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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2021年11月20日
軽自動車が車検で気になるのがドアミラーが破損してテープ止めしてあるあたり、車検とは関係ないかもしれないけども、車検してくれる方も車検を通さないといけないときに気の毒なので、それを修理してから車検に出そうと思って、中古でパーツを手に入れて自分でドアミラーの交換。

普段、シャトル織機を修理していると自動車のほうがプラモデルみたいで簡単にパーツ交換が出来たりもして、ソケットレンチのような奥に入り込んだネジを外す工具が一つなかったので、近くの中古工具店にいって、三又のソケットレンチを120円で購入してネジは無事に外れた。手に入れた左ドアミラーと交換してあとはもとに戻すだけ。

試乗がてら、平和堂の100円ショップに行こうとすると中からドアが開かないことが判明した。内側のドアを開閉する動きが正しく伝わっていないんだろうなあと、会社に戻ってから再度中を確認してきっちりとドアの開閉する動きが伝わるようにセットし直すと直った。ドアミラーの交換というのも調整がほとんどなくて、それほど難しくないことなのだけども、母親が口を挟むと毒のようなことばかり、自動車屋さんに直してもらいなさい見たいなことをやっているのにいう。母親というのはお金払って解決してきたタイプの人なので、普段、自分が物事を解決してお金をもらう側の立場の行動をりかいしていない。扱うものは違っても基本的な作業は同じだったりする。

リースしているコピー機なんかもメーカーの保守から外れて、自分で中古のパーツを見つけて交換して修理してしまえば簡単ではないんかとおもうのだけども、そうするとリース物件なのでやっかいだったり、リース物件が新品のパーツがなくなり保守できなくなったときには、それ以上の修理は難しいことになる。知り合いの業者の方を通じているので、その方はいくらでも引き上げて来た中古のはあるけども、最初と最後の出し入れにお金が掛かってしまうので、問題があったときには交換とかする話になるとそういうのが高くついてしまうとか、親身な対応。

企業というものは、7年ほどでいろんなものを更新して常に新しいような状態で回っているのが一つの理想的なスタイルだろうけども、織物のような製造業では、その考えだともう織物が衰退する一方の日本では難しいだろうなあと。どうやって違いを生み出して行くのかは自己解決的な要素を増やして行くことだろうと思う。普通よりも器用になって普通の人だと無理なことを普通にやっていくみたいなあたり。人に頼むのと自分でやるのとでは、やはり自分でやるほうが、いろんなことが見えてくることも多い。

自分でやっていない人というのはやらせないタイプの人が多く、他の人にやってもらうことを仕事としている人が多く普通で、一からものごとをたちあげるとかやろうとするときに、いろんな綺麗な部分に当てはまらないとか問題発生などのようそを解決する人がやはり必要で、そこらあたりをどう解決して成り立たせてゆくかが本当の仕事の大変な部分だろうと思う。だれかが成り立たせてくれると思っている人が多いけども、物事というのはやってる人たちが成り立たせていくだけのことだろうと思う。
2021年11月16日
白黒の複合機が15年選手位になっただろうか、メンテナンスも保守部品がないということでとうとう引退にご苦労様でした。今は、文章や画像もメールでのやり取りが多くなり、ファックスで画像を送るようなことも減ってしまって将来的にはファックスというのは消えて行く運命にあるのだろう。スマフォがあればファックスの代りにもなるみたいな流れ。

最後の処分なども自分でするのもメーカー指定の処理業者に送ればよいだけということで思ったよりは難しくない作業。壊れていても構わないということで、上下二つに分けて返却。今は、電化製品も業務用は処分が難しかったりしてその点は簡単にすみありがたい。登録電話番号のデータなども消してから送ろうとは思うけども、メーカーのリース会社指定の処分業者だとそういう点は情報が漏れることもないだろう。処分する時にはそういうの本当に大事である。

電話機も調子が悪いのでこの年末には交換をする予定、30年以上使ったビジネスフォン。おじいさんの古時計じゃないけども、30年くらいはすぐに経ってしまう。本当の昔の電話機だと30年くらいでは壊れないだろうけど、多機能な電話機ほど壊れやすいもので、たぶん、コンデンサーの影響もあるのかもしれない。子供のころに音のなっていた昔のナショナルのラジオは何年放っておいても、今も現役で音が鳴るのに、今の電化製品はメーカーの延長保証5年を付けておかないと、1年2年で壊れて修理で、修理代が定価ほどかかり購入価格よりも高いみたいな話もありがち。

メーカーの人も修理が難しいから、結局、内部を全部取り換えるみたいな修理方法しかないのだろう。スマートフォンなんて、ドコモの安心サービスに入っていても、同じ機種が3年くらいでもう手に入らないから別の下のグレードの機種にしてとかの話で、慣れた同じ機種を手に入れるためには、中古で同じ機種を手に入れたほうが良い話。



2021年11月16日
仕事をしていて初めのひとほどいうことを聞いて仕事ができるのだけども、経験者ほど言われたことと違うことをやってしまうという問題があって、後でやるとかそういうのが多くなってくる。社会経験の少ない田舎の人の典型なのだけども、織物の問題などあっても、その場で対応せずに後でやるからといって、問題が自分で見えていないだけでなくそういうのにも対応できないタイプの人が現場には多かったりして、仕事としてはなかなか難しい人が多いのが田舎の実情だろうとは思う。

本来は分業の中でもしっかりと分業を成り立たせないといけないのだけども、そういう人たちが集まってしまうと、他の人に要求をするばかりになってどんどんと仕事がだらしなくなる。そして一番当たり前の正しく仕事をするも何十年の経験者が無理になったりして、その最たるものが先代だったりしたがだれもそれに気が付かづに大口をたたいているのでそういう人に頼ってしまう。その次が母親でそういう先代からお前はだまっていろといわれて仕事もせずに仕事を面倒がっての一生で、田舎にありがちの逆らい癖ばかりのおばちゃんの典型で、1日のアルバイトのようにも働けないような、まともなことが難しい田舎のおっちゃんおばちゃんの典型で、逆に指図ばかり。

