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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年11月14日
升田幸三という棋士がいた、晩期はまさにおっさん。この爺さんとくらべると、目立ちたがりの一二三さんがいくつになっても子供にみえるほど、だけど、将棋に人生を掛けていた。そういう人がもういないのが今。なんで、あんなボロボロの爺さんが強いのか、いわゆるくすぶりなのだろうけども将棋というものが玉を取り合う世界であるという本質を持っていた。お行儀のよい世界に落ち着こうとするけども、そこではない実力の世界。

そういう人生観が好きである。将棋界で天空人が恐れるようないつでも下から這い上がる力。タイトルとか安定とかそんなものは意味はない。名人をなんら価値のないものとして取りに行く。道を極めている人の世界な気がする。盤上の勝負の世界だけのことで、それが将棋の本質だろう。タイトルなんかは勝負の世界とは別の無意味な世界。将棋の世界は本来そういう世界だろう。

升田幸三が名人になろうが、升田はじじいでよいのだ。そういう強いじじいがよいのである。藤井聡太氏は同じ臭いがする。負けて悔しくて泣くとか。一つ一つの勝負を大事にしているところが本物。

2018年11月13日
今日は朝からキッチンクロスの納品に向かう。手ごろな箱がなく、箱を探していて今日の自社便での納品になった。納品先が近くの県で車で1時間くらい。時々、草津のクロネコのセンターとかまでいくと同じくらい時間が掛かるので、送料を考えると自社便のほうが簡単だったりすることもある。

今日は疲れていたので、帰りに、焼肉の食べ放題を食べた。一人3000円くらいの食べ放題で、沢山食べて体力回復。食べ物というのは、ほんと薬と同じに思う。すごくお腹が空いていて体力も落ちていたのに、お腹が一杯になるともう食べられなくなる。健康な証拠であろうと思う。

久しぶりに帰ってゆっくりと休息をとった、今年の第二ラウンドが終了した感じ。
2018年11月07日
日本で神というと、人の力を超えた力を持つ存在を神と呼ぶところがあるけども、そのあたりが凄くインドのヒンズー教と似ている。ヒンズー教の祭りでは、石像が隠れているのでそれを鬼たちがなだめて(その鬼たちもまた神様だということだけど)、石像が出てきて人々が幸せになるようなことが行われていたりして、日本の神話と類似している。大麻にしてもヒンズーでは、シヴァ神の好物として、神の草として、貢物として供えられる。日本の鳥居がヒンズーの門と非常に似ていて、現地では日本の鳥居の起源であると説明されているという。

ヒンズーの影響があるのかという点、私は徐福の存在を信じているので、徐福がインド留学でヒンズーの儀式や仏教を学んで持ち帰ったと思う。徐福が童男童女3000人職工500人とともに、五穀を日本に持ち込み、階級社会を作り上げる基礎となったのが、日本の神道の儀式の起源ではないのかと考えるところ。日本の神道で苧麻ではなく、麻が大事にされるのも徐福が留学したインドの影響ではないかと思うのである。

大麻というのは日本の天皇が大嘗祭でお召しになられるアラタエと呼ばれるものが有名だが、天皇がお召しになられるアラタエは、本来は、鹿の皮でそれが織物に置き換わったとされている説があるが、それは微妙。粗妙とか荒妙で、シルクと区別して荒い妙であるというのが、本当だろと思う。鹿が3匹で、麤と書くアライは麁と同じ文字とされるが、シカが集まるときに離れている様だという。アラタエはニギタエの対語とされ、アラは素材を指すのではなく、状態を指すと考えるべきだろう。タエが共通ではなく、栲(カジノキ)と妙(シルク)なのだろう。タエというのは基本、布ではなく、綿を集積した物。多重ねるの意味だろう。

大麻も、織物として使われる以外に、繊維を綿状にしてタエとして使われていたこともあるようである。アラタエ、ワタタエが原料そのものを指すのではなく、実際は、見た目であるというのがポイントではないのだろうか。木を編んだようなものはアラタエ、真綿はコットンではなくシルクというのも不思議なことだが、シルクの一本の糸を引くのではなく、繭を打綿して伸ばして布状にしたものが本来のタエだったのであろう。綿は、本来は木綿と書いてモメン、コットンは棉と書くべきが妥当かとも思う。木から取れるワタなのである。布は、ヌウオが語源で、織物の原型の縫われた苧を指す。オを縫ったような状態が織物で、織るは折るがもととされるが、苧(オ)、麻(オ)と呼ぶところから、オを作業した物であるということだろう。

大麻がカラムシでないといわれるけど、カラムシしたら大麻もカラムシ。そのまま使えば太布であるという、本来の太布というのは苧にせずにそのまま編んだものだろう。つる草を編んだものとか、太布らしい感じを受ける。厳密に云々じゃなく、感覚的なもので、資材系に編まれたようなものが太布で、大麻は本来、カラムシされなかったのであろう。だからカラムシとは呼ばれない。でも、専門家もしらない部分かもしれないが、大麻も蒸して緒を取り出せば、カラムシなのである。緒にしても苧も同じ、紐というのがオなのである。苧麻にしてもカラムシして引き裂かなければ、見た目、太布になりうる。

頭でっかちに成分や原料分析の専門家になるよりも、織物の現実や一般的名客観的視点が古代の麻だけでなく、布を見る観点だろうと思う。シルクですらもまったく、織物じゃなく、真綿といわれる妙としてつかわれていた、妙というのが多重だと思うのも私だけのことだろうか。タエと聞いて、多く重ねるを想像するの日本人的な表現なのdが、それを失ってしまっては駄目、成分分析よりも、原始的な感覚こそが大事。
2018年11月05日
織機に掛かっていた縦が順番に終わって、織機が空いてくる。機を乗せ換えするなど織機の立ち上げや新たなビームを繋ぐなど。一本のビームが織りおわると長い旅が終わったような錯覚に陥るが、織り終わってからもシャトル織機の場合には糸切作業が必要で、加工出し前の検反作業が必要である。織のプロであるかないかは検反作業でも分かる。上手な人が織ると1反に5箇所以内のキズに収まっているが、下手な人が織ると修正作業が織るよりも何倍も時間が掛かることがある。

織り手さんというのは、何台も織機を動かしながらキズを出さないようにどれだけ良い生地を多く織ることができるかが技である。沢山織れても問題ばかりだと織らないほうがまし。麻糸の場合にはキズは付き物なのだけど、許容範囲に収められるかどうかがポイント。自分が失敗しなくても糸が切れて汚く織れてしまうこともあるが、そういうのが1反50mで5箇所以内に収まっていないと駄目。上手な人は織り段ができないが、下手な人は織り段だらけになる。同じ織機を使っても人が違うと、結果として生まれる反物の良し悪しは分かれる。

一番駄目なのが、糸をまっすぐ繋いでいないこと。なぜ糸を順番にまっすぐでないと駄目なのか理屈は分からなくても、全部順番に正しくといわれてそれを軽く考えてしまう、素直さの無い人は、織ることに問題を多く抱えてしまう。理屈としては糸がまっすぐ走っていないと、ドロッパーのところで交差してドロッパーが落ち難くなりやすいから、糸切れしやすくなるだけでなく、糸切れしても縦糸切れを感知し難くなり、縦糸切れのままキズで織れてしまう。

