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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年10月13日
川というのは低いところを流れているというのは逆であることが多い。川が高いところを流れている場合が多いのである。それは古代から治水工事をやってきた結果、人が済んでいて農業がおこなわれてきた地域の川というのは、天井川となっている。人が住んでいる平地というのは、治水し人工で作り上げなければ、川というものは常に低いところを流れ安定せず、沼地を伴って存在するのである。山があり、ほとんど平地がなく湖が広がるとかが普通で、台風なんかが来て雨が降れば自然と平地というものは川の一部として機能するのが自然の姿。古代の統治者たちが山の上に住んでいたのも、日本の自然からすれば災害が一番少ない場所だったからというあたりであろう。

滋賀県は琵琶湖を持つが、本来は自然の中で平地という概念は持たないほうがよいくらい、山か琵琶湖かだけの世界が自然の滋賀県。江州とよばれるのも、琵琶湖に切り立った山があるのが江州の風景なのである。人の力というものは自然の風景を完全に変えてしまうほどに大きく、だが自然の力がそれをリセットしてしまうほどの力を持っていることは自然なのである。今回の台風19号では決壊せずに済んだ川もあったが、決壊寸前だったというだけでかなり弱ってしまっているだろうなあと思う。台風の進路としては珍しく関東を襲ったが、気候の変動でこれからの台風は関東を襲うものが増えてくる可能性は高い。家が浸かってしまうとか人生ではありえないほどの被害を被られる被災者の方々。自力で立ち上がるのは難しいほどの話だろうと思う。

これから電気自動車の時代に移るが、電気自動車はバッテリーが水没すると爆発するというのが当たり前。そういうデメリットはニュースにはされないのが行政も含んだ産業振興の構造。2年前の神戸での自動車火災もあり得ないほどにひどいものだったが、ニュースでその原因なども伝えられないまま終わるのが危ない話だと思う。電気自動車にも通常のエンジン自動車にはない大きな危険性があることを消費者が知っておくことは人命を守るうえでも大事なこと。電気自動車は水没するだけで爆発し火災につながる危険性が高いのである。必要なものかもしれないが、そういう危険性は隠匿され推進されるべきではない。
2019年10月12日
マイクロビーズ問題を考えるときに、自然に帰るプラスチックというのは、衣類に関してはやはりあんまりよろしくないものなんだなあと思える。プラスチックはプラスチックとしてしっかり長持ちしないと、洗濯するたびにマイクロファイバーが流れ出し、水生生物の体内に蓄積されてゆく。そしてそれが食べ物として人間の体内にも蓄積されることになる。環境破壊問題を論じるこういうロジックが私は好きじゃない。人間に被害がくるから環境を守れというのと、人間のための環境破壊というのは表裏一体の同質の考え方だと思うから。人間の都合を優先する考え方こそが自然破壊の元凶だろうと思えるのである。

環境問題を考える国が戦争大国だったりもして、環境が環境として論じられるのではなく政治問題として論じられ始めるとややこしいのが原発とか、世界的にも環境問題の観点から考えると一番やばい原発が地球環境を守ると世界的に推進されたこの20年ほど。日本の原発も人の力の足りなさがあってメルトダウンしてもチェルノブイリ化しなかっただけ、人の考えることは放射能の海への流出を止めてチェルノブイリ化の方向。そして、こんどは、トラック輸送でそれを日本中にばらまくような計画とか。できないことをその場しのぎの金儲けばかりに利用してしまうのが日本で、そういう連中も原発利権問題の一つ。

日本がみえていないのは、福島のような問題があったのに、その後も国を挙げての原発ビジネスを世界に展開しようともくろんでいたこと。東芝がつぶれたのはそういう国との癒着部分で成り立っていた部分が大きかったから、天下りの受け皿の一つが消えたことは良い側面である。日本は原発のメルトダウンでも露骨に国民に隠す体質でチェルノブイリ以下、地下水から放射能が漏れだすような人の能力の問題がなければ石棺化が必要になったのである。6か月後にレーダーが311のあとすぐに放射能漏れを感知していたという公表。日本の政治家や原発行政、電力会社にとっては、人の命の安さというのはどうしようもないレベル。原発の安全を守る保安院が水蒸気爆発と隠匿発表。メルトダウンしているのに、原発内に知らされずに残された現場担当者。福島の所長は、原発事故とは関係ないということだが他から見れば被曝が原因とみられる1年での死に方、癌での死に方が速すぎたから原発事故とは関係ないという。なにも思い当たるフシのない癌での急死とは、塗り固められた綺麗な原発だが、海外は途上国ですらも日本の原発はダタ同然でも要らない判断。
2019年10月09日
自分で作業をしているとうまく行かないことが多い、ほかの人に頼むということも普通は99%の人がやってしまうこと。自分でできることであっても99%の人がほかの人に頼むのが今のものづくり。ある生地のお店の女の子がどこか縫製できるとこないですかとかの話、みんな学生の時にはミシンも使ってた人たちなのに大人になると他人事。自分が縫製すれば済むだけだけど、自分で手掛けて売る大事さとかも積み重ねないとと思う。

私が思うのは自分ができて自分がもっと高度なことをするならありだろうけども、できないのに頼むのは単なるお客さんでしかないなあと思う。若いころ年配の人が簡単なことも面倒そうにいうのが多くて、頼むのが本当に面倒で自分でやったほうが簡単だけども、仕事なのに面倒だとかほかの人にやってとか、そういう人というのは結局は養われる側で、簡単なことも最後は嫌がってやらない。

昔、親戚のおじさんでも仕事に来ても半分以上の時間外でタバコを吸っていて、私がまともに仕事したいと思いながらやることだらけでどったんはったんしていながら、タバコを吸っているので織れた布をたたむ仕事を頼んでも、わしがやるのかと、先代と同じレベルの仕事の感覚で、仕事を何十年やってても仕事の基本も理解できない話。年取って一番できなくなってそれでいて他の人に仕事の面倒をみてもらってがみえてずに勘違いな態度。田舎の爺さん婆さんの世界で、そういうどうしようもない世界は解決は難しく、なくなったほうが良いのである。

日本のものづくりというのは途上国以上にヤバいと思うのはそこで、田舎的なものづくりというのは腐ってしまっていることも多く、やらないだらしない。経験者が失敗ばかりでそういう経験が何十年というだけでいつか成り立たなくなる。私が年配の人間に厳しいのはそこで、この仕事に入ってまともだなあと思うのは少なく、他の人を喰うだけの人が多すぎて、日本の繊維産業の縮図そのものなのである。

繊維をプロモートしようとするひとでも、実際には繊維業界におんぶにだっこされて、養われている側が多い。出荷の梱包ひとつでも上手にできなくてもよいけども、やろうともしない人が、繊維業界を仕切ろうとしてはだめで、FAXひとつや、指図一つで仕事ができているかのように思っているのをみて本当に大きな子供だなあと思う。

大手のSPAが元気にものづくりできるのも、実際は素人だからというところ。ほとんど良い状態のものに文句をいってやり直させるだけのことが素人のものづくり、そんな人たちが軽くしか関わっていないからまともなものができているだけのこと。実際は、それで生きてる本当の人がつくったほうが売れたりする。変な形のパンツが格安に流れてしまうのもそこ。安いからうれるだけでそんな変なコーディネイターがいないほうが高く売れる。メーカーはまともなもの持っていって、デザイナーがそれに味付けで安物になってしまうんじゃあないかと思うことも多い。

