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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年12月21日
今日は、晩御飯から帰って書類作成を終えてから夜中仕事、織、整経、糸分割、絣の横糸を作るを並行して行う。並行して行うのでそれぞれの作業のスピードは落ちるが、動きが止まらないので結局はたくさんの仕事の成果となる。書類関係の提出の問題がまだ残っているので、それを仕上げるための時間を見つけようとするがちょっと寝てそれは朝から。もう12月も数えるほどの日数しかない。

糸が染まりあがってきてもそれを仕事に持っていくためには、糸を分割して整経という作業を進めていかねばならないが、分割も、チーズワインダーという機械で、必要な大きさにカウントして分割する。その必要な大きさを計算するのも必須の仕事で、まず、縦と横それぞれに必要なその糸の量を計算し、1mに必要な糸の量が出てくる。染まった糸を縦横で全部使い切るなら、染糸の量÷1mに必要な量=染糸で織れる量が理論的には計算でき、その長さを整経のドラムが2.5mなので、2.5で割ると何回整経ができるのかが割り出せる。

縦糸の総本数割る、整経の1バンドの本数で、何バンドの整経となるか計算し、整経回数X何バンドX10が、チーズワインダーのカウントとなる。10をかけるのは、整経の荒巻ドラム1回2.5mとチーズワインダーの1回28cmの長さが10倍違うから、余裕を1割ほど見ている。

この計算は仕事するときに必須となるので、できるかできないかで自分が仕事するのか他の人に仕事してもらうのかが変わってくる。計算自体は小学生の算数に近いのだが、こういう計算ができる現場の人というのは稀なので、私が新しい人には最初に教える大事な計算なのである。私はいつも外の会社の人に頼まれて糸量の計算をするのも仕事のうちで、こういう計算ができる人というのは自分の仕事を進めてゆけるし、間違いなどにも気がつきやすい。

小学生中学生だとこういう計算問題スラスラとできないといけないのだろうけど、社会人でこういう計算がスラスラとできる人というのは稀であったりする。普段の織物作業でも、いろんな仕事をこなしてゆこうとすれば仕事の中で、面倒がらずに覚えて四則演算を活用できる必要がある。実際にこういう計算があたりまえにすることができると上手に仕事がこなせることになるのだが、日本の織物工場だとそれぞれの工場に一人いるかいないかで、その人が他の人の仕事の準備をすることになってのパンク状態。

そういうできる人がいても計算を間違えたりすると計算をできない人がちゃんと計算してよみたいなことをいったりするとかの笑い話もあったりで、仕事が上手に発展していくいかないは、そういう部分が大きい。昔の分業の時代と違って、今の仕事というのはこういうことがちゃんとできないとなかなか成り立たないのだが、それを実際に正しくやるなら仕事がある正しくできないなら仕事がないということにもつながる。地場産業が衰退していく原因のひとつが、こういう計算などを面倒がらずにできる人が地場産業には少ないことも要因のひとつだろう。

地場産業でも織物会社が製造をやめて企画会社として残る形が多いのも、現場では簡単な計算も働かず仕事が前に進まないとか、ちょっと難しい仕事は理解できないとか確認も働かず作業の間違も多発とか。製造をあきらめて他でつくる流れに移行するからだろう。地場産業の復興とも、面倒で嫌に思うことでも淡々とこなしてゆけるような人が必要なんだろうと感じる。昔は人は自分のために働くのではなく家族のために働いたので嫌なことでも我慢できたとかあるだろう。

ある作家の先生が知人の方から子供に絵を描いてほしいと頼まれて、1ヶ月掛けて絵を描かれ肩が上がらなくなってしまったと楽しそうに話しておられた。他の人のために働ける人は、仕事も卓越されたものがあって、普通の仕事の人が及ぶ領域ではない。若いときに自分から学びたいと弟子入りされた経験などお持ちで、そのときに恩をいただいたことなども感謝され大事にしておられて、能力も高く理想的な社会なんだろうと思う。そこまでたどり着くと仕事で食べて行かれるのも簡単なのだろうが、一つ一つの仕事に注ぎ込まれている力は普通の人以上であり、仕事じゃない普通の話を一緒にさせていただいていても他の人のために生きておられるのを感じる。それが自分の教える生徒さんだったり、被災地の方々のためであったり。人生観が仕事にもものづくりにも表れておられ、先生となられても看板商売じゃなく身を張られ新しいことにも打ち込んでおられる。

心のこもった良いものがうまれてくるのも当たり前に思える。林与の近江上布絣を広幅で再現するプロジェクトもその先生が染めの一通りの基本というか、その先生の普段の作業を、半日で私に享受くださって、私一人でも昔の近江上布を広幅で再現することがやればできるんじゃないかと実現に至った。技術やセンス云々よりも、一人の人としてその方はすごいのである。
2017年12月20日
昨日は糸屋さんが来られて、糸の話。かなりリネンの糸が織りにくくなっているとの話で、弊社が60番手を織れないので困ったが、同じ問題を他の方も抱えておられるようだ。この糸商さん以外も、ほかの糸商さんも同じようなトラブルを抱えられていて対策を練られたようである。昔の糸と比べると織り安さがぜんぜん違う。同じ銘柄でも昔の糸なら糊をつけてない糸でも今の2度糊した糸よりも織りやすい。

林与でも今年の1月くらいの糸から問題が生じ始めたので、たぶん昨年のフラックスの糸が総じて悪く、林与でも梃子摺っていてシャトル織りに切り替えているくらいだから、他のところもお手上げ状態だろう。ひとつの仕事がその機屋の他の仕事をすべてとめてしまうくらいに糸の問題というのは怖い。糸を用意しなおしたとしても次の糸は大丈夫ということはないから、今後の仕事を受けられる受けられないの判断すら難しくなる。

