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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年08月22日
今日、工場の中で、電話の電波が悪いので外に出て電話を受けていると、目の前に子猫3匹。一匹の猫が会社に住み着いていたが、子猫が3匹会社で生まれた。とてもかわいい3匹なのだが餌付けなどしてしまうことがよいことなのか悪いことなのか考えると、自分が責任を持つつもりならよいことで責任を持てないのなら悪いこととなると思う。私の信条からすれば、野良猫くらいが自由に生きていけるくらいが自然な社会だと思うところがあるが、住んでいる社会はそういうものを認めにくくなっている構造。集落でも犬や猫の糞が害だという判断が定着してしまっている。

母猫は、人に懐かないタイプの地域猫。3匹の子猫も母親の行動を真似して人を見ると逃げるタイプ。避妊や去勢手術を受ければ地域猫として生きやすくなるだろうけども耳がカットされてしまうことで家猫として里親を見つけにくくなる可能性もある。小さなうちに里親探しをするか猫を保護するシェルターハウスに里親探しをしてもらうかになるだろう。

母猫も子猫のことはすごく大事だろうから子猫と離れることは嫌がるだろう。猫を家猫として買うことはよほど時間的に余裕がなければできないことで、面倒をみることができない人間が興味本位で猫を飼うと愛情なども足りずに部屋に閉じ込めた猫がかわいそうということになる。私も昔犬を何度か買っていたが、母犬が5匹子犬を生んで、3匹貰い手がついて、2匹貰い手がなく、その2匹を、母犬と一緒に3匹飼ったことがあるが世話することは犬用の大きな柵に入れて飼っていたけどあんまり犬としては幸せではなかったんじゃないだろうか。

今は犬や猫は家の中で飼うご時世。家族のように面倒をみられる人のところで育つのが、外では自分で餌すら見つけるのが難しいのだから。10年ほど前にも10月の村の運動会の日に一度子猫が2匹生まれたことがあって見つけたのが朝だったけど、その夕方にはどこかに消えてしまった。母猫がどこかに連れて行ったのだろう。私に見つかったということで、この3匹もいつのまにかどこかに消えてしまう可能性はある。

今まで見つからなかったのは巣立つ前だったからだろう、1度見つけてからは頻繁に目に入るようになった。燕の巣立ちの日と同じで、一人前の猫として外に巣立ってゆくタイミングなのかもしれない。目線があうと逃げるタイプの猫たちなので自然に様子を見守るのがよいだろう。長くいるようなら里親探しを考えてみよう。

母猫の母性本能を感じるのは子猫たちを守ろうと私が近寄ると威嚇する。母猫にとっては自分よりも子猫のほうが大事という本能的なところ。こういう基本がないと社会は作りにくいだろう。イースター島がほろんだ原因は、バードマンコンテストで、競争に負けた青年は、長老たちに食われるとか。滅んで当たり前の社会性。そんな愚かな風習に若者が逃げ出したことが原因だろう。若者たちを奴隷化してモアイもつくられたのであろう。
2019年08月21日
自分ができないことを人に要求する人って多くて、ジジいおまえはいい加減にしろみたいな話。自分が親類だから関係を崩したくないので私に都合の悪いことをやらせるような気弱な年配。そういうどうしようもないのが多いのが現実で、情けなさすぎないか。そういうジイさんの一番どうしようもない身内を干したのも私で、どうしようもない爺が情けを掛けているものまでを食い物にしようとする行為を親せきの多くが黙認しても私はいいかげんにしろとその駄目な爺さんを潰す。人間関係が壊れようが駄目なものは駄目でよい、駄目なものを肯定して駄目なものになびいていては駄目。自分が問題のある人に指摘すると攻撃されるのが嫌なのだろうけど、そんな状態がいつまでも続くようなら関わらないほうがよい。

若い者より年取ったものほど、理性にかけて他人を思いやる気持ちもなくなり自分本位なのが普通が今の時代。自分の家の者にはものもいえずに、ほかの家の者に指図とかどうなっているのかというレベル。しっかりしないとダメで、自分可愛さに駄目な人間を持ち上げたり仲良くしながら、いやな役割を他のものに頼んで、それが普通なのかもしれないが、ごくありがちな八方美人なややこしい田舎の年寄り。身内にいうこといえないなら自分がかぶればよいだけのこと。あたりまえだが身内を代表する力もなく、身内のどうしようもないを増やし、ほかの人に身内の問題解決を頼むとはもうほんと駄目。
2019年08月20日
みんなが分担してやればよいというのは昔のスタイルで、今も分業的なものづくりに縛られている人が多い。今の時代は意思のある強い人が実際に作業していかないと繊維業界では成り立たない。

トラブルなんかも織物だけのことだけでなく、縫製のことも含めるとあまり高度な生地はやらないほうがよいのではないかと思う。海外縫製のほうが日本の縫製よりも上手になっているのを感じたのは10年ほど前のこと、日本だと縫製工場は延反して、上からがっちゃんの縫製がほとんど。海外では、一反をすべて検反してすべての小さな糸のムラもマーキングで、裁断個所を決める。海外の縫製技術の高さには驚いた。

