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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年8月
リネン日記:28
2012年08月08日
ここ数日は、少しカラッとしたさわやかな日が続いていて仕事がしやすくていいのです。一方で、中国では台風が大変だとメールが来ました。この微妙に過ごしやすいお盆前というのは、中国での台風の影響が出ているのかなあと。

昨年の秋に、バッグ用のテキスタイルを厚い厚い織物をということで開発しました。自分自身で、製品にしたときのイメージがどんな感じになるのかということで、林与オリジナルエコバッグを作ってみたりしました。今日は、後染で素敵に仕上げたタイプのもので、バッグが出来上がってまいりました。

バッグの専門メーカー株式会社ロットさんに作っていただき、紺の生地でショルダーバッグとリュックタイプのバッグです。存在感があっていい感じです。自分で作った生地ですので贔屓目に見てしまっているのかも知れませんが、普通の感じではない高級な感じがします。

この生地というのは目付けが重いのとその重い生地を染め上げてあるので、デニム生地の2倍ほどの目付けで、売ることを考えてつくったというよりは、しっかりとしたリネン生地を作りたいと考えてできるかぎり厚く織ってみました。インターテキスタイル上海で、ブランドの皆さんに製品にしたときのイメージということでお披露目をしてみたいと考えています。
2012年08月07日
ここ数日、織機の調整に毎晩ほど時間を費やしています。シャトル織機というものは、シャトルを挟んでしまうとバランスが崩れるので、シャトルを挟まないように織れるか織れないかが大事です。シャトルを挟むことは車で接触事故を起こすようなことで、熟練した人だとほとんどありません。シャトルを挟んだときにたくさんの糸切れなんかが起こると、それは、車を板金修理にするかのように手間と時間が掛かってしまうこともあります。

私自身は、北アイルランドでリネンの細番手が紡績されなくなった背景に、シャトル織機がレピア織機に置き換わったことがあると考えています。レピア織機で、25番、40番クラスの製織が非常に簡単になって、リネン全体の生地相場が崩れたことと、細番手をシャトルで織ることは何倍もの時間を要するために、高く売れたとしてもその手間隙を吸収することは難しいものです。

生産性が高くなるということは基本的には良いことですので、日本の場合も、1970年代中ごろから和装が衰退し低迷をした繊維業界を生き返らしたのが、広幅で織れるレピア織機の普及でした。その後、ウォータージェットやエアジェットなど織機の高速化は進みますが、麻織物の場合は、糸の切れやすさなどからレピア織機どまりのところが多いようです。

林与でも、130インチの織機が動いていた時代30年ほど前です。広い幅の生地を求められるのが今の時代ではありますが、広い幅の織物というのは品質の面でトラブルというのが多すぎたのが昔の日本のアパレル基準で、広く織れば織るほど別の問題も多く、働く人の高齢化や女性がメインの織場では、110cmくらいの仕上がり幅くらいの織物のほうが無理がないものです。

実際、手織りの世界というのは人に優しい時代なのですが、それも労働集約すぎ生産性がないもので、手織りを謳うものほど産地が怪しいので消費者も注意しないとなりません。一人の職人が高品位の密度の高い手織りのものだと一年に10反から20反を織れるかどうか、国産の着物の流れを汲む手織りの特徴はしっかりした打ち込みの高密度で、高級なものというのは細い糸をしっかりと打ち込んで織ったものです。

わたしも、麻の産地の地元で悲しいほどの手織ものを見かけることがあります。織りムラがひどすぎて、海外の子供の手仕事で織ったのだろうと思うのですが、国産のものと海外産のものとの大きな差を感じ安堵をする一方で、使われる方というのはその差が分からずに麻の良いものとして基準になると本業でやっているこだわりすらも危ういなあと思います。

