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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年05月15日
仕事って、毎日、新しいことを覚えて正しく積み重ねていくことで、ほかの人が真似できない領域に達するものだろうと思える。毎日、分からないまま、答えが出ないままでよいというのが基本的な考えになってしまったら成り立たないのも当たり前。

仕事には定石みたいなものがあって、成り立っているのもそういう定石みたいな方法でやってるから成り立つんだろうなあと思うところがある。正しく早く作業できる人というのは、一つ一つの作業が迷うことなく洗練されている。

仕事が難しいということよりも、簡単な仕事でも人にそれを正しくこなしてもらうのは難しいなあと思えることも多い。たとえば、今、すぐに車で3分ほどの運送屋さんにもって行ってと頼むけども、あとで、ついでがあるからそのときにもっていくということを言い出したりする。合理的かもしれないが、簡単なひとつの仕事でも仕事頼むのはすごく難しいタイプ。私も頼んでも今もっていってくれないなら自分が持っていくからいいよとなってしまう。だから、私はいつも時間が足りなくなるのかもしれないし仕事を抱えすぎるのかもしれない。家族経営というのは難しいというのはこんなショウモナイ問題がいつまでたっても解決しない部分なんだろうなあと思う。
2016年05月14日
22年前、サンディエゴのときにクラスメート4人でアパートで一緒に住んでいた友達の一人のクリスティーナがボーイフレンドのディエゴと一緒に、初めて観光で日本に来日。京都の町屋を10人くらいで借りて滞在しているので会いに行った。たまたま、今日は誕生日だったので居酒屋で食事をして夕食をおごるつもりがみんなに逆におごってもらった。

二人とは22年ぶりに会ったけど、なんかすごく違和感なかった。二人はマサチューセッツに住んでいて、クリスティーナは裁判所で通訳の仕事、ディエゴはマサチューセッツ大学で先生をしている。びっくりした話もひとつ聞いた、サンディエゴの同じアパートのコンプレックスに住んでいて毎日くらいに一緒に遊んでいたスペイン人のリカルド。私も旅行したときにスペインのマドリッドの家にも泊めてもらったこともあり、スペイン旅行も一緒にしてくれたリカルドなのだが、何年か前に自殺してしまったのだという。
2016年05月10日
羽毛布団の産地偽装が叩かれているけども、リネンにしても他人事ではなかろうかと思える。日本の業者が、安く買って高く売ろうとするとそういう結果になるので、日本の国内の問題であろうと思える。

日本の大手のハンバーガーなんかも、近年最大クラスのチキンナゲットのフェアをやったときには、裏があって、その仕入れ元である中国国内では鳥インフルエンザで中国国民の安全のために市場から鶏がほとんど消えていたときに、日本にはその中国産の鶏肉が大量に入ってきた。鳥インフルエンザが油で揚げたくらいで解決するなら中国でも市場から消えることはない。日本の食べているお母さんや子供たちはそんなこと知らない。ココイチの産廃問題あったけどもあれよりこっちのほうが危ない。

狂牛病も同じで、日本の大手の牛丼チェーンにとっては消費者の安全というものは二の次で利益優先、それは国の行政の姿勢だろう。何十万分の一とかいうのを無視できるというが、日本に入ってこないわけではなく、アメリカのショートプレートのほとんどが日本に入ってきているので、確実に日本で狂牛病肉が流通しているのだ。統計的に考えて日本で食べる牛丼の何十万杯に一杯が狂牛病肉であるという事実は正しく捉える必要があるだろう。政府も一緒に安全宣言して輸入再開では、なんで日本の農家に全頭検査させたのという話になる。日本国内はガチガチに締め上げて海外から入ってくるものに対しては緩い。安全という口実のもと安全意識がないのが行政、そういう行政こそ指導が必要だろう。

ビールなんかも日本では、普通のビールよりも、発泡酒やリキュール系の第二からはじまり第五のビールまで、安さを求めて、本物のビールが高嶺(高値)の花となりつつある。行政も絡んで、日本国内で流れるものが三流四流が普通になってしまっているのだ。

