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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年02月13日
今日は、テックスワールドの初日です。今日は、日本関連のお客様ということで、アサヒ化成の方や繊維ニュースの方、日本に興味のあられる方が3分の1くらいはお越しくださいました。ヨーロッパのデザイナーさんらしき方とお話できたのは4件ほどです。ほとんどの場合、ものが流れないとすると名刺交換をしないのがこちらの流儀のようで、こちらの名刺と会社案内はとっていかれるものの相手が誰なのか分からないケースが多いものです。

そんななか、繊維ニュースの取材に来られていたご婦人記者の方と話し込んでいると、ブースの外で話が終わるのをずーっと待っていてくださる方がおられまして、礼儀正しい方だなあと気にはしていたのですが、お話が終わってからブースに入ってくださったのですが、アイリッシュリネンにはとくに興味を持ってくださり、すごく褒めてくださるのです。美しいものを見せてもらえたので今日一日が幸せだ、みたいにおっしゃってくださっていました。日本のコットンやウールも使っておられるそうで、ベルギーの天然素材にこだわったデザイナーさんで、ベルギーではこんな感じのリネンは手に入らないといわれてたのが今回の調査の目的のひとつを果たせたかなあと思うところで、最後にご自身のコレクションの作品のブックレットなど取り出して見せていただきました。ワンピースがメインので、流れるような形がすごく素敵でした。デザイナー、ソフィードールさんで、将来、またどこかでお会いできる気がします。デザイナーさんが素材に対して暖かなのはいいですね。

ほかにも明日からプルミエールビジョンに向かわれる方で、非常に丁寧に接してくださる方が何人かありました。初めてお会いしたのにすごく素材を褒めてくださり、やっている方向性を応援をしてくださっているのが伝わってきてうれしいところです。林与がそれなりに良いなあと思って並べているハンガーたちなので、普通に見えても普通じゃないのにしっかりと素材の味に気がついていただける方が何人かでもおられるのがうれしいところです。初めての出展で目立ちにくい一番小さなブースですので暇な時間も多かったですが暖かなお客様に恵まれました。

今回、非常に残念なのは日本のワビサビの世界を感じることのできる近江上布を持ち込もうとしてアパレルの試作品を優先して割愛して持ってこなかったこと、リネンとは違う日本らしい本麻のディープな世界は、きっとヨーロッパの人々に興味をもっていただけることと思うのです。日本の伝統的な着物の世界というのはディープで、ヨーロッパの人々が求めている布つくりのスタイルなんだと感じます。林与自身、着物の世界とは離れていますので、着物の世界の皆さんには日本のテキスタイルのイメージの象徴として残っていってもらいたいと考えます。
2012年02月12日
朝起きても、体が疲れきっていて7時なのに外は真っ暗で肌寒さを感じます。ヨーロッパの建物というのは石でできているということでこれが普通なのかもしれません。暖房はついていますが、オンにしても暖かくはなりません。ホテルのフロントなんか寒いのに我慢をしているのでこんなもんでしょう。ホテルのコンチネンタルブレックファストに、オレンジジュースがついていておいしいこと。

食事後、外に出てオレンジジュースとかと、アダプタを買おうと電気屋さんをさがすものの、朝のパリはお店が開くのが遅く、オレンジジュースは手に入ったものの、アダプタは買えず。ホテルに戻ると、ホテルのフロントに聞くと、ホテルの備品のアダプタを10ユーロで売ってくれるとのこと、うれしかったのですが、小銭がなく、またまた、外のお店に行って、いらないものを適当に買い込みしておつりで10ユーロを捻出しました。

ようやく、パソコンが充電できてネットにWIFI接続しようとするとパスワードが分からず、また、ホテルのフロントにパスワードを教えてもらいに行きました。なんだか、親切が小出しな感じのホテルで、自分がやりたいことがあればそれに向かって動かないと何も解決しないなあという感じです。昼過ぎに展示会場近くの駅に行ってシャトルバスがあったのですが、それも、自力で見つけてたずねないと運転手が自分からテックスワールドのシャトルバスであることを教えてくれるわけではありません。会場に向かうだれもが見つけるのに苦労をしておられました。

会場のイメージは、ジャパンクリエーションの2倍くらいのイメージでしょうか、インターテキスタイル上海の5分の1くらいのイメージです。ブースの電灯や備品なんかは日本や中国のものよりもグレードの高いものを使っているようです。ヨーロッパにありがちな入り口も壁で狭くしたクローズドな感じでのブース外観で、これでは、せっかく林与ロゴ看板を貼り付けても見えないでしょうから入り口の2枚の壁を取ってもらってオープンな感じのブースにしました。壁に最初からダメージがあったのでそれのレポートと、ほかに、ハンガーバーを低くしてもらうなど、自分なりに満足になるようブースを改造しました。