日本の大手の電機メーカーも近いモノづくり、企画する人がお客さんのように仕様だけを出して、それを形にするのは別の人というのはありかもしれないけども、部品の一つ一つはそれなりでもそれを統合すると問題がみえてくるものである。そしてその問題解決もその部品の担当にダメ出しや変更、改良を強いるとか。そうじゃなくって仕様通りにつくって後で問題が出てきてきたときには企画の問題なのであって解決する力が必要だけど、いろんな要素をくみ上げた時の問題が想定できる人でないとパンクしちゃうだろう。でも、企画するっていうのはそのくらいの覚悟がないとと思う。
2019年10月06日
今日は、自治会の運動会、自治会といっても200軒ちょっとの集落で、参加人数は400人程度だろうか。隣のおっちゃんが気配りタイプなので、7時集合の話で6時40分出発が、なぜか6時半くらいに先に運動場に行かれたような話。気が焦ってしまうんだろうなあと思う。

私の場合には、行って実際に物事をするのかどうかの部分が大事だと思っているので、運動会にしても普通の日常と比べるとリクレーションそれほど大した1日でもないが、行事になると田舎の人は張り詰めすぎていて、来年、再来年は体育委員も当たるけども、6人もいればほとんど準備なくてもできるだろうし、準備の時間もあるのだから。

昔はこういう行事になると仕切りたい屋がいて、指図したがりタイプもいたけども、今は集落も落ち着いて、ごちゃごちゃいうものもいないので、変に気を遣わずに行事が進む。まあ、林与の先代辺りも集落で一番の酒びたりみたいなタイプだったので、そういう一人が居なくなると全体も健全化の流れに変わる。運動会といえば朝からおっさんらがビールばかり飲んで口うるさい説教とか聞かされたりと若い者にとっては嫌な気分の田舎行事という要素が今はない。ビールも昼に缶ビールひと缶程度、この10年ほどでだいぶ雰囲気も変わったように思う。
2019年10月05日
農業や織物というのは慣れの世界だろうと思う。それほど大したことをやっている訳ではないけども、正確さが要求される力の入れ方一つにしても慣れている人というのはほんのわずかな力で済むし、慣れでほとんどの作業を考えもせずにやっているだけの部分がある。完璧にこなすことが大事で、完璧に100点でできずにやり直しとかだと、最初からやり直すとか、ほかの人がより難しいやり直し作業や片付け作業をこなす人が必要なことになる。

経営なんかもその感覚でやっていると、経験が長くなればなるほど力を抜いて経営することになって、うまくできているようにおもうけども、実際は軌道修正も難しくなって成り立たなくなった時には、経験は長いのに、ゼロからスタートみたいなことも難しい体質になってしまっている。

日本の繊維業界も中国などの織物を品質が低いと笑っていたことが多かったけど、日本が自分でものづくりしなくなって中国のお客さんとなってからは、新しいものも中国から出てくるし、日本の一流メーカーの工業製品が中国製が大半になってしまった。日本の一流メーカーもなくなっても実質はもう中国メーカーだったというあたり。最終製品自体は組み立て作業で、ようは、そのパーツの部分をどれだけ作れているかというところが大事なあたり。

最終製品を自分の名前でつくるばかりにあこがれてややこしい部分をほかの人に頼んでいるといつのまにか、その人はいなくてもほかの誰でもよい話で、メインはややこしい部分をやっている人なのである。タイタニック号も、石炭を24時間炊く仕事の人はちゃんと炊いていたのに、一番花形の航海士がミス。航海士も石炭を炊く仕事をローテでやってたら、そんなぬるさはなかったろうにと思う。石炭投入のおっさんのほうが重労働で大変な仕事。

今日は午後から明日の運動会のテント立て、20人ほど人が集まるので1時間ほどの作業でそれほど大変な作業でもない。人が多かったころの神社の祭りと同じく、田舎の農業の作業や織物の作業に近いだろう。こういうのが成り立つのもあと10年あるかないかだろう。

慣れで作業している人というのは、テレビを見ながらのながら作業みたいなもので、仕事だけど仕事に思えない程度の作業の繰り返し、そこで成長が止まって年を取るごとにスピードも遅くなってできなくなるが多い。慣れで行う作業で余力を生み出して機械化するとか高度なことに移っていかないと仕事としては成り立ちにくいのも当たり前の話である。機械化すると作業をもっとしなくなるので、機械化したときにより余力を高度なことに向けられるとよいのだろうがと思うが、それは、ほかの作業を並行してするとかでも十分だろうと思う。

機械化してしまうとどうしても気が抜けてしまうもので、そうなると通用しなくなった時にはもう人材面がどうしようもない状態であることも多い。経験者が、ゼロからの人にも負けてしまうのはそういうあたり。
2019年10月03日
ヨーロッパのリネンの有名な国のブランドさんや糸商さんと話して、ヨーロッパもモノづくりが本当に難しいのを感じるばかり、イギリスの一番有名な生地ショップさんや、オランダの一番著名なデザイナーといわれるデザイナー、フランスもいろんなアパレルさんとコンタクトして、なかなか良い素材が国内では見つからないという話。でもでも、世界でも一番くらいに無茶苦茶お金を使ってでも特別なものを作りたいのは日本人だったりして、私のお客さんの生地屋さんは自分の思いを詰め込んで予算度外視で生地をヨーロッパ企業に発注されているところが多い。日本に来ると、現地の生地代金と同じだけの航空運賃が掛かるのが普通で、普通に販売しようとすると元の仕入れ値の3倍くらいになって売るのも難しい。

現地で1000円の生地が日本では3000円、現地で2000円の生地が6000円でも苦しいくらい。だから、ヨーロッパの業者さんからすればヨーロッパでも普通のリネン生地しか普通には出回っていないので、日本のものづくりを評価して、日本から生地を買いたいと思う要素があるんだと思う。生地を買うも作るも同じ思いなのであって、林与のお客様というのはかなり無理して自分が在庫抱えながらでもヨーロッパの企業ににオリジナル生地を発注されている方も多い。林与の生地の原価のほうがヨーロッパの仕入れ値より高いといわれることも多いがそれは当たり前なことで我慢してもらわないとと思うところがある。海外の展示会に行ってもヨーロッパの生地よりも高いといわれるのだけど、それが少し高いじゃなくてヨーロッパのリネン生地の2倍とかも私自身は分かっている。ヨーロッパ企業がヨーロッパで本当に作っていたら林与と同じくらいの生地値になるのが普通だけど、なぜ、ヨーロッパ企業の生地が1m1000円で出てくるのかというあたり。ヨーロッパの銘柄のリネン糸にしても、実際にはアジアや旧共産主義国でつくられていてオブラートに包まれているだけのこと。

自分自身が働かなくなった先進国の人間が繊維の世界を食い物にはするだろうけど、結局は、新興国や後進国のお客さんになっているだけで、ものづくりは新興国や後進国がやっているだけのこと。私自身は自分が働いてなんぼの世界なので、そのからくりが薄っぺらすぎて、イメージだけのこだわりやエシカルナことを一番に嫌う。問題があってその問題を解決するために日本人で週末働ける人がどれだけいるのか、ほとんどいないのがこだわりを謳う日本で、それを自分の中じゃなく外に求める。

ある加工工場さん朝の4時5時から従業員が出て仕事していることがあると、私がその話も普通にがんばってるなあと思うのは自分が徹夜でも工場の床で寝ても普通だから。コンビニでも24時間の時代に、定時にあこがれていて誰がその人の一生の面倒を見てくれるのか。国は取るだけで面倒をみるなんてしないし、企業が面倒をみられることもない、お客さんが誰が頑張ってるのかみていてくれるだけだし、ぬるくやってしまっていては厳しい現状を受け入れて働いている人たちに追い越されてもしかたないだろう。大手SPAとは違うモノづくりがないと日本のものづくりは残れないという当たり前のことを認識しないといけないのだが、大手SPAの物づくりが理想のものづくりで真似をしようとすると、評価される余地差裏もなく早くやめたほうが無難だろうと思う。大手SPAもエシカルナことを謳うが、それ以上のことを当たり前にこなすのが日本のものづくりではないのかと、大手SPAのものづくりがまだまだと思えるくらいでないと駄目だろうと思う。金じゃない尺度がないと難しいけども、自分が苦労して働いて損をするのもあっても、別のところで補うという感覚がないと難しい。

