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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年10月19日
カナダでは医療用大麻を認可したことで、娯楽用の闇大麻が出回り、それを統制するということで娯楽用の大麻解禁の流れであるとニュースをみた。カナダのような国をしても医療用大麻が医療用で留まることのない実例である。大麻関連の薬品会社が合法的に出来てしまえば、偽ブランドと同じで合法なもののように偽物が裏で出回る。しっかりと取り締まる力があれば別なのかもしれないけども、薬品となれば患者を偽装したものが自分が使わずに他に横流してカネにすることもありえるし、そんなカネを目的で裏のビジネスも成立し、怪しい組織の資金源になってしまう。

鳥取の町おこしにしても、胡散臭いなあと思ったの私だけじゃないと思うが、行政が後押しで問題が発覚というのも情けない。報道では、吸引用の大麻は栽培されていないで終わっているけど、現実的には真実も隠匿されていてやばい大麻が隠れて栽培されてしまっていたという情報。まったく関与していないどころか林与日本での大麻栽培に警笛を発しているのに、行政レベルの対応では、違法な大麻を取り締まるのは難しく、大麻栽培は本当に限定的なものでよいと思う。よくわかるのが、神宮大麻の存在である。大麻繊維の活用を考えるのに、中国だとうまく大麻の管理が出来て、日本では難しい理由などよく考えないといけない。

大麻栽培に関しての推進派が、行政も含めて素人でやばすぎる現実。大麻栽培に何を求めるのか、神事なの医療、種なの油なの繊維なの、吸引なのという単純な話。神事が吸引の目的の隠れ蓑になってしまうのが情けない。外国人が放置紺あの日本で大麻栽培して、闇栽培でビッグなビジネスチャンス。海外なんかは大麻で金儲けを考える大麻ビジネス。廃人を作ったときにその代償は大きすぎるが、金儲けできるとなるときれいごと並べて合法化に動く。鳥取の事件などをみると、GHQは正しかったのではないのか、また、麻織物業者も大麻栽培撲滅に協力した戦後。

大麻が解禁されているオランダにいっても、ヘンプ織物が特産品としてあるわけでもなく、大麻吸引ビジネスが主体でしかない。大麻は万物みたいに言われながら、繊維としてもすごいとかいわれても、実際に隠れ蓑につかわれるのが、麻織物をコツコツやっている人間からすれば腹立たしいくらい。大麻栽培や織物関係者がそういう輩と混じっては駄目。織物まで作らせてちゃんとつくるくらいなら自分で栽培すると許可を与えるとかでないと駄目。そうすると別の意味が見えてくるし、やっと食べていける話になるから、大麻を栽培しても合法な範囲だと日本ではビジネスにもならないから、ずっとやっている方々も困っている。海外でも先進国では、大麻栽培は吸引目的が主体でないとビジネスとしては成り立たない側面がある。

日本では農業が崩壊し始めていて、手でつくる農業は成り立ち難い。大麻栽培も手作業が多いから本業の農業が難しくなってきたときに副業としてやるには後継者問題も含め難しくなっているのは良く分かる。しかしながら、日本で次の後継者を求めても、栽培だけでは成り立たせるのも難しいのだから結局、吸引目的につながってしまう。神事に使うのだからそういう中でうまくお金が回るような形にしないと難しいだろうが、実際に神事で使われる量も全国の各村に神社があろうが、田んぼ3反田、一つ分の畑で生産できるような量で済んでしまいそうな気がする。多くの後継者が生まれて携わるような形の栽培が適しているのかというと後継者が沢山生まれても食べてもいけないのが想定されるから、そうは思えなかったりするのである。
2018年10月18日
スポーツでも将棋などでも、10代の活躍が目立つ。20代よりも10代のほうが、ものごとに集中できているという部分もあるのだろう。オセロでも11歳が世界チャンピョンということで、単なる偶然ではなく、頭脳では世界的にも子供たちのほうが冴えているみたいな状況。これはなんか分かる気がする。芸能なんかも子供たちが大人顔負けに対応をしていて、成人するあたりから俗化。大学生となるとなんか俗っぽいものに憧れてしまっていて、限界が浅いことが多い。社会人となると集中も難しく投げ出すとか、新しいことを吸収するも難しい確立が高い。

10代が強いというのは、日本の場合は、年功序列の近年封印が解けたことにもあるのではないかと思う。日本の場合は、学生は学生、先生は先生というのを守りたい部分があったと思える。年功序列から実力主義の社会になって、10代が全力できたときには、大人の力では及ばないなんてのも、本来は普通なのかもしれない。年配のものが仕切っている社会というのはどうしようもないのを感じることも多く、そういうへんな封印を解くのがまず第一に必要だと思えるのである。

今はグローバルなネットの時代になって、先生たちの持っている情報というのが若い人たちの情報よりも狭いことも多く、若い人たちが自由に動けたほうが既存の師弟関係の中で教えてもらっているよりも、成長が早いということもあるだろう。田舎の実社会で得られる情報やできることというのは縦型の社会だと限られてしまって難しいところがある。年功序列的な体系と結びつけば田舎でもいろいろなことはできるが、年功序列型の体系が後ろ向きな力になってしまうときには一つ一つが難しくなる。繊維の業界でも、若い者がグローバルに力強く動けるようなところがどんどんと伸びて、既存の流通体系や生産体系で動いているところは苦労はしても伸びることができないような気がする。

壁にぶつかったときにそこで立ち止まらないためにも、硬直した考えや現状を打破できる人がまとまり動いて、壁を越えて行くような姿勢が大事だろうと思える。そうでないと織物にたとえると1mの織物も織れないままに時間だけが過ぎてゆく、実際の仕事ができてないのにどうにもならないとか嘆いていてもしかたないのである。でもそれ以前に、難しいものがどうこうよりも、簡単な布をつくることもなかなか難しくなった今の産地の現状を考えると、恵まれて余裕があるからできなくなってしまうんだよなあと納得してしまうところがある。

林与自身も50歳手前で、私の次の世代の人というのは前の世代の人以上に強くないと前の世代についているくらいでは乗り越えて行けないだろうと思う。自分がなんてもやってゆけるんだという実力がないと生き残っては行けないと思う。他の人に協力してうまく行く部分はそのままでもよいけども、外に協力を求めてもなかなか難しい本業の専門の人でも難しいことは自分で解決して行く力を持たないと新しいものも生み出せない。どんどんと新しい布を生み出してゆくような力を維持できていないと、壁にぶつかって前に進めないようでは先行きは難しい。
2018年10月17日
昨日は、駐車場のある畑の柿が、もう枝が耐えられないくらいにぶら下がっていたのを食べた。何百もあるうちの、熟れたいくつかは鳥に食べられて、鳥も最初の食べ始め。順番に美味しそうな柔らかくなったのを啄ばむ。オーガニック栽培というけども、放っておいて出来上がるような柿のようなものもある。今年は当たり年で、何百個もの柿が一つの木に成る。駄目な年は虫に食われて1個2個もありえる。オーガニックのムラというもので、オーガニックが商売では成り立ち難いのもそのあたりだろう。

カルガモ有機栽培で子供会がもち米を育てようとしても、実際には土に栄養が足りないので、カルガモの糞だけでは、稲が育たず穂が実らない。世話している農家の人は正直なことをいう、やっているものは理想じゃなく正直なのだ。それだけじゃあ足りないから肥料を普通に使ってなんとかもち米を作る。世話している農家の人が嘘をつけばそれで終わりのオーガニックの世界である。林与の村の農家の人はとても正直で本当のことを話す。やっているものは理想を語るのではなく現実と実際の苦労を経験しているから。

取れる量も村の人みんなが分けて食べるのには少ないので、自分でつくったもち米を無料で混ぜてなんとかそういう村の事業を成り立たせている。実際にやっているひとは、看板なんて理想だということも分かって現実と向かい合っているのである。こんな特別すごいことをやっていると偉そうにもいえないので、あんまり偉そうには言わないのである。耐えて正直なところも伝えながらかるがも有機栽培を通じて農業の本質を伝えていらっしゃる。

