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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2022年01月05日
国内の大手の織物系が受注を回復しているというような話を聞く生機生産の後染め型のものが主体だろう。中国で生産されていた国内のアパレルなどが、国内での製造に切り替えたり、国内生地での製造に切り替えたりが影響しているのだろうかと思う。今まで安価だった海外の生産が、コロナで納期も見えずコストも上昇で、国内シフトされている国内の繊維関係の業者さんも多いようである。大量生産型のものがコスト上昇や納期などの絡みで国内で代替的に生産され始めているのだろう。

本来だと海外のほうが大量生産に向いていて生産性も高かかったのが、コロナ、地球温暖化問題、エネルギー不足で、生産に規制が掛かったり、物流が影響を受けたりと、コロナが始まってからの2年ほどは旅行も影響を受けているけども貿易も同じような影響を受けている。店頭がまだそれほど好調ということでもないとは思うけども、通販などの部門をもっている海外生産比率の高かったブランドで国内生産の比率は高まっているのかもしれないと思う。

中国では不動産バブルが崩壊の兆しが見え始めていて、日本のバブル崩壊と同じ様な流れも想定はしておかないといけないと思う。日本と同じ土地神話が30年40年後の中国に不動産神話として訪れてそれが日本と同じ様に崩壊するのか否かで、5年前まで超一等地のホテルのテナントもコロナという要因も重なって空室ばかりになって暗転してしまった感がある。一番の一等地が集客ができず地代が高すぎて一番商売が難しい場所になるという、地の利の商売が、地の利がマイナスになって人が集まりすぎれば営業すらもできないというような話になる。

1990年代に、カリフォルニアの土地よりも日本の田舎の土地のほうが何十倍も高かって、なんて日本は特別扱い何だろうと思っていたけど、自然淘汰の原理で、カリフォルニアの土地のほうが今は何十倍も高い。1990年代というのは今のアメリカに近いほどにエコノミックアニマルといわれたくらいの日本。今はアメリカがまさにエコノミックアニマル的な存在で、かつてのバブリーな日本をはるかに抜いてしまったとも思えたりする。
2022年01月04日
今日は、仕事始めのスタッフの女の子も電熱ベストとズボンを着て作業であったかかったそうで喜んでくれてよかった。正月の実家は春以上に温かく感じたそうで、滋賀県の冬の寒さというのはやはり耐えられないくらいの寒さのようである。文明の利器だろうか、子供のころにあこがれていた夢のようなアイテムの一つ、電熱ベストや電熱ズボン着れば、一日中工場の中でも暖か。

雪のダメージなこともあって、事務所の雪が落ちるときにトユを広範囲に破壊してしまった。10mくらい高い場所なので、足場を組んだりで何十万コースになりそう。火災保険も20万円の免責があるが使えるとありがたい。修理作業もこの冬の寒い時期にするというのは厳しいだろうし、いまするよりも、まだ降って積もる可能性はあるから、3月くらいにやったほうが良いような気もする。

3階の屋根から落ちる雪は恐ろしいほど激しく落ちているみたいで、降る雪よりも屋根から落ちる雪のほうが怖い。倉庫のシャッターの前の雪もようやく解けて今日は倉庫で出荷の準備作業。これって年末と正月三が日を襲ったような雪でお正月をつぶすマイナスの経済効果だったと思う。

今日は、二つ上の姉の同級生の方と久しぶりにお会いできて、ぎっくり腰らしく階段上ってもらうのも大変な中登ってもらって、私がばたばたと動きながら仕事できているのがありがたいことだなあと思える。早く腰が直ってまた歩けるようになっていただきたいなあと。私自身外見は十分な爺さんなんだけども、同じ年代の人を見て若々しくみえていた方が年を取られたなあと、人の振り見て我が振り見ずなところあったりだが、もう自分たちも年寄り世代になってるんだなあと。
2022年01月03日
大量生産大量消費のほうが無駄が少ないという流れを作り出しているのが効率的にものを作って生産性を上げようとする日本の経済発展モデルとする日本の経済産業省の考え方とか。結局、売れない場合に在庫を持てば良いのだけど、食べ物の場合にはそれが難しいのだけど衣類の場合には1年2年の在庫は可能である。なぜ、アパレルで1年2年の在庫が難しいのかというと無理とモデルチェンジして、旧式に落とし込んで買い替え需要を促すという方法をどの商品でも取っているから。

モデルチェンジしなければ在庫することも可能になったりするので量産することも可能なのである。林与もベースとなる素材は受注に応じて作るのではなく自社で在庫をすることがある。また、糸なんかも定番の糸などは生産のために前もってまとめて買って持っていることも多い。日本の生活様式も自分で自分のものをつくることから必要なときに買ってという流れになってきた。

昔はよくあったヨビシといわれる呼び事もなくなって、やったとしても外に食べに親戚が集まるとかで済ませるケースが多くなった。お葬式なんかも家でせずにホールで行うという形になって来て、器や皿などをそれぞれの家が持つ必要がなくなった。それぞれの家に今は蔵なんてないだろうけども、昔の家には蔵があって家の行事に必要ないろんなものがそこにしまわれていたりした。あるいみ、何十年前のものが普通に何度も使われていたのが昔のスタイル。

洋服なんかでもおさがりなんかが普通で、それでいて行事なんかのときには余所行きみたいな服が必要だったりしたものである。たとえば中国もそうなんだが新年には新しい服を着るとか。あと日本の成人式の着物のためや結婚のため親がお金を貯めるとか。行事というのは人生で避けて通れないようなものだったりしたのだが、そういうのから解放されていまは行事に必要なものを持っている必要もなくなった。極論からすれば日本的な家制度みたいな縛りから解けて、家すらも守っていくような考えから解かれたというあたり。昔から火事が起きた時に一番になにをする必要があるのかというと、近所のものが家の裏を破って仏壇を運び出すということ、家は器みたいなものでしかなく、家の本体というか守るべきものというのはその家の仏壇であるという考え方、そういうのが今はなくなって、家が途絶えるというケースが普通になった。好きな場所にすみ、好きなことをする、新しい場所で新しいことをするみたいな、新しい出会いも多くいろんな経験も持つような生き方。そういうのが昔でいう人生の行事みたいなものに置き換わっているのだろう。

このコロナで衣類ロスというよりも、アパレル業界を削るみたいな、アパレルの在庫をというよりも、店舗自体を、ブランド自体を捨てるみたいなことが行われているのに、アパレルロスを議論するような状況でもないのかもしれない。商売が成り立たなくなっているアパレル業界にロスをなくしましょうみたいな考え自体が存続すらも難しくするよう商売観なさであったりもする。そういうスタイルでないと勝ち組としてやってゆけないような社会構造があるのである。

たとえば銀座にファストブランドのお店ができたときに、なににお金をつかっているのかというとおかれている洋服には1割も使われていないかもしれない、店舗の賃料や人件費、一番大きいのが広告費であろう。実際の洋服には上代の1割から良くて2割ほどの原価とかが普通。そして利益が上がった場合には在庫を処分することで現金が手元に残るという世界的な製造業での経営手法。これが悪いことのように思われるかもしれないけども、まだ買取式なので下請けの企業にとっては優しいシステム。

