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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年07月16日
仕事をしていて思うのが、ものごとって企画が良いとか悪いとかじゃなく、それをやる人によって同じ企画でも結果が異なるということになる。人が違うとつくる企画も変わってくるだろうけど、同じ企画でスタートしてもやる人によって結果は変わってくる。

何が大事なのかと考えるときに、難しいことでも諦めずに続けることが大事なんだろうと思う。そのときに続けるためには、ものごとを続けられる人と取り組むということ。続けられない人と取り組もうとすると続けている人の負担になってくる。

やりたいことはいっぱいあっても、やっている人でもやりたいことを我慢していることは多いのに、他の成功事例をみてこうすればよいみたいな安直なタイプだとそれを提案するその人がなぜそれを自分がやっていないのかという問題。

若い世代の子が産地のものづくりが問題だと感じることも多いだろう。それはそれでよいが、それを自分で超えて行くような動きをしないと難しいのだろうけど、アイデアはいろいろ出ても現実的なそれをする人がいないという問題を自分自身が解決しないと問題解決にはならないだろう。

実際にやってみて見えてくることが多くある。1日の作業も経験しない人が外から視てアーダコーダ言っているのが産地のものづくりの本質的な問題だろうと思う。そういうアドバイスが逆に本質的な問題を見失う原因になっていることがほとんどだろう。

成功に向かおうとするタイプの人でないとものごとはやらないほうがましかもしれないと思うことも多い。仕事というのが見えないと仕事が難しいということもあるだろう。目の前にやることがあってそれはチャンスなのだが、それが嫌で苦痛な仕事だけにしか思えない人だと無理やりする必要もないだろう。そういうやるかやらないかの迷いがあるうちはやっても食べてゆけるような話でもない。その道で迷いも無く取り組んでいる人のほうが実際の経験もあるし上手だからそれを越えていかないと残れないのは当たり前に思える。
2019年07月14日
新しい水槽を立ち上げてから3週間くらいにはなるだろう、十分くらいにたくさんいる卵をもっている母エビでも、ヌマエビの一匹も孵化せずに水質的になにが悪いのだろうといろいろと心配をしていた。

ようやく数匹、水槽の底の周辺に見つかる。親エビもそろそろ水槽にも慣れて落ち着いてきてくれたのだろう。全長2mmほどの小さな赤ちゃんヌマエビ。問題が解けた気分でうれしい。一番簡単だといわれるヌマエビの飼育が自分にとってこれほど難しいとは思いもしなかった。大規模にスターとしすぎたのが原因だろうか。

今日は朝から繊維の学校の方が来られお話、作業工程を案内するも機械を動かすのに右肩がうまく動かないが、右肩全体が凝った感じは残っているが痛みなんかはかなり落ち着いてきた。整経の作業などを少しづつだが進める、回復基調にはある。
2019年07月12日
ミナミヌマエビは1年の命。人間の一生100年が、小さな水槽の中で観察できる。まさにこれこそが、宗教の世界そのもので、地獄の沙汰も金次第とは違う世界がそこにはある。一緒に泳いでいた仲間が死ぬ、それを弔うように共食いしてすべてが回る。仲間が脱皮で苦しんでいたら助けているのが見える、仲間の人生を片付ける。

ミナミヌマエビも実際は共食いなんてしたくないだろうけども、共食いというのは仲間の背負ったエビ人生をすべて綺麗に片付けてあげる弔いの仕事。たぶん、エビの餌を上げているうちに弔いの共食いの義は無くなってしまうのだろうと思う。

方丈記の世界も、水槽のミナミヌマエビの世界と被る。弱ったエビを仲間が助けようとしているのは人間の世界を超えている。エビのえさを上げても横取りするエビは本当に少ない、人間はどうか横取りばかりか、既得権益みたいなものができあがっていて、みんなに平等すらにも渡らない。

それがオーガニックの世界でもおこって、営利目的の企業がオーガニックの世界を仕切っては駄目で、第三者機関というのはまさに偽装なオーガニックが世界的なオーガニックのスタンダード。爺婆の面倒な世界が、エシカルを謳うオーガニックの世界スタンダードでは笑うしかない。わかる人にはわかる現実のオーガニックの世界。
2019年07月11日
今日は雨が続いている。昼前まで補助金申請案件のテーマのことを考えていたほか、もろもろの件でバタバタ、午後からお客様、そのあと京都の大学で講師しておられる方から2年ぶりくらいに電話をもらって知り合いの先生が白絣っぽいものを探されているということ。結局、林与に残っているのは50くらい昔の本麻の数反しかなく、林与の記録として残しておかないといけない分だけ。手ごろなもので定期的に入るようなものがよいということで綿麻とか綿のものなら手軽な値段でネットで見たことがある気がしたので、そういう情報をご紹介した。