あるイベントでトヨタで世界中を飛び回って現場を担ってた人が、5分ほどやっていることを見て、いろいろとできるひとがなぜ織物みたいなことをやっているのかが不思議だといわれるのも分かる話で、普通の話が通用せずに、だらしない話が多いのが田舎のおっちゃんおばちゃんの世界で、そういうのを立て直そうとすると普通の人の5人くらいの力がないと面倒も見ることは難しい。弟や妹は私があまりにあきれてそういう世界からは逃がしたけども、外の世界をしらない人たちというのは怖いくらいであったりして、地道にそういう人たちの準備や後片付けまで支えている人間にマウントしてくる人が多いのが壊滅的だろう。

織物なんて何十時間とか何百時間もかかって出来上がるものだけども、一つの仕事を面倒がる人が集まるとすべてが台無しになる。末端の仕事をなんで私がしないといけないのみたいな経験者をよく見かけるが、そうなったらその人は一番仕事が難しい人だと思う。先代も一番仕事ができない人になってしまっていて、結局そういう人が上に立つと仕事の本質、働くがみえなくなって、なにをやっても仕事を成り立たせるが難しいになってしまう。勘違いしてしまうと自分が働くのがおかしいみたいな、ワシがやるのか?みたいな世界があって、仕事で経験者なら年を取っていてもせめて仕事する気持ちくらいはもっていないと、そのあたりが一番成り立たない話になる。

偉そうそうに金をうごかしていたら働いているとおもってるからどうしようもない。ゼロやマイナスからでも成り立たせるようなまったく逆の発想がないと落ちた経営というものを逆に戻すのは無理な話で、戦争ですべて失ってそこから成り立たせた与一爺さんが、先代に厳しく行っていたのが、借金してまで仕事するなだけど、先代は6億の借金作ってどうしようもないのだが、借金自慢とかで、それを立て直すにはそういうのに甘えていた他の人たちを逃げさせて、立ち直らせるために働く覚悟と力が必要。けど、田舎商売の末路ってだいたいが驕った先代っぽい感じでというのを多く見ているだけに、大塚家具だと久美子さんっぽいのが先代だったりして、引き継いだものをどんどんと惰性でやって溶かして、わっはっはあで、大きな負債まで作ってしまうのが田舎商売にありがちな話。

私の手本となるのは真面目に働いて仕事を教えてくれた方々で、自分の親が一番仕事が駄目なタイプというのも厳しすぎる話で、そういう何億もの問題の話をを片付けて成り立たせてゆくのが私の仕事の一部で、普通に地道に仕事すればそれすらも無理ではない話だろうとは思う。大手企業が厳しいといっても、私も大手企業の製造現場で働いたこともあるけども、林与の先代経営も駄目でできなくて当たり前な仕事感覚でそれを穴埋めするのが大変なことばかりな状況。外の世界がみえないと、自分が作ったら売れると勘違いしてしまってたら怖い話で、ファッションの世界では、ブームでたまたま売れているものをいつまでも売れると思って、せっかくブームの終わりに使い切っても、もう一度、最後大量に材料を購入して抱えてしまうとか。

30年ほど昔のバブルの終わりかけのころに、三井物産の部長がこれからはインターネットが広がり土地や建物が必要なくなり始めると就職活動の学生相手に話。当時は私はインターネットもしらなかったが、土地バブルが崩壊し始めたときに、すべての価値観が変わってゆくというのを見極めることは必要で、今に浮かれるのではなくて、常に変化に敏感で順応してゆく能力をもっていないと、同じ仕事という土俵では、経験の長さなんて意味のないことで有ったりもする。根本的な価値観が変われないと難しい時があって、田舎というのはどうしても後追いでついていっているというような構造になりがちで、田舎でやるなら田舎の価値観をしっかりと持って地道にやればよいとおもうのだけども、私はそれが本当に大事だと思う。流行や流行りについていけないなら、地道に物事を成し遂げてゆくというようなぶれない精神が大事で、それも一つの大きな失敗をしない一つの手段だと思う。

地の利というものを享受しにくい田舎では人の地道な力というものが本当に大事だと思うのだけども、そういうのを失って世間になびいてしまうと、田舎で生きてゆくのは、政治や行政に頼る様な本来は成り立ちにくい構造を生みいびつな構造につながりやすい話だと思う。現状打破的にもっと地道にやっていこうみたいな外の世界では当たり前なことをいったりすると、それを嫌うのが変化したくない人たちで、経験の長い人たちがそんな難しいことをいうなよ、どうでもよいのよ、で成り立っている社会というもの外の世界の厳しさもなくどうしようもないのを感じる。次の世代に強いるよりも、自分たち世代がしっかりと覚悟も決めて一つ一つの問題を解決してゆかないと、問題の後送りとか我の世界の無理を押し付けてばかりでは次の世代は困る話。
2021年11月13日
仕事していると体も使うし頭も使う。体を使うのは、シャトルの横糸がなくなれば交換作業、これが2台3台動かしていると、太い糸だと2分毎くらいに作業。糸を巻いて糸を掃除。織れている布が問題がないかを見て回るとか、問題が起こったときにいろいろしてみるとか。

昨日は女の子がシャトルの木管の管を裸にする機械の調子が悪いようで、自分で修理しようと動いてた感じで直すのが難しかったようで、仕事終わりに見てほしいということで見てみる。モーターに掛かっているVベルトが緩いのでモーターをVベルトが張るように少し移動して、あとは、回転している糸を巻き取っている木枠の動きが重いようで、その両側の支えている軸のところに油を注してみる。

