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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2017年05月13日
東京の月島のセコリ壮を運営する宮浦さんが、PTJで、弊社ブースにお越しくださり、新しく立ち上げられた産地の学校のプロジェクトを林与にも伝えてほしいとおはなしくださった。

電話でお話をお聞きすると、もう25人以上も生徒さんが集まられたと言うこと。情報発信を目指しておられる方は多く、一方で、産地にはいってバリバリと自分が作っていきたい人は逆に少ないと聞く。

そういうライター志望の方々にも、職域なんて考えずに両方やってほしいがと思うのである。その辺りも産地が抱える問題と共通する要素だったりする。デザインや企画志望の方は多いけどもものをつくる部分を受けられる人が少ない。

きっと実際の作業すればものづくりの何が価値がるのかがみえてくるはず。そういうのに付いて行けない人も理想だけでなく現実というものを知ってみて、どこが大変なのか分かるだろう。センスとか技術よりも、人が真面目に打ち込んで仕事して食べて行けるレベルになるという地味な部分こそ、なかなか出来ないことで、産地が消え行くことにつながっているのだろうと思う。
2017年05月12日
最近は、体重が増えない。高校生から大学のときくらいまでは63kgという体重で、80くらいまで行って、今は、68kg程度か。

私の場合に、2日3日で、仕事し続けることで、4kg、5kgの減量をすることがある。一日食べないで仕事すると、体重が2kgとか見事に減っている。1年半前のミラノウニカの時には、仕事に追われて食べる時間もなく、イタリアに着いたときにはやせ細っていてみんなに心配してもらった。

主に水分が体から出て行くのだろうと思う。水を飲むときには、1日5Lから10L飲むこともあったり、結構、毎日体力も使っている。

昔、私が20代のときに、40代の方が天下一品のラーメンが濃くって食べられないといってられたけど、50手前でまだまだ天下一品のこってりラーメンもおいしいし、食べたら食べたでその分動くから大丈夫。ココイチのカレーは、いつも10辛だし。

10年前には、気合で130kgのビームを一人で肩に担いだこともあったが、それは今は無理だろうが、100kgくらいなら今も普通に肩に担ぎ上げてで運ぶ。

視力も、細番手の黒い麻糸の縦糸を織るのは至難の業なのだが、まだ今も普通に黒い細い麻糸をめがねも掛けずに織ることができる。林与に50で老眼の洗礼があるのかどうか。ノートパソコンなんてもっと字が小さくて情報量が多いと助かると常に思っている。

1日3時間程度の睡眠でも、疲れるまで仕事して熟睡というモードなら毎日でも大丈夫。いろいろと普通と違うところがあって、今も20代の人以上に体力もあって、この仕事だけでなく、一般的にどんな仕事にでも向いているのだろうと思う。
2017年05月10日
今日はプレミアムテキスタイルジャパン2日目、最終日。今日の繊研新聞の2018PTJの注目素材の10のうちの一つに林与の近江上布絣の広幅プロジェクトの素材が取り上げてもらえた。自分たちのやっていることが日本のテキスタイル業界に向けて情報発信が出来ることはありがたく、恵まれていることの一つである。先日も業界紙に大きく取り上げたもらった。それは別のプロジェクトなのだが、できるかできないかわからないことに対して、外に出るだけでも100万円くらいの持ち出しから始まるプロジェクトで、内部でも半年掛けて3回織りなおして完成したもの。

小さなことにはこだわらず、自分の時間とお金を使い、失敗したときには大きな損だけが残る覚悟がないとできないプロジェクト。普通はそういうの一緒にできるような人などほとんどいないと思う。また、そういう特別な生地というのは、つくるのに時間が掛かるので、糸を手に入れてから何百メートルが1年掛かって織り上げるとかもありうる。出来たら教えてほしいというお客様が待ってくださっている状態で納期とかは約束もできないような仕事なのである。出来上がった生地をみて、真似して作るというようなことよりも、自分自身が試行錯誤で生み出したという辺りが作り手としては一番大事なところ。