昔、視察でインドにいったときにも、知り合いが作っているからとインドのものを日本に売りたい日本人は手織りだという説明だけど、細番手の比較的密度を込めたガーゼ織物なのに手織り特有の織り斑がまったくみられないのと、どうみても縦切れキズがあるまま織っていて手織りでなんでキズだらけなのと思うけど、そういうのもわからない方がものを斡旋して、手織りでないものが手織りとして手間の掛かった高級品のように流れる。

実際に織っているインドの方と話す機会があって話を聞いて、日本の織機の説明を聞いてきたときに説明すると、インドのその業者さんの生地は縦糸切れ検知のドロッパーのついていない動力織機を使っているから、あのキズがあると納得、別にその業者さんが手織りと偽っているわけでもなく、斡旋する日本人の勇み足なのかもしれないが、偽装の発端はこういうのが多いのだが、販売するときにそれが謳い文句になってしまう。
2016年05月09日
タカタのエアバック問題、もともとインフレータの爆薬は、アジ化ナトリウムだったのが、毒性の問題で国内で使えなくなって、硝酸アンモニウムに変わったということらしい。硝酸グアニジンは日本ではいろいろな規制があって使えなさそう。チョイスとしては硝酸アンモニウムしかなかったんではないだろうか。

日本という国の中で、使える薬剤に、いろいろと制約があって、それが制約の少ない海外に出ると、バッドチョイスと判断されうる。日本人が日本の法律に従って薬剤を使っても国内規制があって国際的に使用が認められている薬剤が使えないことで、企業判断が間違っているとされてしまうのは、危うさを感じる。

先代の高田重一郎氏が、エアバックの開発の当初、普通の部品の千倍もの精度を要求されるエアバックを扱うことで、万が一があると会社がつぶれるとリスクと責任の大きさををよく理解していたのは聡明で、かつ、利益の前に目がくらんでいい加減なことをする人でないのもそういう逸話からわかる。日本のように行政が制約をいろいろと掛けて、チョイスが少ないと必然として今回のような問題にも繋がりかねない。

これはエアバックのような問題だけでなく、繊維の製造に関してもあれが危険これが危険と判断が分かれることがあるが、長年の実績のある方法というのまでもが禁止される。それまでベストではなかった別の新しい方法がどれほど安全なのかも検証をされずに移行を余儀なく迫られるときに、エアバックと同様の問題は起こりかねない。染料が廃番になったり、薬剤が廃番になったりが織物加工工程でよくある、長年やってきた安全への実績が揺らぐ要因になる。

今、アゾ染料と呼ばれるナフトール染料などは発がん性が疑われるということで日本では1970年代に日本の染料メーカーは製造を中止した。もうあまり出回ることの少なくなっている染料ではある。天然のアゾ染料である「茜」は草木染では人気のあるカラーだが、草木染をやっている人でも天然の茜に発がん性が疑われるなんてのを知っている人は少ないだろうとおもうが、天然に優る安心な色素があるのかとなってくるとどうなんでしょうね、ということも考えながら使う使わないの判断していけばよいだろうと思う。
2016年05月08日
ちょっと驚いたのが、ハイブリッド車の平均燃費、26年度の実際の走行でのハイブリッド車の平均燃費は、15.9km/Lであるという。私の2000ccのハイブリッドでない車7人のれるワゴンタイプでも、普通の加速で走れば、15km/Lが実燃費になる。スペースの制約をして小型化したものが主流なのに、実燃費が15.9km/Lというのは、信号なんかが多い都市部の数値が反映されているからだろうか。

私の車でも、燃費を気をつけて走れば、ハイブリッド車の平均を十分超えることができそうなので、ハイブリッド車の場合、バッテリーなんかが経年劣化して、車種自体の寿命があることを考えると、環境負荷ってそれほど変わらないあたりなのだろうか。

燃費のよい車に長く乗り続けることは、長期てきにみて環境負荷というものは少ないだろう。今回の三菱の燃費偽装問題とかでも、開発しているメーカーが考えているのが、消費者がガソリン代のエコノミー性での損得だけを考えているみたいな認識のところ。電力会社が原発考えるときに経済的だというのと同じ。エコというのはエコロジーの概念の部分が大事だと思うが、メーカー自体にそういう意識はなさそう。環境のことを考えていたら偽装なんて相反する概念なんだよなあ。

