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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年06月17日
今日は、芦屋から昔リネンを染めていただいていた社長ご夫妻が林与の先代の供養を兼ねてお越しくださった。麻を染めるのに命を掛けていたといわれるだけに、その当時に染めていただいていたリネンというのは光沢感からして違う。糸も当時の糸は今の糸と違う。

その技術は譲れるものでないというのも自分が本気でやっているものなら分かるけど、そこまでいかないものだと、どうせ死ぬんだから引き継いだほうがいいんじゃないのかというレベル。日本のそういう技術が担い手がなく消えていくのは正しいことのように思う。技術を教えて担ったとしても覚悟自体が引き継げなければ、意味が無いというのを分からないと難しいから、覚悟を決めたもの意外は逆に手を出さないほうがよいだろうと思う。

やればやるほど深みにはまるのが覚悟を決めた世界なので、業としてやっても儲かる世界ではないあたり、他と違うリネンの染のクオリティを生み出すために、特別のことをしておられた。それはほかのものが自分自身の苦労で、たどり着こうとしてたどりつかないと意味のない世界だろう。

長浜のDENさんに行かれたそうで、狭い世界でDENさんは、林与の麻生地を多く使ってくださっていて、話が弾んだそうで共通の価値観の世界。
2019年06月08日
ミナミヌマエビを数日飼ってみて思うのが、人の手間が要らないこと。その中でたくましく生きていて、また、1年くらいしか生きないので、100匹以上飼っていると、2日に1匹くらい大きめのが死んだりする。一方で、小さな小さなエビが何匹か毎日くらい生まれて、人間の100倍のスピードの生命がある。

人間社会というのはそういうのを忘れたところにあったりするもので、人の人生においても、そういう諸行無常を受け入れるというのも大事なんだろうと思う。ミナミヌマエビももっと自由にしてあげたいが、たらいの中で飼ってあげるくらいが一番安全だったりする。

水は工場の横の農業用水路から取るが、その用水路にも生命は存在するが、その用水路の水は人の手にゆだねられ、人間社会の加減で増えたり無くなったりで、その水路の生物たちが普通には生きてゆけないのも気の毒な話だなあと思う。飼われている動物以外に生きることが難しいのはかわいそうな話ではある。

自然界で増えることができるなら自然が残っているとうことであるがそうはいかない。その理由が他の自然の天敵ではなく、人間社会の都合だったりする。ミナミヌマエビは人間にとっては害虫でもないから、人が駆除しようともしていないが、それでもダムなんかができると今の自然界では生きてゆくのは難しい。

一方で、ジャンボタニシという稲を食う厳密にはタニシではないタニシに見える害虫がいる。工場の横の農業用水路にも、なぜか、大きなたぶんジャンボタニシが10匹くらい見えるだけでもいる。これも、人間の都合で1980年代に食用に全国の都道府県で養殖を始めて収益性が乏しいから、見捨てて自然の中で繁殖して、絶滅をさせるのが難しいやっかいな外来種となった。私もはじめみたときは、タニシでも大きく育って元気にしているんだなあと、自然に思える大きなタニシの裏に人間たちの浅はかな損得勘定があって金にならないと放置されて今度は害虫扱い。ジャンボタニシに罪はない。

別の目線から見れば今の日本の環境でも生きて繁殖できるジャンボタニシはサステイナビリティのある生き物。そういう人間が手を焼くような生き物しか田舎であっても自然の中では生きて繁殖してゆけないというのもなあ。
2019年06月04日
今年、評議員で、字の池の世話をする話で、池は何度か確認して池の水があまり綺麗でない理由の結論が、田んぼが農業用水を使うと泥を含んだ水が池に入る。するとその泥は池にたまり続けることになる。上澄みのきれいな水だけが下流へと流れていく。

結論からすると、鯉が動く度に下の泥が舞い上がるので水が濁ってみえてしまう。池の水を循環濾過するか、濃い泥を水と一緒にポンプで汲み出し新しい川の水を入れるか。新しいポンプつけて綺麗な地下水を池に入れると水は流れを持ち澄むが新らしいポンプを付ける
費用や電気代修理などの維持費の問題が生まれる。

もう一つ感じたのは黒い鯉がほとんどで一匹の赤っぽい鯉を除くとすべてが黒い魚で泥底をバックには魚が見えにくい。自然の川の魚と同じであるならその面倒をみるというのももうちっと魅力がないと業務的なところ。

こんなことを考え始めると本当のミスマッチの問題にたどり着く。周りにいっぱい自然やゃ緑が残っているのに人造の自然とふれあう公園というのはそもそも自然を求めているのではなく、都会的な公園を求めているんだろうなあというあたり。

本来だと田んぼの水を利用するより川に魚がいてそれとふれあうべきなのだろうが4m程も下にある川に子供が下りるも危険すぎるから、田舎でも自然にふれる機会は少ないのがもんだいなんだろう。

子供の頃に狐をみることはほとんどなかったが、狐が人の住むところまで降りてきている。山に食べ物がないんだろう。
2019年06月01日
地元に鯉の池があって、その水が濁っていて鯉にはよいのかもしれないが素敵には見えない。10年ほど前に補助金でできてそれを維持していくことの問題。村にしても若い人というか、50代でも、少ないし非常に忙しく、引退世代の人たちが、一日中畑の世話で余裕をもって時間が過ぎてゆくのとは、同じ村に住んでいてもまったく異なる。