また、インドの縫製でも、日本よりも上じゃないかと思うのは、プリント生地などでも、30枚重ねて裁断したらそのレイヤーごとのパーツに、番号を打って、プリント生地に起こりがちな色ムラの問題を、量産においてもサンプルと同じ2mとか3mの中で、1着の服が出来上がることになる。日本の縫製工場でそれを当たり前にやっているところはないだろう。やれば縫製段階での品質の向上は見込める。

品質を上げる方法としてはそれほど難しくないことなのだが、一着いくらの縫製でやっている縫製工場の仕事ではそれは難しい話になる。リネン糸なんかもイタリアの糸でも問題が多くなりすぎて、織れない糸に出会うこともあり、林与では低速のシャトル織機が活躍をしている。支給される糸での企画の場合、織れないときには本当に困る。問題は支給された糸にあるのだが、その問題の解決は織る側に要求され、一回切れ、糸の切れ方が縦切れを感知しにくいタイプの問題だと、ときには30分、1時間かけて一つの傷を治しながら織る。そういう仕事だけで他の仕事がすべて止まってしまい。1時間やってもまったく織れない話も普通にある。糸ムラの問題を織傷だとして修正する話もあったりするが、実際、糸ムラでも、支給された糸なら織る側の責任ではないのに、手を加えていることも多いが、糸を支給してもらって問題もなく正しく織りあがるということはないのである。

そういう問題を問題の根本で解決すればよいのだろうけども、今は最高級の糸を使っても糸も問題が起こって当たり前くらいの状況にはある。典型的な例が、20年前のロイヤルラミーよりも、今のグレード的にはロイヤルラミーより上とされるスーパーロイヤルラミーのほうが、強度などは2割くらい落ちるとか、10年前はリネンの100番手でも糊をつけずに織っていたが、今は糊をつけても織りにくいとか。50年前のアイリッシュリネンの細番手は今も織れるしっかりと強い糸だが、今の150番手は織るのが非常に難しい糸であったりとか。こんにゃく糊をつけるとラミーの細番手の先染とかだとカシミヤクラスの糸値になる。そういうものは織るのも難しく、カシミヤ以上に希少だがなかなか流通しにくい。

日本に限らず先進国でやるよりも新興国のほうが紡績の世界でも仕事が上手になってしまっている。今、アメリカなんかがメイドインアメリカを目指しているけど、途上国で作る以上に品質の問題は出てくるだろうと思う。その極めつけは原発事故で、チェルノブイリを笑ってられる話ではない。日本も一部の利権者が進めていた原発輸出を断念したが、そのほうが将来の他国での原発事故を未然に防ぐという意味ではよいことであろう。原発が爆発したの放射能漏れの隠匿とか、人の命すら自分の利権が優先して、6か月後に放射能レーダーが放射能漏れを感知していたのに、水蒸気爆発と国民に偽ってやるのが日本の原発行政の本質で、安全対策の問題でもなく原発行政の人の命より自分の立場を優先する人間性の問題。また、死んだバッテリーの代わりのバッテリーを買うのに予算申請を本社をテレビ電話でやってるようなおちゃらけ、百万人の命や健康の危険すら認識なく、一企業の利益が優先される体質、早めにやめたほうが良い。

原発がエコだとかもどこまでが本当なのか、原発が熱量を発し続ける温暖化加速の原因ではないのかという部分もある。太陽から降り注ぐ熱量と原発の熱量をくらべると10万分の1くらいだから無視できるというが、ミランコビッチサイクルのように、地球の温度は微妙なバランスで成り立っているのに、10万分の1だから無視できるとかは科学者できではないだろう。石油燃料を使ったことで、CO2の問題でもなく、放出される熱量の問題で地球の温度が上がるという説も普通に考えられる。太陽のエネルギーを介して光合成で炭水化物に変換し熱量を吸収するのが石油燃料。原子力の場合にはそのメカニズムが働かないエネルギー放出。エコじゃないけど金儲けのために推進でPRしてゆけばよいだけのこと、モラルを絡めないでほしい。

貯めに貯めまくった日本のプルトニウムの問題、遠洋投棄もできず、また、馬鹿な連中がやることは、日本中の土に薄めて日本中をプルトニウムの大地にするくらいしか処理方法はないだろう。本来、日本の無人島などの本土から離れた地中深くに埋めるとかのほうが安全ではあるが、それだと利権は少ないからそういう答えにはたどり着かないのが日本の利権構造。
2019年08月20日
今は商社や問屋さん向けの卸は少なくなっているが、根本的に仕事をしてくれる商社や問屋さんだとよいが、先方の無理ばかりを安請け合いして機屋に解決を求めるタイプのところだと、大手SPAや海外企業のほうがしっかりとした全体のビジョンがあって、言ってることとやっていることが整合していることは多い。

