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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年07月10日
今日は明日からのスークなテキスタイルマルシェのための準備で、夕方から大阪。1週間ぶりの阪急うめだ本店でのイベント。今回は、場所が広めでありがたくできるかぎりいろんな生地を持ち込む。準備予定時刻の7時丁度に会場準備に入って、いつも遅れることの多い林与が時間通りで皆さんびっくりで私も普通に準備時間に着けてびっくり。

時間丁度に到着するために、車に飛び乗ったために。ほとんど手ぶらの状態で、必要なものはポケットに。電車に乗ってもバタバタと準備をして急いだので、暑くて暑くて、おーいお茶の濃い目をゴクリゴクリ。携帯電話はポケットだが充電が足りず、外付けの充電バッテリーは車の中に置き忘れる。

今回は、広々としたレイアウトで、逆に商品が足りないのではないかと心配するくらい。松尾捺染さんのご夫妻がきれいなレイアウトで早々と準備を終えられて、IPさんのお二人と一緒にレイアウトを考える。

私自身、会社の中の仕事が詰まってしまっており、準備は出たものの、明日からはスタッフのものに立ってもらう予定で、アポイントが14日に会社でということになって、後は最後の片付けにいくのが私の役割になりそう。今回は、14日から16日が三連休ということもあって、沢山のお客様に来てもらえますようにと、祈ります。いつものテキスタイルマルシェよりも沢山の生地をもっていきましたので、皆さんみに来てください。
2018年07月05日
今日は学生時代の友人と昼過ぎに京都で合流して5年ぶりくらいの再会。大学時代の親友なので久しぶりにあっても変わってない感じもする。京都駅の近くのレストランで飲み放題をしてから、イタリアンレストランで電車の時間まで雑談。今日は雨がすごくって電車が遅れ気味で、本格的な雨。帰ってから仕事の続きをする。
2018年06月30日
今日は、テキスタイルマルシェの店頭は、たくさんのお客様がお越しくださり、たくさん生地もお買い上げいただきありがとうございました。スタッフが店頭に立って大忙しだったようです。白い生地や黒い生地へのご要望も多かったみたいで、白い生地と黒い生地の在庫が少なくなってしまっており、持ち込めた量が足りなかったようです。

私は今日は工場で作業、つくる仕事のほうもいろいろなご要望をいただいており、それを前に進めていくのが一番仕事の大事な部分で、販売よりも作る部分に時間が掛かってしまうのが悩みの種でもある。まだ、私は仕事するときに全力モードに入れ年を取るごとにできることも広がって行くが、普通の織物工場では当たった担当の仕事を覚えそれだけを基本の仕事としてずっと仕事しつづけるという織物工場が多い。慣れる事で意識せずに仕事ができるようになる。それこそが職人のメカニズムなのであるが、それが当たり前になると苦労のないところで仕事を流してしてしまうので、新しいものをつくるとか、手が空いたときや急ぎのときに自分の担当以外のことをするとかが、なかなか難しい。

生地を売るのが難しいと嘆いていないで売れる生地は何なのかを考えて作ってゆくとか、売り方を考えていくとか柔軟性をもっていろんなことをやっていくことが大事で、嘆いて何もしていないとか、仕方ないでは他の人たちに追い越されてゆくだけ。働いている自分たちが成果を上げて行かないとと思う。

テキスタイルマルシェで気が付いたのが、ほかの生地やさんでの生地というのがインクジェットでのプリント生地が多いというところ。かわいいモチーフのものが多い。テキスタイルデザイナーがコンピュータで絵を描いてインクジェットの技術で紙にプリントするのと近い感覚で、それを生地にできるような時代になった。
2018年06月29日
2日間、かなり無理をして、今日はテキスタイルマルシェはスタッフのものに立ってもらって、私は久しぶりの体休めと工場の中の仕事。50近くで徹夜続きは厳しいのだが、なかなか現場の仕事も、やりかたは分かっても面倒だからできないということが多いのがありがちなパターン。時間の掛かる部分の仕事が私に残っていることが多い。

