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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年07月07日
インターネットが普及し始めた1990年代に、言われていたことがデジタルディバイドという問題。インターネットから情報を得られるものと得られないものとの情報格差の問題なのである。

インターネットが普及するまでは、テレビが主たる情報源であった、その前はラジオ、そのまた前は新聞だったりする。時代の移り変わりとともに情報源が変化してゆく、テレビというのは見るだけで情報が入ってくるけども、インターネットは自分で情報をもとめて辿りつかないといけない要素もあるし、また、自分自身が情報を発信も可能である。

私の母親なんかも勉強しなさいとか習い事ばかりさせるタイプだったが、コンピュータとかは毛嫌いしていて触らせないようなことばかりで、デジタルディバイドの問題は家庭環境にあったりもする。今、10年20年遅れで、学校教育にコンピュータやスマフォを取り入れたりとかやってるけども、昔ながらの教科書で勉強していて今の情報化社会を引っ張ってゆけるのかというと難しい問題がある。

今までは業界のプロしか持っていなかった情報が、ネット社会では簡単に手に入れることができ、一般の人のほうが業としてやっている人間よりも選択の自由度が高く、知識的には豊富だったりすることも多い。その道のプロではないけど、それを極めた一般の知識の豊富な人が専門家だったりする。

プロはそれで食べているので案外説明したがらないもので、専門家は学んだ知識を他のものに説明するのが仕事だったりする。仕事していても技術的なことよりも人の心理的な要素のほうが地場産業の盛衰にも大きく影響をしているだろうと思う。誰か一人が貫いてやったことが儲かるということで回りもやりだして地場産業となって、儲からなくなって去っていくものもあれば、儲からなくてもやり続けているものもあって地場産業が続いているだけのことも多いだろう。

林与の家にしても普通の家にしても、江戸時代とか明治くらいまでは日本の農家なら、お嫁さんは機を持って嫁いでが普通で、どの農家の家も何十代も麻織物を織ってきた家がほとんどだろう。林与の場合、たまたま、明治のころに、ひいひいおじいさんが飲んべで、代々の土地を酒代の担保に入れてしまうほどのアカンタレだったから、ひいおじいさんの与次右衛門じいさんが、近江上布の織元として立ち上がって親類一同や集落の人々を支えたというだけのことで、与次右衛門じいさんが、その飲んべの親のいうこと聞いてたら林与の織物もなかっただろう。
2020年07月06日
若い世代の人が自分の夢で独立しようと考えているけども、サラリーマンとして給料をもらって働くのとはまったく逆の立場になるわけで、その方にいうのも、自分が住む場所の家賃や国民健康保険と年金だけで、毎月10万円くらい消えてゆくから、今までみたいにサラリーマンとして仕事していれば毎月手取りで10万とか20万が当たり前でも、独立したら仕事してマイナス10何万円から始まるという話になりがち。

家業を継いだ繊維関係の社長さんと話をする機会も多いので、普通に外で働いたほうが楽だろうという話もおおく。次の世代が前の世代に養われているかというと前の世代が次の世代に面倒をみてもらうことを期待している場合のほうが多かったりする。繊維関係の勢いのあった世代で多いのがやればやるほど借金をどんどんとつくってしまうタイプで今残っている人たちはそういうタイプじゃない人たちがほとんど。それゆえに、繊維関係のものづくりの世界というのは、地道で競争も激しく硬直化していることが多いので、すでに何十年やっておられお店も構えておられるところでも成り立たせるのが難しい、若い人が自分でこれからやっていくとなると本当に難しいだろうなあと思う。しかも、競争は国内にあるのではなく、日本企業といっても海外でやって商社的に人件費や物価の差で利益を生みだすスタイル。

私の中に、本当にやりたいと思うなら後で後悔するよりもやってみて失敗に終わっても経験するのは良いことだろうと思う。自分の人生だからやるなよりは、それが自分の人生の夢なら夢で終わらせずやってみて現実と向き合って考えてみるも自分の人生としては大事なことだろうと、自分自身にあてはめても思う。やって駄目なことも多いし、それでもやってみないと駄目かどうかも分からないだろうと思う。同じことをやるにしても、場所の問題もあるだろうと思う、うまく行きやすい場所もあれば、うまく行かない場所もある。うまく行きやすい良い場所でオーダーの服を作っておられる第一人者の方でも地道な努力の積み重ねでしかないような現実もあって、夢だけではないあたり。若い人も抱えられているけども、自分が今までやってきたようなのと同じ感覚で仕事に向き合える人というのは少ないというお話。

自分が独立してやろうと思うことで食べてゆくのが難しいという経験を早くにもっていれば、普通に仕事があることに感謝もできたりするし大変なのは成り立たせることという部分にも気が付くだろう。何十年の経験者でも成り立たせるのが難しいのは当たり前におもっているから、早めにそういうのに気が付くと、サラリーマンがすごく恵まれているなあと思えるようになれば、独立しても成り立ちやすいんじゃないかと思う。吹っ切れて仕事に集中できるようにならないとこれは自分の人生と違うとか思いながらやってても、自分が自分の境遇に納得できないまま一生終わるより、とりあえずできることからやってみるのが大事。
2020年07月05日
知人の方から、今話題の素材を使った服をいただいた。綿とポリエステルの複合ニット。綿100%のTシャツと比べるとかなり涼しい。ポリエステルというのは、コンパクトリネンとも呼ばれ、リネンを合成繊維で表現したような素材。綿麻の素材を思わせるような涼しさがある。

綿という素材はオールラウンドな通年素材、春夏にももちろんいけるのだけども、綿をやっておられる会社さんでも、夏物はやはり麻混素材が多い。麻100というのは、春夏のピンポイントな素材だといえる。でも、この地球温暖化や暖冬の影響で、日本でも冬らしい冬がたまにしかなくなって、夏でも北海道が30度超えて、沖縄が28度とかの逆転現象まであったりする。

地球温暖化の問題よりも、日照時間とか関係なく、経度での温度差がなくなり、緯度で温度帯ができあがっている問題こそが、この地球温暖化問題の本質ではないのかと思う。これ本当に世界中で被害にあわれている方々がおられるのに申し訳ない話だけど、人間のイケイケどんどんこそが地球環境を破壊し結局はコロナも人間のイケイケどんどんを淘汰するための自然作用ではないのかとも思える。