ブースに立っているデザイナーから連絡があって、昨日もお客様が続いていたけども今日はもっと多いという話。みなさんお越しくださりありがとうございます。顔を見に来てくださった方も多いでしょうけども、会社で林与志雄は今回の展示会は留守番していますのでまた連絡くださいね。6月中ごろまでは仕事が手一杯で、落ち着くのは6月後半から。

デザイナーが学生時代にいいなあと思っていたブランドの方々が生地を探しに林与に来てくださったということで、一般のお客さんとは違った立場でそういうあこがれていたブランドの方々とも接点を持っていけるのが、林与の仕事。一つのブランドさんからは、早速、近江上布柄の広幅織物に期待するようなメールもいただいたということで、ありがたい話である。また、上海では、一番くらいに、私自身がよい素材づくりをしておられ、熱い思いももっておられると思うあるテキスタイルメーカーの社長は、林与のアーカイブをあこがれておられ、まだまだオリジナルと違うから駄目だよというコメントを斎藤が林与に伝えてといわれたそうで、伝統的なものづくりなんかも含めて業界の熱い気持ちを持つ人間が国境を越えて、世界の繊維を盛り上げていければと思う。ちなみにオリジナルの着物生地は3年目の予定である。オリンピックまでには完成したい。
2017年05月09日
今日はプレミアムテキスタイルジャパン初日。本来だと林与志雄がブースに立つ予定だったのだが現場の案件でどうしても時間が足りず。デザイナーがPTJに一人で立つことに、予期せぬ展開で開場10分前なのにまだブースが空だと主催の事務局から心配の連絡をいただいて、それでもなんとか10時頃には会場に到着してブースも設営ができたようでほっとする。会社に役員として入ってくれてまだ2ヶ月未満、大役を果たしてもらうことに。

近江上布絣の広幅プロジェクトとは、林与に50年以上眠っていた近江上布のアーカイブを、現代に広い織幅で絣織で再現するプロジェクト。昔の近江上布は着尺はばなので、幅が36cm程度なのだが、それを1年目は、リネンストールの場合には幅70cm程度で10柄再現した。2年目はアパレル向けにワンピース向け素材としてリネンで5柄を再現する予定。3年目には、ラミーで着物向けにオリジナルに近い形に再現する。

JETROさんの商談会などでも、近江上布のアーカイブをご覧になられた方が、これらの布というのは今まで見た布のなかで一番すごいといってもらえるくらいの一つ一つの完成度の高さと、数千種類に及ぶ柄のすべてが絣で織られているということ。林与自身も自分の小さな家の中で世界的に見ても価値のある織物が作られていたこととまたそのアーカイブが今も良い状態で残っていることはバックグラウンドとして恵まれているなあと思う。

1年前まではそのアーカイブというのは林与が昔に作ったメモリアル的な存在で、近江上布のすごさを語る資料であったが、この1年の取り組みの中で、それらの色柄が、私一人が数日気合をいれると一柄づつ再現できるようになってきた。村規模でやっていたことや職人が何人も集まってやっていたことを、一人で背負えるような形で、しかも柔軟性と応用性をもった広い幅で再現でいる。

1970年代の初めに北アイルランドのハードマンズサイオンミルで紡績された140番手のアイリッシュリネン糸を織り上げるプロジェクトを立ち上げ、日本の麻織物の本場近江湖東産地の染色、織物加工の力を借りながら自分の考える現在作れる世界最高峰のリネン生地に取り組み、それまでは、リネン66番手くらいが林与の細番手だったのを一気に、世界最細番手の150番手までのリネンを高密度で織ることができる技術基盤も通常の技法を高めることで確立をした。

今は、デザインでも世界に日本の織物の力を感じてもらえるような布を生み出してゆきたいと考えていて、林与の場合にはおじいさんの時代につくったアーカイブが眠っているのでそれらを再現するのがストーリー性もあってよいのではないのかと思える。しかし、その実現のためには、昔の技法をアプライするのでは職人が何人も必要で、新たな技法を生み出して、私一人でもその世界を再現できるようなプロセスを生み出す必要があると、織るだけでなく、型紙、染、加工までも、小ロットで出来る体制づくりも考えた。

