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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年08月02日
昨日からスカッとした夏の空、梅雨がようやく明けたという感じか。それとも、おととい久しぶりに台湾料理のお店で辛くてニンニクたっぷりのニラレバを食べてスタミナが付いたせいか?台湾料理にしてもあの辛さは辛いというよりも、痺れるような辛さで麻な感覚がある。

今日は軽やかに動ける感じ、太い糸でも切れることは切れるのでそれを縫って直すのは織る以上に時間もかかることもあったりでも、それをするのとしないのとでは大きく違う。布というのは縫う苧から来ているといわれる。私はたぶんそうだろうなあと思う。地機が腰機を指すとされるが、地機というのは元来は経糸を地面に張って、それを横糸で縫って布を作ったのが始まりだと思う。効率は悪いが誰もが思い浮かべることができ、一番簡単に布をつくれる方法。麻に縦糊を貼って一気に織ることも可能だ。中国なんかの村では麻を手で織るときに縦糸の糊付けはそんな感じ。アンギンなんかは上下方向に経糸を張るけど、地面と水平に糸を張る地機と似たような構造。

このカラッとした夏空は、麻を織るにはあまりよくない。湿度が低いから。細い番手の麻を織るのに適したのは雪に包まれた冬だと私自身は思う。今は雪が少なくなってどこで織ろうがそう変わらない。麻織物を織るというのは気温の下がる夜や、気温の低い冬場の仕事のイメージ。昔の出機さんが、織る場所は、太陽に向かって南に向いた玄関に近い出居の縁側が機場。冬場は、前栽の雪と面していて手もかじかんだだろう。

織物というのが自分たちの着るものをつくる手段だった。現金収入のない農村では着るものを買うということはせずに、家の中で織物が作られ裁縫されてが100年前までは当たり前だった日本。今は田舎でも普通に現金生活で、食べるものも着るものも居住にひつようなものもすべてお金がないと難しい。農村でも場所によるだろうけども、湖東地域の場合には、山側の地域は水利なども豊富でコメが確実にたくさん取れて豊かだった。

逆に琵琶湖に近いと農業用水の手配が難しく台風のたびに害で稲が全部倒れて水に漬かってしまうしまうとか、母親の実家が琵琶湖の近くだったからその生活は子供ながらに違いを感じた。農家でもあるけども、漁業的な生活をしていたのが琵琶湖の周辺で、食の恵みを琵琶湖や愛知川から受けていた。

琵琶湖の周辺では江戸時代には荒い織物が盛んに織られていたという記録を読んだことがある。蚊帳なんかもその一つだろう。今は平野が広がっている湖東地域だが江戸時代くらいまでさかのぼると。能登川あたりまで内湖として沼が広がっていた。安土なんて安土城の周りまでが琵琶湖だったんだから驚きそのものである。愛知川の土手の外は比較的住める場所ということで、愛知川の氾濫を抑えるために土手を盛り上げていってその土手の外側に人々が住んだ感じ。天井川である土手の裏側近くは土地が比較的高いので土手が決壊しても水には漬かりにくいという感じだろうか。母親の実家はそんな風な場所で、田んぼはもう少し低い場所にあるが、それが琵琶湖の水面と数メートル違いくらいに近い。江戸時代に愛知川がどこを流れていたのかは正確な記録にはたどり着いていないが、もっとぐねぐねと曲がりながら山から琵琶湖に向かっていたと思われる。

地元の緑に見えるような中を走っていても、埋め立てられた土の上を走っているんだなあと思うと、人の力というのは自然すらも変えてしまうので欲というものはほどほどにしておかないとダメだなあと思う。もうこれからは人も少なくなるのだし、いろんなものを有効活用しながら社会的な負担を軽減していくようにしないと、スクラップアンドビルト型や強制リサイクル型の経済優先型エコでは、結局自然は減っていく一方になろう。
2020年08月02日
昨日大阪の会議の前に、兵庫県のある商店街のお店に立ち寄った。昭和40年代の趣があって、今はシャッター街。そこでの雑貨屋的なお店を今もやっておられるものの、商店街ではお客さんがいないので、本町センター街でも別の商品を扱っておられるという話。本町のセンター街もだいぶ空き店舗が増えてしまって、一旦、お客さんが消え始めた場所というのは商売が普通に成り立つ場所から、商売が普通に成り立たない場所に変わってしまうものだなあと思う。

地の利的な商売をするなら場所は本当に大事だろうと思う。同じ観光地でもメインのお寺や神社に近ければ近いほどおみやげ物屋さんや飲食業は成り立ちやすい。逆にお客さんの導線から離れてしまう一つ裏の通りはまったく飲食商売は成り立ちにくい。普通に普通のことがうまく回る場所というのはあったりもするものである。コンビニなんかでも、成功する成功しないは、場所的な要因が大きい。

私自身、商売の話ばかりしているみたいだけども、本当に成り立たせるかどうかというのは、本人の気持ち次第だと思うことも多い。田舎のコンビニで売り上げがゼロでも自分が自分の蓄えを崩してでも続けていこうと思えば続けていけるし、コンビニのオーナーになることが夢ならそうやって実現することも悪いことではないだろう。

