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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年07月26日
昔、大阪の捺染工場にお邪魔したときに社長がお話されていたのが、働きたいと来た人にいうのが、うちはペンキ屋だということ。プリント工場というのは、デザインの世界だと思われがちだろうけども、デザインは外部のものがして内部のものというのは自分がデザインしたいものがあっても好き勝手に自分の好きなものをつくるのが仕事ではなく、外のお客さんの要望にこたえて地道な現場作業を成し遂げることが仕事。

その社長は甲斐性のあるひとなので、仕事が終わってからやりたければ自分のやりたいことを自由にできるチャンスをあげていた。私が思うによい会社だと思うけども、それが続く若者というのはごくわずかで、若者のほとんどが自分のやりたいことだけをやる環境を求めてしかも守ってもらいたいみたいな、学生さんみたいところがあることが多い。

お金を生み出す本業というのは地道な部分で、クリエイティブな部分というのはクリエイター一人が食べてゆく程度のものでは形にもならないのだが、クリエイターというのは自分が指図して他のひとが作業してという無理があることが多い。クリエイターの中でも考えるだけでなく、自分で自分の考えたことを実践してゆける人なら食べてゆける可能性は高くなるけどという程度で、それでも通常の仕事くらいはこなせないと超えた世界なんて到底無理だろう。

大阪の社長も現場の仕事はペンキ屋だというような割りきりがあったから仕事をこなせて行けたのであろうと思う。学校とかで手品を習うように作り方を教えてもらうけども、それが出来たとしても教えてもらってできたというだけのことで、実際の仕事というのは自分が体を動かして前に進めてゆくというようなところ。
2017年07月12日
今年はアナウンスが遅れましたが、夏の2週間のインターンを各1名づつ募集いたします。7月の後半から8月15日まで2週間1名、8月16日から9月始めま2週間1名の合計2名です。書類選考などありますので興味のあられます学生の方は、メールにて詳細などお問い合わせください。締め切りは7月20日です。【締め切り終了いたしました。7月21日】
2017年07月11日
今日は午前中、関東からお客様で分野は異なるがメーカーの開発を支えておられる。会社でも年長であられながら会社は仕事をする場所だという気持ちをもって物事を進めていかれる。大きな会社さんなので道具から自分で作り上げるということで、私の悩んでいる近江上布の案件もスラスラとアドバイスだけでなく、形になるように動いてくださり、ものづくりする道具をこうも簡単につくる環境をもっておられるのがうらやましいが、そういう環境を自ら作り上げておられるのだろうと思う。

別の電気関係のメーカーの開発の方も同じようにものをつくる機械を開発するのが仕事の方というのは、スラスラと難題に思えることを解決する環境をもっておられて形にされてゆく、そういうのが特別ではなく日常のことのように前に動いてゆくというのは、仕事の無限の広がりを感じる。

毎年、夏前になると結石が腰の辺りに下りて来て今腰痛気味で、じっとしていても体が暑くて仕方のない状態。もう10年前になるだろうか、病院で1日入院して、初めて超音波で結石を砕いてもらったのは。水分は常に多い目に取る理由も結石を持ちやすい体質であるということもあって、体が水分を必要とする。面白いのが、石があると眠気を欲するので、体が横になると石がずれて水が通ってという現象。体というものはそれなりによく出来ているなあと思う。

2017年07月10日
今日は、週末用意していた書類の提出のため、必要な書類を集める。仕事のほうも雨が降って予定が来るってしまって、予定変更で、午後からのお客様の予定のために早めに昼食。昼食中に、お客さんが都合が悪くなられてこられないことになって、休む時間ができたので少し夕方に掛けて休み、夜出荷のために準備する。

今日はつなぐ通信の編集ブログの第二段をアップくださって、林与での取材の詳細を見ていただけるように。今は、さらに猫が2匹追加になっていて、スタッフの皆さんがお泊りいただいたときよりも、デザイナーのお家はにぎやかになっているのである。
2017年07月09日
ソフト仕上げの在庫がかなり少なくなってしまっていて、この夏の分がいけるかどうか微妙なところ。秋ころからまた生産には入ろうとかとは予定はある。織機がたくさんあるものの、それでも織機が足りないと思えるのは、織機だけでなく、織物規格に応じた機も必要だからというあたり。

織機を譲り受けるときには一切合切という条件だったりするとそのあともうまく回せたりするけども、シャトルがなかったり、管がなかったり、機をつくる材料やスペアのパーツがなかったりすると、最初立ち上げるだけでも、中古のジャンクのコピー機を自分で修理するみたいな苦労が伴い、2台をうまくあわせれば1台としてまともに動く1台になるとか。もう1台もいざというときの部品鳥のために捨てられないとか。中古の織機が1台とかではそれを動かしてゆくということは難しい話だったりするものである。後ろにそれを維持してゆくための相当の部品など一切合切が揃っていないと本生産を受けるのは難しい。やったとしても織り工賃も維持費や修理費がかさみ消えてゆく話だろう。

