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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2026年01月11日
日本のものづくり意識がどんどんと好きに自由働いて好きなだけお金貰いたいというあこがれだけのデザイナーや経営者感覚の従業員が増えて島ていることで、林与も20代の働き始めた時からそういう感覚すらなかってそれを相手にも求めようともしていなかった。従業員は従業員で、伝統工芸士の勘一爺さんでも、若い20代の林与には絶対に服従みたいなありえない世界で、勘一爺さんの息子さんたちも大手金融業界の重役だったりとか、日本のものづくる大手の家電企業の営業所が閉鎖された後も一人個人レベルで大企業の営業所レベルを運営で、普通のサラリーマンレベルの金儲けのはbなしは一番気持ち悪くてみたいなのが近江上布の伝統的な部分として、津代良い覚悟として残っているところがあって、自分が好きなことをしたいならそれは自由だから好きにしてほしいし、でも好きなだけお金欲しいのが当り前というのが大手SPAでも次の日には、その人が超満場じゃレベルの欲望で、ほんとそういうのが日本の繊維業界の末路で、人を支えるつもりが食いつぶされる対象に泣って逆に追い込まれてどこまでも追われる。できないのあたりまえじゃないですかとそういうのが、日本の昭和のサラリーマン社会で、今は最初に働く人が同じ感覚で、だから、戦争や、国レベルでの取り合い。

自分が働いて支える気持ちがあるのか、取って食っての気持ちなのかでは180度反対で、今は本当に人の気持ちすらもなく、人命すらもがお金の種三うしなわれていくような、ナショナリズムで、人類の歴史では今が再好調な国益や自分が頃さr宅内国家担当者的な状況。自分の命可愛さも分かるけど自分可愛さで国民を裏切っては駄目だろうし、国民を守らないといけない。

でもそういうのほんと無理なのが世界レベルの国際情勢でやってるアメリカも自分がすべてで世界を支配したいだけ、世界や政治を支配したいじゃなk国民の幸せを考えないのかという話になると、反論する国民はテロリスト扱いで独裁コカの特徴で、民主主義すらも、普段の生活も難しいのにそういう国を本当に支えようとしている人を、力や金で買えようとしても無理じゃないか?
2026年01月08日
物事を引き継ぐことへの抵抗というのはすごく大きいのが普通で、それを行うにも手本みたいな方の存在が大事でそういう方たちを抜きにしては物事を引き継ぐことすらも難しいだろうなあと思う。自分自身がお金にならないことを一生懸命にやってそこからお金を生むという、ある意味日本の繊維業界の日本の古来や戦後のすべてを失ったところからの価値観そのものが宿っていないと難しいんだろうなあと思う。

一言にいうと限界が浅くなりすぎて普通を求めすぎていて普通以上のものが当たり前に普通に手に入って普通の暮らしができるのが最低限の感覚だと、そういうのって、昭和のサラリーマン社会の繊維業界そのものでもう過去の話で良いんじゃないのかと思うけども、そういうのがSDGs的にも美しく言われて、林与もSDGsやっている企業の方に一番駄目な企業みたいに言われてきた。

そういう方というのは林与のような人間とは接点のない方で、営利主義的で怖すぎて、SDGsを謳いながら損してまでやってられないのが当たり前というような、日本の繊維業界では恥レベルの経営者にも満たない感覚で、権威主義的な行政レベルと結びついての金儲けで、末端で働く人々を自分たちがどこまで救えるのかというと、救う気持ち置ない人たちが権威主義や働く気持ちもなく責任放棄で、日本の大手商社OBでカモ探しとかあきれる始末で、そういうのからも自分が日本を牛耳っているようにいわれている方も避けて、林与はマイナス44点、それでいて、数千万の銀行の借り入れもできないなら駄目ですと与言われて、それが本当に近江商人を語る伊藤忠のOBなのか?

自分の姪っ子の相手のブランド探しとか、あんまりにアホすぎた伊藤忠OBを語る逆に林与がマイナス44点でどうしようもないというような人のつながりも難しい、伊藤忠や丸紅が本当に自分の利益のために数千万の借金借金も背負えないなんて協力は難しいと言われて、本当にそういう爺さんは日本の繊維業界からはきえてほしい、借金を地場産業企業に背負わせて自分の身内に何千万の補助金事業というのが中小企業基盤機構で良いのかと思う。日本の繊維業界の歴史として一番残念だけど底まで日本のブランドれエルでも裏があり過ぎで、ほんとそういうブランドは日本から去ってほしい。

なんで滋賀県出身の方がそこまで食うのが伊藤OBなのかという問題でサラリーマン感覚過ぎて、逆に一番怖い存在で、近江商人の三方善すらもまったくないのが今の伊藤忠のOBの姿でどこまでもさらに滋賀県の企業に頼りながら吸っていきたいだけなのかで、伊藤忠や丸紅が本当に残念、でもそれほどに、伊藤忠や丸紅のような日本の勝ち組商社でも、日本の地場産業企業に借金を背負わせて自分たちが利益を上げないと生きて行けないような、日本の繊維業界の末路、本当に日本のブランドさんもそれくらいに厳しくなってしまっていて、関わるだけで数千万の借金を背負って利益誘導では困る話なのに、なぜか、自分がやりたくもないが協力の気持ちなのにマイナス44点とか。

日本の国のプロジェクトが借金を背負う先を地場産業に求めていて食いつぶして生きていくような日本のブランドのスタイルというのが本当に日本のブランドの末路をまさに、今は猿と蟹の戦いなのかと残念に思え、まあ、そういうの気持ち悪くて関西の繊維業界の重鎮と言われた方だったけども本当に、自分の損得でサラリーマンみたいな方だったのが残念で、いつも自分の責任を逃げて地場産業企業を馬鹿にされて伊藤忠OBの権威を振りかざして、伊藤忠ってそれほどすごいんですかという話。そこまで落ちララ伊藤忠こそが、一番金の亡者で食いつぶすでヤバい人生観やろ。

その方にそういうの伝えるのも林与くらいやろうと思うし、日本の繊維業界じゃなく世界の繊維業界を考えるときに、金儲けや権威が大事な人生観でやってると林与とはまったく180度反対で、滋賀県の地場産業的な麻織物を守りたい家業感覚というのは、今の伊藤忠の経営者とはまったく180度反対の感覚だから。こられたときにも、うんこ糞見合いにいわれてたそこまでいってた人はその方一人だけで、社会性も足りない人が権威主義で馬鹿にしながら自分のめいっこのプロジェクトの話で何千万出せないからマイナスとか、そんなん、最初に行ってほしい話で、誰も蚊皮q理たくない自分の姪っ子のためのプロジェクト、しろうとでもかかわりたくないし、日本の繊維業界の一番気持ち悪い末路が今の伊藤忠OBを中心にした国レベルの話なのかと思うと残念そのもの。日本のセインい業界の地場産業のまともな商売が衰退の原因になってしまったのかなあと思う。そういう泥臭さまで、近江商人の名前を背負っているだけに落ちたくはない。でもそういうのが日本の繊維業界の衰退のこの40年くらいだろう。あっていわれても林与がいうのは、ああそうですかとそれじゃむりですよねいうだけで、そういうのってどれほど相手がせかいてきんなブランドさんでも普通に同じ話だが、あまりに相手が日本人なのにほんと吸い取りたいだけで責任をすべて背負わせたいばかりでそれでいて自分の姪っ子にお金数千万流したいだけとか、やめてくれよ、ほんと、日本の国レベルならそういう甘さでいうこときけば成り立つのかもしれないが関わりたくもない。

関西の重鎮、日本の重鎮と自称してるような方でも林与はほんと毛嫌いして、日本の繊維業界をまともにしたいなあと考えてきたのは事実で、たぶん、日本の百貨店業界のトップでも林与のことを本当に一番だと信じて、林与にその百貨店のすべてを任せたいと言われながらも、そのあとの質問一つの答えがブランドが面倒をみるとか、ナンセンスで、エシカルエコでもうけたいとかいわれて、ドン引きで、もちだしするかくごもなく、国産100%とかで、百貨店のトップと会っても断るばかりをやってきて、ビジネスマッチングの話とか、本当に意味もない。ただそn方がエシカルエコで困っておられて林与さん救ってもらえないかという話も、2週間で日本のベストを尽くして撚糸企業さんの協力も得て解決したのだけど、たぶんいきさつもすべてその日本でも百貨店のトップの方が林与が一円のお金も貰わずに助けよとしたのだけど、林与それに林与の頼みを聞いて協力もしてくださった会社さんに対して、最初からできないならできないと言ってくださいよとか言われて、ほんと日本の百貨店の開発のトップでも難しい容易な日本の現状で、T氏は本当に本気な人だったと思う、林与が展示会に出ると10時一番に林与に合いに来てくださって全部、日本で一番の百貨店のことをすべて任せたいみたいな話。

でも、そういうのは本当に大丈夫なのですかの話を代表的な方にでも普通にして、でも、いつもお金儲けの気持ち悪い話ばかりじゃなくて本質的な日本の
2026年01月06日
筬も消耗品の一つで、普通の織物なら筬を挟んでも筬を逃がす機構が働きやすいけども、高密度織物などでは筬が逃げられないことが多くまた、シャトルも飛びにくいことがありがちで挟みやすい。筬の目の乱れも多少は修理が可能であったりする。筬の羽(歯、刃)は、上下が樹脂で固定されているので、目のずれが調整できるようにかまし物をかましてドライヤーを当てて熱で樹脂を溶かしてまた冷やすと、筬の羽を元に戻すことが可能だったりする。