リネンとヘンプのセクションに出ているので、春夏物ということでリネン素材を探しに来られる方は多いと思います。周りには、中国の出展者が多いのですが、リネンの細番手には興味があるようで、準備をしていても洋服などの試作品などに興味を示しておられました。今回の目的は、ヨーロッパの展示会でどのようなリネンが展示されているのかということを調査することと、林与のリネンのイメージを多くのヨーロッパの人に見てもらうのが目的で、また、今回はヨーロッパでの展示会の練習的な部分もあります。この展示会もヨーロッパで展示会したいと思って、締め切りもかなりすぎているのに主催の方にお願いして出させてもらったので、出られるだけでも幸せといえば幸せです。

壁のダメージの問題などあって、飾り付けをスタートできたのが夕方6時で、夜の7時いっぱいまで掛かって準備を終えました。今日は日曜日でしたので、パリ市内のお店を見て回る予定でしたが準備だけで終わった一日です。夕食は北駅近くのレストランで食べてホテルに帰りました。
2012年02月11日
結局、朝の7時半まで自分の出発準備はほとんどせずに、会社の留守中の段取りを用意しました。指図など非常に丁寧に用意しておかないと、完璧に用意しておいても失敗が起こるのが仕事なので、あやふやだと想定外ものが出来上がってくることが多いもので、出発しても遣り残したことに対して気が気でなりません。

自分の乗る空港への電車も調べる時間もなく、8時の電車に乗ると10時過ぎ、フライトが11時15分なので、本当に危ない状況で空港についたとたんに航空券を手配した旅行会社から電話が掛かってきてオランダ航空の受付があと5分で閉まるとのこと。いわれなくても全力で動いているのでこれ以上あせらせたら駄目だよ、これ以上急いだら駄目と思いながらも、今日はパンを食べていないことを確認しながら、全力で4Fまで行きました。また、チェックインカウンターでゲートが遠く搭乗がもうすぐ始まるとのことで、あせらせたら駄目だよ、と思いながらも、再度全力です。搭乗口についたら間に合ったようでほっとしましたが、ほんと立っているのもできないくらいに疲れています。昔、グリーンマイルという映画がありましたが、ドッグタイアードな状態です。

飛行機に乗ってからも疲れきって静かにするだけで眠ることができない感じで11時間のアムステルダムへのフライト、アムステルダムで、シェンゲンエリアに入るので、入国手続きをするのですが、この前、インドに行ったときのビジネスビザが、インパクトが大きすぎるようで、今回の目的に関してビジネスであるということで、イミグレーションで調査されました。疲れきっていたのであせることもなく、乗り継ぎの時間が2時間あってよかったなあと。時間に余裕がなかったら、また、あせって大変だったろうにと思うと、人間の心理を大事にすることは大事に思います。フランスへの乗り換えも20分くらい歩いて搭乗口なので、余裕をもっておいて助かりました。

シャルルドゴール空港についてから、とりあえず、5日間交通機関に乗り放題のビジターチケットを訳の分からないままですが買うことができ、親切なおじさんに助けてもらいながらホテルのある駅について、闇雲にあるいてホテルを見つけようとしましたが、今度は、犬をつれた親切なおじさんに連れてもらってホテルにチェックインです。英語がほとんど通じないところがパリらしいです。

ホテルは、駅から50mで便利です。でも、ホテルというより、アパートの小さな一室の感じで、暗い部屋で、1週間の滞在ながらも、寝れればそれで良し、コンセントも日本のタイプとは違って、コンピュータも電話も使えない状況に陥りそうで対策が必要ですが、今日は、何も食べずに疲れた体を休めようととりあえず寝ました。
2012年02月10日
今日は、出発準備です。しかしながらも、納期のものの調整の読みが甘すぎてやり残しての出発となり、心配です。展示会の準備も1番やろうとしていた会社案内の印刷もほとんどできないままに出発で、展示会よりも会社の今の仕事のほうを優先する形です。

パリ滞在中に、どうしても出荷をしないといけない海外サンプルも、いつ加工からあがってくるかでキャリアーの変更など考えられ、何通りものインボイスを用意して頭が爆発しそうです。案外、説明を聞いたするのものが冷静に分かっているようで安心しました。

今日も新規のお客様から数件お取引のお話をいただき、今がもう手一杯な状況で4月くらいの生産になりますとの説明をさせていただいております。簡単なものだと並行して動けるのですが、新しいお客様とのお話というのはなにか特別なものを期待されてのお話が多く、できるものを見ていただくところから始まりますので準備も必要です。