テキスタイルマルシェ3日目はお客さんに沢山来てもらえたようで、私が担当した最初の2日よりも売り上げがよかった。忙しかったようである。生地も良く売れたそう。
2018年06月28日
今日はテキスタイルマルシェ2日目、お昼すぎから店頭に立つ。

インドネシアのバティック染の展示会が9Fのうめだギャラリーで開催されている。海外の方が、大江さんのシルクに興味をもたれ沢山お買い上げ、インバウンドだろうかと思っていたら、バティック染めの作家さんたちで、タイシルクを普段は使っておられるそうで、日本のシルク素材をバティック染めに使おうとされ購入されたようだ。

棉生さんと一緒に、バティックの世界を見に行った。伝統工芸的な色合いで、緻密さや手が込んでいるのを感じる。日本の着物なども展示されていて、林与がいまやっている近江上布柄の広幅絣も、こういう場所で展示とか販売を目指せればと思う。100種類くらいつくったらチャンスがめぐってくる気がする。

今日は、この数日の疲れがどっと出て、能登川駅まで帰ってきて、駐車場の車の中で3時間ほど寝て家に戻った。両足首が凝ってしまって、電車の中のイスに座っているのも苦痛とか。東京の夜行バスで寝た以外はほどほとんど寝ていなかったので、眠る必要があるのだろう。明日は私は会社に残り、作業することにした。

2018年06月27日
今朝は、ぎりぎりまでテキスタイルマルシェの準備をして午前9時に売り場に到着。他の出展者の方が手伝ってくださってなんとか、準備ギリギリ開店に間に合う。東京から昨日の夜帰って、一人でなんとか準備できるところまでやって出発。留守にする現場の準備もしないといけない。現場を助けながら外のことをやっていくというのはどれだけ時間があっても足りない話になる。

どこの会社も同じような状況なのかもしれないと思うのが、テキスタイルマルシェが成り立つのも自分たちでそういうイベントをやっていこうという人がいるからというところでしかない。逆に、会社が大きくなるとテキスタイルマルシェのようなイベントには参加するのが難しくなるのではないかと思うこともある。テキスタイルマルシェは自分で作ったものを売るために準備して自分で売って行けるような理想的なチャンスで、テキスタイル以外に小物を売ることもでき試行錯誤できる自由度も高い。

実際のものを見てもらう場所としては一番くらいによい百貨店の売り場で自分の作ったものを販売できる。そういうチャンスがあるのだから、それに掛けてみないで他のチャンスを探しても仕方ない。今回は、リネンガーゼストールを藍染にしたストールをワゴンに並べてみて、勉強になったことがある。藍染ならすべて同じに評価してもらえるのかというと非常に大事なポイントがあるということ。

今後の藍染するときの参考になった。
2018年06月26日
今日はジェトロの商談会。夜行バスで東京に向かい、豊洲のアパレルさんのところでお昼過ぎまで滞在させてもらう。今扱っておられる商品などをみて、どういうものづくりが許容範囲に収まるのかとか、求められている生地を頭の中で整理する。築地市場の移転問題で豊洲という場所に興味をもっていたが、地下鉄の駅で、半分以上の方が降りられるほどに、活気がある。人が動く場所でないと成り立つような活動は生まれてきにくい。

今、型紙のデータをつくるのにイラストレイターの機能を使おうと考えているのだが、できるのかどうかわからず、イラストレイターが得意なスタッフの方がおられたので、私のやりたいことがイラストレイターでできるのかどうかをその場で教えてもらって思わぬ収穫をいただいた。自分で作業することが自分の仕事が進むこととつながってくるので、壁にぶつかったときにはとりあえずアクションを起こして超えていかないととおもっているのが、今回も人脈の助けで思いがけず前に進んだ。ありがたい話である。