全体のバランスが整ったようで、力づよく動き出したが、力強く動きすぎるのももし、無理な負荷が掛かったときにモーターの回転が逃げられないといけないから、モーターの位置を少しVベルトが緩むくらいに戻しておく。

今日は、先染めの糸量などの計算で、糸量を計算するためには縦横につかわれている糸の本数をすべて計算しないといけないのだが、これがなかなか時間の掛かる作業。以前のリピートの仕事も含まれているのだけども、その時の仕事は当時の働いていた人の書いた記録を確認しながらなのだが、微妙に残っている当時のサンプルと本数が違ったりして、すべての本数を数え直す作業。

単純に、理論上の重さを計算しても駄目で、原糸での4%のロスとか、染の時のロスやチーズアップの時のロス、整経のときのロス、織るときの前後のロス、経糸が織れて縮むロス、織キズのロス、加工のロスなどを加味すると、難度の高い多色の先染めだと4割程度余分に染めることになる。織ってみないと厳密な縮み律やキズのロスなんて分からないし、途中で糸を巻き損ねるだけでも2割とかの余分では足りなくなる可能性は高い。多色の場合、1色の糸が足りなくなると他の糸が使われずに残ることになり、大きなロスが生まれる。

私は指図書なんかも最初から書けるので指図書を理解するなどは容易なことなのだけども、現場の人というのは指図書を理解できないことのほうが多いもので、そういう人が仕事をするときには間違いも起こりやすい。職人的な仕事というのは用意された材料を指図なしに慣れで仕事するみたいなところがあって、普段と違うやり方などが含まれたりすると、もうそれだけでやってみれば簡単なのだけどやるまえから説明を聞いただけで、できないとなることも多い。
2021年11月12日
昨日の仕事の終わり掛け、発送が終わって車の中で少しくつろいでいると、ふと、建物の壁際を丸々と太った大きな狸が歩いている。その数秒後あと、奥さん狸だろうか、これも立派に少し前の狸よりは若干小さいけどもおおきな狸が歩いている。その後に子供の狸が登場するのかと期待していたけどもそれはなかった。

子供のころなんてキツネや狸なんて家の周りで見ることはほとんどなかったが、逆に、今の方がキツネやタヌキが家の周りにいたりする。食べ物がないから食べ物を探しているんだろう。田舎でも狸が食べるような食べ物はもうあまりない。見かけるとキツネやタヌキの存在が自然に思えて、ほほえましく思うけども、逆に自然がないから人間の世界で食べ物を探しているような感じだろう。

そういえば、数年前までお寺にキツネが住んでいたけども、ここ2年ほどはみかけることもない。人を見ると犬のように吠えていた。親からはぐれ犬に育てられたのだろうかと思う。本来は自然の中で食べ物をみつけることのできる動物たちが居場所をなくして、人間界に出没して迷惑な存在に扱われる。森や茂みのような場所を動物のために残しておくべきなのだろうけども、そういう場所はどんどんと消えて行き整備される流れ。

2021年11月12日
10年ほど前まである特殊な染の織物を手掛けていたけども、その特殊な染というのが色のばらつきが激しくてそれをコントロールする必要があったこともあり、染工場もその染を廃版にしてしまわれた。そういう商品を手掛けるときには、失敗しないように1.5倍ほどの糸の投入を行って本生産に備えるのだけども色味のコントロールなども難しいのである。

輸出向けだったので数千メートルの話になったけども色ムラのコントロールだけでなく、色の濃度調整なども必要だったりして、サンプル時の色を再現するために、染工場に出向いて私自身が色の再現ができないのを解決するために作業を指図して濃度を上げる。結論としてはサンプルの時とは染料の付き方は違うので濃度を調整したりして近い色味に持ってゆく。濃淡のばらつきは激しくなる。そういうのは本当に怖いのだけども、限られた時間の中で、手段がないときに、どう織で解決できるかと掛け合わせると、全体的な色味をサンプル時に近く持っていける。

問題も多いけどもそういう織物というのは、作るのは難しいので出来上がったものというのは面白くていい感じである。結局、余った糸なども、上手に縦横使って使い切ったりして、余分に糸を作った分のロス分は自社で生地を国内向けに販売して吸収する形。そういうのができてやっと全体の企画として成り立つ話で、輸出企画だけでは数千メートルの話でも、余分に糸を投入するなどマイナス部分が大きすぎて普通だと成り立たない企画。

今も、草木染で有名だった染色工場さんが染色業からは撤退される話があって、そういうのは本当に残念な話で会社経営が難しいような大変な状況なので仕方ないことなのだけどども。同時にそういう糸を使われていた企業さんでは力をいれてやっていた一つのシリーズが丸ごと消えてしまう話になる。興味深く前向きに新し染のこともやっておられただけに、ただ、弊社がバタバタすぎてコラボできなかったこともあって、コラボが実現していなかったこともあって、弊社自身は商品シリーズが駄目になってしまったということはないのだけども。特殊な染などは、継続性の面なども含めて、十分に技術的なことやコスト的なものも含めて形にしてゆくべきだと思う。よくありがちな全部本生産で駄目になってしまう大きな問題を被れる人があればよいけども後から直すことは最初から作るよりも難しい話で、そういうのを分かっていないと素材というのは怖い話。

2021年11月11日
今、一台、手織りの機を改造中。竹筬からステンレス筬に変更して、ちょうどよい目の筬を新しく作ってまあうまく取り付けられて、あと、飾り(ヘルド)の本数を増やさないといけないなあと思う。飾り(ヘルド)も特殊で、天地がすごく短いので、天地25cmのヘルドが余っているので、そちらを短く加工する予定。そこまでできれば、あとは整経すればよいだけになる。

