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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2011年08月12日
林与のサイトが、携帯電話とスマートフォンに対応しておりませんでしたので、8月20にサイトの更新があるのでそれに伴って携帯電話とスマートフォン対応にいたしました。私はスマートフォンしか持っていませんので、携帯電話がどのように表示されるか分かりませんが、携帯電話でご覧のみなさまにとっては、今までよりも便利になったのではないでしょうか?

今日は、午後からひこねの組合に大阪からのお客様がこられました。今日は、ひこねは37度くらいまで気温が上昇して真夏日です。夏らしいといえば夏らしく、昔の日本の夏を取り戻した気分もいたします。

夏は暑さを我慢して、冬は寒さを我慢するのが当たり前の時代があったのですが、それがなくなり、外で運動すると熱中症なども大量に発生するなど、日ごろの生活様式が人の体力や精神面を変えてしまったように思います。人の耐性がなくなると、衣食住のすべてが変わってきます。夏でも普通のものを着てればでよいですし、食べ物でも普通の食べ物、住まいも夏だからとりわけ必要がないのです。夏に麻のものを着る必要がなく、夏に素麺やザルソバを食べたいなあという気分にすらならないのです。

中国などの新興国でもエアコンが当たり前になり始めています。日本もそうですが、満足なライフスタイルが確保されるとそこで人々が贅沢になる一方で夢がなくなり国の成長が止まるもので、世界中が競争をしていますので、繊維関係でも大手さんなんかはさらに安いところを求めて産業のほとんどないアフリカへまで進出されています。かつて世界の市場において、量産物のメイドインジャパンが安物から高級品に変わったのと同じく、量産物のメイドインチャイナも高級品になり始めています。
2011年08月11日
裸の王様という話があります。何も来ていないのにそれを一番すばらしい服だといわれて自慢げに服を着るのです。子供がそれを見て裸だよ、と当たり前のことを言う。ものの価値はそんなものなのかもしれないと思います。普通の人にしても、自分自身がものの良し悪しを判断できるのに、世間一般の定評で良し悪しが決まることが多いのです。そういうものの価値というのは一時のもので、ブームが過ぎれば同じものであっても価値を認められません。

裸の王様の布をつくることを考えてみました。糸が巻いてあるかのように信じながら別の木管に糸を小割りして、整経の準備をして、糸を巻いているかのように整経のドラムを一日掛りでまわします。そして、巻き取って、織機にセットし、糸繋ぎします。糸があるかのように機械を空で3日ほど動かしたら織り上がりで、それを加工工場に出して何もない状態で、布がある気持ちで作業をしてもらって、一週間ほどしてもらいにいきます。紙巻をビニール袋に入れただけに見えるのですが、それを丁寧に持ち帰ります。

実は、これが布がなくても掛かってしまう布作りの部分なので、裸の王様の布が作れないことはありません。それなりに人が動けば、生産にかかるコストというものは掛かります、ましてや目に見えないものを扱うことを頼まれ、正直に仕事としてやればそれなりに高いのです。しかし、林与はそんな無駄なことはしません。やるとすれば、新しい商品を生むための見本つくりに外の世界の人が見えないくらい大きな力を使っているという部分は表に見えませんが理解はいただきたいなあと思います。

このような裸の王様の布の話のような、アネクドーテが何を語ろうかとすると、馬鹿なのは王様だけでなくそれをうそ臭いと分かりながら賞賛する取り巻きも同じことなのです。しかしながら、裸の王様を裸を分かって裸であるのを賞賛するのは馬鹿でもなんでもないと思います。

こんなことを書いていると、原発のことが頭に浮かんできました。原発が、チェルノブイリの悲劇を教訓に、福島の今回ような悲劇を生むものであるのを分かりながらも導入すべきでしょうが、馬鹿な王様とその取り巻きが安全という透明の服を着せすぎました。危険だということが、いえないような状態をつくりだしてしまったのは、裸の王様の世界とそっくりではないかと思います。原発行政が裸の王様とそっくりに思えるのはなんとかしないと原発の復活は難しいのではないでしょうか。

小学校3年生のときに、保健室の外の壁新聞に原発の推進の政府ポスターをみて子供だましだなあと感じたのは、裸の王様を指摘する子供の正直な気持ちだったのかもしれません。何で保健室の壁にというのも先生たちにも力が掛かってしまっているのだろうなあと気の毒な気に思っていました。

最後に大きな迷惑をかぶるのは被災者の皆さんですが、問題が起こるまでというか、今回のような大きな問題が起こった後でも、当事者の会社はコストの話ばかりで営利主義のままで、方針を変えようとすらしないのも流石だなあと思います。原発行政が、人の命以上に営利主義であるといのは、しっかりと考えていかないといけないと思います。

最大の電力消費地である都市部には、原発を作らないのは、国にも原発のリスクの本質が見えているからだと思うのです。活断層の上にある原発までも問題ないとされるようなリスク管理で、結局はリスクは同じでもそのババを誰が引くかだけの問題だといえます。