完璧に治ることはないが、少しでも筬の羽の乱れを治せる。それでもダメな時には新しいものと交換するけども、交換した後の筬も、部分的に使えないことはなく、だいじょうぶなところを活用して、小巾の織物を織るのに使うことも可能だったりする。いろいろな部品を消耗品のように捨てるばかりではなくなるべく残しておいて活用することも大事だろうと思え、そういう辺りは今のものづくり関係では一番いやがったりもする。たとえば、半導体工場では、消耗品に寿命時間が決められていて、1定時間ドリルのビットなどを使用するとまだ大丈夫でも交換して、消耗品が折れたりしたときに発生する不良リスクを減らすという方法、そのためには、半導体工場の中には消耗品メーカーの人が常駐していて社員のように働いている。ファッション業界でいうメーカーから派遣されたマネキンさんという感じと似ている。メーカーから派遣されている方だから部品に関しても半導体工場の社員以上に詳しいし、部品に問題があったときには実際の現場でその問題を経験するから改善などの必要性も伝わりやすい。単なる販売員というのではなく、現場で現場の作業もしているので意味があると思える。それが現場にいてお茶のみとかだべってセールスだけとかなら邪魔なことのほうが多いだろうと言える。

今、日本では織物の織機メーカーも高速なウォータージェットやエアジェット以外の織機メーカーが消え去って、部品一つが手に入れにくいことが多い、また、一つの部品が中古織機の半分くらいの値段することも多かったりする。タイイングマシーンの中古のものはもう手に入れることも難しくなってきていて、故障したときに部品を手に入れることが難しいらしい。新品だと50年前でも300万円くらいはするものなので、一つの正規の部品交換でも10万円くらいは掛かることも普通にある。レピアヘッドなんかもヘッドだけで片側だけでも10万してしまうから、両側のレピアヘッドを交換するのと、中古の織機の出物を手に入れるのとは移設が容易なら、全体的に消耗が激しくなった状態の織機というのは、中古の状態の良いものに交換するのが良い洗濯だったりもするが、中古の織機というのも、まったく同じタイプのものならまだ何か問題があっても解決は容易だけども、違うタイプの織機だと問題が起こったときにまた部品を見つけることから大変で、予備部品を用意しておくことも考えると、同じタイプの織機以外がいろいろと増えることに関して、本生産が目的の工場としてはメリットは少ない。

林与も基本的には、同じタイプの織機だけども、それぞれの機の規格というのは異なっていて、一つの織機の調子がどうしても治らないときには、機を他の織機に乗せ換えて織るということも行うし、レピアで駄目ならシャトル織機の一つのタイプ、それでもだめならシャトル織機のもう一つのタイプと、いくつかの可能性を残しておくことで、なんとか量産を乗り越えられた経緯があって、織る前の材料を新しく全部準備したとしても、糊付けの加減などでまったく織れないというケースも今まで何度も経験をしてきて、またもう一度糸を用意しても同じ結果になることも普通で、1台の織機を調整するだけでなく、それでも駄目なら他の調子のよい織機に乗せ換えるなどしておろうとするようなことで解決になることも多々ある。でも、本当に駄目な糸の場合などは、調子よく織れていた織機に調整を加えることがあるので、今は支給の糸の仕事の話は受けないことにしていて、自分が自由に糸も代替をさがして動けるような話でないと、一つの仕事も糸に縛られて解決が出来ないことが多々ある。
2026年01月05日
この1週間ほどは冷え込んで、年末年始で周りのお家も規制されているので、一度足の違和感を治そうと横になって暖かくして休息することに、また、昨日は、もう5年ぶりくらいだろうか、彦根の極楽湯に行ってきた。最後極楽湯に行ったのが、1回700円の時だったので、もう今は土日だt1200円とかになっているようだが、帰省している弟が回数券を持っているから使って良いということで1回分使ってゆっくりと6時間以上滞在した。

なかもかなり変化していて、漫画喫茶以上に休息所も暗くして横に慣れたり、漫画などがたくさん置いてあり、リクライニングシートなどもたくさんあった。お風呂は、血行が良くなるという炭酸風呂や電気風呂、気分転換に露天ぶろやサウナなどそれぞれ1時間筒くらいは楽しんだだろうか、のぼせるといけないのでペットボトルの炭酸水も用意した。目的が足の血行やリンパの促進で違和感を無くすことなので、必要以上の時間をお湯につかりながら過ごした。

頭の中では、昨年も一年仕事をしてきてあまり布がすごく出来てしまっているので、それをどのように解決してゆくかということで、使える小物に変えて販売できないだろうかと考えている。今はリネンの糸も貴重なので、キズなどではじいた生地をどうやって生かして行けるかということが、仕事を循環させていく上でも大事なことで、昔から繊維業界のものづくり側ではやってきたこと。

一般的に、アパレルブランドは展示会受注形式で、サンプル、量産、追加発注というような、形でその都度、必要数量を納めるような形を好むが、今はサステイナブルな流れで、そういう生産サイドに在庫が残るようなものづくりというのは減っては来ていると思う。また、原材料であるリネン糸の価格が3倍くらいの値段にあがったことと、人件費などの高騰で染コストや加工コストも上昇してしまっていることなど、生産サイドはより苦しくなってしまっていて、アパレル向けというのはなかなか難しい状況ではある。

ウクライナ戦争が終わるまではリネン価格も下がることは無いだろうなあと、店頭からはリネンのアイテムが消えているような昨シーズンで、よりコストの掛かりやすいラミーの細番手の物なども店頭からは消えてしまっていたようで、この春夏生同じようなアパレルの傾向となるのだろう。世界も、2年ちょっとで流れは大きく変わってゆくだろうとは思うが、中国経済が不動産バブルの崩壊、ディベロッパー企業の問題だけでなく、日本の土地神話と同じく、マンションを買った人たちはマンションの資産価値は半分とか3分の1に落ちて借金だけが残り続ける、借金を返すための人生を背負った都市部のや田舎都市の多くの人の人生観は30年先まで同じだろう。

林与よりも若い世代の方のご不幸の話が昨年もあって、子宝に恵まれてこれからというときに若い人たちが不幸を抱える。そういうのもたまたま教えてもらったから知ることができただけで、そういうことも話さずにそれまでは林与と接していてくださった。これからの世代の人たちというのはもっともっと大変だろうと思う。
2025年12月25日
麻の小巾を織っておられたご夫婦が昨日見えられて、今の縦が織り終わったら仕事を終える旨を伝えに来られた。気にしておられるのは今まで取引のあった得意先のことで、続けて林与がその小巾の仕事を引き継げるのかどうかというあたりで、小巾織物にしてもそれなりに難度が高く、高い理由は、糸の番手が80番手や100番手であるということと、13mとかに傷が1か所でもあれば着尺生地としては1匹が丸ごとB反となること。

お話をしていても難しいというあたりは共通のところ。林与として今も手いっぱいなのになぜそういう仕事を受けようとするのかというと、もう産地では、そういうが産地から消えてしまうからという理由。林与は、昔は小幅織小野が普通だったし小幅織物もやってきた実績雄あるし、産地から産地の織物の特色の一つである和装の小幅織物の生産が消えてしまうということは非常に残念に思えてならない。

今の100番手にしても昔の100番手と違って糊付けをすると非常に硬くてもろくなりがちで、織ることが非常に難しく、長年織っておられたご夫婦でも80番と100番からは撤退するということを以前から表明されていたので、よほど難しさが募っていたのだろう、キズの問題などに関しては、得意先と共有が必要で、さらには自社の中に傷の部分以外を活用して製品化するような方法が必要かもしれない。

アイデアとしては、昔から考えていた案件が一つあるのでそれがうまくいくかどうかは一度試してみようとは思うが、誰もやっていないことを新たに立ち上げるというのはそれなりに試行錯誤も必要なので、しばらくの間は、使えない反物が増える結果になってしまうのだろう。問題を解決して乗り越えていくというのは絶対に必要な概念でそれができないとかそこから逃げるともう生地の生産自体が難しくなってしまう。トータルで麻生地を生産しつづけられるようなスキームが必要で、小物として活用できるような解決方法が必要であると思える。
2025年11月25日
集落の文化祭のイベントで、年配の方々で、林与の親戚筋の方々が多く出品くださっていたりで、趣味のものづくりの世界でも、今の普通の工業製品を超えているようなものを、自分の手で生み出されていて、ものをつくる作業を面倒だとも思わずに、創作意欲をもって動かれているのは、尊敬する存在で、自発的に自由な時間を自分で学んで追い求めて、そういう感覚というのが大事なのだという思いを持っておられる方が年配の方に多いのを感じる。