日本のジャストインタイムシステムといわれるのは、在庫を持たず在庫リスクを下請け企業に持たせるようなシステム。必要なだけを毎日朝に届けなさい見たいな殿様商売型。本社は在庫は捨てなくてもよいけども、それは在庫リスクを下請けに持たせる参勤交代を強いる江戸時代の徳川幕府に通じるようなものがある。そういう企業が大きな利益をあげることができるのは、リスクを外に背負わせて利益だけを独り占めするような構造。納品のトラックの駐車場もつくらず、納品時間前に会社についている必要があるのだけど敷地の周りの工場を納品時間までぐるぐると回って走らせるというような話まで。こういう企業だけが儲かる仕組みが今の崇められる日本型になりつつある。食品業界では逆が重要だったりして物流を自分で確保して毎日必要な量のパンを店舗に届けるような体制で業界全体を作り上げているような寡占状態もあったりする。昔は日本の家電業界もそんな感じだった。物流というものが田舎にまでも簡単に毎日行き届くようになって、モノの価値は下がったのかも知れない。一方で、雪が降ったりして物流が止まったり原材料不足なんかが起こると、数日会社が止まるとか、大企業なのに、自分が自分で利益目的で脆くしているというだけのことなのに、今、国内に海外の半導体工場を日本のお金を使って作る話とか。今まで安く海外から仕入れるような形のスタイルで利益を上げながら、それが難しくなったら国に税金を投入して助けてもらえるというのは、国に助けてもらって生き残れる自動車業界というのも、そういう半導体が今度余って閉鎖の話になったらそこで働いている人たちはどうなるのかという問題なんてまったく考えずなんだろうなあと思う。名古屋近辺にできたりするんだろうけど、市町村規模どころじゃない税金が使われ雇用が生まれまた崩壊たときには税金で企業維持や雇用を補填する案件。ジャパンディスプレイも何千億使って、結局捨て値でアップルに土地代や工場の建物代にもならないほどのタダで差し上げたみたいな身売りが国営の商売なら最初からその程度のつもりならやめておいた方が国民の税金も世界のアップル製品を支えるために使われることもない、結果アップルのスマフォ液晶支援に税金、日本国民一人当たり一人5000円とか1万円とかだけども、それで世界経済が成り立つというのも政治3流といわれた昔以上に今は政治5流な日本だろう。

すごく甘く緩いものを現実の厳しさも分からずに他力で求めながら素晴らしいかんでやってるような高い理想をもった学生的な行政の思想。富岡製糸工場がなぜ貧農の娘さんを救わずに良家の娘さんを選んでまともなものも作れずに数年で立ちいかず民間の手で固定資産税や維持費用を負担させながら世界遺産なのかの問題にも通じる。京都のお寺でも国が見捨てて、小さなお寺がなんとか生活すらも切り詰めて残して国宝。国が切り捨てて、民間が育んで育んで残したものを良いとこどりみたいに国が認定で国宝とか、役人たちこそが上から目線で人々を食いつぶして滅ぼして行くような典型。

エジプトのピラミッド、秦の始皇帝の万里の長城、イースター島のモアイ群。壮大な建造物のほとんどが階級社会制度の名残で今の人権感覚では全くほめられたものでもないがそれが世界遺産の基本で、現代の先進国の行政にもいまだ通じる所だと何千年たっても解決してもいない問題抱えながらSDGSやエシカルを国や行政が生きてゆくすらも苦しんいる下層扱いの人々に負担だけを強いるのかの話だとSDGSの綺麗な理想さえもが邪悪すぎる存在。
2022年01月03日
冬の思い出の一つに、冬というのは永遠に続くような寒さのイメージ。小学生のころ、こたつもなく。出居に一つ火鉢が置いてある。その火鉢の炭のわずかなぬくもりを手に感じる以外は永遠の寒さの世界。5分すぎるのが1時間とかに思えたり。今思うとそれはそれで時間の経つのが子供のころは遅くってその分いろんなことが出来たんだろうと思う。今は時間が経つのが早すぎる。

そとを見るとガラスの向こうの前栽は、雪が積もって真っ白。その中にたまに鳥が食べ物を探しにだろうかやってくる。それが生きることの厳しさみたいなものを象徴しているようで、白い雪、カラスじゃないけど黒い鳥、そして赤い実のような、動画のような世界を見ているような印象。1分ほどの出来事なのだろうけども、それ以外の時間というのは寒い出居での永遠に続く寒さの世界。おじいさんたちの時代の生活の厳しさみたいなものを実感しつつ、暖かい部屋でゲームみたいなのは中学生くらいになってからだろうか。

そういう背景があったから絣柄の近江上布のようなものが作れたんだろうと思う。田舎で生きてゆくことの厳しさみたいなあたり、火鉢のぬくもり程度の永遠の寒さのなかでいろんな考えを思いめぐらせ短時間にいろんな柄を生み出していった。おじいさんのころというのは仕事にもにぎやかさというよりも厳しさの世界。先代のときは厳しさよりもにぎやかさみたいな時代になって価値観なども外の世界に画一化されてしまったイメージがある。

滋賀県の田舎で作った布が、大阪や京都の呉服商に持っていくと評価が高かったのも、生活そのものも異なって、生み出される布に詰まった人生観の違いみたいなあたりが評価されたんだろうなあと思う。でなければ、大阪や京都で同じようなものはいくらでもつくれただろうから。今も少しは残っているが、昭和30年代に使っていた紡績の手織り用の糸は当時1kgが3万円とか、田舎の火鉢しかない生活の中で、そういう日本で一番高い糸を手に入れて日本で一番くらいに高級な麻織物の世界を作り上げてゆこうとしていたあたりがガチな世界そのものだったんだろうと思う。成金な世界じゃなくて、ガチなものづくりの世界。

戦争や不幸で親を失ったり、母親が栄養が足りずに赤ん坊に母乳が与えられなかったりで、そういう親戚があればおじいさんは家で預かって育てたりした。戦後は、丁稚奉公なども悪いことのようにいわれるかもしれないけども、親に代わって育てるようなところがあって、親戚の親に頼まれて預かって奴隷制度でもなく、預かる側はりっぱに育てる覚悟も持ってチャンスを与えただけのこと、本人が希望すれば解かれる形。私も子供のころからそういう自分のおじいさんおばあさんじゃない、私の家で育ったおじいさんおばあさんと接しているけども、そういうおじいさんおばあさんというのは恩に思っていてくれて、その恩の気持ちが子供のころの私に伝わってきた。自分の子供を食べさせてゆくのも難しい時代があって、生活の苦しい親戚に頼まれて預かって自分の子供と同じ様に育てる面倒をみたのである。人が支えあって生きていたあたり。
2022年01月02日
この数日、電熱ベストと電熱パンツを愛用していて、今朝、工場の中の織機の出っ張りに電熱ベストのポケットが引っかかって10cm弱ほど破れちゃった。お気に入りだったのに右ポケットのジッパーの部分が破れて、けど、破れても縫って直せばよいということで、手で縫って直してみた。黒いパーカーに白い糸なので直したのも分かる仕様。寒さをしのぐために買ったものなので敗れて直したみたいのが見えていても大丈夫。これで良いのだ。

