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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年12月18日
最初にパソコンが出始めたころというのは、ゲームなんかもいろいろと作られていて、今の携帯ブームみたいなものだったと思える。私自身が思うのは、みんなが使うソフトウェアというのが、ワード、エクセル、とか、あと専門職のひとたちは、フォトショップやイラストレーターとか。ソフト自体よりも、データの共有が重要視されて、英語が国際語であるのと同じく、世界中で言語は別としても同じデータを共有できるというあたりが重要だったりする。

ウェブなんかもHTMLという言語で書かれていて、その言語に従ってつくるか、その言語を生成するソフトでデザインしてウェブにアップすれば、そのページは世界中で見られる。ツールを使いこなせれば、出版社と同じようなことができることになる。SNSなんかもその類であろう。また、郵便なんかもEメールに置き換わってきた。銀行に行かなくてもネットバンクとか、買い物もウェブでとか。

もう、お店に行ってもあまり在庫がないとかが多くなってきて、ネットのほうが豊富に在庫もあって、自分の知りたい情報も店員に聞くよりも手に入るということが多くなっている。今日も、SDカードのメモリのことでメーカーに電話で直接問い合わせたが、店員に聞いてもお店に無いものは無いで終わることも多いのである。聞いた店員さんがたまたま詳しい人だとよいけども、普通の人も沢山働いているので同じ質問でも聞く人によって答えは変わってくるのである。

私も作っている側なので、生地に関する細かな質問なんかは私以外のほかのものが分からないことが多い。聞いている人も分からないかもしれないが、つくっている人たちのほとんどの人が分かっていないのだから、それを売る人が正しい知識を持っているということは現実的ではないだろう。
2018年12月17日
私の使っているノートパソコンが液晶の乱れが出てきて限界を感じる。中古で同じタイプの新しいのを手に入れる段取り、高性能な携帯電話が10万円とか越えていてもやはり、ノートパソコンのほうが便利だったりするも、数年前のタイプなら3万円も出せば手に入る。

読み書きそろばんというが、今は、田舎の自治会の経理や案内にしても手書きということはないし、パソコンが使えないと年配の人でも困ることは多い。私の母親はパソコンとかは、アレルギー的に目が悪くなるとか、毛嫌いしていたので、それが次の世代にも影響を及ぼしている。周囲にパソコンを使える人が少ないのである。

それほど難しくは無いのでやればよいのにと思うけども、普通のひとはキーボードをタイピングあたりが一つの壁になって、そのあたりが出来ないと文章を書いたり直したりも難しいので、それに関しては気の毒に思う。私自身は小学生の頃にパソコンが出始めたので、一番良いスタートを切れたと思う。

もう一つ言えば、その前には、家にシャープの緑のデジタル表示の計算機があった。電機メーカーの中でも、PC98を作っていた日本電気が一番で、富士通や日立、東芝などが家電メーカーらしかった。シャープやカシオは異端児的で、つくるパソコンもちょっと特別だった。シャープやカシオはポケコンも作っていて、そのあたりが、他のメーカーとの違いだったと思う。

いつもバタバタしているときに、プリントがうまくできないとかが多すぎるので、今はプリンタも3台使えるようにしてある。パソコンにしても、何台も持っていて用途に応じて使い分けるほうがよいような気がして、何台も持っている。汎用的な状態から、使う用途に応じてパソコンを特色付けて使い分けるのが、織物の織機を使い分けるのと似ている。

中古の織機もそうだけど、中古のノートパソコンも自分と相性の合うものを何台も置いておくと、作業が捗って幸せに仕事が出来るのである。自分が持ち運ぶ1台以外にいろんな場所にそれぞれの作業専用のパソコンがあることで、ごちゃごちゃしなくって良いのである。経理は経理用、ネットショップはネットショップ用、在庫管理は在庫管理用、織物のデータ管理はデータ管理用。デザインはデザイン用。今はデータはサーバーがなくても、クラウドで管理できるので有難い話である。
2018年12月12日
田舎での自転車の車道走行は、人命に関わる問題だったりするけども、あんまり人命も考えていない人たちが法律をその場しのぎに変えてゆくのだろう。免許の更新でもおじいさんが自転車で歩道のあるところで車道を走っていて、車に轢かれて死亡事故のケースをモニタでやっていて、注意しましょうということだったが、誰も歩いていない歩道を自転車のおじいさんが走っていれば、最初から安全で、命すら守れたのにと思うけど。法律が命を奪っても仕方ないで終わる。

都市部で歩行者が多いのに自転車が歩道を走るのが危険というのも良くわかるけども、そういう場合には状況に応じて、法律をしっかりと使い分けしないといけないのである。そういうのが命を犠牲にしようが面倒なんだろうと思う。田舎だと自転車が歩道を走ろうがほとんど問題がなかったのに、自転車が危険な車道を走ることになる。歩道に自転車通行可の整備すらできていない、それが危険を生む。国道で自転車が車道を走れということが法律になるが、国道でも安全に歩行者は歩道を歩けても、自転車が車に追い越されるたびに相当な危険を生む。

人が沢山死なないと法律は変わらないのだろうけども、できるなら人の命が奪われる前に、法律を人が命を奪われないように改正すべきだろうと思う。面倒がらずに、都市の状況と田舎の状況を使い分けて違う法律で人の命を守る。地下鉄や鉄道が整備された都市部では、少し歩けばいろんなことが可能になるが、田舎というのは地下鉄もなければ鉄道も無い。行政が十分なインフラを提供できず、その分自分たちで解決して行かないとならないといけないことは多い。

