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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年11月16日
スウェーデンでのコロナ新規感染者数が1日4000人を越えるなど止まららず、ロックダウンの方向に方向転換しようとしている。ひとりの学者を信じて自然免疫の道を選んだスウェーデンだったが、第一波は抑えられたものの第二波は第一波の何倍ものスピードで新規感染者を増やし収拾がつかない現状。

壮大な社会実験は終了し、現実的に拡大を食い止める路線へ方向転換しようとしている。スウェーデンがそういう方向転換をできるところはまだ国家として機能していると言える。コロナにしても緩いコロナからきついコロナまで色々とタイプがあって、緩いコロナはしのげてもきついコロナには人の免疫が敵わないのも普通のことだろう。

例えばインドでも当初はインド人はコロナにはかからないと言われていたくらいだが、ひとり感染者が出始めると一気に全土に広がった。一旦広がったものを押さえ込むにはロックダウンやステイホームが一番の被害を広げない有効策。

ワクチンバブルで経済的には沸いてはいるが、自然治癒と変わらない程度の効果のワクチンでしかなく、有効なワクチンと呼べるほどでもない。日本の民間には一貫したマスク文化があったので行政の無策に近いコロナ対策を相手に、国民の自衛心がコロナを封じ込めている感がある。
2020年11月15日
私は基本、普段はくら寿司派なのだが、かっぱ寿司に初めて行ってみた。一番良かったのは、あさり赤だしで、くら寿司の2倍くらい価値があるだろうと感じた。

でも、かっぱ寿司はワサビがおいしくないことと、シャリ派の林与からするとシャリが小さいことやシャリの味がほとんどしないことから、お寿司としての軍配はくら寿司に上がってしまう。

かっぱ寿司の顧客対応もすごく良いのだが、シャリが受け入れられないくらいに普通に冷めたご飯のような感じ、マニュアルもあって定められた作られ方でつくっているのだろうけども、レシピを変更したほうが良いんじゃないかと思う。

チェーン店だと、味の分かる人が味を左右することもできないだろう。かっぱ寿司のお客さんの少ない理由がシャリの味なのかなあと思う。
2020年11月14日
今日は整経をしようと、糸を立てて前までひっぱると軽すぎる感触。この軽い感触がよくなくて、おもりのワッシャーを1個から3個に増やすことに。ワッシャーのおもりもほかのところで使ってしまっているので、足りない状況が判明。3年ほど前にネットで見つけて700個購入したが、いい感じだなあと思いつつも足りないままに放っておいて、今更必要で1000個ほど注文。

昔のおもりはなぜか鉄とアルミだったりするけども、私的にはステンレスのおもりが良いんじゃないかとステンレスにした。チーズワインダーなどにも同じおもりで対応。整経の時に、糸のおもりが軽すぎると荒巻ドラムに緩く巻けてしまって、巻き取りの時にテンションを掛けると食い込みなどが起こったりする。

整経の作業というのは、なかなか今はできるところも少なくなってきている。整経というのは、失敗すると大きな失敗につながるので、物事に慎重な人が綿密に計算したうえで行わないとうまく行かないことが多い。とくに、昔のように大きく巻く整経ではなく、100mから300mの整経が必要だったりするのは、先染めでは、使う糸の量の計算や、準備と後かたずけが、巻く作業よりも時間が掛かったりする。100mだと織る作業よりも織るのに繋ぐ作業や織出しなんかのほうが負担が大きくなる。

動力織機の時代になって織る作業というのは、織物をつくる上では負荷は低くなってきたが、織る作業の負荷を減らすためには、使える糸にしても昔のような細い糸を使うことは少なくなって、普通番手くらいの糸のほうが織る人には喜ばれる。細い切れる糸を動力織機で織るという作業は負担そのものでしかなく、細い糸の世界が消えていった背景には動力織機の普及が原因だと思われる。

さてさて、整経の合間に脳内では、業務用のかせくり機をつくりたいなあと思って、検討中。イメージは出来上がったが、果たしてうまくいくのかどうか。それ専用につくるんではなく、今ある設備と共栄共存することで、設備がどんどん増えることなく、オプション的にかせくりが効率的にできるシステムがよいだろうと思っている。

あとほかにも、撚糸的なことやオリジナルなリネン100%の糸をつくることなど、今ある設備を活用して作ってみることができればと考えている。麻糸に関しては特殊な糸というのがなかなか作りにくい現実もある。糸メーカーに頼むとどうしても、麻100%の縛りから抜け出してになってしまうので、麻100%の縛りの中で糸が作れたらなあと思う。
2020年11月11日
糸というのはある程度の力が掛かると切れるから良いと思うことがある。たとえば、糸があまりに強すぎるとその糸は1本の状態になると非常に危険なのである。手に巻き付いたり、体や、特に首に巻き付いたりして、力が掛かると皮膚を傷めることになる。

強度を求めた合成繊維などは、1本の糸でも非常に強すぎて、天然繊維の良いところは根本的に人に優しいそういうところなのであろうかと思う。天然の繊維というのは、人間の髪の毛が最強だとされているが手で引きちぎることのできる範囲である。相当、うまくできているなあと思うのである。

ストールなどに、使ってはならないのが強すぎる化学繊維や、とくに金属繊維。1本使いなどすると非常に危険で、ストールなどには基本1本の糸を手で引き切ることができないような糸は使用してはならないのである。

イメージだけなら良いのかもしれないけども、普段の仕事で、動力織機で機を織る人が首にストールを巻いて仕事するなどは絶対に危険なのでしてはならないことの一つ。もし、そういう動画をみたとしても、そういう真似だけはしないように。そういうことをやってる人がいたとしても初心者か織る真似だけしているだけだから、絶対に真似しては駄目。

モーターや織機の回転運動は非常に危険で、ストールの端などが引っかかって持っていかれると首を絞められてしまう可能がある。動力織機の機場では、ストールの着用は絶対に禁止なのである。
2020年11月10日
今日は、リネン100番手の立ち上げ、昨日、スタッフの女の子が繋いでくれたのを送って、左右の本数を増やして、若干幅広のリネン100番手のガーゼ生地を織る。林与のシャトル織機の幅としてはぎりぎりの織物。

