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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年10月08日
今日、出荷に行くと、運送会社の事務所に一人だけ事務員の年配の女の人、しっかりと一人で事務所を守っておられる。この人は中のこと全部わかっているんだろう。この女性に仕事を頼むとすべて確実であったりする。

ここも大きな運送会社のひとつの営業所なのだが、他の大きな運送会社の場合は、そういうできる人ほとんどいない。電話で確認するとか、他の人に聞くとかいう人がほとんど。日本の運送会社というのはよく成り立つなあと思える。500円から1000円までで荷物を運ぶのに、日本中、翌日あるいは翌翌日に届くとか。そういえばEMSが値上げした。封筒ひとつ、DHLやFEDEXだと何倍もするけど、郵便局がコスト未満でサービスを1000円で提供していたのである。

上海で郵便局を使って江蘇省の会社に荷物を送ったこともあるけども、上海の郵便局は日本よりも荷物を送るの高かった。それで、一般の運送会社を近くで見つけて頼んだ。荷物が届くのかかなり不安だったがちゃんと届いたようだ。たしか、10kgで2000円くらいだった。

物流サービスが結局市場の鍵を握るというケースが、全国送料無料のサービス。弊社でも1万円以上お買い上げの場合には送料を無料にさせていただいているが、日本の場合には送料が安いのでそれが成り立ちうる。メール便が運送業者の収益改善のために廃止になって、お客さんが逃げ出したので、また、類似のものが復活してきている。昔はクロネコも殿様商売の郵便局に対立して運送業を立ち上げて、郵便局以上のサービスを全国に自社網で展開したので応援していたが、数年前に殿様商売そのものを見せ付けられて、やっぱり民間も大きくなると初心を忘れて、利用者の弱みにつけこんでがみえて値上げ、サービスの廃止で、郵便局でも良いんじゃないかと思えたりもした。
2016年10月07日
昨日の午前のお電話で、林与の布に興味を示していただいたお仕事のお客様がある。林与の麻布は他社さんと比べると卸でも2倍から3倍するものも多いので、普通のお仕事のお客様ではなかなか手を出してもらいにくいところがある。弊社で、値段が合わないときには、他社さんをご紹介することも多い。自社で工場を持って生産していると、工賃仕事では済まない部分があるのと、林与が賃機屋さんとは違うので、自社リスクでいろんな商品を開発したり、新たな設備投資をしたり、自分が面白いなあと思うテキスタイルビジョンを持ってPRしたりしている部分が、費用として跳ね返ってしまうのだろうが、そういうことやらないと自分の力で新しいものを作れないし、産地で産地の特色のあるものづくりを続けていくとかもできなくなるとも思える。

お客様が一般的に使われている布というのが、切り売り屋さんに並んでいるあたりの想定価格で、便利に1mから手ごろに手に入るのに、200m、300m作ってもその2倍とか3倍が林与の値段だったりして、切り売り屋さんの布が悪いわけでもないし、林与の布にしても原価を計算して一からつくるとかするとそのくらいになっても仕方ないところである。何かひとつグレードを落としても、他のものが自分なりに妥協ないチョイスなので、ひとつなにかグレードをを落とすのがもったいないという感覚が私の中にはある。

2年間に廃業された機屋さんが、林与の50年前に手がけていた織物を織られていたが、その生地の販売価格を聞いても成り立つ値段ではないのも事実。林与に仕事を譲ろうとしてくださったのも、織機を動かせる力を見込んでのこと。その設備を私に売って儲けようという気持ちも持っておられなかったし、私も簡単にも考えていなかったので、独占したいとかの気持ちも儲ける気持ちもなかったしお客さんが困られるということで誰かにバトンを引き渡したがられていたという事情で、一肌脱ぐ覚悟であった。手もないほど忙しいのに他のことに手を出すというのはばかげたことだろうけど、何かの巡り会わせと思って一生懸命に動いてそれが自分なんだろうと思う。

私自身もその採算性が合いにくいのも承知で、それまで私と関係のないその方のお客さんも困られないようにと思うところもあったけども、話が途中で変わり費用が掛かりすぎる話になって、私自身が実質無料で働いても、移設費用と維持費用だけでも、その方の既存のお客さんが今までの2倍の値段で生地を買わないといけなくなるとお客さんも喜んでもらえないとなるともう無理な世界だろう。将来的にはそういう麻織りの技術が日本に残っていることのほうが産地としても大事だろうと思えるが、新規のお客様の開拓なども含めて成り立つ道も探そうとしたが、和装の高級バルク素材、市場が小さくなりすぎて、難しい問題である。

そういう織機を動かす技術が産地に残っているのかというと、いろんな普通の織機でも動かすのが難しいというのが現状で、案外、途上国なんかではレピアもシャトル織機も普通に動いていたりするのだが技術があるといわれる日本ではそれが難しいとか。それは技術があるなしだけでなく恵まれた国になると、働く人も働くという意味がわからなくなったりするもので、仕事なんて自分がやるかやらないかだけなのにと思うことも多く、やるから仕事があってやらない人には仕事がないのは当たり前だと思う。日本もひとつのものをつくったりする技術が残っているのはそういう技術というよりもやる気のある人が個の力の中で残っているから、組織とかそんなんじゃあなくて個の力があるから組織が意味のあるものであったりする。

