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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2016年03月15日
今日も留守の間の仕事の準備で、ぎりぎりのぎりぎりの出発、準備は30分もない、スーツケースに展示会に必要なサンプルなど詰め込んで、着替えも一切持たずに貴重品もパスポートとお金だけ確認するだけ、また、あかんやん。中部国際空港から出発なのだが、空港が人気でないのかとおもいきや、空港の駐車場は結構混んでいて、駐車スペース探しに一苦労。でも、なんとか乗れた。

今回の中国南方航空の往復チケットは、諸税燃料チャージ込みで2万円。航空会社には本当に気の毒な値段。なぜ、中国南方航空にするのかというと、二つスーツケースを持ち込めるから、荷物の多い展示会には最適。二つのスーツケースだけでも制限の23kgX2の46kgをちょっと超えるくらい。

手持ちのスーツケースのタイヤがどれもまっすぐ走らなくなって、スーツケースを近くのショッピングセンターに買いにいったのが、昨日で、たまたま、大きなタイプが安くて2個買えて本当によかった。なぜか、あと二つ欲しいくらい。

空港からはリニア、終点で通訳と合流して地下鉄で会場に向かう。新しい会場も2回目なので、迷わずたどり着いて、他のブースはみなさん飾り付けが完了していて、一番最後くらい。会場設営の担当の方の助言で、ストールを掛けるように、サイドにもハンガーラックを2本つけてもらった。これが正解。

会場準備を終えてホテルに向かう。ホテルの場所がわからず、やっと着いたときには、疲れ切って横になる。上海のホテルというのは、なぜか、地下鉄の駅から遠いことが多いのだ。リニアの龍昇駅でみかけた漢庭あたりに泊まったほうが便利そうだ。次は本チャオ空港周辺でもホテルを探してみよう。
2016年03月12日
京都の三条京阪の事務所に、今日は机とミシンを運び込みました。小さな事務所なので原反を置くことは難しいと考えて、でも一般の方に生地サンプルをみてもらえるような場所としてスタートできればと考えております。リネンキッチンクロスやストール、ハンカチ、リネンの染糸などの小物も展示してご覧いただけるように予定しております。
2016年03月11日
自分自身が、46というたぶん、人生の真ん中過ぎたあたり、というよりも、実際に90まで生きたとしても残りの半分はそれまでの半分よりも何倍も時間が過ぎるのが速いだろう。

将棋なんかでも、本来なら経験を積んだ80とかの人のほうが強くないといかんのだが、名人であろうが、歳も半分の経験も浅い人たちに負けることのほうが多い。仕事も同じだろう。40歳の人が20歳の人に負けることも多い。また、20歳の人が10歳の人に負けることも多い。経験というのと吸収というのとの戦い。ものごとを吸収できるうちが花で、ものごとを吸収できなくなったら、それは一回のことでなく、そのさきずっと続くきやすい。

70歳、80歳まで物事を吸収できるひとがいればすごいことだろうと思えるが、なかなかそういう人というのはおらず、先生ぶってしまったときに結局は投了が待っている気がする。最後、先生になるよりも、下積み作業に戻って次の世代をサポートできる人のほうが私的には業界を支えるような正しい生き方のような気がする。日本の繊維が強かったのは歳をとっていくごとに能力の高い次の世代に譲れる人が多かったことがあろうと思える。

賛否両論あろうが、産業界においても歳をとっても下積みにもどれるような形で現役でいられる形を残すべきじゃないのかと思える。変な国の制度がそういうのを阻害して、本来実現できるような人生の幸せという形のひとつを実現できないようにしている可能性もあろう。老人ホームやゲートボールなど、そういう新しい形だけが老後の幸せではないだろうと思えたりする。

60過ぎたおっちゃんとかが自分の足を使ってクロネコメール便配達していたり、弁当の配達していたり、何か少しでもと励んでおられるのをみると立派だなあと思うことが多い。そういうのが年配の方を尊敬できる要素のひとつだったりもするものだ。同級生の醤油屋の70過ぎの会長さんが息子さんに会社を譲られて、醤油の御用聞きされて私の家にも回ってこられた。