手織りの機を何台か持ってはいるものの、改造をしたほうが汎用品を使えるので使いやすくなるケースが多い。33cmのヘルドが使えると普段仕事で使っている部品が流用できるので機を作ったりするのに一番良いのだけどもとは思っている。縦本数の違うものをいろいろと織ったりするときに普段の仕事のように融通が利くと良いなあと思う。

今、改造しているのは卓上の手織り織機なのだけども、分解してみるといろいろと補強を重ねた感じの箇所がちらほら見えて、前に持っておられた方もいろいろと苦戦しながら使っておられたのかなあと。いろんなタイプの手織り織機に触れてみるとそれぞれの手織り織機の工夫が見て取れる。私自身はリジッドタイプの織機はあまり好きじゃないのが、筬が細かく調整しにくいから。糸番手に応じた目の細かさや、さらには、もうちょっと混んだかんじとか薄い感じとかがレジッドルームでは、横糸を混ませて密度を上げるのが普通なのだろうけど、そのあたりが、普段の仕事の感覚と違って。
2021年11月08日
今日は使ったことはある銘柄の糸だけども、その番手を使うのは初めての糸。糸質を整経しながら確かめる。結局、糸の良しあしというのは使う人が使ってみてどんな感じかということ。あと、生地になったあと、数年置いてみてその風合いがどんな感じに思えるかとか。加工から上がったばかりのリネンというのは、ちょっとペラペラしていることも多くて、あまりいい感じに思えないことが多い。今日も5年ほど前に作ったリネン。あの時は特別な生地には思わなかったけども、今見るとか倉庫で寝かせていたこともあるからか、かなりいい感じである。

スタッフの女の子と仕事が終わってから生地を探していて倉庫で、昔のリネンの2/1の綾織を見つけた。それが昔のリネンらしく光沢感のある仕上げで、40番手の糸も昔の糸らしくピュアなふっくら感もある。昔はそれが普通のリネンだったが今はそういうリネンをつくることは難しい。技法から違うあたりがあるけども、今はそういうことをやるのは失敗するリスクも高くなるので本当に珍しいケースということになる。失われた技法のようなものが麻の業界にはいくつかあって、昔のようなリネン糸の味を取り戻すことは難しいのである。
2021年11月06日
長年つかっている自転車の空気が抜けがちなので一度自転車屋さんにタイヤを見てもらおうと、朝、自転車屋さんに自転車を持っていく。午後に取りに行こうと思ったら直して届けてくださってて会社に置いてあったのでびっくりで、昔からの付き合いというのは心配していることをちゃんと裏でやっていてくれる。お金もツケでみたいな昔風の計らいで、母親にはらいにいっといてと頼んだけど。

自転車なんかも大事に乗れば一生ものだし、商品の品質が高ければ高いほど、新製品というのは売るのが難しくなるんだろうと思う。トラブルも少なくたまにしか修理も必要ないし、自転車というのは価値のある乗り物だと思う。が、自転車を使うことが田舎では昔と比べて遠出するときには車道を走らないといけないなど大きな命の危険を伴うようになってしまったのが残念ではある。田舎なんかでは自転車をつかっている大人がいるとほのぼのとしていてよいとおもうんだけども、歩道を走れないことでそういうのも難しくはなってきている。

自転車と手織りの機って似ているなあと思う。力織機が自動車なら、手織りの織機は自転車。レピア織機が普通の自動車としたら力織機は旧車みたいなものだろうと思う。普通の規格の織物ならレピア織機でのモノづくりなども提案をさせてはいただくことも多いけど、ときどき織れない糸もあったりして、今はレピアでの織企画が糸の段階で難しいこともある。一方で、レピアにはレピアの特徴があって、織物によってはレピア織機のほうが適している場合もある。例えば、縦が綿で横が麻の織物などはより高速に織れるのでレピア織機が適しているだろうと思う。レピア織機のほうがピックファインダーが付いているので後戻りできるので、織段や織キズも少なく織れる傾向がある。レピア織機の横糸切れの処理は簡単だけども、シャトル織機の横糸切れの処理というのはすごく慎重にやらないと織段につながる。

2021年11月05日
今日の朝に、北海道から梱包した手織り織機が届いた。心配をしていたのは途中でエアキャップが破れたりして、梱包した部品が飛び出して紛失とかしていないか。31日に出荷したのに届くのに時間が掛かっているので、余計に心配していた。

届いた状態は、パレットの上にのせられてパレットにPPバンドで固定されていた。そして、取扱注意が10個くらい貼ってあって、大事に運んでこられたのを感じる。ありがたや、ありがたや。北海道からはフェリーではなくJR貨物ということで、海底トンネルをJRコンテナ輸送を経て、青森でトラックに乗ったんだろうか?

工具なんかも飛行機には積めないので、織機と一緒に送ったけどもちゃんと送れててよかった。今はおおまかに分解をした状態なので、また組み立てが必要になってくる。分解したまましばらくは倉庫に入れておいて構想が練れた時点で織機を甦らそうと思う。




2021年11月03日
今日は文化の日、でも林与は作業の日。祭日というのは外が休みで止まっていてくれるので、遅れ気味の仕事や普段できない仕事などをできてありがたい。

糸を巻いてある木管を掃除する機械のVベルトが弱って来て空回りしがちなので、Vベルトをコメリで買って交換、10年以上交換していなかったので、交換した途端今までなかったような良い動き。Vベルトも寿命近くまで使えて機械本体は新しいVベルトに交換して蘇る。

この木管を掃除する機械を作った人も技術のある人だろう。ちゃんとVベルト式の機械を作って負荷が掛かったときにもVベルトが空回りするだけで逃げられるようにしてある。放置して回転させるものというのは火事などが起こらないように、鉄と摩擦に強い難燃性の合成ゴムのような組み合わせは良い組み合わせ。