とはいうものの、今の時代の機械も、1年で何回も修理に出さないといけないようなものが多いし、自動車にしても修理というよりも交換でディーラーでも対応がほとんど。新しい設備で機場をつくっても、数年後には古くなって部品もなくなる。それならたくさん織機が動いていた頃の時代の中古のほうが織機としての寿命は長いし、自分自身で調整や修理できるという強みがあろう。

一台の織機で同じものを織り続けるという想定だと織機の調整も必要がないので、調整に追われることも少なくなり生産性が上がる。そのことがまた、1台織機を入れただけでは一つの規格の織物を織るだけしかできないということになって1台織機を入れるメリットは劣ることになる。動かない織機を動くように立ち上げるのは機械の問題ではなく、糸が乗った状態で織れるようにの話になると別の問題であったりして、織機に無理をさせないように織らないと生産性も劣るし、仕事をしてもまともなものが作れずに持ち出しのマイナスで終わろう。

林与の定番のソフト仕上げがシャトル織りにしたのも、当時、高齢にもなられ急ぐ仕事やサンプルが必要な難しいものがつくれなくなって、簡単な量のまとまる継続的な仕事があるように考え、出機さんの仕事を確保するためにも定番をシャトル織にした。本来、麻の無地をシャトルで織るのはシャトルの味以上に、リスクが高すぎてやらない話なのである。レピアだと生産性が上がるのと、糸むらの問題も少ないので、リスクは格段と落ちるが、シャトル織にしたことで、使う糸も安定性のある糸に絞り、生成などでシャトルの切り替わりのタイミング起こりやすい色むらに対しても糸の選定から始まる。

難しいものが難しいから量のまとまる簡単なものを作るだけにしてもらうがそれがものづくりの新しいレベルとなってしまうので、それでも問題が連続して生じてしまって、定番の生産も断念をせざるおえないようなことにも一時期なったりしたこともある。一方で、海外で何千メートルという広い幅で値段も10分の1という値段の生地が問題もなく生産されるようになって、日本人の経験者のものづくりと海外の経験の少ない人のつくるものづくりが逆転してしまったのを感じる。

日本の麻織物の本場でも、産業が老いて正しいものもつくることが難しくなって産地の他の会社さんが機場を閉じられてゆくのもよく分かる話なのである。そういうのに流れないように、織れないといわれていた超細番手リネンに挑戦してみようと100番手を超えるリネンを自社の織機で織るプロジェクトを立ち上げた。150番手のリネンを密度にもよるが無糊で織るということにも成功した。一方で、同じシャトル織機で超厚地リネンにも挑戦したり。先染を得意にしてきた林与が無地の平織りに戻り麻織を追い求めた青の時代だったのだろうと思う。
2017年07月07日
今日は夜出荷のときに日付を書いて、7月7日ということを思い出して、空を見ると星が綺麗な七夕。七夕伝説も徐副伝説と重なる部分があり、八丈島の歴史と重なり、織姫たちこそが日本の織物の始まりの一部を背負っているというあたり。2000年という月日が、それほど昔のことに思えないのは、私が織物をしているからだろう。織物という作業自体、一般の人からすれば昔話だろう。

土踏まずがなぜあるのかという質問をされて、「足が疲れないため」というようなつまらない答えをすると、昔同じ質問に、私が、「神様が人を作るときに肉を節約したかったから」と答えたという。昔は私の頭のなかも今よりも素敵だったんだなあとちょっと今の自分にがっかりだが、土踏まずというネーミングもおしゃれだなあと思える。

織物の世界も技術の部分とファッションセンスっぽい部分ともう一つ、コンスタントな力みたいな部分。その3つが揃ってないとなかなか成り立ちにくいもので、他にも要求されるのが今は企画する人よりも機屋が全体のものづくりを支えるケースが多く。サンプル1点分の生地を用意し、それを再度小ロット生産するということで、デザイナーさんたちのものづくりや企画が成り立つことが多い。生地をデザインするとかの部分よりもサンプル作成や小ロット生産のような成り立たないものどうやって成り立たせるのかという部分を頼まれることが多くそれがものづくりが難しい問題の大きい部分だったりする。

量産された後染生地を使っておられる方が、オリジナルで後染生地を作ろうとされるとそのコストの高さにびっくりされることがある。50m、100mの小ロットで生産すれば、50m、100mで買おうが、数メートルから市販で買える生地よりも何倍も高いというプロの世界の現実。無理はしないほうがデザイナーさんたちのためだったりするので、在庫の生地などで近いイメージのものを使ってもらうという形が増えている。
2017年07月02日
加藤一二三プロというのは、77歳で将棋人生63年を引退された。晩節というのは、プロとしてなかなか勝つことが難しい状況で、九段という段位というのは過去の記録に過ぎない厳しさがある。一方で、藤井四段は、中学2年生で、プロとなってからは公式戦無敗の29連勝を達成した。この意味は、将棋という世界がまさに実力主義の世界であるということを表している。大人が子供に負ける、アマチュアトップの東大生が中学生プロに負ける。

一方で、気になることがこれは超人的な世界であって常人の世界ではなくて、異常な世界であるということ。努力とかそんなのではなくて、見たものをすべて記憶し、想像したことをすべて頭の中で展開が進めてゆくことができる脳の異常的な部分が関係をしていて、マイナスに出なくてプラスに出たということである。普通に優秀な学生として社会にでてサラリーマンとなると逆に優秀すぎて社会に適応できなく落伍者となる可能性が高い。