日本の人口もこれから少なくなり、経済規模も小さくなっていきます。誰もが大きなしわ寄せをかぶらないことのほうが理想ではないでしょうか、無駄の少なかった、昔の日本の生活を取り戻すのも、今年の夏が一つの布石になるのではないかと思います。
2011年08月10日
お盆モードに突入の感じで高速道路なども大渋滞らしく一般道も混み始めています。今年は節電の影響でお盆休みも長いようです。

国だけでなく国際社会も推し進めた原子力発電というのは臭いものには蓋をしながらの損得主義なものであったがために今回のような大きな自然破壊につながっても、安定して電力供給をするためには必要だとかコストが安いとかいう議論ばかりで30年前と同じ本音が出ています。ここ10数年のツバルが沈むとか地球環境に良いいうような部分は今回の事故で消えてしまったようで、偽善の部分が消え、努力を強いられるような節電に向かったことはよい方向だと思うのです。

30年ほど前は、冷暖房は人の体に悪いということも絡めて、暖房は18度まで冷房は28度までという運動が教育現場などでも行われていました。これは、結局は今の15%節電に似たような電力を調整するための策だったのですが、国を挙げて偽善的に「人の体に悪い」というような部分が使われます。今は、逆に熱中症を避けるために「28度以下」が望ましいというようなことが広報されています。どっちが体にとって良いのか悪いのかより、そういうものの裏にある一部のご都合主義みたいなところが薄っぺらいなあとは思います。

私自身は、原子力発電をすべて否定するわけでもないですが、コストが安いからという本音がありその裏で、人々の命の危険との大きな引き換えをしていることを忘れてはなりません。そういうもの一辺倒に駆り立てる裏にある欲こそが節度もなく危険なのです。そういう意味でバランスというのは非常に大事です。

長く続いてきたものというのは、新しい技術以上に安全で安定していることが多いのです。コスト面を考えたエコというのは裏に大きな落とし穴があることも多いものです。LEDなども、昔から言われている単調光の目への影響はどうなのかなど、この何十年かで視力機能の低下なども、実際に使った人への影響を見ることで検証されるものとは思います。

LEDが開発されたからということで、何十年も続いた普通の電球を諸悪の根源のように見る風潮はいかがかなあと思うのです。精神面においても、買い替えを促すより、使わないときには消すような心がけこそが何倍も大事ではないかと思うのです。
2011年08月09日
今日は午前中来客がありました。午後からは、染糸などがそろそろ上がってきているのでリネンの超細番手のチェック柄のシリーズの柄組を考えています。糸の染まりあがりというのが予定よりも遅れ気味で、お盆明けになるとのことでこれは困った形です。

リネン120番手クラスの先染柄の量産技術の確立に挑んでいますが、リネンの糸というのも中国紡績でもかなり限界に来ている感じはいたします。リネン66番手とリネン100番手では1.5倍の違いですが、この違いが風合いの面で大きいのは、リネン66番手のストールとリネン100番手のストールの違いに表れています。

さらに、100番手と120番手では2割違うので、この差というのは大きいのです。昨年のインターテキスタイル上海などでは、リネン110番手のブラウスなどを展示しましたところ、市場では珍しいということでよい反応をいただきました。今年は、120番手クラスの先染を上海に持ち込みたいと計画をしております。

2年前にインターテキスタイル上海に持ち込んだ林与の125番手やビンテージアイリッシュリネン140番手などのソフトな柳流感のあるストールが国内だけでなく海外でも人気のリネンストールとして定着をしているのを感じます。林与のような小さな会社のものづくりが日本や世界のファッション業界に影響を与えるというのも不思議な気はします。

リネンの100番手超えの細番手の世界も海外に向けて情報発信をしているので、しばらくするとリネンの細番手市場というものが確実に形成されてくるものと思います。この世界というのが実はヨーロッパでも難しいようなリネンの世界で、日本の伝統に培われた麻織の技術を発揮できる分野ではないかと思うのです。
2011年08月08日
今日は午後から新聞の方がひこねの組合にお越しでした。今日は一日、リネンの細番手の厚地でつくったメンズシャツを着ていたのですが、これは秋冬向けの素材だなあと実感します。一日来ていると、暑くて汗でシャツがびっしょりで、リネンながらダイエットシャツにもなりそうです。無いものを作ると、いろいろと勉強になることも多いものです。

市場では、麻のものが素材としては皆さんが追われる注目素材という感じになってきています。今も、こんにゃく糊加工などの先染のものは常に目を引くアイテムなのですが、残念なことに、林与の場合、高価すぎて市場に出回ることはほとんどありません。数ヶ月前に特別に出させていただいたこんにゃく糊加工の本麻先染は難有にも関わらず、非常に好評でうれしかったです。

