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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2015年11月22日
今日は、倉庫に行って織機の部品をストックする場所を準備。倉庫の一角の糸を置いてあった場所を、部品置き場にする予定で片付ける。午後から夜中までの作業。なんとか、片付いて分解したシャトル織機の部品を置くことができそう。5台分くらいの部品になろうかと思うのでそれなりには場所が必要。

今が生産の時期に入っているので織機を動かしながらの移設作業で、とりあえず、工場の中に織機が納まるようにして、あとは順番に立ち上げていくような形。工場の中の織機を完全にシャッフルするような理想的なレイアウトも考えたが、今の織機を稼動しなければならないタイミングではそれは難しい。

使うか使わないかわからない部品をスペアで取っておくということは非常に無駄なことなのだが、それができるのかできないのかで織機の寿命というものは大きく違ってくる。いろんな意味で織機の寿命がすなわち機屋の寿命であるということが多いので、織機の維持がスムーズに行くことを想定することが大事であろうと思える。

シャトル織機の部品をとっておく倉庫のスペースだけでも織機数台は置けるようなスペースであったり、でも、一つ部品が手に入らなく困ることを考えると、なるべくたくさんの部品を残しておく必要がある。そういうところから仕事というのは始まる気がするが、そういうところは今のジャストインタイム式とはまったく逆の考え方になろうかといえる。
2015年11月21日
修羅場というのは避けるべきだろうと思えるが、修羅場を乗り越えるところに経験みたいなものの重みがあるのではないのかと思えたりする。商売が安定的に動いているときには、働く人というのはそれが当たり前に思えて、いざ立ち行かなくなったときには無力であったりするものだ。

企業というのが安定すると、外からではなく中から崩れ始めることが多いものだ。よりよい待遇が当たり前になって危機感がなくなるとか、ものを生み出す力がなくなるとか。普通考えて、人は一年に一歳年をとるのだが、一般的には年を取ると、仕事は出来なくなっていくものだろう。

今はあまり聞かなくなった年功序列型賃金制度というものがあるけども、それは土地の価格は上がり続けるという土地神話に近いバブル的なものがあるが、それを日本人は信じるように誘導をされ続けてきたが、それが壊れたときにそんなのは基本でもなんでもなく、企業なんて30年も持てば立派で人の一生よりも寿命が短いことのほうが多いのである。
2015年11月18日
林与もヘンプ糸を使った大麻布を生産しているが、林与の場合には、通常の紡績の大麻布。今、よく聞く昔の大麻を再現したといわれる大麻布というのは、水溶性ビニロンを紡績時に使って、織った後に水溶性ビニロンを溶かして細い糸にして作り上げる今風の手法で生み出される。

これは、ラミーなんかもそうで、細いラミーの糸は、ラミーのステイプルと水溶性ビニロンのステイプルと混紡して、水溶性ビニロンの混紡糸をつくり織ってから、加工で水溶性ビニロンを高温で溶かして除去して、薄いラミーの織物を作り上げる。

普通だと織れないものを織れるようにするために水溶性ビニロンが活躍しているのだ。織り難いはずのものが織りやすくなると、ますます機屋の力は不要になりつつあるのだろうと思える。

水溶性ビニロンの問題は、それが残留するかしないかの問題があろうし、また、水に溶けた後、水の処理の問題もあろう。従来の植物系の糊剤などを使うメリットというのは別の意味で残り続けると思う。
2015年11月17日
仕事をする上で器用さというのは大事で、職人的な器用と言うのは経験を積んだ結果であることが多いが、今までの人生経験でいろんなことをやっているので新しいことを初めてやっても器用にできるというのが必須になっているように思える。

新しいことを教えてもらって、難しいからできないといつまでもいい続けるのか、すぐに出来るようになるのか、あるいは、何ヶ月も掛かってできるようになるのかでは、食べていけるのはすぐに出来るようになる人だけであろう。習得が遅い人というのはそこに今までの仕事経験みたいなのが凝縮されていて、そういう習得が遅いというあたりから解決をしていかないとならないと思える。

よく言われるのが、現場では教えてもらえることは稀で、自分が上手な人の作業をみて、真似するしかないということ。いわば、上手になるためには技を盗めということ。現場で教えてもらえることばかりを期待していて自分が上手にならないのを教えてくれる人のせいにしていても、そういう人というのは自分が教える立場にはなかなかなれないもので、教えるほうが一生懸命でも教えられるほうが教えてもらえるのをまってそれを仕事していると勘違いして、全体としては上手な人が下手な人に使われてしまっているような一番駄目な状態を生み出してしまうのだろう。