オリンピック選手なんかでも、常人ではなく脳の異常が運動能力と関係していることが多く、一般的な精神力が高いというのではなく、運動に関して疲れないという特性をもっていたりするだけで、実際の1日の運送会社の責任感を伴うような仕事となると責任感なんてまったく見えず通用しない人がオリンピック選手でも多いものである。政治家なんかもそうで、普通の人のこころの優しさをもっていればできないような、違法じゃないからとモラルすらもない輩が多い。一般人は人としてのモラルややさしさがあるのに、そういうのが見えない人が国会にも集まっていて、小学校の学級会議のほうが人としてまともだったりする。アメリカの議会なんて裏ではロビー活動があったりするが、議会の議論自体はまともなところ多く、日本の議会は裁判所で犯罪者がいうような覚えていないで逃げるが多すぎて、脳の異常を感じたりもする。

富岡製糸場が、理想でありがなら現実的にはうまくいかなかったのも、官製にありがちな人としてのゆがみがあって、良家の娘さんたち限定で楽に働いて良いイメージでというのがあったからだと思う。結局、出来上がったものの品質面でも劣ったのではないかと思う。家族を支えるために必死に働く貧しい農家の娘さんたちが働くほかの工場に負けるのも当たり前で、今度は、そうやってがんばっているところを潰すことが富岡製糸場を正当化するために必要となってくる。そもそも、貧しいものを見下して面倒も見ないのに貧しいものにチャンスを与えることすらも潰してくる。国も吸い上げるばかりで飢え死にするくらいなら、野麦峠を超えるは天国だったであろう。当時の日本の農家の一部はまさに今の難民状態であったのであって、そういう人々に対して、吸い上げるばかりの国とは反対に、5年働けば家が買えるとかのチャンスを与えたのが民間であった部分も理解しないと、当時の人々の苦労の本質は分からないだろう。

農家だと野麦峠以上に働いて食べて行くのも難しい、野麦峠越えれば同じ働けば豊かな生活。国というのが良家の娘さんたちにしか良い条件の作業場を与えずにそれを世界にPRして、実際には貧しいものから吸い上げたお金でそういう贅沢な官製の工場が成果もなくなりたっている。富岡製糸場は、世界遺産にもなったが、人生の痛みを知らない人々の贅沢な理想のものづくりの象徴ではないのかと思える。富岡製糸場も払い下げられて建て直し、結局、行政が投げ出したものを、民間が責任を被って保存してきた部分がある。
2017年06月30日
つなぐ通信VOL16近江特集が発行された。ウェブでもクリックしてページをめくって中身も見ることができますのでご覧ください。 http://tsunagu-t.com/pc/backnumber/vol16/index.html#page=1 林与も取材を受けて、なんと今回は表紙にしてもらっている。表紙見ていただくと林与は笑いすぎなんだけど、林与にとっては記念すべきつなぐ通信なのである。取材に来てもらったときにデザイナーの家でみんなですき焼きを食べたことなどは、つなぐ通信のブログに詳しく書いてもらって林与の新しい女性デザイナーも林与のこれからのひとつの特色として取り上げてもらっている。

いつも林与を応援くださっている成田さんが編集長をされているフリーマガジンで、私自身いままでは読ませていただく側だったのが今回は記事にして下さり、取材にもお越しいただいた。2ヶ月ほど前に、すき焼きを食べたのがもうずっと昔のことのようだ。あのときのすき焼きはおいしかって、近江にお越しいただいて近江牛のすき焼きをお腹いっぱい食べていただけたのが、私としてもよかったなあと思えること。近江で一番有名な食べ物のひとつに近江牛が上げられるが、お店で近江牛のロースとビーフを食べられたのが、小さく薄かったそうで、林与も以前、お客さんと近江牛を食べようと彦根のお店で近江牛を食べたらあんまり良くなかった経験と似ている。有名なお店で食べるより、家で食べるほうが安く何倍もおいしくできるのがすき焼きで、楽しんでもらおうと思ったけど、私自身がスタッフの皆さんとくつろげて楽しかったなあ。

食事だけでなく、スタッフの方が女性デザイナーの家に泊まっていただけたことも、これからの林与の元気を感じてもらえたのではないだろうかと思える。過疎化が進む集落で衰退産業といわれる織物の分野で苦労を背負いながらも楽しいことをしているというあたり、苦労をするとうあたりは近江商人の基本の哲学であったりする。質素倹約の中から全国に通用するような良いものを生み出して行くとうのが近江の哲学でものづくりには向いていると思える。自分自身が価値を感じるようなものを作らなければ良いものづくりとはいえないであろう。

