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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年09月06日
繊維の世界で、食べて行くことが難しいのは、素材に関しては手の込んだものをやればやるほど食べて行けなくなることだろう。そういうのは別腹でやっていける人でないと仕事の食べていく部分だけでは、あまり面白くない仕事人生になるだろう。組織も人が増えると強くなるばかりとは限らず、普通の考えの人が増えて、中に温度差ができて、崩壊に向かう。少人数で濃い要素というのが強いものづくりの理想だろう。

林与にしても、滋賀県では一番強いくらいに絣の近江上布を生産していた主体の一つであっが、小さいながらも出機さんを含めると村規模の生産。人を多く抱えるがゆえに逆に衰退するときには早いもの。旧愛知川、今の愛荘町に麻織物伝統産業会館が出来上がるきっかけの一つとなっている。林与の近江上布の世界は地元でもあまり知られてはいないが、近江上布が国指定の伝統工芸品としての「近江上布」に認定される流れにも影響を及ぼし。近江上布という言葉も、「上布」とはいわれていても、近江上布とは言われていなかった。実際には新しい言葉説がある。林与の近江上布にしても、認定される前につくられた林与の箱には、近江麻上布という言葉がついている。そのときはまだ近江上布という言葉が定着しておらず、ほかの産地と同じように、認定の際に「地域名+上布」という形に落ち着いたのだろう。

本麻の甚平やシャツ、ハンカチ、ネクタイなど、生地だけでなく、いち早く製品化したのも林与で、産地の製品のPRにも貢献をさせていただいてきたとは思えるが、販売して売るの本業は生地売りであって、製品販売はそれほど強くなかった。今はそれをほかの企業さんも地元PRの気持ちでリスクを覚悟で行われているのは大変な苦労だと思える。商売としてはなかなか成り立たないものだろうが観光の要素としては実物に触れ、買える機会というのは大事。一度傾いた産業を復活させるには、違った視点が大事だと思える。生地を人に任せて売るのが難しくなれば自分で売ればいいじゃないか、製品にして売ってみればいいじゃないか、自分で食べる道を考えて仕事を続けられるようにしていくことは大事なのである。

1970年代の麻ブームが起こった背景のひとつも、林与がヨーロッパで広幅で麻織物が織られているという話を聞いて、織れると信じて、人柱的に産地で最初にレピア織機を導入したことにある。昭和50年代初頭に、繊維産業が傾く流れの中で、親族経営の会社が生き残りを掛けての何億円もの投資で、うまく成功して織れた。短期間のうちに産地のほかの会社も次々とレピア織機の導入が行われ、加工工場でもアパレル向けの広幅での生産が主流になり、アパレルにも使える麻生地の生産が国内でもできるようになり1970年代の日本の麻ブームが巻き起こった。

林与がレピア織機の導入をしていなければ、ほかの機屋さんがやったかもしれないが麻ブームも数年遅れていただろう。あるいは、産地も小千谷のように麻の小幅織物の産地として残っていたのかもしれない、近隣の長浜は浜ちりめんながら小幅のままに織物が残っていて、昔ながらを守りながらも高級着物の需要が減る流れの中で苦戦中の苦戦を強いられている。実は林与の絣織物が、色使いやテイストからしてハイカラであまりに似通っている小千谷上布の絣織物に影響を及ぼしているのである。林与は、小千谷の一つの業者さんとも友好的な関係にあったから。小千谷の機屋さんが送ってくる封筒には記念切手が貼ってあり小学生の私にはそれが楽しみであった。

あるべき姿というのは最先端なことをやってきたということで、伝統技法を守るというよりも伝統技法を生み出してきたのがこの産地。守る部分ばかりでなく、自分たちが食べて行くために絶え間なく新しい技術を取り入れ進化させてきたのである。私自身、シャトル織機に傾倒をしているが、昔のものを織るばかりでなく、リネンの細番手に挑戦したり厚織やってみたりと、シャトル織機の長所を活用しながら自分の麻織の世界を展開している。こういうのも惑星直列ではないが、奇跡的にいろんな要素が縦に並んで、続けることができているだけと思う。ときには、1ヶ月1mも綺麗に織れずに苦戦する織物もあるけど、それとは別に普通の仕事もこなしながらなので、何とか食べて行ける。高度な織物や新しい織物というのは仕事とは別腹で形にして継続していかないと。最近は現場の力が落ちているので高度なものが少ないがあっと驚くようなものをまた再開したい。
2016年09月05日
昨日の夜、インターンの生地の織り初めで、一つ大きなトラブルがあった。ヒガエを使わない横糸が一色の織物だったのでインターンの生地を織るのには問題がなかったがダメージ大な出来事。

生地を織るときにシャトル織機の左後ろのほうで異音がした。シャトル織機がヒガエをした途端に、角材がなぜか機械の下にあって、ヒバコが下がるのを邪魔して、鋳物でできた部品が割れて壊れ、異音がしたのだ。何十年も使う織機の一台が大きなダメージ、使えなくなってしまったのである。溶接すればなんとか直るだろうが、調子のよかった織機に分解修理が必要となり、また大掛かりな修理の一つ仕事が増えてしまった。昨日の夜は相当へこむ。でも、その話を今朝すると、現場の女の子が昨日掃除をしたときに角材をシャトル織機のヒガエの機構の下のスペースに置いてしまったということをすぐに話して自分の失敗を認めてくれ、その自分の失敗を認める素直さが逆にうれしくて正しくて立派だと思い褒めた。

ダメージ大な出来事がよい思い出に変わった。ものづくりというのは人なんだわなと思うのもそういうところ、失敗や困難な出来事があっても本人が責任感を持って対応してくくれれば、それがうまく解決できないとしてもなんとか納得できることもあるものである。法律や規則というのは厳しいもので、私自身は社会を豊かにしていくためには、法律よりもモラルが優先されるべきだろうと思える。