日本の織物が消え行くのを防ぐためには、自分自身がすごいというのではなくてが大事で、一人ですべてできることが最終目的でもなく、今の日本の現状では形にするためには、とりあえず、一人で出来る形で構築して万が一のときも一人が踏ん張ればしのげるようなものづくりにしておかないと続かないのである。最終目的とすれば、それに多くのやる気持ちのある人が携わって、その人たちの織物を柱としたライフスタイルを支えていくような流れを生み出してゆかないとならないと思える。

仕事という感覚では、こういう織物を生み出すことはできないだろうと思える。
2017年05月08日
この2ヶ月ほど毎日、リネンの60番手が織れない問題と取り組む。取り組むといっても3台の織機の調整をしながら織り続けるしかない状態で、織れないからその分長時間織機を動かせるだけ動かす。夏も近づいてこの夏のものを作られるための生地なので機屋ができないという結論では企画されたすべても転んでしまう。

もう、一年半ほど前になるが、リネン100番手を染めて一本のりをつけた濃色が織れないという問題で2ヶ月。そのあと、ラミー100番手の糸が縦糸が切れて切れて織れない問題があった。そのときは、シャトル織機だったが、糸に伸度がなく、切れた糸を直そうと縦糸を開くだけで隣の糸まで何本か切れてしまうような話とか。その後も横糸がうち切れするとか。その次には200mほどの仕事だったが、織れないということで4回織機を載せ変えた案件があった。

林与は、リネンの100番手とか150番手とかも無糊ででも織ったりすることもあるので、今回の糊をつけた普通の密度の60番手が織れないということはまずなく、3台掛けて3台とも織れないという状況は織機の問題でなく、糸の問題であるという結論。3台とも調子よく動くタイミングもあれば、調子よく動いていたのが急にどの台も動かなくなるとか。そのことが断定的になったのは、夜中どうしても織れなくなったので、万策尽きた感じで、久しぶりに5時間ほど寝た。そして起きて織ってみたらどの台も調子よく動く。織機の調整の問題ではないのだ。もちろんどの台も噴霧以上のこともしてみて湿度対策なども徹底的にやった上でも織れないのだから、外部的な湿度も、今の時期は田植えの時期で周辺の水田も水で潤い湿度も適度なはずなのだが…。

麻織物の会社というのはリスクが高いなあと思えるのはこのあたりで、一つ大きな問題に直面してすべての時間がそれに費やされることになり、なだれ式にすべての仕事での納期の遅れが出ることになったりする。請けた仕事を織れないから断わるができれば簡単な話なのだが、それは一番最悪の結果だろうと思うから問題に直面したときには普通以上のことをやってみようと万策を尽くす。
2017年05月06日
今日は、大阪からハツトキの女性の方が東京の友人と滋賀県に来て、林与の見学というより林与の手伝い。遅れている整経作業などを立替してくれて助かる。ハツトキの女性の方は、社会学を専攻されたあと、川島テキスタイルスクールで織物の勉強をされたということで織物に興味があるだけに、整経の作業も初めてで説明をさせてもらう時間もなかったけど理解されてやってくださった。お友達の香港のジョイスさんも、日本語ペラペラで織物とは関係のない建築のイベントのお仕事なのに、現場作業手伝ってもらって、時間に追われすぎて十分にお話しする時間も取れでしたが来て下さって、林与の仕事の現場の雰囲気というのもダイレクトに分かってもらえたかもと思えたり。お手伝いくださり助かりました、ありがとう。