自動車メーカーのジャストインタイムなものづくりって、燃費でいうと最悪。笑い話じゃないのが、ジャストインタイムで、朝8時に納品なら駐車場もなく、駐車することも許されず、工場の外をトラックが駐車もできずにぐるぐる回るとか、エコを謳う自動車メーカーにエコの意識がまったくないのが日本のエコビジネスの正体。全部の無駄やリスクを外に押し付けて、利益は独り占め、一番あかんモデルやないのと思うけど。
2016年05月07日
今、助成金をいただいているプロジェクト、審査員の皆さんからは応援してますという暖かい言葉が多く、3年計画ながらその間にどこまで形にできるのかというプレッシャーもある。自分の中では完成までには10年計画。伝統工芸の領域と共有する部分も多く、さらに民芸の味や工芸の人の芸術的な部分だけではない、現代にどこまで通用するのかという応用的な部分が必要に思う。

昔の近江上布が伝統工芸品として認定させる前の時代には、今の何十倍もの人が携わっていたけども、今回のプロジェクトもいろいろな方の知恵をお借りさせていただく部分はあるのだけど、極論からすれば、多くの実際の作業は林与の一人プロジェクト的な部分が大きい。けど、だからこそ、そこにオリジナリティとかオンリーワンとかが詰まるという要素はある。たくさんの人が集まると逆に無理ができなくなることも多い。せっかく、とことんできるチャンスを手にしたのだから、とことん苦しんでみるのもいいだろう。

数年前に、染を自分でやろうとしたときに、プロのアドバイスをもらって、ほかの会社さんの設備を自由に使ってもよいというような話もあったのだけども、仕事の流れている会社さんの現場、お金を払っても自由に使えるのは正月三が日だけで、近くの駐車場に3日寝泊りして過ごした。

海外が既存のレベルだとなんても簡単に作ってくるのに、なんで日本ではこれほどまでにものづくりが難しくなってしまったのだろうかを感じた一件である。超えたものを作るためには、とことん追求できるような超えた環境というのも必要で、それを準備するのも自分次第というあたりなのだろう。特別な設備投資でなくてもいいけど独自の世界。

工場さんにとって成り立つような量産で入ったときには、工場さんに頼む形でよいけども、最初のデザイナーさんをうならせるような世界を持たないことには、世界の舞台ではやはり弱い。いろんな展示会に参加して、世界でも名の通ったデザイナーさんやテキスタイルディベロッパーの方に話するときに、林与にとってのとことんの世界みてもらうのがわかりやすいスタート地点ではあろう。
2016年05月06日
今日は、ミシンの糸調子が悪く、縫い目が時折飛ぶ。ちょっとやってみても直らないので、また夜にでも時間を掛けて直さないとならないのかと思いきや、服飾専門学校のアシスタントをやってるヘルプの女の子が、粘り強く調整で正しい答え。本当に嬉しい。

仕事って、答えを出さないとならないから仕事なんだろうと思うけど、なかなか答えを出せる人って少ない。よく言われるのが、仕事があっても仕事できる人がいないという問題。ほかの人に準備してもらって問題も片付けてもらって仕事みたいな考えの人も多いけども、自分の仕事を自分で準備して問題も片付けてできるひとだとどれだけでも仕事なんてある。

大臣経験者の大学教授が、「GDPを伸ばすためには働く時間を短くする分生産性を挙げて解決しかない」と学生?みたいなことを言っておられたけども、まあ、生産性を上げるということが設備投資で最新の設備にしてみたいな悪循環モデルもっておられるんだろうなあと。すでに、飽和して値崩れしているものを作るのに設備投資して生産性を上げてより過当競争で作っても売れても採算割れどうするのだ?その考え自体がコストを下げて競争に生き残るという海外生産モデル。日本の大型設備投資をした大手メーカーが軒並み経営が成り立たなくなるのも当たり前にも思える。

生産活動って、たとえば、ミシンの調子を出すような地道なところから始まるもので、どんぶり勘定でGDPを伸ばす目標作って、国民というのは政策の失敗を片付ける政治家や行政の奴隷じゃないぞ。ミシンの調子を出すとかまともな作業だと思うけど、政治家や行政も、そういう地道な努力からスタートしてほしいと思う。
2016年05月05日
子供の数の減少を国が心配しているけども、その理由が国の政策の失敗でできた借金を背負う人が必要だから。そういうだらしない人たちは国を駄目にする根源、早く行政から去ってもらったほうがよいだろう。