琵琶湖の富栄養化の問題でも、家庭の潜在が問題になって粉石けん運動が起こったけども、農業で使われる肥料の問題はあまり取りだ足されない。稲を育てる肥料、リンや窒素の集約されたもので、琵琶湖に流れ出せばアオモや赤潮の原因になる。農業は行政を挙げての事業なので、消費者は県の業務とは関係ないので規制出来ても、農業は県の業務の一旦で規制する事は難しく、農薬や肥料は農協にとっても農業ビジネスの柱、規制されることはほとんどなく、それがもたらす富栄養化については口を閉ざされている。肥料をつくる工場が肥料を排水中に廃棄してしまえば大問題なのだが、農協が農家を介して琵琶湖に流れ込む分に関してはむ問題なのである。農家の人も農協から農薬や肥料を買わなければ、米を農協が買ってくれないとか脅されて、仕方なく買わされて買ったからには捨てるわけにもいかず、田んぼに巻いて捨てるかのごとく使っているケースもあるのである。

たとえば、農協が自然農法を推奨するのかというと逆で、肥料を販売して利益を上げる業者的な要素があるので、農薬や肥料会社のセールス窓口で、環境問題の観点からすると指導はしていながらも、環境問題と利益のどちらが大事鹿野かというと利益よりだろう。農協が会場となって催眠商法なんかもあったりして、高額なマッサージチェアを老人が買わされたりとか、協同組合が守らなければ成らない会員に対して何をやっているんだろうという話。存続自体が会員保護とか世の中のためではなく、組織の存続のためになってしまったりする。

農業というのは自然を思わせるが工業と同じ以上に、工業的にやれば自然破壊に結びつくことも多い。アメリカで流行の遺伝子組み換えなんてもの、遺伝子を組み替えたものが勝手に、他の畑の通常のものと交配してしまったら、通常の畑を遺伝子組み換えでやっていないものが、被害者でも、遺伝子組み換えの特許を持った企業から訴えられてしまうようなのが、今の最先端の農業である。農業という言葉=自然ではない。農業という言葉が商工業以上に環境破壊を見えないところで犯してしまうこともあり、行政が裏で力に負けたりとか、担当が将来の天下りを考えて認可というケースもあるので、気をつけるべきところである。国民を欺く国会での偽証罪が疑われても出世できる行政のメカニズム、保身や利権にまみれたものが、まともな精神をあざわらい駆逐することは、原発以外の行政でもいたるところでみられる問題。

環境庁が、原発が爆発後に基準値を20分の1に下げて、ほんとうなら法を犯すような犯罪なのに、行政が絡んでいると法律や基準値を換えて犯罪がなかったことにする。法の下の平等すらも行政主導だと問題なしになるのが、旧共産主義国にありがちだった闇と似ているのだが、先進国となった日本で、旧共産主義国の闇以上にアンタッチャブルで不透明なものがあるのもなあ。
2018年10月16日
今まで、林与が自分自身の中で生み出してきたものとして、超細番手リネンストール、やわらかなリネンストール、ハニカムキッチンクロス、リネンデニム、藍染リネンなど。他を真似るでなく、自分自身がこんなものがあればよいなあと自分の試行錯誤の中で作りたいなあと思うものを生み出してきた、出来上がったものに面白さを感じるような流れのものづくりこれは織機を動かす中で生地が生まれて、それが世の中に出て他に影響を及ぼし麻やリネンのトレンドとなる。最初につくるので乗り越えないといけない壁は大きいけども、自分の目標を達成し世の中にないものを生み出してゆく実感はあるので充実感がある。まあ、私は外を見て回らないのですでに世の中に存在する可能性はあるが、いろんな麻を見て麻を扱っておられるお客様に提案しても他でみたことがないという方が多いので、世の中への提案としても林与が自分で考え生み出した生地の新鮮度は高く、トレンドにもなりやすい。

リネンの細番手プロジェクトも、糸が入手困難なときから、糸探しから初めてのトライアルで、量産のために糸を確保するところまでの思い切りなども乗り越えてきた。林与の場合、超細番手のカシミヤや綿、その他新素材にも手を出したりもするが、他の素材に挑戦するのが織れないといわれるときに、自分が織ってみたいと思って手を出してみるとか。それも織物を織ることへの挑戦なのである。麻の紡績工場にもっと細い番手を作って欲しいと頼むことが多いが、なかなかそれが叶うことはないのである。織れるか織れないかわからないようなレベルの糸を作ったところで沢山の人が買って使うことはないだろうから。

昨日はまた、細い糸が手に入った。良い糸への憧れは半端ではなく、何十万円というお金を原材料に費やし将来のいつの日にか形にするために在庫したりする。何十年に一回しか手に入らない糸というのもあるだろうから、でもそういう糸が常に織れる糸だとも限らないし、私は自分で糸を料理する自信を持っているから、よさそうな糸は自分の織物の腕を試せる絶好の材料なのである。この糸も相場が、1kg1万円ほどの糸なので、染めたりもして密度を高く織ると反物で普通のバルク生産でも1mが1万円くらいクラスの生地になるだろう。そういうものを追い求めてみたい。ただ、材料費が高いじゃけじゃなく、仕上がりがどんな風にみえるのか、大期待なのである。業者さんに扱ってもらうのは難しいけど、麻に憧れをもっておられる方とか麻を求めて世界中を巡っているような人に提案できればと思う。

本業で本質的な良いものを求めるのは、売って儲けるためでなく、見てもらうだけでもよいというアーティストの自己表現に近い感覚。通常の仕事でそれを求めるから、そういう部隊では、評価される人に出会える機会は少ないけども、アーティストの方に感銘してもらえることは多かったりする。自分が良いと思う麻布が、良い麻布でという自分の中にある麻布に対する価値観は、他の人が作った布に特別なものを感じたときには素直にそれを評価できるものでないと価値観として本物だと思えない。たとえば、自分がつくろうとしているものを他の人がつくったときにすごいなあと思えるとか。自分の求めている風合いをほかの人が実現したら良い風合いだなあと思えるとか。一方で、他の人がすごいといっていても、自分が普通だと思うものは普通だという判断でよいと思う。
2018年10月15日
子供の頃はじめて飼った犬が2歳ほどでフィラリアで死んだことがある。裏が竹やぶで小さな川があったので蚊が多かった。歴史をしらべると、滋賀県の湖東地域は蚊の多い地域で、戦後マラリアとの戦いがあったそうで、彦根城の外濠も蚊を撲滅するために埋められたそうだ。戦前に戦争に行ってマラリアを持ち帰ってきたのが蚊を媒介して広まったのを戦後にアメリカの指導の下、行政を挙げて撲滅したようだ。また、日本の歴史を調べてみると八丈小島では、人フィラリアの風土病があったそうだ。どちらもDDTという1971年に禁止された農薬で蚊を駆除した。

基本的に、人に害を及ぼすのでDDTを使うのもしかたないことだろう。沈黙の春の中で、DDTは生体蓄積し発がん性があることで、1971年使用禁止という流れになった。今は当時ほどは危険性があるとは考えておらず、発がん性の恐れがあるという認識で、アゾ染料に近い危険度のあるものとして、途上国でのマラリア退治には使われている。八丈小島のマレー回虫は学者からすると天然記念物にしていしたいほどで絶滅させるのは残念だと思う気持ちもあったいうが、私は人の命や健康のほうが大事だと考えるのでDDTを使用して絶滅させたのは良かったかと思う。彦根の件も同じで、DDTの使用で風土病とされたマラリアが絶滅になったのはよかったと思う。八丈小島の風土病が絶えて人々が精神的にも開放された面も無きにしもあらずだろう。なぜ水も少ない人が住むことも難しいその島だけに人フィラリアがという問題。学者たちは謎だというが、ゾウ足の症状が出たものに対しての隔離政策があったのではないのかと思う。カネミ油事件などでは、米油にPCBが混入し、カネミ油症を出したので、DDTの散布に関しても安易には考えてはならないと思える。危険性を認識したうえで使用するべきであろう。よくあるのがそういう危険性をないかのように安全だと言い切って使用して、結局、惨事に至るケース。