白絣はマンガン染、もう今はつくることは基本できないという形。別の似た方法だと似たようなものが作れるはずなのだが、今の時代、着物の生地が何百匹もそれなりの値段で流れることはないので、技法としてはセカンドベストなものが出来てもそれを何百疋作ってコストを落としたとしても成り立つかは別問題で難しいだろう。最初に見本が1匹欲しいとか言われることが多いので、企画だけでは最初の見本を作る100万円とか費用も掛かり時間もリスクもあるが、卵が先か鶏が先かの話になる。卸業者を当てにしていては、見本をつくったけど、実際には、話が流れたり、最初100疋でよいとか、いわれるのがよくあるパターン。実際の企画や卸業者の機能も包括しないと仕事しても振り回されて成り立たないことが多い。

右腕が上がり難いのが続いていて、右腕でものを持つのも力が足りないことが多い。これも放っておくうちに治るのだろうけども、強制的に鉄棒にぶら下がって痛いのを乗り越えるとかすれば治るか、あるいはポキンといってしまうのか。ずれているんだろう。

飼っているミナミヌマエビの水槽もにごり始めたので、もう一つ水槽を昨日立ち上げて抱卵個体を移した。ミナミヌマエビを飼うのが目的ではなく、水のろ過についての全般的な考察をすることが目的。この濁った状態というのはろ過し続けていても濁るので、水替えしかないというか水替えが一番の結論。濁るときにPhが、アルカリに傾き上がるとミナミヌマエビが死んでしまうとか、Ph6.8くらいの弱酸性状態がベストであることなど、ろ過だけで無く、バイオトープとして動物だけでなく土や植物などの生命環境が維持されないと水をろ過機能だけでは綺麗に保つことも難しい。

そろそろ村の池の問題も自分なりの答えが見えてきた気がして、極端に濁った場合には水を入れ替えるしかない。そのためには綺麗な水を入れる方法が必要で、濁った水をろ過して入れるよりは、ポンプで地下水をくみ上げて解決する方法が一番簡単だろう。新たにポンプを設置すると維持も問題が起こると大変なので、既存のポンプを許可をもらいある程度の費用を払う形で使わせてもらうのが一番よい方法ではないのかと思う。

今日、池も久しぶりに確認したら、水は澄んでいて、やはり、6月くらいまで田んぼの泥水が流れ込むのが基本的には濁りの原因であるのだろう。藻みたいなものも2ヶ月ほど前みたときには底にたまっていたがそれはなくなっていた。どうやって?2番目の小さな池は、泥がたまった状態。1週間に一度くらい1時間ほど思い切り、ポンプで地下水くみ上げ勢いよく地下水を流してあげるのが一番簡単な解決方法には違いない。

あと鯉の餌代の問題もあろう。安い餌を探せば1ヶ月2000円程度で済むのではないだろうか、ポンプの借用代金と含め年間5万円ほどの話ですまないだろうか。もうひとつ問題は、最終的に池のままにしておくのかグランドに戻す話になるのか。10年、20年あとに備えて積み立てを毎年10万づつ位しておき、鯉の面倒が見られないときには元に戻す話も検討をできるように費用面で用意しておかないとならないだろう。原発問題や太陽光問題も片付けるのが大きな話なのであるのと似ていて、片付けられないとアスベストやPCB問題以上の放射能やカドミウム問題を次の世代が背負わないとならない。

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

これは、オーガニックの世界にもいえる話。オーガニックの世界が、行きはよいよい帰り倭怖いのとおりゃんせな世界なのが怖い話。
2019年06月29日
朝6時に起きて夏祭り関係の書類の作成を始め、午後1時くらいまで掛かって重要な部分が完成、で、お墓の草むしり、そして堤防の除草作業の前準備、戻ってまた会議資料の作成の続き、夕方6時から役を当たっているもう一人の方が資料を綴じるのを手伝いに来てくれて、夜の7時半から会議、9時半の終了。

1回の全体会議で夏祭りの当日準備に向かう形なので、資料に関係者全員の作業の全部詰め込んでおく事が大事だろうと入念に資料作成。私以上に夏祭りに関して詳しい方が多いので教えてもらうことも多い。

全体会議も凝縮したが、夏祭りでは盆踊りとバザーをするのだが音頭櫓などを当日の朝から作り始めてなど例年よりも凝縮した準備方法。昔のように高校を卒業した後の夏から2年間若者が中心になって準備して盆踊りを行うのは若い人も少なくもう無理な状態で、父兄や役員がほとんどの準備を行う夏祭り。

バザーで販売する、やきそば、フランクフルト、やきとり、カキ氷が100円で、子供たちは無料で好きなだけ食べられる。子供を中心に楽しみにしてくれている人も多いし、夏祭りをやめようという意見も多いがなんだかんだ言いながらもやるとなるとみんな協力的でありがたい。