海外の何千人の企業でも数人が意味のわかっての仕事、他のほとんどの人が収入源としての仕事であったりして高度なことは経験も少ない。品質的な優位と価格のリーズナブルさで成り立っているそうだが、いずれ繊維産業に危機が訪れたときにどうするのかという問題もあろう。日本もほとんどの場合に同じじゃないのかなあと思える反面、私自身、この仕事が逆に仕事らしく、やる気があれば高度なこともチャレンジできるし、繊維の中でも機織というのは可能性のある仕事だと思う。

どの仕事にも共通する要素があってその最低限のところまっすぐにやれば案外強いんじゃあないかと思えるが、普通の仕事が面倒な方向に流れていくケースも多い。自分の作ったものが売れなければ食べていけないが当たり前という厳しさもそれで生きていくんだからあって当たり前なのだが、その厳しさをないようにしてしまう偽善な方向はいかがなものなのだろうか。日本のボランティアでも大手ボランティアビジネス、自分の生活費を稼ぐために海外の子供たちを出汁に活動ではいただけない。
2016年10月06日
今日はお昼から東京からのお客様。ちょっと近江商人を味わってもらうため伊藤忠屋敷を訪ね、今回は初めて弊社の工場の現場と、加工工場の現場を見ていただいた。生産の工程や産地の状況なども知っていただけたのではないだろうかと思える。人生だなあと思える話もあって、しばらくお会いできなくなる前に見に来ていただけたのも良かったなあと思えたり。ありがたいなあ。

別の仕事の案件も進行がストップのものと、進行しないといけない案件とがあったり、そのほかの案件も判断がでてその判断を元に進行していく形。夜には、旅券やホテルの案件を調べるが、直行便などが消えてしまっていて選択の余地が少なくなっている。トランジットに長時間コース我慢できる人は多くないのかもしれない。私の場合待つのも案外大丈夫なほう。他に時間に追われていることすらなければ、自由な時間を楽しめる。
2016年10月04日
今日は、東京からのブランドのお客様、ニットの縫製業からブランドを立ち上げられたという。昔はブランドのOEM生産をされていたという、アパレル関連のOEM製造が難しくなって転換されたということでなかなか思い切った転換だなあと思える。縫製工場も今もあるのでファクトリーブランドとして成功しておられるということになる。

ものづくりに関しても共通的な認識があって、受注生産ということよりも目の前にある反物をどう商品化して販売していくかという目の前の課題をクリアしていくタイプで、普通のブランドのお客様とは異なる感覚。縫製をするだけでなく、プラスアルファなご自身のやりたい強い要素を掛け合わせて製品にされていて、知識も広く謳いの要素のある強いものづくり。

日本の製造業の今後の流れなども想定をされて準備もされていて自己で解決して乗り越えてゆかれるみたいなお話も、聞いていて気持ちよくなるくらい。
2016年10月03日
会合で、ハンガーの件が出て、ハンガーのフックのプラスチックな部分がエコじゃないという話なのだが、ここまでファッション業界のエコ意識はきているのかと私は驚いた。そうなると展示会でも、もう天然繊維以外は提案ができなくなるレベル。私自身、鉄やプラスチック製品も使い捨てにしなければ別に悪いことじゃないと思う。

携帯電話でも今は2年で買い替えとか壊れたら交換で、使い捨てに近い時代。日本の場合には商業エコ的な部分があるので、電化製品にしても1年の保証期間以内しか動かなくなったときの保証がなく、いまの壊れやすさは異常で、1年とかで壊れるものをつくって買い替えなさいという日本的なエコモデルのビジネススタイル。昔はすぐ壊れても海外製品だからといっていたのが、今は日本メーカーのものでも同じ、日本のメーカー物でも海外でのOEM生産であるとかが多い。

よくいわれたのが、保証期間が過ぎるころに壊れる家電製品。コンデンサーの問題だろう。今の自動車に使うコンデンサ以外は1年ちょっとが寿命のものが多い。保証期間が1年なので一年しか持たない部品を使うのもメーカーのコストダウンの手であって、昔の日本製品というと何十年も持つものだったが、今は日本製品といっても海外製品と同じ水準の部品を使用していることが多い。それが多くなると結局、何十年も持つコンデンサーの製造なんて無意味になってしまう。

古くなればゴミみたいな感覚や発想が一番エコとは違う。必要なだけを買うのがエコなのかというと最終の消費者であれば使わないものを買うのはエコではないだろう。業者ならいつか使えるときまでもっているのもエコのひとつ。その概念が日本のエコにはないのが不思議なほど。その分、商品に耐久性なども必要となってくるだろうけど、それが良いもののひとつの価値基準でもないのかと思う。
2016年10月01日
産地というのは行政もそれなりに大事にしていると思うが、産地も一年たてば一年歳を取るという状況。20年、30年前に活躍されていた方がもう仕事もできなくなってしまわれているケースがほとんどで、織りの世界においては次の世代が育たなかったことが一番の問題だろう。織りというのは織る技術だけでなく織機を調節する技術が必要で、産地にも織機を上手に操れる人もほとんどいなくなってしまっている。

もう10年ほど前になるけども、シャトル織機を10台移設してそのうち9台がまったくほど織れない。その原因が不明ということで私自身が考えると1時間で答えが見つかった。次に2台を移設したときも2台とも動かない、そのときも私自身が考えると問題が1時間ほどで見つかった。原因がみつかったのもどっちも偶然かもしれない。一年前の移設でも織機は入ってきたけども、シャトルやシャトルの管がないという動かない状態から。織機の移設というのは問題だらけから始まることがほとんどで、それを解決する力がなければ移設前よりも悪い状態になるのが普通。