価値がいっぱい詰まったという意味では、すき焼きなんかも近江牛や野菜も含めて1万円ほどの材料で6人がお腹いっぱい。すき焼きというのはそもそも農家が鋤の上で肉を焼いたという説があり、林与がつくるようなものが本当の近江というか日本のすき焼きの歴史を引き継いでいる側面があるように思え、すき焼きはこの地域の男の嗜みのひとつだったりするような風潮がある。近江の一番の名物が近江牛で、それを食べる方法の代表格がすき焼きなのにすき焼き屋というのが近江湖東地域にあまり存在せず、それでもすき焼きの文化は庶民のご馳走として引き継がれている。
2017年06月29日
今日はテキスタイルマルシェはデザイナーが店頭。私は金融機関との更新手続きがあるので会社に残る。会社のような組織というのは、個人以上に多くの人が携わるものの、その寿命というのは、数年から長くて30年であることが多いものである。これは、恐竜が絶滅したのと似ていてどんどんと大きくなって、外の環境が小さくことを要求しても耐えられないような組織体質が問題になるのだろうと思う。

林与も厳しいといわれる繊維業界の中で綱渡りでやっているけども、規模が小さいから綱渡りができるだけのことで、大きくなれば身動きが取れないことが多くなる。でも、人というのは大きく強いものに憧れる部分があるので、小さく華奢なものなんて無数に存在していてなかなか目を向けてはもらえないものの一員が、本来の林与だと思うけども、大きいところ中の人以上に何倍も強くたくましくはありたい。

昨日のテキスタイルマルシェで、3ヶ月ぶりにお会いした皆さんが、口々に、「林与さん、すごくやせられましたねえ、大丈夫ですか?」と。その前日に1時間半すたみな太郎の食べ放題で食べまくって、もうこれ以上は食べられないと5kgくらいは太ったかと思っている林与に、その反応。50才手前で、人の何倍も食べられる人は少ないのに心配してもらって…。昨年とかは食べると何リットルもの水を飲むから水太りなのだろうけども、今年はあまり水を飲んでいないのが原因だろう。お腹も空いて食べているので元気ではある。
2017年06月28日
今日は、阪急うめだ本店9Fで、テキスタイルマルシェの初日。早朝からの準備で、8時半すぎにデザイナーの女の子も初めて阪急でのテキスタイルマルシェ。10時の開店までに、荷物を解いて、反物キッチンクロスやストールを販売できるように準備。一人だと準備が時間的に難しいので二人で参加する。場所は、エレベーターを降りたところの集中レジの真ん前のコーナーの部分で、9Fの中でも一番くらいに良い場所ではないのかと思える。

少し落ち着いたお昼ころタイミングで、業界紙の方が応援の気持ちで見に来てくださって繊維業界で一番影響のあるメディアの方が前向きな動きを応援くださっていてありがたいなあと思う。似たような苦労をされてきた記者の方で、昔から林与のことを知ってくださっていることもあり、林与が麻を織り続けていることを応援くださっている。

10時の開店と同時に午後2時くらいまではお客様が続いて忙しく、2時からはデザイナーの子が食事休憩で、その間、北原くんが来てくれてこの前会社に来てくれたときのことなどいろいろとお話、当初の予定では10時の準備が終わったら私は帰る予定だったが結局、一日いることになって閉店の午後8時に帰る。非常に忙しくてよいテキスタイルマルシェ初日だった。今日、人気だった生地は、リネンL25番ソフト仕上げのオフ白とか。

今回のテキスタイルマルシェは9社での出展。中央に裁断台を置いたので、案外内側が広くって理想的な空間。通路側には、多くの方に触ってもらいやすいキッチンクロスやストールなどの小物。裁断台のある内側には生地を並べた。生地が通路側ではないので買ってもらうの難しいかなあと思ったけど、今回のテキスタイルマルシェ初日は生地を買ってくださる方が多く、ネットのお客様も何人も来て頂いて、私も店頭におりましたのでお話もできてよかった。

今日、帰りの電車の中で、気がついたことが一つあって、織物の仕事をしていても一番たいへんなのがものづくりよりも人のこと。目の前の簡単な仕事をほかの人に頼もうとしても目の前にある仕事の重要性というものがなぜ通じないのかという問題の答えみたいなものがみつかった。他の人から見ると見えるものが私には見えないこともあるだろう。
2017年06月27日
今日は午前中、朝早くに起きて織っていたものを朝9時に加工出しを終えたあと、明日からのテキスタイルマルシェの反物を大阪の阪急の配送倉庫に自社便で届けるために準備。いつもと同じくらいの全部で6袋の荷物。配送倉庫での荷物の引渡しも順調に終わって、戻ってきて、早朝から何も食べずに午後3時で、超空腹だったので久しぶりにスタミナ太郎で食べ放題。1時間半食べまくって、もうこれ以上は食べられない状態。


2017年06月24日
昨日から、工場の照明をLEDに交換。デザイナーのお父さんが電気工事の仕事をしておられ、相談すると早速きてくださり照明を交換くださる。新しいLEDも2灯式照明器具と蛍光灯のセットを買ったのだが、それがやはり安いだけに蛍光灯はそれなりに良い感じなのだが、届いた照明器具が思ってた以上に安っぽいので、既存の照明器具の配線を安定器への配線を外すような作業をしてLED化に対応する。結論からすると、1灯式の器具一体型の蛍光灯はなかなか良い感じなのだが、2灯式の器具に関してはあまりにお粗末な感じで、既存の照明器具を残して蛍光灯だけを購入して対応するのが一番よいということ。