願寺の大奥さんも、別のお寺のご住職とも、つい集落の昔の話をいろいろと長話させていただきながら、林与が織物という地道なことを今もやっていて、手織り機と昭和のころの近江上布の見本切を100枚ほど、昔の集落の記録として出品させていただいたのだけど、昔は東円堂の農家ができる大事な手仕事だった織物というのを評価下さって応援のお言葉を頂いたり、今年だけのことだけども、手織り機なども置いてみて良かったなあと。子供さんも数人経験くださって、興味も持ってもらえた。

林与も歴史というよりも昔の人々の生き方が谷内間に関しては、昔の人がどういう考えで、どんな生活をしてきたのかという部分には興味がある。たとえば、海外にいっても海外の有名な観光地やホテルよりも、庶民的な人々のライフスタイルを経験したいと思うし、海外にいったときにも友人の家に素泊まりで構わないからと泊めてもらって、庶民的なお店での食事を楽しむとかが一番の楽しみの一つ。

田舎の集落らしい人の温かい心を育むみたいな気持ちで作品を出品くださってる方々が多いように感じた。そういう創作活動をすごく年配の方々というのは大事な感覚に思ってられるのも感じ、林与も昔ながらの産業である織物やってはいるので、すごく大事に見てくださっているのも温かい言葉を掛けてくださる方が多く、織物というんは一般的には衰退産業だったりするけども、一般の人々の関心を引き付けるには十分すぎるほどに特別な世界にみてもらっているのを感じた。

今年は役もあたって文化祭の主催側だったので、来場者の多くの方とお話もさせていただけるきっかけになったのが手織り機の出品で、たぶん、それなしに役として立っていても簡単なあいさつ程度で、いろんな昔の話や会話の機会も生まれにくく、手織り機のおかげで、皆さんとのお話なども弾んでうれしかった。ほんと、親戚筋の方であっても、普段はおはなしする機会もなかなかないので、ずっと来場者の誰かと話つづけていたみたいな文化祭当日だった。一緒に運営委員として動いてくださったみなさんも指示がなくても積極的にできそうなことをめいめいが考えて動いてくださって、自分ができることを探しながら文化祭を盛り上げようと動いてくださって、感謝の気持ちで、来年も自分が引き継いで役を受けてくださる方も見つかって、無理やりじゃなく続けていけそうな形で続いていってくださるのが人の気持ちも大事にしながら長続きするのかなあとも思う。林与も、運営で困ったことがあると感じた時には積極的に状況を共有するようにして、みなさんの考えもいただきながら、行事が良い形で良い思い出になるように、続いていくようには思う。

今日も、仕事なのに仕事も遅れて行くから大丈夫と行事の片付けに出てくださっていた7歳くらい上の方が、若い世代の人が次の役を受けるのが難しかったら言ってくれたら自分が受けるからと言ってくれたら受けるからと言ってくださって、いろんな事情で若い世代の方々が役を受けにくいのも理解くださるだけでなく、自分が受けてやるからと動いてくださろうとするのは、次の世代にとっては本当にありがたいことに思える。
2025年11月16日
昔、ある小学校に縫製教室みたいなことでミシンをつかう授業をサポートする役割、男の子が遊んでいる版があって、そこが問題ありすぎて誘導が必要だと思って、遊んでる子たちに話に行く、「自分ら遊んでてどうするの?」「やりたくない」という返事。将来も遊んで暮らすから別に同でもよいという。そうかそれなら仕方ないなあと思って見放す。

一方で、ミシンの準備を一人分かってしている女の子がいて、教頭先生がすごい高い評価をしておられるが、準備ができたとたん、遊んでた男の子たちがミシンを、「おいどけ」といって1番に使い始め、準備してた女の子がそのミシンを使い始める前に、チャイムがなってお昼。

こんな理不尽なことは子供が子供時代に経験するというのは気の毒すぎて、チャイムがなって他のみんなが給食の準備だと動き始めるも、林与は少しでも縫えるように付き添う、女の子も焦っていて、それも分かるから「大丈夫、大丈夫」と応援しながら付き添う。ある程度まで縫って、後は家で縫うから、「あなたはほんとうにすごい」よと能力有りながらすべての苦悩を背負ってるのを感じる。

校長室にいくと、校長先生が、「困るんですよね、時間くらい守ってもらわないと、府警から文句があったらどうするんですか」と、言い訳もしたくないが、気の毒な女の子に共感できるような校長先生でもないから、「事情も説明せずに、本当にすみませんでした」と謝って終わる。

翌年別の小学校に行くと、学年主任の年配の先生が母親の実家の向かいの方で、ほんとこの学校の子供はやんちゃでご迷惑おかけしますと、でも、すごくいい雰囲気のクラスが多く、でも、最後に校長室に呼ばれると、この前の校長先生が転勤されていて、えっ、これって何なのと思ったが、転勤されて、新しい小学校にということらしい。なぜか、今回は私に対して非常に丁寧な対応。小学校のトップじゃなく、現場の年配のまともな先生のほうが力を持っていてまともな感覚があったということ。

でも、その学校でも新任の一人の若い先生が、子供たちに一言の自由な感情もださせずに、校長先生の影響だろうと思う。年配のまともな先生は校長先生でも押しつぶせないが、新任の先生が校長先生にいちびられいうこと聞くように仕向けられている感があった。犠牲になるのは生徒たちで、4クラスの内、一番メンタルが弱そうな担任の先生だけが、ひとことの自由な発言もゆるさないみたいな戸塚ヨットスクール状態。

校長先生が仕切ることができないので、弱い新任の先生をターゲットにいうことを聞かせてる結果なんだろうと思えた。よくある大人の事情で、責任老いたくないできないトップ程弱い連中をいちびって手下にしてその犠牲が生徒、1年とか2年地獄が続く。担任の問題化もしれないが、校長の問題だろうと思えた。

好きに自由にさせて無責任な校長ほどまともにやろうとするのを縛ろうとして自分個人の評価を気にして、子供たちのことを考えてもいない、村社会のなかで有力者に媚びて生きる人生観なのだろうけども、子供たちが犠牲になって、まともな教育が教育委員会や校長レベルからして小学校にないのを感じた。

校長が親から自分の立場を脅されているのは分かるけどもそのしわ寄せを小学生に解決させるというのはあまりにも理不尽過ぎて、教育って上層部ほど保身で腐ってるなあと本当に思え、小学生の手本にもならない。

たぶん、そのミシンを準備した女の子が自殺などせず生き残れれば、小学校の校長でも逃げて解決できない現場の問題を一人被って解決しているんだから、狭い大人社会のどうしようもないのもはねのけて、大人になるまで生き延びて外の世界の自由で活躍できるを味わってほしいなあと思った。田舎によくありがちな村社会的な陰湿な構造だったりするが、そういうのを幼少期から経験させる年配者たちというのも存在自体が日本の将来のためにならない。
2025年11月12日
地場産業というのは苦境にあって、それが30年前の戦後のひと世代のバブルの問題も今も背負い続けて、日本で一番駄目な経営といわれる。お金儲けするだけなら、大風呂敷広げれば簡単なのだけども、業界の本質的な価値観をそれなりに持っていないといけないと思う。

繊維業界でも金融業界でも、海外から輸入したものをすべて日本で一貫生産したと、絶対にありえない話で急成長して日本の繊維業界の神、企業にいわれている企業があるが、林与がその会社の名前を聞いてもまったく知らないし、また、その会社を知ってる人に聞いてもあそこはほんとうかうそかわからんという、金儲けのために金儲け主義の金融機関に締め上げられて偽装に走ってしまったんじゃないのかと思う。

林与も、地場で貫いている部分もありながら、アウトソーシングとか、金儲けだけを勧めるのが地銀的な金融機関で、地方銀行が偽装と強要しているような側面があって、そういうのが地方銀行でも問題になったスルガ銀行のかぼちゃの馬車とかで、地方銀行が国から有料認定を受けようとすれば地場産業にアウトソーシンクしろみたいな、えっ、地銀さんが偽装企業を最大に評価して金儲け主義でそれに従わないと潰されてしまうのかという悩みもあると思う。

消費者の方、通販とかで売られてる何万円のものと中国から仕入れる2000円の物が、同じクオリティなのに謳い明けで、日本では地銀さんレベルで優良企業に認定とか、銀行員も偽装を生みだしてしまうだけの存在で、普通にまともな商売やったら日本で一貫生産なんて全く無理なことも分からんとあかん。1000円で仕入れたものを4万で売る商売が日本で地銀レベルでも滋賀県で最高の企業とか、熊本のあさりとおんなじ話でしかない。名前は伏せておくが、そんな企業を紹介してくれと頼まれるけど、地場では誰も知らない企業で、詳しく知ってる人もほんとうかうそかわからんという評価。でもそういう企業が金融機関的には一番勝ち組のホワイト企業で、日本の縮図。

林与でもそれをやろうとおもえば謳えるけど、地元の人からそんなことやったら滋賀県の名汚しに終わるだろう。でもそれほどに、滋賀県の地銀レベルがそういうのを最高な企業として評価して林与ともマッチングしようとしてたりで、本当に地銀さんも熊本のあさり偽装が優良経営で最高みたいな状態。それに陥らないように、いくらそういうのに誘導してもらってもそこまで落ちないように、苦行を背負うの覚悟。
2025年11月11日
昨日、一昨日と、最後、夜に整経機の巻き取りができないトラブルがあって、その問題を解決するのにへとへとになってしまって、その後、ビームを手伝ってもらって2Fから下ろしたのだけども夜中を回ってしまって、仕事しているとトラブルが多いのものの、今日の整経機の巻き取りのギアが回らないトラブルも、1時間くらいで解決することができたが、解決できなかったら数日とか数週間悩む話になる。