他の会社でも織機を移設したあと動かないという話を何件も聞く、どこの会社でも職人さんが動かそうとするが原因を探ってもわからない場合は、動かないままほったらかしになるという状態が普通だったりする。新しい中古織機を入れてそれが動かなければ、今までやってたこともできなくなって仕事自体がジエンドのケースも多いだろう。織機を入れられて20年一度も動かなかった織機が知らずに、林与にきたケースもあり、その会社が他の会社よりも早い時期に従業員さんを少なくされ、織りを辞められた原因のひとつにつながったんだろうと思うが、弊社にその織機が来たときにそれも何とか乗り越えられた。

繊維産業を取り巻く状況は、普通だとつぶれて当たり前のような爆弾事も多い、注文が入っていても、実際に1mも織るのが難しいとかの仕事も、昨年も3件あって、普通に織れればトントンの仕事が、それぞれの仕事が糸の問題で解決に3ヶ月から5ヶ月掛かったりもした。他の仕事がまったくできなくなる。はっきりと織れない状況で納期を約束させられるのはありがちなのだが、それは酷過ぎる話。結局、問題が支給された糸にあるというのは厳しい話しである。いくら調整しても他の色は織れてどれかの配色が糸切れなどでキズなしに織れないと言う3件の問題。調子の良い織機に優先して掛けてゆくが、調子の良い機に調整を掛け、駄目で別の織機に。機場が墓場と化した。

支給された糸の問題なので織れないですめば良いけど。3つの仕事で他の仕事ができないくらいになる。使える織機も今の時代の普通に働いて幸せの生活みたいな流れだとこういう問題は吸収できない。なんとか奇跡的に解決になったからよかったけども幸運がなければこのうち二つの仕事はできないで終わった。これの繰り返しは次は無理だろう。誰が悪いわけでもないのかも知れないが、仕事を請けるだけで正しく働いていても会社がつぶれる可能性は高い。

面白いことだが、織機の問題なんかでも、昔から他の人が、違うよとか、関係ないよというところに、正しい答えがあることが多い。その織機をずっと使っている人たちが否定しても、それが原因であると思うとそれを確かめることから始める。普段仕事している人が、見えないことって多いものだから。麻の織物をするときに大事なのは糸の強弱の感覚、それが私も最初どの強さが普通というのがわからなく迷ったが、自分が始めて本生産をした日にクリア。

すごい人はもいる整経をしていた人に、織る人の品質の問題で、納期の厳しい一回勝負の仕事、織る仕事が必要で、教えるから織りなさいと教えると、その日から織機を上手に使えた。面白いことで機場の人は私が織れるのを知らないとか、ひとつのことをしている人は自分だけができると思って職人的な傲慢になりがち。機場の人たちに織れないと馬鹿にされていたところもあって、織れたのをすごくうれしがっていた。整経のバンドの始めの目合わせや巻取りの幅の設定が、一回勝負のコンマミリの感覚なんで、私は整経は一番正しく仕事できる人に仕事してもらうことにしていただけのことなんだけど、小さな会社の中でも、川上の仕事は軽く見られたりするものである。
2016年09月27日
今、調整を加えている案件、ちゃんと前向きに動いて積極的に動いてくださるので形になりそう。自分自身が積極的に動いてすべてを覚悟も背負っていくというのが一番難しいところで、それは技術とかじゃなく人間性。一つ一つの作業が時間すれば仕事というのではなく、動かないものを動かすだけでなく、思ったものを正しく作れるようにして初めての仕事としての最低ライン。

私からすると日本の仕切るアメリカの大統領候補のクリントンとトランプでも、中身の薄い保身的な論争の政治、国内の政治家の論争も自分が楽して食べていくのがまず先にあって、自分自身が捨て身じゃなくて自分の立場を守るのに必死で、保身的なサラリーマン大統領?ソ連のプーチンが力を伸ばしてきているのもわからんでもない。

トランプ氏が、メキシコ、中国、日本に仕事を取られたといっているけど、多くの日本人も中国などに仕事をとられたというが同じ感覚。自分のほうが優秀と思っていてもいつの間にか追い越されて、たとえば繊維製品に関しては、中国で作るもののほうが日本製品よりも、国内で受け入れられる流れになっている。中国の数千人規模のいくつかの企業集団の方々と話していても、皆さん紳士そのもので業界を作っていくという覚悟がある。逃げるがないのであって、今の日本国内の逃げるよう案ものづくりとくらべるとしっかりとしていて、仕事をとられても当たり前じゃないのかと思える。大統領になろうとして、70歳の人が、子供で、世界のリーダー、厳しい。クリントンにしても同じで、トランプ薄めたJr.にしか思えない。そに日本の政府とかが媚を売って、子供の子供社会。日米の小学生のほうがまだ純粋に人々の幸せを考える。人は年をとるごとに歪んでいくというのが多すぎて、アメリカの人がクリントンを駄目な奴と当たり前に批判していても、役職重視の日本だと、そういう駄目男ほど地位に居座る世の中。