ジェトロの商談会は3時半過ぎから欧米の4社が来日される。前田源商店さんやカゲヤマさん、宮下織物さん、福田織物さんなど、いつも親しくしていただいている会社さんも近い時間帯でご挨拶などさせていただけた。宮下さんとお話していて、宮下さんのところの本業は織物ではなく神社ということやはり織物の歴史と日本の歴史とはつながっている。すごいなあと思うのは技術をもった織物が続いているところ。新しい取り組みもいろいろとされていて、今のアパレルにも評価をもって受け入れられるものづくりをされている。

ジャガードなんか、本数も多く、データをつくるのもされているということでそのものづくりの手間はよく分かる。データつくりなんかも自分ででき問題の修正なんかも自分でできるから強いのだろうと思うのだ。私も型紙のデータつくりなどとことん強くならんとと思う。福田さんのところは娘さんと新しい女性の方がおられて楽しそうな感じで、会社の中にも現場で5人も男の人がいるということで、びっくり。強いわけだなあと。だれもが織れるようにというのをおっしゃっていた。社長が老眼で現場の人が社長が織ると問題が起こるからと笑い話だったが、若い人たちが現場を担っておられ理想的な現場を持っておられる。

帰りは新幹線で帰り、夜中前に帰宅、明日から阪急うめだでのテキスタイルマルシェ。朝まで作業と準備して、久しぶりの百貨店の店頭。いい流れになるとうれしいのだが。明日27日は私が終日立つ予定です。お時間のあられる方は、お立ち寄りくださいませ。
2018年06月21日
今日は、神戸に納品があって、その後、大阪に中古の大型のスキャナを引き取りに行った。近江上布のアーカイブの画像や昔の型紙のデータ保存して、活用できるようにするための大型のスキャナ。近江上布の柄は何千種類とあるので高速にスキャンできるのが良いと思って、大型タイプでは一番くらいに早い現行機種の上位モデルの中古。ドライバーなども手に入れやすい。

実際に業務用の機種というのは販売される個体数が少ないのでパーソナル向けよりも問題が多く、中古を手に入れても情報も少なく、自分で解決していかないといけないことが多い。昔の渋紙の大きさは60cmX50cmくらいなので、パーソナルなA3スキャナでは無理で、A2でも厳しく、A1、A2のスキャナが必要。

最初は、スキャナよりもデジカメのほうが便利じゃないのかと考えたが、レンズによる歪を補正するのが手間といえば手間。スキャナの場合には、補正が基本不要なだけでなく、実物大に取れることも用途的には便利な部分である。
2018年06月18日
今日は、地元のテレビ局の撮影。入社1年のスタッフ斎藤が、シャトル織機を動かしたりインタビューに答えたり、手タレやったり、傘モデルやったり、一方、ギクシャクで取り直しばかりの林与。撮影を通じてこの10年ほどでやってきたことが思い出された。

10年前にスタートしたアイリッシュリネンプロジェクト。当時は織れるか織れないか、織れただけで大成功だと思っていた、1970年代初めに購入した140番手のビンテージアイリッシュリネン糸。織り上げた布は隙のない完璧に思える美しさ、やわらかさ、しなやかさ、そして光沢感。まさにアイリッシュリネンらしい。

追い求めたものが初年度で出来上がり、2年目、3年目と進化させていった。同時に現行の最細番手の150番手を織るプロジェクトもスタート。そちらも成功をして150番手を通常の技法を磨くことでアパレル向けに織れる技術基盤を確立できた。ビンテージの140番手と現行の150番手では、明らかに、ビンテージの140番手のほうが糸が均一で強い。

ビンテージの140番手は基本、リネンハンカチ専用だが、シャツ、インナー向け、ドレス向けにも高価ではあるが生産はしている。


2018年06月15日
今日は、私以外に、3人の林さんと接点があってびっくり。生地商の方、金融関連の協会の方、自動車の保険の担当の方。今日も色々なことがあって早朝から夕方過ぎまで。合間の時間に書類関係を少しはできた。