1日でも普通の人の数日分くらいのかなり多くの仕事をしているとは思いますが、どうしても相手があるので、その一番流れが止まりやすいボトルネックを想定して、納期なども考えていかないとならず、1ヶ月以上前から少しづつ段取りを進め、不確かな要素をしっかりと見極めて生産の計画を立てないといけないので、いつもそのあたりがゲームの理論ではありませんが、答えを出してもまださらに変更という時間のロスというのはどうしても避けられません。
2012年02月09日
今日は、もうすぐ1週間私が会社を留守にしますのでその間の仕事の段取りを行いました。出機さんにフォローに入る準備、留守中の納期のもの、追加で受けた海外受注分の出荷、ネットショップご発送ならびにお仕事のご依頼を受けている分など出発前に終えておかないといけないことがたくさんあります。冊子を印刷する余裕がありますかどうか。

明日が1日でハンガーなどパリの展示会の準備になりそうで展示会に行くのに展示会のことは一番最後に後回しになりがちな、いつもの感じです。せめてハンガーだけでも長さがそろうように作り直したいなあと思っています。日曜日が準備日になりますので、足りないものはその日に現地で購入すればよいのではないかと思ったりしております。
2012年02月08日
今朝は、生地関連のトラブルで送ってこられた製品を分解して、縫製をしなおして要因の分析を行いました。本来は検査機関に持ち込んで、検査してもらうのが一番なのですが、パーツが多いので、今回は、頭を使って再現性のある原因の特定ができる方法を考えました。

東京から仕事の面接の方がお越しくださいまして、3月から仕事いただくことに決まりました。産業的な織物の現場に入って取り組もうとされる方というのはなかなか珍しいのでうれしいです。シャトル織機などの微妙な点にも質問などされ、普通の人が気がつかない部分の説明をしても大丈夫そうでしたので、シャトル織機も使いこなしてもらえそうで、シャトル織機を扱える希少な若い世代の一人となっていただけそうです。

せっかく、滋賀県まで来ていただいたので、林与だけだとなんですので、長浜のDENさんのお店もお邪魔して、滋賀県の雰囲気を味わっていただきました。夜は、1反、反物の出荷があってそれを運送会社に持ち込みました。夜9時ぎりぎりでなんとかです。

パリ出発までのタイムリミットが迫ってまいりました。ハンカチのご予約をいただいた皆様へのご発送は本日行います。お待ちの皆様よろしくお願いいたします。ネットショップは、20日までパリに向かいますので、ご注文は可能ですがご発送は20日以降になります。パリからもリネン日記の更新を試みますので楽しみにしてください。
2012年02月07日
今日は午前中、東京から株式会社SQO代表の小林さんがお越しになられ、DENの北山さんと合流され来期の企画のお話などを相談しました。ビンテージリネンのハンカチの箱も出来上がりまして、予約注文いただいた皆様には大変お待たせをいたしました。明日と明後日でご発送を完了させていただく予定です。私がパリから戻ります2月20日までに予約して届かない方がおられましたらご注文いただいた日にちなどメールにてご連絡いただけますようよろしくお願いいたします。

先日から生地テストをお昼ころから行いまして徹底的に調べては見るものの今日はお天気がよくなく冷え込んでいるので、生地の乾きが非常に遅く、乾きそうで乾かず夜になってしまいました。その布の発送時の控えなども見つかったので並行してテストに掛けますが、いわれておるような問題が再現せず、明日また別の試料で試すことになりそうです。

夕方には出荷を数点したほか、パリ出発前にしておかないといけない準備作業などを行いました。もう後、出発まで72時間ほどで、どこまで準備が進められるかもあやふやです。会社案内も200部くらいはもっていきたいのですが今回は英語バージョンを作ろうと思いましたが時間的に難しそうで日本語バージョンをテックスワールドで配ろうと思います。

今日はリネンの紡績工場に電話したのですが、リネンの細番手というのはなかなか作るのに気合がいるようで、糸を作ってもらうのも何ヶ月か待ちです。細番手というのは材料からしても特別なので紡績工場にとっても簡単に作れるものではないようです。もう1ヶ月以上まっていますがまだ目処が立たないようです。各方面から、リクエストはいただいておりますが、少々お待ちくださいませ。
2012年02月06日
今日は午前中、就職を考えられておられる方が会社見学にお見えになられました。午後からは生地の問題があったということで検査所と加工工場に行って問題の原因の調査を行いました。検査所では想定される要因のアドバイスを受け、加工工場などでも工程に問題がなかったなど念のために調べてもらい。原因は凡そですが絞ることができました。