今の時代、スーパーに行けば醤油なんて買えるものだが、醤油屋の商いを担ってこられた方が、やはりその商いの原点を忘れておられず、何十人の社員を使われ社長されていたながらも、次の世代に譲られて、自分は御用聞きに戻る覚悟というの普通はありえない光景だけに、業種は違うけども同じ商いとして商いの基本を教えてもらった気がした。
2016年03月10日
昨晩は、夜10時半の出荷の案件ぎりぎりのぎりぎり。林与も最近手伝ってくれる人が増えて良い感じ。織物の現場なんてものづくりそのもので人の能力が必要そのもの、日本の職場も日本の国が産業を駄目にしてしまって、時間いればよいみたいな風潮になりつつあるけど、それも責任逃れのひとつで、国には大臣クラスから仕事の本質わかってしっかりとしてもらわないと駄目だろう。

働く人が手取りアップするために、生産性を挙げてとか、それほどの需要が日本にあるのか考えたことないひとが大臣経験者だったりで学生かと思える。新車でも余りまくってるの無理やりな国の介入で買い替え促したりで上場大企業のビジネスが成り立っているのは、シャープの二の舞。シャープにしても松下(サンヨー)にしても日本の行政ビジネス臭くなりすぎて、地デジとか太陽光とか、その場しのきで、暴利を上げるような政策が、長く続いてきたものの歯車を狂わせた。

日本の国の殿様商売感覚が関与していると日本の経済は立ち直るのが難しいだろうなあと思える。法律作って無理やり買わせるとか、無理やりリサイクルとか、そんな悪政の連発でなりたつ商売ってアウトでしょう。まだ使えるものや、本来なら資源であるものが海外に流れていったのは、江戸時代に世界一の金の産出国だったまさに黄金の国ジパングの金が海外にすべてほどに流出したのと似ていて、元に戻すのは難しい。
2016年03月09日
今日から阪急うめだ本店10Fでのテキスタイルマルシェ。あいにくの雨のなか、徹夜で仕事して、その後出発準備、始発に乗り遅れ、2番電車で大阪に向かう。今回は初日の朝に会場準備するというパターン。林与自身は、会社の作業に追われていて、今回も準備だけして売り場には立てない。テキスタイルマルシェの会場、場所がエレベータ上がってすぐの場所で、イベントの会場としては広くてすごく良い感じ。前には、流しの縫製屋原田さん。

会場につくと、3ヶ月ぶりに出展者の皆さんと再会。前回も売り場に立てなかったので、いろんな人が話しかけてくださって、話し込んで準備が進まず、あっというまに9時前の準備終了時刻で準備はまだまだ。そこから20分で、加速度的に準備を仕上げて、10時前には大阪を出発して会社に戻る。会社に戻って心配な急ぎの小幅の案件で問題が起こっていないかみたあと。今日は二人ヘルプで入ってくれるので、その人たちを12時駅に迎えにいき、現場で仕事を教えながら作業する。

糸量の計算がどうしても合わず、足りない糸が出てきている。これは仕方のないことで、最後どう収束するのかを計算で足りない糸の量を求める。これがかなり複雑で検算検算。シャトル織機の右左なども絡んで、織機で長いカードで4色が織れるかどうか不透明な部分もあって、予測含みででも仕方なく計算。整経するときにそういうのすべて含んでやらないといけないので、単純な整経作業も簡単に始めることができない。

残りの糸量も正確に出すために、すべて残量をカウントして計測。織る仕事よりも準備する仕事で人の力が必要。機屋でも織る仕事はだんだん重要ではなくなって、織るために準備と織った物を後片付けしたり、データとして保管するする部分のウェイトが大きい。
2016年03月08日
オーガニックの糸はやはりリネンにしてもラミーにしても癖がある。それが本物の証なのだろうが、今、織っているオーガニックラミーは、昨年の最初の試織で、織機を4回載せ替えるなど横糸の打ち切れの問題で苦戦した。その理由がわかったのは今日。

本生産にしても苦戦するだろうと予想をして台数を増やして納期対応したが、予想に反していい感じに織れて驚くほど、最後に一番織り易いだろう白を残した。ところが、染糸を白に交換した途端にあの去年の悪夢が再来。片側の耳が縦の綿の耳糸に負けて打ち切れを起こす。回転数を落としても駄目で結論からいうとオーガニックラミーは、耳が締まるシャトルで織るのには糸の強度の面で白は向かないということだろう。