連日、5月後半から7月一杯は予定が詰まりすぎていて、身動きが取れなかったのですがようやく落ち着いてきて、10月の展示会に向けて新たな作品をつくるなど動いてみたいと考えています。織物をつくるというのは、見本であっても何人もが数日フルに働くのが当たり前です。

数年前から取り組んできたリネンの細番手のプロジェクトで開発した素材でつくった、リネンブラウス、リネンワンピースなども非常に好評です。製品にまでするのは勇気のいるものですが、林与がそれをやってみてよい感じなの確認しています。そういう素材が気になられる、デザイナーさんや百貨店のバイヤーさんなどは、一度形にされてみると今までの素材との違いというものがお分かりになられるかと思います。
2011年08月07日
今日は、長栄座の二日目です。今日もお婆さんから引き継いだ着物がこういう着物だとおっしゃってくださるご婦人の方にお出会いしました。価値観というのはそのものの品質だけにあるのではなく、お話を聞いていると見る方の中にあるものだと感じるのです。お婆さんの話が出てきたりすると、それを評価されるだけの人生観をお持ちであるというのが伝わってきます。林与にしましても、はじめてお会いした方に林与の歴史や自分のおじいさんや親戚の人の話をするので、布そのものの世界を超え、人のつながりに広がります。

林与の昔の近江上布をみて懐かしいなあとか、見ていて癒さされるといっていただけました。ご覧になられるだけでなく、しっかりと触っていただけましたので、その硬さなども実感いただけ展示してよかったなあと思うのです。今回展示をさせていただいて、興味を持っていただける方も多かったのです。長栄座という昔を偲ぶようなイベントで、こういう昔の日本的なものづくりの世界を見ていただくのは、林与にとって一番よいチャンスだったと思っていましたので実行ができてよかったです。

2011年08月06日
今日は朝一番に長浜のDENさんにお願いしていましたリネンの細番手の試作品を取りに行きました。会社に戻ってからすぐに米原の会場について、午後1時半くらいに準備が完了しました。

準備が完了して、会場も少し暑かったので額から汗がほとばしる中、林与の近江上布のタペストリーに興味を示してくださって声を掛けてくださったのが舞台衣装などを作られている桜井久美氏でした。昨日の会場準備のときから興味をもってくださってたというお話を聞きまして、このような場に持ち込んでよかったなあと思います。

ご年配の皆様方も家にも大事にしている自分のお婆さんの頃の着物というのがそっくりな感じだと何人も懐かしそうに生地を触ってくださってました。明治時代の芝居を再現するようなプロジェクトですので着物の世界の方が多いので、そういうものを評価くださるみなさまに見ていただけたことは良かったなあという思いです。

日本の失われつつある昔の時代のものや日本らしいものというのに大きな思いを持ってくださっているのを痛感します。他にも以前補助金事業の審査員をしてくださっていた方が林与を覚えていてくださって声を掛けてくださいました。DENさんにつくってもらった、今回は非売品ではありながら非常に好評でリネンの細番手の市場というものを切に感じるところです。

合計8点をハンガーに掛けておいただけではありますが、興味を示してくださる方が多かったので、夕方駆けつけてくださったDENさんにも反響などを説明いたしました。今の時代、布というものを非常に暖かく評価くださるのをありがたく思います。

滋賀県の段取りをくださった皆様も、今回がはじめての取り組みということでどういう形になるのかは分からないとおっしゃってくださっていたのですが、与一爺さんのころのものづくりが皆さんにご覧いただけたり、新しく取り組んでいるリネンの細番手が非常に高評価で十分なありがたさを感じました。以前、ファンドの審査をいただいた審査員の方などを林与を覚えてくださっていて声を掛けてくださり、地元でのPRというのは初めて位だったのですが暖かい目が一杯な気がいたしました。
2011年08月05日
今日は午前中、彦根でのアポイントメント、午後からは米原の伝統産業会館での展示の準備に向かいました。慣れない準備現場かと思いきや、いきなり工業技術センターの小谷さんがおられ、アットホームなスタートになりました。しばらくして、隣り合わせのブースのファブリカ村、北川陽子さんもお見えになられご挨拶、手際よく準備を済まされるのに感心です。

林与のブースは結局、林与の看板ロゴをどのようにしっかりと見せるかと、近江上布のタペストリーをどのように展示するかで、一休さん状態でした。パーティションの上で厚い布が長方形にうまく落ち着かないなあと悩んでいるところに、鋲と金槌をもったヒーロー(小谷さん)が現れ問題解決です。滋賀県の産地の皆さんが頼みの綱にするだけのことはあります。

