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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年05月09日
今日はプレミアムテキスタイルジャパン初日。朝新幹線で9時過ぎに東京入り、遅れることなく会場入りできブースの準備を行う。開場までにブースの準備が終わって、お客様が来られるまで主催やプレスの方とご挨拶とお話。シンプルな展示となりブースに興味を示してもらえるか心配をしていたのだが、ブースが角コマで、すごく人の流れがよく、林与の絣織が多くの方の目に入りやすく、終了間際の夕方6時過ぎまで、お昼も食べる時間もないほど、ブースへのお客様が来て下さり、近江上布柄広幅絣プロジェクトをいろんな皆様に知っていただけました。

手の世界を説明するために作業の工程をみなさまに説明すると20cmほどを織るのにも30分とか1時間掛かるのですが、林与にとって一本一本柄あわせしながら織るのは比較的負担の少ない作業。その裏で、糸を何回も切れないように巻き返す作業があって、20cmの織られる布に4時間くらいの作業時間が詰まっていて、一着の服を作るのに3m織り上げようとするとトータル60時間くらい必要な作業。伝統工芸の世界と近い作業工程で広幅に織り上げ力織機を使う。着物向けとは違うアパレル向けなので、インチ感の打ち込みのギアを設定できる力織機は自由度が高い。さまざまな生地をベースに絣を展開できる可能性がある。

中央に展示した絣柄をみてブースに来てくださるお客様が多かった。布を眺めたお客様が興味をもって布を見に来てくださる。この2年ほど本業の合間に時間を見つけて動いて形にしてきただけに感無量。あやふやな作業が、機材を改良していくことでより完成度が高くなり、柄の再現性も高まったことで3m程度の1着分に安定して対応ができるようになった。まだ、3年目の本麻で広幅絣を織り上げるというプロジェクトがあるので時間もなく本生産想定では動けないが、ひとまず、プロジェクトとして安定した形で1着分の生地がつくれるところまでの技術基盤の確立ができたことが、それができるのかできないのかでプロジェクトが絵に描いた餅に終わるか終わらないかの違いがあるので、ほっとしている。
2018年05月08日
今日はプレミアムテキスタイルジャパンの出発準備。プレミアムテキスタイルジャパンの目玉として展示するために一つ新しい柄を数日かけて作業していて完璧に捺染できて出発までに織り上げられると思い動いていたが、その捺染したものを一番安全だと思った、ベンチで立ち入り禁止にした玄関の前のところで朝一番で乾かしていたのだが、しばらくしたらなんと足跡がついている。

配達の人が玄関に回ってその上を歩いてしまったことで起こった、一瞬でこの数日の作業が消えてしまう話。残された時間は少ないが少しでもやり直すことに、できる限りを尽くそう。

夜出発の予定を明日の朝新幹線で展示会に向かうことに変更。なんとか広い幅で一つの柄を20cmほど織ることができた。ほんとうはやりたかった2mから3m織り上げる予定の10分の1でインパクトは落ちるが、少しでも見て感じてもらえるだけでも成果となるだろう。あと新幹線になったので、手機を車で持ち込む予定も却下。展示イメージ予定からの大きな変更だがお客様が興味を示して見に来てくださるか心配。

すみません、多くの皆様にお待ちいただいているリネンガーゼもプレミアムテキスタイルジャパン前の出荷予定でしたが、展示会の展示のほうに力を使ってしまい。展示会帰ってからの織りになりまして週末のご出荷になります。大変申し訳ございません。
2018年05月07日
昨日、織った布を巻取る巻取ローラーのペーパーが、ボロボロになってしまってたので、補修しようと外してみるがボロボロのボロボロ。新しい、ロールペーパーが見つからないので、どうしようかと。リネンガーゼオフ白を織っている織機で、ご注文を数件いただいているので、あまり長い時間迷っていることはできないので、早速、機料屋さんに電話してみると、樹脂加工していないものが残っているのが一つあるということで安く分けてもらえることに。

一度に何十mとか注文くださる方が多くいてくださり、たぶん、そういう皆さんはストール作家さんなのだろうと思うのだ。このオフ白の特徴は、リネン糸をそのままに織り上げてあるので染まりもよくって好評をいただいています。他の作業もしながら、20m織るのに1日ほど掛かってしまっていますので、ローラーの交換も必要で、ご発送がプレミアムテキスタイルジャパン展出発前にできるかどうか。できるように頑張るしかない状況ですが、なるべく、織り段などのないよい状態の生地をお届けしたいこととの兼ね合いで、ご発送が展示会明けになってしまうかもしれません。

林与も、5月17日から19日のふくい南青山291のテキスタイルマルシェでは、型紙捺染のリネンストールをいくつか見ていただけるようにしたいなあと思っていたり。やることいっぱい過ぎてそれまでに間に合うのかなあ。おかげさまで、生産シーズンのピークは乗り切りましたが、来期のお話などすでに始まりまして、7月末くらいまでのお仕事が埋まり、9月頃から始まる生産期までなんとか閑散期?をしのげそうです。遅れている仕事もあって追いつかなければと。

■追伸■ 昨夜、巻き取りローラーをとりあえず交換完了。プレミアムテキスタイルジャパン出発までにご出荷できそうな流れ。綺麗に織れています。
2018年05月06日
織物の仕事の世界は、守られた世界というより、自分自身が食べて行くために一定水準の仕事をクリアしないといけない競争の世界のうちに入ると思う。仕事をしてその一回の仕事の代金はもらえても。仕事をして布を作ってもその布がうまくお客さんの元で洋服になり、お店で売れなければ、次の年に同じお客さんからの仕事の話は入ってこないだろう。店頭でさまざまな洋服があるなかで、最終の消費者のお客様に受け入れてもらえるかどうかというところ。結局、道のりの長さや他の人の手を経るは別として、自分の作ったものが評価されなければ仕事としては成り立って行かない。