工場の蛍光灯も30年経って寿命を感じるのでこの機に交換しようと思ったのだが、交換した結果相当明るい感じになった。LEDでも明るく透明感の高いタイプで、40Wの普通の蛍光灯と比べると18Wながら1灯でも2灯分くらいの明るさに感じる。単純に4分の1の電力消費で従来の明るさが達成できるということになる。工場の中は、1階だけでも、マックス300本程度蛍光灯が使われているので、それをマックスで、200本程度にして、今までの倍以上の明るさにできればという計算である。たぶん常時は、200本のうちの半分くらいの蛍光灯を付けて使用する形になるので、常時100本点灯とすれば、1.8kwh程度の電力消費で、悪くない。1階全体で、1時間50円くらいか? 計算あってるだろうかなあ?

全部電気をつけるとコンビに位の明るさで、織機の上には2灯式、織機自体にも蛍光灯を1灯タイプを織機の前後にそれぞれ取り付けてもらって、蛍光灯4灯がそれぞれの織機を受け持つ形。黒い糸までもが1本1本輝いて見えるくらいに明るくなった。早くすればよかったというよりも、タイミングとすれば高輝度の蛍光灯が安価に手に入るようになり、照明器具自体が寿命で、平成30年には従来の蛍光灯が販売されなくなるので、ちょうど良いタイミングでの交換に思う。

今までも、LED照明に関しては、勧誘の電話が多かったけども、電話セールスというのは相手の迷惑も気にせずになんども電話でうさんくさい話が多い。従来の照明器具を加工して、蛍光灯の球だけを交換する形で対応するほうが今までの丈夫な器具も使い続けることができよい。そういう業者さんの話の多くが、実際はリース業者なのにリースのことは隠して、無料で新しい照明器具に交換でき電気料金が下がるというようなトーク。なんか、業者さんからすればLEDも商材なんだろうけど、そういう業者にとってはお客も自分が扱う商材みたいな感覚のトークが多く接する気持ちになれない。

一番自分の思っていたとおりの形に、LED化ができてうれしい。織機に蛍光灯をつけることは長年の夢だったけど、従来の蛍光灯は割れるので難しいと思っていた。またLEDも丈夫かどうかわからなかったので実際に付けてみてよい感じである。作業いただいたデザイナーのご両親には感謝である。仕事されるのをみていても淡々と仕事を進めていかれ結果を出して行かれさすがだなあと思う。明るくなったので仕事もはかどることになる。
2017年06月22日
デザイナーの家に猫が2匹来て完全な家猫として育てるということ。外に出さずに家の中で育てるということで、会社の周りにいる野良猫たちとは別世界で生きる。かわいそうだからと外に出してしまうと守られた猫だと食べて行くのも難しいだろう。野良猫のほうが自分で生きる力を持っていてみたいなのは人間の世界にも共通する。教育を受けると守られて生きてゆくことが普通になって、生きていく力が乏しくなる。

猫の手も借りたいという表現があるけどもこの2匹の猫は仕事はまったく無理そうであるが、リネンには興味を示して、デザイナーの家にあるリネンの切り房の耳などをかんだりしている。早速、新しい環境になれないからか治療したという目の病気がぶり返しちゃって、動物病院に連れて行き、目薬をもらう。

動物病院というのは、建物もりっぱでスタッフも多い。あまり詳しく知らなかったが、薬代があっても、診察費がないというシステム。保険も掛からないので、いくらかかるのか心配だったけども、目薬代1000円の請求しかされなくって、薬剤会社が動物病院を経営しているのか?あるいは、動物を愛する人たちがボランティアに近いような経営なんだわと思った。犬か猫が先生やスタッフに化けて病院経営しているんじゃないのかと思えるくらいどうして成り立つのか不思議すぎる。
2017年06月13日
今日は丹後織物工業組合の皆さんが午後からお越しで、林与を会社を見学いただく。皆さん織機調整のプロフェッショナル。工場の中で動く織機を想像以上に注意深く眺めておられる。皆さんにとっては織機なんて珍しくもないはずなのだが、動きを入念にチェックされている。

織機を動かすのは、この春から林与で働き始めた女性デザイナー。元気に動かしている様子は、織物界にとっては、明るさを感じてもらえるだろうと思う。シャトル織機、レピア織機、ジャガード織機の織りだけでなく、たて繋ぎも、整経もこなすし、検反もこなす。3ヶ月で、守備範囲はかなり広い。

事務所に移動して、林与の取り組んできたプロジェクトなどの説明をさせていただく。皆さん、職人さんながら経営者なのでそういう辺りも若い私が前向きに取り組んでいるのに共感くださって、私自身織機の調整も必要に迫られての我流なのだがアドバイスもいただいて調整すると框がしっかりと止まるようになっていい感じになった。早速、ひとつ林与にとってプラスになった出会いである。嬉しかった。
2017年06月10日
仕事には単純な作業と創意工夫の必要な作業があるけれども、時間を使うのはどちらかというと単純な作業で、それを正しく出来る人が少ないのが繊維業界における人材不足の原因だろうと思う。教育が整うと仕事をできる人が少なくなるというのもよく分かる部分がある。教育というのは手品の種明かしを教えてもらっているようなもので、自分がマジシャンになったかのような錯覚に陥る。マジシャンを目指すような人が増えるのであるが、繊維産業というのはマジックではないという問題で、マジックであったとしてもそのマジックをお客もいない状況で一日に何百回と正しく実演するという作業なのであろうと思う。