まあ、田舎で歩道を自転車が走っていても法律違反のケースでも警察も分かっているから捕まえることはないだろうけど、命を危険にさらさないと法律が守れないような法律というのは、本当に愚かすぎて、法律を考えるものの能力不足そのものだろう。滋賀県なんかは、従順な人が多いので自動車の昼間のライトの点灯運動なんかもあったりしたけど、今のバイクのように常時点灯しか選べない仕様なら問題ないけど、あんなのが法律になると法律違反が増えすぎてしまうという問題は考えないのだろうかと思う。究極を目指そうとすると現実が見えなくなるもので、今、それほど問題なく行っていることすら成り立たなくなる。
2018年12月11日
久しぶりに自転車屋さんに行ったら、小学生のときから自転車をみてもらっていたおじいさんがストーブの前で車椅子にのって居られた。92歳だそうで、最初は分からなかったみたいだけど話をすると覚えていてくれてうれしかった。

その息子さんでも、区長とかされているので70歳近いだろう。タイヤの空気が抜けたのを見てもらった。自転車屋というのも昔のように自転車も当たり前に売れるわけでもなく、量販店で買う人も多くなっているので、もう新しい自転車は売ってないに近いだろう。

最近は自転車もルールがややこしくなって乗る人が減ったと思う。田舎だと活躍していたのだが、自転車は道路を走るとか、田舎だとやばすぎる法律の変更で、自転車に乗るのは危険な状態。子供が自転車で歩道を走るくらいが丁度よいだろう。お酒のんで自転車乗っても飲酒運転とかなので集落内の近い距離なら歩いたほうがましだろう、保険も入らないといけないとか自転車すら乗らざるスタイルがややこしくなくてよい。自転車屋さんが成り立たなくなるのもそういう要因があるのだろう。
2018年12月10日
昔、同志社大学の校友会が寄付金の運用を株式でやって、15億円消えてしまったことが問題になった。寄付をする側は、1万円でも母校のためにとやったのだけど、託した気持ちの重みを感じないものは、安易に手をつけてしまう。寄付金なんてものは善意の塊だから増えなくてもよいから正しく使わないといけない。

同志社の創設者新島譲が、貧しい農民から何ドルかの寄付をもらって、それが元になり帰国し英学校として同志社が生まれた。12人ほどの学生だったが、言うことをきいてくれなくて、悔しくて自分の手を鞭打って、国禁を犯してアメリカに渡り、明治の開国の日本の通訳としても活躍した新島だが、小さな英学校の先生として、うまく行かないことに自分の手を鞭打った。

寄付金15億円溶かした交友会会長も、そういう逸話のすべてを良く知っている人で学生には壇上でそれを諭し、寄付金を集めながらも、大阪証券取引所の名士だったこともあり、大阪証券取引所の大量の架空取引などにも手を染め、自利のために国民を欺くなど、母校の代表的だった校友会会長が、一転して母校の恥ずべき人物の代表となってしまった。

本人としたらすべて母校のためだったのだろうけど、基本を逸脱すれば駄目、寄付金があぶくで増えても寄付した人は誰も喜ばないのを分からないと。あぶくで身をたたせるとそういう道に落ちてしまう。自分のお金を使いながらうまく成り立たなくても自分で自分の手を鞭打ち、気持ちの面で常に正しいところにいないと。自分が卒業式で、その会長の挨拶を聞いて、諭す言葉は多いがありきたりな権威主義的で、ありえないほどに同志社の新島譲の精神を理解していない違和感を感じた。卒業式が、母校の校友会の存在を知ったのも初めてで、校友会に対するすごく悪い印象が校友会会長の挨拶で印象ずけられ、卒業生がそういうのに引きづられないほうがよいだろうなあと見守っていたので、経緯としてこんなところに書いている。

日本の年金なんかも正当化するために、自分の老後を守るためだからと強制していたのが、案の定、30、40年後の払わないといけないタイミングになると、世代間扶助とか言い出すし、都合よく年金記録も消えて、莫大なカネをいくら行政の人間が盗んだ人がいるのかも分からない。取るだけ取って払うつもりすらなかったというのが日本の国の年金行政なのであり、まったく誉められたものではない。年金を溶かしてしまう可能性のある株式に投入するとかも異常な話で運用益が出たとしてもあぶく銭なのであり、人が地道に働いて預けたお金を運用する方法としては、あぶくな方法で誰が責任を取ることもなく老後が逆に不安定になる。
2018年12月06日
この前、丸亀うどんを半年振りくらいに食べた。丸亀うどんも地元に登場したときは衝撃的だったけど、今は誰もがいうのが普通みたいな話。ぜんぜん悪くないと思うけど、そこまでしていても普通に思われてしまうのは厳しいくらいの話。かけうどん大を食べてかわら版もらえた。中に100円割引とか、半額とかの券が付いている。経営努力がすごく見える。つゆかけご飯が載っている。だしは無料だから、130円のご飯を頼めば楽しめるということ。

同じく幸楽苑というラーメン屋さんもあったけど、290円のラーメンで、1000店舗を目指して今は縮小気味で、彦根も閉店した。コンビニもそうだけど閉店するところが増えている。広がるときというのは簡単なんだけど、縮小するときが難しいんだろうと思う。フランチャイズは雇用じゃないから広がるんだろう、だがフランチャイズ加盟店の経営の現実は厳しい。裏と表の世界が逆というだけで、表が業績好調なときでも裏は成り立っていないのである。やれば儲かるという言葉にのせられた投機的な側面が大きい。

見える側面と見えない側面、日産の件でも、日本人の経営者が雇用を守ろうとして業績が上がらないケースがある。当たり前といえば当たり前で、日本の経営者だと雇用を守ることが一番であるかのように行政が存在する。結局、外国企業に身売りする以外に方法がなく、外国人経営者が何千人のリストラやコストダウンを強いて当たり前に業績の回復で、行政もニコニコでマスコミ的にも美談なのが、なんか一貫性もなく経営の難しさだろう。自由な競争ができれば日本企業も生き残れるだろうけど、行政の内弁慶な体質がつぎつぎと経営努力をつぶしているところがあるだろう。見方さえ変えれば日本人的な経営というのは雇用も守ろうとし一人が何十億も取らないでそれをみんなに分配して分かち合う要素は大きい。

