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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年02月23日
インターテキスタイル上海が中止になったのだが、今度はイタリアで感染が広がっていて、北部イタリアの州では都市封鎖的なことも始まった。クルーズ船の問題がイタリアにもあったようで、イタリアも日本以上の厳戒態勢を取っている。それは良いことだと思う、このウィルスは武漢を見る限り軽く考えてはならない。

武漢を他山の石として、このウィルスの危険性をしっかりと認識しないといけない。日本はどちらかというとその場しのぎで後で解決できない問題を山積みにするタイプの国。たぶん、オリンピックは行われるだろうけど、その後のことをしっかりと対策しておかないとならないだろう。湿度の高い夏になると新型コロナウィルスも消えるだろうという楽観は禁物で、消えない想定で対策をしておかないと、日本では広がらないだろうで、当たり前だが、今や日本はコントロールできなくなっている。検査すら体制が不十分。

まずは、検査体制を充実させることが大事で、検査体制がないから検査できないから感染者が少なく見えているだけのこと。早くしないと小さな子供たちが感染し始め、武漢のように子供たちも苦しんで死んでゆくことになる。このウィルスというのは一人の感染者であっても、一つの地域や国をつぶしてしまうくらいの破壊力がある。無謀な一人がいたらいくら予防していても無駄、馬鹿な役人や専門家が一人いたらいくらみんなが感染に注意していても無駄なのである。このウィルスに対しては中国並みに厳しく取り締まるくらいのことが必要、でないと収拾はつかないだろう。

日本の専門家や厚生労働省が、中国武漢の悲劇を見ながらも楽観視して様子見で手を打たず、もう遅いかもしれない状況。あとは自分が掛からないことを祈るとか、治療薬ができるのを待つしかないような、私も普段は病院には行かない人間だが、この新型コロナウィルスは掛からないように気を付け、怪しいと思ったときには病院に行こうと考えている。免疫を不全にするという要素があるので、体力の衰えたお年寄りで他に疾患を抱えられている人というのは他の疾患が重症化しやすいとかもあるようで、余計に厄介なのである。戦争ではないけど、有事的な気持ちで、普段のことはあまりぴりぴりせずに、第一優先としてこの新型コロナウィルスに注意みたいなところ。今、会社もまだまだやることは一杯だけど、なるべく定時で切り上げるなど無理をしないようにしている。

話は変わるが社会問題として田舎の高齢者の老後というのはなかなか難しくなっているなあと実感することがある。60歳とか過ぎると働く能力も落ちて、体も悪くなって病院に行ったりで、仕事もできなくなり生きてゆくことすらが難しくなる。私はまだ50歳なので20歳の学生には負けたくないくらいの気持ちでものごと取り組んでるけど、できそうなことは今のうちにやっておかないとちょっとでも体を悪くするとそこから急に考え方も変わってすべてができなくなるんだろうなあと思う。特に、何かしようと体を動かしてもものごとをするということが億劫になってしまい、それが癖となるともう何もできなくなるものだ。

私が好きじゃない考え方なのは、画一化した考え方で、70定年とか。50でも仕事できない人はいるし、80過ぎてもできる人はいるのに、安易に定年を決めるとかおかしいんじゃないかと思うが、行政のゆきあたりばったりの失敗がそういう定年問題とも絡んで、ボタンの掛け違えで法律をどんどんと作っているようなもので、ボタンの掛け違えが正しい法律みたいな話。みんなが社会に依存するような要素が濃くなり、本当に普通に正しいことができなくなってしまうのである。

新型コロナウィルスというのは特別枠の有事として考えていくべきで誰もが我慢しないといけない要素もあるだろう。日本じゃなかなか難しい考え方になってしまったのかもしれないけど、患者の命を救うために医者が命を投げ出す覚悟みたいなところが中国ではあったりする。あの中国の亡くなった新型コロナウィルスを告発した医者をみても、日本の専門家たちや官僚が、新型コロナウィルスが大したことないというのは、行き方や人生観がまったく逆なんだろう。それを封じ込めようとした中国でも初動のミスとして方向転換しているのに、そのあとでも日本は初動のミスをした中国のような対応。人生観が権威主義的になりすぎて、自分は特別で、国民の命なんてどうでもよいものが指揮をとっているようなのが見えすぎる。あの医師の動画を見て、新型ウィルスから人々を守ろうとする本物、ありがとうなあと思う。
2020年02月22日
最近、肩の脱臼がコリコリ違和感。仕事していても以前の3分の1くらいしか力が入らない。まあ、手術するほどでもないし、普通の箱やビームくらいは運んでいるので大丈夫。でも、ドビーのレバーを押すときに力が入らないのが問題の一つ。それもリハビリになってよいのかとも思う。

予想通りに、新型コロナウィルスは蔓延してしまって、もう、止めるのは難しい状況。いろんなイベントも中止になり、でも致し方ないだろうと思う。この新型コロナウィルスだけは普通のインフルよりも感染力が強く、致死率が高い。昔だと原因不明の肺炎といわれるようなものだろう。中国の武漢と聞くと、ローカルなイメージをする人と、大都市だなあと思う人とに分かれると思う。私は東京以上に大都市だなあと思ってしまうので、そんな大都市で大災害が起こってしまってて、東京も同じような悲劇にならないように対策が必要だと思う。中国武漢のことだと他人事のように言って、日本は大丈夫と言ってた人たちがようやく、事実に気が付き始めた。

これは新型コロナウィルスのことだけど、日本と中国は違うから見たいな意識があったりするものだけど、中国製を笑っているうちに日本が中国に追い越されてしまったことも多い。普段使うものが中国製が増えてそれが普通になっている。中国に行くと日本以上に珍しいものに出会ったりする。電気バイクなんてものも、当たり前に走っているのが中国で、日本じゃあまだ電気自転車は見かけても電気バイクは少ない。なんで中国が電気バイクで、日本が電気自転車なのとなる。わざわざやぼったいものをつくってしまうのが日本。これもコロナウィルスの対応に似ている。日本で自由にものを開発することは法律との兼ね合いで難しくなってしまっている。

日本ではものづくりをする環境を維持していくことが本当に難しくなってきている。この3月に、たぶん電気の使用量から考えて以前よりも少なくなっているので、高圧から低圧に変えたが、高圧でやっていると設備管理と維持費だけでも大きな金額になる。7年とか10年で寿命がそれぞれくるので、織機云々の維持というよりも、電気のための設備の維持に織機の維持費と同じくらいの費用が掛かってしまう話になる。うまくいくかいかないか分からないけど一か八かで、低圧に変えて今のところ一度もブレーカーが落ちたこともないので、変更してそういう重圧から逃れることができてよかったなあと思う。昔は一つの仕事でも5倍10倍の量だったので、大きな設備が必要だったけど、一つの仕事が小さくなった今は大きな設備というのは重荷にすらなる。

そこに来て、人不足といわれる状況。林与の会社もやることは一杯でもそれをこなせる人というのは珍しいと思う。一つ一つの作業はそんなに難しくないことでもそれを一日中やったり、間違わずに何十回、何百回やったり、手が空いたら他の仕事を並行してやったりとか、できる人というのは稀なんだろうと思う。よく、今のスタッフの子もやってくれているなあと感心することがある。今日も、布を降ろすときに、10mほど戻って前の1反の終わりあたりで切ろうかといったときに、1反の終わりところで印をつけときましたと、ほとんどの場合そういう細かいことをちゃんと考えてくれてて、聞いたら答えてくれるので助かる。逆にいろいろと考えて仕事してくれているので大変だろうなあとは思う。慣れで考えずに仕事するのは楽だけど物事を考えながら記憶しながら仕事するのは大変だから。

あとほっとするのが毎日帰り際に、ちゃんと元気そうに挨拶して帰ってくれること。そういうことのできる人は少ないものでそれは努力してくれているからできることだろうと思う。そういうあたりからして、どんな仕事を頼んでもうまく理解して分からないときには聞いてくれ思うとおりの仕事をしてもらえることに繋がっているのだと思う。若い子を軽く見てはいけない、経験のあるもの以上にいつも精一杯努力しててくれる。私は私で、織機に問題があったら覚悟決めて埃だらけの織機の下にもぐるし、力仕事も率先してやるようにして、面倒がらずに作業し、精一杯働くところを見てもらって手本にならんとなあと思う。

仕事もいつもながらいろいろと思い通りにいかないこともあるけど、元気に前向きにやっていきたいなあと思う。
2020年02月21日
ミナミヌマエビの水槽にはヒーターが入っていて水温が20度くらい。あんまり寒いと表面の水が凍ってしまったりなので好きじゃないのだがヒーターを入れてある。餌は魚の餌をすりつぶしてあげている。まあ好きみたいで、水面に浮いている粉上の餌を天井を仰ぐように手でかき集めて口に運んで食べている。 何かの縁で私が飼い始めたミナミヌマエビ。私がミナミヌマエビの好きなところは雑種的なところかもしれない。エビの価値に意味あるのじゃなくて、私がエビを育てることに意味がある。もちろん、エビたちは元気でいてほしい。周りの小さな水路なんかも昔と違って水が常に流れているような状況ではなくなっている。だから水槽のエビたちがその代わりになって、自分の子供の頃、毎日魚つかみしていた感覚を毎日思いださせてくれるのかもしれない。 最初は、水質の問題で、全滅してしまったりもしたが、3度目くらいにカワニナさんを入れたころから水質も安定してエビも落ち着いてくれた。そして、何千匹もの稚エビが生まれるのが普通になって、水槽は賑やかになった。今は、ただ、餌をあげるだけの冬。メダカとか小魚が4匹ほど入っているがそれがたまに小さなミナミヌマエビを食べちゃうことがあるので、その4匹は別の水槽に移動した。そっちはかわいそうにヒーターがないので、冷たい水の中で、死んではいないけども冬眠中。 私の80の母親が、馬鹿なことやってそんなこと誰もやってないというけど、まあ、成り立たせるためにふだん仕事ばっかり考えている私が、ちょっとの息抜きの一つ。そのくらいは許せよみたいな世界。でも、実はこれも仕事と絡んで、麻布のフィルターを作るというプロジェクト。あと、将棋をみたりするのも、藤井聡太さん的なスタイルがよい。将棋ばかりやってる人よりも、高校生が将棋ばっかりやってる大人よりも強いところ。私自身織物の仕事をしているけど織物をつくることよりも、もっと別のところでの普通じゃない重荷を背負ってやってるから、定石的な差し回しよりも、自分が立っていくためには定石を超えるような何かを見つけることが大事だったりする。
2020年02月20日
昔、アメリカにいるときに、デジタルディバイドという言葉が新しい言葉として出てきた。これはインターネット環境にいるひととその環境にない人では、情報の量や速さというものが違って、特に、これからの子供たちが、そのどちらの環境にあるかで有利不利が生まれるという問題。これは、実際は、子供たちの問題だけでななく、その25年後の今も日本で、大人の世界でもその差は大きい。ノートパソコンや携帯電話を使える人と、テレビだけが情報源の人とでは、どうしてもテレビや新聞というのは偏りがあって、オブラートに包まれたような話しか出てこない。どこのチャンネルでも新聞でも同じような内容、公的な発表だけがニュースとして流れる。

インターネットの世界というのは一つのニュースにしても何倍もの情報量で、もちろんテレビや新聞的な情報もあるけども、ふるいに掛けられる前の情報も手に入る。記者というものがすべてにおいて意味ができているのかというと、分析能力に劣る記者も多く、記事が不透明な部分が多くなんでそこをしっかりと書かないのかと思うのが大手の新聞社のニュース。憶測的なものを入れると問題があるのだろうが、憶測的なものがあってそこに答えがあったりするものなのである。特に未知のウィルスなんかに関しては、確定的でないけども断片的に出てくる情報が、今後の流れを予測するのに役立つのである。

専門家にしても厚生労働省の役人にしても、役職が高すぎて冒険を犯すことはできないのでどうしても、安全か危険かも言えない。まあ、昔、子供の頃に注射器の使いまわしで予防接種してて、5歳か6歳だったけど大丈夫と思ってたけど、専門家や国というのは、大丈夫でやってしまうものなのだ。結局、大丈夫じゃなく日本中に肝炎の問題を引き起こしたりしている。看護婦の息子さんは、予防接種は受けないと例外だった。あれは、看護婦だった親がその危険性を十分に知っていたからと思う。危険だと分かっていても専門家や行政は安全としてやってしまうことは当たり前にあるのである。もちろん、注射器の使いまわしなんてものは当たり前に危険なのだが、国が決めてしまえば専門家も行政も同調するしかなく、また、テレビでも新聞でもその危険性は語られない。