新しい今までないような生地一つつくるのに100万くらいは掛かるのが普通だろうし、最終的な消費者というのはもっと大きなものを掛けてできたものだから価値があると思って高い値段を出して買うのが普通。日本の一般的なアパレルさんではないけど一流どころの繊維企業は間も入らずに直接の仕事で本当に覚悟しておられるのを感じる。間が入っても問題はないのだけども、間が入る分だけちゃんと覚悟して間を入れてやってほしい。間に入った人に値段が厳しいといわれてしまえば、私が本当にどれだけ買うのかも約束もしないのに値段の約束とかすらもが無理すぎて、日本の生地商社よりも、海外アパレルのほうが、日本のものづくりにあこがれていてもらえ、関税とか値段も、政治も絡んで大変だろうが我慢ももってありがとうございます、と感じる。

繊維の世界というのは政治家の利権じゃない世界、まともに働いている人間を評価できる世界がそこにあって、政治家の多くのような搾取や利権で成り立つのを一番に嫌うのが繊維の世界で、繊維の世界の温かい人の世界を感じるところなのである。私自身は本当に一人、今はもう一人の経験半年の女の子がメインの会社、それもわかってでも、自分は違うんぞでないと趣味の繊維の皆様にも負けてしまうのも当たり前に思うのが日本の繊維の世界。私が本当に厳しいのはそこで、趣味でやっている誰よりも過酷な試練を20年、30年乗り越え場を作る。本当にこの世界でやっていこうとする素人の人にでも間違いのない道を説くことができるのが私で、何億円もの貧乏くじでも自ら引いてそれがうぬぼれた世界を正すこと。別に自分がどうとかどうでもよくって、たぶん、比叡山の修行僧が子供に見えるくらいの厳しさがあったりもして、7日、土の中でこもって眠らずに素人でも死んでもよいから光があれば成し遂げるくらいは、覚悟している。実際7日くらいなら寝ずに働いたことも数回もあって、今、50歳でも覚悟決めれがというか、覚悟決めなくても7日間なんとかできそうであったりして、ほんとうに厳しい話だけど念仏唱えて7日と実際の仕事して寝ないで7日とではどちらとい話。書いてしまって競う気持ちがとおもわれるかもしれないけど、修行僧以上の覚悟もないと田舎の小さな機屋すらもが成り立たないのが日本で、それでいてエシカルナことを世界でも一番に日本が謳ってビジネスとして成り立たせているのが、日本の営利主義の原発問題と同じで最悪のところ。関西電力の電話窓口の人に、原発の根本的なやってる人の責任すら感じてない問題で時間使って電話料金上がってもよいですかといわれれてそんな認識なら私は電気料金上がってもよいので原発やめろ、一か月2倍の電気業金でも気持ちの悪い連中が偉そうにお前らは金が大事だろう見たいに損得勘定が当たり前でエコを語る関西電飾を人間として正すのは当たり前。東日本大震災の悲劇、まったく、感じてもいない電力会社。多くの人が悲劇にあっているのに、利益優先でそれしか見えない。べつに利益優先なら安全を謳わなければ整合性もとれるのに、原発が爆発しても、電気料金が上がりますけど、あなたは原発反対でそれでもよいのですかは、アルバイト窓口の素人ばかりが、関西電力の重役たちがとれる手段なのが情けなさすぎ、対戦で15歳とか16歳のの若者たちを特攻させたような日本の腐った日本のジジイ連中の本質。早く亡くなったほうが若い世代を食い物にする連中が消えることは日本の将来のため。

助役の問題みると、海外だと、放置社会、自由経済、自由契約、脱税問題、贈賄問題、それが旧共産主義以上にとがめられないのが日本の自由主義社会で、国民が奴隷というだけを容認の行政なら、それはそれで、笑って馬鹿にしているような旧の共産主義社会の本質そのもの。トランプも旧共産主義的な政治手法だというのも、自国ファーストな、不利になればアメリカが他国に強いてきた自由貿易を否定するようなスタンス。インディアンとの24ドルのマンハッタン島取引の正義の原点すらも脅かしてしまう。力なのか、でも、次はないよねで、まったく反対が正義になってしまうような正義すらもの薄っぺらさ。まともな人間を犯罪者にしてしまうほどの危うさがあるのが、一般的になってしまう。ボーイングの件にしても、責任を逃れるために情報すらも流されずに、何百人も死んで、しかも、メンテナンスの問題にされたとか人間じゃないレベル。正義というのは力だけの問題なのかというあたり、それはまさに現代社会が否定する旧共産主義の体質そのものなのである。

私はいつ消されようがよいけど、いうことだけは書いておく。日本の国会議員であろうが大臣クラスであろうが、身分惜しさに保身的な愚かな振る舞いが多すぎて田舎の機屋の自分が死んでも次の世代にまともな感覚を申し送りたい覚悟すらもない。早く、政治と宗教の免税はやめるべきだろう、政治と宗教が一番、儲け感情だけが当たり前になってしまって、まともに働いている人たちから巻き上げる日本の2大業界で腐りすぎている輩をも存続される原動力。自分が支持されなくなった時に野垂れ字ぬ覚悟もなく、政治家になったり宗教家になったりで国から金が舞い降りるでは、本当の人間の生きざまを左右する政治と宗教がそれではだめだろう。それにひきつられて、司法もなびくとか、日本ほど奴隷制度が法律で守られやすい国はないのではないか、ママパパ企業の商店街がつぶされて、つぶしたコンビニが24時間は過酷だとか、日本は法律があってないようなものそのもので、成り立っているものをつぶすのに加勢して、ぎりぎりまでやっている人間でもつぶして法律的には正しいというだけのこと。途上国のオーガニックの世界を過酷だというけどもそれ以上の過酷な現状が日本の政治や行政ガラミで、どうしようもない輩が公務員として楽に仕切って国民を奴隷使いなのである。民間人と民間人の戦いではなく、。法律に守られた支配階級と奴隷階級の戦いそのもの。私自身は、単に、限界までいろんなことをやっている人をなんとか成り立たせてゆくのがエシカルナことじゃないのかと先進国のあるべき姿と思っている。でも、先進国ほど、自分が働かず管理とか融資とかで、途上国を下に置こうとして、日本の場合は逆に下に置かれて、それの穴埋めを日本人がするとか、相手にはただでカネを上げると言いながら日本国内ではちゃんと資金運用しているみたいな偽装が国政レベルでも普通で、よくありがちな日本国民には対借款の免除の話。最初から成り立たない話が裏で話はできていてそれを分かって日本の優秀な公務員が仕組んでいるだけのこと、悪いのは返せない途上国じゃなく仕組んだ優秀な日本の公務員たちというだけのこと。
2019年10月02日
となりのおっちゃんのUSBメモリが認識しない問題で、おっちゃんが8GのUSBメモリを新しく買って自治会の役のデータを保存しようとしているのだが、隣の家のパソコンがそのUSBのデータを認識しない。2014年ころのWINDOWS7のパソコンなので、私のレッツノートとさほど変わらないパソコンなのだが、一般向けのパソコンなので、それが私が苦手とするところ。OS以外にファームウェアっぽいソフトが裏で常に動いて全体を管理していたりして、それに慣れているとよいのだろうが、慣れていない私にはそれがすべての問題の原因。