なんか直してこういうのに満足できるのが、自分らしいところなのかなあとも思う。捨てて新しく買ってよりお気に入りのものがちょっとキズが付いたからといって価値がなくなるわけでもない。この数日でも私の体を温めるのに活躍してくれたベスト。ちょっと悪くなったからといって新しいのと買い替えるのはかわいそうである。かっこよくリメイクされたツギハギはお金出してかうのとは違う、自分で繕ってできたツギハギ。ポケットのジッパーも開閉が問題なくできる。

冷えこむ工場の中で織機の立ち上げ繋いだ糸を送ってぐちゃぐちゃになっているところを一本一本拾い直して織れるようにして行く。最初は全然無理に思える状態でも根気強く何時間もやっていくうちに織るときの綺麗にまっすぐ全部の糸が揃った状態になってゆく。織る作業よりもこういう作業のほうが大変で、上手な人と下手な人の差が現れたりするのもこういう作業。正しく拾っていないと織るときに経糸が出にくくなって切れて織りにくいだけでなくキズが増える。こういうのは本当に根気の必要な仕事で、なん十本も直すとなると複雑差が何十倍にも増す。お正月なのでじっくりとこういう時間の掛かる作業に取り組めるのが幸いである。

今年は大雪なので、近所の家も帰省されている家も少な目かもだがあまり織機は動かせないので立ち上げや準備作業に時間を使う。今年の場合、糸選びなどもかなり慎重に行っているので本当に織れないというような織物はあまりないのが幸いで、本当に織れない織物にぶつかるとそれ一つですべての仕事が雪崩式に納期遅れになってゆくというのも今までに何度も経験したこと。

今は糸を支給されて織る仕事はほとんど受けていないけども、糸支給の仕事の話というのは織れない問題が糸や糸の準備などにあったりすることが多く、そういう問題を機屋が織機の調整で解決するというのも理不尽な話で、そのあたりが単に織るだけでなく麻織物を作るときのノウハウみたいなもの。企画されたものを規格通りにやってできたらよいけども、できないような規格も案外多かったりして、それは企画の問題でそういうのが本当にリスクの高い部分で、思い通りの結果にできなくてもお金が払えないと企画の仕事は難しいあたり。一つのやり方にしぼって進行するとそういう壁にぶつかることが多く、柔軟な対応が必要なことが多いが、試作に関しても費用とか納期とか相当の柔軟さがないと企画というものはすべてが台無しになって振り出しに戻るとかが普通。染めた糸の色が違うだけで同じ規格でも織れないことが多く起こるのが麻織物の世界。林与は色によって染色方法も変えたりすることも多い。色が白と黒では色の違いだけでなく、まったく別の糸であるみたいな物性の違いが出てくるのが麻糸の特徴で、そういうのが先染め織物の場合には厄介だったりするもので、問題解決に時間とお金が掛かる話になる。
2022年01月01日
元旦、雪の降り積もる元旦。昨日の大晦日は、友人が京都からお歳暮もってお客さんというか仕事の手伝いもしに来てくださった。たぶん、外が銀世界での工場の寒さには絶対に耐えられないだろうから、予備に買っておいた電熱ズボンを使ってもらうとやっぱりあったかくて良い感じということで、縦繋ぎなどの作業を手伝ってもらったりした。足の先が冷えるそうで靴下タイプの電熱タイプのほうが欲しいらしいがそれはもってないので手に入らないことはないが、今ないものは無理な話。

雪がすごすぎてホテルをキャンセルしてもらって工場の中で年越しで仕事かみたいなほどの雪。1時間ごとに5cmづつくらいは積もっていく、無茶苦茶時間かかってホテルまでお送りして、帰りのほうが無茶苦茶時間掛かって帰って来た。最後家まで300mほどは、車高以上に新雪が道に積もっていてその中を走るも、前に雪がどんどんと溜まっていき車が止まりそうに何度もなって家にはたどりつけないかと思った。

乗り捨てて歩いて家に帰ると自分の車で道をふさいだままになるので、もうどうしようもないときには積んでいるスコップを使ってタイヤの前の雪をどけながら少しづつ前に行くしかないだろうと思っていたけど、無理やりの無理やりに家にたどり着いた。家の前の駐車場の雪のほうが道の雪よりもひどすぎてすこし雪どけしてから、勢いつけて車を家の前の雪の中につっこんで停める。あの雪の深さからすると奇跡の帰還に思えた。集落の中では除雪車が雪をどけていてくれるが追い付いていない。

雪がすごすぎるんで、明日も手伝っていただく予定だったけど予定変更でホテルから京都に朝そのまま帰ってもらうほうが安全かという話もしていたが、朝の状況をみて判断。朝は道が凍るので、降ったばかりの雪以上に凸凹してて滑りやすく雪も硬く危険ではある。いわゆるアイスバーン。多賀大社初詣に行きたいと言っておられるが、多賀神社はもっと北で山側、たぶん初詣プラス雪で動けなくなって駐車すらも難しくすごい渋滞になっているだろうから初詣は明日はやめておいたほうがよい感じ。

ホテルは駅前の田舎には不似合いな巨大なビルのビジネスホテルで、私が予約した「訳あり部屋はお任せプラン」ということで、まあ、私も低階層とか線路側とか何だろうと思っていたら、なんと和室。ふとんということなんかなあ? ビジネスホテルに和室の部屋があるというのもびっくり。和室の部屋でもユニットバスがあるそうなんで、他にも大浴場もあるし、朝食も普通のビジネスホテルよりは素敵らしいから、お若い方なので経験のうちとしてお泊りいただくのによろしいんじゃないかと思った。年越しだったので、一人ひとつ、どん兵のきつねかたぬきのカップヌードルがもらえた。私が、たぬきのそばをもらって帰った。ビジネスホテルの駐車場も前に進むのが難しく方向転換すらもが難しい状況で、ホテルマンも駐車場には手つかずで、後輪にはチェーンをはめているだろうタクシーですらもかなりの苦戦で、私がスコップで雪解けして助けてあげようかと思った。

ふだん、工場のなかは台風とか豪雪を超えているような感覚で仕事しているのだが、今回の雪は仕事並みにかなりやばい状況。滋賀県の東北部と北部がかなりやばいが、子供のころは林与の織物工場に1m以上で、根元の幅30cmくらいの巨大つららが何本もぶら下がっていたようなのが本来の林与の工場の光景。中で強烈に暖房するから屋根の雪が解けて外が寒いので普通はみることもない1mを超える巨大つららがなん十本と屋根にぶら下がる。小学校低学年の林与がそれを壊さずに雪玉を根元向けて投げて落ちたところを手でキャッチして誰ももっていない宝物として大事にしていたのも冬の思い出で、1年に2本とか3本しかうまく取れなかった。自分の背丈位もあるつららを壊さずにゲットしたときには子供ながら、他の子供たちはこんな世界は知らないんだろうなあと一人悦にひたってたのを思い出す。工場も多くの社員の方たちが出入りはしていたけど、あのころはだれも危ないからやめなさいとかいう人もなく、小さな子供の遊びとしてみててくれてた感じ。