別件で、加工工場さんでは、先日、お渡ししましたキッチンクロスが加工からあがったようでテーブルの上で縫製工場行き待ちの状態になっており、キッチンクロスの色によって長さがかなり違うとのことで、そんな筈は…。シャトルで織ったものですのでテンションの強さ加減で、長めにあがったり短めにあがったりすることも多いのです。反末の引っ張れた状態での比較で、反物のはじめと終わりというのは不安定な場所なのです。

織物の落としや検査試料断片というのは、反物の真ん中を取ることはないので、本来、反物の検査の意味もないことが多いのです。そういう経験から、林与では、検査する断片は、1番目の反物の頭や一番最後の反物のお尻からとるのではなく、一番目と二番目の間で取ったりするように注意しています。

機屋さんなどでも検査の数値が悪くて困られているケースが多いかと思いますが、検査断片を反物の端で取っているからで、あまりに不自然な数値が出たときには、反物の3M中のあたりで取るとよい数値になることが多いものです。

私自身、テキスタイルをつくるときに一番気にするのが、出来上がったときの物性的な面で、そこに注意をしてものづくりされる方というのは非常に少ないものです。特別なものを作ろうとするとテキスタイルというのは無理が生じますので、本来は安定した企画に色柄を乗せてあげるくらいが一番、工業製品的にはよいものになるのです。

一方で、味を求め始めると、いろいろな問題が生じてくるものです。一番顕著な例は、密度の荒いものでスリップすることですし、染色などでも草木染などは堅牢度の問題が常に付きまといます。芸術性に走ると妥協というものが必要な場合が多く、後からの物性を上げるということは非常に難しいものです。

納期、コスト、品質面で厳しいブランドさんでは、安定したカウンターに色柄を載せるようなものづくりにしておかないと何回かはうまくいっても、何回かに1回の失敗というものが命取りになることも多いのです。ヨーロッパからのインポート生地などは、珍しいものが多いですが、物性面で製品になってからフォローが付きまといます。

ヨーロッパのテキスタイルメーカーというのは、イメージ、小ロット生産ではなく大量に生産をしてそれを売り切る形にしていることが多いのです。日本のものづくりとはまったく違うタイプですので、着分もすぐに出てきますが、完売するとそれで終わりということも多いものです。
2012年02月05日
今日は日曜日。昨日までの冷え込みは終わり今日は晴れの暖かめの一日でした。東京からのお客様が、リネンキッチンクロスの卸に関するお話でお越しくださいました。シャトル織機などにも興味をもっていただいていたということで、今日は工場は休みだったので、ちょこっとだけですが動かしているところをみていただきました。

夜、米原の駅までお送りさせていただいたのですが、途中、彦根で食事をいたしました。焼肉屋さんで、近江牛の看板が出ておりまして、以前このお店で近江牛を食べたことがありましたので、近江牛が食べられるのだろうと思っていましたが、店員の方に聞くと今は近江牛は入荷していないということ。残念でしたが、一方で正直だなあと思いました。

テキスタイルツリーの編集長である成田典子さんからご連絡をいただきまして、3月にはテキスタイル用語辞典が完成するとのことで、詳細のほうがウェブにもアップされてきています。http://www.textile-tree.com/dictionary/index.html 当初の予定よりも100P多くなってしまったとのことです。

成田さんは、繊維業界のバイブル的な存在である新ファッションビジネス基礎用語辞典という本を昔編集されておられ、今でも新ファッションビジネス基礎用語辞典をリファレンスに使われている業界のプロの方も多いのではないかと思います。今回のテキスタイル用語辞典は、プロの方だけでなく素材に興味を持たれた一般の方にもビジュアルたっぷりで優しいタイプの辞典ということで、ファッションを勉強されておられます学生さんや素材メーカーやアパレル業界に新しく入られた方にとっては頼りになる1冊となるはずです。
2012年02月04日
今日は、東京からのお客様が今期の商品開発のご相談にお越しくださいました。4月、5月くらいに店頭を目指される商品開発になり具体的な企画として動いておられますのでお話は非常に早いです。

今、いろいろな麻織物の歴史をたどる過程で、この地域でどうして麻織物が盛んだったのかを考えるにあたり、奈良時代以前からこの地域は開発がなされていて、近江愛知荘は元興寺領であったり、東円堂が興福寺領であったり、近隣の田は、東大寺領であったりと、奈良の影響が強く出ています。