織れないとなると1mすらも綺麗に織るのが難しいというあたり、本来、何の問題もなく織れるものが織れない、レピアやシャトル織機のタイプによっては相当厳しい話になるだろう。また、2度糊してシャトルで織っても難しいのも経験したので、今の糊だと糸の問題は吸収しきれないかもと思える。織るたびにキズが止まらないようだと織ることもできず時間だけが経ってゆく、他の機屋さんもなんとか解決方法にたどり着いてもらいたい。
2017年12月19日
繊維関係の社長さんというのは、ババ抜きでババの居場所もわかっていながらババを自ら引いてその世界を作り上げておられる方々なんだなあと思う。ほかの人にはババは引けないからババを引けるものが社長になって世界をつくりあげておられ、その人がいるからその世界が成り立っているのを、テキスタイルマルシェの社長とか、地元の社長とか、取引先の社長とか見てて思う。

逆にいうとババを引けない人は、その道の世界を作り上げることはできず、業界の顔ともなれないのではないかというあたりだろう。意識高い系の職人さんたちが、かっこよい部分だけを自分の仕事にしようとして、ほかのババ的な部分はほかの人の仕事みたいな感覚でいると、仕事の本質にはたどり着かないし、その世界を作り上げることができないのもそこだろう。実際の仕事となるとそこにババがあるからそのババを引くところから始まる。引いたババを自分の手の中でどう解決するかが仕事。

仕事ではババを一生懸命に解決しようとするのに、欲に眩んでババのないところからババを生み出すもある。仕事が面倒だからとかいってやらなかったらババの大量生産につながるし、理想高い系の何もしないもババの解決ができるどころか量産につながるので、目の前のババを受け入れて、ババを引かないババ抜きみたいな理想仕事の話しても駄目だろう。

失敗は成功のもとというが、失敗を経験するも物事の本質をわかるために大事だし、失敗した苦境を自分の力で解決するのも仕事する力という意味では、仕事するために必要な姿勢であり、それができないと自分が仕事しているとはいえない。20年ほど前にある地元の織物の会社の若い社員さんが、その会社の飲み会の席で、その会社も若い人が多く恵まれているなあと思えたのに、会社はこうあるべきだ仕事はこうあるべきだと持論を展開されていたけど、目の前の仕事ひとつが逆に難しいのではないかと思えた。

今回、「ババ抜きのババ」という汚い言葉使っていますが、問題を解決してゆくのが仕事という意味で、私自身仕事に嫌なイメージや悪いイメージはありません。
2017年12月18日
1ヶ月ぶりに動かすシャトル織機が一台。今回の立ち上げは、エリちゃんがやって変な音がするというので見てほしいということ。動かすと変な音がしたので、油を差すところから。一ヶ月前までは調整を加えて問題なく動いていたのだが、久しぶりなのですべりの悪い箇所があるのだろう。数ヶ月前にシャトルを挟んだりを繰り返す状態だったのを問題のないように調整を加えて安定して織れるようにしたのだが1ヶ月放っておいたことで、それをぶり返したような感じ。

シャトルを叩くのが中途半端だと反対側で叩くタイミングでシャトルが正しい位置になく、遅れて叩いてしまうとシャトルを挟んだり、シャトルが飛んだり。無理に動かすと何百本切れてしまうこともありがちで、縦糸切れを直すだけで1日仕事になる。原因が何なのか、私にとっては油が足りない問題と、ソウコウ枠の高さが若干高い気がするのでそれを下げた。あと、ピッカーを通す金属の2本の棒が汚れていてすべりが悪いので、油のついた布で拭いてきれいな布で乾拭きした。また、ピッカーバンドが消耗して若干長くなってきたので少し短く調整。動かしているうちにだんだんと油も回ってきた感じで、重そうな音もしなくなった。

いろんなところの不具合を取り除いて横糸を交換するだけの仕事に落とし込めると後は楽器が自動演奏するかのように織物が織れてゆく。そうなると織れるのを見ていて楽しいくらいである。少し気がかりだったのは糊が若干甘めであること。レピア織機ではキズになりやすく織れなかったのをシャトル織機で織れるようにして仕事として成り立たせる。問題なく織れなければ、その仕事ができないだけでなく、次の仕事も同じ問題で苦しむことになり仕事を受注することがリスクが高すぎて難しくなる。今の状態でも解決方法があるのが幸いである。
2017年12月17日
3.11で思い出すのが東電内部でテレビ電話でのやりとり、福島原発の所長が日本国民何百万の健康に関わる問題で、緊急時にバッテリーひとつの予算を本社とやりとり、何百万人の命と健康が、絶対安心とされた何十兆もうごく原発行政では100万円の予算も命が関わってても許可が必要で時間をロスしている。福島の所長でも100万円の金も自費で出せないサラリーマンクラスが日本の原発行政を絶対安全と牛耳っている。ヒーローにみえる彼でも駄目男そのもの。素人のほうが正しい判断できるだろう。

人が何人しぬかも分からない原発爆発のときにも、何十万かの予算を本社に認可いただかないと人の命の危機を預かっている覚悟すらない原発マニュアルと思考回路。大川小学校の山に逃げなかった避難と被る。川を逆流する大津波が押し寄せている情報がなぜ小学校に伝わらず50分も校庭で待機とか。マニュアルどおりでしんだから仕方ないでは報われないだろう。情報をつかさどるものが情報伝達もしなかった罪は重い。消防士たちは死者は少ないが、自警団員が水門を閉める作業で200人ほどなくなったが、川が大逆流しているのにマニュアルにしばられて逃げられない立場の自警団員。水門を閉めたくらいではまったく駄目だ、逃げろという判断を消防署も伝えなかったのか。自警団員を集めることはできたのだから、それを仕切る行政が正しい情報を与えて自警団員を逃がしてあげろよと思う。水門を閉めるマニュアルがあったならボランティアであろうが逃げたら叩かれるから水が迫ってきても命を掛けて水門を閉めないとならない。命を優先するようなマニュアルや対応を行政というものはできないものか。国がメルトダウンや放射能漏れを隠すくらいだから国民の命はゴミでしかないレベルが国のトップの考え。