必要以上の力が掛かったときには、空滑る機構というのも機械を壊したり、大事故につながらないような安全システム。たぶん、この木管を掃除する機械も私よりも年配ではないだろうか。よくできた機械は一生もの以上だと思う。

2021年11月02日
一番困るのが今企画している生地を少しだけ見たいみたいな生地の話で、そういうのが簡単にできないというのを知っておられない方と話を進めようとして相手が最後、進行してしまう企画が危うくなったときに投入した材料や労力を負担できるのかというあたり。

アパレル企画で問屋さんで何十年の方々ほどそういうのを知っておられない方が多かったりするもので、糸や物性の問題など含めて対応できる人というのは少ないのが普通。アパレルさんでもそういうのに経験が多い人だとデメリット表示つけるなどして対応できるとか、ケアラベルなんかも自分のつくる商品に応じて自分でラベルを用意される。

自分で洗ってみて大丈夫なのかどうなのか、検査数値がどういうものなのかなど、問題に見える部分を分かっておられる方なのかどうなのかで、提供できる生地も変わってくるし、同じ生地でも生地を提供しても大丈夫な相手とそうでない相手も変わってくるという話。

値段にしても同じことで、卸の場合には一律に生地の値段が決まるわけでもない、生産のボリューム、物性的に高い基準を求められる場合には、それなりに生地値段は高くなってしまうし、基準の限界ももちろんあったりして、糸のスラブがまったく認められない状態では麻生地提案は難しくなる。斜行などのボーダーゆがみが駄目とかも同じく麻生地では難しい。結び目が駄目とかのブランドさんもあったけどもそういうのもそもそも無理な話。もっと大きな問題がたくさんあるのに自分たちの基準だけ上げて現実外れの理想論で生地の問題を眺めても仕方ない話だろうし。それだと麻以外の繊維をチョイスすることになる。麻なんて草が糸になっているのが不思議なくらいの世界なのにいつのまにかそれも忘れられてしまっている。

作る作業というのも忘れられてしまっている感じで、生産期だと糸を手配して染めるだけで普通は1か月とかそこらから糸をチーズアップして1週間2週間、整経作業と縦繋ぎ1週間、1日シャトルで15m、レピアで20m織れるとして500mだと35日~25日、そこから加工で、生産期だと2週間から1か月。足してみると3か月がぎりぎりのところ。1月末に必要なら11月頭くらいには発注が完了していないと難しい。これは問題が起こらないケースで、物性検査が必要となると余分に1か月くらいは見ておかないと検査に出して結果が車で1週間、再加工するなど2週間とか、そして再検査でぎりぎり。
2021年10月31日
今日は朝10時35分の便で札幌を出発。国内旅行で飛行機は使ったことがなかったけども、飛行機ってゆったりと時間を組めて案外良いもんだなあと。飛行機で飛んで片道が1万円とか、他のルートの何分の1かの値段。スピードも速いのにおかしな話である。

今度はいつになるのか分からないけども、同じように飛行機で札幌に行ってレンタカーして北海道一周をしてみたいなあと思う。トータル5日くらいで回れるだろうか。

飛行機は簡単でも、セントレアについたのが1時前で、須ヶ口の駐車場から地元に戻ったのが夜の7時半。途中、疲れてて休憩を取った。夜7時半に、高野山から帰って来たスタッフを能登川駅でピックアップして、家に戻ったら夜8時。久々の長旅、週末の3日間がすごく長く思えた。
2021年10月30日
札幌2日目、今日は目的の手織り機引き取り。工具がお昼前までホテルに届かなく、工具が届いてからレンタカーを借りて出発。ワゴンRだったので、使い勝手が会社のワゴンRとにていて、引き取り場所まで無事に到着で、ワゴンRの後ろに積み込んで、運送会社の正面の駐車場で梱包をする。

プチプチで梱包してみたものの、運送会社の人に駄目だろうといわれて、再度梱包をやり直すことに。分解できるところは分解をして、120cmX120cmX30cmくらいにまとめた。結局夕方5時半ころまで掛かってしまった。

早く終わると思ってたので、札幌近郊の小野田さんのやっておられる亜麻音工房を訪れさせてもらう予定が駄目になって残念。お天気も良かって大丈夫ですといってられてので楽しみにしていたのに。

8時にレンタカーを返却する前に時間があったので、トリトンに行って食べられるかと思ったけど80分待ちで残念、札幌のにぎやかなところを車で走って眺める感じで30分ほど観光。その後、レンタカーを返して昨日と同じザンギのお店。特別に提供されているっぽい、ビールと北海道の生ガキ2を3つ注文して、札幌で海鮮を食べたかったので、人生でもあまり食べた経験のない生ガキに挑戦。生ガキがクリーミーだとは初めて知った。

今日は、運送会社でうちは航空便なので送れませんと言われて焦ったけど、なんとか送るのに協力もいただけて、送ることができて本来の目的を達成。送れなかったら小野田さんにあずかって使ってもらってたかもである。

ホテルでじっくりと1時間ほど湯船にお湯を貯めて使って体を休める。北海道はビールが安いなあという印象。その店は、1杯190円なのだけど。他の店も1杯200円とか。なぜか、焼酎やカクテルのほうが280円とか380円で高い。札幌というとやっぱりサッポロビールのイメージで、ビール文化もあって安いんだろうか。