さてさて、会社に戻るともう一枚の近江上布タペストリーが出来上がり、パーティションの裏表に上から掛ける形での展示をすることに決めました。あと、明日、洋服などは出来上がってくるとのことで楽しみ。本来はメインになるべき商品展示はアバウトな感じでよいかと思い、すべてが明日を待つばかりになりました。
2011年08月04日
今朝は彦根での打ち合わせがありました。最近の電子ガジェットらしく期待を裏切らずエクスペリアの調子が悪いんで、電池が充電できなかったりで、私の使い方が雑すぎるのか、昔、アメリカでラップトップパソコンなどが開発されたときに持ち歩いても壊れない一番大事だった丈夫なものという感覚が消え始めているような気がします。日本のノートパソコンなどが小さすぎてちゃちっぽいということで、日本人がものを丁寧に扱うとか、極端なクレームを言わないというのが小型化に貢献してきた一因だったとは思っています。繊細な技術を育むには非常に良い文化です。

麻のものにしても、アメリカではあまり普及しなかったのは、日本では何万円もする麻のシャツというのはドライクリーニング指定されて百貨店で高級品として販売され続けていたのですが、アメリカは他のものと一緒に洗って高温タンブラー乾燥してしまうというリネンにとっては非常に厳しい文化をもっているのです。

アメリカでデニムのジーンズを買うときにお店で自分のサイズに合わせてカットすると大変なのです。アメリカでジーンズを買うときには洗ってタンブラー乾燥すると5cmほど長さが短くなるというのを想定して買わないといけないというのをアメリカ人の友達が教えてくれました。カリフォルニアを中心とする南カリフォルニアの服飾文化がカジュアルであり続けるのも良いものを買ってもメンテが大変だということです。住んでいたアーバインという街では、街並み保存が進歩しすぎていて、電柱の禁止、看板の禁止に加え、洗濯物を屋外に干してはいけないという条例までも存在していたので、全体の総意の結果、リネン文化が栄えるような可能性は低かったといえます。

日本で着物が衰退したのも、国の政策の一環であり、学校に着物を着て行けないような指導から始まっています。そういう刷り込みは、一代で総体としての日本文化が崩壊してしまうのです。善悪よりも、損得勘定で成立させたり運用される法律で縛ってしまって本質を忘れてしまうと、極端な話、日本の独自文化の否定にすらつながっていきます。

普通のものづくりをしていては、普通のものしかできないし、他に頼んでいては、他の人の力量でしかものごとは進まないのです。自分でやるからには普通と違う何かをしないと他と同じ尺度、たとえば高い安いで評価されてしまいます。日本の国にはすでによいところがたくさんあるのにそれを否定要素に変えてしまうかどうかで、その先の方向性なども180度変わって来るのです。
2011年08月03日
「長栄座」のブースの飾りの準備で、近江上布を貼り付けたタペストリーを両側の壁に貼ろうかと考えています。柄を見ていて夏らしいなあと実感するのです。机の上でレイアウトを考えているときに、何かこれって、花火のような世界だなあとふと気が付いたのです。絣に織られているところも花火の火が散っているような感じで、昔の近江上布が草花をイメージしただけでなく、布の上に描かれた花火であるという私自身の中の結論です。

これは、林与の近江上布に思うだけのことなのかも知れませんが、一つ一つが打ち上げ花火のような儚さを持つ美しさなのです。ちょっと残念なのは、それを見てから他の布を見ても他の布の世界というのが浅い気ががしてしまい。脱帽状態です。

昔の糸がすごくしっかりとしているのも布の価値を感じさせます。半世紀以上も昔の布ですらも、ハイカラな感じがして、今こういう柄をくむことができるのだろうかと思います。とりあえず、狭いスペースながらも400種類くらいの柄を展示できるかと思います(生地の撮影はできません)。
2011年08月02日
今日は、午前中、彦根での会合、午後は近江八幡での会合に出席しました。昨日、今年の6月に織った本麻の無地の織物が加工から上がってきました。着物に仕立てないなあと思いながらも、キングサイズで作ったので自分用の着物に仕立てるのもよいのかなあと思っています。

着物の世界の方とお話をさせていただくと、本麻に関しては硬くて張りのあるものを求められているのが伝わってきます。今回のはしっかり目に織ってあるので、アパレル向けというよりは甚平向けの肌触りっぽく仕上がりました。

加工も途中、仕上がりの立会いなどをさせていただいて、林与自身が満足のいくような仕上がりを検討いただきました。加工に投入してからも1ヶ月以上掛けての一つの形です。本麻の無地物というのも本場のものというのは非常に少なくなってきているので、贅沢な一品だなあと思います。

会社に、本場白絣というポスターがあるのですが、それをみていても昔のものづくりというのは完璧すぎたなあと感じます。工業製品でありながらも自然と一体の加工なので産地というものが非常に大事だったのを感じます。昔の日本の産業が装置産業ではないところが今の時代に真似のできないところで、昔の産地のつくりあげた特産品の形のほうが素材としての本質を語る分では狭く深くで、今の移り変わる浅く広くのものづくりとは対極をなすところです。
2011年08月01日
昨日は書き忘れたのですが、犬上川の手前で多賀大社にも立ち寄りました。もうすぐ、万灯祭ということで、その準備に関係者の皆さんが追われておりました。境内では、蝉の鳴く声がけたたましく、神社の中を流れる小川にも、小魚が宿っています。日本の変わらない夏を感じ安心しました。