多い問題の一つが、自分が発注の約束もしないのにこちらにはいろんなことを約束させるようなタイプのところとは早めに手を切ったほうが、他力本願的な要素を消すことができるので成り立ちやすいのである。一般的には、自分が相手には約束させて自分が約束しないタイプのところが多いので、話は半分くらいで相手の覚悟に合わせてこちらも動いていくというのがバランスの取れた対応だろうといえる。

久しぶりに問屋さんとの話があっても、どうして最初からそういう無理な流れに無理としてしまうのかと思うことが多い、問屋さん自体が食べてゆくのが難しい部分が大きいのだろうけども、リスク回避ばかりしているから、仕事が2度手間、3度手間で、1回で思い切ってやればよいことでも、2回3回の時間と手間をかけてやってしまうほど、最初からその問屋さんの仕事は成り立たないスタイル。注文が入っても50m、100mのものを最初からサンプルまで作ってやるというのは、発注した人がちゃんと費用を負担できればよいけども、実際に作業にかかる費用負担も考えていないことが多く、最初から働いてやればマイナスの企画。そういう企画をもってくる問屋さんというのが多いのが今の繊維業界の実情。また、織る前の糸代にもならない値段の生地を探しているという業者さんも多いが、そういうところがこだわりのものづくりを謳っておられるケースも見受けられるが、日本の繊維業界が疲弊する要因の一つだったりする。

問屋さんに、いやなら自分で売ればよいといわれたことがあって、義理人情でその人を通していたところがあったのから解放されて、やはりそういうことをいう人に対しては筋立ては必要なく、一般のお客さんも含めて大勢のうちの一人という特別意識は早めになくして普通の対応で対応する流れにもっていったほうが良いだろう。

作業をすればしっかりとそれに見合った費用を考えているところと仕事をしてゆかないとやればやるほどそういう業者さんと仕事すれば負担だけが大きくなる。ダメもとでの企画を立ててもよいとは思うが、企画した人がしっかりと駄目なときの費用負担できないと無理だろう。自分がリスクを背負えば本当の企画を立てる意味も分かるかと思う。
2019年08月14日
今日は夏祭りの会計の処理と、集合写真の焼き増し。商店街にある写真屋さんでデジカメのデータを焼き増ししてもらう。480GのSDカードを持っていたので、最初全部のデータを読み込むタイプの機械だったので途中で挫折して、SDの中のデータを全部ノートパソコンに移して、SDの中は集合写真だけにする作業に1時間ほどかかった。その面倒さに写真屋さんに来て失敗かなあ、コンビニで自分で写真プリントしようかと思ったが、せっかく来たのだからやってもらおうと、やってもらった。1枚38円で7枚で、300円弱ほどのことだが、明るさが夕方の撮影で暗いのも明るくしてほしいというリクエストに応えてもらって、ばっちりいい感じにプリントが出来上がる。まさに写真屋さんに来た甲斐があるというものだ。いい感じの写真だったので早速写っている人たちの家に配った。

祭りの会議のときに写真撮影はカメラはどうするかの話になって、私が携帯ででもできるといったら笑われたけど、結局、当日は携帯電話で撮影で、今の時代はそんなもの。昔の写真よりも携帯電話の写真のほうが自動でよい写真が取れたりするから。若連中の4名の方にとっては準備も含めてたった2日のことだけど、若いころの夏の日の思い出として記念に残る1枚。自分の写真なんてものはそのときに見ると変に見えるものだけど10年後でみたら良く見えることがほとんど、まあ、写真というのは取っておいて残しておいて損はないだろう。3年ほど前のやぐら組み立ての様子を200枚近く写真で残しておいてもらったのを、無駄かとおもったけど今年A4サイズでカラーレーザープリンタで全部プリントアウトしたら、今年のやぐら組み立てで役立ったそうで、それを来年に引き継いでもらえる形。

祭りのことでバタバタしていると会社の工場の中がほったらかしになっているのだが、この間は織機触って4か月の女性スタッフが一人織機を動かしていてくれている。強くがんばっててくれてありがとう。私自身余裕もできすごく励まされるのである。
2019年08月12日
天然の柿渋だという謳いだった巨匠の柿渋染めが私が本当に天然染めなのかという問題提起して、その表現が柿渋と特殊染料を使用ということに改まっていた。柿渋染ではカラフルな色の展開は絶対に無理なのである。柿渋糊を顔料系の染料にバインダーとして使うならカラフルなアートが可能で、堅牢度が高いなら、特殊染料というのはアクリル染料か化学染料であろうと思われる。

繊維の世界というのは素人だましが多いので、謳われることがまったく逆であることが多い。特殊染料がアクリル染料や化学染料なら水に流したらもちろん水が汚染されるので、水に流して安全というわけではなく基本的には害なのであって、少量なら大きな影響はないがどれだけでもとなると大きな問題となる。どういう染料を使っているのか言えないあたり草木染だとは信じないほうが良い。