それにくらべると雪の中を車運転するくらいでやばいとか言ってるのは全然すごくない、子供のすごいと、大人の凄いのレベルの違いなんだろう。小学低学年の頃の自分が今の自分でもできないようなことを普通に情熱もって挑戦していたのが、命がけというかとことんというか、自分を限界まで持っていける若い人たちのスポーツとかガッツとかって、ああいうのって何なんだろうかと思う。子供のころというのは大人をこえたなにかがあって、大人になると俗化してそういう他愛のない情熱みたいなものを失ってゆくのだが、大人になってもそういう情熱のかけら持っているような人と接点持って取り組んでいきたいなあと思う。
2021年12月31日
今年は12月の中過ぎに雪が降って積もって、クリスマス後に雪が降って積もって、また年越し年明けに雪が降って積もりそうなパターン。工場の中って外よりは暖かいけども、広すぎるんでストーブの一つとか、スープジャーとかは気休め程度。昔、アメリカから帰ってきた年の冬の工場の中も寒かったけども、寒い夜の工場の中で整経をやってたのを思い出す。マライアキャリーのクリスマスソング聴いてたなあ、マライアキャリーもおばちゃんになってしまって…。

電熱ベストと電熱パンツとUSB電源の組み合わせがいい感じで機能していて、これって昔あこがれていた近未来が今手に入ったようなもの。上下で、使い捨ての貼るカイロを20個貼り付けたくらいの温かさはあるんじゃないかと思う。私はあんまり電磁波とか気にしないほうなので電気毛布とかも大丈夫だけど、そういうのに弱い人は苦手かもしれない。使い捨てカイロを昔使っていた時には毎日たくさんのカイロがゴミになるのがいやだったけど、リチウムイオン充電バッテリーだと、そういうのがないからうれしい。バッテリーをたくさん持っていることが大事だと思う。普通の熱さだと、1回の充電で4時間くらいしかもたない。

一日中動き回りながらコタツの中に入っているようなものなので悪くないんじゃないかと思う。夜中、外で道路工事の警備員やってる人とかは寒いだろうなあと思うけども、こういうので体を温かくしているとそれほど苦痛でもないだろう。今年は雪の当たり年なのかもしれない、地球温暖化といわれているので、雪の量だけは私が子供だったころが戻ってきたような気分ではある。本当に近年は雪が降らなくなったと思っていたので、5年ほど前も大雪の年があったが、今年も大雪で、正常化の流れかもしれない。寒くて雪が多いとやっぱり活動するにはつらいことが増えるけど、そういうのを経験していると普通のありがたみみたいのも感じることが出来るようになる。
2021年12月29日
年末年始、寒い工場の中で仕事するのに石油ストーブを考えていたのだけども、工場の1階も2階も倉庫にも行ったりとするので、寒さ対策にUSBモバイルバッテリーであったかくなる電熱ベストと電熱パンツを購入した。モバイルバッテリーも上下1つづつ必要なので充電が途切れないように10個以上買って交換して使う。届いてとりあえず、使ってみたのだけども温かくなることは確認できた。

スタッフの子は昨日の夜に特別な案件ができ今日の朝で年末年始の休暇入り。朝駅まで送ったのだが、道の雪などはまだまだ残っているものの人の動きは多く、みんなお正月の準備に忙しいようである。会社の周りのお家も帰省されているお家が多く、今年は年明けが早いパターンになりそう。

郵便局に立ち寄って不在票で荷物を受け取って、午後から工場の中に入って作業の続き、1月末2月末に向けてのいくつのも案件は残っていて、このまま3月4月にあっという間になりそうな感じ。昨日糸商の方と電話でお話したら昨年のシーズンよりも今期のシーズンは、コロナ前ほどではないがかなり生産が戻ってきているようなことをいっておられた。生産が戻って来て物価が上がっているということは、スタグフレーションといよりもインフレモードなんだろうか。

外の世界のことを考えるよりも自分の目の前にあることを考えて順番に取り組んでいくことが大事で、ある意味、たくさん抱えている時にはそれを解決してゆくために籠って作業することが大事。工場の中は寒くても電熱ウェアで寒さを気にせずスープジャーの中にはコーンスープとお茶とか缶コーヒーとか並べてドリンクバーで癒しながら、この1週間ほどの年末年始を作業に没頭しよう。整経しないといけないものもたくさん残っている。外が止まっているときに作業するのはじっくりと作業に没頭出来て幸せではある。
2021年12月28日
衣食住というのは代替が可能な部分があって、寒ければ温かいものを食べてとか洋服を着てとか。今は住空間というものが優雅になって、季節を感じないようにエアコンが回り続ける。そういうのが結局は大きなエネルギー消費になってしまっているところはあるだろう。といいつつも、林与の工場の中も一つアラジンストーブを気休め程度につけていたりするのと、スープジャーにコーンスープの缶を浮かべておいてスープジャーが工場内に蒸気を一定程度発している。寒ければアツアツのコーンスープを飲んで体を温める感じ。

今日は、滋賀県は大雪そのもので外は思いっきり冷え込んでいる。彦根では観測史上最大の24時間積雪を記録。林与の周りも子供のころに経験したような雪景色で、軽自動車の屋根の上には50cm近く雪が積もっているような状況。夕方平和堂におでんの足りない具を買いに行ったけども、不思議なことに林与の車の屋根の上だけに雪が乗っている。他のみんなは車の屋根の上の雪をちゃんと落としてから車に乗っているのだろうか、夕方出荷にいっても運送会社の人に雪をちゃんとおろしてあげんとあかんよ、と冗談交じりに言われた。

この寒さというのは5年ほど前の強烈な雪を思い出す、年末年始2週間ほど捺染の作業に没頭した。あの時は寒さよりも捺染に没頭していて寒さで捺染したものが乾かないので部屋の中で暖房をつけて乾かしたのを思い出だす。型紙を彫ったり色糊を作ったり捺染したり乾かして洗いを掛けたりと、力のこもった布をつくりたいと絣染めに没頭した。2週間ほとんど作業をし続けて食べるよりも作業の連続。手作業がほとんどだったけども、年が明けてからは機材を作ることに没頭して手作業でやっていたことを小ロットでの生産が可能なところにまでもっていった。海外の展示会ではやはり多くの方の注目を得ることができて面白いなあと思ってもらえたと思う。