相変わらず、私のほうは織機を止められない状態が続いている。デザイナーも織機を動かした経験がほとんどないが、才能があるので、シャトル織機もレピア織機もジャガード織機までもぶっつけ本番でミスも少なく織っていてくれる。よくありがちな新しいことでもやってみるといっていきなり本番体当たりタイプ、検反機にしても、2回ほど教えただけで、使いこなしているような感じで。何十年の経験をもつ人が何十年たってもやらないままのことを、デザイナーはいきなりやってのけるので新卒で若いのに立派、今の若い人というのはすごいなあと思う。
2017年05月05日
今日はデザイナーの妹が滋賀県に遊びに来てくれる、が、林与が納期に詰まっているので工場の中でいろいろと手伝い。法律系の大学院生でてきぱきと仕事をこなしてくれるものの、私自身は織れない織機3台を動かし続けなければならず止めることが出来ない状態でテンションは高いがヘトヘトの状態。せっかく来てくれたのにもてなす時間もなくって申し訳ない。今度はゆっくりと滋賀県のおいしいものを食べてもらったり観光もしてもらえるように。
2017年04月23日
今日は、つなぐ通信の撮影で、朝から工場や林与の家や前栽での撮影。アイリッシュリネンや近江上布絣などの撮影をしてもらう。今日は午後からあと2件の撮影があるということで、お昼前には次の目的地東近江に向かって出発された。私自身は織機がうまく動かないので立ち上げなどを行い、十分なおもてなしもできず新人デザイナーと時間を過ごしてもらいました。

近江牛のすき焼きを食べているときに、副編集長の方が、今は家や自分の趣味のことよりも、仕事の最初なんだから、まずは、しっかり仕事よみたいなことを冗談めいていわれていましたが、やはり自分自身が仕事を独立されてやっておられるかたなので、仕事のできる人の感覚を第三者として発して言葉にしてくださった感じ。するどいなあ。
2017年04月22日
今日はつなぐ通信の成田さん一行が4名で弊社に来て一泊し、明日の朝取材。普段は成田さんとはテキスタイルツリーのブログなどで取り上げていただいているが、今回は、つなぐ通信6月号で、近江湖北湖東地域の取材ということ。あまりに仕事に追われすぎていておもてなしも出来ない状態ながらも、夜だけは、すき焼きをご一緒にデザイナーのお家で食べる。

近江八幡で近江牛をおいしいと評判の近江牛を食されるもあまりに薄く小さなお肉だったことなどのお話を聞いて、すき焼きにしてよかったなあと思えた。お越しいただいた4人の方はそれぞれが独立して仕事をしておられ、つなぐ通信の編集のときにはチームとして取材をして動かれ、つなぐ通信が出来上がるということ。初対面なのに、林与のことを成田さんからお聞きになられてか、良くご存知で。キッチンクロスなんかもご愛用をいただいている。

一泊泊られた際に、デザイナーが夜、ギターリサイタルやったそうで。4人の皆様にも、林与の新人デザイナーの強さみたいなものが伝わったと思うのである。
2017年04月15日
旧来の伝統的な手の仕事から近代化した機械仕事に変わると、生産性というものは上がるのだが、人の能力というのは落ちてくる。人の力のインプットを落とすことで生産性を上げるようになると、人の能力というのは一度落ちると元に戻るということはないものであったりする。本来は人の能力を落とさずに生産性を上げるような方法を取っていかないと新興国の人のほうが人の力のインプットが大きいことが多いので、装置産業になると、人材が豊富で人件費の安い海外に移転されがちである。

たとえば、日本の織物の場合、織っている人がボタン一つで織れるようになったなら機械の調整やメンテナンスも仕事として行うというようにすればよいだけのことである。さらには、自動に織れる様になった分、検査作業や、検反、補修作業を織り手が行うというように進化すればよいだけのことで、単なる織り手なんていうものは海外でいくらでも育てることができるので国内で成り立たせるのは難しいということになる。織り手が織物を織るために自分の織る仕事の準備したり、織ったものを片付けることが必要になる。新興国だとそれが分業という中で行われるものだが、先進国では逆にそれが一人の仕事として必要になってくる。