人間ほど経済活動を優先する動物はいないもので、それが地球環境を破壊してしまうことに繋がる。私自身も食べていくためには仕事して経済活動をしてゆかないといけないけど、一生懸命働いてそれでなんとか食べてゆける程度でよいじゃないのかと思う。自分が楽しようとすると結局他の人が働いて自分を支えてくれているだけの話なんだろうと思う。それがホワイトな感覚がつくるいわゆるブラック社会。ブラックが悪いんじゃなくて本当の搾取的な存在のホワイト感覚に問題があって、日本でも役人や官僚主権的な階級社会感覚に見受けられる。

私もレジ袋を捨てることはしない、残しているし、最低でもゴミ袋として活用している。レジ袋でもそういう使い方すればよいだけのこと。ごみ捨てで新品のゴミ袋をわざわざつくって販売して燃やすというのも、地球環境にとっては一番駄目な感覚の一つだろうと思うが、行政はどこもそんなあたり。ペットボトルでも本当に1回でリサイクルはもったいない話だなあとおもう。全国共通でゴミ袋としても使えるレジ袋を作れば、レジ袋をゴミとして捨てるものすら少なくなるのにとおもう。もちろん利権があるのは分かるが、そういう利権を捨てて考えていかないといけない問題そのもの。
2020年07月04日
車の運転席のマットには気を付けたほうが良い。母親は癖で、何度注意しても、純正品でないマットを敷こうとする。私も母親のそれで、マットがアクセルに乗り上げブレーキの下にずれた時、ブレーキを踏めば踏むほど自動車が急加速して、神社の鳥居に突っ込みそうになったことがあるが、たまたまその1週間前にカリフォルニアの警察官がフリーウェイで同じ現象で事故を起こしたニュースがあったので、高速でというより、ブレーキを踏めば踏むほど加速しまくって100キロくらいで急カーブに差し掛かる直前で、ブレーキを踏むのをやめるという一か八かで、急加速が収まったことがある。

母親には、敷いては危険だからいけないといっても何度かそのあとも敷いてしまう。今日は、自分がスタッフの子の車を借りただけで、その車に、車が汚れるからとマットを買って敷こうとしていたので、怒った。自分の善意がとんでもない仇になってしまうということをなかなか理解ができない。我が強い母親というのは、純正のマットでないと人が死ぬ危険性すらあるという意味が分からない。説明しても怒ったりしているから我で生きている人というのは直らないものだなあと思う。自分の家族だけでなく、他の人間にまで危険が及ぶのである。

メーカーも純正マット以外は絶対に使用するなというのも、純正マットは穴が開いていてその穴でマットがずれないように固定されている。昔のマニュアル車とは違って、AT社というのは、マットがずれるだけで暴走車になるほど安全対策がなされていない。カリフォルニアの警察官の事故あって、何十年経って初めて対策がされ始めたのである。アクセルとブレーキではアクセルのほうが勝ってしまうようなメカニズムを自動車エンジニアたちは普通なのが自動車開発の安全レベルだったのである。

自動車を開発している人間にしても、ちゃんと使えば大丈夫で作っていて、市販のシートがずれても大丈夫な車を作ろうとしない性質があった、それもまた我の世界なのである。また、一度、責任を逃れようとすると対策することが安全性を無視していたということに繋がるので対策をしたがらないのである。

ある意味、社外品のマットを敷きたい母親と、純正マットしか使うなと注意書きで対応する自動車メーカーは、基本的には本質が見えない同レベルなんだろうなあと思う。市販のマットを使うだけで起こってしまう自動車事故でもその程度の感覚なのだから、親の善意でも我が強すぎると他の人を命の危険に晒すし、メーカーも責任逃れで対策せずが同じようにお客の命を危険に晒す。

自分の家族の命やお客さんの命の危険も説明されても想定することをいやがり、否定する我の世界は、ボーインクの事故も同じで2度飛行機が落ちて多くの人が死んだ。でも、まだ、ボーイング737のアンバランスな飛行機の問題を解決しようともしない。

エコ=エコノミーだと勘違いすると、エコノミーに走ってしまう。エコノミーために人の命が奪われるという結果なのである。エコは逆にお金が掛かると思っていないと、エコとエコノミーを勘違いしてしまう。バランスの悪い機体を根本から設計しなおすのがエコの精神で、ボーイングにはもう機体全体を設計できるような技術がない可能性も高いのも、分からんでもないはなし。人が働かなくなるホワイトと呼ばれる企業では、そこまで従業員にお客さんの安全を第一にしろとは言えなく、飛行機が落ちても飛行機を買った航空会社や死んだ家族と戦うのがホワイト企業だったりする。バードストライクで、鳥までが原因にされては、ボーイングの飛行機は常に落ちる覚悟で乗りなさいレベルの責任逃れが、今の飛行機の開発の現状。バードストライクが嫌ならエンジンの前にジュラルミン製の金網のようなものをしっかりとつければよいだけの事、それで鳥の責任にしてるボーイングの開発も本当に全員アホちゃうか。素人そのものの集まりみたいな言い訳。
2020年06月30日
甲斐性という言葉があるけども、甲斐性のある人と甲斐性のない人の差というのは大きい。甲斐性のない人が関わって仕事すると取り合いになることが多いので、甲斐性のあると仕事をしたいなあと思う。もちろん私なりに甲斐性というのは用意はしていて、それなりに普通はできないところまでやることが多い。

やることを一緒に全部支えようとする人が集まればよいけど、企画したことで自分が尻を吹く形を取る覚悟ない人が企画したりすると最初からやらないほうがマシだったりする。新しいことや特別なことをやることに意味があるのに、しっかりとそのリスクを吸収できることが甲斐性というあたり、事務方の人が出てきたときには本当に事務的に処理で終わりだったりする話。