自治会のパソコンも、警察の人が持ってきたDVDを認識しない問題など致命的な問題を抱えていて、私のノートパソコンは、パナソニックの変なソフトさえも使わない素うどんみたいなパソコン使用で使っている。だからこそ、問題が少ないのである。ファームウェアは作った人しかわからないようなソフトウェアで、仕様すらみえないし、不具合があってもその対応は難しい。人の問題であって、飛行機が落ちてもそれがハードウェアの問題ならタカタのように世界の3分の1のシェアを持っていようが、エアバックが何十万人の命を救っていても100人の命を奪えば干されてしまう。

一方で制御プログラムの問題だと、それで500人が死んでも、プログラムの改善で何の問題もなかったかのようにプログラムを更新したから問題ないでしょうみたいな対応が許される。ハードウェアもソフトウェアも、基本的にはハードウェアの一部であるのがソフトウェアだけど、頭の世界の人というのは責任が被らないように逃げる。モサントを批判しながらもGOTSがまさにフォルクスワーゲン状態なのは、日本のGOTSの認定委員が私を軽く考えすぎていて、ボロボロを見せたのがヤバすぎる。

日本のGOTSの認定委員が、エシカルなことは面倒くさいんです、化学的に問題がなければそれでいいじゃないですかとまさにモサントなのだ。ドイツはヨーロッパでもGOTSの存在からして、オーガニックやエコを世界的にリードしてきたのだが、フォルクスワーゲンと同じどころか、権威主義や無責任主義があって、自分たちはボランティアだから、問題があっても自分たちに責任はないみたいな上から目線で一番ダメな糞すぎる輩が理事長や認定委員やってたりどうしようもない。

この20年以上、普通に大気汚染するクリーンディーゼル車で世界中の何分の1のシェアをエコを謳いに利益を上げてきたのがフォルクスワーゲン社。エコの概念をまともに考えていたら一番ダメな地球環境を破壊する旗振り役なのだ。本来、ディーゼル車というのは、大気汚染問題で規制されるべきなのに、それを金もうけのためにクリーンだと偽装して20年も大気汚染し続け利益を上げてきた会社がドイツのフォルクスワーゲン。人の心をもてあそぶ極悪企業。ヨーロッパの似非エコ推進は本当に腹が立って、オーガニックコットンの問題でも、GOTSの認定オーガニックコットンが敵視している遺伝子組み換えコットンが高確率で混入してしまっている危険性の問題も、GOTSは綿花レベルで遺伝子組み換えかどうかの判別は不可能という風に逃げて混入問題を管理もできずに認定してしまっているのを認めるようなスタンス。フォルクスワーゲンとGOTS、同じヨーロッパでエコを推進してきた組織、同じ穴のムジナになってはならない。

私もGOTSの認証のあるオーガニックを使用する立場であり、それが通常のものと違うかどうかわかるあたりがオーガニックかどうかの私自身の判断基準だったりもする。GOTSの認定委員のおっさんはボケていて普通のと糸とかわらないというけど、それは普通とおなじ作り方してオーガニックでもなんでもないから。インドでは遺伝子組み換えでは儲からないからオーガニックコットン栽培なら儲かるというビジネスモデルで、種子にすら厳密な制限がなされていないというか、食べてもいけない農家が新しい概念を理解もせずに便乗しているだけが多い。

カルガモ農法で、農協の肥料の袋から適正に配合され濃縮されたNPK肥料撒いているのを農家の人は自分が面倒みているから正直に普通の肥料やらないと実もならないという。虫も生きることのできない砂漠で大量のオーガニック栽培考えてみるとそのからくりも普通にわかるだろう。そういう正直さがなくなって、消費者だましがフォルクスワーゲンとか国レベルとか認定機関の権威主義。合成繊維が5%とか入っていてもオーガニックと呼べるとか、認定機関が偽装してどうするんだよの世界的偽装のレベル。

私がオーガニックリネン正直につかっているとそれを買われた業者さんからクレームが来るんです。普通にはない問題があると、でも、正直にオーガニックの糸つかってやってるからそうなんです。それがなくなるとその糸は、偽装だろうと私が疑います。織るのも3倍くらい手間が掛かってるとかもあって、オーガニックの糸だからしかたないと覚悟して織ってます。私自身は、そういう糸の問題を文句言い始め普通の品質を求め始めると偽装につながるので言わないことにしています。オーガニックリネンの場合、問題も多く品質は落ちます。2000年ころオーガニックリネンが出始めたころのオーガニックリネンは別物でまた普通の糸とは違うオーガニックらしい別の特徴をもっていました。それもわかってるので書いておきますが、あれから20年近い、もうそういうの知って記憶にあるの私だけかもしれない。
2019年09月30日
今日は午後から奈良の機料屋さんと一緒に奈良の機屋さんが来られ麻織物に関してのいろいろのお話。エアが12台でレピアが1台と、かなり高速で織る織物に特化されているようなお話で、綿の織物を中心に1回の整経が1万メートルとかの量産をこなしておられる。それはそれで大変な世界でもある。

若い専務さんが担い手としておられるのはこの会社が次の世代にも奈良の中心的な機屋さんの一つであられるという保証みたいなもので、ぜひ、いろんなことにも挑戦できるときに挑戦をしておいてもらいたいと思う。私ももっと若いころにいろんなことに早く挑戦をしておくべきだったと思うことも多いので、今、それをやっているような感がある。

余力があればいろいろとやりたいこともできるけども、目の前のことに追われて自分のやるべきことが一番後回しになることも多い。常に思うのが高度なことをやらないといけないなあと思いながらも、一番地道な作業を私が担当することも多く、地道な作業を責任もってコンスタントに最後まで完結できる人というのが一番大事だなあと思えたりもする。

数日前に織機のテンプルバーが外れてしまって、それをはめ直すのは織機の下にもぐってする汚れ仕事。それができないと織物というのは1mも織れない話。織機の下にもぐって10分、15分、苦戦しながらはめ直しできると、何事もなかったように調子よく織れ出す。

今日は午前中にその布も出荷が完了し、この半年ほど合間をみて織っていた1000mほどがようやくゴール。
2019年09月29日
今日は字の公園の池の掃除。1年ぶりの鯉の池の掃除ということで、エンジンポンプ2台で水を汲みだし、魚を大型タライに移して、底をブラシでゴシゴシ掃除。天気も悪くなく2時間ほどの軽い運動と思う程度なので、大人が20人ほども集まれば大したことはない作業。

私も行ってもすることがないと嫌なのでブラシを2本持参したが、大きな池のほうの小さな魚をつかむのが私の仕事になった。十分大きなモロコを20匹以上捕まえたのと、大きなドジョウも何匹もいた。あと、ドチンバやナマズ。自然の川にはもう魚は少なくなっているので、こういうところで自然に繁殖しているのも自然を補う意味では意味があるのかもしれない。

最後、池の水を入れなおしたときに、池の中に置いてあるプランターが浮いてしまって位置がずれた。まあ、そういうの直すのは私の仕事で、長靴を脱いで短パンで行った私が冷たい水の中に入って所定の位置に戻す。作業するときには作業に適した格好が大事で、私はTシャツに短パン、水の中にも突撃しやすい。こういう作業というのは子供たちが楽しめる作業なんじゃないかと思う。
2019年09月25日
なかなか生まれなかった赤いミナミヌマエビの卵が孵化して、体長1mmから2mmくらいの細長い見えないくらいの稚エビが昨日辺りからうろうろ。普通の稚エビと比べると、色が薄いだけでまだ赤くはない。抱卵した母エビが赤いのでもし父エビが普通のエビでも少しは赤くなるだろうと思う。赤い母エビ以外は大人のエビはその水槽には入っていないので、赤いミナミヌマエビの稚エビだろうと確信はしているが、大きくなるにつれ赤くなってくれるかどうかは育ってみないとわからない。