細い100番手の糸を操るのは難儀ではあるけども、一本一本順番に直していくと、春の雪解けのように、何事もなかったかのように織機が動きだす。今までの苦労は何だったのと思えるほどに、地獄モードから天国モードへの移行。

100番の細い糸をシャトルの管に巻くためにはシュワイターの調整が必要で、調整をした後も、1本の管に糸を巻くのも苦戦。織るスピードよりも管に糸を巻くほうが時間が掛かってしまいそうなほど。今の仕事が詰まっている時期に、管に糸を巻くだけに時間を使ってしまっては仕事が大きく遅れてしまう。困った、困った。

昼食から戻ると100番の糸が調子よく管に巻けている。スタッフに、前のひと巻に問題があったのかと聞くと、シュワイターの糸道のガイドに傷がついていてそこにテープを巻いて調子よくなったということを聞く、うっ、できる。こういう細かい問題の対応は私は得意なほうだが、スタッフの子が、そういうのを当たり前に見つけてやってくれるのは感心する。

今日は他に、シャトル織機の調子よく動いていた1台から異音がする、何かこすれるような音、こういうのを放っておくと大きな修理が必要な問題になるというのがありがちなこと、原因を究明しようと織機の下にもぐったりもするもなかなか音の出場所がわからない。一つのねじが緩んでしまっいてるのを発見。それが原因できつく締めなおすと音は小さくなった、だが、そのネジを締めなおしたことで杼箱が若干高く調整されてしまったので、杼箱の高さを杼台の高さに合わせる作業。すると織機は異音も収まり調子よく織機は動き始めた。

明日はまた1台立ち上げ予定、明後日もまた1台立ち上げ予定。忙しいけども、物事や仕事が順調に行くことは幸せなこと。なんかうれしい。
2020年11月09日
2年ほど前に、ある糸にまつわる問題で悲惨な状況があったけども、私と同じくその悲惨な状況に会われたケースを聞いて、ある会社が同じ設備でやっていても世代交代で人が変われば、今まで通りにはうまく行かなくなるものだなあという実感である。

具体的には、ちょうどその時に、受けていた仕事があってどうしても織れないのである。調子がよければ2か月もあれば織れるだろうと思っていた仕事が半年以上かかった、糸が切れるときに10本くらい同時に切れてしまうとか、手を入れると横の糸が壊れるように切れるとか。

10本切れた糸をきれいに傷もなく直すためには、何本か糸を抜いて戻ってギアを戻して、すべての切れた糸をきれいにつないで織始めるの繰り返し。後ろに回って切れた糸を直そうとすると横の糸も切れたりとか。支給された糸にまつわる問題は織る側の問題でもないのだが、ちょうど世代交代の問題とも絡んで、糸を扱う機屋が解決する話になってしまったが、そういう糸に関する問題でも、投げ出さずにそれなりに精一杯に解決してあげようと思うのも、織るだけでなく仕事全体を考えているからのこと。

林与がなぜ糸の問題だと分かるかは、同じタイプの織機を何台も持っていて載せ替えしたりもするから、載せ替えしても同じ問題が起こるようなら糸の問題。基本的に織れないときにも織れるように糸に合わせて織機に調整を掛けるのだが、難しいことも多い。色糸じゃなく白い糸が織れないことがあった、普通はありえない話なのだが、染めたら織れて白いままだと織れない問題。油分が少なく伸度がなく織れない糸と、たまたま世代交代が重なって、織るのが本当に難しい経糸が出来上がってしまったということ。私自身がボロボロのボロボロになってしまうくらいだったが、それなりに傷も少なく、1000m何百メートルかを織りあげた。

そういう糸に当たったときに投げ出す話だろうけども、とりあえずこの1回だけはなんとしても形にしようと無理をして仕事する。その仕事のために他の仕事を犠牲にしてしまう結果になるのだけども、納期を伸ばしながらでも織り終えるしかない。自分が我慢して他を支えられるなら無理もしてみるもありだろうと。

そういう大きな問題の情報も他からも入ってきていて世代交代のタイミングの問題があるのも知っていた。その前の方にも仕事ではいつもお世話になっていて次の方もなかなか難しい仕事を引き継がれるということで応援の気持ちではある。日本の繊維の世界でそういう作業ができるところというのは日本というか世界でも限られてきているので、なんとか絶えずに残ってほしいなあと思うのである。
2020年11月08日
大統領選挙の結果がほぼ確定となったが、敗北宣言をしないトランプという想定があって、再集計になるだろう。不正投票が存在するのかしないのかというと存在する可能性もあるだろうが、バイデンにもトランプにも不正投票は透かしの確認ミスなどでいくらか存在するだろう。

不正投票の件に関しては議論の余地があるけども、最高裁判所の判決で自分を大統領にさせるというような発言までしているトランプというのは、民意の軽視が著しい問題が出てくるだろう。最高裁判所の判事任命権も大統領にあるのでそういう手を使うと暗黒政治に近くなる。

今回の争点の一番は、経済かコロナかという問題。どちらが勝ったかということではなく、半々くらいで、自由とか経済が大事という人がいて、また、コロナ拡散を防止が大事という人がいるということだろう。今、ヨーロッパ、とくにフランス、イタリア、ベルギー、スペイン、スウェーデンも、今までにないほどにコロナは広がりを見せている。一方で、アフリカでは、夏に向かい、コロナの新規感染者の数は減少気味、ブラジル、インドでは、減少気味、アメリカ、カナダは、大きく増加中である。全体では今までにないほどの増加傾向があって、感染の拡大に関しては、今が今までで一番最悪というような状況。コロナ自体は感染力は強くなっているだろうけども、弱毒化している傾向はあるだろう。