それでよいならそれでよいし、覚悟決めて取り組むならノンリミットで100万とか1000万くらい覚悟決めてやってみませんかだけども、1000円の送料すらもなかなか払えないプロが多いのが普通の話だから日本の繊維業界が取り合いになりすぎて、何百億円の元気なところほど取るばかりで搾取で成り立ってては、日本の大きな繊維のところほど先に日本とか謳って売るなら辞めたほうが良いんじゃないのかと思う。ほんと自分ができない人間の一人を支えて寝る時間も捨てて支える覚悟がないと難しい話だが、何百億、軟兆に群がる繊維業界というのは繊維業界特有の化かす世界がそこにはあって、オーストリアのリネン紡績なんて私自身がまったく確認すらできない状態、どこで糸を引いたの?それで日本のリネン業界のお株を奪ってしまっても素人レベルのごまかしそのもので、そこを追求したときには大きな偽装問題が生まれる。刺すか殺すかやるなら覚悟を決めてやったらよいけど、U社にしてもM社にしても、糸の配給背景から糸メーカーの担当者からもすべて知っている私からすれば、日本の消費者をたぶらかして売り上げ何兆、何千億で駄目な話でも、自分たちのやってることに覚悟もない人たちに消費者を騙したくない感覚を入れればすべて壊れてしまうのが、今の日本のリネン業界。

これは本当に残念な話なのだけどイタリアの有名ブランドを抱えるアパレルが中国の企業に対して契約不履行で、イタリア企業のほうが中国企業以上に中国の地道な会社の糸の売上代金を払わずに騙すような世界的なイタリアンブラントとかアパレル的な世紀末。

日本の消費者はブランドを信じていても、1mが100円以下の生地を使って、元気なサステイナブルとかエシカルを謳う世界的にも有名なSPAビジネス。1m1ドル以下の生地で、労働者がまともな生活ができるのかというと発展途上国や新興国でも一番くらいに底辺な世界で、世界中の元気なブランドがエシカルとかで成り立ってる。

それにくぎを刺すのは私だったりして、世界的に有名なブランドの人に対しても、覚悟を決めたアイリッシュリネンハンカチをプレゼントして良いものを謳うからには覚悟して良いものを考えましょうと提案する。

世界的に有名な日本の消費が何十万でも出したいブランドのパーチェスマネージャーが林与の生地をみて素朴過ぎるという判断だけど、1m2000円の生地すら世界の有名ブランドの多くが難しい話でエシカルとかサステイナブルとか、どれだけ取る気満々で、世界一小さいくらいの林与が、本気でエシカルとかサステイナブルとか考えるべきだと思う。

別に林与なんてのはいつつぶれてもよいけども、世界的なブランドの人よりも覚悟決めて、日本のエシカルを謳うMUなんとかさんでも、1m1000円の生地が難しく、1m100円200円で新興国の子供の教育すら守れない話、林与の1000円の生地は買えなくてもよいか、児童労働を無くしたいなら1000円の生地を現地から買ってあげろと思う話、世界で活躍したい人を生みたいならインドの人の作る生地でも1m1000円で買ってあげればよいだけのことだが、1m1ドル未満で日本のエシカルナ世界が本当にブラックで、1m1000円に日本の消費者を募金詐欺レベルに騙す世界。

日本のオーガニックを謳うMさんとかWさんが、日本の消費者を騙すことで現地の地道な活動を搾取して食べてしまっては駄目。それが日本の一番エシカルを謳うオーガニックな世界が一番消費者の期待すらも裏切る話でGOTSすらも一番底辺レベルのエシカルとかオーガニックの偽装に近くなれば、それを信じている糸や生地の消費者を世界的な権威を謳う機関が偽装苑もので、すべてを知っている私がGOTS認証でも世界中の消費者の信用を裏切って自分可愛さだけなないのか森さんの話でそれを信じた消費差を騙しただけの万死に値する。Wさんでも森さんのだらしないことを知りもせずに日本のエシカルとかサステイナブルとか、私が本当に怒ってしまって、森さんのだらしなくわたしに責任の柄の日本のGOTS責任者というだけの現場の本気なのに消費者騙しの世界で一番厳しい認証を謳うGOTSが日本の消費者騙し刺す話で本当にだらしなさの消費者を騙した責任を被ってほしい。産地偽装よりもひどい話が日本のGOTS認証にはあったりする。ほんとGOTSの覚悟もないだらしなさの消費者騙しのだらしなさには苛立たしさがあるのが本気でエシカルとかサステイナブルに取り組んでる私の覚悟、日本のGOTSのサラリーマンのひとが権威的に林与をあしらっても、代表のUさんに本気で謳うだけの消費者の期待に応えましょうよという話。エシカルを謳るGOTSが搾取的になっては駄目なんだけど、私の本気な話すら逃げてしまうのが日本の世界一厳しいを謳いながら、本当の繊維の覚悟を決めた世界でもないブラックそのものでホワイトがブラックをつくってしまう権威主義、森さんエシカルとの権威で10年以上やってJOCAの認証を理事長としてやってきたひとだけど理事すらも無理な話。国際会議でなまった英語聞いて眠たいんですよとか聞いたら、普通の仕事も難しいサラリーマンも勤まらない話で、日本のオーガニックコットンの権威気取りで、日本オーガニックの世界を信じる消費者を覚悟すらもなく騙してきただけ。自分が認証しながら、騙した企業の責任ですよとか、本気で消費者を騙したくない私に、世界的な権威のGOTS認証をする人間が言い放ったのがお前が一番消費者を裏切っている話。JOCAが普通に偽装レベルの認証になるのも、その理事長を10年以上やった人間が無責任に私がGOTSオーガニックの糸を信じることすらも馬鹿にする話。日本のGOTSは張りぼてそのものだけど、まだ、現場の人間はまとも、GOTSのオーガニックを食い物にするのはエシカルとは反対そのもので、エシカルを食い物にしてオーガニックの世界が成り立ってしまっている。森さんだけじゃなく日本にオーガニックを広めようとしてそれを信じさせようとする渡辺さんも日本のオーガニック商業主義的で消費者騙しな無責任なヤバさを気が付いたほうが良い。