批判も多いかもしれないが、若い頃の夏祭りの準備というのは村の家や企業を回って寄付金を集めて費用を捻出。若い者がある程度自由度をもってファミリーレストランなどで好きなものを食べながら同世代のものが集える貴重な時間。大学や就職で田舎を離れても戻ってきて遊ぶ、たぶん最後くらいの機会。逆に今のように大人がすべてやってしまうと、そういう若者の楽しみが無く、かわいそうにも思う。夏祭りを目的に集まるが、せっかく集まるんだし、夏祭り以外の自由な部分での楽しみもあってよいだろう。

昔の夏祭りにはメモノートはあったけども、会議もほとんど無かったように思う。必要な準備作業を毎晩ほど集まってしてゆくだけ、30年ほど前のことだが、奨学生の地蔵盆と並んで、20前の若者が自主的に行事を進めることができるよい機会ではある。
2019年06月17日
今日は、芦屋から昔リネンを染めていただいていた社長ご夫妻が林与の先代の供養を兼ねてお越しくださった。麻を染めるのに命を掛けていたといわれるだけに、その当時に染めていただいていたリネンというのは光沢感からして違う。糸も当時の糸は今の糸と違う。

その技術は譲れるものでないというのも自分が本気でやっているものなら分かるけど、そこまでいかないものだと、どうせ死ぬんだから引き継いだほうがいいんじゃないのかというレベル。日本のそういう技術が担い手がなく消えていくのは正しいことのように思う。技術を教えて担ったとしても覚悟自体が引き継げなければ、意味が無いというのを分からないと難しいから、覚悟を決めたもの意外は逆に手を出さないほうがよいだろうと思う。

やればやるほど深みにはまるのが覚悟を決めた世界なので、業としてやっても儲かる世界ではないあたり、他と違うリネンの染のクオリティを生み出すために、特別のことをしておられた。それはほかのものが自分自身の苦労で、たどり着こうとしてたどりつかないと意味のない世界だろう。

長浜のDENさんに行かれたそうで、狭い世界でDENさんは、林与の麻生地を多く使ってくださっていて、話が弾んだそうで共通の価値観の世界。
2019年06月08日
ミナミヌマエビを数日飼ってみて思うのが、人の手間が要らないこと。その中でたくましく生きていて、また、1年くらいしか生きないので、100匹以上飼っていると、2日に1匹くらい大きめのが死んだりする。一方で、小さな小さなエビが何匹か毎日くらい生まれて、人間の100倍のスピードの生命がある。

人間社会というのはそういうのを忘れたところにあったりするもので、人の人生においても、そういう諸行無常を受け入れるというのも大事なんだろうと思う。ミナミヌマエビももっと自由にしてあげたいが、たらいの中で飼ってあげるくらいが一番安全だったりする。

水は工場の横の農業用水路から取るが、その用水路にも生命は存在するが、その用水路の水は人の手にゆだねられ、人間社会の加減で増えたり無くなったりで、その水路の生物たちが普通には生きてゆけないのも気の毒な話だなあと思う。飼われている動物以外に生きることが難しいのはかわいそうな話ではある。

自然界で増えることができるなら自然が残っているとうことであるがそうはいかない。その理由が他の自然の天敵ではなく、人間社会の都合だったりする。ミナミヌマエビは人間にとっては害虫でもないから、人が駆除しようともしていないが、それでもダムなんかができると今の自然界では生きてゆくのは難しい。

一方で、ジャンボタニシという稲を食う厳密にはタニシではないタニシに見える害虫がいる。工場の横の農業用水路にも、なぜか、大きなたぶんジャンボタニシが10匹くらい見えるだけでもいる。これも、人間の都合で1980年代に食用に全国の都道府県で養殖を始めて収益性が乏しいから、見捨てて自然の中で繁殖して、絶滅をさせるのが難しいやっかいな外来種となった。私もはじめみたときは、タニシでも大きく育って元気にしているんだなあと、自然に思える大きなタニシの裏に人間たちの浅はかな損得勘定があって金にならないと放置されて今度は害虫扱い。ジャンボタニシに罪はない。

別の目線から見れば今の日本の環境でも生きて繁殖できるジャンボタニシはサステイナビリティのある生き物。そういう人間が手を焼くような生き物しか田舎であっても自然の中では生きて繁殖してゆけないというのもなあ。
2019年06月04日
今年、評議員で、字の池の世話をする話で、池は何度か確認して池の水があまり綺麗でない理由の結論が、田んぼが農業用水を使うと泥を含んだ水が池に入る。するとその泥は池にたまり続けることになる。上澄みのきれいな水だけが下流へと流れていく。

結論からすると、鯉が動く度に下の泥が舞い上がるので水が濁ってみえてしまう。池の水を循環濾過するか、濃い泥を水と一緒にポンプで汲み出し新しい川の水を入れるか。新しいポンプつけて綺麗な地下水を池に入れると水は流れを持ち澄むが新らしいポンプを付ける
費用や電気代修理などの維持費の問題が生まれる。

もう一つ感じたのは黒い鯉がほとんどで一匹の赤っぽい鯉を除くとすべてが黒い魚で泥底をバックには魚が見えにくい。自然の川の魚と同じであるならその面倒をみるというのももうちっと魅力がないと業務的なところ。