赤い色になるのは食べ物説もあったりして、緑の藻を食べていると緑っぽいか黄色いエビになりそう。赤い餌を食べさせると色揚げという現象が起こって赤くなりやすいそうだが、染料で染めとか色素を沈殿させるみたいでそれはあんまりやりたくない。私にとっては仕事に追われていることが多いので動物の面倒をみるということも3日坊主になりそうな気がしていたが、餌やりは数秒のことだしエビの成長を眺めていると時間を忘れる。犬や猫のように愛想があるわけでもないし、餌を欲しがるようなしぐさもないけど、餌をあげると餌に向かって動いて、ツマツマして食べている。

3つあるうちの一番大きくてたくさん入っている水槽には、めだかも魚も入っているが、めだかや魚は動きが速すぎて愛嬌がないように思える。流れのある水路で捕まえてきたメダカと魚なので、野生の本能で元気でよいのだが観賞用には向かない。ようやく、赤いミナミヌマエビの赤ちゃんが生まれたので、普通のミナミヌマエビのようにたくさんに増えてくれることを夢見ている。

ミナミヌマエビだと思ってはいるけども、あまり大きくはならないのでビーシュリンプという種類が混じっている可能性も高い。でも、まあ、自分の水槽で生まれたミナミヌマエビだからそこに価値があるので、一般的な価値観とかは大事じゃない。なぜ、赤いミナミヌマエビが良いのかというと、普通のミナミヌマエビは透明だったり黒っぽかったり、茶色っぽかったりするのでなかなか見つけにくく見えずらい。黒いソイルにしてようやくうまく繁殖をするようになったので、黒いソイルに合うように赤いミナミヌマエビということなのである。

生まれた稚エビは、案外どんな環境でも小さなころから慣れさせてしまえばうまく育つ。その辺りは人間と一緒だろうと思う。ブロイラーのような完璧な環境で育ててしまうと、少しの環境の変化に耐えられず死んでしまう。水槽は外に置いてある。ヒーターはあんまりうまく使いこなせず逆に次々と死んでしまう原因になるのではと思って使っていない。冬には水が氷るのを防ぐためにヒーターを使う必要も出てくるだろう。なかなか、最初は普通のミナミヌマエビを繁殖させることができなかったけど、ようやく赤いミナミヌマエビの繁殖にも成功しそうで、しょうもないことかもしれないが、自分ができたらよいのにと思うことが叶ってうれしいのである。
2019年09月24日
先日、ダメ元で買った4Kディスプレイのノートパソコンが届いて仕事の合間に使ってみたのだが、ハズレを引いてしまって、キーボードのバリがキーが押されるのを邪魔して押しにくいキーがいくつかあって返品することにした。そして、なぜか大きすぎるタッチパッドがキーボードを使うのと干渉して挙動不審な動作につながり、インターネットでページを見るのも思い通りにいかない。

WINDOWS10を私自身はあまり気にして使ったことがなかったので、この問題を解決するためにWINDOWS10の設定を初めて位に細かく使って、このタッチパッドの誤動作しやすい問題を考えてみた。知らなかったのだが、2本指クリック動作とか、3本指クリック動作とか、4本指クリック動作があって、そのために大きなタッチパッドが必要のようだ。なんか変な進化してしまっているように思った。

物理的な右クリック左クリック動作だけにして1本指から4本指クリック動作を無効にしたら、ダッチパッド操作が安定した。ジャンクに思っていたものが思い通りに動くようになって、4Kディスプレイのメリットをそのまま活用できるような状態になった。この5本指までじゃなく4本指までのタッチバッドのクリック動作というのは、中国語の四音を意識しているなあと思うのは私だけだろうか。あいまいでありがちな文化をデジタルディバイスも表現しようとする流れ。

子供のころからできるだけ詳細な情報が表示できる4Kディスプレイみたいなディスプレイにあこがれていて今まで手にしたことがなかった。今までのパソコンの4倍の情報量が表示できるしかもノートパソコン。バッテリーも6時間使える。まだやってないけど、4Kでデゥアルモニタもできるようであるが、それなら2台買えば9万円で子供の頃からの夢が叶う話。これのすごいのはカバンに2台のパソコンを持ち歩くだけで、大阪や東京などにオフィスを持たなくても1日の最高のオフィス環境が持ち歩けるということ。レンタルオフィスですらも必要なく、オフィスの代わりにマクドナルドやスターバックスがあればお茶出しの人も必要なく一番くらいに便利でどこでも出会いやすいよい話。充電も帰りの分は新幹線ですませばよい話だし、長時間駆動が必要な作業はLETS NOTEで複数バッテリー持参という手で全体をノートパソコンケースに入る10kgの荷物にまとめる形。昼間は機屋、夜はハヤシヨゲイツができることになる。

このノートパソコンの4K、8Gメモリ、128GbのSSDでSSDは自分で内部増設可能、6時間バッテリーのもつスペックは30万円でもほしいものだが、なぜ、このパソコンがあまり人気がないのか、4K液晶はハイスペックすぎて文字が小さくて9割の人は扱えないだろうと思う。昔LETSノートも高精細の液晶だったので、みんな文字が小さくて読めないと言っていたが、今はスマフォになれて、小さな画面でも情報量が大きいのがありがたい時代に変わってきた。

で実際、何にこのコンピュータを使うのかというとプログラミングするのに使えるのと、ネットショップの商品管理画面が、やたらと下までスクロールしないと全部の情報が見えないので商品のアップロードがつらかったのが解消できる。ワードもフル画面で縦に2枚分みることができる。エクセルもスマフォとの連動で在庫管理に役立つ。ありがたや、ありがたや。あなかしこ、あなかしこ。

コンピュータはCPUスピードみたいなところがあるけども、結局はトータルの完成度なので、メモリの量とSSDでカバーできる。画面の情報量の問題とバッテリーの時間というのは解決ができない問題。大は小を兼ねるで使いこなせれば4K画面はとことん便利。あと堅牢度の面からも、保存データはSSD媒体に置くよりもHDD媒体に置いたほうが10年とか持ちやすいであろう。そのことも考えると堅牢度面からもセカンドHDDを内蔵できるというのは日ごろからのバックアップに向く。

仕事の場合には汎用機というよりも、専用機という概念も意味のあることで、このパソコンは会計専用、このパソコンはネット販売専用、このパソコンは織物デザイン専用、このパソコンは生産向けの企画管理専用、このパソコンはプログラミング専用、在庫管理専用とか分けておいたほうがよいこともあるのである。そしてバックアップはそれぞれのパソコンで内蔵のHDDに行い、また、クラウドでなく1か月に一度くらいHDD外部保存する。人の場合、分業の非効率さを嫌う私がそのようにパソコンに分業をさせるのは、基本充電が必要なノートパソコンの置き場所を限定することで持ち歩きが必要なくなるのと情報管理の権限のため。1冊のノートを見るように1台のノートパソコンを使うのが理想。大きな会社が大規模無線LANでやるのと同じようなことをよりシステム管理者も必要がないレベルで、人も少ない零細企業ならより効率的に機密性をもって堅牢に管理できるようにするのが理想。

林与は、日本だけじゃなく世界の織物業界の最先端でありたいと思うのは、田舎なのでパソコンを普段使わない人がほぼ10割、そのデジタルディバイドを埋めるのが、普通以上にパソコンを10倍使う人なんだろうと思う。これは織物業界で、織機を使える人がほどんどいなくなっているなか、織機を同じ時間で10倍使える人間が必要なのと同じ。20年前にそれを感じて織機をはじめとするほかのチーズアップ、整縦、検反機、在庫管理、生地修正、出荷など、普通の職人さんの10倍使えるようでないと難しいなあと思った。そのほか経営者として、財務、労務管理、設備維持など、また、販売面で、展示会出展やネット販売。日本の国としては今になって人手不足の話だけど、20年前から日本の繊維の零細企業は人手不足そのもので、仕事はあっても一つの作業も理解して100点でできる人は見つけにくい話。120点、150点でやれると発展性がある話。外が50点の仕事なら、150点、200点の仕事で穴埋めして全体を成り立たせるしかない場合もある。