工場の中で仕事していると見えないが、受け入れてもらえるようなものを作らなければならないというプレッシャーは常に感じていないと、受け入れてもらえるようなものも作れなくなる。自分自身が自分のものづくりの基準を上げておかないとお客様の基準に合わせてものをつくることは難しいだろう。普段、ものづくりの基準が低いとお客様の基準が高い場合にそのレベルに上げての生産は難しい。

結局、天然繊維の麻のものづくりで、基準を上げるというのは、作業をする人の作業の高度さ、慣れ、正確さということにつながる。一つの作業でも、張り詰めたものがなければ高度なレベルにまで行かない。慣れというのは必要な要素で結果としてスピードが上がる、作業に我流を持ち込む人は天敵であり歩調を合わせないことに優越感をもったりしていて仕事が見えていない。正確さというのはなければ仕事は簡単なのだが正しいものづくりをするつもりもなければ仕事は最初から受けないほうがよい。

作業を学習するにおいて、最初できない人が上手にできるようになることは少なく。最初からできる人はできるし、最初から出来ない人はいつまでも満足なレベルまで出来ないことがほとんど。素直にやればそれほど難しい作業じゃないからできるのだが、仕事をやらない力がその人の中で働いていると難しい。仕事というのはやるかやらないかだけのことだなあと思うことは多い。やれば仕事として成り立つだろうし、やらなかったら仕事として受けたら大変だし。仕事があって喜べる人は強いし幸せだなあと思う。

今日は工場の中で、広幅絣の横糸を羽根巻きテストしたが作業スピードが上がらないので改良を加える作業。広幅の型紙捺染の精度を上げるための改良も加えた。頭の中で組み立てた広幅絣の作業工程が現実のものとなるためには、100回やって99回成功するような道具の完成度と作業工程の確立が必要で、問題に思ったところは改良を加えて試してみるの繰り返し。

着尺幅の近江上布よりも精度の高い道具が必要となる。織幅130cmほどなので、織工程に負担が掛からないように、捺染の精度を上げることと、機材をできる限りコンパクトにしつつ、1着分の捺染回数を1回か2回で済ますことができればと改良を加えて行く。事務所の3Fに上がると、2年目の試作布。自分で自分が作った布がよい感じに思えるのはすごくうれしいもの。早く、ワンピースに仕上げたいし、この製造工程の改善は、3年目の本麻実現のためのステップでもある。本麻は縦糸に糊がつくのと、毛羽があるので、捺染の問題はできるかぎりクリアして、糊の問題と毛羽の問題に取り組めるよう進めて行きたい。
2018年05月05日
だれもが信じないだろうけども先染ブームが来るのだろうか。私の中の定義では、先染ブームというのは自然に起こりえることはなく、一般の方が目に触れやすいテレビメディアでのチェック柄の露出があるかないかに掛かっていると思う。昔ならチェッカーズ、アムロナミエ、AKBもチェックのスカートなので若干は背負っているか。テレビをほとんどみないので分からんが、そんなに人気のある歌手や俳優、グループがチェック柄を一般にPRしているのだろうか。

無地ライクが飽きられているといえば飽きられている。一つの要素は、東京や京都はバブル気味なところ。先染織物というのは基本後染とくらべると何倍もコストが掛かるので、バブル気味なことがファッションの幅を広げている影響があるのかもしれない。

林与という会社は、着物から甚平生地を経て、レピア織機を導入してアパレル生地生産になったときから、日本の麻の先染織物では一番ほどに強かった会社なので、先染ブームは本領を発揮できるのでベリーウェルカムなのだが、先染というのは基本見本がないとオリジナルは作り上げにくいので、その辺りが難しいところ。サンプルをすれば、本生産と2回でコストが基本2倍近くになる。カウンター見本をベースに、小ロットなら本生産一発勝負が一番よいのではなかろうかと思える。

機屋というのは、見本で仮に本生産と同じお金をいただいても、作業が全部同じなので、見本の生産でも小ロットの本生産でも掛かるコストはほとんど同じで、見本のときはさらに本生産を想定するために迷う部分を解決しないといけなく、機をつくったり作業も規格に落とし込むための試行錯誤がある。今は300mくらいからが経済ロットになりやすい感じではあるが、アパレルの着分などの生産は、3mの生産でも、原材料代、染代、加工代、そして内部の人件費を含むと、10万円を越してしまうことがよくある。外に払う費用5万円、中の費用5万円くらいというのが見本に掛かる費用であることが多い。

機屋で、ものづくりできる機屋というのはそういうコストが使えないとものづくりが続かないので潰れてしまいやすい。逆に見本をまったくつくらない賃機的な機屋さんのほうが1m織って100円、200円の世界でも生き残りやすいのである。このあたりが勘違いされやすくって、デザインすれば機屋が生き残れるというのは先染織物だと難しいところ。無地の布より先染の布が同じ量流れて何倍も高いのが通用すれば成り立つけど。通常は無地の布は多く安定的に流れ、先染めのものは見本倒れまであり仕事して弱って行くということも多い。

無地の生地にくらべると、展開として先染は魅力なのだが、先染織物に対する評価はコストに見合ったまでの評価をいただけていないということはあるだろう。また、チェック柄などは、印象が強いので、いろんなチェック柄を着こなせるようなセレブとか趣味がゴルフとかの世界の方々に通じる気がする。昔は、先染めに留まらず、ジャガードや昼夜、二重ビーム、刺し子、など技術をいろいろと見せることができたが、今は、小ロット生産の費用が外部も人件費の高騰で加速し、通常の無地の定番生地の5倍とかコストが掛かるようになってしまっている。先染ブームが来たとしても利益を期待するような流れでもなく、生産体系からすると先染織物の文化を残して行くという流れであろう。