試織をして苦戦したのも、色糸が染まってくるまでに、白を織っていたからということで、織機や織機の調整に問題があったわけではなく、織れない謎が解けたような気分である。しかし、今から白を問題なく織らないとならない状況で、何台か掛けているどれかの織機で織ることができるのかできないか試してみるしかないだろう。

染めた糸のほうが強いというのは不思議に思える。反応染料の結合が糸を強くしている可能性もあるだろうが、薄い色でも染めてあるだけで全然違うことからすると、糸の状態で100度近い温度でラミーの毛羽などが複雑に絡んでオイリングでしなやかになって、伸度が増して強度が増しているのじゃないだろうか。
2016年03月07日
昨日の晩は、となり組の会で、恒例のすきやき。本来だとお酒を飲む人ばかりなのが、田舎の集まりなのだが、私が46で、54歳の方のほかは60、70代で、皆さん、あんまりお酒は飲まなくなっておられる。東円堂も変わってきたように思う部分である。

興味深かった話は、川のこと。不飲川(のまずがわ)というのがあって、それは、愛知川地域を流れる川だと思っていたが、東円堂の端のあたりに湧いているところがあってそこが始まりということ。その下流一体というのは沼地化してしまうことが多く、8号線ができるまでは、ただでも貰い手がなかったといわれるような場所だったという。それが今は一等地になったということ。

東円堂という集落が恵まれていたかというと、水害との戦いであったようだ。大川と呼ばれる、林与の隣の家の東側を流れる川が氾濫をすると、道が川になったということ。伊勢湾台風のときに、林与が3歳で、道一面に水があって道のとなりの水路が認識できない状況で、道が川という普通とは違う光景に三輪車で楽しそうに走り出して、道の角っこで、川幅30cmほどの大月川に落っこちて溺れて人生終わりかけたのもなんとなく覚えている。道一面が雪のようなイメージだった。

そういう川の水も昔はもっときれいで、戦後のころは、その川の水を汲んで、五右衛門風呂をしていたそうで、けっこう大変だなあという印象。もらい風呂の風習もあったそうで、子供のない家には家を持ちに縁組が行われたことや、兄弟が姉妹とそれぞれ結婚したとか、たかだか100年もさかのぼれば、生きていくこと自体が近所の助け合いでなりたってて、そういうのが集落の結束を高めてきたともいえる。
2016年03月06日
すいません、ご発送の遅れならびに、いくつか漏れてしまっている件が発覚しまして、現在、すべてのご発送状況を確認中です。

昨日リネン糸のご発送の件でメールをいただきましたお客様、申し訳ありませんが、メールを読ませていただいて再度メールを開いてそのあと再度メールを確認しようとしましたが、メールが見当たらないような、不思議な状況にあります。

リネン糸届きません、という内容でメールいただきました。申し訳ございません。再度、メールいただけますでしょうか。受信トレイ、迷惑メール、削除したメールなども探しておりますが、見つけることができず、お手数ですが再度、ご連絡いただけますと幸いです。できましたら、ウェブのお問い合わせからご連絡いただけますでしょうか。

よろしくお願いいたします。
2016年03月05日
私も仕事を始めたときに、勉強と仕事の違うのは、仕事の場合には、記憶しなくてもよく、記録すればよいということ。仕事って勉強と比べると簡単なのだ。そして記録したものを調べればよいのだ。でも、田舎の年配の人というのは、総じて記録を取るのが上手じゃなくって、農業感覚でアバウトに仕事している人が多い。仕事も同じ定番のものが流れているだけだとそれでよいのだが、新しいものをつくるとかなると厳しいのだ。

専門学校の先生の紹介で、卒業された方が林与で働き始めてもらっているが、先生の紹介だけにとくに優秀なのだろうが、初めてでもわからないとかできないがほとんどないのがありがたい。織り子さんや職人にありがちな限界がないのが高度なものをやっていこうとするときに助かる。

よくいわれるのが、日本でのものづくりの理想は高度なものをつくることなのだが、毎日ご飯を食べるように高度な織物が出来上がってこないと、今の日本では織物を続けることは無塚しいだろう。あるいは、生産性重視で、国際競争に勝てるくらいに品質の安定したものを大量に生産するか。前者の場合には、機械よりも人の力が必要で、後者の場合には日本だと人を減らして設備が大事でとにかく設備を動かし続けることで勝敗が決まり、いつかはコストの面で海外生産の流れに向かう。