はじめるのは簡単でも続けてゆくのは難しいという問題があるから、田舎にありがちな、強制的に無理やり続けるんじゃなくて、自然に続いてゆくような方法を考えてゆくべきだろう。最初、鯉の池の話を聞いても分からんことだらけ、水の問題があって、川の水を活用するプロジェクトながら、農業との水が自由に使えないみたいなところがある。

田んぼをするときには水が土で濁ってその水が池に入ると水も汚いという問題、地下水をくみ上げるポンプがあるけど、そのポンプは田んぼやってられる方が水利の組合を作ってポンプを管理されているので、村が池のために使うのは本筋ではないとか、最初は、よく分からなかったことがいろいろと見えてきた。

そういうポンプをうまく使えるようにもっていけないだろうか、別に地下水をくみ上げるポンプを池用につくるとかもあろうけど、そのポンプの維持というのは故障することなども想定すると結構お金が掛かる。池の問題は新たに生まれてきたことで、他の行事などもなかなか参加するものが少なくなっているのに、新しいものが増えてとなると次の世代は昔以上に大変。昭和の中ごろの高度成長期に始まった行事が今も続いているが、そろそろ限界にも来ていて、行事をすることでみんなが楽しめて良い思い出となればよいけども、無理やりとかだと悪い思い出となることもあるだろう。

私も農業よりも昔っぽい織物の仕事だが、やらんものが集まってても何も生まれてこないし、やる気があって実際するものがやっていく以外に成功する方法はないだろうと思う。やらされてやっているという程度ではうまく続けていくことは難しいだろう。
2019年05月31日
すごく厳しい話だけだけど、日本の一流商社のOBの関西のドンクラスでも私からしたら腐ってしまってての話すぎて、日本の繊維業界の伝統的な精神からすれば刺し違えたほうがよいのかとも思う。80の爺さんが私のやっていることを駄目の判断。別に私がその爺さんよりも先に死んでも構わないくらいに40代のときから考えているほどに日本の繊維業界がやみすぎているから、ユニクロさん、島村さんや、無印さんのほうが健全に思える。

種明かしをすれば身内に金を流すために日本の助成金を左右されている。断るべき話で断った、林与が無いなす44点とか評価、死ぬ気でやってても、80の爺さんが日本の繊維業界を腐らせるなら、指し違う覚悟が私。林与をマイナス評価して繊維業界を牛耳ってるとかだと、私がその人とその人の親類のブランドが胡散臭すぎて、日本の繊維業会が終ってもよいんじゃないかと思うほどに腐ってる。行政もしっかりせんと林与は覚悟きめているから、本気だと思って応援はしているが本気じゃなかったらNさんいい加減だと感じていればほんとうに日本の繊維業界を守るためだから地元行政でも私を干すならいつでも。80の関西のドンの爺さんがそのあと私をさけて逃げているの気持ち悪すぎて、繊維の世界は力じゃないんだよ。力関係で生きるならよく見ておく、私を干すなら干せばよいけど、その80の爺さんでも滋賀県のためにとかいって、身内がぼったくるよな何千万の企業補助金を国としてやるのは駄目だろう。

私も関西のドンかもしれないけどその人以上に本気だから日本の繊維業界をかねまみれから改善しないといけない。私も父親である先代の金に浮かれたのを被っているから、ショウもないほかの人間を食い物にするだけの大手の地元の日本を代表する商社OBである80の爺さんとでも本気にやってやるよ。なんで、国の補助金使いながら中小気漁期版機構のプロジェクトマネージャーが餅描いて、身内に利益誘導したがるのかが分からんのが本気でやってる人間。

こめんだけど、その親戚のデザイナー、展示会着ても展示会場の出展者も回らないどうしようもない日本の繊維業界の苦悩も分からない中小企業基盤機構のプロジェクトマネージャーと同じレベル。ものつくり爺さんと姪っ子いっしょにやめたほうがよいよ、本当の覚悟すらなく、80というのが厳しい。スパンデックスのリネン、営利目的の商社的で、そんなのでもうけても地場産業の目指すものが消えるばかりで、まさに資本主義というか、欧米や中国企業というか、近江商人として教育を一から受けるべきところ。

干されてもよいだよ、林与は。日本の繊維業界を元気にしたいなら一番駄目な爺さんが関西のドンで、日本の繊維業界が中国モデルそのもの採用しても、その規模や覚悟も足元にも及ばないと危惧しまっていると思うのは私だけなのか。干してもらってもよい覚悟で、日本の繊維業界を考えています。なんで日本の繊維は泥臭すぎて駄目なんだろう。
2019年05月29日
伝統工芸というものは分業で行われそれは手仕事の世界ではあるけども生産性の追及というあたり、今の海外のものづくりと近い概念を昔に導入していたといえる。海外でも単能的な技能工が工業生産を受け持っている。たとえば、縫製の世界なら一本針ミシンの一工程だけを担当するのが大きな工場でのよくあること。

たぶん、今の時代に伝統工芸の世界のものづくりに憧れる人というのは職人というよりも作家的な一個一個つくる感覚からであろうことが多いと思う。伝統工芸の世界は分業型であることが多い。最後作品という意味では、一人の先生が作ったみたいなほうか何倍も価値があるようにみえるだろう。結局、皮算用的なところに憧れで入ってしまう人というのは続かないことが多いものだろう。

