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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年10月26日
実際に目の前の仕事に打ち込める人というのは少ないものでそういう人って希少になりつつあると思う。私自身は目の前のことに打ち込めれば幸せだろうなあと思うけども、あれもこれもと追われることが多く、じっくりと打ち込めることは少ない。

やらないと行けないと思っていても、ほかの人がする仕事の準備や後片付けなどで後回しになって、結局、追い込んで2日折り続けたというのがあった。その2日で5kgほど劇痩せした。2年前のイタリアの展示会に行く前も同じように、ほかの人が私が留守中に仕事できるように織機を立ち上げたり準備をして、これも3日ほど食べる時間と寝る時間も惜しんでの準備作業。こんなに追い込まれてではなく、じっくりと仕事できれば幸せだと思う。

よくあるのが出荷時間に追われて仕事するよりも徹夜ででもじっくりと仕事をして、朝、相手先にもっていったほうがよいと思えたり。私の場合には、ほかの人のトラブルを解決したり、難しくてできないこと、失敗すると取り返しのつかない部分が仕事なので、そういうことが完璧とはいわないまでも出来る人がいれば、もっと難しいこともできるだろうにと思うが、普通に仕事をするも難しいが今日の現場。

昔、出機さんが間違わないようにわざわざ新しいビニール袋に分けて袋ごとに、糸の名前、どの織物に使う糸なのかなど、注意して書いておいていても、そのビニール袋を農業かほかの用途に使いたかったみたいで、ビニール袋から糸を全部出してしまって一まとめ、糸を小分けして色番号を書いたビニール袋が消えてしまって適当に織ってしまっているとか。失敗も多く危ないから注意して注意して用意してあげてもどんどんとずさんなことやってしまわれる。

何十年の経験者でもその程度であることが多く私自身は経験の長さは意味がないと思えたりする。経験の長い人というのは出来ることでも面倒がってやらないことも多く、素人未満の仕事しかできないことが多いのもよく経験することで、日本の国が新興国にものづくりで負けてしまうのも、経験があるとかのおごりでいつの間にか抜かれてしまっているというだけのことだろう。
2017年10月23日
麻というものは昔は全国で織られていたものだが、よく、琵琶湖の湿気が要因の一つに挙げられるものの、なぜ、湖東産地では麻なのかという問題があろうとおもう。彦根藩が麻織物を奨励したことや、冬場に雪に包まれる農村であったことがあるだろう。また、機屋というのは母屋が親戚を束ね、集落規模の産業としていたのが、明治大正の時代でそれが戦前まで続いた。

近江湖東産地というのは、農村が主体で、神仏信仰が非常にあって、先祖代々の祭られている仏壇を守るという思いが強く、丁稚奉公にしても、次男、三男が、外に出て母屋を守るために仕事に励むのが正しい人生観としてあった。私の住んでいる東円堂という集落も他の集落と比べると高齢化は進んでいるもののまだまだ勢いがあってその傾向があるように思う。

和装が衰退して和装に残るでなく、昭和50年頃から広幅の織物に転換をうまくしたのが近江湖東産地であったことが、他の麻の産地をリードしていたといえる。林与は昭和50年の初頭に、麻が織れるか織れないか分からないもの産地では一番にレピア織機を導入し無事に織る事ができ、他の会社さんも導入が進んで、1970年代の麻ブームにつながった。近江湖東産地が今も日本の麻織物の代表的な産地として名前が残っているのも、それがあったからで、もし、和装に留まっていたとしたなら麻織物の主産地は他に移っていただろうと思う。

今は、日本の麻織物の主産地として名は残るものの、近江湖東産地で織られる近江麻布は出会うことも難しいものとなってしまっている。逆に小幅織物で残られた小千谷の産地のほうが麻を織るということでは元気かもしれない。
2017年10月17日
海のイベントで、インクジェットプリントしたTシャツの前処理剤が適切でなく、やけど被害があったとネットでみました。そのTシャツも、2年目で、1年目は同じ業者がつくって問題が無かったとのこと。京都の名の知れた薬品会社さんの仕事だったそうですが、新しい前処理剤を使ったとか。

新しい薬剤をつかったりすると怖いのがこれ、たぶん自社製の新しい前処理剤なのだろうか、責任を認められているも、案外起こりがちな事故であろう。薬剤メーカーさんというのは、新しい薬剤を作ったはよいけど、プリントテスト程度で、実際の人体への影響などテストせず、世の中に流す傾向があったりする。