国産を謳われていたデニムの会社が中国生産に移行されるのも。その客さんである大手SPAが日本の大手生地メーカーのどこもの主たる需要先なので、縫製工場までもが海外なので国産ではほぼ無理だろうという結論。これは自動車だと国産へのこだわりを謳っていたトヨタがいつのまにか海外生産に移行しているのと同じで、規模が大きいと値段が通らないので仕方ない流れなのだろう。縫製が海外に移行して国産生地を使うというのも難しい話なのであろうとつくづく思える。

先日の取材でも話をしていたのだが、林与にしても綱渡りが奇跡的になんとか続いているだけのことで、奇跡を呼び寄せるために努力や失敗を重ねている部分が、実際には一番大事なのだろうと思える。というのも、結局はリスクから逃げないで経験をどこまで積むのかが商売の基本だろうと、これは外部にリスクを分散するジャストインタイム思想とは正反対の本当の意味での日本的なものづくりシステムだろうと思える。自分がリスク被って仕事しようとする考え方自体が日本的でいわゆる職人的で、日本の商売の基本だろう。

ある会合の講師が、トヨタ流の人が近江商人の三方善を持ち出しておられたが、哲学がまったく整合しとらんとおもえるばかりで、そういう講師の先生を生み出してしまう風見鶏的な結果至上主義というのも経営の哲学がなさ過ぎて情けない話だなあと思える。
2016年03月04日
昨晩は、朝まで掛かって、しが新事業応援ファンド2次審査のパワーポイント資料作成。今日は朝一番に大阪に納品。お昼過ぎから、東京から日経PBの記者とカメラマンの方が起こしになられ取材を受ける。話がクラウドファンディングの話から、途中で大幅に脱線して、林与の機屋珍道中みたいな流れ。

ファンドの担当者によるプレゼン資料の添削が帰ってきて、私が作成した文字だらけのパワーポイントが、すっきりとキーワードとポイントを押えていい感じに、流石です。林与は2次審査は上海の展示会と重なって出席できず、姉が代役としてプレゼンを行う。当初は、まったく、想像もしていない流れなのだが、なんとかなるだろうしなんとかならんでも。

今回、しが新事業応援ファンドで出した内容は、林与の近江上布アーカイブを広い幅で横絣織物で再現するというもので、プレゼン資料の中の事業目的も、「麻織物作らせたら林与には敵わんなあ・・・と思ってもらう」だったりする。自分で作ってなんじゃそれはなのだが、やる中身は大真面目なプロジェクトで、国際的な舞台にもっていっても、日本の布の力を感じてもらえるような布の世界を生み出したいと考えている。私が近江上布みて感じるのが与一じいさんには敵わんなあなので、まず、その域に到達したい。

もっと落ち着いて上品にものづくりをしないと駄目なのだろうが、所詮機屋、どったんばったんの中で、自分の手と目と足と他の感覚を使っていろんな経験を積みながら、結果としてできあがるものって自分が作った実感があってよいんだろうと思える。
2016年03月03日
今日は、ドラッグストアーで買ったやきそば調理して食べたら急に、運動もしていないのに、午後3時くらいに持病の運動誘発性小麦アナキフィラシーが発症。お風呂に入って1時間で回復するも、昨日はたっぷりと寝て体力もある状態アレルギーが起こるとは、食べ物の原料が単なる小麦というだけでなく、小麦の種類によるのではなかろうかと思える。

セブンイレブンのコンビニのサンドイッチは食べて運動してもアナキフィラシーは起こらないのに、上海のコンビニのサンドイッチではアナキフィラシーが起こった。丸亀製麺のうどんとかマクドナルドのパンズはなぜか歩くだけでもアナキフィラシー起こりがちである。

今の小麦は昔の小麦と違って遺伝子組み換え版が多いらしいから、それが影響しているのかもと思える。国産だと比較的大丈夫なように思えるが、丸亀製麺のうどんは国産原料を謳っているのにアレルギー反応が出てしまうのは、産地ではなく小麦の品種など別の問題だろうか。