デザインを見せるにはプリントという技法がそれなりには展開しやすい技法で、先染にまで行くよりプリントという辺りで落ち着くのが、今のデザインの落としどころではないだろうか。売れるベースをプリントの新しい柄で毎年展開して行くという形。林与はプリント工場ではないので、そのあたりあまり得意じゃないけど、上手に展開されているところはデザイン画をそのままプリントで生地の形にして、洋服やインテリア、小物向け素材を提案されたり活用されている。

テキスタイルにおいてもテキスタイルをデザインするという世界は20年前でもいろんなアパレルや問屋さんに残っていたけど、そのデザインされたテキスタイルを生産する現場というのは20前でもすでに見つけることは難しくなっていた。20年たった今、デザインされたテキスタイルを生産するということが、さらに難しくなってしまっていて、アジアの国だと小学生が学校から帰って大人の手伝いでつくっている先染め織物が、日本だと大人がたくさんよっても生産することが難しくなってしまっている。
2018年05月04日
5月9日から10日に東京国際フォーラムで開催されるプレミアムテキスタイルジャパンに向けて、今進行中の広幅絣のプロジェクトをどこまでご覧いただけるか。プレミアムテキスタイルジャパンは基本、プロ向けの展示会の場となっているので、一般の方々がご覧いただける機会は、5月17日から19日に開催のふくい南青山291(東京都 港区南青山5-4-41 グラッセリア青山)でのテキスタイルマルシェ。

プレミアムテキスタイルジャパンも、テキスタイルマルシェも、林与が終日立つ予定をしておりますので、必要な方はプレミアムテキスタイルジャパンはアポイント取っていただけますと、アポイントの方を優先的にお話などさせていただけます。また、プレミアムテキスタイルジャパンの招待状が必要な方は、5月6日夕方までに、ご連絡ください。数十部ですが余分ございます。林与の生地だけではなく、いろんな日本のテキスタイルご覧いただけるチャンスです。

テキスタイルマルシェは、ふくい南青山291の2Fで、17日は、15:00時から19:00まで、18日は、11:00時から19:00まで、19日は、11:00時から16:00まで開催。招待状などは必要ありません。今回は6社が出展、大江(丹後)、松尾捺染(大阪)、カツミ産業(大阪)、アイピーテキスタイル(奈良)、荒井(福井)、林与(滋賀)です。
2018年05月03日
入手した手機の筬を新調した。入手した手機を少し拡張するため、天地、厚み、幅を決めて、オーダーした。その筬を手機に埋め込むために、手機の溝を電動ドリルとノミで広げる。最初は、溝の幅45cmの幅の溝だったのを52cmの幅まで広げて、想定で生機仕上がり48cmの織物を織り上げ、加工後にキングサイズ42cmにまで対応の手機に改造。ソウコウが48cmタイプなので、通し幅50cmあたりが限界だろうと思って。

午後から外での作業、3時間ほどで、全幅52cmの筬もはめ込むことができるようになりうまく行った。よしよし。これから、手機用のシャトル探し、厚み2cmほど、幅3.5cmほど、長さ25cmくらいが良さそう。昔の小さな力織機のシャトルもうまく使えないか考えてみる。こっちの織機は天秤式、もう一台ロクロ式が手に入ったので、そちらは、テキスタイルマルシェ用に荒めの縦を張って、手織り体験に使えないかと。

私自身が強いのは、普段の仕事で織物の整経作業もしているので、手機用の縦糸を整経するのができる環境があること。あと1日もあれば、今回の天秤式の手機の整経も本麻の近江上布を織っていたときの規格で織る前まで用意することができるだろう。

工場の中では、織れた布を巻き取らない織機の問題。布の通し方の問題で巻きとらなかったという結論だったが、その際に、ラチェットをテスト的に交換したために、ラチェットの形状が台ごとに微妙に違い、うまく、巻き上げられずだった感じで、元に戻したら直って、すべて問題は解決。あと、ネットでも販売させていただいているオフ白のストール生地を織っている台が、縦糸が切れていないのに止まる問題。縦糸切れの感知が、縦糸が切れてドロッパーが落ちたのをドロッパーの下がスイングするバーに挟まれて、スイングするバーが綺麗にスイングできないと、運転ハンドルが叩かれ外れる仕組みという、力学的なので、微妙な調整がずれてきての問題か。30分ほどいろいろと調整を加えて調子よく戻って、リネンガーゼも横糸の交換作業する程度で、綺麗に織れている。


2018年05月02日
昨日の捺染台でブレークスルーがあったのがアルミ枠の入手。ちょうど理想的なアルミ枠を組み合わせベースが出来た。それまでは、木でつくろうとかスチールラックを買ったり、土台のイメージが実物に結びつかず。手ごろで丈夫な端材なども手に入らなかったが、入手できたアルミ枠が活用できそうな気がしてまず土台から作り上げると軽くてしっかりしていてよい感じ。これを鉄でやっていたら丈夫だけども、加工するのも持ち運びも移動も難しいものになっていただろう。

運というものはあるもので、3つアルミ枠を使ったが、40個以上アルミ枠があるので、2号、3号を作成することも可能。織機と同じように織り幅に応じてそれぞれ台を用意して、今掛かっている織機の縦でどの台でも絣が織れるようにできれば柔軟な対応が可能。トータル1万円ほどの費用と1日程度の作業でかなり軽量で扱いやすい捺染枠を作り上げることが可能になった。こういう拡張性が大事で、1台だけあってもなかなかいろんなことをするたびに調整では難しい。