特許がどうとか商標がどうとか、人がつくりあげた実質のないものだけが法律で守られて企業価値みたいな形で、売買されてそれで終わりみたいな。今、中小や零細企業の後継者の問題があるけども、そういう企業M&Aの売りが、儲かっているのに廃業だからもったいないみたいな感覚。その感覚で後継者を見つけると難しいだろうなあと思う。

そういう企業がオンリーワンで生き残っているのはその経営者の人の部分であろう。私の同級生の親父さんがされていた10人ほどの従業員がおられて福利厚生もしっかりと自慢だった経営者の織物の工場が、経営者がなくなられると廃業というのも良く分かるのである。面倒を見る側と面倒をみられる側、面倒を見るものがいなくなれば終わりというだけのこと。本当は、中で面倒を見る側に育っていかないといけないのだろうけども。育てるということあきらかに難しいのが日本の国の行政的な考え方。面倒を見る側の人がどんどんと減っている。

行政が、企業後継者を探そうとしても、面倒を見るというところできる人を見つけないといけないのだろうけど。そういう重い部分に目は行かないだろう。私自身、ある織物工場から頼まれてお客さんが困るから織機を譲るので続けてもらいたいという話があったけども、みんなが同じ感覚だとものごとは運びやすいが、感覚が異なると物事はうまく行かないものである。私が動こうとしたのも儲からない仕事でも失われた50年前の世界が残せるだろうから引き受ける価値があると感じたからだけのことで、引き受けること自体が一肌脱がないと駄目な誰もが逃げる重荷なのである。

マイナスで働ける人しか引き受けられないような面倒を見る側の世界。そういうのが普通だったんだろうと思うが、面倒を見られる側が面倒を見る側に回ることがなくなるとそういう社会は続かないわなあ。サステイナブルな社会を目指すというのもそういうあたりが本質なんだろうと思う。エコでよく言われるのが、育むということだけど、育くものと育まれるものの壁が出来てしまうと、終わりなんだろうと思う。育まれたものが育む側に回るようになってこそサステイナブルな流れにつながるのだろうと思う。
2018年12月05日
作業着としてユニクロのボアのパーカーを使っている。もう5年以上になるだろう、ボロボロで限界過ぎて。新しいのを買おうと思ったら、まだ同じものが売っていて3枚買った。着てみると少し素材感が薄くなったか、ベトナム製になっている。ボアの部分も外のファブリックも薄く柔らかく。ちょっと残念、違いの分かる男なのである。なんか今までのより相当軽いが悪くは無い。

私自身こだわりがあったりするので、同じものを使い続けてまた同じものを買って使い続ける。ノートパソコンもそうで、レッツノートの同じタイプを使えなくしては、中古を買って、もう10年近く使っている。誰かが使ったものでもまだ活用ができるので、私のような人間が使えばよいのだと思う。

パソコンに思うのはもう夢がなくなって道具として使うだけになったこと。子供の頃というのはパソコンが新しいものが出ると早くなるだけでなく、新しいことができるようになった。今は、パソコンも性能がアップするだけで、10年前のパソコンでもタイプスピード、返還スピードには十分付いてきてくれるので、なんら問題はない。

私自身、自分の作ったリネンで一番愛用しているのが、ハニカムのタオル。リネンハニカムは今ではどこでも見るようになったけど、10年前に、平織りばっかりだとつまらないので、綾じゃ工夫がないし、4枚ドビーのハニカムをタオル用に織ろうと思って作ったのがきっかけで、数日で出来上がった。それが今もリネンのハニカム織として残っている。

先日、ある社長さんと話したときに、その方もあと10年で何ができるのかを考えておられた、私の場合にはあと20年で何ができるのか。やりたいことはいっぱいあるし、20年というのは詰め込めば10年で一人の仕事の一生分くらいはできるだろうから、まだまだ、新卒に戻ってくたびれるまでやって2回できるということになる。

最新じゃな古いものばかりに包まれて自分の世界を作り上げて行く、でも、私自身は職人的ではないのである。職人というのはながら仕事で考えずん仕事しているような感じで、私の場合には結構確認ばかりで考えて考えて作業しているから。その分失敗が少ないからなんとか生き残れているのだろう。

この仕事は難しいなあと思うのは、一回で確実に答えを出していかないといけないこと。企画が始まったらそれをなんとしても形にしないと、途中問題が起こってもなんとか乗り越えないととうあたり、違和感を感じることで誰かが織機を触ってしまったのに気がつくとかで、原因が分かるとか、織機の音が微妙にずれているとか、糸に違和感を感じるとか、で救われてることが多い。

コンピュータが使えることは織物にとっては良いことなのである。もともと織機の原理からコンピュータも生まれているので、織物と追うのはコンピュータが計算した計算結果が出力されたようなものなのである。ドビーカードはプログラミングと同じだし。若い頃にプログラマーの現場にも少しいたので、コンピュータの仕事も織物の仕事も本質は似てるなあと思うところがある。
2018年12月04日
暖冬気味だけど、週末からは冷え込むという。もう12月なのに寒い気がしないのである。夜工場で働いていても暖房もなしに普通にやっていけてるので幸せで、あと2ヶ月もすれば、春先で、麻を扱っている身からすれば、悪いことではないのだが、冬場に冬物が売れないということは、私の仕事のお客様というのは春夏物も秋冬物も扱っておられるので、秋冬がうまく回らなければ、春夏物を扱うムードも下がる。

それでも、麻はエコな流れからしてもトレンドの主たるもので、価格もかなり手ごろになったので若い方でも麻を選ばれる方が多くなって、麻の専門でよかったなあと思うことは多い。アパレルだけでなく、小物やインテリアなども麻は、ワンランク上の素材として選んでもらいやすい。