たとえば、失敗したことを罰しない法律が存在するのかという問題。本人が、交通違反なんかをして認めないと罰せない。人間がモラルがあって正しく認めると罰する。たとえば、都知事たるものがが悪いと認めないことで、万引き少年すらも罪悪感を持って物を盗み罰せられるのを恐れるだろうが、地位のあるものは罪悪感も無く罰する法律も作らずに刑務所に入ることも無く、法の下の平等を謡うゆがんだ法治社会の典型なのだ。行政に携わるものが上のものが悪いと分かっていても自分の所属する組織が民主主義だとすれば許されない行為だと分かっていても正すことすらできない。結局、市民革命てきな要素が働くしかないのが、日本の法律が国民や市民を守るためでなく、為政者が傲慢に国民や市民を縛るだけになっているという行政の巨悪が正当化みたいな法治社会における未必の故意敵な法が適用されない無法国家を生み出す。法が力を持つものの犯罪を正当化してしまうというのも心が綺麗な素直な小学生が考えるとおかしなこと。でも、そういう素直さに便乗して、法を強いていくと、いつのまにかゆがんだ大人に教育されてしまっていくものである。政治や行政というのは力、そうなり易いものである。

ある大臣がオービスによる速度違反で処分されたニュースがあったが、法治国家が正しく機能しているのに驚いたくらい。主義主張は分からないが、十分に、もみ消せる立場で、もみ消す出なく罰せられるほうを選んだ素直でよい大臣であるような気がする。普通は立場を利用してもみ消して正しい人を装い上に立つというのが今の日本でも主流になりつつある。砂上の城、それでは素直に法に従って裁かれるものがかわいそうなくらいになってしまう。法律というものがどんどんと複雑化してすべてを罰する方向に、自転車の国道すらも車道走れなんかは、田舎だと人が死ぬ可能性が高いがそれも法律として正しいとされると、普通に法律を守って生活して人の命を法律が奪う可能性があるということに気がつかない人が法律をつくっているのだろうとしか思えない。この件では警察官ともぶっちゃけ話で話したが、警察官ももちろん危ない法律だと分かっていて、それをとがめることはしないというが、馬鹿な警察官やその上司がいたりすると人が死ぬ可能性のある法律を優先して、権威振りかざし取り締まるんだよなあ。

日本の政治利権にまみれたETCなんかでもETCの業務員すらもが轢かれて死んでいるけどそれがまさにシステムの問題なのだがそのプロの命を奪うシステムを裁く法律がなくだと、不幸な事故は決してなくならないよ。ゲートが降りているところにとまらずに車で飛び込むというのも暴走的だと思え、機械を信頼してのことだが、そういう死亡事故につながっているが利権優先かよと思える。日本では遮断機のある踏み切りですら遮断機が下りていないのに止まり、止まらなければ罰せられるのに、目の前にバーが閉じているところに突入というのも、理不尽で、法を支配するものの利権や保身が絡むとなんでもありでは法律がゆがみ困るのだ。国際基準地の80倍の放射能汚染度がばら撒かれるのも、法律のなす業。それをやるのが環境庁。

国民の健康を守るために動かないといけない省庁が、利権や保身が絡んで国民の健康を損ねることを正しいとして推進。法律つくって罪悪感のない殺人というのもそろそろやめないか。ずるい目的で法律が出来上がり始めると、そういうずるいに妥協できる感覚の人しかついてゆけなくなる。チェルノブイリ以下なのは、炉心誘拐で放射能がばら撒かれているのに国民に知らされず隠匿して6ヵ月後の放射能漏れ公表。日本が笑ったチェルノブイリよりも隠匿の度合いが高いのが日本の行政、人も死んでいても事故とは関係ないと否定して済ませている。国民は利権を搾取される側、公務員以上に我慢もしているし、行政の利権や保身優先の結果の失敗も被らなければならないのも耐えている。でも、軽い気持ちで人の命も絡む問題に対してもうそばっかりでは困るんだよね。

保身だらけで自分の失敗を認めるが少なくなった世の中で、失敗を素直に認めるのも大事じゃないのかと思える。家で働いている子にしても、この国の自称トップリーダーたちより人間としてまともなのだ。私が東電の社長なら、福島原発所長の甲状腺がん死は、福島原発事故の放射能漏れを伏せたが故の死亡事故として原発行政に生かすけどなあ。一番くらいに危険なものを安全と言い切って進めるのがすごいよね。原発行政も推進するにしても、安全じゃないけど経済的にで正直に進めるべきだよ。関電の値上げ告知の電話担当、値下げのために原発は安いというだけで、事故の起こったことや安全なんて何にも考えてない。いやなら契約破棄だとさ、性質すらも悪い。値上げしてもよいから原発止めてほしいと言ったが、それに答える言葉も用意できていない。ほんと腐りきっていて駄目なんだよなあ。選択肢に、他人の命が犠牲になろうが利益優先で原発を止めるがないのが原発運営、原発行政。国が絡んでいるとこうまでも無茶苦茶になるのかの典型。トップだけでなく末端の対応するものまでもが、放射能漏れなんてしったことじゃないという感覚。利益や保身が一番では、原発は今後も事後が続き爆発し開き直るの繰り返し。

国の組織なんて、生地の話じゃないけどズルズルな組織。それが国民に対しては、すべて完璧な組織であることを要求する。国のズルズルなしわ寄せも吸収させながらだから、いくら完璧に穴のもれていないバケツだとしても、一生懸命に水が漏れないように頑張っているのに、穴を開けられて穴を開ける人に水をもらすな指導を受けるようなマッチポンプ。穴を開けるスピードのほうが速く、経営努力というような水漏れの修復作業にも似たわずかな努力の積み重ねでは、日本経済という全体が成り立たなくなっている。
2016年09月04日
今日が夏のインターンの最終日。機も立って、糸も繋ぎ終わった状態で、糸を送る作業でまたもや、苦戦。縦糸が100本以上切れてしまっているのを直す作業。前と後ろに分かれて作業してもらう。そのスピードは相当なものだと思うけども、それでも延々と何時間も作業。腰も痛くなられたことだろう。でも、まだ布を織る作業にはたどり着かない。筬通しなども必要である。並行して、チーズワインダーでは、次の整経の糸を割る作業。