もうひとつ頭をひねったのは、近江上布アーカイブの色柄だけでなく、捨てずに残してあったそれらの数千種類の型紙をどう活用するか。その昔の型紙をスキャンして横にうまくリピートすれば広い幅の型紙のデータが作れる。単に昔の生地があっただけでなく、残ってある型紙も型のデータとして再利用で、柄の再現の手軽さは上昇。

フラットベットのインクジェットプリンタがあったらの「タラレバ」しているよりも、自分の環境の中で出来る形を見つけていくのが一番よい。インクジェットよりも、シルクスクリーンよりも型紙捺染でやると、染料が一番糸の中まで浸み込み、また、揺らぎがあるので、力の篭った味のある金太郎飴じゃない布が出来上がると経験から感じている。
2018年05月01日
今日は横絣捺染台を改良、昨日の夕方から取り掛かっていたのだが、程よい部品が手に入らず形にならなかったのだが、今日は朝からコメリに行って、ボルトやナットを入手し、木材をサイズにカットして、くみ上げる。夜10時前にようやく完成。横絣の生産のための準備工程がかなり軽減される予定。

今まで、あーでもない、こーでもないと、いろいろと部品をかき集めて改良のために構想を練ってきたが、満足できるレベルで活用できるものが出来上がって感無量。テキスタイル業界の皆さんからは大きな期待をいただいている広幅絣プロジェクト、私自身の今後のライフワークの一つの柱となるだろうと考えてはいる。

装置は完成しても作るべき最終の目的は布。布の力を感じてもらえるような布を生み出したい。絵画のように人々に語り掛けることのできる布、與一じいさんの近江上布は見た人の心に語り掛ける。今、2年このプロジェクトで、ストールの試作、ワンピース生地の試作。染からはじめたが、工程が相当手間が掛かるので、構想はいろいろ練っても、実際の作業は一発勝負的な部分もあるが、それでもうまく出来上がって、自分自身が面白いなあと思える布が出来上がってきてほっとはしている。

ものがない時代には人がものを生み出していた。自分がなにか作りたければ自分で作るための道具からつくる。一番の基本の道具は、自分の手、体、頭。そこを磨かないことには、今日も他の会社の工場が10年ほど前に廃業の際に譲り受けた50年選手のボール盤を使って、自分の手と頭を使いながら形にしてゆくために穴を開ける。古いボール盤だけど頼りになり、新しいものが欲しいとは思わない。穴を開けたアルミや木材などをボルトとナットで組み合わせて、頭の中にある形に近づけて行く。形だけでなく使用に耐えうる強度も必要で、デザインは理想だけで生まれるのではなく現実的な問題をクリアして行かないと駄目でそこの部分がデザイン以上に難しいところ。頭で考えるだけでは本当にそれがうまく動くのかどうか分からないものである。作ってみて動かしてちゃんと動いて初めて問題がないと分かるのだ。
2018年04月30日
よく議論になるのが、働く目線の問題で、経営者目線と労働者目線ではまったく逆のことが多い。その問題を生めるためには、仕事のことだけでなく、人生観が大きく影響をしているので、1日8時間の仕事の中で考え方を変えるとか、働く8時間だけ考えを変えるとかは難しいだろうなあと経験上思う。

仕事というのは夢(理想)のためとかいうと素敵に聞こえるが、夢(理想)から入るとうまく行かないことが多い。自分が仕事で夢(理想)の部分を追い求めればその人の夢の部分じゃない部分(現実)は他の人が解決しないと行けないし、完結しないことが多い。私自身、自分にとって夢の部分のプロジェクトも立ち上げるけども、そういうプロジェクトは普段の仕事よりも高度なことなので、普段のやれば良いだけの仕事が難しいとか出来ないようじゃあその世界にたどり着くのは難しいんじゃないかと思う。

織機に問題があれば一番に織機の下にもぐるのは自分だと決めていてそれを20年以上続けている。その1回織機の下にもぐるが難しい状態で一生の織物の仕事を終わることがほとんどだろう。工場の中で誰がやるから正しい織物がうまれてくるのであろうが、そういう人がいなくなれば、技術とか設備、そして人がいても織物の工場は残らないだろう。織物工場が続いているのはそういう人がいるから。そういう人が消えたときに織物工場は消えざるおえないのだと思う。

地元でも良いものづくりをされていた座布団工場があったけども、一人の年配の職人さんが辞められた時点で、他のものではできないことが多すぎたのか現場を閉じられてしまった。仕事があっても仕事ができない状況で、仕事を受けると仕事ができないので苦しくなる。繊維産業というのは人を大事にする産業?だったから、働いている人を大事にしたので次の人が居ないということも、戦後のひと世代が終わるとそこで終わりということにつながっているだろう。
2018年04月29日
昔、ある機屋さんが廃業されて、その廃業された機屋さんの織機を持ち出した職人さんが、自分がやっていこうとされたのだがうまく行かなかったケース。その機屋さんも立派で職人が自分でやってゆけるように織機と、糸なども欲しいものは全部あげた。織機を2台移設された、でも、職人さんは使い慣れた織機や糸があっても、ものを作ることは自分の意思では難しい。何十年も経験があって、職場がなくなったときに、織機を持ち出して動くようにはしても、自分で織ってものをつくっていくことは難しいことをあらわす例えの一つ。

織機があったからといってよい布が作れるわけでもなく、布をつくろうとする人がいなければ駄目で、思うだけでなく毎回行動をする人でないと仕事として食べて行くことは難しいだろうと思う。きつい話だけど、職人さんのその後の流れをみていると、その職人さんが織物の世界で食べて行くのはそもそも難しいんじゃないのかと思える。成り立つ成り立たないに関わらず移設までしてほとんど動かしておられないから。移設して毎日動かして成り立たないなら分かる話なのだが…。体が悪いとか他の事情があれば別だろうが。その機屋さんが廃業される要因のひとつもその辺りもあっただろう。