新しいものづくりは、問題なんかがあっても自分で解決してものにしていける人でないと成り立たないだろう。毎日、目の前にトラブルみたいなものがあって、それを現実的に解決していけないと仕事としては成り立たないのである。何十年の経験をもつ職人さんたちを抱えている工場の経営が傾く一途で、経験のない新興国の工場が立ち上がって元気に日本向けの仕事をこなしているのを考えると、日本の織物企業がどんどんと形骸化して輸入企業に変わるのも自然な流れではあろう。
2015年11月16日
仕事を自分で生み出しておられる会社というのは、仕事のないタイミングというのがほとんどなく、自分で自分のために働くことも仕事という感覚だろう。仕事というのが他の人のことではなく自分のためという心境が必要で、働くことがあって仕事が生まれるという基本のあたりが欠如すると、いつも仕事があるとかもらえる感覚に陥り、緊張感もなくなり、そうなると堕ちるのは早いものだ。

そういう仕事に関する緊張感のなさというものは働く人にみられがちだがそれが組織全体でみられがちになったときになかなか元に戻すのは難しい。バブルの崩壊とともに、仕事の価値も土地の価格が下落したことで下落したのだが、給料は何分の一にもなることがないのでそういうのには気がつかないものだ。最後には製造業は日本から出て行くという結果に繋がった。

海外も豊かになって本来は国際競争の中で一番恐れるのは、豊かになっても働き続けるような国の存在なのだが、アジアの新興国も豊かになると働かないというような普遍の原理が働いて、一国の一人勝ちが続くようなことはない。

週40時間働いたところで一生働いても仕事としてそれほど経験もつめず、温い域を抜け出ることは難しいんじゃないだろうかと思えるが、そういう現場の前線の人の生産活動というのが、製造業では管理や事務の人の分まで収益を生み出すだけでなく、その会社に関わる人の働かない階級の人の生活までも支えていかなければ、その会社が存続というのは成り立たないだろう。40時間働いて、自分以外の5人、6人の分まで生産しないとなると相当の重荷になる。
2015年11月14日
今朝は朝から雨。今日は土曜日なので比較的落ち着いている。宿題的な仕事の案件の相談事や加工工場に電話して案件を考える。9月末が決算なので、11月末の決算書に絡んで在庫調べなども進める。

今年はリネンの価格が3割ほど上昇をしたので、昨年と比べると、原材料費の比率が高まったように思える。今年は決算前から来春物の準備を始めたので糸などの仕入額が昨年の2.5倍。早くから注文をたくさんいただいてありがたい話なのだが、手持ち糸の在庫が膨らんで、キャッシュフローは良くない。

キャッシュフローをよくすれば糸の確保に不確定な要因が増えるし、納期の件でお客様にまっていただかねばならないことも多い。ほしければすぐに手に入るというものでもなく、シーズンに入ると、糸が手に入らなくなったり、染ができなくなったり、どこかでパンクすると、作りたくても作れないというような状況に陥る。

海外が強いのは、中国にしても日本の金融規模を上回ってしまっていて、バイオーダー生産というような方式はとっていない。日本は繊維業界にもバイオーダー生産の流れが続いて、生産コストで何倍も高くなってそのコスト高のしわ寄せをほかにかぶせることで商売が成り立っている状況。被るところがなくなれば企画自体が進まなくなる。

日本でもSPAが強いのは、計画生産型であること。受注生産型でないことだろう。アパレルの場合、受注生産といっても最終消費者の受注を受けてではなく、お店やバイヤーさんからの受注を受けての洋服の生産でそれが生地の発注につながるので、まだ、その後に店頭での売れる売れないの不透明な要素は残るのは受注生産型でも同じ、それなら、計画生産型を組んだほうが、生産面での効率化は図れる部分がある。

新しい生地を企画するときも、スワッチがみたいからはじまって、着分が必要となり、量産が必要。3回つくる必要があって、アパレルさんやお店のオリジナルものというのはコスト面で成り立ちにくく、テキスタイルメーカーの企画に便乗してもらう形が一番無理がないことが多いが、そういうのが理解してもらえる相手様なのか相手様でないのかで、同じ素材を提供するにしても相手様の要求に応じてコストも大きく変わってくるものだったりする。
2015年11月13日
11月も半ばで、それほど厳しい寒さにも直面せず、今年はエルニーニョの影響とかで暖冬らしいが、百貨店の店頭なども年を越すとすぐに冬物はバーゲンセールで、2月からは春物が並び始める。もうちょっとバーゲンセールを待ってもらえないものかと思うものの、一番寒い2月にコートを店頭に並べても、雨降りの日に傘を忘れて傘を買うのと同じで、お店に飛び込んでとりあえず安いものでよいという需要がほとんどになるのだろう。