今は素人のほうが、インターネットで興味をもって調べれば真実的なことにたどり着ける。テレビや新聞ではメルトダウンしていない水蒸気爆発だというのも、なぜ、放射能性濃度の高い地域があふれているのにと分析すれば、メルトダウンしているというのはすぐにばれる嘘。半年後に放射能レーダーも感知していてそれを政府が隠していたというだけ。そんな大きな問題でも隠匿してしまうのが専門家たちや行政なのであるから、一般の人々というのは正しい情報をもって行動することが大事なのである。

オーガニックの問題でも、ある会社さんは原発の近くでやっておられたが、すぐに違う地域に移動されて生産をされた。ある意味、安全性を謳うものづくりを重視された形で正しいと思う。また、原発の近くで被害にあわれてもそれを乗り越えて応援を受けてものづくりを続けておられる方もある、それも正しい方法なのである。一つの目でみると、相反する行動に見えるが私は両方正しいと思う、それは情報を隠匿しない人たちだから。ところが行政が絡んでくるとやっかいで、安全基準を20倍ゆるくして安全と謳ったりするから、一般の者からすると安全という言葉が信用もできなくなるのである。基準値を守っているといっても、20倍ゆるくなった基準値だとすれば本当に安全なのか、そしてその後また、基準値が20倍厳しく戻される。数値なんてあってもないようなもので、その場しのぎの人体実験は駄目だと思う。得られた数値に合わせて基準値をゆるめているだけのこと。

問題は、安全の定義から変わってしまって、正しい情報が与えられていないということ。一律に基準値を守ったといわずに、何ベクレルの水ですよ、と正しい情報を表記すればよいのにと思う。買う人は買うだろうし買わない人は買わない。オーガニックを議論する会議でもオーガニックのパーセンテージを表記したくない業者の意見があったりするけど、それって普通の生地の世界の混率表記すらもあまり大事に思っていない人たちなんだろうなあと思う。売って買ってもうけることだけを気にして、消費者が何を求めて買うのかとかいうあたり、実際の情報を隠して騙すみたいなラベル商売はオーガニックの本質すら失う。

GOTSが合成繊維混をオーガニックと謳いたい背景には、GOTSの運営自体を持たせるという別の理由も垣間見えて、初心に戻るべきじゃないのかと思ったりもする。従来のコットンを否定して、オーガニックコットンだけにして、自分たちがすべて管理し、支配するみたいな欲望の塊が、結局、ラベルはついていても、どんどんとオーガニックの本質の低下につながっていき、合成繊維混のオーガニックコットンより、普通のコットンのほうが上じゃないのかの世界に入ってしまう。その場しのぎにやってると、オーガニックコットンがマイクロファイバー問題を拾ってしまったり、つぎはぎつぎはぎで、地道な作業から生まれる本来のオーガニックコットンの世界よりも、基準をどうすり抜けるかとか、基準をどう緩めてオーガニックと謳えるようにするかの世界になってしまう。

現実は現実で受け止めて、偽装を含まず、正直に消費者に伝えることが大事で、カルガモ農法でやってる農家が農協の合成肥料を使ってるのを正直に現実を言うそれが一番良い。正直にプライド持って自分の限界で仕事しているものは正直に話すから。これいっておくと、化学肥料や農薬を使わないという規定があるが、各国の基準は例外を認めていて、インドなどは、努力目標的な部分もあるから、それをオーガニックとして認定してしまっているオブラートも消費者は理解が必要であろう。ばれなきゃ大丈夫なオーガニックじゃだめだろうと思う。そのあたりもインターネットで情報をしらべるといろいろとオーガニックの本質が見えてくる。

国内のオーガニックの定義と各国のオーガニックの定義は異なるから、日本のオーガニックの定義の謳われて、海外基準で作られたオーガニック製品についていたとしたら、からくりの一つなんだけど、調べるといろいろとそういうからくりで、国や管理者が責任逃れしたりしているのが見えてくるものである。数年前、日本で一番大きなオーガニックコットンの協会の理事長と電話で話しているときに、オーガニックじゃないものでもオーガニック認定されていますよねえと聞くと、それは企業の問題で私は関係ないといわれるレベル、まったく責任感感じずにオーガニックの権威を振りかざしておられる爺さんもいたから、気を付けてね。
2020年02月19日
今、アメリカのCDCが、アメリカのインフルが新型コロナウィルスかもしれないという発表。本当にそれほどCDCの研究者が無能だとは思えない。裏があるとしたら、アメリカでは早い段階で、分かってた、何故ならアメリカが生物兵器として開発したものだったから。それがアメリカで漏れて、中国の武漢の研究所が勝手にウィルスをアメリカから持ち出して研究したのが武漢で漏れたという流れ。私の国家陰謀説だと、アメリカが新型コロナウィルスはただの風邪だとして抑え込もうとした、中国も隠そうとした、だが、一人の死亡した医者が、このウィルスがただの風邪でないことに気が付いた。隠しきれなくなった中国、そしてアメリカが対応を始めたというような裏があったりするんじゃないかと思うほど、アメリカのCDCが、後手後手、WHOも後手後手、なぜか、あのトランプ大統領が新型コロナウィルスに対しては非常に中国批判もなく静か。

あの中国の医者の告発がなければ、アメリカも中国もCDCもWHOも、新型コロナウィルスと知られずに葬り世界的なインフルで終わる話だったんだろう。たんなる風邪とか、早い段階で、WHOも、情報もないのにインフル程度だと抑えようと必死。中国も武漢を都市閉鎖して患者を収容していなければ、普通の死者2%程度のインフルのような扱いで済まされた話なんだろう。感染の拡大を防ぐために収容施設に感染者を閉じ込め、外の世界を守ろうとした。大きな建物の中に、患者の別途を何百もならべて患者から患者に、医者から患者にウィルスは移動する。

高齢で数千人の死者は、肺炎で死んだとされるべきものが、一か所に集められて検査されたがために死因が判明しやすくなったこともあり、武漢の異常な感染者数と死者数の偏りを生み出した。ダイヤモンドプリンセス号もまた同じ、感染しやすい隔離所状態で、感染している船員たちが検査も受けることなく乗客たちの世話で、武漢のような広がり。自然治癒があるようなので、体力があれば感染しても無症状、悪化しても回復も可能。ウィルスも個体差があるんだろう、活発なのと活発でないのと。活発なのを引き当てた時には重症化もありうる。集団での隔離は、多重感染して活発なのを引き当てる確率が高くなる。

私の馬鹿げているように思えるようないろんな推測も交えて対策が必要で、いろんなケースをシミュレーションして対策を一つに固めるではなく、2重3重の対策が必要であろう。でも、世界的な権威で専門家の集まったCDCやWHOがなぜ、これほどまでに無能を振舞うのかがよくわからないところ。すべて広がるようにもっていってしまう。それはどこから新型コロナウィルスが始まったのかを隠匿するかのごとく広めていく。なぜか最初からWHOも掛かっても普通の風邪程度と、未知のものに断定的な姿勢。アメリカのインフル流行の裏で何か月も前から新型コロナウィルスがどの程度の脅威なのか情報を持っていたように思える。

いろんな不可思議を説明するための憶測に過ぎないが、CDCは単なる無能を振舞っているのはおかしいと思うあたりからの隠匿説である。私自身の中にもいろんな他の憶測もあって、これが一番、専門家たちがやばいところまで行ってしまっていることを想定しての仮説の一つ。生物兵器などはどこの国も開発しないことが大事である。人というのは個人レベルでは人間としての当たり前があるが、組織に組み込まれてしまうと人間としての心よりもルールや保身が大事になってしまうものである。組織やルール化して責任逃れみたいのが多い。組織が人としての当たり前の心を失うことは人が多く集まっているのにそれではだめだろうと思うが、よくありがちなこと。人が多く集まっても人としての心を忘れない組織でないと、組織の存在自体がプラスなのかマイナスなのかということになる。

新型コロナウィルスに関して吉報としては、中国で、回復したものからの血漿を重症者の血液中に入れることで回復が見込まれたという、通常の方法の一つで解決法がみつかり、世界中が採用できるような治療法で、有効だとよいなあと願う。
2020年02月18日
ダイヤモンドプリンセス号の感染の問題をみていると、閣僚や役人たちがウィルスに対して無知に近いことがよくわかる。若い人たちは中国武漢でのできごとも即座にインターネットを通じてリアルに感じることができるが、安心安全の中にいる指揮している閣僚や役人たちが無知では、最低限の予防手段であるマスクをするという行為も、マスクはするなというウィルスを蔓延させるような指導を行ってしまう。武漢ではマスクしていても蔓延してしまうのに、マスクするなでは、感染確率は何十倍も増すのが当たり前。

自分で物事を考えたことのない人たちというのは、ルールを求めたりするがそのルールが間違っているときに気が付かないと有事には惨事が訪れる。ルールに従っていることで責任逃れができるのだけど、自分が指揮をしているなら一般程度の知識は最低限必要であろう。流行しているか議論するとか、無能を全開でさらけ出してしまって、60過ぎたおっさんが大臣をやってても、中国武漢の悲惨な状況が参考にあるのに、そこに向かっているのも見えなければ何のための指揮なんだろう。

中国が本気で封じ込め対策をしているのに、日本は大丈夫大丈夫、恐れるなで、無知で無能をやっているうちに感染は広まってゆく。政府がというよりも政治家で、危機感があるものがどれだけいるのかというと、国会で議論すらなされないまま、ダイヤモンドプリンセス号にしても無知な上からの指示やルールを押し付けられ、現場のものを感染してゆく。世界に恥をさらしてしまうような結果である。政治家というのは自分が仕事しないのに出しゃばりなところがあってぐちゃぐちゃにしてしまう、そのしわ寄せを被るのは人々で、今回のウィルスでも表には出ていないが日本で検査もされずにすでに多くの人が無策ゆえに死んでいるのも分からないのか。

日本の政治は3流といわれた時代があったが、今はもう機能していないに近い状態なのかもしれない。バブル経済の中を泳いで人々の苦労が見えない政治家たち、組織に頼って偉そうにしているけども人間としての実力や本質がない。危険や苦労から逃げ、安全なところから自分の立場のことだけ考えて指示をしているから、ものごとは悲惨な状況。きれいごとだけ自分がとろうとして、問題は自分が抱えず他のものに任せる駄目な典型。一般の人々のほうが外出時にはマスクしていたりと真面目に世の中を考えている。世界的にもWHOがマスク不要をいうなど、予防の基本すらずれていたり、立場や利権で生きている人にとっては自分が間違ったことでも強いるということが大事で、WHO事務局長ですら無知に近くCDCなどの引用。CDCが中国の現場の1か月遅れでウィルス対策。自分で物事を考えられない人たちが役職に当たって、一般の正しい行動をとらせないようにするのはあまりにも愚かすぎて、普通、大学生でもわかるくらいのことが、考える頭もない今の世界や日本の行政のトップレベルのおっさんたち。序列社会だけの中で生きる典型だろう。

ダイヤモンドプリンセス号の大感染みたいなものが、日本の政治の実力を象徴している。全員を検査することが大事なのにそれすらも国規模でもできないと努力もしない。4000人を検査もできないまま1か月とか、今から専門家を交えた委員会をつくるみたいな、素人未満の対策が招いたような大惨事。このような政治家たちの無能状態では、東京マラソンの事実上の中止みたいなのも仕方ないだろう。こんな無能な状態で、安心安全を謳ってオリンピックをやっても、予想できうるものごとも分からない真似してその場しのぎに責任逃れ、オリンピックの前に政治家や官僚たちを入れ替えることが必要なくらい。ボーイング737MAXが落ちるのも落ちるメカニズムを否定し続けたボーイング社、だから2度落ちた。