遊びの大きい部分があったので、微妙にネジが緩んだのが原因だったのだろうと思え、何か所か他の部分も触ってみたけども、あまり効果がなく、その部分をきつく締めることで遊びがなくなって、正しく巻き取りのギアが入って回るようになった。大きなトラブルに発展しなくてよかった。へとへとになりながらも少しの時間のロスで済んで助かった。

整経機もいざという時のために同じタイプが2台あるが、普段使いの調子のよい小型のほうなので、それが動かなくなると林与の麻織物の生産も作れなくなるものが多いだろう。麻の整経というのは綿の双糸の整経の何倍も難しいと思う、特に、巻き取りが難しく、麻糸の整経をできる人というのは少ないだろうと思う。林与も麻糸の整経を自分自身が出来ることで可能性は広がる。

同じ作業環境というのはいくら似たような道具があっても、それぞれの道具によってノウハウが異なってきたりするとか、経験値がないと求める結果にはたどり着かないなどあるので、今の環境というのはどんなに古い環境であってもそれなりに大事な一つの形。巻き取り時に使う道具のネジでも、今のスチール製のものでは巻き取り時の負荷に耐えることはできず、その鋼鉄ネジですら数年探し求めて見つけて、使うと、簡単にしっかりとしまって粘りがあるというか負荷にも強く何回閉じ閉めしてもガタがこない。もう手に入れるのは難しいような市場から消えてしまっている掘り出し物。そういうのがたまたま手に入ることで毎回毎回の苦悩から救われる。

見つけた時にボルトとナットとワッシャーを15セット位まとめて買って、一生、その巻き取りの道具の鋼鉄ボルトとナットには困らないだろう。たまたま、思っていた通りのものを見つけることができたそれは本当に幸運。整経も30年くらいの経験はあるが、そのボルトが緩んで通算何100回と途中でビームの位置がずれてしまったり、締め直したりで難儀してきたことか。たとえば600回として1回10分として6000分、100時間を使うだけでなく、毎回、心配や体力の消耗につながる。

普通の織物ならそれほどの負荷は掛からないけども、麻織物で高密度物などを作るときには、巻き取るときのテンションも強いので、どうしても整経機にも負荷が掛かってしまって、10回くらい締め直す必要があるだろう。
2025年10月23日
日本の線業界の限界を支える覚悟がある人がいるんかという根本的な問題。この意味が分かる人たちだけが日本の繊維業界を背負う覚悟ながらも、気軽に謳ってやったらよいんじゃないかと思うくらいに、ビジネスだから損得が大事を聞いてき過ぎて、気持ち悪すぎて、やめたほうが伊野じゃないのかと、ビジネスライクな日本のホワイトな感覚で、それそのものが日本の数百億円の議員献金に消えてるだけで、奴隷制度が単なる政治の勝った負けただけで済むような働いている人たちが奴隷レベルな行政的な日本にあるのが本当に残念過ぎる。
2025年10月23日
22日から急に寒くなって、Tシャツと短パンでの作業だと寒さに震えるくらい。衣替えをする時期。、もう10月も後半で、寒くなって来ても当たり前なのだけども、今年の暑さは本当に長かった。

この3か月くらいずっと作業続きで作業ばかりしてきたのだけども、一つの急ぎの仕事があって、その仕事を勧めるために、横糸切れを感知するフォークを他の織機から取ってきたりすると、他の織機が動かせなくなるので、急ぎの仕事しかできなくなってしまう。そうすると並行して仕事W勧めることができなくなってしまって、遅れる仕事が多くなる。

また、問題が急ぎの仕事にあると織機の調整を頻繁にするため、これも仕事を並行して動かせなくなる原因となる。うまく織れなかったので止めておいた織機もずっと張り付いて居るという作業になってしまって、その一台しか動かせない。

織機も無理をさせて鋳物が2か所壊れてしまったので溶接する必要が出てきた。シャトルを挟みがちだったのでステッキを叩くのを強くしたのが原因だったとは思う。ここ3か月くらいはシャトルが壊れていないことはうれしいことではある。

まだ、織らないといけないものがたくさん残ってはいるが、それが終わったら、一度リネンガーゼの鋳物の交換なども行わないといけないが、ちょと大掛かりに作業になりそう。暑いのより、寒い方が着込めば良いので雪が降るくらいまでは作業もしやすいだろうと思う。
2025年10月15日
自分で行動できない人は他の人についてゆく方法を選ぶだろう。たとえば、旅行もガイド付きの旅行が安心だという人が多いだろうし、それが一般的。個人で自由に旅をするは目的意識が強く行動力がないと難しい。食べ物を食べるにも見知らぬ土地で言葉も通じないのに、おいしそうに思えるお店に入って食べ物を頼んで食べる。

価値観が異なれば同じことをやっても、意味を感じる人と意味を感じない人とがあるだろうし、意味を感じられる人だけがそれに関わればよいだろう。意味を感じない人がいくらやっても難しいだろうし。

自分の興味のないことでも、付き合いで関わることで世界が広がることも多かったりする。例えば、林与は若い時も授業は必ず休まずに出るというのを心掛けていたけども、授業で午前中にクラスでサンディエゴのダウンタウンに劇を見に行ったときに、ウェイルウォッチングに誘われた。授業に出るつもりだったんで断るべきだったけども熱心に誘われて、興味がなかったウェイルウォッチングに言った。30ドルほど払って船は揺れてて船酔い続出で、クジラも尻尾が1回見えただけでくじらをみて楽しむこともできなかったけども、誘ってくれた人たちというのは私と一緒に時間を過ごしたいと思っていてくれたのだろうし、そういうのって本当に幸せなことだなあと今も思う。

授業をさぼって先生たちとは気まずし気がしたけども、ウェイルウォッチングをみんなで見に行ったんだという話をしたら逆に喜んでくれていた。自分自身で社会に溶け込んでいろんなことを経験してみるという実践的なことだったから、語学プログラム的には評価はできることだろう。

サンディエゴでも一人で住もうと部屋を探している話をしていたら、急に初めてしゃべったばかりのクラスメートのオーストリア人のエトガーが一緒に住もうということになり、その話を聞きつけていたもう二人の女の子たちも一緒に住もうということになり、林与的にはそんなつもりはまったくなかったことが急な展開で、国がバラバラの4人が一つのアパートを借りて住むことに。そのおかげで毎週末はどこかでパーティーに誘われたり、イベントで、たぶん、他の日本人の学生からみればすごく恵まれた存在だったと思う。ジャグジとかテニスとか、無料で楽しめることはそういう仲間と一緒に毎日のように楽しんでた。

ある意味、林与も自分では行動できないタイプの人間だったのかもしれないが、そうやっていろんな経験をしていくうちに、自分で思ったことはやってみる派の考えになれた気がする。アメリカで自動車の故障のいろんなトラブルを経験したから、自動車はおんぼろでも問題なく走ればよいという考えだし、パソコンも昔は純正の正しいものが欲しかったけど、自作PCを経験したりすると、別に動けば良いという考えになって来る。今も10年以上前のノートパソコンを買い替えして使っているが、普通の人よりも何倍も活用しているだろうと言える。別に落として壊れたとしても、データさえ大丈夫なら、同じのを安く手に入れてSSDを交換してまた元道理にできるし、中古なので気軽に分解して、問題のある部品を交換してあげればよいと普通の人とは違う感覚で故障も気にすることなく使える。

こういうのってSDGs的なことだろうけども、SDGsの人たちというのはお金儲けが目的なことが多いので、こういうのは推奨されないSDGsだったりするだろう。

イタリアの展示会にいったときも、1週間ほどぶっつづけで働いて、食べるものもほとんど食べてなく、やつれはてて、織機から飛び降りた時に左脚をぐねって多分骨折だったけども、かまぼこ板あててガムテープでぐるぐる巻きにして靴もまともに掃くことができない状態で、なんとかイタリアまでたどり着けた。イタリアの展示会場の食べ物はサンドイッチ一つで10ドルくらいとかでむちゃくちゃ高いので、ホテルのビュッフェで2時間くらいたっぷり食べて数日で5kgくらいは体重が戻っただろう。旅をしていても、カフェテラスでコーヒーを飲んで時間を過ごすとかが好きで観光はあまり好きじゃないし、食べ物にもそれほど興味がないので、スーパーで食品の飲み物を買ってホテルの部屋で食べるでも構わない。荷物も展示会の時はスーツケース2個とリュックだけども、海外旅行もノートパソコン、パスポート、クレジットカードをパソコンバッグに入れて出発が多く、スーツケースが無いのでいつでも自由に動き回ることができる。現地で自分自身の土産代わりにTシャツや靴下など買うも良いだろう。
2025年08月17日
先月末のビームを運ぶ時に転んだのからは2週間ほど経って徐々に治ったのだけども、チェウィンチ付のクレーンを設置したのだけども、それを設置する時に、コンクリートハンマーを使って床に穴をあけていた時にコンクリートハンマーをしっかりと固定していなくて、コンクリートハンマーが回りだして左ひざを3回くらい打ちつけた。