林与のGOTS認証のオーガニックリネンが駄目だと、日本のGOTS認証を取り仕切ったJOCAの森さん、日本のGOTS認証そのものがすべての日本のJOCAを信じた消費者を裏切るレベルの認証じゃないのの話。本当に大物だよ、10年以上日本のGOTSとかオーガニックやりなが消費者にはトレイさビリティを謳いながらそれそのものが本当だか嘘だららもへっちゃらんブラックボックスでだから。私が日本のGOTSの認定委員や日本のGOTSのトップを消費者騙しをやめないかと状態。そんな理事長だった森さんを信じてやってるJOCAの副理事長を10年以上の渡辺さんにも警笛をならすのはそこ。森さんに森さんが理事長のJOCAなのに、そのJOCAがオーガニックと認定している企業が、合成繊維でもオーガニックコットンだと認定している現実をしっていて電話で指摘しても、それはやってる企業の責任だと逃げたのが認定機関GOTSとかJOCAとかの意味がなく、GOTSやJOCAを信じた消費者が騙されるのをGOTSやJOCAが黙認で責任転嫁で情けない。GOTSやJOCAが偽装では困る話。林与を名誉棄損で訴えたいなら訴えればよいし、それを人間として個人の責任でできる覚悟が本当にGOTSやJOCAがあるのかという話。

渡辺さんも私が10年以上JOCAの理事長が私に電話で言った言葉をいうとあらまあとあきれて、JOCAの理事長を信じて、副理事長を10年以上やってた人がその理事長を信じてたのにあきれる話。日本のGOTSやJOCAの問題に対しても浄化に1年以上かかる話で1年以上認定機関を信じた消費者が裏切られる話ではどうしようもない。

大正紡績の近藤さんでも、日本のオーガニックコットンの権威だとされるけども、私からは逃げておられるのが、アウト。シバマタの寅さんを語れども、シバマタの寅さんがが泣くレベルの話で、オーガニックコットンの権威がオーガニックコットンの責任からも逃げすぎな話。2010年あたりのインドのオーガニックコットンの偽装問題はこの人の問題そのもので、日本のオーガニックコットンを取り仕切る大正紡さんの日本のオーガニックコットンを信じた消費者に説明が必要な話で、逃げらダメな話。林与から、日本GOTSやJOCAが逃げてしまう日本のオーガニックの権威の世界。素人だましでは駄目で、覚悟決めないと駄目。GOTSの裏やJOCAの裏も知ってる林与から10年以上やってた理事長が逃げてないでほしい。10年無責任に日本の信じる消費者を騙しただけなのか。エシカルやオーガニックのトレイサビリティを騙したなり、それなら償うべきな話。アイリッシュリネンの偽装問題と共通する日本のオーガニックとかエシカルを食い物にするアウトな世界で林与が騙された消費者に代わって刺してあげます。森さん渡辺さん、10年さかのぼって自分が消費者に謳ってオーガニック認証してきた利益をあげてきたことに責任を覚悟決めてやりませんか。渡辺さんの会社にも電話して、電話対応された方が必ず代表の渡辺さんには伝えるといって、6か月以上も放置して、私が渡辺さんと話すとJOCAのトップべーじがようやく変わる。本気でオーガニックとかサステイナブルを考えている人間をあしらった駄目で、日本のGOTSやJOCAが、消費者騙しの世界がまともになるのも1年以上時間が掛かるというのもどうなんだろうか。
2020年06月29日
昨日は、午前中に手に入れた自動車のリモートキーの追加登録をネットで調べてやってみた。その経緯もあって、中古で手に入れた車のスペアキーが簡単に作れれば良いけども、正規のディーラーに聞くと、最初のキーにナンバーが付けてあるがそれが分からないと、リモートの鍵のメカニズム全部取り換えるような話をされる。

鍵を紛失とかの問題よりも、鍵のナンバーを書いた紙とかプレートとかがなくなれば、車のパーツそのものがもしもの時には全部使えなくなるというような仕様。中古のマスターキー一つでは、それを無くしたときや紛失したときは自己責任で解決しろという話。自己責任で解決する流れで、リモートキーの中古を手に入れてそのキーを追加登録することで解決する。同様のスペアタイアを用意を自分でするということに過ぎない。うまく行くのかどうかなんていうのはやってみないとわからないけども、とりあえず中古のリモートキーを手に入れて、うまく行くかどうかを試してみる。やってみてうまく行ったら、それが答えだろうという考えでよいと思う。

ノートパソコンなんかも、レッツノートSXを中古で買って、ハードディスクをSSDに換装して、メモリを8G増設して12Gにすれば、それだけで、お店で買う最新のパソコン以上に快適に作業ができたりする。レッツノートシリーズはバッテリーが、実際10時間くらい使えるのも魅力の一つ。それを用途に分けで何台も持っているので結局は、パソコンに20万円とか30万円は使っていることにはなるけども、メーカーに頼ることもなく、自分で維持ができるのは非常に便利なことなのである。ノートパソコンを貴重品のように扱うのではなくたんなる道具として扱える感覚が好きなのである。ブラックボックスじゃなくて問題が起きた時に自分で修理できる道具が欲しいと思う。

正しく買ったものが自分の思い通りに役に立たないことが多いし、途中で壊れたりしてうまく行かなくなることもある、そういうときに、普通の人とは違うことがやりたくて工夫して成り立たせたりとか、自分で修理して使えるようにしようとするときに、失敗するのはありだろうと思う。お金払ってさらに面倒な壁を乗り越えないといけない部分があるけども、乗り越えられれば自分の満足できるような環境が自分自身の中に持てる。
2020年06月28日
昨日、車を乗り換えて気が付いたのが新しい技術で、車のヘッドライトのハイビームとロービームの自動切換え。今までの車が夜間ヘッドライトが暗くて左側の自転車や歩行者の発見が遅れがちだったので、基本ハイビームで走ることができるのはありがたいが、やはり、自動切換えなので、正しく切り替えるときと無意味にかなり前方の街路灯に反応してロービームになるとかもある。

それと、駐車時にエンジンを掛けた状態では、ライトを消すことができなくなっててスモールというかかなり照度の低い状態でライトがついている。使い方が正しいのかどうかわからないが、自動車メーカーが法律や規制に合わせようとして車をそのように作り上げているが、運転しているものからすれば消すべき時にライトを消せないのは車が退化しちゃったということになる。