日本でこれだけ暑いので、これから豊かになる南アジアの国々や、富裕層の多い中東なんかもターゲットと考えると、一年中、需要はあると考えても間違いではないだろう。
2018年12月03日
仲良くさせてもらっている機屋さんに電話したときに人が多くても大変なだけだという話があった。会社の中というのは出来る人もいれば出来ない人もいる、一番厳しいのは仕事するのも難しいとか、仕事というのはあるとかないとかでなくて自分で作ってやっていかないと本当に仕事をする力があるとはいえないもので、そういう人というのは本当に稀である。

私も仕事を教えてもらったのがそういう方だったので仕事をいつでも自分で生み出す力をもっている。別の人に仕事を教えてもらっていたら手抜きばかりになっていたかもしれない。仕事を教えてもらった方以上に、いろいろと工夫してよいものが出来上がるように詰め込んで私なりのものづくりの手法があるから、普通は難しいことでも失敗が少なく出来上がる。

何十年やっている人が一般的に仕事が上手かというと、産地で織物が衰退していることを考えると、田舎の商店街と同じ現象が現場にあったのではないかと思う。お客さんがこないから一日中店番みたいな雰囲気で、惰性で仕事をしていた。何か難しい仕事があってもそれを積極的にやるような人がいなかったとか。

経験の長い人というのは、問題の本質が見えなくなることが多くて、自分が問題を解決できなくて他の人が解決してしまうと面子が潰れてしまうところがある。綺麗に仕事を終えられた70歳の社長や、別の食品関係の機材をつくられている70歳の方、また、機械開発を電機メーカーでされていて引退後織物関係を手伝われていた方とかは、私が話をさせていただいていても、面子の張り合いみたいなものがなく、珍しいといえば珍しい存在で、そういう人が仕事が出来るのである。

ふた周りくらい違う世代の方でも、そういう先生のような人ばかりではなく、半分以上は相手するのもむつかしい方で、仕事をしようとしてもモーティベーションからして、分からんとか、分からない、できない、からはじまるので、用意と後片付けをすべてこちらが任され、こちらが高度なことをしようとしても、時間がある人がどこまでも時間を取ってしまう。母親がそのタイプで、ちゃんと説明しないから分からないのよと、説明しても自分がこの方法のほうがよいからと別の方法でやってしまって、毎回毎回そんなことばかりの典型で、食べられるところまで上手にならならず、1日来てくれるバイトの学生よりも仕事を頼むのが難しいとかも多い。そういう状況だと面子が先に勝って、簡単な仕事も我流が入って本当に正しくしてもらうのが用意ばかり確認ばかり駄目出しばかりで難しいのである。

産地の問題の本質はそこなのだ。いまや経験の浅い日本人が馬鹿にしがちな海外の繊維産業ほうが正しくものづくりできるようなのも当たり前なのである。仕事もしなくなって正しいものもつくれなくなって、それで産地が苦しいといっても仕方ないといえば仕方ない。人数の多い会社というのは、だらしない人が逃げ出すように規則などで細かく縛らないと成り立たない。私も世界最先端クラスの電子機器の工場の製造現場で働いたこともあるが、田舎の年配の人だと無理だろうなあと思う。一つの失敗も許されず、確認作業ばかり、一つでも失敗があると、改善書を書かないといけない。高卒のにいちゃんたちがそういう現場で普通に働いていて仕事こなしているけど、我流が多くなる年配の方では、言われたことを言われたとおりにすることができず、駄目だしされるのも嫌だろうし駄目だしするほうも嫌になるだろう。仕事で環境柔軟性は大事で、我流が勝ってしまう人はどうしても上達できず、自分はどうこうの話になってしまう。

町内の織ってもらっている工場のために、いつも間違いが多いので、全部糸を新しいビニール袋にいれてマジックでどれのどの糸かが分かるように渡して、次のときにいくとビニール袋を別の用途に使いたかったのだろう、ビニール袋は消え、糸がごちゃごちゃになっている。失敗も多いわけで、失敗してもへっちゃらなところがあるのが何十年の経験者で、どうしようもないから丁寧に準備までしても若い者にそういう失敗で困らせて平気だったりで、そういうのが普通なのが田舎の現場だったりするから、私もしたくはないけど、そういう人には引導を渡したり、鬼にならないと普通の簡単な仕事もこなすことが難しい。

林与の場合、先代にしても産地ではものづくりに長けていると定評はあるがアル中で、なにかにつけて面子が先に立ってしまって、お山の大将をやっているから、自分が仕事していないから結局仕事できない体質になって、良い時代が終わると一つの仕事もちゃんとできないので、仕事をすれば雑すぎて一つの仕事も助ける人が居ないと成り立たない半人前。先代でも、田舎で億の仕事を経営者としてこなしていた人だが、仕事が出来ない駄目な人と私が見切ったことで林与という会社が存続しているようなところもある。もちろん織物の基本や応用も理解できているが、実際に時間があっても必要に迫られても自分が作業しないし正しくも出来ないから基本的に仕事は半人前だろうと思う。

日本の繊維産業の好景気は、今となっては外部的な要因でつくられていたということなのである。繊維産業というのは自動車や電気機器とちがって、車検や修理が必要ないことが多いので、地球規模の自由競争にさらされやすい。戦後から昭和50年くらいまでは為替の関係もあって、国の成長を国の中での生産が支えた。それが、昭和50年代に円の切上げ、途上国通貨の切り下げが行われ、立場が逆転して、日本の繊維産業にとっては逆風。

新しく立ち上がった途上国の繊維輸出産業が日本をマーケットにして発展して行く。今は携帯電話の中の機器の製造が国を支える韓国も、日本の次の繊維の世界の中心となった。そしてそれが中国に移り、そしてそれがベトナムに移る流れ。