今日は、午後からジェトロの彦根事務所の方が来てくださり、輸出案件でわからないことあったときには問い合わせなどできそう。今月末、東京のジェトロ本部で欧米ブランドさんとの商談会があり、広幅絣プロジェクト見てもらおうと思う。秋冬向け商談会なのでリネンのストールやリネンの厚手素材をブースに並べよう。

今月27日からテキスタイルマルシェで予定もつまっている。
2018年06月14日
林与の大きな欠点は、家族経営的な会社なのに家族の他のものが織物を織れないところで、レピア織機なら普通私が指導すれば、未経験者でもほとんどの人が、1日で織れるようになるのだが、そういう基本の仕事の作業を評価できないところが昭和の組織的なレガシーなものづくりの問題の一つ。仕事があっても出来る仕事がないという問題につながる。

この問題というのは組織的に大きくなった機屋が直面する問題で、何十年も現場を任せた方々が年を取って難しい仕事や新しい仕事ができなくなってくるとそこで終わりを迎えることになる。産地の機屋さんにしても、経営者は残り、デザインや企画はできても、それを織れる人が居ないと言う問題。まさにそこが日本の織物業での致命的な問題の部分ではあろうかと思う。弊社も常に意欲的にものづくりできる人を探してはいるので、いろいろと好き嫌いな苦自分で作業してみる覚悟のある方にとっては魅力的な現場ではないのかと思う。

地道な作業ができるかできないか、繊細な作業ができるかできないか、力作業ができるかできないか、急ぐ作業が急げるか急げないか。その辺りがかつて言われた日本人は器用だというところで、日本らしいものづくりの質に影響してくる。作業を突き詰めると特別の世界が見えてくることも多い。何十時間費やした作業が、一瞬で駄目になることもあるし、何が大事なのか見えてくる。

素敵に見える布が簡単にできれば、それは他の人でも簡単につくれるから、自分だけしか作れないものというのはやはり自分で作るしかないのである。自分の限界を知るところが一番大事で、自分の限界から規格を10%ダウンしたところで量産のものをつくるとか、量産も難しいものなので他も真似は難しい。

自分のデザインで勝負というのも、自社ブランドで他に販売しないというケースなら成り立つだろうけど。自分に生地を量産できるだけの販路が十分あるのかという問題につながる。普通は、量産のボリュームを狙おうとすると、ブランドさん向けのものづくりとなり、バッティングの問題もあって色と柄を変えてそのブランド用に味付けするケースが多いので、デザインで勝負のはずがデザインはブランド任せになることがほとんど。相手の思うものを自在に作りこなす力が必要で、それは自分が自分の思うものをつくる以上に費用もエネルギーも使うし難しいことが多い。

ものづくりというのは、機械を使おうが人の力の限界がものづくりの限界なので、人の力の限界が先進国?である日本でやるならやはり高くないと難しいと思う。私も外資系の世界で一番よいと思われる電子部品の製造現場も経験したことがあるけど、半分以上の時間を検査に費やす。これは職人が不在ということで、どこの国でもできる装置産業的なものづくり。人の能力が要求もされていないから楽に働けるけど、人の能力も引き出せず落ちて、千人以上も働いていたその工場が閉鎖され、海外に移転されてしまった流れは当たり前といえば当たり前。

そういう優良?な工場が消えた後、その工場で働いていた人たちのかつて経験したことのない苦悩が始まる。別に他の仕事にしても普通なのだが、普通に働くことも難しい体質になってしまうのである。甘やかして駄目にして捨てるパターンに近い。
2018年06月13日
マサチューセッツからクリスティーナとご主人のディエゴと息子さんのパトリシオ君と友達4人が日本に来日。今日は奈良からお客様で、夕方6時に京都で合流。

クリスティーナは、サンディエゴでクラスメート4人でアパートをシェアした友人で法廷通訳の仕事、ご主人のディエゴは、マサチューセッツ大学の教授をしている。息子さんお二人で、今回は次男のパトリシオ君が仲の良い友達4人と一緒に日本に来たいというので、保護者的な来日。