林与も、出機さんに最後頼んだ一番簡単な大きく巻いた平の白い織物が4回立て続けに通し違いや極端な油汚れ。織り賃は早く払ってほしいと要求をされ、支払いはするが、受けた注文が駄目になりお客様に迷惑を掛けるだけでなく、全部、糸から作業した分とか加工代金まで、没になる話。仕事もして一番簡単な仕事で4回立て続け。4回目には、油汚れの問題を心配し確認しに行くと、シャトルの出口に油の大きな黒い塊があるので、私が拭くからと拭こうとすると自分が拭いてから織るといって、結局、ふき取りもせずにそのまま織って油汚れ。普通だと4回の損失で実費200万円の損質、出機さんに支払い義務が生じる話だが、情けは持って問題の解決も手伝い、織り賃も支払うが、その体質は直らない。それを最後に仕事は頼まないことになった。大きな失敗もへっちゃらだと、何十年の経験者でも、初心者とまったく変わらないほどに通用しないのだ。

一番簡単な仕事もできなくなって、機場というのは成り立たなくなって行く。地場産業の傾く理由っていうのはそんな難しいことでもない。目の前に仕事があって仕事があることのありがたみもわからない状況に陥る。平の無地の白という一番簡単な仕事も難しいのだから、複雑なデザイン性のものを、傾く地場産業に求めれば地獄というだけのこと。これは日本社会の全般的な流れで、できないのが普通になってきている。社会の流れのもうひとつが、日本のものづくりに対しての小ロット多品種ニッチェ化。過去を支えるも難しいことで、正しく仕事できる人が正しく仕事して前に進んで行くしかないのである。
2018年04月28日
今日は、お天気がよく、外にいるだけでも気持ちがよい。林与のインスタに林与のワンピース画像をアップするために、近くのお寺に通じる山道でのテスト撮影。小柄なデザイナーが着用してモデルになっているけど、9号から13号くらいまでカバーできるゆったりなフリーサイズ。https://www.instagram.com/p/BiGtmiqHCJV/?taken-by=hayashiyo.weaving.lab

将来は林与のお好きな素材での展開を考えているが、現状は、本麻素材からの販売スタート。1着1着の受注生産で、お客様のサイズに合わせた若干のサイズ調整を加えるためにお時間は1ヶ月程度掛かる感じです。

2018年04月27日
結局、夜3時に寝て、5時起きで、まとめ資料の見直しで、補足資料の補填などして午後に大津に出向いて提出。一年のプロジェクトがひとまず終わるための提出が済みほっとする。あとは、デバッグじゃないけど、担当の方に確認いただいて問題のありそうな箇所を補う作業。一方で、もう3年目のプロジェクトは始まっていて、今年はラミー100%で、よりオリジナルに近い広幅絣織物の試作を目指す。

林与の近江上布アーカイブをご覧になられて、あの硬い感じが良いという方も半数近くはおられ、今年のプロジェクトがそういうご要望には応えられるのではないかと思う。林与というのは産地でも一番に横絣の織物では力をもっていて、戦後、林与の與一爺さんが近江上布絣を復興し、産地に和装の世界で新しいセンスをもたらす一方で、小千谷の業者さんが仕事がなくて困っておられるのを、與一爺さんが一肌脱いで織る仕事を出した。それが、産地だけでなく、小千谷の業者さんの、モダンな絣柄の生産のきっかけになっていたりする部分もある。小千谷縮が今日でも評判がよいのには與一爺さんと同様に、私自身も頑張る人が頑張る覚悟でやっておられるのだからと応援の気持ちでいる。今は仕事では関係がないが、そのときの業者さんから昔の苦労を分かち合った頃を懐かしむようなお手紙をいただいたり。食べても行くのが難しいのを人の心が動かされしょうもないこだわり捨てて仕事頑張ってと仕事をしてもらう。

野麦峠も悪い話に聞こえるが、食べるものもない貧農をほったらかしにする国や行政があって、そういう貧農に3年で家を建てることができるような今でもありえないほどの大判振る舞いと希望を与えたのが、今日の目から超ブラックとされる当時の産業。貧困のままを放置するしかない行政にとってはそういう業者は目の上のたんこぶ。一方で、官製の富岡製糸場は、世界に日本の近代化の美しさを見せるために、恵まれた良家の娘さんだけに好条件で働くチャンスを与え、まともな糸も出来ずに、民間に払い下げというのが、強きを助け弱きを挫く官製のホワイトな世界の現実。貧しいものががんばるを助けるなんて苦しみを分かち合えない人には無理な話。今の国の行政にしても財務省の職員がパワハラで自殺して遺書まで残して自殺の理由も明らかで、電通の自殺者以上の問題なのだが、国の労働に関する闇は深く人間が人が死んでも保身ばかりで心が痛まない。パワハラを苦に自殺に追い込むを国がやってて、国が企業を指導するのもパワハラというだけで、働くものを救おうというよりも行政の保身のために自殺に追い込む悲劇は多い。