商店街のお店の店長が、商店街がシャッター街なのは、蓄えもあるので自分たちと会わない人が入ってくると困るから売らないのだといわれていた。シャッター街で大変だろうなあと思ってばかりいたが、シャッター街のままのほうが問題も少なくてよいという考え方もあるんだなあと知った。
2020年08月01日
今日は大阪夕方からテキスタイルマルシェの会議があって、1年半ぶりくらいに皆さんとお会いする。会議のあと、このコロナでいろいろと状況も変わってしまい、林与の近況報告や皆さんのご近況などをお聞きする。

テキスタイルマルシェの多くの企業さんもアパレルをメインとしておられるところが多く、アパレルメインのところはどうしても受注状況がばったりとか半減とかで苦戦。新型コロナ需要で、マスクや防護服などを手掛けている企業さんもある。実店舗でやっておられるところも再開をされてもなかなか難しいようなところもあるお話。

でも、皆さんお客さんからの仕事が減ったからすることがないというようなタイプの方ではないので、自分で仕事を生み出していくような前向きな会社さんがほとんど。織物を作っていくというのは右から左の仕事ではないので、こういう社会が複雑化して問題を抱えた時のような状況を、以前から日ごろ抱えて動いて成り立たせているような方が多い。

最近、設備を入れられて元気にされ、また、次に新しい設備を入れると前向きにおられ、このコロナの中でも生地も順調に売れて出荷が間に合わないほどだと、繊維業界に明るい話題を呈される社長さんもおられる。織物ではないけども、同じ繊維業界の中で、こういう落ち込むようなときにも元気にされているのは、普通じゃない考え方で普段から前向きに動いておられるからだろうと思う。
2020年07月29日
外注の工場さんに行くと、台車の丁寧な修理をしておられる社員の方。今年はコロナの影響で仕事が少なくなっておられるのだが、ここしばらくの本当に仕事がゼロに近い状況のようで、見本もほとんどないという話。見本がなければ本生産もないという可能性も高い。元気に仕事があふれていた別の工場さんでも、昨年の2月くらいからもう仕事が例年に比べて少なすぎる状況で、そこにコロナの影響。

多分、林与も織るだけの工場としてお客さんの仕事を頼りにしている状態だと同じように仕事がないということになってしまっていただろう。林与にしても無職みたいなもので、自分で仕事を生み出すか、作ってほしいと頼まれたものをつくって仕事があるから、仕事しているということになる。お客さんの依頼の仕事がなければ自分が作って自分で売っていけばよいと商売の基本に立ち戻った考えでいる。
2020年07月27日
そろそろ私も5年、10年を考えてできることをできるうちににやっておこうと思うことが多い。若いころは100kgを軽く超える経糸を巻いたビームでも一人で肩に担いで階段の上り下りもできたが、今はスタッフの子に手伝ってもらって運ぶことが多くなった。できなくなることもあるのは仕方ないが、仕事しているうちは、一番率先して仕事に取り組んだり、問題の解決に取り組んだり、一緒に働いてくれている人の手本になれるような部分を持っていないといけないなあと思う。自分の体にしても死ぬ時までに使い切れたら一番よいんじゃないかと思っている。もう十分に一人二人分の人生は経験できたような心境で、自分が自分がじゃなく、次の世代の人にもいろんな経験をしてもらいたいと願っている。

私も若いころに先代以上に仕事のことを真面目に取り組んで前に進めるような方に仕事を教えてもらったので、その考え方というのは今も正しいことだと思っているし、そういう考え方を常に目指したいなあと思ってはいる。そういうのが一般社会では受け入れられにくいことだというのも、それとは逆の人のほうが偉そうにしていたりとかもあったりしてなかなか田舎の商売というのは人の真面目さややさしさだけでは成り立たない、見下したりとか脚を引っ張ったりも多いのも普通に目にする光景の一つ。

自分がものごとを成り立たせていこうとすると自分の考えを持つことは大事なのだがそういうのをくじこうとする人も多い。それが言うことを聞くだけでいてほしい私の親であることも多かったりとややこしいのだが、自分の親くらい超えていけないと今の時代の日本の繊維業界でやっていくことは難しいのは当たり前。繊維業界というのは次の世代が前の世代の問題を大きすぎる問題を背負いながら地道に働きながら成り立たせているのが多いのが特徴の業界。

