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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年02月13日
今日は一日空港と飛行機の中、夜に大阪に到着。ネットのご発送なども遅れておりますが、これから帰ってこの週末にできるかぎりいたしますのでよろしくお願いいたします。新しいご注文のご発想に関しましては5日程度発想までお時間いただく形になりますが、よろしくお願いいたします。
2016年02月12日
今回のイタリアは、イタリア万博会場の正面のNHホテルに滞在。地下鉄の駅周辺では一番くらいに有名なホテルなので地図も持たずに人に聞きながらホテルにはたどり着けた。ミラノウニカのミラノフィエラシティへは、歩いたり地下鉄乗って乗り換えたりしていると40分ほど、タクシーではホテルの前から乗って混んでいなければ15分ほどの距離。

メトロの駅まで歩いて15分ほどで遠いのが難点で周りになにもないが、ホテルの中は、静かで快適な空間。場所さえ市内にこだわらなければ、こういう空間も楽しめるのだなあと思え、部屋だけでなくロビーも快適でビジネスユースには悪くない。チェックアウトしてからも快適なロビーでネットしながら仕事の案件を整理。

林与らしくないのだが・・・。
2016年02月11日
今日はミラノウニカの最終日、朝ホテルのブッフェでフル充電して、タクシーで会場に向かおうとすると昨日と同じタクシー運転手。私以外はタクシーをあんまり使わないというのが良くわかる、通訳の人にミラノではタクシー使わないのですがと聞くと、交通網が発達していることとあとはタクシーにボラれるのを警戒して使わないのだと言う。

終わり間際、ジャパンパビリオンの4箇所で流されていると言う日本の匠のビデオをはじめてみて、見逃さなくってほんと良かった。ジャパンパビリオンの日本生地のプロモーションへの力の入れように驚くばかり。林与なんかはおっさんなんで表にでないほうがよかろうといつも思うのだがいい感じで編集いただいて、ジャパンパビリオンの一員として参加させていただいている恩恵を一番くらいに受けさせてもらっているのが林与なんじゃないかと思える。私自身は機屋というのは地味な存在であるべきだと思うところもあって、勘違いすると仕事の意味のわからないレベルまで落ちてしまうし、本質を忘れ損得勘定優先のチープな存在になってしまう。

ヨーロッパに来て高級ブランドさんとの商談でも、ほとんどの場合、林与の麻生地の値段は高いと感じられることが多い。たぶん、ヨーロッパメーカーのリネン生地の1.5倍から2倍くらいの値段だろうと思え、さらに送料や通関費用なども乗るので、ヨーロッパのアパレルメーカーにとっては、林与の麻生地は、ヨーロッパメーカーのリネン生地と比較して最終2倍から3倍の高額に映るだろう。一つとか二つの生地の比較ではなく、全体的にこの会社のものづくりは他とは違ってみたいなものを感じてもらえないと受け入れてもらえないだろうから、ヨーロッパの企業とは違う要素をもって憧れてもらえる様なものづくりのスタイルを持つことが大事だと思える。

匠のコーナー以外にも、現地の雑誌などにも載ったりこれから載るとかで、林与の生地やものづくりがメディアを通じてヨーロッパでファッション雑誌を読まれる方に伝わるかもしれないと思うと楽しみで、ものづくりに強くあるためには生き方に他にない強さが必要だと思える。それは日本が失ってしまった島国根性的なものかもしれないと思う。島のような限られた状況のにおいて独自に他を卓越するような何かを生み出していくために重要な要素は人という要素の人生観の違いであろう。

イタリアに着いたときはやせ細って歩いているとベルトをきつく締めていてもズボンが落ちるほどだったが、この3日で10kg以上増量でき、ベルト無くてもズボンは落ちないほどに復活。病気で痩せたのではなく食べる時間も無く動き回ってたいただけでなく、追われながらも織機や機を立ち上げるために頭をフルに使って相当のエネルギーを消費したのだと思う。追い込まれた状況で正しく仕事をしようとするときに林与のペンティアムプロセッサーは案外消費電力が大きい。食べて元に戻ったので健康な証拠だろう。元に戻れば食べ過ぎ防止リミッターも機能しているようだ。
2016年02月10日
よく寝すぎてこれほどに熟睡できたのは何年ぶりだろうか、15分で朝ごはんを食べて、会場入りはタクシーでぎりぎりの9時、やはり初日の人の流れとくらべると2日目は落ち着いてはいるものの、それでも台紙つくりには追われる状態が続いてちょっと合間に通訳の人とおしゃべりしていると手を動かすようにいわれる。この通訳の人はお母さんタイプなのであって仕事のできる人だなあと思える。林与もスワッチのほとんどを会場で準備して渡したので、宿題を抱えずに帰ることができる状態も珍しい。