アメリカなどで1日の新規感染者が15万人に達してはいるが、死者数は1日に1000人であるというイメージ、1%未満の死者率である。以前は死亡率は5%とされていた。

今回の選挙で、トランプ大統領も何が敗因なのかというとコロナを軽視したことで、対戦相手に任されたというよりも、コロナに敗れた感がある。政治というのは何のためにあるのかを考えるときに、その状況に対応してゆくような政策を取るのが政治の役割なのに、コロナのような未曽有の案件に対して、感染することに関しては仕方ないことが、陰性の結果もでていない状況で自らの隔離を解くなど、自分の選挙の為にコロナをばら撒く側に回ってしまっては、コロナ対策どころの話ではない。
2020年11月07日
林与の場合には、仕事というのは最初から最後までみたいな作家的なモノづくりをプロがしているみたいなところがある。それというのは、普通に一つの作業する仕事よりも大変だろうと思うけども、それぞれの工程においてその工程の専門の人以上に物事を分かって仕事ができ、基本、一人いれば織物というものは最初から最後まで出来て出来上がる。それだけでなく、縫製もできたりとか、販売もしたりとか、伝票作業仕事もしたりとか。

作家レベルのものづくりにとどまらず、数人規模で量産の世界というだけでなく、できるものづくりにしても他の機屋さんよりも限界が深いことも多い。海外にもっていても、特色のある麻布の世界、そういうのが日本らしいものづくりなんじゃないかなあと思えたりもする。

もちろん、一部の作業というのは一人でやるよりも二人でやるほうが効率が上がる作業もあるけども、力のある二人がいれば、ワンモーションのなかでも、自分の余力で相手のワンモーションも助けられるので、力の無駄がなく仕事がはかどりやすくなる。そういう作業は、案外、年配の人よりも若い人のほうが気配りが上手だったりするもので、私が経験の長い人と仕事すると相手のスピードに落として待つばかりになるが、経験の浅い人のほうが私のスピードのその日からでもついてくることができたりするのは不思議なことである。学校でも普通に新しいことを学んでいけるような力が若い人にはあるのでそんなものだと思う。1時間2時間で、新しい人というのは作業を学んでいけるのである。経験者は逆にそれが難しいことが多い。

手の世界なので手のスピードというのもは必要で、私は、熟練した職人さんの2倍から3倍くらいのスピードがあると思う。移動するスピードもそのくらい速い。最近は、若いスタッフの子に抜かれてきたなあとか追いつかれてきたなあ思うのは、仕事のことを話していて、若いスタッフのこのほうが私の勘違いしていることなどを指摘してくれること、ありがたいことである。若いスタッフの子も、最初から最後までいろいろと動いてくれているから、仕事全部の話を共有できるのである。

固定概念みたいなのがあると、いろんなことをするのが難しくなる。固定概念を捨てて、目標をどうやって達成するかが大事で、それが他とは別格の作業内容になったり、別格のモノづくりにたどり着きやすくなる。日本の世の中は固定概念にとらわれがちになって、海外の人ほうが固定概念がなくダイレクトに最終製品を作り上げる力がある。
2020年11月06日
今日は、機屋体験の最終日、お越しいただく前の機結びから始まって、機替、整経、縦繋ぎ、パンチカード、シャトルでの織、修理など一通りを経験してもらう機会。ご自身の企画や規格が、どのような工程を経て織物に織りあがるのかを短期間で理解し習得して頂く。

織というのは、織機で織っているイメージが強いかと思われるのだけど、動力織機で織る部分は、それほど負荷のかからない仕事の部分。機替えや縦繋ぎとか、また、織り始めても、耳まできれいに織らないといけない布などは、いろんな場所の調整調整で、理想のきれいな耳に近づけてゆく。何メートルも織りなおしながら、やっときれいに織れ始めて生産が始まる。綺麗に織れているつもりでも、検反で耳切りしているとやはり、修理が必要だったりして、織りあがった40mほどの修理でも何時間もかかる作業。

それぞれの仕事を一つ一つしていては成り立たない織物の世界で、時間の中で、これもできるあれもできるでどんどんとこなして行かないとやっても成り立たない仕事になってしまう。問題があって他の人の仕事に文句言っていてばかりでも仕方なく、それをどう解決してゆくかが一番大事なところ。私が人を助けるのが仕事みたいなところがあって、現場の人の代わりに一番ややこしい部分や思いっきり力の必要な問題を解決するのが私の仕事だったりする。

今日は、他の場所で似たような話を聞いて、場をつくる親方クラスと職人の違いみたいなものを感じるのである。職人というのは上手な人もいれば下手な人もいるのが当り前で、それをどう解決してゆくかが親方的な仕事。私も、織っている人に織を任せていると、織ることもできないできそこないみたいな目で見られたことがありがちだけども、そういう人たちを食べられるように助けるのが私の仕事だったりして、織る仕事というのは織物の仕事の中で仕事の一部でしかない。他の人の織ったものを夜中寝ないで一目一目縫って直したりするのも普通にやるのが超えた世界の仕事だとは思う。

織るよりも、縫って直すほうが、超えた世界だったりするのが分かる人が、職人の仕事を子供の仕事のように感じる親方的な存在。職人なんて言うものはそんなものである、数日の人も何十年の人も同じ土俵に立っているだけのことで、できないとか仕事に文句言っている人と、自分がやって仕事に文句言ってる人の問題を代わりにやって解決する人の違いは大きい。林与の先代にしても、私からすると仕事の気持ちすらも足りないレベルで、現場仕事を馬鹿にして、自分はアル中のタイプ、先祖代々のものを一代で失ったと嘆いていたけども、私は大物気取りで浮かれていないで真面目に1日でも働けばよいだけだよと厳しい目。酒を飲めるのが自慢話でまさに田舎のおっさんそのもの周りにも多くの勘違いな害を撒いて時代にすらついてゆけず集落の過疎化にも大きく貢献してしまったと思う。親父的な考えで成り立っていた京都の問屋さんが同じ運命で閉じたのも、当たり前といえば当たり前で、20年、30年前でも勘違いの事を勘違いとは気が付かず、偉そうにやって後の世代がその問題を片付けるのに、親の世代のために人生をを犠牲にしてマイナスから立て直す話。

そういう人が実際一人になったときに仕事できるのかというと、親父と親戚の別れのおっちゃんにしても、他の人を従えてやっていた人が指図はできても織物のどの一つの作業もまともにできない半人前、酒飲んで偉そうな二人が偉そうに最後まで私に頼ってくるのをみて社会常識すらもなく。1日のアルバイトの覚悟や気持ちもないのが、何十年の経験者だったりするのを、林与の家や親せきの中にみてきた。その辺りのどうしようもないところから日本の繊維産業というのはたて直して行かないと、悪い例が先生では次の世代には気の毒。