別の話では、業界の皆さんがおられる席で聞いた話に、ある麻関連の会合に、近江産の麻ジャケットを着てきてくださった皆さんのお知り合いの方がおられてその気持ちには感謝するものの、毛むくじゃらのラミーで産地の麻布のイメージとは違いすぎて、もう少し産地らしいものを経験していただかないと本当の麻の良さも伝わらないのではないのかという話になってしまい、本人のご好意とは裏腹に気の毒な話もあり、その方にもそれが産地のイメージのものとかなり違う世界であるのを言いにくかったということで、私はその場にいなかったものの良くありがちな話です。

といいつつも、私自身も、工場に出入りすることが多く、汚れてしまうのを気にして市販の服で済ませてしまうことが多いです。特に外に出るときなどには自分自身が手がけたものを身に着けるようにしていかないとならないなあと思います。自分で作ったものというのは自分で育てた野菜を食べるかのようで、別の意味合いが多いのを感じます。地元産にこだわる原点に、農業なんかでも同じですが、自分自身ができることがすべてですので作っている人というのは正直なことが多いものです。

地元の自治会でも、カルガモの自然農法をやっていますが、それがどこまで通用するのかというと、やせ細った実の成らない稲が出来上がってしまいます。そういう方と実際に話をすると、カルガモに餌を上げているだけでは難しく、肥料をあげないと実すらもが取れないのが現実です。案外、本当に支えている人というのは正直に物事を話して、それに気がつかないとならないことを諭してさえくれます。
2012年08月06日
超高密度の織物を織っていますが、この織物というのは簡単に織れるものじゃあないなあとつくづく思います。これは糸に水溶性ビニロンを巻いて織る林与では珍しいタイプなのですが糸からしても細番手のリネンを使い、総本数からすると一時間に300本程度つなげるとすれば縦糸をつなぐだけでも普通の人の3日分の仕事。つないでから織り出すまでに数日使ってしまって、織り出せたと思ったら縦糸の送り具合の調整、最後にまた夜中、調整を数箇所掛けて結局織機に乗ってから2週間ほど掛かって安定させました。

どこをどう調節すると織れるのかということは本当に感覚的なものに近いです。調整も、目、耳、手、脚、体を妥協なくどこまで動かすか。シャトルを挟むとバランスが壊れてしまうので、シャトルを挟まないでどこまで調子よく織り進めることができるかが大事で、器用な人でないと綺麗に織ることは難しいものです。

この織物もなぜここまで織るのが難しいのかというと、無理やり難しいところまで密度を上げたためで、実用的に織れるかなあと思うぎりぎりのところで規格を定めたので、織るのが難しいのは当たり前といえば当たり前。織機の具合が悪くなったときも、一番困るのがなぜ悪くなったのかを織っている人が、その状況を説明できないと完璧に調整したつもりでいるだけに、どこを触って調子を元に戻してよいのかも分からないのです。

織機を調整するときの一番大事な調整方法のコツというものを知っているか知っていないかが大事で、シャトルの場合、調整箇所なんていうのはたくさんあるのですが、そのそれぞれを緩めてよいのか締めるほうがよいのか、的確に判断できないと調整も収束しないばかりか、バランスが壊れたときにどう立て直すかすら分からないと本生産の途中で座礁してしまいます。

怖いなあと思うほどのリスクの高さで、林与でも10回受けたとしてそのうち何回うまく仕事がこなせるかという自信がないのです。これは、おかしな話ですが同じタイプの織機でも微妙な織機の状態で織れる台と織れない台があったりするものですし、シャトルの調子ひとつでも調子の良いシャトルを挟んで壊してしまうと、次の調子の良いシャトルを見つけ、調子よく糸がでるようにゴムの調節など。今回もなんとか調子よく織れるところまで持って行けました。仕事というのは一つ出来ないとその仕事に追われて他のすべてが止まってしまいますので、一般的には安全な範囲でどう仕事をするのかが仕事をスムーズに流すかのコツではありますが、こういうリスクの高すぎるステートオブアート的な織物も惑星直列的な偶然の成果物的な天の恵みで、作れなくなるときがくることも当然あると感じるので、今挑戦しておくことは大事だろうなあと思います。
2012年08月05日
先日もLEDの業者さんから電話がありました。工場の電気をLEDに変えませんかというセールスです。コンビニなんかもLEDに変えたところが多いのでLEDのほうが明るくてよいのかなあと思ったりしますが、色のみえ方というのが大事です。