新しい加工などには新しい薬剤が使われたり、組み合わせが変わったり、今回のは、体に直接影響が及ぶような事故だが、体に影響が見えない程度のことも起こりえることはあるだろう。そういうのが新しい加工を飛び歩くときにいつかはあったってしまうこともありがちなこと。薬品メーカーでも分からないことが多い薬剤の世界、ある程度安定した定番の実績のある加工方法を林与が提唱するのも安全性の面では大きなブレがないと思うから。
2017年10月16日
私が作った麻糸は世界際最細番手じゃないかと思うくらい本当に細い。フラックスの単細胞繊維だと思う縦に伸びた一本を寄り合わせた麻番手で1000番手を超える糸、同様にラミーでも同じくらいの細い糸を作った。リネンもラミーも見極めがつきにくいほどに違いが無い。どこかにおいてしまうと目に見えないだけでなく、手に持っても空中を漂っているから。

リネンやラミーの繊維一本を繊維に繋いで糸にしたのは私が初めてではないかもしれないが、驚くべきはそれを織機の縦糸のうちの1本として繋いだら、織機がちゃんと動いたこと。そこが麻のすごいところで、シルクだと蚕の糸一本では織るのは難しいと思える。現状では私はやったが生糸は駄目だった。でもそれをシルクの世界のプロの方に相談したりして、成し遂げたいと思っているのが私。カシミヤも世界際細番手の織にに挑戦したいと思っている。

誰もやらないかもミクロンの世界を経験して(それもそんなに難しくないミクロンだと目に見えるのが今の私ごときの糸の素人クラスの技術で研究段階では到達できる、日本繊維のプロの研究とすればその先のナノの世界が必要で、航空関係では日本の技術としてそのレベル)、麻の世界最細番手の糸のすごさを感じる。それをハンカチ程度なら縦密度インチ300本X横密度200本くらいなら、手織りできるのではないかと思うのが、私の考えで、昔の人ならやってただろうと思う。私も状況が落ち着いたなら、本業とは別に趣味の範囲で挑戦をしたい。この文章を読まれて、勢いのあるかたなら私よりも先に挑戦をしてもらって、アマの最細番手とされる660番手を軽く超えていただきたい。

私が自分の手の中で見たものは、麻の究極の細番手の世界。ある展示会で、リネンの140番手を展示していると、ハンカチの会社では針の穴をスッと通る糸があるという話だが、1940年の手織りのリネンでは当たり前。本当に細い麻糸というのは目にも見えなく手にもてば天女の羽衣のごとく空中を当たり前に漂うから怖い話のが分かる。見えないものを無理やり見つけて持って、親指と人差し指でぎゅっと捕まえても逃げるように空中に漂う。人は浮き上がらなくても布は天に舞うように浮き上がっていたというのもありうるんじゃないのかと、天女伝説を読んで思う。たぶん、天女伝説は質量の重い麻ではなく、蚕の糸一本を織る技術が古代にはあったのだろうと思う。そのクラスなら絹の布が天に舞うのも不思議ない。

科学では解明できるのだろうけど、まだ、解明されていない神いるような世界が現実だったって、昔だったらありえたのかもしれないと思う。今の科学での子供だましな手品では神を語るには失礼すぎるだろうと思う。人が神のような力を持っていた昔、祖先が神的な存在だったのも現代につくれないようなものを祖先たちが自分を犠牲にしてつくっていたから、それを化学で騙してはちょっと違いすぎるのじゃあないかと思う。

古代麻布の再現に、大麻の名乗りを上げて、水溶性ビニロン混の意図を使うのが適切なのか思うと現代の最先端あるいは普通の化学技術で悲しく思うほど。誰がそういう路線を主導してしまったのか。覚悟決めて地道に守るべきが麻の道じゃないのかと思う。70過ぎるその麻布研究家のかたも、スポンサーのサポートがなければ辞めるという話。そこまでやって消費者に商品買ってもらってスポンサーがいなくなったら辞めとかは駄目というのがその方の肩書きを信じて買われた消費者の立場を守りたい私の役目。神とか持ち出すなよ。

日本で手広くやられているオーガニックコットンの協会の理事長も70過ぎているが同じように自分自身はオーガニックコットンじゃないものがオーガニックコットンとして売られてもそれをやった企業の責任で自分とは関係ないとまったく責任を感じる覚悟もない、手績みしている人やオーガニックコットンを栽培している人以上に人生の覚悟決めていないと70歳超えていようが実際に覚悟決めてやっている人から見ればトップですらもヘナタレそのもので駄目。実際話してみるとトップですら責任から逃げるだけの自分は責任ないと逃げるサラリーマン以下、高齢だからもう引退したいという理由も騙す理由にはならないし意味分からん。謳いが、百貨店でものを買う消費者の信じるものとは別の世界。私は専門家や認定するだけの商売の素人だから、現場では業者が騙しているだけみたいな逃げ口は通用もしない。