昭和のまだまだ繊維が良い時代を引っ張ってきた、その近い二人のおっさんに合わせて助けている人間すらも舐めた感覚が一番駄目だよと引導を渡し、引導を渡すだけの覚悟はあって今も織物を続けている。経験の浅い海外や大手SPAのものづくりとの違いもなく抜かれてゆくのも仕方ないと思える。仕事の厳しさに向き合えず、付き合い的な力関係で成り立っていた昭和の時代の繊維の弱さ。
2020年11月05日
今日は機屋体験の4日目、昨日の夕方から織出しが始まった。実際に織り始めるといろんな問題が見えてくるあたりで、新しいシャトルを夜中に下して、それを使ってみるとか、耳までリネンの織物なのでなるべく耳がきれいに織れるように、微調整。おもりを増やしたりとか、ソウコウ枠の高さ、テンプルの位置。シャトルのテンサーの調整、クロスローラーに巻かれた布をきれいにやり直すなど、糸に合わせた微調整を私自身が加えて耳ががきれいに織れるように調整。織出してみてわかったことだが、今回の経糸のロットは前回よりも強いのか縦糸切れも少なく安定しているように思う。

一方で、隣で織っているL40が経糸切れが結構起こって糸切れを引っ張ってしまうような問題。レピアでも織れる織物だけども、厚織の織物なので経糸切れのこのような問題が起こりやすいのでシャトルで織っているが、シャトル織機でも糸切れが良く起こる。

午後から、麻組合が旧の愛知郡の役場を改装した建物で、実演や販売などをされているので、お客様にご紹介。作業の一つが難しいということで会社に戻ってからそれができるのか、その作業に対応できるパーツが残っていたかどうかを調べたら残っていてたぶんできるだろうなあと思うが、私がやっても同じ結果になる可能性もあるので実際にはやってみないと分からないところではある。

2本目の整経が巻き終わって、4日目が終了。糸を結ぶこと、扱うこと、機替え、整経準備、整経、巻き取り、織る、縦繋ぎ、ドビーカードのパンチングなど、どういう工程で織物が出来上がるのかを、ご自身が企画デザインされた織物を現場で作業して経験してもらうことにより、どんな作業をしたら自分がつくりたい織物がつくれるのかを理解し、単なる理解じゃなく、機結びとか縦繋ぎとか、実際に職人のやることをお二人ができるようになってもらう。

一つ一つの作業は1時間2時間もあればマスターできることで、誰でもできるといえばできることなのだが、経験の長い職人さんたちでも一つの事は専門職としてはできても、すべての工程をこなせる人というのは少ないもので、それができると織物の仕事全体が見えてくる。一つの仕事をやっているときとは違う仕事の意味みたいなものも見えてきたりするものだったりする。

理解だけでなく、コツ、体力、忍耐が必要だったりで、やろうと思えば何でもできるみたいなのも、今回は織物を短時間でマスターするだけど、他の仕事全般に生かせるようなことじゃないのかとも思えたりしているのが、私自身の人生観。私自身、学校の授業で勉強したことは雑学程度のことで、人生にも仕事にもあまり役に立ってはいないけども、留学して人間関係を広めたことも、コンピュータ関係の会社で働いたりしたことも、最先端のコンピュータの製造現場で働いたことも、織物とは関係のないことだが共通の要素があって、織物の仕事に役に立っていると思う。
2020年11月03日
今日は、2日目、朝から整経機のクレールに糸を立てて、それを前まで送って、整経スタート、1日掛けて整経が荒巻ドラムに巻き終わった。途中、少し余裕があったので、下でシャトル織機を織る練習と、合間に、縦繋ぎの練習。

縦繋ぎはやはり高度な感じなので、整経の足台にしているドリンクのプラスチックの箱を縦繋ぎ練習機にして、整経機の横で練習をしてもらう。指の動きは最後にあやとりのような要素があるので、そこが一番難関か。

私自身が縦繋ぎを覚えたのは必要に迫られて、従業員の女の子に教えてもらって、40過ぎてからだったろうけど、それでも遅くはなく普通に縦繋ぎもやって仕事している。素直に学びたい人だと普通に職人が無意識にやっていることくらいは数時間でマスターできるものである。あとは、慣れと実際の仕事となれば何千本繋ぐ話でそこが大事なところ。

10本20本結ぶのは頭で考えながらできても、1000本、3000本を結ぶのは頭で考えながらでは難しい。頭で考えずに、体の力も抜いて作業ができないと難しい話である。着物の世界の手織りの織物は通常麻織物だと1000本くらいが普通。たとえば、アパレル向けだと同じ規格でも3000本と手織りの世界の3倍の負荷になる。

よく言われることに、近江上布は1反織るのに1か月とかだけども、実際には1反を1日で熟練者が織りこなして、大学卒業の人よりの田舎の出機の人ほうがたくさんお金がもらえてすごく良い仕事だったということ。手に技を持っている人が日本からどんどんと消えている現実で、繊維の世界で織物の技術的なことを教えようとしても、それを習得しようとする人は日本人では逆に少ないと思う。何十年前は普通に日本人ができたことが今の人だと難しいみたいな、それでいて先進国というあたり。

同じ人間とした場合、海外の子供でもやっていることが日本の大人が難しいとかではダメで、日本の大人がやるからには海外の子供以上に正しく正確で明らかな大人の仕事の違いを見せないといけない。そうでないと仕事のできない自分が仕事するのが面倒くさい大人があふれて、立場の弱い児童労働なんていうのはなくならない話。大人がしっかりと仕事していかないとダメだろうと思うが、大人ほど仕事が面倒でできないことが多いのが今の世の中。先進国の大人と同じで仕事が嫌とかが海外に回って途上国でも大人が仕事が嫌で子供が児童労働、そういう悪循環を先進国の仕事の考えから断ち切らないと、児童労働はなくならない。