私は、色を織りながら自分で良い悪いを決めていきます。織って駄目なら、より良い色味に調整を掛けるのです。着物の時代の近江の機元というのは、着物というものが同じ形なだけにデザイナーそのものでした。織物をつくるものがデザイナー的でなくなった今日の日本というのは似たものばかりがあふれて弱いなあと思います。

色というのは、一つの色は一つの色じゃないのです。光源によって色というのは、色味が違って見えます。まったく違って見えることもあるのです。光の反射が結局、目というセンサーに波長として伝わるので、波長の違う光の下で見ると、色というものはまったく違って見えるケースもあるというより、多いもので、それがLEDともなればまた違う風に見えてしまい、機場で色糸を組み合わせることが難しくなってきます。

慣れればたぶん大丈夫でしょうが、先染めの織物を扱っていると、色の再現性の問題でのクレームは非常に多いもので、納期に追われてすべて作り上げた後に色の問題が出てきてしまうと、それが没にしてやり直したとしても求められるものを作れるのか?という極限のプレッシャーに追い込まれます。

残り時間ゼロの状態で、次に成功するかどうかも分からないものを手探りに作り直すというのは、中の仕事がすべて止まるだけでなく、外の協力工場にも他の仕事を止めて協力をしてもらうがために非常に大きな迷惑がかかります。、

一休さんの話で、川に落ちた1文を探すために20文の松明を使う話がありますが、それに似たことを常に覚悟して仕事していないとならないのが、次から次に新しいものを求められ、正しく納めないといけない今の時代、LED一つで、今までの色の勘にぶれが来るのが怖いです。慣れると大丈夫だとは思いますが…。ローテクな工場で、ハイテクの否定、時代遅れそのものですね。
2012年08月04日
キッチンクロスのHDタイプが最近ようやく織りあがりました。これも半年ぶりくらいの在庫の拡充で、ストール関係もパープルX生成とブルーX生成、リネン150番手ストール生成、L60番手リネンガーゼストールのカラーバージョンなどをつくったりして、在庫を増やしました。

定番のソフト仕上げなんかにしましても、いったん在庫がなくなると半年とかときには1年とか生産に掛かってしまうというのはいかがなものだろうかと私自身思うのですが、特にシャトル織機で織るリネンというのは通常の織機に比べると3倍くらい時間が掛かってしまいます。ストール用の生地や切り売りでお買い上げいただく生地の場合には、耳まで大事なことが多いので急いで作ることは良くないのです。シャトル織機で織ること自体が技術を要するのでどうせなら綺麗に織り上げたいものです。

この数日、リネンの高密をを織るために最初の打ち込みをあげるのに時間と頭を費やしています。レピアとシャトル織機の織りあがりの風合いの違いに関しても、林与の持論だった話も織物業界の中でも定着をしてきたようです。シャトルの織物がふっくらとしているのは、シャトルから出るノーテンションに近い糸が斜辺的に打ち込まれることにより、織った時点ですでにゆったりと織られているからです。シャトル織機で厚いものが織れるのもそれが大きな理由です。

織れない糸を織れないとわかりながら、同じ糸を、レピア、ジャガード、シャトルの順番で織機に乗せてそれぞれに1週間以上の織機の調整を掛けたことが昔ありました。レピアというのは、素人の人でも織れるように壊れるまでの調整ができないように歯止めがしてあるのを強く感じました。ジャガード織機というのは柄が織れるだけでなく、縦糸のコントロールという面では優秀で、北アイルランドのダマスク織りなども今は最新のジャガード織機で織られていますので、複雑なものを手がけるときに一本一本に掛かる負荷をジャガードの機構があるていど調整する力を持っています。