打撲みたいな感じなのだけども、日が経つごとに痛みが増してきて、膝を延ばしているとよいのだけども、膝を曲げると痛みが走り、また、数週間は回復までに掛かるだろう。しかしながら、いろんなことを自分でやってみると、思っていたことの結果が見えてくることが多く、思っていた通りに行かないことにも気が付く。

物事というのは足し算では語れなくて、失敗なんかもあるからその分も考えて、帳尻が合うように考えておかないと成り立たないもので、今回のウィンチ付きのクレーンの設置にしても、やってみたかったことだけども、最初は床へのアンカーボルトの固定にコンクリート用ボンドを使用したのだけども、2日たっても固まらずにアンカーボルトを手でさわるとぐらついて抜けてしまうので、急遽、コンクリート補修用の速乾性のモルタルを使うことにしてしっかりと固定できるようになった。2Fの床も15cmくらいはあるだろうと思っていたけども、5cmくらいしか床の厚みがなくて、5本のアンカーボルトを埋め込むのだけども、150kgくらいのものをつるすのに、安全かどうかという問題があって、それに対する安全対策も行う。

実際に1本ビームを下ろしてみたけども、十分に重さには耐えることができることが分かったけども、思ったよりは二人がかりでの作業でも手間が掛かる。今までのように、ビームをもって階段を下りる必要がなくなったので、安全性は向上したけども、さらに、安全にビームを1階に下せるように対策は必要。

仕事をしていて、今までも5年に1回くらいは足をぐねったりして、3か月くらい完治に掛かることもあったけども、今回のはたぶん2週間くらいで痛みも引くだろう。工場にあるクレーン式のエレベーターを使えるように直すのが一番よいのだろうけども、エレベーターのかごが変形してしまって、レールも外れやすくなっているので、過去に修理をなんどか依頼したけども溶接が必要で、織物工場で火花を使うのは怖いということで業者さんには断られてしまった経緯がある。
2025年08月06日
ラベル協会みたいのが本当に気持ち悪くて、せっして、そのラベルが本当だったらまだよいけど、本当でもなかったらの話をすると、すぐに逃げられるような状況で忙しいばかりの話で、日本の繊維業界がいわゆるマルチビジネス的な金儲けになってほしくない。

でも、日本ラベルなんちゃらとか日本オーオーニックなんちゃらとかが、日本で地道に本質を守ろうしていて、それでは駄目じゃないのかと忙しいけど電話しても、なぜか、まあいわゆる月1万の代行の事務所で良いんですかと、ラベル協会の対応が、それが日本の繊維業界を背負うかくごあるのかとおもうけど、松本さんほんとやめてください、日本の繊維業界にとってはマイナスです。

日本の繊維業界を培って支えてきた人たちのことも分からずにじぶんたちが食って食べたいだけのなんちゃら協会は本当に日本の繊維業界のマイナスになるのでやめてください。通訳としては優秀な方でそれなりに人脈もあるのかもしれないけど、自分がたべていくだけの感覚の方で死なないという認識で、そういうは他の日本の繊維業界を背負ってきた人がぜったいに言うことのない、階級社会的な上から目線で働く人を馬鹿にしているだけの繊維の世界観。

ほんとMさん語学は堪能なのだろうけど食いつぶして働いている人を馬鹿にして、ラベルとからなら、ってほしい。松本さんですほんと申し訳ないけど。エシカルとかサステイナブルとかいいながら、林与が従業員を支えようとしている気持ちすらも分からずに、なんで松本さんが上から目線で駄目ですとか、実際に作業して従業員も支えようとしていても聞く耳も持たず、忙しいのに話なんて無理ですよとか、そういうのが、ラベルビジネスでエシカルエコで良いんですか、松本さんが一番、エシカルエコ的にはいちばんきつくて、働いている人を権威主義であしらってて林与的には一番だめなエシカルやエコな怖さで、エシカルやエコを食いつぶさないでほしいです。一度話もしたいですけど。
2025年07月31日
戦時夜中までぶっ通しで作業をしていて、へとへとのヘトヘトで、重い糸を巻いたビームを運んだら倒れてしまって、大きなケガではなかったんだけども、体力の限界まで来ているときに倒れたので、すごく力を使ったようで、太ももがひどい筋肉痛。

横に寝て、起き上がるのも難しいほどに脚の筋肉痛がひどくて、仕事もしないといけないのに、困った状況。立ち仕事が続いているけども、かがんだりすると体を支えられないほどに両太ももが痛む、かがんだりした後に立ち上がることがすごく難しい。

1週間くらいは、この状況が続くだろう。暑さも究極で、体がオーバーヒートしているような感じで、体を冷やすために冷たいお茶や、スポーツドリンクを飲むのだけども、すぐにまた水分が欲しくなる。

昨日は、全国で最高気温を更新した場所が多いらしく、日本の過去最高気温も塗り替えられたそうである。地球温暖化は、多分、地上に日影が亡くなってしまっているからだろうと思う。木々を伐採して、新しい住宅地をつくったり、また、道路を作ったりして、そこに車が走ったりして、車も走るだけでなく、冷房も必要で、エネルギーを放出しまくる。

CO2だけが悪者に言われがちだけども、冷房も地球温暖化には貢献してしまっているだろうし、暑いと冷房を使うことになり、それは悪循環につながる。でも、人類は昔には戻れないだろう、子供の頃から冷房が当り前だと、体が気温に適応が出来なくなる。

普段、冷房に慣れておられるお客さんが林与に来られると、今は事務所の冷房も壊れているので、窓を開けるだけ、部屋で座っているだけでも耐えられないほど暑いと思う。林与の場合、仕事をしていると暑さ寒さを忘れるほどに作業に集中するタイプなので、作業している間というのは作業し続けることができるが、体力は相当消耗してしまっている。
2025年07月11日
京都駅近くの早朝6時に、学生時代によく食べた第一旭のラーメンを食べに入った。昔みたいに年配の人ばかりが働いている店内ではない。学生だった当時は、昭和の中頃の雰囲気を残して気合の入った感じのつくってるおっさんたちというのは、怖い感じもしたものだ。今は、一人は年配で他の人たちは若い店員が5人くらいいる。アルバイトの店員だろうか、昔とはちょっと違うなあと思いながらも、とりあえず、チャーシュー麺の食券を買って、大が食べたかったが大がないみたいで。

本店ってやっぱりチェーン店とは違って、スープは昔からのままちゃんとつくってるのか、肉からでたようなアクっぽい臭みがあって、そういうのがおいしい。壁を見ていると特製ラーメンというのが1080円であるけども、チャーシュー麺と同じやろか。券売機にはチャーシュー麺しかなく、特製ラーメンはなかった。

学生の頃に食べたものを今もおいしいと思えるのっていうのは、幸せなことで。当時はチャーシュー麺は750円くらいやったと思うが、今は1080円。消費税も入って1080円やから、980円くらいで、そんなに値上がりしていない。すごく有名なお店なのに、狭いままで、ああいう食堂っぽいたたずまいを残して俗化していないのがよい。

麺をゆで上げるのは年配の方と一人の若手の方がやっておられて、その若手の方は名店の味を守るのを許可されている重荷みたいなのも分かっている感じ。気軽な気分ではやってないのが伝わって来る、というのも、その70くらいの年配の方が、一番働いていて任せられそうなこともいっぱいあるのに任せないで、一番大事な部分を背負ってられる。任せにくいのだろうし、任せてしまったら終わってしまうのだろう。

隣には新福もあって、新福もこじんまりとしたまま、お店を守っておられる。昔から第一旭も新福も京都では天一の本店と並んで有名なラーメン店だったけども、チェーン展開して日本中に有名になった今も30年以上前のままのたたずまいであることがうれしい。昔からそんな感じで、金儲けとかそんなんじゃなく、ラーメンをつくることに本気な人が守っている。京都のラーメンの老舗の御三家的な本家が質素すぎる家内ビジネス的な佇まい。

メディアは騒いでもそれはうわべだけのことで自分たちは本店であることの自覚みたいな、駐車場もない本店たちが、お客様に早朝営業や深夜営業やサービス精神を貫いて、京都のラーメン業界の御三家で、生きる厳しさみたいなもので本店が成り立っているというのは、学生だったころにもこれで儲かるの大丈夫なのという思い、フランチャイズが朝5じとか6時とからやってますか?そういうんがフランチャイズと本店との違いで、朝の5時からやろうとすれば閉店後の夜中に次の日の分を仕込んでが当り前、名店の本店でもそういうんを背負える人は一人の人しかそういうのは背負えないだろうと思うし、働き始めた日からすべてを背負う覚悟の人たちがやってるだけのことだと思う。
2025年07月03日
和装用の小幅織物の案件で、他の機屋さんが織っておられて高齢になられて、細い麻糸は難しいということで、お話をいただくも、林与もキャパがないので、年内はもちろん。半年から1年くらいは絶対に取り掛かることができないという状況。新規のお仕事のお客さんは基本今はお受けできない状況。

