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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2021年03月18日
先日、農業の方と話をしていて、同じ物事でも運があればうまくいくし、運がなければうまくいないとおっしゃっておられた。そうだなあと思ったことがあって、まあ、運にも味方されているのかなあと。

農業にしても織物にしても地道な仕事で、自分の体や体力が資本。頭よりも自分がそれが仕事と思ってどれだけ地道にやって、農作物や織物を作ってそれを評価いただいてみんなに喜んでいただいて成り立たせていくだけのことで、覚悟が一番大事だなあと思う。

ある商店のメルマガが届いて、覚悟という言葉に私が反応してしまった話。人の覚悟こそがすべての本質。覚悟ないなら駄目で、覚悟してもらう必要もある話を持ち掛けるのが私だったりするから、田舎の50過ぎたおっさんの覚悟だけど、麻織物なんて、日本中の話で、残っているのが、覚悟の問題だけのこと。新しい人でも覚悟決めておられるならそれが本物だと思うのも、ずーっとやってるような語りのだらしないどうでもよい話だと消えたほうが良いとも思う話も多い。

一からでも数か月あるなら、麻織物の基本を素人にでも教えるし、経営者が麻織物の基本を知ろうともしないで語るのはどうなのと思う話もいうのが私で、経営者自身が最底辺の仕事くらいはいつでも自分が背負う覚悟ないと、ものづくりの意味も分からない話。敵対するじゃなくてそのあたり覚悟のすり合わせがいつもできていないなあと思う印象。綺麗に見せるだけが消費者に伝わる印象のすべてじゃなくて、本当のものづくりの世界をやってるひとなら分かる話もあって、そういうのを消費者に語るのが大事じゃないのかと。

ある繊維大学で織物を教えられている先生にも、機結びや縦繋ぎが織物の基本だよということを教えるのが私で、そういう先生が縦結びを一生懸命に覚えてくださっていようとするのをみて、この先生は本物と私が判断する。生徒に教えられているような先生が織物の基本くらいは軽く乗り越えられないと、生徒にも教えるは難しいのが当り前で、そういう先生が素直に基本を覚えようとしてくださる姿勢ないと、その方の生徒には教えておられても本質は伝わらないだろうと思う。

ある織物の社長が私に、従業員から自分が織ると問題が起きるので社長は織らないで下さいというレベルは、織物工場の経営者としたら本当にしっかりとした従業員を持っておられ幸せな状況。私も何百メートルの仕事でも、キズ一つ作ると、自分がつくったキズのことを思い出すほど一個一個を覚えているようなのが当たり前だが、それでも麻織物はなかなか問題なしにつくることは難しい。

昨日も、表面だけ、取り繕って進められて、裏が騙し騙しで進んでいるのに雷を落とす話。表面を取り繕って浅い世界で、本気で考えている人間をあしらって、無視、無視ですすめられているのに、激怒そのものを見せても、推し進められるのが気に入らなくて、寒いから体を震わせて話を終わらせたい代表。農業や織物の人がどれだけ地道に寒さや苦労を乗り越えて、自分が前線で説得する覚悟あるのかと思う。雪も降っていないのに自分が寒いからと、自分が相手にしたい私がとことん話ししましょうとしても、寒いから言われるのは、自分が説得して回る覚悟だといわれる話なのに、ギャップが大きすぎてあほらしくなる。自分が説得して回るという人が、私一人すら、自分が寒いからで逃げてどうするの。私も農業の人でも、風や寒さ位当たり前に余裕で話したいのに、それも自分が寒いから早く切り上げて逃げようとされている。

織物でも覚悟決めてやってるし農業の方も覚悟決めてやってる、自分が最底辺も当たり前にする覚悟がないなら、話し合いには応じられない話で、なんで、他の人が我慢できる程度の寒さのなかで多くの人を集まられても自分が寒いから逃げる程度で自分がみんなを説得して回るは喜んでしますといわれるのがアカンだろう。最底辺の仕事くらいを自分がやる覚悟がない人間がいたら終わりだなあと思う。
2021年03月17日
私自身はみんながうまくいくことを願って協力も努力もしようとするタイプの人間だけども、そういうのを落とし込めるようなことをするとか軽く考えるタイプの人がいたら、軌道修正のためにチャンスを与えるが、そのチャンスを押しのけつぶしてこようとする人がいれば、本当の私のなかの鬼の部分が出てくる。

情けや困っておられる方に協力は大事だと思うが、そういう情けや協力したことを仇で返してくるようなら、相手が誰であろうがそういうのとは徹底的に話をつけようとするタイプ。公の場でそれをやると相手が筋が通らず傷つく話だから、そういうのをなるべく避けようとして最初にそういうことが起きないように注意も相手に与えるもするけど、押しのけてそういう結果に持っていかれるのが残念。

すべてが台無しになる話。なんで、そんな軽い気持ちで平気に無理やり、気持ちも持ってやってる人間にマウントしてやってしまうのか。大事な案件で自分が分からないとか、責任のない立場だといったらそういう人から順番に話の舞台から消えてもらわないと駄目な話。

