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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
外の世界
2023年10月15日
林与は外の世界に出てたことが良かったと思う、高校大学時代の京都の生活やカリフォルニアでの生活は、レベルの高さの一方で普通の人の心の温かさみたいなものをすごく感じた。他の人と競い合うことのなく面識のなかったものどうしが仲間意識で全力で支え合う気持ちを持っての人が多かった、日本に戻ったときにはカルチャーショックで、近い人間同士でのいがみ合いみたいなことが基本になって林与の家の中ですらもそんな感じ。

自分が動いてやっていかなければ物事というのは難しいし、他人任せばかりの状況ではよくなるはずというのはないのだが、他人任せの人が多すぎて、それは仕事をしたことのない人と接するときにそれだとやらないほうがマシだよと思うのと同じ気持ち。そんなに都合よく人が自分のやりたいことのために協力してくれるなんてないし、せっかくのいろいろな偶然からの仕事のチャンスでも駆け引きが始まると、もうやらないほうがマシで受けたら林与が支えようとしている人たちから逆につぶされそうになるほどのことも多い。私自身それなりに覚悟はしているので何とか成り立てばよいとおもっているだけのことだけども、一つ一つの仕事においても、場を作ると人間模様の駆け引きで、自分のいうこと聞かないとやってあげないぞみたいな感覚で、それはまさに支配階級意識と同じで、恐ろしいことになることも多い。そういうのが一度イベントの後の打ち上げで議論になったけども、外の世界の普通に仕事の感覚の方たちだとなんでそんな人に仕事頼んでるんですかみたいな話になるけども。田舎の狭い世界だとそういうのが普通の話普通でありがちだったりする。

年配の人たちも若いころは3倍仕事ができたという話が多く、嘘じゃないと思う。量質共に3倍だったと思う。50も過ぎるとみんな仕事が出来なくなってしまっていて、普通に3倍くらいできないと成り立たないというのが当り前の状況。仕事はいろいろあっても、本当に単純な作業以外は、出来る人というのが本当に少なくなっていて、しらん、わからん、できんみたいな、そんな状態で失敗されると困るから、細かくなんども説明するけども、違うことやってしまわれて、一人一つのできることや方法しかないみたいなことも多い。

人間同士が殺し合いにまでなるのも、とことんまでそういう世界がひろがってしまうからだろうし、自分のためなら人が死ぬこともへっちゃらな人もいたりして、普段からうちのものを買っていないやつが災害時にこまっても一滴も売らんとか聞くにもわびしすぎる80代の人とか。自治会入っていなかったら隣の家が燃えても消さないというような感覚で、それを若い者に引き継がそうとしても、そこまで若い人たちというのは心が荒んでいない。次の世代を何と思っているのだろうか子分? 田舎の空しすぎるような現実が長く続きすぎたのを感じるし、繊維業界ももうちょっとまともな感覚にならないととは、林与の先代をみていてもおもうが、今の若い人で吸収力のある人というのは、何十年の経験者を1か月で超えてゆく、それを経験者というのは喜ぼうとするのではないのが、狭い世界の現実で、自分たちの面倒を見させようとする経験者たち、先代もそのタイプだったから、外の世界と関わると自分中心で仕切りたくまともな外の世界を調子よい話で泥臭く濁して行くタイプで、甲斐性をばらまきながらも一番自分が働くも難しい人やった。

そとの世界をしらずにカモ状態になってて、おだてられると気持ち悪く思わず、すごくうれしくなってしまって、ありえない面倒まで見すぎてでも自分がやらないからという間柄。亡くなる前に自分が一番駄目だと気付いたけども、そういう風潮をバラまいて周りも毒してしまったのが自分だけの問題では終わらない問題で、地元の繊維業界を支えてこられたような方に、お前が一番どうしようもなく駄目な奴やったと説教までされ、それは当たり前一時の勢いで舞い上がってそのあとは引き下がれずに変われずに、地道に働くもしない自分のスタイルをバラまいて、林与とは水と油の先代。自分の中に高い能力を持たないと駄目で、頭としても今の時代では普通以下というのも分からないと難しい。落ちぶれた時にも自分が働かないとうのは、1日のアルバイトの人の自覚もなく商売を語るも難しい。

滋賀県の明暗としては、たねやあんと林与みたいなところがあって、たねやさんは金融機関的には一番くらいの優良企業だけども、林与というのは金融機関的には一番駄目な企業。その先代の二人が八幡商業高校の一番の親友同士で二人だけの写真部で、そのころ滋賀県では一番くらいに地場産業で勢いのあった近江上布の世界を裏で支えていたのも林与だったりして、野捨さんの保証人や組合の理事長の会社の保証人にもなって、近江上布絣の世界を別れだった前田商店とも一緒に作ってきた。全部裏側も支える気持ちで技術も提供していたのが与一爺さんで、それは小千谷にも林与の技法が伝わって、小千谷が残ったというストーリーにもつながる。日本の国の最高レベルの麻布の世界というのは、今の田舎のしらんわからんできんでは当たり前に無理で、そういう問題も背負って解決してゆくような覚悟で残して行けたらなあと思っているが、薄くなるなら消えたほうがましだろうとおもうような林与の考え。

2000年以降のアイリッシュリネン問題にもとりくみ、それはまさにアサリ偽装やカシミヤ偽装問題そのもので、1990年代には北アイルランドではアイリッシュリネン紡績も終焉しもう失われた語り部プロジェクト。それでも日本ではどこから出て来たかもわからないけど、2000年代以降も北アイルランドでのアイリッシュリネンが謳われ、それは日本の麻業界の闇歴史で、そういうアイリッシュリネン糸を流しておられた会社の糸を販売されている方がそれは本当ですかと驚かれてるような話で、消費者の人からすると謎が解けたと思う人は多いし、林与も2000年以降にアイリッシュリネン糸も手に入れることも難しい状況で、日本の大手の業者さんが素人な人を騙して中国紡績の糸がアイリッシュリネン糸をつかていると流れていただけのこと。

その中国の紡績工場の方も林与のアイリッシュリネンの展示をみて、アイリッシュリネンなんてないよといわれるけども、これは本物で40年以上前の北アイルランドで紡績された糸というのを聞かれて、たぶん、中国の会社にしても自分が紡績した糸が日本でアイリッシュリネンとして出回っているなんても思ってもいないだろうけど。そういうのが大手のビジネスモデルだったりで、品質も悪くないんだから北アイルランドで紡績しているとか嘘は必要ないんじゃないので、林与は普通に中国紡績糸という正しいことが消費者に伝わるように、中国で糸を紡績している人の覚悟やプライドも林与と同じじゃないと思っている。イタリアの糸もチュニジア紡績という最適な説明をするのも林与で、それは関西の麻業界の基本だったというのが、林与の本物志向のスタイル。

百貨店で販売されて国産と言われているものも????、どこの産地ですかと他の人がたずねてくれると、代替が国産と仕入れた商社から聞いていますというよう話だったとか。縦横を先染めとかでリネンを織るというのも、経糸に糊付けが出来ないと行けなかったりで、できるところも限られてはいる。スイビ巻きという技法もあるけども、それなりに麻の場合には考慮も必要なところ。林与が従来の糊付け技術で超細番手を織ろうとするのかというのも昔からつづく安全な技術をステップアップできたらと思う拘りで、それを織の苦労ででどこまで成り立たせられるか。