洋服というものは、店頭に溢れかえっているけども、色柄形サイズそしてプライス、人の好みはそれぞれで、自分がほしいものにめぐり合える確立は低いだろうし、自分のほしいものに出会っても、自分に合うのかどうかも一つの問題となってくるので、売れ残りというものは必然的に生まれる運命にあろうといえる。食べ物にもサイズがあっても、洋服とは異なる。

今日は、東京からお客様が工場の見学に起こしくださり、現場の雰囲気というものをみていただいた。もうすぐ、織機の移設を予定しているので、ごちゃごちゃ感がマックス気味だが、現場というのはいろいろなもので溢れているほうが魅力に思え、やはり捨ててしまわなかったものが何年かに一回とか活躍することが多い。
2015年11月12日
今、日本は東京を中心に2020年に向けて好景気の様相になりつつあるが、そのバブルが崩壊した後の準備も必要で、オリンピック後の数年でその蓄積は解けてしまうだろう。海外での沈没船事故で船長が逃げ出した件の裁判があったけど、日本の年金問題というのはまさに沈みかけている船そのもので、最初の自分の老後に備える任意でスターといたものが、いわば船長のいい加減さで成り立たなくなり強制的なものに変わり、今は、その犠牲も生まれてくる世代に背負わせても成り立たないほど。

人々の善意を募る寄付なんかでも、まともな寄付がどれほどあるのかと思えるほどに、その運営というものは強欲なことが多く、運営が存続するために寄付があるみたいなところ。サッカーくじTOTOなんてのも、法律をつくっても、最初の約束を当然のごとくに破って、法律を変えてでも存続させて、そういうので食べていかないとならない、組織が存在をするわけで、スポーツ振興という名前の偽善を振りかざし、無駄な組織をつくり無駄を食べて生きているようなところがある。日本のスポーツ観が健全であればあるほど、TOTOのようなものは普及し難いものだ。TOTOを普及させようとすると賞金を上げるとかギャンブル性を高めるしかないというのが本質だろう。その利権に群がる。

年金みたいな、人々の老後の生活を約束するためのものが、運営者によって、もてあそばれて、いくら消えてしまったのかすらもわからず、これから生まれてくる世代に負担を押し付けての正当化、原発もそうだが、誰が運営するかで同じことでも正反対の結果となるだろう。

人の命にしても、原発が爆発して放射能漏れを隠匿した国なんてのは、先に逃げ出した船長と同じレベルではないのか。自分の保身で放射能漏れを隠してそれがために死に行く人もあるだろう。海水を掛けると廃炉しなければならないのでもったいないという、それこそが、原発よりも何十万人という人の命のほうが安いという判断。唯一、設計のミスというか、神の手が働いて、地下から放射能が漏れ出して海に流れ出したことで無限拡散され、そうでなければ、福島はチェルノブイリの半分クラスの後遺症に見舞われたろう。

今も、除染というような言葉がきれいに聞こえるが、除染って、放射能を消すことができるのという話になる。それは無理な話で遠洋投棄が正しかったという結論になる。私自身は福島原発の所長は典型的な体内被曝の甲状腺がんだろうとみるが、専門化たちが素人未満の判断をまたやっているというか、包み隠すしかないというのが実情だろう。原発爆発して専門化が水蒸気爆発で安心しろ、素人はメルトダウンの判断で放射能漏れを心配、どちらが結果正しかったのか、そういう重大事態のときに保身が働く愚かさが原発行政で今も変わらず他国の沈没事故を笑っていられるところではなかろう。
2015年11月11日
今日は奈良からのお客さま、ブランドの拠点を京都に引越しされるそうで、そこに落ちつかれるべく、古い家を改装中だそう。田舎というのはのどかに見えるが、精神的には都会のように自由じゃないのでややこしいことも多いだろう。本来は、田舎ほうが田舎の自由があってよいはずなのだが、変に田舎が画一化されてしまって、田舎のもののほうが束縛されてしまっている。あかんじゃないのか。