京都の八坂神社で合流後、鴨川の床で、3人でビールを飲みながら雑談。サンディエゴでは、9ヶ月ほど一緒だったので、いろんな思い出話がありすぎてつきることがない。食事は、場所を変えて木屋町の居酒屋に。学生時代、コンパは木屋町が多かったので賑やかなイメージがあったが、もう学生時代に多久さんあった大きな居酒屋は消えてしまっている。こじんまりとした居酒屋を見つけて入る。

パトリシオチーム4人は、新京極、寺町で買い物して、マクドナルドで食べてから、居酒屋に合流して、そのあと、歩いて宿泊先の町家で話して終電で戻るつもりが、京阪電車乗り過ごし東福寺、京都駅についたときには終電がない。ネットカフェで4時間仮眠し始発で帰ることに。
2018年06月12日
今の日本、あり得ない詐欺が放置されてしまっていて、電話番号つきの詐欺のハガキ、警察やNTTも、事件性があるなら対応簡単だろうけど、放置するのがなぜか。

母親にしても、初歩的な詐欺だから放っておけというのだが、警察に行って捕まえようかみたいな楽しそうな感じで、世の中分からなすぎ。警察に相談して警察がちゃんと動いていればこんな詐欺は簡単に解決しているのだ。

豊田商事事件思い出させるけど、騙される方が悪いというのが、駿河銀行問題でも一般のものならヤバさわかるけど、そのヤバさもわからず駿河銀行を優良モデルとして扱ってきた金融庁。詐欺事件の裏方の立役者が行政で、問題が起こってそれを行政指導しても意味はあるまい。

豊田商事にしても目が狂えば優良企業で、法的に問題もないと放置。今の詐欺ハガキ企業も法的に問題がないと放置で、優良で、政治献金もしてるからつかまらない気がする。
2018年06月07日
美学を突き詰めて行くと廃墟になるというのを、大学の一般教養の授業で学んだが、大学で学んだことの中で一番社会に出てから学生時代は分からなかったけど世の中の価値というのはそういう部分で成り立っているのだなあと、林与が追い求めるものとの共通的な要素。木が枯れてその枯れたのがいい感じに思えるとか。

一般的に意味のないものに価値を感じたり楽しめる目を養いなさいということじゃないのか。それこそ豊かな精神なのである。茶道の利休が求めたのも作法じゃなくて精神の部分だろう。絢爛豪華な世界を求めるでなく、ワビサビの世界こそが一番贅沢な世界。これは方丈記ににも通じる。自分の身の丈を知りそのなかで自分の世界を作り上げて行く贅沢。普通のものが最高に感じられるとき、価値観のリセットが起こって、本当の価値観というのが見えるときがある。それは自分の中の問題である部分が大きい。
2018年06月01日
今日は、林与の倉庫のお隣のおばあさんが満93歳でお亡くなりになられ夜伽。お手伝いに行かないとならないのでなんとか時間に間に合わせようとするも間に合わない。母親に本日は代わりに出てもらうことに。時間の掛かる作業を他のものができればよいが、時間の掛かる作業というものほど難しいので私しかできない仕事になることが多い。単純な作業が100点にできないと高度なものづくりには進めない。

作業の動作のひとつひとつに確認作業が容易にできるような動きが含まれていたりするのだが、右利きの人が左手で作業をしたりとかを注意するとその意味を理解してもらうことが難しいことが多い。実際作業の動作が大事なのではなくて、糸の感触を最大限に捉えていることが大事なのであるが、そのために、毎回一番ミスの少ない同じ方法で作業することで、これでよいのか悪いのかというのが分かる。