東円堂という旧家が200軒ほどの村に4つもお寺があるのもそういう影響であるのかといえます。4つのお寺もそれぞれの分家とかではないので、東円堂においては寺領の争いのようなものが過去にはあったのではと思いますが、4つの宗派の違うお寺が残ったというのもみんなが共同で農業をしていたということもあって宗派は違えどもそれ以上に農業というのが大事だったのではないでしょうか。また、農業の傍ら冬場の仕事として織物が織られていたと考えることは至極自然のことで、近江の地というのは常に奈良、京、大阪などの都のものづくりの拠点として存在していたように思います。

東円堂は興福寺領だったとのことで、近江湖東麻織物は鎌倉時代にさかのぼるといわれますが、東円堂という地域は、奈良時代に奈良の影響を受け、奈良の麻織物と共通するところがあるのかも知れないと思うところです。奈良の着物向けの織物というのが絶えた背景には昔から近江湖東麻織物が強かったことがあるのかもしれません。私自身、奈良が麻織物で有名なのを知ったのは10年ほど前のことで、なんで奈良で?と思っていたこともあったのですが、地域的なつながりがあることがミソなんだと思います。

この村に住んでいる農業に慣れている、おじいさんたちは本当に器用です。普通サラリーマンの人と比べると、祭り行事などで作業をすると、大人と子供くらいの差がありますので、農業をやっている人というのは基本自分が資本みたいな部分があると思います。今は農業も機械化されてしまっているのでそういう人間の能力の差というのも小さくはなってきています。農業にかかわらず、仕事においては売ることだけでなく、種を植えたり育てるという作る部分こそが大事だなあと思うばかりです。
2012年02月03日
今日は、雪が凍って車がノロノロです。どこの道も基本としてはブルドーザーなどで除雪がされているので、そういう部分は昔と違ってありがたいなあと思いますが、ブルドーザーも道路の表面すれすれまでを除雪できるわけではありませんので、数センチの層が残る傾向にあります。昔は車が走るタイヤ部分は雪がなかったのに、今は、タイヤ部分にも雪が凍っているので、車が滑りまくりなのです。

夜は、ひこねの組合の新年会があるということで、彦根に向かいましたが道路がそんな状況で彦根に行くのに2倍時間がかかりました。今日が節分だと思い出したのは、1次会はもとより、2次会、3次会、たぶん4次会まであったような、どの店でも恵方巻きというか巻寿司がでるのです。

普段は巻き寿司なのでしょうが、節分のときに出ると恵方巻きというのが強いのでしょうか。節分で豆を撒く文化は、今は撒いた豆を拾って食べるなどできそうな時代ではなくなって着ていますので、より手軽かつ経済性のあるものに主役が交代したような気がします。

ものづくりをしていて、恵方巻きのようなものを作るのが商売で成功をする秘訣でしょう。豆のようなものを作っても商売としては簡単すぎて競争も激しく成り立ちにくいということです。これって、地場産業が直面している問題と似ています。

その瞬間に輝くことを考えすぎると形が変わりすぎて、継続している大事なものを失うことも多いものなのです。その瞬間といいましたが、それが10年、20年のことなのかもしれませんので、100年とか200年のスパンのものづくりを考えたときには、10年、20年をしのぐために世代を超えて引き継がれてきたものが消えていくということもありうるものです。

仕事というものが、数年で変わる法律に振り回されてしまっていては、ものづくりというものが趣味としてでなく産業として行われる場合には、根本的な技術を高めていくことは命取りになることが多いのです。付加価値の高いものをということがよく言われますが、付加価値の高いものでも飽きられてしまうと、その根底からして不要物になってしまいます。たとえば、昔のマハラジャブームなどはその最たる例ではないでしょうか。日本から、ディスコというもの自体が消えてしまいました。

これは、始まりあるものは進化し続けることというのはなく、進化の後には終わりがあるということで、哲学的な部分につながります。ロゴをあしらうだけのブランドのファッションアイテムが息が長いのは進化がないからともいえるかと思います。変わらないものほど長続きするもので、新規参入組みというのは改変することで越そうとするのですが、オリジナルの本家までもが改変に力をいれすぎると長続きしないものづくりになります。コカコーラーでも、味をおいしくしようとして味を変えたらもう相手にしてもらえなくなったというような経緯すらあり、長年愛されたものというものはそれの味自体がよい味の手本なのです。
2012年02月02日
林与で現在使っているシャトル織機は、1886年創業の須山式織機製造所というメーカーの織機です。力織機のパイオニアである須山伊賀蔵が起こした会社の織機で、日本の力織機のパイオニア的なメーカーではないかと思います。豊田式や鈴木式が須山式に学んだことも多いのではないかと思うところです。