こんなことを考え始めると本当のミスマッチの問題にたどり着く。周りにいっぱい自然やゃ緑が残っているのに人造の自然とふれあう公園というのはそもそも自然を求めているのではなく、都会的な公園を求めているんだろうなあというあたり。

本来だと田んぼの水を利用するより川に魚がいてそれとふれあうべきなのだろうが4m程も下にある川に子供が下りるも危険すぎるから、田舎でも自然にふれる機会は少ないのがもんだいなんだろう。

子供の頃に狐をみることはほとんどなかったが、狐が人の住むところまで降りてきている。山に食べ物がないんだろう。
2019年06月01日
地元に鯉の池があって、その水が濁っていて鯉にはよいのかもしれないが素敵には見えない。10年ほど前に補助金でできてそれを維持していくことの問題。村にしても若い人というか、50代でも、少ないし非常に忙しく、引退世代の人たちが、一日中畑の世話で余裕をもって時間が過ぎてゆくのとは、同じ村に住んでいてもまったく異なる。

はじめるのは簡単でも続けてゆくのは難しいという問題があるから、田舎にありがちな、強制的に無理やり続けるんじゃなくて、自然に続いてゆくような方法を考えてゆくべきだろう。最初、鯉の池の話を聞いても分からんことだらけ、水の問題があって、川の水を活用するプロジェクトながら、農業との水が自由に使えないみたいなところがある。

田んぼをするときには水が土で濁ってその水が池に入ると水も汚いという問題、地下水をくみ上げるポンプがあるけど、そのポンプは田んぼやってられる方が水利の組合を作ってポンプを管理されているので、村が池のために使うのは本筋ではないとか、最初は、よく分からなかったことがいろいろと見えてきた。

そういうポンプをうまく使えるようにもっていけないだろうか、別に地下水をくみ上げるポンプを池用につくるとかもあろうけど、そのポンプの維持というのは故障することなども想定すると結構お金が掛かる。池の問題は新たに生まれてきたことで、他の行事などもなかなか参加するものが少なくなっているのに、新しいものが増えてとなると次の世代は昔以上に大変。昭和の中ごろの高度成長期に始まった行事が今も続いているが、そろそろ限界にも来ていて、行事をすることでみんなが楽しめて良い思い出となればよいけども、無理やりとかだと悪い思い出となることもあるだろう。

私も農業よりも昔っぽい織物の仕事だが、やらんものが集まってても何も生まれてこないし、やる気があって実際するものがやっていく以外に成功する方法はないだろうと思う。やらされてやっているという程度ではうまく続けていくことは難しいだろう。
2019年05月31日
すごく厳しい話だけだけど、日本の一流商社のOBの関西のドンクラスでも私からしたら腐ってしまってての話すぎて、日本の繊維業界の伝統的な精神からすれば刺し違えたほうがよいのかとも思う。80の爺さんが私のやっていることを駄目の判断。別に私がその爺さんよりも先に死んでも構わないくらいに40代のときから考えているほどに日本の繊維業界がやみすぎているから、ユニクロさん、島村さんや、無印さんのほうが健全に思える。

種明かしをすれば身内に金を流すために日本の助成金を左右されている。断るべき話で断った、林与が無いなす44点とか評価、死ぬ気でやってても、80の爺さんが日本の繊維業界を腐らせるなら、指し違う覚悟が私。林与をマイナス評価して繊維業界を牛耳ってるとかだと、私がその人とその人の親類のブランドが胡散臭すぎて、日本の繊維業会が終ってもよいんじゃないかと思うほどに腐ってる。行政もしっかりせんと林与は覚悟きめているから、本気だと思って応援はしているが本気じゃなかったらNさんいい加減だと感じていればほんとうに日本の繊維業界を守るためだから地元行政でも私を干すならいつでも。80の関西のドンの爺さんがそのあと私をさけて逃げているの気持ち悪すぎて、繊維の世界は力じゃないんだよ。力関係で生きるならよく見ておく、私を干すなら干せばよいけど、その80の爺さんでも滋賀県のためにとかいって、身内がぼったくるよな何千万の企業補助金を国としてやるのは駄目だろう。

私も関西のドンかもしれないけどその人以上に本気だから日本の繊維業界をかねまみれから改善しないといけない。私も父親である先代の金に浮かれたのを被っているから、ショウもないほかの人間を食い物にするだけの大手の地元の日本を代表する商社OBである80の爺さんとでも本気にやってやるよ。なんで、国の補助金使いながら中小気漁期版機構のプロジェクトマネージャーが餅描いて、身内に利益誘導したがるのかが分からんのが本気でやってる人間。

