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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
縦つなぎ
2023年01月29日
今縦つなぎの案件が3つある、その一つがデニムなのだけどもあまりに時間が掛かるのがデニム。繋ぎ終わってからも織りだすまでに半日以上かかる。半日というのは24時間の半日なので、普通の仕事とすると一日仕事みたいな感じ。経糸がインディゴ染めなので色が濃くて非常に見えにくく、作業がしずらいのも難点。

織物の仕事というのは壁が高ければ高いほど、ほかの人がマネはできないだろうから難しいことは悪いことではないのだけども、難しい仕事というのは会社のほかの人ができないので私が結局担当となってしまって、納期に追われて直線的にこなさないといけないことが多い。日本だと高度な織物が云々のイメージではあるだろうけども、少し高度になると普通のサラリーマンでは1日8時間の作業の中で生産ができるのかというと、難しいだろうなあと思える。

高度なイメージもいろいろだろうから一概には言えないだろうけども、与えられた状況の中で限界的な織物みたいな織物は無理が大きい。ほかに高度な設備という概念もあって、たとえば電子ジャガードで、デザイナーさんの求める織物を自由につくるみたいなのも高度な織物だろう。そちらの織物のほうが生産性はあるのかなあとも思えたりもするけども。資材系などの織物も電子ジャガー度を用いたものがある、車のシートなど。でもその世界というのは価格というのは本当に競争的な価格のようである。そういう企業のものづくりが理想には見えるのだけども、手作業の世界のほうがまだ田舎の人でもできるやさしさがあって、そういう産業的なものづくりというのはよほど優秀な人でないと難しいだろう。

日本も製造業が成り立つためには、構造的なものから考えていかないと、利益の取り合いというだけに終わってしまうようなところがあるような気がする。それは繊維産業だけでなく、国や行政と企業の関係なども含まれていて、繊維産業というのは人や土地が必要な産業で、人や土地を必要としない産業を基準とした課税体系や雇用ルールなどを、製造業にも一律に適用すれば、どんどんと苦しくなっていくのは当たり前で、右から左で利益を上げるところが残るだけ。その典型が熊本の産地偽装あさりとかだろう。カネしか見えなくなったときにはどうしてもそうなってしまうものである。ビジネスが大きくなればなるほどその傾向は強くなるのではないかなあと思えたり。

国内生産に移行するということを目指した百貨店もあったけども、それは百貨店だったら理想的なことのひとつかもしれないけども、百貨店にしても株主の集まりで、株主というのは配当とか利益しか考えないところがあって、結局、海外生産で駅率の高いものを売ったほうが儲かるという、国内生産のよう理想は捨てた路線に軌道修正がなされた。

百貨店に並んでいるものですら何分の1のコストでつくれる海外のものが多く、国内業者のつくるものもそれとの比較なのだから本当に厳しい世界であったりもする。ましてや、最終商品でなく、生地のような素材だと、その傾向は強いように思われる。実態がないのに、なぜか、国産の麻生地がでまわる。聞いたこともない業者さんから、聞くとあいまいな答えだったりしてほとんど国産とかで、具体的にどこかと聞くと仕入れ先ごとに違うからわからないとか売ってる人がいうからあさりと似たようなもの。国内で麻生地なんてつくってる人は非常に限られてきてしまっている状況で、何十年も前からそのあたりは変わっていないのである。百貨店店頭で売ってられる業者のかたもそのあたりを知られず、国産を謳ってしまっているような状況。

国内の繊維業界にですらも確かな情報がないというのがもう非常にあやういところで、偽造で問題になったアサリ業界と似たようなところがあって、国産と謳えば高く売れるという消費者だましが横行してしまっているのが普通のことになってしまっている。海外のものにしても別に悪いものではないのだけども、でも国産と謳わないと高く売れないということがあって、国産偽装は後を絶たない。だませばもうかるような業界の構造は繊維業界だけでなく、強度偽装が何十年も慣例化していたような国産の鉄の業界にもあったりもした。耐震偽装などもあったり。大事な謳いの部分が嘘で儲けるというビジネスモデルで大企業でも成り立ってしまっているあたりで、何十年というとブランドに明け暮れたバブル期あたりからの話なのである。ラベル商売の結果ともいえる。

自分自身が、日本で織物のようなものづくりをしていて意味があるのかどうかという問題。あえてもうからないスタイルを選んで仕事らしい仕事をやっているようなあたりが意味のあるところじゃないのかと思えたりもして。同じ物事をやっても成り立りたつ時と成り立たないときがあるだろうし、人が違えば同じことをやってもプラスとマイナスの結果に分かれる。

林与にこられたお客さんが、謳いみたいなものを探しておられるけども、なんで自分たちのやっていることの中にそれを求めていかないのかということも多い。幸せの青い鳥を探してうろうろと鳥を求めて産地めぐりされておられる方なども多いけども、林与と一緒に仕事する仕事のお客さんは大変だろうと思う。それでも自分でものを作っていくというブレないあたりを最重要視くださっているお客さんがいてくださって、失敗もあったりする難しい問題でも取り組んだりもできているから、それがまた全体の遅れの原因にもなったりするのだけども、許容してもらって成り立っているんだろう。

私自身は基本苦労や我慢は大事だと考えているタイプで、そういう部分が繊維の世界の価値観を生み出す部分だろうと思うし、それは特別な才能がなくても、だれでもが生み出せる価値観。経験というのは大事で、いろんな無駄かもしれない失敗も自分自身で乗り越えてできるようになって、そのあたりでのものづくりが最低ライン。することをどんどん簡単に楽にしていくような大企業的な考え方もあるだろうけども、そういうのが人のぶつかり合いの種になる。取る側と取られる側のような、それもものごとをするうえで大きな問題として考えておかないと、搾取構造で成り立っているようなモデルというのは、お金もうけだけのための仕事モデルであることが多い。

単純な作業に価値観を見いだせるとかそういうのも大事だと思う。単純な作業をしても、早くきれいにできる人とできない人の差は大きく、できない人ほど単純な作業を軽く見ていたりする。けど、ほとんどの人ができる作業をバカにしてできないようでは高度な作業というのは難しく、その人が理想としている賢く儲けるとかは、その人が実現して周りも養えるようなくらいの力があればそういう話も成り立つのだろうが。店舗をいくつも持っておられる大企業でもそれが難しいのが繊維業界の普通で、何の問題もないピカピカのきれいな店舗でも次々に閉鎖。