須山式織機製造所も1971年に廃業で、力織機とともに消えたメーカーだといえます。
現在は東洋精器という会社に移り変わり織機は作っていません。1970年代になってくるとシャトル織機の時代からレピア織機の時代へと移り変わりのころです。私が推測するに弊社に10台あるのは50年ほど昔の織機ではないかと想像をしています。

そんな古い織機ではありますが、36(サブロク、36インチ、91cm)ではなく、44(ヨンヨン、44インチ、112cm)の織物を織り上げることができますので、林与にとってはベストな織機です。時々、複雑なことをしようとすると織機の調整には苦しむこともありますが、そんなに古い織機でありながら、今の織機では織るのが難しい、リネンの超細番手の糸を織りこなせるというのは奇跡的です。

展示会などに行っても、リネンの100番手以上のものを織ったタイプは、日本製の織機は最新式だからだといわれるのですが、そうではないところがミソなのです。最新式の織機というのは、人に優しくなく、昔の織機のほうが、カマチなど人が触る大事な部分は木でできています。さすがです。

これが鉄でできていると手に響いて人が扱いづらいので、織機の感触を体感することが難しく、織機と一体となることは難しいと思います。林与の織機のカマチや杼台は、レストアされてあまり削れていませんが、木製の部分というのは何十年も手で使い込むと、人の手の形を反映して削れてより持ちやすいように変形していきます。使いやすく進化するのです。それが石や鉄だと高速に動いていると人の体が毎回痛みを感じるので逃げてしまい、一体化することはできません。

今日は、大雪な感じで冷え込んで車も雪の上を走るので怖いです。国道沿いのお店に食べに行こうとしてもどこもが、開店なのに、駐車場が雪で埋まってて入れる状態ではなく、お店の中の人というのは、今日は雪が降ってお客様が来ないなあと思っているでしょうが、それは、駐車場の雪のせいです。雪解けをして車が出入りしやすい駐車場のお店はお客様がおられます。飲食店は接客業でありながらも、ほとんどのお店の方が駐車場の雪除けをしないのが不思議でたまりません。
2012年02月01日
メール会員様向けのビンテージリネンハンカチの縫製が終わりました。ハンカチ用の箱を今手配しておりますので、2月8日から9日ころからのご発送になるかと予定いたしております。パリの展示会、出発前にはご発送する予定ですので、大変お待たせしておりますが、予約注文いただきました皆様よろしくお願いいたします。

今後のご注文に関しましては、再度、ハンカチ縫製することになりますので、3月以降のご発送になりそうです。プチ贅沢な世界になりますが、メンズ、レディース兼用の45cmサイズですので、ホワイトデイなどのプレゼントにもよろしいかとは思います。

アンドリュース社のゴールデンアイリッシュリネン80番手使用したハンカチも良い感じにできあがりましたので高価なアイテムにはなりますが、そちらも、発売を計画しております。本業のほうがバタバタとしておりますので、商品はあっても、画像などが準備できず、延び延びになることも多いので気長にお付き合いくださいませ。世界に名をとどろかせたアンドリュース社のアイリッシュリネン象徴的なゴールドの色味の世界も、ハードマンズ社の位置付けとは別で意味のあるものと思います。亜麻色の意味を謎解くことのできる一品です。
2012年01月31日
今日は、朝、JETROの専門家の方がヨーロッパの展示会のアドバイスでお見えくださいました。輸出の事務に関することなども質問させていただいたり、展示会の荷物など手荷物の持込でなんとかなりそうとか、いろいろと疑問に思っている部分を教えていただきました。

パリでも専門家の方や他のプルミエールビジョンやJETROパリでの商談会の出展者の方との交流などにも声を掛けていただけるかもということで、テックスワールド展以外の展示会の情報なども聞けたりしそうです。今回の展示会で、プルミエールビジョンにもぜひ足を運びたいなあと思うような情報もいただいたので楽しみです。

夜は、出荷で追われて、クロネコに7時ぎりぎり、佐川に9時過ぎに大阪行きの荷物を持ち込みました。今日は、1反、織段の多い反物が見つかったので、1反織り直しになり、いろいろと追われている中での優先課題ができました。企業を経営するときに8割の力で動かないといけないというのはよく言われることですが、2割の余力を納期、価格、品質で残せるような形にしておかないといけないということで、それが可能なのかどうかと思うことも多いのです。