細い繊細な糸だと交差してしまうだけで糸に抵抗が掛かり、糸が弛んできたりすることがある。それが分からず糸に錘を掛けたりして行き当たりばったりで織っているとどんどんと錘の数が増えてくる。糸切れなどしたときに、糸をまっすぐに繋がないといけないのだけどもそのコツをおしえてもなかなか実践せず、手元で見つけた糸を適当にそのまま繋いでとか。経験の長さの問題ではなくて、ちゃんとできる人は最初から教えてもらったらちゃんとするけど、ちゃんとできない人は毎回ちゃんとしないまま駄目な作業が続くことが多い。

日本の製造業は高度なものをつくって生き残るという話になるけども、それが本当に難しい話。一つの織物に経4色、横4色とか使う織物だと、3配色あると24色の糸を使うことになる。横糸だけで、12色。普通の平織だけど色数が多いので高度なデザイン性の高い織物の一つであるが、その糸の管理にしても現場の年配の方が理解できるのかというとそれは難しい話。全部、どの品番の何番目の糸が書いた新しいビニールに糸を分けて入れてわたしても、ビニールを別の用途に使いたいのだろう、つぎに行ったときにはビニール袋は消えて糸はまとめて箱に入れられてしまっていてとか、できないとか分からないのを心配して完璧に用意してもどうしようもない話。

高度な織物をつくることよりも現場の人が失敗しないように仕事をしてもらうのにすごい力が必要になってしまって、普通の白い無地の織物の仕事も危ないということも多いので仕事があっても仕事をしてもらえなくなる。私自身、仕事というのはあってもタダでお金がもらえるわけではなく、貰うお金以上の苦労があってお客様には喜んでもらえるものと考えている。なんで仕事を出さないんだみないたことを言われる下請け業者さんもおられるけども、なかなか今のリズムについていくのは難しいだろうと思うことが多い。サンプルが1ヶ月以内に出来て、本生産も2ヶ月でできるような体制だといろんな仕事が受けられるだろうけども。そういうのを先染の世界やプリントの世界でやろうとしても納期的に無理で、コスト的にも難しいという話以前に、失敗すると作り直すにしても時間もないし現場にそれだけの覚悟があるのかというと仕事は欲しいがというところで終わってしまうと思う。

堅牢度などを上げる方法でも確実な方法があるけどもそれをやってもらえるかどうかという問題もあるが難しいという結論。なぜ、今のものは昔のものよりも堅牢度が悪いのかという問題にもつながる話ではあるが、全体のレベルが下がったときに高度なものを流すことは納期の面も含めてなかなか難しいのである。染色工場やプリント工場なんかでもなぜ、1ヶ月ほど時間が掛かるのかというと、仕事が一杯ということもあるだろうけども、染色を伴う工程では洗浄という作業が伴い薄い色から順番に染めていって濃い色を染めて、黒や濃色が終わった後、強烈な清掃洗浄を行い、薄い色に戻るというような釜の使い方がされているところもある。ものづくりを安全にするためには良い方法ではあるのだ。実際に洗浄というのは水や洗剤を大量に使うので、毎回強烈な洗浄が理想かもしれないがエコな側面も考慮は必要だろう。そういうサイクルを合わせるために1ヶ月くらいの時間が必要となる事情もある。これは加工工場さんでも同じで、濃い色のもののあとに薄い色のものをいくといくら洗浄をしていても色移りなど危ないことはある。麻の産地では、秋から春先までの生産時期には、先染だと、染で1ヶ月、巻き返し1週間、整経経てつなぎ1週間、織り1週間から1ヶ月、加工2週間から1ヶ月くらいのような合計3ヶ月から4ヶ月の納期計算になる。12月初めに本生産の注文が入っても納期は3月末とか。見本から考えると半年から1年、一つの仕事に携わることになり、そういう仕事を並行してこなしてゆくことで仕事が全体として流れて行く。
2018年11月04日
今日は午前中織っていて、午後から整経の作業、整経機は2台あるので、2台同時に整経。結局6時間くらい掛かって2本の整経が終了。40番と25番だったのでそれほど難しくはなかった。整経という作業は、教えてもらったのは最初の半日で、巻取りは難しく1週間ほど助けてもらいながら巻き取りは覚えた。そこからは自分自身でコツを掴んで行く。整経だけやっていると自分の整経したビームが織の工程でどのように扱われるのかが分からず、アゼを取る意味なども不明なのだが、経て繋ぎを覚えたり、織りを覚えてコマを入れるのに慣れたりすると、整経の重要性が分かってくる。

織は、素人の人でも体力があって、意欲的な人なら、レピアなら1日、シャトルで1週間で基本動作をマスターしてもらうことは可能だと思うけど、整経は素人がやると非常にまずいので、糸を立てるだけとか、最初のドラムに巻く荒巻と呼ばれる工程をサポートしながらやってもらう。本麻だと、一回で、携帯電話どころじゃなく、軽自動車1台買えるくらいの100万円コースの失敗もありえるから。まさに、運転手が左右確認安全運転していないと物損の交通事故を起こすのと同じくらいのダメージが普通の仕事である。自動車の運転だけでなく、整経の作業は、迂闊だと物損事故が起こりやすい。縦が綿だと部分整経も糸切れも少なくテンションがシビアじゃないので非常に簡単になる。アイリッシュリネン140番手の整経は半年掛けてコツコツ糸のフシを取りながら200mの整経とか。

整経屋さんという概念が私の中にはほとんどないけども、一般的な機屋さんというのは整経作業は整経屋さんが行い、整経されたビームを経繋ぎして織るのが織の工程。整経の作業は、中国やベトナムでも見学したことがあるけども、整経の基本を教えられる人は少ないのではないかと思う。私は、整経がほんとうに上手な方から教えてもらったので、ほとんどすべてを吸収し、プラス、高度な計算や自分の工夫を取り入れたので理論的な失敗が少ないのと、実際に糸を扱うときの作業スピードと感覚が身に付いているので糊の加減とかの問題も回避できることが多い。

整経でも織でも何か問題があったら報告しなさいというのは、正しく報告さえあれば、問題も最小限にとどめることが出来る。織物というのはアセンブル作業じゃないから、後戻りが難しいのである。問題をそのまま次の工程に送るでなく、問題をどう取り除くかがポイント。整経というのも整経という作業だけで食べておられるプロもある仕事、たぶん、麻糸の部分整軽では日本では一番くらいの自信があったりするが、そのくらいでないと残れない小さな世界だと思う。

整経も、技術だけじゃなく、計算が出来ないと難しい。糸量の計算や、糸を実際に分割したり、とらぷったときにそれを助けてリカバーする力。糸の濃さが一巻きのなかで3倍くらい異なる糸を色の濃さごとに分割してまぶして綺麗に使うとかも、整経の技術のうち。糊が甘い糸を整形と織りのテンション管理で問題なく織るとか。糊がキツく伸度のない糸というのは整経で糸が張ったり、ぽろぽろと壊れるので予見ができる。データだとそういう糸でも許容範囲なのだろうが、普通、そういう糸をつかんでしまうと織れないで済めばいいが、織れないと駄目な条件では会社が潰れる話でそういう一つの仕事で大きくトラぶって次も同じことがありうると考えると機屋が廃業を決断されるケースも多い。

糊付けにしてもどうしても織れないときがあって、聞くとサンプルのときと糊剤が違うとか、これだけで糸と染で30万円コースの損害の話で糊付け屋さんが被れない金額の問題。新しい薬剤を使われるときに人柱が必要で、私が的確な駄目という判断をしてあげて、のり付け屋さんもその薬剤が駄目だということが分かるというメカニズム。麻の糊付けでは有名な会社でもそういうことがあり技術面と費用面で助けてあげないといけないことがある。林与が麻の糸を織れないと判断するときに、調子よく織れている台に、3台、4台乗せ換えして、どの台で織っても無理だからこの糸は駄目とか、糊付けは駄目とか結論付ける。作業の途中でもいつもと違う違和感がぷんぷんして心配しながら様子をみるのである。