私が仕事を始めた時にも、何十年の経験者が仕事を面倒そうにいう人が本当に多く、大事な部分をやっといてばかりで、文句ばかりで限界が浅すぎて高度な作業にはつながらず。人間関係的な上下で下だと思うものに偉そうにするのに重点が置かれてしまって、もっと仕事に前向きな外の世界から取り残されているのにも気が付かない危うい状態。

経験も浅くても仕事する気持ちのあるものがそういうのをかぶって成り立たせて面倒を見るというのが海外の児童労働にも通じる世界。自分の両親ながら、地道なことを自分がやろうともしせず、こんなことはやっても無駄とか、地道に仕事するのを馬鹿にしている親をはアルバイトも難しい半人前。自分が自分でやって食べていくのが仕事だがそういう本質も忘れて、偉そうに面倒見てほしい経験者ばかりが増えてしまっては、繊維じゃなくてもなんの仕事やっても難しい話。

日本の全体としても、エルピダメモリもジャパンディスプレイも国の発想からして同じようなところ。安易な発想で、覚悟みたいなものなく国内生産にこだわろうとしても通用せず、海外生産しているといつのまにか海外の生産現場の人たちのほうがその業界では本物というだけのこと。自分たちが上のつもりで、メイドインジャパンや業界を牛耳ろうとするけども、そのひとたちこそが業界の人というよりも単なる不要の長物となってしまっている。ずぶずぶじゃなく、逆に研ぎ澄まされたみたいなそういうのを否定する意志の強さがないとダメなのだけど。絵にかいた餅のようなものを求めて、現実の努力が足りないから、初心は良くても結果は金満でずぶずぶになりがち。投げ出し状態でも続けたい。

食べていく苦労も味合わずに食べていきたいという感覚だから食べていけないは、仕事する前の人にありがちな理想だけが高い感覚だけども、経験が長くなると同じところにたどり着いてしまう経験者たちも多いのではないかと思う。エルピダメモリやジャパンディスプレイなんかはキズを大きく広げた感じそのもの。結局、国産がセールスポイントだったのに、結局外国の大手企業に買ってもらって正反対で落ち着いて喜んでいるというのも養分そのもので、もはや、人の資質が海外のほうが上のことが多いということだろう。
2020年11月02日
今日から、6日までの予定で、東京からお二人が林与で機屋体験。お二人の会社のいただいている仕事を自分自身で、整経、機の交換、つなぐ、シャトル織機を使って織る、補修、など体験してもらうことでどうやって布が出来上がるかの4泊5日。

機替えを2台経験してもらって、整経の途中から終わりまでの6バンド、整経の糸の片付け。夜の8時過ぎに1日目が終わる。

整経なんかにしても私自身が整経を出来なかったら織物を考えるときに整経のことなどあまり深く考えないだろうなあと思う。今、整経屋さんというのはどんどんと少なくなって機屋よりも整経屋さんを見つけることが難しいかもしれない。林与もまだ小回りが利くのは自分の中で整経をできるから、ただ、自分の中でやると費用は余計に掛かるだろう、でも、思い通りの整経ができることが一番よいこと。整経も誰がやっても同じように見えるかもしれないが、上手下手の差はすごく大きいそれが織りやすさの差、モノづくりの差となってくる。整経を失敗すると仕事が全没になる可能性もあるので、整経というのは確認を何度もできるようなタイプの人にやってもらう仕事だと思う。

整経も整経のドラムを回して巻き取るだけでなく、糸を小割して立てたり、糸を固めて片付けたりまでが整経の仕事で、糸の管理という要素までも含む。麻糸の場合は糸がよく切れるので、それを切れたままにしないで必ず結んで、できる限り糸切れのない整経を目指す。時間が本当にもったいなく思えるくらいの仕事だが、合間を見つけて別の事を並行してやって成り立たせるのが一つの方法。
2020年11月01日
大阪都構想も否決に終わったが、こういうハーフハーフなこと以外でも、政治が民意と反対に動いてしまうことが多い。コロナ対策やオリンピックは民意を度外視して政治が国民を自分の意図に裏からとかカネで誘導しようとしているが、間接民主主義が民意の反対のことをするなら民主主義の逆で民主主義でもなんでもない。

今回も直接投票だったから民意を重んじる結果になっただけ、議会でやってたら反対の結果ばかりが独り歩きすることになり、いわゆる独裁。国会議員であろうが元首相であろうが、町内会の役も十分に果たしてこなかったのだから、一度逆の立場を引退して経験してみればどれだけそういう努力を台無しにするようなことばかりやってるか分かるだろう。

結果を被るのは国民や市民なのだから、民意というのは本当に一番大事なことで尊重をされる必要がある。民意を誘導する必要なんてないのである。それをやるから、おかしなことになる。人々の不満をそのまま受けてちゃんと解決できるような行政になればよいだけのことである。制度的な問題ではなく考え方の問題で、そこを直していかないとダメ。
2020年10月31日
くら寿司に行くとガチャで1回くらいは当たりが出る、みなさんもご存じかと思いますが子供でなければ、当たっても本当にどうでも良いようなものなのだけど、まあ、外ればかりで帰るよりも、1回行くと1回当たるくらいがもやもや感が残らない感じ。当たりももうちょっと役に立つものだとよいなあと思うことも多い。

車で10分くらいのところにくら寿司が出来て、10年以上にはなるだろうけど、昔の当たりにしても、工場の中のどこかにあったりする。昔働いていた子が当たったポケモンシールを整経のノートの表紙に貼っていたりして、働いていた子はもういなくてもそのシールを見るたびに仕事のことや一緒にくら寿司に食べに行ったことを思い出す。

今日も、くら寿司に行って当たったので織機の上に磁石にくっつけたりもしている。当たっても大したものでもないのだけども、そうやって残しておくと意味があるような気もして見ると仕事中でもほっとすることがある。

私自身、くら寿司に行っても食べるネタはほとんど決まっていて、オニオンサーモン、鉄火巻、はまちくらいに赤だしで、満足ができるタイプで、ワサビをたっぷりつけてを楽しむ。くら寿司のワサビも最初のころに本わさびといっていたころのワサビはおいしかったので、くら寿司が他のところよりもお気に入りになっているのだが、今はワサビの味が落ちてしまったように思われて残念なところではある。