中国の一人っ子政策が日本でも問題になるけど、日本にしても子供生ませる理由が国策のためだったりするのは、ベクトルが違うだけで同じ。アメリカなんかがやはり個人主義で国が成り立ち、日本と中国はやはり思想自体は全体主義というか国家主義思想で国が成り立っているんなんだろうなあと思える部分である。日本と中国の違いは、それを法律までして縛るか否かだけのこと。
2016年05月04日
現在、オーガニックリネン60番手のオフ白と生成の両方を生産しております。出来上がるのは5月20日ころになろうかと思います。出来上がりましたらウェブでの販売も再開いたします。よろしくお願いいたします。
2016年05月03日
東京の二宮とみ先生のアトリエで、横絣の染料と捺染方法について教えてもらう。林与と二宮さんとの出会いは、東京の伊勢丹新宿店でのジャパンテキスタイルのみの市。テキスタイルデザイン協会のご紹介で、日展などで自分の作品を発表されていたりして、技法だけでなく、創作的な活動をされている方だなあという理解でいたのですが、横絣のプロジェクトで、林与のような機屋が通常のプリントとは別に、作品的なものづくりをするときに、二宮さんのような個人で創作活動をされておられる方に教えていただくのが一番よいのではないかと思って東京に飛び込んでレッスンを受けてきました。

初めてのお出会いのときにも、テキスタイルツリーの成田さんと二宮さんがお知り合いで、びっくりしました。そして、成田さんがご紹介下さった奥田染工さんで、二宮さんが昔修行をされていたとのことを今日お話している中で知って、また、びっくり。東京に知り合いも少ないですが、なんか強い方とのご縁に恵まれているのだなあと自分の中で感心。

横糸の染色に関しては、技法を吟味、昔はおじいさんが近江上布の横絣技法を進化させたので、今の私は私なりに、横絣技法を考えたいと思っており、本業ではないところの捺染工程は無理のない範囲でやりたいと考えるときに、お家のアトリエで作品つくりを完結されている二宮さんのモデルはベスト。

今回の林与の創作もプリントとは別ラインで、海外の有名ブランドのオートクチュール向けの作品を作ること。たくさん売ることは考えずに、力のある布を生み出すことが一番の目的で、1点もの的な濃い布の世界を復活したい。価格面や量産と量産のときの品質なったときには、プリント工場にプリントとしてお願いすればよい。

雑談のほうが長かったくらいに、作業は自体1時間から2時間程度であったろうか、目標としていたこと以上に、横糸に捺染も終わって、それを持って帰って一度織るという段階に。染料の廃番の話や染料の安全性の問題もあって、昔の技法に染色方法にはこだわらず、反応染料が一番悩むことが少なそうなので反応染料にしようと決める。

二宮さんは、大学でも講師をされているので、染めのことに関してはカバーされている知識が広く実践的で、聞いた疑問点に関してはどこどこの何があるからとそれを使ってみるとできますという、自分の経験に基づいて方法を教えて下さる。プロジェクトをはじめる一番最初の段階で、二宮さんの指導を受けて、今やりたいことの具体的な方法が見つかり、また、今後の技法の変化の余地も広がったに思う。

最後に、二宮さんの魚の絵の作品をみせてもらった。作業のやり過ぎで、肩があがらなくなってしまったとかおっしゃっておられる意味がよくわかった。技法だけでなく、頭のなかにデザインがあるのだなあと、特別な人であるのを感じる。幼稚園で毎日、クレヨンで、小さな魚の群れの絵を描くのが私の日課であった、楽しかったのを思い出した。なにごとにも打算的でない人というのはとことんまでできて強く、生み出されるものもいい感じなのである。私自身も、あと20年後とか30年後にそういう風にありたいものである。
2016年05月02日
現在、ビンテージアイリッシュリネン140番手を織っています。販売に向けての製作は数年ぶりの話で、ハンカチの販売は6月くらいからを予定しております。キズなどのないものをなるべくお届けできればと考えており、アイリッシュリネンを髣髴させるゴールドがかった白い無地のタイプは、限定100枚程度になるかと思います。サイズは40cmX40cmタイプと、45cmX45cmタイプを予定しております。チェック柄のタイプ45cmX45cmも販売予定です。