草木染で堅牢度が良いならノーベル賞ものなのであって、草木染ならとくに耐光抗堅牢度が悪いのが当たり前。柿渋という言葉に騙されやすい素人を相手に草木染という謳いが一番やばかったりする。罪悪感もなく、有毒そのものが琵琶湖に流れてしまっているようで心配そのものである。草木染で感動するような色が出ているというのを売りにしていたが今はそういう謳いも難しいだろう。プロの繊維関係のものが相手にしないのもそのあたりというか、基本的な質問に逃げる。だまされた人は気の毒そのもの。
2019年08月12日
夏祭りの料理関係つくってくださった2件とフォークリフトを借りたお礼に回る。お盆の時期で忙しいのに字のことということで金額も大したことはないが作る側も一生懸命にやってくださったのだろうと感じるのが、支払いにいって、ありがとうなあといって下さること。また、フォークリフトを借りたお家にも少しばかりのお礼でビールを持っていくのが普通だけど、おっちゃんももう80近いだろうからお酒もあんまり飲まれないんだろうと思って農業の作業場に行くと、おっちゃんはやっぱり仕事されている。

80過ぎても一人ででも体も弱りかけていても体動かして仕事、こういう人こそがすごい人そのもの。ビールはもうやめているといわれたので、小さな缶コーヒーをお礼に20缶ほど渡した。集落のなかでも本当にすごいおじいさんの一人。80近くなって昔よりは力もでなくなっておられるだろうが衰えたなりにも気丈にいろいろと作業場のことを動かれている。次の世代を支える側まわって、昔の田舎のおじいさんそのものの世界が残っている。口調にも若いころのおっちゃんの勢いはなくなったけど、人の理想像のようにを実践して見せてくださる。祭りの仕事して普段あまりしらないこういうことにも出会える。
2019年08月10日
今日は、夏祭りの本日、朝から音頭棚などの準備。昨日買い物を終えることができて今日は比較的全体の足りないところを補足するような動きで動けたのでちょっとのトラブルがあっても動けば解決の状態。10分、15分の動ける余裕があることが多く、なんとか動けばうまく回る。

バザーも盛況で、7時から8時30分の予定で、8時くらいにはすべて完売。子供会のスイカも好評で、クーも喜んでもらえ、空になったペットボトルも子供たちにとっては水を詰めて投げて落として遊ぶ。天気が良いとみんな準備と期待で参加してもらえるので、これといって大きな失敗もなく終了。ほんと気持ちよいくらいにすべてがめずらしいくらいにうまく回ったと思える。

もちろん、小さなトラブルはいっぱいあるが対応すれば解決するトラブル。例えば、バザー用のテントが予定では二つだったが一つしかなかったとか、袋がないとかすぐに買いに行けばよいとか、みんなの夕食が遅れるとか時間的に余裕があるので待てば済む話、氷の引き取りのタイミングとかも時間に余裕があって30分遅れくらい。幼児用のチケットの用意忘れも、プリントアウトすれば済む話。電池のチェッカーとか会社にある電圧計で対応。配る予定のうちわが会場にないとかも柔軟に対応してもらって問題なく解決。上水道のホースとかたわしとか直線的に迷わずなんでも瞬時に用意で解決。一応許可をもらう案件も多いが、ほとんどの場合柔軟な対応で解決。

終了間際は、総踊りのようにほとんどの人が踊って最高潮のフィナーレ。田舎の小さな村の夏祭りではあるけども、大きな祭りを見に行くのと同じくらいの楽しみはあるだろう。特に子供たちにとっては。大体夏祭りのときも仕事していることが多かったので、私自身、久しぶりの夏祭りの参加になったが、若連中の高校を卒業した翌年と翌々年の若者たちも大人に混じって積極的に動いてくれて、普段まったくといってよいほどしゃべったこともないが、結果を出せそうな若者たちで、私が倉庫にテントを取りに行くのについてきてくれて同じように作業してくれる。たぶん、その子たちにとってはまったく初めての倉庫で、何をしてよいのかもわからないんだろうけど手伝ってくれる。手伝う中で何をするのか分かることも多いだろう。そしてやってみた結果、自分たちが思い通りにイベントを作り上げることができるということもわかるだろう。自分のためにするイベントじゃなくてほかの人のためにするイベントっていうのが案外意味のあることだったりする。人のためにイベントをするというのがなかなかできない価値のあるところ。
2019年08月09日
今日は、朝からグランドで音頭棚やテントの位置決め、ならびに、夏祭りの買い出しこの暑さだけに明日の朝からの準備の水分補給も含め、盆踊り本番に向け相当量のドリンク関連を買い込む。お天気がはっきりとしていて雨の心配がいらないのでありがたい。買い物のほとんどはすべて終わった。会社に4時ころに戻って、緑のポリエステルの布を三巻縫製して、音頭棚の紅白の上に巻けるように考える。

例年は、音頭師さんの足元を隠すために、竹やススキ、ヒノキで垣をつくるのだが、そういうのがだんだんと難しくなってきていて、今年は緑の布で代用しようということで最初の試み。麻布よりも、手入れが簡単なポリエステルの丈夫目な布がよいのではないかと、また夜で地味にならないように映える緑らしいグリンのほうがよいのではないかと彦根の手芸店で見つけた布を使うことに。今年良い感じなら来年も使うことができてよいだろう。