業務的な量産の布の世界よりも手づくり布のような面白さのある布の世界のほうが展示会においては多くの方を魅了する。展示会に来られるお客さんというのはデザイナーの方が多く、デザイナーというのは結局のところ機械で生み出されるものよりも、人の力で生み出されるようなものに価値を感じるのだろう。ブランドの購入担当みたいな人は逆に自分たちがロゴをつけて量産するための手ごろな素材を探したりするもので、デザイナーとは発想が異なるところがあるだろう。日本の着物の世界の布というのはまさに世界から評価が高いけども、アパレルの世界でも着物の世界のような人の力のこもった布を提案したいなあと思うところは今もある。

こういう雪に包まれて他の世界から孤立したようなとき、自分だけの独自の世界に籠れるのではないんじゃないかと思う。今年の年末年始は普通に作業に追われる感じになるとおもうけども、年末年始というのは籠って作業に没頭した経験がいろいろとあった。織物の仕事でも仕事をお金を儲けるだけの仕事としてやっていると時間などがすごく長く感じるのではないかと思う。仕事に没頭できれば追われるような感覚の中で次から次に試行錯誤して前に進めてゆくことができれば、1週間とか2週間でも1年でも経験できないようなことが十分に積むことができるだろうと思うが、私自身普段からいろんな雑用に追われすぎていて深い世界に入れるのは問題のある一瞬一瞬だったりするので、いつか時間ができたときには深いことをしたいなとおもう。

今日は会社の経理的な、年末中に振込などしておかないといけない案件など溜まっていたのが3時間ほどでいろいろと解決できて少し頭のなかにいつまでも記憶しておかないといけない10くらいの確認事項のことを頭から消し去ることができた。行動して実行に移して解決していけると頭の中から消し去ることができるのだけども、いつまでも残して解決しないで頭の中に留めておかないといけないことはやっかいではある。
2021年12月25日
今日も糸商さんとの話をしていて、市況がそれほどもよくない繊維業界でも原材料の高騰は避けられないような状況で、このあと半年で15%から20%以上の原材料価格の上昇が予定されている。海外依存で原材料の入手が難しくなれば当たり前に原材料の価格が上がって来てそれが毎年10%20%で製品価格を押し上げる要因に。

林与も今期の値上げはしないいつもの方針だけども、来期に向けては10%から20%くらいの上昇はありそうで、好景気というのではなく、まさにスタグフレーションそのものな状況が日本の繊維業界を取り巻きそう。そういう状況もしばらくすれば落ち着くのだろうから長い目で見て生産者の価格変動なども柔軟に受け入れてゆく必要があるだろう。値上げしているからといって優雅な値上げではなくてコスト上昇で成り立たないからの仕方なく値上げというケースがほとんどで、その価格上昇の方向性というのは一定の落ち着くタイミングまで達しうるだろう。

リネンにおいては不作で品質も悪く高値どまりという傾向がこのあと1年くらいは続きそう。不作が続くこともないだろうけど、1年2年はマイナスも覚悟して乗り切らないといけない状況。地球温暖化もリネンには影響を与えているということらしい。あと中国の電力不足も糸の生産に影響を与えているとか。半導体不足のように糸も不足するようなことになりそうな1年になるのかもしれない、

一方で、中国の不動産バブルは確実なほどにはじけてしまった感があり、下がることもあると分かったときには、不動産への投機熱は日本の不動産バブルと同様に冷えこむであろう。インバウンドを期待しての日本経済ではあるけどもインバウンドが期待できなくなったときにまた内需に期待するとかは外に甘く内に厳しく両面的に国内経済を消耗してしまう。

年金の資金を国内経済に回して守っておけば、国内の経済のより堅実な成長を守れたのではないか、なぜ、日本国内の資金で外国株式を買って、競合相手に塩を送って日本企業が守れるのだろう。そんな国は珍しいだろう。日本の国債を買ってくれる他国がどれほどあるのかという話。日本株式だけなら投機目的にはあるだろうけど、安定的に外資が日本の企業経営を支えるために資本提供してくれるなんて言うのはありえない話。日本政府がそれを他国企業に対してやってしまっているから国策として失敗だろう。日本と関係のない外国企業が投機目的以外で日本企業に資金提供してくれるなんてのは普通はありえない話。国内を支えずに海外を支えようとしているのだから、国内の内需型の製造業は本当にきつい話になるだろう。

でも、今のところ日本国内ではコロナが落ち着いて、それが他国と比べて一番良かったことに思う。経済問題よりはコロナ問題が収束するほうが大事に思う。
2021年12月24日
マクドナルドのポテトがコロナの影響で輸送がうまく行っておらずSサイズに限定されるということ。牛丼も軒並みの値上げで、それも輸送コストの上昇らしい。アメリカからの冷凍海運費用が上昇しているということだろうか。日本もそうだがアメリカの外食産業もコロナの影響を受けて低迷しているあたりが、定期的に便があったものが成り立たなくなるということもあるだろう。日本から中国向けなどの航空便荷物も中国から日本向けの荷物などもかなり遅延が生じていて、飛行機などが減便されてしまって簡単には積むことができないという問題が生じている。

9月くらいに糸商さん経由で糸を手に入れようと思っていたのだが、11月の後半近くになってしか手に入らないというようなことも起こった。糸の生産にも影響が出ているのだろうけど、海運もいつものようにはうまく機能していないのが感じられた。これって同じことで、海外に自分が生地を輸出しようとしても到着が不透明であるということ。海運だと1か月とかズレてしまうもあるだろう。そうなってくると納期の問題発生の可能性が高く、最初から受注しないほうが無難であるという結論になる。

国内の生産にしても同じことで、納期の厳しいものは糸の手配が確実でないと受けるのは非常に厳しい話になる。つかう糸の銘柄や製造ロットを絞った生産を心掛けてはいるけども、そういうのが崩れ始めると糸の段階で糸質の変化などが生産に影響を及ぼしてくる。昨日、生地企画の方とお話していて、経糸に使って織れない糸の問題があったそうで経糸を変更したということ。リネンも世界的な需要の増加で価格は高騰しつつも原材料の質などが落ちてきているのは生成の色の不安定さなどからも感じてしまう。

コロナで不景気の流れのなかでデフレ、すなわちスタグフレーション的なことが起こり始めている。ラーメンなんかも800円くらいだったものが1000円あたりになったり、お客さんが減ったことで値上げして成り立たせないと成り立たないというような状況があるようにも思われる。高度成長期の1970年代、1980年代に建てられたマンション、ホテル、家などは、昔だと地価の上昇が建て替え費用も捻出できたが、今は建壊し費用だけが上昇し、建物が立っていると土地からその分マイナスという評価。古いマンションやホテルを壊すのに何億円も掛かるというのもバランスが取れすぎていない。築40年、50年の分譲マンションの所有権を持ったら大きなマイナスだったりする。