夜には、織る準備がやっとできて織り始め。想定していたよりも組織が甘く、組織の変更が必要であり、カードを作り直すことに。明日からは学校、今日の夜中の夜行バスで東京に戻られる。Sさんも作業は楽しいと頑張ってくれるけども眠さも極限だろう。寝る時間を惜しんで仕事しても、一本一本の糸を扱う麻織物の作業が進むというものでもない。最後まで布が出来上がらない状態でのインターン終了で、そういうのも現実の仕事でもいくら無理をしても納期に間に合わないこともあるのと似ている。

すごく能力も高くがんばり屋なSさんで、2週間週末もなしに朝から晩まで自分なりの力も出し切ってくれたけど物事が予定通りにできないこともあるのも分かってもらえ、それが現場の現実なんだということも体験してもらえたと思う。最後も夜行バスの出発ぎりぎりにバス乗り場に到着で、やることだらけが残っていて目の前のことに追われるというような状態も見てもらえたのではないだろうか。

Sさんも新しいことでも何でも自分がやりますというタイプの方でそれゆえに、仕事が理解でき仕事が見えてあれもこれもやらないとならない作業が頭一杯手一杯になってしまうのも分かってもらえたと思う。ほかの人がいてもその人たちができないと逃げる部分を自分がそれを抱えて解決して行くという経営者的な視点も、今は専門学校の学生であられながらも来る前から持っておられるというのは驚きであった。今の若い人たちが意欲さえもっていれば、数日で経験者を越えるような力に達してしまわれるあたりが恐れるところで、日本の地場産業というものが衰退して行く背景には、海外ではそういうなんでもやりますみたいな力があふれているのに先進国とされる日本の繊維ではそういう力がなくなって仕事の本質も見失い、軽く考えがちな新興国にも追い抜かれてしまうのだろうと思うのだ。学校教育を受けていない子供たちのほうが日本の大人よりも仕事を覚えて実際にする力では強いことも多いのが日本の抱える課題ではないのかと思える部分がある。

小さな企業が大手企業のものづくりシステムを理想とするようなことしてては大きいところにも負けて行くのも当たり前で、小さな企業のものづくりの魅力を発信して行かなくては駄目だろう。規模の小ささを利用してカラパゴス的な世界を作り上げるしかないんだろうなあと思えるのだ。今回のインターンのSさんでも、二十歳半ばながら、一見、中学生か高校生のバスケ少女が、どこでも生きていけそうな力もっていて、私も含めるおっさん連中以上に仕事に対しての意欲があり、地力もあるというのも怖い話なのであり、それが今後の日本の繊維産業の希望であり魅力の一つだったりするんじゃあないだろうか。私のお客様や知り合いの方でも、ほんと繊維にあこがれもって貫いておられる女性の方が多く、気持ちからして本物だから強いのだ。自分じゃなくても、自分は消耗品でもよいから、そういうやる気のあるだけでなく実際にやる強い人が生き残って日本の繊維業界や世界の繊維業界を盛り上げてほしいと願うのである。
2016年09月03日
シャトル用の12枚の機が完成して、それを織機に載せて、整経したインディゴ染の紺色の糸を繋いで、縦糸を送って、筬を通し直す作業。4枚の機から12枚の機に変更するのが予想以上に梃子摺ってしまって、それを待つ状態で2日間が過ぎてしまった。その間というのは倉庫での作業やワンピースつくり。

自分の企画した布ができるまでに、工場の中で人が作業をし続けていても何も生まれていないように思える時間が非常に長いのも経験をしてもらいたい。2日、3日何も進んでいないようでも人が働いていて少しは進んでいるのである。それがこだわりを生むためのものづくりだったりするものである。また、人が働くにしても現場の人の力というものもいろいろと異なるということも実感をしてもらいたいし、それが結果としてものづくりの強さ弱さにつながってくるものである。

自分が作りたいと思う布を得ようとするときに、外を探すのか、自分で生み出すのかでは大きな違いだろうとは思う。あるものを探すよりも自分でつくるほうが何倍も労力が掛り基本成り立つものではない。でも、それをやるところに意味を感じることでものづくりが成り立つみたいな部分を、繊維の業界に携わっていかれる方には知っておいてもらわないと根本の部分でミスマッチばかりだろう。出来上がった布を探すのと一から布を作るのとは、同じ布を手に入れるにしてもまったく別の話なのであって、プロとして洋服を作るために布を探される方ならその意味の違いを理解しておいてもらえたらと思う。
2016年09月02日
今日は、午前中に、インターンのSさんが彦根のコミューンさんでシャツを仕立ててもらいたいということでコミューンさんに伺う。作るシャツのイメージは順当に決まり、コミューンさんのボタンに関するお話などを聞かせてもらう。琵琶湖で取れた貝の貝殻からつくるボタンに拘られているお話や、陶芸の森でされる展示会のことや東京で参加される展示会のことなどもお聞きする。

ものを作るだけでなく、魅せて行くという部分も計画して進まれていて理想的に思えるが、大変だなあと思える部分も多いが、大変なことやっているからほかにできない強みとなるのだろうと思える。彦根のテナントの中でも、シャツの仕立屋さんがあるというのは地域にとっても素敵なことではないのかと思える。お店の中から外を通られる観光の方々を眺めることができるのだが、コミューンさんの店舗に興味を持たれてお店を眺めておられるのが分かる。買うシャツじゃなくって作ってもらうシャツという世界は、ものだけじゃなくて作り手とのコミュニケーション的な要素が多いんだろうなあと思える。