今日は雨が降っていて、肌寒い感じが少しして、風邪を引いたか。
2018年11月03日
今日、染屋さんに糸を持ってゆこうとすると、なぜか、変な予感。文化の日に気がつく。最近は祭日が移動するようになったので、今日が祭日なのかどうか確かめてやっぱり祭日だった。運送会社からも電話があって祭日なので荷物が今日は出ないという話。今日は工場の中での作業なので大きな影響というのはないのだが、仕事でやっていることも仕事というよりも文化的な要素が強い気もする。製造する環境が時代遅れだというのも文化的には珍しいことなので価値があるだろう。仕事に対する考え方も特殊だとなるとそこに価値があるだろう。

今日も、個人で商売されている糸商さんに電話しても快く仕事の話を引き受けてくれて個人で商売されている方からも電話があって、平日よりも落ち着いて仕事ができるので休日はありがたい。仕事というのは予定を立てるけども予定が予定通りに行かないことのほうが多く、予定通りに行くためには一つ一つの仕事を正しくこなして行く必要があるのだが、一つ深みに嵌ると、1週間くらいの時間がただ過ぎてゆくことも多い。そういうのを越えていくから仕事が成り立つのだろうと思う。

一つの深みに嵌って普通にしていれば、そこで出来ないで終わってしまう。次もやる前から出来ないという判断になるだろう。絶対に織れないような状況からでも試行錯誤すれば、問題なく織れる様になったりすることが多いのである。織機が動かないときに病気を治すようなものだと思うが、お医者さんだと患者さんが治らなくても仕事は成り立つけど、織物の仕事は治して初めて仕事として成り立つ。
2018年11月02日
人が出来ているなあと思えたのが、数年前に廃業された機屋さん。一人で最後仕事をやっておられて自分の葬式の準備までノートにまとめて、それを見れば自分の葬式が形になるように。奥さんも高齢で動けなくなっておられて、仕事できる時間も限られておられ奥さんの面倒をみるためにまだまだ動けるのに廃業に到られたのだと思った。お客さんが困るので、織機を私に譲りたいというお話があって、私も自分自身の仕事で手一杯な状況ではあったけども、たぶん、その織機を動かせるのは私以外にはいないだろうと思ったから引き受けさせていただこうと思った。

その方は私がお客さんの面倒をみられるように願っておられたが、途中、他の人が何人も入ってくると話がややこしくなって、その工場の織機を受け入れることは断念し、もうひとつ工場が廃業されるのでそちらの織機を入れることにした。私自身、林与が50年前にやっていた織物の世界だったので、私自身は経験はなかったが、残したいなあと思った。また、そういう半世紀も昔の技術を残しておられることも、技術我というよりも、その方の考え方が凄いのである。考え方に行動が伴って技術が生きる。

そういう方というのは本当に稀であって、仕事に対して正しくて前向きだったのである。足元をみてぶっかけるようなこともしないし、また、誠意がある。いわゆる自分の甲斐性をわきまえた方であると思えた。みんな、自分の甲斐性を考えずに、人の甲斐性に甘えようとするのが一般的な商売になりつつある。一般的には、繊維の現場の世界では、仕事を嫌がったり面倒がったりする人が多い中で、そういう人に出会えたのは新鮮であった。最後の最後まで、地道な仕事で会社を健全に経営されて自分でその会社を閉じられた。立派だなあと、尊敬するのである。技術面に特化されていて毒されていなかったからなのかとも思えるのだが、そういう仕事でも継承しようとすると壁は大きいのを感じる。

取り巻く環境がそういうのを継承できるような状況ではないのである。非常に特殊な和装用の織物で、良質の糸を使って1時間に1mほど高度な織物。卸値段を聞くとびっくりするくらいに安くて1mが600円とか、ふた幅取りするので2倍の1200円としても、その方だから成り立ったような商売なのである。触るとマイナスに終わる世界。私も覚悟決めていたので商売としてはまったく考えていなかったが、あの織機は普通だと譲り受けたとしてまともに動かないだろうと思う。動かしたとしてもキズだらけでマイナスで終わる可能性も高い。綿なら織れるだろうけど。麻で織るには相当な調整が必要。林与の今のレピアジャガード織機でも手を加えれば同じことができないことはないのであるが、レピアの場合開口の問題などで麻では難しいだろうと思った。
2018年11月01日
技術の継承というものは、原料や麻糸などをみていると他国に移りグローバル化が進んでいる。グローバル化というけども、日本ではほとんど行われなくなったという状態。織物というのはどこでも出来そうなもので成り立ちそうではあるが、たとえば、一世代前の織物の技術を継承しようとしても、生産性の高い大型織機のメーカーは残っていても、日本にはシャトル織機のメーカーが残っていない。シャトル織機の動きというのはそれほどブラックボックスではないので、電気系統が多いレピア織機に比べれば、理解がしやすいものではある。

今と昔が違うのは、為替の関係もあって、日本の繊維市場は日本の市場であったこと。今は、繊維製品の95%が海外から入ってきているくらいだろう。今の時代に、価格競争力のない織物を生産することは基本難しいことなのである。ベースとなる大量に流れる無地などの織物が海外生地で占められてしまっては、人でも減った状態で手の掛かる仕事をするときに、普通の仕事だけでなく、織機メーカーの力も必要となる。

織物というのは自分が織機を持っていればいろいろとつくれるだろうと思うけど、これは逆で、自分でつくるとできることは限られているし、高くつくことも多い。とことんなものや、特別なものが作れるというのが利点じゃないだろうかと思う。織るという要素だけではなかなか難しいだろうなあと思うのも、自分で特別なものを作ろうとしたときに糸を手に入れる力が必要となってくる。国内だけでなく、海外から引っ張ってくる力が必要となる。こうなると、糸商的な仕事も機屋ができないと特別なものを自分で生み出すことが難しい。

また、つくる技術や力があっても、自分で売る力がなければ成り立たせるのは難しいだろうと思う。販売能力もないと、田舎の商店街のお店と同じ道のりを辿ることになる。技術を継承したら食べて行けるのかというと、織物の世界で、目の前の問題を解決して行くだけのことで、仕事は基本、誰かにいつも教えてもらうようなものではないという現実。

ここ数日も、織りの密度が上がらない問題で、問題をかかえていたがそこで終わるとその企画が倒れるだけでなく、私自身が「この問題は解決出来ない」という結論に達してしまう。それで、この5日の最初3日ほど密度を上げるために織機の調整を繰り返し織機の調整では無理だと悟って原因にたどり着いた。原因にたどり着いただけでなくそこから2日ほとんどぶっ続けの作業で、織ってみてうまく織れたからそれが本当に原因だと分かった。まったく織れないが、問題なく織れる瞬間で特別の織物が出来上がる。こういう作業でも何人かでやれば普通の作業で終わるだろうけどなかなかこういう作業を坦々とこなせる人は少ないのである。こういう作業に意味を感じられるのかどうかが、大きな結果の違いにつながってくる。
2018年10月31日
生成の色というのは色斑が存在する。レピアで織ると糸が連続しているのでその問題が少ないのであるが、ロットによっては、レピアでも突然に色が変わりまた戻るとかがありうる。色の濃さが一巻きの中でも異なるのである。ロットという名があっても、ロットとしては使い難いロット。ランダムに糸を散らして解決する方法などあるけども、なかなか、そういうロットは使い難いものである。加工すると余計に色の差がみえてくるとか。