もしも、生地は順調に織れておりますが、万が一、加工などでの失敗があるといけないので、先行予約での販売はいたしません。出来上がり次第、サイトでの販売を行わせていただきます。サイト会員様限定での販売になります。よろしくお願いいたします。
2016年05月01日
5月24日25日10時から6時、東京国際フォーラムでプレミアムテキスタイルジャパンが開催されます。東京方面に在住の方で両日手伝ってもらえる布好きの方のアシスタントを募集しております。

5月26から28日は、南青山でのテキスタイルマルシェが開催されます。5月27日と28日の両日、東京方面に在住の方で、手伝ってもらえる布好きの方のアシスタントを募集しております。(←こちらの日程は5月2日現在アシスタント候補の方と調整中です、ご応募いただいた場合には候補の方との調整ができなかった場合にお願いする形になります。)

詳細はメールにてお問い合わせ下さい。
2016年04月30日
需要と供給曲線というものを経済学では勉強するが、それが資材の世界の経済論理で、アメリカンビジネスっぽいものである。日本の市場がいつのまにかアメリカンビジネスっぽくなって、食品なんかも全国チェーンレストラン&ファストフード、繊維にしても同じくファストブランドが強い流れ。

ファストブランドが既存の百貨店ブランドを淘汰していった感があるが、ファストブランドvsファストブランド。自分たちの販売しているものの価値をゼロにすればするほど勝ち残りやすい。店内にお客さんが溢れているような状況をつくって成り立つビジネスモデル。

量を流すことで成り立たせるビジネスモデルなので、店舗数の拡大なども重要な要素。広がり続けることが成功のようにみえるが、いつまでも広がり続けることなんてないのである。最初はベンチャーでアルバイトでなりたっていても、成功して正社員雇用となると、毎年、会社が年を取り始め毎年業績というものは悪化していくのが普通である。大きければ大きいほど後戻りができなく、大手アパレルのリストラなどにみられる一般的な路線が待っている。

アメリカンビジネスモデルで、拡大路線はバラの道で、縮小路線というのはイバラの道である。今まで成り立っていたコストが縮小にともないどんどんと成り立たなくなってくる。路線変更というのが必然で、利益を確保するために値上げに転じるのだが、’一番安い’という無料の宣伝効果を放棄したことになるので、話題にも上りにくくなくなり、ブランドイメージがファッションから、アウトオブファッションに変わってしまうという致命的な問題を抱える可能性がある。

シャープなんかも昔は家電メーカーとしては二流企業のイメージだったが、一流企業になって中身が空洞化してしまったように思える。これは企業の責任というよりも、国の雇用行政や雇用に関する法律が企業を破綻に追い込んでしまうことが多い。日本の国には100年企業が世界一たくさんあるけど、戦後の画一化の流れの中で、そのほとんどが消えていくことになる。
2016年04月29日
昨日、朝郵便局振込みに行ったら、地元の火事にあわれた加工工場の奥さんが時間外窓口の列に並んでおられて、火事見舞いのお礼のお言葉をいただき、ショートループという機械の1台が駄目になってしまったということ。一番に気にしておられるのがお客さんの仕事が止まること。まさにできた商売の人の考え。

先日は、染工場の専務さんが糸の納品にこられて、加工工場さんが全部止まってしまうような結果でなくてよかったとほっとしておられた。織物の中で織物加工という工程は、大手の生地商社におられる方でもどうでもよいようななんとでもなるようなどこでもできるような考えでおられるが、決してそうではない。

同じものをつくろうとすると同じ会社の同じ工程を経ないと、基本同じには仕上がらないものである。織にしても同じで、機屋によって規格や糸使い、染め手法など違うので、どこと取り組むかで、出来上がる生地に特色が出る。

林与の糸使いの糸は、同一銘柄のハイグレードなものに固定していて、染色方法も固定、加工方法も基本固定する。織りも織も固定するので、ものづくりが基本ぶれない。国内でも海外でも、仕事の人によくいわれるのが、林与の生地はなぜこんなに高いのですかという質問があるけど、安く作る方法を考えるとキリもなく、それのほうが楽な方法だが、自分が一つ一つの作業をみているだけにそういう方法は自分のものづくりとしては無意味なのである。