私も自分の中の鬼の部分は常に封印をしているけども、私の鬼の部分が出てきた時には、曲がりすぎたよほどの状態で、他の人が止められるような話でもなくなり、公の場でも曲がったことを平気で押し進めようとするならそれを正すような話。綺麗に見えることほど裏が曲がってしまっていることが多いのも事実で、それは日ごろの繊維の仕事にも共通することかもしれない。公の場で曲がったことを平気で当たり前に言ってるのをとがめるのも私の中の鬼の役目で、でも、そういう場所でも、駄目なことを正そうとする私の気持ちを当たり前に理解してくださる方のほうが多いのが救い。それがなくなれば終わりだろう。
2021年03月05日
昨日、ようやく機もできて通し終わって小銀刺用リネンの織出しが完了した。ちょっと耳そばが切れ易くて難儀したけどもようやく今朝落ち着いて一気に織れそうな状態。織物というのは、織り子さん的な織るだけの部分というのはそれほど難しくなく、正しく織れるようになるまでのところが案外苦戦して時間をつかうことが多い。二人掛かりで数日、1mも織れずに準備とかも普通の話。

小銀刺しの布は普通の布とは織るときに異なることがある。それは筬の糸の通し方で、普通は筬一目に2本の糸を通して織るのが普通の織物なのだが、小銀刺用の布の場合には、筬一目に1本の糸。なぜ、普通の織物は筬一目に2本なのかというと、織ったときに打ち込んだ横糸が戻らないようにしっかりとホールドするためである。それでは小銀刺の場合にはなぜ筬一目に1本通しで織るのか、それは荒い織物であり、用途的に刺しやすいように碁盤の目がしっかりときれいに出るようにするためには1本通しが適切だと私は思うから。

昨日は、糸商さんから問い合わせがあって太番手の織物を織れないかというようなお話。林与でも織れないことはないのだけども、織機の特性などもあって1回何百メートルの量産は難しかったりする。100メートルとかだと織れるけど結局、毎回100mの整経で繋いで織ってやっていると、特別な値段が通る様な用途用でなければコスト的には難しいのではなかろうかとお伝え。織物としてできないじゃなく、コスト的に高くなって量産が成り立ちにくいだろうからみたいなお話をさせていただく。器用な織機であってもそれなりに得手不得手はあったりするもの。
2021年03月03日
先日、新しく作ったシャトルが届いて1個は使ってみたが、他の18個のシャトルの確認ができておらず、今日、仕事が終わってから管を挿して検品してみた。手作りだから形がどれも微妙に異なる。とくに、シャトルの管の受け口の形状はどれも微妙に異なり、ここの部分が一番大事な部分でここが管にピッタリと合わないと問題が生じたりしやすい。18個を20分ほどかけて確認してどれも個性はあるがすべて合格。

麻織物は、経糸が切れやすいのでシャトルが壊れやすい。シャトルが壊れるのは木製だからだけど、壊れないような丈夫なシャトルだと挟むと織機が壊れることになるので、まだ、シャトルが壊れるくらいがバランスとしては良いのだろう。

今日も、シャトル織機では織るのが難しい横糸に生成の織物。なぜ難しいかというと生成の色ムラで織段ができやすいから、2丁、3丁使って織ることで、色ムラを目立たなくする方法もあるけども、なかなかそれでは問題の吸収が出来ないことが多い。シャトル織機で、レピアのように生成の織物を織ることは案外難しい。

経糸においても生成りは厄介で、ワンロットの糸でも上手にまぶして使ってあげないと、箱から出したまま順番に並べて使ってしまうと縞模様ができることが多い。同じ生成りの織物で同じ糸でも、使う人によって出来上がり方は変わってくる。白よりも生成りの織物のほうが織物としては難しいのである。

普通は、番手が太くなるほど、色ムラがひどくなる傾向がある。太い番手の材料ほど一般的にはグレードが低く、1回に使う量も多くなるので、色ムラの問題が起こりやすいのが普通。まあ、ヘンプの生成にくらべると色ムラの程度はましではあるけども、ヘンプの生成りは、紡績の1錘の中でも色ムラが激しい。なぜかというと、ヘンプの場合、1本の茎にしても長すぎて上と下ではかなり色が違うから。一錘で紡績された糸でも、色が白くなったり黄色くなったりが普通なのがヘンプの糸。
2021年02月26日
今日は午前中に出荷を終えて、私は朝パン1枚しか食べていなかったので、お昼は、スタッフの子と一緒に、近くのすたみな太郎で焼肉。朝食べたパン一枚が、運動誘発性小麦アナキフィラシーが起こり始めてちょっと体力が落ちたのと,寒い倉庫で出荷作業だったので、思いっきり焼肉をいっぱい食べて体力を回復する。焼肉を思いっきり食べた後は、体を動かしてもパワーにあふれていて動くのも気持ちが良い。

私自身、ここ数年ほどは体調があまりよくないのを感じてはいるのだが、今日のように食べたいなあと思う時には思いっきり食べて、動けるうちに仕事もなるべくしておこうとは思っている。以前感じていた、脱臼だとおもうが1年近く肩の上がらない違和感は今はもうなくなって重いものをもっても痛みも感じなくなった。治ってから右肩だったか左肩だったか思い出すのも難しい。