親が自分を超えられてしまう親の立場からすると恐怖みたいのも分からんでもないけども、そういう人間的な呪縛に縛られていたら、簡単な仕事の問題も素直に解決してゆくことも難しいだろうと思う。これから繊維業界で活躍しようとする人たちには、林与のおっさんくらい経験にしろ考え方にしろ軽く超えて行ってほしいのである。それが日本の繊維産業が衰退する主因だろうと思う。40代、50代でも日本の繊維産業で、いろんな産地の機屋のカリスマ的な人たちは、普通に努力の賜物で人としても揺るがないみたいなのが才能みたいに評価されているだけのこと。若いうちから毎日の積み重ねがあれば、2か月3か月で、何十年の人を超えていくことも普通に可能だと思う。最後には自分で場所をつくって次の世代を育めるような立場になってもらいたい。私自身は自分自身の可愛さで力になびかず頑張る人を応援しようとする方にいろいろと助けてもらった、アメリカでの経験と、日本の繊維の業界にもいく人おられるのに出会えて気が付くことができた。でも8割ほどの人は、自分の欲とか力になびいて頑張る人をくじいてが普通。日本でも正しいことが正しいと言えなくなってきているのは、次の世代に気の毒な話。
2020年07月26日
高福祉国家というのは人々の生活を大事にする社会だろうと思う、また一方で経済優先の国家というのは弱肉強食的だが資本主義の理想である自由契約に基づく効用最大化理論。相反する概念に思えながらも、人の命のかかわる新型コロナで、スウェーデンとブラジルの両方がコロナを予防するでなく受け入れるような政策。

貧富の差を嫌う社会主義と貧富の差も普通の自由主義が同じような政策をとるのは、思想そのものじゃなくて、どんな思想であろうがそれを任せる人を信用できるかできないかの問題につきるというところだろう。正直に予防が無理な政府なら予防はできないから予防ができない前提でベストを考えましょうということだろう。それはそれで国民の信頼は得られるものだろうと思う。

国民に予防を責任を強いながら国は経済優先とかは受け入れがたいが、どうもそれをやってしまうのが日本で、反発も起こりやすい。実際に、感染すれば感染した人が諸悪の根源みたいなのが日本社会で、それが結局のところ国民の意識の高さで自主的なマスク着用にもつながっている。逆に言うと国が守ってくれないから、自分たちの命は自分たちで守るというのが日本のスタイルなんじゃないかと思う。

新型コロナでも国の方針にしたがって4日我慢して死んでいった人も多いが、それを国が勘違いした馬鹿みたいに責任逃れしてしまったのが、人の命を守るべき厚生労働大臣でトップが、救える命も救わずに殺してしまってさらに反省の気持ちもなく責任逃れの話。A級戦犯は戦後も生き延びるけど、普通に国のために死を覚悟した人だけが自らの命を犠牲にしているだけのことで、国家の本当の敵は中にいるの状態。国のために自分の命を投げた人間を勝手に自分で死んだだけというのも、現代の新型コロナにも共通する話。
2020年07月26日
一日一善じゃないけど、シャトル織機は調子よく動いているといっても、その中の1台が、1日1回くらいは、原因不明に思われる問題が発生したりする。働いている人も何の失敗もしていなくてもそういうことが起きうるので、逆に働く人というのは本当に大事だと思う。

働いている人がいい加減だと、問題が起こったときにそれはその人の失敗であることが多いが、シャトル織機を直すでなく、働いている人の仕事に対する注意を改善したりしないといけないことがあったりするが、私の経験からすると、それは織機を直すよりも難しい問題である。経験が長ければ長いほどそれを直すことは難しいなあと思うのは、林与の仕事嫌いで働かないのが当り前で通してきた身内の問題なんかからしても呪縛。

繊維業界では何十年の経験者というのが経営者であっても通用しないが多い。昔の感覚や経験を引きずりすぎて、それは日本の行政も同じなのかもしれないが、自分たちが食べていけなくなった時や国が他の国よりも苦しくなった時に、初心に戻って働くということが難しいなあと思う。

世の中に頭の優秀な人は多いけども、そういう優秀な人でも実際の問題の答えをひらめくだけでは何の意味もなく、実際に自分が解決して前に進めていける人のほうが役に立つのは当たり前。結果が見えていない人が、何もせずに放置して悪い結果が襲ってくるが、今のコロナの問題でもありがちだろう。専門家が解決できない問題は、現場の素人が解決していかないといけない。それが日本のコロナ対策の一つで、家族を守るためにマスク不足の中、自分の家族のために布マスクをつくる親みたいな存在がやはり日本的だなあと思った。また、マスクゴムが手に入らずストッキングを代用したりとか、まるで私が日頃シャトル織機の部品が手に入らないときに代用を考えるのと同じで、買えば手に入るとかばかりじゃなく使えるものを上手に活用してゆくのも正しい方法の一つだがメンツが立ってしまうとそういうことすらできなくなる。私がマスクゴムプレゼントをするのもマスクゴムが手に入らないで困っている人が少量のゴムでも行き渡ることでマスクがつくれてコロナ対策に繋がると思うから。自分が最初マスクゴムの代用ゴムをマスクゴム不足の時に、なんとか手に入れたが耳当たりがまったくよくなく失敗したことも自分が満足できるマスクゴムが手に入った喜びからプレゼント企画に繋がった。目的は何なのかコロナを防止するためにマスクをつけることでマスクゴムの代用はその目的を達するためには近道。