実用性を求めない芸術の世界のアーティスト的なものづくりというのは、教えてもらってできるとかそういうのではなくって哲学的な考え方が必要で、自分の生活に今の時代の普通を求める感覚では根本的な要件を欠いてしまっているように思えたりする。一般的にアーティストが金満だったりすると普通の人と変わらんじゃないのいう結論にもなる気がする。
2019年05月20日
今日は、スタッフの子が、初めてのタイイングマシーンの練習。手で繋ぐのは一度、半日ほど練習してもらったが、タイイングマシーンに挑戦。タイイングマシーンを使うためには、織りおわった縦糸のアゼを取る必要がある。篠山タータンの縦糸のアゼを取って、別の色のピッチの違う篠山タータンを繋ぐ作業。

2回目か3回目のアゼ取り作業で、まだ慣れていないからアゼが何箇所か飛んでいる。分かる分かる私も若い頃にアゼ取りを専門でもないのに必要に迫られてやったときに、なかなかうまくアゼが取れないことがあった。せっかく、仕事を覚えるのだから全部つなぎきるまでを見てもらおうと見てもらう。

タイイングマシーンの調子も絶好調で調子がよいのだが、ときどきアゼが飛んでいるので、その対応に時間がとられる。最後のほうで、縦糸を強く張りすぎたか、タイイングマシンが糸を持っていこうとすると糸切れが続発するも、テンションを緩めてなんとかクリア。

麻糸は伸度が少ないので、タイイングマシーンで繋ぐときに糸切れを起こしてしまうことが多い。糸切れすると、その糸切れを直してあげるのにすごく迷うこともある。でも、正しい判断ができるように、今日だけでも糸切れの処理を何十回か見てもらうことで、タイイングマシーンのトラブルである糸切れを正しく直すのが当たり前と感じてもらう。

ちょっと気になったのが、はさみの使い方。はさみが切れないようにみえることが多いので、それほど悪いはさみじゃないと思うのにどうしてか、はさみの使い方を改めて修得してもらう。林与に来た人がハサミの使い方で苦戦しているのを見ることが多いが、ハサミは使い方次第で切れないハサミでも切ることが出来たりする。手の使い方次第でどんなハサミでも普通に糸が切ることができることがほとんど。

一つのハサミも何千回もハサミを使えば、ハサミも切れにくくなるのも当たり前で、それでも糸を問題なく切ることができる。ある機屋の方が林与に来たときには、林与の一個100円のハサミの切れ味に感動していた。普段、使い込んだ切りにくいハサミで普通に糸を切っておられるんだろうと思う。扱い難い刃の丸まったハサミを経験者が好むのも、刃がとがっていると危ないし、先も丸めて刃も丸まったハサミでも使い方次第なのである。ハサミはあるだけでありがたいと思うのは、ハサミがないときには糸を結ぶのも、1ミリ2ミリのムスビソで、はさみ使わずに切らずに結ぶ。はさみ使わずに2mm程度で機結びで結ぶことも練習すれば可能だけど、それをやるくらいならハサミ使ってカットしたほうが綺麗で早い。

ムスビソというのは結び目のことだが、ここにも、ソという言葉がある。苧(オ)と語源が同じで、オを結んだものという意味。
2019年05月19日
AIも人が作るんだから、想定外が修正もできないまま一人歩きする。動物は他の動物を感知できるが、AIが動物を見分けることは複雑すぎるし、ミスも多い。人の感覚をAIに置き換えれば解決すると思うだろうけど、人の感覚はそれぞれ異なる。

壊れそうなものが落ちそうになったときに、強く握って潰すのか落としてしまうのかの選択。人間はそれを的確に判断して、反対の手で受けるとか他の人を呼ぶとか当たり前にできるのだが、そこまでのプログラムとなると結局AIが、AIよりも愚かとされる人に近づくことになる矛盾。

人はうっかり余所見などあって事故を起こすことがあるけど、そのうっかりというのは設計にもいっぱいある。自動車でアクセルとブレーキが同時に踏まれたときに、オーバーブレーキじゃなくオーバーアクセルだったというのがつい10年ほど前までのこと。頭のよい人たちが自動車の安全を考えているのにそんな簡単なこともつい10年ほど前まで無視してきた。

最新の旅客機がパイロットが努力してもMCASメカニズムのため2回墜落したのも、オーバーブレーキの問題と似ている。運転車は、緊急時にアクセルとブレーキを踏み間違うことはないという想定がいくつもの事故を生み出した。緊急時にパイロットが正しい手順でMCASを無効化すれば問題ないという設計とか、似すぎているのである。大事故が起こるまで狭い範囲の技術を過信して責任のなすりあい。

昨日も新しいスタッフに、タイイングマシーンの使い方を覚えてもらう作業。手で繋ぐよりも何倍も早く繋げる可能性はあるけども、何一つ問題なくタイイングマシーンがつなげるように綺麗に人間が用意してあげる必要がある。それが出来る人はタイイングマシーンを扱えるが、そういう人というのは手で繋ぐことは当たり前にやってのけられるような几帳面な人だったりする。タイイングマシーンがなぜ糸を正しく繋いでくれないのかを理解できる人しかタイイングマシーンを使いこなせないのである。