さて、工場の中、糸を結んだ結び目は最後鋏で切って処理をするのだが、縦糸用に整経するときにその結び目が長いのに気がついて延々と切る作業が続く。何十倍もの時間がかかって、しまうのだが、最後に問題のない良いものを作ろうとすれば、こういう結びそは、気がついた時点で処理しないとならない。

糸の紡績の段階というよりも、国内での作業している高齢のおじいさんの結びが大きい可能性が高く、そういう結び目の処理をするのもその糸を使う人の仕事になる。同時に、油糸のような汚れの問題が起こって、それを除去する仕事。紡績の段階での問題のようで、紡績の錐にトラブルが起こって、時折、10cmから1mくらいの一本の糸が汚れているのを、整経の作業の時点ですべて目視により取り除く。

これだけで、1時間で本来なら済む仕事が、二人で一日がかりの仕事に。どこの現場にもプロがいないというのが今日の現状で、こういうトラブルをしてきしても認めてはくれても、それを解決する手段すらがその人たちにはなく、ぴりぴりとした感覚で機屋がそういうものを片付けないとならない。

本来、材料には問題がないというのが基本だが、問題があるのを前提で技術や努力でカバーできるかできないかで、できることや、結果というものが大きく変わってくる。私には問題のあるまま、糸を作業して悪い生地をつくってしまうことはできないので、何十倍の時間を使ってそういう問題を解決するために手間を掛けていく。できない人はできない、できる人が片付けていくしかないのである。
2015年11月10日
今日は東京より和装のお客様。最近は、和装に関しては自社企画の着尺をたまに織る以外には、3社からのお仕事を受けているにとどまる。本麻ともなってくると一反一反売られる形になってくるので、そうたくさん流れるものでもないのも良くわかるのだ。

着物の世界とアパレルの世界では同じ、本麻でも異なる風合いが好まれる。着物の世界というとどちらかといえば硬い風合いが好まれ、アパレルの世界ではできるだけ柔らかい風合いが好まれるものだ。

着物というのは基本的には、できるかぎりしっかりと織るというのが基本。番手に応じた密度があって、薄いものを織りたければ細い糸を使い、厚いものを織りたければ太い糸を使う。アパレルの世界だと、薄いものを太い糸を粗く織って織ることもありえるだろうが、昔の織物にあるあの独特の手織りの厚みというのは、手織りのアイリッシュリネンなどにも共通をする要素だろう。
2015年11月09日
道を開いていくのは大変だろうと思える。すでに道が出来上がっている状況で、別の道を作っていくことも難しいことだなあと思える。多くの人が新しい道を歩き始めると新しい道を歩き始めることのほうが普通に思える。

繊維産業においても、昔ながらの道と、新しい道があるだろう。昔ながらの道というのはおじいさんおばあさんが歩いていてそれにあわせて若いものも歩いていく必要がある。新しい道というのは交通量も多くトラックや外車なんかが走っているイメージだろうか。

地場産業でよくいわれるのが新しいことをしようとしても先代世代がいるのでややこしいということ。そういう人のつながりの中での序列化とかに必死になっているのは無駄なことで、いろいろな形があって生き残れるのだろうと思うが、そういう変な制約を超えていかないと外の世界との競争なんてできないだろう。

そういうのを早く超えたところほどチャンスをつかんで次に繋がる道が広がる。先代世代も若い世代をそういう束縛から早く解放してあげるべきだろう。そうでないと次の世代が育たなく弱すぎたり、消えてしまうものだろうと、わたしも、年を取り始めて自分はどうあるべきかと考える。
2015年11月08日
今日は、長英座の2日目。お客さんの数は昨日よりもかなり多い。開幕前にロビー展示の隣で、女の子6人での踊りがあってそういうのがほのぼのとしていて和む。愛荘町のイメージキャラクター「あしょうさん」がロビーに登場して、それもお客さんたちを和ませる。

あしょうさんというのは、和尚さんをもじって名前が付いていて、和尚さんのような風貌のキャラクターで、頭は瓶手鞠、衣裳は近江上布を着ているということらしいが確認したところアクリル?かなあ、冗談でつっこんでおいた。

お隣の展示は滋賀県酒造組合が展示されていて、滋賀県の33の酒蔵のお酒を100円で試飲できる企画をされていた。酒蔵の数も減る一方のようで、最近の飲酒運転に対する罰則の強化でお酒を飲む人と機会が減ったということ。東近江八日市の酒蔵のお酒を1本お土産にいただいた。