今日の夏のインターンは、機を4枚から12枚に変更する作業待ちで、出荷や倉庫作業などを手伝ってもらう。検反機のメーターが正しくカウントされない状態で、手で測って巻くなど。初めて本格的に検反機を使うのに検反機の使い方も案外上手で、検反場で一人作業数時間もクリア。電話なんかが掛かってきてこれとあれの仕事があるとやらないとならない作業を伝えると、しばらくして私が忘れていてもあれとあれをまだやらないといけませんねと、覚えていてくれてるところとか優秀。今回のインターンでは、来てすぐにトラブルがあってそれを対応する様子を連日見てもらっていたから林与の仕事の本質なども見てもらえたかと思う。
2016年09月01日
今年の春から事務所前の外に置いてある織機に蜂の巣が作られていたが、今朝、事務所の階段を下りようとすると、蜂が攻撃的に迫ってくる。今までは蜂は私が巣の近くを通っても私のことを大家さんと思って攻撃もしてこなかったのに、突然、大家への逆襲が始まったのか。巣を調べてみると、蜂の子たちが孵化したようで、今日が飛び立つ日のようだ。巣もほとんど空のようなので、蜂スプレーを掛けてもう蜂が近寄らないように対処。

昨晩織機から下ろした反物の織りあがりの状態があまりにひどくて、今朝、その織機を動かしている人に問題があるのかないのかを確認。織機に問題があるのではなく、織機を使っている人に問題があって織機を調節すれば直る話なのに、報告もせずに、どうしようもないレベルの話。どうしてかと思うほどかなり無茶苦茶に4箇所の調整の位置がずれているのを15分ほどの調整で直す。織機には何も問題が無い話で織機を使うものがその調整を覚えるかどうかの話でしかない。私が、織物というのは織機ではなく、人であるというのはそういう部分。織機があっても正しく仕事しないとまともに布が織れるとは限らないものである。

夕方には、急ぎの小幅の反物が上がってくる日、問題が無かったようで直接お客さんのところに出荷済みであった。注意点として、何点かのことをお客様に電話で伝達。加工工場さんの協力も得てなんとか納めることができ、このあとお客様の手で商品としてうまく仕上がってほしいと願うところである。

2016年08月30日
今日は、夕方から京都の料亭でミラノウニカに向けての初会合。たまたま地元の組合の皆さんと電車で合流でき林与は遅れることもなくに普通に到着。いつも準備足らずなんでちゃんと行けてよかった。会合では、浜松の鈴木晒さん以外は顔馴染みの皆さん、鈴木晒さんガッツあって海外でのヤバい事件に遭遇など、それが営業にもいきるところあるんだろうなあと思う。企業のトップが前線開拓というのがノーリミットな企業風土作りに役立ち成功されているんだろう。

帰って、出発前に教えてたインターンの整経が正しくできているのかを確認。正しくできていた。一方で、機の準備は現場の別のものが担当、4枚の機を12枚の機に変更する作業を行う。インターンのSさんは、作りたい布が二つあってこの夏のインターンでその二つを織り上げるという覚悟。私も、使い方などは指導するが作業そのものは手伝わないで、糸を整経からはじめて織り上げるところまで自分でやりなさいという流れ。インターンの終了のあとは、その布を東京で自分で服に仕上げるという。糸の状態から服になるまでを自分が考えて卒業制作に使うという。

この夏のインターンが卒業製作のための生地作りに来てもらったのではなく、織物の現場を体験してもらうためで、普段やっている他に流れている通常の作業を手伝うのが基本想定。この人ならすべてマスターして時間もありそうだから、最後に糸から布になるまでできるんじゃないかと思って、インターンの最後数日で、最初から最後までを自分でやって布を織り上げるという一人プロジェクトを提案。布の企画も自分でしなさいという部分もあるので、たまたま卒業製作の洋服に使いたい布を作るということになった。本人の希望でそれが二つの布を作ることになった、やる気のあるうれしい話である。
2016年08月28日
今日は、やや遅めの午後からのインターンスタート。今日は整経の筬通しから始まるが、私が確認すると真ん中あたりで一本糸が無い状態で筬を通してしまっていてそこからやり直し。インターンの子にとっては初めての作業なので、ここの糸が一本無いでしょうといってもその意味が分からない、そのあたりが麻の整経をさせたら世界でたぶん三本の指に入るだろう林与との違いであると説明。織物の問題に直面したときに整経の作業が分かっていると原因を見つけることができるケースもあるし、整経作業に慣れているということは織の作業でも優位に働く部分があり、私が、織りに関しても織機の調整が上手なのは整経の経験がとことんあって一瞬で糸の調子が分かるから。

今日は、しかしながら、私のほうが自治会の組長という役があたっていて、午後3時からは工場にいる時間がほとんどないので、今日のインターン作業のメインはワンピース作り。途中、どこまでできたか確認すると同じ型の素材違いで4着を並行して作っているということで、口を出さなくても過激にものづくり。

夜の8時過ぎに隣組会が終わって、工場で整経作業の続きをするために工場に入る。チーズワインダーの一番注意しないといけないと注意したことが守れていれずに、その意味を再度注意。厳守事項を守らずに、20個あるローラーの1つでも傷がつくとこれから何十年作業で苦労することになり、ローラーひとつつぶれることが、自動車どこかにぶつけてお釈迦以上に私にとってのダメージは大きい。チーズワインダーのローラーの交換もやったことがあるが大変な作業なので、部品も手に入りにくい。