観光やビジネスでなく本質が機能しているというのは、なかなか評価されにくいのでしょうが長く引き継がれる秘訣だと思います。地元行事が、お客さんの飽きに左右されるようなスタイルにしてしまうと、継続は難しく、地元行事は支える人たちの気持ち的な部分から成り立つべきだと思います。それがなくなれば別に続ける必要すらないと思います。

日本には、世界的に有名なブランドが注目するようなものづくりがたくさんあるのに、日本国内でそれを評価する目を養わないと取り戻すことのできない世界になってしまいます。一方、伝統的な産品というのが今のライフスタイルに合うのかというと、普段、着物を着ている人がたくさん居るのか?今のマンションに仏壇が置けるのか?日頃の生活で焼き物を活用できているのかなど、伝統工芸というものの需要に関して陰りがありますが、海外からはその商品云々ではなく日本文化への憧れやそこにある哲学的なものへの憧れで、似たものはいくらでも手に入るとしても本物を求めたいとされる方も多いものです。

今回8月6日7日の米原で行われます長栄座のイベントでは林与の近江上布を始めて滋賀県内でごらんいただける機会になります。昔の日本人のものづくりを見ていただく良い機会ではないかと思います。日本の麻の世界の価値観がそこには詰まっています。ロビーでの展示というのもはじめての試みですので、どこまで小さなブースを形にできるのかは会場で準備してみないと分からないところが多いです。

今日の夕方は秋の風が吹いているかのような涼しさを感じました。8月に入ったばかりなのに少し変ですが、晴れているのに暑くもなく過ごしやすい一日です。
2011年07月31日
今日は、彦根の琵琶湖湖畔で行われました鳥人間コンテストを見に行きました。私自身、最近はプライベートで行楽ごとに時間を使うということはほとんどないのですが、そこには忘れた何かがあるような気がして見に行きました。34回大会ということで地元でもものめずらしさというより、そういう活動を支援しようとするファンに支えられているイベントという感じです。

テレビ局の主催なので、タレントなどもいたりしますが、観客はタレントに目を奪われることもなく出場されるチームを応援するばかりです。そういうのも今のチープになりがちなテレビの世界と違って健全さを感じました。パイロットが自力で自転車のようなプロペラ機をこいで、1時間半以上に渡って暑さと体力の限界と戦いながら、少しでも前に進もうとする姿は美しすぎました。応援している人の「がんばれ」という言葉が、酷に思えるほどのパイロットの限界を超えたがんばりに、まだ飛行機を飛ばそうとするパイロットの頑張りには、自分との悔いない戦いというのはこういうものなんだと実感します。観客も感謝をするばかりです。

途中、6キロほど飛んだ後で、風に流されて逆方向に向いて飛ぶことになり、2キロ地点までもどっても軌道修正しながら最後19キロ地点まで到達した頑張りには、すごいよとしかいいようがありません。でも、実際、仕事なんかでも逆走をしいられることもあったりします。そしてまた前に進めるために大きな軌道修正をしてロスを取り戻すのです。1回勝負のことで、狭いコックピットの中では思いもよらない展開にプレッシャーばかりだったでしょうが、あきらめずにトータル35km以上を飛び続ける精神力というのは見習うべきなところです。

帰りがけなんとなくですが、自然に触れたい気がして犬上川の川原に下りました。川原では子供たちがたくさん遊んでいます。ジーンズをまくって水の中を歩きながら綺麗な石を探したりするのは、日ごろ時間というものがすぐに経ってしまうのに今日の一日は特別で長く充実していたのは、自分の中に何か求めようとするものがあっても、目標を変えれば自分が無理してがんばらなくても普通に満たされることもあるのだなあと感じます。

それは鳥人間の世界とはまったく逆のものなのでしょうが、がんばる人を眺める側の人生というのを多くの人は求めているのだろうなあと思いました。観客席に座って冷たい飲み物を飲んでいて暑いだけなのに「暑くて死にそう、次はまだなの?」みたいな、自分中心で現場の空気の読めない残酷さ、そうなっては駄目駄目な集団心理。見ただけで何もしない一日なのに精神的に成長した気分でそれってアカデミックチックな通、自分自身の人間的なスケールが大きくなってないと駄目な気がします。明日からはまた狭いコックピットの中、今日の学生のがんばりは私自身にとって良い刺激になりました。人は年を取ると成長をするのではなく、がんばれたこともがんばれなくなるものなのだと自戒の念に駆られます。
2011年07月30日
本格的に一般の皆様向けに布の販売をさせていただいて1年ほどの林与なのですが、非常に暖かい対応でくださることが多く、林与のやることに追われすぎてアバウトな販売方法を申し訳なく思いながら、しっかりとしたものをつくらないとなあと思います。