そういう量産型のモデルを日本で成功モデルとしてやろうとしても同じなら海外でやったほうが10分の1でものが出来上がってくる。日本という国ができることは、特殊な考えをもって特別なものをつくらないといけない。私自身は、日本の消費者のニーズとしては世界で一番その要求が高いので、流通さえうまくこなせれば織物の製造が一般と比べても悪い職業ではないと思える。

機械を使って人が働いてもどこの国でも同じものしか出来ないかというと、同じ材料、同じ機械でも、人が違えば完成度は変わってくるのである。それがマニュアル化してしまって、正しいものをつくるようになると、世界共通の同じ程度のものしか出来なくなる。マニュアルが無くても少しでも正しいものをつくろうとする取り組みが生きていれば良いものはできるのである。でもそういうのを否定して仕事が面倒から始まるのが今の現場だったりするから、人が多いほどに大変になるのだろう。仕事は困難が多くても当たり前だし、逃げないで前向きに楽しくやっていかねばと思う。
2018年12月02日
ほとんどの時間、工場の中にいたりして、外の世界とは遮断されていることが多いので、普通の人から見れば、趣味は何ですかとか聞かれる。仕事以外の別の楽しみが大事だったりするということなのだろうけども、私の場合にはいろいろと何十年の重荷を背負って仕事している。普通の人よりも自由じゃなんだけど、普通の人よりも思い切ったことを仕事の中でもできるので、仕事をそれほど苦痛には思わないのだろう。単純な作業をしているときには、別の仕事の段取りのことを考えながら、並行して作業をするようにするとあっという間に時間が経つ。

仕事で出会うことのできる皆さんとの関係を仕事の関係とか割り切ったりはしていないので、仕事をいただく方も友人に思えたり、仕事をしてもらう方も友人に思えたりで、友人にも困らないというか、一つのプロジェクトを一緒に達成するので、林与の勝手かもしれないが祭りを一緒にするような仲間なのである。そんな関係が仕事を通じて広がっている。

私の限界等のは普通の人の限界の10倍くらい違ったりして、細かい作業でも何十時間でも続けたり、食べるときは人の何倍も食べるし、食べなときには2日食べないで仕事し続けて劇痩せするとかもある。仕事以外の趣味といえば将棋をネットでみることか、ほんとしょうもない趣味だけど、おっさんの趣味というのはそういうものでよいのだ。何分も動かない盤面を見続けてるときに指しての心理みたいなものが私の中に入ってきてそれを楽しんでいる。駒がどう動いて勝つとか負けるとかよりも、困った状況に陥った指し手が、打開するというのは仕事でピンチに陥ったときの緊張感からの開放と似ていて心地よさを感じるのである。

物事に対する欲みたいなものはなるべく捨てるようにすると仕事も割り切ってしやすい、そういう欲を捨てられると仕事に完全に集中ができ、3つ4つのことを並行しながら進めて行くことができるとか、難しすぎて1ヶ月ほっておいたことでも1日2日でクリアできたりする。プロなら、なるべく沢山のことをこなしていけるようにしないとと思う。
2018年12月01日
何かしようとするといろんな制約を想定しないといけない。例えば安く早く送ろうとすればその制約に会う状況を作り出さないといけない。運送会社も制限されるし、その運送会社の発送方法にも制限される。受け取ってもらう側もその制約を理解してもらっているとスムーズにいくのだが、受け取ってもらう側が、その制約に合わせるのは難しいとなると、安く早く送る方法は
難しくなる。

普段の仕事でもそういう制約ごとに臨機応変に対応できるとできることの可能性は広がる。こうでないとダメという形より状況に応じてできるベストを尽くせるように出来ることを考える。私は他の人の仕事を準備もするので、全体的な仕事も回る。自分の仕事だけ考えていたら、問題解決が難しいことが多い。

そういうときに自分の中に解決方法を持っていると、救われることが多い。今も糸をチーズアップしてくれるおじいさんが手術で、チーズアップがどこも一杯。会社の中にチーズアップできる環境があるから、私も今までチーズアップ何回やったかくらいだけど、やる気があるかないかだけのこと。150番手のチーズアップも外では無理だから、自分でやって150番手の織物が織れる話に繋がった。

他に頼むのが難しいときには自分がやって乗り越えるチョイスもありだろうと思う。そこまでやると自分の限界も達して仕事を頼んでやってもらってるありがたみも見えてくるし、できないという人の問題も解決できることも多い。

2018年11月27日
アメリカの宣教師がインドのセネガルの原住民に布教に行って弓矢で殺されてしまった。アメリカの宣教師がよいことをしたのかというと、なにか独善的で仕方のない結果ではないのかと思う。宣教師を受け入れてキリスト教が入れば原住民たちの宗教は揺らぎ、原住民の生活は近いうちに崩壊するだろう。

日本で言うと2200年前の縄文時代に、渡来人が入って、弥生時代を築いた時に新しい宗教が入ったのとにているだろう。基本的には力が強いほうが残る世界、現代社会が原住民が人を殺してけしからんと、原住民たちを正そうとすることが正しいこととは思えない。現代人は力ではないモラルで行動をするように定義されていて、力で制するなら原住民たちを力で制圧できるだろうが、それをやってしまうと現代人らしからぬ。現代人らしく、宣教師が心を開けば受け入れてもらえるものという感覚で進んでいったが受け入れられなかったというほぼ当たり前の結果。

原住民たちの生活のなかに病気などの不幸もあるだろう、現代的な感覚だと教育も受けられず人権侵害だとんるかもしれないが、原住民たちが現代社会に取り込まれたときに一番底辺であるような扱いを受けることになり、それはよいことではないのかもしれないと思える。逆に軍隊のサバイバルでは原住民を理想とするような食糧確保などが訓練としてされていて、生死を掛けて自分で生きるということは忘れ去られた基本なんだろうと思う。