不動産を持つことがマイナスの時代が来るというのもなかなか厳しい話だけども、日本は不動産の処分さえなかなか難しい問題がある、日本はそういうフェイズに突入し始めているように思う。不動産に乗っかって吸い上げたい日本の行政的な硬直性が大きく影響をしているだろう。日本人が持つとマイナス、外国人がもつとプラスという物件は多いだろうし、企業買収や、業界参入にしても、同じこと。国際法的な概念が適用される海外企業が日本で動くのは簡単で、国内法にしばられる日本企業の多くは、行政の力の強弱にさらされてどんどんと競争に負けてゆく。
2021年12月23日
昨日は、いろいろと朝から検反したり糸を運送会社に取りに行って染に持って行ったり夜は出荷したり。いろいろのいろいろ。その中で思いたって1時間ほど安土城跡に登った。リニューアルされてからは初めてで、15年くらい前だろうか登ったときの記憶とかなり違うイメージになっていた。3時半くらいに上り始めて、ぐるっと回って1時間半ほどの工程。

安土城も彦根場も昔は琵琶湖が堀になって山が城みたいな感じで、島のような城、船でしか攻めることが難しいような構造。安土城の場合は、怒られるかもしれないけども、信長はお寺を燃やしたりしたので神仏信仰の盛んな湖東地域では嫌われていたから城跡というだけで、無料で登れる石段がつらなる山という史跡的なイメージだった。

今回登ってみると石仏がいくつも石段に使われていて、そういうのは築城のためにお寺などから集めたものらしい。キリシタン大名といわれたのに、なぜか、お寺的な要素がいろんなところにあるので、不思議、仏足石なんかもあって、仏教信仰があるなら、なんで比叡山や湖東三山を焼き討ちしようとしたりしたんだろうか?歴史を私が勉強不足過ぎて疑問だけが残る。

この12月の冬至あたりに、山に登るはやっぱり寒かって、夕方最後くらいだったので、私たち以外には誰も観光客とすれちがうこともなかった。久しぶりすぎる安土山。観光名所としてリニューアル中のような感じだが、案外、上まで登るのは体力が必要で温かい時期の半日コースくらいなら理想だろうか。帰路にあったお寺と仁王門は初めて見たけども、それだけでも普通のお寺にあるもの以上に歴史的な気合がはいったつくりのもの。当時のままがひっそりとそのまま残っているのだろう。

夜の出荷は9時に出荷したかったが断念して、急ぎからじっくりモードに切り替えて成り行きでの出荷。トラックは全部出てしまっていたけども、夜中、運送会社に到着で、もう明日は無理なの分かってたけども、明日到着で大丈夫みたいな流れにこういうのは本当にありがたい。
2021年12月21日
数日前に降った雪が積もってその雪が解ける今のタイミング底冷えするような寒さ。私は暖房を使っていないので夜は寒くて寝られないくらいの寒さ、対策が必要と冬山でもつかえるシュラフ型の寝袋を引っ張り出してきて、チャックを締めて筒状にしてその中に入って上から毛布を掛けて寝る。寒い空気が入ってこないので体温が奪われずに自分の体温で寝袋があったかくなるのでこれはよいアイデア。

眠ったときに体温を上げて起きて元気に動けるようにしておかないと体が冷えたままで起きるとかは仕事にも差し支える。今は3月末くらいまでの生産の詰まり、糸も揃って整経や織の準備の両方で生産の計画がいっぱい気味な状況、まだ数台立ち上げ中なので効率よく織るところまで行っていないが、もうすぐ5台、6台と準備ができあがると織るのに追われる状況に入る。

先日、亀岡の棉生テキスタイルさんと電話でお話してたら、亀岡もむちゃくちゃ寒いらしいが、そういう寒さがあるからぼけないみたいなこと言っておられた。仕事は孤独との戦い自分との戦いだみたいなこと言っておられたのも、超えたところのものづくりというのは当たり前にそんな感じだろう。やっぱどこもそうやわなあというあたり。前向きすぎくらいに動いておられ経験もいろいろ持っておられ苦労話を聞いていても笑い話。



2021年12月20日
今は国内企業よりも他国企業の下で働く形が日本の行政の縛りなどから逃れることができて無駄も少ない。日本政府は国内の製造業を他国生産に移転させ、つい最近までの資本主義型アメリカのように形骸化してゆき、できなくなったものに関しては半導体やディスプレイのように、外国企業を応援して賄おうとする。アメリカや中国のように、日本も自国企業を最初からとことん応援しておけばよいのに、もう国内でつくるものも海外のものとそれほど品質が変わらなくなって、海外の商品に関しては緩い規制で、国内商品には厳しい規制とか。

どんどんと海外製品に置き換わる様な政策を行いながら、製造業に置いて国内市場を海外に明け渡しつつ雇用を守るとかは難しい話になってくる。だから、観光立国とかなんだろうけども、休日を増やせば、観光業は働けるけども、製造業は働く機会が減るのである。観光業への利益誘導でしかないが、それが、転んだ時にはどうなるのかというのが今のコロナのような状況。

ホテル業界が不況の中で、一番の勝ち組とされるアパホテルに札幌と大阪で宿泊をしてみたけども、思いっきりマイナス覚悟での経営そのものに思う。ホテル業界の今の厳しさそのものを痛感した。私は出張だったので適用対象ではなかったが、観光だと税金で宿泊代金が何割か返ってくる状況でもその状況。飲食関係も、同じようにお店を開いていても、プラスとマイナスでは、継続してやっていけるかどうかでその差は大きいだろう。時短要請なくても、お客さんが戻っておらず、営業時間を短くしているところも多い。
2021年12月20日
今は国内企業よりも他国企業の下で働く形が日本の行政の縛りなどから逃れることができて無駄も少ない。日本政府は国内の製造業を他国生産に移転させ形骸化してゆき、できなくなったものに関しては、半導体やディスプレイのように、外国企業を応援して賄おうとする。アメリカや中国のように、日本も自国企業を最初からとことん応援しておけばよいのに、もう国内でつくるものも海外のものとそれほど品質が変わらなくなって、海外の商品に関しては緩い規制で、国内商品には厳しい規制とか。

どんどんと海外製品に置き換わる様な政策を行いながら、製造業に置いて国内市場を海外に明け渡しつつ雇用を守るとかは難しい話になってくる。だから、観光立国とかなんだろうけども、休日を増やせば、観光業は働けるけども、製造業は働く機会が減るのである。観光業への利益誘導でしかないが、それが、転んだ時にはどうなるのかというのが今のコロナのような状況。

ホテル業界が不況の中で、一番の勝ち組とされるアパホテルに札幌と大阪で宿泊をしてみたけども、思いっきりマイナス覚悟での経営そのものに思う。ホテル業界の今の厳しさそのものを痛感した。私は出張だったので適用対象ではなかったが、観光だと税金で宿泊代金が何割か返ってくる状況でもその状況。飲食関係も、同じようにお店を開いていても、プラスとマイナスでは、継続してやっていけるかどうかでその差は大きいだろう。時短要請なくても、お客さんが戻っておらず、営業時間を短くしているところも多い。
2021年12月19日
ワタには2通りあるの意識されている人はほとんどないだろう。ワタといえば綿と書いて、コットンボールからできる綿の糸みたいなのが普通のいめーじだろう。私も繊維業界に入って、そういう綿のイメージをもっていたけども。元来、ワタというものには、何通りもあって、日本では打綿するという技術がは立つしていた。東円堂にもふとん屋さんと呼ばれる家があるけども、そのお家は布団綿を打綿するのが仕事のお家だったからそう呼ばれていた。