わずかな引っかかりとかを駄目だと感じられないと駄目で、それを毎回微調整することで、糸の感触を捉える感度が養われてくる。動作が毎回正しくないといけないのもそこ。歩く動作も含めコンスタントに一定のスピードをもって自分が安定した動きをすることで、織物の問題が見えてくることが多い。そういうところが織物の難しいところで、それが感じられると感じられないとでは、仕事一つでも大きな差となるので、早めにそういうのが感じられるようになるためにも、毎回の作業の一つ一つの動きを極めることは大事。
2018年05月30日
今日は、雨が降って肌寒い。Tシャツと短パンでブルブル。気温に合わせて服で調整するもよいけど。まあ、体が気温の変化にある程度適応できるようにしておかないとオールマイティには動けない。基本作業していると動くので寒くはなくなる。体を動かすのが面倒に思うことが多く、体を動かさずに頭で仕事みたいな考えになってしまうけど、体を動かしていることが結局健康につながるものである。たぶん、一日工場の中で織機を動かせば5キロくらいは歩いているだろう。

先日、繊維の仕事は仕事に見合った工賃がもらえないという話が出ていた。その見解は正しいのかもしれないが、どう解決してゆくべきなのだろうかを考えるときに卸先に工賃の値上げ交渉をしたところで限度はあろう。よい頃の時代と比べると流れる量が昔の10分の1とかになっているので、工賃を2倍にしてもまだ足りないとかの話も多いだろう。自分で作って自分で値段を決めて売る部分をもてばそういう不満もなくなるだろう。また普通の仕事は生産性を上げて同じ時間の中でも2倍3倍仕事して差をつけるとか。通常の織物よりも難度が高い麻織物の場合、できる人とできない人では10倍の差どころか、働いていても仕事が正しくないとマイナスもありえるからそういう状態から抜け出さないとならない。同じ時間の中でも海外では作れないような難しいものを正しく作れるとかなら仕事の中に自分の存在価値を埋め込めるだろう。

昔、アメリカでホストファーザーに、アメリカで学生の頃、織物の話をしたときに、需要が減っているものに一生懸命になってやっても無理があるとストレートな結論を持っておられた。繊維とかそういう枠にとらわれず旬なものを手がける考え方である。アメリカらしい雇われ経営者的な考え方でもあって、一般的には正しい話だと思うが、考え方が一般的になってしまっては、難しいだろう。経験もあって技術もあって、伸び白がないという状態が終わりな状態に近い。同じことをやっているだけで、仕事が減って同じことをやっていては、難しくなるのも当たり前で、仕事が減った分、新しいことを考えてやって行かないと仕事していないと同じ、できること考えて行かないと。考えるだけでなく、自分がそれを実行して行かないと。実行するのを他の人に期待してもそれをできる人を探すのが難しい。ホストファーザーは自分で業種の壁を越えて旬なものを取り扱われていたので、それはそれで苦労がある、結局は、方向性は違えど、打開して行くというのは同じ結論につながるのではないのかと思う。

国が豊かになるとものづくりが難しくなり、国から逃げて行く。県内の会社さんで繊維製品だが自社一貫生産で有名な会社さんがあるけど、その会社を私よりよく知っておられる方の話だが、そこも中途の材料を購入から始まるのでどこまでが国産なのかも分からないという成功しておられるにみえる裏の話を聞いたりもした。昔からありえないPRとかが繊維では多く売るためトークは嘘で塗り固められた世界。手の込んだことをしっかりやるという方向よりも、トークで商品価値を高めればよいというテレビショッピングには多い世界。

林与にお越しのお客様が、林与の一番の特徴はなんですかと聞かれて、案外普通に思えるかもしれないが、私の答えは、「自分の工場で作っていることや、産地でつくっていること」だったりする。たぶん、アイリッシュリネンとかフレンチリネンとかの言葉が素敵に響くのを期待しておられたのだろうけど、軽々しくは、アイリッシュリネンとかフレンチリネンの言葉を使いたくない事情がある。
2018年05月29日
手織りというのは楽しいと感じてもらえることが多く、そして、それほど難しいものではなく。楽しみとして作業ができるところがある。一方で、アパレル生地の生産というのはシャトル織機やレピア織機を使ってつくるのだが、作業する人は仕事として苦になってしまうことが多いようである。