海外で生産される生地などは、スムーズにものを流していくために糸質を落としてどこまで修正を加えて綺麗にするかというところに重点が置かれます。林与の場合、ほとんど修正を加えずに織ったままとか、加工上がりのまま流してしまうので、糸や染というのが出来上がりに大きく左右されます。後で修正を加えて化かすのが今の主流でそれをしていないことを品質管理がなってないといわれることも多いのですが、全体的な品質面でみれば修正で取り繕う手法というのは薄っぺらいとしか思えません。

製造や企画に携わられる方というのは、どうしても、どうやって安くつくるかをいつも考えておられます。買われる方が気の毒だなあと思うのはその部分です。高く売りたいのだけど安く買いたいという儲けの発想が「三方悪」の世界で、以前、どれだけ安く買ってどれだけ高く売るかが商売人の技術だと信じているといわれた方もありました。

売り手よし、買い手よし、作り手よし、のための近江商人の美徳は、どこまで自分の利益を落として、三方善を作り上げるかだと私は思います。経営の勉強会などに参加してもどうも、先生の言われる三方善が徳に基づくものじゃあない気がするのも不思議な気分です。近江商人道を説くような経営セミナーなんかがありますが、どうも、新興国で謳われるようなWIN-WINなところに終わることも多く、マーケティング手法としては、コンビニや百円ショップこそが最高の形であるという哲学になります。それはそれで一つの商売の王道です。

先日、さる方とお話したときに、なぜものづくりが難しいのかを話すとものづくりしている人というのは、しわ寄せを覚悟してやっている部分だということです。ものづくり以外の部分においては、ババ抜きのババの引かせあいみたいのが今の日本の経済のいびつなところです。日本のモラル崩壊の原点ではないでしょうか。しわ寄せを他の人に押し付けて、大手の企業が兆単位の利益を上げてそれをすごいと賞賛している価値観が侘しく思います。利益を独り占めする独りよがりな経営と三方善とは相反するもので、利益を上げていれば三方善の結果だと無理やり結びつけるのは独善的過ぎるのです。

夢のあるようなものづくりを続けるためには、その夢を支えていくような環境が必要で、それを企業が用意しようとしても、政策というものは無機質でそれに反することも多く、そういうところから直していかないと夢のあるものづくりも難しいなあと切実に思います。
2011年07月29日
お昼ころ彦根のボックスギャラリーに行きました。お店の方が声を掛けてくださって今月分の売り上げがあったということで彦根市役所にある日本赤十字さんに売り上げのほうを東日本大震災の被災者の方に届けてくださるよう募金に参りました。(お買い上げくださったお客様ありがとうございます。)

午後からは、加工工場からあがってきた反物などを出荷準備して、夜には、リネンキッチンクロスの撮影を行いました。楽しいかなあと思って作った、ヨーロピアントリコシリーズですが、色が華やかなので小さなリネンクロスながらも楽しんでいただけるのではないでしょうか。

シャンブレーガーゼ素材や新作のリネン25番手の平のナチュラル仕上げもボトムやカバンなんかにお使いいただくのに良い感じです。無地のカラーキッチンクロスのシリーズも色華やかです。順番に写真をアップしてまいりますのでご覧くださいませ。

また、今日は、刺繍用に作った糸も出来上がってきました。うまく出来上がるか心配して織ったのですが良い感じです。1年ほど昔に刺繍用に開発した生機生地も販売をしていきたいと考えております。同時にご依頼のあったリネン糸の生成の双糸も出来上がってまいりました。いろいろと布づくりはしているのですがバタバタで、遅れ遅れの発表です。
2011年07月28日
今日も曇り空、心配されているような猛暑にならずに普通くらいの暑さでここ数日過ごせています。昔はそれほど言われなかった熱中症も、今は、頻繁に起こるようになりました。日ごろから冷房の中で過ごすようになり、無理ができなくなった部分が大きいのではないでしょうか。

今日は、この3週間あまり掛けてテストしていたリネン生地を確認しました。テストで期待した成果はあえなく失敗でしたが、別の成果が見られました。時間を掛けて、いろいろと試してみると普通とは違う世界が見えてきたりでなぜなぜが広がります。

夕方、縫製関係のお話をお客様といたしました。完璧な縫製を求めても今の時代、日本の縫製も競争と生産性の中で、昔ほどの高い品質は縫製に関しても維持できなくなっているのが現実だというところだと思います。流通や販売業者の方で、高くなっても品質が大事だといわれる方というのはあまりありませんので、お金を出す側が妥協のない高い技術を求められている日本でも珍しいケースで厳しい世界ではありますが、そういう本質を貫いていただきたいなあと思います。
2011年07月27日
今日は午前中、立命館大学の草津キャンパスに初めてお邪魔しました。もともと、立命館大学というのは京都の衣笠と呼ばれる金閣寺に近い場所にあるのですが、衣笠キャンパスも場所が手狭になったということで、滋賀県の草津エリアに進出です。草津の丘陵地帯周辺には県外の大学がたくさん集まっており学研都市を形成しています。