糸商さんが企画するときも、生成は問題が多いので、結局晒して生成っぽい色に染めるとかで解決されるケースが多いようである。分かるんだが、生成は生成で使えないと残念なのである。これはあまり知られていないことなのであるが、生成といっても生成そのままはアパレル向けには使い難いので、一般的に生成と呼ばれるものは8分の1とか若干の晒が掛けてあるのが普通である。また、リネンの生成りは、水で洗って天日に干すと少しづつ晒されて行く。

リネンの生成の色というのは、繊維についた養分のようなものなのである。その斑点のように付いた養分が解けて落ちると透明な繊維になるのである。繊維そのものは白というよりも、半透明に近く、光を反射し輝くのである。これが織られた月光といわれる所以だろうと思う。昔の白のリネンは月光のように輝いていた。

イタリア銘柄チュニジア紡績の糸が色斑が激しく使い難く、高品位な中国紡績糸のほうが色が安定していて問題が少ない。ヨーロッパ銘柄よりも中国のトップクラスの紡績のほうが安定しているというのも、私が10年前に中国の紡績工場に行ったときに、中国の紡績はヨーロッパを抜くと思うと言ったら、その中国の紡績工場の社長に笑われたが現実に逆転が起こり始めている。昔からヨーロッパ紡績の糸を使ってきただけに、2000年頃以降のヨーロッパ銘柄の糸の問題は当たりもあるが外れる確立が大きくなりすぎて頭を悩ませることも多かったのである。

生成の糸に均一性がないことは、たとば晒すと問題は消えるだろうが、それを後染するとまた問題が見えてくるとか。昔よくいわれた中国キバタの後染めの問題と同じで、ヨーロッパ銘柄にも昔の中国糸と同じような問題が起こり始めている。糸を連続して使いながら途中で色が変わってしまう問題、糸商さんも把握されていない問題で実際に使ってみないと分からない問題である。オーガニックの糸の場合にはこれが極端に起こりうるのであるがそれはオーガニックの特性で証の一つだからと許容していたりする。
2018年10月24日
麻という言葉を辿ると、どうしても、日本だけに留まらず中語の麻の語源にたどり着く。私自身が興味深かったのは魔法という言葉。仏法という言葉の対語とされ、仏という言葉も仏陀を指し、人に非ずというところから来ているそうではあるが、魔という言葉も、麻の鬼で、鬼も人に非ずの部分をかかえている。鬼もまた仏を抱えているのである。これは当時の中国が、中国以外を蔑んで当て字したところにあるだろうと思う。ブッダを表す仏陀という漢字にしても、当時の中国が国外のものを蔑んだ感がある。これは本当にあまり言われていないことだと思うが、仏教という、人に非ずという当て字、これが人を超えたものを指す意味として、当時、漢字が当てられたとは思えないのである。それは鬼にも仏があったりして、仏教全体というか、印度を、当時の中国が蔑んでいたと思えるのである。

鬼に麻冠が付くのはなぜ、印度の宗教では麻が使われていたからなのであろう。これは大麻に由来するものと思われるのである。日本では大麻を肯定するときに、麻と痲は別という風にいわれるが、印度と中国の関係は密接であり、中国の麻が麻薬効果がなかったとしても、古代の中国は印度という国をよく勉強していて、印度の陶酔効果のある麻の使い方に関しても知っていたと安易に想像できるのである。紀元前221年頃の秦の始皇帝に使えた徐福が印度に留学していたことも、ちょうどそのときにインドはアショカ王の頃で、印度で仏教が芽生えた頃。徐福が、秦の国に印度のもろもろを伝えたものと思われる。人に非ずの仏の文字が当てられたのも、当時の中国の体制を考慮する必要があるだろう。

印度にしても、ヒンドゥから来ており中国が殷の時代に殷奴と名付けたらしい。地名や国名も人々の考えによって変化して行くべきものであろうと思う。当時の中国の指導者はインドをあまりよくない場所であるとイメージしていたと思える。当時の中国の指導者は中語句以外は属国として考えていたので当然ではあろうけど。
2018年10月23日
今日は防災訓練を挟んだ仕事の出荷が終わり秋からの怒濤の仕事の第一ラウンド終了のゴングが鳴った感じ。ヘトヘトに疲れきって栄養補給に天一の餃子定食、麺特大スープ多い目ご飯大を食べる。半年ぶりくらいかなあ、学生のころよく食べた天一で癒される。家に帰って、久しぶりにゆっくりと休憩。足首辺りから疲れがでて、横になると、祭りのあとのような心地よさ。ビックリは、夜トイレに行くと結石が出た。この3年くらい腰後ろの辺りにあったもので、石があるなあと疲れも出やすく食べると眠気も催した。

柿を剥いて、この二日ほど10個づつくらい食べたのが効いたみたいである。柿に含まれるカリウムが利尿作用をもたらしたか。爽快な気分が戻った。結石には柿をお勧めする。面白いもので、私はこの3年間、柿が甘そうに成っているのを見ると柿を食べたかったのだ。結石の症状が柿を本能的にほっしていたのだろうか。でも、林与の柿はここ数年出来なかったので、残念に思っていた。今年、柿が大量になって柔らかくなりかけたのを思いっきり食べた。どこかに解決方法は眠っている。

元気になって、このシーズンの第二ラウンドに突入。すでに、2019SS向けは、15ラウンドくらいある予定です。
2018年10月21日
昨日は朝8時から防災訓練、夜中2時過ぎまで織機を動かし寝たのが3時半、起きたの6時過ぎで寝る時間がほしい状態ではあるが、80近い母親が、なにか行事や台風があるとテンパる。私が参加しないといけない行事があると母親は常にテンパルのだが、私の仕事というのは、他の人には無理に近い仕事で、他の人が私の仕事を代わりにやりますなんていうのはないので、自分の時間がまったく足りず、寝る時間も相当減らしているのだが、母親は働かない普通の人なので、私が防災訓練に参加しないと自分の立場を気にする。

参加したのは、60歳とか70歳過ぎの人がほとんど。集落の同世代の人も4人くらい手伝っておられた、役が当たっておられるのだろう。集落の消防団が関係していないのは??? 8時過ぎから土嚢詰め、それを積む。感じとして、15kgほどの土嚢、もうみんな高齢化していて持てないくらいの感覚。糸の箱は30kgを越えているので、織物の仕事をしていたら土嚢積みは案外楽な仕事に思えるだろう。

次に、熱中症対策の病人を毛布で運ぶ作業。消防署の人が、けが人をしてくださる方と声を掛けるが、誰も反応しないので私が手を上げてけが人をする。仕事や物事していても目の前に必要な作業があってもなかなか自分で動く人はいないので、そういうのに普段から困っているのだが防災訓練でも積極的な人は少ない。近所の人ばかりなので、なかなかみんな周りが気になるのだろう。みんなが恥ずかしくてやらないときに、考え方が違うからそういうのをやるのが私の役目、目立とうとかではなく、今までの経験から。

場をつくっていく人の存在は必要。30歳くらいの署員の方だろうか、年配の人ばかりに囲まれて、提案してもものごとが前に進みにくい状況。自分が何かやろうとしてみんなが乗り気でないときにでも理解して助けてくれた人が今まであったりした。こういうときに場をつくれないと、自分がものごとをやろうとするときにも場を作ってゆくのは無理だろうと思う。また、人には協力しないで自分がやろうとするときにだけ協力者を求めるタイプというのもアンバランスなタイプ、理想的なスタイルとしてその人がいれば常に場がうまく成り立つような安心感みたいなものが人の力じゃないだろうかと思う。