区のテントを取りに行く予定はやっぱり変更になって当日に全体準備が終わってから取りに行くことに、今日もみんなで一つテントをつくったが、右肩に激痛が走るのなんとかならないものか。今日は天気が良かったので本来明日する予定のことの多くを今日できたので、明日の祭り開始までの準備作業はほかの人に落ち着いて分担を頼んだりできるのがありがたい。

こういう昔ながらの行事も子供たちにとっては楽しみな行事であってほしい。子供たちに配るオレンジジュースは、炭酸を避けてかわいいデザインのクーにした。人気アイドルの写真もクーのペットボトルには印刷してあるが、それが誰か私にはわからない。
2019年08月08日
今日は、午前中の来客が済んでから、午後から冷凍倉庫のある運送会社に伺って、製氷の容器に水を足す作業。1回目の水は10cmほどの深さの氷になっていたが、水道の水は30度近くだろう氷は割れて解け始める。20cmほどの深さになるくらいまで水を足して、再度、祭り当日の夕方まで冷凍してもらう。

とにかく、今日も暑い。梅雨が明けて非常に暑い日が続く、今年も夏物アパレルというのは、あまりよくなかっただろうと思う。7月に入ればバーゲンで、バーゲンが早すぎるのだが、早くバーゲンした百貨店ほど業績はよいという傾向にある。他と比べて同じものがその百貨店では安く買えるのだから、売り上げが上がるのは当然だけど、その傾向が強まり、ほとんどの百貨店がバーゲンを前倒ししたときには、百貨店が立地のよいディスカウントストアーという位置づけになり、百貨店業界以外との価格競争を百貨店業界自らが持ち込んでしまうことになる。

思うのが、季節商品には売れるタイミングというものがあるだろうけど、洋服なんかでも特に麻製品はほとんど劣化することがないので、定番的な洋服なら在庫になっても、翌年にも同じ価値で販売できると考えるが、繊維業界でそう考える人というのは少ない。私なんかは特殊で今手に入れておかないと将来手に入らなくなると思う糸とか、作って何年も売らないままにある布とか、糸や布に対する評価は高いつもりで、良い糸を使うんだから、良い染、良い加工でないともったいない気がして、一般には売れない値段の物を作ってしまうことも多い。

売れなかったら意味がないという人も多いけど、ものづくりには多様性があってよいだろうと思う。私が存在している意味があるのも、ほかの人とは違う考え方で違うスタイルでものづくりをしている部分。そういう部分が生命線であるような気がしてならない。
2019年08月04日
今日は、盆踊りで使う飲み物を冷やす大型の容器に水を入れて凍らせるのを近くの冷凍倉庫をもっておられる企業さんでやってもらうため朝に11個たらい容器を持ち込む。運送業というのはひっ迫した状況が続いているが、冷凍での運送となるとまたさらに特殊な用途で、夏の暑い時期は一番忙しいということ。そんななか地元の行事ということで、一肌脱いでくださっている。

そのあと、景品とライン引きの粉を買って、午後からは、事務所で何件かの出荷と工場の中で作業と検反作業。夏らしい暑さ。右肩の調子が完璧でないのが、今ひとつ仕事で力を出し切れない。運動会も役が当たっているのでいくつかの種目に参加しないとならないが、それまでに直してないとちょっと問題。脱臼してから、脱臼は元の場所に戻っているが、腕が水平以上に上げると激痛がもう1か月くらいになるだろうか。何かのタイミングでコキンと筋がうまく戻ればよいのだろうとはそのタイミングを待っている。
2019年08月02日
絡み織の問題で困っておられるという話を聞いて、私の経験で何が原因なのかを考えた。開口がもっと広く開けばカラミがうまく織れるのかというと、糸カラミの場合は、開口が広くなると絡むのが難しくなるだろうと思う。おそらく織りにくくなってきたのは、縦糸のテンションの問題であろうということ、縦糸のビームの巻きの直径が小さくなってくると消極送りの場合には縦糸のテンションがきつくなる。経糸がきつく張ると絡みにくくなる。たぶんそれが原因だろう。

京都の若い方が、岡山からカラミ織機を入れて挑戦されている。中古の織機というのはちゃんと動かなければ粗大ごみ、正しく動いてようやく仕事になる。マニュアルもないので、自分自身が織機を動かして問題を解決してゆくのが仕事という、一か八かの世界。正しい理論で調整を掛けないと、せっかく、正しく動いていた織機もボロボロのバランスになって仕事すらも傾く話になる。

私自身、麻のカラミを復活しようとして動いたこともあるけども、織機の調整の問題だけでは解決できないレベルの問題がほかにもある。本麻の織物など、普通の平織りが織るのが難しくなってきている問題。10回に1回織れないとかでも、その仕事がほかの仕事を止めてしまう、すなわち会社を止めてしまう話になる。仕事に先生はいないということがよく言われるが、自分自身で解決して答えを見つけてゆく世界なんだろうと思う。