一般の人々のほうが、マスクは不要といってる専門家以上に解決方法も持っていて行動力もあるのを身に染みて思った。カネがないと動かない動けない行政、カネが動かないと動かない人たち、そこが最初にあると対応も歪んで、問題に対応する力とか、対応するための基盤を作り上げていく力というのは大事だろう。
2020年07月25日
生産性を上げるため、機械依存型の生産の考え方になってしまうと、楽して儲けるに陥りがちなので、簡単なこともできなくなることが多い。昔だったらもっと布をちゃんと見ていたのに布を見ずに織物が出来上がってゆくような感覚で生産がおこなわれるようになる。

例えば、織機が動いていたらそれでよいような感覚で織物を生産する感覚に陥ると、日本でモノを作っていても海外の織物に抜かれていく可能性は非常に高い。作れば売れるというのと同じ感覚に近く、会社にくれば給料がもらえるというような感覚だとどうしても外の競争には負けてしまうのは当たり前。

世界中にこれから伸びてゆく国が常にあってそういう国ももちろん繊維産業があって、競争が日本の中にあるのではなくて、意欲的な若い人たちとの競争であるというあたり、そういう国では当たり前に新しい設備が導入されて機械技術も日本よりも最先端だったりする。

日本だと最新の電子ジャガード織機なんかを入れると入れた時点で、将来の企業経営が危うくなるという問題がある。海外だと導入費用も何分の1の世界で、普通に素の電子ジャガードの機能を使ってつくったものが量産で決まって仕事にになりやすいが、国内だと人件費も高いし、設備投資した分すらも一番最初の時点ですら新しい技術を求めて設備有りきでいれちゃうと、つくったはよいが売れないとか、最初は売れたけどすぐに飽きられて設備が余ってしまうとかが多いものである。

需要までが見通せるような状況でなければ、設備投資は自分で自分の首を絞めるような話が日本では多い。設備投資した分をお客さんが補填してくれるのかというと便乗してくるだけみたいな話で、お客さんが勝手に自分のものみたいに思って設備投資してもただ働きに近い状態で吸い取られて設備投資した分の回収も難しいことは多いだろう。需要を自分で生み出すとか、生産したものを自分で動かして行くとかが大事なんだろうと思う。

技術が足りないとか云々で、技術依存で考えて行ってもうまく商売が成り立たないのはそこ。ないものねだりみたいな話に陥るだけの事で、やったとしてもうまく行くことはすくない。一番良いのは今ある現状で何ができるのかを考えたり、何か新しいことをするために地道に余力を蓄えて自力で新しいことに挑戦していけるような体質をつくれないと、何か一つの問題が解決すればウハウハなんてことはまずありえず、機械を入れたからといって最初はよくても後は問題ばかりに終わるだろう。
2020年07月24日
昨日お客さんが来られて独立される話。私自身も独立して仕事を成り立たせているようなものなので、自分自身で働く環境をつくって仕事を生んでいくのも自分自身。生活も自分で支えてゆかないといけない話になってくる。

仕事が用意されていて給料も保障されて働くのと、自分が持ち出して仕事するとマイナスから始まるのとでは仕事ということのイメージも正反対だろう。守られる側から今度は自分がすべてを成り立たせる側に回って成り立たせていかないといけない。

昔はどこにでも家族経営規模の事業者は多かったけども、それは海外からのものが入ってきにくく、国内需要が国内の生産でまかなわれ、海外の需要までもを日本の生産で補っていたような今とは全く逆の時代。今の時代のほうが自立して立って行くことは難しいだろうと思う。3年続けるというのがなかなか難しかったりする。

誰かと一緒にやるというのもうまく行きそうだけど、一つのことを2人でやると2人で分ける話になるから、頼りあう程度では成り立たせるのは難しく、お互い相手を自分が食べさせて行くくらいの覚悟がないと2人集まって2人分の仕事に広げてゆくことは難しいだろうし、独立して現実と向かい合う覚悟が足りないから誰かと一緒にみたいなところを求め、2人でやれば同じ時間で2倍の稼ぎにならなければ、二人でやるほうがすぐに立ち行かなくなるだろう。人が増えれば助かるのではなく、人が増えて成り立たなくなることも多かったりするのである。

独立するからには夢に向かって成功してほしいので、そんな老婆心な話を長々とする。前の世代の仕事の覚悟を、軽く乗り越えるような覚悟がないと今の飽和した繊維の状況ではこれからの世代は立って行くのも難しいのは感じる。なんか、これからの世代というのはボタンの掛け違えでできあがった制度の多いなかで、それを守れ守ればかりで生まれた時から出し殻にしてしまったような問題の片付け役みたいな位置づけも多く気の毒だなあと思う。将来に問題を片付けを残さないことが大事だろうと思う。
2020年07月22日
林与の青ヶ島に行きたい気持ちが高まってきた、数年のうちには絶対に行けたらなあと思う。今のコロナの状況だと青ヶ島の人も観光客を好まないかも、一人、青ヶ島を歩けるだけあるいて、青ヶ島を満喫したいのである。やっぱり夏がよいだろうと思う。