国民の命よりも原子炉が使えなくなることを優先し、海水をまかずに、原子炉をメルトダウンさせて、その尻拭いまで国民にさせてへっちゃらな、東電。今後も人の命すらも軽んじられるなら、今回は設計ミスとされる地下水漏れで神の加護で日本が救われたが、次は、チェルノブイリの惨事となるだろうの日本の原発行政のレベル。人の命がかかっているときに10とか100万とかのバッテリーの予算を申請、許可で、時間を使ってしまっていて、ヒーローされている福島の所長でも一般企業からすれば馬鹿そのもので、その人の命すらも軽んじて予算に時間使う過失だけでも民間企業なら犯罪企業として倒産が当たり前。まあ、今だけの問題をお越しながらも原発やめると電気代上がりますよと、脅してくるレベルなのだから、原発行政というのは人の生活を脅かすテロで、人の命を金に買えているような怖さがある。

途上国かと思うような、脅しすらもあって、原発ありきで日本の電力行政が動いているのは東芝がつぶれるのも日本の原発行政の毒の表れだろう。人の命よりも自分のカネのほうが大事という連中が多すぎて、なぜ日本人の命と海水を掛けると原子炉が使えなくなりもったいないのを天秤に掛けて、海水を注入せずにメルトダウンを引き起こして、放射能の大量漏れと、さらには、チェルノブイリ以下の放射能漏れを国民に隠匿。逮捕されないかも不思議なくらい。笑って失礼だが、友達オペレーションの米軍から訴えられるとか。人間じゃないレベルが原発推進で放射能漏れすら隠匿。

これが日本の行政の現実で、日本人の命というのは、何十万人の命に関わることでも、100万円にも満たない予算の申請と認可が通らないと難しい。一人当たりの命や健康の危機回避の判断が100万円未満に許認可が必要で時間を使って、ほんと素人が遊びでやっているレベル。安全な場所にいる東電の人たち、その反対に、水蒸気爆発だと放射能漏れまで国と東電に隠匿され、水なんかも飲んでしまっている周辺住民。

原発の放射能の問題も、海に流すしか解決方法なんてないのに、今になって方向転換で海に流すことに。放射能汚染土は全国に拡散するような馬鹿げた国の対応。利権が絡んで問題を大きくしてしまっているだけの原発行政。その電力会社の考えは変わらずに今も生きている。もし、地下水から放射能が海に流れ出なければ放射能濃度が高すぎて作業もできないチェルノブイリの半分くらいの福島の石棺化問題が発生していた。石棺化に際してはチェルノブイリのように何千人と作業する人がしぬことになっただろう。たまたま今回地下から放射能が海に流出して神がいただけのこと。次も神が居て人々を救ってくれるのか。
2017年12月16日
昨日、リネン100番手2度糊をチーズアップしてくれるおじいさんのところに持っていったら、以前、巻いてもらったときの苦悩が蘇ったのか、あまり良い返事がもらえず、これはまたピンチ。一つのチーズワインダーはプーリーがうまく働かず高速で、リネンの100番を巻くのは難しいらしい。

そこで、今日は、夕方に会社に余っていたインバーターを設定した。おじいさんのチーズワインダーにインバーターを取り付けて、回転スピードの調整をできるようにする。夕方5時半に行って取り付けて試運転もうまく行き7時に会社に戻る。おじいさんも喜んでくれて、糸に応じたスピード調節ができるようになっただけでなく、枷の枠に巻いた糸をセットしたまま運転と停止ができるようになったことで、全部糸をセットして運転にいれることも可能。途中の休みのときも停止ボタンを押すだけでセットされたままスタートボタンで再開できる状態で停止できる。

リネン100番手も数日で巻き上げてもらえそうで林与としてもありがたいのである。おじいさんも最近は腰が痛くてカイロを腰に2つ貼って作業をされているとのことで、糸切れせずにほかの作業をしながらゆっくりと自動に放っておいて巻き上がるようだと巻いてもらうのに負担もかからずに頼みやすい。
2017年12月15日
今日は岐阜に納品に行く予定だったが1日早くあげてもらえたことで昨日出荷でき、工場内の作業に時間を使うことができた。助かった案件である。昨日は夜からレピア織機の横糸の調子が悪いのでテンサーを交換した。横糸の調子がどのくらいが最適なのかを手で感じることができるのとできないのとでは大きな違いがあって、何が正しいのかが感覚的にわからないと仕事はうまくいかないだろう。

麻糸の特徴は切れやすいことだが、いかに切れやすい麻糸を上手に使いこなせるか。林与が冗談でいうのが、私に整経させたら世界で三本の指に入るということ。整経の作業は2年ほど毎日やっていたので。最初の1週間ほどで作業の流れ自体はマスターできるだろうが、細番手の麻の場合にはビームへの巻取りが切れるので難しい。先染の場合には色によって微妙なテンション差があったりする、また、綿ボイルとの交織なども筬通しの密度の均等化などの問題なども一般の現場の人では糸番手の計算をすることができないので解決できないことが多い。