消火栓からの2線延長の操法訓練もあったが、実際は4人揃わない可能性が高い、機敏に動ける人の少ない今、操法も一人でもできるような形にしておかないと駄目だろうと思った。集落で火事があったときに、動けるのが一人だったら、消火栓のボックスからホース何本か取り出し延長して筒先を取り付けて消火栓をひねって筒先に戻れば1分もあればできないことはないだろう。そんなことも今日の防災訓練で考えた。集落の消防団にいたときも、町内で、火事があっても、昼間、地元にいたのは、私かもう一人くらいでいつも消防自動車で出動する役割だった。今はもっと状況が厳しくなっているだろうが、最近は火事も少なくなった。昔は、風呂を炊いていたので夜中に火事が起こることが多かったらしい。今はお風呂も蛇口をひねるだけでお湯が出る。

火も日常生活で使わなくなりつつある。それが良いことばかりでなく、人が火のような危険ものを扱う能力がなくなることにつながるだろう。手元の火で満足し、エネルギーをそれほど使っていなかったのが昔、今は、いつでも部屋が暖まるようにインフラが電気を供給できるようにスタンバイしていないとならない。地球温暖化も50億人がそういう快適を求めたときに歯止め掛けるの難しいだろう。
2018年10月20日
ビームの送りがぎこちない織機があるので、それを調整。通常だとギアが回るとビームの送りも安定して回る。何が原因なのか判らないまま、とりあえず、送りの機構周辺のカバーを外し掃除をしてみる。本来は、麻のワタ埃程度では影響はないはずなのだが、とりあえず、ゴミと思われるものを徹底的に取り除く。この織機は2年ほど前に移設してきたものだが、問題を解決しようとすると職人さんの限界や苦悩みたいなものが伝わってくる。きっと、問題には気がついておられただろうけども、原因が分からずのまま悩んでおられたのではないかと。

以前、別の工場からの織機も、その工場に入って20年、一度も動いたことがないといわれていたのも良く分かる。その織機も、林与に来て、動かそうとするがなかなか職人さんに見てもらうも原因が分からず動かないまま。納期が迫ってきたので、私が時間を見つけてみることに、これは職人さんでは問題を見つけるのが難しいだろうと思えるような、すべての機械の部品が付いていて動いてはいるけども、その部品の一つが機能すべき役割を果たしていないという問題。それも送り出しの問題だった。糸の送出の機構というのは職人さんでもなかなか理解がし難いと思う。

その織機は付いている部品の穴の直径が1mmから2mm大きいだけでそこで動きが遮断されてしまうとか。その1mmとか2mmで、ラチェットをうまく押し出さないとか。そこは本来調整箇所ではないのだ。別の工場で20年動かなかったその織機というのも、そのさらに前の工場で動かなくなって修理できずに放出され前の工場に中古で買われたのだろう。そして私の工場に巡ってきた。そんな織機が巡ってきて動かないとその工場は立ち行かなくなる。

私も時間があれば、自分が織機を動かして調整を掛けて行くので織機の調子をどんどんと上げて行くことができるが、普通は織機を動かしている人は調子が悪い織機でも悪いままに動かして、織機の問題が布の問題となって表れたり、必要以上に織機が消耗したり、シャトルを挟んで壊したり、織る人は織機が悪いと結論付けるけども織機に調整を掛けるのも自動で織機が織物を織るようになったのだから織る人の仕事だろうと思う。昔は織り子さんとよばれる織るだけの人が存在したが、もう織り子さんという存在だけでは、織りの現場には残ることは難しくなっていると思う。
2018年10月19日
カナダでは医療用大麻を認可したことで、娯楽用の闇大麻が出回り、それを統制するということで娯楽用の大麻解禁の流れであるとニュースを読んだ。カナダのような国をしても医療用大麻が医療用で留まることのない実例である。大麻関連の薬品会社が合法的に出来てしまえば、偽ブランドと同じで合法なもののように偽物が裏で出回る。しっかりと取り締まる力があれば別なのかもしれないけども、薬品となれば患者を偽装したものが自分が使わずに他に横流してカネにすることもありえるし、そんなカネを目的で裏のビジネスも成立し、怪しい組織の資金源になってしまう。

鳥取の町おこしにしても胡散臭いなあと思ったの私だけじゃないと思うが、行政が後押しで問題が発覚というのも情けない。報道では、吸引用の大麻は栽培されていないで終わっているけど、現実的には真実も隠匿されていてやばい大麻が隠れて栽培されてしまっていたという情報。日本での大麻栽培に警笛を発しているのに、行政レベルの対応では、違法な大麻を取り締まるのは難しく、大麻栽培は本当に限定的なものでよいと思う。よくわかるのが、神宮大麻の存在である。大麻繊維の活用を考えるのに、中国だとうまく大麻の管理が出来て、日本では難しい理由などよく考えないといけない。

大麻栽培に関しての推進派が、行政も含めて素人でやばすぎる現実。大麻栽培に何を求めるのか、神事なの医療、種なの油なの繊維なの、吸引なのという単純な話。神事が吸引目的の隠れ蓑になってしまうのが情けない。外国人が放置紺あの日本で大麻栽培して、闇栽培でビッグなビジネスチャンス。海外なんかは大麻で金儲けを考える大麻ビジネス。廃人を作ったときにその代償は大きすぎるが、金儲けできるとなるときれいごと並べて合法化に動く。鳥取の事件などをみると、GHQは正しかったのではないのか、また、麻織物業者も大麻栽培撲滅に協力した戦後。栃木で地道に栽培されているような範疇が市場的にも適切ではないのであろうか、全国に広めようという動きは目的が別にあろうかと思える。

大麻が解禁されているオランダにいっても、ヘンプ織物が特産品としてあるわけでもなく、大麻吸引ビジネスが主体でしかない。大麻は万物みたいに言われながら、繊維としてもすごいとかいわれても、実際に隠れ蓑につかわれるのが、麻織物をコツコツやっている人間からすれば腹立たしいくらい。大麻栽培や織物関係者がそういう輩と混じっては駄目。織物まで作らせてちゃんとつくるくらいなら自分で栽培すると許可を与えるとかでないと駄目。そうすると別の意味が見えてくるし、やっと食べていける話になるから、大麻を栽培しても合法な範囲だと日本ではビジネスにもならないから、ずっとやっている方々も困っている。海外でも先進国では、大麻栽培は吸引目的が主体でないとビジネスとしては成り立たない側面がある。

日本では農業が崩壊し始めていて、手でつくる農業は成り立ち難い。大麻栽培も手作業が多いから本業の農業が難しくなってきたときに副業としてやるには後継者問題も含め難しくなっているのは良く分かる。しかしながら、日本で次の後継者を求めても、栽培だけでは成り立たせるのも難しいのだから結局、吸引目的につながってしまう。神事に使うのだからそういう中でうまくお金が回るような形にしないと難しいだろうが、実際に神事で使われる量も全国の各村に神社があろうが、田んぼ3反田、一つ分の畑で生産できるような量で済んでしまいそうな気がする。多くの後継者が生まれて携わるような形の栽培が適しているのかというと後継者が沢山生まれても食べてもいけないのが想定されるから、そうは思えなかったりするのである。
2018年10月18日
スポーツでも将棋などでも、10代の活躍が目立つ。20代よりも10代のほうが、ものごとに集中できているという部分もあるのだろう。オセロでも11歳が世界チャンピョンということで、単なる偶然ではなく、頭脳では世界的にも子供たちのほうが冴えているみたいな状況。これはなんか分かる気がする。芸能なんかも子供たちが大人顔負けに対応をしていて、成人するあたりから俗化。大学生となるとなんか俗っぽいものに憧れてしまっていて、限界が浅いことが多い。社会人となると集中も難しく投げ出すとか、新しいことを吸収するも難しい確立が高い。