慣れるまでは時間が掛かるだろう、今までは車をレンタルしたら新しい車でも違和感なく乗れたのに、これからは車をレンタルすると操作方法が古い車種とは異なることになる。基本的な操作方法も不確かな状態で車に乗るというのも怖い話なのである。ドライバーに対しては、新しい自動車の新しい規制なんてものは無縁なはずであるけども、車をレンタカーして、不確かなことばかりの状態で運転することは安全装備が逆に、安全運転にマイナスの影響を与えてしまうこともあるだろう。これはボーイング737MAXが墜落したのと被る問題。

いろんな安全装置というのの設定すら、かなりガジェット通の私でもほんとなのか嘘なのかが分からない。反応したりしなかったり、センサーが必要な時に反応せず不要な時に反応するとか。人間が機械に慣れるしかないのだろうと思う。私の買った車種はベーシックなグレードの車なのにそれでいていろんな操作を覚える必要があり、これはもうお年寄りには無理なレベルではないのか。いろいろと不要なものがディスプレイされていろんなボタンがついてて、燃費と安全運転が比例すればよいけども、燃費を気にしながらの運転というのは安全を犠牲にしてしまうことも多く、エコじゃなくエコノミーを考えながら運転するというのはどうなんだろうと思えたりもする。時間を気にして走るのと同じような感覚だったりする。

運転も今はマニュアル車が少なくなってATが主流、今の私の新しい車はブレーキとアクセルの大きさが同じくらいになった。ブレーキも真ん中ではなくなった。これも、人間工学的な観点からすれば同じものにみえてしまうのは良くないのである。昔の人のモノづくりというのはスタートボタンよりストップボタンを大きくして、より安全な人間工学的なものづくりを考えたが、そういう時代でもないのだろう。」

キーボードも昔は人間工学に基づいて、キータッチにこだわったり手になじむような曲面配置にこだわるのが意味のあることだったが、今はタッチスクリーン。安く作れるし機械的じゃないので故障も少ない、問題があっても後でソフトウェアの更新で直す形。

逆に、リコールレベルのハードウェアの問題がどの家電製品にもつきまとうようになってしまった。ハードウェアの耐性などが低くなって極度には使えないような脆さで、経年劣化とともに問題が顕著になってくる。自動車メーカーの問題というよりも、パーツの原料メーカーの問題も大きいだろう。

原料メーカーも海外に技術が移転というか流出というか流れ出てしまって、結局、競争にさらされて、品質を犠牲にしてコストを下げるしかないというのが国産の原料メーカー の現状で、海外の安価なもののほうが品質が高いとかもある話で、プロの世界で、先進国が途上国の人よりもものづくりが上手じゃなくなってきているのは危機感をもっていないといけない話。
2020年06月26日
今日は自動車の保険と金融関係の手続き、キャッシュレスの時代なのに契約ごとでは印紙が必要だったりハンコが必要だったりと、昔ながらの要素が生きているのが日本の契約。

弁護士の話では、昨日、全国的に派手にやってた弁護士事務所が破産とか、たくさんの弁護士が集まっているはずの弁護士事務所が、大きな負債を抱えて破綻するとかはもう、誰を信用してよいのか分からない世の中。弁護士業界もメディアと結びつくとよからぬ方向にいってしまうのだろう。

元気なところというのは案外、こういうからくりが多くて、とれるだけとって破綻して業界そのものにダメージを与えるとか。メディアで大々的に宣伝しているところというのは、うまくいかなくなると、広告宣伝費が重くのしかかり破綻のリスクが高い話になるのだろう。

繊維業界もブランドは、売り上げの8割を宣伝費に使うとか言われてたりして、宣伝や広告打つことがブランディングみたいな、仕事するときに、材料にお金使うよりも宣伝にお金使ったほうが売り上げも利益も上げやすいというあたりの問題があるんだろうなあと思う。
2020年06月25日
人々の健康をまもるためには正しく認識がないといけないのだが、WHOなんかがマスクは不要とやって、半年たって、マスクは有効であるとしかたなしに認めるような、我の話。

軌道修正がどれだけ難しく、多くの国の人々がその犠牲になるのかという問題。日本でも同じように、マスク不要論が意図的に流され、トップの人間の愚かさというものが多くの人々を戦わせてしまう。今ではマスクするのが当たり前の欧米でも、素受け月前までマスクをしていた人が攻撃されたのもWHOのトップが愚かにも原因である。

今までの早期予防とかいう概念すらもパンデミックにならないと気を付けろとも言わせない、裸の王様状態。WHOの本部で新型コロナが発症したりとか、日本ではJOCも柔道連盟の本部もそうだが、問題ないとお祭りモードで、逆に注意している人間を馬鹿にしてマスクもしなかった人たちが感染して初めて、新型コロナの問題を認識する話。

レガシーな感覚で権威や力に溺れすぎて、マスクはするなとやってしまうのが世界的ないじめ構造を生む。今は普通に正しいと認識されているマスクだが、数か月前まではトップが不要だするなと叩いていたから、パンデミックで多くの人が感染して死んでゆくのも当たり前。普通のことくらいさせればよいのに、目立ちたがりの我の正義ほど目的が異なり愚かなものはない。間違った認識で、自分を正当化することを必死になってしまえば、問題を広げるばかり。正しい知識を広めるのにも害なのである。
2020年06月23日
私自身、麻素材と向き合ってきて、なかなか難しいなあと思う問題で解決できればよいのにと思う問題ばかり、特に風合いのことに関しては、なるべく天然由来で、地球環境にもやさしく、薬剤を使わないというような加工工程で、柔らかく皺になりにくいようなリネン素材を作れないかと思ってきた。

柔軟剤やバイオ加工を使えば柔らかくはなるのだが、天然のリネンの柔らかさではなく、それはベストではないと思う。バイオ加工には脆化という問題があったりする。なるべく、林与のナチュラル仕上げに近い加工で、柔らかく皺になりにくいような素材をつくれないか。数日前に、その答えみたいなものが偶然思いついて見つかって、今、テスト中。