四則演算でできるのだが、それをできる人というのはまれである。工場長をやってもらっていた叔父さんでも糸量の計算は、実際織ってみて、一反で何キロ糸を使ったかということで覚えていた。このあたりが感覚でものごとをする職人的なのだが与えられた作業はできても、自分で仕事を生み出してゆくことができない限界につながる。私自身は何万回と面倒がらずに糸量を計算してきたが、現場の人というのは本当に苦手で誰かがやってくれるという前提がある。

現実、計算ミスがあると大きな問題となるので、正確に計算をこなせないと駄目で、計算をする人間は決まってしまう。こういう計算ができると正確な数字だけでなく、ロスなどの見込みもできるようになり、一つの企画のロス率だけでなく、仕事全体の問題なども見えてくることになるのだが、繊維業界全体を見ても、1+1=2という計算ばかりで、現実は、2のものをつくろうとすると、各工程で20%の原材料のロスが出ると、1.2+1.2=2なのである。これで、1.2+1.2=2.2などの物ができたときに2でないと駄目という卸のお客さんと2.2でOKという卸のお客さんでは、同じ商品でも値段が違って当たり前ということになる。

同じ生地でも完璧を求められると値段は1.5倍から3倍になるだろうし、アバウトでOKだと値段は落とせることになる。値段を決めるのが難しいのは仕事の前に値段を決めないとならないので、そのお客様のもっておられるチームの柔軟性なども値段を決めるときに左右される。問題解決能力があるお客さんだと値段を下げることができるし、問題解決能力がないお客さんだと値段は上がる。

問題解決能力があるお客さんだとすべての布を提案できるが、問題解決能力がないお客さんだと安全な普通の布しか提案できないということにつながる。海外の生地がデザイン性や創造性があり、日本の生地が無難なものしかつくれないのも、日本では生地の段階で問題を解決した生地しか流しにくいというところだろう。海外のテキスタイルデザインのようなものを作れないことはないがそれを使えるアパレルが日本にあるのかというと、検査の数値が重要視されるので没になる。結局、日本の繊維業界では無難なものがほとんどを占めることになる。

ファッションというあたりも含めると日本の繊維業界が後追いになってしまうのも、海外の商品には規制がなくても、日本製に対してはいろんな規制があるからだったりする。狂牛病の全頭検査を国内業者には強いて、狂牛病が発生したアメリカ牛は統計的に10万分の1だから大丈夫とかいうダブルスタンダードの内弁慶な日本スタイルと被る。
2017年12月14日
今日はシルクの整経。林与のシルクは幻のカネボウシルクを使っている。カネボウシルクといっても国産ではないのだが、10年前にカネボウが破綻したときに、もう良いものが作れなくなると思い、糸商さん数社に依頼して日本中のカネボウシルクの在庫を探してもらって、全部で1トンくらいのカネボウシルクの200番双糸が集まった。箱にすると30kg入りで、十数箱で、畳1畳の上に4箱X2箱の2段積みくらいだが、当時1kgがAAAの糸でガス焼生糸。それで500万円ほどの在庫になる。

織る前の糸というだけでなく、染色前の段階で、小さな織物工場がものづくりを守るためには当たり前に畳一畳に乗る程度の糸に500万円とか糸につぎ込む。糸にお金をつぎ込み、お金を糸に変えるのは馬鹿にされることも多い。でも、良い糸というのはもう手に入らないというのをよくしっている。林与もおじいさんの代からの手績みの糸を使う機会もなくそのままにしているが、江戸時代のものづくりを残そうとお爺さんが、戦争で麻織物が禁止されたときに、集めまくった近江上布用の良質の手績み糸。損得じゃなくて、ものづくりを残すためには、そのたびに家が買えるほどのお金をつぎこまないと無理な話。

世界的にも幻の糸を使えるのが、林与から生まれるのもそこで、アイリッシュリネンでも再現しようとして世界的な著名ブランドが動いたが無理な世界を、100年以上前の江戸時代の日本のものづくりの世界を残すためには、自分の命を捨てる覚悟ある。日本国内は国内最高峰の伝統工芸も林与的には軽くなりすぎて、麻の先生とされる方にでも、真剣に覚悟決めてやりませんかという話で、一千万の投資をされた方を同じくらいの覚悟があるのかと見初めて支援したい気分。日本や世界を動かすためには一人の人間が何億の覚悟が必要なのが逃げないで背負える人は本当に少ないのが、日本のものづくりが十万とかでも覚悟がないサラリーマンでは本当に駄目と思う。

林与が小さくても世界一な部分は、麻織物の世界で一番名ものづくりを貫きたいという覚悟、イギリスやイタリアのNO1が麻においては林与のものづくりを世界のものづくりの見本や手本にしてもらうのもそのあたり、世界でも林与以外に数社しかない。薄っぺらさは人間性の違いで規模の大小じゃなく、世界的に有名なところにでも駄目出ししてしまうのが、林与の麻の世界の本質で、イタリアでの一番の企業がサンプル請求ばかりで返答もせずだらしないので一番駄目な奴そのもの。

世界手ににも有名で日本でも一番くらいに有名なイタリアの会社さん。日本で一番小さいクラスの機屋が世界で一番有名なテキスタイルメーカーの方に、林与のようた小さな会社が駄目出しとかは厳しすぎるがそれが繊維の世界。いつも私がZ社の人ですかとイタリアのウールやリネンの最高峰が商売になるかならないかのレベルで見にこられても残念なのは、イタリアの最高峰が本当のものづくりの覚悟もないのをやり取りのなかで実感してしまっているから。イギリスのリネンの最高峰だろう企業がある方の紹介で林与のものづくりをブースに丁寧に見ても良いですですかから始まって評価してくださり、業者同士だとあるべき形をイギリスの業者さんが当たり前にされたのは本当の紳士淑女の世界なんだと思って怖いくらい。いつか紹介くださったM社のものづくりにおいては紳士中の紳士であるその方に林与の最高のものづくりを見てもらいたいなと思う気持ちとそれができない申し訳なさでいっぱい。フランスのD者のトップの方も近江上布には関心をもってくださりそれができないのかとお尋ねくださり、日本の本当の伝統工芸の世界で難しいですと残念な答え。私自身ヨーロッパのデザイナーが特別なものを探されているときに、林与の近江上布アーカイブには、日本の数百年のものづくりが詰まっていて、今の繊維の世界では世界中探しても超えることができないのを感じられるのだろう。