小麦でも何がだめで何が大丈夫なのかその理由を知りたい。
2016年02月29日
2月29日の誕生日の人は、4年に1回しか誕生日がない。この一日があることで、今年の2月の倒産件数などは例年よりも少なくなるだろう。なぜ、2月が短いかは、もともと、太陽暦というのも農業のシーズンと連動していて3月から始まって12月までだった。農業閑散期のカウントしない期間が月として1月と2月に割り当てられた。
2016年02月28日
今日も朝まで工場で社員が来るまで織機を動かす。急ぎの仕事で昼間動かすと色々と他の問題の発生などの面倒を見る必要があるので、一人夜中動かす。

朝、家に戻ると玄関を開けた途端に中からイタチが飛び出してきた。玄関の下に通気孔の穴が10cm×30cmほど開いていてそこから留守のときに出入りしているようだ。以前から穴が開いているのを塞がないといけないとと思っていたが、母親が穴が開いてないとの一点張りで、実際に確認するとやはり逃げ込んだ玄関の下には穴が開いていた。

被害が何かというと私が食べようと作って残ったシュウマイ10個。このシュウマイは横浜名物の赤いパックのよく見かけるシュウマイなのだが、普通に蒸し器でシュウマイをつくるのが苦手で、フライパンに水とだし汁を入れて普通よりもおいしく仕上げてあるのでイタチが食べたい気持ちもよくわかる。

それと、イタチが玄関の履き物に触れたようで、イタチの臭いが履き物について、それを知らずに履いたらイタチの臭いが足のかかとについて、工場に戻って仕事してもイタチの臭いが気になって、朝からお風呂にはいって、履き物を洗濯機で洗って。言われている通りに、イタチが臭い生き物だと言うことは今回の体験でよくわかった。

他の人が言っていたが、家に侵入したイタチが食べ物がないと、腹いせに強烈な臭いの糞をして去るという。それが本当に腹いせだったらイタチとう言うのはすごい神経をしているとおもうが、たぶん、食べ物がない場所という印で、次にそこに入っても臭いがすればそこを探しても無駄ということ。一方、食べ物があると糞をしないのはイタチは自分の糞の臭いがする食べ物を食べたくないからじゃないだろうか。本能だろうか、自然の摂理か、結果、案外デリケートなところもあるのも感じる。

イタチには悪いが穴を閉じよう。


2016年02月25日
着尺の件で、改善方法がないものかと午後から加工工場に反物を持ち込んで相談。相談する前に、反物の物性を自分なりに分析して、改善方法としてよいと思っていた方法がマイナスの結果になる可能性が高い。加工工場で加工方法の説明を受けて、どうすればベストなのかを検討。やはり詳細が分かればいろんな意味が見えてくるものだ。

しかし、一回で新しいことを行うというのはリスクが非常に高く、検証作業が本来は絶対に必要。だが、いろんな制約が存在していて、そういう作業を正しくしようとしても正しくできないことも多い。また、短いテストだと優位性を持たないこともありえる。

織物を作るときに織るまではなんとかできてもその先のことを煮詰めるのはその織物に応じて完成のところにまでたどり着くための経験が必要となってくる。今回は幅の問題がひとつのネックで一番最初の縦糸の本数からもが制約を受けてくる。

幅というのも入れたり引っ張って合わせることはできるが、無理をすればその反動が悪い物性として帰ってくるので、あまり、生地に無理をさせないようにしないとならないので、本来は、幅というものは自然な仕上がり幅であるというのが一番理想。そうするといくら計算をしていても、麻の生地なんて毎回多少の前後が出てきてしまう。

2016年02月24日
今日は岩間シャトル4号台の問題の解決。3番のシャトルから1番のシャトルに変わるときにシャトルがうまく交換ができない。問題は何かというと、杼箱が勢いよく落ちすぎて、1番のシャトルじゃなくってシャトルの入っている杼箱の上を叩いてしまってみたいな状態。

シャトルの杼箱を固定する板羽根の強さが弱いからだろうという想定で、そこを調節して、ヒガエが問題なくできるように。原因が特定でき間違ったところを調整しなくて本当に良かった。調子が悪いので、機自体を別の織機に載せ替えしようと考えていたところで、結局、大きな時間の節約になったし、正しい原因が究明できて良かった。

一方で、ドビーカードが破損して、キズが発生している。ドビーカードの作り直し作業なのだが、平織のヒガエタイプの3000本近く、私がやっても1時間くらいかかる作成作業。他の案件でも解決しないとならない問題が多く、ちょっとしたことが正しくないとかが命取りで時間がどんどんと足りなくなる。