たぶん、2割の余力を残すと、すぐにそれが当たり前のレベルになってしまって、2割能力が落ちることになるのだろうと思いますが…。
2012年01月29日
海外向けのEMSを先週送りにいったら郵便局の担当の方が慣れておられない方で、EMSを使うのを慎重になられすぎています。これは田舎だからありうることで東京などのほうが能力のある方が多く、海外発送に関するトラブルも少ないのではないかと思います。たとえば、EMSサイトでEMSも中国から着払いができるという風にホームページなどでは説明がありますが、実際は担当の方も使われた実績がなくどうやってよいのか分からないというあたりで最終的にはできませんという答えが返ってきます。

こうなってくると企業の力というよりも国の力というのが、ものを動かすときに必要となってしまいます。海外の輸送に関してはDHLやFEDEXなどアメリカベースの輸送関連が一番信用があるとされて、日本の行政も絡んだ郵便システムはランク下に位置づけされてしまいます。

本来、信書を取り扱うという業務を担当している部署ですので、その分、独占の利益を得ていますので、一番しっかりとしていないといけないのですが、原発と同じく独占の弊害を感じるところです。民間に見えても民間ほどは厳しくないので海外の民間のサービスに負けてしまっています。日本ではDHLやFEDEXのように信書も扱えるようなサービスが一般の宅配業者ではできなく、日本の国の力が海外の競争力に負けてしまい足りていない状況です。日本も日本のサービスが海外に出て行くときに公のサービスは裏からバックアップしますが、民間のサービスを裏からバックアップするというあたりが弱いように思います。アメリカの郵便であるUSPSも民間に負けないほどの非常に強いもので、日本の郵便システム以上に強いものがあります。
2012年01月28日
挟というのは、繊維業界では必需品であったりするのですが、ことわざにあるように、挟というのは本当に使いようだなあと思うことが多いのです。上手な人は挟も長持ちしますし、上手でない人は挟を大事にしませんので、同じ糸を切っていてもすぐに駄目にしてしまいます。裁ちバサミで反物をまっすぐに切るのも上手な人と上手でない人がいるものです。

昔、私がある会社に行って裁ちバサミを滑らせるように使って切ったときに、その会社の番頭さんが、「裁ちバサミをサクサクみたいに刃を開きながら布を裁断されました。そしておっしゃったのが、こうやって切ると刃の一箇所で切らないのではさみが長持ちする」と。一生を布で暮らしてこられた方の知恵であり、挟みを思いやる優しい言葉ではありますが、そこには仕事に対する厳しさを感じました。

私自身、糸の結び目をはさみで切るときも、長さがなるべく短くなるように切ります。そうすると糸の結び目が目立ちにくいからです。私の経験上、年配の人ほど結び目を切るときに長く切る傾向があります。5mmくらい残して切る感じです。それは手先が器用でなくなったからというのではなく、昔から長めに切っておられたのだと思います。

今の時代だと、もっと短く切るように指導が入るのでしょうが、年季の入った方がそんな風に作られたものというのは、それはそれで、味わいのあるものだと思ったりいたします。私が、仕事に戻ったときに、73歳の勘一じいさんと一緒に仕事をしていました。老眼鏡を掛けながら糸を固めたり割ったりして、下準備の仕事をしてくださっていたのですが、はさみもずーっと同じものを大事に使っておられました。
2012年01月27日
織物で、ギシャと呼ばれる組織があります。6枚ギシャとか8枚ギシャが代表的なものです。今、6枚ギシャの組織を含む織物を織っているのですが、なぜか、5本飛んで、平織りになったり?ドビーが壊れているのか、ペックの頭が削れてしまってドビーが働いていないのか?ソウコウの動きを確認しました。

機械は正直だなあと思います。誰かがソウコウ枠を段違いに調節して、上に上がっても十分に糸が上に上がりきっていないような状態だったので、3本飛びのはずが5本飛びになったりしているのです。しかし、誰がこんな調整をするのか分かりませんが、闇雲な調整で、想像もできないことをやってしまうのが新しい人たちで、教えないといけないことは多いなあと思います。

職人さんたちが1週間時間が掛かっても織機を直せないときに、私の出番がくることが多いのです。私自身も普段は機械織ることは急ぎのときくらいになってしまっていますので、何が不具合なのかを聞いて、機械全体を夜中に調べることになることが多く、いろいろな調整の問題をひとつひとつ直すことになります。私の頭の中では、織れるも織れないも織る人の努力次第ということがあって、織れないなら織れないでその正しい原因を分かっていないとプロとしては力不足です。



2012年01月26日
1月の終わりに近づき、すごく冷え込んで雪が降りました。一面が銀世界で、この寒さ本物です。明日の朝までに加工に出さないといけない急ぎの仕事が何とか間に合いそうです。技術的にだけでなく、今は納期的に普通だとできないことをすることや見本というステップをクリアできることで、仕事というものが生まれてくることも多いものです。