わたしは、本当にものづくりの覚悟を決めたものづくりがわからなけらばそれぞれの国のNO1企業かたでも接点がないと終わる。英国NO1と紹介いただいたアパレルリネン企業は本当に紳士淑女でおられて、申し訳ない気分。英国でも著名なブランドデザイナーの紳士そのものの方に紹介されて見に来てくださった、本当にありがたい世界で、林与というか私が日本の織物文化守るときに残しておかないとおもうのは、損得じゃなく、自分ひとりでも日本の織物の価値観を分かり績み出し、守りたいと思った。

そういうのが麻織物の世界で残っているのが、地元では野々捨の世界や林与の世界、林与も本気だった同業者である野々捨の保証人もうけてそれを恩義におもって若造の私を盛り上げようと野々捨さん。必至なもの同士が運命共同体になれれば思ったが、あれは駄目これは駄目が買ってしまうのが地場産業。よしお君よお、朝起きるとへそが痛いとかわけの分からない話。朝立ちでへそに当たっていたいとか、すべてががちがちに固まって身動きがとれない状況をウィットで和らげようとする野々野の優しさがあった私の20代のころ。自分の家族を養うために必至であるべきだという商売の基本を教えていただいたのが野々捨さん。いろいろとやれれていたのも生きてゆくため、家族を養ってゆくために試行錯誤されていたということが私は本当に分かる。そういうものがものづくりから消えてしまっているのが、今の無味乾燥なものづくりの世界で、海外に追い越されてしまうのもそれが理由だろうと思う。
2017年12月11日
2月のミラノウニカ行きの航空券をネットで購入した。フィンランド航空で、直行便に近く14時間ちょっとでイタリアマルペンサに到着する大阪からは最短の便、11万円でそれほど高くない。昨年のミラノは滞在中はずっと霧と小雨で、典型的なミラノの2月の気候。今年は素敵にお願いしたい。今回泊るホテルは会場から離れて毎日会場に通うことになるけども、それもまた新しい経験で楽しいかもである。

今日の林与周辺の天気は風が強くて寒い、雪が水曜日くらいから降るような話も流れていて、夜などは3度とかで雪が降ってもおかしくないくらいに冷え始めた。林与の予測では昨年が子供のとき以来の大雪だったので、今年は例年のように雪はあまり降らないと予想。雪が降って雪に包まれたうが織物は織りやすいのだが、工場と事務所の10メートルを歩くのも気を使う大変さがある。雪に包まれると本当に寒く、そこそこ広い工場なので寒さで作業がしづらくなる。

今年のお正月も作業は続くのだが、体験で年末年始、一度会社で縦糸つなぎの経験のある方が一人来てくださることになり、実際の作業を経験してもらいながら織物の仕事がどんなことかを覚えてもらう。時間を掛けてじっくりと正しい答えまでたどり着け、仕事として形になるのでありがたい。ものづくりにあこがれるのと実際に自分が作業をするのとではまったく別世界であることが多いが、昔は特別でもなんでもなかった織物の仕事が、今の時代には難しい仕事となってしまたのはパラドックスの一つである。

エアチケットも確保でき、今年もイタリアに行けるのは楽しみである。
2017年12月10日
一つの仕事の出荷が今日で完了。遅れないように平行して仕事を進めようとしても動いていても何かトラブルがあると、その対応というのはその仕事で時間を使ってしまうとほかの仕事が遅れが出る。今の時代の織物の仕事というのは並行して作業ができないと駄目なところが大変なところで、少しの開いた時間を有効に別の仕事に使える人でないと成り立たせるのは難しいだろう。

私が織物の仕事に就いたときに一番初めに大事だなあと思ったのが、自分が問題から逃げずに解決するために動くこと。織機の問題があれば、織機の下にもぐれないと駄目なのだが、それは当たり前に自分が今でも動くから仕事ができるのだろうとおもう。仕事に入ったときに一人の従業員の方がいろいろと動けることを動いて会社を支えられていてその方に仕事を教わったのが幸いであった。

昔ながらの織物の仕事のスタイルというのは、一流企業的なのだがそれが長持ちしないスタイルであるのもどの国のどの製造業の業種にもほぼ当てはまる話で、ものは世界中を動くので一番上手につくれないと生き残れない厳しさがあろう。一番上手とは効率性をもとめるものに偏るでなく、非効率なものをどれだけ効率よく生み出すかが先進国らしい効率的な生産だろう。

ものづくりの原点に近い生産だけでなく材料から販売までの広範囲な職域が求められ、生産をいくらがんばっていても、材料や販売がスムーズでないと成り立たない今日らしいスタイルだろう。良いものをつくればつくるほど売るのも逆に苦労する。リネンの150番手の織物というのは、カシミヤの何万倍も希少で糸も高いのだがあまりにもレアすぎて市場がないに近い世界で評価は低かったりするものである。実際に織るのが難しすぎて糸の希少性だけでなく、織りにくい事情からも流れ難い。
2017年12月09日
冬場のナチュラル仕上げは、太陽の光が当たりにくく気温も低いので天日干しがなかなか厳しくて、春夏物の生産時期なのに冬場の生産は厳しい事情があったりで早めに9月に仕事をいただけて本当にありがたかったなあと思える。