シャリとワサビと醤油があれば、ネタはなくても満足できるのである。昔はそういうおっさんも多かっただろうけども、だから、ものづくりなんかも味のある世界があったように思う。今は70とか80の年配の方にもそういうおっさんはほとんど見かけない。案外、そういう食に対するそぎ落としたような他の人からは引かれるようなテイストなどがある。

現代のアーティストがアーティストになれないのも普通の生活すぎてというところがあるんだろうなあと思うことが多い。求める人生観が普通で他の人が求めるような超えた世界にたどり着けるのかというあたりの問題。世の中、俗な話ばかりだけど、俗化してしまった感覚では逆に良いものは生み出せないだろうなあと思うことも多い。

今のものづくりというのは、売れ筋をみてとか他の人が作ったものを見て真似るとか、そういうのが本当に多い、ものがありあふれていると逆にそういうものづくりが普通で、ものがないところから自分が道具や材料をつくるところからが本来のアーティストの世界。ものじゃなく人という要素が成熟していないと難しいなあと思うのは、先進国よりも途上国の手作業からのほうが、味のあるものが生まれてくる。

繊維の世界だけじゃなくて、医療の世界でも、東洋医学と西洋医学というのがあって、先進国では西洋医学なのだが、実際、漢方やツボとかの東洋医学を西洋医学が合成して作って薬にしているようなのが現実で、医薬品会社もパクリ的なことで認証を受けるみたいな。

マスク何かも、理論じゃなく経験なんだよと思う。アジアではマスクでウィルスと戦ってきた経験があるからコロナでもマスクを当たり前につけるのが国民の知恵。医療関係者がマスクを否定しても、国民はマスクの経験を持って、マスクが自衛になるとマスクをつける。まさに東洋医学に通じる布マスクを否定したがる、サージカルマスクの西洋医学との戦いがそこにはあって、先進国きどりの国の医療関係者の質の低さがでてしまったのが今回のコロナの問題。自分が他の人を下に置きたいような連中が、人々が自分たちを守ろうとする普通のこともさせないようなマスクつけるなとやって、今は逃げている。日本の腐った政治の世界そのもので、弱者の命のかかわる問題も、政治家や権威主義の人間の欲と天秤に掛けられる。

すいません、ガチャのような軽い話題で入って、最後重い話になって、でも政治家ですらもが国民の命もどうでもよいのだから、そして片付けも国民に負担させて笑ってるだけ、だから本当に自分たちで気を付けないと。

イメージとしたらくら寿司のお寿司を提供する話は民間の話で、税金や消費税とって、くら寿司のガチャポンみたいなのが日本の政治で、国民にはうれしくもない当たりが来るだけ。税金や消費税が、政治家たちの為にあるという本質で、それで宝くじ的なガチャ的なものがGOTOやGOEAT、普通の頭で正しく使おうとしても、最初から無理と抜け穴ばかりで呼び込みはまさにマルチと同じレベルで、それを東大卒が集まる人たちがやってしまう。庶民的な騙されやすい賛同者をかき集めて、そのあとに、マルチ商法の現実を、改正とか節度とか求めて。最初に無理と成り立ちもしない豊田商事のようなことやるのが政府で、国民をお得だと煽りながら金かき集めといて逃げるのは駄目だよ。今回もそういう事態にならないか見届け判断を下すべきだろう。

そのために、マスメディア以上に厳しい目で、GOTOEAT試していて、騙されるの覚悟そのもの、現場のくら寿司の店員がかわいそうなくらいに、7時50分から8時の予約で、8時15分のテーブル案内。本当はくら寿司が守らなければ、ESPARKが守らなければいけないことも守れなく、農林水産省も認可で、現場に、暴動がおこる可能性も引き起こすケイオスがあって駄目。企画するものが本当に自分が出来ないことを企画しているのがGOTOやGOEAT、現場はかわいそうすぎて、なんでお寿司食べに行って、暴言沙汰になるくらいの修羅場を見るののはなし?

EPARKの予約の時間帯予約は待ち列の最初になるという話すらもが嘘で、行っても20分待ちで、他の予約が優先されている。これは予約を取る契約としては駄目な話で、嘘を農林水産省の業務委託の現場が普通にやって収拾すらもがつかないレベル。時間予約していてい飛ばされて時間予約すらもが成り立たず怒るのも当たり前で嘘ばっかり。嘘つかれてばかりで文句言いが悪いのかというと、怒ってたおっちゃんのほうが契約的には当たり前に正しいだろう。

契約を強いながら、GOTOEATや委託業者が契約違反で対応というのもお金儲けが優先しすぎていて駄目な話、現場が本当にかわいそう。怒っているおっちゃんがたぶん法律的や契約的には一番正しいし、現場も正しいが、統括している農林水産省やその委託業者が、現場の人間よりも高い給料や待遇ながら、平日の5時や6時までで対応すらも逃げている。そこに大きな問題がある。頭の良い大卒が集まってザルだらけのどうしようもないキャンペーンをつくる、成り立たないのも当たり前のキャンペーンで成り立つほうがおかしい話。

私自身は、1時間待つのも平気だが、そうやって細かな予約も手間でも細かくさせておいて予約通りにやらないお店とか国とか、その間の業者とか。都合がよすぎる話なのである。予約キャンセルが問題になっているけども、それと同じ問題を国や委託業者がやってしまっている。ザルなものをつくって、ザルの問題を他のものに投げかける、一番駄目な連中が罰せられないといけないと思う。特例的に問題があるとかじゃなく、全体的な問題そのもの、やっている連中がザル作っている。
2020年10月30日
暑かった夏も終わって、思えばもう10月も終わり。仕事をしていると1か月というものはすごく早く済んでいってしまうものである。追われていると逆に日が経つのは早いものである。

それでも、アパレル関連の会社が仕事が激減している流れの中で、やらないといけないことがいっぱいあるというのはありがたいことではある。先日も、2年ぶりかに京都の芸術系の学校で染色を指導されているお客さまとお話して、2年前よりは少しは落ち着いて仕事ができるようにはなってきてますというご報告。

