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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
祝日に
2016年04月29日
昨日、朝郵便局振込みに行ったら、地元の火事にあわれた加工工場の奥さんが時間外窓口の列に並んでおられて、火事見舞いのお礼のお言葉をいただき、ショートループという機械の1台が駄目になってしまったということ。一番に気にしておられるのがお客さんの仕事が止まること。まさにできた商売の人の考え。

先日は、染工場の専務さんが糸の納品にこられて、加工工場さんが全部止まってしまうような結果でなくてよかったとほっとしておられた。織物の中で織物加工という工程は、大手の生地商社におられる方でもどうでもよいようななんとでもなるようなどこでもできるような考えでおられるが、決してそうではない。

同じものをつくろうとすると同じ会社の同じ工程を経ないと、基本同じには仕上がらないものである。織にしても同じで、機屋によって規格や糸使い、染め手法など違うので、どこと取り組むかで、出来上がる生地に特色が出る。

林与の糸使いの糸は、同一銘柄のハイグレードなものに固定していて、染色方法も固定、加工方法も基本固定する。織りも織も固定するので、ものづくりが基本ぶれない。国内でも海外でも、仕事の人によくいわれるのが、林与の生地はなぜこんなに高いのですかという質問があるけど、安く作る方法を考えるとキリもなく、それのほうが楽な方法だが、自分が一つ一つの作業をみているだけにそういう方法は自分のものづくりとしては無意味なのである。

出来上がるものだけを求めているのではなく、麻のものづくりの基本的な形も守っておきたい。麻のプロフェッショナルが生み出すみたいな世界。驕りの世界に思われるかもしれないけども、微妙な風合いの差みたいなもの大事にしたいのである。お客様のご要望だけに引きずられると、ものづくりの形が崩れて、その場しのぎに安いものはできるのだろうが、それが重なると商売の意味やのづくりの感性がぶれる。

以前、問屋さんのお若い方で、話があるかないかわからないのに糸の加工工程を自分が謳うみたいなこといわれて来たが、あなたが守っているものでもなく、問屋なら覚悟を決めて、せめて何百キロかの糸加工の注文を約束してそれをやるならよいけども、軽い気持ちで居られたようで、それがその会社の商売スタイルになってしまっているのは問屋業として危うい。問題は、自分がPRするという人が一番理解ができていない典型だったりしてそういう人に利用されるのはその糸加工会社さんも嫌がられるだろう。