織物で、オーガニックリネンの糸なども、全世界で一年にコンテナ数本程度しか流れていないような糸で、世界中に糸の在庫も少なく入手から困難で数千メートルの量をつくろうとしても世界中の糸の在庫を探す話からとかでこれも外部要因の一つだろう。

最近は織れないことも増えていて、実際、リネンの糸の強度は極端に落ちてきているのを感じる。以前は、150番手の糸でも糊をつけずに織ったりもしていたが、今では、100番手だけでなく、60番手クラスの糸が糊をつけないと難しくなってきている。リネンの世界的な需要は旺盛なもののそれに見合うだけの原料が足りていないのであろう。

リネンというのは農作物なので、豊作の年には品質もよく安い、逆に不作の年には品質も落ちるのに高くなる。1960年の後半に原料となるフラックスの不作でアイリッシュリネンが壊滅状態に陥ったのも天候が左右したからだろう。一年掛けて植えたものが実らずで、紡績もうまくいかず、織ることもうまくおれず、次の年も回復するかどうかも分からない状況ではやめるしかなかったであろう。
2017年12月07日
今日は岐阜と滋賀県内から、フェアトレード関連のアイテムを販売されている方とカンボジアの籠を企画販売されている方がお越しくださった。お二人の携帯電話のなかには、アジアの織物の現場の画像、アジアンテイストな絣織物が、超高速で手織りされているのを見て、やはり、そういう国の人々というのは強いなあと感じる。

イカットと呼ばれる現地の特色のある色使いの織物を手織りなのだが柄合わせしているのかどうかもわからないほどの、すごいスピードで織っている。織っているのは綿らしい。大変そうにみえるがそれがその人たちの普通のスピードで、ほとんど考えることもなく、織れて行くのだろう。
2017年12月06日
今日はミラノウニカの素材相談会で、福井に向かう。電車より車のほうが便利そうだったので、朝7時に出発して高速道路。木ノ本から先がチェーンが必要ということで高速道路を降りる。財布を忘れたことに気がついて、たまたまポケットに4000円。本当にラッキー❗

木ノ本から敦賀、敦賀からはサンダーバードで、11時からということに電車の中でメール確認して気がついて、珍しく早めの会場入り。帰りは、残り1500円しかなく、鈍行で木ノ本まで戻って会社に戻ったのは午後4時過ぎ。そこから仕事。

今年は、アパレル業界はここ何十年来の不況と言われるが、麻はブームは落ち着いたもののエコな流れでトレンドとしては根強いのが救われているところ。林与も会社が小さいことと、多能工化とアパレル向け以外の仕事の比重を増やしてきていたのでなんとか。染工場さんの話を聞くと今年はまだ落ち着いているということ。
2017年12月05日
国際化の流れのなかで、世界的に価値観すらもが画一化され、日本的な考え方というものも失われつつある。今日は東京からお客様で日本の布ということを考える機会があった。林与の中で、時代を越えて現代でも日本の布として世界に通用するのは、近江上布のアーカイブであろう。

一つ一つが伝統工芸の域で、数千柄の規模。日本的な西陣織や友禅とは違った麻に合うワビサビの世界、和そのものを感じる久留米絣とも違うモダンにも思える柄。ものなる布だけど日本の布らしさや布の魅力を人の心に伝える要素を持っている。

私の目には、その一つ一つが布の厳しさ。なぜ60年ほど前に、これほどの世界がこの田舎の村の林与の家から産み出されたのだろうというのにもいろいろな事情がある。子供を育てるのが難しい親戚の子供を自分の子供と同様に家で育てたり、終戦ですべてを失って日本に戻ってきた親戚にすむ場所と仕事を与えたり、早くに父親を失った親戚の面倒をみたり、そういうなかで林与の近江上布は生まれてきた。

仕事というより、ほかの人の生活を支える責任を背負う中で、厳しかったと言われる与一祖父さんだが大きな甲斐性を持っていた。出丁奉公にしても悪く言われるが、民が貧困に苦しみ、親の代わりに食べ物と教育、仕事を与えた。甲斐性のある家が不幸な家の子供を養子するに近い制度であったろう。昔の食べ物も満足に食べることもできない時代ほど、人の心の優しさがあったのに、金銭勘定ばかりの目でみると残虐にしか見えないのだろう。もちろんうまくいくことばかりではなかったろうが、人が人を支えていた時代。不幸な親戚の家の子の面倒を見て育てるなんて美談そのものだろう。恵まれた人には理解できない状況も昔は多かった。

そういう不幸とされる時代に育った人は強く、ほかの人を支える優しさを持つほどの強さがある。布を織る人も自分がこの仕事に憧れてとかでなく、自分の家族を支えるために仕事を求めた。家族を支えるために懸命に織ったから良いものが出来たのだろう。自分のために仕事するスタイルでは無理もせず自己満足に終わり良いものは出来にくいだろうと思う。
2017年12月04日
業界で仕事していても少数派なのが、現金で10万円と10万円を材料や労力につぎ込んだ布とどちらが大事か。実際に仕事している人にとってはもちろん後者の自分が10万円使った布のほうが現金10万円よりも価値があるだろう。買う人も同じように感じるはずであるから買うということだろう。

でも、今の日本ではこれは少数派で、最後に現金がいくら残ったかがバロメーターであるような、商売の考え方が主流である。日本の文化に対する価値観が落ちてきているのもそのあたり。大きな会社だと資本家である株主がみているものはまさに現金を勘定するだけのことで、それなら、ものづくりなんてやめて金融業や投機筋を業としてやったほうがよいのではないかと思える。