織物工場でも普通はタイイングマシーンを使いこなせる人というのは10人に一人くらいかも知れない。縦本数の多い産地などでは、繋ぎ手さんが機屋を回って、タイイングマシーンで縦繋ぎするとかが、よく聞く話。人の能力が高くないとタイイングマシーンはややこしいだけのこと。日本では、これからタイイングマシーンを使いこなせるような人が増えるのかというと逆に増えないと思う。日本全体としては、自分が覚えて繋ぐより、出来る人に頼んで繋いでもらう話になるだろう。糸がつなげる人がいなくなり織物が日本では織れなくなるのも近いかもしれない。実際の糸を繋ぐという作業は、手で繋ぐにしてもタイイングマシーンにしても技術部分よりも必要なのは忍耐の世界だから、生産性を上げて労働時間を短くの流れの中でそれに付いて行けない人は増えて行くだろう。先進国でもどこに解決方法を求めるかというと、子供に詰め込むというところ、児童労働じゃないけどそれよりも過酷な受験競争とか、大人よりも大変な子供たち。働かない大人の問題を解決するのが次の世代だったりして、先進国も途上国の児童労働問題となんら変わらない。世の中にでもて働かない大人が有能な新人たちを年功序列で縛っては駄目だろう。

将棋の名人も階級社会なので新人が簡単に取れないようにしてあったりで、本来は逆じゃないのかと思う。新人にハンディを上げて上のものは戦うくらいがよいのではと思うが、階級社会というのは強いものにハンディを与え、弱いもののチャンスを奪っている。将棋も、本当の実力主義だと年功序列体制がひっくり返ってしまう可能性もある。オーガニックの世界が商業的なプラスチックな流れになって、本当の苦労している現場のオーガニックの人々が働いたら働いたなりに報われるべきだろうと思う。
2019年05月18日
今日は、スタッフの子が、タイイングマシーン2日目の練習。準備作業も昨日よりも何倍もスムーズにできて、つなぎ始めることができた。タイイングマシーンは、機場で何十年の人でも使えない人が多いのに飲み込みが早い。

タイイングマシーンも大事に使わないと調子のよいタイイングマシーンでもレバーが回らないときに無理をさせると一回でこじてしまって調子が悪くなる。林与には、同じタイプのタイイングマシーン4台あるけども、一番調子のよいタイイングマシーンで練習してもらい、上手になってもらう。

たぶん、あと3回くらい見よう見まねで練習をすれば自分で最初からタイイングマシーンを使えるようになるだろうと思う。林与に入ってから2ヶ月で5台のシャトル織機を動かせるようになってくれ助かっている。今まで、もろに挟んで糸切れも少ない、なかなかできる。
2019年05月11日
時代というものを感じるひとつに、書類などある。今、手書きの書類などがほとんどなくなりつつある。私自身、それはすごく残念なことであると思っている。

一方で、パソコンで似たようなデータから似たような書類をつくるという方法で、大量に書類が印刷されることにも疑問を思う。紙という媒体は資源であるので、保存が必要なく一回使うだけのものを大量に印刷するというのは資源の無駄使いそのもの。

また、新聞という媒体においても昔のように有効利用せずなら、電子媒体の形状でいつでもみられるようにしたほうがよいだろう。もちろん、紙媒体がよいとか、じっくりと読みたいとか、好みがあるが全体的な流れとして、新聞は紙媒体でないといけないということもあるまい。

戦前に始まった回覧板というものは、当時の事情を反映して1枚の紙に書いたものを回して読んだ。今、その謀砲が適切なのかというと、シャッター街と化す商店街形式と似ていて、コンビニ方式のところのほうが負担が少なく活性化してしまう。ものごとに陰りがみえたときには大きな方向性の問題があることが多い。

昔の売れていたものが今の時代に売れないのも分かるし、それを残して行くためには別のアローチも必要であろう。でないと、そういう価値のつまったものが海外で生産され、日本の産地を淘汰してしまうだけのことである。おみやげ物屋さんに行っても、おみやげ物は食べ物以外はたいてい海外産だったりすることも多い。

2019年05月05日
こどもの日に、途上国での児童労働をなくすアイデアを考えた。児童が学校に行って教育を受ければ、児童全員に対して、子供一人あたり1日たとえば1ドルを家庭がもらえるとかすればよいだろう。出席日数を確認して日数に応じて払えばよい。その国が支出すればよい。児童労働のある原因は、社会体質にもあるので国自体も国家の体質を変えねばならない。

たとえば、ミャンマーなら1000万人児童がいるとして、1000万人X110円X25日X12ヶ月=3300億円である。ミャンマーは35兆円規模のGNPがあるのでGNPの1%で児童労働がなくなる。GNPのインドなら2億人児童がいるとして、2億人X110円X25日X12ヶ月=6兆6000億円。インドは1000兆円規模のGNPがあるのでGNPの0.66%で児童労働が無くなる。南スーダン250万人X110円X25日X12ヶ月=825億円。南スーダンは2兆円のGNPがあるので4%で児童労働がなくなるが、1ドルでなく、物価をかんがみてGNPの1%程度になるように調整をすればよい。基本、各国がその国のGNPの1%の支出をすれば、子供の多い家庭は子供が学校に行くことで収入を得られることになる。

もちろん、裕福な家庭も含んでいるのでもともと学校に行ける子にも支給するのは必要ないかもしれないが、裕福な家も貧しい家も平等に扱って配れば簡単なことになる。現金ではなく、フードチケットみたいな形にする方法もあるだろうが、偽造や利権など絡むだろうから現金がよいだろう。学校の先生が、半年に1度、親が学校に来たときに渡せばよい。