仕事があっても仕事を成り立たせていくということの難しさみたいな部分があって、やってられた機屋さんとお話をさせていただいても、同じような話で、今まで続けていたことでも年々、糸は弱くなっていくし、価格も上がってゆくし、また、織りあがったものの問題などの対応も大変になって行くというあたりの話をされている。

小幅織機を専用にして織られていたものを林与の織機で織るにしても、糸番手や密度に応じて、開口の高さや広さや、打ち出すタイミングや打ち出す強さなどを最適化しないとならないし、小幅織物というのは、着物向けないので10m以上、無傷が基本。糸自体が汚れていたり節があったり、糸切れ一つで10mの反物がB品、C品となる可能性も高く、織だけでなく、糊付けや加工などでも問題が起こることがある。

産地でおられてきた麻織物なので、この産地で麻織物を織るということには特別の意味があると林与自身も感じてはいる。麻の産地の麻織物みたいなのに意味を感じてくださるお客様も多いし、バルク生産の麻織物の話をするときでも一定以上の水準からの話になり、麻織物であれば、どんな糸でもよいとか糊付けでもよいとか染色でもよいとか加工でもよいとかじゃない。裏付けされた経験と実績で産地の麻織物というだけでなく日本の麻織物の水準的なものを形成していると思う。

大阪とか東京にいくと、海外の麻生地が手ごろに普通に流れていてそれが商業的な普通の繊維業界のバルクで動く話。繊維の業界というのも昔から品質偽装と産地偽装というのが、一番くらいに行われてきた業界で、江戸時代に近江商人が行商で近江の麻生地を自分の足で全国津々浦々に運んで、それを売って得たお金で全国津々浦々の特産品を買って滋賀県に戻る前に京の都で現金化してまた次の麻織物をつくる人々を支える形となった。

今回のご縁にしても、地元のある方が後ろで動いてできなくなる話を続けようとされるのを、できるんじゃないのかと織て買い手作りても含む3社とかが、関わっていない林与に託してくださっての案件なので、何十年も地道に続けてやってこられたことを終わらせることなく引き継げたらなあと思う思いはある。

織ってやってこられた方が、お客さんに迷惑になるといけないのでまえまえから将来的にはできなくなるからということをお客さんにも伝えられてできる所までやってこられたというのがそれがほんとすごいことで、そういうのを担うというのは、当たり前に京都の和装業界で通用する一級品の麻布を担った時点から作らないといけないということで、林与も若いころから小幅織物もつくってきた経験はあるし、それでも厳しいなあと思いながら和装の業界は和装の方に任せておいた方が、そういう業界も守られて存続しやすいのではないかと考えて、自社で小幅織物を林与自身が販売するために織ることはあるけども、頼まれて5年ごとくらいごとに受けてやってきた程度。

ひと世代後の林与というのは産地でも若手の一人、55歳で若手なのだから、でも、一回の仕事の重荷というのは今の若い人だと背負うことは何十万円も失敗したら相手にご迷惑かけたり、自分が仕事して背負わないといけない話で、もう一回何十万も使って形にできるかどうかわからないとやらないのにやらないといけない。そういうの若い人ができるだろうか、林与は若い時からそういうのが当たり前であったからできたけども、他の人のために布をつくるために時間とお金を使ってリスクを背負えるような人って少ないだろうと思うし、そういうのを知識も経験も実績もなくても受けて、結果を出せるというのが、経験と実績を積み、知識も経験のなかから育まれてゆく、順番が違う、やり方を教えて教え方が分かりにくいとか、説明がどうとかからはじまる現場だと、高度なものづくりなんて無理で、自分がやってこられた方に敬意を払って教えてもらえるか確認して教えてもらえるなら感謝しないといけない。教えてもらえなければ自分が試行錯誤して最善を積み重ねて、お客さんの求めるものに近づけないといけないし、和装ものも最後は化粧して販売されるのが普通なので文庫に綺麗に収まって、実績を積まれて来たものと同等のものでないと、駄目だろうと思うし、そういうのが高品質を維持して産地のものづくりを続けていくということにもつながる。そういうのかんがえなければ我流で、これしかできませんみたいな、素人に近い、今までやってこられたものとはまったくちがう世界になってしまう。

匙加減、味加減というのはつくる林与ができたりはするけども、小幅織機で織ってこられたものを広幅織機で幅を狭く織るというのは林与的には実績もあるけども、小幅織機の3倍のスピードでシャトルが動かないといけないという問題が付きまとう。そういうのも分かる人にはわかる話だと思うし、林与も50年前の小幅織機を10台以上寝かせてはあるので、そういうのを立ち上げるも、できないことはないけども、なんせ、そういうのをできるのも林与が動けるかどうかの話につながる。そして結果が出せないとぜんぶ背負う話で、他の人に任せるというのも難しい話。

こういうの背負うというのが仕事をこなしていくという当たり前の話だろうけども、そういうの背負ってやっていける人というのがいるのかどうか、最初から本番の一級品をつくるのが当り前の今の日本の繊維業界のレベルの高さ。趣味とか好き嫌いとか、気分とかのもんだいじゃなくて、責任感持って業務をこなして結果を出せるかどうかという仕事の感覚。時間から時間の仕事感覚じゃなくて、結果が出せるかどうかで出せなければマイナスという仕事としての現実的な話というのは、今の時代の繊維業界に関わりたい人が受け入れることはまったく難しいと思うし、関わらないほうが良いだろうと思う。今までやってこられた方々の仕事意識の高さというのは、今の日本の仕事感覚ではまったく理解もできないだろうけども、そういうのが日本の繊維業界が世界でも一番すごいみたいなのとつながっていて、今はそういう日本の凄いのイメージを取りたい人は多くても、自分自身が働いて生み出して行かないとなると難しいだろうと思う。



2025年07月03日
とうとう7月2日に念願の鬼ヶ島といわれる女木島を訪れることができた。岡山の納品のあと、1日ぶりくらいの食事をすき家でとった。いつもは、ヘトヘトでペコペコのときは、キングカレーなのだけども、今回は、キングカレーが甘口になってしまっていて激辛ソースを自分で使って辛くするみたいな感じで以前のような、食べると辛さで体がリセットされるようなスパイシーなものではなくなってしまっているので、今回は10年ぶりくらいにキング牛丼を注文。

2時間以上かけて休息も金ながら食べて、車の中で休んでからと思いながらも、納品に来るときに降った小雨も落ち着いたようで、疲れているはずなのに食べた後なのに眠くなく、夜のうちに香川県に移動できるだけ移動しようと思って、瀬戸大橋を渡って下りたインターの出口のコンビニの駐車場でコービー休憩で朝を待つことに、朝は5時くらいから動き出して、高松港周辺の駐車場と乗り場の確認など行って、高松港周辺の雰囲気もうろうろとしながら習得。高松も都会やなあと思えるほどに高松港周辺は発達していて、瀬戸内海の海運の1大の拠点みたいにもなっている。

駐車場も6時間止めたら、上限なしで3000円とか4000円するところから、10分ほど歩けば1日300円のところまであって、12時間450円のところに決めてとめて、簡単な朝食をとってから、8時の女木島行きのフェリーに乗った。朝食を取りながら決めていたことが、レンタサイクルをすることで、電動自転車が1日2000円で借りられるというのを知って、1000円ならまだしも2000円は、ちょっと高いかなあと思いながらも、洞窟までの往復バスが往復で800円だから、1200円で女木島での自由な移動手段を確保できるとするならよしと思って、島についてまず、電動自転車のレンタサイクルした。

他にも観光客はそれなりにおられたけども電動自転車を借りているのは林与だけで、鬼の島洞窟へは他の方はバスで行かれるのだろう。電動自転車を借りる時に、借りる場所のおばちゃんが、電動自転車の乗り方と、島を一周したいというと、丁寧過ぎるくらいに10分以上ルートを説明してくれた。これが本当にありがたい結果となって、鬼の洞窟を1番に目指すではなく、南の下のほうから海岸線に沿って下って、山の中腹を登って鬼の洞窟を目指すルート。電動自転車のバッテリーは絶対に1日くらいは持つからという話で、下から攻めていくことに、お天気がよくて、海岸線近くを辿りながらも海岸か山道かの選択で、ほとんど走っているのは山の上りの斜面という状態が鬼の洞窟まで続く。

これ、歩きだと絶対に無理だろうし、フェリーにハイエースで島を散策も考えたけども、そういうのも自動車では通れないような舗装はしてあるが車道幅もない山道が続いているだけ、まさに電動自転車が神さまの乗り物のようで、林与一人が島を縦横無尽に動き回っているようなモード、島の住人らしい方ともほとんどすれ違いなどもなく、漁業と観光の2本柱で、日常生活も急斜面が多すぎて車もバイクも自転車も使わない徒歩で移動する程度の田舎の集落の中の生活みたいなもので、1時間くらい掛けて山道を走って鬼の洞窟までにすれ違った人というのは、徒歩でハイキングする感じの2人の女性だけ。

林与が興味があったのは転がっている山道の石で、緑色をしていて尖った形状で、ほとんどが瓦を割ったような石なのである。こういうのは、いわゆる火山性の岩石が川を流れて丸くなったような形状ではなく、出来上がって割れているだけの状態のものがゴロゴロとしている。オリーブ柱状玄武岩質的なものということらしく、山道においてもその石の性質を確認しながら撮影しながら鬼の洞窟へと向かう。