2016年08月26日
インターンの9日目。今日は、朝からドビーのフィルムカードの説明。組織とは何ぞやの部分から入っていく。組織自体の理解はそれほど難しくないけども、フィルムカードをつくることは案外、熟練のコツが要る。パンチングは難しくなく、難しいのはフィルムカードの接着で、接着専用の装置もあるようだが、林与ではボンドとホッチキスが活躍している。綺麗にホッチキスで留めるのが難しいのだ。この作業も私の会社できるのは昔から私だけだったりして、毎回神経を使う作業の一つ。インターンの子にできるかなあの仕事でやってもらうとやはり無理。

今日はお昼、1時間ほど小幅織機の調整。これでは織るのが難しいだろうと思う要素がいくつかあって順番に調整を掛けていく。モンキーレンチなどの基本的な道具が足りず、途中で調整を断念。現状の判断からすると織機の部品が一箇所足りていないから調整が難しいと判断している。なぜ足りていないのかは疑問だが、それがないゆえに調整に無理が生じているように思う。たぶん、錆びていて使えないと外されてしまったからだろうか。伸度のある綿糸ならそれは無くてもほかの部分の調整でなんとかなるのかも知れないが、麻だと難しいだろう。林与にある織機とはタイプは違うが構造は似ていて、よりシンプルで大きさも小さいので普段触っている織機と比べると可愛い。

午後4時くらいからつくったカードをセットして、シャトル織機を動かす作業。ちょっと自分で織ってみてということでインターンのSさんが織る。しばらくするとハプニングで、織機に問題があったとの報告。見に行くとアンダーモーションが左右3箇所外れる。あちゃー、今日は寝不足で体力がかなり落ちてしまっていて、これを私が直す役目がまた回ってきたと思いきや。これをはめればいいのですねと自分で直してみるというので、1時間半林与は睡眠休憩を取る間に、直せるなら直してみてと任せてみる。6時に織機を見に行くとアンダーモーションの部品が曲がってしまったようでそれを直してくれていて、最後、力の必要なはめる仕事は無理そうなので私がする。

アンダーモーションが直ったあとも平織りとは違ってフランス綾のような変形組織なので、糸のテンション差が出てたて切れがいろいろと起きる。それを直してもらうこと2時間、何事もなかったかのように織機が問題なく動き始めた。直して織っても糸が切れて直して織っても糸が切れて、根気の必要な面倒な作業だけどもそれを経験してもらって、毎回こんなものだと当たり前にこなしていけるのが織物の仕事。それを今日は時間をゆっくり使って経験してもらった。
2016年08月24日
夏のインターン7日は、ワンピースの型紙の補正を行いワンピースを仕上げ、いい感じに仕上がったって喜んでいたのだが、後身頃の生地がプリント柄なのに横に向いているという大ポカがあって、作った本人は明るいもののどうなったらそうなるのかという疑問。体育会系なんでそういうこともありうるのかと思うが、お花畑系なのではないのかと不安もよぎる。体育会系的なミスであることを祈る。

夕方、出荷と関係してチーズワインダーの使い方を覚えてもらう。チーズワインダーというのはほかの機械と比べると非常に簡単なつくりになるが、使い方が正しくないとパーツが壊れやすく、使う人によって何十年も使える機械が、数回その人が触るだけで駄目になってしまうこともある。注意点を注意して必ず守るように言ってチーズワインダーで糸を巻いてもらう。

チーズワインダーで分割するという工程でも、量がたくさん流れていたときには一日中、チーズワインダーが回り続け、昔なら、どの工場でも専属の仕事として、一生の仕事というケースもありえた。小ロット多品種の今は、余計に小割作業の必要性は増しているはずなのに、専属でやってもらうほどの仕事とはならず、整経ての合間の並行作業に過ぎない。一人二役的にこなせないと手が余る。

彦根の宿泊先にインターンの子を送っていった後、今晩は小幅織物の納期を詰めるために朝まで織る必要がある。昼に織り上がり幅が計算どおりの適切な幅でない問題があってその分も織りなおしが必要な形になり徹夜での対応。ほかにもいくつか織りの問題が見えてきて加工出しが24時間織機を動かしても一日遅れてしまいそうな流れに。夏の夜は長いが夜ながらも工場の中は昼間のように暖かく体力の消耗は少な目か。
2016年08月23日
夏のインターン6日目。今日は午前中出荷、午後からはワンピースの縫製。もう一度、ワンピースの胸元の部分の型紙の修正が必要。一方でボヘミアンストールの販売開始、ストールを撮影しアップロードし販売スタート、今回販売の分は、色を手で差し替えながら一点ものとして作り上げたプロトタイプ。

私が素敵カラフルストールと名付けようとしたくらい素敵な感じなのだが、ボヘミアンなイメージのストールということで名前がボヘミアンストールとなる。





2016年08月22日
朝から状況が変わって、突然急がないといけない状況になった仕事の案件があり、お客様も協力を下さって、段取りがなんとか組めそう。そこで、キーとなるのが、今、おじいさんにかせからチーズに巻いてもらっている糸。この糸をチーズ巻くのは会社の中でもやるけど、やはり熟練したおじいさんに頼むのがよく、先週持ち込んだ糸が巻けたかどうかおじいさんの工場に伺う。

夏のインターン5日目は、昨日織り上げたランダムボーダーのストールを洗いを掛けて加工して、製品に仕上げる。作るだけでよいかと思ったがこれを販売するところもインターンの中でやろうということになり、後日ネットで販売する。シャトル織機の使い方を覚えてもらうために横糸を変えながらボーダー柄でストールを織るということで、途中から一人で織ってもらっていたが適当ではないらしく、服飾を勉強する女の子だけにちゃんと柄としてデザインされていた。与えられたことだけをするのではなく、自分のデザインもそういうところで入れ込むセンスがあり、売っていけるようなものを生み出せるのは力だろう。