弊害となるだろうは、各国の支配層や富裕層の不満だろう。児童労働を必要としているのは、支配層や富裕層だろうから。また、間に入って利権を取れないメカニズムにするのを嫌がる連中も多いだろう。日本でも国民全員に給付となると利権を求めて間に余分な人を入れる構図がよくあるのと同じ。
2019年05月04日
明日の子供の日を前に、字のこいのぼりの撤収作業。作業は大したことはなく何事もなかったように終了して、大手の織物メーカーの人と話して、見本整経のできる人を探しておられる件の話。退職後も継続して働いてもらうような形が理想だろうなあと思うが、次の世代に引き継がなければとう状況で、大手にしても人はたくさんいても実際に働く現場でできる人というのは見つけ難いということだろう。

織物設計を記録することや見本整経機を扱えてはたぶん、新卒の人なら学べば誰でもこなせる程度のことだろう。その後がどうだろう、巻き取り?巻き取ったものをタイイングマシンで繋ぐ?この辺りが作業としては地道さがあるので難しいところかもと思う。そこまでいってしまうと見本を織る作業もついでにとなり、一人で全部やってしまうような林与スタイルとあんまり変わらないのではないか。大きな工場だから織物つくれる優秀な能力というのは当たり前の想定だろうけど、織物工場の根本的な機能全体を集約したような人だから職人というより親方クラスの力が必要で見つけるのも育てるのもなかなか難しいなあと思う。

大手の織物工場でも中にそういう人がいないという状況なのも、なんで林与が一人で全部できるみたいな人が大事なのかと考えているのかの理由であったりもする。でも、若い人で普通を求めず志の高い人いたら、実際とことんやるならゼロからでもできる仕事だと思う。何十年の経験者を、半年、1年、2年で越えてゆくという覚悟でとことんやるならできないことではないとは思う。

体育委員の役が、来年くらいあたりそうで、昔20代の後半に一度当たって2度目、50のおっさんが体育委員当たるのも他のメンバーはたぶん20代30代だろうから風通しの悪いことじゃないのかと思う。静かに見守って雑用をこなし、若い世代をサポートする役目が適切だろう。これは今の70代、80代が敗戦後、戦前世代にサポートされて戦後のひと世代を築いたのに似ていると思う。苦労している今の学生のほうが、順風満帆に育った嫌だとか面倒だとかばかりが口から出てくる堕落した年配のものよりもまだましで、まともな感覚の学生や若い世代に日本の世の中を任せたほうが思うことも多い。一部の年配世代は若い世代を同じ流れに取り込もうとしているが取り込まれないほうが自分で生きて行くためには良いだろう。
2019年05月03日
今日は午前午後と2軒お客様。午前は長浜のDENの北山さんで、20年近くの知り合いで今も洋服づくりに専念されている。東京でのイベントがあるそうでそのための生地を探しに来られた。午後からは、大阪でお店を持ってオリジナルの洋服も企画されている方で、オリジナルの生地の件。休みなんだけども普通に仕事のことで動かれていてそれが苦痛なようには思えない。私もこのゴールデンウィークもそれなりに織機を動かしたり、準備しながら、遅れている案件を追いつかないとと誰かにやらされているという感覚なんてまったくないのだが、勤め人だとなかなかそうは思えないのだろうと思う。

休みの日にも本腰的な濃い内容のことを気持ちのある仲間が集まって進める。繊維の世界にそういうの残っていてもよいんじゃないだろうか。もう一軒午前中に宮浦さんの糸編の方もご連絡をいただき、ちょうど今帰省されていて今日しか時間がないのだけど会社訪問できないかというお話、今日は埋まっているのでまた次の機会にということで了承をいただいたが、私のお客様というのは、仕事で自分の世界を持ってつくって動かれている方たちばかり。

お客様が帰られてからミルツルさんの出荷、ゴールデンウィーク中も動かれていて、明日受け取りが出来るよう出荷。私の周りは昭和?のままなのかも。自分が自分で仕事して食べていくというのが普通だとはおもうが、それが消え行く中で、私の周りではそういうのが普通に流れていて、当たり前に支えあって動くような、特別な価値観が生まれやすいんだろうと思う。林与なんて本当に小さな会社だけど力は、そういう周りの人が寛容な対応で与えていてくれているところがあって、迷惑掛けることも多いが感謝なのである。
2019年05月02日
今日は、職人さんがシャトル織機のステッキの皮のバッファが破れている問題に気が付いて交換修理してくれた、ありがたい。でも、しばらくすると織機が止まってばかりになったので、思い切って、その問題を解決しようと夜作業。淡々と時間が過ぎてゆく、4時間、5時間、6時間。なんとか、切れた皮をジャガードの吊り紐で縫う形での修理が終って取り付け直して織ると、横糸を1本織ったくらいで、縫ったジャガードの吊り紐が切れて元の木阿弥。若干シャトルの尻が浮きながら不安定に叩かれる。

これも原因も対応方法も時間があれば、丁寧にどれだけでも修理したいこともあるけど、今は時間がなくとりあえずその状態で動かす。シャトル織機も無理させなければ長持ちするのだけども、時間に追われて無理させることがあるとどうしても壊れやすい。交代でとか仕事ができると織機を長時間動かせるのだが、何か私しか解決できないとか私一人しか織れない状況に陥ると挽回するために、シャトル織機のスピードを少し上げてしまうことがある。良くないのである。