普段は、居酒屋なんかでビール飲んで晩酌的な過ごし方はしないけど、旅先なので地場っぽいものをつまみながら満足感に浸る。今日は本当に疲れたが、なんとか目的を果たせてよかった。
2021年10月30日
昨日は、朝、セントレアに向かって出発して、途中で手織り機をあま市で1台手に入れて車に積み込み近くの駅の駐車場に車に停めて電車でセントレアに向かう、このパターンは初めて、いつもよりも入念な準備をして早めに出発できたのが幸いで、あま市に向かう途中で8件も電話が掛かって来て、そのたびに車止めて電話対応で、結局、セントレア到着は予定よりもかなり遅れになってしまった。でも、空港に着くと飛行機が30分遅れで、余裕ができて良かった。セキュリティでにぎりバサミを一つ没収になって、工具などを別便でホテルに送ったのは正解であった。ドライバーなどの工具も全部駄目なようである。ホテルに付いたけど、工具が届いていないって?あれ?明日の午前中につくのをまとう。

札幌についたらラーメンを食べるぞと思って、ホテルにチェックインし終わってからホテル近辺をうろうろ、ラーメンじゃないけど札幌海鮮とかいてあるの看板のお店に入ったらまちがいで、1Fは札幌ザンギのお店だった。生のグラスビールも安いしよいか。牡蛎もあるし。と席に座って思った。辛中華そばというのがあったので、札幌ラーメンを食べる代りにそれを頼んだ。結局、そのお店の名物ザンギ4種類セットとその辛中華そば大がボリュームありすぎて、牡蛎を注文するに至らず。北海道に来て脂っこいから揚げを大量に食べるとは思わなかったけど、味も4種類楽しめておいしく、鶏肉も新鮮で正解そのもの。

おいしく食べて、から揚げ食べて胸やけしてるのを、店を出た後の札幌の涼しさが癒してくれ、中和された心地よい無敵モード感でホテルに戻る道のりもずーっと歩いていたいくらいで5分ほどでは歩き足りないくらい、ここ1年2年は足の違和感と疲れが激しくて歩くのが心地よいというのも久しぶりの感覚で、このまま夜中の札幌を疲れるまで歩き続けてみようかと思ったけども、まだ、明日からが作業だからゆっくりとお風呂に入ってとりあえず休む。

泊ったホテルはアパホテル札幌北口AKP、私が興味を示したのは、ホテル名で気になってたAKPってなんなのか?部屋の中に本が置いてあったので、その本を読んだらよくわかった。私が繊維の仕事が続いているのも、AKPというマザーズ上場の代表取締役の河野さんと似たような考え方をもっているからだなあと思う。私自身がいつも社員の子に話をしているのと同じことが本の中に書いてあった。林与の場合は小さいままというよりも、先代のときに良い時代があって、その時の問題が結局、時代が変わればというか流れが変わって成り立たなくなれば切り替えができないといけないのに切り替えができない体質だったこと。

会議よりも実践でやってみて失敗して生み出して行くことが大事で、ビジネスプランよりも情熱が大事とか、考え方はすごく似ているような気がする。ホテル業界は不況のまっただなか、今回のアパホテルも宿泊者がいて空室が埋まっても、札幌駅から歩いて10分ほどで、広いダブルルームが一人1室3800円ほどではマイナスだろうと思う、今の苦境を乗り越えて、あきらめずに成り立たせようと試行錯誤されている。朝食のサービスもなしで2Fのレストランも閉鎖、大浴場も廃止、徹底的に簡素化してお客さんの数が減ったのに応じてスタッフも減らしておられるのだろう。これってカプセルホテルやホステルの値段に近く、コロナ禍の流れに応じての柔軟な変形で、便利で安全に泊まれるという基本の部分、原点に戻ってラグジュアリーな部分は割愛して、お客さんががっかりすることもあるだろうけども、本質の部分が一番大事で柔軟な対応ができるのかできないのかは存続していく上で本当に大事だと思う。

繊維の世界でもコロナ禍の影響で、高級アパレルさんや高級生地問屋さんが苦戦。私としては同じように今の時代の流れに柔軟に対応して乗り切ってほしいと思うけども、高級なものを扱っているというプライドが、柔軟な対応よりも廃業を選ばれるケースもある。贅沢な旅や食べ歩きにお金を使って仕事しているみたいな感覚というのをまず捨てないと、それはバブルのころの宴会やゴルフ三昧の経営者と似ている。仕事のたしなみとしてやってた人たちは残ってるけども、本気でそういうのが好きではまってた人は抜けられなくて。同世代の人たちでも、飲み歩き食べ歩きの贅沢三昧にはまってしまった人たちは自分が働いて稼げず、他の人を食いつぶしにかかってしまって、先輩が後輩を食うとか気持ち悪い中学生レベルの先輩後輩感覚。

それだけでなく、70代、80代の爺さんが、まともな若い世代を食いつぶそうとしてくる感ありありとか、世紀末そのもので、本来なら人生経験の長い70代や80代の人に、人間として、あんた、言ってること人としてまともか?みたいな説教する話は本当に情けない。田舎だとそういうのは一番駄目なことというような認識できていたけど、都市部よりもありえない無礼が人生経験の長いものほどやってしまっている。

今は田舎でも、70代や80代の人が、人間誰でも自分が一番かわいいからと口に出していってしまって恥ずかしさもなく責任逃れで、自分の欲ばかりの世界。何のために若いころからいろんな田舎の行事も引き受けて来たのかとそういう爺さん婆さんに対しては、本当にあほらしくなってきて、それでは人として一番駄目じゃないのか、田舎で他に説教してる人間なら生きてゆく覚悟きめて死ぬまで背負っていかないと利用される次の世代がかわいそうで、ひと世代前の人々に対して本当に厳しいことをいうも多い。