一昨日につくったパターンで生地を裁断して、それのパーツをオーバーでかがる。オーバーの糸調子が悪く、調子を上げるのに少し苦戦。でも、解決できて完了。夜にはチーズ巻のおじいさんのところに行って、巻き上がった糸を整経のために割る作業をするために、チーズワインダーの使い方を覚えてもらって、2回ほど小割して今日は終了。
2016年08月21日
インターン4日目、インターンのSさんが宿泊先彦根のゲストハウスのマスターから服飾関連の情報として彦根の四番町スクエアにあるコミューンさんの情報をGETし見学に立ち寄られるということで昼に合流、コミューンさんはコットン素材が主体だが弊社の麻素材も数年前から使い始めてくださっている。そのあとギャラリーとたねやさんとあかり館に立ち寄ってから会社。今日は、シャトル織機の練習の続き、3時間くらい練習した後2時間くらいで、適当に横糸の色を変えながら、ランダムボーダーストールを1枚織り上げた。ちょっとは目を離しても大丈夫なくらいにシャトルを織る作業安定している。こういうのが食べていくために必要な地力というか自力なんだろうと思う。

シャトル織機で、横糸が切れたときに織段ができないようにギアを戻すなどの部分は、感覚的なものが大事で、それには慣れというものが必要だろうが、基本的なシャトル織機を動かすという動作は、本番さながらのランダムボーダーストールを2メートル、シャトルも挟まずに織り終えたことで修得完了。シュワイターでのシャトルの木管への管巻きなどの作業も覚える。途中、岩間6号台のハンドルの運転への入りが悪いので、何が悪いのか確認すると、横糸切れを感知するフォークの棒が引っかかって戻り難い。ホークの棒を取り出して、押しつぶされて盛り上がった部分を鑢で削ってスムーズにしてあげることで問題が解決。なんでこんなところで強くネジを締め付けて段差ができていたのだろう?かと不思議に思う。

織機というものは上手が人が使えば使うほどに調子はよくなっていくもので、下手な人が使えば使うほどに調子は悪くなる。この差というものは非常に大きく、これというのは人付き合いと似ていて、織機をどう扱うかに人間性のようなものが出てきてしまう。岩間のシャトル織機は正月に設置が終わり2月くらいから本格的に動き出したので、半年動いてくれたことになるが、設置した最初はどの織機も正しく動くような状態ではなく正しく動かすためには最初に一台一台の問題点を直してから動かし始める。動けばとか織れればよいというのではなく、正しいタイミングですべての織機の動作があるべき。

麻糸というのは、綿の糸に比べると、伸張性がないので、シャトル織機の縦の一面が同じ状態であるのかというと中央と両端では微妙に異なることが多い。真ん中はまっすぐに糸が走るが、左右というのはどうしても、織られた布の幅は通し幅よりも狭くなるので、両端は筬で角度がついて糸が緩みながら織られがちなのである。麻糸は筬で角度がついてしまうと、摩擦で毛羽が発生して切れやすくなる。特に糊をつけずに織る定番のソフト仕上げの細番手などは、その問題が起こりやすい。同じく打ち切れの問題にしても、両端で起こることが多いのである。

人というものは、短ければ1日でマスターできる作業を一生の仕事にすることが多い。最初は苦戦するがコツをつかめば考えずに仕事がこなせるようになる。体がコツをつかんだときに、織る人が考えなければならないのは、織機の構造をマスターし、自分で何が問題か考えたり、修理できるようになることや、どうやってより高度なものをつくるとか、つなぎながら何台も動かして生産性を上げるとか。それは本人がその道で食べていくためには必要だと思う。正しく作れてもそれが売れて食べていけるとも限らないのだから、正しく作れることはものづくりの基本中の基本であろうと思うが、そこが今の日本では難しくなっているところでもある。

ものづくりプロジェクトを成功させるためには、材料の問題、デザインという問題もほかにもあろうし、検査物性という問題もほかにもあろうし、プロジェクトの資金の問題、それを販売していく販路の問題もあろう、仕事して逆にお金を使うことに終わりがちな試作の問題とか。なんらかがうまくいかないと途中で話が止まってしまうとか消えてしまうものである。
2016年08月20日
今日はインターン3日目。午前、インターンのSさんが宿泊先の彦根のゲストハウスで知り合ったインドネシアの女性の方が会社見学ならびにインターンに合流。岡山で大手の自動車部品関連の仕事をされているという。今日は、本当に暑く、もしかすると最高気温を記録するのではと思うほどに、暑い。今日は地蔵盆か、字内を車で走ると、お地蔵さんに紅白幕や行灯や提灯などが飾られている。

今日は、インターンの内容は、シャトル織機を動かす練習。インターンの方は今日は始めてのシャトル織機なのだが、ほとんどミスなく1時間ほどの練習で、基本的にシャトルを右から左に動かす動作を覚える。縦糸横糸ともリネンなので、シャトルを一回でも大きくはさんでしまうと、大きな悲劇が生まれるのだが、悲劇もなく、シャトル織機の基本作業を1時間が終了。

シャトル織機を初めて使って1時間で、寸動ならびに運転作業をマスターできるというのは素質があるのを感じる。インターンの女の子は体育会系で体力と運動神経があるのが、シャトル織機を使いこなすのにも役立っている。インドネシアの女性も5分ほどシャトル織機を動かす体験、結構いい感じで、いきなりシャトル織機を触るのにびびってしまうような感じがないのがいい。会社のお盆休みで一人バックパッカーで旅行されているだけにダテじゃない。

一般にシャトル織機を使いこなすには半年から数年はかかるといわれるがそれは、基本動作だけでなく反物を問題なく織れるようになるまでの話。基本動作を覚えて、シャトルを挟まなくなるには、1週間から1ヶ月くらいかかるのが普通。シャトルを1回でも大きく挟むと切れた糸を治すのに何時間も時間がかかるので、1日に一回シャトルを挟んで糸がたくさん切れてしまうレベルだと食べていけないレベル。