ちょっとお客様が途切れる合間には、主催の方や、福田織物さんとか、富士吉田の宮下さんとか、前田源商店さん、宮真さんなど顔なじみの方とお話に来てくださったり、どこもが盛況のようで、前回の万博と重なった9月よりも盛況であるということ。日本の出展者のみんなの顔が明るい。

今回うれしかったことの一つに、日本でも展開されているロンドンのブランドの方が林与に会いに来てくださったこと。東京の商談会で、林与のキッチンクロスとかを日本のお土産に買ってもってかえってくださった。自分でも手織りされたりの方なので、生地などに愛着をもってくださる方で、お話したかったけど飛行機の時間が迫っているのでということで今回はスワッチを選んでもらっただけで、お話できず残念だったが、もう2年くらい経つのに林与を覚えていてわざわざ主催の方に尋ねてブースにたどり着いてくださった。ほんとうれしいなあである。
2016年02月09日
今日はやせ細ってイタリアに到着した林与が、ホテルの朝食のブッフェでハムなんかを2kgくらい食べて体力を回復する、映画のロッキーでいうと、ロッキーのテーマが流れ出し、過酷なトレーニングに打ち込むようなイメージだろうか。減量とは逆なのだが増量のトレーニング。

朝食を食べ過ぎて地下鉄では会場入りが遅れそうでタクシーで会場に向かうが、15分程度の距離なのでそれほど遠くはない。今回通訳でお世話になる方とも会場で対面でき一安心。開場してから2時間くらいはお客さんの流れはよくなかったもののその後は夕方6時30分の終了まで非常に忙しく対応に追われる形。匠のコーナーで今回出展の日本の3社として弊社も取り上げていただいた成果も大きく、映像や匠のコーナーのハンガーサンプルをみられてブースにお越しくださったところも多い。

前回参加したときはAW展だったが、今回はSS展ということもあって、しかも麻に関してはジャパンブースでは弊社だけみたいなところもあるのだろう。リネンという言葉だけで、お客さんが興味を示して生地を見てくださるような感じなのかもしれない。人気どころは、やはりプリント柄だろうか。柄が目に入って触りに来て下さる方も多い。今回、大ポカもあって、出発間際に時間がなく、匠のコーナーやトレンドコーナーの控えを持ってくるのを忘れ、そういうところに出した林与の強い特色のある素材を、ブースでは見てもらえないという状況。林与にはありがちなのだが、本来ならありえない笑い話なのである。

今回は、帰国後の対応ではなく、できるかぎりをその場で対応してしまえるように、スワッチサンプルを会場でお渡しする形に、この形だと対応できるお客様の数が極端に減るが、間違いなくお渡しできるので結果としては良い。持ち込んだモバイルプリンタが活躍してくれている。通訳の人も仕事を前に進めるタイプの人なので、私がノホホンとくつろいでいると手を動かしてくださいと指導が入り、貯まりがちなスワッチの台紙の作成とプリントアウトが進むことになる。彼女は、かばん作家さんでもあり、リネンもかばん素材としてはたくさん使われており、日本の作家サイトで販売もされているということ。やはり出来る人というのは自分でそういうのやれる人なのだろう。

夜は、ミラノウニカ主催のパーティがあって参加。福田織物さんとクリエイティブクロッシングでお世話になった経産省の方もミラノウニカの視察でパーティも参加されていたので、パーティの場でお話しする機会を得る。後半、イタリアでは有名な女性歌手が出て来て会場は非常に盛り上がるのだが、それよりも、私自身は会場のお客さんのノリの良さをイタリアなんだなあと楽しんだ。音楽がなると踊り出せるのがいい。

シャンパンを飲みすぎたか、メトロの終着のRHO FIERAの駅で駅員に起こされて電車をおりる。イタリア万博の会場の周りを歩いてホテルにたどり着くのだが、その距離というのが2kmほどあるだろうか結構疲れ、左足が痛くなると、途中、バス停で休憩したりしながら、そんなことしているとなんとなく、イタリアのこのあたりにも馴染めてくる気がする。ミラノ市内と違って、ホテルの周りミラノフィエラ展示会場以外にはコンビにすらも無く陸の孤島なのだ。NHホテルの入り口にしても、倉庫の扉みたいで中がまったくみえず、どこが入り口なのか自動ドアが反応して扉が開かないとわからないくらい。これが洗練されているイタリアンモダンなセンスなのだろうが。
2016年02月08日
準備日、会場入りする前に準備日パスを印刷して持っていかないと会場に入れないということだが、小さなエプソンのモバイルプリンタをもってきたのでそれでプリントアウトすればよいと思っていたが、データはウェブ上にあって、ワイファイにつなげないと駄目なのだが、空港で海外ワイファイを契約する時間無くホテルのワイファイに頼るしかない。