近江真綿というのは、コットンではなくてシルクを打面してつくる綿。蚕の繭を打面して引き延ばしてそれを何層にも重ねて布団綿にする。古来からの高級なお布団の綿の作り方。安価なものは何が使われたかというとシルクではなく、大麻の繊維を打面して布団ワタがつくられた。戦国時代にコットンは日本に入ってきたとされてはいるけども、それまではワタといえば、シルクか大麻を打綿したものがほとんどだったろう。妙とよばれるものも、もともとは、多重から変化していると思われ、シルクを打綿して引き延ばして重ねたものをニギタエ、大麻を打綿して重ねたものをアラタエとよんだところから、織物に変わっても、絹織物がニギタエ、麻織物がアラタエという風に呼ばれてつづけたのだろうと私は考えている。ニギタエは、目の詰まったにぎわった妙で、アラタエは、粗妙で、それを上品にシカは散らばっているので、麤妙という文字が当てられ、鹿の皮という意味ではないだろうと思う。

今は天然繊維を打綿してふっくらとさせて使うのは、天然繊維ではコットンくらいだろうけども、昔はいろんな繊維が打綿して使われた。現代では織物のほかに、不織布というのも幅広く使われていて、それが現代の打綿技術の結晶ではないのかと思える。打綿で膨らませるというよりもニードルパンチ的な技術何だろうけど。能登川地域にもツジトミさんや日本不織布さんなどがあって、繊維業としてはそちらのほうが今は規模は大きいのだろう。不織布ももう古いと20年ほど前にツジトミの社長が言っておられた。新しい素材や代替技術を追い求める、外の世界からすると麻織物を続けているというのは昔ながら続いてきたことを残しているという、日本で昔ながらの農業を続けるみたいな感覚に近いのだろう。

コロナ以前に、大阪のてづくりフェスタにいったときも、大会委員長が清水惣さんでもともと湖東産地の方、多角的に衣料全般のグローバル企業として展開をされている。林与が参加させて頂いているのをしって顔を見に来てくださったが、時代に合わせて変化し成長するスタイルを続けておられるのを感じる。林与の存在意義的なものを考えると、麻織物の産地での麻織物の変わらぬ価値観をどう残して行くか、生み出して行くかの当たりなんだろうなあと思う。林与だけではないけども、産地でそれぞれがやっていることが結局産地のものづくりの特色となってきたのだしなっていくのだから。
2021年12月19日
今日は、朝に姉貴夫婦が手伝いに来てくれて会社のビジネスフォンの取り外し。30年以上も使えたので十分に活躍してくれた。リースなので電話機もリース会社の産業廃棄物の一種なので、リース業者も処分を回収業者に任せている感じであろう。外した15台を箱の詰めてクロネコで東京の回収業者に送る。クロネコもヤマト便という大型荷物の配送をやめたようで、以前は160サイズ25kgまでだったのが、200サイズ30kgまでになったみたい。以前は宅配便の規定を超えるとヤマト便だったので、ヤマト便は数日かかるとかですこしややこしかったがこの宅配便への統合はありがたい。

電話機を取り外すのが手間だったのが、16台用のビジネスフォンだったので、ほそい4本の電話線が16セット配線口から出ていて、一本も切らないようにしたかったので、親機の前ふたを開けて、中のコネクタを一つ一つ外す形。パソコンの自作機が流行った2000年ころに、パソコンパーツを組み立てていたのを思い出した。PBと呼ばれるホーンボックスの中ってこうなってたんだと分かった。16セット分あるからややこしいだけで、1台分づつ考えると単純な仕組みに思えた。会社も小さくなったのと携帯電話がメインになっているので、気軽な家庭用の子機つきの電話機に変更しようと考えている。


2021年12月19日
すごく柿渋系の味のある調和の取れたものづくりをされるのが亀岡の棉生テキスタイルさん。テキスタイルマルシェで販売されている生地のなかに一つだけ浮いてしまっている、すごくシュールな柿渋があった、キューピー柄の布を柿渋にしたもの。違和感バリバリだったけども、そういうパンチに惹かれる人もいるだろう。私自身がなんかそのシュールさにそれに逆に興味が沸いた。尋ねてみると、このキューピー柄の布が余ったのでどうしても売れないので柿渋にしてみたというだけのことだった。味の良いテイストのものばかりの親方が、現代アーティストのような「瀕死のキューピー」みたいなシュールな布も生まれてくる理由がさっきの理由。普通のアーティストだったら、自分のテイストと合わないものなんて取り合わないだろうけども、この方はやっぱり一つの布すらも救おうとする力を持っておられるんじゃないかと思うのがその辺り。そういうのが綿生さんに惚れるところ。一つの行き所のない布を救おうとされるってやっぱり温かい気持ちをもっているひとでないとできないこと。自分のテイストを捨てても、自分の力で救いたいなあみたいなものがあったりされるのがいい感じ。

テキスタイルマルシェの時にも綿生さんのブースに若い男性スタッフがおられて、棉生さんも新しい方を雇われ甲斐性があるなあと思ってあとで聞くと、学生の人が自分の生地をコンテスト用に買ってくれたのだけどあとで代金が払えないというので代金貰う代わりにアルバイトしてもらったということ、布だけでなく若い人にも生きる道みたいなものを自己の損得犠牲して説いておられる。自分よりも自分を裏切るような結果になった若い人に売り場に1日一緒に立つような経験のチャンスを与えて許してあげるような心の深さ。心の広さみたいなものがすごいなあと思う方。

すごく親心があって若い人と接しておられる。よく、職人とかがすごいというけど職人というのは子供だと思う。親方になって職人とか他の人の面倒をみてやっと仕事が成り立っていて、小さな一つの世界も他の人に支えられているだけのこと。もらえるお金も失ってまだチャンスも若い人に与えようとするような大きな器で、困るけどそんなもんやと割り切っておられ、そういう人生観が当たり前に調和のとれた柿渋のテイストの布を世界を生み出し一つの世界をつくれるような自分に対する厳しさの基準なのだろうと思う。救うためにキューピーの柿渋とか、自分の布を買ってお金を払えない学生を救うためにチャンスをあげ許してあげるとか、最高の人だと思う。大変すぎるだろうと思うけど。

久しぶりに思い出したので、電話でお話した。京都に何店舗か持っておられたお店をすべて閉じられたというお話で、それはそれでびっくりな話。一つお店閉めるのも大変だろうけども4つも5つも。コロナの影響をもろに受けられて、本当に大変なここ2年ほどじゃなかっただろうか。それでいて、本業での大きな新しいことに再挑戦ということでそれも最後ボトルネックがあって、本業の本業のサンプルつくりから今はされているというお話。大変だろうなあと思う反面、この方はやっぱり生き生きしておられてそれが作られる布に出てくるのだと思える。他とは違うダイナミックな人生観の味みたいなものが布を探しておられる方が求められる布みたいなあたりなんだろう。

