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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年07月17日
原発行政が隠匿体質で本当のリスクを国民に知らせていない。そのひとつが使用済み核燃料をどう処理するか。臭い臭いロンドン条約、日本の使用済み核燃料がプルサーマル用にイギリスで処理されるという形を作るために利権で成り立ったようなもの。海洋投入を禁止した時点で原発は詰みだったのだが、それが国民にも知らされていない。

アメリカなどが原発から撤退したのにそれを丁寧にも日本企業が買収して始末ごとを買って引き受けるような話で、そのために国内の法律もプルサーマル推進、福島原発爆発で、利益に目がくらんでやってたイギリスもそれを投げ出して、原子炉の使用済み核燃料の行き所はなくなったという致命的な問題が発表されていない。

それがどこにいくのかというと、8000ベクレル以下は日本全土に撒くような基準ができてしまった。アスペストを道路に埋めるのとどちらが安全なんだろうか。アスベストを埋める以上にやばいよ。不用意にいわゆる世界のお荷物を利権族が大丈夫と引き受けて日本の国土が放射能汚染になる。福島原発だけの問題ではなく、すべての原発の使用済み核燃料の行き所がなくなってしまっている大きな問題。それすらも公表せずに、原発を稼動し続けて、本来は遠洋投入されないと危ないものを日本中に埋めることになる。

災害ひとつでその地域は危ないし、災害救助すらもができなくなるのである。爆弾を地下に埋めるよなもので、防災意識があればそんな馬鹿なことはだれもしないだろう。発電所の利益がそんな大きなマイナスで生まれてよいのかと思える。原発行政の隠匿体質からすれば、自然豊かな貧しい地域に遠洋投入されるべき使用済み核燃料が埋められることになる。

詳細を知らされずに、貧困市町村行政だと使用済み核燃料を薄めた残土を引き受け、田舎の農村の奇病なども起こりえない。土に雨が染みて放射能性物質が地下水に流れ込むということなどの想定もあるまい。1000倍は危険といわれる体内被曝。原発と関連のない地域の地産池消すらも安全性すらも脅かすことになる。日本の行政の約束ごとの管理能力は10年ないだろうというのが実態。たいてい担当者が変わるとすべて責任は消えて、当事者が逃げて被害救済のための新組織をつくって窓口させて終わり。戦争から70年、ストロンチウムはその2倍の半減期、地下に1メートル程度に埋めると、行政程度の責任意識と管理意識の業者さんなら幼稚園の砂場の土にもなりかねない。

放射能漏れを隠匿する行政体質、やはり、担当者や行政の責任者を極刑で対応するくらいしないと国民の命よりも、そういうものたちの欲や保身のほうが優先されてしまう。
2016年07月16日
今日は、ご近所のご不幸があって御通夜のお手伝い。葬儀ホールでのおとなり数人が受け付けのお手伝い。私以外は、60歳以上の方ばかりで、話題は、過去の病歴など皆さんが摘出手術を経験されていて、そろそろ私もそういう経験をすることになるのだろうか。私自身は病院に最後行ったのは、たしか8年ほど前で尿路結石。なんか、今、病院にいくと悪いところが見つかって入院とか手術とかに繋がりそう。

この前、大阪の説明会で、地下鉄降りて会場に向かうの10分ダッシュしたら脚が前に動かなくなって、とうとうそういう年なのかもしれない。途中、コンビニでお茶かって、最ダッシュ。会場に着いたら一人、イスに座ってる中では、ヘトヘトのヘトヘト。御通夜が終わったあと、今晩は、愛知川の花火、今年は、高く上がる花火が打ち上げられるそう。解決策はソーラーパネルに水をまくという方法らしいが、林与の麻布を引いて水をまけば麻布が水を吸ってさらによしなのだが。今年の方法で問題があるなら、来年、無償で生地くらいは提供したい。ぜひ、大空に広がる迫力ある花火が上がってほしい。

林与の前の道から花火がまっすぐに見えるのを生まれてはじめて知った。これってでも偶然過ぎてすごい。ケヤキの木が切られて見えるようになったという話を隣の何でも字のことなら知っているおっちゃんが教えてくれた。イスさえあれば、花火がみられる。おばあさんが老人ホームに入る前に部屋に篭っているおばあさんが花火をみたいというので、事務所の3階に連れて行って窓から小さく見える花火を見せたのを思い出した。

みんなの子供のころの思い出が世代を超えて花火には詰まっている。私自身は花火のことよりも、夜店のクワガタが頭の中で一杯の少年時代。他愛もないことに夢中に熱くなれるということが大事なんだと思う。大人になってもそういう部分を持っている人は強いだろう。それが仕事に対して連日発揮できているような人だと玉や珠なんだわ。スポーツのプロと仕事のプロってなんら変わらないくらい厳しいと考えるのは間違いなのだろうか。スポーツでも仕事でもそれで食べていきたければ実力がないと駄目なんだろうと思う。実力というのは才能ではなく、才能のある人ほど時代の変化に対応が難しく、あれはできないこれはできないという壁が多い。
2016年07月15日
テロという言葉の本当の意味は何なのかというのを、教えてもらったことがある。いわゆる日本で定義する大量殺戮とかがテロではなく、人々を恐怖に貶め自由意志を奪い従わせようとすることである。

ワシの言うこと聞かんかったら潰すぞ、みたいな連中が日本でも多いが、テロそのものなのだ。ある政党の都連とか、執行部が決めていうこと聞かなければ除名みたいな政治体系というのはテロ的であるが、それにも気がつかないと危ない。政治というのは独裁政治的になりがちで自分がすべて。形だけの民主主義で、法律や規則などにより、独裁が横行することになる。

原発が爆発して放射能がもれても、隠匿するのもその顕著たるもので、原発が世の中のためではなく一部の利権のために動いている。国民の命や安全というのもそういう利権と比較すれば優先順位は下。いくら原発に5重の安全をしようが運用するものが利権意識の連中では正しい行動はできない。設備の安全じゃなく、日本の原発行政のメンタリティの問題。せめて放射能漏れをいち早く国民に報告できるように、旧ソチェルノブイリ以上の体制は必要であろう。政治家も、旧ソの政治家以上の情報公開意識はもつ必要である。

原発は一例にすぎず、年金問題でも巨額の不明なお金が消えている。実際には悪徳企業みたいなことになっていないのか、だれも本当のことは分からない。年金記録が消えてしまっているなんて、執行している責任者たちが、将来払うつもりがそもそも何十年もなかったのだよ。だから、60歳なったらが、65歳になり、70歳になる。そのうち、75歳、80歳になるだろう。高速道路は将来無料化されるから利用料を払ってみたいな、詐欺同然のこと、国も一般と同じくらいの法律意識をもたないと、国民が国を信じることで最初の話と全然違うということが多く一般にはそれは詐欺。年金定期便とかも、将来にそれが本当にもらえるかも保証は誰もしていません、年金集めるためのにんじん的な数字、ということ大きな字で書いておかないと駄目だろう。朝三暮四の話を思い出すが、そこまで国民も馬鹿じゃないが我慢しているだけというの気がつかないとならない。