3時からしかチェックインできないと言う規定らしいが、先に登録してロビーでホテルのワイファイに繋いで、プリントアウト。なぜか、モバイルプリンタのACアダプタが見当たらない。が、数枚は充電がもちそうで印刷できそうなので、必要な数枚だけなんとかプリントアウトして、会場に向かう。その途中で、タクシーに乗って大型電気屋でACアダプタを探しにいくけど、日本のタイプのプラグのものがまったく見当たらない。駄目元が駄目に終わる話。

展示会場につくと入り口がよく分からずに、うろうろ、会場についてからもジャパンブースまでたどり着くのに、イタリア人に尋ねるけども聞くと知らないの答えか、間違ったことを言われ失敗するケースのほうが多く、自分を信じて止まっているエレベータを登る。問題は時間がなさすぎて、Eチケットもホテル予約の紙も、入場パスも、フロアマップも、なにもプリントアウトして持ってこなかったこと。でも、なんとか会場にたどり着け、展示会では馴染みの皆さんと再開することが出来た。ようやく、スタートライン。

ブースの準備の途中で、忘れたと思ったプリンタのACアダプタがスーツケースの中から出てきてほっとする。プリンタは持ってきたは良いが、用紙をもってきていないので、ブース準備が終わった後、帰りの地下鉄の駅に行く途中、スーパーマーケットで買い物する。とにかく、足も限界に近く疲れきっているのでホテルで休みたい。

自分自身でも思うし皆さんも認識くださってるのが林与が痩せたこと。高校や大学時代の63kgに戻っているのではないだろうか。大人になってからは憧れの63kgだったが、絶対に戻れないだろうと思っていたけど。出発前は時間に追われて2日ほど食べる時間も無く、日本出発してからも40kgくらいの荷物をキャリーしながら、30kmくらいは歩いているだろうから細くなるのも当たり前だろう。でも、イタリアで4日もビュッフェなので、10kgくらいはすぐに増えるだろう。
2016年02月07日
現場の留守中の準備がしきれずに出発の電車を二つ遅らせギリギリまで工場での作業。スーツケースには10分で荷物を詰め込む。しかしながら京都でハルカの乗り場に向かうとむなしくもはるかが出発していくのが見え、アレレ、もしかしてあのハルカに乗り遅れたのかで、京都から新幹線にのって追いつこうとしても駅員は無理で、新幹線で在来線経由クロシオパターンの最短でも今日の夜11時の飛行機乗り遅れは確実。

明日の朝の飛行機の当日便をとっても到着は昼くらいにしかならないだろう。でも、とりあえず、新幹線で一番急いで行く形で、新大阪まで行って、駅員に在来線乗換えを聞くと、ハルカがあと一分で出発するので乗れるかなあと言われる。エっ、ダッシュ、ダッシュ。脚は骨折モードで、京都でも新大阪でも重いスーツケース持ちながら、痛みどころではなく、ダシュして、京都で乗り遅れたはずのハルカに、新大阪で乗ることができた。

空港に着くとイタリア行きの便は20分出発が繰上げで、新大阪でハルカに乗ることができていなかったら、準備日に到着できずに当日の昼会場入りになるところの大ポカ悲劇が起こっていただろう。飛行機の中ではやはり足が痛む。でも、奇跡的に間に合う形に復活したので、ヨーロッパまでの10数時間足がうずくように痛みながらも幸せ。10数時間というのは私にとっては長すぎるので、お客さんが送ってくれた希望の先染柄の設計を考える。お絵かきソフトかエクセルで作ってあるのか、縦横の糸と色の出方があっていないように思う。それもデザイナーさんも、送ってくれた間のお客さまも分かっておられて、どうやったら、絵に描いてあるように織物がつくれるかということを聞いてこられるのだが、シュミレーションを正しくして説明するのが一番ではないだろうかと思う。

以前作ったシュミレーションソフトの描画の高速化の問題が解決していなかったので、それを飛行機の中で解決しようと考えてみるとやはりビットの論理演算で解決ができそうなことがわかった。以前はXPバージョンだったが、ウィンドウズ8とか10バージョンで織物シュミレーションソフトを開発しなおすきっかけになりそう。今は洋服にシュミレーションをマッピングして、モデルが画面内で歩いて動くようなものまであるがテキスタイルの作り手にとって大事なところはそこじゃない気がする。
2016年02月06日
今日は朝から織機の立ち上げ中、鉄板のヒガエカードなんかも作り、ドビーカードなどもくみ上げる。基本的にストールは、2m程度なら横糸の4色で柄を端から端までボーダーでデザインできるようなイメージ。縦も同じように端から端までデザインできる。そういうものづくりは、どこまでなどが見合うかという問題だろう。