カネミ油事件でも工事ミス説が有力である。たったそれだけで起こりうるから本当に怖い話なのである。腐敗や工作ミスでPCBが漏れ出すような脱臭装置自体の構造に問題があったのではないかと思う。事件発覚後の企業対応に問題があったのも見逃せないが、裁判も大きな問題で、最高裁で国の落ち度が絡んでいるためにこんな事件でも被告が敗訴するような可能性が高くなり、被告が提訴を取り下げるようなことになった。なんの罪もない人間が米油を買って飲んだら毒油、行政がだらしないことして原因究明せず放置、国が被害者に勝とうとする行政的な流れが見えてしまう。こんな事件でも被害者が敗訴しそうになる日本の裁判システム。コメ油はコメ糠からでコメなんで、当時、国のビジネスの要素もあったんだろう、国の余剰米を預かる倉庫業者がなんで米油の製造を倉庫ではじめたのかとか。東電と似たような官製を感じる。

和解した原告以外は被害者ではないというような考えも不思議なのだが、厚生省の考える国の厚生レベルの低さそのもので、カネミ油の業者だけじゃなく、行政が責任を問われると被害者を見捨てる国の対応が被害を放置してしまって、被害者の救済を考えない国の姿勢が浮き彫りになった事件である。カネミ油のような大きな問題が起こっても、それを解決すべく国が正しく機能していなかった部分。

安全性が謳われていても実際に使われて危険性が見えてくるものも多い、大体、新しい薬剤など数年で問題が見えて消えてゆく。コストが安いからと新しい薬剤に変えることはリスクが高いことが多い。自動車にしても新しいリニューアルされたモデルの車と販売されて数年経つモデルでは、どちらが安全なのだろうか。たぶん、後者であろう。倉庫会社がつくった米油最初はいろいろとトラブルがあるのは当たり前と思う。慣れた技術者というけど、まあ、特殊な機械だと慣れた人間なんて作った人でも修理とかできるかできないか。
2018年10月14日

海外生産に関わるニュースで、日本の大手SPAがインドネシアの縫製していたのを辞めて、他国での生産に振り替えたので、インドネシアの工場が従業員たちの仕事が無くなりリストラされる話。従業員たちは、工場経営者を訴えるではなく、仕事を出していた日本の大手SPAに解雇に関する金銭的な補償を求めている。品質要求が高いと同じ仕事でも時間は2倍、3倍とか掛かることになる。人件費は品質の精度を求められば、2倍、3倍になることもある。 何百人が働いている縫製工場でも、日本の大手SPAの仕事を受けてキャパが一杯になりさらに従業員を増やして納期を合わせたりして、従来のお客さんの仕事をほとんどなくしてしまって、日本の大手SPAからの発注が無くなったときには、倒産する可能性や大規模なリストラが必要になるのはほぼ確実なのである。日本の生地メーカーや縫製工場でも、大手SPAの仕事を受けると倒産のリスクは高くなってしまうので断るところは多い。勝ち組とされるところの仕事を受けてうまく続けばよいけど続かなくなったときの反動は大きいだろう。 発注するだけで、従業員の解雇の補償まで要求されるというのも理不尽ではあるけども、この問題は大手SPAが発注先を変更するたびに起こりえる問題なのである。大手SPAが、途上国に生産するときに国際貢献となることを考えるが、逆に、発注をやめるときに働いていた人たちの解雇問題を考える経営者(大手では厳密には経営者も雇われ人だから、会社は株主のものという大企業的な考えからすると株主)はいないだろう。法的になんら問題はないというのが一般的な結論なのだが、多くの人の人生に問題は生じてしまっている。仕事をくれた先が自分たちの面倒をみるべきだみたいな考えになってしまっているのも考え方としては修正が必要だろう。大手SPAの仕事を受けた経営者の判断の問題というのが一番なのだろうけど、こなせて安定的な関係となればよい仕事、でも、一度受けると元には戻れなくなる可能性も高い。 大手アパレルが主軸にしていたライセンスブランドがライセンス解消となって、売り上げが激減し人員が余り、経営が難しくなるというのも同じことだろう。自分が決定できない一つの案件の比率が大きくそれに頼っていては、いざその案件が難しくなったときに急に立ち行かなくなることがあろう。安定しているように見える仕事ほどそこからの方向転換が難しいものであり、安定していないくらいのほうが長続きするのではないだろうか。

2018年10月13日
分業って特化して生産性を高め品質も高められるというのが目的なのだが、分業にすると楽をできるだけに落ちていってしまうことも多い。自分の今やっている形がすべてみたいな問題があっても問題もみえないようになってしまうとか。日本の場合には、利点よりも問題点が増えてきているように思え、分業のそれぞれが偉そうにするばかりで問題が起こっても無責任で、まともなものをつくるボトルネックになってしまう。それぞれが責任をもって正しい結果を出せていればよいけども、正しい結果もでずに仕事したと、途上国の仕事よりも質が落ちてしまっては日本国内でものづくりしたものでも売り場にならべることも難しい。

昔、細番手の糸の問題で糸商の社長と口論をしたことがあって、織れるか織れないか分からない細い糸を林与自身が自分で手に入れようとしたときに、その糸商の社長が自分を通して買って欲しいといわれるが、まずは、糸商なら自分が手に入れてこんな糸がありますから試しに使ってみませんかが普通だと思うが、私の話に便乗するだけで後の糸の問題は自分は関係ないでは駄目なのである。一か八かの掛けに、外野は必要ないのであって、織れなければ私が何百万か損をする話。注文が入っても糸が手に入らなければ私が困る話なのであって、リスクもできない糸商さんが、リスクする人間に口出しをする話ではない。何十年の付き合いではあったが、その件は自分で海外から糸を仕入れ解決して、リネン100番手以上の細番手織物の量産の道を切り開いた。別に喧嘩するつもりもないけども、ハズレの糸をつかんでリスクを背負う覚悟がない状態で任せてくれと頼まれても困る話なのである。糸商さんでもどこでもハズレの糸を掴んで苦しむことはあるが、それはそれで使えない糸に正しいお金を払う気の毒な話だが、それが糸のプロとしての糸商さんの仕事の一つでもある。

私も、織れない糸が当たっても返品しないで使える工夫を最大限に考え織物のプロはプロで問題解決に真剣である。今まで林与が糸商さんに糸を返品したことは20年ですべての糸商さん含め3回だけの話。糸商自身がどうしても使えない糸の存在をしっていても、売ったときに機屋の問題に摩り替えてしまうことも多い。織れないだけでなく、物性的に問題のある糸などもつかまされて糸商が悩むこともあるけども、それを黙って売ってしまって問題が起こったらそれは糸商の問題で対応はちゃんとするべき問題なのである。そう保証があって糸の価値は高まるのであり、無保証な糸は危険極まりない。糸を使う機屋は、糸商さん以上に、糸を見る目がないと糸を扱うことが難しい。問題が起きたときに、それが糸の問題なのか、染の問題なのか、加工の問題なのか、みんなが逃げる話を解決していかないといけないことが多い。

今も生成の糸の色むらの問題の解決。リネンの生成の織物というのは定番の一つだが、何十年も昔のようには行かない。よく昔、海外生地を後染めするといろんな問題がでてくるとか言われたが、原材料の均一性の問題などが糸の中に爆弾として存在していて、銘柄による品質の違いや同じ銘柄の糸でもフラックスの作柄やロットによる良悪の差が、織物になったときに出てくる可能性がある。糸商さんでもそういう問題を解決する方法はなく、生成を諦めて、生成っぽい色に染めて使うとか。

生成というのはアクが出たりするもので、それが色が薄くなる原因の一つで、洗うまでは色むらが見えないことがあったりする。織っているときにはまったく見えないが、洗いを掛けると色の差が出てきたりと爆弾が仕込まれているのだ。うまくつかう別の方法は、ランダムに横糸で使う方法とか、問題が軽減されるが極端な色むらはやはり段となって表れる。リネンの生成りは、同ロットの中はもちろん、紡績の錘が同じでも糸の番手が揺らぐこともあるのが普通で、連続して使うよりも散らして使うほうが問題は少ない。