こめんだけど、その親戚のデザイナー、展示会着ても展示会場の出展者も回らないどうしようもない日本の繊維業界の苦悩も分からない中小企業基盤機構のプロジェクトマネージャーと同じレベル。ものつくり爺さんと姪っ子いっしょにやめたほうがよいよ、本当の覚悟すらなく、80というのが厳しい。スパンデックスのリネン、営利目的の商社的で、そんなのでもうけても地場産業の目指すものが消えるばかりで、まさに資本主義というか、欧米や中国企業というか、近江商人として教育を一から受けるべきところ。

干されてもよいだよ、林与は。日本の繊維業界を元気にしたいなら一番駄目な爺さんが関西のドンで、日本の繊維業界が中国モデルそのもの採用しても、その規模や覚悟も足元にも及ばないと危惧しまっていると思うのは私だけなのか。干してもらってもよい覚悟で、日本の繊維業界を考えています。なんで日本の繊維は泥臭すぎて駄目なんだろう。
2019年05月29日
伝統工芸というものは分業で行われそれは手仕事の世界ではあるけども生産性の追及というあたり、今の海外のものづくりと近い概念を昔に導入していたといえる。海外でも単能的な技能工が工業生産を受け持っている。たとえば、縫製の世界なら一本針ミシンの一工程だけを担当するのが大きな工場でのよくあること。

たぶん、今の時代に伝統工芸の世界のものづくりに憧れる人というのは職人というよりも作家的な一個一個つくる感覚からであろうことが多いと思う。伝統工芸の世界は分業型であることが多い。最後作品という意味では、一人の先生が作ったみたいなほうか何倍も価値があるようにみえるだろう。結局、皮算用的なところに憧れで入ってしまう人というのは続かないことが多いものだろう。

実用性を求めない芸術の世界のアーティスト的なものづくりというのは、教えてもらってできるとかそういうのではなくって哲学的な考え方が必要で、自分の生活に今の時代の普通を求める感覚では根本的な要件を欠いてしまっているように思えたりする。一般的にアーティストが金満だったりすると普通の人と変わらんじゃないのいう結論にもなる気がする。
2019年05月20日
今日は、スタッフの子が、初めてのタイイングマシーンの練習。手で繋ぐのは一度、半日ほど練習してもらったが、タイイングマシーンに挑戦。タイイングマシーンを使うためには、織りおわった縦糸のアゼを取る必要がある。篠山タータンの縦糸のアゼを取って、別の色のピッチの違う篠山タータンを繋ぐ作業。

2回目か3回目のアゼ取り作業で、まだ慣れていないからアゼが何箇所か飛んでいる。分かる分かる私も若い頃にアゼ取りを専門でもないのに必要に迫られてやったときに、なかなかうまくアゼが取れないことがあった。せっかく、仕事を覚えるのだから全部つなぎきるまでを見てもらおうと見てもらう。

タイイングマシーンの調子も絶好調で調子がよいのだが、ときどきアゼが飛んでいるので、その対応に時間がとられる。最後のほうで、縦糸を強く張りすぎたか、タイイングマシンが糸を持っていこうとすると糸切れが続発するも、テンションを緩めてなんとかクリア。

麻糸は伸度が少ないので、タイイングマシーンで繋ぐときに糸切れを起こしてしまうことが多い。糸切れすると、その糸切れを直してあげるのにすごく迷うこともある。でも、正しい判断ができるように、今日だけでも糸切れの処理を何十回か見てもらうことで、タイイングマシーンのトラブルである糸切れを正しく直すのが当たり前と感じてもらう。

ちょっと気になったのが、はさみの使い方。はさみが切れないようにみえることが多いので、それほど悪いはさみじゃないと思うのにどうしてか、はさみの使い方を改めて修得してもらう。林与に来た人がハサミの使い方で苦戦しているのを見ることが多いが、ハサミは使い方次第で切れないハサミでも切ることが出来たりする。手の使い方次第でどんなハサミでも普通に糸が切ることができることがほとんど。

一つのハサミも何千回もハサミを使えば、ハサミも切れにくくなるのも当たり前で、それでも糸を問題なく切ることができる。ある機屋の方が林与に来たときには、林与の一個100円のハサミの切れ味に感動していた。普段、使い込んだ切りにくいハサミで普通に糸を切っておられるんだろうと思う。扱い難い刃の丸まったハサミを経験者が好むのも、刃がとがっていると危ないし、先も丸めて刃も丸まったハサミでも使い方次第なのである。ハサミはあるだけでありがたいと思うのは、ハサミがないときには糸を結ぶのも、1ミリ2ミリのムスビソで、はさみ使わずに切らずに結ぶ。はさみ使わずに2mm程度で機結びで結ぶことも練習すれば可能だけど、それをやるくらいならハサミ使ってカットしたほうが綺麗で早い。

ムスビソというのは結び目のことだが、ここにも、ソという言葉がある。苧(オ)と語源が同じで、オを結んだものという意味。
2019年05月19日
AIも人が作るんだから、想定外が修正もできないまま一人歩きする。動物は他の動物を感知できるが、AIが動物を見分けることは複雑すぎるし、ミスも多い。人の感覚をAIに置き換えれば解決すると思うだろうけど、人の感覚はそれぞれ異なる。