昨日、私が近江上布を持ち出したことを知ってか、母親が勘違いしてか、帰ったらもう20反ほど近江上布の反物を奥から出してきたようだ。母親としては売り切ってしまってほしいようだが、私としては、日本の織物や近江上布の歴史の強さを語ることのできる反物なので散ってしまうと残念なので歴史的な資料としてみてもらえればと思う。
2015年11月07日
滋賀県米原の文化産業交流会館で、7日8日の両日、長英座5周年のイベントが行われます。林与は近江の産業のPRの一つとしましてロビー展示をさせていただきます。近江上布アーカイブの展示とキッチンクロス、ストール、ハンカチの展示販売をさせていただきます。以下は、文化産業交流会館のホームページより、長英座ルネサンス近江開幕のご案内内容です。

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「長栄座ルネサンス近江開幕」は11月7日(土)と8日(日)の2日間にわたり開催します!
11月7日(土)は、芸舞妓さんのあでやかで華麗な舞姿や名手・今藤美佐緒さんによる
三味線の至芸を狂言師・茂山逸平さんの軽妙な司会でお送りします。
舞妓さんとの写真撮影会もあります!!

11月8日(日)は、創作地歌「滋賀の地酒祝い唄」や県内外の実力ある日本舞踊家による
湖国ゆかりの演目を披露します。尾上菊之丞さんと若柳吉蔵さんの共演や民謡歌手の成世昌平さんの出演は見逃せません!!

♪会場♪ 滋賀県立文化産業交流会館 イベントホール内特設舞台「長栄座」
♪入場料♪ 【一般】3,000円 【青少年(25歳以下)】1,500円
♪お得な2日間セット♪【一般】6,000円→5,000円 【青少年】3,000円→2,500円

ロビーでの両日開催イベントもあります
・顔出し看板で記念撮影
・滋賀の物産展
・高校生によるお茶席(先着100名)
2015年11月06日
最後ひとりで会社を閉じられた社長が、最後の年までしっかりと自分で織物を織って仕事をされて、普通の若い人以上の気力と体力でおられるのをみて、私がいくら若くてもこの人には敵わないなあと思えた。

もう一つ、同級生の漬物屋さんの親父さんが、地元では十分認識された漬物工場の社長でありながらも息子さんに商売の花道的なところを譲り、自分は、町内の家に醤油を売る行商に歩いておられた。醤油なんてスーパーに行けば、いつでも手軽に買えるものになってしまったのに、それを御用聞きしながら売るということを実践されていた。大変やなあと思ったけど立派な人だなあと仕事を始めて若かったときに思った。

立場が上になって仕事をしなくなるのが多いけども(国の組織や軍隊なんかも含めて)、上に立つものが下のものを食い物にしてちゃ駄目で、指揮するなら指揮されるもの以上の苦労が必要だろうといえる。指揮されるものが苦労しているなら、ほかの組織の苦労も分かるといえるが、苦労していないものが上に立っているとそれに指揮されるののすべてをつぶしてしまう。
2015年11月04日
私が織機の使い方を指導したり、織機をお客さんがみる時に常に注意しているのが、危険な場所に立ったり手を出したりしないか。織機を動かす人というのはそれに必死になり、人の危険まで考えて織機を動かせる人というのは少ないもので、ほかの人が触ろうとしているときに織機を運転に入れて大きな事故に繋がりかねない。

私自身、織機を動かそうとするときに、機械から注意しても離れなかったり、大丈夫といって軽く考えているのをみると、その状況では織機を動かさないほうがマシと判断する。予測の範囲を超えて何か起こることもあるのに、予測できる危険を含みながら行為に及ぶことは何十回に一回の失敗であったとしても一生背負うけがに繋がるものだ。
2015年11月03日
ガラスが割れて、ガラス屋さんをネットで調べる。大体修理費は、出張費みたいなものを合わせると2万円くらいか、ガラス代金1万円、出張5千円、技術料5千円、ガラス処分費2千円とか。

そういうネット業者は、斡旋だけで結局は地元の業者が作業をする。ネットには、見積もりは電話でする。丁寧な電話対応と書いて歩けども、電話すると、業者が現場で見積もりするという。要注意。

結局、地元の業者に持ち込んで修理してもらう、費用は良いタイプで一万円。安いタイプだと7千円。事情あって割ったのが社員だったので、できるだけ安いタイプでということで、すりガラスで厚みは抑えたものの、結局。ガラス代込みで5千円で修理してもらえた。