本来は織物で改善するよりも縫製で改善するほうが、均一でよい織物が出来上がる。こういう色むらの問題は、一本の横糸で織っていったときに突如として1cmの帯とか、5cmの帯とかの問題として表れるが、そこを使わないで、縫製するだけで良い製品となって仕上がる。全体の原料の品質を最高にした糸が逆に一番問題が起こりやすいのもそこである。綺麗な糸にときおり問題が起こり反物としては失格とか。反物の良いところを数メートル使うなら最高の生地である。結局は、全体の品質を落として安全な当たりに落ち着かせる手法が取られる。当たりハズレを無くすために、いろんな地域の原料を混ぜて安定させ使うのである。紡績の時期ごとの色の差なども軽減される。

日本の量産の縫製技術よりも海外の量産の縫製技術のほうが上だったりもする。海外では、プリント物などは、色の安定性が反ごとに揺らぐので、サンプル縫製と同じように、延反した反物を上から一度に裁断するが、同じレイヤーのパーツには番号シールを貼って、サンプル縫製と同じような品質で、色のばらつきの問題などを極力抑える方法が取られる。そんなに難しいことではないが日本でこれをやる縫製工場はあまり聞いたことがない。途上国の量産のほうが日本の縫製よりも最後の仕上がりの問題を気にしているのは、素材の品質が安定しないのを受け止めて対応しているからだろう。中国や韓国の縫製も、反物をすべて検反してからアパレルの自社基準にあうように小さな問題も避けて裁断をおこなうとか、人の力がすごいなあと思う。

織物工場でも、何百人の織物工がいて、莫大な量の生地が織られるが、もちろん問題もあるけども、それを検反、修理する人が何十人もいて、織りのキズなどが無くなる。正しく織れない人は織物工としては働けなくなる。日本の場合、織るものが正しい織物を織ることが想定されていて、正しく織れなかったときに、自分が生地を修理するなんて想定の織りの人はいないだろうキズを織ったら織ったでほったらかしで、麻織物の場合には、それでは普通はB反が当たり前。今の日本では自分で織ったキズを直せる人でないと織物を織ることも難しい。キズをつくるスピードに修理が追いつくのは難しいから、自分が常にキズをなく織れないと仕事を受けても回らない。
2018年10月12日
レジ袋の有料化問題でも、ゴミ袋としてレジ袋として使うことも許されないとか、行政からして環境に関する意識はどうなのかと思う。新品のもやすゴミの袋を買って捨てる袋としてだけに使うとか駄目じゃん。レジ袋でもゴミ袋としての用途は十分に果たすと思うが、そういう意識にならないのが日本の行政。ゴミ袋一つにしても新しいものを使うのはもったいないわなあ。

ペットボトルも一回しか使わないでリサイクルというのももったいない話だと思えて仕方ない。リサイクル自体がエネルギーを使うし、使えるものをリサイクルするという感覚がどうしても理解できず、ペットボトルそのものを洗うだけでそのまま再利用できる形に、マイタンブラーじゃないけど、マイペットボトルシステムを普及させるとかするとよいんじゃないだろうか。地元の平和堂でも水をペットボトルに詰めて持ち帰ることのできるサービスをやっている。昔のように350mlとか、500mlとかじゃなく、今は2Lがデフォになったのは有難いのではあるが、2Lのペットボトルでも1回でリサイクルはもったいないのである。

プリント工場で金色の箔を加工するのも案外みてて、剥離紙のゴミが沢山出るのでもったいない話だなあと思ったり、そういうゴミを出しながらも利益が上がっていくなら商売としては成り立つのだろうけど、そういう剥離紙でも別の用途で活用をできないものなのかと思う。

織物の工程で一番使う材料は糸なのだが、糸もほとんど捨てずに使いきる、でも、糸の入っているダンボール箱なんか丈夫なので、残しておいて、染めた糸の保管に使ったりするようにしている。使えるものを捨てて綺麗さっぱりは簡単なのだが、なるべく、最後まで使い切りたいものである。インターナショナルなブランドが在庫を廃棄処分しないことにしたそうだが、結局はみんなが高いお金出して買っているものでも作っているブランドからすれば残ればゴミと同じだったのである。繊維の世界でそういう感覚があるのが、本当に向き合ってつくっているものと、金儲けだけのためにつくっているものの違いで、法律や規則で偉そうにしていると大事なものを見失ってしまうものである。
2018年10月11日
フランスのマグ社がエリゼ宮に納品したリモージュ磁器が中国製の可能性が高いということで大問題になった。装飾をしたのもリモージュ地域じゃないという話で、リモージュで実際に作っているものたちが激怒。でも、一番の被害者は消費者だろう。産地のおみやげとして本物と思って買ったものが産地儀送品。繊維業界も似たようなところがあるアイリッシュリネンの話でも、1990年代には現地で失われたアイリッシュリネン紡績を語りつごうと語り部プロジェクトも始まっていたのに、2000年過ぎて業界ではアイリッシュリネンはもう手に入れることは不可能といわれ、それでも中国紡績の糸などがアイリッシュリネン糸に化けて日本では流れていた。百貨店でも2000年以降そういうものが普通に流れていたのである。

別に悪いものではないけども、そういう産地をミスリードするような謳いがなければヨーロッパ産でないものは売り難い。実際の生産が消えたヨーロッパではそういうのがありなのだが日本ではそれはご法度。だけど、日本の商社はそういうミスリードで利益を上げる。健康食品とかでよくあるこの商品だけが特別みたいな売り方。2000年ころ、アイリッシュリネンしか使わないという英国のブランドでも林与に来てアイリッシュリネンやってますかというお話。アイリッシュリネンの糸が今はもう手に入れることができないことを知らない、アイリッシュリネンしか使わない英国のブランドさん。原料の話は抜きにして、生地の意味合いで、北アイルランドで織られたものがアイリッシュリネンという定義もあるが、日本の機屋にアイリッシュリネンを求めて企画するというのは偽装につながる話。麻を織ってきて、糸の問題に苦しんで、現行で使えるアイリッシュリネンの糸を捜していて見つからない自分としては、ありませんと、答える話。そのあと2008年ころに林与の倉庫から1970年代に買った糸などが出てきて、北アイルランドで紡績されたアイリッシュリネンの糸を織るプロジェクトが始まった。

こんな考えをしていたのは、私だけではなく、ネットでアイリッシュリネンの情報を探したときに、2000年過ぎにアイリッシュリネンの糸が手に入らないかと現地に行かれて、もう手に入らない現実をしって諦められた方もいたりする。ありえるとしたら、どこかの機屋にひっそりと残っているくらいがアイリッシュリネン糸の実態なのである。たぶん、最後に普通にMADE IN ENGLANDとかの箱に入ったアイリッシュリネンの糸を手に入れることができたのは、アメリカから私が帰国した1995年頃だったと思う。その後、いろんな糸商さんの情報を駆使してもまったく手に入らなくなった。2000年頃はイタリア紡績の糸も先染で使うとトラブルが多かったので、生産を控えて難を逃れたが、地元の業者さんでも織った布の問題で何千万の損された話など、リネンには手を出し難かったときである。

そんなときに、なぜか、日本の大手SPAさんの格安なリネンが登場でオーストリアの紡績工場で引いた糸を使っているという謳い。いろいろ調べたけどもオーストリアの紡績工場にはたどり着けず、あれはなんだったんだろうか、今も本当に不思議である。その後は、大手SPAのリネンが中国の紡績の糸であるという情報がいろんな筋から入ってきてはいたけど、オーストリア紡績のリネン糸を聞いたのはそのときが初めてで最後だった。ベルギーなんかでもベルギーで一番有名で日本でもブランド展開されていたリネン好きのデザイナーさんとパリでお話したときも、ベルギーで良いリネン生地はないとスパッと言われて唖然とした。ヨーロッパのリネンがすごいというのも、幻想になりつつあるんだなあと思いつつも、英国とかには、リネンの細番手を双糸にした先染め織物などトラッドな世界のリネンにはなかなか日本ではできないものがあるなあと思ったり。日本の生地商経由だと幻想が入ったりすることも多いが、実際に作っている機屋と話すと正直ないろんな話が聞ける。
2018年10月10日
英国の手織りというのは人力織機を使った人力織物で生産性は高く日本の市場でも安く手に入り人気である。一方、日本の手織りというのは本当に手でシャトルを動かして手で横糸を打ち込むので織物としては手織りの熟練の技術が必要で、手間が掛かるので希少性は高く、安く手にいれることは難しい。このあたりが、日本の手織の織物が高級品となりなかなか流れ難い理由である。英国のように日本も人力織りを手織りと定義すれば、日本でも手織りの織物で溢れかえるだろう。日本からは本当の手でシャトルを動かして手で横糸を一本一本打ち込んで織る手織りは評価されなくなってしまうだろう。