私の小麦アナキフィラシーは、パンがすべて駄目ということではなく、日本のコンビニのサンドイッチは一度もアナキフィラシーがでたことがない。ただし、中国のコンビニのサンドイッチではアナキフィラシーが出た。マクドナルドもX、丸亀もX、袋物のパンもX、でも、平和堂のパン屋さんのパンではアナキフィラシーを経験していない。

運動誘発性なので、食べる前とか食べた後に運動をしていなければよいのだけど、出荷とか焦ってやってる時には相当の運動量なのだろう。その後に1枚食パンを食べるだけで、10分もしないうちにアナキフィラシー症状が出始める。動かなければよいのだが動いてしまう。

中国の展示会にいったときにも、浦東国際空港についたときに、食事もとらずに仕事してそのまま中国だったので、ようやく、サンドイッチを買って食べた。パンを食べたのを知っていたので、安全にタクシーにのって会場について、ゆっくり行こうとしても、会場周辺には荷物持って金をせびろうとする連中がいてゆっくり行くこともできず、力いっぱい荷物を引っ張ってしまてて、ブースについたら、皆さんと普通に挨拶もできないような呼吸困難症状のやばい状態。
2021年02月24日
ASABANの青山さんがご友人の方と麻組合で3日間の手織り体験に来られ夕飯をご一緒。なかなか実際にやってみると織物というのは手間が掛かるという話で、でもそういうのが私は織物の仕事が仕事らしくって一番良いところなんだろうなあと思っている。

昔はテレビもなかったし、ある意味、織機が娯楽みたいなものだったんだろうとおもう。一生懸命につくればみんなから評価してもらえるしまたお金にもなった。今は、仕事みたいな概念になってしまうと働くことが悪いことのように思われるけども、だれがそういう風にしてしまったんだろうかと思う。趣味の延長がプロの世界でその道で食べていけるようになることが本当に悪いことなのだろうか。そんなこと言っているとプロとしてやっても趣味の人にも及ばないだろうなあと思う。

織物を含む繊維というのは間口が広く、本来は多くの人の生活を支えられるのだが、時間に縛られてしまうと繊維の現場作業で食べていけるような力を持った人というのは本当に限られてしまうと思う。昔だとずっと仕事ができたけども、働く人が年を取るとどうしても若いころの3分の1くらいしか量もこなせなくなるし正確さも落ちて失敗も多くなってくる。それを直すのが若い人の仕事になってきたりもする。

時間的な縛りをなくさないと、なかなか、年配の方がまともに仕事できるなんていうことは難しいところがあって、今日も、織物は初めての方だったけど、年配の先生が自分がやってみて頭と体が全然マッチしていないとおっしゃってられた。頭では分かっていても体がその通りには動かないのが普通だったりするもので、職人というのは一般的に慣れでそれを考えずにできるようになっているというだけのこと。

慣れでやって成り立つとよいのだけど、今は、慣れだけでは難しく、いろんな問題があるときには、どうしてもそれを解決する力が必要だったりして、それを解決してゆく力がないと仕事をやっても問題ばかりになりどんどんと仕事は減ってくる。

私にしても織物を企画したりすることは、仕事と思えないほどにいろんなアイデアあるけども、今のように昔普通にできたことも、どんどんと普通にできなくなって問題が増えてその問題解決も時間にゆとりなくできなくなっている状況では、難しことすらも日本ではなく、海外の経験の浅い人たちが時間使ってやるようになってしまう流れ。

プロの世界は、海外に昔の日本があるような感じになってきて、仕事を探ししたいという国がやはり自然に伸びてくるように思う。仕事を面倒がっては駄目なんだけど、日本中に仕事を面倒がる風潮が広がってしまって、日本の繊維業界というのは難しいなあと思う。それが今というのではなく、ひと世代前からの話なので、私が職人の親方クラスである先代や別れで始められて先代世代の方も、もうちょっと仕事に対するちゃんと正しい考え方もったらというのもそこ。働かない親方たちが自分たちは特別みたいなうぬぼれで成り立ったときに終わりで、外から見れば一番のカモでできなくなってさらに次の世代に自分のできなくなったを片付けさせようと食おうとしているからジジイらいい加減にしろで私が切れる世界。どうして日本の繊維はそこまで落ちたんだろうと思うが、それが親方日の丸てきなものに乗ろうとする考え方じゃないのかと。ひと世代前の親方クラスが自分が地道に働いて自分を成り立たせてと思う精神が無くなりすぎて、仕事の簡単なことも面倒では親方クラスが仕事が面倒では今の時代の問題は乗り越えられない厳しい話。
2021年02月24日
昨日、サンマを近くの天平フーズ系列の五個荘食堂で久しぶりに食べておいしかったので、今日も夕飯は魚にしようと思って平和堂の中の魚屋に、ブリのアラがなかったので、シシャモを2パック。40匹くらい入っていて1パックが200円。お店の人もこれは安いからぜひかってという本日お勧めのアイテムだが閉店間際でかなり売れ残っていた。ちょっと痩せ気味なシシャモなのが残念だが、そういうのこそ誰かが店主の意気込みに応え買って楽しめる気もして2パック買った。採れたシシャモが常にベストば状態ばかりじゃないし、外れっぽくってもシシャモを大事に思う気持ちは本当に大事だと思う。