10代が強いというのは、日本の場合は、年功序列の近年封印が解けたことにもあるのではないかと思う。日本の場合は、学生は学生、先生は先生というのを守りたい部分があったと思える。年功序列から実力主義の社会になって、10代が全力できたときには、大人の力では及ばないなんてのも、本来は普通なのかもしれない。年配のものが仕切っている社会というのはどうしようもないのを感じることも多く、そういうへんな封印を解くのがまず第一に必要だと思えるのである。

今はグローバルなネットの時代になって、先生たちの持っている情報というのが若い人たちの情報よりも狭いことも多く、若い人たちが自由に動けたほうが既存の師弟関係の中で教えてもらっているよりも、成長が早いということもあるだろう。田舎の実社会で得られる情報やできることというのは縦型の社会だと限られてしまって難しいところがある。年功序列的な体系と結びつけば田舎でもいろいろなことはできるが、年功序列型の体系が後ろ向きな力になってしまうときには一つ一つが難しくなる。繊維の業界でも、若い者がグローバルに力強く動けるようなところがどんどんと伸びて、既存の流通体系や生産体系で動いているところは苦労はしても伸びることができないような気がする。

壁にぶつかったときにそこで立ち止まらないためにも、硬直した考えや現状を打破できる人がまとまり動いて、壁を越えて行くような姿勢が大事だろうと思える。そうでないと織物にたとえると1mの織物も織れないままに時間だけが過ぎてゆく、実際の仕事ができてないのにどうにもならないとか嘆いていてもしかたないのである。でもそれ以前に、難しいものがどうこうよりも、簡単な布をつくることもなかなか難しくなった今の産地の現状を考えると、恵まれて余裕があるからできなくなってしまうんだよなあと納得してしまうところがある。

林与自身も50歳手前で、私の次の世代の人というのは前の世代の人以上に強くないと前の世代についているくらいでは乗り越えて行けないだろうと思う。自分がなんてもやってゆけるんだという実力がないと生き残っては行けないと思う。他の人に協力してうまく行く部分はそのままでもよいけども、外に協力を求めてもなかなか難しい本業の専門の人でも難しいことは自分で解決して行く力を持たないと新しいものも生み出せない。どんどんと新しい布を生み出してゆくような力を維持できていないと、壁にぶつかって前に進めないようでは先行きは難しい。
2018年10月17日
昨日は、駐車場のある畑の柿が、もう枝が耐えられないくらいにぶら下がっていたのを食べた。何百もあるうちの、熟れたいくつかは鳥に食べられて、鳥も最初の食べ始め。順番に美味しそうな柔らかくなったのを啄ばむ。オーガニック栽培というけども、放っておいて出来上がるような柿のようなものもある。今年は当たり年で、何百個もの柿が一つの木に成る。駄目な年は虫に食われて1個2個もありえる。オーガニックのムラというもので、オーガニックが商売では成り立ち難いのもそのあたりだろう。

カルガモ有機栽培で子供会がもち米を育てようとしても、実際には土に栄養が足りないので、カルガモの糞だけでは、稲が育たず穂が実らない。世話している農家の人は正直なことをいう、やっているものは理想じゃなく正直なのだ。それだけじゃあ足りないから肥料を普通に使ってなんとかもち米を作る。世話している農家の人が嘘をつけばそれで終わりのオーガニックの世界である。林与の村の農家の人はとても正直で本当のことを話す。やっているものは理想を語るのではなく現実と実際の苦労を経験しているから。

取れる量も村の人みんなが分けて食べるのには少ないので、自分でつくったもち米を無料で混ぜてなんとかそういう村の事業を成り立たせている。実際にやっているひとは、看板なんて理想だということも分かって現実と向かい合っているのである。こんな特別すごいことをやっていると偉そうにもいえないので、あんまり偉そうには言わないのである。耐えて正直なところも伝えながらかるがも有機栽培を通じて農業の本質を伝えていらっしゃる。

琵琶湖の富栄養化の問題でも、家庭の潜在が問題になって粉石けん運動が起こったけども、農業で使われる肥料の問題はあまり取りだ足されない。稲を育てる肥料、リンや窒素の集約されたもので、琵琶湖に流れ出せばアオモや赤潮の原因になる。農業は行政を挙げての事業なので、消費者は県の業務とは関係ないので規制出来ても、農業は県の業務の一旦で規制する事は難しく、農薬や肥料は農協にとっても農業ビジネスの柱、規制されることはほとんどなく、それがもたらす富栄養化については口を閉ざされている。肥料をつくる工場が肥料を排水中に廃棄してしまえば大問題なのだが、農協が農家を介して琵琶湖に流れ込む分に関してはむ問題なのである。農家の人も農協から農薬や肥料を買わなければ、米を農協が買ってくれないとか脅されて、仕方なく買わされて買ったからには捨てるわけにもいかず、田んぼに巻いて捨てるかのごとく使っているケースもあるのである。

たとえば、農協が自然農法を推奨するのかというと逆で、肥料を販売して利益を上げる業者的な要素があるので、農薬や肥料会社のセールス窓口で、環境問題の観点からすると指導はしていながらも、環境問題と利益のどちらが大事鹿野かというと利益よりだろう。農協が会場となって催眠商法なんかもあったりして、高額なマッサージチェアを老人が買わされたりとか、協同組合が守らなければ成らない会員に対して何をやっているんだろうという話。存続自体が会員保護とか世の中のためではなく、組織の存続のためになってしまったりする。

農業というのは自然を思わせるが工業と同じ以上に、工業的にやれば自然破壊に結びつくことも多い。アメリカで流行の遺伝子組み換えなんてもの、遺伝子を組み替えたものが勝手に、他の畑の通常のものと交配してしまったら、通常の畑を遺伝子組み換えでやっていないものが、被害者でも、遺伝子組み換えの特許を持った企業から訴えられてしまうようなのが、今の最先端の農業である。農業という言葉=自然ではない。農業という言葉が商工業以上に環境破壊を見えないところで犯してしまうこともあり、行政が裏で力に負けたりとか、担当が将来の天下りを考えて認可というケースもあるので、気をつけるべきところである。国民を欺く国会での偽証罪が疑われても出世できる行政のメカニズム、保身や利権にまみれたものが、まともな精神をあざわらい駆逐することは、原発以外の行政でもいたるところでみられる問題。

環境庁が、原発が爆発後に基準値を20分の1に下げて、ほんとうなら法を犯すような犯罪なのに、行政が絡んでいると法律や基準値を換えて犯罪がなかったことにする。法の下の平等すらも行政主導だと問題なしになるのが、旧共産主義国にありがちだった闇と似ているのだが、先進国となった日本で、旧共産主義国の闇以上にアンタッチャブルで不透明なものがあるのもなあ。
2018年10月16日
今まで、林与が自分自身の中で生み出してきたものとして、超細番手リネンストール、やわらかなリネンストール、ハニカムキッチンクロス、リネンデニム、藍染リネンなど。他を真似るでなく、自分自身がこんなものがあればよいなあと自分の試行錯誤の中で作りたいなあと思うものを生み出してきた、出来上がったものに面白さを感じるような流れのものづくりこれは織機を動かす中で生地が生まれて、それが世の中に出て他に影響を及ぼし麻やリネンのトレンドとなる。最初につくるので乗り越えないといけない壁は大きいけども、自分の目標を達成し世の中にないものを生み出してゆく実感はあるので充実感がある。まあ、私は外を見て回らないのですでに世の中に存在する可能性はあるが、いろんな麻を見て麻を扱っておられるお客様に提案しても他でみたことがないという方が多いので、世の中への提案としても林与が自分で考え生み出した生地の新鮮度は高く、トレンドにもなりやすい。