デザインなんかでも、新興国ではオートスクリーンや最新のインクジェットでのプリントが普通で、それなりの量が流れる。一方、イギリスやフランス、オーストラリアのデザインオフィスでは、布に手描きの形に逆戻り。高いものは流れる量が少なく先進国で量産は期待できず、クリエイターたちが原始的とも思われる手書きに戻る。そして、自分自身で販売してゆくという形。先進国ほど一つの布に対する需要が少なく、価値を人の力で生み出してゆかねばならないというパラドックスが潜む。

これは巨大化した日本や先進国のSPAでも、自国一国の需要ですらも支えてゆくには足りず生産国である新興国の需要に期待する。先進国で売れるものというのはごくわずかな量の手の込んだもの、一方で、多くの手の仕事ができなくなった製造現場の人を抱えながら、需給のニーズのパラドックスが先進国では存在することになる。

数年前、ある大学の経済学部の先生が、ニッチェに対する講演をされていたが、毎朝、漁に出て10匹だけとって、その限定のその日の取れたての魚、通常300円が市場で10倍の値段の1匹3000円で売れるとか。なんか、フロック期待でそんなのに期待しては駄目だろうと思うようなあたりなのだが、日本の成功事例がそういう類のものでしかなくなりつつあり、まともに商売をしている人がそういうのに走るというのも危ないことである。

2017年04月14日
今日は夜出荷の際に、御幸橋の踏み切りで止まっていると桜の花びらが舞っている。もう桜も散り始め。今年も1週間ほどのことながら十分に楽しませてもらった。愛荘町というのは桜1万本計画というのを進めていてそれ自体には私はまったく乗り気ではないが、一本の桜でも春は楽しめるものだろうと思う。暖かい一日で、仕事のお客様もネットのお客様からもご注文を多くいただくようになってきた。別に初夏物が遅いスタートも悪くなく、その分冬物のウールなどが売れているだろうから、余力が業界にうまれて春夏物も動きやすいこともある。

今年は、スロースタートながらそれなりに仕事に追われていて、一番寒い冬の雪の夜に連日の作業は私自身にとって普段以上に厳しかったが、3月後半に新しいデザイナーも来てくれて、いろんな作業の説明などが今まで以上に簡単に正しくできるようになって、高度なことにも春からは挑戦が出来そうで楽しみである。

つなぐ通信の成田さんからご連絡をいただいて4月後半に取材に来てくださる予定が決まって、一晩ほどのことであるがゆっくりしてもらえそう。ゴールデンウィーク前の予定も埋まって、ゴールデンウィーク明けには東京国際フォーラムでプレミアムテキスタイルジャパンである。近江上布絣柄の広幅織物が現実のものとなりその実物を実際に見ていただける。

2017年04月13日
地元で機屋さんを営まれていた方が個人で食べていくために織物の企画販売をされている。先代世代の方で経験ももちろん一生の経験を持っておられるのだが、そういう70代、80代の方でもなかなか食べていくのが難しいという業界の厳しさ。70代、80代になられても、自分で仕事して食べていこうとされているところが、成り立つ成り立たないに関わらず、今の時代にそう言う人は少ないので私自身は立派だと思える。

近江湖東産地の機業の中では私が一番若いといわれているほどであるけども、何十年と仕事の経験のあられる方々が食べていくのに苦戦というのは、私自身、海外の展示会などで、林与に興味を示してアプローチくださる海外企業が、10年、20年で、リネンの巨大企業になっておられるのとはまったく逆であったりする。たとえば中国のブランドや企業の社長というと私と同世代の50歳くらいの方が多い。日本の場合には、何十年の皆さんでも食べていくのが難しくてというのも、私は仕事を生み出して与える側であり、与えられた人ができないときには私自身がその仕事をするので良く分かるのである。

仕事というのは自然にないときには生み出さないといけないし、あってもやらないと駄目。能力だけでなく、忍耐も必要で、材料を準備する資金も必要だし、材料を無駄にしない工夫も同じく必要で、使い終わった後の材料の管理も必要。織機も同じで、単に織るだけでなく、修理や調整が必要で、修理や調整をするために、部品や道具の管理も必要。ご飯を食べるとかは食欲というものが働くが、仕事欲みたいなものが働く人でないと仕事は難しい。