出来上がるものだけを求めているのではなく、麻のものづくりの基本的な形も守っておきたい。麻のプロフェッショナルが生み出すみたいな世界。驕りの世界に思われるかもしれないけども、微妙な風合いの差みたいなもの大事にしたいのである。お客様のご要望だけに引きずられると、ものづくりの形が崩れて、その場しのぎに安いものはできるのだろうが、それが重なると商売の意味やのづくりの感性がぶれる。

以前、問屋さんのお若い方で、話があるかないかわからないのに糸の加工工程を自分が謳うみたいなこといわれて来たが、あなたが守っているものでもなく、問屋なら覚悟を決めて、せめて何百キロかの糸加工の注文を約束してそれをやるならよいけども、軽い気持ちで居られたようで、それがその会社の商売スタイルになってしまっているのは問屋業として危うい。問題は、自分がPRするという人が一番理解ができていない典型だったりしてそういう人に利用されるのはその糸加工会社さんも嫌がられるだろう。
2016年04月28日
昨晩出荷のときに、地元の縫製関係の社長さんと会って、ふだんお世話になっている加工工場さんが火災に見舞われたそうで、4月末までは納期の案件で忙しいといわれていたので、忙しいときに想定外のことが起こり気の毒なお話だなあと思う。

その社長さんとお話していても、縫製もとくに小ロットの案件をできるところが少なくなってしまっていて、いろいろな話が入ってくるけれども、キャパ自体が限られているのでできる量も限られている。林与も同じで、仕事はあってもそれをこなせる人手が足りない状況。

先進国だと、新興国よりも楽な仕事で食べていけるというのは妄想ではないのか。先進国のほうが仕事内容は新興国よりも高度でなければならないのにと思うが、先進国のほうが教育を受けているのだが、教育というものが仕事にとってはマイナスなことも多く、働く能力のある人をみつけることが難しかったりする。集団意識が強いとものづくりは強く、個人主義の人が集まってもものづくりは難しい。組み立てやセールスなんかは、独立採算性みたいなものが成り立つが、織物なんかでは、前後の影響を受けてのトラブルが多いので企業外も集団意識が働いていないとうまく回すことは難しいだろう。業界にも、明らかな失敗しても働いたのだからお金は必要というサラリーマンタイプの業者さんも多い。熟練の機屋さんにあまり仕事がないのも

教育というものは実践的でないとならないのかなあと思える。実際、学生よりも社会人のほうが能力が劣るということも多くあって、一番よい例が、小学生が始めてミシンを使うと1時間でクラス全員のカバンを綺麗に仕上げるけど、大人だとミシンと材料が目の前にあって、かばん作りましょうといっても私はミシンはできないで終わることが多いだろう。大人というのは子供以上に、好き嫌いが激しく自分勝手が許される。

昔、ある小学校での経験なのだが、女の子が準備をして準備をした途端、それを遊んでいた男の子が横取りする。その男の子の問題というよりも、日本社会の縮図だなあと思える。チャイムが鳴って、時間が来たのもわかっていたが、一番最後にその準備していた女の子が縫製の番になって、仕上がるように5分ほど付き合っていると、あとで校長室で、校長先生からは時間は守ってほしいと注意された。父母から子供たちがお腹がすいて苦情が来たらどうするのだと言われる。

人それぞれ、生き方や視点が違うので、謝罪をして反論はしなかったが、大人が子供未満の時代。私よりもその女の子のほうが気の毒で、このくらいは女の子でも我慢しているのだからこの学校では我慢なんだろう。校長先生に注意されても女の子のかばんが出来上がるほうが大事で、真面目にやっている女の子をチャイムが鳴ったからといって見捨てることはできない。小学校としては特別なケースなのかもしれないが、日本の行政にも、この校長先生みたいなタイプが多く、そういう人が窓口になっているとややこしい。
2016年04月27日
年金の運用を株式投資に回すというのは大反対である。結局、株式市場自体が、胴元が儲かるシステムで参加者は大抵損をするものである。国民の将来を約束できるような運用が必要で、国債に回すほうが考え方としてはまとも。