国のため思って国民が騙されているとおもいながらも年金を払っていようがそれを運用している人間には騙している意識すらもまったくないのが一番の問題だろう。強制している側には何の責任感や義務感もなく、信じたものや騙されたものが悪いくらいの感覚が普通なのは怖いことである。だらしないことをするのに法で縛り、執行する側のモラルが微塵も見えないのはいかがなものか。枡添都知事みたいなことがあっても、政治家から彼に対する批判は少ない、それが政治家の普通のことだったりするのが今の日本の行政。追い討ちは、元判事が二人も出てきて、問題ないという。10代の子供じゃない、60代とかがそんな感覚で、国を牛耳っても日に日に悪くなるばかりだろう。これからの若者たちがかわいそうである。
2016年07月14日
ある織物関連の方が、織ってもらっているところがありえない織の問題ということをブログに書かれていた。工場が年を取られてできなくなっておられるということだろう。林与も以前は出機さんがあったので他人事とは思えないところがあり、来るところまでこられているのを感じる。情のある方だからそういう失敗もかぶって織り賃払ってそのB反の片付けもなされるのだろう。

林与も出機さんの末期では4回やって全反ほどが全滅という大きな問題の片付けをしていても、出機さんというのはお金はまだかという催促される感覚なので、何十年の経験があるからといって仕事の本当の辛さを知らないものである。私の場合には作るたびに糸の支払い、従業員の給料の支払い、出機さんに織って貰うための準備、お客様との約束、がつねに付きまとうから、正しい仕事が当たり前に思うのだが、実際に自分で失敗の責任を被られない方には、仕事してお金を失うというような感覚はわからないところだろう。

これからの人に知ってもらいたいのは、日本だとクリエイティブなことをすれば地場産業が救われるような発想は幻想で、簡単な仕事でも正しく仕事をできるようにならないとならないところで、そういう部分、若い人も理解して仕事には入ってきて欲しいのである。案外、地場産業系でも、年配の方が以前のように商売が儲からなくなったときに考えるのは手抜きであることが多い。クリエイティブというのは同じような側面がある、センスというのは古今東西共通というものではなく、評価されるときもあれば評価されないときもある、また、評価される場所もあれば評価されない場所もある。ようは、責任探しをせずに自分が責任を取る覚悟でクリエイティブなことをやってほしいと思う。クリエイティブそのものを否定するのではないが、自分がクリエイティブなことをやって評価されなくても別の方法で生きていく道は探して欲しい。食べていけるまで、クリエイティブな部分はそれに見合った別腹で動いてもらいたいのだ。

これは青色ダイオードの特許の件ともつながる。普通に会社の仕事をこなして、別腹で開発していればすべて正しい評価となっただろうにと思うところ。偉大な発明をした人でも、自分が養われていても、今度は、ほかの人を養うという部分がみえていないのは残念な気分がしたのは事実。けど、問題は裁判官の常識のなさ、6億で手を打った発明者の一般人に通じるモラルが見えるが、払うべきは1200億とかいう裁判官、国の税金で養われている裁判官自身が個人で手にしたい額なのだろうけど、力のある人が、国家や会社や他の人を養うという感覚すらないのが怖い。国家なんてものにしても、実質、支える気持ちのある人の労働で成り立っているだけのことなのだ。立場とか口だけでは人やその家族までもを支えるなんて絶対に無理な話。

突然話は変わるが、テキスタイルマルシェの会場にも来ていただいて、流しの洋裁人の原田さん、自分で歩いて行商とか、やる人はやるのであってほのぼの系に見えても中身は自分を支えて、ほかの人を支えるくらい強い。大人ってそうじゃないと自分ひとりも支えていけないと思う。林与の生地でも、原田さんの財布なかの出せるお金のすべてをいただいて、使っていただくと重荷になるのではと非常に心配するところもあったのだが、注文があって、ほとんど生地なくなったというようなお話でうれしかったところ。主催で林与をPR下さった北原くんや原田さんのお客様にも感謝なのである。

またまた話は変わるが、今の繊維は、昔と違ってマイナス部分も動いているのでそれを乗り越えて成り立たせないといけないところがある。日本全体が海外生産に移行しているので、ものづくりの側面から考えると、日本企業といってもそのほとんどが海外企業の営業窓口であるようなところがある。

国内というのは実質的なリスクを背負う部分とか、ものづくり企業がものをつくる部分とか弱めて、リスク少なくスマートな生産みたいなことを考えて、海外では現場もしっかりで企業がリスク背負って生産していて正しく利益を上げているようなところを感じる。高度成長を成し遂げて、ハングリーさがなくなって、仕事をつくることや目の前の仕事もこなせなくなってはお手上げだろう。姿勢からして実際に働いている海外企業や海外の人のほうが正しいような気がする。

大臣もやった大学の経済の先生が生産性を上げてGDPを伸ばすとか、おいおい、そんな程度で伸ばせる生産なら海外に移したほうが簡単だよと小学生が言いそうなほどに、大臣や大学教授レベルの感覚も落ちている。日本が海外の生産現場と競争させられて大変な苦労しているのをまったく知らないという現実。この方は、行政が海外に生産が移っていくのを助けるような政策ばかりやって、企業努力で国内に生産が残るとでも思っているのだろうか。国の経済の舵を取った人でも、自分が反対に舵を取って、この船は正しい方向には行かないよ、では困る。

旧の共産主義国が低落しがちな自由主義経済を普通に越えていき始めている中で、政策が旧共産主義国のようにがんじがらめの法律で規制ばかり吸い上げて国の指導に従えみたいになって、外資には自由に日本の法律も及ばず市場を取られて、内弁慶な国家行政って、江戸時代の悪徳奉行そのものじゃないのかと思う。

なんで、原発関連では死者や健康被害が出ていても環境庁や労働基準監督局も動かないのだろう。一番あかんじゃないのか。国にしても高濃度の残土はアスベスト以上に危険なものなのだが、それを全国にばら撒くようなことやるのは駄目だろう。水俣病やアスベスト、HIV、C型肝炎、などのたびに反省の言葉たれるけど、国が、避けられる別の方法もあるのに、利権にまみれて多くの人の健康や命を奪っては駄目だろう。体内被曝すれば危険性は数千倍なんだという当たり前の事実もわかっているのだろうか、チェルノブイリの石棺化した管理のほうが多くの消防士などの死者を出したが、意図的に見えない無限大の危険を日本中にばら撒くよりましだろう。