壊れそうなものが落ちそうになったときに、強く握って潰すのか落としてしまうのかの選択。人間はそれを的確に判断して、反対の手で受けるとか他の人を呼ぶとか当たり前にできるのだが、そこまでのプログラムとなると結局AIが、AIよりも愚かとされる人に近づくことになる矛盾。

人はうっかり余所見などあって事故を起こすことがあるけど、そのうっかりというのは設計にもいっぱいある。自動車でアクセルとブレーキが同時に踏まれたときに、オーバーブレーキじゃなくオーバーアクセルだったというのがつい10年ほど前までのこと。頭のよい人たちが自動車の安全を考えているのにそんな簡単なこともつい10年ほど前まで無視してきた。

最新の旅客機がパイロットが努力してもMCASメカニズムのため2回墜落したのも、オーバーブレーキの問題と似ている。運転車は、緊急時にアクセルとブレーキを踏み間違うことはないという想定がいくつもの事故を生み出した。緊急時にパイロットが正しい手順でMCASを無効化すれば問題ないという設計とか、似すぎているのである。大事故が起こるまで狭い範囲の技術を過信して責任のなすりあい。

昨日も新しいスタッフに、タイイングマシーンの使い方を覚えてもらう作業。手で繋ぐよりも何倍も早く繋げる可能性はあるけども、何一つ問題なくタイイングマシーンがつなげるように綺麗に人間が用意してあげる必要がある。それが出来る人はタイイングマシーンを扱えるが、そういう人というのは手で繋ぐことは当たり前にやってのけられるような几帳面な人だったりする。タイイングマシーンがなぜ糸を正しく繋いでくれないのかを理解できる人しかタイイングマシーンを使いこなせないのである。

織物工場でも普通はタイイングマシーンを使いこなせる人というのは10人に一人くらいかも知れない。縦本数の多い産地などでは、繋ぎ手さんが機屋を回って、タイイングマシーンで縦繋ぎするとかが、よく聞く話。人の能力が高くないとタイイングマシーンはややこしいだけのこと。日本では、これからタイイングマシーンを使いこなせるような人が増えるのかというと逆に増えないと思う。日本全体としては、自分が覚えて繋ぐより、出来る人に頼んで繋いでもらう話になるだろう。糸がつなげる人がいなくなり織物が日本では織れなくなるのも近いかもしれない。実際の糸を繋ぐという作業は、手で繋ぐにしてもタイイングマシーンにしても技術部分よりも必要なのは忍耐の世界だから、生産性を上げて労働時間を短くの流れの中でそれに付いて行けない人は増えて行くだろう。先進国でもどこに解決方法を求めるかというと、子供に詰め込むというところ、児童労働じゃないけどそれよりも過酷な受験競争とか、大人よりも大変な子供たち。働かない大人の問題を解決するのが次の世代だったりして、先進国も途上国の児童労働問題となんら変わらない。世の中にでもて働かない大人が有能な新人たちを年功序列で縛っては駄目だろう。

将棋の名人も階級社会なので新人が簡単に取れないようにしてあったりで、本来は逆じゃないのかと思う。新人にハンディを上げて上のものは戦うくらいがよいのではと思うが、階級社会というのは強いものにハンディを与え、弱いもののチャンスを奪っている。将棋も、本当の実力主義だと年功序列体制がひっくり返ってしまう可能性もある。オーガニックの世界が商業的なプラスチックな流れになって、本当の苦労している現場のオーガニックの人々が働いたら働いたなりに報われるべきだろうと思う。
2019年05月18日
今日は、スタッフの子が、タイイングマシーン2日目の練習。準備作業も昨日よりも何倍もスムーズにできて、つなぎ始めることができた。タイイングマシーンは、機場で何十年の人でも使えない人が多いのに飲み込みが早い。

タイイングマシーンも大事に使わないと調子のよいタイイングマシーンでもレバーが回らないときに無理をさせると一回でこじてしまって調子が悪くなる。林与には、同じタイプのタイイングマシーン4台あるけども、一番調子のよいタイイングマシーンで練習してもらい、上手になってもらう。

たぶん、あと3回くらい見よう見まねで練習をすれば自分で最初からタイイングマシーンを使えるようになるだろうと思う。林与に入ってから2ヶ月で5台のシャトル織機を動かせるようになってくれ助かっている。今まで、もろに挟んで糸切れも少ない、なかなかできる。
2019年05月11日
時代というものを感じるひとつに、書類などある。今、手書きの書類などがほとんどなくなりつつある。私自身、それはすごく残念なことであると思っている。

一方で、パソコンで似たようなデータから似たような書類をつくるという方法で、大量に書類が印刷されることにも疑問を思う。紙という媒体は資源であるので、保存が必要なく一回使うだけのものを大量に印刷するというのは資源の無駄使いそのもの。