家に帰ってフライパンでパター風味のマーガリンで適当に10匹くらいづつ焼いて適当に醤油をかけて食べる。シシャモらしい、ニガさもあって、それが白身だけを食べるよりもカルシウムやほかの分からんものも丸々食べることができて良いんじゃないかと。10匹づつ焼いても4回食べられて、一パックでも十分楽しめていい感じ。

焼くにしても、フライパンじゃなく、コンロで網で焼けばもっとよかったろうけど、炭火ならもっとよかったろうけど、IH使ってフライパン。それで本当にいいのじゃと思う。持続可能というのは、自分ができる範囲で自分のことには贅沢もせずに、できる限り自分が生み出すものや働く人を支える環境を維持するためにお金を使う。

しょうもない話だけど、貧乏な学生のほうが社会人以上に自分で生きていく力を普通に持っていたりして、貧乏な学生に精神的に負けるようで、良い生活を求めていては誰も心にも響かないし、そういう人を他人事に応援する人はたくさんいても、実際に自分が雇って家族も含め一生の面倒を約束してくれる人というのはほとんどないだろう。

私も多くの繊維関係のブランドのオーナーさんや経営者と話すけど、みんな他の人を支えるために働いているような人がほとんどで、自分自身は他を支えるマイナス覚悟の持ち出しでやってられる方も多い。働かずして他を食うばかりを考えるのが今の勝ち組的な考え方、私自身はそんな働かない勝ち組になりたくないなあと思う。苦労してなんとかなっていけばそれでよいし、次の世代にしても、他を食って成り立たせるが当り前のビジネスライクだと日本の地場産業的なものは偽善的で最後終わるだけのこと。地場産業が同情を集めるならそれなりに覚悟して働かないと、偽善的に同情を煽って働かずして覚悟もせずに成り立つだけでは、最終の消費者が満足するものもできないばかりになる話だろう。

最終消費者にとって、まともなものがつくれなくなったら林与でも終わりだと思う、その戦いは業界の中にあったりもするので、まともなものをつくろうと自分が問題を解決する人が集まってものづくりしないと駄目だと思う。最終消費者にとってまともなものをつくるろうとする感覚が本当に大事で、それがみんな自分の狭い責任逃れの範囲で責任逃れて海外のモノづくりにも負けてしまうような話が今の日本のモノづくり。自分がそれで食べていくなら覚悟決めてやらんかなあ。
2021年02月19日
今日6時過ぎに豊満神社の横を通ると、豊満神社が全体がエレクトリックパレード状態。初めて見たけど、どうなったのと思った。神社中を電飾で飾ってクリスマスどころじゃないイルミネーションなのだが、神社も今はイベントというとこういう方向性なんだろうなあと感じる。春節のイベントをやられているんだろうと想像。





2021年02月19日
林与のことではないけども一人の繊維産業を盛り上げようとして動いている方がコロナの影響もあり事務所を閉じられた。実際に自分でやってみると繊維で自分自身を成り立たせていくこと自体が難しいという問題があろうかと思う。今は、繊維業界が活況だった昔と違って、売れるようなものをつくったとしても海外から似たようなものが10分の1の値段で大量に数か月あとには出てくる。

ゆえに、日本でモノづくりをしようとすると、ニッチェ的なものづくりになるのだろうけども、ニッチェな世界というのはターゲット自体が大きくないので、なかなか織物の世界のような組み立てじゃない世界だと、小回りが利きにくい。それをどう小回りを利かせるのかというところじゃないのかと思う。

力強く力のあるものが動いていくしかないだろうと思う。ある別の若い方が小物づくりで自分のブランドを立ち上げられたが、裁断や縫製なんかにしても量がまとまらなければなかなか一つ一つを頼むことは難しい。自分で裁断や縫製するとかが一つの方法で、それでよいと思う。でも、なかなかそれを自分でできる人はいなくて、作業は他の人にやってもらうというのがスタイルだと、最初に数がまとまってつくるはできても、そのあと追加でつくるとか簡単なことも前に進まないことは多いだろう。

例えば、素敵なお店が上手に売れているように見えても、その売上以上に地代や人件費、広告費などのコストが掛かっていることも多かったりする。そういうのを小さな規模のものが理想としてないものねだりしても仕方ない話。小さいなら小さいなりに自分がものづくりしてそれを売る様なスタイルこそが持続的な形だろうと思う。自分でそれをやっている人というのは長続きするもので、分業的な形を求めると一つの要素で突然問題が起きて解決できなかったりしてできなくなったりするものである。