リネンの細番手プロジェクトも、糸が入手困難なときから、糸探しから初めてのトライアルで、量産のために糸を確保するところまでの思い切りなども乗り越えてきた。林与の場合、超細番手のカシミヤや綿、その他新素材にも手を出したりもするが、他の素材に挑戦するのが織れないといわれるときに、自分が織ってみたいと思って手を出してみるとか。それも織物を織ることへの挑戦なのである。麻の紡績工場にもっと細い番手を作って欲しいと頼むことが多いが、なかなかそれが叶うことはないのである。織れるか織れないかわからないようなレベルの糸を作ったところで沢山の人が買って使うことはないだろうから。

昨日はまた、細い糸が手に入った。良い糸への憧れは半端ではなく、何十万円というお金を原材料に費やし将来のいつの日にか形にするために在庫したりする。何十年に一回しか手に入らない糸というのもあるだろうから、でもそういう糸が常に織れる糸だとも限らないし、私は自分で糸を料理する自信を持っているから、よさそうな糸は自分の織物の腕を試せる絶好の材料なのである。この糸も相場が、1kg1万円ほどの糸なので、染めたりもして密度を高く織ると反物で普通のバルク生産でも1mが1万円くらいクラスの生地になるだろう。そういうものを追い求めてみたい。ただ、材料費が高いじゃけじゃなく、仕上がりがどんな風にみえるのか、大期待なのである。業者さんに扱ってもらうのは難しいけど、麻に憧れをもっておられる方とか麻を求めて世界中を巡っているような人に提案できればと思う。

本業で本質的な良いものを求めるのは、売って儲けるためでなく、見てもらうだけでもよいというアーティストの自己表現に近い感覚。通常の仕事でそれを求めるから、そういう部隊では、評価される人に出会える機会は少ないけども、アーティストの方に感銘してもらえることは多かったりする。自分が良いと思う麻布が、良い麻布でという自分の中にある麻布に対する価値観は、他の人が作った布に特別なものを感じたときには素直にそれを評価できるものでないと価値観として本物だと思えない。たとえば、自分がつくろうとしているものを他の人がつくったときにすごいなあと思えるとか。自分の求めている風合いをほかの人が実現したら良い風合いだなあと思えるとか。一方で、他の人がすごいといっていても、自分が普通だと思うものは普通だという判断でよいと思う。
2018年10月15日
子供の頃はじめて飼った犬が2歳ほどでフィラリアで死んだことがある。裏が竹やぶで小さな川があったので蚊が多かった。歴史をしらべると、滋賀県の湖東地域は蚊の多い地域で、戦後マラリアとの戦いがあったそうで、彦根城の外濠も蚊を撲滅するために埋められたそうだ。戦前に戦争に行ってマラリアを持ち帰ってきたのが蚊を媒介して広まったのを戦後にアメリカの指導の下、行政を挙げて撲滅したようだ。また、日本の歴史を調べてみると八丈小島では、人フィラリアの風土病があったそうだ。どちらもDDTという1971年に禁止された農薬で蚊を駆除した。

基本的に、人に害を及ぼすのでDDTを使うのもしかたないことだろう。沈黙の春の中で、DDTは生体蓄積し発がん性があることで、1971年使用禁止という流れになった。今は当時ほどは危険性があるとは考えておらず、発がん性の恐れがあるという認識で、アゾ染料に近い危険度のあるものとして、途上国でのマラリア退治には使われている。八丈小島のマレー回虫は学者からすると天然記念物にしていしたいほどで絶滅させるのは残念だと思う気持ちもあったいうが、私は人の命や健康のほうが大事だと考えるのでDDTを使用して絶滅させたのは良かったかと思う。彦根の件も同じで、DDTの使用で風土病とされたマラリアが絶滅になったのはよかったと思う。八丈小島の風土病が絶えて人々が精神的にも開放された面も無きにしもあらずだろう。なぜ水も少ない人が住むことも難しいその島だけに人フィラリアがという問題。学者たちは謎だというが、ゾウ足の症状が出たものに対しての隔離政策があったのではないのかと思う。カネミ油事件などでは、米油にPCBが混入し、カネミ油症を出したので、DDTの散布に関しても安易には考えてはならないと思える。危険性を認識したうえで使用するべきであろう。よくあるのがそういう危険性をないかのように安全だと言い切って使用して、結局、惨事に至るケース。

カネミ油事件でも工事ミス説が有力である。たったそれだけで起こりうるから本当に怖い話なのである。腐敗や工作ミスでPCBが漏れ出すような脱臭装置自体の構造に問題があったのではないかと思う。事件発覚後の企業対応に問題があったのも見逃せないが、裁判も大きな問題で、最高裁で国の落ち度が絡んでいるためにこんな事件でも被告が敗訴するような可能性が高くなり、被告が提訴を取り下げるようなことになった。なんの罪もない人間が米油を買って飲んだら毒油、行政がだらしないことして原因究明せず放置、国が被害者に勝とうとする行政的な流れが見えてしまう。こんな事件でも被害者が敗訴しそうになる日本の裁判システム。コメ油はコメ糠からでコメなんで、当時、国のビジネスの要素もあったんだろう、国の余剰米を預かる倉庫業者がなんで米油の製造を倉庫ではじめたのかとか。東電と似たような官製を感じる。

和解した原告以外は被害者ではないというような考えも不思議なのだが、厚生省の考える国の厚生レベルの低さそのもので、カネミ油の業者だけじゃなく、行政が責任を問われると被害者を見捨てる国の対応が被害を放置してしまって、被害者の救済を考えない国の姿勢が浮き彫りになった事件である。カネミ油のような大きな問題が起こっても、それを解決すべく国が正しく機能していなかった部分。

安全性が謳われていても実際に使われて危険性が見えてくるものも多い、大体、新しい薬剤など数年で問題が見えて消えてゆく。コストが安いからと新しい薬剤に変えることはリスクが高いことが多い。自動車にしても新しいリニューアルされたモデルの車と販売されて数年経つモデルでは、どちらが安全なのだろうか。たぶん、後者であろう。倉庫会社がつくった米油最初はいろいろとトラブルがあるのは当たり前と思う。慣れた技術者というけど、まあ、特殊な機械だと慣れた人間なんて作った人でも修理とかできるかできないか。
2018年10月14日