青ヶ島に行くには、八丈島経由となる、八丈島も興味があって、何に興味があるのかというと玉石の石垣。黄八丈は、江戸時代ということだけども、八丈島は徐福伝説では童女が集められた島で、織物を織っていただろうと思うから、徐福っぽい名残があるのか散策してみたい。

もう一つ行きたい場所は、瀬戸内海の鬼ヶ島と呼ばれる女木島。鬼の洞窟を見てみたい。こちらは多分1日時間をとればゆっくりと訪れることができるだろうと思うので、天気の良さそうな日に朝早く車で出発してたどり着きたいなあと思う。

帰りに出雲もいったことないのでぐるっと立ち寄ってみられたら、いろいろと日本の織物の歴史を考えているときにそれが日本の歴史そのものにたどり着いた。頭の中での想像的なことばかりなので、それと実際の場とのマッチングイベントみたいなものだろうと思う。

中国の徐福村にもいってはみたいけども、徐福の出身というだけで、大きな手掛かりはそこにはないかもしれない。
2020年07月21日
今日は朝から、整経したビームを降ろして、スタッフの子がタイイングマシーンで繋いでくれる。途中、タイイングマシーンの下糸を取らない問題で、診てみると、タイイングマシーンの下の歯が正しく動いていない。外れ気味になっているのを正しくセットしなおしたら問題が解決した。

今回の整経は、本体の糸に合わせて耳糸の番手を太めにしたので織りやすいだろうと思う。この前は耳糸が細かったようで耳糸が切れる問題が頻発して、織るのにすごく時間が掛かった。整経のときに、それを回避しようと倉庫で綿の30/2の糸を2kgほど見つかって丁度よかった。

繋ぎ終わって織機を立ち上げる。シャトルを他の台に使ってこの台に使ってたシャトルがないので、他の台からシャトルを持ってくる。するとやはり、シャトルの納まりがよろしくなく、シャトルをホールドする強さを調整。まあまあ、合格。その後、ドロッパーの前に畔棒を入れる。厚織用に調整した台なので、若干ドロッパーが下気味で横から見ると経糸はドロッパー部分で折れ曲がった「く」の字で織れている状態。本来は、ドロッパーの位置を上げて糸を水平に戻して織るのが適切なのだろう。だが、今回は畔棒を入れることで上糸のゆるみをとることで安定させて織る。こういうあたりがシャトル織機の調整の難しさなのだけども面白いところ。

この織機は杼替えができない織機なので、杼替えの部分を他の織機の交換部品として使って外して合ってそれを戻した。経糸を繋いでくれてそれを送って織だしをするも巻取りローラーが回っておらず、織前がどんどんと後退してゆく。なにこれ?超異常現象。

探ってゆくと横糸切れ完治のフォークがフックに常に引っかかってて、それが巻取りローラーが働かないようにギアの引っ掛かりを避ける働きをし続けているのが分かった。フォークの動きを正したら織機が正しく動き始めた。

織機の異常というのは動いているときの音とかで感じることが多い。普通と違う音だなあと思うと、織機のどこかが正しく働いていない。本当に正しい原因が見つかると良いけど、見つからないとそこで下手に織機に調整を掛けたりすると織機が余計に織れなくなってしまう。正しい答えにたどり着けるかたどり着けないかが、一つの仕事だけでなく、その織機の明暗を分けてしまう。私自身も織機のことは実戦で覚えてきた形なので、自分がその場で原因を考えて直しているだけの話。分からない問題でも考えるだけでなく実際に織機を触っているうちに原因が見えてくることは多い。そのため、手はシャトル織機をいろいろと触ると油で手が汚れるので、糸を触るために1時間に10回くらい手を洗いに行ったりする。手は道具。

正しい答えが見つからなくなったら、その時は終わりだろうなあと思う。今のスタッフはしっかりとしていてくれて、問題があったとしても私自身答えがすごく見つけやすい。まだ1年半なのに、同じように織機や機械の違和感を感じておかしいと判断できるあたりは、いろいろ考えながら仕事してくれているんだなあとありがたい話である。
2020年07月20日
日本の伝統工芸の職人というのはものさしも使わないのが普通で、手と目の感覚で長さを判断して同じものを作ってゆく感じ。計算機を使うとかはあまりよろしくない話だったりして、物事を考えないで慣れで仕事するのが職人みたいな世界。

私が職人的でないのは、新しいやり方を考えてやってゆく、作業していても慣れでやるというよりも、チェックポイントをいくつもつくってチェックしながら失敗を減らす。若いころから経験者の人にこうやったほうがよいんじゃないのということも多かったが、多くの場合、そういうのは受け入れられない、今までのやり方がすべてでそれがだんだんと年を取るごとに難しくなってゆくというのが一般的によく見られる形。