名誉欲、金欲の材料として、オーガニックとか、神が持ち出されるのは筋違いだろうと思う。あるオーガニックコットンの人たちは本当に心が優しく、大手のオーガニックコットンの理事長の権威主義とは待ったく異なる。そういう気持ちがあってオーガニックコットンを扱うべきだと思うのだが、電話でも、科学的に安全というだけにしてほしい、エシックスとかフェアトレードとかは面倒で嫌だといわれていた。人々を救うためと信じて高いお金払って買う消費者としたら厳しすぎないか。
2017年10月15日
私が思うのが、私の周りで新しいことを出来る方が3人いてくださって、その方々というのは、織機や装置から自分で考案してつくる力を持っておられ、一日中仕事みたいに動いておられる。みんな70歳を超えておられて実力主義の中で生きておられる方々、一人は2年前に引退された機屋さんで、最後一人で綺麗に片付けて終わられ、もう一人は大手の家電メーカーの開発の方で織機をリストアされることを楽しみに貢献されそれも今難しくなりつつあるということ。もう一人が蒸器を手伝ってもらった大手で開発をされている方、その3方というのは人としての奥行きの深さが半端ない。なかなか出会えない方々。

業界を引っ張ってゆくような力をもたれていて人間としての余力が半端じゃない。そういういろんな人の問題を解決できるような方々の次があるのかというとこれからそういう甲斐性のある方があるのかというと難しいかもと思う。私もいろんな相談を受けるけどもなかなかできていないことで手一杯になってしまって自分の普通のことでもできないことが多いから。

私自身、いろんなことに追われていながらも、ものごとを前に進めてゆこうと気力があるのが救いだろうと思う。ものごとをどんどんと前に進めてゆける人って、私的には気持ちのよいタイプであり、私自身もそうありたいと思う。こんなことやりたいと夢をもっているひとでも自分が前に進めないで、実際にやってみて結果悪くてもやらないで夢のままよりはましだろうし、今のタイミング、実際やってみると現実と直面することが多いもの。

手の込んだすごいことをやろうとしても、その毎回の作業が忍耐だったりして、頭で考えるのと実際に自分で実行すると夢から覚めることも多い。何か手に入れたいものがあって、夢見ているときが一番幸せで、手に入れたら最初だけで使いもしないことも多い。自分が動かないといけない部分が伴わないと最終のゴールにはたどり着かないのだろうと思う。他の人に私がするアドバイスは、自分の出来る範囲でとりあえず前向きに動いてみること。他の人に動いてもらうのではなくて、自分が一番動くということが大事で、自分の手や体使って経験してみること。いろんなことが見えてくる。
2017年10月14日
普段織機などを使っているので思うのだが、自動って人の能力がとことん落ちるので、自分のせいじゃなくて機械のせいにしてしまうことになるんじゃないだろうか。そうなってよいんだろうかと思う。性能がすごいという自動ブレーキがあって動画みてると時速45kmで走って、横から出てくる人を検知して止まる。が、みていると相当の急ブレーキになってしまっていて、後ろで走っている車からすれば追突する可能性すらある。もちろん後ろの車も十分な車間距離は必要だが。また、もう2m近くで人が出てきた場合には完全にヒットしている。結論から言えば45kmで走ってはいけない状況で走り、また、ちゃんと止まれるように計算して人形の模型が飛び出しプロモーション動画が出来上がっているだけのこと。自動車のような命の関わるもので自動運転というものを過信するのは時期尚早すぎるだろう。
自動運転でも手を離して運転するようなことが想定でデフォルトになっているけども、今の日本の運転マナーとは逆行するような流れ。

日産自動車やコベルコの話もあったが、働く時間が短くなると完璧なものは作り上げにくくなり、日本で作るのは難しくなるという結論。家電メーカーは国内の電化製品の製造からは撤退してゆく流れになるだろう。繊維でも外部の検査機関に検査を出すので再検査になって再加工や最悪最初から作り直しなどでその仕事だけじゃなく、他の仕事もできなくなり大変で困っていることも多い。ほかの大きな仕事を元気にやっておられる風にみえるテキスタイルメーカーさんは検査の数値がまず通ること無いので数字を書き換えて出すという話もしておられた。
2017年10月13日
私自身、麻織物をやっていてなぜこのような技術が発達したのだろうと不思議に思うことが多かった。特に古代の織物のほうが精密に織られているとか、筬も今のほうが精密なものができるはずなのにどうして?と思っていたけども。古代の日本の技術水準の高さは現代以上なのかも知れないと思い始めた。身の回りのもので生活できる力、自分で自分の服もつくれる力など、現代だとプロを超えた作業を人々は当たり前にこなしてきた。