今日は、夕方、大阪の服飾専門学校の先生が弊社にお越しくださり素材をピックアップくださった。社会全体では人手不足感があっても、繊維関連はそれほど就職がよい状況でもないというのが実情のよう、大手のアパレルなどですらかつてないほどの苦戦中ではある。専門学校で勉強した学生たちが業界で通用していくためにはよほどの覚悟がないと難しいだろうと感じる。というのは、私も、何十年の経験の人にしても、学生の新卒の人も同じ土俵に立っていて、先輩も後輩もない。仕事をできる人が残るだけだろうから、残っているから楽というわけでもなく、残るために目の前にある仕事を日々乗り越えないといけないのは経験者も新人も、経験の長さに関係なく同じだろう。
2017年04月11日
今日は午後から繊研新聞の記者の方のPTJに関する取材。取材といっても固いものではなくて、仕事の雑談というような感じで近況報告するようなもの。繊維の技術的な最先端を発表するとかそんなのではなくって、自分が今やっていることで面白そうなことを記者の方にお話しする。近江上布絣の広幅織物が現実のものとなったので、それを見ていただいたり。

私が判断して、織物の業界ではそれなりに高度なものであるという判断。単なる技術ではなくって、見た目の存在感なども含めて、商品としての高級感や価値観が漂うのかどうか。私自身のポイントとしては、近江上布が量産されていた時代のような勢いを、今の数名で支える日本の麻織物の業界の中で再現するという試みの部分。

型紙を彫って、横糸に捺染、織って、加工まで一人の人間が行って生地が出来上がる。その工程を一人の人間が詰めて作業すれば1週間ほどもあれば着分が出来上がるというのは画期的なことではないのかと思う。これは、効率化したとかじゃなくって、昔の人以上に高い能力で人が作業をこなすからという形。やることはアパレル用の広幅で織るという伝統工芸品以上に手間なこと。それを一人がやってのけるというプロセスを構築。

世界でも数本の指に入るような手間の織物の世界を現在の洋服素材として生み出してゆく。今年はオートクチュール向けのワンピース素材の試作に挑戦をする、PTJでは、試作に向けた柄の要望なども来場者にお尋ねしたい。

2017年04月08日
桜の花がまだ咲いていないのを心配していたが、4月の第二日曜日の豊満神社の春の祭には、桜の花は満開というジンクスは崩れなかった。今日は雨が降っていながらも20度を超える暖かな陽気で、ずっと工場に篭っていたので気がつかなかったが夜車で出かけたときに道端の桜が満開。やっぱり桜の木には精が宿っているような気もする。

豊満神社の春の大祭の4月の第二日曜日までには、どれか一本が咲くでなく、一晩のうちに一体の桜が一斉に開花する。ほんのりと桜の花の香りが漂うなか、土曜日の晩には、夜宮の鐘の音が聞こえるのが祭りのイメージ。雨に桜の香りも消されてか、また、雨の音に消されてなのか鐘の音が聞こえない宵宮。

人だけでなく、動物というのは喜怒哀楽というものがDNAにまでも刻まれるのではないのかと思う。豊満神社の春の大祭にしても、桜が一番良いと思われる4月の第二日曜としてあるのだろうけども、桜がその期待を裏切らないというのも、不思議といえば不思議なのである。こういう祭りを一番楽しみにしているのはやはり小さな子供たちであろう。私も子供の頃、うきうきとしたのを思い出す。

つぼみの状態だったのが、一瞬のうちに満開。なんじゃこれはと思うほどに、ジンクスは守られる。
2017年04月06日
急激に暖かくなって、今日はお客様3人が山形お一人と、大阪経由で東京お二人。納期のものに追われているのであまり時間がなくって、山形のお客様には仕事の試作品を手伝ってもらってうまく出来上がってありがたい。9時頃に出荷のあと食事に出向いて、いつも行く台湾料理のお店なのだが、ビールセットを頼まれて、3品ほどついているが、それぞれのあてがボリュームありすぎて。見ていてまいった感じ。