今日は夕方に帝国繊維の香山さんがお越しくださり、昨日3時間しか寝ておられず眠いのに無理して長旅の合間に、私がいろいろとやりたいことに関して情報が欲しいことがあってその打開策を探るために知恵を貸していただく、ぎりぎりまで追いやっておられる感じで会社規模も違うし形態も違うが物事を成り立たせるというあたりは似たところなんだろうなあと思える。あと20年あとに同じことが私も続けていられるかどうか。
2018年04月26日
今日は助成金の1年の資料提出のためのまとめ作業。今年で6回目なので、使ったお金の証明書類などのまとめのポイントは分かっているので、それを全部そろえて閉じる作業。報告書は完結に実質的な活動内容部分は1枚程度。実際の活動の大事なのはものを買ったとかお金を払ったとかの部分じゃないけど、そういうところが監査の対象なので証拠書類で残す。

補助金でも、食品の新商品開発なら、卵一個買うのも領収書をとって、見積書はどうするの、請求書はどうするの、までちゃんとやっておられる業者さんもあるが、えらいものだなあと思う。私はそこまでは無理だし、正しいことなのだろうけど自分の補助金が絡んでいるから見積書、請求書、振込支払、領収書がないと駄目だとなると、大手チェーンの大工センターでも対応が難しい話になってくる。

補助金を使うからといって、私の場合、贅沢はしない。最低限の費用でやることは同じというのが理想。自分がやりたいことがあってそれに補助金を活用するかどうかというだけの話である。活用するためには補助金を審査する審査員の先生方が私のやりたいことに興味をもって賛同してもらえるかどうかに掛かってくる。私のやりたいことにしても、自分のお金儲けとかそういうレベルじゃなくって、仕事の中で夢のあるようなことをプロジェクト化して実現したいというものごと。まさに、夢のあるものづくりで皆様に共感してもらえるような普段の仕事ではできない自分自身がすごいなあと思えるような本質的なものづくりの実現。

アイリッシュリネンのプロジェクトや近江上布柄広幅絣など、世代を超えて評価されるようなものを作り上げ、それをご覧いただいて日本の繊維業界が他とは違うという切り込みを見ていただけたらなあと、自分自身がこの業界にいてこんなことができたらあったらすごいなあをやらずにおわらせずやってみて形にしてみてもらうまで、計画に落とし込んで実行に挑む。

やるといっても一人二人の力が重要で、集まったからできるというものもあるだろうけど、生産も含むと毎回の生産が超えた世界の連続で、基本一人二人の覚悟を決めたものがその世界を育んで守って行く。技術や技法を教えてもらってマスターとかより、自分自身で作り上げ、実行するためには人の覚悟が必要という要素の大きな世界。時代流れや、需要供給や生産の環境や設備、他を超えた人の力の組み合わせ、皆様からいただける期待など、すべてが掛け合わさってようやく成功となる。

こういう補助金のまとめとは別に、近江上布柄広幅絣プロジェクトも3年目が終わったら自分で3年をまとめて冊子をつくって、私が思う日本の布の力を世界に発信できるようなプロジェクトとして現状に甘んじることなく高い意識をもって仕事には接して行きたいと常に思うのである。
2018年04月25日
麻の世界も、シルクの世界も高級品は絣に織られた。糸から手で績んだり紡いだりした昔の布つくり。プリントと比べると何十倍も手間が掛かる世界で、糸の中まで染料が浸透しているので、裏も表も同じ柄で、着古したらリバーシブルに仕立て直して絣で織られたものは一生ものとして愛される。

近江上布は平織りが基本で、その理由は絣に織るからだろう。京都の西陣織などは染めた横糸をジャガードで浮かせて柄を出す。基本2枚のソウコウ枠を上下させて織るのが近江上布絣の基本に比べ、西陣織はジャガード。対照的である。

上布と呼ばれるものは平織の絣が多い。近江上布の絵がすりは、林与の歴史からすると、初代の與次右衛門じいさんの頃に、赤苧大絣で一等賞をもらっているので、林与はそれなりに絵絣では強かったのだろう。その一等賞をもらったのがどんな柄なのかわからないが、たぶん型染だったのだろう。二代目の與一じいさんは、残した数千点の近江上布アーカイブをみると、60年ほど前のものに思えないほどに、今にも多くのアパレルデザイナーの方々に感動を与えるクオリティ。「外に出すべからず」の言葉を守り?半世紀ほど封印されてきたので、産地でもその世界を知る人は多くない。10年前に先代がなくなったときに、倉庫の押入れの奥から10数箱に分かれて、それぞれの箱にびっしり詰まった見本切。

つくれなくなるものだから、大事にしまってあって、必然なのか偶然なのか失われることなく、私に引き継がれた。昔のものづくりを伝えるために表に出したが、この2年ほど再現の動きにたどり着いた。しかも、アパレル用途を想定して広幅絣に織り上げる。何十年ぶりの大雪に包まれ寒さを堪え2週間ほとんど寝ずに型紙捺染に苦しんだ昨年の正月。仏になりそうなほどに型紙を彫りまくった。

型紙捺染には力があるのは、なんとなくわかる。仏像を彫るように型を彫る。子供のころに版画を彫ったのを思い出す。手が柄を生み出すから、シルクスクリーンとは違う趣になるのだろう。
2018年04月24日
相手を信用するという言葉があるけど。お金を貸すことを信用という。物を売って後で代金を貰うとか、先に仕事して後でお金を貰うとかも信用である。お金を騙し取られないと信用する部分が「信用」なのだろう。この信用が、そもそも通貨の成り立ちである。通貨というのは借用書が世の中に流通しているようなもので、ただ単にお金を印刷するだけではお金は生まれず、誰かがお金を借りることで市場にお金が流通することになる。

手元にお金がなくても将来払うからということで買ってもらってものが動けばそれは商売ができたということになるが、約束の代金の回収時期になってお金が払えないというケース。手形決済が多い繊維業界ではよくあると今まで聞いていた話だが、私自身は今まで一度も経験したことがなかったが催促をしても代金の回収が難しいケースに初めて遭遇している。