武漢では命を投げ出して、若い医師や看護師たちが感染覚悟で新型コロナウィルスと戦っている。チェルノブイリ原発が爆発したときも、多くの消防士たちが無くなった。日本の福島原発の爆発のときも、日本の政治は無策そのものどころかメルトダウンを隠匿、想定外の地下からの放射能汚染物質の海への流出で石棺化を免れただけのことで、それがなければ今も福島はチエルのブイリ以上の住めない地域となっていた。今回も無能な政治が運まかせでやって福島第一原発のような原発の設計ミスで人々を救ってくれるのか。ビギナーズラックみたいなのは続かんだろう。
2020年02月17日
今、ものづくりの世界で求められているのは、職人というよりは、何でもこなせるエキスパート。ものづくりには問題がつきもので、他の人ができない仕事、他の人がやりたがらない仕事がある、それをこなしていけるのがエキスパート。私自身、職人という言葉があまり好きじゃない、なんか、仕事に職域がないほうがよいと考えているからだろうか。プロモーションも必要だし、作家という表現のほうが、これからの時代には生きていける人たちだろうと思う。でも、作家という言葉も一人自分でやるイメージがあって、それよりも、他の人たちのできない部分を自分が代わりにやって助けるような力をもった広い視野の人が必要だろう。そういう実力のある人というのはどこでも欲しがっておられるわけで、頭だけでなく、体を動かし、他の人を助けて作業もできるような人。

織物の世界でそれをやれる人というのは、今までの経験の中では数えてみると10人くらいは出会ったと思う。もちろん、できないこともあるけどもできることを一生懸命にされて自分が動いて全体の問題を解決できるような人。そういう人というのは自分のためというよりは、他の人のために自分を犠牲にして仕事しているタイプの人、人柄的な部分とそれまでの体験みたいなものが大事で、物事に対して自分とは関係ないと自分とは関係ないみたいなそぶりを見せない人。

その逆というのが問題などの解決を人に求めまくる人。そういう人というのはすごく職域も狭くて、全体が見えていないことが多く足の引っ張り合いの中で生きていることも多い。自分が腹を決めてものごとをやれば、解決できることも多いのにと思うことも多い。最強なチームというのは、万能的なエキスパート集団。職域なんて小さなものにとらわれず全員が全力を出し切って助け合うみたいな形。そこには仕切り屋みたい存在も必要なく互いをフォローしあえるような力のある者同士。

繊維の世界というのは間口が広い世界なので、全体の工程が長すぎて、その分、自分の分担を自分の中で決めてしまう人が多いものである。これは私の会社の中だけでなく外も同じで、全体の工程の中に他人事な人が入ると、他の人の一生懸命が台無しになることが多い。やるならやるでなんでもやろうみたいな覚悟が大事。妥協がないのとみんながお互いの仕事内容を理解しながら助け合えるので、一人が申し送ってやっているようなものづくりとは別格のものができる。一つの工程もマニュアル化して誰でもできるようにしてしまうよりも、マニュアル化せずに常に工程を上げてゆくような高い品質を求めることも大事で、下手に最初から品質を求めてものづくりすると高いところまではいけないので、私がよくお客さんとモノづくりを話したときに提案することに、リスクや問題を減らすためには普通になるけど安全な企画でものを作ることを提案に終わってしまう。だいたいの場合そう。

ものづくりで別格のものをつくろうとすれば次の工程の人が普通だと扱えないことも多いので、やっぱり普通の布に近い形でお願いしますとなってくる。最後普通のものができたときにそれを評価できる最終の消費者がおられるのかというと普通の色違いの世界だったりもする。まわりまわって、普通のものづくりにたどり着くよくありがちな話でお客さんがそれに対応できるかできないかで変わってくる話だったりもする。中も同じで、作業をする人が対応できる人か対応できない人かでものづくりも変わってくる。

マニュアル化(標準化)された作業現場で働いたことがあるが、品質の安定を目指すもの。繊維の世界もどうも同じような方向に全体は動いているようだけども、特別な糸というのは誰もが使えるような糸じゃないことが多いものであったりする。すごく綺麗なんだけども、糸の微妙なフシがその分逆に目立ってしまったり、それがアイリッシュリネン140番手の糸とか、だから、整経するのに1台の整経機を6か月使いながら、時間を見つけては、すこしづつ糸のフシをひとつひとつ取り除きながら整経したりとか。織るのも1時間に30cmとか、150m織るだけでも時間を見つけながら実際の作業時間換算で2か月ほどは掛けている。

なぜ、アイリッシュリネン糸の世界が消えてしまったのかという問題の私の結論が、ヨーロッパにコットンが普及したこと、1960年後半のリネンの作柄の悪さ、為替変動、ウォーターレッティングの禁止、また、高速のレピア織機が普及して、高級とされてきた細い糸を織ることができなくなってしまったということだろう。他にも繊維産業以外に自動車機械産業が発達したことも優秀な人間が繊維に集中するのが当たり前ではなくなった。仕事していても、似たような局面は日本でもあって、日本で一番の規模だった近江湖東産地の麻織物が風前の灯状態なのも、そういう一つの問題に苦しみ、それが5つも6つも重なって、もう無理みたいなあたりだろうから、衰退するのもよくわかる話なのである。

販売や企画など縦の系列的な問題に絡んで利益率が低くなり、やっても成り立たなくなっていることが指摘されることが多いが、それは単に一つの要因に過ぎないと思う。ウォーターレッティングの禁止みたいなものも、今からすると自然を活用した製法で、オーガニックな製法の一つなのではあるけども、それの規模が大きければ川の水を汚染するということで禁止される。コットンなんかも湖を小さくしてしまったということで悪者扱いになっているけども、そうでなくても、日本では戦後、湾や沼地なんてほとんど埋め立てされてしまっている。東京も大阪も今栄えている場所はかつては海だったところを埋め立てただけであって、勝てば官軍的な要素で物事を判断しているだけのことではないかと思えたりもする。

琵琶湖も同じ、今風に湖岸が綺麗に整備されたりするけども、滋賀県というのは江州と呼ばれて、入江が豊富だった場所。行政の主導で大きく住みやすい環境が整備されてゆくが一方でそれが環境破壊そのものだったりもする。人の生活を重視するのかそれとも自然を重視するのか、経済発展を重視すればおのずと自然は破壊されてゆくもので、経済発展を目指さないことが自然保護には役立つのである。今よりも便利な生活をもとめないことが環境の保護には役立つのだろうが、便利なものを生み出すなら自然の材料の中から生み出す程度に止めよというのが、今のサステイナブルな流れ。
2020年02月15日
昨日、スタッフの子が織機が原因不明で動かないということで織機を確認する。経糸も切れていないし、横糸も切れていない、横糸切れのフォークも問題ないし、感光フィーラーに問題があるのか、フィーラーが働いて、運転ハンドルが運転に入らないようにはじいている。5分ほど悩む、この気持ち悪さ経験があって、こんなこと以前にあったなあと、原因はなんだろうと依然と同じようにソレノイドのボックスのネジを外して分解しているときに、前もこれやって結局解決できたけど、どうやったんだっけ、結局簡単な問題だったんじゃないのか。思い出した、カウンターがカウントしていてカウントをリセットすればよい問題。正しい解決方法が見つかってというか思い出してよかった。情報をスタッフの子とも共有して悩みが消える。

仕事していると、当たり前にこういう問題に遭遇して悩む、そしてそれを解決するのは自分たち。誰かが解決してくれるんじゃなくて自分で考えて解決してゆく。その力というのは新しい物事をするときにも役立って、業者の人が投げ出すような問題でも素人のほうが解決できることもあったりする。これは私じゃないけど、スクーターのメットインのヘルメットを入れる中にスクーターのカギを閉じ込めてしまったケースで、メーカーに効いても代理店に聞いてもカギを取り換えないと無理という話だが、譲ってもらった方に相談するともう一台持っているので開けられるか考えてみるという話。半日もすると、その方が分解して開ける方法を教えてくれた。適切な道具がないので持ち込んで開けてもらえた。そういう人ってすごいなあと思う。

メーカーの窓口の人でも解決方法が分からないのが当たり前、ましてや販売代理店も分からないのが普通。たぶん、メーカーの技術者でも、全部の構造を知っている人でないと難しいだろう。三和シャッターの人が修理は無理といった件でも、プロが無理というなら自分が解決する番だと、私が、故障した原因から考えて、それを直す方法も考えて、1時間ちょっとで解決するとか。もちろん、解決できないこともあったりするけど、プロと本気の素人とは紙一重というよりも、本気の素人のほうが上のことも多い。

織機がおかしいで困ったと相談を受けた時には、絶対に自分が解決できる、解決方法はあると、覚悟決めて解決しているから、私もいろんな問題を解決できているだけのこと。私が自分が解決できる方法もあるのに、解決方法を他の人に求めるだけの人が嫌いなのもそのあたり、みんなが自分ができることを精いっぱいやって成り立たせるような世の中になればと思う。
2020年02月14日
夜雨の中車で道を走っていると、若い人が自転車で走ってられる。毎日、自転車で走られているんだろう。私は車で幸せだなあと思う。その分なにか頑張ってやらないと、その自転車で走っている若い人と一緒にものごとやったときに簡単に抜かれてしまうだろう。案外、限られた境遇にあるひとほど、人生観は強いものがあって、満ち足りてさらに贅沢を求めている人は華やかでもその人の力ではないことも多い。自動車を持つは持つで経費が掛かるのでそれなりに別のところで浮いた時間で働いて維持していく費用を捻出は当たり前。

地球温暖化問題でも、CO2が問題であるというならば、みんなが自動車をやめて歩いたり自転車に乗れば解決することもあるだろうが、それほど乗らないなら自動車を使い捨てにせずに長く乗ることも一つの資源の節約だし、中古車を買うなんてのも地球環境保全のためにはよい選択だろう。今あるものを有効活用するというスタイル。もちろん私も自転車に乗ることもあるけども、今は自転車すらも道路整備が追い付いておらず、危険な乗り物になっている。田舎の道路を整備すればよいのかというと走れればよいのである、あんまり、田舎だと歩行者が少ないので自転車にしても、自動車から守ってあげないといけない存在で、悪者のようにルールを厳しくする必要なんてないのである。

ルールを守って、人が死ぬみたいな話は馬鹿げているし、それで人が死んだ責任を感じない人間がルールをつくっていれば、あまりに愚かすぎる。たとえば、これほどまでに感染が恐れられている新型コロナウィルスの問題にしても、WHOや厚生労働省は、感染者以外はマスクするなという。本当の馬鹿が世界の伝染病問題を日本の伝染病問題を扱っているんだなあと思う。目の前で会話しているだけでも空気中に飛沫しているのもしらない、それをそのまま息して吸い込むのとマスクで軽減しながら吸い込むのとでは大きな差があることも、頭では分かっても、ルールができてしまうと、ルールに従えとなる。

モサントのラウンドアップという農薬を飲んで自殺する人がインドで多く出たことなどもあって、2L飲んでも問題ないから大丈夫という科学者がいてその科学者に飲んでくださいとある番組で用意すると、私は馬鹿じゃないと、飲むことはしない。WHOにしても、厚生労働省にしても、馬鹿が感染するだけだと思っているだけのこと。そういう輩は患者の前に立って、マスクせずに会話なんて絶対にしないタイプで、逆に人々が感染すれば感染するほど自分たちの出番だ見たいに金集めしたりもするから、ウィルスが人々の脅威となることが先決だったりするものである。斜めにものごとをみすぎているかというと、そういう人はいるもので、自分自身が前線に立たないで安全なところから指揮しているものにとっては、戦争にしてもないよりあったほうが出番があって虚栄心も満たされる。

都市封鎖みたいなのは人権侵害でむちゃくちゃなことかとも思うけども、自分の国が危険ですみたいなものを世界に見せてしまうマイナスをあえて広がりを抑えるためにやっているので、私は中国の国としての今の対策は評価する。展示会などを中止にするようなことは大きな混乱を招いてしまうことにもなるが、それも辞さず、感染の拡大を抑えるために本気で中止というのもまともな神経しているといえる。企業活動や輸出入すら規制して、損得勘定じゃなく、本気で感染の広がりを抑えようとする姿勢は、こういうケースでは仕方のないことだろうと思う。