極端な話、サンプル作った人ができないときに、京都の染工場を正月3が日借り切って、サンプルも作っていない人間が自分でその道のプロができないと逃げることを自分でやって染めるとか。その染色工場のタイムズの駐車場で3日寝泊まり、私に許されている時間は3日だけ。ほかにも組織の事務責任者が経理をまったくせずにほったらかしにしてを総会の数日前に数時間ではじめてやる気もないのですべての数字を見てすべての入出金の数字が合うように2時間3時間で自分が入出金の管理もしていないのに解決するとかまさに生き地獄そのものばかり。行政がらみの補助金受けてもすべて組織の人間関係の問題を受け入れているのにそれも受け入れない公務員の人からもうちょっとちゃんとやってほしかったといわれたり。後でわかる大きな話が見えてもいない、その時々の力になびくタイプ。お金払って働いてもらってもその人だけじゃなくその人の家族のことまで面倒をみるのが日本ではありがちなだらしない話。そういうだらしないのと戦うじゃなくできることもやらずに、逆に邪魔してお金だけほしい人が多すぎるのが今ありがちな形で、あかんすぎる流れ。

私が母親や先代を酷評するのがまさにそこで、
2019年09月23日
今日は、SSDが届いたのでクローンマシーンを使って、ノートパソコンのHDDをSSDにデータ移行して、ノートパソコンを元気に生き返らせる作業。パソコンは基本レッツノートのSXシリーズと決めているのだが、SX1から始まり、SX2を複数台もっていて、バッテリーも複数持っているので、。この8年近くSXシリーズで通している。本当に堅牢でバッテリーも長持ちするしよくできたノートパソコンだと思う。

どのパソコンも基本的にほとんど同じことしかできない。スピードが速いか遅いかの違いで、それよりも大事に思うのはバッテリーのもちとか壊れにくさのほうであると思う。

実は、SSDというのは、どれもが3年5年の有期の寿命を想定して作られている。使い込んでゆくと挙動が不安定になりやすいのである。SSDの場合には、5年くらいでSSDを新しいものに交換する必要がある。5年とか使ってそのデータが飛んでしまったときには厳しい現実が待ち受ける。実はSXシリーズが堅牢なのもそのあとのシリーズは初期のSSDを採用していたために、数年で挙動が不安定になりがちで、最新の機種が、データが飛ぶなんてこともありがちだったここ数年。

昔の家電製品は30年あとでも使えたが、今の家電製品は1年もつかどうかが厳しい。3年5年使おうと思うと、延長保証に入っておかないと壊れて修理となると買い替えるほうがましなくらいの話になる。ものづくりが使い捨ての想定の今、ほかの人が価値を感じないものに価値を感じて活用するのも乙だと思う。無限にそういうものが出回るのでそれを活用することは一番の理想だろうと思う。
2019年09月22日
林与の軽トラ、スバルのサンバにリコールの通知があって、ずばりそのものの症状でバッテリーが充電されず。昨日は午後から時間が少しあったので、軽トラの後ろの荷台の蓋を外してみた。ゴムベルトも切れてしまって周辺にゴミとなって半分くらい残っている。充電しないのも当たり前。

彦根のスバルに電話すると対応が悪く、近江八幡のスバルに電話して対応してもらう。対応してもらうといっても、今日、持って行って預かってもらって2週間ほどのうちにリコール対応してもらうだけのことだが、それを預けるための予約をしないといけないとかだと、それを持っていくことも天気の良い日でないとバッテリーの充電しない問題が絡んでいるのでワイパーも動かせない。予備のバッテリー2個をフル充電して積んで、いつでも交換できるような態勢でもう一台帰宅用の車を母親に運転してもらって持ち込んだ。

スバルディーラーで、母親が、軽トラは問題があるのだから、リコール対応後も、いつでも対応できるように載せたままにしておけばよいのに、ジャンパーケーブルやプラスドライバ、ペンチなどを軽トラから出して持って帰ろうとする。母親にとっては、自分が修理や交換しないから、ドライバーもジャンパーケーブルも意味のないものだけど、もし問題が起こったときに私が対応できないのである。
2019年09月21日
昨日はスタッフの子が縦つなぎをしてくれて、夕方から私と二人で2時間ほど織りだしのために結び目を筬の前まで送る作業、時間がすぐに過ぎてゆく。その後私一人で織り出しを始める。そこで、その織機の機の12枚目のソウコウのロッドから、ソウコウが外れているのを発見。ロッドが短くこれは対応しないと織り上がる織物の大きな問題になるところ。

織物というのは注意してくみ上げてゆかないと、後から正しい状態に直すことは難しい。そこで、夜中まで3時間ほどその問題の解決に向かう。スタッフの子もがんばって、まだまだ慣れないタイイングマシンを使って一人で一日がかりで繋いでくれた。5回目くらいのタイイングマシーン経験。初めてでも、教えてもらってやるのが当たり前みたいな世界があってもよいと思う。新しい人でそれができる人というのはすごく価値がある。経験者というのはなかなかそれができないもので、できない分からないの塊になりがち。

結局、そういうのが出来上がる織物の差につながってくる。それだけでなく、経験者も苦手な検反機を使っての修正作業や、出荷に向けての準備とか、動くと動いてもらっただけ仕事が前に進む。私の補助的な作業も多いけども、すべて理解している私についてこれるのだから立派に思う。目の前の頼まれた一つのことを当たり前に行動に移せる人というのは、その瞬間瞬間、正しい積み重ねで一日の仕事が成り立つので長いスパンで見ても正しい成果を積み重ねることになる。

一般的な職人さんたちと共通で苦手とするあたりが計算なんで、毎日、私が計算していることをスタッフの子にも計算をしてもらう。そういう必要な計算をできる人は少ないし、さらに教えることができる人というのは少ないと思う。できる人というのは自分の仕事として全部自分でやってしまうから、できない人に教えるなんてことは経営者でなければやらないこと。
2019年09月20日
今日、ネットで、なんと無名のPCが私の思っている理想に近いものだったりしてしかも値段も5万円ほどで手ごろすぎる。今、プログラミングを始めていて、多くの情報を表示できないとその分手間がかかるので、どうしても高解像度のパソコンが必要に思って探していたら見つかった。値段が安すぎて驚きで中国製だが、今やコンピュータや電化製品は基本中国製や海外製が、日本メーカーや先進国のメーカーでも当たり前。

今や日本からCPU、メモリ、ディスプレイ、ハードディスクの生産がすべて消えかけようとしているのだから、日本のハードウェアメーカーも日本にありながらも、派遣のものに入ってもらって内部のシステムを作ってもらう程度。こんな風にしてほしいとかこんなことができるようにとか大学院卒や大卒のメーカーマンが、高卒のプログラマーにお客さんとして頼む形が普通。日本から日本のコンピュータや家電メーカーが消えても、市場は似たものがあって困らないというのが実態。

実は大事なのは料理する人の存在。大手メーカーの人たちが料理できなくなって、商社としてメーカーが残る形。繊維の世界でも同じようなことがあったけど、ほんと、そうなるとお客さんが料理人に頼んでものをつくってもらう世界。実際にやっている人には負けてしまうのが現場の世界で、頭がよいとかそんなのは何の意味もなく、考えもせずに正しい答えを出せるタイプの人が正解。

4K画像スペックのノートパソコンが5万円。また、そういうのはダメ元で、部品買ったと思って、自分で分解して組み立ててもっとすごいスペックに変更しやすい。今、作っている織物プログラムと掛け合わせれば、かなりすごい形の完成形が出来上がりそう。