私自身、日本の政治家たちが地位にすがる一方で、天皇が生前譲位をいわれたのも、地位に対して欲がなく、正しく公務としてなされているというのは、今の政治家たちが見習うべきところだろう。私利私欲にまみれて、政治資金、政活費、国民を欺く手段に対して取り締まるべき法律がないということで、弱者に対しては負担を義務としてかぶせて、江戸時代の悪代官の政治がよみがえったかの今の日本的な行政。正すべきところは多すぎる。
2016年09月23日
人が変わらなければ町の風景もほとんど何十年も変わらない。私の子供の頃と比べて、道路の側溝の上に道路が広がったりしたこと以外は、子供の頃にあった木が今も生えていたりすることがほとんど。20年、30年がほとんど時間が過ぎていないのと同じ。これというのは悪いことではないと思う。というのも田舎でも移り変わりの激しい8号線沿いなどは、全国チェーンの新しい店舗が生まれ新しいほうが勢いがあり、スクラップアンドビルト。

たとえば豊郷のストアー競争も激しく、地元スーパー丸善対Uストアー対決は丸善の勝ちで、Uストアーが閉店。Uストアー跡にピアゴが開店。丸善も平和堂の傘下に入って、競争色はなくなったものの、いついってもお客さんが少なかったピアゴが閉店。地元スーパー対全国チェーンスーパー対決。全国チェーンスーパーもこんな小さな田舎を的にしても仕方ないだろうと思うが、何百万点もの商品がお店に溢れていてもそれが回転していかない、どこのスーパーにいっても同じように大手メーカーのものが並んでいて普通の経営が基本。コンビニの何十倍も広さのあるスーパーでも、立地のよいコンビニのほうが一日のお客さんが多いのではと思えてしまう。スーパー対決やっているうちにコンビニがいつのまにか競争相手になってしまっているのだ。

スーパーの中に入っているいくつもの小さなお店。スーパー自体の集客力がなければその中にお店を持つことは自滅行為であろう。地元の勝ち組である平和堂の大津彦根米原などの駅前の上層階は、シャッター街を思わせる空き店舗となってしまっているところが多く、駅の中のコンビニがあれば駅前のお店にわざわざ行くという必要すらなくなってしまった。100円ショップがあれば、ほかの雑貨屋さんの存在が難しい状況。100円ショップもよくやっているなあと、逆に不思議に思える。お店というものの存在価値はあってしかるべきなのだろうが、普通に働いているだけでは成り立たせるのが難しいのが商業地でもない滋賀県という立地なのだろうと思える。

情報が動いて探さなくてもすべて手元で入る時代になった、地図、電車の時刻、商品の詳細。田舎でなんでこんなにたくさん家電メーカーができたのかなあと思うほどに、ジョーシン、K’sデンキ、ヤマダ電機などなど。店頭で買うよりもネットで買うほうが選択肢が多かったり、また安かったりと。実店舗で買うと店員の知識のなさなど経験することも多く、質問も時間の無駄でネットで調べたほうが確実だったり。本来は逆でないといけないと思うけど、そういう流れなのである。
2016年09月21日
レーザープリンタだが、到着して事務所の入り口に置いたままは邪魔すぎる。本当は時間をみつけてじっくりと作業したいのだがそうも行かない。もしも動かないなどの問題があったら初期不良で返品するなどしないとならないので、梱包を解いてセッティングしてみる。プリンタのセッティングというのは意味のわからないままにプリンタのメーカーの指図どおりに作業をするしかない。

USBでのセッティング、USBの認識が説明の紙どおりにはいかず、ネットでの新しいドライバ検索をしているような状態が続いているので、なにやら想定どおりにはドライバのインストールすらがうまくいかない問題に遭遇、それを中止するように適当にさわってドライバーがインストールされた。よしとする。プリントを始めて、きれいに印刷され始めた。

でも、違和感がある何百枚か印刷しているうちにだんだんと紙の地色がピンクに、一方で画像の赤みが消えてゆく。初期不良の個体に当たったようだ。今は電化製品も初期不良が数台に一台はあるだろう。メーカーにしても動かしてみないと本当に正しく動作するのかはわからないものである。消費者が製品の最終テストをする役目ということも多い。電化製品も安くなって海外生産になり、わけもわからないままに組立作業が行われているだけのことで、中のパーツとパーツの合性問題で、こういった不具合は起こりえる。

携帯電話と違って動作部の多いプリンタ。より不具合の起きる確立は高いものである。メーカーに返品したとしても、メーカーの人でもわからないことも多く、時間の無駄ということになる。修理よりも、返品交換の手続きをするほうが後々の問題も少ない。ハズレ個体というのは組み立てた人が下手なのでいろんな問題が潜んでいるものだ。一人の人の作業がわるいと、その製造ロットすべてに問題が生じたりするもので、家電メーカーが日本から消えていく背景にも海外で生産しても同程度の品質であるというあたりになっているのだろう。あとは修理対応などで対応する。どこの量販店も5年保証とか、今の家電製品は正しく使っていても5年も持たないことが多く、数回使って壊れそれが使うたびに起こるとか。

日本でも国内生産が消えて、メーカーが企画と販売だけをするようになるとそういう問題が増えてくる。動作部品に関していうと、実際の現場の作業のばらつきが不良の原因であることは多いが、それは製品が悪いのではなく作業している人の理解度の低さからでる問題だろう。現場でも、何が正しいのかわからずに作業しているケースがほとんどだろう。その理解度を高めるよりも作業を簡単にして理解しなくでもできる作業に落とし込もうとするのが、単能工。

メーカーでも製造の現場の人なら何パーセントかの不良があるのが当たり前と思うが、セールスや修理の人にしても単能工的なので正しく作られているという前提で話を進めると前提からことなりややこしくなる。
2016年09月19日
なぜか、今日は冊子印刷のためにレーザープリンタをネットで買う。今までも冊子を印刷してきたがインクジェットプリンタでは時間がかかりすぎるのと、色の滲みなどが気になって、大量印刷に向く、コストパフォーマンスの高いレーザープリンタに移行してみようと考えた。昔、20年ほど前に、C社のカラーレーザープリンタを買って正しく1枚印刷するのも大変苦戦したことがあって、その経験からC者のレーザープリンタは買わないと決めて、ほかのメーカーのを買おうと考える。