与えられた環境が自然なら、自然に適した生き方が必要で、人類が文明が発達しすぎて滅んでも原住民たちは生き残れる可能性は逆にあるだろう。古代文明と言われるものはすべて滅んで、文明と言うものには終わりがあるのである。現代文明も地球温暖化などで存続が危ぶまれている。

ミランコビッチサイクルのような、2万年とか、10万年とかのサイクルの方が、人類の文明の長さを越え、人類をリセットする力を持っている。地球の傾きの微妙な加減に支えられて人類が地球に存在できているだけ、ガラスの表面の水滴のような存在の中に人類が存在しているだけのことだろう。
2018年11月26日
今日は、中古のものを譲ってもらってそれが問題もなく使えそうでよかった買い物だったのではと思う。取りに行って買ったときに、少し調子が悪いなあと思う感じがしたのでそれをその場で治してもらってから譲ってもらった。この調子の悪さは、古いものには、よくある問題なのである。もし、それを治してもらっていなければあまりよい買い物をしたことにはならなかっただろう。今日1日使ってみたが問題もなくいい感じ。

中古で買ったものが近いうちに寿命となることもあるけども、それはそれで使えるだけ使ったということなので、私の哲学からすれば悪いことではないと思う。新しいものを買って治せるのに治さないで買い換えるというのが私はあまり好きじゃない。今は、修理が高いとかが多いので。

糸を繋ぐ、タイイングマシーンという機械があるけども、40年前でも、1台が200万円とか300万円。メーカーで修理すると、今でも1回10万円コース。タイイングマシーンは、切れない糸を繋ぐのにはよいのだが、切れやすい麻糸を繋ぐのには、そこまでの調整をできる人はメーカーにもいないのである。時間があれば、自分で一回分解してみようと思う。全部綺麗に掃除して組み立てれば、きっと、織機と同じで、メーカーの人以上に調整に詳しくなれるだろう。
2018年11月17日
物販の商売で一番大事なのは場所だろうなあと思う。コンビニが廃業したあとの建物に新たに別のコンビニが入っても成り立たせることは難しい。コンビニが廃業するような場所で、物販や集客の仕事はほぼ成り立たないの法則が私の中にはある。

今、ファストフード店が、営業時間を24時間から午後10時までとか午後12時までとかに切り替えている。本来、24時間で回すほうが、原材料費が非常に低いメニューなので、固定費用として掛かる場所代を浮かせるためには、よいのである。でも、次なる固定費用というのは人件費、夜中一人でワンオペできるとよいのだろうけど、ワンオペというのは基本禁止されているというか、間に1時間の休憩を挟むと、一人で朝までとかは無理で、2人必要となるから、お客さんが少なくても最低2人体制が必要。

田舎だとお客さんが1時間に数人ということもありうるから2人体制は成り立たず、10時までの営業とか12時までの営業に切り替えるところが多いのだろう。でもフランチャイズというのは酷で田舎であっても今まで24時間営業を課して来た。何時でも食インフラがあるという意味では田舎が便利になり人が増えるという要素にもなりうるが、マイナス経営だとそれを続けていること事態が将来を暗くする。

丸亀うどんが朝うどんをはじめたことがあって朝8時から、私は大喜びだったけど、1ヶ月で断念。私みたいに徹夜で働く人というのは田舎では少ない。朝8時にうどん屋が開いたところでうどんを食べに行くシチュエーションに無い人が多すぎるのである。固定費用を薄めようとして長時間営業にしてもメリットがない例で、断念したのは正しい判断だと思える。お客さんは1時間に2組くらいで、そこに2人から3人が店頭に立つメリットはなく、11時開店のほうが成り立ち安いだろう。

人を雇って経営をする場合には場所だけでなく時間も大事なのである。人を雇わずに経営の場合には、規模も小さくなるだろうから場所もそれほど大事ではなくなる。また時間も自由に設定しやすいから、深夜のみの営業でもよいだろうし、ピーク時だけの営業でもよいだろう。大企業経営のような普通を目指して小さいところが残れるはずもなく、大企業経営にできないことや逆をやらないと残れない。
2018年11月16日
林与が麻を染めるときに、特別な事情が無い限りはほとんどの場合、より均一に綺麗に染めたいのでカセで染める。かせ上げ、チーズアップが必要になってくるのだが、こういう仕事はどんどんと消えて行くばかり。今もシーズンに入って、チーズアップのおじいさんが入院で、林与も自分でチーズアップの作業を行う。自分で作業を行うので作業する人の立場というものも良く分かり、普通に自分から仕事ができないとこの仕事というのは難しいなあと思う。

ある工場の社長が、自分が作業しているんですよみたいな話をすごいことみたいに言われたりもするけど、それって普通だよ、と思ったりするのは私だけだろうか、そうでないと工場のものづくりなんて成り立たなくなる一方。仕事してもそれなりに出来ない人が社長するなんて考えられない。

同級生の漬物屋さんの亡くなられた先代が、80過ぎて、醤油の御用聞きに来られた。醤油なんてスーパーで200円ほどで買える感覚が普通にあるのだが、こうやって、初心忘れるべからずで80過ぎて若い頃にやっていた御用聞きを再びされている小さい頃からしっている同級生の立派なお父さん。経営者としても評価の高い方だったが、商売の基本を死ぬまで貫いておられたのは立派としか思えなかった。

それが成り立つ成り立たないは別として自分自身が仕事していて最初の基本を失いそうになることも多い、私自身、御用聞きのようなことができるだろうかと自問する。
2018年11月15日
今日は韓国向けのサンプル出荷。16枚ドビーの組織を、8枚ドビーで再現するため、ソウコウを入れ替える。縦糸を繋いで、白糸を黒い糸に200本ほど差し替えして平で織るまで平丸々2日、そこからソウコウを入れ替えしてカードを作って織る。ドビーは基本順通しになっているけど、それを入れ替えすることで、複雑な柄を織ることができるようになる。