日本で起こった東日本大震災と同じような状況が中国を襲っていると考えるべきだろう、人の心を持って対応が必要で、津波が迫っているのにルールを守ってグランド待機で、高台にも逃げず、小学生が死んでしまって責任逃れで済んでしまう馬鹿はルール必要がない。臨機応変にベストを尽くすことが大事で、津波危ない高いところに逃げろが普通で、ルールがそれをさせないなら、ほんとルールの問題である。それでいてまだそのルールを強いるような根性の輩がいたらそれは一番駄目な奴で全責任はそいつにあるということになる。非常時マニュアルとか、人間が非常時に自分の判断で正しい行動ができるようにしとかなければならないんだけど、マニュアルに従わないと何していいのか分からないは一番駄目。非常時にマニュアルなんて形式的なものというのが分からないと。

織機なんか触っていても、織機が正しく動かないときにマニュアル見て治るならよいけども、マニュアル見て治るケースなんてほとんどない。自分で問題を見つけ出して解決することが大事。ルールを守ったから責任はないなんていうのは、判断力のない人間のいうことば、結果が悪ければ、織物なんて一日中織っていても大きな問題が付きまという。言ってもらってないとか、それなら言ってほしいとか。そういう低いレベルの話で、非常時を乗り切れる訳がない。ほんと非常時想定していれば個人情報なんてどうでもよい問題で、縦割りとかだと、個人情報が大事でとか、一方で非常時対策とか、ルールとルールがぶつかるのが普通で、非常電源のバッテリーを買うのに福島の所長が本社に悠長に予算申請していたのが本当に笑える話で、そんなのに日本人の多くの命が掛かってるというのもどうしようもない。緊急時にはルールに縛られずできることはすべてやるというのがベストの対応。

公務員の失態を国が被害者と裁判で争うなんて非常に恥ずかしいことではあるけども、国なんてのはその程度の存在で、人の心がなく、命すらもどうでもよいと考えているフシがある。無能にも、今のような状況で、マスクをするなというようなことは、予防の観点からすると素人でもわかるが、ウィルス感染を拡散するようなアナウンスだったりする。どこまで被害を広げたいんだろうかと思う。ルールに従っているから責任はないという、責任者が自分の責任すらも果たしておらず、まあ、自分のこと以外はどうでもよいんだろう。
2020年02月13日
シャトル織機のシャトルと、今使っているシャトルの管が若干相性が悪い。このシャトルは機料屋さんの在庫のもので残っていたもの。別の管に合わせて使っていた時には一部を削っていたが、削る行為がどうしても管の受け口を弱らせ、受け口当たりが壊れてシャトルの寿命を早くする。みてて、トングと呼ばれるものを若干工夫すればよいんじゃないかと気が付いて、トングに溶接で肉盛りして管を底上げすれば問題なく使えるだろうなあというアイデア。

それに気が付いてからも大事なのはそのアイデアを実現する方法、自分でやろうと思ってもそれほど溶接は得意じゃないし、誰かやってもらえそうな人にやってもらおうと考えると、いつも溶接を頼んでいる農機具屋さんに頼む。アイデアを伝えるとすぐに実現してくれて、それを使ってみると非常に良い感じ。なんでもっと早く思い浮かばなかったのか悔やまれるほど。

昔だったら、もっとこういうアイデアが現実化が速かっただろう。一杯思い浮かぶけども、なかなかその一つでも現実化して、効率化に結び付けたり商品開発に生かすことは難しいものである。今回のアイデアにしても、残った10数個のシャトルを生かすためのアイデアで、金額的にそう大きなものではないけどもそれができるのとできないのとでは大きな違いがあったりする。シャトルが消耗品そのものにどんどんと壊れていくのかそれとも10年ほど使えそうなものになるのかの違い。

私が子供のころだったら鍛冶屋さんなんかがあって手の人がそこら中に溢れていて、頼めばいろんなものが案外リクエスト通りにつくれたものだが、今というのは、案外融通が利かない世の中で、一つのアイデアを実現しようとすると、そのアイデアを実現できそうなところ探し、そして業務的な見積もりとかがあって、1つ数時間ほどでできそうなことでも何万円の見積もりになることも多い。ちょっとのアイデアのほうが高くついてしまう話。上手に解決できる人に頼むのが一番簡単だったりするが、なかなか簡単に請け負ってもらえることも少ない今日。シャトルのトングの件は農機具屋さんが上手に仕上げてくださったけども、そういうちょっとのところうまくやってもらえる相手を見つけるのは難しかったりする。
2020年02月12日
ファッション関係はサステイナブルがテーマなところが多いが、林与のものづくりは基調がサステイナブルなところにあるので、5年後10年後には忘れられてしまうようなブーム的な軽い感覚のサステイナブルには、あまり流されないようにしないとダメだなあと思ったりもする。

結局のところは、自分がどれだけ働いて人々を喜ばせられるかとか支えられるかとかいうあたりになるんじゃないかと思う。私も他の人に仕事してもらうことはあるがそれ以上に難しいことを自分は解決して苦労してゆかないと、人に苦労させて自分が楽してサステイナブルでは駄目だろうと思う。あんまり好きじゃなかった話の一つがある方がエコとかオーガニックの商品企画をしてもらえないかという話の時に、儲かるという前提がその方が基本としてあるんだけど、普通の商品の何倍も値段のする材料や何倍もの時間使って織る織物、それがオーガニックリネンだったりして、そのコスト足しただけでびっくりされる値段になってしまって、アパレルさんなんかがなかなか使うことは難しいだろう生地値。

オーガニックラミーにしても同じ問題を抱えていて、スーパーロイヤルなんかと比べると糸のもろさが極端すぎて、経糸切れを直そうとして飾りの中で糸を分けようとすると問題ない糸が切れてしまうほど強度がない。そんなものが織れるのかというと手間を掛ければ織れないことはないが普通の商売として成り立つような世界ではなかったりする。糸のロットや糊付けの加減で織れるときと織れないときの差が大きすぎて織れないときには、他の仕事ができなくなってしまうほどに苦しむことも多い。

まあ、本当のオーガニックの糸ということで、そういう持ち出しになっても大事に育んでいくというのが大事だと思ってやってるから、続いている。それがサステイナビリティなんだと思う。結局は他のところでの余力を底に回して成り立たせるような形でやってるので、それ自体は成り立たないけども、全体として工夫して成り立たせてゆくような世界。そういうのに賛同してくださる方が多いと、そういう成り立ちにくい世界も存在が可能だったりする。経済的に成り立たせるように持っていくことが当たり前に思われて仕事されている方が多いと思うけど、普通の仕事でもマイナスなこともあったりするのが普通であったりして、他の仕事で穴埋めしたり、長い時間働いたり、思い切って在庫抱えたりするから、できてたりすることも多い。年配のお客さんよりも私より若いお客さんが多くなられて、そういう覚悟を強いるのは酷なんだけど、そういう覚悟でやっていかないと特別な世界みたいなものはつくることは難しい。

児童労働の児童よりも苦労のない日本人が児童労働の児童の立場を考えられるのかというと、自分の目線が勝ってしまって、児童労働している子供たちが仕事を苦にしているかというと日本人の大人が働く程度のことは児童労働の子供でもこなせることがほとんど。その程度の仕事を日本人だと仕事が嫌だとなって、児童労働の子供の仕事なんて私は絶対にできないわ無理、みたいな感覚が多いと思う。それはどちらかというと児童労働させて、自分は口だけで児童にさせている内容もやりたくない大人の世界。教育を受ければ高度なことができるのかというと苦労して働かない搾取側に回ってしまうケースがほとんど。そのあたりがサステイナブルとかエシカルとかエコを考えるときにいつも違和感を感じるところで、人に要求や指図するじゃなく自分が体動かして目の前の作業してエコでサステイナブルでエコな社会を目指すが大事だろうと思う。それをやらない人が概念だけでエコやサステイナブルやエシカルを指揮しようとしても薄っぺらく終わる。エコやサステイナブルやエシカルを現実的に支えようとする作業には普通の人が逃げ出すような要素があるものでそういう作業を支える覚悟がないというだけでは融和すら難しい。全部の社会がサステイナブルに向かうは難しいと思う、利己的なところが一番の人がみんなのことを考えるように変わるとか議論して解決する問題でもないだろう。

そういう対立的なことやっているより、サステイナブルなことを大事に思う人が実際にサステイナブルな取り組みをすることが大事で、普通の仕事にしてもさぼってるのとちゃんとするのでは、同じ仕事していてもサボっている人は仕事を駄目にしてしまうし、正しくする人は仕事を成り立たせる違いがある。正しくものごとをやっていても例えばつくったものが売れないとか受け入れられないことも多いが受け入れられないことが駄目なんじゃなくて工夫が足りないと考えて違うアプローチが必要なこともあるだろう。自分が自分で自立して自給自足的に生きてゆけるようなのが、サステイナブルの基本だろうと思う。児童労働の子供のほうがその基本には近いと思う、そういう子供が成功する社会にしていくべきではないのかとも思う。不幸な境遇にある人ほど成功をしやすいもので、逆に、そういうのを、階級社会や学歴社会が拒む要因にもなりがち。階級社会や学歴社会の目で児童労働を見て取り込むんじゃなくて、階級社会や学歴社会が否定されようとも本質的な部分で評価が必要だろうと思う。
2020年02月11日
林与はこの3月のインターテキスタイル上海には現場が手が足りずに、出展を予定していなかったのだが、コロナウィルスの影響でインターテキスタイル上海自体が延期になったという話。上海すらもが都市封鎖に近いような状況で、市民生活も自粛するような流れの中では、展示会をやっても、人と人の接触で感染の可能性が高く残る。延期は正しい判断だろうと思う。中国便の飛行機などもフライトがキャンセルされたりで、今は優先順位的には、感染のリスクを抑えることが最優先であるべき。

出展を計画されていた企業さんにとっては大変残念なことだろうけども、今はじっと我慢が必要なときだろうと思う。世界的にも一番大きなテキスタイル展が中止となっては、世界の服飾業界に与えるインパクトも大きなものだろう。インターテキスタイル上海にはヨーロッパの有名国際ブランドも多くが買い付けに来られる。

日本ではオリンピックが開催をされるが、国内でのコロナウィルスの蔓延が中国規模に広がった場合には、同じような決断をすることも間違った行為ではないだろう。選手だけでなく、ボランティアも多く参加するが、ボランティアだと感染した後の補償すらも受けられない。本当に対策が必要な話だが、マスクでは感染が防げないみないなことをWHOも言ってしまっているが、感染してもWHOが面倒をみてくれるわけでもなく、マスクすることも予防の一つだと思う。日本のインフルエンザが少ないらしいが暖冬というだけでなく、マスクで予防しているからという話のようで、同じウィルスの問題でも、日本ではマスクで予防の成果が出ているようである。

仕事のことは二の次にしても、この危機を覚悟して乗り越えることが一番大事だろう。本当に多くの企業などが苦戦を強いられることになるだろうけども、優先順位を間違わないことが大事。中国での死亡者数がSARSを上回ったということ。私は感染予防のためには犠牲を伴っても中国の都市封鎖のような本格的な対応も正しい判断と考える。クルーズ船の何千人もがどんどんと感染してゆく自体、空気感染がほぼ証明され、WHOや日本の厚生省のような対応では感染の拡大を防ぐことは難しいだろう。受け入れているホテルなども覚悟を決められての受け入れだろうと思う。安心しろみたいな話ではなく、しっかりと対策をとらないと、日本国内ではクルーズ船の3000人を検査できる体制すらもない状態。対岸の火事ではない状況なのだが、分かってもいないと思える。観光立国とか、政府目標など早く捨てて、検査体制、感染防止対策、感染者受け入れ環境の対策をするべきだといえる。
2020年02月10日
人間というものは、夢はあっても実際にやることがあると逃げてしまう人が多いのが現実で、仕事がなくお金が欲しいと仕事ないかと回ってこられる業者さんもあるが、実際、仕事を作って仕事をお願いすると面倒そうに言われたりも多い。何十年の人ほど小さな仕事を面倒がられて大きくて簡単な仕事を求められることが多いなあと思う。よい時代のあった繊維業界の特徴の一つではないだろうか、そういう人が多いと、それを成り立たせるために他の人が苦労することが多い、たとえば今は亡き先代でも、昔の繊維業界の感覚ではできる人みたいに思われていたけど今の時代だと一番できないタイプで考え方を改めないと一日のアルバイトの人よりも一つの作業も正しくが難しい話。それほどにできるできないの感覚が逆転して、先代はどちらかというとZOZOの前澤さんタイプで、経営感覚にうぬぼれすぎて、落ち始めた時には自惚れだけでどうしようもない、変われないなら変わろうとする者を手伝うくらいのことはしないと、でも、仕事よりも人間のメンツが邪魔して人の言うことなんてきけないものである。偉そうにいうなら自分が極限を経験してみればと思うことは多いが、時間なく寝ないでも手が足りないので、指図出してお酒飲みながらテレビ見ているので糸を割る一番簡単な一つの仕事を頼んでもワシがやるのか?で、家族経営に戻して私しか仕事するものいないのに手伝う気もない自分の親。そんなのが長くやってると商売もコケてどうしようもなくなる、自分の親でも基本から正す必要がある。そういうのに従ってても駄目で自分で仕事の価値観をもって自分の判断でどうするを決めていくが大事。