日本人にありがちなのが日本の織物のルーツを探るときに日本人がすべて生み出してきたような錯覚があるけども、1万年前までは地球が氷河期のアイスボール状態で日本列島は氷に覆われていて人が住めるような状況ではなかった。1万年前に氷が溶け出して日本列島に中国の南のほうから来たのが日本の縄文人の始まりで、弥生時代というのは徐福という人物が生み出したと考えるのが無理のない日本の織物の歴史を解明する説ではないのかと思える。

日本の昔の織物はどうこうと探すよりも、天然繊維に関しては、徐福が持ち込んだ中国の織物の技術が今の織物に発展してきたと考えるのが一番で、縄文時代の日本の人口は6000人程度といわれていたときに、徐福一行は童男童女3000人、中国最高の技術者500人という規模。その技術者たちが童男童女3000人を八丈島で教育した。それが七夕伝説という説。古代の神の持つ日本刀にしてもたらら製鉄のような技法で作られていたと考えられるが、そのような技術は徐福一行の技術者がよい鉱源を見つけ日本で応用したものではないだろうか。ヤマタオロチ伝説も、ヤマタノオロチというのは悪い奴を蛇に例えたのだろう、まさに今の農家つながる年貢制度の始まりで、当時の様子が伺える。鬼が島の洞窟も渡来の悪い奴がいて桃太郎がそれを成敗したというあたり実話だろうけど大蛇伝説と被るところが多い。秦氏というのは、秦の国の人々ということあろうし、機という言葉とも関係している。

古代の麻というと大麻だみたいな人がいるけども、昔は青苧、赤苧のほかもっといろんな植物から繊維をとって服にしていた。麻という言葉が日本で生まれたわけでもなく、少なくとも徐福が日本に来ていたのが事実なら、インドと中国の繊維の最先端の技術が日本に持ち込まれたことになる。皇族行事で稲を植えたり機織をするなども徐福が五穀を持ち込みそれを、日本中に指導者として広めたのと被ってくる。

日本の古代の麻織物は大麻だなんて決めつけはどうかなあと思う。渡来人が持ち込んできた織物技術が日本の織物のベースとなって始まって、その後の発展もあっただろうけど、そういうのを受け入れるべきだろうと思うのだが…。商品として出てしまったら軌道修正も難しくなってしまうので、その後は柔軟な対応もできなくなる。大麻栽培の件でも、飛びつきはよいけど、食べてゆこうとするとそれをお金にしないといけないし、現実考えれば成り立ち難いケースで副業でやるのがよいと思う。それだと大麻栽培免許は下りないだろうけど。まともな大麻栽培で日本で食べて行くのって厳しいから人が食べてゆかないといけなくなると、結局、海外の大麻吸引ビジネスのような展開になるオチだろう。麻を地道にやってるものからすると結局悪い流れにしかみえない。神社関係の理由を正当な理由として大麻合法化で大麻ビジネスというのが政治的な動きだろう。海外と同じような大麻ビジネス展開目指しているだけのことで、それにはわたしは反対の立場。繊維の話とかは正当化の単なる隠れ蓑で騙されたでは遅い。
2017年10月12日
仕事で思うのが技術じゃない部分が大事じゃないのかと思う。同じ環境で上手にできるひとと出来ない人の差があったりするけど、上手な人というのは出来て当たり前と物事を考えているが、出来ない人は出来ない理由を探す。いろんな企画を考えたとしても、企画自体よりも誰がそれをやるかで、成功するかしないかが決まる気がする。

はらっぱさんという会津木綿の会社があるが、小幅の織機で横は単丁杼の小幅の織物。ストライプ柄などが特徴だが、昔ながらの出来ることの限られている設備で自分のスタイルを作り上げて元気にしておられるのは見習うところが多い。しっかりと自分のやっておられることに価値観を持っておられ、いろんな気遣いもできるかたが運営をされているので、色や柄にもセンスを感じる。ありがちな、うぬぼれがちな職人の世界に陥ることもない。でも支えるすごい苦労がある気がする。