百貨店がプライベートブランドの在庫が残ってしまい、利益路線に戻るという話も、株主側から見れば、どれだけ利益を上げるかが目的だろうけども、在庫を積んで失敗に思えることが産業を支援しているというあたり。意義という部分がなくなれば、国内でものをつくる意味や国産の意味もないだろう。世界の一番安い材料を捜し求めるマクドナルドスタイルを百貨店が目指せば利益率はマックスになるだろうし、地代を求める形に戻れば当面の収益はマックスになるだろうが、長い目でみれば、百円ショップ化するだけのこと。

これは私の商売も同じで、化かしたものを売ると利益は上がるが、意味すらもないところ。自分自身がどこまで自分の時間と覚悟を注ぎ込んでいるかが要でしかなく、利益を最優先にする薄っぺらい経営ならやめたほうがよいだろうと思うところも多い。日本の大きなイメージのブランドや百貨店が無味乾燥な配当目的の株主目線での利益重視になったら、世界で一番安いところを探し、国すらもハイエナする悪意すらもない奴隷制度そのものの感覚に陥る。

海外を利用すれば法律の抜け穴で、行政も航空会社の外交特権なみの差別を平気にやってしまう狂った、自分は特別という差別が一番強いだけのあたり。苦労もしらない外交官の子供が、航空会社の外交特権待遇でちやほや、みるからに餓鬼でしかないが、それが日本の力に弱く差別する公務員行政で、国民主権とは180度反対のことやって民主主義も成り立つまい。アメリカ人の一人の命と日本人の一人の命が同じ程度には守られないとならんだろうなと思う。

米軍が日本人をレイプしても治外法権でうやむやというような、国政。日本人の命を守るのが日本のまさに国益なのに、日本人の命すらもが日本の特別階級の行政の利益とか欲の前には単なる消耗品であるのが残念すぎる。
2017年12月03日
目の前に仕事があってそれをやるかやらないかというだけのことだと思うが、やらない選択をすれば仕事をしないだけ、やる選択をすれば仕事をするだけ。そういうのが見えなくなるのが分業の世界、会社の中だけじゃなくて外も同じで仕事はいつでもあるものと思うと目がくらむ。

目の前の仕事をどれだけ当たり前にこなせるかだけのことで、目の前の仕事も見えなくなったら仕事は無理な話なのだが、今の織物の現場というのは目の前の仕事も他人事になりがちで、自分がやらなくても誰かがやってくれるものという感覚も多い。普通に目の前の仕事をこなしてゆけばよいのにと思うがなかなか仕事も自分がする覚悟がないと見えないもので、仕事に対する文句が出てくるけども仕事している人間というのは自分がするかしないかだけなので仕事しないで仕事に文句いってても仕方ない。

仕事なんて目の前のやればできる仕事に文句いってしないような部分がなければ簡単でシンプル。これは中にもいえることだし、外にもいえることで、普通にある仕事を足元をみてもったいぶるとかの人がいたり、自分がしきらないと気に入らない人がいると、一つの仕事もややこしくなる。私情をいれずに目の前のことに前向きにうごけば形になるのに、欲を出したり我を出したりすると普通に動く仕事も回らなくなる。自分自身で立とうする人の足を引っ張ったり、食いつぶしたりすることで自分の存在感を出すタイプの人というのは厄介そのもので関わらないほうがよい。

2017年12月02日
昨日、夜に愛知川の平和堂で滋賀麻の山田さんに久しぶりに出会って、ミラノウニカの話になったのだけど、今年も林与は今の仕事で手一杯で後手後手になってしまってのお話。昨年出展された会社さんがミラノウニカで大きな仕事が入ったというお話でその話を聞いて私自身もうれしかったことをご報告。

イタリアは、リネン、ウールなど、天然素材がそろった紡績の本場でもある。日本で1960年代後半にメゾンが立ち上がったのもイタリアでミラショーンをはじめとするブランドが1960年代中ごろにコレクションを始めたのを、日本版として今の日本のファッションブランドの大先生とされる大御所の先生たちが続いたことがあろう。続いたと書いたがそれはヨーロッパの流れからの還流で、イッセイミヤケ氏などはすでにヨーロッパを舞台に日本の布の文化を広められた。

林与の布も布として洋服になるが、デザインをみても布を布として魅せるような見せ方をされるのは、布に対しての思いが基本であられるあたりだろう。布を羽織るような形で贅沢に使い、布を盛り上げることに力を注いでおられるところが、布から受ける感性を大事にされているのではないかと、大御所たるスタイルなんだろうなあと。一枚の布を羽織るようなスタイルが多いのもイッセイミヤケの特徴。洋服問いうよりも布をまとうようなみせかた。

求めようとすれば欲のように広がる創造の世界なのだが、自分の出会う人が作り出すものごとを支えようと最後は人を支えることなんだろうと思う。イッセイミヤケはアパレルでありながら多くの布を生み出すところに力を注いでいるのが、着物の世界の織元と似ている。

林与自身が布そのものが最終的な作品であるように思えるのもまさに衣(コロモ)に対する評価で、天婦羅でいうとどうでもよいようなコロモノの部分の美を求めるというより、そこが自分の人生を反映するキャンバスである。デザイナーにとっても、自分の人生を布というキャンバスに表現するというだけのことだろう。それに憧れなのか情けなのかで人々が自分のつくった布をまとってくださる。

価値を見出す布というのはそれを作る人なんだろうと思う。昔は農家だったら若い母親が自分で家族の着る服の布を織った。裁縫して服にまでして、優劣などもなくできた形を受け入れるだけ。布を織る、裁縫する母親がへたくそだったら子供は我慢すだけの世界。別のチョイスはないあたりが、自分のつくったものを子供に着せて、自分の作ったものに世間の評価を受け、母親の技術も向上する理由だったのだろう。
2017年12月01日
12月に入って、それなりに冷え込んでいるけど。昨年はあれほど雪が降ったので、今年は雪があまり降らないと予測。クリスマスの日あたりに1回、年明けに1回、2月頭に1回の3回雪が降るが昨年以外の通常の流れ。