海外生産に関わるニュースで、日本の大手SPAがインドネシアの縫製していたのを辞めて、他国での生産に振り替えたので、インドネシアの工場が従業員たちの仕事が無くなりリストラされる話。従業員たちは、工場経営者を訴えるではなく、仕事を出していた日本の大手SPAに解雇に関する金銭的な補償を求めている。品質要求が高いと同じ仕事でも時間は2倍、3倍とか掛かることになる。人件費は品質の精度を求められば、2倍、3倍になることもある。 何百人が働いている縫製工場でも、日本の大手SPAの仕事を受けてキャパが一杯になりさらに従業員を増やして納期を合わせたりして、従来のお客さんの仕事をほとんどなくしてしまって、日本の大手SPAからの発注が無くなったときには、倒産する可能性や大規模なリストラが必要になるのはほぼ確実なのである。日本の生地メーカーや縫製工場でも、大手SPAの仕事を受けると倒産のリスクは高くなってしまうので断るところは多い。勝ち組とされるところの仕事を受けてうまく続けばよいけど続かなくなったときの反動は大きいだろう。 発注するだけで、従業員の解雇の補償まで要求されるというのも理不尽ではあるけども、この問題は大手SPAが発注先を変更するたびに起こりえる問題なのである。大手SPAが、途上国に生産するときに国際貢献となることを考えるが、逆に、発注をやめるときに働いていた人たちの解雇問題を考える経営者(大手では厳密には経営者も雇われ人だから、会社は株主のものという大企業的な考えからすると株主)はいないだろう。法的になんら問題はないというのが一般的な結論なのだが、多くの人の人生に問題は生じてしまっている。仕事をくれた先が自分たちの面倒をみるべきだみたいな考えになってしまっているのも考え方としては修正が必要だろう。大手SPAの仕事を受けた経営者の判断の問題というのが一番なのだろうけど、こなせて安定的な関係となればよい仕事、でも、一度受けると元には戻れなくなる可能性も高い。 大手アパレルが主軸にしていたライセンスブランドがライセンス解消となって、売り上げが激減し人員が余り、経営が難しくなるというのも同じことだろう。自分が決定できない一つの案件の比率が大きくそれに頼っていては、いざその案件が難しくなったときに急に立ち行かなくなることがあろう。安定しているように見える仕事ほどそこからの方向転換が難しいものであり、安定していないくらいのほうが長続きするのではないだろうか。

2018年10月13日
分業って特化して生産性を高め品質も高められるというのが目的なのだが、分業にすると楽をできるだけに落ちていってしまうことも多い。自分の今やっている形がすべてみたいな問題があっても問題もみえないようになってしまうとか。日本の場合には、利点よりも問題点が増えてきているように思え、分業のそれぞれが偉そうにするばかりで問題が起こっても無責任で、まともなものをつくるボトルネックになってしまう。それぞれが責任をもって正しい結果を出せていればよいけども、正しい結果もでずに仕事したと、途上国の仕事よりも質が落ちてしまっては日本国内でものづくりしたものでも売り場にならべることも難しい。

昔、細番手の糸の問題で糸商の社長と口論をしたことがあって、織れるか織れないか分からない細い糸を林与自身が自分で手に入れようとしたときに、その糸商の社長が自分を通して買って欲しいといわれるが、まずは、糸商なら自分が手に入れてこんな糸がありますから試しに使ってみませんかが普通だと思うが、私の話に便乗するだけで後の糸の問題は自分は関係ないでは駄目なのである。一か八かの掛けに、外野は必要ないのであって、織れなければ私が何百万か損をする話。注文が入っても糸が手に入らなければ私が困る話なのであって、リスクもできない糸商さんが、リスクする人間に口出しをする話ではない。何十年の付き合いではあったが、その件は自分で海外から糸を仕入れ解決して、リネン100番手以上の細番手織物の量産の道を切り開いた。別に喧嘩するつもりもないけども、ハズレの糸をつかんでリスクを背負う覚悟がない状態で任せてくれと頼まれても困る話なのである。糸商さんでもどこでもハズレの糸を掴んで苦しむことはあるが、それはそれで使えない糸に正しいお金を払う気の毒な話だが、それが糸のプロとしての糸商さんの仕事の一つでもある。

私も、織れない糸が当たっても返品しないで使える工夫を最大限に考え織物のプロはプロで問題解決に真剣である。今まで林与が糸商さんに糸を返品したことは20年ですべての糸商さん含め3回だけの話。糸商自身がどうしても使えない糸の存在をしっていても、売ったときに機屋の問題に摩り替えてしまうことも多い。織れないだけでなく、物性的に問題のある糸などもつかまされて糸商が悩むこともあるけども、それを黙って売ってしまって問題が起こったらそれは糸商の問題で対応はちゃんとするべき問題なのである。そう保証があって糸の価値は高まるのであり、無保証な糸は危険極まりない。糸を使う機屋は、糸商さん以上に、糸を見る目がないと糸を扱うことが難しい。問題が起きたときに、それが糸の問題なのか、染の問題なのか、加工の問題なのか、みんなが逃げる話を解決していかないといけないことが多い。

今も生成の糸の色むらの問題の解決。リネンの生成の織物というのは定番の一つだが、何十年も昔のようには行かない。よく昔、海外生地を後染めするといろんな問題がでてくるとか言われたが、原材料の均一性の問題などが糸の中に爆弾として存在していて、銘柄による品質の違いや同じ銘柄の糸でもフラックスの作柄やロットによる良悪の差が、織物になったときに出てくる可能性がある。糸商さんでもそういう問題を解決する方法はなく、生成を諦めて、生成っぽい色に染めて使うとか。

生成というのはアクが出たりするもので、それが色が薄くなる原因の一つで、洗うまでは色むらが見えないことがあったりする。織っているときにはまったく見えないが、洗いを掛けると色の差が出てきたりと爆弾が仕込まれているのだ。うまくつかう別の方法は、ランダムに横糸で使う方法とか、問題が軽減されるが極端な色むらはやはり段となって表れる。リネンの生成りは、同ロットの中はもちろん、紡績の錘が同じでも糸の番手が揺らぐこともあるのが普通で、連続して使うよりも散らして使うほうが問題は少ない。

本来は織物で改善するよりも縫製で改善するほうが、均一でよい織物が出来上がる。こういう色むらの問題は、一本の横糸で織っていったときに突如として1cmの帯とか、5cmの帯とかの問題として表れるが、そこを使わないで、縫製するだけで良い製品となって仕上がる。全体の原料の品質を最高にした糸が逆に一番問題が起こりやすいのもそこである。綺麗な糸にときおり問題が起こり反物としては失格とか。反物の良いところを数メートル使うなら最高の生地である。結局は、全体の品質を落として安全な当たりに落ち着かせる手法が取られる。当たりハズレを無くすために、いろんな地域の原料を混ぜて安定させ使うのである。紡績の時期ごとの色の差なども軽減される。

日本の量産の縫製技術よりも海外の量産の縫製技術のほうが上だったりもする。海外では、プリント物などは、色の安定性が反ごとに揺らぐので、サンプル縫製と同じように、延反した反物を上から一度に裁断するが、同じレイヤーのパーツには番号シールを貼って、サンプル縫製と同じような品質で、色のばらつきの問題などを極力抑える方法が取られる。そんなに難しいことではないが日本でこれをやる縫製工場はあまり聞いたことがない。途上国の量産のほうが日本の縫製よりも最後の仕上がりの問題を気にしているのは、素材の品質が安定しないのを受け止めて対応しているからだろう。中国や韓国の縫製も、反物をすべて検反してからアパレルの自社基準にあうように小さな問題も避けて裁断をおこなうとか、人の力がすごいなあと思う。

織物工場でも、何百人の織物工がいて、莫大な量の生地が織られるが、もちろん問題もあるけども、それを検反、修理する人が何十人もいて、織りのキズなどが無くなる。正しく織れない人は織物工としては働けなくなる。日本の場合、織るものが正しい織物を織ることが想定されていて、正しく織れなかったときに、自分が生地を修理するなんて想定の織りの人はいないだろうキズを織ったら織ったでほったらかしで、麻織物の場合には、それでは普通はB反が当たり前。今の日本では自分で織ったキズを直せる人でないと織物を織ることも難しい。キズをつくるスピードに修理が追いつくのは難しいから、自分が常にキズをなく織れないと仕事を受けても回らない。
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