおこなわれているようだけども、漁船が行き来しているような感じもあまりしないし、観光業が主体になっているのだろうと思う。砂浜もすごくいい感じだけども、7月なのに平日だからか誰一人泳いでいる観光客はいない感じで、観光として活性化の努力みたいなものが、新しいプロジェクトなのだろうと思える。
林与は新しい観光地化プロジェクトには興味がなかったので、洞窟のことと村の人々の暮らしみたいなところに興味があったりしたが、島の村の中も若い人を見かけることはほとんどなく、年配の方たちがほとんどで、小学校もあったけども生徒さんもたぶん少ないだろうなあと思えた。これから夏休みになると1日に何十倍の人が訪れることになるのだろうけども、本当にそういうのは一瞬のことなのだろうと思える。
林与は一人レンタサイクルで、自分一人好き勝手に動き回ることができて、いろんな場所で誰一人いない綺麗な浜辺も、山道も堪能ができて、洞窟の中も2時間くらい堪能して、晴れた一日で、満喫。そのあと、春日の湯というスーパー銭湯に行って、汗を洗い流して、讃岐うどんを食べていかないといけないと思って、香川のうどん店は店じまいが早く、午後4時で閉店なので、20分前に駆け込んで、かけうどん大を頼むと、普通で3玉分の大で500円でこの量は食べるのは難しいくらい。たぶん、今日の最後のお客だったので余分の大盛サービスもあったとは思う。
そのあと、淡路島経由で東大阪に向かって、夜の8時に手織り織機の受け渡し。1日には思えないてんこ盛りの1日だった。何年ぶりだろうか、自分が自由にまる1日旅行に時間を費やしたのは、旅行して思ったのが、自分の体力がそれなりに衰えて来ていることで、次の目標の東京の青島にも、動けるうちの今のうちに、できれば、今年か来年の夏に行ければ行っておきたいと思う。