雪の降らなくなった原因は地球温暖化だけじゃなく、水の循環がなくなって砂漠化したからだろうとおもう。実際に木も水が立っているような状態なのだが、この何十年かで、平地の雑木などは一掃されてしまって、田舎でもうっそうとした森や林は消えてしまっている。田舎ですら雑草も生えることもできなくなって、虫をはじめとする小動物にとっても居場所がない。

小動物を食べる鳥などの動物も消え果た感がある。先日だが、宇曽川ダムの上流の田んぼを30分ほど散策したが、田んぼは柵に囲まれて、野生動物への分け前はない。野生の大型の動物が生きてゆくには厳しい環境だろう。人が心地よい環境と動物が生存できる環境とは相反する部分があろう。

人の求める理想郷は砂漠の上に人口で作られたオアシスなのだろう。作り上げられたオアシスに住むと、体調の管理も必要がないので、耐性が落ちてゆくもの。私も、以前、世界一よいだろう工場の中で働いたことがあるけど、外は暑くても寒くても、工場の中にはいると湿度も温度も完璧で、働きやすいものの、そういうのが当たり前になって、体が寒さや暑さに耐えられなくなってほかの会社で働くことは難しくなるだろう。

自分自身の体が環境に適応する能力というものを失うといろんな衝突が起こる。別のプログラミングの会社にいたときは、夏なのに18度もないほどに冷えている。風邪をひくくらいに寒いのだ。でも、それに慣れてしまっている人にとってはまだ暑いなあだろう。一般的に男性は暑がりで女性は寒がりみたいなのも、男女が集まると室温調整一つで意見がばらばらという光景もよくある。料理の味もそう。結局、だれが我慢するかなんだろうということ。

多くの人が集まって一つのことをするのはその一つの実際の仕事がというよりも、仕事以外の部分が難しいことが多いので、日本の国でのものづくりが難しくなった部分が大きい。他国のほうがものごとが簡単に進む。
2017年11月29日
日野で滋賀県として最大規模の大麻栽培が摘発された件がある。近いところで大麻が栽培されていても、県警すらもがゆるすぎるのが原因ではないのかと思う。大麻栽培というのは警察も真剣に動かない案件で問題すらもが大きくなりやすい。もちろん、所轄によっては相当に厳しく動く所轄もあるけど、全国的に特に鳥取なんて大麻栽培に関しての緊張感すらもなく、取り締まるのも一般の国民の大麻意識からすれば後手後手で、違法大麻は栽培されていないことになっているけど、現実年手は違法大麻が栽培されていたような状況で、それを警察が動かないので、私が自分で明らかにするというと訴えられますよと、警察の方に言われた。

日本では大麻栽培は無理な話が、日本の行政のレベル。組織化しすぎて違法大麻を取り締まることも取り締まる立場の警察があしらう。一応東近江署に電話したけど、大麻問題東近江所も本気で日野の県下最大の大麻栽培の撲滅に動いたのも2週間ほど前に日本の大麻栽培を野放しにしているような警察(すくなくとも滋賀や鳥取県警の地元所の現実)の事情もあろう。組織だから自称があって無理とか。日本では大麻栽培は、末端の県警や警察暑の許認可レベルでは本当に無理だろうと思う。民間の厳しさすらもなく、大麻が栽培されていたちごっこで、国民のいかりすらも理解できないようでは大麻栽培は無理そのもの。

日本のまともな麻の業者が大麻禁止を真摯に受け入れて大麻の違法縛滅に動いていながらも所轄がそれ以上の覚悟がなければ違法大麻を取り締まることも難しいだろう。2週間ほど前に大麻栽培の話で厳しい話を東近江署にぶつけたら日野の違法大麻栽培が滋賀県警が摘発。どんどんとやってもらえることはうれしいが、違法大麻栽培を軽くあしらわれるような警察には、滋賀県警は違法大麻養護じゃないのかと思えるほどの苛立ちすらもある。2週間前に東近江暑に電話で、滋賀県警最大規模の大麻問題の摘発が起こったのも私の電話も一員じゃないのか。

警察もほっておいたら駄目で、アル中以上の大麻中毒廃人が滋賀県をはじめとする近畿圏内で増える話。警察も素人以下の大麻問題対応では廃人が増えるだけのこと、本気でというが、窓口が署長にすらも話ができないとか、署長すらもが国民に対する覚悟なく日本で大麻栽培は絶対に無理な話。



2017年11月26日
今朝、起きると足の甲がヒリヒリと痛む。両足ともだが、右足の甲の内側が流動化してしまったようにまともにあるけないくらい。どうも、原因は、電気毛布。寒かったので一番厚くしてうつ伏せで寝て、足をまったく動かさず数時間だったのだろう。あるいは、2年前に骨折したのが戻ってきたのか。

まともに歩くのも痛むが、織機は動かし続けないので、無理して動いていると痛みも忘れる。が、夜中になって、糸を繋ぐために立っている状態で鈍痛が耐えられないほどになったので、右足の甲にシップを貼ってみる。プラス、寒気がするので貼るカイロを肩に2個貼って、これが調子がよいのだ。

薬という感じは楽になる草という意味だろうが、かぜなんかでも治す薬はないとよくいわれ、痛みを抑える程度であとは、自分自身の体が治癒する力を発揮するかどうか。痛みを感じるのもまた健康な証拠なのだろう。回復力なんかも仕事の能力の一つ。林与の取得のひとつは体力だろう。
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