金融のプロの人たちは、代金を支払わない業者の存在は当たり前に考えていて、そこで成り立つのが商社という存在だったりする。ものを業者に直接売らずに、商社経由で販売する。代金は商社から支払いがあり、商社はものをかった商社のマージンを乗せて業者から将来のある時点で代金を回収する。

国際的な話だと、中国のリネン紡績メーカーがイタリアの企業に糸を販売して代金が支払われないケースが頻発したとか。日本企業だったらまずありえないだろうけど、イタリアの企業だとそれをやって会社を畳むところもあるあたりがイタリアなんだろうけど。日本というのは、世界で一番、代々続いている企業が多い。それって商売の成功という意味では、一番すごいことじゃないのかと思うけど。戦後は代々続いていた企業、経済発展の後、商店街のお店とかが消えて行く流れが確実になった。

マイナスな商売でも商売をやってること自体が、ゼロよりもよい状態なんだという認識がないと。マイナスな商売が社会全体のプラスを支えている部分があるんだけども、ゼロを求めると社会全体がゼロになってしまう。働く意味ってそこで、みんなが働いていると社会全体はプラスになってゆく可能性はある。

大学のミクロ経済とマクロ経済でも、学ばないことだが、ミクロ経済的にもマクロ経済的にも働かない状態がプラス効果ということはありえないが、なぜか、政治や経済学者は、マイナスに目をむけ、ゼロ目指してしまう動きがある。プラスがマイナスから生まれているというところに気がつかないといけないんじゃないのかなあと思う。1つの100プラスのところが100の1マイナスを生み出してしまうということ。100のプラスを生み出すところが、他にプラスを撒けるのかというと、プラスばかりを掻き集めて、マイナスを撒くのがありがちな勝ち組パターン。

私は例外も知っているが、それは一つの会社規模だと難しく、会社を支えているような担当者レベルの個の器量なのだろうと思う。繊維以外の分野だけど、大きな会社に家族経営規模のような暖かみで接して下さる方がいて繊維の業界もそういう形の統合ならありなのかもと思う。
2018年04月23日
自分でやるとできることが増えるのではなくて減る可能性が高いがいろいろと深くできるという要素がある。いろんなことをやりたいなら外を飛び歩けば、それを実現してくれる現場に出会うことができるだろう。自分でやると壁にぶつかるが外に頼んだら越えられない壁も自分で乗り越えることができるのがミソ。自分ができずに外がその壁を乗り越えられるなら外に頼むのも一つの手だろう。

先日もお客様が起こしになられて、企画は具体的でつくるものも固まっているが、それを形にして行くことが難しい側面もあって、林与との出会いにつながったのではないかと思われるお話。デザインや企画は自由なのだが、最後形にするのが難しいことが多いのがテキスタイル。技術的な難しさじゃなくて、すごく簡単なものでも、試作の必要性や想定するロットや価格なども考えると、背負えないコストとなることになる。頭で考えるのと形にするのとではまったく異なる作業であることが見えてくる。

コストが合わないときには自分でやってみると自分の時間を使うことで満足なものにたどり着くことが多い。これが基本なのだがこれができるデザイナーや企画の人はほとんどいないのが現実で、コストの面も含めると実現が難しい企画が生まれてくることがほとんど。企画と生産のミスマッチが前提としてあって、企画する人が自分の企画で何人かの生活を支えて行く覚悟がないと企画として成り立たない企画。

ご飯を食べるようにものを生み出してゆかないと食べて行けないのであるが、簡単なものもつくれなくなっているのが現場の現実で、これを助ける力が必要である。助ける人のほうが本職よりも力がないと解決できないことも多い。織物の企画を現実的な規格に落とし込むことができる人間が織物工場の中にいるのかというと総合的な能力が必要なのでそれをできる人は毎回する苦労を背負い込んでいるのじゃないかと思う。

私も、この20年ほどにつくった織物の規格は、経本数、使った糸、打ち込み、など再現に必要な知識は、会社として記録するだけでなく、記憶していることがほとんどでこの布はなんですかと聞かれたら、糸や製造工程を話すことができる。自分が過去に作った生地を見たらそれが再現できるというのが基本でそれが基本の一度経験した力。覚えているからお金がもらえるわけでもないけど、一度やった仕事くらい覚えていないと、ゼロから新しい布をつくる話なんてつくれるかもしれないが満足なものがつくれる確立は低い。

自分がテキスタイルをデザインするときは、自分の基本からのものづくり。他の方が企画したテキスタイルを受けるときには、それを具体的な規格に落とし込んでいく、テキスタイルデザインではなく織物へ規格化作業、この作業をするときに、納期やコスト以外に、あとのもろもろの作業を想定して規格化する。

糸を買って染の指図、来た糸を割って、整経、パンチカードに穴を開けて、縦糸をつないで、横糸、織り出し。織機の調整、キバタ補修、加工出し、加工上りの検反、出荷。それに伴う、糸の在庫調べ、糸量計算、糸の染の指図書、整経記録、紋紙データ、整経機、タイイングマシーン、パンチングマシーン、織機の調整、製織作業、加工指図、出荷梱包、納品書、請求書、振込みなど事務作業も伴う。一つの先染めの布をつくるのにそれだけの作業。それがいくつも並行して動かす。