技術よりも支える苦労が大事なんだわなあと思う。もちろん昔ながらの織機をメンテする技術は相当なものだけども、それ以上にそこで働く人を支える苦労を誰かがしてそういう織物が残り続けているのだと思う。学んだだけでは技術継承なんて無理で、自分は他の仕事をしてでもそれを支えるような気持ちがなければ、難しいだろう。自分の好き嫌いで残れるようなものではなく、他人のために働く覚悟のある人がいないと、技術を持った職人にしても残っていけないと思う。

そういう力はビデオで技術学べば修得できるとか、勉強して修得するものじゃなくて、人の部分。
2017年10月11日
仕事があるのかないのかは自分が仕事するかしないかだけのことで、あったとしてもやらないと仕事をとることもできない状態になる。できない仕事よりもやらない仕事のほうが多いのが、日本の繊維の現場。旧の共産主義国の仕事しない現場のイメージに落ちながらも、日本だから高度なものづくりができないとという妄想から始まる勘違い。基本の仕事もできないというかやらないままに、意識高い系の先進国では旧来の産業というのはほかにあこがれ手も動かなくなり落ちてゆくことが多い。考え方次第では日本の繊維にもチャンスは多いのだけど、手も体も動かさないと目の前の簡単なことも進まず、食べてゆくことも難しいのが先進国というタイタニック。

日本人というのは目の前の損得にとらわれないみんなを幸せにするような深さがあって、それを実践して成功してきたのに、教育が普及すると逆に自分本位になって分かち合うという気持ちすらもなくなり、同じお金をもらうなら仕事すればそんみたいなタイプの人が多くなりすぎで、もうすでに仕事量を増やすでなく、仕事もない状況で、仕事しないで自分のペースで好きなことだけやって、難しいことは逃げながら養ってもらうタイプが増えすぎた。

今も選挙だけど、選挙の時にはよいことをならべて何でもやりますで、当選すると私利私欲にというか、選挙に出ること自体私利私欲で、仕事やらないタイプが増えすぎた。どの候補も働かずして選挙活動で大丈夫なのが不思議?その日暮らしのアルバイトの人のほうが選挙に出てる人たちよりも自分で働いているだけまともなのかもしれない。選挙にでている人も、就職活動みたいなもので学生と同じ。できますやりますで、何で解散なのという話。結局、選挙して選んで権限を与えてもやらないのだから何の意味もない。解散しても株式市場は好調で何の影響もないということは、存在そのものからして無意味で、選挙しても変わらないということ。法案なんて議論したところで運用しだいで180度方向は変わる。法律なんてあってもすべて力によるさじ加減で、力を持つものだけが排他てきに特権を享受し潤うような法治国家としても末期症状。

国難に陥るのも当たり前で、責任感のあるまともな人ほど抱え込むことが大きくなりすぎ、そろそろ歯止めが利かないと難しい。GDPの数値も2%だろうが5%だろうが、年金バブルに支えられた数値改善で、実質的な成長ではなくなってしまっている。何十兆も株式市場に資金を流しても2%程度の成長も難しいほどに、日本で物事を成り立たせるのは難しくなってきている。国会議員にならなくてもまじめに働いて生み出してしまった国難を身を入れ替えて支えてゆくことは簡単だろうが、国難は仕事もせずに身を入れ替えることもなく、だらしなく生み出されてゆき続けるのが問題。

自分が生み出さねば、朝三暮四か朝四暮三の選択しか、よくてもなかろう。
2017年10月10日
今日は蒸器の試運転。装置の上に乗せる木箱をつくる作業からで、コメリでコンパネを買って大きな長方形の箱を作る。心配していたのが、蒸気が十分に発生するのかという点と、発生した蒸気が箱から漏れないかどうかという点。100度で10分から15分蒸して反応染料を反応させる必要がある。

箱もいい感じで出来上がってから、スイッチをいれる。10分ほどで蒸気がかなり出始め、箱を設置して蓋を載せる。しばらくして箱を空けると蒸気が漏れ、やけどしそうなくらいに熱々で、外への熱の漏れもほとんどなく、中だけが蒸気で強烈に充満している一番理想的な状態。中も蒸気が水滴化して結露しているということもないので、水が垂れて捺染した部分がにじんだりもすることはないだろう。

1年目からの最初の構想で、こんなものができればよいなあと頭の中に描いていたがそのままのものが出来上がって機能する。最初の1年目は染の技法の確立からで、自分で木とステンレスのピンを買って捺染台をつくった、また、蒸器も鍋を改良してつくった。そんな手製の機材の中からいい感じに絣のストールが10柄生まれた。2年目幅の広いものを織るため機材を大型化するにあたり、捺染台もパーツの加工をプロに頼んで、蒸し器も信頼できるプロのアドバイスをもらった。これもまた偶然にアドバスをもらえる流れになって不思議といえば不思議で、恵まれているなあと思う。