織物を作る人が便利に使える織物ソフト、インストールしたパソコンを専用機ということで販売すると問題も少なく良いのかもしれない。織物ソフトを作っていても普通のノートパソコンだと解像度が低く作業画面がいい感じに仕上がらない。ある程度性能も高く、解像度が特に高いノートパソコンというのが、織物シミュレーションには向いている。

ノートパソコンのメーカー名すらも分からず、ノートパソコンの名前も分からない、でも、最高スペックに思えるノートパソコン。届いてそれが外れなのか正解なのか判断したい、さてどう出る?安物買いの銭失いになるかもだが、物事は、実際に自分でリスク貼ってやってみることが大事だろうと思う。糸とかだと出物があれば、一か八かで50万、100万でも買っちゃうけども、ガジェットというのは我慢すれば古いものでもなんとかなるので、なかなか5万10万が迷うようなところ。

きっと、そのノートパソコンだと織物シミュレーションプログラムがいい感じで開発出来て、そのソフトを使うのも楽しめるだろうと思う。今使っているノートパソコンは、8年前に発売されたもの。大きな不満はなく、すなわち、スピードが速くなっている以外パソコンは実質それほど進化しておらず、使い方次第、すなわち料理の仕方次第だろうと思える。けども、日本のメーカーがそういうものを作れずに中国のメーカーがそういう最高のものをメーカーの名前も出さず無名な形で販売とか、日本のものづくりはもう本当に厳しいかなあ。
2019年09月18日
秋の涼しさながら、赤とんぼはまったくといってよいほど見かけない秋。こんな田舎なのに田んぼが広がっていても赤とんぼが育つことができない。緑があっても自然というよりもすべてが管理された衛生的な自然。

ミナミヌマエビは今、川にいるけど、子供の時には川にはいなかった種である。子供のころに網とバケツ持って、川さらいばかりしていたので、ザリガニ、ドジョウ、タニシなどはいたけど、エビはいなかった。それとも子供のころはザリガニの子供と勘違いしていたのだろうか。ミナミヌマエビにしても本来の在来種は消えて、そのほとんどが魚の餌として持ち込まれたのが広まった外来種だろうといわれている。小学校のときも学校で、メダカを飼ったり、オタマジャクシを飼って観察したが、ミナミヌマエビを観察しようなんてのはなかった。

今、赤いミナミヌマエビを飼っている。6月から飼いはじめた普通の色のミナミヌマエビの繁殖には大成功して何千匹の規模で稚エビが誕生して大きくなっているのだが、赤いミナミヌマエビの繁殖にはまだ成功をしていない。抱卵個体はなんどか見かけたのだが稚エビの孵化には成功していない。6月から8月くらいが屋外では繁殖の時期だろうと思う。ちょっと水温も下がりかけてきた9月、赤い稚エビを見ることができるだろうか。

愛知川の川のアユも放流物であるということ、またモロコにしても宇曽川に放流されて大きくなるのを釣り人が釣る。川にも自然に魚が育つ要素が欠如していて人工的に増やす努力が必要になっている。子供のころ、愛知川の川に無限匹数いた小さな黒いウロリと呼ばれる川底を這う魚は今もいるんだろうか。ウロリを捕る人はもう今はいないだろう。40年たつと同じ川でも別物である。
2019年09月17日
昨日の夜、運送会社へ行く途中で、がんばっている台湾料理店が、閉鎖されるのか、お店の外装のデッキを壊していた。そういえば開店して3年になるのかもしれない。会社やビジネスが新しく立ち上がっても3年で終わることが多いのも、テナント契約が通常は3年だからとか。テナント契約が2年だと2年で決断を迫られる場合もある。

このお店にしても、800円から1000円で、私でも食べきれないくらいだったので普通の人なら3人分くらいの量。日本人向けには調整してあるが本当の台湾の味っぽいので、日本人には少し合わないかもしれない。特に子供や家族連れには味が濃すぎて難しい場合もある。でも、そのお店を見ていて日本人が忘れた何かがあるような気がしていた。家族経営的な要素。そのお店で夜11時とか遅くまで親が働くときに、お客さんが食事している傍ら、そのお店の家の子供が夜8時9時に店でテレビをみているとか。

その店の若いお嫁さんが日本語が上手だったので留学生たったのだろう。子供に外国経験と日本語を身に着けさせるというだけでも大きな価値のあることで、将来役に立つものを子供には与えた部分があるだろう。

おばあさんも家族を助けるためにレジや注文を取りに来るけど本当に不愛想だったのが日本語や日本のお客さんにも慣れていかれるのもいい感じに思っていたが、やはり夜でも10人とか20人程度のお客さんでは、家族経営だとしても、家賃、光熱費、材料費で、なかなかお店も成り立たないだろう。一生懸命がんばりますという看板があって、そのとおり頑張っておられた。でも、難しいだろうなあと思っていた。残念には思う。

国道8号線沿いの飲食関係のテナントというのは長続きしないというイメージがある。京都、大阪とかでやったほうが同じテナント料で店が狭くなったとしてもお客さんの量はやはり3倍5倍だろう。滋賀県は、どうしても20台とかとめられる駐車場のスペースが必要であったりとテナント料が都市でやるのとさほど変わらないくらいになりやすい。お客さんの数は、何分の1なのであって、固定費用の割合が高くなりすぎる。
2019年09月13日
ヤフーがZOZOを買収することになって思ったことは、元気にみえるところでも成長が止まったときにあとは自分で小さくするのは難しいということ。最初、苦労してうまく行くようになって待遇を良くして行って、その名声や待遇にあこがれて集まっでそこからスタートの人も大勢になると、最初のような気分ではもう会社は回らなくなる。特に社長が美術品なんて買いだしたりすると上がればよいけども資金繰りが悪化したときに買い手をみつけることは難しいことが多い。

もう一つ思ったのが繊維の人ではなかったというあたり、まさに経営者という感覚での企業経営。そのタイプの人が引き際を間違うとプラスだったものがマイナスで続くことになる。引き際は大事で、その判断を持って引かれた形は良い判断だっただろうと思う。私もよく良い時代を経験した人は厳しい時代には適応が難しいということを書くが、良い時代を経験した社員を抱えて下降期に入ってまったく逆の価値観を持たないとならないような話がうまく行くのか。それは本当に難しい話だろうと思える。前澤氏が身を引いたのは正解ではなかったかと思う。

最悪はたとえば、いきなりzozoがなくなったりすると、zozoで売り上げを見込んでいた店子さんたちも困る話になるだろうから、今回の場合、営業は続ける形での買収。店子さんのことも考え、最悪の事態を回避しているあたりも経営者としてはしっかりとしていると思える。もし、zozoが最悪の事態に陥ったとしたら繊維不況を加速する要因になっただろう。まだ、受け皿があったのが幸いと思うしかない。
2019年09月12日
右肩の脱臼から3か月くらいなるだろうか、不安感を伴う痛みみたいなものは治まってだんだんと力作業に慣れていくリハビリ段階。普通の人くらいの力作業には戻っている。一部鬼の力が出ないとうまく行かない作業もあって、全体の作業スピードなどは例年よりもかなり遅目。肩を痛めたのが私だったからよいけども普通だと手術とか半年以上病院通いになるケース。右腕も上まで自分の意志で上げることができるようになり確実に治る方向に向いてきたのがありがたい。

いろんなことが詰まっても引き受けて無理をしていることも多いけど誰かが無理をすることで全体がうまく回ることも多い。逆にいうとたくさん人が集まっても集まっているだけだと問題だけが逆に増えていくことも多かったりするが、普通は、集まっていると安心してしまって外の世界に追い越されるとか取り残されてしまうことも多い。天下一品のお店の中にある、木村勉の言葉「正しい努力」みたいのがないとダメだろうと思うことは多い。