今、新しいスタッフが1ヶ月で、ゴールデンウィークの前半、昼間、シャトル織機を一人で動かしてくれた。林与もシャトル織機に負荷を掛けることなく、織機を調子よく動かせる流れになれたらと明るい兆し。
2019年05月01日
平成天皇陛下も退位されるのには思いがあられるのだろうと思う。地位にしがみ付いて死ぬまで地位を守ろうとする議員なんかも多いけど、そういうのと違って、次に譲ろうとするのが人柄の表れに思う。引き際も利権にすがる政治家たちとは好対照で、そういうものが令和の時代の流れになって行けばよいなあと思う。日本も、若いピュアな精神をもった人たちに任せたほうがよいだろうと思う。死ぬまで地位や利権にしがみつこうとするものが次の世代に重荷を背負わせて食いつぶしても仕方ないだろう。

林与のタイムカード、昭和を平成に訂正して使ってきたけど、それをさらに訂正して令和にして使う。使えるものは使ってゆけばよい、活躍してくれているシャトル織機も昭和のものだし。新しくせずに、訂正して使うということも一つの考え方だろう。そういうのなくなると手の世界の価値観というのは薄っぺらくなってしまうだろう。今あるものに価値も感じずに新しいものを生み出そうとしても今ある価値も生み出せないがほとんどだろうし、私が思うのは、新しい人たちが一つ前の世代越えてゆくような理想系。

行政なんかは軌道修正もできず一世代前の失敗を今も引き継いで上塗りして、若者のなかに起業家を探したりしているけども自由に起業させてあげればよいのに、自由でもない気持ち悪い縛りがついた食い物にされるような起業形態に誘導したり。行政も、カモ探しでは駄目だろうと思う。後継者探しなんかも行政がらみは怪しいのが多かったりするから要注意で、制度としてはしがらみなくスタートできるように行政が誘導しないと。
2019年04月28日
加工の進化がないというあたりの話の延長で、テキスタイルとして魅せるべき部分の進化はどうなのかと考えると、宮下織物さん。女性デザイナーの珠樹さんがおられ、いつも私が邪心でもったいなあと思うのが素材がシルクだったらすべてが究極なのにと思うけど、レーヨンで自由度を持たせて表現力を重視し、舞台衣装というものに特化してのものごとを分かりきった上でのチョイス、昔の職人じゃなく現実的なところで一つ一つ形にしてゆく力が凄いなあと思う。

今回、宮下織物のブースで見させてもらったのがトリックアートなジャガード織物。プリントじゃなくてジャガードでトリック織物を生み出す。技術的にはジャガードだと出来そうだけど、それを実際にやってのけるところが凄いんだと、やらないというかやれない林与は思う。技術じゃなくって技術は当たり前で行動力、そこに力を使ったほうが世の中が変わる例。世界中にジャガードがあっても、織物でやって形にするのは珠樹さんらしい覚悟のある世界。

半年前にはなかったものがまた新しく生まれているのが凄いなあと思う。私自身半年ほど生産の時期を乗り越えようと動くばかりが続き、できることもやらない理想を追い求める世界との戦いみたいなものもあって、何十年のくたびれた職人よりも志のある若い世代のほうが確実に上かもしれないと思えたりして、何年も時間を掛けて理想を追い求めるよりも、行動力で理想を現実に変えるというスタイル。日本のテキスタイル業界を自分で作ってゆく形、気持ちが良すぎて脱帽するしかない。

すごい実績の方でも、理想を追う学生以上にツコツと動いておられるのが、ある展示会でお会いしたときに24メートルの生地が海外の展示会に出て売られた話。それなんだよなあと思う。24メートルの生地を海外に出荷するもろもろを自分でやってのけるも普通は引いてしまう人が多いだろうけど、できる人だからそういうのも普通に喜びであったりする。そういうのに喜び感じられなければ、理想ばかりを追い求めても無理な話で、それひとつで食べてはいけなくても、一回一回やったことで成果を得ようと努力する。これは普段の仕事にも通じることで、ジャガードというのは一つ一つの組織をコントロールして手間を形に変えてゆく世界。無限の可能性に見える一方で、いろんな限界との戦いのなか、すなわち妥協して織物が生まれてくる。できることを目一杯に動いてみるという、同じ材料と道具があっても人が違えば、できるものが違って、成り立つ成り立たないも変わってくる。それが人の差で出来る人ほど苦労を乗り越えているというだけのことだろう。
2019年04月24日
今日は朝東京入りで、TN展、林与は初出展。残念なことながら、体調が余りよくなく風邪気味で私自身はマスクしながら控えめの応対。TN展は機屋の集まりの展示会で、特殊な分野の専門が集まったみたいな感じ。個性のある機屋の特色のままを展示するという印象を受けた。