また、新聞という媒体においても昔のように有効利用せずなら、電子媒体の形状でいつでもみられるようにしたほうがよいだろう。もちろん、紙媒体がよいとか、じっくりと読みたいとか、好みがあるが全体的な流れとして、新聞は紙媒体でないといけないということもあるまい。

戦前に始まった回覧板というものは、当時の事情を反映して1枚の紙に書いたものを回して読んだ。今、その謀砲が適切なのかというと、シャッター街と化す商店街形式と似ていて、コンビニ方式のところのほうが負担が少なく活性化してしまう。ものごとに陰りがみえたときには大きな方向性の問題があることが多い。

昔の売れていたものが今の時代に売れないのも分かるし、それを残して行くためには別のアローチも必要であろう。でないと、そういう価値のつまったものが海外で生産され、日本の産地を淘汰してしまうだけのことである。おみやげ物屋さんに行っても、おみやげ物は食べ物以外はたいてい海外産だったりすることも多い。

2019年05月05日
こどもの日に、途上国での児童労働をなくすアイデアを考えた。児童が学校に行って教育を受ければ、児童全員に対して、子供一人あたり1日たとえば1ドルを家庭がもらえるとかすればよいだろう。出席日数を確認して日数に応じて払えばよい。その国が支出すればよい。児童労働のある原因は、社会体質にもあるので国自体も国家の体質を変えねばならない。

たとえば、ミャンマーなら1000万人児童がいるとして、1000万人X110円X25日X12ヶ月=3300億円である。ミャンマーは35兆円規模のGNPがあるのでGNPの1%で児童労働がなくなる。GNPのインドなら2億人児童がいるとして、2億人X110円X25日X12ヶ月=6兆6000億円。インドは1000兆円規模のGNPがあるのでGNPの0.66%で児童労働が無くなる。南スーダン250万人X110円X25日X12ヶ月=825億円。南スーダンは2兆円のGNPがあるので4%で児童労働がなくなるが、1ドルでなく、物価をかんがみてGNPの1%程度になるように調整をすればよい。基本、各国がその国のGNPの1%の支出をすれば、子供の多い家庭は子供が学校に行くことで収入を得られることになる。

もちろん、裕福な家庭も含んでいるのでもともと学校に行ける子にも支給するのは必要ないかもしれないが、裕福な家も貧しい家も平等に扱って配れば簡単なことになる。現金ではなく、フードチケットみたいな形にする方法もあるだろうが、偽造や利権など絡むだろうから現金がよいだろう。学校の先生が、半年に1度、親が学校に来たときに渡せばよい。

弊害となるだろうは、各国の支配層や富裕層の不満だろう。児童労働を必要としているのは、支配層や富裕層だろうから。また、間に入って利権を取れないメカニズムにするのを嫌がる連中も多いだろう。日本でも国民全員に給付となると利権を求めて間に余分な人を入れる構図がよくあるのと同じ。
2019年05月04日
明日の子供の日を前に、字のこいのぼりの撤収作業。作業は大したことはなく何事もなかったように終了して、大手の織物メーカーの人と話して、見本整経のできる人を探しておられる件の話。退職後も継続して働いてもらうような形が理想だろうなあと思うが、次の世代に引き継がなければとう状況で、大手にしても人はたくさんいても実際に働く現場でできる人というのは見つけ難いということだろう。

織物設計を記録することや見本整経機を扱えてはたぶん、新卒の人なら学べば誰でもこなせる程度のことだろう。その後がどうだろう、巻き取り?巻き取ったものをタイイングマシンで繋ぐ?この辺りが作業としては地道さがあるので難しいところかもと思う。そこまでいってしまうと見本を織る作業もついでにとなり、一人で全部やってしまうような林与スタイルとあんまり変わらないのではないか。大きな工場だから織物つくれる優秀な能力というのは当たり前の想定だろうけど、織物工場の根本的な機能全体を集約したような人だから職人というより親方クラスの力が必要で見つけるのも育てるのもなかなか難しいなあと思う。

大手の織物工場でも中にそういう人がいないという状況なのも、なんで林与が一人で全部できるみたいな人が大事なのかと考えているのかの理由であったりもする。でも、若い人で普通を求めず志の高い人いたら、実際とことんやるならゼロからでもできる仕事だと思う。何十年の経験者を、半年、1年、2年で越えてゆくという覚悟でとことんやるならできないことではないとは思う。