力をフルに発揮すればそうとう強いものづくりができる環境があって、それを成り立たせるために、どうやって販売して行くのかと言うところに糸口があるだろう。さらなるステップとして、林与の近江上布アーカイブを活用して、日本の織物のすごさみたいなものを感じてもらえるようなプロジェクトを4月以降にスタートする予定である。

それには、林与のシャトル織機が活躍する予定で、力のこもった布になる予定で、アパレル向けだけでなくインテリアなどにもお使いいただけるような世界を考えている。生地はプロダクトというよりもアーティクル的な存在を考え、量産も少しはできる体制をととのえるが、技術ではなく芸術的な布の世界を構築したいと考える。数年を掛けて基盤ができあがる予定。
2016年02月05日
今日は、愛知擁護高等学校の先生が、生徒さんの見学の下見にきてくださり、もろもろの話。織っているだけは、10分の一くらいの機屋の話。私自身が自分の背負っているものを養護学校の生徒さんの将来に生かしてもらえるとすれば地道な努力だろう。

普通の人でも織物の仕事、原理はそれほど難しくなくても出来ないのだ。地道な作業が大事なのでそういうのが本来の仕事なのだが、今の時代の仕事はそういう地道な作業の仕事がなくなりつつある。

林与にしても、田舎の小さな工場程度の規模だが、繊維業界では、こういう現場が田舎からも消え始めている。産地でも、林与みたいな織物工場はほんとうに珍しくなってしまったと思える。それを維持していくには馬力が必要だなあと自分でも思う。ようやく移設した14台のうち6台が立ち上がった。

先生が言われるのに、仕事が大変なところを生徒たちに見せてあげてほしいといわれるので、生徒さんが来られたときには、重いビームを担ぐ方法を見せるとか、縦つなぎを教えるとか、ちょっとすごいなあと思ってもらえるところをみていただくのがよいのかとも思う。
2016年02月03日
悪夢というものはあもので、50本から100本くらい縦糸が切れたので、そのまま後で直そうと思っていた織機が、電源をいれておいたら、ハンドルは入らずに、勝手にクラッチが入る状態で、動き出して縦糸が全部切れてしまうという、前代未聞の悲劇!

原因は何かというと、Vベルトが弱ってきて力がなくなっていたので、張らせる状態にしておいたのが、回転しているうちに熱をもってか、縮んだのだろうか、クラッチの片側に押しつく形で、モーターの動力が織機に伝わる状態を生み出したようだ。

足もボロボロだが、織機の縦糸もボロボロになって、これは復旧不可能な状態。イタリアから帰ってのやり直しで話を進めてもらっているけども、こういうことが起こるのが現場というもの。工場の中で動いているはずのない織機が動いていたので原因がわかるまでは悪魔の仕業かと思うほど。悪魔にしても、どうせ織機を動かすなら上手に動かしてほしいものだと思った。
2016年02月02日
数日前に織機のカードの調整のあと織機から飛び降りて問題なしのあと、下にいろいろな道具が広がっている中の、織機の後ろに回ろうとしたときに足の踏み場を修正しようとしたときに、足を思いっきりぐねって足の裏の真ん中辺り骨折したか。良かったのは、私自身のけがであること。経営者というのは会社が労災に入っていようが、けがしても何の補償もないが、ややこしくなくてありがたい。

結局、そのまま徹夜モードで数日目。気がついたことは血が回ると激痛で歩けないほどなので、まあ、病院のギブスを真似てベニア板を切ってツッカケの裏に貼り付けてテープで足をぐるぐる巻きにして歩く。これがいい感じ。病院のギブスだと取りたくても取れない歯がゆさがあるが、自分でやると力加減もできるし、あとで修正も簡単。

今は、このベニアガムテープぐるぐる巻きギブスでイタリア入りしそうな勢いだが、たぶん、ガムテープギブスしていないと、飛行機の中で足がむくんで激痛が走りそう。
2016年01月29日
UCサンディエゴの英語プログラムにいたときのスペインの女性の友人から、SNSの友達申請があって、懐かしいなあ。英語プログラムでも、アパートで一緒にいた私以外のほかのほとんど人たちは、クラスでNO1のすばらしい生徒として表彰されてたり、ルームメートのエトガーも、表彰を受けていた。私がすばらしい生徒でなかったのが当たり前に思えるほど強く明るい人が多かった。

