for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記古い織機
リネン日記
古い織機
2020年09月01日
2008年ころのデフレ不況で、自分の物づくりに没頭できた時期があったが、その時に初めて経験したものごとは、たまたま惑星直列のようにすべての要素が連鎖的に補完しあって成り立って、今の自分が織物や仕事をやっていく上で物事の進め方や考え方の基準もそこにある。林与にあるものにしても、40年50年選手の古い織機が30台ほど。そういう織機もマイナスにもなるしプラスにもなる。それを決めるのがそれを使う人の力だったりする。

12年前に10台シャトル織機を入れた時も、10台のうち9台が全くといってよいほど織れない状態で、1台しかまともに動かない。その1台をフルに回して30縦、他の織機で30縦、2週間で60縦の整経したのを織ってなんとか展示会に間に合った。それでもその状態では数万枚の本生産は無理な状況。神様というのはいるもんで、1台だけ動いた織機がなぜ織れるのかを考えた。するとその台には1本棒が付いている。他の台にはついていない。それが経糸のテンションを管理するためのものであると想像し、他の9台についていないのが不思議で、職人さんに聞くと、必要ないから取ってしまったという。なぜ、1台だけ残っていたかというと、硬くて取れなかったようである。その一本がもし取れてたら、多分、林与はその年に仕事で何億円もの損害の話で終わっていただろう。硬くて職人さんがその棒を取れなかったことで私が織機がなぜ動かないのかを見つけ出すことができた。

シャトル職人さんも、今までは太い糸しかおっていないので、太い糸の場合は経糸のテンションが強いので鉄と鉄がすれあって棒が駄目になるから取るのが当り前になっていたようで経験から棒をとったので仕方のないことだろう。でもこれが例外でもなく、人生というのは結局自分がどこまでやるかだなあと思う。ファブリカ村のタミさんが北川織物に入ってから40年くらい、一度も織れなかったという織機も、結局、林与にきて私が見て原因が見つけ調整して動かすことができた。織れないのには織れない原因がある。多分、北川織物工場の前の工場でも織れない原因が分からずで手放されたものだろう。

別の場所のシャトル織機の立ち上げも行ったが、すぐに織れない原因がテンプルがないことに気が付いた、それに気が付かなかったらいくら織機を調整してもまともに動くことはない。初めて見る織機で開口の位置が高いのでテンプルで押さえないと絶対に無理だろうという推測から、最初テンプルついてませんでしたかみたいな話。そうすると塗装したときに外されたみたいであったということで付けたら動き出した。

出機さんにある織機を入れ戻したときも、シャトルから一つもない状態で、動く状態でもない。シャトルがないシャトル織機というのはまったく使えない状態そのもの。一番大事なところがジャンクなびっくりな話。そこから手を加えてシャトルを作ったり、シャトルの管を手に入れたりでまさにマイナス状態が続く。5年くらい動いていない織機だったろうから、ベルトとかもすべて調整しなおしてシャトルもすべて場所決めして調整して合わせる。

織機のいろんな問題も見えてきて前の人が何に苦労していたかが原因も分かってそういうところに調整を加えて、ゆっくりとキャッチボールするようにシャトルが右左に飛んで、ヒガエも問題なく上下するように調整する。

古い織機を手に入れるのは、ノークレームノーリターンのコピー機を買うのと似ている。何か問題があるのが普通。そして普通はうまくいくことは少ないと思う。すぐに問題に直面して保守部品も十分にストックしていなければ、すぐにスクラップとなるのが普通。京都の若い方が古い特殊なシャトル織機を手に入れてアドバイスを求められるのもよくわかる話。昔だといろんな情報があって部品も普通に手に入って分業の中で動いていたものを、織機を引き受けた人がすべて解決してゆかないといけない。普通の織物の作業ですらも普通の仕事よりも負荷は掛かるが、さらに織機の修理や調整なんかも入ってくると、普通の仕事感覚では難しいだろう。

私がこういうことを書いていると、頭の理解の問題かと思われるかしれないけども、油で手を真っ黒にしながら平気で作業するから構造がみえてくるし、調整にしても麻の場合には何が大事なのかというのが見えてくる。織機の毎回の立ち上げもそうだけど、糸がぐちゃぐちゃで爆弾が落ちたような状態でも、一本一本丁寧に直して行けば、春の雪解けのように、何事もなかったように調子よく織れ出す。動かない織機でもいろいろと試行錯誤しているうちに、見えてくることは多いものである。

経糸を正しく一本一本繋ぐというのも大事なことなのだが、そういうのもいい加減な人が多い。全部正しくつなぐが基本の人と間違ってるのが当り前の人の差というものは同じ織機を使っても雲泥の差。ずぼらな人が仕事すると織るのが難しいことが多いので織機や糸が悪いということばかり言うが、ちゃんと仕事する人というのは正しくつないで普通に織れる。織る人の作業の正しさが結果に出てくるのが織物の世界。上手な人は自分が何でも解決できるので文句をいわないが下手な人は自分の問題の解決もできず文句ばかりがみられる。

普通の仕事では経験できないような自分の力で解決していくような世界が現場にはあるんで、がんばればできるという世界を味わえ、そのがんばりがたわいもない麻布という結果だけど、自分で作ったものは買うものとは違う価値観が詰まっていて損得じゃない世界で、林与のお客様が布を買ってくださって洋服をおつくりになられたり小物をおつくりになられたりと同じ感覚でより強いものを語れるようなものを作って売ろうとすれば持っていないと評価してもらうのは難しいだろうなあと思う。