物事をする前には、多くの人が、教えてもらったらできますということを言う人も多いのだが、言うは易し行うは難しというようなことに直面することも多い。ファッション関係の方にお会いすると、よい素材を使ったこだわりの商品を作ろうと考えているというプランを聞くことが多いが、何か余っている処分するようなものを安く分けてもらえませんかなんてお話をされる方も多く、ものづくりのスタイルがガラッと変わらないと、そういうものづくりのポイントというのが、自分が譲らずにほかの人に譲らせての商売であるあたりで、自分が一番ほしいものしか買わないのにそういう想定から話が始まる人が多い。

これも一回のマジックで成り立たせようとしている節を感じるのである。小ロット多品種型のものづくりというのは、複雑なマジックを単純作業のように淡々とこなしていくところであるのだが、一つの仕事を進めるのにも迷いがあるようなスタイルではそれは難しいだろうと思う。困るケースが、商品企画を始めようとしているのだが自分は初めてなので教えてほしいという話とか、私自身でも自分が商品を企画するときには時間やお金を捨てる覚悟が必要なのだが、そういう覚悟も無く人に尋ねて商売を成り立たせようとしている方が多く、手品の種明かしを教えてほしいというレベルで、そういう安直さは、一日一回の手品で成り立たせようとしている感じで、お話の相手をさせてもらうのも本当に疲れる。

林与のリネンストール生機はプロの方が多く使ってくださっているけども、細かい説明すら必要も無く、皆さんが自分なりの創意工夫でストールを作られているのに、プロで商売としたい方が自分でキバタを買って試しもせずにストールビジネスを展開しようとされているあたりが、今の日本のほかの人にこだわりを求めるこだわり企画の典型であったりする。オリジナルとか難しいものというのは、一回で成功しない可能性も高いから価値があるけど、普通の商品のような感覚で扱うと難しいもの。

日本の麻織物の本場近江湖東産麻布というのは、私が携わった20年前でももう産地の麻の組合の会合ででも、麻布を織っているところは林与だけだと言われていたほどで、私が当たり前のことが特別だというのがびっくりしたほど。林与はそれからも麻織物路線を貫いているので本場の麻織物の濃さを凝縮して、世界にPRできるような日本の麻織物の究極的な部分を商売でなく、自分が自分で作って食べていくという商売の基本の部分として提案をしたいのである。

世界の最高峰が、自分が自分で食べていくというあたりにたどり着いてしまうのが、一般的には矛盾すらに思えるのだろうが、世界でオンリーワンが食べていけるのには普通であって、ハリスツイードでも日本が85%の力で支えているから成り立っているだけのこと。日本の力がハリスツイードを支えている。私自身がハリスツイードが、ちょっとやばいと思うのも、本当のプロの方ならあれは昔ながらの手織りじゃなく、存続させるが為の手織りじゃない人力を隠した危うい日本向けのラベル商法になりつつある。ハンドヲーブンではまったく無く、動力を自転車的な人力でやっているだけのまやかしに過ぎないのが、ラベルに依存した手織り?今なら、ソーラーパワーでもハンドヲーブンチックで売りになってしまうビジネスライクなハリスツイードの感覚で残念に思ってしまう。努力はしておられるのだから、人力ということを謡ったほうがよいと思う。

日本の百円ショップに並ぶハリスツイード残念なのかもしれないけども、日本の百円ショップしか生き残りの道がないのも世界的にみたプラグシップすらもが日本の百円ショップに頼るような繊維ビジネス。100円ショップで有名な日本資本の企業が世界の繊維ビジネスまでも支えるがビジネスライクで無味乾燥なものの変えてしまう。100円ショップに並ぶものがハンドヲーブンなのかを考えると日本の感覚からすると、動力を人力自転車にしてが現実で世界に有名なハリスツイードが成り立っている現実は、手織りを謳うこと事態が日本の繊維業界の基本的名基準からして外れ始めていてビジネスライクといわれるハリスツイードのハンドヲーブン自体が偽装レベルで危ういレベル。動力を人力自転車だと手織りを謳えば、食品業界なら回収レベルのラベリングで日本でそれをやったらアウトだろう。それが日本の繊維関係の化かす商売そのものであったりする。本当の手織りが100円ショップに並べられるのかというと無理なのを、日本では世界的には有名なハリスツイードすらもが無理やり手織りを謳ってしまって厳しいのが日本の繊維業界がモラルを越えたビジネスライクなところ。日本以外ではハリスツィードもあまり評価がないのも日本だけで化けてしまっているという100円ショップでお値打ちな怖さがある。