言葉定義ひとつが織物の価値観を変えてしまうケース。織物にあてがわれる手織りという言葉も、英国の織物の場合は人力織物を指し、日本の場合はイメージどおりの本来の手織りを指す。言葉なんかよりも、やっていることの実際が何なのかが伝わることが大事だろう。たぶん、日本の着物の世界の手織りをみれば、価値があることが納得できると思える。言葉やラベルを鵜呑みにせずに本質的な目、そういう目がないと布の一般的な評価をすることは難しい。

林与のシャトル織機を自転車式に動力をしたら手織りなのかというと、織物をやっている私からすれば手織りではない。ヤバイ一線を越えてしまった後ろめたさがあってしかるべきではないか。手織りというのは手で織る織物だから。人力でも評価はできるのだから消費者に間違ったイメージで理解されないように人力機械織物と謳うほうがよいだろう。子供がおもちゃの織機で自分の手で織ったもののほうが本物の手織りなのである。

織物の世界で何十年の経験者がまともにものを作れるかというと先代もそうだったけども、経験者ほど驕りがあって一つの布を正しくつくることもできなくなることが多い。過去の実績なんてものよりも、今、正しい布がつくれるのかの問題で、経験の長い先代よりも若い素人のほうが正しい織物をつくるのには何倍も役に立った。それは年取って目が見えないからとかでなく、普段から仕事していないから正しい布もできないのである。母親にしても織物の簡単な作業一つが面倒なのである。偉そうにしていても実際の織物をちゃんとつくろうとする気持ちもないようでは駄目だろうと思う。それは私が私自身にこの仕事で食べていくときに思う部分。仕事に戴する正しい基本の意識がなくなってしまったら仕事からは去るべきタイミングとなると私自身覚悟している点。繊維の世界、化かして儲ける考えが多いだけに、自分たちがお金も時間も労力も使って働いてつくった安心できるものを使ってもらおうという思いがある。ものづくりはラベルで化かすじゃないのである。

産地の存続のためには、自分自身が良い布をつくるとか正しい布をつくるとか自分は仕事をまともにこなして行くような基本姿勢が大事で、やっているものにほかのものが偉そうにしても始まらない。先代と私の関係がそういうものだったので割り切って、何十年の経験なんてあってもだらしない仕事姿勢や勘違いした仕事姿勢をみせればそこで終わり、自分が率先して目の前の仕事するから仕事があるだけで、良い布が机の上で議論して生まれてくるようなものでもあるまい、それなら良い布をつくるための作業に時間を使ったほうが本質的には意味がある。実際にやっている人の仕事の中から試行錯誤で良い布は生まれてくるものだろうと思う。
2018年10月09日
綿の実を食べる動物をいないとされる。それは綿の実を食べていた動物が綿の実の毒性で自然淘汰されたからだろう。人間は、そんな綿の実を牛は消化できるからと牛に食べさせたりするが、それが回って人間の問題に回ってこないのか。乳牛に綿の実のかすを食べさせると牛乳が出る効果があるとされるが、それらのエネルギーが脂肪となって牛乳の生成に役立つのだろうけど、その牛乳を人間が飲むとなると本当に大丈夫なのかという問題。本来牛が食べないものを牛に食べさせ牛乳を生み出す感覚、牛の資料に綿の実なんか添加しないほうが綿の実なんてよいんじゃないかと思う。綿の実は、人間が食べると催奇形性や生殖機能低下という問題を持っている。少量だとただちに影響がでなくても、次の世代に影響が出るというような報告もある物質が含まれている。牛乳を介して間接的に取ってしまう可能性はないのか。

安価に牛乳を生産できる手段としての綿の実の活用だが、法的に問題がないとして実証実験して因果関係の結果を見るしかないだろう。http://www.book-stack.com/browsing/chikuken70_11t.pdf のp868あたりに詳しい。世界中の男性の生殖能力の低下と多きく関係してはいないだろうか。アスペストやPCBなんかも今は放射能のように取り扱われているけども、原発事故があってから放射能は漏れても直接的健康被害はないなどとほざく連中も出てきて、そういう連中が現場で放射能を浴びながら作業したらよいと思うが、それはほとんど無い話。

農薬の危険性を議論する番組で、グルホサートを2L飲んでも死なないと番組で言った科学者が、番組が用意してあるので飲んでくれませんかといわれると、「私は馬鹿じゃない」と飲むのを拒むのが、御用学者の安全理論。他のものが騙されて死のうが構わないが、自分は騙されないタイプ。日本の原発の安全性問題で、学者がプルトニウムは飲んでも大丈夫とか、自分が飲んで証明してよの話。学者のいう安全性とはそのレベルのもので、問題が起こっても想定外で予期できなかったで信じたところでなんの保証もない。小学校の理科の実験室のアスベストなんかも、今急に触るだけで癌になるといわれても触りまくってた人ばかり。学校での予防接種、小学校のときに一人だけ予防接種を受けない友達がいたが、お母さんが看護婦さん。医療関係の現場のものは注射針の使いまわしをしっていたので、本当に自分の子供の安全を考えると受けさせるべきではなかった。多くが、昭和の53年くらいまでに小学生だったものは、注射針使い回しの肝炎の被害者になっている。幼稚園で初めて受けた予防接種、興味すごくあって、何をやっているのか見ていた、注射器を交換することなく、液か針だけ交換して、注射器本体を使いまわしての注射が記憶にある。人間でそうだったのだから、ペットや家畜なんかも病気の蔓延は、行政や保健所の予防接種にあったりするだろう。看護婦のお母さん、注射を受けず異端児扱いされようが、本当の自分の子供の安全を考えて聡明な判断である。国がその問題を公表したのが何十年もあと。死んだものが死んで死人に口なしになってから。

福島での放射能漏れも、レーダーで感知しながらも、国も東京電力も隠匿で、6ヶ月後に公表。最初の数日のメルトダウンはない水蒸気爆発だったとかがまったくの隠匿で、国民の命や健康の軽いこと軽いこと。テレビ報道でも、放射能もれも報道されていないのに自衛隊員が放射能完全防備の振る装備ガスマスク状態で、まったく無防備の国民に接している。汚染された家畜に接しているようなもの。アメリカのロナルドレーガンのトモダチオペレーション、放射能漏れも隠匿して、被爆者続発で、東京電力が隠匿した罪で訴えられていてアメリカ人の人権は守られて、日本人の人権はないに等しい。3.11の放射能漏れを知ってて隠匿した連中は人とは思えない。水蒸気爆発だと流した保安院こそが、役目と反対のことをやってしまって責任逃れ。安全でないものは安全でない、放射能が漏れたら漏れたがいえない日本の隠匿行政。言うことを信じたら信じたものが馬鹿。
2018年10月08日
富士吉田の地域おこし隊の原田陽子さんが、ほとんど寝ない状態で準備。地域おこしの筆頭らしい動きである。林与もその前の日からほとんど寝ないで出発前の仕事の片付けと出発準備で、サービスエリアで2度休みながら、富士吉田に着いたときにはヘトヘトで最後の力で展示の準備。後はスタッフの女の子に任せた感じ。老兵は死なずただ去り行くのみかと外に出ると、いろんなイベントが開催されていて、それ以外に私の興味を惹いたのが寂れた昭和の哀愁漂う飲み屋街。富士吉田のガチャマン時代の名残だそうだ。昼間で私自身お酒はあんまり飲み歩かないのだが、昼間歩いてその雰囲気には魅了された。