こういう地道な商売をしている業者さんが商いを続けられるように願ってしまうが、こういう業者さんにたどり着ける確率というのは低いものだろう。
2015年11月02日
生地が売れる売れないということはシーズン前にどれだけ受注が入るかなので実際に売れた売れないとは関係なく、注文は決まる。結局、お店やバイヤーさんが売れると思うか思わないかという感覚的なものとお店やバイヤーさんの甲斐性が発注を左右することになる。

売り場のバイヤーさんと企画から取り組んだ商品というものは、結局、店頭に並ぶことになるので発注に繋がる。昔、学生の方が自分がやれば地場産業のものをもっと上手に売ることができるとものづくりの感性からいわれていたが、地場産業のものを積極的に売るということを現実的にとらえれば、実際に買う立場のバイヤーになることが一つの手だろうと思える。

地場産業がデザイナーと取り組んで販路を開拓していくというのも、失敗することが多いのは、デザイナーさんにしても買い上げる立場ではないというあたり。そうやって企画してもそれを買い上げる人が見つからないことには消費者の目に触れることもないのだ。

毎年、流行というのは変わっていくので、流行的にみた良いものというのは普遍的ではなく、そういうのに流されてしまうと自らの形を失う。これはブランドさんとて同じだろう。
2015年11月01日
たとえばデザイナーがクリエイターではなくセレクターになってしまっていることはよくファッション業界では危惧される。既製服の世界というのは着物の世界と似ていて売れる形がある程度決まっているので、奇抜なものをクリエーションしたところで、商売としての成功につなげることは難しいだろう。

何が起こるのかというと、デザイナーがこだわるものが縫製のディーテイルというよりも、生地で色柄を変えたりして新しい商品を作ったり、使う素材のストーリーを探したりで揺るがない価値を生み出したり、ということが起こる。

デザイナーの才能というのは、一発で正しい形を生み出せるか否か。ものごとがわかってないと、一発で正しい形を生み出すことは難しい。一発で形を生み出せないなら生み出すために何が必要かというと、時間とお金を使って努力するという部分。それがあってこそ永続的な高いモノづくりに繋がるのではないかと思う。

コストをかけることは悪いことのように言われがちだが、悪いことじゃないと思える。

2015年10月24日
シャトルの2号台を動かしているが、縦糸切れが止まらない横糸切れが止まらない状況。調節が必要。曲がった部品をまっすぐにしたり1時間ほどの調節で何事もなかったように織機は正しく動き出すのだが、本来は織機というのは常にこういう状態が保たれているべきだろう。

織機というものは正しく動かなければ駄目な物を量産することになり、仕事すればするほど問題が増えてくるものだ。正しく調節できる人がいてこそ正しいものが織れる。こういうのを一般には技術と呼ぶのかも知れないが、本来は織物をする上では基本の部類で正しく動かせ、正しい布を生産して初めて仕事なのである。

浜松で大手のシャトル機屋が廃業をしたそうで織機が海外に行くそうだ。海外のほうが正しくシャトル織機を扱える職人がたくさん存在しているということと、シャトル織機を動かして成り立つ仕事というのが海外ならあるほか、海外がほしいのはレピアよりは部品が代替が聞く、自作できるシャトル織機だろうといえる。

シャトル織機というのは金鉱(ゴールドマイン)みたいなものなのだ。日本は今でもたぶん世界有数の金の保有国だろうが、それを取り出そうとすると諸外国以上のコストが掛かる。やっても利益が上がることはないだろう。日本でシャトル織機を動かして布を織るも同じに近い。浜松の織物工場の社長の「ご迷惑を掛けず閉じられることを誇り」とし喜んでおられるのが本音なのではないかと思える。ほかのものがやっても成り立たないのもよく分かっているのだろう。
2015年10月23日
そろそろ来春向けに1月中くらいまでの生産詰まってこれらの本シーズンの生産を乗り切りたいところ。年内納めの受注ももう数件入る予定で年明け蔵までは仕事でパンパンになるだろう。

ミラノウニカとインターテキスタイル上海の申し込みを済ませた。今年は近江上布プリント柄の新たな展開を考えているところ。本業のアパレル向けプラス小物雑貨のチャンネルが広がり始めて海外展開向けにもいい感じに思っている。

今回ミラノに正式に出展できるなら、前か後ろの1日、時間をとってフィレンツェに訪れたい。学生のときに将来時間が出来たらまた来たいと思った、フィレンツェ美術館に行きたいのだ。留守にするのときの会社が心配だが。週末をうまく当てられないだろうか。
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