林与も現在、会社の中の生産体制を再構築中でいろんな展示会も断念するなか、学校関係も来られるなどで人材発掘なども目的の一つにおいて出展を決めさせていただいた。特殊な技術や世界を守るというのは外から見ると華やかにみえても、特別な考えをもった人でないとなかなか成り立たないだろうなあと思うのは私だけだろうか。初出展ながらも、福田さん、宮下さんとか、古橋さんとか、いつも展示会で仲良くさせていただいている皆さんがおられ、やっぱりがんばっておられるところはどこでもがんばっておられるのを感じる。技術的な部分だけでなく、ものづくりに関しても前向きな姿勢が当たり前で、自分の作っている世界を自分で提案していく形。私自身がこの10年ほどやり始めてきたことを、TN展は20数年前からみなさん動かれているお話で、私も地元のおおまえさんから、20年ほど前にお誘いを受けたこともあって、参加してみて実感する。

夜は近くのイタリア料理のお店で懇親会。座らせていただいたのが出展者の女性のたくさん居られるテーブルでその要因は山崎ビロードの会長ということで温厚な人柄が若い女性を集めている。織物加工の専門の方が、加工が15年進歩していない話をされて、私自身、自分だったらどうその問題考えるかを考えた。昔のほうが加工はいろんなことができたということはあるだろう。今のほうが需要が激減しているので、少人数でピークの生産を対応していかないとならないのを、昔以上に限られた時間の中で、限られた人員で無理してやってるのが日本の加工業の現実だろうと思う。技術的にできることを広げるのは理想としてはあっても、それが実現できたとしてもそれが市場で受け入れられるのかどうかとう問題。今回のTN展でも新規のお客様の要望を集約したイメージは、在庫があること、小ロット生産が可能なこと、オリジナルができることのあたり。加工に関しては家庭洗濯のやわらかいものということで、本来量産向けの加工工場が得意図するアパレル向けじゃないテイストだったりする。

新しい化学的な技術が、求められている理想の解決方法なのかというと、天然繊維に関しては逆にそうではなく、天然志向な消費者からは敬遠されてしまう技術だったりする。私自身は本質的な価値観が布の価値観の基本だと思うので、最新の技術というものでも本質的な価値の詰まったものでなければ難しいと思えたりする。染なんかに関しては、麻で質摩擦堅牢度5級約束しますみたいな染色方法があればよいけどとは思うが、それが出たとしても飛びつくのは危険で、人体への安全性の面や他の物性の面での問題、風合いの問題など専門家が見落としがちな部分を検証した上で消費者の方には提案すべきだろうと思う。それは、極端な話、最新式の飛行機が安全なのかという問題に通じ、本末転倒なことにもなりかねない。その専門の方も、出展している機屋たちのように動かれて布の形で加工の凄さを発表されると、それが受け入れられるものなのか受け入れられないものなのか、また、お客様が買って使っていだだく布として一番大事なところ見えてくるのではないだろうか。

私自身が他の人がこだわらないことにもこだわっての部分にているかもしれない。その問題は自分の中で問題であって、他の人にとってはどうでもよいことだったりするとか。自分自身が問題解決をすることは自分にとって凄く大事なことなのであってそれはそれで良いこと。それは自分一人だけの世界で多くの人には理解の難しい世界なのかもしれないから、こだわりはこだわりで自分が追い求め解決して行けばよいんだろうと思う。
2019年04月21日
今日は、朝から工場に入るも右足のくるぶしの痛みがかなり悪化して、全身に倦怠感、よろしくない。10時半から、隣の家に自治会の総会などの資料を配布しないといけないので、とりあえず、資料配布のほうを先に準備して足を休める。午前中には案内を配り終えて、かなり痛みがひどく歩ける状態でもなく、立っているだけでも鈍痛が走るので、横に安静にしている。

急ぎの仕事が残っているのに悔しい日曜日である。



2019年04月20日
みんなが何か志を持ってやろうとするときに報酬なんて考えないのだが、安定期に入ると普通の仕事の感覚になって、普通の待遇になるとそこからの逆戻りが難しい。長続きしないのは、初心の地道な考えがなくなってしまったとき。普通の成り立つことを考えない感覚になると求めるが増えすぎて最初からやらないとましなほうが多いことも多い。最初だけは気分でスタートで成り立たなくてもではすぐに底が見えてきて終ることは多い。

地場産業なんかもサラリーマン化してしまうと、伝統工芸的なものは絶対に難しいだろうと思う。地場産業というと評価は高いがその評価に値する成果ではなくても努力がなければ評価されることも難しいであろう。普通のサラリーマンと同じ週40時間で作り出すものなんていうのは、趣味の人が作るものにも負けてしまうだろう。アーティストとかクリエイターは、たとえば、並外れた才能がなければ、他の人の何倍もの努力でカバーするしかないだろう。

才能がある人でも動かなければただの凡人。階級社会を守りたい人というのは、自分が一番底辺に落ちる覚悟がなく、常に指導的な立場でいようとするから、世の中の諸悪の根源になりやすい。待遇に文句を言っていないで、自分が求める待遇を他の人にしてあげる立場にならないと、自分の立場を他の人に譲れるくらいでないと、そこが本当に難しいところで、恵まれない人は世の中にあふれていて、その人たちを下から支えられる立場になれる人がどれだけいるだろうか。

増田明美の話だったと思う、増田明美のコーチが自分が白いご飯に塩振って食べて、増田明美にはたくさん肉を食べさせてとか。選手もコーチの支える姿が見えずに、次はもっとよいもの食わせてくれになってくるような馬鹿選手だとたとえ金メダル取っても早く消えたほうが良いのかとも思う。そんな選手が将来、自分の金メダル売ってでも、選手に肉を食べさせられるようなコーチにはならないから。これもサステイナビリティーのない一例だろうと思う。