大学の中に入ると新しいキャンパスらしく非常に綺麗です。学生が勉強している姿が目に入り皆さん静か目な感じがしました。今日は大学の先生とのお約束で滋賀県をプロモートするような構想を考えられているとのことで、何かご協力させていただけることも生まれてくるかもしれません。

午後からは東京からのお客様で来期の企画をということでお越しくださいました。新商品の開発などもどうしても費用が大きく掛かってきます。林与の着物の技術をベースとした産地志向の贅沢な世界でベストベストの組み合わせだと、材料だけで簡単に想定価格の何倍の世界ですので限界を常に感じるものです。

林与が一般的に高いといわれる今の時代のカシミヤですらリネンや本麻と比べ実質重量が軽いこともあり、また、比較的簡単に手に入るので手ごろに感じるのは違和感を感じられるかもしれませんが、リネンをよくご存知の皆さんや昔の日本の麻の世界をご存知の方ならその意味はお分かりかと思うところです。

1着分の生地がとことんの価値があっても良いというの日本の伝統産業が持つ究極の世界なのかもしれません。プルミエールビジョンでも、世界の10種類の布に日本の伝統の布が3種類ピックアップされ展示されるそうです。日本の織物の伝統の技術が世界でどれほど伝統を持ち期待されているかというところだと思います。

着物の布がアパレルに使えるかというと使うのは難しいのです。それでも、世界の人々に大きな共感を与えるだけの重みがそこに存在し、布に掛ける意気込みのようなものを世界に情報発信するに十分足りるのです。効率化とか、技術革新とかいうチープな世界ではない、ものづくりする人間が本質を求めるところ、それが世界の舞台で評価されるのだと思います。
2011年07月26日
昨日、加工工場さんにいきまして、小幅の本麻の織物の仕上げの調整に立ち会いました。本格的な小幅の織物は、耳が命といっても過言ではありませんので、仕上がりの幅の問題も含めて、どのくらいのシボの高さにするかなど仕上げてくださる職人さんたちも厳しい要求に応えようと動いてくださっております。

小幅の織物が値段が高くつくのは糸の量が少なくて済むだけで、織るのも加工も幅の広い織物と同じだけの工程を経るのです。しかも、生地にサイズが存在し、耳まで綺麗に織る努力が必要となってくるのです。要求される完成度というのは何倍も違うという気がします。皆さんご存じない方も多いかもしれませんが、小幅の織物というのは今は海外で生産されることが多いのです。コスト面で非常に高くつきますので…。

日本の着物用の生地というのが海外でつくられるというのは、なんだか、日本的な価値があるものをと思って買われる方にとっては、残念なお話だと思いますが、林与も小幅織物を本場近江で生産していても本場物というのは価格の高さが伴いますので、そうたくさん流れるものではなく継続することすら難しいものであると思います。

本来は、小幅の着物用の生地というのは、手織り用の糸というのがありまして、アパレル向けの糸とは糸からして違ったのです。今は、林与でも、糸をアパレル向けの糸と併用しておりますので、昔のものほどの価値というのは詰め込めてないかもしれません。元の糸が何十年も昔で1kg数万円はするというのが本麻の織物の世界で、織り上げられた近江上布などは当時でも何十万円というのが正しい価値なんだと思います。

昨日はコラボの方とお昼時間に渡ってお話をさせていただいていて、近江湖東の産地のある機屋さんのお話をお聞きすることができました。残念ながらもそこは1年前に廃業をされたのですが、林与とは違う和装を中心とした麻織物なのですが、実際にご家族で織機を動かし織り続けられておられたと言うのをお聞きすると一家で非常に特色のある濃い世界を守り続けておられたのだなあと実感いたします。

麻織物に関しては、本場の近江産の織物に特別の価値を感じておられる業者さんというのが、特に京都、大阪に多いとは思うのですが、今もあるものだと強く感じるところです。いろいろとお話を聞かせていただいて林与の知らない近江湖東産地の麻織物の歴史を知ることも多いのです。いずれにせよ、本場のものというのは他産地のものに置き換えられ、消え行く方向性にあります。

ブランドの正規品であっても、素材や産地が偽装という本物ブランドが偽物みたいな問題も多く起こっては来ており、それを取り扱われる百貨店の皆さまも、展示会でお会いしてお話しするに素材に関しての正しい知識を求めようと必死になっておられるのを感じます。

大手さんのSPAリネンに関しても、フランスあるいはベルギー産などと適切な表記がなされるにいたったのも、それは難しいだろうという当たり前の業界の認識が、ようやく広まった結果だと思います。リネンの業界の動きをみていると消費者を騙さない適正な表記というのが必要だと感じます。