しかしながらも、一番織るのに適しているのはシャトル織機で、織機だけの問題ではなく、一度馬鹿な調整をして織ってしまうと織機が修復不能になってしまうシャトル織機というのは、調整しだいで同じ織機でも別の座標で織物を織ることにつながります。

織物を考えるときに織物というのは普通に織れるものだという感覚があるかもしれませんが、それは普通の織物の世界で海外のように量をたくさん流していくことを考えると普通に織れるものなのです。そういうものというのは物性なども当たり前に安全で、糸の良さで物性をカバーするとか、染めの良さで物性をカバーするとかまで行く必要がないものです。

ほんとうはそこまで張り詰めて考えて織物を作る必要がないのかもしれませんが、世の中にないものを求められるときに、そのリスクが理解できていて全体で共有しながら良いものを作ろうとしていくと簡単なのですが、アパレルメーカーさんというのもOEM生産が多くなり縫製の技術がないと、素材の特殊性を生かして、特別なものを世の中に出すというのも出来なくなってきています。

検査がすべてであるという素材の判断は、逆に素人でも素材が扱える世界につながり、先日も検査に精通されている方と話をしていても、数値依存で素人なものしか作れなくなったなあという話になってしまっています。数値に依存することなく、自分の目や手で職人的にトータルなものづくりができることこそが、神の領域に達するような差別化したものづくりにつながるのですが、紙の領域に縛られ大手ブランドさんほど素人なものしか扱えないということも多いものです。百貨店店頭と路面店ブランドとでは、路面店ブランドのほうがものづくりに精通しておられるケースが多くなってきています。

繊維で品質偽装や産地偽装問題が頻繁におこるのも、本質的なものづくりが欠如して、謳うべきがただ単に組成や産地に依存してしまっていて、どうゼロのものを10倍にして売るかを考えているばかりな最終的には消費者を騙す結果になってしまい。ふぐや牛肉じゃあありませんが、着物の時代から繊維業界というのは似たような体質が常にありますので、確かなものづくりというのは大事だなあと思っています。産地のイメージを守るのは常にそれとの戦いです。

プロの目が欠如して。麻の業界においても誰もが糸も手に入らないといわれたアイリッシュリネンがその希少性を売りながら大量に出回りましたが、中国紡績の糸がアイリッシュリネンの糸を使用していると謳われながら、日本での大手の糸商さんや百貨店ブランドさんが生き残るためのありえない差別化で素人的な偽装。百貨店さんも騙されすぎてはおられるのですが、そういう業者さんは商売の体質ですので懲りないといけないと思います。

数箇所から南アフリカで紡績されたリネンがイギリスの船積み証明をとって、アイリッシュリネンとして販売されたという話が業界では流れています。超高級ブランドさんが騙されたのか、嘘話にのってしまったのかは分かりませんが、リネン業界でも高級ブランドさんが謳いにされた部分がデマとして流れいます。高級ブランドさんも気の毒な話ですが、ブランドの名前を背負っておられるだけに、業界では当たり前に担当された方の資質というものが問われますというか、偽物をつかまされてブランドとしての存在が自体危ういところ。

麻業界でも近江湖東で織られる麻布というのは本当に希少になりつつある中で、百貨店さんもアイリッシュリネンの二の舞ではありませんが、しっかりと、機屋で本生産をしているのかなど確かめてその希少性をしっかりと謳ってもらうことが、素人の世界と違うプロの対応ではないかと思います。海外や他産地ものが増える流れの中で、消費者は本物を探しておられるのに百貨店やブランドさんが偽物をつかまされたり、消費者を騙すことになってしまっていたり、京都の西陣織などでもそのほとんどが海外で生産をされてしまって、消費者は本物の産地産にたどり着くのも何十分の一、何百分の一の確立であったりでとういのが普通になってしまっています。産地に来て、産地産だと信じても、京都の呉服商さんが扱われるものは海外産の手織りの麻布だったりします。産地では手織りは何十年も昔から、ごく一部を除いては、海外産がほとんどというのは有名な話ですが、産地の実情も知られないで産地産だと信じておられたのが逆に不思議でした。