危険なものを推進した旧ソ連の片づけを、いざというときには国民の命を守るために自分の命を投げ出す覚悟を決めた消防士たちが片付けたということでそれはそれでひとつ筋が通っているような気もする。普通、民間企業が残土をばら撒くようなことをやったら日本全土を汚染に貶める極悪企業として国に罰せられるだろうが、原発のように国が絡んでいれば、合法化してこれをやってよいのか。汚染土をばら撒く話でも、原発と同じで管理できるとか安全といって、撒いた後のリスクや責任をまったく考えていないのが、原発行政の変わらない体質そのもの。豪雨や台風の土砂災害だけで道路も流されて一発だろうが、どこのいいかげんな口が管理できるといっているのだろう。原発行政は素人の隠匿行政、やばいんだよなあ。
2016年07月13日
今日は午後から大阪ハンドメイドフェスタの説明会。はじめての出展になる。心配していたよりも準備は簡単そうで、販売する商品に準備の重点を置いた方がよいと思える。

大阪府の方から声を掛けていただき、関西ファション連合の一員として出展させてもらうのだが、非常に自由度が高くて、会社の特色を出して売りやすい。集団出展というのは、何かみんなで作って発表みたいな形が多いが、それが売れたとしても食べていけるのは一人か二人だろうと思える。個々の企業の特色を最大限に活かすような出展が大事ではないのかと思える。

大阪の商社の方が、手頃な小物が人気という話。キッチンクロス増やさないとならない。家に帰って考えたが、来た人が面白いと思ってもらえるためには、やはり生地をたくさん持っていこう。
2016年07月12日
最終日のテキスタイルマルシェは、雨の中、お客様少な目。今回の9F全体の手芸雑貨テキスタイルマルシェを昨年の7月とくらべると、出展のみなさん全員が去年より全体的に活気がないという印象。これは消費税の話どころではなく本質的な日本の経済の赤信号であろう。この一年で、経済はそうとう落ち込んだのを感じる。百貨店でもお客様の流れが多いのが無料のイベント、テレビCMでの有名犬が広場に来たときにはそれを楽しみにしていたお客様が実物をみようと人だかりができ活気が生まれる。

国内経済が活発化させるとか、夢のない話で経済活動というのは自然に活発化していかないとならないだろう。国規模のプロジェクトにしても、東京大阪間が、新幹線で2時間が、リニアで1時間になってもそれほどすごい話でもないのだが莫大なお金がそれに費やされる。子供のころから憧れの話が、まだ、2045年というのも、日本の国力の低さをあらわしているだろう。東海道新幹線においては、わずか5年ほどで作り上げられてしまうものであったが、技術というものの高さを見せ付けた。しかし、今の日本にはその力はない、何十年も掛けて利権の絡んだ馬鹿高い重荷を背負うだけになりそうで、やることというとリニアを普及させるために従来の新幹線を廃線に追い込むことくらいだろうか。新幹線は終焉を迎え、全国リニア化に進むだろうが逆に住みにくい世の中になってそう。

飛行機でも関空を立ち上げて伊丹を閉じるみたいなことやったら国内旅行の利用者は迷惑だろう。関空までのアクセスが費用も高く大変なのだ。日本はまだ鎖国思想が根強く続いているのか、利権の独占できる出島つくりたいのだろうけど。そろそろそういう権威主義でのインフラ開発はやめないか。国際競争力がどんどんと落ちてゆくだけ。
2016年07月11日
今日はテキスタイルマルシェが終わってから打ち上げ。普段一人で仕事することの多い人というのは、私もそうかもしれないが外からすると驚くようなぶっきらぼうなことを言うものなのだろう。男性人の口の悪い件の話が出ていて、女性人が冗談交じりに指摘。

どういうあたりで、話をするのかというのは集まる面子次第なんだろうと思う。私自身はテキスタイルマルシェで、ほかの会社さんが取り組まれていることなどを聞くと自分もがんばらないとなあと思うことも多いし、ほかの社長さんたちと話をすることで、自分の感覚というのがどの程度一般的には通用するのかというのも雰囲気がつかめる。

自分を殺して人に合わせることのできる聞き上手な社長さんというのは立派だなあと思う。聞いておられるのに私が喋っているときにでも、その方の聞き上手に驚いてしまうことが多い。経験が豊富なので自分の体験のように聞いてくださり、また、聞いた後適切な助言なども下さる。テキスタイルマルシェではないが、話をすると自分が上か下か、勝ち負けで話をしようとする方もおられて、それって話する目的じゃないと思う。

林与なんて、やるからにはとことんというところがあるので、自分が動くときにはやるからにはとことんなところまでやってしまうところがある。それがあるから普通は普通にやってできないことが5倍10倍の時間を使ってできたりする。外の社会というのは日本のものづくりにそういうところを求めてくださっているのだろうと思い、林与のような会社には合ったスタイルではないかと思える。別のアプローチとしては量産型で価格競争力で勝負するような会社さんもあるだろうが、林与の場合それは無理な話。

お客様などでも弊社の生産環境や生地に興味を持ってくださるが、ベクトルが同じだと相乗効果が期待できる。ベクトルが逆方向だとブレーキとアクセルを踏むようなものづくりになる。林与という会社はものづくりに関しては自由度の高い会社で、手元にある材料でそれなりのものを作り上げることができ、何か作ろうとするときにアイデアが形になりやすい。会社にある着分などでもひとつに10万円とか掛かっているものが多く、作らずしてもそれを見れば大体こういうことだなあというイメージがつかめたりする。

そういう着分をみて、これが全部売れたらよいのにねえとかいってくださるお客様も多いが、洋服をつくられる方というのは、上手な人が、一日二日の作業で洋服が作れたりする。織物の場合は、何人もが、一つに何週間の時間を掛けて作業し、外部に対してもサンプル扱いで費用も掛けてあるので、10万円でそれと同じものを3m作れといわれても商売としては成り立たないことが多い。

テキスタイルマルシェでお隣の澤田さんが、過去のハンガーサンプルを手ごろに販売されていた。プロの私の目からするともったいないなあと思えるくらいなのだが、糸商なので、どのサンプルもデータさえあれば再現が可能ということ。それを聞いて良かったと、安心したと同時に、織物と編み物はそこまでも違うのかと感じる。糸を売るためのサンプルで、糸に強みを持っておられるのが味噌なんだろう。
2016年07月10日
今回のテキスタイルマルシェで見つけた面白いもののひとつに、棉生テキスタイルさんの、パンダとかのキャラクターがプリントされた綿の布が柿渋染めでハギレとして販売されていて、なんでも柿渋ですねえと。かわいい子供用のキャラクターの白地にブルーのパンダが柿渋に濁って、私的にはちょっとシュールに感じる。