平の組織だと問題なかったけど、ドビー組織の甘い部分がドローパー落ちが起こり、織れない判断。やってみるとうまく行くこともあるし、やってみないと分からないこともある。15cmx30cmほどのサンプルをつくるだけに、詰めて3日、普通だと一人の作業で1週間ほどの時間が掛かる。頭で考えたことをそのまま織物に再現する作業。頭で考えるは簡単でも実際に作業するとなると一仕事なのである。

夕方に草津のFEDEXに持ち込んで無事出荷。明日にはソウルに届く予定。第三ラウンドの終了。
2018年11月14日
升田幸三という棋士がいた、晩期はまさにおっさん。この爺さんとくらべると、目立ちたがりの一二三さんがいくつになっても子供にみえるほど、だけど、将棋に人生を掛けていた。そういう人がもういないのが今。なんで、あんなボロボロの爺さんが強いのか、いわゆるくすぶりなのだろうけども将棋というものが玉を取り合う世界であるという本質を持っていた。お行儀のよい世界に落ち着こうとするけども、そこではない実力の世界。

そういう人生観が好きである。将棋界で天空人が恐れるようないつでも下から這い上がる力。タイトルとか安定とかそんなものは意味はない。名人をなんら価値のないものとして取りに行く。道を極めている人の世界な気がする。盤上の勝負の世界だけのことで、それが将棋の本質だろう。タイトルなんかは勝負の世界とは別の無意味な世界。将棋の世界は本来そういう世界だろう。

升田幸三が名人になろうが、升田はじじいでよいのだ。そういう強いじじいがよいのである。藤井聡太氏は同じ臭いがする。負けて悔しくて泣くとか。一つ一つの勝負を大事にしているところが本物。

2018年11月13日
今日は朝からキッチンクロスの納品に向かう。手ごろな箱がなく、箱を探していて今日の自社便での納品になった。納品先が近くの県で車で1時間くらい。時々、草津のクロネコのセンターとかまでいくと同じくらい時間が掛かるので、送料を考えると自社便のほうが簡単だったりすることもある。

今日は疲れていたので、帰りに、焼肉の食べ放題を食べた。一人3000円くらいの食べ放題で、沢山食べて体力回復。食べ物というのは、ほんと薬と同じに思う。すごくお腹が空いていて体力も落ちていたのに、お腹が一杯になるともう食べられなくなる。健康な証拠であろうと思う。

久しぶりに帰ってゆっくりと休息をとった、今年の第二ラウンドが終了した感じ。
2018年11月07日
日本で神というと、人の力を超えた力を持つ存在を神と呼ぶところがあるけども、そのあたりが凄くインドのヒンズー教と似ている。ヒンズー教の祭りでは、石像が隠れているのでそれを鬼たちがなだめて(その鬼たちもまた神様だということだけど)、石像が出てきて人々が幸せになるようなことが行われていたりして、日本の神話と類似している。大麻にしてもヒンズーでは、シヴァ神の好物として、神の草として、貢物として供えられる。日本の鳥居がヒンズーの門と非常に似ていて、現地では日本の鳥居の起源であると説明されているという。

ヒンズーの影響があるのかという点、私は徐福の存在を信じているので、徐福がインド留学でヒンズーの儀式や仏教を学んで持ち帰ったと思う。徐福が童男童女3000人職工500人とともに、五穀を日本に持ち込み、階級社会を作り上げる基礎となったのが、日本の神道の儀式の起源ではないのかと考えるところ。日本の神道で苧麻ではなく、麻が大事にされるのも徐福が留学したインドの影響ではないかと思うのである。

大麻というのは日本の天皇が大嘗祭でお召しになられるアラタエと呼ばれるものが有名だが、天皇がお召しになられるアラタエは、本来は、鹿の皮でそれが織物に置き換わったとされている説があるが、それは微妙。粗妙とか荒妙で、シルクと区別して荒い妙であるというのが、本当だろと思う。鹿が3匹で、麤と書くアライは麁と同じ文字とされるが、シカが集まるときに離れている様だという。アラタエはニギタエの対語とされ、アラは素材を指すのではなく、状態を指すと考えるべきだろう。タエが共通ではなく、栲(カジノキ)と妙(シルク)なのだろう。タエというのは基本、布ではなく、綿を集積した物。多重ねるの意味だろう。

大麻も、織物として使われる以外に、繊維を綿状にしてタエとして使われていたこともあるようである。アラタエ、ワタタエが原料そのものを指すのではなく、実際は、見た目であるというのがポイントではないのだろうか。木を編んだようなものはアラタエ、真綿はコットンではなくシルクというのも不思議なことだが、シルクの一本の糸を引くのではなく、繭を打綿して伸ばして布状にしたものが本来のタエだったのであろう。綿は、本来は木綿と書いてモメン、コットンは棉と書くべきが妥当かとも思う。木から取れるワタなのである。布は、ヌウオが語源で、織物の原型の縫われた苧を指す。オを縫ったような状態が織物で、織るは折るがもととされるが、苧(オ)、麻(オ)と呼ぶところから、オを作業した物であるということだろう。

大麻がカラムシでないといわれるけど、カラムシしたら大麻もカラムシ。そのまま使えば太布であるという、本来の太布というのは苧にせずにそのまま編んだものだろう。つる草を編んだものとか、太布らしい感じを受ける。厳密に云々じゃなく、感覚的なもので、資材系に編まれたようなものが太布で、大麻は本来、カラムシされなかったのであろう。だからカラムシとは呼ばれない。でも、専門家もしらない部分かもしれないが、大麻も蒸して緒を取り出せば、カラムシなのである。緒にしても苧も同じ、紐というのがオなのである。苧麻にしてもカラムシして引き裂かなければ、見た目、太布になりうる。