自分のことだけでなく、お知り合いのみなさんが元気に仕事を続けておられるのを聞いて、お仕事のつながりが少なくなっていても続けておられるのを聞いてほっとするのである。飛ぶ鳥を落とす勢いのところほど数年後には跡形もないような状態になっているとかも多いのが繊維業界。地道なところは長続きするけども、華やかなところというのは大きくなって最後には限界が来るとそこで終わり。ゼロからでも育てていけるようなビジネスモデルが大事ではないのだろうかと思うが、華やかなものに人は集り、廃墟が待ち受ける。その廃墟に思えるようなものの中にも芽生えるものがあってそこからでもまた育てて行けるのだけども、そういう芽というものは満ち足りた社会に育てられるよりも、満ち足りた社会に食われてしまうことが多い。

私自身、仕事を続けていられるのも、いろんな偶然が幸運的に重なっていて何とか続いているだけだろうなあと思うところがある。どの商売でも初めて数年で仕事がうまく行かなくなってやめられてしまうとか、何十年やってこられたところでも、5年、10年後にはもう辞められてしまったとか。特に繊維関係で人が多いところは1年ごとに会社全体が年を取っていってしまう感じで、慣れの感覚でやってるだけだと、どんどんと普通の仕事も難しくなっていくだろう。そういうのを多く見てきた。

何十年の職人さんでも自分ができることを次の人に教えることができる人だと一人前なのだが、そういうタイプの職人さんというのは少ないもので、一番よい方法を他の人に教えられるくらいだと、逆に若い人に新しい方法を求められても素直に従って出来たりして、日々高度な仕事につながるもので、出来上がるものも高度なものとなってくる。

自分よりも次の人に上手になって自分がより高度なことをこなせるようになるのが理想なのだが、仕事が慣れのレベルで止まってしまって、その慣れのレベルがどんどんと落ちていくというのがよくある話でよく聞く話。
2020年10月30日
この仕事をしていて大事だなあと思うのは、動くこと。仕事ができる人というのは、たとえば、どこどこに何がある、というと、すぐに取りに行けるのだが、どこどこに何がある?と聞いても、あそこにあるわよ、みたいなタイプの人は多い。

この仕事をしていても、糸の場所をしっかりと分かっていて自分で取りに行ってまた自分で残ったら返せる人と、それができない人とでは、その人が仕事をするのにもう一人必要かどうかという問題になってくる。単に糸を扱うだけでなく、ロット管理などのことも含むと、そういうのができる人というのは、本当に一部の人だけで、そういう人が仕事をしていないと仕事はやったらやるだけ、問題が残っていくことになる。

林与にも一杯糸があふれていて、それはロットごとに袋に詰められている。いろんなロットを一緒にまとめてしまうとゴミになるので、混ぜることはしない。同じ色の糸でもロットが違えば違う糸という概念がないと、この仕事は難しいだろうなあとそういう他の人の糸の世話をするのができるかできないかで、仕事ができる出来ないが変わってくる。

織物の仕事というのは単に織るだけでなくそういうのができないとなかなか難しい、手機さんでも、何十年やっている人が糸を間違わないために、こちらでもったいないのだけども、わざわざ新しいビニール袋に使う配色ごとにマジックで番号も書いて分けて渡しても、ビニール袋を農業かなにか他の用途につかいたいからと次の時にいったら、全部の糸が一つの箱にはいってるとか、そしてどの糸をどの織物に使うかわからないとか間違うとかが、年配の職人さんにはよくある話で、心配ばかりしながら仕事してもらうような状態。経験者ほど世話をしないと成り立たないような状態が普通で、若いものにやってもらわないと仕事ができない。

先代も同じだけども、自分が社長というのは考え方や判断すらも間違って、面倒な計算や面倒な仕事組なども耐えることができないので、どんぶり勘定で仕事を台無しにしてしまうタイプ。つくれば売れる時代の人たちというのは、売れなくなった時には変わらないといけないのだが、驕ったままでやって馬鹿にしていた海外の織物に追い抜かれたというだけのこと。プロが素人に負けるがあたりまえが繊維の世界。
2020年10月29日
ヘンプというのは自生するくらいなので農薬の必要もないので、オーガニックなのであるけども、一方でオーガニックヘンプと謳われないのは、あえてオーガニック栽培をする必要もない部分があるからだろう。

もう一つ、オーガニックと呼びにくいのは、ヘンプの植物自体が毒性を持つ部分があるから毒性の検査の必要なものが、オーガニックの概念とは馴染まない部分があるからなんじゃないかなあと思う。

日本も戦前は大麻が至る所に生えていたといわれているけども、前後GHQの指導により、大麻草は撲滅された。そもそもその大麻草というのは、インドのような毒性の高いものではなく、交配によって無毒に近く品種改良されたものが昔に中国から日本に入って来たものと考えられる。

栃木県などでは大麻栽培がおこなわれれていて無毒に近いものではあるが、たとえば、鳥取での村おこしでその無毒の株が植えられて隠れ蓑になって、毒性のある大麻が栽培されてしまっていたようなことが疑われている。その場合、鳥取の無毒の大麻は、有毒の大麻と交配して優勢遺伝して有毒化してゆくだろうから、花粉も2km飛ぶとか言われていて、有毒なものを誰か悪い奴が育てていると、無毒の大麻を育てているつもりでも、有毒なものを育ててしまうことになる。無毒大麻にしても健全にオーガニック栽培というのは難しいのである。

中国では大麻が大量に栽培されているけども、その背景にはマリファナなどに対しては非常に厳しい法律があって、それ故に産業用大麻が成り立っているように思う。日本では神宮大麻などはこのままでは消えてしまうと危惧されているけども、一部の限られたものだけが限られた用途のためだけに栽培を許可されるのがやはり安全だと思う。日本の麻業界も、素材としての戦後大麻を封印したような感があったが、大きな変化だったがそれを受け入れた。今また、中国などから糸を輸入して大麻が、エコな素材として脚光を浴びてはいるものの、大麻が栽培上はオーガニックながらその毒性からオーガニックとはみなされないあたりが繊維用途の大麻の悲しい側面である。
2020年10月28日
以前、日本の亜麻栽培の事を少し調べたことがあって、軍需や資材向けに亜麻が北海道で栽培されていたことはしってはいた。また、最近のことになるが亜麻実油を取る目的で、北海道で亜麻の生産があることも聞いてはいた。