体育委員の役が、来年くらいあたりそうで、昔20代の後半に一度当たって2度目、50のおっさんが体育委員当たるのも他のメンバーはたぶん20代30代だろうから風通しの悪いことじゃないのかと思う。静かに見守って雑用をこなし、若い世代をサポートする役目が適切だろう。これは今の70代、80代が敗戦後、戦前世代にサポートされて戦後のひと世代を築いたのに似ていると思う。苦労している今の学生のほうが、順風満帆に育った嫌だとか面倒だとかばかりが口から出てくる堕落した年配のものよりもまだましで、まともな感覚の学生や若い世代に日本の世の中を任せたほうが思うことも多い。一部の年配世代は若い世代を同じ流れに取り込もうとしているが取り込まれないほうが自分で生きて行くためには良いだろう。
2019年05月03日
今日は午前午後と2軒お客様。午前は長浜のDENの北山さんで、20年近くの知り合いで今も洋服づくりに専念されている。東京でのイベントがあるそうでそのための生地を探しに来られた。午後からは、大阪でお店を持ってオリジナルの洋服も企画されている方で、オリジナルの生地の件。休みなんだけども普通に仕事のことで動かれていてそれが苦痛なようには思えない。私もこのゴールデンウィークもそれなりに織機を動かしたり、準備しながら、遅れている案件を追いつかないとと誰かにやらされているという感覚なんてまったくないのだが、勤め人だとなかなかそうは思えないのだろうと思う。

休みの日にも本腰的な濃い内容のことを気持ちのある仲間が集まって進める。繊維の世界にそういうの残っていてもよいんじゃないだろうか。もう一軒午前中に宮浦さんの糸編の方もご連絡をいただき、ちょうど今帰省されていて今日しか時間がないのだけど会社訪問できないかというお話、今日は埋まっているのでまた次の機会にということで了承をいただいたが、私のお客様というのは、仕事で自分の世界を持ってつくって動かれている方たちばかり。

お客様が帰られてからミルツルさんの出荷、ゴールデンウィーク中も動かれていて、明日受け取りが出来るよう出荷。私の周りは昭和?のままなのかも。自分が自分で仕事して食べていくというのが普通だとはおもうが、それが消え行く中で、私の周りではそういうのが普通に流れていて、当たり前に支えあって動くような、特別な価値観が生まれやすいんだろうと思う。林与なんて本当に小さな会社だけど力は、そういう周りの人が寛容な対応で与えていてくれているところがあって、迷惑掛けることも多いが感謝なのである。
2019年05月02日
今日は、職人さんがシャトル織機のステッキの皮のバッファが破れている問題に気が付いて交換修理してくれた、ありがたい。でも、しばらくすると織機が止まってばかりになったので、思い切って、その問題を解決しようと夜作業。淡々と時間が過ぎてゆく、4時間、5時間、6時間。なんとか、切れた皮をジャガードの吊り紐で縫う形での修理が終って取り付け直して織ると、横糸を1本織ったくらいで、縫ったジャガードの吊り紐が切れて元の木阿弥。若干シャトルの尻が浮きながら不安定に叩かれる。

これも原因も対応方法も時間があれば、丁寧にどれだけでも修理したいこともあるけど、今は時間がなくとりあえずその状態で動かす。シャトル織機も無理させなければ長持ちするのだけども、時間に追われて無理させることがあるとどうしても壊れやすい。交代でとか仕事ができると織機を長時間動かせるのだが、何か私しか解決できないとか私一人しか織れない状況に陥ると挽回するために、シャトル織機のスピードを少し上げてしまうことがある。良くないのである。

今、新しいスタッフが1ヶ月で、ゴールデンウィークの前半、昼間、シャトル織機を一人で動かしてくれた。林与もシャトル織機に負荷を掛けることなく、織機を調子よく動かせる流れになれたらと明るい兆し。
2019年05月01日
平成天皇陛下も退位されるのには思いがあられるのだろうと思う。地位にしがみ付いて死ぬまで地位を守ろうとする議員なんかも多いけど、そういうのと違って、次に譲ろうとするのが人柄の表れに思う。引き際も利権にすがる政治家たちとは好対照で、そういうものが令和の時代の流れになって行けばよいなあと思う。日本も、若いピュアな精神をもった人たちに任せたほうがよいだろうと思う。死ぬまで地位や利権にしがみつこうとするものが次の世代に重荷を背負わせて食いつぶしても仕方ないだろう。

林与のタイムカード、昭和を平成に訂正して使ってきたけど、それをさらに訂正して令和にして使う。使えるものは使ってゆけばよい、活躍してくれているシャトル織機も昭和のものだし。新しくせずに、訂正して使うということも一つの考え方だろう。そういうのなくなると手の世界の価値観というのは薄っぺらくなってしまうだろう。今あるものに価値も感じずに新しいものを生み出そうとしても今ある価値も生み出せないがほとんどだろうし、私が思うのは、新しい人たちが一つ前の世代越えてゆくような理想系。

行政なんかは軌道修正もできず一世代前の失敗を今も引き継いで上塗りして、若者のなかに起業家を探したりしているけども自由に起業させてあげればよいのに、自由でもない気持ち悪い縛りがついた食い物にされるような起業形態に誘導したり。行政も、カモ探しでは駄目だろうと思う。後継者探しなんかも行政がらみは怪しいのが多かったりするから要注意で、制度としてはしがらみなくスタートできるように行政が誘導しないと。
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