最近は、時間がなくて、使い方を覚える時間がなく、使うときも何一つ迷わずに使えるような機種が一番よい。なんで、マニュアルとかあんなに分厚いのだろうと思える。携帯電話なんかも、契約も複雑すぎて理解ができないが、取扱説明書も巨大化しすぎて駄目だろうと思えるほど。作っている人たちも使い込んでいないから不具合なんかもメーカーの人でも分からないケースが多い。

私自身、何かが欲しいという衝動は大事にしたい。というのも、普段、食べ物以外は何かを買いたいと思うことが少ないから、そんなことしていると取り残されてしまって、田舎の爺でしかない。年をとっても新しいことに目が向いて吸収する力がないと仕事するにしても小学生や中学生にも負けてしまうだろう。林与なんて小さな会社がそこそこ生き残っているのも、私の趣味的な部分が案外仕事と結びついているから、じっくりする時間はないけど、そういうプラスアルファな部分で仕事が支えられているようにも思えて、まれに、なにか欲しいと思ったときには買って試してみるのがよいだろうと思える。

稀の衝動買いとかいいながらも、たかだか、数万円のことなのだが、変なものを買いたくないのだ。吟味はそれなりにした。数年は使う気持ちで、つぶれても同じものを買いなおし同じ機種を使い続けたい気持ちで、レーザープリンタ、買ってみた。
2016年09月18日
私が思うのは、若い世代は私の世代よりも一般的に優秀だなあと思う。大学生や専門学校生とも接するけども、厳しい時代を覚悟しての人生観があるので、仕事なんかも正しくできるしまじめである。若い世代のまじめさというのは、繊維の仕事には向く人が多いのではないかと思えるのだ。

社会にでると、ハードルが逆に下がってしまうのではないかと思えるくらいで、学校の勉強のほうが大変だろう。私も、学校で、経済学や経営学を勉強したけども、今の仕事ではほとんど役に立っていないと思え、普通の逆に張らないと5年後の成功はないみたいなのが現実。無理だとか駄目だとかいわれることが、5年後には普通になっていたりも、多い。そう考えると、今は成果に結びつかなくても、ほかのひとがやらない今やりたいと思っていることを精一杯やっとくことがひとつの強い特色になる。

あることが行けると思っても急に勢いが落ちることがあるけども、ひとつのことにオールインは、時代を見失いやすい。常に、方向転換ができるように、仕事の中でいくつものことを並行してやることで、広く、なるべく深く。そのいろんな分野の知識と経験の組み合わせが、新しい出会いも生むきっかけになる。多くの人が、考えの違いの言い争いしていたりお金の取り合いしても全体では何も生まれてこないけど、自然の恵みを得るとかものを育てたり生み出すことが大事だろう。
2016年09月17日
今日は、麻、京都の藍染作家の梅崎さんがお越しくださいました。大学の講師もされておられお忙しい中、近くのお客様のところにお尋ねになられるということで、知り合ってから、たぶん5年越しくらいで初めてお越しいただけました。梅崎さん以外でも何人か大学で講師をされておられる先生がおられますが、多くは女性で、私が思うに大学みたいなところは企業以上にかっちりとしているので計画や準備なども企業以上に必要で、お忙しいのもよくわかります。

近江鉄道というJRと比較して運賃が高いということで有名かつ利用者も少ないローカルな鉄道があるのですが、その八日市駅に梅崎さんをお送りしたときに、今年一番の大雨で台風の接近と関係があるのだと思いますが、1秒でびしょぬれの雨。滋賀県の印象が魔界のような大雨の印象となられては誤解が大きいので、たまたま、異常な大雨がお送りしたタイミングで降ったということを書いておきます。

2016年09月15日
今日は朝からシャトル織機を調整。たぶん、道具があれば1時間くらいあれば調整ができると思っていたが、予定通り、部品を移設して、若干の調整を加えて動かし始めると、スムーズに動いて、私が動かすだけでなく、初めて力織機を触るお二人に使い方を教えさせていただく。お二人とも非常に飲み込みが早く、正しく糸も触って確認作業も行える。

私が調整したのは4箇所から5箇所程度。調整を加えるのは勘ではなく、感覚。前回に触ったときにすでにほぼ良いところまでの調整がなされていたけども、それ以上の調整ができない無理があるのを感じる。調整しても織れない気持ち悪さの問題がある。たまたま、その原因が見つかったので、道具さえあれば1時間で動くようにできるだろうと思えた。

たぶん、正解だったのだろう調子よく、元々の織機のタイミングが良いのか、前の方の調節が良いのか、シャトルを叩くタイミングと開口のタイミングとは合っている。スピードを落としても問題なくシャトルがキャッチボールするように飛ぶ。ゆっくりと寸動で動かしても段もできない。悪くない。でも、自分の力で動かされるときに、注意していただくのは、安全。動かすときにシャトルが飛び出る可能性のある範囲に人がいないか。電気が入っている織機を二人で使ったりしていないか。回転部分に髪の毛や携帯ストラップや服の端が巻き込まれたりしないか、など。