私がサンディエゴで、住むところを探しているとクラスメートに話したら、一緒に住もうと4人で生活、そのアパートには別のクラスのカップルも住んでいて、いつも6人で遊んでた。私が日本人で、ほかがオーストリア、メキシコ、韓国、スペイン人だったが、その友達なども含めて私はいろいろんな友達つながりでのパーティなど人の交流にはほんと恵まれた。海が荒れる中でのウェイルウォッチングも面白かった。初めてクラスをサボったのも親切に先生が1時間2時間目の課外授業で2つのクラスの30人をダウンタウンに連れて行って午後の授業には戻らないといけないのに、その6人プラスαで合計15人ほどカフェでランチを楽しんだ。だれもそれを問題にしないし、授業に生真面目に戻るとかより、行動力を養うとかそういうことが大事だったりする感覚。勉強じゃなくて実践こそが大事。

英語のクラスにも15人中4人が日本人だったが、だれも何の約束もしないけど、教室では一言も日本語を話さなかって、みんな思いは一緒で、外国の人と接して英語を覚えるという目標をもっていて、すばらしい日本人のクラスメートたちだなあと思った。私には大学院で学びたいという目標があったが、レベルの高くしかも余裕のところで英語をマスターしているみんなと一緒させてもらってありがたかった。ほんと人間って語学にしても適当にするくらいでできていないとリアルな社会では通用はしないもので、苦痛に思うほどでやっていても成り立たない。

全然関係ないけど、アルゼンチンだったかペルーだったかの私とあんまり面識のない友達の友達も見た目さえない人だったけど、すごい人がいた。普通フリースピーチとか、5分何もみないでが地獄だが、その人は、しゃべり出すととまらずに、ビジネスイングリッシュのクラスのフリースピーチでも、30分を超えて長すぎるので先生がもういいよ、って、とめてもしゃべり続けていたので面白かった。本来は、がんばれと励まさないといけない先生が、うんざりするほど喋り捲る。たしか、自分が自分の国の大統領だったら自分の国をどうやってよくするかというテーマのスピーチだった。たぶんとめなかったら、1時間2時間どころか、1日中でも自分の国のことを話し続けるタイプの人だという。

今回、連絡もらったのはエリサ、アメリカ時代もスペインに旅行したときにリカルドの家に泊めてもらって、エリサの家にも招待してもらってパエリアをいただいた。エリサの家は、マドリッドで、水周りのお店をやっておられて、家族経営で大変だろうなあと思っていたけども、夕方から夜に掛けてすごくお客さんが多く、それが当たり前らしく驚いた。マドリッドでも、リカルドとエリサの家族や友達が私をウェルカムしてくれた。マドリッドにはルームメイトだったオーストリア人のエドガーがいて、エドガーも日本が地震のときに心配して連絡をくれた。メキシコのクリスティーナも連絡くれて、20年以上たっても私のことを覚えていてくれて連絡くれてありがとう。YOSHIは、生きてますよ。
2016年01月28日
織機をいくら調節しても織れない問題が、織機を変えると織れる事がある。同じタイプの織機同士でもそれはありうるし、違うタイプの織機に載せかえると織れることがある。

今日も耳が綺麗に織れない問題が発生で、片方の耳は綺麗、反対側が揺らいでいる。用途があるので、あまり糸を釣れるような織り方をしたくないので、普通のまま織って、加工での縦張力と横への引っ張り出しで耳がまっすぐになることに期待する。

本来は耳というのは悪くても加工できればそれほど問題ないのだが、用途によっては耳まで製品になる。ストール、着物、林与のキッチンクロスなどがその一例。本体以上に耳の調節は糸のゆるみがあるなしで変わってくるのでその調節は難しい。耳の揺らぎの問題を解決するために織機だけを一生懸命にみていても駄目で、縦糸、そしてシャトルの糸調子をみる必要があろう。

今日、耳の問題で解決のために触ったのはローラーテンプルのテンプルバー。なぜか内側に生地を誘導するようにしてあるが、本当は外側に誘導するべきが正解ではないのか。外側に誘導するとやはり、織り上がった記事幅が広くなり、筬で「く」の字に縦糸が折れ曲がって織れる事もすくない、すなわち緩んだ状態で織れることが少ないので、横糸の食い込みが少なくなる。

なぜ、ほとんどのローラテンプルのテンプルバーが生地を内側誘導なのかは疑問だが、織機を作っている人がわざわざ誘導するように針を斜めに走らせてもそれの左右を勘違いして設計書に書いてしまうこともあるだろう。あるいは、誰かテンプルを掃除したときに左右のテンプルバーのほとんどが逆に入れ替わってしまったのか?