シャトルを挟んで何百本も切れたときにそれを、短時間で直せるかどうかも食べていけるかどうかの判断基準に話につながる。何十本も切れてしまうと、見るからに地獄で、それに立ち向かうことができるかどうかの忍耐力も大事で、これぞ、麻をシャトル織機で織るならではの地獄の世界もあるのである。

午後からは、ワンピースを作る作業に取り掛かった。ワンピースの型紙をつくるところから。今回の夏休みのインターンでは、飲み込みが早いのでいろいろなことができそう。
2016年08月19日
夏休みインターン2日目。午前中にもろもろの出荷のあと、午後からレピア織機の基本動作の練習。基本動作とは、縦糸切れと横糸切れの対応。そのためにまずギアを一個戻すという作業が正しくできるように練習。

ギアを正しく戻すことができるようになると実際の織機を触る作業。織機を始めて触るので、一番の心配は正しく動かすよりも、怪我をすることがないかどうか。正しい作業手順を守っていると怪我をする確立は非常に低くなるが、正しい作業手順以外の動作をすると、怪我をする確立は高くなる。

正しい手順を見てもらって、それと同じ動作を繰り返してもらう。正しくついてこられない人の場合には要注意で、こういう単純な作業でも作業する人の今までの仕事経験なんかが見えてくる。うまくできるできないかはその人自身の能力というよりも、その人が今まで経験してきた環境が大きく影響する。今まで、新しい作業を覚えることに厳しい環境にいれば、初めての織物のような作業でも同じように飲み込める。

今回のレピア織機の練習は1時間で終了。1時間で基本動作をマスターできるというのは今まで教えた中では最短であるほどに早い。単に、頭で作業を理解するだけでなく、コツをつかまないといけない部分が多少時間が掛かるものである。通常、私の頭の中では一日練習すればレピア織機は基本的には動かせるようになると思う。レピア織機というのは、基本、素人でも織れるように作られているものである。

素人でも織物が織れる織機が生み出されると、それは織物の織りの現場に携わる多くの人の夢ではあっただろうが、結果、簡単に織物が量産されるようになり、織物の価値が落ちることになり、多くの人が仕事を失う結果につながった。そこで思い出すのが、近江商人の逸話のひとつ、「この山がもっと高ければよいのになあ」というあたりである。
2016年08月18日
今日から夏休みの学生インターンが始まる、琵琶湖と麻布から総合商社になった伊藤忠兵衛記念館と豊郷小学校など挨拶。今日も、伊藤忠兵衛記念館には東京から役員15人がこられたというが、いくら大きくなっても創業の精神という原点というのを忘れないということであろう。家とすれば豪華ではあるが、その成功の規模からすれば質素倹約的な精神が感じられるのは私だけだろうか。

会社で糸番手の意味と糸量の計算を覚えてもらう。1mに必要な、糸量を計算するだけでなく、原糸コスト、染コスト、糊付コスト、織コスト、加工コストなど一般的な知識を持ってもらって、生地生産のコストというものがどのように決まるのかというところを実際の数値に近い形でシュミレーション。直接的な費用以外に、固定費用としてかかる間接的な費用もコスト計算には必要。

麻番手でも、メートル番手に置き換えて計算するのが一番わかりやすいだろう。メートル番手というのは1gで何メートルあるのか。毛番手とメートル番手は同じである。NM36なら、1gで36mの長さのある糸である。


2016年08月16日
関東より北側に台風7号。8月後半になってようやくの本格的な本州上陸。水不足の関東にとっては恵みの雨となりそう。水というもののありがたさというものを実感するところである。

東京湾の河口付近の放射線濃度が驚くほど高い。福島原発から飛び散ったセシウムが川下まで流れてきて、河口付近に沈殿するからだという。遊泳できる浜辺は少ないと思うが、河口付近の砂浜で泳ぐというのは放射能汚染的にはよくないだろう。これからも何十年かは濃度は上がっていくことになるだろう。

東京の人は現実の原発の危険を見据えているので、電力の消費地でありながらもできるだけ遠いところに原発があってほしいというのが本音だろう。東京に限らず、日本全体で、全員がそう考えても不思議ではない。放射能汚染土を処分するのも、やはり、ぜんぜん原発と関係のない田舎。本来は、環境庁が守らねばならない田舎の環境が脅かされる。埋め立てに使うという計画もあるけども、東京ディズニーランドの液状化とか、地震大国日本であるという想定は当たり前に必要であろう。アメリカが直接処理をやっていて、濃度の高いまま地層に埋め込むという手法。地震大国日本でこれがどこまで通用するのかは微妙だが、薄めてばら撒くよりもまだリスクは低いのではないか。

安全というならオリンピック予定地に使えばわかりやすいが、安全だとは言っている本人たちも安全とは考えてはいないので、危険すぎるのは十分承知。国も、人命を守るために例外として遠洋投棄を国連にでも申し出ればよいと思うが、原発行政の面子がそれを許さないのだろう。愚策そのもので隠匿が伴う。一般の企業がこんなことやったら国から叩かれて犯罪企業として干されてしまうが、国が絡んでの悪事はさらなる利権を生んで国民に負担を背負わせ解決される。国が悪徳企業のような環境破壊やってはいけないと思うが、それが国の環境意識である。

諸悪の根源のように国民には処分の適正を厳しいほどに要求してきたアスベストも普通にばら撒かれるということもあれほどアスベストが危険だと喚起してきた国なら対応を考えないとならないはずだが、規模が大きすぎて逆にばら撒いてしまうしかないというのも、まことに不適切な対応であろうかと思える。アスベストは100年経とうが掘り返したら問題は再発だろう。小中学校では昔、子供が平気で扱っていた石綿、それほど危険性のないものを利権のために騒ぎ立てていたような気もするが。アスベストも100年埋めれば解決なら、何のためのアスベスト関連の法律であったのだろうと思える。