角田医院という病院の建物。千と千尋の神隠しに出てきそうな入り口の建物を外から眺めたがすごい。富士山から流れる水の勢いが半端じゃなく、時速100km見ているだけでゾクッっとする。その脇の生活感の漂うツタの絡むアパートとか、田舎の生活というよりも、昭和のモダンな生活が古びたままに年季をもって存在している。商店街には空き店舗が目立つ、焦りが出て当然だろうけどもそれが潰されずに残っているのが、わたしからするとシャトル織機に対する思いと同じですごいなあと思う。

富士吉田のみなさんとの接点は今回が初めてではなく、ミラノウニカ初出展のときに、一人で参加したときに、最終日に富士吉田チームの打ち上げに誘っていただき参加させていただいたこともあり、前田源さん、宮下さん、槙田さんとは面識あって。他には、テキスタイルマルシェ関連で、奥田染工の社長とセコリ荘の宮浦さん、はらっぱの原山さんとも親しくしていただいていて、富士吉田でも今回もご活躍。NINOWのメンバーの方とも面識をもたせていただいていて。そして、与謝野のみなさんとも再開できて。新しい仲間みたいなお出会いもいただいて、こういうのって自分で仕事やってるからいただけるような特別なことで、自分がやっていることで出会いが増え、人生を豊かにできるメリットだろうなあと思える。私の中では仕事の関係があるとかなしに、年の上下関係なしに友達だったりする。

普段工場で作業に追われていることが多くあんまり外にはでないので、今回は沢山の皆さんにお会いでき、また、お話には聞いていたテンジンさんや麻福さん、前田源さんの社長の息子さんともお話などできて充実した2日間でした。ゲストハウスでゆっくりと寝ることもできたので、今日から仕事復帰で織機も動かし初めました。今回は荷物運びの脇役のつもりで初めて行った富士吉田でしたが、林与も一番楽しませてもらい大きな息抜きさせてもらった一人だったと思います。みなさん、林与は滋賀県に戻りました、ありがとうございました。
2018年10月07日
昨日は12時過ぎに富士山駅近くのゲストハウスに滞在。12時過ぎにチェックインで、一番最後のお客。階段を上がって行くと宮浦さんのところの新しいスタッフの女性もここのゲストハウスにお泊りで、覚えていてくださってこんばんわとなる。新しいゲストハウスで快適そのもの朝8時くらいまで滞在して朝食はどこもやっていないので車でロイヤルホスト。10時に会場に戻ると昨日だけの出展の方のスペースが今日は使われないので使うことができ、生地を横方向に拡張して見てもらいやすく配置する。

お昼に櫻井にうどんを食べに行くも、定休日。おかみさんのうどんという臨時に本屋さんが吉田のおばちゃんを集めてイベント的にやっているうどん屋さんで食べた。こちらは出汁も甘みも効いていて、食べやすい、子供のお客さんも食べていた。一杯食べた後、まだいけそうなので、2杯目に突入。富士吉田に来て、富士吉田の家庭のうどんの味を楽しめたかと思う。美味しかった。私がうどんを食べて、宮下さんの展示会を見て会場にもどると、スタッフの女の子は、NINOWでお世話になっているテリハエルの児島さんと神社散策に行っていた様で屋台も出ていて雰囲気が良かったそうだ。その後もう一度、終わりがけにコーヒーを飲みに行くと女の子二人で神社に出かけていった。

お天気に恵まれた2日間ということもあって相当の盛り上がりで、既存の設備や空スペースを利用して、地元企業の展示会場にしたり、テキスタイル以外にも食と文化の発信という要素があって、富士吉田の魅力を満喫できた2日間。東京造形大学や多摩美の学生さんなどもたくさんお越しになられていて織物の産地を楽しんでおられたと思う。前田源さん、槙田商店さん、宮下織物さん、テンジンさんなどと時間を過ごせる機会もあって、与謝野からも開く織物の一行がお越しで出会うこともできた。女性スタッフのほうが主役で、私は今回荷物運び役なのでと思っていたけどいろんな方とお話もできて楽しいイベントでした。

富士吉田というのは東京から1時間。東京での織物の生産が難しくなる流れの中で、富士吉田に移られて作家活動を始められる方も多いのではと感じたのが、お出会いのあった滋賀県大津在住の炭酸デザインさん。東京造形大学で勉強されたのち富士吉田で修行をされて奥様の実家のあるなん滋賀県の大津で今は作家活動。滋賀県は、デザインと女性の活躍を目指しているので、滋賀県での作家活動も悪くはないのではないかと思えるが、いきなり滋賀県よりも富士吉田のような場所で販路に関してもいろんな新しいアプローチを身に着けて独立のほうが、販路を滋賀県で見つけることはなかなか難しいだけに思う。

ヤマナシハタオリフェスティバルが、楽しそうなデザインロゴに溢れているのは、東京造形大学の鈴木先生という方が、パンフやPRに使われている絵をデザインされている部分があるそうだ。林与自身、ユーモアとか好きなので、ユーモラスなデザインというのは素敵であるなあと思う。林与のリネンちゃん、ラミちゃん、ヘンプくんもいつか復帰するときが来るのだろうか。
2018年10月06日
今朝は3時半出発で富士吉田に向かう。もう途中眠くて、サービスエリアで2度仮眠。予定通り8時頃には会場について準備開始。お隣は和歌山の中矢パイルさんご夫妻。今日は台風も着て雨が降るかもの予報で、開場してお昼くらいまで、お客さんがまばらな状態だったので、いきなり、お昼前に吉田のうどんに挑戦しに行った。櫻井という一番有名なお店の吉田のうどんを食べた。初体験ながらなぜか覚えのある味で、醤油だけでうどんを作った感じの味付けに近く、そういう素朴な元祖な味を守り続けておられるのだろう。キャベツもアゲも入っていてボリュームも満天以上なのだが、スープ派の私にとっては汁が少なめに思えた。関西のダシの効いたうどんに慣れている私が、吉田のうどんに慣れるまでには3杯は食べる必要があるだろうと感じた。400円でおなか一杯になって、会場に帰ってものどが渇く。

飲み物を買いに行こうとして、百貨店風の建物に入ったら服しか売ってないお店で、そこで奥田染工の奥田社長と麻福の北村社長に遭遇。3Fで、ワークショップを行われているそうで上に上がって北村社長と大麻の糸とかのお話。木曜日に滋賀県に起こしになられるということで、ついでに林与にも来週寄ってもらう話に。お昼過ぎから会場も活気づいてきて人が溢れる。前田源商店がオーガニックコットンのテントと即売を行われていたのでご挨拶。その横では、セコリ荘の宮浦さんさんが、就職、恋愛、開運マッチングみたいなブースを開かれていて、富士吉田の産地の担い手の発掘を行われていた。宮浦さんの会社、糸偏にも、新しい女性スタッフが会社に入られたそうでご紹介いただく。

午後2時くらいになると、睡魔襲ってきて立っているだけでもしんどいので、お寺の駐車場に止めてある車の中で夕方のレセプションまで仮眠しようと15分掛けて車にたどり着き、眠りについた途端に電話があって、会場に、小野カヤさんと大木戸さんのところにマナちゃんが登場で、林与がサボっているということで呼び戻されるも、よいお知らせも聞いて、睡魔に負けずに戻った甲斐があった。その後、また車に戻って眠りにつく。レセプション前にモンブランというかわいい喫茶店で、パスタで夕食。

夕方6時からのレセプションで会場に着くと、宮下織物の宮下さんと遭遇。芝生が生えたような緑のワンピースで、宮下さんがつくられた織物のワンピースを着ておられる。オペラ座の衣装に採用が決まったそうで、見るからに楽しそうな織物である。お隣にはテンジンファクトリーの小林社長がおられて、ご紹介をいただく。レセプションが始まって、飲んだ富士山ビールが驚くほどに美味しかった。そのあと、ハタオリフェスティバルの一環として横浜のジャズバンドのコンサートをバーで聴きながら、テンジンさん、レピヤンさん、宮浦さん、槙田さん、コンバーターされている方など、私からすると富士吉田や他産地の皆さんとお話しする機会をいただく。