このテンプルローラー一つの問題で半日、気がつかなければ、正しくは織れないという結論につがなる、怖い話。正しく織るために大事は大事。
2016年01月21日
今日は、シャトル織機の配線を考える。1台を立ち上げようとしても親配線に近くにあるすべての子配線を準備してあげておかないと、後で不細工なことになるので、1時間ほど使って、動かしたい1台含め合計4台分の子配線も準備する。

思うのだが時間があれば電気工事って楽しいなあと思える。私の幼少時代、電気プラモに興味があって、モーターと電池を繋ぐと回るのが興味深く、配線変えたりしているだけでも楽しかった。

時間に追われて、配電版のどのスイッチがどの親配線に対応しているかを考えないとならない。前にかいてあったのが、そのときも時間に追われて正しいことができておらず。

1時間で、4台分の子配線を作って、一台は立ち上げるためにインバーターを取り付ける。インバーターの設定までもしている時間が無いので、インバーターは、ほかのシャトル織機のインバーターをとりあえず代用する。

織機の回転速度はモータの回転速度が織機に伝わる速度を変更して行うので、車でいうと変速ギアに相当するプーリというものを交換することで織機のスピードを調整する方法もあるが、インバーターをすべての織機に取り付けて、低速から高速まで、一番よい速度の状態で織物を織ってあげる方法も一つの解決方法だろう。

プーリーの交換に、1時間2時間使って、また本に戻すのに同じ時間。それは機換えに相当するほど、無駄な時間。機換えしているくらいなら、織機をたくさん持って機替えする手間を省くのが正解だろう。
2016年01月20日
来ました大雪、20cmほど積もって本格的な冬の感じ。遅かったけど、これでよいのだと思う。f普段作業するときにはツッカケを履いてなので、外を歩くときに雪が靴下に染み込んで来る。いつもそんなのだとほんとうっとうしいのだが、今年初めての感触なのでまだ楽しめる要素がある。

心配なのは発送業務が難しくなること、昨日も発送ができずに東京方面に親戚の方にもっていってもらうことになったり。スムーズに行かなくなることも増えるが、雪というのは冬らしくてよいと思う。交通事故などには気を付けたい。
2016年01月19日
夜12時に工場に入って作業、産地でも機屋が壊滅状態といわれるのもよくわかるのだ。移設した織機も、なぜかシャトルがなかったり、いくつかは後でシャトルが出てきたが、何百本とたくさんあったはずのシャトルの管がほとんどなかったり、普通は考えられないことが起こる。間に業者さんが入ったので間接的になってそういうことがうまく行かないのはしかたのないことなのかもしれないが想定外の致命的なことがいくつも重なる。

まあ、そんなものだろう。わざわざ、シュワイターをもう一台別途に運び入れたのも確実に正解だった、今のシュワイターでは細巻き調整が難しく、それまで使っておられたシュワイターで糸を巻くという方法が正解中の正解。上手な人が調整してもぴったり使用と思うと一錘何時間もかかるものでなかなか難しい。

中古のシャトル織機は、移設しても動かそうとするといろんなものを準備が必要で、移設費用だけでなくそれに再稼動するためにいろんなものが必要となってくる。一般的には鉄くずの価値しかなく、処分するにも出すのに費用が掛かるので普通は無料で回収くらいがよいところになってしまう。

移設した状態はマイナスの状態で、それを動くように立ち上げていく、ないものは、会社にあるもので代用を考えたり、マイナスを消していくのも仕事のうち。何十年続けていた人がやっていても、難しい仕事を、別の場所でほかの人が引き継いだり、新たに立ち上げて同じような仕事をしても普通成り立つはずがないのもよくわかるのだ。

産地の麻織りが壊滅状態であるのだけど、次の世代が育つのかというと何十年やっている人でも織るだけのところが難しいのだから。色柄をデザインしたり、味を布に持たせたりと言う、家業的な機元が本来もっていなければならない特色を残しておかなければ、というか、職業プロが趣味の人に負けてしまうのもそのあたり。

よくあるのが、機屋にデザイナーを入れてみたいな話があるけども、機を織る人自身が、モノづくりに創意工夫がないとヤバイのだ。デザイナーが機を織る覚悟をすれば別かもしれないが、そのあたりの乖離がものづくりがアンバランスであり続ける理由だろう。

現場にものづくりに興味がない人が集まっても、いつの間にかそんな職人たちは素人にも追い抜かれていってしまうものだ。逆にデザインの世界は、10秒でアイデアは変わるが、それを実現しようとすると1週間2週間の変更作業を伴うとか。そういうのがあるから、デザイナーの感性というのは大事で、一発勝負でも覚悟決めて出来る人でないとデザイナーは無理だろうと思うが、大体が、見本を見せてほしいから始まってセレクターでしかなくなっている。