今日はジャガード織機にグリスを注しました。織機部分だけでなく、ジャガードの部分にもグリスは必要で、100kgを超えるジャガードが上下にドッシン、ドッシンと動くため、その振動というものは、それを吸収するための仕組みをもって設置しないと、工場中が振動で揺れてしまうというようなレベルです。今となっては紋紙を使うジャガードというのは古風な部類に入りますがそれもまた良しです。微調整ができない部分がありますが、デザインなどでもそういですが、直感的な感覚で作り上げたイメージというものが案外揺らぎもあって個性的で良かったりするものです。

2012年01月25日
三方善についても諸説あると思うのですが、最近は、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」となっています。私が小さなころから聞いてきたのは、「売り手よし」「買い手よし」「作り手よし」の三方よしだったのです。近江湖東地方でも場所によって、あるいは家によって伝わりは違うようです。

日本のものづくりの特色を守るためには、日本的なものづくりを守るような文化が不可欠だと思います。アメリカにいたときにビジネススクールのマネージメントの授業で、職人たちが集まってパイプオルガンを6ヶ月間かけて、ボランティアでつくるビデオを見ました。完成したときにそれに携わった職人たちは満足げにしていましたが、ビデオを見たアメリカの学生の反応はお金も貰えないのに冗談じゃないわ、みたいなコメントが多く、そういうコメントが正しいのか正しくないのか、今の日本でもかなり似たようなコメントになりそうで…。

文化に関して、資本主義のアメリカと、共産主義だといわれた中国の価値観というものが個人主義的で似通っているのも以前は不思議に思いましたが、それは個人の価値観の問題ではなく、国の制度的な問題だと思います。ひとつの制度が集団的な価値観を変えてしまいます。いろいろな個人の問題といわれることも法律や制度の不備から来ていることがほとんどだったりもいたします。

三方善が難しいのも、今の日本の制度自体が三方善の精神とはかけ離れてしまっていて、損得勘定がいろいろな制度の中で優先されがちになってしまっているのを感じます。
2012年01月24日
織物の起源に関する秦氏(はたうじ)に関しては諸説ありますが、私自身は歴史は苦手なタイプですが、一番最初の大陸からの技術の伝播は、中国の秦の始皇帝と関係しているほうの説が近いんじゃあないかと思っています。そこに徐福という人物が現れてきます。

昔の国の概念というのは、ヨーロッパの新大陸発見もそうですが、中国にしても日本は新大陸のような概念で送り込めばそこを領土の一部と考えているような感じだと思います。弥生時代に急速に織物が発達したとされるのも、中国の織物技術が入ってきたからではないでしょうか。秦氏というのは、秦の始皇帝の使節団というようなところからきているんじゃあないかと思います。皮肉にも徐は秦ではありませんが…。

もちろん、日本以外にも朝鮮半島にも進出して、朝鮮半島から日本にくるほうが簡単ですので、後の織物技術の伝播の経路は朝鮮半島経由になったのではないかと思います。大陸から日本に何千人規模でくるほどの技術をもっているとするなら、何千人が力を合わせてひとつの目的を達成するということは今の時代にはないことで、当時の中国の織物技術にしても今の時代以上のものが存在しても当たり前だと思うのです。

徐福は実在した人物だとされているので、それが秦の国から来たということで、秦氏と呼ばれたと考えるのがいい感じな気がします。日本の織物の歴史も、徐福伝説で成り立っているところが多いですので、私自身は朝鮮半島からの影響よりも以前に中国が先人として技術をもたらし、そのあと、朝鮮半島からの伝播に変わったのだと想像をしています。

そういう徐福伝説の前に、日本に布がなかったのかというと、だれもが考える地機という方法で、縦糸を何本も平行に張って、織り筬の代わりに平べったい棒で横糸を編むように一本一本縫って、そこに横糸を通して、棒で横糸を詰めて織るような方法もあったかとは思います。別に杼を使う必要もありません。そういうのが古来のテキスタイルの形だと思います。腰機なんかは、杼を使いビームもついていて、人の動作でテンション管理ができるのである程度進化したモデルです。また、アンギンと呼ばれる縦糸を絡ませながら編むような織物は縄文時代の織物だとされています。大きいものは作りにくいですが。農作業の藁を工作するような延長にそういう作業があったと思います。

昔の織物が見つかっても織機が見つからないことがあるかも知れませんが、昔の織物というのはたぶん織機が必要なかった可能性も高いのではないかと思います。
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