日本ではカラミが難しくなっているが、中国では麻の総ガラミなんかが広い幅で織られていたりする。また、中国では電子ジャガードなんかが当たり前に量産の世界で動いていたりする。日本ではそういうのが難しい話なのがやってもそれに見合う生地の市場すらがほんとうにわずかしかないという問題があったりする。京都で織られるカラミ織も海外向けという話。
2019年07月31日
今日は補助金申請の締め切り日で、今回の補助金は商工会の方にドラフトを作ってもらって商工会を通じて提出してもらうタイプ。以前、別の商工会で面識のあった方が愛知川商工会に来られて担当してくださって、今までとは違うプロジェクト経験の豊富な方でフットワークが素晴らしい。あれ駄目、これ駄目のタイプではなくて、まだ大丈夫、まだ間に合うのタイプの方で、あと数時間あれば今からでもなんとかなるからやってみましょうタイプ。

今回は、池の水こととか、ミナミヌマエビのこととか、地球環境とか、世の中に足りないものというか、世の中が必要としているものが何なのかを考え、自分の今までの経験と得意としてできそうな新しい分野が何なのか、を総合してテーマを考えた。新しいアパレル生地をつくって展示会で売るとかとは違う話で、機能性を考えた資材系の取り組みで、織るだけでなく縫製とそのほかの要素との組み合わせで一つの商品となり、麻素材は一つの部品に過ぎないが、一番要となる部分。

最終日の消印で郵送が完了してくださって、採択の結果は1か月後。通らなくても自分でやってみようと思っているテーマなので、それに今回の補助金をマッチしたということだが、商工会の方がはっぱを掛けてくださったので、漠然と思っていたことが具体的な話につながってゆきそう。2年間使っていたノートパソコンが、熱暴走も絡んでハードディスクが昇天してしまったようで立ち上がらない不幸もあって、時間がないなか、予備のパソコンを立ち上げて使えるようにして補助金の書類も結局最終日の朝から取り掛かり3時間ほどで作りあがった。

私自身、計画に時間を使うよりも実践の中で失敗もしながら形にしてゆくタイプ。一つのものを作り上げるのに遠回りをすることも多く、経験値が高くなり、悪くないスタイルだろうと思う。先日、ある服飾の専門学校で講師もしておられる方とお話ししたときに、卒業生が就職してもすぐにやめてしまうという問題があるという。その理由が、自分の好きなことをやるために会社に入ったのに好きなことができない、ということ。私が自分がやろうとしていることにしても、普通の仕事をやって週末なんかも仕事してて、社会問題的なこと、身の回りの問題、自分の問題を解決するために何ができるのかを考える。そして、考えるだけでなく、試行錯誤の実行モードに移してお金もダメ元でいろいろ材料買って試してみて手ごたえをつかむ。

田舎の昔の人というのはこんな感じで、身の回りのものをほとんど自分で作り上げるのが普通。今の時代、ものがあふれていて手に入りやすく道具も手に入るのだから、自分が作ってみるというのも昔以上に簡単なはずだが、ほとんどの人が出来上がった製品を探す。自分が作ればそれを使うお客さんじゃなくてそれを作って販売するメーカーになれ、可能性は広がる。ものづくりの仕事で立ってゆく、基本の考え方だろうと思う。
2019年07月22日
今朝は、そばの種まきの日。朝から雨で7時に現地にいくも中止になったようで、夏祭りの子供会への案内とバザーのチケットを子ども会の役員のお宅に届ける。どうやらそばの種まきは中止になった模様。
2019年07月16日
仕事をしていて思うのが、ものごとって企画が良いとか悪いとかじゃなく、それをやる人によって同じ企画でも結果が異なるということになる。人が違うとつくる企画も変わってくるだろうけど、同じ企画でスタートしてもやる人によって結果は変わってくる。

何が大事なのかと考えるときに、難しいことでも諦めずに続けることが大事なんだろうと思う。そのときに続けるためには、ものごとを続けられる人と取り組むということ。続けられない人と取り組もうとすると続けている人の負担になってくる。

やりたいことはいっぱいあっても、やっている人でもやりたいことを我慢していることは多いのに、他の成功事例をみてこうすればよいみたいな安直なタイプだとそれを提案するその人がなぜそれを自分がやっていないのかという問題。

若い世代の子が産地のものづくりが問題だと感じることも多いだろう。それはそれでよいが、それを自分で超えて行くような動きをしないと難しいのだろうけど、アイデアはいろいろ出ても現実的なそれをする人がいないという問題を自分自身が解決しないと問題解決にはならないだろう。

実際にやってみて見えてくることが多くある。1日の作業も経験しない人が外から視てアーダコーダ言っているのが産地のものづくりの本質的な問題だろうと思う。そういうアドバイスが逆に本質的な問題を見失う原因になっていることがほとんどだろう。