今の地球環境を考えたエコな布の世界の中で柔らかくてしわになりにくく、自然なリネンを感じるような加工方法。林与の今後のリネンのエコな加工のスタンダードになるのではないかと思えたりもする。林与のナチュラルフィニッシュを、ソフトに仕上げるナチュラルソフトフィニッシュ。ナチュラルでエコというリネン素材にとっては一番理想的な加工方法のような気がする。
2020年06月22日
マスクのゴム通しですが、苦戦されておられる方も多いかと思います。先日、お越しになられた布工房DENの北山さんもマスク作っておられるので、普通の挟むタイプのゴム通しをマスクのゴム穴に通す方法で通しておられるということで、林与のマスク専用ゴム通しを試してもらいました。他にもマスクをつくっておられる縫製工場の方にも試してもらいました。今までの苦労はなんだったのかと思うくらい、びっくりするくらい簡単にマスクゴムが通せます。




2020年06月21日
人という要素を抜きにしてはブランドなんかも単なるラベルだろうと思うことが多い。私自身はライセンスブランドというものも、そのブランドを支える人が、ブランドをライセンスする人よりも本気ならまだ、ブランドは成り立つだろうけど、ブランドを消耗するだけのライセンスは商社に良くありがちだが、ラベル商売そのもの。

高級に見せて安価につくって化かすだけで、正規品を販売しているものが偽物ブランドと同じ考え方になってしまってはその正規ブランドそのものが消費者からすれば偽装。謳うことが偽ブランドに簡単に真似されてしまうとか、流通の経路が不透明とか、メーカーがメーカーでなくなり商社的になってしまったら、ブランドも終わり。

人こそがブランドで、個人名を称してブランドが成り立つ、林与も個人がどこまでやるかだけのこと、カネでライセンスするブランドというのは本家よりも受ける側がブランドを支えるような立場。ブランドは金で売り買いできるようなものでは本来ないのだけど、それがまかり通るのが、ラベルだけのブランド商法。本家が偽装される偽物と同質の考え方になってしまっては正規の手続きとか法律的にとかになったら、ブランドは終わり。人は人を信用して物を高く買って使っても満足できるという本質、その根本すらも逸してブランドがなりたつなら、消えゆく世界でよいのじゃないか、たとえばR社さん。人が人として、消費者を裏切るような行為を平気でやってしまうR社さん。

いくら有名でも褒められたものじゃない。林与の企画パクって上場のプリント会社がパクっても問題ないとか平気で言うから、間に入った問屋さんが可愛そうで免じただけ、再起なんて、被った下請けが気の毒で、企画をパクるが当たり前ならつぶれたほうが良いんじゃないか。
2020年06月21日
日本が豊かだなあと思う反面、チャンスが少ないなあと思うのが、例えば、10年落ちの中古の軽自動車、ちゃんとまだまだ走るのに無料みたいな値段で手に入るが、一方、保険料や車検など維持費は新車と同様にかかる。仕事で何かやろうとしても結局逆にお客さんになってしまうケースが多いのが日本だなあと思う。

日本だと普通は車が飽和して売れなくなるのだろうけども、他の維持費が高いので結局新車を買ったほうがよいという判断になって、新車が売れている要素もあるだろう。どんどんと車もガジェット化して、機構が複雑になるとリコールも増えてくる。そのリコールを車検の時にカバーするというのが日本の車検システム。

他の産業も同じようなシステムにすれば成り立つのだろう。例えばスマートフォン検査制度やパソコン検査制度などつくれば、検査のたびに、スマートフォンやパソコンの新品の買い替え需要を促すことになる。服も、洋服検査制度とか、洋服リサイクル制度とか、2年に一回洋服を検査しないとダメとか、リサイクル料を取るとか。

私自身は、そんなことして産業を成り立たせるのは馬鹿げたことだと思う。結局、そういう制度で守られた自動車産業の向かう方向は、自動車を所有しない方向で、日本では都市化が進むという結果だろう。自動車免許そのものも、昔ほど必要性がなくなって来ていると思う。日本全体とすれば、車を持たない学生のような生き方が大人の普通の生き方に近づいてきている。
2020年06月20日
今日は、将棋の竜王戦3組の決勝で、藤井聡太7段とその師匠の杉本8段が対局。結果は、藤井聡太7段が勝つ形。藤井7段のほうが実力は上回っている感があるというよりも、藤井聡太7段はもう将棋界では一番強いだろう。けども、師匠は杉本8段なのである。

その意味というのは、杉本8段というのは将棋を育む場所を持って若手たちを育てる立場。その役割においては藤井聡太7段が強いと言えども敵わないところ。弟子に負けてうれしいというくらいの大人らしさがある。

なかなかそういう大人らしさというのは持てないもので、若い者と張り合ってしまうばかりの経験者も多い。それでは師匠としての貫禄が足りないんだろうなあと、選手としての活躍の場は次の世代に譲り、勝ち負けじゃなく、全体を支えるような立場で自分たちがやっていることが正しくあるというのを保つことが師匠のような立場の人間の仕事だろう。

師匠というのは下手でも構わないが一生懸命な人でないとダメだろうなあと思う。仕事なんかにおいても金儲けが仕事みたいのは勝ち負けだけにこだわっているようなもので、たとえ自分が損な役割を引き受けてでも全体として仕事の正しさを貫くようなあたりが大事なんだろうなあと思うことは多い。自分自身、頑張っている人を馬鹿にするでなく応援するような人間でありたいなあと思う。本当に頑張っていろんな物事をこなして行けば繊維業界というのは仕事らしい仕事で悪くないと思う。不労所得的なものを求めるより、手や足、体動かして、頭も使って、働くことは大事だなあと思う。
2020年06月19日
毎日ほど夜出荷に行くときに、もう今は営業していない中華料理店の前を通る。日本語も上手じゃない中国か台湾の一家がやってられたお店だけども、コロナ流行の1年ほど前にお店を閉じられた。ある意味、正解ではあったんだろうけども、人の少ない田舎での商売というのは本当に難しいなあと思う。20代だろう娘さんは一人日本語が上手だったので留学生が卒業され家族を呼ばれ、日本で台湾料理のお店を開かれたんだろうと思う。なんの問題もないお店で一家で一生懸命に働かれていたけども成り立たないみたいな話。昔の日本の食堂みたいな感じで、親が働く中、子供がテレビをいつも見ていた。子供に取ったら日本語を自然と話せるようなチャンスを親が与えてくれてそれが将来役立つことになるだろう。