手織りというのは自分のペースなのだが、機械織りは機械のペースだからだろう。機械のミスの面倒をみることになるので、面倒を覚悟していないとなかなか仕事にはならない。手織りの場合には麻糸でも切れることは少ないので自分のリズムで織ることだけに集中が出来る。手織りは自分を生かせる部分が多く、機械織りは我慢しないといけない部分が多い。同じ織物でもかなり違いがあろう。

その両方を両立させることは案外難しいのである。たとえば、林与が仕事で手織りをしていたらアパレルの生産は難しくなる。アパレルの生産は、どれだけ機械の面倒を見るかに掛かっていて、織る作業そのもの自体はそれほど負荷の掛かることではないが、それをどう並行して行うかということに尽きる。また織機の調整が主な仕事になってくる。手織りのように張り付かないといけない作業が生まれると、他の作業を並行してすることは難しいのではあるが、手織りしながら織機が止まったら動かすという形なら、織機を動かしながら縦つなぎするのと似ているのでできないことはないが、手織りした織物の安定性がたぶん落ちるだろう。

織物の仕事での第一難関は、糸を結ぶ機結びという結び方。糸の種類にもよるが、麻糸は機結びが非常に難しい。強く結ぶと切れたり抜けたりすることが多いから。機結びが苦痛でなくなるのは、たぶん、現場で1週間くらい作業した後くらいから。手が糸を結ぶ道具になる。上手な人の機結びと下手な人の機結びでは同じ機結びでも形状が異なる。その違い細番手の麻織物を上手に織るためには本当に大事。
2018年05月28日
カッティングマシンというのを買ってみたのだが、用紙を切る動作まで結びつけるのが一苦労で、付いてきたソフトそのままだと買った機種に対応していない状態で、バージョンアップが必要であるとか、丸は切れても直線は切れないとか。なんで普通にできてほしいことが普通にできないのの状態。

プロ向けなので親切な説明がなく、ネットで調べても答えが探せない。メーカーに問い合わせて尋ねてヒントを得るとなんとなく動くようになってきて。たぶん、普通だと買っても途中であきらめてしまうレベルの面倒さなんだろうけど、なんとか思い通りにカットできるようにたどり着けて最初の目的を達成。

プロ向けのカッティングマシンというのもいろんな機種があるけども、カッティングマシンを使ったこともないのに機種選びからして難しいのである。カッティングマシンというのは、カットできる幅が広いだけでなく、カット圧というのがあってそれが大事で、カット圧の高い機種というのはカット刃も根本的に丈夫にできていて長持ちするだろうという私の想定。仕事で使いたいので耐久性が一つの重要な要素。実際、カット数の多いカットを硬い用紙でカットしてみたけど刃の劣化はほとんど感じられない。

こうやって買ってみるのも一か八か、これができないと自分がやろうとしていることはできないので、やってみて正解を見つけてゆくしかないのである。カット刃にしても消耗品である。それが1枚2枚カットするだけで消耗して使えなくなるようでは、業務用としての実用は難しいのである。複雑な機能ができるよりも、単純な機能しかなくても堅牢な機種を手に入れたいという思いがあって、一番堅牢だと思った機種を手に入れ、やりたいことが基本できるようになった。

頭の中で、こんなことしたいと思うのに1年くらいあって、それを実行するための機種選びで1ヶ月ほど、捨石的に、テスト的に幅の狭いのを買ってできたらステップアップしようかと思っていたが、思い切って、思っている幅がカットできる値段が2倍以上はするが行ける予感で購入。マイナーすぎてあまり出回らない機種のようだが、次々と新製品がでるメーカーのものより、ロングランで販売されている機種のほうが安心感がある。買ってみて実際に使えるようになると十分価値があるけど、使えない状態ではテスト失敗の苦痛ばかり。乗り越え答えにたどりつくって本当に大事なことだなあと思う。
2018年05月27日
林与の工場の中には、たくさんの織機があるけども人は少ない。人が少ないから織機が沢山あっても織機が足りないということになる。織物の作業の中で、織る作業というのは一番負担が少ない仕事である。織機の機を乗せ換えしたり、縦を繋いだり、調整したりは、負担の大きな仕事で、その手間を省くためにそれぞれの織機には違う規格の機を乗せてあり、人の手の掛かるのを少なくしている。小ロット生産向きである。