興味深い話もあって、織物産業の担い手をどうやって見つけて育てて行くのかという問題、それぞれ会社によって正しい答えも違うのだろうと思えた。繊維産業というのは人と一緒のことをやっていれば今の流れでは落ちてゆくのが普通で、やはり自分なりに自分の正しいと思うことをやってうまく行かなければ軌道修正して正しいと思うことが成り立つようにもっていってうまく立って行くことが大事。企業規模によっても違うだろうし、ひとつの企業においても同じスタイルが永遠に続くというのは難しい話。競争相手がないほどに生き残られた技術力があるのだろうと思える。シャトル織機の耳の話が出ていた。

富士吉田の飲み屋街の雰囲気が、私は好きだったりする。なぜかというと昭和30年とかの風情が残っていて、廃墟化している部分もあったりするけど、ほぼレストアされずにタイムスリップしたようにそのまま残っているのだ。当時だとモダンな建物と思われるちょっとおしゃれ、時代を思わせる今からみると遅れの建物。これが次の世代に残っていると一つの文化遺産になるだろう。富士山があるので建築の規制があって高い建物が建てられないので、新しく立て直す人が少ないというのもあるようだ。古い建物がそのまま残っているというのもどこにもありがちではなく悪くないのである。そういうのを評価できる目というのもあってもよいんじゃないかと思う。吉田の櫻井のうどんも味が昔ながらで普通と違うというあたりが存在の意味があるのだろう。
2018年10月05日
ここしばらくは自分が織ってこつこつと調子を上げてきたので、今はシャトル織機の調子がすこぶる良い。

今考えているのは、もうすぐ入ってくる予定の仕事で、ビーム一杯に巻くので、200kg近いビームを2階から1階にどうやって下ろすか、昔はエレベーターを使っていたが、15年ほど前に調子が悪くなったときに年配の方が使うなの注意書きを無視して動かしてコジてしまって、工場内での溶接は危険で修理ができず、それ以来エレベーターは使えなくなった。130kgくらいまでならなんとか肩で担げるが、200kgは最初から無理で、別の方法。

台車を使って、階段の段差を直角三角形の木材で績めて斜面にして、チェーンブロックを柱に取り付けでガラガラしながら、斜面を台車を転がす方法を考えている。プロパンガスを運ぶような台車にビーム乗せることを考えているが、200kg負荷に耐える台車を探し中。織物工場というのは平屋が一番という結論だろうか。整経機なんかを2階に入れるとかもそもそも大変な話ではある。この問題も2週間以内には解決しないと。物理的な問題なので最後は人力で2人で運ぶことも可能だとは思うけども、1回だけならまだしも今回だけでも6回も作業が必要となりそうで手ごわい話なのである。
2018年10月03日
私自身、ものづくりを追い求めることが多く、深みにはまることもある。近江上布の広幅絣プロジェクトも織るだけなら簡単だけれども、染の部分を誰かに頼めるのかというといくつかの捺染工場に頼んでも無理だったので、自分で機材を作って染を実践的に勉強して自分なりの染色方法で広幅の絣織物を実現した。そこに至ったのが、5年ほど前のある失敗経験から。染色を自分でやりたかったが染料会社の方からアドバイスを受けて、自分でやるよりもプロに任せたほうがよいというアドバイス。見本をつくってもらって本番が入っていざつくる段階でその方が消えてしまわれて、自分が染色工場を正月3が日借り切って使った染料などを想像して発注して自分で染めたことがある。染色すらも経験はそれほどないのに、他の人がやったことをデータもなく再現しないといけない状況で苦しかったが、3日間タイムスで寝泊りして、近いサンプルを新たに作り上げた。

そんなどうにもならないほどの苦しみを経験するとやはり自分で最初からやったほうが簡単で今の広幅絣のプロジェクトは自分でやることにして、自分の環境の中でできる形での機材、技法などを独自に生み出した。とはいえ、2年前の雪の多い冬のこと、年末年始2週間で、反応染料による型紙捺染にほとんど寝ないで取り組んだ。これもまた十分な設備もなく、冬で染が乾かず、時間だけが過ぎてゆく、地獄ではあったが出来上がったものに感動をした。プロの出来栄えとはいえないものの量産の世界にはない味があった。

大きな洋型紙を彫るのも工夫をして、おじいさんの頃の2万枚ほどの型紙を広幅で蘇らせることが出来るようになり、海外の人々が驚きをもって観てくださる近江上布のアーカイブが、現実の絣生地となってしかも広幅で再現できるような技術基盤の目処が立った。昔の人が何人も何ヶ月もかけたことが、私一人の手で1週間から2週間ほどでできることになる。今の時代の布が過去の時代の布を超えることができないことが多いが、過去の布をも越えることができる要素を手に入れることが出来た。ゆっくりと働けるようになったら取り組めそうな楽しみの部分。

まあ、数年前の京都での正月3ヶ日の経験がなければ、今の広幅絣を自分でやろうともしなかっただろう。いろんな出会いがあって失敗があって新しいフェイズにたどり着くので、そういう経験がないと話をしても業界でも噛み合わないことも多い。広幅絣織物は、海外の展示会でも織物をいろいろみて歩いておられる方々にどうやってつくったのかと驚かれる。私はそういう驚かれるような違いの分かる方々に出会えることに驚くのである。
2018年10月01日
この1週間ほど、リネンデニムの調整。リネンデニムは、ほとんど業界でも見かけなかったものだが思い切ってトライしたのが2008年のこと。なぜ、リネンでのデニムが難しいと言われたのかということも良くわかった。織りだけでなく、染色にしても、その後の物性にしても、なかなか手ごわい。それでも、出来上がった布をジーンズにしてみるとすごくいい感じで、これはいけると手ごたえ。2010年には、インテキ上海と合同で行われた、国際テキスタイルコンテストで、林与のリネンデニムブラックが、国際応募の中では最高位の総合3位に入賞できたりしてデニムを手がけたことで、普段とは違う雰囲気も味わえた。

リネンデニムも、私が世代交代のときに立ち上げたプロジェクトの一つ。それが10年後の今も、林与の特色のひとつとして生きている。モノをつくるだけでなく、展示会や業界紙である繊研新聞などでも業界のニュースとして取り上げていただき、麻関連のファッションのトレンドを自分の生地づくりから作ってゆけるような感触。ほかに立ち上げたプロジェクトがやわらかリネンストールプロジェクト、リネンキッチンクロスプロジェクト、かばん生地、アイリッシュリネンプロジェクト、オーガニックリネンプロジェクトなど、世代交代の前にはやりたくてもできなかったことを、自分が社長になったのだからやって行くといことで、織りだけでなく、糸、染、加工、製品化も含めて。総合的に織物を考えて行くことになった。

先代は、問屋さん経由での販売に重点を置いたが、私自身は自分が自分で立つことの基本として、自分自身で生地を売るということにも力を入れて、海外の展示会などにも出展し海外のアパレルブランドの方々に自分が作ったものをみてもらうという形を目指した。清水の舞台から飛び降りる気持ちで、はじめて出展したジャパンクリエーションから10年。40歳のころというのは仕事面でも一番ピークのときで、やろうと思えばなんでもできた気がする。10年後の今、あのときの勢いがあるかというと、まだやりたいことは一杯あるのである。
2018年09月23日
仕事というのは慣れるとあまり疲れない。織機を5台6台動かしていても順調に動けば、糸の交換くらいが仕事になるので、暇なタイミングができる。そのときに暇にしていると待ち時間が生まれるので仕事が苦痛になる。止まったらすぐに動かし、手が開いたら糸を巻くとか、シャトルの管の整理とか、反物の検反とか、動くことで時間が経つのが速く感じるようになる。仕事に慣れるまでいかないと一つの雑用も退屈で苦痛だろうと思う。慣れて正しく動き回れるひとというのは仕事も沢山しているので上手である。