頭でっかちに成分や原料分析の専門家になるよりも、織物の現実や一般的名客観的視点が古代の麻だけでなく、布を見る観点だろうと思う。シルクですらもまったく、織物じゃなく、真綿といわれる妙としてつかわれていた、妙というのが多重だと思うのも私だけのことだろうか。タエと聞いて、多く重ねるを想像するの日本人的な表現なのdが、それを失ってしまっては駄目、成分分析よりも、原始的な感覚こそが大事。
2018年11月05日
織機に掛かっていた縦が順番に終わって、織機が空いてくる。機を乗せ換えするなど織機の立ち上げや新たなビームを繋ぐなど。一本のビームが織りおわると長い旅が終わったような錯覚に陥るが、織り終わってからもシャトル織機の場合には糸切作業が必要で、加工出し前の検反作業が必要である。織のプロであるかないかは検反作業でも分かる。上手な人が織ると1反に5箇所以内のキズに収まっているが、下手な人が織ると修正作業が織るよりも何倍も時間が掛かることがある。

織り手さんというのは、何台も織機を動かしながらキズを出さないようにどれだけ良い生地を多く織ることができるかが技である。沢山織れても問題ばかりだと織らないほうがまし。麻糸の場合にはキズは付き物なのだけど、許容範囲に収められるかどうかがポイント。自分が失敗しなくても糸が切れて汚く織れてしまうこともあるが、そういうのが1反50mで5箇所以内に収まっていないと駄目。上手な人は織り段ができないが、下手な人は織り段だらけになる。同じ織機を使っても人が違うと、結果として生まれる反物の良し悪しは分かれる。

一番駄目なのが、糸をまっすぐ繋いでいないこと。なぜ糸を順番にまっすぐでないと駄目なのか理屈は分からなくても、全部順番に正しくといわれてそれを軽く考えてしまう、素直さの無い人は、織ることに問題を多く抱えてしまう。理屈としては糸がまっすぐ走っていないと、ドロッパーのところで交差してドロッパーが落ち難くなりやすいから、糸切れしやすくなるだけでなく、糸切れしても縦糸切れを感知し難くなり、縦糸切れのままキズで織れてしまう。

細い繊細な糸だと交差してしまうだけで糸に抵抗が掛かり、糸が弛んできたりすることがある。それが分からず糸に錘を掛けたりして行き当たりばったりで織っているとどんどんと錘の数が増えてくる。糸切れなどしたときに、糸をまっすぐに繋がないといけないのだけどもそのコツをおしえてもなかなか実践せず、手元で見つけた糸を適当にそのまま繋いでとか。経験の長さの問題ではなくて、ちゃんとできる人は最初から教えてもらったらちゃんとするけど、ちゃんとできない人は毎回ちゃんとしないまま駄目な作業が続くことが多い。

日本の製造業は高度なものをつくって生き残るという話になるけども、それが本当に難しい話。一つの織物に経4色、横4色とか使う織物だと、3配色あると24色の糸を使うことになる。横糸だけで、12色。普通の平織だけど色数が多いので高度なデザイン性の高い織物の一つであるが、その糸の管理にしても現場の年配の方が理解できるのかというとそれは難しい話。全部、どの品番の何番目の糸が書いた新しいビニールに糸を分けて入れてわたしても、ビニールを別の用途に使いたいのだろう、つぎに行ったときにはビニール袋は消えて糸はまとめて箱に入れられてしまっていてとか、できないとか分からないのを心配して完璧に用意してもどうしようもない話。

高度な織物をつくることよりも現場の人が失敗しないように仕事をしてもらうのにすごい力が必要になってしまって、普通の白い無地の織物の仕事も危ないということも多いので仕事があっても仕事をしてもらえなくなる。私自身、仕事というのはあってもタダでお金がもらえるわけではなく、貰うお金以上の苦労があってお客様には喜んでもらえるものと考えている。なんで仕事を出さないんだみないたことを言われる下請け業者さんもおられるけども、なかなか今のリズムについていくのは難しいだろうと思うことが多い。サンプルが1ヶ月以内に出来て、本生産も2ヶ月でできるような体制だといろんな仕事が受けられるだろうけども。そういうのを先染の世界やプリントの世界でやろうとしても納期的に無理で、コスト的にも難しいという話以前に、失敗すると作り直すにしても時間もないし現場にそれだけの覚悟があるのかというと仕事は欲しいがというところで終わってしまうと思う。

堅牢度などを上げる方法でも確実な方法があるけどもそれをやってもらえるかどうかという問題もあるが難しいという結論。なぜ、今のものは昔のものよりも堅牢度が悪いのかという問題にもつながる話ではあるが、全体のレベルが下がったときに高度なものを流すことは納期の面も含めてなかなか難しいのである。染色工場やプリント工場なんかでもなぜ、1ヶ月ほど時間が掛かるのかというと、仕事が一杯ということもあるだろうけども、染色を伴う工程では洗浄という作業が伴い薄い色から順番に染めていって濃い色を染めて、黒や濃色が終わった後、強烈な清掃洗浄を行い、薄い色に戻るというような釜の使い方がされているところもある。ものづくりを安全にするためには良い方法ではあるのだ。実際に洗浄というのは水や洗剤を大量に使うので、毎回強烈な洗浄が理想かもしれないがエコな側面も考慮は必要だろう。そういうサイクルを合わせるために1ヶ月くらいの時間が必要となる事情もある。これは加工工場さんでも同じで、濃い色のもののあとに薄い色のものをいくといくら洗浄をしていても色移りなど危ないことはある。麻の産地では、秋から春先までの生産時期には、先染だと、染で1ヶ月、巻き返し1週間、整経経てつなぎ1週間、織り1週間から1ヶ月、加工2週間から1ヶ月くらいのような合計3ヶ月から4ヶ月の納期計算になる。12月初めに本生産の注文が入っても納期は3月末とか。見本から考えると半年から1年、一つの仕事に携わることになり、そういう仕事を並行してこなしてゆくことで仕事が全体として流れて行く。
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