CHICAさんのところでは、マネキンの顔が棚に飾ってあって常にそれが私の目には一番目に入ってしまって違和感。でも、林与のリネンちゃん、ラミちゃん、ヘンプくんみたいなものかと考えると、似たようなこと自分もやっとるんで経営努力のひとつなのかも知れないとも思えたり。

吉田さんとところでは帽子なのだが、私なんかは髪の毛がうすいので帽子を被るのが良いのかもと思いながら、携帯でもすぐ失くすので、帽子は確実にどこかに置き忘れてしまうタイプで、みんなに迷惑を掛ける。そういうの考えるとフードつきのフリースが私には良い。

会津木綿のはらっぱさんのところでは、棚に飾ってあった赤いかばんがかわいくきれいに見えた。リネンであんなのができないかと思うが、リネンは厚織りしても綿よりも腰がないのでかっこいいリネンかばん案外難しいのだ。会津木綿が着尺幅を守ってそれでフル稼働というお話、小物アイテムなど展開されて機場が回されているのは大変参考になる。そうなると縫製との融合も大事。会津木綿の色使いなども特徴的でそれを大事にしておられるのも価値の源だろう。
2016年07月09日
今日は、依頼を受けていた大きなテーブルクロスを朝に作り上げて店頭でのお渡しが完了。朝は雨が降っていてお客様は少な目、お昼過ぎから会場全体が混雑。午後からは近くのクロネコの営業所から発送。午後3時以降は落ち着いた感じで、お一人お一人お話しながら対応。

今日は最後のお客様がリネンを扱っておられる卸業者の方で、うまく染まらないという問題を抱えておられるお話。そういう原因不明なことが起こりがちなのも私自身も、織り以外にも、いろんなトラブルに悩まされながら仕事しているので、責任をもって企画するというのは実際の作業をする人よりも大きな責任が付きまとう。原因がわかってもそれに対応できる会社とできない会社があるもので、国内もだんだんと海外と似てきているのも事実。一方で、やり直す時間もない計画で本番の計画が進むことがほとんど。1

終了後、まいこ先生と南さんと食事。終電に乗れて帰ったが、能登川のひとつふたつ手前で降りたお客さんが、黒い財布を電車の座席に忘れられそれに気がつき。能登川の駅員に届けて、本人に必ず届けてあげてと厳しい目に駅員に伝える。お金も数万円入っているけどそれよりも各種カードなんかも入っていてなくされて相当困られていることだろう。無事に届くことを願う。

駅前の格安チケットの自販機が3000円を飲み込んで最後の1000円が認識できず動かなくなる。困った話だが、機械化社会ってそんなものと割り切って、隣の販売機で買った。3000円は面倒だが後日対応しよう。JRも京都大阪間は極端に安くしている。1660円ほどかかるが、区間を組み合わせて使えば、1280円。なんか間違っているような気もするほどの差額が生まれる。まとめて買うほうが損な料金体系。
2016年07月08日
今日はテキスタイルマルシェ3日目。朝、乗用車のバッテリーが上がってジャンパーケーブルを探す。見つけるのに手間どり、見つかったが作業時間なく軽バンで出発。出発前にすでに体力消耗で、大阪駅でちょっと休憩して電話など数件済ませてから百貨店のバックヤードに入る。

一番最初のお客様は繊研新聞の馴染みの方でテキスタイルマルシェを覗かれるというのは珍しい、初日もリネンの糸商さんが得意先回りの前に顔を見に来てくださったり、東京テキスタイルマルシェでも、滋賀の地元の方が様子を見に来てくださったりと、テキスタイルマルシェも林与の数少ない情報交換の場であったりする。話するなかで教えてもらうことは多い。

今日は朝から多くのお客様、午後4時くらいまでお客様が続いて、外は雨が降りだし、それ以降はお客様は減って食事休憩。食堂がもう閉まってて、コンビニで100円セールの赤飯おにぎり4個とお茶。非常に美味。外を眺めながら阪神百貨店は立て替え工事中、先月の阪神さんでのイベントのことが思い浮かぶ。

今日は9時の閉店後、配置換えなど。少しコンパクトにまとめて、でも、林与ロゴ看板はより大胆に見える。今晩は林与パンフ印刷しよう。多くの方が新しいお客様で林与という会社があるということを知っていただくことは大事。最近は、いろんな作家の先生のご紹介などで林与にたどり着いてくださるケースも多く、恵まれているなあと感じる。
2016年07月07日
今日は2日目。「林与」ロゴ看板が、阪急うめだ本店9Fの壁に取り付け完了しました。昨日は殺風景だった林与の売り場が、ちょっと気合が入ったように思える。昨日までの暑さにうだるような疲れもまったくなく、調子が上がってきました。お客様もたくさん来ていただいて、初日に来て下見されたお客様がもう一度来てくださり生地を買って下さるケースも多かったです。

夜、帰って夜11時前の出荷。出荷したうちのひとつが、東京のハンカチ屋さん向けだったのだが、運送屋の責任者のにいちゃんが、ここは会社なのと聞いてきたので、「お店、世界一有名なハンカチ屋さん」というと、ほかの同僚に聞いてもその同僚も、そのハンカチ屋さんを知らず。でも、こうやって私の出荷先を覚えてもらっておくと役に立つときもある。たぶん、次に送るときには私が言う前に、「世界一有名なハンカチ屋さんあてやね」って。

今回のテキスタイルマルシェでは、京都のお店が多いか。Y’Sさん、大江さん、アートファイバーエンドさん、川端商店さん、綿生さん、京都の染めのプロ集団さんと半分が京都の出展。京都って、昔は林与も問屋さん経由の仕事がほとんどだったけども、問屋さん以外にも実際の工場でもたくさんある。それを見せないようにしているだけで、普通の家やビルに見えて中は工場というところも多い。
2016年07月06日
今日は阪急うめだ本店テキスタイルマルシェ初日。朝の8時に百貨店到着で準備開始、なぜか暑さに弱くなりすぎで、一人準備しながらも一人オーバーヒート。なさけない。何が問題か、エアコンが動いておらず、着ている綿のシャツが暑いのだ。

つくるときめき文具雑貨マルシェの中の一角での開催で、10時の開店と同時にお客様の流れは多い。
2016年07月04日
今日はテキスタイルマルシェで出品する反物を梱包して車に積んで、阪急さんの納品業者に持ち込み。反物を外で準備しているときに、今年一番くらいの大雨。夏の雨そのもの。暑くてウダっていたので、この雨は嬉しい。