私なんかよりも若い子のほうが記憶力もある。年を取っても汚れ仕事のままでよいじゃないかと思う。私もたまたま、現場の仕事に入ったときにみんなが嫌がる作業を率先してやると決めたから、この仕事やってても他の人ができないとき嫌がるときにやるのは自分だと思っている。
2020年07月18日
昨日は、シュワイターの調整。シャトル織機のシャトルの管に糸を巻く機械。その糸にテンションを与えるレバーテンサーがぎこちないということで、つかさちゃんが自分でそこを分解してみてくれたのだが、元に戻せないということで見に行くと、どうやら内部で壊れていたようである。

えらいなあ、調子の悪い機械を自分で分解して直そうとしてくれて、その直し方も慎重なので大きな失敗が少ない。私自身も、シュワイターを直すなんて言うのも生まれて初めてのことだけど、大体分解すれば構造や原理は分かるので、分解して修理してみているだけのこと、経験というよりは、毎回問題があるときに逃げないでしっかりと自分で解決してみるだけの事。

壊れているので直らないからできることは倉庫に言って予備に取ってあるシュワイターから部品を取り外して、工場のシュワイターに取り付ける。これで調子がよくなる。ついでに、他のヘッドのレバーテンサーも全部の錘に調整を掛けておいた。出機さんにあったシュワイターで、全部の錘、少し調整位置がおかしいと思えたのは私の間違いなのだろうか。

調整を加えずに、金属をまげたり削ったりしてその場しのぎの修理をしてしまう面倒くさがりタイプの人もいるが、そういう修理は機械が調整できなくなるやり方、問題ない機械が、まともに動かないゴミになってしまう。
2020年07月17日
レギュラーにせよハイオクにせよ、石油はどこも同じ汎用品だという認識を、石油業界が認めた。どこの石油も同じだとは思っていなかった消費者にとっては驚きだろうと思う。各石油メーカーのロゴは単なる看板でまやかしなのである。石油がどこも同じなら単に値段だけをみて買えばよい話になってくる。

コンビニで売っているの水やコーヒーのほうがブランドがブランドの水としてオリジナルということなのだろうけど、多くのガソリンスタンドが存在する理由が、ガソリンそのものにはないということになると、サービスの違いというあたりだろうか。それも、ガソリンスタンドのほとんどがセルフになりつつあるので、そのあたりも微妙かもである。

ガソリンスタンドも同じものをあつかっているということになると、どこでガソリンをいれようが同じであるということになるのだろう。狂牛病の時に牛丼の肉にしても大手の牛丼屋は専用牧場で育てていると店頭にポスターを貼ったが、あれもふたを開けてみれば、一般的に流通している牛肉を目視検査しているだけであったという事実。

他と同じ一般的なものが語られて消費者はその語りで安心して他のものよりよいものとして買う。気を付けないといけないのが繊維業界も似たようなところがあり、私自身が同じような流れになってしまわないようにとは思う。
2020年07月15日
昨日、加工から上がってきた生成の生地を裁断して夏のプリーツマスクをつくってみた。普通の生成りよりもダーク目の薄地の通気性のよいマスク。夏マスクらしいリネンマスクを考えて素材から考えてみた。白のフォーマルプリーツマスクよりも若干薄め。

以前、生成のドライタッチの素材で作ってみたが肌辺りに強さを感じたので、生成でもうちょっとしっかりしていないほうがよいだろうと薄い素材にしてみた。

縫製後、洗いを掛けて乾かして、夜に着用して使ってみて非常にいい感じ。軽さやフィット感もよいし、接触冷感はたぶん他の夏マスク以上にあるんじゃないだろうか。よくコメントをいただく、生成が欲しいにお応えもできて、お化粧移りも目立ちにくい。丈夫な素材なので押し洗いでなくもみ洗い可能。

煮沸も可能なので衛生的で、本体は洗えば何十回と使えるだろう。そのため、替えゴムやゴムの交換を楽にできるようにするためのマスク専用ゴム通しが役に立ってくる。トータルとしてこのマスクが2枚から3枚あれば、交換しながら使ってもひと夏行けるだろうと自分で試してみるつもり。

不織布の使い捨てマスクは衛生的ではあるだろうけど、ごみとなったときには、ポリ袋の何倍もの環境負荷の問題があるだろう。不織布の臭いが苦手という方も多く、匂いというのも結局は化学物質なので軽視はできない。

リネンも洗うと繊維の綿がでるが、天然由来のものなので体内に入って体内に残ったとしても分解される。自然界でゴミとなっても植物と同じように自然の中で分解されてゆく。そのあたりが単に、マスクとしての機能だけでなく、リネンは長く使えるものだが、自然に帰ることも可能な天然繊維の魅力である。
2020年07月12日
繊維の仕事も、田舎の付き合いてきな仕事では成り立たせるのが難しくなったのが、繊維業界の衰退の原因でもあると思う。林与の先代的な昭和の時代の経営者が、大手SPAの若いモノづくりに飲み込まれてしまうのもよくわかるのである。新しいことに柔軟に対応できているかできていないかの違い。それも一つの能力で、新しいものを産み出してゆくときや、閉塞感を打開していくときには必要なこと。