コロナで外国人観光客でにぎわっていた京都のお店が閉じることになっても一方で、柿渋がコロナに対して効果があるなどいろいろとやっておられることが、その局面局面でどれかが脚光を浴びて成り立つようなお話。研究熱心なところと行動力を持っておられ、覚悟も決めておられるので、いろんなうまく行かないことも吸収しつつ、采に前に動かれている。
2021年12月18日
外のお話を聞いたり見たりしていると、このコロナで仕事がいろいろあるところと、激減してしまったところの両極に分かれているように思う。仕事のあるところというのは仕事を作り出していくような体質のところで、激減してしまっているところは仕事を待っているような体質のところなんだろうと思う。仕事を作り出して行くのはすごくお金の掛かることだし、やったことが当たるとも限らないから、いろんなことをお金と時間を使ってやっているような感じだろう。そして、そのやってることの一つ二つが後々の仕事につながっていく。

林与も今はレピア織機の稼働率が良くない、アパレル向けの生産が減少しているから。それをみて想像するに、アパレル向けに特化しているところというのは厳しいだろうなあと思うし、また、レピア織機の織物工場というのは仕事が減っているだろうなあと思う。半年ほど前に、一宮で駐車したらたまたま隣が織物工場で、織物工場のおっちゃんも、産元の賃機屋さんなのだろう、レピアを1台か2台、動かしておられて仕事していてもお金にはならんといってられた。一宮はウールの産地なのだけども、麻も横にときどき織るといっておられた。私よりも20歳くらい上の感じで忙しい時代も経験をされてはいるだろう。今は、仕事されていて一生の内で一番の底のような状況だろうと思う。

工場によっては、1台2台を動かすくらいなら動かさないほうがましという判断もあるだろう。特に従業員を雇用されているようなところだと、工場を休めて今の休業補償をもらうという形。2010年ころに、動けるスタッフ5名ほどいてくれて、ストールの爆発的なブームの終わった後、仕事に余裕がある時があって、その時には、じっくりと研究的なことを1年やった。アイリッシュリネンのプロジェクトもそのときで、リネンの超細番手にチャレンジするというプロジェクトも並行してやって、織るのも難しくすごく大変だったけども本当に良い経験になった。同時に、超太番手のプロジェクトもやって、リネン5番手とか織ってみた。これもなかなか手ごわいところがあったが、同じ織機で、5番手から150番手まで織れるということには感心した。そして同じ織機で織るにしても細い番手と太い番手では織機の調整が異なることもよく理解が出来た。

そのときあたりからだろうか、全国の機屋さんとの出会いなども増えて技術的なことの話を交換するというよりも、どうやったら新しいスタイルでテキスタイルメーカーが存在していけるだろうかというあたりの実践みたいなものを考えるようになった。私自身がネットショップを本格的にはじめたのもそのあたり、ネットショップをやっているといろんな麻に関する情報を持っておられる方がアプローチくださって、私の知らない麻布の世界も見せてもらったりしたことも多く、そこに私の推測みたいなものも掛け合わせてその布というものがどんな材料でどうやってつくられたのかとか、自分の織物とは少し違った分野の麻織物のことも考えるようになった。

いろいろとフルに携わっていると、その時に解決が難しい問題でもあるときに突然これが解決方法だったんだなあと感じることもあって、問題というのはそのときに頭に刻み込んでおけばよく、必ずしも解決までにたどり着くひつようはない。ひらめいたときにテストしたいなあと思うと、会社に在庫でころがっている生機数メートルが急に価値がでてくることもある。ちょっとやってみるとそれが解決方法だったかどうかが分かったりもする。検証するためにときどき機材から考案してやってみることもある。そういう頭だけでなく行動的な部分が自分の中では大事。回りくどく書いたけど、少し仕事が少なくなったときにやってみたいなあと思うことをやってみることが大事だと思う。

織物の仕事というのは無限に時間が掛かることが多いので、普段でも仕事を一つの仕事をしようとするときには織る時間だけでなく、織る以外の前後の準備の時間は織るのと同じくらいに掛かっていることも多い、サンプルなんかでは、本生産に向けてのテスト的な意味もあるので、その一つのサンプルで作業する時間がむちゃくちゃ長くなる。織物というのは仕事を待つのではなく生み出して行けるようなあたりがあって、また、小さな会社で一人一人が分業じゃなく、最初から最後までの広い作業範囲をこなせるようになっていることで、人の作業を前に進めていく。人の力が、結局布みたいなものだと思う。

皆が集まって布をつくるみたいなオムニバス的なものづくりというのは見せるテーマとしてはよいのだけども、現実的には強みを逆に薄くしてしまうような要素もあって、産地にも、いろんなものがあるというのが特色でだからやってれれる話だったりする。産地の一般的なイメージ以上に、個々の企業の特色的なものづくりみたいなものの方が強かったりするもので、そういう強みみたいなものが面白いんじゃないだろうかと思う。そういう強みを活かすテイストみたいなものは最終商品に結び付けてゆくためには必要だろうけども、そういう強みにあったテイストを2個イチにするんじゃなくて、強みを活かすような色付け柄付けをしてが、調和のとれた布を生み出すことになるんだろうと思う。
2021年12月17日
今日は、夕方過ぎに整経の荒巻が終わって、巻き取り作業で、大問題。ビームのフリンジのネジが一本外れて糸が引っかかったので、巻き戻し作業を数回天分やったら、その糸が緩く巻けてしまって荒巻ドラムの糸が食い込み始めて、地獄モード。ビームへの巻き取りが綺麗にできない状態になって来て、整経全没を予感したけども、荒巻ドラムに食い込み始めた糸を20回分くらいほどいて、底から再度巻き取りをやった。経糸の3分の2以上は救うことができて、少し安心。夕食休憩を取る。

夕食のあと縦繋ぎ、スタッフの手の動きを見ていると私の手の動きがぎこちなく思えるくらい。小さな手の人というのは糸を扱う作業が速いことが多い。スタッフの女の子も潜在能力的には1時間に450本から500本くらいつなげるスピードを持っていると思う。繋いだ糸を横にさばいているので私より遅くなっているだけのことに思える。

繋ぎ終わって工場の外は雪が積もって景色、今年は雪が降るのだろうかと思っていたのが先日だったけど、もう降って数センチ積もった。急いで1時間半ほどで420本づつの経糸を繋ぎ終わったので、工場の中があったかいはずはないのだけど、今日は寒くなかったとスタッフの女の子がいっていた。よかった。冬の工場の中での作業の寒さを乗り越えられるか心配ではある。

縦繋ぎが終わって、外にでると外は雪が積もって雪景色。夕食前に降り始めた雪が数センチ積もった。これからは雪との戦いが始まるが、雪が降っていると案外織物というのは織りやすいと自分で予想。本当だろうか?
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