そういうお店が閉じてしまうことでまたその周囲は難しそうなイメージになる。喫茶店や飲食店の空店舗が何軒もある。飲食関係は、都市のオフィス街や商業地や歓楽街でないと難しいのかなあと思える。飲食業というのはお客さんのいる場所で営業するというのが王道なんだろうと思える。

繊維業界は、サービス業ではなく製造業なので、モノが主体であるから、海外からの繊維製品がたくさん入ってきて国内の繊維業界は衰退気味、でも、林与なんかが田舎で商売をまだやっていけているのは製造業だからだろう。

今日は、地元の織物工場さんの方が織機の部品の件で見えられた。奥さんと二人で動かしておられ、織機の数が少ないと人手が余計に必要になることが多いので林与よりも大変だろうなあと思う。林与にしても、奇跡的なことがいろいろとあって続いているようなところがあるから、一生懸命に働くところを最低ラインにしておかないと、奇跡も起こりにくいし、チャンスがあってもチャンスに向かう覚悟できなかったりするだろう。
2020年06月17日
今日は、リネンマスクを作った。社内で作ると2人で、1日24枚くらいがよいところだろうか作った後、すぐに使ってもらえるように熱湯で煮沸、乾燥してビニール袋に入れればできあがり。縫製した布マスクは、ご使用前に水洗いなどは必須。


2020年06月16日
新型コロナとマスクの関係と、欧米で鼻水が出た時に飛び出すのが、日本のようなポケットティッシュではなくハンカチ。あと手鼻をかむ国もある。実はハンカチで鼻をかむ文化もコロナの問題に影響を与えているのではないのかと思えたりする。結局、ハンカチを何度も使えば鼻水そのものが手についてしまうわけで、使い捨てのポケットティッシュのほうがウィルスの蔓延を防げることになる。新宿のホストもスーツで決めているので接客時は風邪の症状の時にティッシュペーパーをまき散らすよりもハンカチ派ではないのか。

日本も含め、台湾やベトナム、アジアの文化は案外、やわらかい使い捨てのポケットティッシュの文化なのである。日本も年配の人の死亡率が高いのは鼻をかむのにあまりティッシュペーパーを使ったりしないのではないだろうか。若者だと風邪ひくと一箱がすぐになくなるとかもよくある話。布マスクも、内側を手で触れると同じ効果があるので、取り外した際などには注意は必要だろう。

イギリスだけでなくイタリアやフランスもハンカチで鼻をかむ文化が根付いていて、高貴な人たちが結構、コロナに感染してしまっている。日本人は手を鼻水で汚すことは少ないが欧米の人たちはハンカチで鼻をかんで何度も使うことで手が汚れてしまうということに繋がる。伝統的を重んじる文化がこの新型コロナには通用しにくいあたりだろう。手を洗いにいくにもドアノブを握るのでドアノブがウィルス汚染されやすい広がりやすい話。コロナウイルスを軽んじてしまうと、お辞儀じゃなく、欧米のハンドシェイク文化も感染を加速させることに繋がるだろう。欧米では社交的な生活をしている紳士淑女が新型コロナの感染リスクは高いのかもしれない。

ポケットティッシュ持ち歩く文化とマスク文化は整合性があるようにも思う。マスク文化圏では風邪気味の時にポケットティッシュを持ち歩いて鼻を噛むイメージがある。世界的に若い世代はポケットティッシュで鼻をかむのが普通になりつつあるだろうけども。欧米では鼻をかめない硬いティッシュもまだまだ多い。欧米でもクリネックスは有名だが、アメリカでティッシュといえば、日本のように柔らかいティッシュペーパーよりも硬めの袋詰めされたペーパーナプキンみたいなイメージが残ってる。そのペーパーナプキンを鼻をかむのにつかうかどうかは迷うところ。

コロナを軽く考えた国は蔓延するし、ロックダウンして収束しても気が緩めば再燃してしまう。医療関係者が感染状態で働いていると病院内でのクラスターや医療崩壊。それを避けるためには自制は必要ではないのかと思う。
2020年06月13日
もののありがたみという面で、私自身も反省をしないといけないなあと思うのが、途上国でのものづくりを蔑むこと。現地の人だって生きるために懸命に働いているということ。優雅な先進国の人々が自分たちが仕事嫌いになってものを一生懸命につくることを嫌がり、他の人たちに作らせて自分たちが仕事しなくなって食べてゆくような構造。資本主義的には発展型の永続的なモデルなのだけども、これはまさに投機的な生産モデル。企画するものに安く作れるから海外で作るという作り手という目線がない。発注する側に、国内の作り手に対しても海外の作り手に対しても人を支えるという要素がないのである。発注する側というのが生産サイドにいながら生産環境というものを使い捨てにしてしまうあたりが、投機型の生産。

一般消費者の方だったらほしいものがあれば買う、それでよい。企画の人が自分が企画するのに、売れるからほしい、売れないからいらない、という転売感覚での企画だと、生産基盤の意地すらもが睦かくなる。よく企画の人がモノづくりの人はものづくって、売るのは自分がみたいなこといわれるが、売る側のその人が生産基盤を維持するだけの注文をつくれるのかというと、供給側に立つなら、は供給を成り立たせるような目線がないと無理なのだが、毎年何百万円の発注を入れる確約もなくてものづくりを支えるとかいうのは、現場の一人の人の雇用も確保もする覚悟もなくものづくりは無理な話。繊維業界というのは構造的な問題があるなあと思う。

年商何百億円の会社でも相手にしたくないのが、年商何百億円の会社にありがちなのが、生地を発注して買わないとか。繊維関係ではそういうのが多い。あと最近話題になった更生法申請したR社も、林与の絣柄のプリント企画をパクるような、ファッション業界においては恥ずべき汚行、イギリスの高級ブランドアクアなんとかのブランド名が泣くような話。間に入った問屋さんの個人的に気の毒なすぎて、1回限りの企画のパクリということで許しはしたが、R社のデザイナーのパクって当たり前の感覚は消費者の高級ブランドに期待する感覚とはまったく違う。林与の近江上布絣プリント企画パクって成り立つイギリスの数百億の高級ブランドってなんなのと思う話。1回だけだから個人的に問屋さんの誠意に免じてだらしないR社の世界に名だたる高級ブランドのデザイナーの企画のパクリという汚業を林与が免じた話。