2年目の今年はワンピース用の生地ということで、幅もより広く、長さもより長くつくる必要があるので、今日の機材の完成が到達できるのかできないのか心配をしていた。これから実際の捺染と織りに入る。楽しみである。

2017年10月09日
今日はミルツルさんのご夫妻がお越しくださった。今年は春から生産が糸が織れないトラブルで大ピンチに陥ってしまってて、ようやく落ち着いてきたのでお会いできるタイミングとなった。春には、お子さまも生まれられて、会社化されご主人も携わっておられる形。

生地や洋服の世界で自立して業を成り立たせて食べてゆくことというのは本当に難しいことだなあと自分自身でも感じているので、ミルツルさんもいろんな大変を乗り越えられ作品作って立っておられるのはすごいなあと思う。アトリエも自分で内装をされたということで、やはりそういうくらいでないとデザインの仕事というのは人任せになりすぎると逆にお客さんで終わってしまう。

今日は、本麻の手揉みの生地でつくったワンピースを着てこられたが、生地でみていたときには青いなあと思っていたが、洋服になると黒が勝った落ち着いた感じで、百貨店にもなかなか売っていないような高級感が出ていて、林与のデザイナーの子も驚いていた。夕方まで、ゆっくりと倉庫の生地などをご覧いただいて、昨日の運動会で全身疲労からも回復し、夜は織機を立ち上げるところから仕事を始める。
2017年10月08日
今日は東円堂の運動会。とくに私の区は高齢化が進みすぎて大人の男の中では私が若手の一人だとされている。昨来年の体育委員が回ってくるという話で、私にとっては2度目、体育委員の仕事自体はそれほどのこともないが、毎週毎週会議したりするのが時間的に厳しい。1回目の時は町の体育委員も兼ねていたので不透明な部分がありややこしかったが、今は字の行事だけになりややこしくない。

隣のおっちゃんがいろいろと昔のことなどをしっておられるので、この前読んだ東円堂史の不明な点など教えてもらった。昭和の中ごろに改修される前のアンコ川というのは今よりも小さな川だったようだ。流れもそれほどなく、水が溜まっていた感じの川だったそう。もうそういうのをしる人もいなくなる。結局は愛知川も改修されて、あんこ川が昔の愛知川の名残として残っていたということだろうか。東円堂の家々が石垣をつくって道路よりも50cm以上はかさ上げして家が立っているのも何百年前にはよく水がついていたのだろう。でも、そういう場所でないと水利というのは難しく、農業が発達しやすい場所ではあったに違いない。

夜、平和堂に買い物に行くと、昔勤めていただいていた親戚の方と出会い、昔の林与の近江本麻上布の製造工程についていくつかの疑問点を尋ねた。いくらか新しいアイデアも浮かんできた。昔の設備などは残っているけども今は人がいないので、最悪は一人でもすべてをこなせるような工程を生み出したいと考えている。発展させないで古来のものを守るも大事だろうし、一方で発展させてゆくことも大事だろうと思う。
2017年10月07日
この仕事に入って感じたのが不自由さだったりするところ。何をやろうとしても偉そうな人がいて自由に動けないところ。すでにやっているものが食べても行けないのにそれに従ってやっていかないといけないとかで、フレームが成り立っている。そういうことをやっていると新しいものをそとの素人の人に作られて越されていってしまうとかでプロとしても厳しいところ。できないにぶつかったときにそれを自分で超えて行くかどうかでその後の仕事の深さも決まってしまう。後で超えられるようになるということはなく、目の前のことを越えないならその目の前の越えないところがその人にとっての壁であり続ける。
2017年10月06日
連日の雨、秋雨という類なのだろうけども、肌寒さも伴う。うれしいことが一つあって、今のプロジェクトで使う蒸し器が完成をした。どうやって蒸すべきかを思案していただけに、出来上がった蒸し器が届くのが楽しみ。織りの技法だけでなく、蒸し器もそれに合わせて、考案したほうがあとの本生産も含めて可能性が見極められる。本格的なものなので今までのものと違って試作も安定して出来るようになると思う。