今のブランドなんかもデザイナーが入れ替わるようなことで、刷新しようとする流れがあるけどもそれが軽く見えすぎてならない。新しいものをもとめ、結局は、積み重ねた深さのあるものづくりが消えてゆくというあたりにつながってしまっている。日本のものづくりって厳しさの中から生まれてきた要素が大きいが、それを今、クリエイティブなとかありがち過ぎるようなところのモノづくりに落ち始めて、海外向けの展示会でも、日本のテキスタイルの評価は、新興国に追い抜かれ始めているのも分かる。

働かなくなっても、幸せを求めれば、アメリカンチックな思想で日本のモノづくりを語ったり。海外の膨大な人が働いて国内で人が働かなくなったときに、だんだんと競争力が落ちてきて成り立たなくなるときに、力でリセットする必要がいつか出てくる。戦争なんだわなあと思える。利権のための戦争なんて泥棒より悪いことなんだが、窮地に立たされると国単位でもそれに大儀をつけて正当化。文化的な生活の果てというものは原始的な殺傷と略奪の世界に陥るものだろう。だから、蔓延っているけど楽して幸せみたいな思想は利己的過ぎて好きじゃない。

深夜、外に出ると雪がちらつく、初雪か。生まれてこの場所では、初めて雪のない年なのかとおもいきや、少しだけでも雪がちらついて安心すら思う。雪に閉ざされた世界から生み出されてくる麻織りには雪の厳しさは必要なのだ。
2016年01月18日
Vベルトというのは、勝者に送られるベルトのことではなくて、織機のモーターに3本から4本くらい掛けて、モーターからの動力を織機に伝えるVの断面をしたベルトのことです。

今日は、移設した織機を動かそうとすると、調子よく動いていたのが、突然シャトルを挟んだ。なんだろうかと思いきや、初めての始動時に不安定だった回転部分のあたりの外周のVベルトが一本切れてほかのベルトにまきついてややこしい状態。

おいおい、昨日から一日掛かって立ち上げて順調に動くようになったと思いきや、またもトラブル。なんでもはじめての経験だが、交換すれば直るだろうと、Vベルトの在庫が機械部品屋にあるか心配。ほかの織機からベルトを取るよりも新しいベルトをつけてあげたほうが迷いは少ない。

今日は、なぜか、新しいプロジェクトを立ち上げるべきだと決めて、しが新事業応援ファンドに応募する決意。しが新事業応援ファンドも最後の3年ということで、3年計画でゆっくりとやる形にすれば無理もなくてよいだろうと。終わる頃には、もう50歳になってしまう。

ファンドで採択されなくてもやってみたいと思っているプロジェクトなので、ファンドで採択されればやれることが2倍3倍にできる可能性がある。林与の近江上布の要素とシャトル織りの強みとを生かし、みた人に感動を与えるような布を作りたい。
2016年01月17日
スポーツも今は指導者が厳しくすると親から苦情が来る、親が厳しくできないから、指導者が、その子のために厳しくしてあげないと育たない場合も多い。指導するにしても、目的が同じ人たちが集まったほうがうまく行くだろう。いろんな目的をもった人が集まっても成り立ち難い。

勉強ができなくても、スポーツで全力を出してきたような人というのは、仕事でも何をやっても強いことが多い。勉強と仕事は似ていないが、スポーツと仕事は似ているのだ。勉強のできる人は、学校や行政や行政がらみの資格商売が適しているだろうと思える。

職歴や経験なんて仕事にはなくてもよいほど、そのときにやるかやらないかだけのことだろうと思う。先日、ある方が会社のヘルプに来て下さって、やはり、やる気満々で、30分ほどでいろんなことを飲み込んでいかれる。こういう人は見込みあり、でもそういう人は自分で仕事されている人だったりするので、残念。

現場の人が、趣味の人よりも弱いことが多いということ。仕事としてされている方が、できるのかというと、難しいことは無理で短時間で自分のできることで終わりタイプの人が多い。趣味の人というのは自分がお金を払ってでも極めたいような欲望があるので、達成することを目的とされているので仕事としても欲がないので成り立つことが多い。スポーツも似ている。
2016年01月12日
昨晩から織機の立ち上げに手間取り、シュワイターも移設したのがうまく回らず、従来使っているシュワイターを、管の長さを対応させて巻く、ほんといろんな問題があるもので、織機の立ち上げのときの織機の音なんかも織れてはいても、私的には、まさに木管楽器のようなさまざまなトーンの音が混じっている違和感。

1日も織れば、音は次第に馴染んだ音に変わってゆく。移設した織機が場所に馴染むということだろうが、1日でやることが1週間2週間を超える作業となる。織れてはいるものの、最初のうちは、シャトルが縦糸を何十本も切るようなアクシデントが多く、それを直すだけでも一回1時間を越える作業。最初というのはそんなもので、それを軽減するために、時間は逆に掛かるが、インバーターを織機に取り付ける。急がば回れだろう。