2020年06月11日
昨日、今日と倉庫で重荷出荷作業。織物を織るのに比べるとそれほど時間も掛からないけども出荷というのは最後の仕上げみたいなもので、検反機で検反や検長を調整しながら、1反1反を袋に包んで作業。1本あたり、大体、10分くらいの作業だろうか。織物というのは結構体力を使うものなのは検反も同じ、最後、紙袋に反物を梱包すると、林与の麻生地はまだ軽いほうなのだが、一つの紙包みが130cmX40cmX40cmくらいで、30kgを超えてくる。このくらいになると普通のおっさんでは運ぶのがなかなか厳しいくらい。

広幅の織物の工場だと、160cmとか180cmとかの反物を織られているところがあるが、1反が、160cmを超えて15kgを超えてくると、その一本を持って運ぶだけでも相当しんどいもので、林与の反物は可愛いものである。リネンストール生地も出荷したが、大きな反物を扱った後に、片手で簡単に持ち上げることのできる60cmほど幅のストール生地というのは可愛く思えてしかたない。ストール生地でも耳糸を綺麗に切る前はボロボロの生地のようにみえるけども、綺麗に耳糸をカットしてあげると上等の生地に変わる。

夜、雨の中、急ぐ5個口を持って、運送会社に行くと、出荷する荷物を載せる予定のトラックがちょうど出発。あー、1日の苦労が無駄になったかと思ったが、とりあえず、明日でもよいので出荷してほしいと頼んで、もう一回来るからといって、もう一度会社に戻って、1つ荷物を梱包してその荷物は今日の出荷に間に合って、さっきの5個の大きい荷物は明後日到着ですよねえ?と尋ねると、無理矢理別のトラックの今日の便に載せてもらえたようで、明日到着するということ、この2日間倉庫で張り詰めて動いていたのが報われた気分。働くって良いなあと思える。今日の夜は張り詰めたものから解放されてちょっとゆっくりしよう。
2020年06月10日
藤井聡太7段がタイトル戦の第一局で勝利。甘く見えるような手ほど毒饅頭でそれを食べてしまうともう後がなくなる。正確な読みで毒饅頭合戦を制した感がある。一番若い棋士が、一番強いと認めるような状況が今の将棋界。将棋界というのは、階級社会でタイトルホルダーなどには有利にできていて挑戦者には不利にできていて、普通は覆しにくいものであるが、たぶん、藤井聡太の師匠の人格が藤井聡太をつぶさないタイプなんだろうと思う。たとえば、藤井聡太7段の将棋を一番嫌いだと言ってたタイトルホルダーもいたりした。そういう人の弟子になってしまったらまず人間関係の面で苦しむことになり、また将棋のスタイルもすべての可能性を読み切ってストーリーを作る形ではなくなるだろう。普通の棋士だと先輩棋士からからかわれておちょくられて凡なることを要求されるのだろうが、師匠に暖かく見守られて毒されることもなく手本のように育った感じ。

将棋は強くても伸びる人間をつぶす方法はいくらでもあるから、師匠や先輩が、こいつを今つぶしておかないとと思えば子弟制度の中に縛られていると逃げ道がないので、人間関係的な重荷を強いることでつぶされてしまうことは多いものである。師匠の杉本8段は将棋はそれほど強いという印象がなかったが人柄がすごく良いのだろうと思う。そういう中では叱らずしてもまっすぐとした人間が育つ。村社会的な社会では、どうしても、有力者を中心とした序列社会でその有力者が中心であることが前提となって物事が進むように組み立てられる。将棋界の有力者といえば羽生永世7冠なのだけども、将棋のタイトルに固執するようなこともなく、普通に次の世代に譲れるようなところがあって、若くして年配者たちを超えてきた人生をもった人だから、若手には同じようなことを期待するのだろうと思う。

藤井聡太7段が登場する前の将棋界は瀕死の状態であったけども、役員たちが牛耳ってしまうような人間模様がどろどろとした将棋界ではなく、健全とした将棋界として再生がなされたと思う。人というのはどうしても自分の力が落ちてくると、保身的な策に陥りがちで体制をつくって居残ろうとするものである。繊維業界のしきたりみたいなものも日本的な経営というのもそういうところが大きいもので、よく企業なんかでもある、会長とか相談役とかも、居座るためなら無意味だろうし、次を育むためなら若者たちと一緒に黙々と働いてできる手本を見せればよい。それが一番の教育だろうと思う。

展示会などで、中国の繊維企業の中の人々と話をするとすごくものづくりに前向きで自分たちの中に答えを持っているような印象を受ける。日本の繊維業界の人と話をしていると一緒に仕事しているのに一方的なマイルールで答えを求められることが多いなあと思う。そうやって一方的なマイルールでやっていることが力があって優良な企業イメージであるような錯覚があるのだろうけど、そういうマイルールを持っているところほど、マイルールが通用しなくなった時には中から崩壊してゆくものだったりする。勢いのある企業というのはマイルールタイプになりがちだけども、しばらくすると、そういうのにあこがれる人の集まりになってしまうので20年もすれば取るだけの人の集まりとなって、企業の中でも年配者が若い者を食いつぶしているようなことになりがちである。

アパレルの企業の若い方とお話しするときに一生懸命に企業のマイルールに縛られて話をされる。その構造自体、もうその若い人が自分で責任をもってその仕事をするとかいうのが難しい状況からのスタートとなる。若いうちに失敗など経験してそれを自分で取り戻すような苦労を経験しておかないと、しばらくすると外に解決を求めるばかりのできないタイプが出来上がる。子供に見捨てられないように外は敵ばかりで親である自分だけが味方だみたいに甘やかし、自分の言うことだけを聞くように手なずけてしまうような親もいたりするけど、そういう親というのは子供の人生にとっては害だろう。そういう子供は外の世界では無責任な行動ばかり。企業の中でもマイルールの多い会社というのは同じような要素を持っているものである。結局、そのマイルールが普通のスタート時点に立っていないのでどこまでがそれぞれの仕事なのかもはっきりせずにぎくしゃくする原因にもなる。
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