私は、鳥南蛮みたいなラーメンセットを食べたが、それもボリュームがすごくて、食べきるのに体力を消耗しそうになった。お客さんを彦根のゲストハウスまでお送りして、会社に戻ると11時。仕事する予定が疲れて休む。

今日の東京のお客様がいっておられたのは、つくるのと同様に売るのが難しいということ。それでも、相当の工夫をされてどんな素材でも売れるように持っていかれるようなものづくりの力をされているので、売るのも同様に上手に展開されていて素敵だなあと思える。お話を聞いていていろんなことを経験されていてリスクも背負って動かれているのを感じ、ものづくりの現場がベースになっての企画なので強いのかなあと思える。

このアパレルが厳しいといわれるときにも、面白い企画でヒットするものを生み出しておられて、やはりいろんなこと動かないと駄目なんだろうなあと、私自身も似たような境遇にあるので職種は違えども、業界をプロモートしておられる人の力を感じる。
2017年04月04日
4月4日、午後にお電話いただきましたアパレルのお客様メールをお問い合わせからいただいたのですが、そのメールがみつからず再度、お問い合わせフォームからご連絡先ならびに発送先をご連絡いただけませんでしょうか。よろしくお願いいたします。
2017年03月31日
今日は行政の年度末、今、新しいデザイナーの子が入ってくれて、林与もこの春からは動きがスムーズになれると思う。仕事をする前というのは、仕事が何かという辺りがなかなか飲み込んでもらえないことが多い。林与も対応が悪いことが多く、時間に終われて出来ないことが多いのが実情である。外から見るとちゃんとすればと思われることが多かったりするのだが、言うは安し行うは難しも多いのである。

社長なんで最後の責任は私がで、社員の失敗も注意はするが失敗するタイプの人というのは直すこともできないので代わりに直したり、現場でもできない難しいことは私がやることが多かったが、これは今に始まったことではなくて、伝統産業の流れを汲む産業の衰退の状況では良くありがちなこと。途上国のものづくりが上達して、先進国のものづくりは落ちてゆくというパラドックス。人の手間を惜しんで効率を求めたときに、誰でもできる作業の行く付く先というのは海外生産。先進国、日本で残るからには、人の能力が必要な作業を行って、他では難しいといわれるものを作らないと残れないだろう。日本製というだけで、メイドインジャパンというブランド意識や伝統や経験に溺れると、いつのまにか、普通の仕事もまともに出来なくなるものである。

私自身が、勉強になるなあと思うのが海外の展示会である。日本国内で、麻のニットといえば、40番手くらいでとどまっていることが多いが、海外では80番手クラスが、量産で流れてしまっていて、40番手と80番手では難度は、たぶん、5倍くらいの差があるだろう。国内の麻のニットが急減速したのも、技術力というか技術欲の差で、日本のものづくりがフラグシップでなくなってしまったからということだろう。もちろん、百貨店など向けは、品質ならびに安定性重視なので、40番手でとどまる選択もありかと思うが、日本の素材には、品質と安定性が要求されて海外の素材はノークレームが当たり前でというのも流通面からくるものづくりへの責任転嫁が厳し過ぎるところであろう。

40番手のニットを販売しようとしても、80番手のニットが流れている市場では、地味に見えてしまう。もちろん、リネンニットのパンクする問題などとの兼ね合いになるのだろうが、そういうのを流通サイドも責任を分担してやっていかないと、もう日本の流通やものづくりって安全思考で地味になりすぎて。実は素材を使う技術も大事で、面白い素材というのは危ういのだが、縫製の技術でカバーするとかすれば他にない特別のものとなりうることが多い。