バス停付近の鬼の洞窟の登り石段の入り口につくと、まず、山の頂上の展望台に登って、日向ぼっこしながら、ここで1日過ごしても良いくらいの眺めというよりも、バス停から展望台に登るだけでも、きつく疲れるほどで、いやほんと、昔の鬼も、こんな頂上付近に住むなんて大変だったろうなあと実感。

なぜ、山頂に住むのかというと天守閣的な意味合いがあったのではなかろうかと、下から登ってこないと駄目な場所だと、上にいるものが絶対に有利で、しかも石を投げたり岩を上から転がすだけで武器になる。洞窟の中も、今は照明で照らされているけども真っ暗にすると初めて攻め入ったものは圧倒的に不利。

なかに大広間の部分に大黒柱といわれるものが2つあるけども、その下が削られていることを考えると、まだ大広間の大ホール制作途中で放置されたものと思われる。なにがあったのか、多分、コロナみたいな肺炎的な疫病が起って洞窟の中での暮らしが難しくなったのだろうと思う。そとが30度を超えていても中は15〜18度という、ミストが漂う、天然のエアコンが効いた状態で、中で疫病が蔓延すれば、洞窟自体が亡ぶ。

なぜ、このような巨大洞窟が人の手で掘ることが可能だったかに関しても、玄武岩が衝撃にもろく割れやすいというような性質で、洞窟の上には、県の天然記念物の石柱がある。叩くだけで割れて落ちるという性質を利用して、洞窟が人の手で簡単に掘られたのだろうと思う。ここは、昔の横穴式住居と呼ばれるものと似ていて、体積した粘土質や砂質ではないけども、粘土質の層と似たような感じで掘り進めることができそうな岩質である。洞窟の中の壁の岩もほとんどの岩がひびが入って割れていて、もともと、硬いながらお割れやすい岩でできた火山性の山なのである。だから、やまの上は雨風で風化もせずに山らしく尖がっていて、マントルから火山の溶岩が噴き出す山頂までの溶岩の通り道に溶岩が固まって、その溶岩を崩して洞窟が掘られているという感じなのだろうと思う。海底火山だったものかあるいは噴火した後にも溶岩が流れ出て海中で急激に溶岩が冷やされて、山が形成されたようなかたちだろう。硬いけども衝撃には弱く叩けばはがれるように崩れる岩。高温の溶岩は密度が薄いので固まることで密度があがり、岩を形成しながらも割れが生じて行ったものと思われたりもする。

徐福に関することは一切辿れなかったが、なぜ、このような巨大洞窟が紀元前100年頃に掘られたのかということも、孫悟空の話と同じで、また、アマテラスの話とかも織んなじで、火山性の山に洞窟があってというのと通じている。興味深いのは、農地らしい農地がないことで、狩猟生活的で、海での漁をするか、動物を捕って食べるというのが基本だったのだろう。

島の北の方を回ると、畜産場のようなものもいくつか見受けられ、島で暮らしていくためには自給自足的なことが、島民の暮らしの基本だったと思える。女木島で一つどうなんだろうと思ったのが、飲み水の確保、川が基本ないのであって、雨水を貯めるしかない。洞窟には水源があるが、その水源は洞窟内のミストが天井で冷やされて滴り落ちて、飲み水を確保できる形。野生動物にしても、巨大なワシのような鳥は何匹も見かけたけども、なかなか水を確保するというのは動物にとっても難しいだろうなあと思える。

電動自転車をフル活用して、島を1周できたことで、何倍も時間を有効活用できて、8時半くらいに上陸してから、午後1時20分の船で高松港に戻った。今の女木島の人々の暮らしも大変だなあと思う。漁業もおこなわれているようだけども、漁船が行き来しているような感じもあまりしないし、観光業が主体になっているのだろうと思う。砂浜もすごくいい感じだけども、7月なのに平日だからか誰一人泳いでいる観光客はいない感じで、観光として活性化の努力みたいなものが、新しいプロジェクトなのだろうと思える。

林与は新しい観光地化プロジェクトには興味がなかったので、洞窟のことと村の人々の暮らしみたいなところに興味があったりしたが、島の村の中も若い人を見かけることはほとんどなく、年配の方たちがほとんどで、小学校もあったけども生徒さんもたぶん少ないだろうなあと思えた。これから夏休みになると1日に何十倍の人が訪れることになるのだろうけども、本当にそういうのは一瞬のことなのだろうと思える。

林与は一人レンタサイクルで、自分一人好き勝手に動き回ることができて、いろんな場所で誰一人いない綺麗な浜辺も、山道も堪能ができて、洞窟の中も2時間くらい堪能して、岩質や、岩の割れ方などを観察しながら、洞窟のなかが一番居心地が良い場所。晴れた一日で、瀬戸内海の夏の1日を満喫。そのあと、島を離れて高松に戻って、高松港近くの春日の湯というスーパー銭湯に行って、汗と疲れを洗い流して、讃岐うどんを食べていかないといけないと思って、香川のうどん店は店じまいが早く、午後4時で閉店なので、国道沿いのうどん屋に20分前に駆け込んで、かけうどん大を頼むと、普通で3玉分の大で500円でこの量は食べるのは難しいくらい。たぶん、今日の最後のお客だったので余分の大盛サービスもあったとは思う。

そのあと、淡路島経由で東大阪に向かって、夜の8時に手織り織機の受け渡し。1日には思えないてんこ盛りの1日だった。何年ぶりだろうか、自分が自由にまる1日旅行に時間を費やしたのは、旅行して思ったのが、自分の体力がそれなりに衰えて来ていることで、次の目標の東京の青島にも、動けるうちの今のうちに、できれば、今年か来年の夏に行ければ行っておきたいと思う。ほんと充実した1日で、自分の思い通りに動けた1日でリフレッシュ。
2025年07月03日
とうとう念願の鬼ヶ島といわれる女木島を訪れることができた。岡山の納品のあと、1日ぶりくらいの食事をすき家でった。いつもは、ヘトヘトでペコペコのときは、キングカレーなのだけども、今回は、キングカレーが甘口になってしまっていて激辛ソースを自分で使って辛くするみたいな感じで以前のような、食べると辛さで体がリセットされるようなスパイシーなものではなくなってしまっているので、今回は10年ぶりくらいにキング牛丼を注文。

2時間以上かけて休息も金ながら食べて、車の中で休んでからと思いながらも、納品に来るときに降った小雨も落ち着いたようで、疲れているはずなのに食べた後なのに眠くなく、夜のうちに香川県に移動できるだけ移動しようと思って、瀬戸大橋を渡って下りたインターの出口のコンビニの駐車場でコービー休憩で朝を待つことに、朝は5時くらいから動き出して、高松港周辺の駐車場と乗り場の確認など行って、高松港周辺の雰囲気もうろうろとしながら習得。高松も都会やなあと思えるほどに高松港周辺は発達していて、瀬戸内海の海運の1大の拠点みたいにもなっている。

駐車場も6時間止めたら、上限なしで3000円とか4000円するところから、10分ほど歩けば1日300円のところまであって、12時間450円のところに決めてとめて、簡単な朝食をとってから、8時の女木島行きのフェリーに乗った。朝食を取りながら決めていたことが、レンタサイクルをすることで、電動自転車が1日2000円で借りられるというのを知って、ちょっと高いかなあと思いながらも、洞窟までの往復バスが往復で800円だから、1200円で女木島での移動手段を確保できるとするならよしと思って、島についてまず、電動自転車のレンタサイクルした。

他にも観光客はそれなりにおられたけども電動自転車を借りているのは林与だけで、鬼の島洞窟へは他の方はバスで行かれるのだろう。電動自転車を借りる時に、借りる場所のおばちゃんが、電動自転車の乗り方と、島を一周したいというと、丁寧過ぎるくらいに10分以上ルートを説明してくれた。これが本当にありがたい結果となって、鬼の洞窟を1番に目指すではなく、南の下のほうから海岸線に沿って下って、山の中腹を登って鬼の洞窟を目指すルート。電動自転車のバッテリーは絶対に1日くらいは持つからという話で、下から攻めていくことに、お天気がよくて、海岸線近くを辿りながらも海岸か山道かの選択で、ほとんど走っているのは山の上りの斜面という状態が鬼の洞窟まで続く。

これ、歩きだと絶対に無理だろうし、フェリーにハイエースで島を散策も考えたけども、そういうのも自動車では通れないような舗装はしてあるが車道幅もない山道が続いているだけ、まさに電動自転車が神さまの乗り物のようで、林与一人が島を縦横無尽に動き回っているようなモード、島の住人らしい方ともほとんどすれ違いなどもなく、漁業と観光の2本柱で、日常生活も急斜面が多すぎて車もバイクも自転車も使わない徒歩で移動する程度の田舎の集落の中の生活みたいなもので、1時間くらい掛けて山道を走って鬼の洞窟までにすれ違った人というのは、徒歩でハイキングする感じの2人の女性だけ。