親であろうが繊維業界にありがちな横柄などうしようもないのも乗り越えて、子供のように思える程度でないと、落ちたものの立て直しというのは無理。そういうのを脱却するには仕事というものの本質を見つめる覚悟から。仕事していても自分がやらないで他の人に仕事の責任を被せて言うだけが自分の仕事みたいな人が多い。7割8割の人がそんな感じで、中も外も、責任を逃れながらどうお金を稼ぐかばかり。他の人に仕事や責任を押し付けてばかりじゃなく、責任被って仕事しましょうよ、みたいなのが私が思うところ、もともと最初に代表の方が、作りたいのでお取引をお願いしたいで頼まれてきたのに、何数年かすると、新任の担当の方が、企画の話で、1M1000円くらいで安い布が欲しい、できないんですかそれなら他で探しますみたいな程度での話で、そのあたりから私もその担当の人と同じような感覚でその会社とは接し始める話も多い。それが本当に残念だけど、そういう感覚の人が多い会社だと、それに付き合えば、しわ寄せばかりがモノづくりしている側に回ってくる。同じ会社さんでも担当が変われば私が受ける印象もことなるし、その会社さんへの対応も同じ担当の方の感覚と程度にしかできないということ。

極限に向かう覚悟はあるんで、極限に向かいたいような人がいてくれたらお客さんでも下請けさんでも一緒に仕事したいねという気持ちはある。自分ができないことができるまで一回一回やってみるとかする時間すらもないのが今の日本のものづくりの現場、学生のアルバイトでも仕事よりも大変な学業しながら、アルバイトは週28時間まで正社員もしたくない末端の仕事で、普通の日本人の大人が週40時間働いたところで優秀な学生のアルバイトを超えることができるのか灯い問題、ましてや、その家族の面倒や自分の老後の面倒まで見ることができるのかとうところ。正社員よりもアルバイトの子のほうが優秀だったりすることが多いのも、コンビニなんかがパートやアルバイトで正しく回っているような現実。

高校生の子がコンビニでアルバイトしていて私からすれば社会経験でそれもよい話。高校卒業して、なぜ正社員になりたいかというと、正月休みが欲しいから見たいな話。正社員というのは本来アルバイト以上に覚悟決めてないとだめだけど、アルバイトに責任追わせて楽に正社員したいものが正社員にあこがれる。自分がそういう立場から抜け出したいだけの子が仕事探してもそういう人はあふれているわけで、できる仕事も気分でできないとかが多いだろう。コンビニのアルバイトを簡単に考えてはならないのはそこで、ファーストフードやコンビニのアルバイト店員は優秀でないと務まらない。正社員は逆に優秀でなくても務まりやすい。なぜアルバイトが必要なのかというと正社員ができないから、そのできない部分をアルバイトがこなす。まあ、階級社会みたいなのは、階級の上のものほど働かんと駄目だと思うけど、逆が多いもので。

世界no1クラスの半導体工場の現場も、社員は休日が多すぎて、アルバイトとか派遣が現場を回す。問題の責任も、スクラップが出てもアルバイトがサインして自分がスクラップ作ったことに処理できる覚悟のある人が必要。改善書くらいへっちゃらに書いて提出できる人でないと、ものづくりの現場は回せない。いつ首になろうが自分がその現場を回しているという覚悟のものがいて成り立つ。社員だと首が飛んじゃうの恐れてできないこともアルバイトが覚悟決めてサインしてたり、人生観の大きさの違いが大事。

一流企業でも、ゴーンみたいな犯罪者レベルが何十億儲けて、実際に働いているものがコスト削減のしわ寄せで、その何十億を捻出。何十億もあればなん十社を救うことができるのに、それでも足りないという感覚でいる食いつぶすだけのゴーン。それが日本でももてはやされるような風潮、日本企業がつぶれてゆくのも当たり前。自分の成果というなら表面に何十億もらっているを出せばよいのに、業績が厳しいからと値下げばかり要求して、裏で金を抜くようなことやっちゃってるからダメなんだよというところ。あんな逃げ方して人間としてもはしたない。それが数年前まで日本の自動車産業のトップの一人だったんだから、上場企業でもどうしようもないメンタリティであふれてる。そんなやつに食いつぶされるならつぶれたほうがまだましだろう。
2020年02月09日
私はタバコは吸わないので逆にかわいそうに思えるくらいに、喫煙化の人はばい菌みたいに扱われる世の中。20年前までは喫煙家が優勢なのを作り上げていたのが行政で、日本の行政すらも世界の流れが見えずに国民を下手な方向に誘導して国際社会の温度差で軌道修正ばかり、何が善なのか悪なのかも自分で判断もできず、自分よりも力のあるものには八方美人で、自分よりも下だと思えば、悪徳奉行やってるから。5分ごとにタバコ吸わないと生きてゆけないみたいなニコチン中毒の人もいる。そういう人を作り上げたのは日本の行政だったりする。酒やたばこが税収になるからって、抑制もせずに奨励してしまう愚かな行政、そして批判が高まると体に悪いからみたいな180度の方向転換。アメリカではたばこ会社が何千億円の損賠賠償判決がでてるけど、日本だったら政府が損害を賠償しないといけない立場。

日本の公務員のトップでも東大とかの頭が良いだけで保身に走ってしまう苦労知らずの方たち、保身の政治家とつるんで、自分たちの保身のためには、法律すらも自分たちの責任逃れで固めてしまう。トップなら自分が一番リスク背負って覚悟して政治や行政に当たれというものであるが、アンケートなんかでも、第三者のリサーチ会社に投げて本当に駄目な連中が多い。アンケートに答える手間すらも考えていない連中が集計された結果だけをみて、満足か。リサーチ会社は依頼主の意向に沿った良い結果だけしか渡さないことも当たり前にある。依頼主もそれに満足しているようじゃあ…。

私は別に干されてもかまわない人間だけど、他の人を全力でつぶしにかかることはしないが、方向性が怪しい場合には2割3割の毒を注して軌道修正が必要ではという警告的なものを発する。大手に対してもそうで、怪しいところは早めに軌道修正がベストだろうと思う。私が一番嫌いなタイプは信念がなく、力になびいて右左のタイプ。個人的には世話になったりもあるけど、自民党で何十年もやってきた人が自民党が劣勢になって鞍替えで推薦受けて出馬。年を取っていても情けなさすぎて、自分可愛さの保身で右左で、その支援者も振り回すのかというのが自分が民意の代表なんだというのも感じていない田舎の風見鶏のおっちゃんレベル。議員って社長以上に覚悟決めていないと、人の面倒なんて見ることもできないよ。

大手繊維企業とのビジネスマッチングで5人くらいの役員クラスがならんでおられ、現場の繊維を知っておられるアドバイザーみたいなおっちゃんが一人。おっちゃんのような風貌の人ほどスーツで身を固めた繊維業界の人よりは知識があって、そのおっちゃんもどうなのかなあと思うのが私だったりする。中国の紡績会社のリネンはすべてフレンチリネンだなんて言われているのは、その大手繊維企業の中だけの話だろう、私はその紡績企業をよく知っているので、その大半が中国の国内需要やインドなど向けが多く、中国国内のフラックスを使っての紡績、イタリアや日本向けの細番手は、フランスベルギー産だけど、その他のケースでは中国原料が主体の紡績企業。これは悪いというわけではなく、ベルギーを代表する4代続くリネン紡績企業も原料は、エジプト中国が主体だったから生き残れたという話。

何か特別な世界があるのではなくて、普通の中に一部特別な世界があるだけで、どこどこの糸だからと信じて、良い品質だと思っていると、中国の糸だったりすることが多いのは現実なのである。イタリアの企業が高品位な糸を引けるのかというとそれは日本の企業が高品位な糸を引けるのかと同じ問題で、イタリア人や日本人の物づくりへのこだわりがどこにあるのかの問題につながってくる。日本でのものづくりはどんどん薄まって、楽して稼ぐスタイルになってわらっていた途上国のだらしない業者スタイルに近い。中国などでつくったものを最高級のもの日本製やイタリア製として売り抜けるのが精いっぱいになっている。

イタリアで一番著名なテキスタイル企業のZ社が中国企業でもありえないほど日本のサンプルを収集しているだけの話。一着20万のスーツなど売ってる会社がそんな下品なことやってたら駄目だよ。海外の展示会であっても、有名なイタリアのZ社のGUYと、見てもらうものはないからさようならとあしらわないとならないレベル。別に買ってもらわなくてもよいけど、礼儀すらなく偉そうにサンプルばかり泥棒してゆくから嫌い。ファッションの世界では一番駄目なイタリアのZ社となる。
2020年02月08日
今日もお客さんから聞いた話で、滋賀県で織物やってられたお婆さんが仕事を辞められたということで、ほんとよくわかる話なのである。何十年やっている人だから最後までできただけ幸せみたいなところで、新しい人がそれを引き継いでできるようなものでもなかろう。シャトルなんかも残っていたというから織機はスクラップになっちゃったんだろう。

織機が残ってもそれの面倒を観てゆくのは、お金を払ってトラブルの面倒をみるような覚悟が必要。若い京都の方が岡山の織機を引き継がれた話を聞いて、大変だろうなあと思ったりもする。次々と不具合が出てきて部品が足りなくなって仕事していても作るのも難しい状況に陥る。織機に対する適切な調整ができないと織機はどんどんと崩れて何十年使えるものが数年でゴミと化してしまう。自分でできる範囲を広げて自己解決が大事だろうと思うのは織物を織るだけでなく、つくったものを売っていくことに関しても。

自分で抱えておられる方なので大変だろうと思うがとにかく自分で行動してみてやってみることが大事で、何十年やってる人が見えないことでも瞬時に分かるなんてこともひたむきにやっていれば見えてくるだろうと思う。私自身織機を作られた方というのを信用していて、織機というものは正しい調整をすれば織れることがほとんど、調整が正しくなく織れないとか問題が多発がほとんどで、織る人が上手だと織機というのはどんどんと問題が無くなっていくし逆に下手だとどんどんと織機が使えなくなってゆく。

普通、悪い仕事ばかりしていると損も出るし、仕事が減って続かなくなるものである。だから、最後まで仕事が続いている機屋さんというのは基本、上手な機屋さんなんだろうなあと思うのである。ものづくりのところで下手で変われないとやめたほうがよいだろう、仕事をすればするほどお金が無くなる。ベーシックな平織の無地のようなものを堅実に織っておられたところが多いのも事実。一見、小ロット多品種のニッチェで生き残れみたいなのはギャンブルで、そういうニッチェな領域は普段の地道な仕事の余力から生まれ成り立つものであるといえる。

林与の長年やってる本麻の手もみなんかもその一つで、非常にお金の掛かるものづくりの典型、一般の卸向けには流せないほどにコストが高くなり、定番であっても1年とか2年に一度の生産で成り立たせているから続いているところがある。そういう生地というのは業者的にはあまり良くない商品なのだけど、作っている林与からすると一押しなのは、日本人が愛してきた麻の手本ともいえる麻らしい風合いや美観がそこにはある。
2020年02月07日
コンビニ業界というのはオーナーというのは、かわいそうにも思えるが、何代もにわたってやってきた、24時間なんて無理な、雑貨やさん、お菓子屋さん、お米屋さん、たばこやさん、お酒やさんをつぶして代わりに商売しているのが今のコンビニオーナーさんたち。大手コンビニの看板外して自分で成り立たせる覚悟くらいがないと、廃業していった昔ながらのお店にも覚悟は及ばないあたりもある。