大阪には夕方5時ぎりぎりに着いて、帰りはパーキングエリアで5回も休憩。疲れてちょっと寝るの繰り返し、帰ったら夜10時。いくつかメールなどは対応をしたものの、ほとんど仕事のできなかった一日。
2016年07月03日
英知の詰まったものといえば、普段使っているパソコンなんかがあるだろうが、自動運転の限界もパソコンの限界と同じ程度であろう。業界の利益に傾倒しすぎて消費者の心理行動なんてものも理解しないと、自動車事故は増えるだろう。

現在の自動運転自動車というのは、信頼性が低すぎて、しかも、人との衝突も1秒程度前にアラームがなっている。まさに大事故につながりそうな状態。メーカーも注意書きを書けば責任が逃れられる程度に考えていると、自動運転の導入は、自動運転自動車が開発されたがゆえに起こる事故が増えるだろう。オートマ自動車も便利だが、アクセルとブレーキを踏み間違えるとかの問題や、ハウリングして勝手に自動車が動き出しての問題など、便利な裏には事故を誘発する問題も存在する。

合法としてしまえばそれで終わりなのだろうが、飛行機ですらも、飛行に影響があるからと携帯電話など無線機器を使わないようにしているのに、普通の自動車レベルでそれを上回るような、電波障害が起こらないとは限らない。パイロットでも飛行不能に及ぶような不可避な状況を、一般の普通の運転者が遭遇する確立はもっと高いだろう。

日本メーカーが利害対立問題が絡むアメリカで自動運転自動車で死亡事故を起こしたら全車リコールとか、調査するアメリカの組織の判断次第なのである。自動運転だけですむのかという問題もあるだろう、リモート運転というモードに進化する可能性もある。コンピュータウィルスじゃないけど、誰かに勝手に乗っ取られて事故みたいなことも悪用すれば可能になったり、コンピュータで起こる犯罪と同じことが起こりうるのだ。将来は、タクシー会社が無人タクシーみたいなものすらも検討しているというが、なんか兵器開発と同じような路線で開発ありきで、儲け話が先行してしまって冷静な目が足りなくないのか。

自動運転自動車も、事故が起こるとは想定しておらず原発と同じ。人間が注意していても事故が起きるのに、人間が注意しなくなってしまえば事故はもっと起きて当たり前と思える。今の信頼性の高いといわれる自動車でも機械的ではなく電気的になり意味不明なバグ連発。家電製品でも注意しないといけないのがコンデンサーの問題で、1年ほどでコンデンサーが劣化し始める。法律を変えるくらいに政治力のあるメーカーなら、人命くらいの問題は度外視で利益重視で推し進めることができるだろう。

メーカーの日差しが強かって本人が運転していても同じく事故は起きたとか責任逃れすぎる態度にも驚く。横からの衝突を想定してのブレーキは働かないとか。開発している人たちの感覚にも問題がすでにある。トレーラーの色がとか理由にもならんけど。開発する人の部分に限界を感じる。日本メーカーにしても自動車産業の巨大企業になれば、たれがどうプログラムしてどういう問題があるのかとか担当者でもわからんことが多いだろう。
2016年07月02日
自動運転の死亡事故に責任が取れない自動運転車。メーカーが自動運転は補助的な機能ということで責任逃れをする。自動運転で、コンピュータが安全と判断したときにいきなり判断を求められて困るのは運転者だろう。今回の事故も自動運転でなければ起こらない事故だったろう。それを利用者の責任で終わらせればこういう事故はなくならない。

なぜ、自動運転を推し進めるのかという問題がある、そこには利権が大きく絡んでいる。日本の自動車業界が進んでいるといえども、死亡事故なんかがあって、自動運転で死亡事故があれば製造メーカーの企業責任が問われ、その責任を逃げれば企業はほぼ潰される。原発とおんなじで、企業の利益が裏にある政治問題なのである。

自動運転なんてものは、死亡事故につながる可能性があるからやってはいけないと注意するくらいが、事実の話で、作っているメーカーがそのような態度なんだから。車だけでなく、原発や船舶や航空機の自動運転で、機械が危険というが安全装置を利用者が無視してはずして、事故が起こったとかわからんでもない。

たとえば、織機というものは自動に運転できるようになっていて、縦糸切れ横糸切れで自動的に止まる。縦糸も横糸も切れていないのに、運転にしても止まるときがあって原因が不明だが、そういうときにやるのが、縦糸切れ横糸切れの感知を殺して織るとか。大きな問題につながることが多い。今朝も、何も悪くないのに止まるとかの問題があって、結局、センサーを強くしすぎて横糸切れが起こっていないのに、横糸切れを感知するようなレベルまでセンサーが上がってしまっていた。織機に問題があったというよりも、程度問題なのである。

自動認識も同じで、画像に移ったものを分析する日差しが強くて、画面が真っ白になれば、コンピュータでも認識は不能なのが当たり前。程度を調整する作業というのは、カーナビが、方向音痴になってビルの中を走るのを元に戻すくらい難しい。カーナビで問題が発生したときには、自動車を運転するよりも難しい問題に直面する。

日差しが強くてトラックに巻き込まれて死亡事故、たぶん人が運転していても同じように死亡事故につながった可能性もあるだろうが、人だったら言い逃れできない自己責任な死亡事故。人を殺したら、過失や犯罪者として責任を追われただろう。機械がすると人にまた責任が及ぶが、製造者ではなくて利用者に責任が及ぶというのが怖い味噌。

機械がやったら仕方ないとかPL法などの観点からしてもありえないだろうと思うが、弱きに責任を追及するのが法律。法律の判断ではなく、そこには目的が潜むことも多い。政治判断が裏にはあって運転しているものの責任を追及するというのが結論。人に対してはコンピュータに対してよりも厳しい判断が下る、そういう前提のもと、自動運転を安全だと推奨するというのは危険行為に近い。原発を安全だと謳うのと似ている、事故が起こったときに、何が問題だったのかということを解明しようとしても、利権の絡む政治問題が裏にあるので、本当の原発の問題には追求が及ばない。

今の時代のビジネスというのは、法を超えていくところに莫大な利益が存在するように思える。法に従っていては、自動運転車なんてものはそもそも開発できない。法律を好きなように変えることが出来て、失敗が起こっても潰されないくらいの力を持つものが裏にいると大きなビジネスチャンスが実現する。たとえば、YOUTUBEだって、著作権の侵害だらけだがOKで、アマゾンでも同じく著作権の侵害が絡むがOK、GOOGLE EARTHなんてのも肖像権やプライバシーの侵害が絡むがOK。アメリカ企業には、日本の行政システムは規制が及ばない。不逮捕特権のある大使扱い。