今は、アパレルさまでも、ハンドメイドの方でも認識のある一番初歩のリネンとラミーの違いからお話をする時代ですので、そういうアパレルさまが、原産地などの厳密なお話にまでしっかりと対応されるのは難しく、アイリッシュリネン100%使用をつい最近まで謳っておられたある大手のブランドさんにしても北アイルランドでのリネン紡績がとっくの昔に終わってしまっていることをご存じなかったというお粗末なお話でした。ブランドや百貨店の方ですらもが誤った説明に飛びつかれて、うたい文句にしてしまう時代で、一般の方のほうが知識が豊富なのを展示会などを通じても感じます。
2011年07月25日
今日は、午前中、大津のコラボしがに書類提出に伺いました。先週もすべてに追われていて時代のギャップを感じるしかならないことが多いのです。時間がない流れの中で、いろいろな依頼があるのですが、非常に時間に余裕のある人のための余暇を楽しまれるために準備に動かないといけないことが行事に組み込まれていたりと、できる力というものは限られているので、一つが成り立っても、もう一方が成り立っていないという結果が多いと思います。

帰りがけ、雨が非常に激しく降りました。まさにスコールです。日本も砂漠化しているのかなあと、なんとか、加工工場にたどり着いても、雨の勢いは収まらず、加工工場の社長さんが雨を眺めておられます。私自身は、これが自然だと思うのです。自然の偉大さに挑もうとしても最後は予期せぬことが起こり、国や行政が災いを推進するような歴史もあったりで、それはもう素人的な汚点として国民のためにしっかりと反省してもらうしかないのですが、いつおm繰り返されるのがその部分です。

環境問題で原子力発電を推進したのは、営利的な部分が大きすぎ、しかも、弱者を利用する偽善に満ちていたたということを肝に銘じて、エコ学者たちはエセ学者にならないように考えていただきたいものです。今も、太陽光発電が推進されていますが、お金を動かすことに必死になっておられる方ばかりで、最近主流と成りつつあるカドミウムを使用した太陽光発電の問題は堂解決するのかです。災害時に火災が起きてカドミウムが漏れ出すとイタイイタイ病の繰り返しです。

競争にさらされると常に公害の危険をはらんでいます。小学校3年生のときに、保健室の壁に原子力発電の政府広報が張られていたのも子供だましだなあという違和感を感じずにいられなかったのですが、30年たっても同じことをやって今の惨事、せめて準備くらいして広報もしていただきたいものです。

今は、日本のメディアもお金に流れすぎて信頼性は低いので、お金の絡まない本質を流すメディアが必要だと思います。私がテレビを見ないのもそういう部分が含まれて居ます。原子力発電が地球環境に良いとモラルに立ったここ10年ほどは、モラル崩壊そのものです。すべてが肯定できるモラルに近いのです。
2011年07月23日
s今日は、朝から隣組の旅行で、名古屋港周辺のリニア鉄道館、水族館に20人ほどの団体でバスに乗って行き、夜には懇親会がありました。リニア鉄道館は、鉄道マニアの方にとっては非常に楽しい場所ではないかと思いました。たぶんJR東海の方が作られたのだと思うのですが、少しマニアックで、子供たちにとっては少し難しいかなあと思いました。

水族館では、イルカのショーが人々の人気を集めていました。自由に泳いでいるだけの9匹のうちの4匹のイルカたちが、トレーナーの指示があると人が変わったかのように、特別のパフォーマンスを人間の指示通りにするのがすごく不思議でした。イルカには犬と同様に学習能力があるというのは本当のようです。犬がお手やお替りをする以上のパフォーマンスができるだけでなく、オリンピックのシンクロナイズドスイミング以上のことをイルカたちができるのです。

ショーを仕込まれるイルカたちというのも人間の作り出した世界そのものなんだろうと思います。また一方で、イルカに芸を仕込んでいるトレーナーたちもイルカと同じように、芸を仕込まれている対象なのかもしれません。ショーの途中では、イルカは御褒美に魚をもらうので、これって人間社会の縮図なのかなあと思ったりもします。魚目当てにいろいろなパフォーマンスをするイルカたちなのですが、これと同じ手法が今の時代にはさまざまなところで人間に対して使われています。

働く人も使う人もそれに満足してしまうと、人間も動物も同じなのかという問題に突き当たります。お金がもらえるなら動く、お金がもらえないなら動かないという他人に依存した形ですと機械にどんどんと代用されてしまい、働くということでは人間の存在が不要になっていくかと思います。街にあふれる自動販売機ほど優秀な販売能力のある人間がどこにいるのかというと…。自動販売機こそが販売に関しての機械化の一般的な究極な形ではあると思います。

いずれにせよ、来場している多くの子供たちには大きな感動を与えるショーであったと思います。人間以外の動物が人間の子供以上に人の言うことをしっかりと聞いて実行できるのを見ると、子供たちも人間が特別ではないことに気がつくに違いありません。
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