初年度は、染色の技法からの考案で、すでにあるものを活用して組み立てて道具としたが、今年度は、捺染台と蒸し器を本格化して、捺染幅も織り幅に合わせて自由に後で組み変えられるように工夫してある。林与の中にあるシャトル織機と連携ができるように捺染サイズなども合わせて作った。昭和の型紙などが手元に残っていたりするのでそれをデータとして活用するのがよいと考えている。また、直接それを使うことができないかとも考えているが、渋紙に紗などもカシューで貼ってあるものなので、できれば昭和の型紙はよい状態のまま残しておきたい。

織物の世界で人々に感動を与えるような布を自分の手で生み出せないかと思う。林与の近江上布のアーカイブは、量と質的に、今まで見た中で一番すごいと思ってもらえる方が多いものであるのだけども、その世界を自分の手で作れればと思うだけでなく、過去と同じものを作ってもそれは使うことの難しい幅の狭い生地なので、アパレルの1点もの向けにでも、一つ一つ作り上げて欲しい方に買った貰うようなものにしたいと考えている。作品としての布かもしれないが、自分が作ろうと求めて作る世界で、過去の林与のものづくりの蓄積の上にある点もオリジナリティがあろうかと思う。



2017年10月05日
今日はオス猫の去勢手術のために朝オス猫を動物病院に連れてゆく。メス猫の手術よりもオス猫の手術のほうが簡単なようで、手術後帰ってきたオス猫のほうは、手術を受けた気配もなく、元気そうでなにより。

雨が続いていて、外と中の出入りがうっとうしい。今日は工場では、朝から職人さんに、先日手に入れた中古の材料で、高密度向けの本数の多い機を作り始めてもらう。タペットにしようと思ったが、あまりに本数が多いので、タペットだと4本しかソウコウ枠がないので、かざりが混みすぎて無理と判断。ドビー用に機を8枚で作る。織ってみて織るのが難しそうなら機をバラシテ2台の機にすればよいだろう。



2017年10月04日
中古の織機に限らず、シャトルというのはもう日本で1社しか生産していないという状況で、シャトルを作ろうとすると何十個かをオーダーメイドするような形になる。1個が1万円ほどするので何十万円かの出費を覚悟しないといけないのだ。ある機場でシャトルが少ないので機料屋さんから預かったシャトルが使えるかどうかを試に行く。2種類のうち長さの短いほうが使えそうでよかった。

縦糸を繋いでおられる途中だったので経て繋ぎの早くする方法を覚えてもらう。経てつなぎも基本の技術の一つではあるけども、1時間に400本程度繋げるようになるためには、コツが必要で、それができると機械で繋ぐ半分くらいのスピードにはなるし、この1時間400本というのは、10秒に一本程度で、早く繋ごうと常に思っていれば、ほとんどの人が達成できるスピードではある。でも気持ちがないと難しい。私は無理だけども早い人だと1時間500本以上も繋げる。

スピードに慣れないままの人だと、慣れないままの仕事が続くので仕事が苦痛で仕方ないように思える。1時間400本となると慣れて意識をせずに手が動くスピード。理屈を覚えるのではなく、作業するときに早く仕事するということを常に頭に置きながら多くの仕事をこなしてゆくことで、仕事の生産性は上がり、より高度なことにも挑戦をできる時間の余裕も器用さも生まれる。

午後からは、お客様で能登側駅にお昼過ぎに迎えに行く。
2017年10月03日
今日は、デザイナーの女の子が飼っているメス猫の避妊手術に朝から動物病院に向かう。なぜか、保険も効かないのに費用は2万円まででそれほど高くない。たくさん人も居られて、どうやって運営されているのかが不思議なくらいに治療費が安い。たぶん、先生もスタッフも猫か犬が化けているとか。

飼い主の居ない保護された兄妹の2匹の猫を貰ってきたので、同じように保護される捨て猫が出ないようにも避妊去勢手術は必須。元気にしているのに手術してしまうのはかわいそうな気もするが仕方のないことだろう。野良猫というのも昔ほどもみないけども、人が昔以上に敏感になっているので野良猫を許せないような状況なのだろう。

猫にも猫肝炎や猫エイズのような病気があるようで、人には移らないけども、他の猫から移ったり、他の猫に移ったりするので、予防接種も必要とかで、野良猫も昔のようには、存在ができない状況のようである。猫というのは家の中で飼い、外に出さないようになってしまったのもそのあたりも理由だろうし、昔だと猫が自由にフンを出来たが、飼い猫が勝手に他所の家の敷地や街角にフンをしてしまうようなことも今は許されない。