私自身は、大きくやることがすごいことだとは思わないし、自分自身が切り盛りして続けていけることが大事だろうと思う。大手の有名な家電メーカーなんかは、優秀な人が集まっていても会社が傾くと廃業という形も多く、結局、大きくなると薄っぺらくなりがちで、誰でもができるような仕事が増えてきて、素人でもできる仕事のスタイルを目指すことになる。私もコンピュータの製造現場で働いたことがあるが、誰でもが同じようにできるような工程管理に落とし込み、これが世界最先端の製造現場なのかと逆に思う。

そうなってしまうと、人件費の安く、すべてのコストが低い海外での生産が一番うまく行きやすくなり、日本でのものづくりは断念する方向になる。結果、社員の福利厚生なども非常に高いレベルの工場ではあったが、その数年後には閉鎖されてしまった。工場が閉鎖されるような状況に陥っても、だれか、一人ががんばるとかでは無理なレベルで、たどり着いた結果ともいえる。
2021年02月17日
いろんなことが難しいのが今の日本。不景気になるとものが安くなるのかというと反対に高くなるとか。不景気のときには、柔軟な労働力の移動が大事なことの一つだろうとは思うのだが、労働を硬直させてしまう制度があって、不景気の時ほどものは高くなるみたいな普通はありえない話。

不況な時には仕事を生み出す力がないといけないのだけども、今の職人の世界も1時間いくらのサラリーマンの世界が普通で、これは今に始まったことではなく、ひと世代前の仕事がなくても給料がもらえるサラリーマン職人が当り前になった昭和の時代から。食べていくのが難しくなったときに働いて食べていく道を模索するスタイルが消えてしまった。

昔いつも閑散期になると電話くださる社長さんがおられて仕事探ししておられ、従業員を抱えておられ仕事なく大変なのが伝わってきた、そういうのに応じて閑散期にお金を使うのも厳しいけど仕事をなんとか作ろうと林与も昔は動いて来たが、林与も外の世界にいくとそういう仕事をさせてほしいみたいな業者さんがすごく多いので、それが本来の自分が仕事して食べていくために必要なスタイルだとも思う。なんでも一生懸命にやりますみたいのがなくなるといろんな問題も乗り越えていくのは難しいだろう。

創意工夫とか試行錯誤みたいなのがなくなるとできることもできなくなって、人の力というのは同じ設備や環境でも違いを生み出すためには大事だなあと思う。林与の設備にしても一番新しい織機でも40年選手だったり、あとは人の地道な力でしかないと思っている。

今話題の仮想通貨なんかにしても、日本で仮想通貨が生み出されるのかというと、それは無理な話で、多くは中国の1kwが1円の水力発電の電力を使って、中国製のマイニングに特化したマシンから。日本で高圧で、1kwが安くても13円とかではそもそも競争にもならない話。低圧や家庭100vの値段ではやるだけマイナスな話。でも、それが今の日本のものづくりに共通するような問題。

国レベルでなにやっても成り立つような基盤をつくっていかないと、役人や殿様商売型の企業だけがゴミも出さず利益を集めて成り立つような今の日本ではダメだろうと思う。トータルで成り立つような社会を目指していかないと、もう器用だったり忍耐強い人も少なくなって、頭だけじゃなく器用さと忍耐が日本のお家芸だったのに。
2021年02月16日
年末くらいからは工場が寒かったんで、アラジンストーブタイプのストーブを一つ工場に置いて焚いてその上に水を入れた鍋、蒸気で工場を温める作戦。それだけではもったいないので、札幌のコトコトコーンポタージュ缶を入れておく、スポーツのように織機を動かして少しの休憩にそれを飲む1杯100円もしない贅沢だが体も温まり癒される。

大人というのは小学生の子供よりも恵まれていて、小学一年生が毎朝雪の中でも2kmとかを歩いて登校、大人にはできない子供の我慢の世界。学校でも新しいことを1教科だけでなく、5教科、しかも家に帰って宿題まである。大人よりも酷に毎日を生活が小学生の世界。

仕事なんてそれにくらべれば大したことないなあと思うばかり、仕事のことなんてメモすればそれでよいし、暗記する必要もない。仕事だと計算機を使って計算もできる。大人になるとその程度のことも面倒になり、小学生中学生に負けることも多い。子供たちは体を全力で動かしてスポーツなどにも励めるけど、大人になると動くのも面倒になってそれで普通。

流しているだけで毎日が成り立つ大人社会と厳しい現実に直面する小中学生、逆でないとあかんのとちがうと思うけど、やっぱり、年取るほど偉そうにするだけで高負荷は若い者にばかりいってしまう。これから生まれてくる世代が今の日本の年金問題を解決してゆく生まれた時から保証人かわいそうやないの。この50年ほどで、世界でも本当に珍しいそういうのが普通な国になってしまった。

これからの世代は国際競争の中でそういう重荷を背負って競争。なぜかへっちゃらな年配者たち、おかしくなりすぎな感覚が普通になってしまって、若い世代も同じような感覚になってしまうと要求して他人に押し付けるばかりの社会ができあがる。小中学生のように素直に地道にものごとに取り組むことが大事だと思う。