アイリッシュリネンも同じなのだが、日本の商社がブラックボックス的に化かして、やっている本人たちは人力自転車だろうが精一杯なのに、それをなぜ、昔ながらの手織りのイメージで売ってしまうのかは、日本の扱う商社の問題だろう。動力を人力で取るだけで手織りを謳えるなら日本の手織りは全滅するだろうと思う。ハリスツィードの人力も残ってほしいが、あの昔ながらのラベルの使用は本当の手織りの人を潰してしまうのでやめてほしい。人力でもそれは本当に評価するべきところだろうけど、手織りを謳うには無理がありすぎで、他国では評価が低いものの85%が日本に流れているというのもそれがあるからで、ブランドの謳いそのもの偽装では駄目だろうと思う。100円ショップだけでなく、百貨店でもハリスツィードは手織りとして昔のラベル、有名どころすらもが、日本の織物基準で大丈夫なのかと思うところ。それが大丈夫なら織物業界の手織りの定義すらもがすべて変わってしまう。ペダルミシンで縫ったものを手縫いといってしまうのと同じレベル。ハリス島にも昔ながらの手織りがあるはずで、それは本当に希少なものだと思うし、ハリスツィードが食べていくために本来の手織りをやっていけないなら、あのラベルは偽装につながるので、新しいラベルを作るべきだろうと思う。hand-wovenから、humanpower-wovenに変えて、85%が流れるという日本の消費者に対する手織りされていると思わせる部分をなくせばよいだけだと思う。
2017年06月06日
地場産業の衰退を考えるときに、林与は日本の麻織物の高級な産地のイメージとして存在をし続けている会社なので、一番典型だと思える。私が先代や母親でもだらしないと叱責するのが口だけで自分が働かずして回るような勘違い。自分が主なら最低限現場の人以上に正しくする気持ちがなければ駄目で、地場産業衰退の一番の要因が正しいものが作れなくなったこと。これば、納期云々とかじゃなく、仕事をする気持ちすらもが希薄になっているのがサラリーマンチックな実力すらもが伴わない便乗主義。

これが共通するのが組織的なところで、自分が仕事しないのに体制だけで搾取構造。それの一番がオーガニックの一番偉そうなところで、その理事長が国際会議でなまった英語聞いていると眠いんですよとか、あなたはやめたほうがいいよといいましたが、だれもほかに受ける者がいなくてだらしなく請けているというオーガニックの世界における最悪の事態。現場はオーガニックを守るために、天候や朝早く起きるが当たり前なのに、10時出社の月曜から金曜がオーガニックを牛耳っては、オーガニックが否定する搾取そのもので、フェアトレードじゃなく、フェアトレードを搾取するだけのオーガニックラベルビジネス。それが日本のオーガニックならつぶれてもよいと思う。

インドのオーガニックはほんとやばいですよといいながら、日本で一番とか世界で一番偉そうなオーガニックの認定もされているという認定殷兼、日本でたぶん一番と歌われているオーガニックの理事長がだらしなさすぎて、面倒だみたいな話ばかりで、逃げてばかりで、本当かう嘘すらわからず、現場で本気な人間に茶々、GOTSの代表の方にいうとすぐに電話をかえされたけど、日本のGOTS事務所はボロボロで高飛車の素人の集まりで取次ぎませんみたいなところから始まる。

GOTS認証を得たものを使っているのだから普通には対応しないといけないのにそれもできていず、ラベルだけにこだわって有名無実では駄目で、オーガニックのものがトラブルが多く、解決する問題も抱えているのも分かっておられず、オーガニックも普通のものも同じとか、認定委員をされているとか理事長を名乗っておられるものがその現場の問題もわからずに理事長されていては駄目と思う。それが日本のオーガニックの現状でさびしいのである。厳しく突き詰める必要がるは日本の国と同じであるがだらしなくえらそうな存在であったりして、自分が認定しているのに怪しいという問題にはそれは不精している企業の問題で自分は関係ないですよ、軽く逃げられる。その理事長には、十分な手当てももらいながら自分はボランティアだとかそんなこといってると思うので、早くやめなさいといいました。オーガニックが怪しいが蔓延してしまいます。自分指針が消費者に対しての信頼とかもなく、勘違いして権威主義で、本当か嘘かも分からないものをラベルつけて販売してしまっている事実は、まさに日本のオーガニックの危機そのもの。そしてまともに信じている理事長以上に腐らずに厳しくものごとを貫いているものを指導すら無理で、こっちがオーガニックやるなら一般の消費者以上にモラルを持ちなさいと説教、自称オーガニックのトップの理事長すらもだらしなく本当か嘘かわからんものまで流れてて放置で営利主義そのもので駄目なんだよ。

オーガニックの素材のトラブルの多さとオーガニックでない安定した素材との違いすらも分からない理事長ってなんなんだと思う。それが日本のオーガニックのラベルだけの本当か嘘かも分からない世界。代償すらも伴わずにオーガニックと謳うと売れるという怪しい世界が広がっているだけというのが怖い。
2017年06月03日
あまりにすることが多すぎて、人手が足りていないので、整経の作業を役員の女の子のお父さんに手伝いに入ってもらって覚えてもらう。この前、北原君と原田さんが来てくれて、クレールに糸を立てて最初の何バンドか巻けたのでその続きを、何バンドかを一緒に作業して、あとは一人で作業をしてもらう。