先代なんかも、これは絶対にやったらあかんとか、いうようなこともよくあった。例えば、直接アパレルさんとやるとか、私からすると普通のことなんだけど、なかなか田舎のおっちゃんの商売感覚ではそれが難しいのである。私の仕事の考え方が気に入らない、先代が、お前も問屋さんに修行にいってこいみたいな話もあったけども、もうそういう時代ではないのが分かっていないと、田舎の織物工場が今の繊維業界でやっていくことすら難しいだろう。酒飲んで商売なんて今でも古い昔の話だけど、30年前でも古くさくって、次の世代が酒飲んで年寄りの説教聞かされてては逆に駄目を作っていくだけ。若い者の意見を聞く側に回らんと上手に次の世代を育んでいけるような人もいないことはないが少なかった。それは譲る覚悟もあって外の移り変わる世界を知っている人の感覚。

外の世界を知っているから分かることも多いが、狭い田舎社会ではそれが悪いことのように毛嫌いされたり、そんなしょうもない感覚に縛られているから駄目なんだけど、仕切りたい連中が本当に多く自分と他人の区別もつかない状態で、これやるな、あれやるなみたいな輩は多い。自分はすき放題やってるタイプ程、ほかのもののやってることを仕切ろうとする。そういうあたりから健全化してゆかないとダメなんだろうなあと思うところが、林与の家の中にもある。

地道に仕事するとかそういう基本がなくなっては、何十年の経験者にしても素直に働いるアルバイトの人のほうが人間的には上だなあと思う。よほど才能や美貌があってみんなからあこがれてもらえるような人ならそれ以外のところでも生きてゆけるだろうけど、田舎という場所で人の勤勉さ地道さみたいなものがなくなれば評価もされにくい、拝金主義とか成金趣味になったら終わりでつくるものも陳腐化する。極めたものをつくるには、人生観そのものが自分をどこまで極限に置くかみたいのが大事だろうと思う。アートのように、ものづくりも突き詰めてゆけば人生観や哲学にたどり着くんだろうと思う。

自分自身もエシカルとかサステイナブルとかのものづくりをしながらも、エシカルとかサステイナブルなものづくりというのはそれよりも浅いところにあったりするものだと思う。自分のために働くとかいうより、家族を幸せにしたいとかのために働くとか、自分の人生を投げ打つ感覚の人が多かった時代や生き方のほうが、人の温かさを感じる部分があって、一緒に働く仲間を支える気持ちにもつながるだろう。エシカルやサステイナブルな基準なんてものを強いて実践する側でないなら、それは単に児童労働させてる働かない親と同じレベル。人として見失ってしまった他の人を支えるとかの部分を取り戻すほうが先だろうと思う。
2020年07月11日
今日は、二人してチーズワインダーでの作業。朝から夕方まで。昔の仕事スタイルなら、一人の人間がチーズワインダーの仕事を一生するみたいな話も多い。でも、今日やったような特殊に糸を分割したりする作業は、一生やってるひとにも頼めないようなややこしさのある作業。

呑み込みの早い人だと私のいうことを聞いてすぐに実行してくれるが、素直さがないとなかなかこういう作業もできないことが多い。仕事というのは経験の長さが逆に仕事をできなくすることも多いものだなあと思うことも多い。

私も最初働き始めた時から、普通の何十年の人よりも仕事の意味が分かっていたところから始まったのを感じる。なぜ、簡単なことも難しそうにいうのかとか、やれることもやろうとしないのかとか、疑問も多かったが、それを言うと余計に抵抗される。経験の長いものに新しいことを提案しても受け入れられることはほとんどない、従来のやり方がすべてで変われないのである。

一般的に職人の仕事というのは、慣れで考えずに仕事をしているような状態なので、たとえば糸を繋ぐにしても途中間違いがあると間違ったまま最後まで繋いでしまって、最後に間違ったのが分かって、間違ったところからやり直すというのが普通の仕事ぶり。一つの作業でも、一回で成功する確率のほうが低く、2か所、3か所間違っているのが普通で、2回、3回のやり直しか、間違ったところを細工して応急処置で作業というのがありがちな、昔ながらの現場。大きな仕事が流れているときにはそれでもよかっただろうけど、新しいことを一回で確実に答え出さないといけない今の時代ではまったく通用しない。

林与でも昔の現場では織キズを縫って直すような人は一人もいなかったが、今の現場では織キズを縫って直すも普通の作業。織ってる人が糸が悪いとかいってたのが幸せな時代で、その当時の糸でも今の糸から比べると糸切れも少ないし問題も少ない。今はその問題も現場が吸収して織物にしていかないとならない。織物を織るよりも手間の掛かる縫うような作業も普通にできないと駄目だったり、織物の仕事も面倒くさがりのおっちゃんおばちゃんでは太刀打ちができない仕事になってしまったなあと思う。
2020年07月10日
分業が進むと一つ一つの工程においては生産性が上がる。

たとえば、織物の工程において、整経する人が自分で整経の糸を準備してもよいけども、整経作業に集中するために、糸の準備というのは単純作業なので、チーズワインダーでの小割の指示を出して糸を準備してもらって、その糸を建てて成型する形が生産性が上がるだろう。