海外でも児童労働問題があるけども、子供は素直にできるけど、大人は役に立たないという大きな問題があって、大人がまず働くようにならないと駄目だろうなと思うが、日本も例外ではないと思う。責任逃ればかりの国の役人たちが国民に要求ばかりでは頭が良い意味すらもなく悪知恵だけが目立つ。
2021年02月12日
仕事の問題で謎なことがあったけどもようやく今日の昼前にそれが謎解けた。もしその謎が解けなかったらまた何週間も失敗するテストを何度も繰り返す話で、解けたことによりピンポイントで解決に向かって動ける。
2021年02月10日
ある工場の社長も担当の方はすごくキャパを持っておられるのだなあと思う。前向きに仕事を進めようとされているのが分かるし、仕事をしていただくほうもありがたいなあと思う。ある材料が廃版になって、新しい材料でそれを置き換える話。

テストからということで仕事を自分で作ってゆくという意気込みが似ていてありがたい。その常々において他ができなくなったことでも自分はできる工夫をして生き残れる形だろうと思う。外の要因は難しくなる一方だけどそれに飲み込まれてしまうと、できないかやったとしても最後大きな問題が残るだけとなる。問題にならないように落ち着いて前向きに対応をして行かないとすべてが出来なくなってしまう。

特殊なものをやっているということをよく理解もいただいていて、その工場も特殊なことということで緊張をもって動いていてくださる。それを通常の工程に入れると機械が汚れるということで、林与でその問題は解決するなど、できる方向を探して動いているからできていたりする仕事。

柔軟性こそが仕事のすべてで柔軟性を欠いてはできることもできなくなってしまう。
2021年02月10日
昨日、仕事が終わる前にスタッフの子がレピアの筬とテンプルの間で指先を挟んで出血、病院でみてもらってレントゲンも取ってもらって消毒もしてもらって明日は休みにして様子をみてもらう。

私自身織機は危険なものだとは思っているのでいろいろ危ないとかいうことも多い。二人で織機を動かしながら扱うのは危ないことだし、一人で動かすのが基本は安全。動かさない状態で、作業するときは二人で作業すると効率のよい作業もある。織出しの作業など。

他の業種と比べると織物関係も労災など掛け率からうると、事故率は全業種の中でも低い方だが、全然安全にみえる整経機の巻き取りですら、私の工場ではないけども3人亡くなられた工場もあるとか。回転が逆なのと機草を入れるときにエプロンが巻き込まれてしまってとからしい。昔の機場のおばちゃんたちはエプロンしている人が多かった。

工場作業では一番、フリースみたいな上着が安全だろうと思う。フリースの首の紐は短くカットしておかないといけないけど。でっぱりがすくなく引っかかりにくく。髪の毛も機械に巻き込まれないように結わえるかが大事。前後の往復運動よりも回転運動が安全に見えて危険ではある。
2021年02月09日
親からは田舎のしきたりみたいなことや業界の古いことは親が教えられても、外のルールは外の人が教えてくれたみたいなところがあって、狭い世界に縛られていると外で通用するような人間はできにくいだろう。そういう田舎のしきたりみたいなことや業界の古いルールはいつの間にか消えてゆくようなものでそれに次の世代を一生懸命にさせるよりも、自分自身が新しいものごとに挑戦して仕切り屋のいないところで、ものごとをやっていかないと立ってゆくのも難しいであろうと思う。

業界でもなんか前向きにやろうとしたらこれは駄目あれは駄目とか他人が口を出してくることが多い。嘘とか偽装は駄目だろうけど、ほんと前向きな期待されるような新しいことをやろうとしてもやらない人からこれは駄目あれは駄目が多い。人間関係を勝手に作ってしまっていて、お前はワシよりも下だぞ見たいな感覚がそういう人には充満しているんだろうけど、そんな程度の人のいうことを聞いていたらその程度に終わってしまって、自分自身がその程度のことをいって次の世代をつぶすことになる。

糸を自分が輸入することにしても、糸商から自分を通して買ってくれの話があったけど、糸商の話を聞くと小回りが利かない話ばかりか、私が覚悟して仕入れる話なのに便乗して他にも売るみたいな話だったので私自身が覚悟決めて動く意味がない。世話になっている糸商さんでも従来の糸はそのままのルートで特別な糸は自分のルートで仕入れることに。残念ながらその糸商さんもその後に廃業されてしまったが、やはり自分の思ったことが自由にできないと今の時代には通用しにくいものである。

京都の問屋さん関係ももう20年前に取引していたそこそこの規模のところはすべて業を終えられた。そういう時代が見えないと、お世話になっていたのに残念な話ではある。先代でも問屋さんにいって修行してこいみたいな感覚だったが、そういうのに違和感がないと次の時代には残れないのである。売り先がなくなったから売れないで終わるとかじゃなく、普通に、自分で作って自分で売るという当たり前の商売の基本の部分に戻ってやっていけばよいだけのこと。そのためにはそれができる力のある人が必要になってくる。