目標とされる織物も今の設備の中で生み出せないこともないだろう。この織機たちが動くようになれば、産地での織りが新しく生まれるきっかけになる。新しく産地で織物が生まれていくことは素直に嬉しいので、積極的かつ献身的に乗り越えて目標とされるものを生み出してほしい。そして、自分が作ったものを売って成り立たせる試練を経験し、乗り越える、それこそが仕事の基本、食べていく基本。一台の織機でも、気持ちもって動かしてあげれば、いろいろな色柄を生み出すことは可能であろう。

私自身、どんな織機なのか、動くのかどうか興味があって触らせていただいた。今日の一台にしても調子もよく、十分にいろいろなことができる織機である。仮に一台でも、経本数を増やしたり整経なども色柄くわえればできることは無限大。林与も理想とする、ご飯を食べるように、自分が作りたい織物を産地で生み出してほしい。今日のお二人、吸収力と素質ある。林与でも現場、実質数人なので同じこと。
2016年09月14日
織物の仕事で経験者も初心者も土俵は同じ。私からすれば、どの工程でも1週間2週間仕事すれば基本はマスターできると考えている。昔なら、その1週間でマスターしたことを一生するというのが一生の仕事だったのだが、それも今は生きているのは海外の大量生産の世界の仕事スタイルでしかなく、生産量が少なくなった日本ではそれが一番脆い形態である。仕事がないときに自分で仕事を生み出せる人でないと一日仕事がない。小さな織物工場でも、仕事というのはあふれているのだが、それをこなしていける能力というのは人それぞれで、ほかの人が準備しないと仕事ができないとか、自分のやった仕事が管理できないとかだと、仕事があってもできないばかり。

夏のインターンで、織機のアンダーモーションが外れて、また私が直さないと駄目なのかと思って2日寝ないに近い状況で少し休んでから直すからといったら、インターンの子がそれを自分が直してみると素でいう。その最初の一言で、インターンの子が現場の子を抜いてしまう。手を真っ黒にして1時間半ほど、曲がった部品をまっすぐにしてくれていた。そこで、私の手がいつも汚れている理由が分かったという。誰かがやらないといけない仕事、誰がやるかだけ。ほかの人に期待してほかの人に仕事してもらうのか、自分がその仕事をやるのかだけのこと。
2016年09月13日
OSAKA手づくりフェアで、リネンガーゼの生地が予想以上に人気で、お手ごろなこともあってだろうけど。生地というのは海外産であるのがほとんどなので、1m600円で、国産生地であるということに驚かれる。基本、リネンガーゼ生地は、縦糸はケース買いした新しい糸を使い。横糸は、生産のたびに数キロ残った糸を使うことでコストを下げている。残った糸を使うといっても、箱に残った未使用のきれいな糸を使っているので、数百メートルごとに糸のロットが変わるけど、まっさらの縦糸X横糸の商品となんら違いはない。シャトル織で1m600円はお買い得だと思います。

この生機は、加工して林与の製品となることもあるが、多くの作家さんなどが作品作りにも使ってくださっている。染色作家さん、プリント作家さん、ストール作家さんなど。プロの方も、毎年継続して使ってもらえるように定番の商品として用意している。バルクになると安くなるかというと、実は、段なく、きれいに長く織ることが難しく、反買いいただくときれいな一反をご用意することが難しいこともある。バルクで買っていただいても値段が下げにくいのがその理由である。

この生地をお洋服に使おうとされる方がいてくださるのだが、できないことはないだろうけど、縫い目滑脱という問題があって、縫製の方法を工夫していただけば、羽織物やカーディガンなどにお使いいただけないこともない。相当の縫製の腕が必要ではある。このリネン66番手タイプの上のグレードが、リネン100番手タイプのガーゼストール生地で、こちらも林与の細番手リネンストールのベース生地になる。こちらだと同じ目付けながらより一般の生地に近く目ずれが起こりにくいがそででも縫製の技術が必要な目の甘さがある。

一般のアパレル向けの生地とガーゼストール生地では、用途が最初から異なる。それをうまく乗り越えていただくと、市販のものにはない素敵なものが出来上がったりする。ハンドメイドの祭典だけに、お客様のお洋服など拝見していると、リネンで決めておられる方も多い。3000円から4000円あたりの素材しか持ち込まなかったが、L150のアパレル素材とか、アイリッシュリネンとか別格もたぶん、見たい方はおられただろうなあと思う。5年10年が早い、というのをいつも思う。その意味は、5年前にできたことが5年後の今はできなくなってしまっているということ。今できているようなことを継続していくだけでもたぶん、10年あとには、国内ではより希少な存在になっているだろうと思う。私自身、産地でほかの機屋さんが辞められていく理由もよく分かるのである。

昨年廃業された和装系の機屋さんの場合、やっておられる仕事は基本量産のみで、一度縦を作るときには1000mとか巻かれて、何ヶ月も織り続けられ、同じものを10年繰り返し生産し続けるというような仕事をされていた。それだから一人で最後まで守ってこられたのであろうと思える。ひとつの生地を正しく作って回転させるという当たり前のことに思うようなことでも、一時間に1メートルしか織れない物をキズも出さずに、一日8時間動かして、7万円の売り上げを作られるとおっしゃっておられた。7万円のうちには、糸の値段、糊付の値段、染の値段、加工の値段、その他固定経費がすべて入っているので、残るのは1日、1万円から多くて2万円だろう。一日に何十メートルかを織って、一人が働いた分が正しく出るを繰り返して商売を成り立たせておられた、70歳過ぎておられながらも、本当に立派であり、そういう方に辞められる前に出会えたのはうれしかった。