人生経験の長い人たちが人間いうものは誰でも自分が一番かわいいとか、今の学生でも社会性があってそんな恥ずかしいこと言わないことが多いし、それいってしまうと引かれるのは当たり前でも正直で自分本位で生きてるから行ってしまうんだろう。田舎で人間関係が大事といってるいわゆる高齢者の方が、そういう自分の欲が大事なのを口にだして責任逃れでいってると次の世代が困るだけの話。自分たち可愛さに他を犠牲があたりまえでは社会性すらないのではないか。全員が全員というわけではなく、そういうのいうのは本当の一部、田舎社会を背負う覚悟で背負っている人はそんなことは絶対といってよいほど口にしないのだが、案外そういうことを軽く言ってしまう人が増えて来て、人間関係のない都会よりも怖いほどで、それなら田舎であっても自分がかわいい人に他の人が利用されるなら人間関係のないほうがましな話。

田舎背負っていくなら、自分が持ち出しばかりが普通ではないのか。田舎も他の人の面倒見てまで背負っていけない人が多いから、そういうのを背負う覚悟ないと田舎なんて背負ってはいけまい。繊維業界も同じようなところがあって、自分が面倒見てまで背負っていく覚悟持っていなかったら、利用するだけのこと。田舎にしても繊維業界にしても、そういうのが悪いことじゃなく、他の世界にない良さだと思うんだけど、そういうのを食い物にし始めたら終わりだろうと思う。
2021年10月29日
シャトル織機というのは、シャトル織機があればよいというのではなくて、スペアのパーツや消耗品的なものが本当に大事。昨年は何十万か掛けて、シャトルとかの備品を手に入れてある。この半年でシャトルはいくつ壊れただろうか?4本から5本くらいか。

シャトルの管も新規のシャトルには若干の変更を加えて、昔の長いタイプの管が使えるようにしたので、管はたぶん1000本以上使いまわせるようになった感じ。管も自分で木工旋盤を買って作ろうかとも考えたけども、管の木材自体が重要だったりする。形だけではなく、実使用に耐えうるかどうか。それは強度の問題ではなく、シュワイターという管に糸を巻く機械で、機械が管をキャッチミスなどをしたときに、高速で管が変に機械に挟まって回転することが稀にあったりする。そういう時に、怖いのは火災の問題で、昔からの管というのはそういうときにも摩擦で削れたりはしても燃えない素材である。少人数で工場を回すときには、自動で糸を巻く形なので、そういう想定は必要。基本、私自身はシュワイターが動作中かどうかは常に注意している。音やにおい的なものも本当に大事である。
2021年10月28日
今日は、月末予定の出荷も無事に終わって、本当に一旦肩の荷が下りる話。明日から仕事からみで旅立つ3日間。スタッフも和歌山に3日行くとのこと。

北海道、本当は時間かけてでも車で行きたかったんだけど、高速代とフェリーが高いなあとびっくり。逆に飛行機で名古屋から飛んで、札幌でレンタカーするほうがガソリン代も考えると、旅費が多分5分の1くらいですむので、飛行機を選択。

北海道にいく理由は中型くらいの手織りの織機を分解して運送便で送るため。それはたぶん3時間くらいの仕事だろう。時間に余裕をみて日帰り計画はやめた、自由行動する時間がかなりある。1日レンタカーするので、札幌周辺をぶらぶらしてみるのもよいだろう。

今、織っている織物は、織りにくいタイプのものが多くて、一番調子のよい織機をそれぞれに割り当てているので、その一台が調子悪くなると他の織機で織ることはいくら調整を掛けても難しい。また、1台の織機で織ることによって、織機の違いでのロット差はなくなりワンロットとして綺麗に出来上がる。

この1か月、織機が途中で大きな故障もなく動いてくれて、無事に北海道、いつもなんらかの問題が起こってしまうことも多いだけに、今回は本当にうまくいって、旅に出る前に睡眠も十分にとり、旅の準備することも出来る。準備といっても、工具は飛行機に持ち込むと引っかかるといけないのでクロネコで送ったし、梱包資材は現地で手配する予定。財布、スマフォ、パソコン以外にもっていくものはほとんどない。今回、工場の中の作業のことを気にせずに出発できるのがありがたい。
2021年10月27日
ようやく待っていた糸が糸商さんに入荷したとのこと。織機を開けて3か月ほど待っていただけに、使いたい糸を手に入れることすらも難しいというのを久々に実感。他にも注文の打診をもらっても、良い糸が手に入らないから今はつくるのが難しいという返事をさせていただいたり、また、別のお客さんからは、4つのグレードの高い糸をテストしてその中でも一番問題のない糸を使ったけど、それでも、前回のよりも毛羽感があるという話、

正直につくると正直ゆえの問題が起こってくることもあったりするけども、それを問題があるからといって問題のないほうにもっていくのが良いことかどうか。問題のない方に持って行こうとするとキナリの色ムラなんかを避けるためには白い糸を生成りっぽいベージュに染めると問題は解決するが、それは生成の味をなくしてしまうことにつながる。

問題があるといっても、一部的な問題だとそこをうまくよけて使うという方法も取れるだろう。でもそういう小さな努力というのは量産の工程のなかではなかなか難しかったりするのが、糸一本一本を繋いで織ってる側からすると簡単なことじゃないのかと思うけど、妥協点というのはどこかに置かないと、大きな欠点を直すと次から次と小さな欠点が気になってくる。それは布を縫って修理したりすることもあるけど、どんどんと深みにはまってゆくことが多い。問題を避けたければ高度なものは控えたほうが良い気もする。

オフ白なんかでも、肌色っぽい晒されない筋が残ったりすることがある。それは天然の要素なのだから許容範囲にするべきなのだろうけども、全体に白いものにうっすらとベージュの筋がみえたりするとそれが服の一部になることを考えると日本の量産の世界では難しいだろうなあと、そうなってくると素材自体が無理をしない安全そうな方にどんどんと行く話になる。