日本も縫製が海外よりも落ちたと思えるのが、海外ブランドの一流縫製では、反物をすべて検反して一番よいところを料理するという腕がある。日本ではそれができるところが少なくなっていて、反物にキズがあると使わないということにつながり、結局は、安全な素材しか企画にのらないという話になる。アパレルにお勧めできるのが安全な生地だけになるのは残念なことではあるが、一着の一つの生地の一つのキズでも、百貨店さんからアパレルに戻って、林与にきて、修正工場に出して、その反対に、修正工場、林与、アパレル、百貨店へと戻ると、2000円X6回の送料プラス皆さんそれぞれ伝票作業が伴うので、無理はしないほうがよいのかもと思える。林与もあまり表には出さないが普通アパレルさんにはお勧めしないような生地もあって、もしお時間があられるなら、伊勢丹新宿本店1F婦人雑貨売り場での伊勢丹のみの市で、本麻やアイリッシュリネン140番手や、ラミー500番手をぜひご覧いただきたい。
2017年03月23日
もう3月も残り少ないというのに寒すぎる。林与の周辺は、春らしい穏やかな感じではなく、まだまだ肌寒いばかり。この冬は例年にないほどの雪が降って、春も遅い。私が子供の頃までは、今年くらいの雪が毎年降るのが当たり前だったので、この40年くらいの間に、人類が温暖化を進めていなければ正常な冬だったのかもしれない。

40年というと、原発の日本の歴史と重なる。私自身は日本の近年の地球温暖化の主因が、熱量保存の法則が働きにくい原発や水の循環をさえぎったダムなどではないかと考えているので、今、原発が稼動を停止している数年の日本の気温や降雪に関する影響を見てみるべきだろうと思う。CO2濃度が上がるとというのは、宅地化や開発などでコンクリートジャングル化による結果論ではないのかと思えたりするのである。

基本、人間が新しく生み出したものが環境によいなんてことはまずないんだからという原則。
2017年03月19日
林与に、この春から新しく所属するデザイナーの方の引越しが午後から始まる。三連休初日でお天気もよく、裏の畑では集落のおばちゃんたちが畑仕事で、見守る中、荷物を運び入れ作業が進む。林与が気になったのは、家の屋根の瓦の状態。築70年くらいは経っている家だろうから、屋根の瓦もひびが入ったりしている。

ちょうど、30年前に今の工場を建て替えたときに、古い建物の瓦を工場の裏にたくさん残しておいたのが、日の目を見ることに。瓦というのは大きさが同じだったのでびっくりした。昔ほど、再利用できるようなユニバーサルデザインが当たり前だったんだろう。どこものメーカーが同じような汎用的なものをつくっていたのが昔で、今は各メーカーがそれぞれ独自のものをつくって、部品も特殊化し合わないので修理も自分ですることは難しくなっている。

瓦も、瓦自身の重量が掛かって組み合わせられているので、それが長時間経つと、正しい形から角がかけたりして隙間ができたりするとそこから雨漏りがして、かわらの下の木材が歪んだりして余計に瓦が乱れることに。正しい瓦に交換してあげることで、屋根も長持ちすることになる。30年とっておいた何百枚の瓦がこんなところで役に立つというのは驚きそのものだが、この瓦を残した人にとっては、それが当たり前のことだという認識なんだろう。これも頭で考えるとかではなく、経験法則そのものなんだろうと思う。

夜は親御さんとご一緒に近くのお寿司屋さんで晩御飯。無事に、林与に来てもらえてこれからは林与もさらに活気が増すと思うのだ。

2017年03月18日
滋賀県に戻って、まだまだ寒い日が続く。上海というのは雨も降っていたりしたが、それほど寒くなかった。今年は子供のとき以来の寒さに思えて例外的に寒いように思える。例外的な年があってもよいのだろう。なにか、天候すらも期待して予定通りが当たり前というのは都合よすぎるような気もする。

上海から帰って来て、出発間際もできていない状態で出発したことがたくさんだったので、帰ってきてその出来ていないことにまた着手してゆかないとならない。早速に助成金の審査がとおり、プロジェクト2年目もうまくスタートが切れそう。

もうすぐ、伊勢丹新宿本店1Fでの蚤の市のイベント。その準備を進めないとならない状況。
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