運用の失敗で目減りしたときにどうするのかという大きな問題がある。税金で補填するとかなら、最初から年金なんてとって、株のようなものに投資せず、税金で国民の老後を補填するほうが無駄も少ない。

昔、同志社大学校友会が、寄付金を株式投資して大きな損をした。寄付したものは誰も株式に投資して運用なんて望んでないのだ。まともに使ってくれることを願っている。

それと同じことが日本の行政でも行われ始め、目的外の使用で損が膨れ上がってもその穴埋めはまた国民の負担が増えるだけみたいな、背任による損失の責任も国民が取らされるとか、国の感覚自体が、原発爆発しても電気料金値上げでみたいなのと似ていて、やらんほうがましだろうと思う。一度株式投資に回した巨額のお金、株価下げずに巨額に引き戻すことは難しい。

株式投資というのは自己責任でやるべきなもので、年金がそもそも自己責任だったらそれでよいのかもしれないが、年金のコンセプトは老後の安心。金を大きく溶かす可能性のあるものに手を出すなよ、といいたい。お年寄り老後の資金を狙う投資話で損をするのを警告している国が、同じことをやってしまったら駄目だろう。
2016年04月26日
イスラム国家に思うのは、宗教というよりも何か裏でアメリカの残忍な資本主義的な力が働いているのではないのかと思える。戦争ビジネス的な側面が強すぎて、CIAがサウジアラビアと組んでイスラム国家を育てたとかいう話が濃厚であるとされるが、戦争というものは損得勘定で動くことが多いので、建前的な大儀のために多くの命が犠牲になる。

そんなからくりがあるとすれば、何のために何の罪もない多くの人が死んで犠牲になるのにオイルマネーというのは本当に怖いものであると思える。そんな残忍な行為に対して資金提供をして裏で金を流しているのがアメリカだとすれば信じられない話だが、金の亡者にとっては戦争もビジネスであるのは、アメリカのハイテク企業が戦争ビジネスでなりたつというのが当たり前であるのを考えると、ビジネスを成り立たすためには戦争が必要になってくる。

アメリカの中でまともな製造業がなくなりつつあって、ハイテク産業として君臨するものは人の命を奪うような力をもつ産業で、理不尽なことも多いのである。一企業が国の法律を超える例としては、DELLコンピュータの契約もそうで、DELL自身が軍事物資になりうるコンピュータ技術を中国に提供しておきながら、買う一個人にはそのコンピュータを他国に流してはいけないという約束をとる。そもそもココム規制って何だったのって話になる。ココム規制すらもがビジネスツール。

戦争はビジネス。人の命までも犠牲にするようなものではないことをアメリカ自身も理解していて、イラク戦争でも死んだ多くはアメリカ国籍のほしい移民たち、金儲けの前に人の命の軽さが浮き出る。日本の保身政治家たちが、戦場に行く覚悟すらないのは明らかで、そういう日本の弱さが戦争ビジネスには利用されやすい。

私自身アメリカに住んでいて、アメリカの基本的な精神はすばらしいと感じているが、苦になる部分に関しては他人ごとで、考えないことが成功の秘訣であるというのも事実だと思う。人としてそれはどうなのかなあと思うところで、多くの命が犠牲になるのも、じぶんたしの利益の前には仕方のないことであるという体質を改めなければ戦争での犠牲というのはやまないものと思える。イラク戦争の本当の敵も日本であったのではないかと考えると恐ろしいことで、ビジネスの前に、平和的な解決などないような気がするのである。

自分自身がものを生み出さない国家やそれを牛耳る人々にとっては、略奪の最たる戦争こそが生きる手段。それそのものがその人たちが生きていくための生き方なのかもしれないが、想定もできないほどに、情報戦線で他に悪を作って寄生する冷血なマネタリズム対しては、力ではないエシカルな連結で阻止が必要だろう。

イスラム国家の残忍性にはなぜか私としては理解が不明、資本主義的なカネの亡者が後ろで資金提供をしているような気がしてならない。オイルマネーのような利権のために人々の命が犠牲になる必要などなかろう。