こういうオンリーワンなことでも、欲を出せば終わりだろうと思える。無駄をすべて絞って自分が働くことで解決されるような形だったから生涯の仕事として続き、きれいな形で仕事も閉じられた。お話を聞いていても仕事ということを当たり前にこなして、考え方もまっすぐでおられて、本当に気持ちが良かった。商いとしては、コンビニで働くほうが良いかもしれないが、コンビニでもそれなりには大変だろうが、ほかの誰もできないことを欲も出されずに全うされていたというのはすばらしい。私も微力ながら片付ける生地などおありなら買ってくれる人を探すの無償で協力しますよと申し出たけど、従来のお客さんを大事にしておられて、その方たち優先で安くても処分したいといわれ、本当に作った生地にも愛着をもち、欲のない方だなあと尊敬の気持ちになる。こういう方がおられて、国産の和装の麻織物の守られていたという日本のものづくりの背景なのである。
2016年09月12日
今日は地元の工場の社長さんが朝に電話くださった。仕事がこの3ヶ月ほどほとんどないという厳しさで、従業員を抱えておられ仕事が少ないという気の毒な話であるが、仕事を作ろうとすると見本が必要で、そのあたりが昔と違って難しくなってしまって、見本を作らない流れで仕事が少なくなる流れ。工場さんにも仕事が少なくなってもよいと合意もいただいて見本も作らないのが数年も続いた結果のことだが、数年もその流れが続くと市場自体が小さくなってしまう。

地元の機屋さんの情勢というのは数年前から予想もできて、機場を抱えて動かしておられるところほど苦戦されているのがよく分かる。地元でも座布団で一番元気にされていたところが機場を閉じられたりとか、私には座布団というものの価格や需要の低下でよくいままでやってこられたものだと逆に感心するほど。先代なんかは最後まで残ればなんとかなる、とか言っていたけど。傾いた流れを変えるには新しい感覚が必要。昔の流れで最後まで残れば大変なことになるだけだと思える。昔の流れを残そうとすれば別腹で残し、食べていく道はまた新しいその道を探していかないとならないと思える。そういう時に変われない現場があるとしたら現場を支えていくことはまことに大変である。

その座布団の工場も現場を閉じられたものの別の新事業で生き残られる道は残され、先見の明のある事業転換を行われていたので結果よかったのではないかと思える。経営者というのは従業員のことを考えて方向転換できないことも多く従業員を抱えつづけ事業を続けることで、経営者自身が仕事続けてお金を失う状態で破綻してしまうことが多いから、状況に応じた経営判断は将来のことを考えて必要だろう。失ってしまうと惜しいと思える現場であり、働いていた人も自分で採算を成り立たせるすべがあれば残せるのだろうがそこが難しいのだろう。近くの金襴の工場も、社長が亡くなられて、従業員さんは何人もおられたけどそれを成り立たせて動かしていく人はいなく廃業された。

結局は、商売は誰が背負っているのかという問題につきないかと思うのだが、本来、背負われているものがいつしか背負う側に回るのが正しい流れに思うが、背負われる人生を歩む人と背負う人生を歩む人の線引きみたいなものがあって長年続いた商売でも終わりが来るのだろうと思えてしまう。大企業でもあるまいし、大企業と同じような経営者と従業員のような線引きしてては優秀な人の集まる大企業と比べて、大企業でも苦戦の日本で、中小零細というのは普通の人の集まりで普通にしていては成り立つはずもないと思える。そういう線引きがないのが本来小さな企業の一番の強みではないのかと思える。
2016年09月11日
マイドーム大阪のOSAKA手づくりフェアで、林与の地元の清水惣の会長さんが、朝、顔を見にブースに来てくださった、今回のOSAKA手づくりフェアの役もされていて、林与が出ているのを知って、がんばってるねえ、と激励に来てくださった。私のほうが滋賀県の地元の方が大阪で役をされているのがびっくりなのだが、清水惣さんは全国展開+海外展開されている会社なので、国内だと東京や大阪にも根付いておられる。

林与も、営業を考えていくとやはり、東京や大阪に営業所を持つべきなのだろうかと思えたりもするけども、先代のころは、東京や大阪にある問屋さんに営業をゆだねて商売を行ってきた経緯がある。私自身、よい売り場に立たせていただくことも多いけども、店頭もなかなか生地売りというのは苦戦ではないのかとも思えたりする。生地屋さんのほとんどが、自社生産ではないので、林与のように自社で生産して販売する会社なら店舗を持ってもそもそも在庫リスクがあるのだから負担が大きくなるわけでもないからよいのかもしれない。

織物工場持つのは、布のお店もつのよりも大変なことやっていると思っているので、お店願望は後回しでよかろうと思える。百貨店さんのイベントなんかに参加していても、常設店って維持していくの大変だろうなあと思えるところもある。今後、林与もウェイトをおいていくべきは自社の販売ルートの拡充になるだろうと思えるが、自然な形でルートを増やしていくべきだろうと思える。一般に、林与の生地は高すぎて一般の生地屋さんだと重荷になってしまわれるだろうから自社ルートの確立が必要だろうとは思う。OEM的に、生地のお店に卸販売させてもらっているケースもある。
2016年09月10日
今日は、朝から刺繍の先生にヘルプで入ってもらう。土曜日の朝だったので私のほうが道が空いていたので、早く着いて新しいキッチンクロスなどを準備。初めてのフェアなので、まだ、どういうものがお客さんにウケるのかがわからず模索、リネン糸ももってきて販売してみる。今回は、リネンキッチンクロスもリネン糸も値段が折り合わない感じで、無理して生地を持ち込んだのがよかった。