諸外国の法律を超えたものが適用され、それがアメリカのビジネスチャンス。日本企業が同じことをやると会社は当たり前の法律の壁にぶつかり確実につぶれる。ビジネスが、政治的に成りすぎて、成功するものを失敗するものが最初から決められてしまってケースが大半であるのは残念ではある。巨大成功ビジネスが、海外の政治力のある胴元ビジネスばかりになって残念ではあると思う。

アメリカは、今回はたまたま製造がアメリカの企業だったが、基本、製造という部門の責任を嫌い、サービス業的な部分でノンリスクな部分で権利を行使し、自分の好きなように法律をつくったり改正したりする。ディズニーの著作権が絡んで、著作権の期間が延長されるとか。ディズニーの裏にも法律を牛耳れるような力が存在するのも事実。

力を駆使して、ノンリスクに金儲けができるのはスマートなのだが、まともなリスクをかぶって仕事している人を潰すような法律も多くなってきて、そういうノンリスク層ばかりに資本が集中していくというのはどうかなあと思える。資本主義の現実なので仕方がないことなのだろうか。

昔、ある方に、繊維の仕事って、現実的には、デザインや企画じゃなくって、資本力だという、つまらない、さびしい話をしたことがある。夢を砕くかもしれないけど、それ以上に強い力で、成功するのも資本力や組織力という、そういう業界のつまらなさを乗り越えてもらいたいと思って正直な話としてしたものである。デザイナーになられたが、切り口がその方らしくって、そのブランドはこらからさらに大きくなっていかれるだろうと思う。私自身も代々の老舗の看板で商売しているところがあるが、看板ビジネスで既得権益におごりすぎていないかという気持ちになることが多い、何十年の経験の人が正しくものがつくれないとか売れなくなっても、プライドだけが高く残るとかが現実業界によくある話なので、気持ち的にはそういう本気のゼロからでも自分がやるぞみたいな方が繊維業界を担っていって欲しく応援もしたい。いろんな方ともお話しするが、強いと思うのは自分のお金を守ったり時間や手間を節約する人ではなく、お金や時間や手間を仕事に費やせる人、カネとかチカラじゃない人間的な本質的なところに惹かれる人が強いと思うし、宣伝広告費じゃなくって、そういうところがブランドビジネスの根底であってほしいと思う。

日本国内でも林与の生地って高すぎるといわれるし、ヨーロッパに行ってもいわゆるヨーロッパのリネンより高いといわれ驚かれる。林与も田舎の零細企業なのに、それで商売が成り立っているのだから恵まれすぎているなあと思え、逆にそういう恩恵を受けるからには前線の兵隊でなければならないと思える。

昔の業界の兵隊さんで、現在業界の重鎮で国際的な場で講演されたり先生中の先生な方たちも、昔はサラリーマンながらも、サラリーマンの枠を超えて仕事され無理難題を乗り越えられて役員になられるのも当たり前とお話を聞いていても思う。そういう方が、展示会で私を見かけると声を掛けてくださり応援くださる。林与も、普通だと死んでしまうのじゃないかとう一線も度々も仕事が絡んで経験をしているが、そのくらいじゃないと厳しい時代の産地の織りの現場なんてものも守っていけないであろうと思える。繊維をとりまく環境からして行政がブラックということもある。たとえば、国の方と話をしても、日本のものが海外の新興国に高く売れるはずないという頭でありながら自由貿易やTPPとか、企業経営者が会社存続のためにがんばろうとしても、国の役人が海外でのリップサービスや自分かわいさに日本の繊維業界に大きな負担になる爆弾を仕組むことも多い。

身売りして役人が生き残る、アメリカをはじめ新興国にも負けるのも当然だろう。役人が世辞判断するのだろうが、経営判断としてはミスが度重なる。諸外国の繊維産業よりも日本の繊維産業が一番成り立たせるのが厳しいという結果を招く。繊維で起こったことが、ほかの業界にもおよび、大手の家電メーカーが窮地に立たされる。政治家や役人にとって、諸外国との駆け引きの中で国の身売りを招くようなことは諸外国の国益につながり簡単なのだ。力のない政治家や役人は交渉が下手なのでそれをやりがちで、その尻拭きは、繊維関連の家族経営企業が担うとか、厳しい話なのである。

狂牛病問題でも、国内の蓄牛農家は厳しく規制され無駄な費用。アメリカ牛肉は危険性があっても、輸入可能。なんじゃそれはなのだが、国内に、大手を守り零細を苦しめるような行政の体質があって、国内の規制にしたがうまともな業界が傾くのも国策のひとつで当然だろうなあと思える。力関係で生きている人というのは力に弱い。
2016年06月26日
百貨店のイベントでは、昔のアイリッシュリネンのお話などをさせていただいて、林与が本来理想とし追い求めるリネンの風合いなんかのお話もさせてもらった。昔のアイリッシュリネンなんかは、単なるラベルではなくて、実際に風合いが今のリネンとはまったく異なるのである。昔のアイリッシュリネンの風合いをしっている方々は、昔はリネンってこんな感じだったという話になる。そういうものを追い求めているのは、リネン業界でも私を含め少数派なのかもしれないがアイリッシュリネンというのは単なるラベルじゃないと思う。

実際に産地偽装問題なんかでも食品では謳いとした文言において他産地の牛肉を使って、全国的にテレビニュースになりすべてリコールで信用も失う話であるが、織物においても海外産や他産地産が産地物として販売されることが多いだけに消費者が一番くらいにセンシティブに捉えている問題なのを感じる。繊維においても産地偽装や品質偽装で企業イメージやブランドイメージが台無しになるケースも多い。商売をするからは、本質的なところで消費者の信頼を裏切らないというところが一番気をつけないとならないところだろうと思える。

先日も、地元の業界の組合の理事長が起こしになられお話したときも消費者の判断が一番大事ということを言われていて共通の認識があるなあと感じたのである。日本の繊維の世界では昔からどうやって偽装して金儲けするかという業者とまともな業者があるのを消費者もしっていて、昔のほうが着物なんかに対しての一生に一度の買い物なんてのもあったから、偽装のないものを手がけるのが商人の信用に繋がった。近江商人なんかがはるばる地元の織物を遠方まで持ってきたのを本物であると信用して消費者が使ってくれたのが原点にある。今の時代というのはどこの産地にいっても産地産の生地が手に入るかというとそれも難しいところがある。近江湖東産地でも、海外や他産地に生産が移り、産地での麻織物の生産は壊滅状態に近い、ある地元の社長さんももうすぐ産地で機屋はなくなるだろうという話を私にもされるが、そうなったら近江湖東産地も麻織物の産地ではなくなり、他産地産生地を扱うかつての産地となってしまう。