成功に向かおうとするタイプの人でないとものごとはやらないほうがましかもしれないと思うことも多い。仕事というのが見えないと仕事が難しいということもあるだろう。目の前にやることがあってそれはチャンスなのだが、それが嫌で苦痛な仕事だけにしか思えない人だと無理やりする必要もないだろう。そういうやるかやらないかの迷いがあるうちはやっても食べてゆけるような話でもない。その道で迷いも無く取り組んでいる人のほうが実際の経験もあるし上手だからそれを越えていかないと残れないのは当たり前に思える。
2019年07月14日
新しい水槽を立ち上げてから3週間くらいにはなるだろう、十分くらいにたくさんいる卵をもっている母エビでも、ヌマエビの一匹も孵化せずに水質的になにが悪いのだろうといろいろと心配をしていた。

ようやく数匹、水槽の底の周辺に見つかる。親エビもそろそろ水槽にも慣れて落ち着いてきてくれたのだろう。全長2mmほどの小さな赤ちゃんヌマエビ。問題が解けた気分でうれしい。一番簡単だといわれるヌマエビの飼育が自分にとってこれほど難しいとは思いもしなかった。大規模にスターとしすぎたのが原因だろうか。

今日は朝から繊維の学校の方が来られお話、作業工程を案内するも機械を動かすのに右肩がうまく動かないが、右肩全体が凝った感じは残っているが痛みなんかはかなり落ち着いてきた。整経の作業などを少しづつだが進める、回復基調にはある。
2019年07月12日
ミナミヌマエビは1年の命。人間の一生100年が、小さな水槽の中で観察できる。まさにこれこそが、宗教の世界そのもので、地獄の沙汰も金次第とは違う世界がそこにはある。一緒に泳いでいた仲間が死ぬ、それを弔うように共食いしてすべてが回る。仲間が脱皮で苦しんでいたら助けているのが見える、仲間の人生を片付ける。

ミナミヌマエビも実際は共食いなんてしたくないだろうけども、共食いというのは仲間の背負ったエビ人生をすべて綺麗に片付けてあげる弔いの仕事。たぶん、エビの餌を上げているうちに弔いの共食いの義は無くなってしまうのだろうと思う。

方丈記の世界も、水槽のミナミヌマエビの世界と被る。弱ったエビを仲間が助けようとしているのは人間の世界を超えている。エビのえさを上げても横取りするエビは本当に少ない、人間はどうか横取りばかりか、既得権益みたいなものができあがっていて、みんなに平等すらにも渡らない。

それがオーガニックの世界でもおこって、営利目的の企業がオーガニックの世界を仕切っては駄目で、第三者機関というのはまさに偽装なオーガニックが世界的なオーガニックのスタンダード。爺婆の面倒な世界が、エシカルを謳うオーガニックの世界スタンダードでは笑うしかない。わかる人にはわかる現実のオーガニックの世界。
2019年07月11日
今日は雨が続いている。昼前まで補助金申請案件のテーマのことを考えていたほか、もろもろの件でバタバタ、午後からお客様、そのあと京都の大学で講師しておられる方から2年ぶりくらいに電話をもらって知り合いの先生が白絣っぽいものを探されているということ。結局、林与に残っているのは50くらい昔の本麻の数反しかなく、林与の記録として残しておかないといけない分だけ。手ごろなもので定期的に入るようなものがよいということで綿麻とか綿のものなら手軽な値段でネットで見たことがある気がしたので、そういう情報をご紹介した。

白絣はマンガン染、もう今はつくることは基本できないという形。別の似た方法だと似たようなものが作れるはずなのだが、今の時代、着物の生地が何百匹もそれなりの値段で流れることはないので、技法としてはセカンドベストなものが出来てもそれを何百疋作ってコストを落としたとしても成り立つかは別問題で難しいだろう。最初に見本が1匹欲しいとか言われることが多いので、企画だけでは最初の見本を作る100万円とか費用も掛かり時間もリスクもあるが、卵が先か鶏が先かの話になる。卸業者を当てにしていては、見本をつくったけど、実際には、話が流れたり、最初100疋でよいとか、いわれるのがよくあるパターン。実際の企画や卸業者の機能も包括しないと仕事しても振り回されて成り立たないことが多い。

右腕が上がり難いのが続いていて、右腕でものを持つのも力が足りないことが多い。これも放っておくうちに治るのだろうけども、強制的に鉄棒にぶら下がって痛いのを乗り越えるとかすれば治るか、あるいはポキンといってしまうのか。ずれているんだろう。

飼っているミナミヌマエビの水槽もにごり始めたので、もう一つ水槽を昨日立ち上げて抱卵個体を移した。ミナミヌマエビを飼うのが目的ではなく、水のろ過についての全般的な考察をすることが目的。この濁った状態というのはろ過し続けていても濁るので、水替えしかないというか水替えが一番の結論。濁るときにPhが、アルカリに傾き上がるとミナミヌマエビが死んでしまうとか、Ph6.8くらいの弱酸性状態がベストであることなど、ろ過だけで無く、バイオトープとして動物だけでなく土や植物などの生命環境が維持されないと水をろ過機能だけでは綺麗に保つことも難しい。