テキスタイルデザインも含めて一つの作業を、短時間でクリアして行かないとご飯を食べるようには布は生まれてこないのである。私が人がたくさん集まってテキスタイルを議論するのは無用とか、勉強するとかは無用と思うのはそこで、実際にやってみれば自分が頭でっかちに話していて目の前の一つの作業もギブアップでは、誰が作るのの話。現実も分からない状態の議論とか勉強とかは、現場で動けない人を増やすばかりで良いものも生まれてこない。良い布を生むためには目の前の作業に人の力を注ぎ込むことが大事でそれをできる人が必要。自分自身が働いて解決みたいのは、皆に、嫌われる話だろうけどなあ。ちゃんと働けばそれほど悪い業界でもないのにと思うが、なかなか普通の正しい布を一つつくるも難しいのが今日の現場。高度なもの手がけたらパンクするだけのこと。企画においては、自分の中でできることを実際にやって広げて行く、それが一番だろう。
2018年04月22日
今日はとても暖かい夏のような日、仕事に追われていて工場に出荷のときを除いては24時間缶詰。長丁場なので仕事のスピードはスローモードで、急ぎの1台を動かしながら、調子の悪い織機を調整したり、シャトル織機の管に糸を巻いて準備したりする。

夜、調子よく織れていたのに、朝になると織るのが難しい。もしや、やはり、母親が工場の扉を開けたままにしている。これが原因で、工場の中の空気が乾いて縦糸切れが起こりやすくなる。細番手の場合には、織れるか織れないかの微妙な辺りで織っているので、工場の扉一つで織りやすさが変わってくる。もしかすると錯覚かもしれないが、工場の扉は閉めておくというのがジンクスである。
2018年04月21日
今日は、午前中に兵庫県からお客様で、オリジナル生地をつくりたいというお話で、柄も色も決まっているので仕事としてはやりやすいのであるが、その方の生地のご用途を考えると最終的にベストなものづくりはご自身が布を作られることではないのかと思えたりして、いろいろとお話。私自身ができることは何なのかということもお会いしてお話を聞いて再考する。リネンがお好きだということでいろいろなお店のリネンも試されているのだが、出来上がった布を喜んでもらえるようには力を出したい。

夜から月曜日の朝9時の加工出しに向けて、夕方から工場に入って2日徹夜モードでの仕事に入る。昼間8時から5時を1日分とすると夜5時から朝の8時までは2日分。昼間というのは他の人の準備やフォローで過ぎて行く夕方からやっと仕事が始まる気分になる。仕事で力を出すのもスポーツで力を出すのも同じレベルのことで、力を出し切ったあとには疲れていてもスポーツの後のようなすがすがしさがある。
2018年04月20日
私も50歳になろうとしているが、学生のときよりも新しいことに自分自身の手を使って挑戦をしやすい環境を考えている。珍しい部類に入る。たとえば、自動車消耗品の交換、タイヤやバッテリー、タイミングベルト、オイルの交換も自分でする人と他の人に頼む人がいると思う。私自身は、初めて車を持ったときから、そういう大したことない交換作業は自分で時間があればやろうとする。プロがやっても自分がやっても同じこと。きっかけとなったのは、アメリカでボルボの中古を買って、そのパワステホースが、買ってすぐに破裂して液漏れで、そのパワステホースの交換をホストファーザーが自分たちで交換できると助けてくれたこと。実際にはエアコンのホースを利用して圧に耐えられず失敗に終わってディーラーに持っていって修理したが、そういう経験に誘導してくれる環境に触れることができたことが大きい。

その後も、ジャガーXJSというスポーツカータイプの中古を買って、これがまた、所有していた半分以上の時間修理工場にあったとかも、今となってはよい経験。マドンナの歌にもあるが、早く走るファンシーな車は長持ちしないという典型で、ボルボは古くてボロボロでも日常の足になったが、V12のレーシングカーのエンジンを積んだというのは厄介そのもので、乗っていて感動はあるのだがメンテも大変すぎる。ボンネットを開けると美しいV12エンジンがメンテを邪魔する仕様、リッター数キロ、ほんと見て楽しむための車である。そういうところでファンシーなものには騙されない価値観が身についたのだろうか質実堅牢なものを好む。

コンピュータ関係でも若い頃に自作PCというのをパーツを買って安く作り上げたりした。これもメーカー製の出来上がりPCと比べると問題は多く、部品にも安いもの高いものがあって、安いものは安いなりに理由があって安いということ。このことは、麻糸を仕入れるときにも値段の安いものには飛びつかないという仕事のスタイルにつながっている。一方で、いろんな糸を試してみるということにもつながっていて、自分が麻糸の良し悪しを判断するという立場であり、一般の定評ではなく、自分の経験に基づいた勝ち判断が一番ということ。これは私に限ったことではなくて自分自身で価値判断をするということの大切さにつながっている。

大きなコンピュータ工場で働いたことも、世界最先端の製造工程を経験できたこと。その中でまったく逆のスタイルが大事だと思ったことがいっぱいあった。普通の人でも安定して量産ができるようにすべてレベルを落としてものづくりをしている気がした。高度なものづくりには思えなかったのである。コンピュータプログラミングの会社でも短い経験だったが、学歴や年齢なんか意味がなく、仕事では実力が大事で、当時29歳だったが自分の実力のなさを感じたりもした。一方で、プログラミングの知識は無意味で、それを応用して活用することが大事だと悟ったこと。

仕事をしていても、ものごとに対する判断が異なることが多い。それがあるからやっていける。ほかの人の判断と同じ判断しかできなくなったら、衰退する産業では続けることすら難しいだろう。手足となって動いてくれる人がいればすごく強い会社なのだが、なかなかその手足となって動いてくれる人を見つけることが難しいのである。実際、手足、体を動かすことを面倒がって、口や頭が達者な人の比率が今の繊維産業では多くなりすぎているように思える。ものづくりにおいて能力が高い人というのは実際にものを形にでき問題なく量産できる人。企画というのはまさに絵に描いた餅で、実際の餅を作って、それを売ってお金をもらって食べて行くのが餅屋の仕事みたいのが仕事の基本。
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