数年前に、北海道で亜麻を育てておられる方が、亜麻を紡績するのを日本で出来ないかという相談を受けたのだけども、アパレル向けの亜麻糸というのは、できないこともないだろうけども、コスト面で生産量もすくないから、海外の5倍とかの値段になってしまうのも普通だろう。それをやられるとその人の地道な活動が成り立たなくなる話で、いくつかの方面はご紹介したけども、紡績は海外でやるのが普通にはやはりコスト面での優位性がある。

今日、12月の会社訪問の件の事前打ち合わせで、北海道で亜麻を育てて糸を紡いで自分で織られて作品を販売されておられる方の存在を知った。日本も明治になるまでは、そういうのも普通で、自分で糸を績んで、織って、家族の着るものを作るというのが、農家の人だったら冬場の仕事として出来たりした。そういうのを今の人がするというのは成り立たせてゆくのは大変なことだろうなあと思うが、そういうものづくりを求める人というのは多いだろう。京都与謝野でも、自分で綿花を育てて糸にして織物にされている方にお出会いしたけども、どれだけ時間があっても足りないだろうなあと思える世界である。麻組合さんでも手績みの糸を作られるところからやっておられたりするので、時間との戦いを覚悟して、出来上がったものにしても売るのがもったいないと思えるくらいの話だと思う。作った人が一番その価値を感じていて、そういう価値を理解できる人に買って使ってもらうのが一番だろう。

私自身も、日ごろの頂いている仕事に追われているけども、時間ができれば林与の近江上布絣柄の広幅ブロジェクトをまた手掛けてみたいものだと思っている。数年前にやった広幅プロジェクトも、型紙彫るところから捺染して織りあげるまで1柄2日でやるとか。それよりも、染を覚えたり道具を作るのに試行錯誤したり。どっぷりと浸れば他にないものが自分の手から生まれてくる。

イタリアや中国の展示会で、自分の手でつくったものを展示していると、今はファッションの世界というのはデザインだみたいなところがあるけども、デザインだけじゃなく人の力を感じる布みたいな要素を感じてもらえるものである。
2020年10月26日
武漢でロックダウンが行われたときにあれは中国だからできることと驚き、欧米では個人の権利が優先されロックダウンなどは不可能だと思っていたが、実際にヨーロッパの都市やニューヨークでも行われた。コロナに対する警戒心も時とともに薄れ始め、欧米では個人の人権意識や自由な行動が優先され始め、世界レベルではコロナは以前以上に拡大のスピードを増している。

ヨーロッパでは、フランスやベルギーが危機的な状況。EU圏では、人の動きを遮ることができず、気温の低下とともにコロナが活性化しているように感じられる。まだ、11月、雪が降るようになって年明けとか2月が一番気温も低くなり重傷者も増えるであろう。

コロナというのはまだ未知のところがあり、ヘルペスウィルスのように一生体内から消えることなく、体力が落ちた時に体内に潜んでいるコロナウィルスが活性化して症状を表すというようなこともいわれていて、今まで回復したとされる人でも、陽性化する可能性もあるとされている。感染した人が回復しても免疫も長くはもたないとされていて、2度目の感染もあるということが言われている。中国武漢では2度目の感染が特に危険だとされていた。

中国武漢の場合には、あの体育館のような施設の中がコロナウィルスであふれていてクラスター状態になって、多くの患者がたくさんのウィルスを体内に吸い込んだと考えられ、それがあの多くの人が死んでしまうような重症化の悲劇につながったと思う。

コロナ対策としては、重症化させないためには、空気を入れ替えウィルスの密度を下げ、個を空間的に隔離することが一番大事なのである。ダイヤモンドプリンセス号であれほど患者数が増えたのは、やはり、人の交流が多かったからではないだろうか、船員を介しての感染もあったろうと思うが一切それはない前提で検査もせず。屋形船もそうだが船の手すりなど湿ったり濡れた状態だと多くの人が間接的にだが、多くの人に触れると同じことになる。取っ手のついたドアなども外気を遮るために船や屋形船には必須だろう。寒い時には特に毎回多くの人が取っ手を触って開け閉めすることになるから。

あと人だけでなく、たぶん、船の場合、ネズミがコロナウィルスに感染してコロナウィルスをまき散らしている可能性も高いだろう。ハタンウィルスを見ると、ネズミというのは宿主になり、その種類により、コロナウィルスを変異させる可能性もあるから怖いのである。コロナウィルスが、ネズミから人に感染するとすれば非常に危険であるが、コウモリからとかネズミ、蛇からの感染が発端だとされているのがコロナウィルス。
2020年10月23日
今日は、スチールラック2つ設置してL40番手の糸を片付け、先染織物の工場というのは糸であふれているもので、染めた麻糸であふれている。林与は特に染めた糸であふれていて、なんとかしないとなあと思うばかり。

染めた糸にしても同じ色でも染のロットが異なれば、原糸のロットが異なれば基本違う糸なのである。ビニール袋ごとにいろんなロットの糸があふれていて、そういう糸を捨ててしまうことはなく、基本、いつか使うように残しているのである。麻糸というのは何十年でももって、昔の糸というのは値段も高かったけどもその分品質も良いというのがよくあること。

今日も、昔の糸を箱に入直すときに触って、今の糸にないような感触を感じたりした。それは撚糸だったけどもふわっとしたありえない落ち感のあるリネンの糸の感触。25年前の糸で、10kgちょっとだったけども、1反50m分ほど特別の反物をつくるときに使おうと思う。

リネン生地というのは、年月がたって良い風合いが出てくるものである。今日上がってきたリネンにしても、加工上がりでパサパサしていて好きじゃないことがあるけども、それを林与で何年か寝かせると湿気をすって風合い的にいい感じになることも多い。よく、加工から上がってきていまいちだなあと思った布が、倉庫に寝かせていると数年後におやこれはと思うこともあったりすることも多い。

生地になってからも繊維というのは生きているのであり、一年もない草の命よりも、糸や服になった後に何十年もの寿命を持つものなのである。

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