その部分は自分だけ損得のことではなくて、自分で織り続けることが産地を産地として存続させるひとつの役割というか意味にもなろう。織物を織るというのが生地の産地用件であっても、技術の高度さ、その製造作業にかかる手間とリスクの大きさ、設備維持の大変さから、機屋というものは廃業の道を選ばないとならないのだろう。2年ほど前に高齢で廃業された機屋さんがある方から能登川地区では自分のところともう一社しか残らないだろうといわれていたという話で、それが結果実際の話になり実際に生産されていた最後の2社のうちの一つであった。もう一社も火事に逢われて復活されてやはり気持ちからして仕事に前向きであられるところが存続をされている基本であろう。林与とは織っておられる分野が異なるが、同業者としてしっかりと織物を織り続けておられる姿勢は尊敬するのである。年をとって正しく織物の仕事をして、競争にも勝ち残って行くなんてことはなかなかできないことである。年をとると仕事に驕りが出て技術はあってもまず正しいものを作るところまで行く事ができなくなるものだ。

私も50歳手前になってきて、リスクを背負って産地で織物を継承できるような人を育てるというあたり考えている。織物会社に勤めておられた何十年の経験の人でも織機をもって独立されてもそれが続くことはほとんどない。産地に新しいコンセプトで入って立ち上げられた機屋さんがあったが、さまざまの工程が付きまとうので所帯はどんどん大きくなって、売れない1年、2年続くと資金的に持たなくなるものである。機屋というのは洋服を作るアパレル以上に、人、物、カネ、技術、時間が必要となり。一つの試作するのに洋服なら1万円ほどの生地代プラス自分の技術くらいでがんばれば数日で見本完成だろうが、織物の場合には、一つの布を作るにもその10倍のお金と時間が掛かるものである。
2016年06月25日
自分で判断と行動を繰り返していると、いろいろな人とのつながりが生まれてくる。自分で10回のチャンスを求めて1回を引っ張ってくることによって、その失敗した9回で、人の冷たさ温かさなんかも知ることもでき大事なのだと思える。そういう9回の失敗をしなければ安全に生きていけるだろうけども、見えない本質ってあろうかと思う。日本の繊維業界が全般として苦しんでいるのも、そういう安全なものに守られたい人が増えてしまったから、衰退のマニュアル的な軌道に乗ってしまっているだけだろうと思える。

力関係に依存していると、10回に9回成功かもしれないし、人間関係もうまくいっているように見えるけども、外部からみると本質が薄いという部分は否定できないだろう。サラリーマンみたいな組織的な状況で物事が進んでしまって、自分の命を仕事に掛けるみたいなところすらなくなる。苦戦されていることの多い大手アパレル企業にしても、サラリーマンの集大成みたいなところがあって縛られすぎていて、傾きかけた組織というのは大きくなると解決方法は崩壊するしかないのだろうと思う。

大手企業でも国が救っていなければ、たとえば勝ち組の自動車会社でも数年前に消えていた可能性すらある。そのとき国は、法律を作って、全体とすれば従業員給料と関連企業の社員給料に相当する休業補償を税金から数兆円を出して経営を支えた。それがなければ経営危機が表面化してその会社は経営がより悪化していただろう。共産主義的モデルが大企業に対して働いたことでその大企業は生き残れた。国民の税金の力で生き残れているだけのことで日本企業なんて、そうでもしないと数兆の利益をあげることはできないのだ。法律がそういう優良企業でも経営の波で存続が難しいラインにできあがっていて、法律による経営危機を支える国からの救済がなければ優良企業でも存続は難しい。

力に奢ると、物事にたいする苦労が馬鹿らしくなるところがあるだろうが、実際、苦労している人を一度でも笑ったらおしまいなのである。そういう人に苦労はできない。日本の国にしても中国を笑っているうちに中国に追い越されてしまったところさえある。日本のアパレル業界で一番の勝ち組といわれるところも実質的には日本製でなく中国製という現実。5年10年で物事は実際に仕事したもの勝ちで移り変わってゆく。楽して苦労している人を笑っている人というのはまったく大したことないけど、苦労している人ほどものごとの本質を知り力強いものはないと思う。
2016年06月24日
携帯電話を、阪神百貨店のイベント準備の日に会社に戻って紛失してから、1週間。今日見つかった、どこで見つかったのかというと。なんと工場1Fの織機の横の机の上に、判りやすいように普通に置いてある。それが今までなぜ見つからなかったのかという話なのだが、探している時間もないほどに、毎日、会社に戻ってからも百貨店にもっていくものの準備に追われていたのもひとつの理由。私自身、会社でものを置くときにあとで探すのに困らないように、必ず探しやすい場所に置くようにしているのだが、それでも焦っていると見えなくなるものだ。

普通の方のように、いろいろと自分のことの準備をすることがなかなかできない。たいてい、ほかの人の仕事の問題を解決するのに時間を使って私自身の準備ができないとか。何か物事をするときに重い腰を上げないといけないようなときも、その役割を経営者なので私が担うケースが多いのだが、そうでもしないと普通のちょっとしたことが壁になって、仕事なんて前に進めることなんてできないものだ。

今日は、英国のEU離脱のニュースが飛び込んできたが、それが民意なら結果を受け入れるのも国民なので仕方のないことだと思え、国民が望んでいないようなことが行われている状態のほうが安定しているのかもしれないがそれは国民を騙してしかなりたたない状態であろう。日本だと国民投票にしても、そのまま記入しないで投票すれば現状維持に賛成みたいな、ごまかしをやるだろうなあと思う。英国は先進国でもまだまともなんだよなあ。

国民投票を嫌うのは、権益におぼれている後ろめたいことのある為政者である。国民として国を支えていく気持ちもない。東京の都知事の問題でも、大半の人々が都知事としての行動としては不当でやめるべきだと考えても、日本の民意を反映しない民主主義システムでは、大きな権益が裏で動いてあの都知事ですらも辞めさすことすら難しいし、やったことを元検事である弁護士が違法じゃないといいはる。元検事というレベルの低さ、日本の法システムの本性が東京都知事の問題でも見えてしまって、政治3流といわれた日本で情けなさすぎるのだ。一般の国民に対しては法律で縛り上げ、特権階級はザル法で、取り締まるべき権力もなく、日本が笑ってた悪徳な旧共産主義国家のイメージ。ああいう都知事は、テレビにでると子供たちの教育にも悪い。これからの日本の子供たちが都知事みたいになってしまったらと思うと辞めてもらってよかったといえる。法律が立場の弱いものをつくり、一方で利権をむさぼるものには法律は及ばない、利権に絡んで法律ができあがり、法律が諸悪の根源というのも改善が難しいレベルの法治国家だよなあ。
2016年06月21日
慣れてきたと思うと最終日。今回は、会期中の1週間で2回来てくださるお客様が5人もいてくださいました。慣れない対応だったとは思うのですが、どうしても初めてのお客様とは緊張しすぎてて、2回目にお会いできると緊張も解け林与のリラックス度が増していたかもです。今回は店頭で初めて林与の商品をご覧くださったお客様、また、林与のネットやミルツルさんのお客様が林与にお会い下さいました。一緒に出展下さりワークショップしてくださったミルツルさんには準備の時点からご主人にもお手伝いいただき大変お世話になりました。