一方、普通の織物工場というのは10台程度のことが多く、家族経営規模だと6台とか、フルに動かさないと食べて行けない量産型モデル。産地には産元があってそういうところがつねに仕事を斡旋する。この形で残っている産地は多い。1台とか2台の織機の機屋さんが仕事をこなしてゆけることは難しいだろうなあと思う。京都の西陣織物なんかだと台数も少なくても、高価な世界で、それが成り立つのかもしれない。

織機は多いに越したことはないが、みんな織機の台数を最小限に減らそうとするのは、工場の土地建物も織機も固定資産税が掛かってくるし、電気料金も織機の消費電力に対して固定電気料金が掛かってくるからコンパクトにまとめたほうがよいという結論からだろう。織機を動かす環境というのは持っているだけでは費用が発生するだけの負の資産なのである。愛知県一宮市では、大きな土地を有する織物工場が、廃業して、工場を貸土地するケースが増えているのも働いても税金に追いつかないという現象まで起きていて、土地を貸したほうが成り立ちやすいという話。

中国で上海の沿岸部から繊維企業が消えて行く話を中国の国の政策としての話としてゲンキンな話だなあと思うが、日本では税金の徴収を介して、利益率の低い繊維企業が泣く泣く廃業や不動産業への転身を迫られ、似たような話もあったりする。なぜ、都市部では織物工場が成り立たないのかも地価の問題と密接に関係しているのである。京都の捺染工場も市内の中心部にあったところは近郊への移転が相次いだ、衰退気味の繊維産業が同じ場所で同じことつづけようとしても、新しい産業が繁栄して地価を維持あるいは上昇させると、衰退気味の産業はラストストローを超えて立ち去らなければならないことが多い。それを考えると林与の住んでいる地域が過疎化しているのが救いになって織機をたくさん持って動かしていられる部分あるのかも知れない。
2018年05月26日
今までスウェットの上下だったのを、Tシャツと短パンに衣替え、暑苦しいのから開放されて仕事を軽快に出来そうなのだが敵は蚊。子供の頃から比べるとめっきり減ってしまった蚊だが、それは集落の中を流れる農業用水の中に防虫剤が投入されているからだろうか。それでも蚊は襲ってくる。この蚊がいなくなったときが自然破壊が完了したときだろうと思う。夜、隣を流れるアンコ川を見ると、蛍が飛んでいる。

スズメがいなくなり、トンボがいなくなり、でも、最近、キツネやタヌキが出没。子供のころも見なかったキツネやタヌキを道路で見かけるのは、食べ物を取り隠れることのできる森がなくなり、食べ物のある人家に住み着くようになったからか。自然破壊の危険信号。

何が自然破壊なのかを定義するときに、人それぞれであったりする私は原子力発電というのは明らかに自然破壊の一つだと思うが、それが地球温暖化防止ということで自然破壊を防ぐとする人も居る。ハワイで観測史上もっともCO2濃度が上昇していることが地球の温暖化問題と結び付けられていたけど、ハワイでの火山爆発。特殊なデータで警笛を鳴らしてしまっていたのではなかろうかと思える部分もある。

心配するのが、エルニーニョはまだしも、ラニーニャ。これは、太陽の日照時間に応じて気温が決まるという基本原理を離れて、緯度方向で温寒の帯ができるという現象。北海道で30度とか、沖縄よりも近畿が暑いとか。40年ぶりの大雪とかも。一つ思うのは地球全体も日本も砂漠化は著しいということ。子供のころと比べて雨の日が少なくなったことが気になる。夏には夕方に夕立が降ったのが昔で、今はそれもない。ダムなどが出来て、水のめぐりが悪くなっているのだろう。夏でも水のない川が一番の高温になってしまっている。田舎でも日の当たらない日陰が少なすぎるのである。本来なら動植物も死に絶える環境がデフォになっていたりする。
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