日本の伝統工芸の世界がサステイナビリティーがないなあと思うのは、伝統工芸の多くはもともと食べて行くのも難しい状況の中、試行錯誤で、人々の生活を支えるために生まれていて、仕事して自分じゃなく家族の生活を成り立たせるという側面が大きい。

自分を捨てて家族を支えて行くというもので、野麦峠もその世界。食べても行けない農家の娘が、家族を支えるために女工として働くという辺りで、女工として働くことで家族が幸せに食べて行ける。これと同じことがバングラディッシュの繊維業界にあって、バングラディッシュの農家で家族が食べていけない状況を父親が出稼ぎで染色工場で1日12時間働くことで家族に幸せをもたらしてその父親も喜んでいる。

でも、農家の食べてもいけない苦労を知らない人が外から見ると、野麦峠の女工も、バングラディッシュの染色工場の父親も奴隷のように思えるだろう。けど、そういう農家を救えるのは野麦峠の紡績工場であったり、バングラディッシュの染色工場であったりする。自分を捨てて家族を支えたい人の気持ちを汲んで受け入れているのがそういう工場だったりする。食べるものもなくその人やその家族が死に行くを放置して、自分たちが幸せ掴もうと働こうとしている人の働く環境問題を議論しても始まるまい。野麦峠の問題視された本質は、階級社会を乱すことだったんだろうと思う。貧農がチャンスを掴んで役人よりも豊かに暮らすというのは、役人にとっては屈辱でしかなかったんだろう。ニューズウィークの記者もバングラディッシュの男性を記事にしてそれで食べているなら、それでかわいそうに思うならもらう給料の半分をあげればよいのにと思うが、批判している染色工場のようにその男性を養うとか分かち合うなんて覚悟はまったくなく批判をしている。他の人を支える苦労をしらない他人事の世界。

伝統工芸の世界も今は先生みたいなイメージだが、元来は田舎の農業で食べて行けない人たちの手仕事で、業として極められた形しかない。そういう手仕事の世界は地道な部分で成り立ち、地道さがなくなれば、仕事の本質も見えなくなる。自分が作ったものや仕事が受け入れられて食べて行けるという農業の延長的な自給自足部分。自分たちの手で食べて行くとか本当にアーティスティックなことだと思うが、そういうことが評価されることは少なく、やればそこまでたどり着けることもあるだろうけど。普通にやって食べて行けないから駄目だみたいな半ばの考えだとそもそも難しいだろう。

育くめる人が残っているうちはものづくりというのは続くだろう。それは作り手である場合もあるかもしれないが、作り手でないかもしれない。作り手が経験を積んでいったときに育む側になれればよいんだろうけども、なかなかそうはならない社会構造。サステイナビリティを意図的に欠如させる縦割り的な社会構造があるように思う。私の同級生のお父さんがやっておられた金襴屋さんが何年か前に廃業になった。現場には人もたくさん居られて、設備も新しいものを常に更新されていて福利厚生も普通以上に考えておられた。私がその社長と話したときに、前向きに新しい設備入れて福利厚生も考えてやっていかないと織物業界も続かないし、将来がないという話をしておられた。でもその社長が亡くなられたら、働く人もたくさんおられ設備で仕事もあるのに。実際はなかなか成り立たせるのは難しい問題。続けておられたのは、その社長の従業員に対する親心を感じるのである。自分は白いご飯に塩掛けて食べながら、従業員には肉を食べさせる、みたいな話で、親心もっている人が働いている人の中から順番に育っていないとうまくは続かない。それが本当に難しいところ。

日本では、待遇も良くないけど内職的にやってる地場産業は案外残ってて、価格も手ごろで品質も高く。企業化して福利厚生を充実した地場産業は消えて行くとか、ものづくりをやめてゆく流れ。過去も、繊維産業のものづくりは、基本、大きなところから順番に消えて行ったとか、海外に移転して行った形。日本の地場産業製品と似たものをつくろうと思えば量がまとまれば10分の1で、無理なく海外でつくることができるから、逆に、国内は基本、見本も必要な小ロット生産の仕事をうまくこなせるような力がないと無理で、現場の人に要求される能力のハードルは高い。仕事があって人がいても、できる仕事がないという状況に陥る。もう日本人はそれほど器用ではなくなってしまっている。
2019年04月19日
4月24日、25日は渋谷の〒150-0031東京都渋谷区桜丘町23−21渋谷区文化総合センター大和田10階  
「文化ファッションインキュベーション スペース1〜4、6」で、TN展が開催されます。林与も、今現在、まだほとんど準備ができてもいませんが、2日間おりますので、お仕事と学校関係の方など限定にはなりますが、お時間あられましたら逢いに来てください。

今年は、あまりにも私自身が時間がなくなりすぎて、楽しみに動いてきた展示会もほとんどをお休みしている形になっています。今回はみなさんとお会いできる数少ない機会の一つになります。重なる場合には、お待ちいただくかもしれませんが、ぜひ、お時間のあられますかたはお越しください。

学生さんなどで、林与でのインターンや働くことを希望されます方なども、自分に合うかどうか話を聞きにきてください。やりたいことは一杯ありますが、やるには力が必要で、私に負けないくらい、なんでも全力でバリバリ打ち込める人探しています。学生さんの場合は入り口で入れなかったら林与を入り口の人に呼んでもらってください。
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