コンビニの形態は普通に思えるかもしれないが、大店法逃れの法律の例外を活用して伸びた業界。大手資本でも法律逃れこそが、フランチャイズビジネス的な成功モデルとして日本では成功事例のように語られるけど、ただ働き契約みたいなものどころか、立地によっては持ち出しでただ働きで閉店も十分ある内容。それが理不尽なことなのかというと、普通に普通の人が田舎で商売しようとすると同じように持ち出して何年かでやめているケースがほとんど。

コンビニがなぜ自然にお客さんが集まり売れるのかというと、売れ筋のものに絞っていろいろと揃えていて24時間やっているからみたいなところ。お店を朝10時から夜の8時までの10時間営業に比べると、2.4倍営業時間も長く固定費用の回収がより簡単になりやすい。総体としては成り立ちやすい話なのである、が、個々のオーナーはそれを成り立たせる側になるので、マイナス部分を背負うから、それほど厳しい現実はないというのが実際のところ。コンビニ業界がブラックなのは、業績のよいホワイトに見えるコンビニ業界の裏と表なのである。お客さんがコンビニを選ぶのもそのブラックに耐えているからお客さんが便利にそれを使えるということもある。

農家の跡取りさんとかは、普段から地道な作業でお金をつくっておられるので、コンビニのジュースが120円で、スーパーで68円だと、コンビニで買うのが馬鹿らしいという話をされていた。それが商売をしている人間としてはまともな感覚だろうけど、私自身もコンビニで多少高くても買うことが多い。コンビニオーナーはみると幸せそうだろうけども、児童労働を超えたブラックな世界だったりもするもので、それが日本の一般的にホワイトに見える社会なのである。逆に、ホワイトな企業対応だったらお客さんが怒るような対応ばかりになる。実はコンビニオーナーもコンビニ本社のお客さんなのだが、購入ノルマ強いられ強制的に買わされていることも多い。一つの系列の中に、ホワイトとブラックが共存する、多くの人が憧れるのがホワイト側だろうけど、それを支えるブラックがあって優良企業が成り立っているということが多いのが日本的なモデル。繊維業界でも、何兆や何千億を独り占めして、多くが成り立たないがその典型だけど、一般のお客さんが憧れるのはそういうお金儲けが上手な企業や起業家だったりしてそういうブランドにあこがれたり。

地元の繊維業界に詳しくない方がある滋賀県の繊維関係の企業さんがすごいということで、でも私も一度も聞いたことのない会社さん。大手ブランドがそこを国内一貫生産の本物としてもちあげられるも、地元の近い方から聞くと海外からたくさん仕入れておられどこまで本物かは分からないということで、経営者の人間性も怪しいみたいなのが、大手と絡んで百貨店でいち推しな日本のものづくりの本物みたいな話もあったりして、詳しくない人がそういうのにあやかろうとされるばかり。扱う人が、一般の詳しくない騙されてしまいがちな消費者と変わらない。国内一貫生産でやってたら、普通の地元の企業にありがちな苦労話のレベルで儲かることはないのだが、そこには謳いそのものにカラクリがある。素人な大手ブランドや百貨店までも騙せば簡単に儲かる日本の繊維の世界、麻業界でもアイリッシュリネンの世界がそんなものだった、そうなったら業界そのものが終わりだろう。

2020年02月06日
物事の趣旨というものが理解できないのか、柔軟に対応してものごとを進めようとされているのに、その柔軟性をなくして勝手に捻じ曲げて難しくする人がいる。成り立つものも成り立たせるのが難しくなるのだが、そういう人というのは全体をまとめたりするのが上手じゃなく、自分がかぶって物事を進めていくとかができないタイプながら、人にかぶらせようとする。私なんかは責任を被ってものごとを進めていかないといけないことが多いので、だれもやらないときにはあえて自分が受けてでもやるようにしているが、全体を成り立たせるということ考えないのか?

ものごとをガチガチに進めるようなルールでは、ものごとはガチガチに考えて進めないといけないし、物事に柔軟に対応すべき場ではものごとは柔軟に対応をしてゆくべきだろう。成り立たせることが大事で問題が起こった時にも責任を被る覚悟があるものがいればよいが、問題が起こった時に責任を被れるものがなければガチガチにものごとを進めるべきである。ルールばっかりの世界というのは物事の責任を被れるものがいないからで、物事の責任を被れるものがいる世界ではルールは必要がない。

人というのは前向きに自分が進められるタイプの人となかなか自分が割り切れないで動けないタイプの人がいる。本来、大人ならしっかりと意見を持って動かないといけないのだろうけども、意見を持たないで様子見の人も多い。ものごとをするときに自分が主役でないと嫌なタイプの人というのはほかの人の下で働こうとしないし、力に弱いタイプの人というのは自分よりも上だと思う人にはこびて下だと思う人には反動が出て偉そうな態度で仕切ろうとする。人を仕切ろうとする人は多いが、自分を殺して人を助けようとする人は少ないもんである。

人が集まって何かものごとをやるときに温度差がありすぎて一つにまとまることが難しいのを感じる。それは若い人にというより、年配の人にも言えて、年配の人というのは年配の人のいうことしか聞かないタイプの人が多く、若いものを仕切りたがるが、ものごとをやってる人間を仕切る人間なんて必要すらないのである。別に失敗しようがそれは経験の一つで、それを乗り越えないとまずそういう仕切り屋の下で物事をやっているうちは大したことはできない。仕切るなら仕切るで上手に物事が進むように仕切れる人ならよいが、面倒なことばかりを押し付けて自分が楽している仕切り屋も多いから、それは仕切り屋が仕切れるタイプの人かどうかの差である。

物事の趣旨にしても責任かぶってやろうとしている人がいるなら同調してその人の趣旨に合わせて行動することが大事だろうと思うが、後のことも考えられないその場しのぎのタイプのおっさんが仕切ってたらそれは同調しては駄目という話になる。器な人と器でない人の差は同じ物事をやっても、結果は正反対に終わることが多い。
2020年02月05日
外とものごとを前に進めるときにも力のある人と仕事をすると普通できないことを実現してもらえ、それが特別な物事をするときに成り立たせるために必要なすべてだなあと思うことがある。これはきつい表現かもしれないが、取り組む相手が会社を自分が動かしている人と言われて縛られて会社の仕事をしている人では、できることの範囲はまったく異なり、できるできないの判断も同じ会社でも正反対だったりすることが多い。林与に頼まれてこられるお客さんのほとんどが経営者の方が企画のトップの方で、オリジナル生地の制作や新しい生地の制作など、それ自体が特別な依頼なのである。私が思うのはそういうのに応えて仕事をしているのであるから、相手の会社さんも特別な対応が必要であろうかと思うことが多いが事務的に対応されるとかになると、普通の生地をお勧めするべき会社さんなのかと思うことも多い。

普通に思えるかもしれないがオリジナルの生地などを考えられているときに、再現性を確保するためやトラブルを避けるためにはサンプルの段階や生産の段階で糸から抑えないと生産が難しくなることが多く、何百キロの糸を先に買い込んでの対応となることが多い。そういうのが分かってる相手とそういうのが分からない相手では、企画の話しすらもが難しいところがある。それができないとみんなを巻き込んで、糸が手に入らないで終わることが3回に1回くらいは起こる。3回に1回も企画したものが糸が手に入らないからつくれないとなると、仕事そのものが成り立たず、できますよと注文を受けることも難しいのである。

実際、他の会社が企画した糸も支給の仕事の場合には、サンプルなどをつくっても本生産のときに糸が廃盤になってしまったり、糸が手に入らなかったりで、流れたりすることも多いのである。糸からして普通の糸しか使えない話になってくる。糸というのはトンで作ってそれで終わりということが多い。たくさんあるようでも人気があれば人気のある色がまず消えて、人気じゃない色などは大量に残るので、その全体の糸の生産が継続するのは色単位の少量生産でコストも合わずに難しいということで一度の大量の生産のあと廃盤になったりするのである。

そこまで踏み込んで企画をしないといけないので、何十万、何百万円を用意して材料から押さえないと企画が企画として提案できなかったり、立てることもできないのである。自分だけじゃなく、お客さんの考え方も大事で、必要だったら買いますとか売れたら買いますという一般の消費者感覚だと、企画に乗ることも難しい話が多いし、そういう方というのは大きなものを背負ってやっている人に対しても、リスクも背負わずにマイルールばかりを強いてこられるケースが多い。

仕事というのは物の売り買いだけじゃなく、覚悟が同じ人がやっていると成り立って特別な世界も作りやすいが、自分のことばかり考えて覚悟なく都合よいことばかり要求してくる会社さんなどとは特別なモノづくりも難しいという結論になったりする。こられたときに会社の大小関わらず、話して覚悟ある方なのかない方なのか、私と同じタイプなのか逆のタイプなのかが結局、一緒に仕事するときに大事な問題となることがほとんど、方向性が一緒の方なら問題なんかも助け合って解決ができるだろうけど、方向性が違うタイプの方とは、問題そのものよりも、その問題を解決する姿勢の違いから異なってできる提案からも変わってくる。

日本の場合、会社が大きくなるほどに会社の中のルールがごちゃごちゃあったりして柔軟な対応もできず、そういうルールから外れないと特別なものを作ることもできなかったりする。繊維業界じゃない他の日本のトップ企業の方も会社のルールを外れたところでものづくり、オーダーメイドの第一人者の方も会社のルールに従っていると難しいので自分が抱えて生地を仕入れられたりとか、特別なものが出来上がってくるのはそういう特別なことを覚悟してやる人があるから。会社に迷惑かけることもなく、自分が覚悟決めて自分でリスク背負っているようなまさに経営者的な人がいて、特別なものができてくる世界があったりして、そういう人とは特別なもの一緒に動きやすいのである。そういうことやるのって大変だろうなあとはおもうけど、やっていく必要があるだろう。

特別なモノづくりにあこがれておられながらも形にもならないのは、構想だけで自分が覚悟決めて動かないからみたいなところも多い。覚悟決めて動いて失敗なんかをして損もしてお金をつくっていくことの本質みたいなところから、他の人に依存しないで自分で抱えてやっていくみたいなところがないと、自分の思うことを他の人がやってくれて自分が儲かるみたいなことを考えていると、フロックで1回くらいは誰かにやってもらって成り立っても、やってる人を食いつぶして終わりとか最後はいろんな人から煙たがられて相手にもしてもらえないとか。
2020年02月03日
今日、ある社長さんと電話をしていて、私も知っている何店舗も持っておられた会社さんがいくつかのお店を閉じられたというお話。商売がうまく行って店舗が増えていたというよりは、別の部分でお金が回っていてお店を維持しておられたのだろうかとも思えるふしがあった。他の人が地道にやってこられたことなのにそれを自分がやっているかのように語られて、本当に背負ってやっている方がお怒りなのもよくわかる。

一回一回の仕事で苦労されているのはその電話でお話している社長さん。実際、その方は手の世界の方で、いろんなものを自分の手で生み出されている。そういう方のやっておられることを、自分が責任もってやっているみたいな話で自分のものを売る語りにしてしまうのは、駄目なところだろう。私も最近は疎遠になってしまっている会社さんではあるけど、買うから作って作ってで話にのって作ったら買わないパターンとかも多いので個人のお客さんでももうちょっとちゃんとしている。

私生活も素敵を見せておられるが荒れておられるようにしかみえなくて、なんで自分の本業が難しくなっておられるのに贅沢ばかりされているんだろうかというのが目につきすぎて、ものづくりにお金がつかえないのもそこで普通より安いものを最高級のものに化かすしかない商売に傾いてしまわれた感がある。買って、作ってもらって食べて、生きている人が、ものづくりを上手にできるのかというと難しい。ものづくりというのはゼロからでも自分が生んでいく世界だから。自分が一枚の布を縫って、その縫ったものを売って、一般のお客様から1000円頂くことに価値を感じることができなくなると、他の人に地道な仕事させてそういう地道な作業で生まれた1000円を浪費してしまうような経営者になったらあかんと思う。