林与が興味があったのは転がっている山道の石で、緑色をしていて尖った形状で、ほとんどが瓦を割ったような石なのである。こういうのは、いわゆる火山性の岩石が川を流れて丸くなったような形状ではなく、出来上がって割れているだけの状態のものがゴロゴロとしている。オリーブ柱状玄武岩質的なものということらしく、山道においてもその石の性質を確認しながら撮影しながら鬼の洞窟へと向かう。

バス停付近の鬼の洞窟の登り石段の入り口につくと、まず、山の頂上の展望台に登って、日向ぼっこしながら、ここで1日過ごしても良いくらいの眺めというよりも、バス停から展望台に登るだけでも、きつく疲れるほどで、いやほんと、昔の鬼も、こんな頂上付近に住むなんて大変だったろうなあと実感。

なぜ、山頂に住むのかというと天守閣的な意味合いがあったのではなかろうかと、下から登ってこないと駄目な場所だと、上にいるものが絶対に有利で、しかも石を投げたり岩を上から転がすだけで武器になる。洞窟の中も、今は照明で照らされているけども真っ暗にすると初めて攻め入ったものは圧倒的に不利。

なかに大広間の部分に大黒柱といわれるものが2つあるけども、その下が削られていることを考えると、まだ途中で放置されたものと思われる。なにがあったのか、多分、コロナみたいな肺炎的な疫病が起って洞窟の中での暮らしが難しくなったのだろうと思う。そとが30度を超えていても中は15〜18度という、ミストが漂う、天然のエアコンが効いた状態で、中で疫病が蔓延すれば、洞窟自体が亡ぶ。

なぜ、このような巨大洞窟が人の手で掘ることが可能だったかに関しても、玄武岩が衝撃にもろく割れやすいというような性質で、洞窟の上には、県の天然記念物の石柱がある。叩くだけで割れて落ちるという性質を利用して、洞窟が人の手で簡単に掘られたのだろうと思う。ここは、昔の横穴式住居と呼ばれるものと似ていて、体積した粘土質や砂質ではないけども、粘土質の層と似たような感じで掘り進めることができそうな岩質である。洞窟の中の壁の岩もほとんどの岩がひびが入って割れていて、もともと、硬いながらお割れやすい岩でできた火山性の山なのである。だから、やまの上は雨風で風化もせずに山らしく尖がっていて、マントルから火山の溶岩が噴き出す山頂までの溶岩の通り道に溶岩が固まって、その溶岩を崩して洞窟が掘られているという感じなのだろうと思う。海底火山だったものかあるいは噴火した後にも溶岩が流れ出て海中で急激に溶岩が冷やされて、山が形成されたようなかたちだろう。硬いけども衝撃には弱く叩けばはがれるように崩れる岩。高温の溶岩は密度が薄いので固まることで密度があがり、岩を形成しながらも割れが生じて行ったものと思われたりもする。

徐福に関することは一切辿れなかったが、なぜ、このような巨大洞窟が紀元前100年頃に掘られたのかということも、孫悟空の話と同じで、また、アマテラスの話とかも織んなじで、火山性の山に洞窟があってというのと通じている。興味深いのは、農地らしい農地がないことで、狩猟生活的で、海での漁をするか、動物を捕って食べるというのが基本だったのだろう。

島の北の方を回ると、畜産場のようなものもいくつか見受けられ、島で暮らしていくためには自給自足的なことが、島民の暮らしの基本だったと思える。女木島で一つどうなんだろうと思ったのが、飲み水の確保、川が基本ないのであって、雨水を貯めるしかない。洞窟には水源があるが、その水源は洞窟内のミストが天井で冷やされて滴り落ちて、飲み水を確保できる形。野生動物にしても、巨大なワシのような鳥は何匹も見かけたけども、なかなか水を確保するというのは動物にとっても難しいだろうなあと思える。

電動自転車をフル活用して、島を1周できたことで、何倍も時間を有効活用できて、8時半くらいに上陸してから、午後1時20分の船で高松港に戻った。今の女木島の人々の暮らしも大変だなあと思う。漁業もおこなわれているようだけども、漁船が行き来しているような感じもあまりしないし、観光業が主体になっているのだろうと思う。砂浜もすごくいい感じだけども、7月なのに平日だからか誰一人泳いでいる観光客はいない感じで、観光として活性化の努力みたいなものが、新しいプロジェクトなのだろうと思える。

林与は新しい観光地化プロジェクトには興味がなかったので、洞窟のことと村の人々の暮らしみたいなところに興味があったりしたが、島の村の中も若い人を見かけることはほとんどなく、年配の方たちがほとんどで、小学校もあったけども生徒さんもたぶん少ないだろうなあと思えた。これから夏休みになると1日に何十倍の人が訪れることになるのだろうけども、本当にそういうのは一瞬のことなのだろうと思える。

林与は一人レンタサイクルで、自分一人好き勝手に動き回ることができて、いろんな場所で誰一人いない綺麗な浜辺も、山道も堪能ができて、洞窟の中も2時間くらい堪能して、晴れた一日で、満喫。そのあと、春日の湯というスーパー銭湯に行って、汗を洗い流して、讃岐うどんを食べていかないといけないと思って、香川のうどん店は店じまいが早く、午後4時で閉店なので、20分前に駆け込んで、かけうどん大を頼むと、普通で3玉分の大で500円でこの量は食べるのは難しいくらい。たぶん、今日の最後のお客だったので余分の大盛サービスもあったとは思う。

そのあと、淡路島経由で東大阪に向かって、夜の8時に手織り織機の受け渡し。1日には思えないてんこ盛りの1日だった。何年ぶりだろうか、自分が自由にまる1日旅行に時間を費やしたのは、旅行して思ったのが、自分の体力がそれなりに衰えて来ていることで、次の目標の東京の青島にも、動けるうちの今のうちに、できれば、今年か来年の夏に行ければ行っておきたいと思う。
2025年06月19日
中国のバブルが崩壊してマンション価格などは何分の1かに下落したものの、一度上がった物価水準というのは高いままということがあって、特に高齢化の進む中国で医療費などは日本以上に高額で、例えばがんになると民間の保険に入っていても、年間200万くらいの医療費は掛かるということらしく、アメリカと同じ様な問題を抱えてしまっている。

質素倹約的な2000年以降成長したものづくり大国から、消費大国になった中国。林与もコロナの1年前くらい前くらいから一度も中国にはいってはいないけども、それまでは毎年2回くらい上海に旅行して中国経済の地道なものづくりの強さを見てきた。特に繊維業界においては、2008年ころに中国の展示会というものを日本の知り合いの方が出られるということで、すごく期待して見に行ったことがあった。

その時の林与の評価というのは、後染めの生地ばかりが並んでいて、加工もフラットで風合いがないP下のような生地、でも価格は麻のものに関しても日本の10分の1というのに驚いてはいたが、日本のものづくりとは歴然とした違いがあって、2000年以降の日本というのはまさにバブル崩壊後の今の中国と同じで数年前までは高い良いものを探していたのに、今は安いものの中から品質を見極めて買い求めるばかり見たいな状態。

インターテキスタイル上海当初は、1枚400元のサンプルとしてのストールすら業者さんには全く手がでない話で、100元でどうだとか50元でどうだとかいう話ばかり、でも、その10年後には、売るとも言っていないけども、サンプルを売ってほしいというお客さんばかりになって、外に払った費用程度でまったく利益もないけども8000円くらいだと頼まれて売るような状態で、日本の百貨店やアパレルさんが原価割れの1枚8000円のストールを1枚もなかなか仕入れるのが難しい状態で、海外のオーガニックというのはブラックボックス過ぎて熊本のアサリ状態でラベル貼って逆にそれが日本の天然繊維の業界すらも潰してしまったのではないかと思ってる。

金儲け主義のラベルビジネスとかほんとやめてほしいし、オーガニックを謳いながら、単なる消費者騙しの繊維業界になってしまってよいのかとおもうのは2008年の日本でのオーガニックコットンブームの時から素人騙しではないのかと、2010年、2011年にその問題がインドで発覚してオーガニックコットンの生産が半減したけども、今のオーガニックコットンはその時以上に落ちてしまっていて、遺伝子組み換えが普通で、合成繊維混ぜてオーガニック、その程度が世界のオーガニック認証で、落ちるに落ちたような金儲けのビジネスで、オーガニックの講習に何十万払ってお金を儲けたいだけの業者が多くなりすぎて、そういうのを指摘する人も今の日本の繊維業界では林与くらいだと思うし、話するとほんとお金儲けしか考えていない人たちが、どんどんと地道に本物だった末端の人々すらも金儲け主義のオーガニックに染めてしまって、合成繊維混ぜてオーガニックとかで儲けたい人というのは、素人の消費者騙しそのものなオーガニック。

繊維業界の価値感すらもまったく分からない人たちが、遺伝子組み換え不使用と言いながら遺伝子組み換えが当り前の現状も隠して、GOTSですらもその状態、遺伝子杭変えを判別する方法がないからセーフとか公式なサイトでの、遺伝子組み換えを広めてるのが今はGOTSみたいになってしまっている。種子をしらべたらやばいのを調べられるのに調べようともせずに、綿花レベルだと判別不可能だからセーフとか、国際会議もやりながらその程度では、繊維業界の価値感すらも守れない儲け主義そのもの。そしてそういう謳ってることが怪しいのを指摘する人も、世界でも少ない。
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