次に整経が終わったら、巻取り作業して、機場に整経の巻き取ったビームを持って行って、経糸を繋ぐ人が縦つなぎをする。縦つなぎをする人が織機を動かしていてもよいけども、主に縦つなぎ専門の人がいてもよいだろう。手で繋いだりタイイングマシーンを使ってつないだり、縦つなぎも案外時間の掛かる作業である。

織る人は織るだけというのも一つの仕事の形だろう。織機の調整も日本では織っている人がすることが多いが、海外の大きな工場では織る人は織るだけ調整は修理の人が行うというのが普通だったりする。普通は、織機に長けた人が修理したほうが一番問題が少ない結果となる。織ったものを加工出しの準備をしたり、修理する人も必要で、また加工から上がってきた反物をキズなどが多ければ再度検反する人も必要だろう。

分業というのは、生産性も上がってよいことのように思うが、守備範囲がすごく狭くなるのと、全員がいないと仕事ができないなど、致命的な問題がある。また、高度なものをつくろうとするときや、新しいものをつくろうとするとき、技術的な改善的なことをするときも各担当が前後が問題なくいくような作業工程を生み出さないとならないけども、それがりかいできなかったり。経営的な改善を行うときにも、なぜ自分が他の作業をしないとならないのかなども分業の世界が当たり前だと理解が難しかったりする。地場産業の多くは分業の世界で新しいことには適応能力が低いことが多い。

たとえば、製造工程の記録のデータを共有すると、つくるものに対しての理解が深まるだけでなく、新しいものをつくるときにも役に立つだろうけども、データを管理するひとというのは経営者だったりして、現場の人は与えられたデータ通りに作業をするだけで、データを見るということ以前に、データを記録するとか管理するとかの概念もなかったりするのが、普通の地場産業の現場で他人任せが普通で、仕事も楽だなあと思うが、それでは同じ仕事が次来ても同じものすらできないのも当たり前で、外では通用しない話。
2020年07月09日
ひと昔前の経営者たちというのは成功していた時があっただけに、どうしても成金的なところがあって困ったもんだなあと思える。カネを借りれば儲かった時代の人たちというのは、自分が手や体を動かして働く苦労をしらないからそういうものに一生懸命になる。

それで地道に考えている次の世代を小物みたいに馬鹿にしていた話が多いが、そういうひと世代前の爪痕の片づけを繊維の世界では次の世代が背負って片付けていることが多い。倒産した京都の問屋さんにしても、次の世代は自分の人生すらも親の失敗の片付けで、親の世代が成功していたというよりも大きな問題を残して片付けようともしないまま、変われずに次の世代を馬鹿にしてアカン話。次の世代から見ると、そういう親たちは世間のカモ。真面目に体動かして働ける親だったら良いのになあと思うが、作業を面倒くさがり、自分はそういう身分じゃないと落ちぶれた後でも思っているから直らない。

繊維業界にも仕事するのを面倒くさそうにいう人が本当に多いから、日本で繊維の世界はもう難しいんじゃないかと思う。働くことが悪いことみたいになっては頑張ってる海外の人に抜かれてゆくのは当たり前。繊維の世界なんて面倒な世界そのもので価値が生まれてくる世界なんだから、企画するものも販売するものも、そういう手間暇を売りにしながら、自分がいろんな作業をするのが面倒な人が多いからうまく回らなくなるんだろうと思ったりもする。

私も経営者の側面をもっているけど、拝金趣味とか成金趣味にはならんようにせんと、そんな連中は、日本の繊維業界を駄目にしてしまうだけのこと。自分が仕事するのが面倒になれば、そういう会社にはそういう仕事が面倒な人が溢れる。私もいろんな産地の人と接して、どこも同じような問題に悩まされているように思う。繊維業界全般に仕事するのが面倒な人が溢れたのが日本の繊維業界の衰退の一番の原因だろうと思う。
2020年07月08日
繊維の仕事で難しいのが商品企画する人がいたとしても、その人というのはその商品の会社の企画というだけで、それを受ける会社は各社の企画的として成り立たせる必要がある話というあたり。商品が売れたとしても成り立たちにくいことが多かったりするのがそれを受ける側。

ものづくりというのはものづくりだけではない部分が大きかったりする。たとえばお客さんが特別な糸を使ってほしいみたいな話があったとしてそのお客さんが特別な糸を手に入れるお金をまず払えるのかの話になると、どんなものができるかを見たいだけの状態だったりされることが多く、その状態の話ではできあがっても買われないタイプであることがほとんど。

素人っぽい人が言われたとおりにやってうまく行くことも少なく問題なんかがあったら大変で、何が悪いのかというと企画自体よりも企画する人の考え方が問題を引っ張ってきやすいことも多い。どこかに理想の布があってそれを買わないで、自分が別のところでその布を安く作りたいみたいな話は、理想の布がどこかで手に入るなら高くてもそれを手に入れられたほうが良いんじゃないかとごく普通の話。
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