こういうブログも宗教家みたいなことを書いていることが多いけど、私は、考えているだけとか説いているだけではだめで、人を支える部分がないとダメだろうと思う。オリンピック選手を目指すスポーツ選手は普通のひとよりも何倍も体力もあるけども、自分の欲望的な名誉とかメダルしかみえずに、自分の体力を普通の仕事に生かすも一つの社会貢献ではないのかと思う。スポーツ選手というのはそれができない人が多く、オリンピック選手だった人が無職で普通の仕事もできないとか、毎朝何キロもジョギングはできても仕事で重いものを運ぶを面倒なことだと考えてしまうとかアンバランスに思うことは多い。
2019年09月11日
昔、知人の方がテレビでデザイナーがやってる機屋の動画をみたそうで、デザイナーの女性がストールを巻いて織機を動かしているような馬鹿なことしていると。最近、偶然、その動画であろうを見かけてしまって、みると、この方はイメージだけで、たぶん織機動かせないんだろうなあとすぐに感じてしまうのである。一見して、私は織機は分かりませんみたいな動画、その産地の女性でもちゃんと織機を動かしている人を知っているだけに残念過ぎるレベル。織物をつくる苦労をしって、産地や織物をプロモーションしてもらいたいなあと思う。

私が先代に対しても作業を嫌がって仕事ができるイメージでいたのが一番駄目だと思うところ。作業するのを馬鹿にしていたところもあって、実際に自分が仕事するといっても作業をしてもまともなものは一つも作れなかったのは非常に残念なことで、頭で他の人を使う無駄みたいなものを感じる。田舎の工場が大企業病といってもよいくらい、日本のものづくりの世界とは別の海外の経営者的なものづくり。小さな田舎企業が海外の大企業と同じような感覚だと海外のものづくりに追い抜かれてゆくのも仕方ないと思ったのがそこ。

大手SPAが売れるのは、なぜか、それは出来上がった売れそうな感じのものを選ぶセレクトブランドだから。ほんとそこ。大手SPAの人がものづくりに口挟んだら傾く流れになるだけのことで、ものづくり分かってる人たちがつくったものを選んでいるだけだからそれなりに問題も少なく売りやすい。逆に、大手SPAのテイストとアイデアをぶち込んで毎年新作なんてやるとまともなものを作れず不安定になる要素。大手SPAがリネンをやりだしたときにオーストリア産のリネンという謳い、その実態は当時から今までもつかめないでいるけど、かつてのオーストリア紡績企業が中国で生産していたとしたら成り立つような話ではないかと思う。突如現れたオーストリア紡績のリネン糸、2000年以降に安定して大量に手に入るとかが本当にありうる話だったのだろうか。アイリッシュリネン幻想も、林与がもう存在しないと結論付けた2008年ころまでつづいた幻想。

フレンチリネンの表記が、フランス産ベルギー産という表記になったのも、当たり前のこと。ファイバーの原産地は特定できても原料の原産地を特定することは難しいのが今のEU.自由貿易圏EUにおいては自由にものも人も動いてしまう。また、安定したリネン糸ををつくるためには、いろんな地域の原料を混ぜるのが手法の一つで大量生産のものほどそういう手法がとられるのが普通。フランスのファイバー工場であろうが、ヨーロッパ原料というあたりまでは限定できても、厳密な原産地まで歌うことができないのはそこ。オーガニックリネンに関してもその基準であり、ファイバーはヨーロッパ原料のオーガニック原料というところまで。

ある日本の大手のアパレルとのビジネスマッチングで、そのアパレルの麻素材を担当しておられる方がある紡績工場の糸はすべてフレンチリネンだと、その会社の冊子でも読んだ知識でだろうか、実際には中国原料も紡績しているし、フランス原料も、ベルギー原料も輸入していて、フレンチリネンだとは限定することは難しい。指定して糸を選ばないと中国原料を使用した糸も十分ありうるのである。そういう内情もしならないで大手のアパレルのリネン原料のアドバイザーでは、消費者が、謳われるものと違うものを買わされてしまうことになりかねない。大手アパレルの原料の謳いにしてもその程度のものであって、私がヨーロッパ原料の指定はできても、ベルギー産、フランス産の指定は難しいというのも現実的な話なのである。

オーガニックコットンなどでも、グローバルスタンダードという言葉自体が無理な話で、グローバルスタンダードという言葉の使用も偽装にあたるのではないかと心配をしている。偽装をなくすためには、そろそろ変更が必要ではないかと思うところ。各国の基準にゆだねられていて、基本的な肥料の三大要素である、N、P、Kに関してはインドでは使用に対して規制がないのである(自然の比率を著しく超えないことという制限がつくくらい)。インドで、遺伝子組み換えコットン農家や、コンベンショナルコットン農家が、オーガニックコットンに移行しやすいのも実はそこなのだ。普通に使われている化学肥料と呼ばれるものを使うことがインドの基準で許されている。日本の基準だとオーガニック偽装で犯罪レベルかもしれないが、大手の国際的な認証機関という存在がそういう偽装まがいのオブラートを生み出して、日本でもオーガニック栽培なんて難しいのに、水もない虫もいない砂漠のような不毛の地で、肥料の袋をあければN,P,Kのバランスの取れた豊かな土壌が形成される。日本に多く流れてくるインド産のオーガニックコットンはインドの基準に準拠して認定する国際的なオーガニック基準などはその程度のもの。日本で合成肥料(化学肥料)使って原料を栽培してオーガニック製品だとお縄ものだろうが、栽培国の基準で認可を受けて原料や糸、製品で入ってくると普通のN,P,K肥料使ったものがオーガニック製品で通ることになる。

当たり前のことだが、大量生産のオーガニックが天然の原料由来で育つのかという問題。しかも、オーガニックコットンが大量生産されるのは、機械で収穫される雨の降りにくい地域。ヨーロッパではクリーンディーゼル偽装で20年近くシェアを伸ばして、実際はディーセルの普通の排気を20年世界中で垂れないがしていたという現実。ヨーロッパでは現実のものづくりができなくなって認証とかラベルビジネスが横行、アイリッシュリネン幻想と同じで、実際にはないものまでもあるようにして金儲けするのが横行している。そしてそういうのに一番飛びつくのが日本の認証ビジネスや業者。私自身も実際に使う立場、消費者目線で厳しく監視する目で偽装の多いオーガニック認証に対して指摘する目をもっていないといけないと思っている。枯葉剤をつかった畑の画像をバックにオーガニックコットンを、オーガニック認証機関がプロモーションするレベルだから、日本オーガニックがどこまで本当なのかはやばすぎる。それを指摘もしても変わらない、役人レベルのだらしなさで、権威主義の人間がオーガニックを食い物にする構造はまったく駄目。

合成繊維が入っていてもオーガニックという認証ラベルをつけるような動きまであるほど、日本人だと偽装に思えるものが、ヨーロッパのゆるい国際基準ではオッケーということ。一般的にコットン製品をリネンと呼ぶこともヨーロッパではよくありがちな話。また、インドでは遺伝子組み換えやコンベンショナルコットンの種の使用も、オーガニックコットンの種子を手に入れる努力をしても難しいなら許されてしまうような基準。遺伝子組み換え農家やコンベンショナルコットン農家が移行するときに大事な種子すら自助努力目標程度の基準なのである。インドでのオーガニックの種がその程度の基準なので、国際認証機関がトレイさびりてぃを謳ったとしても、一番敵視している遺伝子組み換えコットンの種が使われてしまっている疑惑が起ころうが、製品で判別する技術は存在しないと責任逃れ。トレイサビリティによる証明なのだが、コンベンショナルコットンの種の使用も認めているのだから、コンベンショナルコットンにはトレイサビリティはない、インドでは多くが遺伝子組み換えコットン、すなわち遺伝子組み換えコットンが混じっているのが普通で、インドの国のオーガニックの基準として、オーガニックコットンの種を使うというのが努力目標である程度では排除できるようなものではない。
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