本物を求められる消費者の方には、本物志向で本物にたどり着いていただきたいというのが思いです。産地でつくり続けることは安い多産地産や海外産が同じ看板を背負ってしまうと難しいものです。産地フェアーなんかでも、一番大事な謳いの部分がごまかしというのも買われる方にとっては厳しい話じゃないですか。
2012年08月03日
今日は、午後から東京のお客様がお見えになられ、夕方、出荷などを少し済ませて、そのあと、長浜でお客様とDENさんのスタッフの皆さんと一緒に食事をさせていただきました。縄という古い町家を改造した居酒屋さんで創作的な料理がおいしかったです。

会社に戻ってから夜中に織機の調整を掛けていますが、縦糸切れが収まらず、明日の朝、部品を細工するなど本格的な調整を行わないとならないなあと。織れないと思っていても最後には織れることが多いので、織物というのは面白かったりいたします。

今週はずーっとお客様続きで、宿題なんかは一杯いただいたものの、新たなものづくりが始まります。今の時代というのは仕事がない時代だといわれていますが、やろうとすれば仕事なんて一杯あるものです。そこで一番大事なのが自分で仕事を作れるか作れないのか。昔の人が織物を始めたのも、農業のB面としてでした。自分たちが食べるもの、着るもの、住むところを作ることまでもが、自分たちの仕事でした。

分業化がどんどんと進んで生産性はあがったものの、一人の人間がものを作り上げる力というものがなくなってしまったことは、残念なことです。
2012年08月02日
上海ブランドのデザイナーがお越しくださいました。実際にお会いしてお話をさせていただき、特別なものを作ろうとされていることが強く伝わってきます。来年のAW向けのお話でベースとなるものの試作のアイデアが固まりました。

林与のつくる素材の中でも特殊な風合いの素材を使っていただいておりますので、ヨーロッパのマーケットで非常に反応がよいというお話です。
2012年08月01日
8月になって、すがすがしい一日に恵まれました。今日は、朝から滋賀県の東北部工業技術センターの職員の方がお二人、センターの施設利用の資料などを持って来られて、雑談のあと工場を見学されました。

林与の手元には、昔の糸や生地など分析してもらいたいものがたくさんあるのです。赤苧の話を聞いていますと、青苧と比べると繊維にしにくいということで、やはり、近江上布の特色のひとつである細番手のものというのは赤苧だったのではないのかなあと推測です。大麻というのも裃に使われていた以外に、座布団や資材系などにたくさん使われていたと思います。青苧というのは全国的に一般的な麻織物だったといえます。ヨジヨモンが赤苧大絣で一等賞を取ったのも、素材としても良いものであるという認識があったからだと思っていますが、昔のきぬあさなどの手績の糸を分析してもらうなどすれば、その結論も見えてくるのではないかと思っています。

午後からは、京都のプリント工場さんが弊社に見えられまして綿のベースに近江上布柄をプリントしたものをお持ちくださいました。同じ柄であっても、リネンにプリントするのと綿にプリントするのとでは、色の出具合が異なってきます。綿のほうがきれいにプリントされた感じがあるのですが、絣調にしてありますので、普通のプリントとは違ってみえて良い感じに思います。

私にとっては今年の夏の天候というのは特別の夏に思います。日本の夏らしい夏が久しぶりに返ってきたのではないかと思うところです。私が小学生のころは、エアコンも普及を始めていましたが冷房は28度までみたいな時代でした。同じ国でも時代が変わると電力不足に対しての対応というも変わるものだなあと思います。