動物病院でも、暴れる犬はほとんどおらず、人間のように大人しい犬や猫がほとんどで、病院のようななれない他の犬や猫がいる環境でも落ち着いていられるなんて人間以上に理性があるような気もする。
2017年10月01日
今日は図書館に立ち寄るついでがあって、まえまえから読みたいなあと思っていた東円堂の歴史という本を借りて読んでみた。お寺の和尚さんが編集長として書かれており、あまり、住人からは昔の記録などは集まらなかったようで、一番歴史に詳しいのが和尚さんで、読んでみてなるほどなあと思うところも多かった。

織物に関しては、平成2年では、私が織物に携わった頃で、もう、ほとんど手織りされていた方がなくなられて、記憶からも消えてしまっているのだろう、ほとんど書かれていない。新巻のほうで、手織りされていた方の話があって林与の仕事も受けて織っていたということが書いてあった。簡単なものだと、1日に1反を織ったと書いてあるが、それが昔の織りのスピードだろうと思う。

今の時代の何千本もある麻の織物のほうが1時間に1メートルとかなので、手織りよりも技術も必要で手間が掛かっていることも多い。難しいものは手織りでやったほうが簡単なのである。林与が今、取り組んでいる広幅絣織物も半手織りで織る。広幅なので狭幅の何倍も手間だが、ほとんど糸も切れることもなく、何時間も心地よく作業が続けられるのは手織りのメリット。
2017年09月30日
今日はなぜか焦っておられる電話が入ってカウンターが欲しいといわれるが目的が不明瞭で動くべきか動かざるべきに思うところ。結構、カウンターだけ取って他の会社の開発の参考見本に使ったりとどうしようもないタイプも多いから、そのあたりがお客さんが開発費用も掛けない競争相手であることも多く、繊維業界の難しいところ。自分で開発することもせず、パクルのが仕事なのに落ちてしまいすぎている繊維業界。でも、そういうところほど元気に大きな商売をされていたりして強かとしか言いようが無い。

以前も、他の方で、サンプルを渡すときには、こちらが一番心配しているのが2万円あたりまでの上代の洋服を販売されているので生地のお値段大丈夫ですかといっても、他で費用を薄めるから慣らせばこれもあれも大丈夫と20点以上サンプルを貸して欲しいと持っていかれて、結局、値段が無理だからという話で一つも決まらないとか。ネタ切れでネタ探しに、弊社にこられたのだろうがそういうスタイルの会社さんで、何十年も仕事されている方がそんな感じじゃ、若い子達も同じような感覚で機屋を漁ってしまうだろう。何十点も漁ってしまわれるのに、一つのマークも決められず。オリジナルはできませんかというお話で話が変わるとか、つくったらつくったで今度は見本だけで買わないとかも想像がついてしまって。

今は本当にそういうタイプのブランドさんが多く、国内の機屋は便利屋でしかすぎない。でも、わかるのは、百貨店でも店頭の上代が2万円程度のものが数量が流れる限界、そこからは数量がガクンと落ちる。そういう現実もしって仕事をしていないと自分の仕事を過大評価してうぬぼれだけで終わってしまう。問屋さんが昔と違って高い生地を売れない状況も良く分かり、昔と同じ感覚で生地を作り続けていたとしたら、ギャップは大きくなるばかり。昔以上に仕事に身を入れてやっていかないと何十年の経験であろうが昔ながらの仕事のペースで食べて行くのは難しいだろう。

お客さんは小さな仕事を求められ、下請けさんは大きな仕事が欲しい状況。下請け企業さんも小回りが利くと仕事はいろいろと拾えるのだが、下請け企業さんで見本を作るので食べて行けるところはないだろうし、小ロット生産も同じく人を抱えている会社さんでは難しい。人が多くなると小ロット生産が難しくなるというのもパラドックスに思えるけど分業体制の生産システムというのは大量生産型であることから。
2017年09月21日
麻糸には向きがあって、紡績を始めた側が頭で紡績の終わり側がお尻になるように、糸を扱うと一番織りやすい。厳密にはそこまで神経質にならなくてもよいのだが、織り難い織物を織ったり、毛羽や毛玉の問題を少しでも解決しようとすると、糸を扱うときに、向きまで気にすることになる。

一本糊付けで上がってきたいとは正しい方向で出てくるので、その糸を普通に糸を分割すると、糸の向きが逆方向で整経をすることになるので、今回は、一度、分割した糸をもう一度逆に巻き返してから、整経に使う。

ここまで神経質になる必要はほとんどないのだが、小幅の本麻の着尺なので1反のキズを最小限に抑えるためにも、糸の向きに注意を払いながら作業する。
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