次は、7月6日から始まる阪急百貨店9階での、テキスタイルマルシェです。キッチンクロスの在庫がすごく少なくなってて急いでこれからおつくりする予定です。生成系から白系へと売れ筋が変わってきたように感じるので、白ベース系のキッチンクロスを増やしたいと考えております。目標1000枚(1000種類じゃないです)つくれたらと思っています。

最終日はお客様が少な目でして、お声の多い小ロットでのリネンハンカチの縫製が社内でもうまくできないかと、店頭のワークショップミシンを活用して練習していました。プロのハンカチ縫製に並ぶには練習が必要な感じです。小ロットでの対応など外部に出し難い仕事をどう中でこなせるかなども、お客様の幅広いニーズに応えるためには外任せばかりだと難しいと思います。外が敬遠されがちな仕事にどう対応していくかというあたり、自分自身で取り組むことで解決方法が見つからないものかとすでに手一杯の中ながら、こなせたらなあと思うことはたくさんあります。

数日前に、愛知川地区がテレビで紹介されたということで、それをみたお客様が何人もその番組でのことをおっしゃって下さっていました。近江上布の実物をみたいと思われておられた方もあって、近江上布のハギレや反物を展示してよかったと思います。今、広幅で絣を織るプロジェクトもスタートし試行錯誤中です。海外のオートクチュール向け、また、日本のアパレルブランドが海外に日本のイメージを伝える布として、ジャパンテキスタイルのひとつの顔となればと願っています。
2016年06月20日
今日はミルツルさんのワークショップ2日目。ワークショップのお客様は、ブルーのワンピースを縫われている。このワンピースのすごいのは本縫いミシンだけでつくれるところで、ジグザグ縫いやオーバーロックミシンを使わない。市販のソーイングブックのワンピースをつくるときは、ジグザグ縫いやオーバーロックミシンが一般的で、市販のものでは普通はそうなのだが、ミルツルさんのワンピースは本格的なテイラードな仕様である。

ミルツルさんのワークショップは、両日とも午前の二人と午後の二人の合計8名の定員が予約で一杯になってしまって、店頭で見本のワンピースをご覧になられて、ミツルツワークショップをしたいとか、ワンピースがほしいといってくださった、お客様が多かった。林与の生地をつかってミルツルさんが作って下さった作品が合計3点ディスプレイされていて広い場所に3点というのは少ないように思えるが、十分に作品がオーラを出していたように思える。ひとつは、3626刺し子を使った作品、もうひとつはシルクラミーにプリントの作品。そしてワークショップのワンピース。

3626刺し子は、ミルツルさんが布を織っている風景を取に来てくださったのだが、前日、縦糸に爆弾が落ちたようなトラブルが発生し徹夜で準備していて、朝から待ちに待ってもらって、午後3時くらいになってようやく織れ始め、織れ始めたと思ったら今までの苦労はなんだったのと思えるほどに、春の雪解けを思わせる気がした布。私のペンティアムプロセッサーがフル回転して、ミルツルさんが描かれた手書きの指図を布で再現した。縦糸と横糸の規格の決定など、最後、布が加工で仕上がらないとどこまで良いかわからないのだが、重たくなりすぎずスリップもしないアパレルに適した程度の感じの布に仕上がるだろうと、キバタ設計し、自分の手でキバタを触って、これなら大丈夫という感じ。キバタを触って、それでよいのかわるいのか感覚がある人というのは少ない。何十年やっておられる人たちでもその判断ができる人というのはいないくらい。私が一番最初この仕事に就いて、織物設計が難しいなあと感じた部分である。色、柄じゃない部分で、後の生地の物性にかかわるところ。

普通は、みんな他の仕上がった生地を真似するのもその判断ができないから。その判断が的確でなければ、機をつくるところから再度やり直さないとならないリスクが非常に高い部分。少し薄かった、少し厚かったで通用する範囲なら良いけど、仕上がったときにその範囲に収まらなければ、出来上がったけどまずい料理みたいなのと同じで食べるのが苦しい料理ということになる。それだけでなく、物性検査で引っかかるとすべてアウトというのが生地創作の怖さ。色柄の創作だと簡単だけど、糸使いまでも含めて創作するといろんな問題と遭遇する。

シルクラミーは、今は途絶えてしまったカネボウブランドのシルクを使用。横糸はスーパーロイヤルラミー。このシルクの糸が林与に残っているのも、カネボウが繊維から撤退することになったときに、作ることができなくなるのを恐れて、日本で手に入るその番手のカネボウの糸を糸商さんに全力で捜してもらって買い押さえしたから、それだけでも数百万円の糸への投資だが、糸の銘柄が変わることが致命的なことが多いので、それは避けたかったというあたり。でも、ミルツルさんの作品をみても、その布の光沢感はすばらしいのは、カネボウブランドの糸だからというところもあろうかと思い。最高な感じの組み合わせの材料というだけでなく、同じく織物規格と加工の選択も自分の経験の中で生み出したベースから導き出されているので自己満足に浸れる布。

ワークショップの中厚地布は、しっかりと織ってあって、コンフォート感のある布。リネンでカジュアル感の世界、ミルツルさんが好まれそうなややしっかり目の生地。売り場では、リネンでもそういう風合いの生地を見かけられることは少ないだろうと思える。色合いも、映えるブルーで、リネンでそういうきれいなブルーは染がしっかりとしていないと生まれない。百貨店の売り場のスタッフの方も、色がいいわあと言ってくださっていた。女性の方は色の好みが敏感で、色もたくさん合ってどの色が良い色でどの色が悪い色というのは本来ないのだろうけど、多くの方に気に入ってもらえる色をというのをわかるわからないの差は大きい。女性の色の好みが分からないと駄目という、布の世界は女性の世界を感じるところ。メンズのカラーがベーシックな黒、ネイビー、茶、グレーなのに比べて、レディースの色というのはさりげなく目立つことも必要。また、ミルツルさんはブルーが好きなのだと思う。
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