プルサーマル計画は事実上破綻したということも公にはされていないが、今も原発を動かせば、以前はプルサーマルに使うといっていた再処理核燃料だが、今は原発を動かせば使用済み核燃料はどうするのかという問題も原発の初歩的な問題だが、未解決な新たな問題と化している。日本が依頼していたイギリスでも再処理工場がストップとなり、使用済み核燃料の行き所すらない。
2016年08月15日
日本の若者というのはオリンピックを見てもすばらしい。体も小さくても世界の場で、一人の人間の力で戦う。10代から20代というのは人生では、技術的、体力的にだけでなく、精神的にもピークだろうと思う。

昔だと日本一を目指したり、日本の国内での競争もなく作れば売れたがほとんどだったが、今はスポーツにしても仕事にしても世界に通用するレベルでないと生き残れないから、今の若い世代は大変だと思う。学生にしても、日本の中に国際的な競争があって、力強くがんばる海外の学生たちと競争。

今、関西の繊維関連の若い世代の人と接させていただく機会が多いけど、田舎のおっちゃんおばちゃんのレベルじゃない強さがあって、ものづくりの苦労を背負ってまっすぐと仕事も捕らえている方が多く、そういう方と接せることはありがたいなあと思える。謙虚でハングリーな精神みたいなものがあって、仕事に正面から取り組むみたいな若者たちがいるのを応援したい。
2016年08月14日
以前、ネットで、マネーの虎というものをみて、その後が一番樹になっていたのが、トルコの青年2人がやりたいというケバブ屋さんのことだった。うまくいったのだろうか心配していたが、屋台タイプから始めて、オフィスをつくって、実店舗も作って、利益も上がって成功して、その利益をトルコの学生を支援する奨学金にした。でも、31歳でジョギング中に心臓発作でなくなられたという。マネーの虎という番組で知っただけの実際に会ったこともないトルコの方だったが亡くなられた話を聞いて泣けてくる。

マネーの虎たちも、その当時は飛ぶ鳥を落とす勢いで、今はそのほとんどの虎たちが絶するほどに破綻してしまっている。けど、この人たちが経営者で虎だと思うのは、その失敗した責任を背負っているところ。自分に失敗が降りかかったときにそれを被る。ああやってテレビで、志願者たちに厳しいことをいうだけのことはあると思うのである。そういう厳しさを知っているから、夢を追い求めて独立するとかやめておいたほうがよいという、見下したように聞こえるが、志願者への親身だと思えるアドバイスも多いなあと思いえる。
2016年08月13日
柔道というのは、柔らの世界。たぶん、柔らの世界をやったら攻撃していないということで指導を受けるのだろうが、なぜか、攻撃ブンブンと逃げるばっかりで、柔らな世界がないのが、柔道らしくない。柔道は力じゃなく、柔らの世界であるべきだろうがそれが理解されることは難しいだろう。本当の達人の柔道は攻撃する意思がなく逃げているという意味で指導を受けるだろう。

剣道なんかも、勝負を超えた礼儀の世界があるが、日本のオリンピックのメダル思想とは相反するところがあり、勝つ負けるだけが勝負ではないという方向転換が戦前戦後の剣道の世界にあって、それが大きく影響をしているだろう。剣道が東京オリンピックの正式種目になることは念願かもしれないが、剣道の精神というのはそれほど浅くはない気もして、国際種目になった柔道みたいな道を歩んでは、剣道の中にある価値観みたいなものが流される気もする。

もう生存されている方は少なくなっただろうけども、敗戦で捕虜となった日本人がいたのである。捕虜となった日本人は、あまり捕虜となったときの話をしない我慢強いのである。生きて帰ってきて、それが恥ずかしい。まさに金メダルを取れなかった日本人の恥ずかしさと通じるものがある。しかし、そこから戦後の日本社会を支える土台となった。剣道を教えて下さった先生の一人もロシアで2年捕虜になってシベリア鉄道の建設で仲間を失われながらも帰還された、中学生のときに先生のお宅にお邪魔したときに、その話を一度だけきいてそんな過去を背負っておられたのをびっくりした。

その先生は、当時70歳で、高校生、大学生やほかの先生を相手にできる強さだけでなく、剣道という世界を築いてこられた部分が勝負の世界以上に意味のあるところ。強いものだけを集めて金メダルを目指せみたいのとは違う世界。オリンピックで勝った時に柔道でも、負ける相手がいて自分が勝てるということがわからないと、難しいだろう。誤審なんていうのももちろんあるけども、選手にもフェアな精神がないから誤審が起こるのである。自分で一本取られて負けたと思ったら参りましたと頭下げるくらいでないと一流選手とは呼べないだろう。

日本の卓球男子ダブルスで、審判の判定が日本だったのを日本選手がエッジボールで相手のポイントだったというのを自己申告して審判が訂正。競っているときに2点の差のマイナスが生まれるが、この選手のフェアな精神は、勝っても負けてもこの人は強いと思えた。ドーピングや審判の買収工作なんてしてるくらいだと判定に対する、そんなフェア精神はまったくないだろうが、そういう選手だけでなくコーチまでもが溢れているのは自浄努力がないと成り立たない部分。

クウェートという国が国家が選手の選抜に際し、クウェートのオリンピック委員会に干渉したということで、クウェートは選手が表彰台に立ってもクウェート国旗と国歌が流れなかったという。政治家や企業による裏工作でフェアな選手の選抜が認められないなら、それほどオリンピックの精神に反することはないということだろう。注意しておかないとならないのは、東京オリンピックのエンブレム問題でもオープンを嫌って政治にありがちな不透明な部分だらけで力で押し切ろうとしていたところ。誘致にしても裏では金で解決できるかもしれないが、フェアな精神でやって負けても多くの人は文句はいわないどころか、負けてもフェアであったことを賞賛するだろう。裏では大きなお金が動いているのだろうけど、政治とは違うのだから騙しては駄目。
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