散財するのをすごいことのように勘違いしてしまうのは、自分が生み出すことができないタイプとか他の人を支えるために自分を犠牲にすることができないタイプの人だから、あるコンバーターの方にもコンバーターを軽く見てますねといわれたことがあるけど、荷物一つも自分が受けずにファックスで出荷くださいの指図ばかりで、自分が原反を触ってすべて見る覚悟もなければ、覚悟を決めた人間からすれば辞めたほうが良いと思うのもそこ。その人の原反を触ることもいやがってが当たり前だと同じ対応なら同じ程度の覚悟のものしかできない、それでよいのかという話。覚悟決めて仕事している人間に、林与さんはコンバーターを軽く見ていますねで何ができるのかを聞くと、プレゼン、納期管理。私からするとサラリーマンじゃないのだから、私の仕事を指揮するなら私以上にしっかりと補える力も必要。

その方を紹介したA社が私に恐縮されて紹介をいただいた経緯があって、紹介いただいた方の困られたときに親身にその方の立場になって助けたこともあるし、私自身は日本の麻業界のために犠牲になってもの覚悟もあって、他の自分とは別の協会や組合の困りごとでもだれも解決できないときには自分の会社のことなど捨ててでも助けてあげる覚悟もあったりして、実際、自分の会社がボロボロになってもそのたのまれた方のこと考えて動いて解決した問題も多い。そこまでやる人間はいないから、だからだれも私には強いこと言えないのである。残念なのは林与さんはコンバーターを軽く見てますよねという言葉、コンバーターの仕事を軽く考えていないから私がお金の面倒は企画の面倒は物流の面倒は誰が見るののという話から。大きな問屋さんでも私から逃げられるのがそこで、実際の仕事の責任から逃げてどうするのという話。裏では実際に正しく仕事をしようとする加工工場の社長とも喧嘩になる話であったりもするレベルの解決になる。その加工工場の社長でも別に自分が死んでもよいくらいで覚悟決めて仕事している私だから許してもらえるけどのことも多いが、自分やお客さんの都合だけで動いて一つの者の面倒を観る覚悟もないレベルだと、何億円もの覚悟もへっちゃらで、本当に覚悟決めてできるかぎり働いて日本の繊維業界を覚悟決めた人間が背負っていく状態にもっていきたいと思う。途上国が覚悟決めて工場や人の面倒まで国規模でみるのに、日本は工場や人の面倒までみているものに偉そうに国民の生活から搾取の議員や公務員が食いつぶしてまさに人権侵害の江戸時代。それで最近も従業員の面倒をしっかりとみなさいみたいな公務員的な態度をしめされた会社に苦言。

その会社さんは倉庫での荷受けもできたら送ってくださいとか本当に思いやりのある企業だから、逆にそういう国や大企業程度の体裁になびいたようなことをやられるのに苦言を呈するのもそこ。もっとしっかりと人のことを考えてゆかないとこの先の日本のモノづくりは難しい。自分なんてどうでもよい人が日本を支えてきたのに、自分の保身ばかり、贅沢したいばかりの人が、お前が悪いみたいに働きも責任も負わずに、働いて責任追っているものを叩くようなことが多すぎるのが今の日本の流れ、なにがブラックだという話、働かない人間が責任追わせて、日本で一番給料の優良企業とみなされる高い財閥系が、弊社にファクス送ってくる文面が、自分が納品後締め過ぎの6か月後の決済でしかもCSRとして、林与がちゃんと社会的責任を果たせていますかの文書に同意しろと。私のお客さんからちゃんとお金貰えなければこっちがお金ももらえない話すらも含まれて。児童労働の働かない親そのものが日本のホワイトな世界で、そこから正して行かないと。

林与は私自身が覚悟決めて普通の職人の10倍ほどの仕事はこなしているから成り立つけども、普通の田舎の地場産業を支えるおっちゃんおばちゃんレベルだとまったく無理な世界。今は若い人が携わろうとしても地場産業も、他でアルバイトして趣味的に支えるのが精いっぱいなのも、ホワイトな社会がそういう風に見下すところで成り立っているから、私は仕事なんて等価交換くらいにしか思わない覚悟でお客さんが成り立つことも考えてやっているし、仕事のお客さんが自分の本当の責任をもって仕事する部分やらないで、日本の諸悪の根源が現場にあるみたいな指摘は解せないことそのもの。テレビニュースになるようなことは、繊維業界にありがちなホワイトに見せたい人が多い、裏側のブラックなのである。ホワイト感覚がブラックというのが日本の繊維業界の実態で、贅沢三昧の人が多いのも事実。

なんで繊維業界がこれほどに苦戦なのに、日本一の金持ちが繊維業界の大手SPAの代表だったりとか、何千億稼いだ繊維販売の社長が引退とか、昔だったらありえない世界が、日本の繊維業界を食いつぶしていたりもする話。何兆とか何千億あれば、何千社、何万社の地道な繊維の仕事を救えるのだけど、道具にしか思っていないところが今の勝ち組の日本の繊維業界のブラックそのもの。その感覚で仕事するお取引さまには私が警笛流すのもそこで、海外の児童労働と同じで自分の世間体やルールばかりで自分が利益を上げるのにそれを成り立たせる覚悟もなく、自分はホワイトでもブラックを作り上げてしまっている元凶じゃないですかと、本当に体制もあってまったく親身な会社に対してでもそういうホワイト気取りな文章を見せられるだけで警笛を鳴らす。

日本の行政のように自分は違法行為が当たり前でも罰されることもない、これは中世の奴隷制度や魔女狩り的な制度、魔女狩りの有名なボストンでも魔女がなんの仕事やってたかというと織物の地道な社会貢献的な仕事、差別の目でまともな人をどこまでも追いやるのが魔女狩りで、今の日本のホワイトな社会に共通するところで、国会議員が本当の不透明なことばかりで実際に犯罪で牢屋に入るひとばかりだけど罰せられないだけの世界をつくりあげては、将来の子供たちが希望するのもなりたい仕事が公務員とか、昔の奴隷制度を形を変えただけの再来そのもの。昔も奴隷制度が法律だったけど、法律が奴隷制度に近寄っているのが不気味。働かないことがホワイトなんて、その働かない人を支えてゆくのは、法律の外ですべての責任を負わさR田、24時間働かないといけない、コンビニ店主だったり。苦労知らない国会議員とか裁判官とかホワイト作って、同時に本当のブラックな奴隷制度をつくて責任逃れな世界。

私みたいなまともな国民の一人が問い詰めると首相や国会議員でも逃げるのが日本の現実。議員さんで私くらいに覚悟決めて日本を支えてゆくならよいけど、日本から搾取して偉そうなことばかりでだと、一番身近で気の毒だけどいいにくい町会議員であろうが、町長であろうが、県知事であろうが、国会議員であろうが、総理であろうが、本当に自分はどうでもよいくらいの社会貢献の意覚悟決めなさいよの話。自分自身を捨てる覚悟もなく保身だとどうしてもとるばかりのきれいごとでホワイトなことも法律作って瀬金逃ればかりのホワイトで、地球温暖化問題でDきないといったトランプのほうがまともだったりもするから、トランプのような糞でも正直者で八兆美人で責任逃れの日本の総理や大臣クラスでも一般の人にも劣るのがそのあたり。力になびくだけの日本の総理ではこまる死んでもよい覚悟で、大臣辞職とかどうてもよいことで性人被ったは駄目、せめてそういう連中が国政から去る、すなわち国会議員を辞職が当たり前でないと日本のまともすらもがつぶされて沖縄の玉砕で、一般国民が命捧げても指揮するものが命惜しさに、一般国民の命を犠牲にさせるような。本当の奴隷社会。

日本で一番大きいオーガニックコットンの世界が成り立つのも、謳われている意気込み買って一般消費者が覚悟決めて買ってるのに、その協会の理事長が、私がオーガニックコットンの認証でも合成繊維がオーガニックコットンして認証されてしまっている現実を電話で話しているときに指摘しても、それは企業がやっているだけで私の責任ではないと逃げられるのが、一企業の責任感もない人間がオーガニックコットンの権威として10年以上にわたって日本の半分以上が偽装なオーガニックコットンの世界を成り立たせてこられたのが分かる。だまされた消費者の気分分かるのかの世界、そこには認定だけの責任逃れの高飛車なものと、実際の現場の正直なものととの本当の苦悩の世界。謳いが綺麗な世界ほど偽装で消費者騙して成り立っているというのも本当のところで、私自身の覚悟についていける理事長なら認めるがオーガニックに関しても協会レベルでも責任逃れの理事長が多い。理事長がどうしようもないので副理事長をやっておられた方にその理事長の対応をいうと、あきれられた始末だけど、その副理事長のたいおうすらも、その福利地上の会社に6か月前に消費者をうらぎてるだけなないのかといって、やっと6か月後に日本最大のオーガニックコットンの世界のだらしない問題を、オーガニックコットンの世界でもない私が解決する社会。営利目的ならオーガニックややめたほうが良いと思うのもMその世界で、世界一厳しいのGOTS認証に警笛をならすのが林与だったりもする。GOTSの日本の認定委員がドイツのVWじゃないけど、どうでもよい世界で、なまった英語を聞いているの眠くなるんですよとか、偽装は認定しているものでなくて企業が勝手にやってることですから私は関係ないですの認定の世界が日本の最大の10年大量に流れてしまったオーガニックコットンの世界。こういう権威気取りの輩を早く干さないと日本の消費者あ普通のを一番特別なものをして高いお金はらって本来その輩や組織が一番駄目だと敵対している遺伝子組み換えの偽物つかまされるレベル。私が世界で一番厳しいみたいのが日本の農業行政レベルのオーガニックだと素人だましの一般的にいわれる化学肥料があたりまえで宇田地だけで量産して金儲けの世界。オーガニックがそこまで落ちたらほんと消費者を裏切るだけで利益を上げて普通の化学肥料の程度仕切って特別な世界い偽装してはダメだよ。私が話して一言の答えで偽物か本物かが分かる世界がそこにあったりして、世界や日本オーガニックを仕切っておられる人でも一般の消費者レベルの覚悟もない人が多かったりして偽装をどこまで法律や基準でごまかすかで必死で情けないレベル。日本のオーガニックコットンを10年以上仕切ってこられたMさんでもサラリーマンレベルの責任逃れ、信じて買った消費者は騙されただけでよいのかというはなしで、本気にものづくる考えている人間からしたら敵対するほどの人間。日本のGOTSのお若いU代表が真摯な態度で私に接してくださるあたりが消費者騙で終わらせるのか本当に消費者に自分が責任もってオーガニックを謳えるのかのせめても救いレベル。消費者騙してなら日本最大のオーガニックコットンの理事長でも、GOTSの認定委員でも一番の糞だと叩くのが林与。似ててもらっては困るのだけど、私は消費者を騙したくない人間で消費者騙しを一番に嫌う。実際のオーガニックの技術はKさんだけど、電話くださいも電話すらもしない、オーガニックで食っていくだけのしばまたの寅さんジジイでサラリーマン生活がながすぎて、サラリーマン根性で消費者騙してよいのかとも思う。日本のオーガニックコットンの最大の世界。

私自身がオーガニックリネンがオーガニックリネンの糸を消費者として苦労して織っているのも知らないで、オーガニック謳いたいなら薄っぺらい自分の言うこと聞いてみたいな覚悟もないクズが日本最大のオーガニックコットンも理事長、ほんとうに気の毒だったのは同じいべんとでそれを信じて看板掲げてやっておられた方が私の本当の話聞いて次の日には自慢だったGOTSのオーガニックの認証の機を私のこと信じて下げてしまわれた話。それを見るのの渡司指針の苦痛で、やってるものが本気にならないとオーガニックの世界なんて待織れないのだが、責任感もなく食いつぶしてなんぼのやからが日本のオーガニックの権威の席では働かない児童労働の親と同じレベルオーガニックコットンが普通のコットンと品質が同じとかいわれるレベルでオーガニックを扱うのが理事長でもオーガニックコットンを知らない素人の世界で、コンベンショナルとか、GMOコットンが混じっているどころか合成繊維がオーガニックコットンで売られているのも、それは業者の責任で自分の責任じゃないで、認証をされているようなレベル。その程度の協会だと林与から逃げないと偽装を叩かれ、オーガニックな協会自体の消費者騙しな偽装問題につながる。アイリッシュリネンもそうだけど、本気で信じて高いお金払った人が騙されたよくある素人だましの繊維の世界。
2020年02月01日
明治時代に、農村としてはそれなりに恵まれた土地だったけども、現金収入のない村人たちに現金収入をもたらしたのは織物業。與次右衛門爺さんは、若いころから親父が酒飲みで苦労をしていた。今もその時の酒代のために親である勘平爺さんが林与の家の土地を担保に裏の小さな家の人にお金を借りた借用書が残っていたりするほど。まさに毒親をもった與次右衛門爺さんだが、農家ができることといえば、農家の家の仕事としてやっていた機織りを本格的な商売とすること。