林与のモノづくりなんて問題だらけでその問題を一つ一つ解決してゆくのが仕事で、解決能力の高いチームワークみたいなものが特別な世界を残して行けるんだろうと思ってたりする。そういうのが日本に残るのか海外が日本らしいものづくりを奪ってゆくのか、どこまで自分が犠牲を覚悟できるかが本当の日本らしい仕事の世界なんだろうなあと思ったりする。
2021年10月26日
仕事というのは、みんな同じ土俵に立っているような気がする。ある商社の社長も経験された方が、仕事は部下に教えない、取られるからといっておられた。大きな商社なので、部下に教えると取られてしまうほど、若い部下が意欲があって優秀なんだろうけども。次の人たちを教えることで次の人たちもいろんな経験をして成長してゆくきっかけになるもので、仕事を取られることを怖れているというのも、大きな組織の方らしいなあと思う。社長やってても自分と会社が一体じゃないみたいなあたりが違和感がありすぎる。

その方というのも、商社という環境の中で、いろいろと競争を経験され、自分が組織の中で生き残る手段の一つとして部下に仕事を教えないというような形が一番自分を守るためにはよい方法だと見出されたのであろう。

競争社会というのはそんなもので、経験の長い人も、新人の人も同じ土俵に立ってる感がある。教えてもらうのに慣れた人というのは教えてもらうのが当り前だったりして、仕事というのはできて当たり前みたいなところからの感覚がなく、他の人がやっている仕事を見て覚えていくような姿勢が無かったりする。自分が問題に遭遇したときに、その原因が何なのかを求めないとそういうのを他の人が一生懸命に教えてくれるということは稀だろうと思う。

仕事をしていて、仕事の仕方を教えてくれる人のほうが稀で、普通は、やめとき、さわらんといてとか囲い込もうとする人が多く、現場の経験者の多くはそんなものである。経験が長いと逆に新しいことを覚えてやってもらうことが新人の人よりも難しいとかが普通。私は自分の親でそういうのを本当に多く経験してきたので、何十年の経験者に簡単な仕事してもらうのも、1日の学生のアルバイト人にやってもらうよりも簡単な我慢もできず難しいのは普通だと思っている。

仕事を経験してきた経験者よりも、仕事経験のない若い人を雇いたいとなるのも、新しいことを覚えてやってもらおうとしても、経験者だと従来の経験に固執したり、やったことないから自分はできませんやりませんが多く、仕事経験のない人だと素直に仕事として受け止めて教えたとおりにやろうとしてくれるものである。経験者の場合はそれができなくても業界で長かったりすると自分は仕事できると思っているあたりが難しいんだろうと思う。

なぜ、こういうことをグダグダと書いているのかというと、自戒の念として自分自身が仕事をしているときに、仕事を仕事として素直に考え、前向きに常に取り組んで行くという姿勢が本当に大事だと思う。そのときには自分自身の損得を捨てて働くことが大事で、他の人のために働いてこそ仕事として成り立つのであるという基本を忘れてしまうと駄目なんだろうなあと思う。
2021年10月25日
スタッフの女の子が、大阪土産に生食パンと阪急のピータンを買ってきてくれた。生食パンはおいしくいただいたのだが、ピータンは卵1個の殻付きの個別梱包で、ピータンと書いていなかったら塩味の味卵だと思っていただろう。ピータンのラベルが付いていたので、ちょっと美食家っぽいイメージで、ノーマルを超えたそういうのは苦手だったりで様子見。

朝、あのパンおいしかったよとお礼をいうと、女の子が卵食べましたかと、いきなり。卵の話。これはチャレンジを求められているんだと感じて、あれはピータンだろうとその罠にははまらないよ、というが、それは大丈夫なピータンだというので、食べてみた。女の子が自分自身も食べるつもりで自分用にも買ったから大丈夫ですよと言われて、おっさんがせっかくの機会を逃げるわけにもいかい話で、白いゆで卵のような殻を割ると緑な世界、やっぱり。

その辺りで、食べると全身が中に見えて入っていても食べる覚悟はしているけど、殻を割って行っても透明な茶緑の卵型の球体。普通のゆで卵とかならなんの違和感もなく食べるのだけど、ピータンのイメージが頭の中にあるので、心配しながらいただいた、透明な卵白が緑な部分はちょっと不思議だったが下の卵黄の溶けたような部分はそれほど問題が無かった感じ。

人生というのは不思議で、林与のようなおっさんが逆に若い女の子にピータンを食べさせてみたいなのが普通かもしれないけど、それはネタじゃなく自分たちも同じで一緒に経験したく、自分のお金で他の人に振舞うようなところで、自腹切って仲間意識は連帯意識。みんな自分から新しい経験はなかなかできないもので誰かが旗振りやらないと。

郷に入らば郷に従え的な林与なんで、他の人にいろんなことに壁を越えてやってみたらと発破かけるも多く、刺激が欲しいくらいを他の人にも求めていたりするので、逆にそういうのを受けて、なかなか挑戦的でやるなあと思うし、そういうの分かる人が増えて行けば一番良いことだなあと思う。実は商売の本質がそこで、一緒にやるからには自分を捨てて外や中の他の人を支えるつもりで自分自身がオールインできるかできないかが仕事の本質。

自分がそういうのをやってきたけに、そういうのを覚悟してやろうとする人たちがいるのが人生観の共有みたいな部分。そういうのが和の精神だとは思うけど、和の精神やボランティアや、協調性を利用するばかりが、政治や行政やオーガニック、また、エシカルを謳う世界では多くなりすぎて、他の人に負担を求めている人ばかりでは難しい。自分自身が最底辺を担う覚悟していないと駄目じゃないのかと思う。

他の人を自分の労力や時間をとことん使って、成り立たせるように支える力って大事だと思うし、それがその人の実力何だろうと思う。今の時代には、若い人ほどそういう意識がある様な感がある。逆に偉そうに仕切ってる人たちが実際の最底辺を覚悟もせずに存在してもらっているとそういうところの改善の余地が一番大であろう。
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