一つは田舎という立地で消費者の方とは遠いけども、時代の流れはネット社会で世界中の誰とでも家にいながらコンタクトを取れるような話で、そういうのについていかないと田舎の繊維の仕事すらも難しい。小さい枠のなかの序列に縛られていては小さい枠すらも消えゆく運命。小さい枠を意識せずに外と自由に交流してやってゆけないといろんなことは難しいものだと思う。
2021年02月01日
今やっている物事を大事にしていくことというのは大事だろうと思うのだが、関係のない世界の人から見れば、今やっていることの大事さも見えずに新しいことばかりで振り回して、今やっているものごとの大事さを見る目がない。

中山道の高宮の旧商家のたたずまいにしても、あれほど文化的な価値のあるものはないだろうけども、普通に壊してしまう話やリノベーションの話。私が廃墟的なものに魅力を感じるのは普通とは違うのかもしれないけども、新しく普通に作れるものよりはそういった同じようにつくることが難しいものは価値があるだろうと思う。今、作ろうと思ってもなかなかつくることは難しいのである。

こういう私のものの見方というものは織物の仕事でも価値観的なものに生きてると思う。衰退する業界を駄目なものとみて新しい業界をもてはやすみたいな一般的な考え方じゃなく、衰退することというのは逆になかなか難しいことなので、みんなできなくなってゆくのに、それを続けてやっていける部分にある意味強さがあるようにも思う。熟練者がやっても初めての人がやっても同じ土俵でやれる人だけが残れるみたいな。登山しないけど、登山と似ているかなあ。自分が自分で登らないといけないあたり。車で登ってはそれは別の意味。

以前、ある若い女性の方が夏の炎天下を、別の織物工場から林与まで10kmとかを歩いてこようとしてやるなあと思った。2時間歩くのが平気な人というのは、気合からして違うようにも思う。そういう人だと仕事も別の感覚でみることができて、いろんなことが簡単だろうと思う。スポーツの世界だと普通でも仕事の世界ではなかなかそういう気合のある人というのは珍しい。普通の繊維業界のおっちゃんおばちゃんらでは敵わんだろうなあと思う。
2021年01月28日
林与の裏の田んぼが宅地開発されるということで今までそれほど気にしていなかった境界の確定の話などが必要になってきた。林与の家は出てゆかれる人の土地を買ったりしての番地なので、いろんな番地が混在している。それなりに、番地がどこからどこまでかは確定しているものと思ってはいたけども、建物を建てたのがその番地の安全な部分に建ててあるので、その建てたものを基準に境界を決めてしまうと結局は安全に立てた側の面積とかが狭くなってしまう。

今回は自分が境界を決めたいということではないけども、昔だと隣近所との境界は、測量もせずにここからここまでみたいな感じでアバウトにやってきたのだが、今は、宅地開発の会社との話になるので、はっきりと決める話。話合いで変な形のを長方形の形に近づけることもできるので悪い話ではないだろう。自分の所有面積をしっかりと確保できるように境界を決めるのが一番正しい方法ということになる。昔の地形というのは現状に合わすしかなくなってきているので、現状の地形をもとに、自分の所有面積をしっかりと確保できるように境界を決めるのが一番よい方法ということだろう。
2021年01月26日
DENの北山さんが生地を買いに来てくれて、話を聞いているとやはり長浜の商店街もコロナでそうとうお客さんは減ってしまっていて、普通だと経営が成り立たない話なのだが、東京のイベントでは、うまく受注ができているということで助かっているというお話。

富士吉田との取り組みの話もされていて、その中では富士吉田の機屋さんがこのコロナで大ピンチのようである。アパレル向けの仕事をしている機屋関係は今は非常に厳しい状況。林与もここ数年はアパレルの比率を30%以下くらいには減らしていたので、それが今の状況を乗り切るのには役立っている。

このコロナの状況で、アパレル関係の企画が少なくはなっているけども、企画があっても数量が付かないと、サンプル量産ともに仕事しても2回のダメージに終わってしまう。昔のように何十マークもやっているとしたら、仕事しても、サンプルと量産で何十回のマイナスのダメージということになる。それは、機屋だけに限らず、染色工場や加工工場さんに取ってもダメージという結果になってしまう。

先日の米原でも、キッチンクロスは多くの人に喜んでもらえた。多くの人が興味を持って欲しいと思ってもらえるものを自分で作れる力があるというのは幸せなことだと思う。そういう力があるから私自身仕事としてやっても当たり前に成り立つんだろうと思う。考え方が普通とは違うの塊みたいなところで成り立っている。そういう普通と違うことができるのが大事だと思っていて、また、そういうのに多くの方が興味を示していただけるんだろうと思う。

仕事で接する人でも業務的な人が多い中で、考え方が普通とは違うタイプの人がおられて、それは個人作家さんだったり、ブランドのデザイナーさんだったり、経営者の方だったりで自分で自分の世界を作っていける人。それは母親が子供の為に夜なべして何か作ったりするのと同じ感覚なんじゃないかと思う。実際、米原のイベントでも初日に60枚くらいのキッチンクロスで、次の日の分が亡くなったので、夜中に裁断と縫製してまた70枚作った。2日目もすべて無くなって、自分が企画したことがうまくできて喜んでもらえて良かった。初めてのリネンのキッチンクロスという人も多かったので、使ってもらえるのが楽しみである。
2021年01月25日
延長されてこの3月末までは雇用調整給付金があるという話を加工工場さんに聞いた。雇用調整給付金がなくなると、繊維関係の会社の多くが雇用を維持できなくなるだろうと思う。アパレル関係は特にものが動いていないから。動いていたとしても流れる量が減って利益が上がっていないものが多いだろう。