夜11時、今日の出荷が終わると、なぜか雪がちらついている。これから朝までもう一仕事。
2016年02月23日
昨日、今日とメディアの取材の話で、雑誌とテレビ。本来ならありがたい話なのであるが、今の忙しすぎる状況では丁重に辞退させていただく旨をお願いする。ミラノウニカの匠のコーナーの撮影でも林与にとっては大パニックで、逆に林与の取材のみなさんへの対応が遅れ気味でご迷惑を掛けてしまうことが多い。

普通の会社と違っていろんなものが処分せずにありすぎて、生地生地生地だらけだったりする。そんな会社はないだろうと思うが、林与の事務所も生地で溢れている。みんなはそれを在庫がこんなにあるというが、それは端反でサンプルであるのだが、どれもにお金だけでなく時間も手間も使っているので、気軽に譲ったり捨てたりできるものではない。

片付けてしまうとお客さまが来られたときに対応ができなくなる。良い方法があればよいのだが、ヨーロッパの会社のように、小さなカラーチップにして、生地を配れるようにする方法もあろうが、色無地中心の会社の方法だと思う。やっぱり、枡見本のような大きな贅沢なものをみて布の力を感じてもらいたいと思うのだ。
2016年02月19日
食品とかは産地偽装などがよく問題視される。産地が違うだけで2割3割相場が異なるのが当たり前だったりして、最近もテレビニュースで、ブロイラーの普通の鶏肉を産地さんに見せかけて販売した会社が話題となった。

私も地場産を謳うだけにそれなりに自社でコストを掛けたものを作って納得していただいて売りたいと思う。産地のある社長さんの親身なアドバイスで林与さんは看板があるのだから海外産の生地を上手に使って儲けるほうがよいのではないのかと、いただくが、自分自身が寝ないでも仕事して守り抜こうとするものがある世界だから意味があって、繊維なんて、生地ひとつにしても生地すらもが材料であって、生地が海外産になるなら、製品が海外産であってもよいだろうと、大手のSPAが成功されている。

大手のSPAにしても、成功されている理由は海外産であることをしっかりと謳っていられるからで、正しく動いているし、謳い正しくなければ大問題なのである。リネン日記で、フランス産という表現が正しくないのも伝わって大手SPAのフランス産の原産地表記がフランスあるいはベルギー産に変わったのも適切な道へのひとつのステップではあろうと思う。

大手SPAが一番最初に安価に売り出したリネンシャツは、オーストリア産のリネンだったが、一体どこの紡績工場だったのであろうか。まったく、ノーマークの急にわいて出たオーストリアの紡績工場産リネン、消費者の琴線に触れ爆発的に売れたようだが、今までオーストリアにリネン紡績工場が存在するというのは聞いたこともない世界である。リネンの業界なんて狭いのにそんな情報の信憑性が今も確認がが取れないのが不思議なのが大手SPAのものづくりのブラックボックスであって不思議すぎるのである。

私の情報が足りないのだろうか、オーストリアに商社やかつての紡績工場が新興国で海外生産しているくらいはいくらでも存在するだろうが、展示会などでもそんなオーストリアの紡績工場のうわさすら聞いたことがないのが不思議。2000年以降に、オーストリアにリネン紡績工場が存在するのかどうかという情報あったら教えて欲しい。いろんな展示会などにも出ているけど、オーストリアの紡績工場の存在というのは聞いたことがないのだ。アイリッシュリネンもそうだが当時、本当に不思議だったことのひとつである。
2016年02月18日
今日は、地元の高等養護学校の生徒さんたちが朝1時間ほど見学に来てくださった。高校1年生の皆さんということで、2年目からは、織物、料理、農業の3コースに分かれて勉強されるというお話。工場のなかでシャトル織機が大きな音を立てて動くのをみてもらったり、ビームを担いでもらったり、小さな工場の中でもいろんな機械などもあって新鮮だったろうと思える。意外に人気だったのが、整経機。糸が川のように流れながら巻かれていく様子を楽しそうにみてもらえた。昔の近江上布のハギレもみていただいた。