ストール用のガーゼ生地などが手ごろ感からか人気で、洋服をつくられる方もやはりあった。ストールの製品は高すぎて売れ難いだろうと断念、正解だったと思う。キッチンクロスの売れ行きはあまりよくなくても、触って下さるお客様はいっぱいあったので、ブースはキッチンクロスのおかげで賑やかであったと思える。生地を販売しているのは数社だけしかなく、まあ、売り場に生地があるというのは素敵じゃないのかと思う。

今日は、刺繍の先生のお子さん二人も手伝ってくれて、礼儀正しくいろいろと手伝ってくれた。小学2年生の女の子は掃除好きらしく、林与にきたら掃除いっぱいできるよ、というと、目がピカッと光ってにっこり嬉しそう、本物の掃除好きマニアなのだ。小学2年生にして能力高く、時間をもてあまして、難問に挑戦したいタイプなのだろう。一応、大きくなったら林与で織物の仕事やってみようと誘っておいた。はい、と元気な返事なのである。

終了時刻になって片づけを始めようとすると、生地の撤収が予想以上に困難を極める。なんと、刺繍の先生+お子さん二人+ご主人、カンファの数人、大城戸さんの専務とマナちゃん、私を含め、合計10人弱での撤収作業となったが、それでも一番遅いくらい。来年は撤収も考えて生地を用意しよう。今年で何が好まれるのかもわかったので、もっていくものも絞れそう。みなさん助けていただいてありがとう。

無事に2日間が終わって、朝から食べていず空腹のなか、ひとり帰路。大阪で食べるのか、京都で食べるのか、はたまた滋賀県で食べるのか。結局、滋賀県の地元の台湾料理のお店で食べた。このお店は空腹の私でもセットメニューを食べきるのが精一杯なくらいにボリュームが多い。お店の子供が遊んでいる、こういうお店が地元でもほとんどなくなって、きれいだがありきたりなお店ばかりになってしまった。

セット定食を頼んだが、なぜか、から揚げが1個じゃなくて、今日は2個ついていた。このから揚げ1個だけでも、食べと十分胃がもたれる大きさ。ウェルカムしてくれているのがすごく伝わってくる。完食して、ありがとう、また来るよ。台湾から来て日本であこがれのお店をもたれたのだろうが、土曜日の夜でどこもお客さんが一杯なのに、ここはお客さんの数が少ない、外からみると中が見えなく、やっているのかどうかわかりにくいのと、本格的な台湾料理の味というのが日本では馴染まれ難いのだろう。子供をターゲットとしたメニューが、お子様ランチ的に必要だろう。
2016年09月09日
朝の電車に乗り込んで、キッチンクロスを2つのスーツケースに満タン。駅の階段を上ると腕が抜けそうである。一つのスーツケース30kgは軽く超えている。なるべくエレベーターを使うが、会場までの道のりが遠い遠い、本町の駅から時間節約のためにタクシーに乗る。

朝から手づくりフェアは人がすごい。会場の瞬間にお客さんがマラソンのスタートのように、目の前を走って行く。用意して行ったキッチンクロスよりも生地を探される人が多く、生地を売るほうが良いのではないだろうかと思える。キッチンクロスが1枚1000円でお買い得なのだが、一枚1000円のキッチンクロスが手づくりフェアの相場からすると高く思えてしまうようである。場所も、一番良い場所をもらったような感じに思える。

お隣の増田哲さんのところでは、2枚で1000円のスモッグエプロンが大人気で多くのお客様が買われていた。また、大城戸さんのところでもレピア織機の捨て耳を販売されていて大人気であった。結構、時間が余ってお話できると思っていたのだけどもお客さんが続いていたのであまり話せず。

林与の生地のほうは、1m600円のストール生地などがよく売れていた。ほかの展示会ではストール生地は持ち込んでもあまり売れないが、ハンドメイドされる方が多いので、ハンドメイドストール生地が売れるのだろうと思える。PR用につくったパンフレットもたくさん配ることができてそれはそれでよかった。
2016年09月08日
今日は、マイドーム大阪での手作りフェスタの準備。キッチンクロスを内職さんが仕上げてくれるが裁断が間に合わず足りない分を会社で昨日から作っている。午後3時に出発するも高速道路が事故渋滞で下道走って午後6時過ぎの到着。藤原織布さんがご夫婦で同じ到着、心強いが、午後7時までの準備で、反物の梱包を解いてダンボールに突っ込んだだけで、キッチンクロスは明日の朝の準備。

林与の出展は初めてなのですが、売り上げよりもPRの意味と、場の雰囲気を盛り上げるために反物を持ち込むのだ。秋に突入していて麻にとっては販売が難しい時期ではあるが、大阪はまだまだ暑いよ。明日も最高気温31度になる予想。

大阪からの帰り睡魔が遅い、途中休憩3回ほどして夜中の帰宅。1時間ちょっと寝て、シャワーして、朝の出発の準備。キッチンクロスとハギレ布をスーツケース2個に満タン詰め込んで朝6時半の電車。すいません、ネットの出荷の指図などが適切にできず、遅れ気味になっております。お仕事のお客様も対応が遅れ気味で申し訳ありません。

そろそろ、来年2月のインターテキスタイル上海、ミラノウニカの航空券やホテルの検討。

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