それくらいが普通でないと現場では食べて行けない。何か問題があるときに感覚的におかしいと感じられるくらいになっていないと仕事も苦痛だろう。日本の売り場には当たり前に良い物がならんでいる。それくらいのものが普通につくれないと仕事をもらえるチャンスも無く作っても売ることは難しい。私自身、仕事の現場で整経をしたときに、最初の印象が時間がもったいない気がした。まあ、珍しいタイプで自分で織物を作ろうとした。すると、糸がもったいないからと先代に言われて、自分の織物を作ることを封印。

そうしているうちに、先代が作っていた先染めの世界が売るのが難しくなって、私が麻織物の原点に戻る無地の平織プロジェクトを立ち上げた。よくある平織りではなく、超細番手の薄い生地や高密度生地、超太番手の厚い生地など、いろんな番手の限界に挑戦をした。それらがすぐに売れるということはなかったが、世界中探してもそういう経験を積むことができるケースは稀である。頭じゃなくて、体を動かして織ることを可能にしてゆく。外に出して織れない物でも自分の中だとうまく組み合わせることで織れる事が案外あった。

織物が織れないときに、何百本と切れた糸を何十回と直しながら、1ヶ月織機とにらめっことかも普通に思えるくらいでないと、なぜ織れないのかの問題がみえてこないこともある。前の工場で入れてから動かなかった織機が林与に来て動かなかったが、動くと信じて自分で見てみると15分で原因が見つかって問題は解決。解決できなければこの織機は動かないねえ、ワッハハで済めばよいが、動かない織機を抱え込んでしまっては織物工場は潰れて当たり前。もちろん他の人に任せて解決できる問題もあるけども、他の人に任せていては解決できない問題が多く、そのときに自分が解決しないといけないシチュエーションというのはこの仕事をやっていると多い。
2018年09月22日
自動運転車の安全性を語る上で、人間が運転した場合の事故率と自動運転車の事故率の比較があるが、事故が起こって明らかになったことだが、自動運転車はセンサーが危険だと察知しがちなので、センサーを切って走らせているというようなむちゃくちゃなテスト走行をやっている。自動運転の車はハイウェーを走っているとかでなければ、市街では危険を察知するから止まってばかりでまともに走らないケースが多いのである。テスト走行自体が、クリーンディーゼルの偽装と同じで、偽装モードでの安全テストでの走行距離。一番危険な市街だと実際にまともに走れもしないのに安全に走れたかのように偽装。事故があって露呈する、自動運転児童メーカーのモラルの崩壊である。

人間が運転するよりも事故は少ないということを偽装データを使ったまでやってしまう神経がわからない。テスト走行で人を殺してしまっても、安全センサーが働くので実際に走れないから、安全センサーを切って走らせたから自動運転が安全でないことにはならないとかのメーカーの説明だけど、テストドライバーが携帯をさわっていたとか触っていなかったとかでその事故に関しても泥沼。まさに自動運転自動車の問題そのもの。自動運転で起こった事故では自動車メーカーも運転しているものも、事故の責任逃ればかり。自分が雇ったドライバーが自分がやってるテストで嘘をついているからドライバーの問題という話になっているほどで、自動運転での一番の問題を露呈してしまっている。自動運転のテクノロジーの問題ではなくて、人の責任感の問題なのである。

携帯電話やリチウムイオンバッテリーが爆発する事故が、発生したときに、バッテリーが爆発する問題をメーカーが責任を取るのか逃げるのかの問題。自動運転まで行かなくても自動ブレーキシステムでも、ディーラーでの試乗で危ないと思ってもブレーキを踏まないでとお客さんがブレーキを踏まないで前の車に衝突してしまった事件など、欠陥システムの問題があって、一般人がやってしまったら個人の責任を追及されてしまうようなレベルの技術で安全が謳われてしまって、そういう自動車がその技術を謳いに市販までされてしまっているのである。一般に事故が起こって大破した車を調べるのも作ったメーカーで事故時に安全センサーが正しく働いていなかったなど自動車の欠陥を運転しているものが証明するのは難しい話であろう。

どこの国でも自動車行政は自動車メーカーに天下った連中がたくさんいるから臭く成り立っている状態。あたら自動車を買わせるように行政も自動車メーカーと一緒になって誘導する。大きな事件を起こしても自動車メーカーは潰れないカラクリは行政を含めた問題である。自動運転で、変な事故が起こるべくして起こっているのに自動運転を行政が規制するでなく、叩きもせずに行政が天下り寄生するような状態は気持ちが悪い。
2018年09月21日
糸を巻いてくれるおじいさんが腰痛で糸を巻く作業ができない状態。年末年始に相当痛そうで仕事がもう無理かもというくらいから春過ぎには回復された感じで頼んでいたのだが、ここ最近また腰痛が酷いらしい。それでも先日、そんな状況を知らずに糸を持っていくと2日で巻いてくださって持ってまできてもらって、そのあと病院にリハビリに行くといわれていた。そうやってまで動いてくださって有難いというしかない。糸を巻いてくださるおじいさんでも割り切りをもって仕事を喜んで受けてくださっていて、そこが本当にありがたいところである。今回は知らなかったのでもっていって巻いてもらったけども、次は様子を伺ってから無理のない範囲で巻いてもらおう。

糸を巻く仕事もそれを若い人が一日中できるのかというと、なかなかそうは行かない。難しいからとかではなくて、仕事を仕事として割り切れるようなところがないと憧れで続くような仕事ではなかったりする。体を使い、時間を使う仕事というものは慣れていないとなかなか難しい。机に座って勉強や仕事していた人が一日中立って仕事することは難しいものである。愚直に仕事をできる人でないとこういう繊維の地道な仕事は難しいのである。まあ、おじいさんも自営的な仕事としてずーっとやってこられたので出来る話なのである。

切れない糸だと機械化された工場がつよいだろうけども、切れて糸口をさがすことも難しい麻糸の場合には、人の力は常に必要で、熟練した技を機械で置き換えることは不可能なのである。年末にインバーターを取り付けしたので、それで仕事がやりやすくなったと喜んでいた下さった。機械によって仕事が格段としやすくなるケースもないわけではなく、目の前の仕事が一番上手にできるように工夫は必要であろう。熟練した技プラス便利な道具で、普通だと難しいことがやりやすくなり、不可能を可能にすることが出来る。

インバーターを取り付けたことで素人でも仕事はしやすくなるが、熟練の技と仕事への姿勢がなくしてインバーターをつけてしまったとしたら普通のレベルを知らないので熟練のレベルの技が身に付くことはないのかもしれない。関東の織機を関西に持ち込んだとしたら何が起こるか、関東と関西では周波数が異なる。関東が50、関西は60.関東と関西の境目がどこにあるのかというと、関が原?か。滋賀県は関西なので関東の織機を持ち込んだ場合には、周波数の関係で、速度を落とさないと基本織るのが難しい話になる。逆に関西の織機を関東に持ち込んだ場合には速度を上げてあげる必要がある。

モーターについているプーリーというものの直径を2割大きくすれば2割速くなるのであるが、プーリーを交換すればVベルトがしっかりと張るようにモーターの位置をモーターベース上で調整してあげないとならないが、駄目なときには、
Vベルトの長さの違うものに交換したりしてあげないとならなかったりして、プーリーの交換は厄介なのである。あと、織物が織りにくいときにはスピードを落として織り易くしてあげるとか、織りやすいときにはスピードを上げて生産性を高めるとか、織る織物によってスピードは変えたいと思うことがあるときに、プーリーの交換では大変でインバーターがあると便利。シャトル織機の場合にはクラッチ式なのでインバーターの取り付けは容易である。

インバーターの取り付けの問題としては、取り付けてモーターの速度を上げてスピードを上げるとシャトルを叩く速度が上がってしまうのでシャトルを叩く強さを弱めてあげる場合があたり、シビアな織物の場合には、シャトルのテンサーを調節して糸の調子を緩くしてあげる必要があるが、20%程度までとか大きな速度変更でなければ必要だろう。インバーターによって速度を落とした状態と速度を上げた状態では2倍くらいの自由な速度調整が可能になる。インバーターも、昔は10万円コースだったが、今は1万円ほどで手に入り、クラッチ式のシャトル織機には取り付け取り外ししやすいから取り付けて損はないだろう。
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