私も勉強になったのは、昔私の会社で働いていて下さった近所のいそさんがスクールサポーターをされていて、私が働く前の会社の様子を語ってくれたり、もう一人、同じく東円堂で、農業をされているくよもんさんも若いころに会社で整経の仕事をしてられたとか、林与の織物は、明治、大正、戦後の復興期に村の仕事だったようで、いそさんのお母さんが出機さんの一人で、織った反物を貰われ着物に仕立て、いそさんが母親から受けついだものとして見せて下さった。50年たっても、売り場にならべても大丈夫なくらいしっかりとしていて一生物といわれるだけあって、娘さんも含め、3代に渡って着ておられるという。それだけ大事に思ってもらえるのはすごいことだと思った。
2016年02月15日
ミラノウニカで、林与の中で、今回の一番人気は、小梅格子の柄だった。理由は、入り口付近の壁に小梅格子の柄のワンピースを掛けてPRしたことで、多くの方が目に止まったワンピースを触って実感してブースの中のハンガーなどもみてくださった。赤っぽいのはやはりイタリアで大事な気がする。フェラーリと共通する要素が小梅格子の色使いには秘められているのがイタリア人の感性にあうだろうとチョイスして配置してみたというのは冗談ながら、イタリア、フランス、イギリスのデザイナーさんの琴線をくすぐれそうな要素が、林与の近江上布の世界にはあったりする。

イタリアの雑誌コレクチオーンにピックアップいただいたのは、赤珠の柄。私が写真で撮影しようとしても、カメラがかすり柄なのでピントを合わせることができなくって、送った写真データがピントがぼけた違和感の宇宙惑星みたいな写真だったが、そんな写真をセレクト下さり載せてくださった。雑誌をみて、そんな違和感のある写真は、林与のだけだろうから、実物がどんなかみたいということで興味を示してもらえることもあるのではないかとポジティブシンキング。

ほかのイタリアの雑誌の方が興味を示され撮影された柄というのは、日本的なもので、選ばれる方の感性というものが選ばれる柄によって伝わってくる。ひっくり返せば近江上布のどの柄が好みかで、その人の過去の印象深かったイメージというものを呼び起こさせていたり、深層心理みたいなものがわかるんじゃないかと思える。選ばれる人のデザインに対する理想というものが選ばれた柄によって感じ取れる気がする。

使っている色というのはひとつの柄に4色程度で、すべての柄に使っている色の数にしても20色から30色くらいしかないだろうけど、その限られた色の中でジャパニーズモダンを作り上げている。この20色30色というのが、ジャパニーズモダンなイメージを生み出す元素みたいなものだろう。その色味が異なったなら全体の雰囲気は変わってくる。オリジナルの近江上布とインクジェットしたストールなどの色味の違いは、雰囲気の違いを生み出し、製品として存在するときのジャンルを変えてしまう。

世界でも大手の電化製品のメーカーのデザイン部門の方からミラノウニカで弊社のブースで素材をみてメールが届く、麻素材に興味をもたれたというより色柄のデザイン性の部分なんだろうなあと思える。弊社だけに問い合わせされておられるわけではないだろうが、デザインというのは生地だけの世界にとどまらないのを感じる。最終日今回の記念に取った写真をみてそれほど多くの数のものが並んでいるわけではないけど、林与の展示案外楽しそうに見えると自己満足。
2016年02月14日
林与では、織物を現場で生産に携わりながら実践的に技術修得する研修生の第一期生を3月14日まで若干名募集しています。応募資格は18歳以上で、未成年者の場合には保護者の同意が必要です。期間は2016年4月1日から2017年3月31日の1年間を一期とします。受講料や選考の手続きなどの詳細はメールにてお問い合わせ下さい。(毎期につき若干名、特待生として実質的に受講料免除になる制度もありますが一期終了後に返還される形になります。)

内容は、一年で、糸の結び方、糸の準備、チーズアップ、糸の小割、整経、経つなぎ、機つくり、機替え、カードパンチング、製織、織機の調整作業、加工出し、補修、検反作業などをマスターできます。覚える力と体力も必須になります。二年目も希望される場合には再選考がありますが、一年目の内容プラス織物企画や生産管理を含めた内容となります。三年目も希望される場合には再選考がありますが、一年目、二年目プラス自主企画などを含めた内容になります。期間中は布の生産現場にどっぷりと浸かっていただいて、林与の指導の元で、一般的な織物職人以上のプロフェッショナルかつトータルな力を身につけることを目標とします。
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