縫製関係の会社では少し仕事が戻ってきたという話を聞くことが多いが、海外の縫製工場でやっていた仕事が、海外出張できないから、国内にシフトされた影響もあるのかもしれない。

林与の仕事関係のお客様は例年通りに仕事を発注くださったところが8割方で、一方で、取引先の二つの会社がコロナ以降、倒産あるいは更生法適用。手形や売掛金は大きな金額ではなかったので問題なかったけども、コロナの影響というのは特に高級アパレル関係がダメージを受けている。

もし、林与がアパレル向け生地100%でやっていたら、このコロナの情勢では、会社を回していくことは難しくなっていただろうと思う。コロナ前から、ここ数年アパレル業界は落ち込んでいて、消費税増税のあとは完全な不況モードで国内の生地生産は大幅に落ち込んでいた。さらにコロナで都市部の店舗は閉鎖で、去年の春夏物は残り、それを今年の企画として使うところも多い、今シーズンの国内のアパレル向け生地生産は壊滅状態。

4月以降、社員を抱えている繊維関係の会社では、雇用を維持できなくなり廃業やリストラが行われるだろう。多くの人を抱えている会社ほどその雇用の維持が難しくなってくる。私みたいなタイプだとコンビニのアルバイトでも別に構わなかったりするけど、そういう柔軟性も働く人に必要じゃあないのかと思う。繊維関係でも、アパレルや売り場にいる人が、製造の現場などに入って見たりすると、今まで自分がやってきたことはほんの一部だったのが分かると思うので、柔軟性が大事じゃないかと思う。

繊維関係の転職で多いのが、生地問屋さんなどが廃業して、他の問屋さんに移られたり、また、自分で問屋業をやられたり。生地問屋さんの方も、生地の製造の現場に入ったりして見られると良いのではないかと思う。また、他の業界に飛び込んでいくのもよいと思う。

私も、会社が家族経営規模に戻したときに、大阪の若者ばかりのソフトウェアの会社、またそのあと最先端のコンピュータの製造工場の3交代を経験した。繊維業界とは違ういろんな感覚に触れることもでき、繊維業界よりも一つのミスも許されないみたいな緊張感があった。そういう経験も今の織物の会社の経営には生きているところがあって、そういう経験がなければ繊維業界的な概念で経営を捉えてしまってできることも駄目だと思ってやらないことも多いだろう。

ソフトウェアの会社は、能力主義で、能力がないと残れない。コンピュータの製造工場は、スクラップは反省書だが、社員の福利厚生もよかったが結局数年後閉鎖になる運命。繊維業界のような人間関係で成り立つみたいなところがないのが印象的で仕事をちゃんとしないと残れない厳しさがある。繊維業界でそれをおっちゃんおばちゃんに強いても絶対に無理だろう。伝統系の田舎の織物業界というのは3Kのように言われるけども、ありえないほどすごく緩い業界だと感じる。

人間関係で成り立つ社会というのは、外の人間関係のない社会では通用しにくいもので、外の人間関係のない社会でも通用するように、人を育てていくことが大事だろうと思う。
2021年01月25日
事務所の10年選手のFAXコピー機が、スキャナーの調子が悪く画像がやや黒っぽく映る。保守契約してあるのでメンテナンスサービスの人に来てもらうが、もう部品が手に入らないかもという話。白黒のFAXコピー機でも業務用というのは新品の契約だと50万円以上したりするもので、部品がまだあることを祈る。立ち上がりが早く操作がシンプルなので好きなのである。

部品が手に入らないなら、手持ちのカラーの複合機で代用する手もあるのかなあと思う。今のところ、カラーコピーしか使っていないがFAXも大丈夫だろう。A3のカラーレーザーの複合機が欲しかったので、出物があったので3万円で手に入れたものだけど、今のところ互換トナーを入れたりして格安モードで使っているけども問題はない感じ。保守も入っていないので維持費も無料だし、立ち上がりが30秒くらい掛かるのを除けば、プリンターとしても使えるし、ドキュメントの保存もUSBにできるし、コンビニのカラーコピー機以上のことはでき悪くはないのである。

怖いなあと思うのは、そんなA3のレーザー複合機が中古だけどきれいでカウントも少ないのが、わずか3万円で手に入ったこと。日本じゃあもうものづくりは難しいなあと思うのもそのあたり。

そのレーザー複合機は、保守契約も入っていないし、さらには、トナーも互換トナーを使って気軽にカラーコピーが使えたらなあと思うことを実現した。コンビニのカラーコピーなんかもトータルで考えると安いけども自分の好きな用紙を使ったりとか、自分のやりたいことが出来なかったりするので、自由に使えるカラーコピー機が欲しかった。もし何かあって動かなくなったら自分で治すしかないけど。

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