電力会社が原発なくなると電気料金高くなりますよというと腹が立つ。電気料金値上げしてもよいので、脱原発でやりなさい、というと返答が用意すらもできていないのが、電力会社。カネの亡者だから駄目なんだよ。オイルマネーに、何の罪もない国家単位の人の命が掛かっているとなると電力会社の損得ではすまない。
2016年04月25日
コンピュータの値段は性能が高くなっても値上がりせず、安くなっていく。なぜなのだろうと考えると、スピードが速くなっただけで基本できることは変わらないというあたりと、次々と3ヶ月ごとに各メーカーが新しいモデルを出してくるというところ。性能のアップが微妙すぎて、買い換えるタイミングを思い切れないところもある。

より重要なのは、ハードではなくてソフトでもなくて、コンテンツになろうとしている。コンピュータで何をするのかというときに、外からの情報を得るための手段としてコンピュータを使うという使い方。情報さえ得られれば慣れたコンピュータで十分なのである。

昔と比べるとコンピュータの値段だけでなく、日本人の給料も上がるどころか下がってきているのではと思える。理由は同じではないだろうか、日本人というハードウェアは教育を受けて進化しているようでも、海外に追い越されているのはコンテンツが足りんからじゃあないかと思える。コンテンツとは何か、これから何を作りますいうより、実際になにをやりましたというあたりだろう。
2016年04月20日
三菱自動車が燃費偽装を行っていたことが報道された、フォルクスワーゲンとかも同じくだが、自動車を買ったユーザーにしてみれば、エコであるという重要な要素、エコへの信条をくじかれたようなものである。

こういうふうに企業が嘘をつかないとならない背景には、基準競争の厳しさみたいなものがあるだろう。安心や安全がラベルだけのことになっているというのもよくある話。私自身、糸を材料として買う側で、糸に関する正直な情報が手に入る同じ会社の同じ銘柄に固執するのもそのあたり。結局は、安心や安全を支えるのはラベルじゃないというところ。

フォルクスワーゲンのケースなんて、世界ナンバーワン売り上げとかを競っている企業。10倍の数値偽装なんて、まったく、普通に大気汚染するディーゼル車を、クリーンディーセルと偽って謳っていたのだから、アウトだろう。

クリーンディーゼルのからくりも見えてきて、クリーンディーゼル追い求めると、触媒なんかが消耗するので、触媒交換をしなくてよいようにするためにそのような加減がされていたのだろうという。燃費がよいから、環境エコだけでなく、経済的というが、触媒を消耗するというあたり、交換費用を考えると燃費がよい分も消えてしまうし、触媒を消耗してディーゼル煙を撒き散らす車というのは買い手がつきにくく、車自体寿命が早い。

アメリカの大手の家庭の洗剤などを扱うメーカーの商品開発姿勢などをしみじみ感じたのが、新しい技術を探しているが、それが今までのものより安い合成的な材料を探している。一番安いものというのは自然と売れるがそのために原料のコストを下げることに必死である。

勝ち残っても、市場にあふれるものは昔のもののほうがよかったみたいな話ばかり。ティシュー、生理用ナプキン、洗剤、など、人の体に触れるものでもそういう発想で開発されている。そういうニーズがあってそういうものを使うのも自由だけども、マイクロビーズのような問題が起こってくるのも不思議ではなく、それが、結局、使わない人が魚を食べたりしたときに、マイクロビーズを体内に取り込んでしまうとか、困った問題なのである。
2016年04月19日
リネン100番手の素材を何件かの仕事のお客様に使っていただいている。従来の糊付け方法でつくっているので、物性面でもほかのシリーズと同じ感覚で、お使いいただける。数年前までは、リネン100番手も糊なしで織っていたけど、今は糊をつけないと織れないし、糊をつけても苦戦することもある。

林与のリネンの一番細いのは、世界際細番手の150番手、これも、従来ののり付け方法で織っているので、糸が繊細になっても今までのリネンと同じ感触で使っていただける。薄手のブラウスや、ハンカチとか、ランジェリーとか。

150番手ともなると、糸を手に入れることから覚悟が必要で、織れない覚悟して、1m織るのに66番の10倍以上の時間を掛けて織る。1時間30cmとか50cmくらいであろうか。ほかの織機をみることができず、1台に張り付いて織るみたいな話。

リネン100番手も150番手もつくる量が少ないからかもしれないが、在庫をつくっても、いつのまにか誰かが買ってくださり、また、つくらないといけない状態になる。ありがたい話だが覚悟が要る。
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