低速で、慣らし運転を何時間もやって、織機が落ち着いてきたら速度を少し上げてみる。低速すぎるとフォークがうまく反応しなかったりして、問題もないのに横糸切れで織機が止まる。フォークを低速用に直して、シャトルも中にシャトルライナーという猫の毛の偽物が敷いてあるが、それがシュワイターが異なるので窮屈すぎて取り外す。するとゆるすぎて今度は出方が大目。

移設したシャトル織機も1年以上は動いていなかったものなので、油をすべての箇所にさす。まあ、問題なく動くまでに、十箇所以上の調整が必要で、よく言われる新しく移設した織機は1ヶ月ほどは空運転してから使うというところだろう。それでも、2日ほどでまともに織れるようになった。織れない時に触ってはいけないところを触らないということも大事で、それをやってしまうと今まで前の工場で何十年も調子よく動いていたバランスが崩れる。

夜行バスを取ったがそれに間に合わず、車で東京の加工工場に午前中に投入が完了し、会社に戻ると夕方6時を過ぎている。東京への車での往復くらいは仕事と比べると大したことではない。会社に戻ると、3件の出荷、こっちこそが修羅場。ミラノウニカの撮影素材の提出と、匠コーナーの素材提出が遅れているということで対応。

よくいわれるのだが、仕事は何十倍もしていても実際に仕事しているのだから、アクシデントがつき物でそれを乗り越えるには普通の感覚の仕事の何十倍もの時間が掛かる。それも答えを導き出せないことが多く常に時間との戦いである。答えのない状態でいつできるのかを約束しないといけないときも多いが、普通だとわからないという答えが正しいのだろうが、自分が出来ると信じて約束をすることも多い。

昔から、ほかの人に頼んでも結局できないという結論も多いので、私自身が解決に回るケースも多い。普通の感覚で仕事をしないことが大事だと思っている。普通の感覚の人が多くなりすぎると、普通の人に合わせるために余計に仕事が増えて仕事が回らなくなることも多い。

できないよで済む答えの人と、それじゃあ今日なんとかやってみるの人とでは大違いで、それじゃあ今日やってみる人と組むほうが助かるんじゃあないだろうか。
2016年01月11日
世界的にリネンの原料の高騰で高級化が始まり、いわゆる麻の再高級化が始まったということなのだろう。問題は、糸や原料、今期、織ることがどうしてもできないものが何点も出没。それを織れないから途中でやっぱりだめです、やめときましょうだ、と簡単なのだが、最善をつくして、寝る時間を惜しんでも普通だと一ヶ月かかっても無理なことを1週間で答えを見つける。

私が織れないものを織機をとっかえひっかえしながら、1ヶ月、2ヶ月、試行錯誤して、最後、1週間すべての織機の設定をほとんど寝ずに再調整しても無理なものは無理で仕方なかろうと思う。けども、そこまですれば、普通だとやらない方法で織れる答えが見つかるケースが半分以上ある。それで救われるお客さんがどれだけでもあればよいことだと思える。できないという答えだと大きな穴が開く最悪の話。麻のようなカプリシャスな素材では、触るとわかるのだが、すべて同じ工程のはずでも、触った糸の感触がまったく違うことが多い。たとえば、糸が整経のときに丈夫すぎると感じたりすると逆に黄色信号。

今日も撚糸工場の方と話をしていたら、3本の引き揃えがうまくできないというようなお話で、ロットが違うだけでテストもした同じ銘柄の糸で、この失敗というのは心配もしていただけに、起こりうることといえる。糸商さんとも話していたが、紡績メーカーも糸が高くなりすぎて売れなくなって苦しんでいるという話。よくわかる、高くなって品質が危ういというのは、2000年頃に同じ問題があったのだ。いくらお金を出してもよい糸が手に入らなくなり始め、つくると問題。実は糸の生産地などが移行している時期であった。現在でも、リネンといえばイメージはヨーロッパなのだが、実は中国とアフリカ、リトアニアも旧来のリトアニアリネンでは通用せず、イタリアの技術が入って凌いでいるということのようだ。ベルギーのリネンも細番手の高品位のものは実質中国紡績だったりする。幻想だけが一人歩きして、出来るところなんて限られているということを見失うとだめだろう。

紡績工場にしても、力のある問題を解決できる人がいないと壁にぶつかった時に、織れない糸が出回ることになる。新しく立ち上がったリネン紡績工場が最後それでいくつ消えていったか。そういう消えてゆく紡績工場の糸を手にした機屋が次に消えていく運命になる。2000年以降再び気をつけないとならないタイミングに差し掛かっているのだろう。
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