整経の作業で難しいのがバンドの端を前のバンドの端にぴったりと合わせるところ。私自身が整経をはじめてやったときにその目で合わせる作業がなかなかうまく出来ずに難関ではあった。その合わせるのがうまく出来ないと巻き取りのときに苦戦する。お父さんの一人の作業、心配していたのではあるけども、夜までに問題なく最後までやってもらえて、この作業がバンドが重なったりするトラブルなくできた人は初めてなので作業に慣れておられるのを感じる。

私が最初、整経を教えてもらったのも作業しているのを見て、いきなり実践。織物の作業というのは、1時間の説明を受けてできることを一生の仕事にするようなところがあって、職人さんというのは同じ作業をやっているうちに、考えもせずにできるようになって楽に仕事をできる感じで同じ作業を時間するのが仕事という錯覚に陥り、それ以外の作業はほかの人の作業という感覚になるものである。

私自身はその考え方というのは今の海外の新興国の量産型のものづくりと同じで、それが日本の繊維産業が発展を終えると変わらないままだと衰退のモードに入り抜け出せない原因だと思える。やれる仕事は一杯あっても出来る人が少ないという問題。機場の人が整経を出来れば仕事は回りやすくなることが多いものである。

たとえ1日のことであっても覚える気持ちがあるから覚えられるのだろうと思う。繊維の現場で新しいことを覚える力を持っている人というのは少ないものであり、そういう部分が変われないと、仕事があっても出来る人は少ないという問題に遭遇する。2日間のヘルプで入ってもらったのだが、2つ整経を終えてもらって助かる。

2017年05月24日
ちょっと昔のことで、小学校の頃は、授業で作品つくりなんかがあると金賞か銀賞をもらうことが多かった。才能があるんではなくって、時間の中で精一杯やってみることが多かったから他の人よりも完成度が高かったということだろうと思う。中学、高校のときも、走ったりするのも得意ではないけども、全力を出すのが強く、思いっきり走るので、脈拍が、普通のひとは150回も行かないのに、一分220回とかまで無理をする。一番で走れるけども一番疲れているとか。今も全力タイプであるけど、みんな体力が落ちるときなのに、私の場合、まだまだ無理ができそうで。

布をつくろうとするときに、機械でつくった綺麗なものが売りにくくなっている。新興国で機械依存の量産プリントなんかが綺麗にたくさん出来るようになって、綺麗なものが安く溢れるようになって、細部で違いはあるのだろうけども、日本の限られた時間の中で一回勝負でつくるようなものづくりでは海外で作ったものと変わらなくなって来てしまっている。

煮詰めて煮詰めて完成にたどりつくようなものづくりが日本でも出来なくなってきている。これはお客様から仕事を頼まれるときに、見本の予算も見ないで一回で売れるものをみたいな考えは無理だとおもうし、一方で外部に何かつくろうとして協力を求めても一回の試作が何十万円コースで掛かってしまうと、両方からの板ばさみに合う。

本生産のコスト面でもアパレルの世界では厳しい状況が続いており、プリント関係であるような版代に相当する十万程度の見本作成のコストなども先染織物に対してはプリント以上に手間が掛かるのに捻出できるところは少ない。先染織物がプリントよりも先に消えて行くのはプリントのほうが柄を生み出すのに手間が掛かりにくいからかもしれない。また、デザインも普通のPCがあればそれをプリントに落とし込める。

こういう背景だからこそ、日本らしいものづくりのところを生かして日本の力強い布の世界を復活したいと思うのだ。

2017年05月23日
今日は午後からファンドの監査で産業支援プラザの方が3人お越しで、28年度分の提出した書類などの交付申請のための原本確認。大きな問題もなく済んで、雑談として、今年の案件で技術的な壁にぶつかりかけている打開方法について尋ねる。

染色のオリジナル機材を3Dプリンタで作れないかと考えたが強度の問題とあとコストの面で高くなるということ。最初に思いついた手軽な方法を実現するためには、ステンレスを綺麗に裁断する必要がある。

夕方、インクジェットプリンタの件で東北部工業センターに連絡すると、新しい担当の方が3Dプリンタに詳しかった。3Dプリンタでの製作は断念し、ステンレスを綺麗に裁断する方法を取ることにした。
2017年05月14日
今日は48の誕生日。普段誕生日すらも気にしないが、新しく入ったデザイナーが林与のインスタグラムを私の誕生日から立ち上げるということで、今までの文字ブログのほかに、画像で林与の情報発信ができるのではないのかと期待をしている。

天才バカボンのパパでも41歳の春であのオヤジ風、48歳の林与がもっとおっさんぽくって良いのだろうと思うが、今の40代というのは子供より子供かもしれない。今は小学生の子供たちのほうがけっこう真面目に物事考えてたりするもの。

私自身は、一生現役というスタイルも一つだろうとは思うけども、地場産業的なものが戦後の復興とあいまって戦後の一代が長く続いて継承するも人が変わらなければ考え方を変えないとならない局面で変わることなく、次の世代に自分を譲れないとかは駄目だろうと思うところなのである。

なぜ、昭和の繁栄を期に何代も永続してきた商売や産業の営みが消えて行くのか。

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