明治のころの見本帳というのはシンプルなものが多く、柄も素朴で、初歩的なもの。それを発展させたのが、その息子の与一爺さんで、絵絣を巧みに発展させ、絣業者としては産地で一番くらいの規模で近江本麻絣上布で名を轟かせた。豊国村が豊かな村であったのも織物があったから。本格的にやっている出機さんは、当時の大学の初任給以上のものを工賃としてもらうことができた。学歴よりも実力があればの世界である。

今の時代に当時のようなものを作ることができるのかというとそれは難しい話で、人としての生き方が厳しかった時代だからこそできたものづくり、今のような生活スタイルではそういうものをつくることは難しいと思う。近江上布の1反を織るのに一か月とか言われるが、当時の人は、一晩で一反を織りあげた世界である。それほど仕事があれば幸せだった時代。今は、仕事が苦痛でしかないほど豊かな暮らし。仕事があってもなかなか仕事ができる人がいないというのも織物業界では多く聞く話だが、織物の差は人の差とか、織物の違いは、人の人生観の違いみたいなところ。同じものでも作る人によって、上等品にもなれば、材料費にもならないマイナスのものにもなる。

同じ時間仕事しても、プラスとマイナスの世界が、今の織物の世界にもあって売れるものができてようやく成り立つ世界で、だらしなく売れないものつくってしまえばその分マイナス。最初からできる人は最初からできるし、最初から駄目な人は最後まで駄目みたいなところがあるのが織物の世界。仕事というのはやっているから上達するとかではなく、慣れてしまった後は緊張感がなくなり逆にだらしなくなったり落ちていく人のほうが多い。織物の世界でも20代が一番真面目に仕事できて、30代になるとだらしなさが出て、40歳すぎるとなかなか仕事が難しくなり、50代だと20代の半分くらい、60代になると3分の1くらいしか仕事ができなくなるものである。

もちろん、例外的な人もいて、それなりに緊張感をもって仕事している人というのは時間と関係なく仕事を仕事として正しくでき答えを出せるタイプの人で、時間で働いている人を支えていけるような人だったりする。1個いくらの世界を正しく成り立たせることができるほどの力がある人。けど、今、そういう人ってどれほどいるんだろうかと思う。私自身でも精いっぱいやってても成り立たせるのは難しいなあと思うことも多く、週40時間程度の仕事で食べていくレベルなんて逆に多く人を抱えれば余計に難しい話なのである。これは自分の会社というだけでなく、繊維業界全体として人を多く抱えすぎで指図する人は多くても実際に仕事をできる人は限られている問題があって、作業している人の手で生まれてくるものにすべての人の生活が懸かってしまうだけでなくその家族の生活までもが掛かってくる。

あるお店でたくさん店員さんがいるが、その店員さんの一人がお店に置く商品を縫製できる場所教えてくださいと私に聞くが、私の答えは、家に帰って1日10枚でも自分で縫ったら簡単にできるよ、という答え。私もミシンはほとんど触らないけど、米原のイベントでの60cm角のキッチンクロスでも、1時間に裁断から初めて縫製まで5枚くらいは縫う。布が豊富にあふれているお店で、店員である自分がそういうのやると、売るものにも自信も出てくるし愛着も湧いてくる。繊維の世界が好きな人だとそういうの普通なのだがそれができないとなると向いているのか向いていないのかの存在。そして向いている人だけがやはり残れる世界なのである。店員さんなんてお客さんがいない時間ができればミシンで縫えばよいだけのことで、それでこそお店の専門的な価値も上がるというものだろう。

これと同じことが学生レベルのものづくりの話。学生さんとお話しするときに将来の夢みたいなものを聞くとこんなことをしたいというイメージがあるし、なんでもやりますみたいな話になるけど、実際に、その一つ一つのことを目の前にすると、私がやるの?みたいなタイプの人が多い。やってないからなんでもできるとかやりますがいえるけども、やってみるとなにもやらないタイプ。大人になったときに自分が解決できることは自分の力で解決してゆかないと他に解決を求めていても結局は難しく成り立たない話も多い。他に縫製を出すとすれば縫製工場で働く一人の作業工賃や、縫製工場の間接費用、運送費、梱包時間、伝票関係のことすべて時間的なコストとして商品の値段として跳ね返る。それを自分が作業して捻出してゆくか。自分がすると面倒な感覚で他の人に頼んでいるとどうしてもコストが合わない問題が生じてくる。

働き始めた若い時からすでに自分が解決するというのができないままのスタイルが身について、人に解決してもらうので食べていくスタイル。繊維業界には本当にそういう人は多いもので、実際にものを作る部分をこなせる人の比率は非常に低いのが日本の繊維業界の特徴の一つ、そういうところから解決してゆかないと難しい問題である。ある方の紹介があって教えてあげてほしいという話、私自身は自分もその分野はほとんど仕事やったことがないけど1回でも本気でやろうとしたからそのものづくりのあらすじくらいは説明できるが、自分が仕事としてするのに教えてもらえるのが当たり前で聞くばかりの人、この人では仕事は無理で触らないほうが無難だと思う。ダメ元での試作一つに自分の一か月の給料くらい捨てられるのかという問題。知識から足りず、本人が経験積むために費用が掛かる話、それで食べていこうと仕事して、その人がその人自身の20万、30万ほどの儲け考えて、100万、200万の仕事しようとすると、本生産の作り直しなどになると300万、400万以上に失う可能性のほうが高いだろう。作り直しても売れない販売断念のケースもある。一つの仕事に対してだけじゃなく総じてそういうスタンスでの仕事なんだろうと思う。本当にやりたい人というのは直線的にものごとを進めることができるが、見て回るだけで自分自身の行動を伴わない人も多い。売れる顔にするにはそれなりにやり直しなんかも必要で一発勝負でできる人とできない人とではプロとして残っていけるか残っていけないかくらいの差がある。費用が2倍掛かることをやっても商売として成り立たせるは難しいから、結局、一回勝負でやれる人がコスト面でも生き残れる話。繊維業界全体が人は多いが生き残りにくい体質になってしまってる。

繊維業界というのはかつてないほどに本格的な繊維不況の到来、特にアパレル業界は不況そのもので年10%規模で縮小しているところも多い。アパレル売り場の大きい百貨店などは店舗閉鎖も多い。アパレルさんとのお付き合いも断っているわけではないけども比率を減らして、林与に合った会社さんとの取り組みに変えてきたこともあり、仕事は手も足りず忙しくで暇ないことがありがたい。昔の良い時代の仕事のレベルだと今の時代にはまったく通用しないというのを割り切ってるから、分からないできないで終わらないで売れるとこまで、通用するところまでやれば成り立つという世界。まだ、やりたいことも山積みだがとりあえずは外のお客様の仕事を優先して自分のやりたいことは後回し。いろんな意味で余力ができたときに自分のやりたいことをやってみる程度が一番よいのではないだろうと思う。

ひと世代前の人が使ってきた織機をみると、なぜ織るのに苦労されていたかがよくわかる。ここをこうすれば簡単に問題がなくなるのにとか、なんでどの台も大事なものを外したり壊してしまっているんだろうとか、問題が起こるのも当たり前も見えてくる。今の時代の糸は本当に織れない糸であることも多いのでそういう糸を織ることで一から織機を調整しなおすことで見えてくることも多いのである。まったく織れないが、織れるようになる瞬間というのがあって、それは意図的に生み出さないと訪れない瞬間であったりする。また、傷になった反物を自分で縫って直すとか経験をしないとなかなか織るはできても正しく織るには到達しないことも多い。今は、もうそれで食べて行ける時代ではなくなってしまった。

織物の真ん中にループができる問題なんかも、カラミのところまで糸が届いていないだけという話で、レピアオープナーの位置を右にずらすだけで解決する問題なのだが、何十年織機を調節してきた人でも原因が分からず、説明もしてレピアオープナーを右にずらすだけのことで、位置を動かしてくださいというけど、どうするの?という質問、何十年もレピアオープナーを触ってきた人でも初心者と変わらないほどの呆けたような話のことも多い。理解はしにくい問題だけども、そういうのは基本の基本の話。それがわからないと問題のないところを触って織機のバランスを崩してもうこれ以上は調節できないからこの織物はループが出るで終わり。

別の出機さんの工場に行って、織の経験もない私が、その問題を仕事始めて半年くらいの時に織機もほとんど触ったこともないのにそのとき織機の動きをはじめて見てループの原因を説明もするが、経験者程メンツが立ってしまって初心者にいうことなど聞きもしない。機械屋さんがくると私のいうのと同じ結論で、耳のカラミソウコウがなぜ絡む必要があるのかという基本的な問題に過ぎない。経験者の問題を抱えながら次の世代というのは、気を使って手加減しながら仕事と接していかないとならないのが疲れる業界ではある。田舎独特の年功序列的な偉そうなひとが多く、気の抜けたようなところがあって、普通新しい人がやっていけるような業界ではない。織機の問題を抱えていても解決してもその原因を聞いても隠そうとするのも、力のない人にありがちなパターンで、原因をはぐらかす。教えることで自分の仕事がなくなるという心理が働くんだろう繊維業界にはそういう人というのは多い。

大したこともない経験だったりする。同じことを日本で最大規模の大手の商社のイタリアの社長をされた方がいってられたが保身のサラリーマンそのもの。部下には仕事をおしえないと、その理由は仕事を取られるから。大手企業の役員クラスがもうサラリーマンだったりで、肩書だけで生きているみたいなところ。繊維業界のアドバイザーとして動かれていたがまあ肩書だけの人で仕事ができないタイプの一人。本当に仕事を自分でやってきた人というのは、武藤さんという方、自分でヨーロッパの市場を開拓されて自分の人脈を日本の繊維業界のために惜しみなく放出。あの方に及ぶ方はおられないと思う。企業自体は業績は別として評判がよくないところがあり損や迷惑を仕入れ先に被せる形が多く、武藤さんに続くみたいな人がその企業にも増えてほしいと思う。勝ち馬に乗りがちな、ある繊維の業界紙が持ち上げて、日本の地道な繊維業界を逆につぶしてしまうのは駄目だろう。まあ、林与自身、そんな業界紙とは縁を切ったような形でその業界紙を支えるのも難しいレベル。広告出したら記事にしますよみたいな、ゼニゲバな業界紙で、戦争でもうけるゼニゲバな武器産業みたいな商売スタイル。

その新聞社の記者の人にも、その新聞社の商売スタイル改めないとダメですよと、繊維のゼニゲバニュース発信を叩く側。そういうのがまともな繊維業界をつぶす活力になってしまう。広告目的で金取るための取材なら日本の繊維業界を正すためにも来てほしくもない。対照的なのが業界で定評のある業界紙。広告すら一度も出したこともないけど、林与の本気なスタイルを大事に思ってくださって、本当に小さな林与を心意気買って大きな記事にしようと持ち上げてくださり。繊維業界のまともじゃないのと、まともな部分感じるのもそのあたり。そういう業界紙は記事の信ぴょう性で成り立つ。繊維の業界紙でも両極に分かれるのもその辺り。マイナスな業界紙に広告出している繊維企業さんに警笛を鳴らすべきなのかとも思える。その業界紙もkさんという真摯な記者の方がおられて、その方の記事にしたいという意気込み買ったのが間違いだったのかと思うほどゼニゲバなメディアなのを知って、林与が取材してもらうことすらに今は難色を示す。繊維業界を食いつぶすメディアとして業界内に警告を鳴らすことも必要だろう。広告出しておられる企業さんが逆に哀れで気の毒なんだわ。広告出したら記事にしますがという話ばかりのゼニゲバな記者の業界紙。取材に時間使うすらももったいない話。その繊維の業界紙の記者の目にはドルマークが書いてあるのかと思えるほど。そういうゼニゲバで取材してたら、地道なところからは相手にもされなくなりますよという記者にも忠告。
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