そろそろ村の池の問題も自分なりの答えが見えてきた気がして、極端に濁った場合には水を入れ替えるしかない。そのためには綺麗な水を入れる方法が必要で、濁った水をろ過して入れるよりは、ポンプで地下水をくみ上げて解決する方法が一番簡単だろう。新たにポンプを設置すると維持も問題が起こると大変なので、既存のポンプを許可をもらいある程度の費用を払う形で使わせてもらうのが一番よい方法ではないのかと思う。

今日、池も久しぶりに確認したら、水は澄んでいて、やはり、6月くらいまで田んぼの泥水が流れ込むのが基本的には濁りの原因であるのだろう。藻みたいなものも2ヶ月ほど前みたときには底にたまっていたがそれはなくなっていた。どうやって?2番目の小さな池は、泥がたまった状態。1週間に一度くらい1時間ほど思い切り、ポンプで地下水くみ上げ勢いよく地下水を流してあげるのが一番簡単な解決方法には違いない。

あと鯉の餌代の問題もあろう。安い餌を探せば1ヶ月2000円程度で済むのではないだろうか、ポンプの借用代金と含め年間5万円ほどの話ですまないだろうか。もうひとつ問題は、最終的に池のままにしておくのかグランドに戻す話になるのか。10年、20年あとに備えて積み立てを毎年10万づつ位しておき、鯉の面倒が見られないときには元に戻す話も検討をできるように費用面で用意しておかないとならないだろう。原発問題や太陽光問題も片付けるのが大きな話なのであるのと似ていて、片付けられないとアスベストやPCB問題以上の放射能やカドミウム問題を次の世代が背負わないとならない。

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

これは、オーガニックの世界にもいえる話。オーガニックの世界が、行きはよいよい帰り倭怖いのとおりゃんせな世界なのが怖い話。
2019年06月29日
朝6時に起きて夏祭り関係の書類の作成を始め、午後1時くらいまで掛かって重要な部分が完成、で、お墓の草むしり、そして堤防の除草作業の前準備、戻ってまた会議資料の作成の続き、夕方6時から役を当たっているもう一人の方が資料を綴じるのを手伝いに来てくれて、夜の7時半から会議、9時半の終了。

1回の全体会議で夏祭りの当日準備に向かう形なので、資料に関係者全員の作業の全部詰め込んでおく事が大事だろうと入念に資料作成。私以上に夏祭りに関して詳しい方が多いので教えてもらうことも多い。

全体会議も凝縮したが、夏祭りでは盆踊りとバザーをするのだが音頭櫓などを当日の朝から作り始めてなど例年よりも凝縮した準備方法。昔のように高校を卒業した後の夏から2年間若者が中心になって準備して盆踊りを行うのは若い人も少なくもう無理な状態で、父兄や役員がほとんどの準備を行う夏祭り。

バザーで販売する、やきそば、フランクフルト、やきとり、カキ氷が100円で、子供たちは無料で好きなだけ食べられる。子供を中心に楽しみにしてくれている人も多いし、夏祭りをやめようという意見も多いがなんだかんだ言いながらもやるとなるとみんな協力的でありがたい。

批判も多いかもしれないが、若い頃の夏祭りの準備というのは村の家や企業を回って寄付金を集めて費用を捻出。若い者がある程度自由度をもってファミリーレストランなどで好きなものを食べながら同世代のものが集える貴重な時間。大学や就職で田舎を離れても戻ってきて遊ぶ、たぶん最後くらいの機会。逆に今のように大人がすべてやってしまうと、そういう若者の楽しみが無く、かわいそうにも思う。夏祭りを目的に集まるが、せっかく集まるんだし、夏祭り以外の自由な部分での楽しみもあってよいだろう。

昔の夏祭りにはメモノートはあったけども、会議もほとんど無かったように思う。必要な準備作業を毎晩ほど集まってしてゆくだけ、30年ほど前のことだが、奨学生の地蔵盆と並んで、20前の若者が自主的に行事を進めることができるよい機会ではある。
2019年06月17日
今日は、芦屋から昔リネンを染めていただいていた社長ご夫妻が林与の先代の供養を兼ねてお越しくださった。麻を染めるのに命を掛けていたといわれるだけに、その当時に染めていただいていたリネンというのは光沢感からして違う。糸も当時の糸は今の糸と違う。

その技術は譲れるものでないというのも自分が本気でやっているものなら分かるけど、そこまでいかないものだと、どうせ死ぬんだから引き継いだほうがいいんじゃないのかというレベル。日本のそういう技術が担い手がなく消えていくのは正しいことのように思う。技術を教えて担ったとしても覚悟自体が引き継げなければ、意味が無いというのを分からないと難しいから、覚悟を決めたもの意外は逆に手を出さないほうがよいだろうと思う。

やればやるほど深みにはまるのが覚悟を決めた世界なので、業としてやっても儲かる世界ではないあたり、他と違うリネンの染のクオリティを生み出すために、特別のことをしておられた。それはほかのものが自分自身の苦労で、たどり着こうとしてたどりつかないと意味のない世界だろう。

長浜のDENさんに行かれたそうで、狭い世界でDENさんは、林与の麻生地を多く使ってくださっていて、話が弾んだそうで共通の価値観の世界。
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